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『あの夏。【読みきり】』 作者:ゅぇ / 未分類 未分類
全角8157.5文字
容量16315 bytes
原稿用紙約23.75枚

 夏は嫌いだ。あの暑さも蝉の声も、それから花火の音も大嫌いだ。

 「恭一さん、どうぞ。お弁当です」
 藤木早苗(ふじきさなえ)は紺色の小さい風呂敷に包んだ弁当を差し出した。近所の海軍航空隊に属する青年少尉と恋仲になってから、そろそろ三月ほどになろうか。もともとは京都の出身で、一度茨城の土浦へ配属になってからここにやって来たらしい。戦争がなければ、京都大学で文学の勉強に励んでいたであろう青年であった。
 「いつもありがとう。体には気をつけてください、またすぐに来ますから」
 早苗のうちは、ずいぶん前から定食屋をやっている。ここには外出許可を得た海軍陸軍の軍兵たちが足繁く通ってくる。早苗の父親は去年ニューギニアで戦死していた。旦那を戦争で亡くしたせいか、母親はやってくる兵士たちに非常に好意的で、いつもカツ丼を大盛りにしてやったりトンカツを余計に一枚つけてやったりする。安い値段で腹がふくれる、という理由で店は毎日繁盛していた。
 「……恭一さんこそ、気をつけてください。最近事故も多いとお聞きしてますから」
 神国日本の勝利を信じてやまない国民が多数を占める中、恭一の話を聞くたびに不安が心を覆う。もう物資は足りなくなってきており、戦闘機用のガソリンが届かないというのである。昔懐かしい練習機赤トンボも、いつの間にか草色に塗り替えられてしまったとか。
 「大丈夫です。安心してください。では、また」
 敬礼をして暖簾をくぐっていく、あの後ろ姿。もう生きて会うことはできないのではないだろうか、と思わせる不安な別れ。片倉恭一は今年で確か二十四になったはずである。時間のあるときには、早苗の向かいに座って古今和歌集を教えてくれる男だった。そう口数は多くなかったが、笑うと目尻に皺ができてひどく人懐こい表情になった。そんな彼が、早苗は誰よりも大好きで。ふとした拍子に、彼に嫁ぐ自分の姿を想像してみたりもするのだった。空襲警報が発令されることも多くなり、少しずつ命が脅かされている実感を感じるようになってきていたが、それでもまだ早苗は幸せだった。

 「結納だけでも済ませてしまったらどうだい」
 母親が切り出したのは、ちょうど昭和二十年の五月頃だった。東京でも大阪でも大空襲が相次ぎ、いい加減日本は負けるのではないかと思う国民が現れはじめた頃である。最も、思っても口には出さない。少しでもそんなことを口に出そうものなら、口さがない隣人たちの噂になり、噂が噂を読んで憲兵に引っ張られるに決まっている。
 母親の言葉に、早苗は思わず隣に座る恭一の顔を見上げた。表情はまるでいつもと変わらない。変わらなかったが、少し唇を噛みしめているように見えた。彼なりに緊張しているのかもしれない。航空練習でもしているのだろうか、プロペラの轟音が頭上を通りすぎていく。
 「……できません」
 喉から絞り出すような声で、恭一が言った。
 (…………)
 早苗は何も言わない。幾分胸は痛んだが、特別驚くこともなかった。母親だけが怪訝な顔で恭一を見つめ返していた。
 「なぜ? 恭一さん、やっぱりうちの娘は不都合かい」
 「いえ!!」
 そこは、まるで滑稽なほど真剣な顔をして否定する。
 「じゃあなぜ……」
 「戦況は悪くなっています。自分も、何時特攻隊に編成されるか分かりません。早苗さんを未亡人にしてしまうわけには……」
 
 恭一の話やラジオニュースで、特攻隊の話は知っていた。様々な特攻機が試験されているという。二週間ほど前に隊内の食堂がB29にやられたという話も、早苗は恭一から聞いて知っている。
 『日本は負けます。みんな口に出してこそ言わないが、もう分かっている』
 恭一は、早苗の前でだけそういうことを言った。今日は苺の配給があったとか、ソーダの配給があったとか、そういう他愛ない話もした。捕虜になった米兵を見たとか、配給に酒が出なくなったとか、そんな話もした。それから日本の行く末の話も。
 『東京も大阪も焼け野原になったとか。何かあれば早苗さん、すぐに逃げるように』
 無事でいてください、と恭一はいつも懇願するように早苗に言うのである。早苗に言ってもどうしようもないことだろうに、それでも彼はどうか無事で、と言うのだった。

