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『孤独の中の好敵手 6〜9』 作者:水柳 / 未分類 未分類
全角16504.5文字
容量33009 bytes
原稿用紙約50.5枚
第6章面影

アークレイが、気がつくと、焚き火は燃え尽きていた。どうやら眠ってしまったようだ。
辺りを見回すがレイスの姿も少女の姿も見当たらない。さて、何処へ行ったものかと木々の向こうへ目を凝らすが、月明かりでは見える範囲は限られている。何もなければいいが、と思うが、立ち並ぶ木々の一本に羊皮紙がナイフで打ち付けれているのを見つけて気が重くなった。木から羊皮紙を抜くと、そこにはとても読めたものではない、乱雑な字が書き殴られていた。これを書いたものは、ひどく興奮していたと見る。もっともそれ以前にあの男が綺麗な字を書けるわけはないだろうともアークレイは思った。手紙には次のように書かれていた。
『アークレイ、彼女と一緒にちょっくら散歩してくるぜ! いやな、てめえにはわりいと思ったんだけどよ、彼女がどうしても、って言うからよぉ……。あんな可愛い顔で頼まれたら「石の男」と呼ばれた俺様もさすがに、ねぇ? そんなわけでてめえはそのまま寝てろよ。くれぐれも邪魔だけはすんじゃねえぞ! 以上! レイス・ホールド』
無言で手紙を読み終えたアークレイは
「あの馬鹿が……!!」
と悪態をつきながら額を押さえた。あまりにも浮かれた内容に怒りを通り越して呆れてしまうアークレイだった。
そもそも足が動かないだの泣き言を言っていたのはどこの誰だったか。あの体のどこにそんなエネルギーが残っていたのだろうか。自分もかなり異質な存在だが、あの男の回復力の速さには太刀打ちできないだろうと思える。
「まぁ、あの男が、女一人に手間取るとは思えないがな」
そう呟きアークレイは再び横になるがどうも落ち着かない。焚き火の中でパチパチと散る火花、風のざわめきさえも何故か気にかかり、眠れない。アークレイはその原因に気付き、顔をしかめた。
「何故、俺があの男のために動かなければならん」
ぶつぶつ言いながらもアークレイは立ち上がった。しかし、目の前に広がっているのは漆黒の闇。これではレイスを探す事も出来ない。どうしたものか、と頭を掻くアークレイの耳に吼えるような声が聞こえた。それはちょうどアークレイの背後から聞こえてくる。かすかだがよく響く、遠吠えのようだ。―先程の狼か。アークレイはそう察し、急いで踵を返すが、そこで動きが止まった。目の前にあの少女が立っていた。先程の穏やかな笑みではなく、すくみあがるような妖艶な笑みだった。そして彼が動きを止めた最大の理由、胸元に槍が突きつけられていた。やがて少女が発した声は先程のそれとは全く違っていた。
「思ったより、落ち着いているわね。もしかしてばれてた?」
冷たく、嘲るような声。
「そうだ。どこの世界にこんな真夜中に一人で山を歩いている女がいる?」
冷静に答えたが、レイスの姿がないことに若干の不安を感じていた。ここにこの少女がいるということは、奴は……。
「そうね。あの男もそのくらい冷静だったら良かったんだけど。散歩に誘ったら、簡単についてきたわ」
アークレイの気持ちを知ってか知らずか、持ち出されたレイスの話にアークレイは眉をひそめる。
「それであの男はどうした?」
「あら、お仲間が心配? 大丈夫よ。多分」
アークレイは奥歯をかみ締めた。そうすることで怒りを抑えるかのように。
「多分、だと?」
「あら、説明が足りなかった? これは失敬」
少女はおどけた仕草で頭を下げて見せた。
「つまり私が見たときにはまだ生きてたってこと。ま、今頃私の狼の腹の中かもね」
どうでもいいという風に軽い調子で切り上げる。そして先程とは打って変わって真剣な表情を見せる。その瞳には少女のものとは思えないような殺意が宿っていた。
少女の射るような視線を感じながらアークレイは一刻も早くレイスに助太刀に行かねばならないと思っていた。あの体力ではそう長くはもたない。しかし、この少女が簡単に道を空けるとは到底思えなかった。一見倒すのは簡単そうだが、何故かアークレイは動けなかった。奇妙な感覚だった。少女を見ていると何故か胸が苦しくなる。懐かしく、それでいて悲しかった。
―ミイナ
アークレイの記憶に該当する人物が一人いた。その人物との思い出が彼の脳裏に蘇る。アークレイの意識はそれを否定するが、脳裏に浮かんだ光景は消えない。
アークレイは少女に見た面影を振り払うように心のうちで強く自分に言い聞かせた。奴は死んだのだと。だが、振り払おうとすればより強く、過去の出来事に縛られる。そして一縷の望みを少女に見るのだ。彼女は生きている、と。
「どうしたの? 急に黙り込んじゃって」
