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『蒼い髪 25話』 作者:土塔 美和 / 未分類 未分類
全角76750.5文字
容量153501 bytes
原稿用紙約236.55枚
 血の味を知ってしまったオオカミは、平和な世界では生きられない。ボイ星を植民地に組み入れたネルガル星には、つかの間の平穏が訪れるはずだったのだが、ネルガルは新たな血を求めてさ迷い始めた、それが例え同胞の血であっても。



 ルカがゲリュック群星から凱旋し負傷した兵士たちを見舞っていた頃、マイムラー家ではその当主、ハリル・マイムラー・ムトル公爵の下寿のパーティーが、上級士官やその夫人を招き、昼夜を問わず盛大に執り行われていた。
 マイムラー家と言えばハルメンス家に次ぐ名門、その客人ともなれば王侯貴族を始め、ギルバ王朝初代からの重鎮が顔を揃えていた。
 無論その招待状はジェラルドの元にも、そしてクリンベルク家にも届いている。クリンベルク家では、この機会を利用してそろそろ娘の婚約者をという将軍の願いから娘のシモンと、ジョラルド王子の護衛を兼ねてクリンベルク家で一番暇な三男坊のカロルが出席することになった。
 どうせ護衛をするなら館からということで、ジェラルドの館まで迎えに行ったのだが、
「まだ、用意が出来ていないって!」
 カロルの大きな声が庭先に響く。
「遅刻じゃねぇーか!」
「そんな、大声を出さないで下さい」と、この館の執事。
「ごゆっくりなお方なので、カロルさんがあまり急かせるものですから、上着を間違って穿いてしまわれたそうです」
「はっ、あの馬鹿、何やってんだ。服もろくに着られねぇーのかよ」
 言ったのがカロルでなければ、その場で首と胴が別れを告げていたかもしれない。
 だが、よくよく考えれば、王子の中でひとりで服が着られるのはルカぐらいなものだ。あいつは王子にしておくにはもったいないぐらいに、自分のことは自分で出来る。奴の侍女どもは、やることが無くて退屈だろうな。などと想いをルカの館に馳せさせているわけにはいかない。このままでは、遅刻は確実。
「俺が、手伝ってやるから」
 待ちきれなくなったカロルが、奥へ行こうとしたところで、ジェラルドがクラークスに手を引かれて現われた。
 クラークスは目の前で騒いでいるカロルを無視し、カロルの背後で佇んでいるシモンに声をかける。
「これは、どこの姫かと思いました。今日は一段とお美しい」
 シモンは微かに頬を赤らめ俯く。今までの姉にはなかった仕種だとカロルは思った。
 シモンはジェラルドの名前を聞いた時、女心が動いた。クラークスがルカをボイ星へ迎えに行っている間、彼をクリンベルク家に預かったのだが、その時にジェラルドの人となりを知った。確かに知能は幼稚園生並みだ、毒でやられてしまったというのだから仕方のないことだが、その心の優しさは今までのどの男性からも味わったことのないものを持っていた。これで頭がしっかりしていれば、外見はハンサムだし、申し分ないのに。もっともそうだったら、シモンなど相手にされるはずがない。
「デルネール伯爵は、お口が、お上手なこと」
「私は、主の言葉を代弁しただけですよ」
 えっ? と言う感じにジェラルドを見ると、
「シモン、きれい、きれい」とはしゃいでいる。
「有難う御座います、ジェラルド王子様」と、シモンは軽くドレスの裾を持ち上げると会釈した。
 へぇー、姉貴も随分しおらしくなったものだと感心していると、クラークスはカロルに視線を移し、
「相変わらず、元気ですね」と声をかける。
 するとその後を引き継ぐかのように、ジェラルドが、
「カロル、元気、元気」と言う。
 なんか、こいつに言われると馬鹿にされているような。
 カロルの心を察してかクラークスは、
「主に他意は御座いません」
「ああ、わかってるよ」
 そこまでの脳味噌はこいつには無い。とは口にせず、
「それよりさっさと車にのらねぇーと、遅刻するぜ」
 こいつのお守りじゃ、やりきれねぇーと言う感じでジェラルドを車に促す。
 ルカがあまり身分にこだわらなかったのが間違いだったようだ。カロルはすっかり王子との会話はこれでよいものだと思ってしまったようだ。
 一同は、クリンベルク家から回された地上カーに乗り込む。
 ところが、エンジンを掛けようとしたがどうしてもかからない。
 カロルは背後から運転席の方に体を乗り出すと、
「おい、どうしたんだ、それじゃなくとも、時間がないのに」
「それが、どうしてもスイッチが」
「ここへ来るまでは、なんともなかったじゃないか」
「そうなんですけど」と言いつつ、運転手は懸命にスターターのボタンを押す。
 だが、何度押しても何の反応もない。
「点検、ちゃんとしたのか」
「仕方ありませんね、こちらの車で」と、クラークスがジェラルドの車を用意させる。
 だがやはり結果は同じ、全員が乗り込むとエンジンが止まってしまった。いくらやっても掛からない。だが逆にカロルたちの車のエンジンがかかった。
「掛かりました」
「じゃ、やっぱりそっちで行くか」などと乗り換えると、またエンジンが止まる。
 どうやっても掛からない。仕方なくもう一台用意させたが、それも結果は同じだった。全員が乗り込むと、エンジンが止まる。
「一体、どうなってんだ。誰かこの中に厄病神がいるんじゃないか」と言っている本人が、一番そのように見えるのか、全員の視線がカロルに集まった。
「おっ、俺かよ。じゃ、俺が降りればエンジンがかかるのか?」
 試しに降りるとエンジンがかかった。誰もがこれには驚く。
「ぐっ、偶然だろう」と、カロルは言いつつ車に乗り込むと、ピタリとエンジンか止まってしまった。そしてどうやっても掛からない。
「カロル、やっぱりあなた、疫病神なのよ」
 そうこうしている間に、カロルの腰に付けているルカから贈られた剣が重くなる。
「なっ、なんだ?」
 腰に下げていられないほど。
 車の床にしゃがみ込むカロルに、
「どうしたの、カロル」と、姉のシモンが心配そうに声をかけた。
「それが、剣が、重い。持ち上がらないんだよ」
「何言ってるのよ」と、シモンはカロルからその剣を取り上げ、軽々と持ち上げた。
「何が、重いのよ」と言いつつ、カロルに手渡すと、カロルはそのまま床に突っ伏してしまった。
「カロル、冗談は」
「冗談じゃない。重いんだ」
 見ればカロルは顔を真っ赤にして満身の力を込め、剣を持ち上げようとしている。
「変ね、さっきは」と、シモンがその剣を取り上げると、やはり軽々と持ち上がった。
「やっぱり、重くないわ」と、カロルに返せば、カロルはそのまま剣に押しつぶされるような恰好でシートにへたり込む。
 クラークスも不思議に思い剣を取る。だがやはりシモンと同じ、剣は剣の重さでしかなかった。
「とにかく、私が持ちますから、」
 これ以上ここでふざけている場合ではない。
 車のエンジンはその間の運転手の幾度かの努力によって、どうにか掛かっている。
「出してください」と言うクラークスの言葉に運転手が、
「それが、重量オーバーなのです」
「重量オーバー?」
「一トンぐらいの石を載せたようで、このままでは車が」
 この剣か? と思い、クラークスが窓から外に剣を捨てようと思った瞬間、剣はいっきに重くなった。思わず手を離すと、車の床に倒れ、その反動で車がきしむ。
「なっ、何ですか?」
「だから、いっただろー、重いって」
 カロルが剣を持ち上げようとすると、ハム音。
「こっ、この音は」
 カロルは辺りを見回した。
「どうしたの、カロル?」
「この音だよ、この音は身に危険が迫っている時にするんだ」
 剣が出す音。しかしカロル以外の者には聞こえない。
「聞こえないか、ほら、この音だよ」
 クラークスは車の床に這い蹲り剣に耳を当てたが微かな車のモーターの音以外は何も聞こえない。シモンもせっかくのドレスを床にすりつけ剣に耳を近づけたが、やはり何も聞こえなかった。
「聞こえないわ」
「やっぱり、俺にしか聞こえないんだな」
 だがそうこうしているうちに、重量オーバーの警告ランプが消えたようだ、
「車の制御システム、正常に戻りました」
 だがカロルは剣の音が気になった。必ずこの音がする時は。
 爆弾。カロルの脳裏を急に過ぎる。
「一旦、降りてくれ。車を調べる」
 カロルはシナカが刺繍をしてくれた軍服の上着を脱ぐとシモンに預け、車の下に潜り込む。だが、これと言った怪しい装置は見当たらない。
「爆弾が仕掛けられているということは、ないよな」と、運転手に確認を取る。
「全て、点検済みです」
「じゃ、何でエンジンが?」
 だが、そのうち剣からの音も消えた。
「剣の音が消えたということは、少なくとも危険は去ったということだから、今からじゃ完全なる遅刻だけど、行くか」と、服の塵をはらいながら車に乗り込む。
 車は速やかにジェラルドの館を後にした。
 一体、何だったんだろう、あの騒ぎといいこの音といい、カロルは剣をまじまじと見詰める。
「随分、遅くなってしまいましたね」と、心配するシモン。
「大丈夫ですよ、何時もの事ですから」と、クラークスは落ち着き払っている。
 ジェラルドは時間通りに行ったことがない。これも身を守るための方法。早く行って早く帰ったり、遅く行って早く帰ったり、酷いときには行くと言って来なかったり、時間を一定させない、敵に待伏せさせる機会を与えないために。
 マイムラー公爵の館に着いた時には、パーティーも半ば、すっかり日も傾き辺りは薄暗くなっていた。
 入り口で招待状の確認。車はクリンベルク家のものだと車の先端についている軍旗の紋章を見れば直ぐにわかるが、念のためだろう、時間も時間だし。
 その間、カロルはじっと前方の館を見詰めていた。ここからマイムラー公爵の館がよく見える。どの部屋にも灯がともり、庭の木々もライトアップされ、今にも賑やかな音楽が聞こえてきそうだ。そして道の両サイドには案内灯のように光がともされている。
「これは、ジェラルド様もご一緒でしたか、失礼致しました。先程から主が待ちかねております」
「申し訳ありません、遅れまして」
「いいえ。こちらです」と、守衛は館へと続く光で浮き上がった道を指し示す。
 そこでジェラルドが一言。
「ポンポ、痛い」
 あっ? とカロル。
 カロルはジェラルドのその言葉を間に受け、
「おい守衛、トイレだ、トイレは何処だ?」
 急にトイレと言われても、自分たちが使用しているトイレは、綺麗と表現するにはその対極にあった。
「館に行かれれば」
「館までもちそうもないから聞いてんだろー」
 守衛はしぶしぶ自分たちが使用しているトイレに案内する。
「おいジェラルド、早く降りろ。そんなの便所へ行けば、速効で治る」
 急かすカロルにクラークスは、
「トイレは必要ありません」
「何でよ? だすものだせば、いっきに片付く」
 シモンは顔を赤らめながらも呆れた顔をする。
 クラークスは微かに笑うと、
「申し訳ありません。主は緊張すると、お腹が痛くなるのです。少し時間が経てば収まりますので」
 だから遅れてしまった。と言わんがこどくにクラークスは守衛たちに頭を軽く下げた。
「まったく、恥ずかしいわ」と、シモン。
「何が?」
「あなたの腹とジェラルド様のお腹を一緒にしないで。だいたいあなたの腹は、腐ったものを食べたか食い過ぎた時以外に、痛くなったこと、ないでしょ」
 いたって健康なカロルだ。
「悪かったな、どうせ俺の腹は」などと口論している時だった。
 ハム音、今度は誰にも聞こえたようだ。皆が剣に視線を送ったその刹那、衝撃波。
 音の方を見ると埃のようなものが数十メートルも舞い上がり、光り輝いていた館はその灰色の埃に覆われ、所々紅い炎のようなものがちらついている。庭を照らしていたライトは一斉に消え、その代わりにどす黒い影が辺りを覆い始めていた。
「なっ、何だ!」
 カロルは一瞬にして状況を察知した。爆弾テロだ。
「とにかく、手を貸してこよう」と、駆け出そうとするカロルをクラークスが止める。
「行かない方がよろしいかと。混乱の中、一人増えたところで」
「しかし、怪我人を」
「邪魔になるだけです」
 既に待機していた守衛たちは数名を残し駆け出していた。
 勝手をしているわけではない。それならいっそこの館の守衛と使用人に任せた方が。
 その内、助かった者たちが車で逃げ出してきた。
「守衛、奴等の車と乗客をさり気なくチェックしておけ。後々犯人の手がかりになるかもしれない」
 カロルにすれば随分と気の利いたアドバイスだ。
「我々も、邪魔にならない内に引き揚げましょう」
 既にジェラルドの腹も驚きのあまり治ったようだ。