 「じゃあ気持ちは早苗と結婚してもかまわないって思ってくだすってるんだね?」
 「もちろんです」
 がらがら、と音がする。客が来たようで、母親はそこで店のほうへ出て行った。
 「……すみません、母が無理を言ったようで……」
 早苗は、遠慮がちに頭を下げた。色あせた畳の端が、幾分ささくれているのが目に映る。しばらく黙った後、恭一は不意に早苗に向き直った。店のほうで、食器ががちゃがちゃいう音が聞こえてくる。どうやら航空隊の予備学生が連れ立って来たらしく、時折大きな笑い声が響いた。
 「……早苗さん。本当は、あなたに結婚を申し込みたいのです」
 黒い瞳が、驚くほどまっすぐに早苗のほうを見つめている。泣き出したいような衝動が、早苗の心を襲った。戦争がなければいいのに、とこれほど痛切に願ったことはない気がした。
 「けれどあなたを妻にもらっても、すぐに未亡人にしてしまうかもしれない。自分はいつ死んでもおかしくない身です……だから」
 愛されている、と早苗は身悶えするほど歓喜に包まれた。今日にでも日本が負けて、戦争が終わってくれれば……。鬼畜米英の捕虜になってもいい、兎に角この戦争を早く切り抜けて彼と二人穏やかに暮らせれば。
 「恭一さん、私をお嫁に貰ってくださいませんか」
 女のほうからこうもはっきりと云うのは何ともはしたないと思ったが、今しかないとも思った。早苗もひたすら恭一を見つめ返した。視線が絡まりあう、というのはこういうことをいうのだ。自分からはっきりと切り出した一種の興奮で、早苗の腕が鳥肌だった。
 「…………」
 しばらく沈黙が続いた。
 「……先ほども云いましたが、戦況は悪くなっています。自分もいつ死ぬか分かりません。結婚しても、すぐにあなたを未亡人にしてしまうかもしれない。それでも……かまわないですか」
 「かまいません。恭一さんのお嫁さんにしていただけるというだけで、早苗は一生幸せに生きていけます」
 そのとき恭一は、ひどく優しい笑顔を見せた。




 昭和二十年七月一日。
 一ヶ月近く外出許可が出なかったようで、ようやく恭一が久々に家に戻ってきたときにはもう蝉がうるさいほどに鳴いていた。空は青く、白い雲がところどころに浮いている。頻繁に発令される空襲警報がなければ、戦争などどこで起こっているのかまるで分からないような平穏さであった。
 「早苗」
 恭一は彼女を、早苗と呼ぶようになっている。
 「恭一さん」
 久々に帰ってきた夫に、腹いっぱい夕飯を食べさせてやりたい。夕ご飯には何が食べたいですか、と早苗は前掛けで手を拭って彼に駆け寄った。日に焼けた精悍な顔が、ひどく懐かしく目に映る。一瞬恭一の瞳が揺れて、しかしすぐに彼は優しく笑った。
 「……お手製の鍋焼きうどんが食べたいな」
 母親に似て、早苗は料理が上手い。少し前からは、店のメニュウは早苗が調理するようになっていた。早苗の作る鍋焼きうどんと親子丼を、恭一はひどく好んで食べた。
 「恭一さんはいっつもそうね。帰ってきたら鍋焼きうどんばっかり」
 早苗がそう言っても、にこにこと笑って頷くだけである。そして出された鍋焼きうどんを瞬く間にたいらげて、親子丼もぺろりと食べてしまうのだった。前はもう少し柔らかだった眉のあたりが、少しずつ険しくなりつつあるのに早苗は気付いている。気付いているが、あえて何も言わない。
 文学が好きで、この和歌が風情があっていいでしょう、とか熱心に言っていた恭一の愉快そうな表情はもう表立っては見られない。たいして文学に興味もない早苗だったが、恭一の語り口がひどく巧みで、いつの間にか彼の教えてくれる和歌に惹きこまれていた。今は、それもなくなった。
 たまに本棚に並べてある古今和歌集の注釈本を、懐かしげに眺めている姿を見るだけである。
 しかし、それにしても今日は様子が違う、と早苗は思った。鍋焼きうどんを食べて、親子丼に手を伸ばす恭一の姿に何かひどく不安なものを感じていた。それは何か根拠があるものではなくて、何とはなしに漠然と胸に広がる不吉な予感。額の汗を拭うのも忘れて、早苗はただ夫の横に大人しく座る。
 「どうしたの、口数が少ないね」
 顔つきは幾分険しくなっても、その穏やかな物言いは昔からまるで変わっていなかった。
 「いいえ、嬉しいんです。久しぶりに会えたから……」
 正体の知れない不安を押し殺して、早苗は明るく振る舞ってみせる。少し無理に笑った顔が、引き攣ったかのように思われた。

