- 『除夜の鐘(加筆修正)』 作者:湖悠 / リアル・現代 未分類
-
全角9491.5文字
容量18983 bytes
原稿用紙約29.45枚
除夜の鐘は、罪を懺悔させ、罪を作る心を懺悔させ、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎させるのだという。
-
俺には正義という友人が居た。読み方は"まさよし"と言う。
名は体を表すというが、彼はまさにその名が示すような正義漢で、困ってる人があれば走って助け、悪い奴が居れば走ってぶん殴りに行くような奴だった。幼稚園、小学校、高校と進む内に、いつの日か彼はセイギのマサヨシと呼ばれ、周りの人達に親しまれ、尊敬されていった。
小学校の頃、俺も彼に助けてもらった記憶がある。俺はその当時いじめられっ子で、よく靴などを隠されていた。下駄箱の中にあっても画鋲が仕込まれていたことさえある。当時の担任に相談もしたが、担任は形ばかりの警告を皆に促がしただけで、犯人を追及することも、虐めを強く止めさせようとすることもなかった。結局それは火に油を注ぐ結果となり、俺はチクリ魔と呼ばれ、さらに虐められるようになった。
そんなある日、下駄箱を覗き、自分の靴が無い事に溜息を吐いていた時、俺は正義と出会った。
「なんでくつないんだ?」
突然背後から話しかけられ、驚いた憶えがある。
「どうしたんだ、オマエ」
俺は対人恐怖症になりかけていたから、上手く言葉を返すことができなかった。知らない顔だったが、もし俺が虐められていると知れば、もう話してくれなくなるかもしれない。むしろ一緒になって俺を虐めにかかるかもしれない。――以前何も知らない隣のクラスの男子達が、昼休みに一人ぼっちでいた俺をおにごっこに混ぜてくれたことがあったのだが、翌日その子たちの所に行ったら皆まるで俺のことが見えていないかのように無視された。それでも懸命に話しかけたのだが、その中の一人が当時呼ばれていた俺の蔑称を吐き捨て、そのまま去ってしまった。その時、どこにも逃げ場がないということを初めて知った。
「なぁ……もしかしてオマエ」
俺は逃げ出した。たまらなく怖かった。もうあんな思いはしたくなかった。一瞬救いを感じても、またどん底に落とされる。そんなのは嫌だった。何よりも辛かった。
はだしのまま帰路を急ぐ中、俺はとちゅうの公園の前で転び、そのまま泣いた。ひどく惨めだった。どこにも道が繋がっていないように思えて、とても絶望した。
しばらく泣いた後、その公園のブランコに腰掛けた。十二月の風がどうしようもなく冷たくて、また涙が出た。
「なんでないてるんだ」
俺は顔を上げた。目の前に、先程の少年が立っていた。
「……くつ、とられたのか?」
俺は首を横にふった。そうしたら、頭を軽く叩かれた。
「なんでウソつくんだ。おれはウソがだいっきらいなんだ。ウソつくのはやめろ」
それは責める声だった。だけど、不快ではなかった。それがどうしてなのかわからなくて、困惑したんだったな、あの時は。
「いじめられてるのか?」
俺は……ゆっくりと首をおろした。
「そっか」
彼は立ち上がった。
「わかった」
「え?」
俺はそこでようやく声を発した。
「助けてやる」
眩しい笑顔がそこにあった。まるで満開の向日葵のような、屈託のない笑いだった。
翌日、俺の靴は下駄箱に戻っていた。それだけじゃなく、クラスの連中が謝ってきた。どいつもこいつも顔は傷だらけ。まさかと思い正義を探すと、彼も傷だらけだった。しかし、顔に昨日の輝きは一切消えていない。
「おう、くつ、あれであってるよな?」
「う、うん」
「あいつらオマエにあやまった?」
「うん」
「よし。もくひょうはたっせいだ」
がははと笑って、俺に背を向けた。
「あ……」
それがなんだかさびしくて、かなしくて、だから俺は彼を呼びとめた。