 カロルたちが来る少し前、一台の車が急用が出来たとのことで、マイムラー家の館を後にしていた。その車の紋章はキジ。これを軍旗に掲げるのはベルンハルト侯爵。
 ベルンハルト家と言えば、やはり名門中の名門、その歴史はまだギルバ家が一介の議員だった頃から始まる。そもそもギルバ王朝は貨幣主義が生み出した王朝である。民衆は自由が与えられている時はそれを行使せず、抑圧されてから反乱を起こす。そうなってからでは既に手遅れなのに。そして政治家も自由を与えられている時は、ただただ己の政権争いに現を抜かし、メディアもそれを煽り立てる。誰もネルガルの未来など考える者はいない。政治は澱み、経済は勝手に暴走し、何時しか貧富の差は開き餓死するような者が出て初めて、世の中の混乱に気付く。だが既にその時は遅い。荒れ狂う若者をうまくまとめ、その者たちを先導し経済を立て直せた者が独裁者となる。そうして出来たのがギルバ王朝、ネルガル帝国である。ベルンハルト家はその時からの同士だ。選択は間違ったことは無かった。だから今までベルンハルト家は名門中の名門でいられたのだ。皇室との婚姻も結び、皇后もだしている。その彼らが一番気を使うのは皇位継承の時、その時誰にくみするかによって、以後の家運が決まる。だが今回ばかりは、我が娘の子を皇帝にという気が働いたのが間違いの元だった。将来を見誤ってしまった。と言うよりも、皇后を出し皇子まで儲け、これ以上のベルンハルト家の勢力の拡大を、快く思わない貴族たちの陰謀にかかったというのが本筋だろう。娘のベルンハルト侯爵夫人には前皇帝毒殺などという濡れ衣を着せられ、ベルンハルト侯爵夫人とその子はベルンハルト家に傷を付けないということを条件に自害という形で終止符が打たれた。よってベルンハルト家はそのまま存続を許されたものの暫くは社交界からその姿を消していた。がここ数年、過去に蓄えた一切の財産をかなぐり捨て、名門貴族の館に貢物を贈り社交界の復帰を懇願した。その甲斐あってか、やっと社交界の復帰が叶ったものの、一度隕石として地上に落ちた彗星が二度と夜空に戻らないのと同様、一度地に落ちた栄光は二度と輝くことはなかった。そして今回のマイムラー公爵からの下寿の祝いの招待。ベルンハルト侯爵の真の目的は、自分と自分の一族を貶めた者たちへの復讐だった。


 丁度カロルたちがマイムラー公爵の門前で守衛たちと騒いでいる頃、一台のシャトルが大気圏外に向かっていた。そのシャトルは宇宙港を経由せずそのまま豪華宇宙客船とドッキングし、ネルガル星を後にしている。
 ベルンハルト侯爵は、展望室からじっとネルガル星を見詰める。もう二度と戻ることは無い。マイムラー公爵さえ亡き者に出来れば。
 自分が過去に名家を貶めた方法で、今度は自分がやられるとは思いもよらなかった。因果応報、その名家はマイムラー公爵の姻戚にあった。



 翌日、討伐軍が編制されるという情報がルカのもとにも入った。
 今回は大貴族が中心のようだ。今回の事件は場所が場所だけに貴族たちに多大な犠牲が出た。ただ不幸中の幸いだったのは、会場に置かれてあった鞄を、進行係のものが忘れ物として通路に持ち出したため、爆弾は会場ではなく通路で爆発した。壁が一枚でもあるとないとでは犠牲も随分違ったようだ。死者は十数名、負傷者はその十倍にはなるだろうが、あれが会場で爆発していたらこんなものでは済まなかっただろう。それでも貴族の一滴の血は数万人の平民の血に等しい。と彼らは思っている。この大逆罪を決して許してはおけない。必ず親兄弟、友人の仇は取る。と、予備役軍人までもが現役復帰を願い出ている有様だ。
「ジェラルドお兄様はご無事だったようですね」
「遅れて行かれたのが幸いしたようです」
「カロルも一緒だったとか」
「シモン様もです」
「どちらにも怪我は?」
「ありませんでした」
 ルカは書斎の窓から外を眺め、ホッと安堵の溜め息をついた。
「して、マイムラー公爵は?」
「こちらもご無事のようです。たまたま席をはずしておられたようで」
「そうですか、それはよかった」
 ルカは庭を一望してからリンネルの方へ振り向くと、徹夜で情報収集をしてくれた労をねぎらう。そして、
「今回の事に関しては、私は関係ありませんね。招待も受けておりませんし」
 別に皮肉で言った訳ではない。名門貴族が大騒ぎしている中、自分はシナカとゆっくり出来ると思っただけである。暫く軍の上層部の頭の中から私の存在は消えるだろうと、この事件が片付くまで。
 そうならよいが。とリンネルは心の中で呟きながら、後一つ、肝心な報告をしなければならない。
「ネルロス王子が、怪我をなされたとか」
「怪我の程は?」
「かすり傷のようですが」
 それでもネルロス王子の母オルスターデ夫人は大騒ぎだった。ナオミ様でしたら唾でもつけておけば治ると言うところを。
「何か、お見舞いを用意しないとまずいですね」
「それはルイーズの方で美術品を用意したようです、奥方様に目利きしていただきまして」
「シナカに?」
「ボイ人の目は違うと言っておりました。センスといい」
「それはそうでしょう。毎日が芸術品の中で生活しているようなものですから」
 それにしてはルカも、三年の間芸術品に囲まれて生活していたのだが、何の感化も受けなかったようだ。否、劣等感だけを募らせたというのが本音だろう、自分の不器用さに。
 ルカに何の相談も無かったのは、聞くだけ時間の無駄だということをこの館の者なら誰でもが知っているから。それだけルカは身の回りのことに関しては幼少の頃から無頓着である。まあ、本人が芸術品なのだからしかたないか。と誰もが認めるところだ。
「それで、お言葉を一言とのことです」
「手紙ですか。しかし、どう書いても、私からの手紙では喜ばないでしょうね」
 そうですね。とも言えず、リンネルはただ苦笑した。



 名門貴族たちが爆破事件で右往左往している様子を、平民たちは冷ややかな目で眺めていた。
「これで報復戦が始まるのか」
「遠征とは違い、大した儲けにはならないが、戦いがないよりましだ」
 兵士にとって戦いは商売。
「一人殺してなんぼの世界だからな」
「そのなんぼの口にはいらないように気をつけねぇーとな」と、一人の男が立ちだす。
「おい、もう行くのかよ」
 まだ外は明るいというのに、飲むならこれからが本番。
「久しぶりに兄の所へ顔を出してみるかと思ってな」
「あんたら兄弟は仲がいいな」
「二人っきりだからな」と、男はズボンのポケットからコインを出すと、
「俺の分の酒代だ」と、テーブルに投げる。
 酒場を後にした男は、その足でスラム街へと向かった。
 寂れた貸家が立ち並ぶ一角に兄夫婦の家はあった。軍で貰った給料の大半は弟の教育費に消えた。お陰で俺は大学を出、今では軍でも下士官クラス。兄の数倍の給料を受け取っている。兄にはここを出てもう少しよいところで暮らすように勧めたのだが。
 ドアに近付くなり三人の子供が飛びたして来て迎え入れた。
「フェリス叔父さん、お帰り」と、ボブの元気な声。
「相変わらず元気だな」と、フェリスは大きな手をボブの頭の上に置いた。
「おみやげ、おみやげ」と、子供たちが催促していると、キッチンから夫人が出て来て子供たちをしかる。
「フェリス叔父さんは仕事なのよ、お土産なんてありません」
 だがフェリスも子供たちが出迎えるのは土産がねらいあることは重々承知。大きなボストンバックから三つのリボンの付いた包みを取り出し手渡す。
 子供立ちにお礼は。と言いながら、
「すみません、何時も」と、夫人は頭を下げた。
「気にしないで下さい、これが私の楽しみなのですから」
 子供たちの嬉しそうな顔を見るのが。
 実はこの二人、兄弟ではない。戦争孤児だった兄を弟の両親が拾って兄弟のように育てたのだ。だがその平和も長くは続かなかった。一回の空爆が全てを奪った。助かったのは兄と弟のみ、後の家族は。それからは兄弟二人、どうにかここまで生きてきた。
「そろそろお前も結婚したらどうだ、いいものだぞ」
 三人の子供はさっそく土産の包みを解き始めた。
「ねっ、フェリス叔父さんは字が読めるんだよね」
「何だ、急に」
「俺に、字、教えてくれないかな」
 フェリスは不思議そうな顔をして兄を見る。
 実はと、兄ジョンは病院での経緯を話した。
「へぇー、奇特な人もいるもんだな」
 その少年が王子であることはまだ誰にも話していない。なぜなら子供の夢を壊したくないから。その少年は約束した、読めるようになったら聞かせて欲しいと。ボブはその約束を果たすため毎日朗読の練習をしている。あの少年が王子だと知ったらがっかりするだろう。我々とは住む世界が違うのだ、もう二度と会うことはない。あの時合えたのは偶然、否、奇跡だ。
 子供たちが寝入ってから、ジョンは弟に少年の素性を明かした。
「毎日日課にして朗読しているボブがかわいそうでね」
 少年の素性を明かすことが出来ない。
「なるほど、雲上人じゃ。しかしそんな人がよく一介の兵士の見舞いなどに」
 だが弟は知っていた。その噂を聞きつけたからこそ、兄のところへ行ってみようと思い立った。ルカ王子の噂はいろいろと聞いていた。平民を母に持つ変わった王子だと。実際どのような王子なのか兄の目で見た王子の印象を聞きたかった。兄は第10宇宙艦隊の一員だ。
「まだ子供だよ、十歳だと言っていた。自分のご身分を、よく理解しておられないのかもしれない」
「人を見下すことなど、教えなくとも周りの大人が手本を示せば、子供は自然にそう振舞うようになるものさ」
 弟の辛辣な言葉に苦笑する。
「教養は人を美しくするとばかり思っておりましたが」と、夫人はアルコールの用意をしながら。
「そうとも限らんさ、俺の場合は棘を増やしただけだ」
 夫人は呆れた顔をしながらも、
「花も棘がないと美しさが半減しますからね」と言いつつ、つまみを置くとキッチンへと去って行った。
 その後姿を追うように弟は声を掛ける。
「お姉さん、お構いなく。後は俺たちだけでやりますから」
「ええ、子供たちと先に休ませてもらうわ。どうぞ、ごゆっくり」