少女の言葉でアークレイは我に返った。今はそれどころではない。もう一度強く言い聞かせる。レイスを助けるのが先だ。
「一つだけ聞かせろ。貴様の目的はなんだ?」
 それまでの沈黙をごまかすように直球に聞く。少女は成り立っていない会話に顔をしかめるがすぐに気を取り直し冷たく答える。
「言わなくてもわかると思うけど?」
「俺の首、か」
「そうよ」
少女は槍を握り直した。アークレイはそれを攻撃の兆しと読んだ。
「悪いけどそろそろ終わりにさせてもらうわ」
「やってみるがいい、できるならな」
 アークレイは余裕の表情を見せた。多少ひっかかるものはあるがただの少女。自分が負けるとは思っていなかった。
「随分な余裕ね、槍が胸のすぐ前にあるってのに」
「そうだな。悲しい事に何度もこういうことがあった」
そう言うと、アークレイは槍を掴んだ。同時に赤い閃光が手元で炸裂し、槍の柄を爆破した。
「……そうやって何度も乗り越えてきたわけ?」
 少女の口調には驚きも焦りも感じられなかった。まるでこうなることを予想していたようだった。
「そういうことだな」
 アークレイは内心意外に思いながらも冷静に返した。
「さて。貴様の槍はもう使い物にならん。どうするのだ?」
 少女の返答には多少の間があった。やがて、消え入りそうな声で答えた。
「……私は負けられない」
「何?」
「私は負けないッ!」
 少女の声を合図に何かが彼の目の前に現れた。それを確認する間もなく、アークレイは地面に押し付けられた。何かの荒い息が顔にかかる。狼だった。アークレイの腕に爪を立て、身動きを取れなくしている。自分の腕から血が流れるのを感じた。
「こやつらは……」
「そう。さっきあなた達を襲った狼よ」
自分の頭上で何かの唸り声が聞こえる。恐らくもう一方の狼だろう。
「こいつが居るという事はホールドは……」
「安心して。さっきの話はウソよ。彼なら今頃ぐっすりと眠っているわ」
 恐らく少女が眠り薬でも嗅がせたのだろう。少女は懐からナイフを取り出した。銀色の刀身が月光に煌く。
「ここまでよ。あなたに恨みはないけど、仕事だからしょうがないわよね」
少女がゆっくりと歩み寄ってくる。狼たちは彼女に視線を移していた。彼らは言わば主従関係にあるのだろう。その関係は恐らく信頼と尊敬で成り立っている。
 アークレイは好機だ、と悟った。気付かれないよう、ゆっくりとした動作で地面の砂利を掴む。少女はまだ気付いていないようだ。アークレイは素早く狼に砂利を投げつけた。それらが狼の腹部に当たると同時に粒の一つ一つが目が眩むような赤い閃光を発する。狼は甲高い悲鳴を上げると、アークレイから飛ぶように離れた。狼は少女の傍らに移動すると、力なくその場に倒れこんだ。
「リルフ……」
少女の目が大きく見開かれる。少女は一歩踏み出したが、もう一匹の狼の方が速かった。怒り狂ったような咆哮を上げると、アークレイに飛び掛ってくる。アークレイはその場にとどまり、噛み付こうと口を大きく開けた狼の額を掴む。同時にそこから爆発が起きる。狼は抵抗する間もなく、吹っ飛ばされた。
「ジェリフ……」
少女は力なく倒れているリルフと額から血を流すジェリフを呆然と見つめる。そして殺意の宿る目でアークレイを睨むとナイフを片手に飛び出してくる。アークレイは迎え撃つべく手を構えた。
「許さない!」
少女は大きくナイフを振りかぶった。アークレイの攻撃のほうが断然速い。アークレイは余裕の表情で手を突き出す。しかし。
―アークレイ!
誰かの声が頭の中に聞こえた気がした。それどころか目の前で刃を振るっているのは……。
何かを切り裂くような鋭い音がした。気がつくとアークレイは仰向けに倒れていた。自分の脇腹を何か生ぬるいものが伝い流れるのをアークレイは感じた。目の前には大きく目を見開いた少女が呆然と立ち尽くしていた。まるで彼女自身、攻撃が成功した事に驚いているかのように。それはアークレイも同じだった。何故、自分は倒れているのだ。あの時の攻撃は確かにこちらの方が速かったはずだ。なのに何故?
ああ、そうかとアークレイはようやく理解する。自分は少女にやつの面影を見たのだ、と。故にためらってしまったことを。とめどなく血が溢れてくる腹を押さえながらアークレイは微笑んだ。自分の体を傷つけられたのは久し振りだな、苦笑する。そして最初の傷を付けたのも女であったことを思い出す。
別に良いのではないかと思う。最後にやつの面影に出会えて。思えばここ最近、自分の存在価値すら見出せないでいた。自分の死が彼女に役立つというのなら……。
「まぁ、いいだろう」
アークレイはそう呟く。
『……レイ。アークレイ!』
薄れゆく意識の中、誰かが自分を呼ぶ声を彼は確かに聞いた。
「ミイナか……?」
彼はかすれた声で問う。
ミイナ。死ぬ前にせめて、貴様の姿を見せてくれ。
そこで彼の意識は途切れた。