「あのっ」
「ん? ……あ、そうだ」
彼は俺のところにまた戻ってきた。そして、手を差し出した。
「オレはまさよし。ぐんじょう まさよしだ。よろしくな」
俺は、その手を、震えながらも掴んだ。
「よ、よろしくっ。あ、あの……」
「よーし! これでオレとオマエはともだちだ! ちょうどな、かくれんぼのにんずうがたりなかったんだ! オマエもやろうぜ」
「!! い、いいの?」
「あたりまえだろ?」
にぃっと、再び正義はあの笑顔を見せた。
「おれたちは、ともだちなんだから」
十数年前。俺はその笑顔に救われた。俺だけじゃない。あいつは十年の間に、俺と似た境遇のやつらを臆することなく助けていった。誰一人見殺しにしなかった。俺は、それをずっと見つめていた。高校を出るまで、奴の正義漢ぶりを見逃すことはなかった。
しかし――。
そんなセイギのマサヨシは、高校三年生の冬、何の前触れもなく行方を眩ました。
――除夜の鐘――
十二月の最後の日。要するに大晦日。俺は一人コートを羽織り、寒さの厳しい冬の土手を歩いていた。ごうごうと力強く流れて行く川の音に耳を傾けながら、俺は過去の情景に想いを馳せていた。
正義が消えてから、もう七年が経つ。それからしばらくして、彼の両親が捜索依頼をようやく出した日から早四年経ったが、警察からは何の音沙汰もない。彼は依然として行方をくらましていた。
地元の友人達はこぞって彼を心配した。彼に世話になった奴は特にその身を案じた。俺もその内の一人だった。
正義が消えた最初の年。俺は誰よりも彼の身を心配した。正義心にまっすぐ過ぎて、何らかの事件に巻き込まれたのかもしれないと思った。本当に心配で心配で……携帯に毎日通話を入れたし、メールだってした。――しかしある時を境に、俺は心配することを止めた。
川の流れに沿って、俺も南へと下って行く。ここは思い出の道だった。正義と、一度だけ歩いた道。それだけじゃなく、ここは彼と"もう一度歩くはず"だった道。
俺と正義が歩いたのは、確か中学校を卒業した日の夕暮時だった。めずらしく彼は無口だった。卒業して感慨にふけっているのかもしれない、と思ったのだが、夕陽が今にも沈もうとしている所で、彼は珍しく苦しそうな口調で俺にこう言った。
「俺には、誰にも言っていない秘密があるんだ」
それは突然の告白だった。
「俺が、誰かを助けようとする行動。正義を貫きたいと思うことには、ある理由があるんだ。それは、それはな……」
俺はその続きを待った。純粋な友情から、俺は彼の苦しみを共有したかった。しかし彼はじっと川の流れを見続けるだけで、その続きを話すことはなかった。頭を垂れて、俺に謝った。すまない、すまない、と。涙まで流していた。……そんな正義を見ては、追求することなど不可能だった。俺達は黙って土手を歩き、いつしか別れて互いの帰路についていた。
そして、大学受験の直前。十二月の三十一日。大晦日。彼は俺に話をもちかけた。また土手で話さないか、と。
俺はその誘いを二つ返事で受けた。誰でもない正義の誘いだ。受験も大事だが、もし彼が以前の続きを話したいと思っているのなら……俺はそちらを何よりも優先すべきだと思った。そして土手に着いた頃、俺は正義に着いた旨を伝えるメールを送ったのだが――そのメールの返信は、七年経った今もまだ来ていない。
土手を歩く。だんだんと川の流れる音は小さくなり、川幅が広くなっていった。
正義は、昔から色んな人を助けていた。その幅は年を重ねるごとに、顕著になり、小学校の頃は自分の在学している小学校の中だけでの活動だったのだが、中学からは他の中学校にも遠征するようになり、高校からは大学生やら社会人やら……どこでそんな困った人を見つけてくるのか不思議になるくらい多くの人を助けていた。
思えば、マサヨシのセイギは川と重なるところがある。