 二人きりになると弟は本題に入った。弟は声を落とすと、
「その王子、呼び出してみたいのだが、協力してもらえないかな」
「呼び出すって、おい、そんなことできるのか?」
 身分が違いすぎる。上級士官でもあればともかく、今の弟の身分では。否、まずその前に貴族でないことが。それだけで既に、王族に会う資格はない。
「俺に、ちょっとした知り合いがいる」
 居る訳ではない。だが何処へ行けばあの王子の守衛に会えるか調べ上げた。フェリスはつまらない士官の下で働くより、私兵になることを望んでいた。主は自分で選ぶ。
「ボブに手紙を書いてもらえないかな、本が読めるようになったから聞いて欲しいと。少年の素性はボブには言わずに。その方が自然に書けるだろう。あまり工作したようだと警戒されるからな。おそらく王子の方でも自分の素性を明かすつもりはないだろうから」
 明かすつもりなら、とっくに言っているはずだ。

 翌日ボブは喜んで手紙を書いた、フェリスに字を教わりながら。
「ほんとうにこれ、ルカお兄ちゃんのところへ届けてくれるの」
「ああ」と、フェリスは請け負う。
「あまり期待しない方がいいぞ」と父。
「もうこの近くにはいないかもしれないし。どう見てもここら辺の子じゃないからな」
 それはボブも子供ながらに感じていた。
「兵隊さんたちは豪商の子だと言っていたけど、貴族だよね、絶対」

 フェリスはボブの手紙を持ち、トリスたちがよく出没する酒場へと向かった。さっそくそこでは、完全に出来上がったトリスが裸踊りを披露していた。
 フェリスはそれを横目で見ながら奥へと入って行く。ああいう者を部下に持つ王子とは、一体どんな少年なのだろうと思いつつ、部屋の片隅で一人で飲んでいる男のところへ行くと、
「空いていますか」と尋ね、相手の返事を待たずに座った。
 男はグラスから視線を目の前にすわった男に移すと、その男を下から上へと舐めるように見る。
「一人ですか?」
「以前は後二人いたのだが、一人は死にもう一人は独房だ」
 それだけ言うと興味なさそうに視線をグラスへと戻す。
「ケリン・ゲリジオさんですよね?」
 ケリンの視線がまた目の前の男へと移る、今度は警戒の色をたたえて。
「私は、フェリス・チャヴェスと言います」
「何の用かな、私に」
「これを、ルカ王子に」と、フェリスはボブの手紙を差し出す。
 表紙には、ルカお兄ちゃんへ、ボブより。とたどたどしい字で書かれている。
 ボブ、知らないな。と首を傾げていると、何時の間にかトリスが背後にいた。酔っていても雰囲気の異常に気づいたのだろう、否、彼は酔っている時の方が敏感だ。
「ガキのようだな」
 これだけ酔っていては字など三重になって見えないだろうと思いきや、
「ボブ? 知ってるか?」と、ケリンに問う。
「いや、お前の方が知っていると思っていたが」
 知らない。とばかりにトリスは首を横に振った。
 するとケリンはいきなりペーパーナイフを取り出すと、その封を切った。
「ケリン、いいのかよ、それ、殿下に」
「一応、チェックさせてもらう。毒の粉でも入れられていたら、それまでだからな」
 だが何のことは無かった。その手紙は表紙と同じたどたどしい字で書かれた王子宛のたどたどしい文章だった。
「何だって?」
 さすがに酔っていては文章までは読めない。ましてこの字じゃ。
「父親の義手の礼と、本の礼だ」
「はっ?」
「クリスにでも聞けばわかるだろう」
 だがその肝心なクリスは、こんな所に来るような性格ではない。一度、先輩として教えてやらなければとは思っているのだが。
 ケリンは手紙を丁寧に封筒に戻すと、
「渡すだけは渡しておく」
「有難う御座います」と、男は深々と頭を下げた。
「でも、開けちまったぜ」と、トリスが心配する。
「謝ればいい、殿下も何も言わないだろう」
 立ち出そうとするケリンに、
「あなたのことだから、私の素性は直ぐにわかると思うが、これが私の連絡先です、会っていただけるのなら」と、フェリスは名詞を差し出す。
「こちらのことはチェック済みというわけですか、目的は何ですか?」
 この手紙の内容が目的とは思えない。
「それは、お会いしていただけるようなら、その時に話します」
 男はコインを置くと、去って行った。
「誰なんだ?」
 トリスは酔いがいっきに醒めてしまったようだ。



 手紙は直ぐにルカのところへ届いた。
「ボブからですか」と嬉しそうに便箋を取り出すルカ。
 開封のことを謝罪すると、
「言っておかなかった私が悪いのです」と、気にする風もない。
「字が書けるようになったのですね」と、喜びながら読むルカ。
「読めるようになったのでは、聞いてやらないと。約束でしたから」
 おそらくそうなるだろうと予期していたケリンは、徹底的に相手の素性を調べていた。
 フェリス・チャヴェス、二十七歳、独身。
「独身じゃ、子供がいるわけないよな」と、ロン。
「ジョンという兄がいる。ボブはその兄の子だ」
「甥っ子か。その手紙、まんざら嘘でもなかったんだ」
「クリスに確認したら、知っていたよ」
「じゃ、疑うこともなかろう」
 だがケリンは、フェリス・チャヴェスという男の考えが知りたかった。
「技術畑出か」
 工作員としての彼の実績が記されている。
「あなたと同じようなことをやっているんだな」と、ロンが横からモニターを覗き込みながら言う。
「いや、俺は情報部あがりだが、奴は技術部あがりだ」
 微妙に違うことをケリンは強調した。
「しかも、かなりの腕だ」と、ケリンは感心する。
 見事にどの工作も成功している。こんな男を、殿下に近づけてよいものなのか。だがこれだけの腕、レスターがいない今、欲しいものだ。
「そんな人物が、何用で?」
「さあ?」と、ケリンも首をひねる。
「繋ぎを付けてもらえませんか」と言うルカの言葉で、ケリンは我に返った。
「何時が、よろしいですか」
「日にちはそちらに任せます。ただし、場所は遊園地の近くの公園」
「かしこまりました」


 それから数日後、フェリスのもとにケリンから連絡があった。ルカからのボブ宛の手紙と共に。
「ねっ、会えるんだって?」
「ああ、今度の休日の日にだって。手紙に書いてあるだろう」
 手紙はボブが読めるように要点だけをあっさりと簡単に書いてあった。
「うん、読んだんだけど」
 字を拾うのが精一杯で内容までは読み取れなかったようだ。
「お父さんの腕は、ふじゆうないですか。って書いてあるよ」
「うん」
 何となくボブもわかったのだが。
「その内、すらすら読めるようになるさ」と、フェリスはボブの頭の上に大きな手を置いた。
 ボブはその手紙を持って奥へと行く。もう一度集中して読み返すために。
 そんなボブの後姿を見送りながらフェリスは言う。
「学校にあげてやった方がいいな。兄さんに代わって俺が面倒みるよ。今まで面倒見てもらった礼だ」
「いいんだ、フェリス。そんな金があるなら、結婚資金として貯めておけ。俺はお前の両親に」
「それは言いっこなしだ。お陰で俺はジョンという頼りになる兄を得られたのだから。兄さんがいなかったら今頃俺は」
 ジョンは一度空襲で家族をなくしている。その時の虚無感は例えようが無い。そのどん底から救ってくれたのが、何の縁もゆかりも無いフェリスの両親だった。だから今度は。
「お互い様か」
「そうだよ。だから今度は俺がボブを」

 そして定休日、一家はおめかしして出かけることになった。ルカの手紙は家族全員を招待していたから。
「おい、そんなに気取ってもどうしょうもないぞ、着ているものが着ているものだからな」
「でも、相手は」と言う妻に、
「子供だ」と、ジョンは答えた。
 フェリスが軍から借りてきた地上カーで、約束の公園へと向かう。
 公園の奥、少し高級なレストランがあった。
「私達では高級で手が出せないわね」
 だが上流貴族が利用するほどのものでもない。言わばこの公園は庶民の公園。
 午前中のせいか、まだ客は少なかった。遅めのモーニングコーヒーを楽しむ品のよさそうな老夫婦がちらほら。
 入り口を入ると直ぐに、ウェイターが近付いてきた。
「ボブ・チャヴェス様でいらっしゃいますか」
 様など付けて呼ばれたことのないボブは、一瞬誰のことかとキョロキョロする。
「ボブはこの子だが」と、フェリス。
「先程からお客様がお待ちかねです」
 二人は時計を見た。約束の時間より早く来たつもりだったが、時計を見れば二十分も前。
「どうぞ、こちらへ」と、ウェイターは歩き出す。