第7章ミイナ・クレイル
アークレイは暗闇の中に居た。何もない。何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。自分の全てがこの世以外のどこかに消えてしまったようだった。やがて闇の中で一筋の光が揺らめいた。光は段々と大きくなっていく。そして光の中に何かの輪郭が現れた。それはだんだんと形を成し、人を形成していく。新緑のような鮮やかな緑髪は肩に触れ、髪と同じ、緑色の澄んだ瞳、白い肌をした少女の姿だった。
フン、とアークレイは笑った。あの狼娘とは全くの別人じゃないか。自分は何を迷っていたのだろう、と自分自身を嘲笑うかのように。しかし、そのことで後悔するような事はない。三年ぶりに彼女の顔を見たのだから。

二年前、アークレイは今と同じく、オルハデスに明け暮れていた。彼の持つ爆破の能力。生まれつき何かの手違いで与えられた異質な能力。そのため皆に忌み嫌われ、世を呪いながら生きていた。
あるとき彼はオルハデスに出会う。職業、年齢など関係なく、戦い合い、時には殺し合う。その単純なシステムに彼は心魅かれた。自暴自棄になっていた彼は歴戦の英雄までが参加するこのイベントに十四歳という若さで参加したのだ。誰もが彼の勝利は不可能だと思っていた。しかし、彼は爆破の能力を使い、無傷で勝ち抜いていったのである。幼い頃から迫害を受け、時には命をも狙われてきたアークレイは能力を自由にコントロールできるようになっていた。そして当然のように優勝を重ねていったのである。
そんな日々が続いていたある日。
「弟子にして!」
オルハデスで闘うアークレイの姿に魅かれたのか、町の少女に懇願されたのだった。自分と同じ位の年で肌は白く、体は折れそうなほどに細くかった。どう見ても弱弱しい印象しか受けない、そんな少女がふざけているならともかく、真剣な目で頼んでくるのだ。冷たく突き放すわけにもいかず、かといって弟子にする気もなかった。人とあまり関わる事のなかった彼は対応に困ってしまった。それでも当時のアークレイはお人好しだった。自分を狙うものには容赦しないが、その他一般の人々には優しかった。冷たく接されてきたアークレイは、彼らと同じように人を精神的に傷つけることはしたくなかった。やむを得ず、弟子入りを許可したのだ。
しかし、彼の予想とは裏腹に、少女は強かった。話を聞けばオルハデスの参加者だと言う。恐らく今までは運良く彼と当たらなかったのか、見た事はなかったが、少女の強さを目の当たりにしたアークレイはすんなりと納得してしまった。
屋根から屋根を軽やかに飛ぶ、その身のこなし。少女には似合わぬ、槍をなれた手つきで振り回すことから戦闘に慣れていることもわかる。さすがに力はアークレイに劣るが、か細い腕からは想像できないほどの力だった。
その少女の名はミイナ・クレイル。
二人は師匠と弟子などという堅苦しい関係などではなく、親友のような間柄だった。年が近いせいもあったかもしれない。彼の中で徐々にミイナという少女は大切な人になっていった。
やがて、オルハデスでの彼の戦績を聞きつけたかつての賞金稼ぎが再び狙い始めたとき、アークレイはミイナにこう言った。
「俺は君を巻き込むたくないんだ。君の安全のためにも俺から離れてくれ」
しかし、ミイナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「そんなの嫌だよ! 私はずっとあなたの傍に居たい!」
それからは二人で賞金稼ぎと闘う事になった。戦いで精神的に疲労したときも、彼女が励ましてくれた。町の住民から「殺人鬼」「化け物」など中傷の言葉を投げつけられた時、必死に庇ってくれた。彼女は素直で優しく、そして何よりも一緒に居て楽しかった。レイスには友だ、と説明したが、ミイナとアークレイは恋人のような間柄になっていた。
しかし、そんな関係は長くは続かなかった。
その出来事はアークレイの心に一生治らない傷を負わせた。
          *******

当時アークレイはオルハデスの期間外は賞金稼ぎから逃げるため放浪していた。ミイナには、危険だから来るな、と言っているのだが、その度に顔を真っ赤にして怒鳴られるので、いつからか、忠告するのをやめてしまっていた。
旅の途中、とある村に立ち寄った。ネルシアという村である。村といってもかなりの大きさで、宿や食堂、武器屋などが何軒かあった。旅人のためにあるような村だった。そしてこの村には―土地といった方がいいのかもしれないが―名物があった。それは村の外に広がる荒野にある。
「ねぇっ! アークレイ。行ってみてもいいでしょ!?」
旅人でごった返した食堂。むさ苦しい男たちが昼間だというのに杯をかわして騒いでいる。そのすぐ横のテーブルでミイナが興奮したように叫んだ。
「……何処に」
「決まってるじゃない! ネルシア渓谷よっ!」
ミイナはどこで手に入れたのか、渓谷の写真が載った紙をヒラヒラと振る。写真の中では赤茶色の不毛地に穴のような亀裂があり、そこを越えるための茶色い橋がかかっていた。橋の命でもある手すり代わりのロープはあまりにも細く、人が乗ったら鈍い音と共に断ち切れるのではないかとアークレイは思った。
ちらりとミイナのほうへ目をやると、すでに行く気は満々とでも言いたげに目を輝かせていた。どうやら橋の危険性は考えていないらしい。
アークレイは決断を迫られる事態を少しでも遅らせるため、質問を続けた。
「理由は?」
「観光名所だから」
「俺は疲れているんだ、今日は休もう」
「私は疲れてないよ」
「ならば君一人で行けばいいだろう」
「それはヤダ」
そうにっこりと微笑まれてアークレイは言葉を失った。顔は笑っていてもその瞳は「もし、行かなければどうなるかわかってるよね?」と言っているかのように脅しのような凄みを帯びていた。彼女の怒りは後を引く。以前、同じようなことがあった時、宿の部屋が寝ている間に荒らされていた。おかげで宿主にこっぴどく叱られ、壊したものを弁償するハメになったのだった。本人はしらを切っているが、現場に残された切り傷といい、ミイナがお得意の槍を振り回したに違いなかった。以来、アークレイは彼女の機嫌を損ねないように常に気を付けていた。
「……わかった。行こう」
「やったぁ!」
疲れたような吐息を漏らすアークレイとは対照的に、ミイナは元気良く言った。
「じゃあ、早速行くわよ、アークレイ!」
「待てって。俺はまだ食べ終わっていない……」
「いいから行こう!」
強引に腕を引くミイナに連れられ、アークレイは泣く泣く、食べかけの昼食を放棄する事になった。卓上では半分になったステーキがどことなく空しさを漂わせていた。