川は初めは谷山の狭い流れから始まり、やがて大きな川を成し、最後には大いなる海にたどり着く。
「あいつは、海に辿りつきたかったのか……?」
では正義の海とは何だろう。
そもそも正義の谷山とは何だろう。
――まぁそれも、もうすぐはっきりすることだ。
「よぉ」
目の前に、屈託のない笑顔を浮かべた正義が居た。
「やっと来てくれたのか。随分待ったぜ」
「俺もお前のメールは七年間待ってたんだが」
「メールは返さなかったが手紙なら送ったぞ? ……まぁそれはいいだろ。さ、行こうぜ」
正義は俺に背を向け、歩き始める。海へ向かって、歩を進める。俺もその隣に並んだ。
「正義、お前この七年間どうしてたわけ?」
「……かくれんぼをしていた」
「は?」
突拍子のない言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「何だそりゃ。何かの比喩か?」
「ちげーって。正真正銘のかくれんぼだ。ただし、俺は早く見つけてほしいと思っていた。相変わらず誰も見つけてくれないんでよ……」
「だから俺に手紙を出したのか? はは、なんだそりゃ。意味わかんねぇ」
俺に手紙が届いたのは、つい最近のことだった。
『お前に真実を告白したい。大晦日に例の土手で待ってる。p.s.この事は口外禁止で頼む』
急いでいたのか、とても汚い字でこう書いてあった。初めは驚いたものだった。友人らに電話をしようと思ったのだが、手紙を熟読し、熟考してみて止めた。きっと正義にも何か事情があるのだろう、と踏んだのだ。
「まぁ、俺好きだったしな、かくれんぼ。極め過ぎて見つかるころにゃ夕方になってたが」
「そう言えばそうだったな」
俺は、笑った。別にヤツは別段面白いことは言っていない。だが、何か面白かった。久々に正義と話したが、少しも変っちゃいない。こいつは、こういうヤツだった。それが、何より面白く、何より俺を安心させた。
しばらく歩いて話したが、話題は尽きなかった。俺は色んなことを正義に言った。友人の近況、俺の近況、正義の家族の近況。皆が心配してるぞ、と言ったのだが、正義は曖昧な態度で「そうか……」と言うばかりだった。どこか寂しそうな表情を浮かべていたりもしていた。
「……そういえばさ、俺、昔お前に言ったじゃん?」
「昔……」
「そう、昔。中学の頃」
「もう本題に入るのか?」
「ああ。その為に呼んだんだし、俺さ……っと、土手下りんぞ」
「え?」
「出来るだけ、川の近くで話したいんだ」
俺は正義の言葉に従い、川辺まで下りた。流れはかなり緩やかになっていた。空は赤い。夕暮れを望むと、そこには海があった。どうやらいつの間にか河口部分にまで歩いてきていたらしい。
正義は川辺の石を拾い、川に向かって投げた。石は二、三回川を走り、そして沈んだ。
「やっぱ上手くいかねぇもんだなぁ。昔は上手くいったんだぜ? ただ、長い間川辺にまで下りたことは無かったからな……。コツを忘れちまったらしい」
俺も石を拾い、川に向かって水平に投げた。八回石は跳ねた。
「上手いな、お前」
「川に来るの、好きだったからな。……そういえば、お前とは一度も来たことがなかったな」
そう言うと、正義は悲しそうに川を見つめ、苦笑した。
「俺も、川は好きだったよ。別に嫌いなわけじゃなかったんだ。ただ……来る勇気はなかった。自分の罪を見つめる勇気はなかったんだ」
自分の、罪……。
「お前が正義を貫き始めようと思ったのは、その"罪"が原因なのか?」
「ああ。そうさ……。貫かなくちゃいけなくなったのは、確かにその"罪"を犯したせいだ」
先程までの明るさはどこかに消え、正義はひどくつらそうな顔をしていた。
「……辛いのなら無理に話さなくてもいいんだぜ?」
しかし正義は首を振った。
「いや、別に話すのは辛くないんだ。ただ当時の事を思い出すと自分が憎たらしくてな……。その罪を犯したのは小学生の頃でさ。知ってるかもしれないけど、俺って三年生になるまで、違う小学校にいたんだ」