 ちょうどその頃、ネルガル星から一万光年はなれたイシュタル星では、王妃に第二子が生れていた。
「アツチ、あなたの妹ですよ」と王妃が赤子を見せても、アツチは何の反応も示さない。
 もう三歳になる。だがアツチは起き上がるどころか、手足すら自分の意思で動かすことが出来ない。王妃は赤子を揺りかごの中に寝かせると、何の反応もしない我が子を覗き込む。だが今日は不思議と、この子の顔色がよいようだ。安らかに寝ている。
「今日は、機嫌がよいようですね」
 感情が無いわけではない。その証拠にときおり不機嫌な表情をする。だが、ニーナに言わせれば、決して表情が変化したわけではないらしい。この子の気が変化したから。それを第六感が捉え、嬉しそうな表情をしているように見えるらしい。遠めに、まだ相手の顔の表情も見えないのに、相手が怒っているか笑っているかわかるのは第六感のなせる業。
「先程から、笛の音が聞こえておりますから」と、侍女のニーナ。
「笛の音?」
 王妃がどんなに耳を澄ましても、笛の音など聞こえない。五感では聞くことができない。この人たちは六感の住人。
 ニーナは静かに頷いた。



 レストランの奥、池に張り出したテラスで、池に向かって一人の少年が笛を吹いていた。
「先程から聞こえていたのはこの笛の音ね。誰が吹いているのかしら?」
 だがその少年の後姿には見覚えがあった。質素な平民の服を着ているが。
 王子様と言いかけて、夫人は言葉を呑む。
 ルカお兄ちゃんと、駆け出そうとするボブを夫人は制すると、
「曲が終わるまで聞きましょう。何ていう曲なのかしら?」
「竜の子守唄という曲だそうです。故郷の子守唄だそうです」と、ウェイターが答える。
「竜の子守唄? 不思議な題名だな」と、ジョン。
 竜といえばドラゴン。つまり悪魔の化身だ。
「つまり悪魔も眠ってしまうという意味ではないかしら。とても美しい曲ですもの」
 確かに。とジョンとフェリスは頷いた。
 丁度曲が切れた頃合をみて、ウェイターはその少年にそっと近付くと、
「お客様が、お見えになりました」と、告げる。
 少年は笛をおろして振り向いた。
「ルカお兄ちゃん」と、ボブが元気に走り寄る。
 その姿から、ボブは私の正体を知らないと確信する。では、三人の大人は?
「お久しぶりです」と、ルカは平民を装い微笑んだ。
「お上手ですね」
「いいえ、私は上手なほうではありません。私の村では皆、笛が吹けるのです」
 誰が神の子の親になっても大丈夫なように、村全体でこの曲を練習している。そして神の子の親となったものは必ず、その子にこの曲を教えるのが親としての最大の義務。もし神の子がこの曲を吹くことができなかったら、村は滅びる。どういう意味だ? この笛は竜の骨で出来ていると言われている。だが、分析した結果は、昔ネルガルの何処にでも群生していた竜木、今では開発でその数を減らし、貴重な木になってしまったが、つまり竜木の枝で作られている何の変哲も無い笛だ、ただ年代ものではあるようだが。
 ルカがまじまじと笛を眺めている姿を見て、
「どうしたの、ルカお兄ちゃん」
 ルカはにっこりボブに笑いかけると、
「私は下手で、よく母にしかられたのです。今、それを思い出していました」
「まぁ、ご謙遜を」
 ウェイターの案内で、ボブたちはテーブルに着く。
 夫人は辺りを見回し心配そうに、
「お一人なのですか?」と問う。
 王子なのだから護衛の十人や二十人、付いているのが自然だろうと。
「いいえ、先程までそこにいたのですが」と、前方のテーブルを指差し、
「気を利かせて席をはずしてくれたようです」
「遅れて申し訳ありません」と、謝るジョンに、
「いいえ、私が早く来過ぎてしまったのです、ボブに会いたくて」
 ボブは嬉しそうに、
「俺も、ルカお兄ちゃんに会いたかった」
 ウェイターが手拭と水、メニューを持って来た。
「何か、注文しませんか」と、ルカ。
 ウェイターは注文を取るために背後に立っている。
 ボブはパラパラとメニューをめくったが、何しろこんなところへ入ること自体初めてだったので、どうしたらよいかわからず、結局、ルカに任せることにした。
「ご夫妻は」と、問われてジョン夫妻もルカに任せることにした。
「フェリスさんは」と問われた時、フェリスはやはり俺の情報は全ていっているのか。と悟った。
 まだ自己紹介もしていないのに、既にこっちの名前を知っている。もっとも情報収集では右に出る者はいないと言うケリン・ゲリジオが付いているのだから。まあ、こっちも正体を隠す気ははなからないが。
「アルコールは?」
「いや、今日はやめておきます、甥っ子たちの手前」
「さようですか、かなり強いと聞きましたが」
「お恥ずかしい」
 どこまで俺のことを知っているのだ。
 では。と言って、ルカは適当に見繕って注文する。
「それでは、飲み物が来る前に、約束をはたしますか」
「うん」と、ボブは嬉しそうに返事した。
 このためにどれだけ練習したか。
 ボブはおもむろに本を取り出す。その本にはかなり練習したであろう痕跡が、はっきりと残っていた。いつも握って読んでいたであろう所にはしっかりと手垢が滲んでいたのだ。
「どこを読めばいい?」
「ボブの一番好きな場面でいいですよ」
「じゃ」と、ボブは本をぺらぺらとめくると、ある場所を開いた。
「じゃ、読むね」
 ルカは頷く。
 読み始めると、母音の関係で発音が違うところがあったが、ボブは気が付かない。字を拾うのが必死で文の前後はわからないようだ。それを母親がさり気なく忠告してやろうとした時、ルカは軽く首を横に振り止める。
「いいのです、これで、今は」
 読み始めは誰でもこうだ。その内余裕が出て来れば。
 やっと一ページが終わり二ページに入る頃には、喉は渇き声がかすれてきた。今のボブの力ではここら辺が限界のようだ。
「よくできました」と、ルカは声をかけた。
 体を乗り出すとポケットからペンを出し、今ボブが読んだページの隅に、
「上手に読めましたから、まる」と、大きく円を描く。
 ボブは嬉しそうにその丸を見詰めてからルカを見た。
「うん。俺、がんばった」
「うん。とってもがんばったんだってわかる」
 二人は頷きあった。
「学校、行かないの?」
「フェリス叔父さんが、学費、出してくれるって」
「それはよかったね」
「俺、一杯勉強して、フェリス叔父さんのような軍人になるんだ」
「軍人?」
「うん。軍人になれば給料が一杯もらえる」
 ルカは寂しそうな顔をすると、
「私は、反対だ」
「えっ!」と、ボブは驚く。
「私は軍人は嫌いだ。せっかく勉強できるのです。軍人以外の職種に就いたほうがいい」
 ボブは一瞬、何て答えてよいか迷った。周りの大人たちは、軍人になれば食いっぱぐれがない。と喜んでいる。当然ルカ兄ちゃんも立派な軍人になることを望んでいるとばかり思っていた。だって軍人はかっこいいもの。スクリーンに映る将校たちの姿は、ある意味子供たちの憧れ。
「じゃ、じゃ、ルカ兄ちゃんは、将来何になりたいの?」
 これはフェリスも聞いてみたいと思っていた、軍人が嫌いだと言うなら。
「私は商人になりたいと思っています、銀河を股にかけた。私の友達にマルドック星人やエヌルタ星人がいます。彼らは行く先々の星のいろいろなことを話してくれます。私はいつも行ってみたいという想いで聞いています。本当に彼らが羨ましい」
「商人」と言うと、ボブは黙ってしまった。
 今まで、軍人以外の職業を考えたことがない。
「ご免ね、お父さんも叔父さんも、軍人だものね」
「ううん、いいよ別に。ただ、ルカお兄ちゃんがそんな考えだとは思わなかったから。ルカお兄ちゃんも、てっきり軍人になるものだとばかり思っていた。ルカお兄ちゃんなら、絶対に指揮官になれると思ったんだがな」


 この会話を盗聴していたケリンはふきだす。何も知らない子供でも、感じるものは感じるのだなと。
 ケリンたちは傍にいない代わりに、盗聴を許可してもらった。


 軽食が運ばれてきた。子供たちの前にはお子様ランチとデコレーションされたアイス。それを見た瞬間、ボブたちは歓声をあげた。大人たちの前にもオードブル風のパン。
「少し早いのですが、昼食を。ボブが上手に読めたのでご褒美に遊園地へ行こうと思いまして。その前に腹ごしらえです」
「遊園地!」
「ええ、嫌ですか?」
「嫌も何も、俺、行ったことないもの」
 遊園地と聞いたとたんに、ボブは目の前のものを口にかきこみ始めた。だがただ夢中で食うには、ただほおばるだけでは、
「うっ、うめー」
 もったいなさ過ぎる。
「そんなに慌てなくとも、ランチも遊園地も逃げていきませんよ」
「でも、遊ぶ時間が短くなるから」
「では、泊まっていきませんか」
「えっ!」
 驚いたのはボブだけではなかった。ジョン夫妻も。だがフェリスだけはその方が有難いという顔をした。
「明日も、お休みなのでしょ」
 傷が完治するまでは召集はかからない。
「ああ、まだ暫くは」
「やった!」と、ボブは飛び上がる。
 もうすっかり泊まる気だ。
「よかった。予定を聞かずにホテルを予約してしまいましたが、これで無駄にならなくて済みました」
 遊園地には午後からチェックインしてゆっくり遊ぶつもりが、ほとんどボブに振り回されるはめになってしまった。
 今度は、あっちへ行こうよ。と言うボブに、
「少し、休憩しませんか」と、ルカ。
「もう、疲れたの?」
 疲れているのはルカだけではなかった、ジョン夫妻とボブの妹弟も。さすがにフェリスは軍隊で鍛えているだけのことはある、このぐらいの行軍では疲れを見せない。
「ボブ、ルカさんは足が悪いのよ、少しやすみましょう」と、夫人。
 結局、夫人の提案を受け入れて、皆で木陰で休むことにした。
「ボブは、体力あるのですね」
 遊園地が初めてのボブは、ハイテーションになっていた。
「私も体力にはかなり自信があったのですが」と言いつつ、ルカは前方の売店を見る。
「喉、渇きませんか?」
「うん、渇いた」
「あそこに売店があるのですが、どうでしょう、じゃんけんで負けた人が二名、ジュースを買いに行くというのは。全員であの行列に並ぶことはありませんよね」
 だが、じゃんけんをした結果は、ジョンとルカに決まった。
「やれやれ、少しは休めると思ったのですが」とルカが立ち出す。
 王子とは思えないほど一般平民に溶け込んだ生活をする。乗り物はきちんと列の後尾について並んで待つ、売店もそうだ。他の王子を知らないフェリスは、王子とはこれ程までに庶民的なのだろうかと思った。スクリーンで見る威厳というものがない。もっとも相手はまだ十歳の子供だ。
 フェリスは立ち出すルカを制して、
「ここは、大人の男の出番だろう。ご婦人と子供には休んでもらわないと」と、レディーファストを気取るフェリスはジョンに同意を求めた。
「では」と、ルカがお金を出そうとした時、
「全ておごってもらっては気が引けますから、ジュースぐらいは」と、フェリスは子供たちの注文を聞いて買いに出かけた。

