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『孤独ライオン』 作者:律 / 未分類 未分類
全角4770文字
容量9540 bytes
原稿用紙約16.85枚
 高校の2年になってから、髪を茶色に染めた。ミルクティーみたいな茶色。
中学の頃の私を知ってる子は、みんなこう言う。
「どうしちゃったの?!」って。
 私は、一人ぼっちになるのが怖いんだ。
クラスに黒髪の子より茶髪の子のほうが多くいたら私も茶髪にするし、
ピアスの子が多かったらピアスだってする。
聴きたくもない流行のバンドの音楽も聴いて、好みも変える。
そうすればクラスの輪の中に入れる。仲間はずれになることはないもの。
30人から仲間はずれにされるなら1人の親友も捨てられる。
私はそんな人間。

 それが出来ないのが同じクラスの花木さんだった。
昼休み独特の緩い空気とお弁当の匂いが充満する教室の黒板の下で
彼女は今日も蹴られていた。
今日もというのは昨日も一昨日も、彼女は蹴られていて、
たぶん明日も明後日も彼女は蹴られるんだと思う。
「バカ」とか「死ね」とか一通りの罵声を、
灰色の足跡がついた紺のブレザーの背中に浴びながら。

 いじめの原因は明白で、理由は3つ。
1つ。彼女がとても太っていたこと。
2つ。彼女がとても地味だったこと。
3つ。彼女が周りに流されない子だったこと。
 きっと、クラス全員が太っていて、全員地味で全員流されない子だったら
彼女はいじめられずに済んだだろう。
でもうちのクラスは、細身の子がほとんどで、
みんな髪を染めたり化粧をしたりスカートを短くしたりしていて、
何より周りや流行に流されて生きているような子ばかりだった。
そのどこにも属さない花木さんは、
クラスメイトに「何か違う」と思わせるには充分だった。
彼女は群れからはぐれたライオンのようになった。

「ねぇねぇ美沙、花木さん、今日も蹴られてる」
窓際の私の席の前に座ってるルリが振り返り言った。
「うわぁーホントだ」って笑顔で言ったのは嘘の言葉。
私は心の中で「見ればわかるよ」とそっぽを向いた。
窓の外でカラスがマヌケな声を出しながら、
透き通るほどの青い空の中に溶けていく。
「カラスって汚い羽根してるよね」
思いっきり皮肉っぽく言った。
あんな羽根でも自由に飛んでいるカラスが心のそこから羨ましかったから。
教室には、花木さんの「やめてよ」という叫び声と、
誰かの笑い声が響いていた。

 1週間の中で嫌な夜がある。
水曜と金曜の夜だ。
私はその日、塾に行かなくてはならない。
ただ塾に行くだけならいいのだけれど、
その塾は席が指定されていて学校ごとに座らされた。
私の学校からは3人がここに通っていた。
私と、違うクラスの女の子と、花木さん。
この塾に入って初回の授業のとき、
私はまんまと花木さんの隣の席に指定された。

 コーヒーゼリーみたいな色をした夜、
私は思い足取りで塾までの道を歩いていた。
「いやだなぁ」私の横を車が何台も通り過ぎていく。
夜の街はなんとなくお酒臭くてどんよりしていた。

 私が花木さんの隣を「いやだなぁ」と思うのは、
彼女の隣に座ったとき、とても後ろめたい気持ちになるからだ。
この塾の中で花木さんがいじめられているのを知っているのは私だけで
それはなんだか重たい秘密をお互い無言で共有してしまったみたいで、
とても息苦しい。
私がいじめを止めて、花木さんを助けてあげられるような子なら話は別だけど、
あいにく私は傍観者だったから、なおさら彼女の隣にいることが辛かった。

 私はエレベーターに乗り「3」という数字を押して、
灰色の絨毯みたいな感触の壁に背を預けた。
あっというまに3階について、エレベーターの扉がゆっくりと開く。
私は覚悟を決めたように息を吸って、塾に入っていく。
花木さんは、もう来ていた。
私は彼女の横のイスを黙って引き、座り、筆箱と教科書を机の上に並べていった。