 勘定を払った二人は、早速渓谷へ向かう事にした。彼女の話では、渓谷までは三時間ほどで着くらしい。とても近い距離ではないが、今更何を言っても無駄だった。
 道中、彼女はネルシア渓谷についての情報を楽しげに話した。彼女の情報をまとめると、ネルシア渓谷は八百メートルほどの深さを誇る、世界一大きな谷であるということだ。一応、下には川が流れているらしいが、八百メートルのスカイダイブの後では、身体は見るに絶えない状態になっているであろう。
 話し終えたミイナは「楽しみだね」と笑い、アークレイが
「そうか? 俺はさっさと帰ってメシが食いたいんだが」
とため息交じりに言ったら本気で殴られた。彼女の怒りのように随分後に引く痛みで、再び歩き出してからもしばらく痛みは治まらなかった。
そんな賑やかな、二人にとってはいつもの旅路を歩んでいた。やがて、日が暮れ始め、太陽が赤く染まった頃、ようやく二人はネルシア渓谷に着いた。
 無理やり連れてこられたアークレイだったが、その光景には一瞬息を呑んだ。
大地を真っ二つに断ち切ったような、深い亀裂。向こう岸まで二百メートルはあるだろうか。それが左右に果てしなく続いていた。亀裂はそこが見えず、果てしない闇が広がっている。じっと眺めていると、吸い込まれそうに感じた。
 「すごいな」
 そんな陳腐な感想しか述べられなかった。その雄大さに言葉を失ってしまったかのようだった。ふと、我に返ったアークレイはミイナの声が全く聞こえないのに気付く。あれだけはしゃいでいたのにいやに静かだな、と思いつつちらりと横を見ると彼女はぺたんと座り込み、神妙な顔でアークレイを見つめた。心なしか震えている。
 「どうした?」
不審に思って聞いてみると、彼女は蚊の鳴くような声でポツリと答えた。
「……かないの」
「なんだって?」
アークレイは聞き返す。彼女は自分の足を指差した。
「……怖くて足が動かないの」
「…………」
アークレイは呆れて声も出なかった。谷を見たいと、強引に連れて行ったかと思えば、今度はその谷に恐怖を覚えている。アークレイは頭を掻くと、黙って右手を差し出した。
「ありがと」
ミイナは手をとると満面の笑みを浮かべながら立ち上がった。
夕日の赤い光に照らされた笑顔はとても綺麗だった。アークレイは自分の顔がかあっと赤くなるのを感じたが、それを隠そうとはしなかった。赤い光に包まれた今ならわかりはしないだろう、と。
「何赤くなってんのよ」
不意に彼女が言った。悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「そんなんじゃない。夕日に照らされて赤くなってるんだろう」
そう言ったが、彼女はまだ笑みを浮かべている。
「嘘つき。だってアークレイ、あなた夕日に背を向けてるじゃない」
そのため影になって光が当たらなかったらしい。アークレイは参ったな、と思いながら頬を掻く。しかし、他の方法で誤魔化そうとはしなかった。
「……綺麗だよ」
「え?」
彼女はふざけているのかと思ったらしい。しかし、アークレイの真剣な表情に気付いたように顔を赤らめて俯いた。もっとも本当に赤くなったかどうかじゃわからないが。
「アークレイってなんか大人っぽいよね」
ポツリと呟く。
「そう思うか?」
「うん。普通、十四歳の女の子に『綺麗だよ』はないでしょ」
それでもまんざらでもないかのように笑った。
「でもそこがアークレイらしいわ」
アークレイは黙っていた。自分がこんなにも大人びているのは大人に甘えたり、同世代の子供と遊んだりする機会はなく、たった一人で生きてきたからだ。そこに子供っぽさなどあるわけがない。
思考に耽っていると、手に温もりを感じた。解いたはずの手をミイナが両手で包み込んでいた。彼女の顔を見るととても不安な表情をしていた。心なしか目が潤んでいる。
「ミイナ?」
驚いて声をかけると、彼女は小さな声で呟くように言った。
「アークレイ、いつまでも貴方の傍に居させてね」
アークレイはじっとミイナを見つめた。いつもからかってばかりで、行動が強引なミイナ。しかし、自分が傷ついたとき、辛いときにはいつも心配し、励ましてくれた。賞金稼ぎに狙われても、必死で自分を守ってくれる。大切な存在。
彼女が望むなら、アークレイはいつまでも自分の傍に居てほしいと思う。そして彼女と共に歩んでゆく。これからもこの能力のせいで数多の賞金稼ぎたちに狙われることだろう。しかし、どんなことがあっても彼女を守り抜く。この忌むべき能力を、彼女を守るために使う。初めて、自分の能力を積極的に使いたいと思った瞬間だった。
「ああ……。俺と一緒に歩んでくれ」
アークレイは言った瞬間に照れくさくなったが、目はそらさなかった。ミイナもその台詞をからかわなかった。ただ、消え入りそうな声で
「……ありがとう」
と答えた。
どちらからともなく、吸い寄せられるように二人は抱き合った。アークレイは彼女の細い体をひしと抱きしめた。彼女の温もりが抱いた背中から伝わってくる。
俺は彼女と歩んでいく。これからもずっと。
二人の中で永遠とも思えるような時間が流れた。
その時、ヒュッと空気を切るような音がどこかでした。次の瞬間、ドスッと鈍い音が自分のすぐ下で聞こえた。同時に生温かいものが服に染みこんで行く。初め、それが何か理解できなかった。ただ、わかっていたのは自分の中の何かが瓦礫のように崩れていったことだけだった。
突如、自分の中で恐ろしいイメージが出来上がった。