 休憩もつかの間、ジュースを飲み終えたボブはさっそく動き出す。
「こら、ボブ」という母親の制止の言葉に、
「お母ちゃんらは、そこで休んでいるといいよ、俺ひとりで、あれ、乗ってくるから」と、前方の遊具を指差し駆け出す。
「困った子ね」と、母親の溜め息。
「元気でいいですね」と、ルカは微笑ましげにその後姿を視線で追う。
 だがしっかり、警護の者に後を追うように目配せしている。
 そんなこんなど、結局休憩後もボブに振り回され続けた。
 さすがに夕食だけは並んで順番待ちをするのを苦に思ったルカは、前もって少し高級なところを予約しておいた。そこからは直ぐ横をパレードが通りよく見ることが出来る。
「ナイトショウが始まる前に、食事を取っておきませんか」と、ルカは予約したレストランに向かう。がその途中、フェリスがゆっくりとルカに近付くと、
「付けられていますね」と囁く。
 テーブルに着いてからも、パレードが通る道越しにじっとこっちを見ている男がいる。
 フェリスは気付いていた、この子の周りに護衛が数人いることを。やはり王子だけのことはある、単独ではない。だがあの男は、どう見ても素人。それなら何故、護衛たちが警戒しないのか。
「スリです」とルカ。
「えっ!」と驚いて振り向こうとするフェリスに、
「気付かない振りをしていてください」
「ご存知だったのですか?」
 ルカはにっこりしながら頷いた。
 すると相手もこちらが気付いたことに気付いたのか、急に近付いて来ると、テラスの下から、
「ルカ!」と、怒鳴る。
 ルカは微かに笑いながらその少年の方へ視線を向けた。
「やっぱり、お前、ルカだな」
 今にも手摺を乗り越えて飛び掛りそうな少年。
「こら、詐欺師、俺の金、返せ」
「詐欺師?」と、フェリスはルカを見る。
 片やスリ、片や詐欺師、フェリスは不思議そうな顔をしてルカを見る。
 そこへ少年の仲間なのだろうか、数人の者が駆け寄ってきた。
「おいレイグ、そこで何をしているのだ?」
「親方、こいつですよ、こいつ」と、レイグはルカを指差すと、
「俺の金を取った詐欺師は」と、レストラン内に響き渡るような大声で言う。
 ルカはその少年に静かにするように促す。
「皆が、こちらを見ているではありませんか」
「見て当然だ。皆が注目するように怒鳴ったんだから」
「私は一度も、あなたのお金を取っていませんよ、あなたに取られそうになったことはありますが」
「煩い、黙れ。お前、中身の計算が違っていただろうが。繰り下がりもできねぇーのかよ、おかげで俺は3520ドット、損をした」
 金額を細かく覚えているところがおもしろい。もっともレイグにしてみれば、これで五日は生活できる。
「あれ、計算できたのですか?」
「何が計算できたのですかだ。どうもおかしいと思って、あれから親方に教わって」
 算術を学んだようだ。
「返しやがれ、この詐欺野郎」
 親方はどう仲裁したらよいか迷っている。
「ああ、そのお金でしたら、その場で親方に返しましたよ。確かに私が間違がっておりましたから」と、ルカはいけしゃあしゃあと言う。
 あの時は、絶対に間違いないと。俺の言うことを突っぱねたくせに。あの時、どこが間違っているか説明できなかったレイグは、おかしいと思いながらもこの少年の計算を受け入れた。やっぱり俺の方が正しかったんだ。と後で歯軋りしても間に合わない。二度と騙されまいとレイグは親方から算術を教わった。
「返した?」
 今度はレイグは親方の顔を見る。
「ああ、確かに返してもらった。だからお前に、袋に入れて渡しただろう」
 袋に入れて? 記憶にない。
「もしかして、あの大入り袋がそうじゃなかったのか、確かそんな金額だったような気がする。随分端数だなとは思っていたが」と、仲間の一人が言う。
「あっ! 確かに」と、仲間たちの顔を見ても既に遅い。
 あれはあの場で皆の飲み代の一部と化したのだ。
「親方、あれ、大入り袋じゃなかったのか」
「誰もそんなこと言っていないが」と、親方。
 ガツンと打ちのめされたような顔になった。
「俺の、五日分の食費代」と、哀れな声を出すが、直ぐに気を取り直すと、
「そもそもおめぇーが計算を間違えるのが悪いんだ」
「そもそもの発端は、あなたが私の財布を盗むからでしょ」と、ルカも負けてはいない。
「ちゃんと返しただろうが。それを金額が違うなどと言い出すから」
「ですから、私はどこが違うのかと聞いたではありませんか。あなたがきちんと私の間違いを指摘してくだされば」
「計算ができないんだから、どこが間違っているかなど、わかるはずないだろうが」
「では、どうして間違っていると言ったのですか」
「それは、なんとなく」
 だがレイグにはそれ以上の説明はできなかった。日常の金銭感覚で答えはわかっているのだが、どうしてそうなると言われると。
「うるさい! 黙れ!」と、ルカを怒鳴りつけるレイグに、
「ルカお兄ちゃんに乱暴したら、俺が許さないから」と、ボブ。
 レイグたちの突然の出現に最初は驚いていたボブも、ルカが危ないとなると助っ人に出た。
「なっ、なんだ、このチビは」
「私の親衛隊です」
「親衛隊?」と、笑うレイグに、
「チビじゃないや、ボブだ」
 はっ? と言う顔をするレイグ。
「仕事、終わったのですか。どうです、お夕飯、一緒に」と、ルカは彼らを誘う。
「この、恰好でか?」
「別に、洋服が食事をするわけではありませんから」
 レイグはむっとした。どうもこいつの一言がむかつく。
「先日のお詫びに」と、ルカがしおらしく言うと、
「詫びるのはレイグの方じゃねぇーのか。そもそもお前がこの子の財布をすったのが」と、兄貴分の青年が言う。
 結局、なんやかんやで、先方が夕飯をおごると言っているのに、何も断ることもないと言うことで、一緒に食事をすることになった。
 ルカはウェイターを呼ぶと、テーブルを大きくしてもらい彼らの席を作ってもらう。
 皆が席に着くと、
「レイグさん、計算ができるようになったのですか」
 かなり年下の子に言われると、いかにも馬鹿にされているような感じだが、そもそも算術など俺の人生に関係ないと馬鹿にしていたのだが、ルカにうまく丸め込まれ学ぶはめになった。損得ほど人をむきにさせるものは無い。
 ウェイターが注文を取りに来て、それぞれ想いのものを頼む。
「レイグさん、今皆さんが頼んだ料理を合計して幾らになるか計算できますか。合計金額があっていたら、いいものをあげますが」
「いいものって?」
 ルカはポケットからコインを取り出すとテーブルの上に置いた。
「これですよ」
 皆が覗き込む。
「これ、もしかして、クリンベルク将軍の凱旋記念金貨?」
 通貨としての価値もあるが、どちらかと言えば宝として持たれることが多い。それだけクリンベルク将軍は庶民の人気者、憧れであり、スターだ。特に少年や青年の間では。
「本物なのか?」
「本物ですよ。両替所に持っていけば、それなりの金額に交換してくれますよ」
 両替所では付加価値は付かない。この金貨はクリンベルク将軍の金貨だから価値があるのだ。
「本当に計算できたら、それ、くれるのか?」
「私は、嘘は付きませんよ、詐欺ではありませんから」
「紙がいるな、それにペン」
 レイグは興奮ぎみに紙とペンを用意させると、さっそく指を使い計算にとりかかった。
「なんでしたら、私の指も貸しましょうか」とルカ。
 レイグはむっとすると、
「煩いな、気が散るだろうが」
 ルカは微かに笑った。
「なっ、俺も欲しい」と言い出したのは、レイグより少し年上の青年。
「いいですよ」
「駄目だ、これは俺のだ」とレイグ。
「まだ持っていますから」と、ルカは後一枚出す。
「じゃ、俺も計算する」
「いいえ」と、ルカは首を横に振ると、
「あなたはレイグさんより年上なのですから、掛け算九九は知っていますか」と問う。
「いや」と、首を振る青年に、
「では、それを覚えたら差し上げましょう」
「掛け算九九、誰に教わればいいんだ」
「親方ができますよ」
 青年は親方の顔を見る。
 ルカの館に仕えていた者たちは全員、読み書き算術は出来るようになっていた。それどころかちょっとした書物も読まされた。主の命令では仕方がない。と言うのが本音だったが、今思えば、そのおかげで親方は独立することが出来た。今は数人を使う立派な庭師。
 親方は頷く。
「じゃ、俺も」と、別の青年。
 さすがにクリンベルク将軍の金貨は下手な褒美より効き目がある。
「お前、何枚持っているんだ?」と、一番年長の青年。
 幾らなんでも、そうざらにあるコインではない。クリンベルク将軍の旗下のもと、功労が有った者に報酬として配られたのがこのコインだ。こいつの親父は、クリンベルク将軍の配下か?
「今手元にあるのは、十枚ぐらいですか」
「それは、金貨だ」と、青年は断定する。
「そうです」
「どれだけの値打ちがあるか、知っているのか」
 一枚あれば、俺たち貧乏人なら暫くは食っていける。こいつにその意味がわかっているのか。
「今の金の相場に、この金貨の重さを掛ければ、この金貨の値打ちはわかります」
「なるほど、付加価値は別として、それだけの値打ちがあるわけだ」
 理屈としてはそうだ。だが青年が言いたいのはそんなことではない。
「ですから、それ以下の貨幣と交換すると損することになります」
 この損という言葉に、レイグは敏感に反応した。
「ですから、掛け算九九を覚えた方がいいと言っているのです。覚えたら、皆さんに算出してもらいましょう」
「そういう話ではない」と、いよいよ我慢しきれなくなった青年は、ルカの言葉を頭ごなしにピタリと遮った。
「そのコインは、俺たちの税金で作られているんだ。そんな恰好をしていても、どうやらお前は貴族のようだから、汗水たらして働くということを知らなかろう。お前にとってはただのコインかもしれない。が、俺たちにとっては、それだけ稼ぐのにどれだけ苦労するか。それを知っていれば、掛け算九九が出来たぐらいで簡単にくれてやるなどと、言えるはずがない。それともほどこしのつもりか。俺たちが貧しいのを哀れんで」
 青年の目には、貧しさを馬鹿にされたという敵意がみなぎっていた。好きでこんな生活をしているわけではない。戦争さえなければ。
「レイグ、やめろ。帰ろう」と、必死で計算しているレイグに青年は声を掛ける。
「でも、飯が」
「俺たちは、乞食じゃない」
 貧しくともプライドはある。
 皆を連れて帰ろうとする青年に、
「ほどこしのつもりはありません」と、ルカ。
「じゃ、何なんだ。俺たち貧しい奴等にほどこしをして、優越感に浸りたいだけじゃないのか」
「ペルド」と、親方が割って入った。
「ルカさんはそんな方ではない」
 ルカはじっと青年を見た。青年はその眼差しを受け、深い森を思わせるような瞳、そのグリーンの瞳を見詰めていると、確かに親方が言うようにこの少年にはそんな邪心はないと思える。だがペルドも後には引けない。
「そう取られたということは、私の不徳の致す所です。申し訳ありません」と、ルカは丁寧に謝ると、
「このコイン以上の価値が、あなた方にあるからです」
「掛け算九九を覚えたぐらいでか」と、青年はあざけるように笑う。
「そうです」と、ルカは純粋に答えた。
「今のネルガルの現状を見てください。字が読める者が何人おりますか。まして計算が出来る者は」
 計算機はある。意味が解からなくともそれを使えば必然的に答えは出る。生活に支障はないが。
 貧富の格差が開くと同時に無学文盲者が増えた。裕福な家庭の子はあらゆる教養を得られるが、その日の生活もままならない親の子は、学校にも行けず字すら読めない。これが今のネルガルの現状。
「ネルガルがこのようになってしまったのも、平民たちに教育が行き届いていないから。平民たちが常識的な教養を身に付けていれば、上からの指示に対する善悪の判断が出来るはずです。そうすればネルガル星も今とは違ったものになっていたと思います。ご存知ですか、ネルガル人が他の星人からどのように思われているか。誰も、面と向かって口にはしませんが、よく思っていないのは事実です」
 ペルドと言う青年は、自分より十歳以上も年下の少年をじっと睨み付けた。
「このコインは、そのための投資です。施しではありません。私の母の村では、全員読み書き算術はできるのです、よほど脳に障害がない限り。ですから誰も軍人になろうなどとは思っておりません。皆自分の知識で生活し食べていけるからです。ボイ星人も全員字が読めました。ですからネルガル人のように直ぐに暴力に訴えたりしません。出来るだけ話し合いで解決しようとしていたようです、少なくともネルガル人が来るまでは」
 ボイ星での苦い経験がルカの胸を突いた。ルカは一瞬、唇を噛みしめる。彼らは決して暴力を振るうような人たちではなかった。
「私の友人に、そのコインの金貨の方に価値をおいた人がおります。彼はこのコインを換金化し、今、医大に通っております。このコインをどのように使おうと、それはこれをもらった人の自由です」
「俺たちはそれほど頭はよくないし、慈善家でもない」
「何も医者になるだけが能ではないし、善良であることも必要ありません。ただ、これをきっかけに、学ぶ喜びを知ってもらいたいのです。最初は損得からで結構です。その内に本当の教養を身に付けてもらえれば」
 人はそれが満たされれば自ずと高次元を求めるようになる。ただ、どこをもって満たされたかと自覚するかは個人差があるが。
「そしてこれからのネルガルの行く末を、判断してもらえれば。ネルガル星は皆の星なのですから、何も貴族だけのものではない」
 皆がそうしてくれるなら、こんなコインの一枚や二枚、安いものだ。
 ペルドはじっとルカを見た。だがその目に先程のような敵意はない。
 何処からか鼻をすする音がする。それが親方だと知り、皆が心配そうに声をかける。
 親方は目に涙を一杯浮かべて、
「お帰りなさい」と、静かに言う。
「以前と何らお変わりなく、ご無事で」
 その先は涙で声が詰まって出てこない。
 生きて戻られても、変わってしまわれたのでは、それだけが気掛かりだった。以前の様な、少し生意気だが利発的で溌剌とした殿下であって欲しい。
「心配かけました」
「いいえ」と、親方は首を振る。
 無事に戻って来てくだされば、それだけで。
「親方、こいつ、知っているのか?」
 今更ながらにレイグは問う。
「昔、この方の館に仕えていたのです。奥方様はとても植物にお詳しい方で、いろいろと教わりました。その時に字や算術も。おかげさまで、今こうしてどうにか生活しております」
 失礼と言って涙を拭う親方を見て、ペルドは全てを悟ったようだ。
 三年前、俺を拾ってくれたのは親方だった。仕えていた館が閉鎖されたから、巷で豪商相手に庭師をするから手伝ってくれないかと、俺の腕力を見込んで。そしてボイ星との戦争。あのニュースの時は、親方は仕事が手に付かないようだった。まるで祈るかのように画面を見詰めていた。そう言えばさっきこいつボイ人とか言っていたな、そして名前はルカ。確かあの時の王子の名前が。
 ペルドは改めてルカを見る。こいつ、貴族どころか王族なのか。親方は王宮に出入りしていた庭師だったのか。どうりでそこら辺の庭師と腕が違う。
 ペルドは自分の鼻を軽く親指で擦ると、こいつがクリンベルク将軍のコインを何枚も持っていても当然だ。こいつは将軍を使う身分なのだから。
「なるほど、そういうことか」
「何が?」と問うレイグに、
「お前はさっさと計算しろ。パレードが始まると、計算などしていられないからな」
 既に注文の料理はテーブルの上に並べられ始めていた。ただレイグの分だけ、端の方に寄せられている。
「料理も冷めるぞ」
「わかってるよ」
 ペルドは改めてルカを見ると、
「と言う事は、別のコインも持っているよな?」
 皇帝から軍旗を拝領した時の、言うなれば初陣記念金貨。まだ子供だが出兵しているなら発行しているはずだ。
「俺にも一枚くれないか、クリンベルク将軍のコインではない方のコインを」
「そちらのコインは、額面通りの価値しかありませんよ」
 青年は鼻で笑うと、
「俺にはクリンベルクと言う知らない奴のコインより、そっちの方が価値がある」
「そうですか、では彼に代わって、価値をつけてくれたことにお礼を言うべきでしょうか」
 青年は軽く笑うと、
「その必要はない。お前が俺たちに価値を付けてくれたのだから」
「別に私は価値を付けたつもりはありません。ただ、価値が出るかもしれないと賭けただけです」
 青年は苦笑すると、
「お前、嫌われる性格だろう。子供はもう少し素直な方がいいぞ」
「その忠告、遅すぎました。教育者があまりにもよかったもので」
 親方が笑った。
「あのお方が教師では、無理もありません。池を掃除するとあの方の靴だけで十足も出てくるのです、しかも左足だけ」
「靴?」と、疑問に思うペルド。
「気に入らないことがあると、直ぐ、靴を投げるのです。おかげで反射神経だけはよくなりました」
 ハルガンの苦笑する顔が目に浮かぶ。
「ところで今彼は、どうなされておられるのですか?」
 ご一緒でないところを見ると。
「独房です」
「独房!」と、驚く親方に、
「でも心配いりません。毎晩のように女性の方が面会に見えるそうです、入れ替わり立ち代り。二回と同じ女性が来たためしがないそうです。看守がおどろいておりましたよ。それもアルコールの差し入れ込みで」
「独房へ?」と問うジョン。
「はい。何でもベッドが硬いので柔らかいのに取り替えるようにとの苦情も聞き入れてもらったようですから」
 軍人であるジョンとフェリスは独房の怖さは知っている。そこに女を?
「あの方でしたら、やりかねませんね」と、親方は納得した。
 食事が始まる。
「出来た!」と、レイグ。
「これで、間違いない」
「レイグ、まだだ。俺、追加注文するから」
 相手が王族なら、金に困ることはないだろう。そもそもは俺たちの税金なのだから。ペルドは開き直って追加注文をした。
「えっ!」と、驚くレイグを尻目に、
「兄貴が頼むなら、俺も」
「ちょっと、待ってくれよ」
 計算が追いつかない。
 彼らの出現にすっかり気をされてしまったボブは黙り込んでいた。
 ルカはそんなボブたちに声を掛ける。
「早く食べて、パレードを見に行きましょう」
 食べ物でもめている大人たちをおいて、一番よい場所を陣取りルカたちは幻想的なパレードに魅入る。
 結局計算の方は、追加分は入れないということで合計を取り、あっていたので約束どおりコインを渡した。そして他の者たちは掛け算九九が出来た段階でコインを贈ると。その判断は親方に任せることにした。そしとペルドにだけは、後で書物を贈るからそれに関する意見を書いて送るように、それと引き替えにコインを贈ると。
「あなたは算術はできそうなので、意見は賛成でも反対でも、あなたなりに筋が通っているなら、あなたの考えとして私は受け入れるつもりです」
 ホテルに着いた頃には、ボブたちはすっかり眠くなってしまったようだ。
「今日は、有難う御座いました」と、礼を言う夫人に、
「最後に変な人たちが来て、申し訳ありませんでした」
「いいえ、とてもおもしろい人たちで、子供たちもすっかりなついで、かえってご迷惑をかけてしまったのではないかと」
 ボブたちも最後にはすっかり馴染んで、兄貴が出来たようなはしゃぎようだった。
「それでは、お休みなさい」と、ルカ。
 ルカの部屋は別階にある。わざと離したのは、ルカに取ってはこれからが本番だから。