 「よく眠れました?」
 「ああ、ぐっすり」
 夫の身支度を整えてやって、それから握り飯と餡餅を持たせる。帰りの汽車の中で、腹が減ったら食べられるようにと早苗が作ったものだった。
 「じゃあまた。気をつけて、何かあったらすぐ逃げるように」
 母親がいない隙を見計らって、恭一はそっと早苗を頭を撫でた。お母さんの身体にも気をつけてあげて、と言い足して恭一はゲートルを巻き、土間を出る。
 「お気をつけて」
 そっと早苗は頭をさげた。昨日と同じ、空はとても青くて雲は白かった。蝉が耳に痛いほど鳴いていて、本格的な夏の訪れを告げていた。



七月八日。

――『ワレ突入ス』


 『遺書。早苗様、お義母様。

  御身体に不調はございませんか。私はもちろん心身ともに元気一杯であります。先日あたらしい特攻隊の編成があり、一番に指名されました。
 敵の機動部隊が本土へ来襲する可能性が大きいとのことで、今朝早くから待機しておりますので、飛行機の傍で一筆したためさせていただく次第でございます。
 早苗さん、私が生きた二十四年のなかで貴女と過ごした月日は確かに短いものではありましたが、それでも自分にとってはこれ以上ない幸せな時間でした。貴女を置いたまま行くのは心苦しく、また貴女の御心もお察ししますが、私は後悔しておりません。どうか貴女とお義母様、我が両親等々をお守りするという使命のもとに満足してゆくことを信じ、あまり気を落とされませんようにお願いしたいとおもいます。
 早苗さん、貴女のことを考えて幾度も悩みました。あなたを未亡人にしてしまうことに苦しみも感じましたが、しかし命令が下れば皆がそうしていったように私も出ていこうと思います。いつか必ず平穏な時代がくると、信じております。たとえどのような時代が来ても、どうか皆様お健やかに、お幸せにお暮らしください。私はそれだけを兎に角強く祈っております。本棚の本は、早苗さんが適当に片付けてください。
 突っ込むとき、おそらく貴女の顔が一番に思い浮かぶことでしょう。どうか早苗さん、貴女の今後の幸せをお祈りしております。ただいま、七時です。そろそろ命令が下るのではないかと思われます。走り書きで申し訳ありませんが、これにて。さようなら。