「そう、なのか」
「ああ。そこのガッコで俺ってば番長だったんだぜ。喧嘩強かったし、友達多かったし、足早かったし。そんな単純なもんで、俺は皆のリーダーだった。俺に歯向かうやつがいたら、そいつは例外なく虐められた。面白いよな。小学校って、中学校よりも高校よりも残酷で単純なんだ」
「お前、いじめっ子だったのか」
それは俺を驚かすには十分すぎる告白だった。いじめっ子は、彼が一番よしとしない者だったからだ。
「ああ、まあな……認めたくない事実、嫌な過去さ。人を虐めることに何のためらいもなかった。それが正しいんだって思いこんでた。俺がやれっていうと、皆がそれをやるから、皆が言う事聞くってことは、それは間違ったことではない。皆もそれをそうしたいと思うから、俺の言う事を聞く。そう言う風に思ってた」
「…………」
「そんな調子に乗ってたある時、美術の時間に間違えて俺の服に絵具を付けちゃった女子が居たんだ。あかりちゃん、だっけかな。気弱で、声の小さい子だったよ。絵具付けたことを謝ってくれたんだけど、その時の俺はそんなんで許せなかったんだ。バカだよな。翌日には絵具ついたとこなんて全然わからないくらい消えてたのに」
「虐めたの、か」
「ああ。虐めた。それも、物凄い酷く。靴はボロボロ、上履きはよれよれ、画鋲を仕込むなんて毎日の事、背中にはいつも悪口が書いてる紙が貼ってあったし、教科書はどれも全ページに落書きがされてた。酷いもんだよ。あの頃の俺たちは"死ぬ"ってのがどんなことか、あまり理解してないから、簡単に言うし書けちまうんだ。何回言って、何回書いたかわからない。本当に、色々酷いことした。弁当にゴキブリしこんだり、蝉の死骸を鞄につめたり……最低だった。そんな最低な事を、一年生から三年生までずっと続けたんだ。あかりちゃんは運悪く、毎年俺と同じクラスだったから……」
俺は何も言うことができなかった。その話の主要人物が正義であると、俺はどうしても思う事ができなかった。俺が受けた虐めよりも酷いことを正義がしたなんて、信じたくなかった。
「ある時、生活っていう授業で町調べをやっててさ。その一環で川に行くことになったんだ。川でどんな生物がみられるか調べましょう、て言ってな。川で一番浅くて流れの緩い下流域にいくはずだった。でもその日は何だか川の流れが速くてさ。危険だから何もせず今日のところは帰ろうってことになったんだ。だけどどうしても俺達は駄々をこねて……川辺で石を投げるくらいならいいって言われてさ。そうやって遊んでる時、あかりちゃんに言ったんだ。ここを泳いでみろよ、って。向こう岸まで泳げたらもういじめないぞって。そしたらさぁ……本当に泳ぎにいっちゃったんだ。その時は丁度先生も他の子を見てて、俺以外の男子もそっち行ってて……そこには俺しかいなかった。止められる時間はあったよ。あかりちゃんもしばらくはびびってたし。でも……止めなかった。面白そう、なんてクソみたいなこと考えてさ」
「……その女の子は」
「死んだよ。案の定簡単に流されて……溺れ死んだ。河口付近で打ち上げられていたらしい。丁度、この川だ。この川が流れついた先の、あそこだ」
彼が指さした河口は、夕焼けで血のような赤に染まっていた。
「……その事件、さ。どういう風に終わったと思う? 誰が責任を負わされたと思う? ――先生だよ。その時その場にいた先生の管理責任ってことになって、その先生が責められたんだ。学校辞めさせられて、教師も辞めて……聞いた話だと自殺したらしい。その教師も川に飛び込んだそうだ。遺書にはあかりちゃんの死の責任をとって、自分も川で死ぬ、という内容の文章が書いてあったそうだ」
「正義……」