 ルカは自分の部屋へ戻った。
「お疲れ様」と言うケリンの対し、ルカは苦笑いをした。
「ボブがあんなにタフだとは、想いもよりませんでした」
「子供に付き合うのは大変だろう、殿下」と、トリスは笑う。
 その子供が、誰を指してのことか気付いたルカは、
「そうですね、もう少し自粛します」
 今回もかなりの護衛が私服で動いている。レスターがいなくなった今では、彼らの緊張も並みではない。
「いや、わかってもらえればそれでいいんだ。別に自粛してもらわなくとも」
 これがルカの息抜きだということは重々承知、あんな針の筵のような王宮では。ときおりこうやって巷に出ては同じ年頃の子供と遊ぶのもいいものだ。顔色が溌剌している。こんな主の姿を見るのも楽しみの一つ。なぜなら他の者たちが決して見ることの出来ない姿なのだから。俺たち側近の特権だな。
「少し休みます。一時間しても起きてこないようでしたら、起こしてもらえますか」
「了解」と、トリスはふざけた恰好に敬礼をする。
「どうぞごゆっくり、客人が見えたら、少しお茶を濁しておきますよ」
 ルカは微かに笑うとシャワー室へと入って行った。
「随分、疲れたようだな」
「頭をすっきりさせておきたいのだろう。少し仮眠を取れば随分違うからな」