馬鹿げている。

必死に否定するが、自分のイメージを肯定するかのように、彼女がうめき声を上げた。
アークレイはゴクリと唾を飲むと、彼女の体を見た。恐る恐る、ゆっくりとした動作で確認する。
信じられない光景だった。
絶対に守り抜くと決めた、傷つけないと決めた、それなのに。
ミイナの、腹に、銀色の、矢が、


突き刺さっていた。

第8章届かぬ手
「ミイナ……」
アークレイは震える声で呼びかけた。生きていて欲しかった。そして、守れなかったことを謝らせて欲しかった。
「大丈夫よ……」
ミイナはかすれた声で応じた。
アークレイは安堵のあまり泣きそうになった。しかし、ミイナの腹からは夥しい血が流れ出ている。アークレイは急いで矢を抜くと、自分のマントを使って止血をした。マントは瞬く間に赤く染まっていった。
「ありがとう……でも一体何が……」
 ミイナは礼を言うと、矢の放たれた方向を凝視した。アークレイも彼女に倣う。
 いつの間にか吹いてきた風で土埃が舞う。数十メートル先で二つの影が佇んでいた。一人は若い男だった。年は二十代半ばといったところだろう。弓を構え、明るい金髪を揺らめかせながら不敵に笑っている。もう一人は屈強な体をした男で、金髪の若者より年上に見える。顔立ちの整っている金髪の男は対照的に、青い長髪はあらぬ方向へ伸びており、顔を覆うほどに髭を蓄えている。一見、落ち武者のような風貌だが、細くつり上がった眼と肩に担いだ斧が威圧感を与えている。
 金髪の男も二人の視線に気づいたようだ。口元を歪め、嘲るような笑い声を上げた。その声は不毛の荒野に高く響いた。
 「麗しい愛だな、お二人さんよ。出来れば気づかれないよう、一撃でしとめるつもりだったんだが……」
 大仰に頭を掻いてみせる。
 「白髪のガキに当てるどころか、横の可愛い嬢ちゃんに当てちまうとはな。やっぱ慣れない弓なんぞ使うんじゃなかったぜ、なぁ? ヨセフ」
 「フン。お前のことだ。わざと狙ったのだろう。つくづく悪趣味な男だ」
 ヨセフと呼ばれた青髪の男は呆れたように答える。
 「そう言うなって。これであのガキも動きにくくなったろうが」
 「それとこれとは話が別だ。大体俺はハンディのある相手と戦うのは気が進まんな」
 ヨセフは憮然とする。
 「心配すんな。俺がすぐにハンディを消してやるから」
 「何をごちゃごちゃと言っている!」
 アークレイはいきり立った。こんなふざけた連中にミイナが傷つけられたことが許せなかった。殺してやる、と今ほど強く思ったことはなかった。
 「お前らは俺を狙ってきたのだろう!? ミイナを巻き込むな!」
 「あ〜。だからだな」
 金髪の男は覚えの悪い生徒を受け持った教師のような声で言う。
 「俺ぁ、本来は弓の使い手じゃねえんだ。何せ今日はじめて使ったわけだからな、狙いがそれても当然なわけよ。そのことはさっき謝っただろ?」
 「ふざけるな!」
アークレイは怒鳴った。
 「謝ったからだと? 本当はそらしたどころか、しっかりと狙いをつけていたんだろ!」
 金髪の男はまじまじとアークレイを眺めていたが、やがて意地悪く口元を歪めた。
 「ガキが……大人の言うことは素直に聞けっての」
 その低い呟きはアークレイに届かなかった。
 「ヨセフ……あのガキぁ、お前に任せる。やれ」
 「うむ」
 ヨセフは重々しく頷くと、肩に担いだ斧を地面に振り下ろした。赤褐色の大地に亀裂が走る。
 アークレイは傍らのミイナとヨセフを交互に見比べた。ミイナをかばいながらあの男を倒せるか。難しいだろう。あの斧の一撃は致命傷になる。もちろん、アークレイにとってもだ。しかし、あの斧は攻撃力はあるが大きく質量がありそうなので、大振りになるだろう。その隙をついて懐に飛び込み、一撃を食らわせる。そのためにはミイナをこの場へ置いていくしかなかった。
 「ごめんね……」
 ミイナは泣いていた。アークレイは奥歯をかみ締めると、彼女の肩に手を乗せた。
 「大丈夫。すぐに奴らを倒してくる。だから、ここで待っててくれ」
 ミイナはまだ泣いていたが、力強く頷いた。