「こんばんは」
花木さんが私にそう言うと、心臓がキュッとしぼむのがわかった。
彼女は毎回、私に挨拶をする。
そして決まって笑顔でこう言うのだ。
「美沙ちゃん、元気?」と。
「その呼び方、やめてって言ったでしょ?」
「あ。ごめん」彼女は悲しそうな顔をして、すぐに笑顔を消した。
雪が溶けるときを思い出した。
花木さんと私は小学生の頃からの幼馴染だった。

 私は彼女と毎日のように遊んでいたと思う。
いつも家に帰ったらランドセルを玄関に置いて、彼女の家へ走っていく。
「由果ちゃん、あーそーぼっ」とリズムに乗って2階の花木さんの部屋に
声を投げると、彼女は窓を開けて「ちょっと待ってて」とひょっこり顔をだし、2、3分すると
「美沙ちゃんと遊んでくるー」という声が聞こえて
玄関から飛び出してくる。靴をトントン鳴らしながら。
「今日は何して遊ぶ?」
「ブランコする?」
そんな会話をした日は手をつないで公園へと向かった。

おそろいの髪留めも持っていたし、お互いの家で何度もお泊りをして、
そのたびに好きな人の話や、暴露話で盛り上がった。
そんな私達が同じ女子高へ進んだのは、自然なことだった。
「ねぇねぇ由果?」
「ん?」
受験の帰りに神社に寄ったときのこと、手を合わせながら私はこんなことを言った。
「ずっと仲良しでいようね」
「うん。そうだね」

その約束を破ったのは私だった。

 髪を茶色に染めたあの日。
花木さんは教室で「美沙ちゃん、急にどうしたの?」と驚きの声をあげた。
「そうやって呼ぶの、もうやめてくれない」
その頃から、彼女は少しずつではあるけどいじめを受けていた。
結論から言えば、彼女と一緒にいるのが怖くなったから、
私は髪を染めて他の子たちにあわせた。
ねぇ、みんな見て!私は花木さんとは仲間じゃないんだよ?
みんなと同じ側の人間なの。と言うみたいに。
「もう、由果の友達はやめたの」
私達の友情のもろさが少しせつなかった。
次の日から、私は彼女の呼び名を「由果」から「花木さん」に変えた。
完全な決別だった。

「谷村さん、もうみんな帰っちゃったよ」
居残りで課題をやっていて、塾の先生にそう言われたとき、
もうすでに10時を回っていた。
「課題、金曜日にもってきて。今日はもう帰っていいよ」
はい、と機械的な返事をして私はバッグに教科書と筆箱とプリントを詰め込んだ。
私しかいない教室は、とてもガランとしていて
車のサイレンや救急車の音が人々のざわめきがよく聞こえた。
ふと花木さんの机の中に筆箱が覗いているのが見えた。
「あ。これ」
花柄のポーチみたいな筆箱。

 私は休憩室でタバコを吸っていた先生にそれを渡した。
「これ、花木さんの忘れ物」
「お」先生はタバコを口にくわえながら筆箱を受け取った。
「「花木」だから、花柄なのかな?」
先生は大真面目にそんなことをつぶやいた。
「違いますよ。あの子、花柄好きなんです。昔から」
「なんだ。谷村さん、花木さんと仲良いんだ? いつも二人、喋ってないから」
帰りますね、私は先生の質問を無視して下駄箱から靴を取り出した。
「ねぇ、谷村さん」
「はい?」
振り返ると筆箱が飛んできて、とっさに受け止める。
「学校で逢うだろ?届けてやってよ」
いやです。と言ったときの説明を、上手にする自信がなかったから
私はそれを持って「さよなら」と言って塾を出た。

 エレベーターに乗り「1」のボタンを押して
来たときと同じように、私は灰色の壁に背を預けた。
「まだこの筆箱使ってたんだ」
その筆箱は私が中2のとき彼女の誕生日にあげたものだった。
よく見ると、もうそれは汚れていて、花柄も「野原に咲いた綺麗な花」というよりは
「道端に咲いた排気ガスをあびた花」ってゆう言葉がしっくりくる。
「こんな汚いの捨てちゃえばいいのに」
そうは言いつつも、私は彼女がまだこれを使っていてくれたことが少しだけ嬉しかった。
「痛っ」指に一瞬だけ痛みが襲った。
「なに?」
私の人差し指から、まあるく血がでてくる。
なにこれ?
筆箱から、ちいさく何かが飛び出していた。
私はためらいながらそーっと筆箱のチャックを開けていく。
シャーペンや消しゴムがすべて同じ向きを向いていて、
その中に場違いなものが入っていた。