 そして数十分後、一人の男がドアをノックした。
 トリスが卓上の装置でロックを解除する。
「どうぞ、お待ちしてました」
 こちらもシャワーを浴びてきたのか、小奇麗な装いで現われた。
「やはり、おられたのですか」とケリンとトリスを交互に見ながら、男は入ってきた。
 部屋を見回し、「殿下は?」と問う。
「今、休憩中。遊びすぎたらしい」
「もうしわけありません」
「いや、あなたが謝ることはない。久々だ、あんな楽しそうな殿下の顔を見るのは」
「やっぱり、子供は子供同士だな。俺たちと遊んでいてもああいう顔はしない」
「それはそうだろう、お前のいかさま賭博ではな」
「そりゃないぜ、兄貴。俺が何時、殿下といかさま賭博を」
 ケリンはトリスの話しを最後まで聞かずに立ち出すと、
「まあ、適当なところに座ってくれ、もう少ししたら見えられる。何か冷たいものでも作ろう」
 アルコールを手ごろなもので割って持って来た。ケリンはその飲み物を男の前に置くと、男の向かいに腰をおろす。
「ところで、何が狙いだ」
 挨拶も何もなく、いきなり本題に入った。
「今回の報復戦だが、ルカ王子もご出陣なされるようですね」
「えっ!」と驚くトリス。
「随分、情報が早いな」
 男は苦笑いを浮かべた。
「それは、褒められたのでしょうか」
 情報収集に関しては右に出る者はいないとまで言われているケリン・ゲリジオ。
「おいケリン、こいつの言うことは本当なのか。殿下は今回の報復戦には何の関係もなかろう」
 ルカは上流貴族に友人が少ない。と言うより上流貴族の方でルカなど相手にしないのだ、平民の血を引く王子など、堕胎して当然だったものを。よって今回の爆破テロでも、友人が怪我をするなどということはなかった。唯一の友人であるカロルですら、会場に遅刻したのが幸いして、テロから免れている。
「ああ本当だ。ピクロス王子が、一緒に戦いたいそうだ」
「そんなの、断っちまえ。大体、この間戦場から戻って来たばかりじゃないか。一回出陣すれば、休暇というものがあるんだ」
「それはそうなのだが、そうもいかない。言い方は柔らかいが、ほぼ命令と同じだからな。兄の仇を取る。弟は兄を助けるのが当然だと言っているそうだ」
「弟?」と、トリスはでかい声をした。
「こんな時だけ弟だなどと、虫が良すぎる。今まで弟などと言ったためしがなかろうが、それどころか、殿下が兄と呼ぶことすら許さなかったくせに。嫌がらせに決まっている。皆の前で、殿下を笑いものにするつもりだ」
「それならいいが。戦場だ、背後から突かれても、それまでだな」
「兄貴!」
 トリスは悲鳴に近い声を発した。
 暫しの沈黙。彼らにとって真の敵は異星人などではない。味方だ、しかも異母兄弟。

 トリスの突拍子な声は寝室まで聞こえたようだ、ルカが眠そうに目を擦りこすり起きてきた。まだ時間には少し早い。
「何かあったのですか」と、目の前の男を見て、
「おられたのですか」
「少し早かったようで、申し訳ありません」
「いいえ、私もそろそろ起きようと思っていたところを」
「まったくお前が変な声を出すから」と、ケリンはトリスを叱る。
「だって、兄貴が変なことを言い出すから」
「何のことですか?」
「もう少し状況がはっきりしてからと思っておりましたので、まだお知らせしてはおりませんが」
「それは、申し訳ないことをいたしました」と、フェリスは謝る。
「何がですか?」
「今度の戦争、どうやら出陣することになるかもしれません」
「そうですか」
 驚かないルカに対して、
「ご存知だったのですか?」
「いや。ただ、ネルロス王子が怪我をなされたと聞いた時から、何となくそんな気がしていました」
「ピクロス王子が、ご一緒にとのことです。まだ正式にではありませんが、近いうちにそのような通知が先方から届くと思います」
 ルカは黙り込んでしまった。
「断っちまえ、どうせ兄弟の縁など結んでもらえないのだから」
「そうも参りません」
「裏があるぜ、絶対。戦場だ、背後からズドンってこともな」と銃を撃つ構えをしながら、トリスは先程ケリンが言ったことを、もっと具体的に表現した。
「まさか、兄ですよ」
「忘れたのか、お前に毒を盛ったのは奴の母親、オルスターデ夫人だ」と、トリスは断定する。
「トリス、止めなさい。証拠がありません」
「証拠があれば、俺がこの手で」と、拳を握りあげ、女だろうとガキだろうと絞め殺してやる。
「トリス」と、ルカは止めた。
「私はもう、忘れました」
「忘れた!」と、食い下がろうとするトリスをケリンが大きく首を横に振って止める。
 その間、蚊帳の外に置かれたような立場になったフェリスは黙っていた。そんなことがあったのか。と思いつつ。
「どうせまた、屑みたいな艦隊を押し付けられるだけだぜ」と、トリスは過去の自分たちを棚に上げ、はき捨てるように言う。
「いや、今度はもっと性質が悪い」と、ケリン。
 今度の遠征は、上流貴族の子弟たちで編制される。彼らは命令こそすれ、命令されたことのない連中だ。おまけに規律を知らない。
「その話は、後にしましょう。せっかくお客さんがお見えなのですから」
 やっと蚊帳の外から開放されそうだ。
「その客人が、切り出してきたんだ」と、トリスはやたらとルカに突っかかる。
 内心では主に当たっても仕方がないと思いながらも、このやり場のない不安を誰かにぶつけないわけにはいかなかった。
 どうすれば、どうすれば我が主を守れるのだ。相手は王族だぞ。
 ケリンはルカに席を譲り、さり気なく飲み物を用意する。
 ルカはそのジュースを一口、口に運ぶと、
「私を呼び出した用件を、お聞きいたしましょう」
 やっと話題が自分の方に向けられた、それも単刀直入に。
「今回の戦、私を工作員として使っていただけないかと思いまして」
 ルカは否ことを言うと首を傾げ、
「それは無理でしょう、人選も作戦も全て皇帝の膝元で決まるのです。私もあなたと同様、決められた事に従うだけですから」
 自分で人選は出来ない。だからどんな艦隊でも、宛がわれた艦隊で戦うしかない。まして作戦など、自分は目先の戦術を指示するのが精一杯の立場だ。
 フェリスはそんなルカの言葉を無視して話を続ける。
「私の仲間は既に数年前から、ベルンハルト家に潜入しております。ご承知かとは存じますが」と言いつつ、フェリスは同業であるケリンの方に一瞬視線を移し、
「我々工作員の中には上層部から内々の通達を受け、それぞれの館に潜り込み、その様子を逐一報告するように義務付けられている者がおります。おそらく殿下の館にも」と、フェリスが言うが早いか、
「ケリン、お前」と、トリスは険しい目でケリンを睨み付けた。
「待ってくれ、私は違う」と、ケリンは即に否定した。
「そういう命令を受けるのは、命令に忠実な奴だ。私は」
 だろうな。とトリスは納得した。でなければ俺たちの仲間になどなるはずがない。俺たちは上官に逆らって、ガキのお守りをするはめになった。ところがそのガキが、とトリスはつくづくルカを見詰める。俺たち以上に一筋縄ではいかないときている。だが、そうなると一体誰だ?
「ケリンは違います。私は一人知っています」と、ルカは涼しい顔で言う。
 実際は、ルカは後一人知っていた。だがそれは口にはしなかった。少なくとも彼は、今現在私の傍に居て、命がけで私を守ってくれている。だから当たり障りのない人物の名を口にした。
「えっ! 誰?」と、トリスは思わず大声で尋ねていた。
「ハルガンさんですよ」
「そっ、曹長が? 嘘だろう、第一曹長は、工作員じゃない」
 ケリンも知っていた。ハルガンが何処かに定期的に報告に行っていることを、その場所も。だが、誰にも言わなかった。なぜなら、ハルガンがルカを貶めるようなことは言わないと確信できたから。しかし曹長が、あんなに子供好きだとは思わなかった。どんなに女性と遊んでも、決して子供は作らない。あんなのうるさいだけだと、言っていた曹長が。
「工作員とは限らないのではないですか。彼が私のことを誰にどう報告していたかは知りませんが、私には下心はありませんから、何を報告されても怖いとは思いません」
 そうだ、殿下には玉座を奪おうなどという意志はこれっぽっちもない。その気になれば、幾らでも後押ししようという奴がいるのに。
「あの曹長が、皇帝のスパイ?」
 トリスにはどうしても信じられない。
 ハルガンという人物、そもそも一筋縄ではいかない。使っている方も、それは覚悟のことだろう。彼は自分の考えで動く、人に左右されることは無い。考えが違うとなれば平気で命令に背く。そういう意味では、この館に仕えている者たちの大半が、そういう者たちだ。トリスにしてもしかり、上からの命令に盲目的に従うということができない。だから上官とうまくいかない。
 スパイねぇー。とまだ口の中で呟いているトリスを後にし。
「つまり、ベルンハルト侯爵の入植惑星の内情が、手に取るようにわかると」
 フェリスは頷いた。
 ルカは黙り込む。軽く爪を噛み俯いて考え込むその姿は、まるで少女のようだ。この子が、ボイ星でネルガル軍の提督たちを心肝寒からしめたとは到底思えない。
 暫しの沈黙の後、
「あの惑星を攻略するには、どうしたらよい?」
 ルカは既にネルロス王子が怪我をしたと聞いた段階で、出陣することを予測し、ベルンハルト侯爵の入植惑星に関する情報を集め始めていた。問題は惑星の回りに張り巡らされている大小さまざまな軍事衛星、その中でも六つの巨大な衛星をどうにかしないことには、惑星に近付くことすらできない。力で押せないこともないが、その時の損害は膨大なものになるだろう。
「問題は、軌道上に互いに正三角形を描くように配置されている六つの惑星です」と、フェリスは答えた。

 翌朝、ルカは朝食もそこそこにボブたちと別れた。
「今日、一日の券ですから、ゆっくりしていくといいですよ」と、言い残して。
「じゃ、俺も」と、フェリス。
「えっ、叔父さんも」と、ボブが詰まらなそうな顔をすると、
「仕事だからな、後は家族水入らずというところで」と、軽く手を振る。