                                                               片倉恭一』



 夏は嫌いだ。あの暑さも蝉の声も、それから花火の音も大嫌いだ。
 花火の音をきくと夜空から落ちてくる焼夷弾の音を思い出す。あの蝉の声をきくと、夫の最後の後ろ姿を否が応でも思い出す。
 ぼんやりと早苗は茶の間で座っていた。麦茶の入ったグラスがそのまま、器の中と外の温度差でグラスが水滴に濡れている。この頃、ふとしたことを忘れるようになった。
 「おばあちゃん、どうしたの。テレビつけっぱなしで」
 今年二十歳になったばかりの孫が、早苗の顔をそっとのぞきこんだ。母親に似て、とても気性の優しい娘に育っている。まぎれもなく片倉恭一の血をひく子であった。あのときすでに、早苗の腹の中には彼の子がいたようで。
 テレビには、中東へ派遣されていく自衛隊の姿が映し出されている。
 迷彩の制服を身につけた彼らを見ると、あの日航空隊へ戻っていった恭一の姿がまざまざと眼裏によみがえった。彼らは、何のために戦地へ赴くのだろうか。連日のように爆発が起こったり、ミサイルが打ち込まれたりする場所に、どうして国は彼らを送りこむのだろうか。その気持ちがまるで分からない。ただこれだけは分かる。愛しい人が帰ってこないと知ったときの、あの空虚な悲しみの念。もう二度と、あの腕の温かさを感じることができないと知ったときの狂おしいほどの切なさ。
 特攻機で、彼はどのように敵艦隊に突っ込んでいったのだろう。両親の名を呼んだのだろうか。早苗の名を呼んだのだろうか。彼はどんな未来を望んでいただろうか。
 殺人を犯したり、遊び呆けたりしている若者がテレビに映るたびに、いつも早苗は胸が苦しくなる。彼が死んだのは、こんな国をつくるためだったのだろうか。
 「またおじいちゃんの写真に見惚れてるの」
 孫が、くすくすと笑いながらちゃぶ台を布巾で拭く。テレビの横に置いた仏壇に、白黒の写真が一枚。
 ひどく穏やかな微笑を浮かべた片倉恭一の写真である。享年二十四。
 第二次世界大戦末期、特攻隊員として敵艦隊に突入。遺書と一緒に戦死の報が届いたのは、皮肉なことに昭和二十年八月十五日、終戦の日であった。
 涙は枯れることを知らなかった。彼は、迷いなく突入していったのだと、遺書を見ても明らかに分かった。彼は嘘をつかない。けれど、それを知っていても早苗の涙は止まらなかった。戦争さえなければ、という思いが強く早苗を揺さぶっていた。
 「お母さん、寝てなきゃ……」
 娘が、夕食の準備を終えたらしく台所から茶の間に戻ってきた。片倉恭一との間にできた一人娘である。再婚することもなかった早苗を、彼女がずっと面倒見てくれた。
 「……そうね」
 早苗は癌を患っていた。手術すれば治ると医者からも強く手術を勧められたが、早苗は頑なに拒んだ。手術などしなくていいから、自宅に帰してください。そう頼み込んで、自宅療養というかたちをとったのである。娘も娘婿も、そして孫も最初は泣いて入院を勧めたが、あまりに固い早苗の決心を知ってようやく諦めてくれた。
 蝉が鳴いている。あの日も蝉が鳴いていたなあ、と早苗は思った。
 あの日も空は青くて、雲は白かった。お気をつけて、と送り出した夫は帰ってこなかった。それでも戦争は終わって、平和な世の中がやってくる。
 世の中の動きは滑らかに動いてゆくなかで、彼を失った自分だけが取り残された感覚に早苗はずっと苛まれてきたと思う。
 だがそれもあと少しの我慢だろう、と。早苗の母親は長生きしたし、生んだ娘も優しい子どもに育ってくれた。父親を知らないままに育った不憫な子どもではあったが、早苗が毎日のように恭一のありし日の姿を話して聞かせた。今では毎日仏壇の赤飯と水をかえるのは、娘の役目になっている。
 それなりに、幸せな人生だった。戦争、という国家間の勝手で死んでしまったけれど、夫は早苗を誰よりも愛してくれていた。幸せな、人生だった。