「皮肉だよな。二人の人間の命を奪った男の名前が、よりにもよって"正義"だぜ? しかもその"正義"は、自分が糾弾されるのを恐れて不登校になり、親に『いじめられている』とうそぶいて違う学校に転校させてもらったんだ。それでも、"正義"は罪悪感から逃れられなくてさぁ……。毎晩毎晩夢に見てたんだ。あかりちゃんと先生が川に飛び込んで、流れていっちゃって……そんで、俺も流れてくんだ。誰かに川に押されて、川に溺れて、苦しくて……押した誰かを見ると、白骨化したあかりちゃんと先生なんだ。二つの骸骨は、俺を見て、満足そうに笑っているんだ……。
逃れたかった。俺は、その罪悪感から逃れたかった。その一心で、人助けをした。あかりちゃんと先生に川へ押されないように、いつもいつもいつも……困ってる人を見つけては助けた。そこに"正義"はなく、ただ自分が助かりたいが為に助けた」
赤かった空に、藍色が広がって行く。
もうすぐ、夜が来ようとしている。
「でも、上手くいかないんだ。助けても助けても、夢で二人は俺を殺すんだ。何度も何度も笑ってさ……。助ける人を増やしてもそれは変わらなかった。どうすればいいか分からなかった」
「お前が人助けの幅を広げていったのはそういう経緯があったのか……」
正義は頷いた。
俺達は河口まで歩き、そこから海を望んだ。紫色の空が綺麗で、憂欝だった。
「でもさ」
彼の口調が、やや明るくなった。
「俺、七年前の大晦日の日に人助けして、ようやく許してもらえたんだ……。108の善行をしたから、だってさ」
太陽の残り火は完全に消え、星々が目を覚まし始めた。やがて月が顔を出し、その月光が俺達を優しく包みこんだ。
「最初はあかりちゃんも先生もまだわだかまりがあったみたいだけどさ……でも一生懸命謝ったら笑いかけてくれたんだ。ようやく、屈託のない笑顔で。嬉しかったよ。何よりうれしかった。その時、初めて俺は思えたんだ。人助けをしてよかったって。この笑顔を見れたなら……本当に……」
なるほど、と俺は納得した。どうして七年間沈黙を保ったのかはまだわからないが、とりあえず大晦日に会えなかった理由はわかった。相変わらず、正義が正義だったからだ。
俺は安心した。そして、心からよかった、と思った。だから、言ったのだ。
「よかったな」
と、祝福の言葉を。
「ああ……」
気付けば正義は涙を流していた。月明かりに揺れ、その涙は川へと流れ、海へと還る。
「ほんとうに、よかったよ。人助けをして、本当に良かった。正義って名前をもらって、ほんとうに、よかったよ……」
しばらく二人で海を見ていると、遠くから足音が響いてきた。見ると警察官がこちらに走ってきていた。どうしたのだろう。何か事件でもあったのだろうか。
「おい、正義、なんか警官が……」
隣を見ると、正義はいつの間にか居なくなっていた。
「あれ……」
辺りを見渡すも、どこにも彼の影はない。一体どこにいったのだろうか。
彼の姿を見つける前に、警官が俺に話しかけてきていた。
「ちょっといいかい?」
「ええ。なんですか」
「実は個人的に調べていることがあってねぇ……。君、ここの川で昔あった事件について何か知っていないかい?」
「事件?」
「ああ……実は私の娘がここの川に流されてねぇ。危ない所だったらしいんだが、とある青年が娘を助けてくれたらしいんだ。それで娘は助かったんだが……青年は彼女を浅い所まで運んでいった所で川の寒さにやられ、そのまま動けなくなって流れて行ってしまったらしい……」
「え……?」
じわりと、背中に汗が伝った。
「知らないかい? 七年前の大晦日の話なんだが――」
頭を石で強く殴られたような、そんな強い衝撃が俺をうちのめした。青年? 川? 助けた? 流された? 七年前?
『俺、七年前の大晦日の日に人助けして、ようやく許してもらえたんだ……。108の善行をしたから、だってさ』
正義……お前なのか? これは、偶然じゃないのか?