カッターとガーゼと消毒液。

「なんで?」
エレベーターの扉が開いたけど、私は筆箱の中を見つめたまま動けなかった。

 次の日もやっぱり彼女は蹴られていた。
「花木さん、今日も絶好調―!」ルリがそれを見ながら笑っている。
「普通の神経持ってたら、学校来ないよね」
「頭おかしいよね」私も作り笑いを浮かべた。

昨日の夜、家に帰ってからもう1度筆箱の中を見てみた。
何度見ても、それはカッターとガーゼと消毒液だった。
なんのために?
私は筆箱を返すタイミングがわからなくなって、
結局渡したのは昼休みの屋上だった。

「美…た、谷村さん?」
花木さんが1人で屋上でお弁当を食べているのは知っていた。
「屋上、入っちゃいけないんだよ」
生ぬるい風が私の髪を揺らす。
「ここしか居場所はないもの」
そう言った彼女の笑顔はとても弱弱しくて、可愛いお弁当がせつなかった。
おばさんはきっと、花木さんがいじめられてるなんて思ってないんだろうな。
「昨日、塾に筆箱忘れていったでしょ?はい」
私は彼女に近づき、筆箱を手渡した。
「持ってきてくれたんだ? ありがとう」彼女は満面の笑顔を浮かべた。
幼い頃と何も変わらない笑顔。
「中も見ちゃった」
「あ。そっか」
「リストカット?」
「うん。リスカ」
「死にたいの?」
「生きたいの」
私は彼女の手首を見てみる。傷はない。
すると彼女はブレザーを脱いで、Yシャツを袖までめくった。
左の腕に茶色い生々しい線がいくつもあった。
「毎日、蹴られて、家に帰っても明日が来るのが嫌で、
そうゆうとき血を見ると落ち着くんだよ」
それは私の知っている花木由果ではなかった。
「手首だと万が一、手が滑って深く入っちゃったら死んじゃうかもしれないでしょ?腕ならよっぽど切らない限り死ぬことはないから。」
ニコニコ。ニコニコ。

時間にしたら数十秒?いや、もっと短いかもしれない。
私の中を走馬灯のように花木さんとの思い出が頭の中をかけめぐった。

「ずっと友達だよ?」
「美沙ちゃんは笑ったときのエクボが可愛いね」
「高校に入ったらさ、二人で同じ部活に入ろうよ」
「大人になったら隣に住もうね」

誰が花木さんをこんな姿にしたんだろう。
「そんなに追い詰められてたの?」
「……美沙ちゃん?」
「由果が自分を傷つけなくちゃいけないくらい追い詰められていたの?」
「蹴られたりすることより美沙ちゃんに無視されたり、笑われたりすることが一番悲しかったよ」

彼女をこんなに痛々しい姿にしたのは私だった。
私の傍観という行為は、1人の人間をこんなに変えてしまった。
怖くて怖くて泣きそうになった。

 二人で教室に戻ると、早速彼女のとこに数名が寄ってきて周りを取り囲んだ。
彼女はこれからまた蹴られる。
クラスメイトのみんなは机に鏡を置いて、化粧をなおしたり
ばか話で盛り上がってたりで、
花木さんが蹴られるのは当たり前の風景として彼女達の視線から通り過ぎていく。
私は自分の席に座る。
「ねぇねぇ、美沙。帰りカラオケ行かない?」
花木さんは蹴られ、黒板消しで叩かれていた。
「聞いてる美沙?」
教室に黒板消しのホコリが立つ。
「ねぇ美沙。行くの行かないの?」
空は透き通るほどの青。
「ちょっとホコリくさいからやめてくんない?!」
なんだ私でも言えるじゃん。
ルリがぎょっとした顔をして私を見ている。
「なんか言った?美沙?」
花木さんを蹴っていた子達が私をにらむ。
「だから、ホコリくさいからやめろって言っただけ!」
由果が私のことをきょとんとした顔で見ている。

あぁ。あした蹴られるのは私だ。
どうせ蹴られるなら、黒髪に戻すか?どうしよう。

外でカラスが笑っていた。


2004/02/26(Thu)19:46:08 公開 /
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■作者からのメッセージ
「傍観するということ」をテーマに書きました。
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