『恭子へ。

私は、結婚して二ヶ月で夫を失いました。大東亜戦争、いえ、第二次世界大戦末期に、特攻隊員として二十四歳で死にました。私は今でも思います。国家が国民を守る義務を怠らなければ、彼は死なずに済んだだろうに、と。
 国家が戦争を起こすとき、犠牲になるのはいつも庶民です。夫は……あなたのお祖父さんは、文学が大好きな大学生だったのです。あなたと同じ大学生でした。今の人たちは大学で自由を満喫し、遊び、好きな勉強をしています。けれどそれと同じくらいの年で、あなたのお祖父さんやそのお友達は皆戦争へ駆り出されていきました。今のように好きなこともできず、大好きだった文学を諦めてお祖父さんは兵隊になりました。
 恭子は、今なにを考えているのでしょうか。きっとあなたのことだから、自分の夢をしっかり持って、まっすぐ進んでいっているのでしょう。お祖母さんは、安心しています。恭子、人の痛みを分かる人間でいてください。今のままの恭子でいてください。
 今の日本は、不安に揺れていると思います。少しずつ少しずつ、昔の日本に戻っていっている気が、お祖母さんにはするのです。
 アメリカ軍が落としていった焼夷弾で、どれだけの人々が黒焦げになって死んでいったか。
 原爆で、どれだけの人がもがき苦しみながら死んでいったか。
 特攻隊に指名された若い兵隊さんたちは、どんな思いで行き道だけの燃料を積んで敵に向かっていったか。
 彼らは、二度と帰ることのない故郷の地をどんな思いで後にしたのか。それはあなたには決して分からないことでしょう。お祖母さんも生き残った一人ですから、死んでいった彼らの気持ちは分かりません。が、残された悲しみだけはよく分かります。戦争が、どんなものかということだけはよく分かります。恭子、必ず人の気持ちを考える子になってください。
 残念ながら、今の世界は恭子みたいな人ばかりではありません。自分の利益のためなら何でもできるような人もいるし、国民のことを第一に考えてくれる政治家もほとんどいなくなりました。あれほど戦争で苦しんだのに、戦争に……たとえば自衛隊派遣に反対を唱える人は多くありません。
 国家に慣らされて、日本は少しずつ民主主義から離れていっている気がします。もしかすると、お祖母さんやお祖父さんが若かった頃のように、これから日本は軍国主義に立ち戻っていくかもしれません。もしそんなことがあっても、必ず命を大事になさい。大切な人を戦争に行かせることがないよう、お祖母さんはいつでも祈っています。お祖父さんも、きっと天国で祈っています。恭子、お母さんを大切にして、ずっと元気でいてください。良い旦那様が見つかると良いですね。お祖父さんみたいな方のお嫁さんにいくと、きっと幸せになれますよ。平和な世の中であれば、の話ですが。お祖母さんやお祖父さんのような思いを、恭子たち若い人たちにはさせたくありません。どうか、世界中が戦争を放棄して、みんなが家族で明るく暮らしていける日がくることを願っています。健一さん、ついでのようになりましたが百合子をお嫁に迎えてくださってありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。恭子、それから百合子、お祖父さんの血をひいていることを誇りに思ってください。平和を愛する人で、いてください。今までどうも、有難う御座います。
                             
                             片倉早苗』


 恭一さん。ようやく早苗にもあなたのもとへ行ける日がやって来ました。あなたの娘は、とても良い子に育ちました。孫も、良い子に育ちました。彼らがいつまでも戦争を知らないまま生きていけることを、願っています。これからは、あなただけに任せたりしません。早苗も恭一さんと一緒に、子どもたちを見守りたいと思います。


 夏に、逝ける。恭一のもとへ。夏は大嫌いだったが、こうなってみるとそう悪いものではないかもしれない。それは走馬灯。熱心に和歌を教えてくれた恭一。鍋焼きうどんを頬張っていた姿。ときおり見せる照れたような顔。凛とした軍服姿。結婚の話をしていたときの、恭一の烈しい瞳。古今和歌集をぱらぱらとめくるまじめな姿。最期の瞬間に思い出す何もかもが、恭一に関わることばかりで。ああ、やはり私は彼を愛しているのだ、と。思えば幸せな人生だった。愛し、愛された人生だった。やっと会える、あなたに会える。それだけが今、嬉しい。暑さはすでに感じない。ただ愛した男の温かいぬくもりだけを、早苗は仄かに思い出しながら、そっと瞳を閉じた。


                      


                  片倉早苗、享年八十二。
2005/02/02(Wed)17:00:19 公開 / ゅぇ
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■作者からのメッセージ
走り書きで申し訳ありません。テレビのニュースを見ながらわけもなく走り書きした読みきりです(汗。まあ、テーマがテーマだけに賛否両論だと思いますが、それでもやはり大事なテーマだな、と思いつつ。あたしたちは一体何のために生きているんだろうな、などと考えながら。どれほどの命のうえに胡坐をかいて生きているのだろう、と時々思います。少しずつ日本が戦争に近づいていって、もしも自分の大切な人々が戦争に行くとしたらどんな思いがするんだろうか、と図らずも考えこんでしまいました。……ともかくいつもどおり適当に(笑)読み流していただければ幸いと思います(オイ。ちなみに今日は昼間から友達と焼肉食べに行ってきました。何か昼間から食べ放題ってのが恥ずかしくて、まともに食べれなかった!!(ホントか。……ええまあ、それでもしっかり食べたんですけどね。てなわけで、おいしいものが食べられる時代が続くことを祈って!!
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