その後警官が話していたことはあまり頭にはいってこなかった。いつの間にか警官は居なくなっていて、いつの間にか俺は河口の所に座りこんでいた。
偶然だ。偶然に決まっている。偶然でないとすれば、俺が先程まで話していた正義は誰になる。幽霊とでも言うつもりか? まさか、そんなことは。
その時、携帯が鳴った。
「こんな時に……――!?」
それは、正義からの電話だった。
「お前、一体どこにっ」
『さぁ、どこにいるでしょう?』
正義は、笑っていた。
「ふざけている場合じゃ――」
『なぁ、かくれんぼしないか?』
相変わらず正義は笑っていた。でも……それは、
『俺たちの、最後のかくれんぼだ』
とても寂しい笑い声だった。
「最後って、お前……」
『長い間ずっと隠れてた。隠れるつもりはなかったんだが、実質隠れてることになっちまってる。見つけて欲しいけど、誰も見つけてくれないんだ。なんてたって、俺はかくれんぼ上手すぎるからさ。おかげさまで七年間ずっと見つからなかった』
正義は溜息を吐いた。
『だから……そろそろ見つけてくれよ。俺を、見つけてくれ』
「正義……」
『じゃ、始めよう。制限時間は……そうだなぁ、年明けだ。それまでに探してくれ。お前と一緒に、鐘を聞きたい』
「お、おい、ちょっと待っ!」
電話はそこで切れた。
俺は携帯をポッケに入れ、走り出した。
どこに居る。
どこに居るんだ、正義。
「正義っ!」
俺はまだ返してないんだ。
「正義っ!!」
お前に、何一つ返していない。
「正義っ!!!」
例えお前が俺を助けたのが、過去への贖罪にすぎなかったとしても。
「俺は、俺はお前に……っ!!」
何時間走っただろう。
何度転んだだろう。
俺はいつの間にか、河口近くの林に足を踏み入れていた。差し込む月光が淡く足元を照らす。
「正義……」
そういえばお前、本当にかくれんぼが好きだったよな。
遊ぶ時はいつもかくれんぼから初めてさ……毎回毎回お前は信じられないような所に隠れるから、なかなか見つからなくて……困ったものだったよ。いつも鬼やらされてた皆の身になってみろ。特に俺なんて隠れるの下手だったからいつも鬼だったんだぜ。
――そのせいでいつの間にか俺まで上手くなってたじゃねぇか。こんちくしょう。
「正義……このヤロウ」
中学に入ってからもやろうとしててさ。いやさすがにこの歳で、とは思ったけど、まさか高校でもまだやりたがるとは思ってなかったぜ。
新しくできた友達はお前を見つけることができなかったよな。そりゃそうだ。小学校の頃の友達だって、お前を見つけることはできなかったんだから。
……そうだよな。そりゃ、七年間も見つからねぇよ。
「ははは……だけどな、正義」
俺はお前と過ごした十数年間。
一度たりとも、お前を見つけなかったときは無い。
「正義、見つけたぜ」
しゃがみ込み、その手を握った。
「は、はは、は……まったく、苦労かけさせやがって」
声が震えた。息が詰まり、苦しくなる。
「こ、こんなに、ほそく、なっちゃ、きづかねぇよ……っ。ばか、やろう」
その白い手に、折れてしまいそうなほど細くなってしまったその手に、雫が落ちる。
「帰ろうぜ……正義」
もう夜だ。
……もう帰る時間だ。
「大丈夫だから、もう……大丈夫だから」
お前は許してもらったんだ。
その女の子にも、先生にも。
だから、帰ろう。
一緒に、友のもとへ、家族のもとへ。
その時、低い鐘の音が響き渡った。
「おい、鳴ったぜ。除夜の鐘だ」
罪を懺悔させ、罪を作る心を懺悔させ、人の煩悩を除いてくれるその鐘は、威厳を持って日本に鳴り響く。
「聞こえてるか……正義」
正義の手を握って、俺はそう語りかけた。
――そうして、彼の望んだ鐘の音は、その善行の数だけ夜の世界に鳴り続けた。
-
2012/01/30(Mon)00:12:46 公開 / 湖悠
■この作品の著作権は湖悠さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
久しぶりです。湖悠です〜。今年は一つも投稿していなかったので、年末には……と思い、投稿させていただきました。
なにぶん小説を書くのが久しぶりなので、至らない所があるかもしれませんが、どうぞよろしくおねがいいたします。
1月30日:加筆修正しました。