 「では、いってくる」
 アークレイはそう言うが早いが、ヨセフの元へ駆け出した。突然のことにヨセフは反応が遅れた。彼が斧を振り上げたときにはアークレイは既に目の前に迫っていた。
 「遅いな!」
 アークレイは胸元へ拳を突き出す。
勝った。
アークレイがそう確信したときだった。
「あっ!!」
突然、後ろから悲鳴が聞こえた。ミイナのものだ。慌てて振り向くとミイナの右腕を銀の矢が貫いていた。呆然と眺めるアークレイの前で、また一本、今度は右足を貫いていく。
「ま〜た外れちまったよ。困ったもんだぜ」
数十メートル先から残忍な笑い声が聞こえた。金髪の男だった。矢を構え、ミイナを真っ直ぐに狙っている。ミイナは右足を射貫かれ、まともに立つことも出来ない。それどころか射貫かれた場所からとめどなく血が溢れてくる。このままでは危険だ。
 アークレイはミイナの元へ戻ろうと足を踏み出す。しかし、その途端、背中に、燃えるような痛みを感じた。何が起こったのか理解できなかった。自分はミイナを守りたい。あの男の手から。それなのに、一体誰がそれを阻むのだ?
「余所見はいかんな」
 冷たい、体の芯から凍り付いていくような声だった。地面にどっと倒れたアークレイは自分を見下ろす視線に気づいた。ヨセフだった。
 アークレイはこの男への攻撃が中断されていたことを忘れていた。それほどにミイナのことでショックを受けていたのだから。
「よっ! お見事!」
 金髪の男が陽気な口調で褒める。
対照的にヨセフは憮然とした表情で金髪の男を睨んだ。
「おいおい、せっかく俺が褒めてやってるってのに、なんだよその態度は?」
「黙れ、ヴォルド」
「はいはい」
相棒の口調に並々ならぬ怒りを感じたのだろう。ヴォルドは大人しく追求をやめ、ミイナに向き直った。アークレイもミイナを見た。ぐったりしていて息も絶え絶えだ。さらに出血がひどい。アークレイは彼女の元へ駆け寄ろうと体を起こす。しかし、一度浮き上がった体は再び地面に倒れこんだ。動かない自分の体が、引き裂きたいほどに憎かった。
そんな中、ヴォルドの口から放たれた言葉がアークレイを絶望の淵へと突き落とした。
「で? 俺はこのまま殺しちまうつもりだけど、いいか?」
「構わん」
ヨセフの声がいやに冷たく聞こえた。いわば死刑宣告だ。ヴォルドは引き絞った弦から手を離し、矢を放った。
「くそっ!」
アークレイの体に力が戻った。アークレイは背中からの出血を気にも留めず、ただミイナの元へ走っていく。時間がいやに遅く感じられた。ミイナまで後数メートル。手を伸ばせば届きそうな位置にある。彼女も弱弱しい足取りで必死に立ち上がろうとする。アークレイは彼女の名を叫びながら手を伸ばした。届くか。
 ズシュッ、と鈍い音が荒野に響き渡った。いや、実際にはそれほどの音ではない。しかし、アークレイの耳にはとても大きく、そしてとてもよく響いた。再び彼女の腹を矢が貫いていく。そして彼女の体は後ろへと−崖へと−倒れていった。
「ミイナ!!」
アークレイは彼女の腕を掴もうとなおも手を伸ばす。
彼女の手とアークレイの手が一瞬触れ合ったかに思えた。
しかし、アークレイの手は彼女の手を掴むことはなかった。ミイナはそのまま闇の中へ吸い込まれていった。
「ありゃあ。落ちちまったよ」
ヴォルドの声がはるか彼方に感じられた。目の前の出来事が信じられなくて。信じたくなくて。これは夢だ、と自分に言い聞かせる。なんとも性質の悪い夢だ。しかし、この夢が覚めたとき、ミイナはいつもどおり、自分のそばに居るはずだ。自分はとある宿のベッドで目を覚まし、いつも自分より早く起きているミイナが「おはよう!」と朝から元気な声で挨拶をする。そして朝食を取りながら、次の目的地を話し合う。そんな日々が待っているのだ。
 しかし。
背中を刺す、ズキズキとした痛みが夢であることを否定している。


これは現実だ。
 
「うわあああああああああ!!」

アークレイの叫びが谷にこだまする。

そして。

敵討ちの機会も残さぬまま、ヴォルドとヨセフ、二人の賞金稼ぎは姿を消した。
 

  
 



第九章静寂の森
 まず初めに視界に入ってきたのは紅蓮の炎だった。一体なんだろうと考えた瞬間、パチッと楽しげな音を発し、点のような火花が飛んだ。
 次になんとも香ばしい匂いが嗅覚を刺激した。腹の虫が空腹を訴えるかのように間抜けな音で鳴いた。
やがて朦朧とした意識が回復し、次第に視界がはっきりとし、目の前の物体を確認することが出来た。燃え盛る焚き火の上で、串に刺された何かの肉が炙られていた。
一体自分はどうなったのだろう。目の前で舞う炎を見つめながら、記憶をたどる。あの少女に腹を刺された、そこまでは覚えている。しかし、そこからどうなったのかは全く覚えていない。
とにかく状況を把握しようと、痛む体を起こす。周りには深い緑の葉を付けた木々が囲むように立ち並んでいた。少なくともまだ山の中に居るのは間違いない。少女の姿はどこにもなかった。
「よう」
背後から眠そうな声が聞こえた。もうすっかり聞きなれた声。楕円形の大きな岩に胡坐をかく、レイス・ホールドの姿がそこにあった。
「思ったより元気そうじゃねえか」
「そうとしか見えないのなら貴様の目が節穴なのだろう」
立っているのがやっとなんだぞ、と皮肉交じりに答える。
「そうか。だけどそんだけ皮肉が言えるなら当面は問題なしだな!」
歯を見せながらひひっと笑うレイス。言い返そうとしたが、どうやら本気で自分を心配してくれていたようなので今は刃を収めることにする。
「フン。そうだな」
「……なんかてめえ、妙に素直じゃねえ? 倒れた拍子に頭でも打ったか?」
やはりいつもの調子ではないと違和感を覚えるらしい。この男に余計な心遣いなど不要か、と考えを改めたアークレイはとりあえず取り繕う。
「貴様と幼稚な論争を交わす元気がないだけだ。頭のほうは極めて正常だ。少なくともあのような稚拙な文章を書く貴様よりかはな」
 「全然元気じゃねえか」
とレイスがあきれて呟いたが、すぐに、それよりも、と口調を変える。
「何があったんだ? アークレイ?」
「血なまぐさい旅の、心のオアシスに刺された」
皮肉たっぷりに答えてやると、
「それは知ってる。俺が来たときちょうど、心のオアシスが狼を抱えて逃げていったからな。俺が聞きたいのはそれまでに何があったか、だ」
と、皮肉交じりの答えにも動じない。今だけはまともに会話してみようと、アークレイも表情を引き締める。しかし、心の内では、この男とまともな会話したのはこれが始めてのような気がするな、などと考えていた。そんなアークレイにレイスはさらに尋ねる。
「てめえがやられるくらいだ。よっぽどの理由があったんだろ?」
「そうだ」
思ったよりも鋭いレイスの読みに内心舌を巻きながらアークレイは答えた。前から思っていたが、この男はただの馬鹿ではない。戦闘能力には目を見張るものがあるし、爆破の能力なしなら、レイスのほうが強いだろう。これは近々自分の過去も話さなくてはならなくなるな、と複雑な心境に浸るアークレイに、真面目な口調で、かつ、とてつもなく間の抜けた内容の一言が放たれた。
「てめえ、オアシスに惚れちまったんだろ?」
アークレイは自分の表情が凍りつくのを感じた。
何故この男は自分が珍しくかける期待をことごとく打ち砕いてくれるのだろうか。怒りよりもまず呆れてしまう。
レイスはアークレイの沈黙を図星故のものだと解釈したのか、真面目な口調でさらに続ける。
「思えば、しょっちゅうオアシスのほうをチラチラ見てたからな。それもなんだか睨みつけるような感じで。てめえ、俺がオアシスと仲良くしてるんでヤキモチ妬いてたんだろ。だけど俺と一緒に出かけたはずの彼女が戻ってきたんで、期待に胸を膨らましていたら、いきなり、ドスッ。てなわけだろ?」
彼女のほうを窺っていたのは怪しい動きをしていないか、どうか見張っていたのだ、と反論する気も起きなかった。大体、何故少女の呼び名がオアシスで確定しつつあるのか、といろいろと突っ込みどころがありすぎる。しかも本人は至極真面目な口調で語っているのだから、困ったものである。
「そんなわけがあるか」
と言い返すのが精一杯であった。しかし、それも
「恥じることはないぜ。俺も似たような罠に嵌ったからな」
と同情に満ちた視線を添えて、返されるだけだった。
「貴様と同類にするな」
「そう言うなって。まぁ、てめえはプライドが高そうだからな。だけど、こんなときまで意地張ることないぞ?」
そう諭すような口調で言われてアークレイは少々苛立った。
「いいか。あの女に対して、貴様の思っているような感情など俺は……持っていない」
それは全くないといえばやはり嘘になる。少なくともあの少女に向けられたものではないにしろ、少女を見て、そのような感情を抱いたのは事実なのだから。だから、レイスに答えるアークレイの口調には先ほどまでの、強さがなかった。
忘れようとしていた過去が今また、脳裏に浮かび上がろうとしていた。
だから、
「じゃあ、なんなんだよ?」
とレイスが口を尖らせて聞いたときには、ついに言葉を返すことも出来なくなってしまったのだった。
「…………」
「アークレイ?」
訝しげにレイスが尋ねた。
「別に、何もない」
アークレイはぶっきらぼうに答えた。
「そうか」
レイスもアークレイの様子に気づき、バツが悪そうにポツリと言った。
「じゃあ、今日はもう寝るか」
焚き火の上では、すっかり黒くなってしまった肉が、焦げ臭い匂いを発していた。


辺りは再び静寂に包まれた。
アークレイは木に寄りかかったまま、時々ざわめく、深緑の梢を眺めていた。
どこか遠くのほうで、野生動物の鳴き声が聞こえた気がした。その瞬間、少女と二匹の狼を思い出した。そして、抑えることもできず、思考は徐々にミイナへと移っていた。
忘れたと確信していた。否、決して思い返さぬよう、鍵をかけておいた扉が、今、ゆっくりと開かれようとしていた。そして一度開かれたその扉はなかなか閉じることは出来ない。忘れようと思えば、より強く、過去という監獄に囚われる。決して抜け出すことのできない、地獄にアークレイは再び足を踏み入れようとしていた。
「何もないはずがあるかッ!」
そうはき捨てるように呟いて、アークレイは奥歯を噛み締める。ふと、周りを見渡すと、少し離れたところでレイスが大きないびきをかきながら、寝転がっていた。
アークレイとは逆方向を向いているため、表情は窺い知れないが、大いびきをかいているところを見るとどうやら寝てしまったようだ。少なくともアークレイはそう思った。しかし。
「どうしたんだ、アークレイ。眠れねえのか?」
起きていた。どうやら狸寝入りを決め込んでいたらしい。
「それはお互い様だろう。……どうした。貴様こそ、眠れないとは随分繊細になったものだな」
皮肉交じりに答えてやる。
「いやぁ、俺は何かが気になると、それについてとことん追求しなきゃ気がすまねえんだよ」
「それは迷惑な話だな」
「まぁな。でもよ、気になるもんは気になんだよ。だからよ、アークレイ」
レイスは躊躇っているかのように言葉を切った。
「本当は何があったんだ?」
「…………」
沈黙するアークレイに、レイスは慌てて取り繕った。
「いや、てめぇが絶対話したくないってんならそれでいいぜ」
アークレイはそれでも黙っていた。やがてレイスの諦めたようなため息が聞こえた。
「じゃ、俺は今度こそ寝るぜ」
そう言ったきり、レイスは黙り込んだ。それからしばらく経ち、アークレイは口を開いた。寝ているだろうか? いや、むしろその方が好都合だ。
「あいつに似ていたんだ……」
「誰に?」と聞き返されることはなかった。
「俺の友、いや、もうあの時にはそれを超えた関係になっていた。恋人、とでも言うべきか。名はミイナ・クレイル」
ここで一息つき、アークレイはレイスの方へ目をやった。相変わらず、何も答えない。
「あいつは生まれつき特異な能力を持った俺に唯一優しく接してくれた人間だ。ミイナは俺に弟子入りしたいと言ってきた。今、思えばそれは建前にすぎなかったのかもしれない。俺はあいつにこれと言って教えたものはなかった。あいつは教えなくても十分に強かった。俺に生まれて初めて深い傷をつけたのもミイナだ」
そう言いながら右わき腹を押さえる。服で隠れてわからないが、しっかりと槍で刺した後が残っている。そう言えば今回刺されたのは左のわき腹だ。やはり、これには何かを感じずにはいられない。例えば−彼女が生きている−とか。
あり得ないな、と自ら頭を振って言葉を続ける。
「いつしか俺の中でミイナの存在はかけがえのないものになっていた。俺は一生あいつと共に歩んでいくつもりだった。だが、殺された」
寝転がるレイスに反応はない。その方がよかった。
「あいつは俺の前で矢に射抜かれた。その反動でネリシア渓谷に落ち行くあいつを俺は支えることも出来なかった。あいつの遺体はまだ谷の中だ。あいつをやったのは二人組みの男だった。ヴォルドとヨセフ。俺はその名を一生忘れるつもりはない」
そう言ったときだった。
「なら、なんでそいつらに復讐しねぇんだ?」
寝ていたと思っていたレイスがこちらを見ずに尋ねた。
「復讐は何も生みはしない。ただ、虚しいだけだ」
アークレイはこみ上げてきたものを必死で抑えながら答えた。自分の本心というより、どこかで聞いたセリフをそのまま言った。実際、殺してやる、と何度思ったことか。しかし、その度に思うのだ。奴らを殺してしまったら、今度こそ彼女の死を受け止めなければならなくなる。今まではなんとか自分を誤魔化してきた。彼女は谷に落ちたが生きている、とあり得ないことをずっと信じていた。無理やり信じていた。
だから、あの少女が自分を刺す直前、彼女の面影を見たとき、彼女は生きていた、と本気で思った。あの少女は谷から落ちたときのショックで記憶を無くしている。そう思いたかった。
「まぁ、それでいいってんなら何もいわねえけどよ」
呟いているかのような声で言った。
「でも、そんな考えを受け入れるほど、人間は素直じゃねえと思うけどな、俺は」
アークレイは返す言葉を失い、ただ黙っていた。しかし、レイスはいつまで経っても続けようとしない。もう寝てしまったのだろうか。
「ホールド?」
答えはなかった。
今度こそ本当に寝てしまったらしい。アークレイは軽く息をつくと、瞼を閉じた。時折聞こえる木々のざわめきに混じって、狼の遠吠えが聞こえたような気がした。

あの少女は今頃何をしているのだろうか。


2004/10/11(Mon)23:01:39 公開 / 水柳
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■作者からのメッセージ
今回は一挙に二章投稿させてもらいました。
 ここでアークレイの過去を巡る話は終了になり、終盤へ向けて進めることが出来そうです。
 そして毎度、感想を書いてくださる、卍丸さん、ありがとうございます!
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