 館でルカを待っていたのは、エントランスで箒を持って仁王立ちしているディーゼだった。
「今、何時だと思っているのですか!」
「今、何時と言われても?」と、ルカが視線を宙に浮かすと、
「朝帰りですか、妻がいる身でいい度胸です。夕べは何処にお泊りになられたのですか?」
 何だか何処かで聞いたような台詞。
 ケリンとトリスは既に気付いてルカの背後で忍び笑いをしている。
「何処に泊まったかと聞いているのです。答えないのでしたら」と、箒を振り上げる。
「すっ、少しまってくれ」
 ルカはディーゼの背後に視線を移すと、
「誰ですか、ディーゼにこんな事を教えたのは?」
 こそこそと逃げ出す侍女が数名。
「待ちなさい」と言うルカの言葉を打ち消すかのように、
「お兄さま!」
 ピシャリとしたディーゼの声。
「誰とお会いしていたのですか、女の人?」
「男です」
「本当ですか?」
「そんなに疑うならケリンに」と、ルカが背後を振り向くと、ケリンたちはルカから離れようとしていた。それも抜き足差し足で。
「ケリン、証明してください」
 ピシャリと言われてケリンは一瞬動作を止める。ゆっくりと振り向くと、
「悪いが、用を思い出しました」
「夫婦喧嘩は犬も食わないって言うからな、くわばらくわばら」と、トリスは厄払いの呪文でも唱えるように後ずさりするや、体を返して走り出す。
 置き去りにされたルカは、ディーゼに睨まれたまま館の中へ入れない。
 そこへシナカが、ルカの帰宅の知らせを受けたと見え、ホルヘたちと一緒に現われた。
 お帰りなさい。と言うつもりが、
「ディーゼちゃん、どうしたの、その恰好」
 ねじり鉢巻に竹箒といういでたち。
「どうしたもこうしたもないわ、お姉さま。ボイの男性はどうか知りませんけど、ネルガルの場合は、亭主が朝帰りした時は、入り口でしっかり詰問しないと、後々悔やむことになるそうです」
 完全に誰かの入れ知恵。
「まぁ」と、シナカは笑う。
「笑い事ではありません、お姉さまが優しいからいけないのです。こういう事はきちんとしておかないから、戦場から帰って直ぐに、お姉さまをおいてあっちへ出かけたりこっちへ出かけたり、一番心配していたのはお姉さまなのに」
 シナカはディーゼのところにしゃがみ込むとその小さな両肩に手を乗せ、
「ありがとう、ディーゼちゃん。ルカはとっても忙しいの、あの時は、戦場で怪我した人たちのお見舞いに行っていたのよ。そして昨日は、その時知り合った男の子と約束したの、本が読めるようになったら聞いてあげるって。そして読めるようになったという手紙がきていたから、聞きに行っていたのよ。その男の子、お父さんが戦場で怪我してしまってね」
 シナカはルカの行動は全て知っていた。
「そっ、そうだったの」と、知らなかったとしょんぼりとするディーゼに、
「でも有難う。ディーゼちゃんがこんなに私のことを心配してくれているとは思わなかったわ」
「だって、昨日も一人だったし、今日もかと思ったら」
「それより、どうしてあなたがここに居るのですか、こんなに早く。ここは私の館ですよ」
 ディーゼはむっとした顔をルカに向けると、
「だって」
「刺繍を習いに来たのよね」と、シナカが助けに入る。
 昨日、少し教わって帰るつもりが、ルカがいないということで一日中二人で糸を刺していた。今日もお姉さまが一人ではと思い朝早くから来てみれば。
 やれやれという感じで、やっと館の中へ入れてもらえたルカは、
「服を着替えてきます」と、自室へと向かう。
 ボイの服に着替えてルカが出てくると、二人は池の上に張り出したテラスで刺繍に没頭していた。
 ルカが覗き込んでも気付かない。
「うまいものですね」
 四歳の子が刺したとは思えない。と言うよりもルカのそれが酷すぎたのだろう。
「お兄さまより上手ですって」
「私より酷かったら、最悪だ」
 ルカはここら辺は完全に認めていた。
「それより、針、気をつけろよ。指に刺さるとけっこう痛い」
「私、お兄さまほど不器用ではありませんから。お兄さま、布を刺しているのか指を刺しているのかわからなかったって」
 ルカはシナカを見た。
「私は、そんなこと言っておりませんよ」
「では、誰?」
「ごめんなさい」と、ルイは慌てて奥へ下がる。
「まぁ、ルイったら」
「まぁ、事実だからしかたないか」
 ルイは急いでキッチンへ行くと、先程焼いておいた菓子を持って現われた。
「お茶にしませんか」と、お詫びのつもりで。
 四人は丸いテーブルを囲んで座る。
 ディーゼはルカとシナカの間に座る。
「やっぱり、ルイさんの作ったお菓子が、一番おいしいね」
「有難う御座います」
 ディーゼは菓子をほおばりながら、シナカとルイをまじまじと見る。
「異星人って、もっとおどろおどろしているかと思っていた」
 そしたらお菓子はおいしく焼くし、刺繍は上手だし。王宮で異星人を見ることはない。よってボイ人がディーゼにとって初めての異星人だ。
 ルカはお茶を口にしながら、
「ネルガル星にいる生物のどれかに似ているはずですよ」
 ネルガル星にも数千年前には多種多様な生物がいた。だが人間の欲による開発が進み、気付いた時には多くの生物がその姿を消していた。今辛うじて生き残っている種は数えるほどしかない。
「どうして?」
「そうですね、何に例えればわかりやすいかな」と、視線を宙に漂わせると、そこに植物の綿毛。
「そう、この綿毛のように、風に舞った植物の種子が、手ごろな大地を見つけて根付くように、磁気嵐によって惑星から飛び出し宇宙塵となった微生物が、手ごろな惑星に到達し進化をし、多種多様な姿になる。でも大元は同じ、生物としての枠からはみ出すことはないと思いますよ、少なくともこの三次元の世界では。四次元ともなればまた話しは別かも知れませんが」
 そして彼らがネルガル人同様、他の生物を捕獲して食しているとなると、考え方もネルガル人に似ているはずだ。縄張りを必要とし、自分が生きていくためには他の生物を殺すしかない。ただそこにどれだけの欲が絡むかという違いで、それこそが脅威。



 王宮では討伐軍の編制が急ピッチで進められていた。総司令官はマイムラー公爵。彼は既に軍隊を退役していたが、一時的な現役復帰を願い出ての出陣である。なにしろ今回の爆弾テロは彼自身が標的であり彼の館が爆破されたのだから、多くの親族や友人が巻き込まれた。その仇を取らなければ、気が治まらない。
 そして客将としてネルロス、ピクロスの兄弟王子。ネルロス王子は腕に包帯を巻いての出陣である。怪我をした兄を助けるという形でピクロス王子も出陣した。彼らにとって戦うのが目的の出陣は初めて。それにルカ。これは彼の知らないところで勝手に決められた。そのそもそもの経緯は。
 ルカは、ボイ星でボイ人の手によって殺害されたことになっている。その葬儀も、なにしろそこにはボイ星への侵攻がはらんでいるため、ネルガル星を挙げて大々的に行われた、ルカ王子の弔い合戦ということを国民にアピールするためだ。だがそこへルカが生きて戻って来た。軍部としても宮内部としても、それをそのまま国民に知らせるわけにはいかなかった。それでゲリュック群星での海賊討伐の大勝利。それに便乗して、ボイ星で殺されたのはルカ王子の身代わりだったと言うことを、さり気なく報道機関に流した。それと同時に、ゲリュック軍星で正規軍の指揮を取ったのはルカ王子だったと。だが国民の大半は、十歳の王子に指揮が取れるはずがない、取ったのは侍従武官のカスパロフ大佐だろうと、さすがカスパロフ大佐だ、と言うことになっている。
 だがここに、国民の中にルカの名前が知れ渡ることに快く思わない者たちがいた。まして一部の軍部の間で、ルカの実力を評価し始めていることにも。
「おもしろいではないか、奴の実力を見るには絶好の機会だ。奴に艦隊の一つも宛がって、指揮させてはいかかです、兄さん」
「なるほど」
「我々は後方で、高みの見物としゃれ込もうではありませんか」
 それでルカの意思を問わず、出陣することになった。ネルロス王子の仇を取るために、協力してくれと言うことで。
 ルカの館にピクロス王子から正式な書簡が届いたのは、それから数日後のことだった。
「断れませんね」と、ルカ。



 月初めの恒例の皇帝と兄弟姉妹との晩餐会、ルカも今回から出席することになっていた。
「一緒に行きませんか」と、ディーゼが誘うのを断ったのはルカだった。
「あなたと私とでは、身分が違うのです」
 同じ皇帝の子でありながら、母親の血筋によって階級が決まる。ディーゼの母は傍流とは言え貴族、そして今はルクテンパウロ侯爵の養女。養女と言えば聞こえも良いが、貴族といえども下級貴族ではその日の生活にもままならない。たまたま彼女の容姿が、皇帝好みだったのでルクテンパウロ家に売られたのである。それに引き換えルカの母は平民だ。ランクの付けようがない。
「宮廷に上がったら、私とはあまり口を利かないほうがいいですよ」
 いじめの対象にされてしまう。
 ディーゼの母はそれを理解したのか、すまなそうに頭を下げるとその場を去った。だがディーゼはまだ幼く、わからなかったようだ。その内わかる時が来る。
 上位の兄弟姉妹から皇帝の両サイドを占めていく、幼い子には母親も同行している。だがルカの場合は、登城を許される三歳の時から母親の同行は許されなかった。平民が皇帝の私室まで入ることは許されない。
 ルカはディーゼと歩く時は一歩遅れて歩き、他の王子や王女とすれちがう時は通路を譲った。これが身分の低い者の礼儀。誰の目にもルカを見るとき、一種の蔑視感が漂う。
「お兄ちゃん」と、寂しそうな顔をするディーゼに、
「しかたないのよ」と、母が囁く。
 会食は華やかな話題から始まり、次第に例の爆破事件へと移っていった。知人を亡くした、又は友人が怪我した等々の話から、
「マイムラー公爵が現役復帰なされて、指揮をおとりになるとか」
「そうです。我々も出陣します。兄をこんなめにあわされては」
「私の親友の仇も取ってください」などと王女たちから頼まれ、
「まかしてください、必ず」と意気込むピクロス。
 それからピクロスはおもむろにナイフとフォークを置くと、
「お父様、折り入って頼みがあるのですが」
 何だ。と言う皇帝に、
「私達は経験が乏しいもので、ここは経験の豊かなルカに同行してもらえればと思いまして」
 皇帝はルカを見る。
 初めて皇帝と視線が合った。
「どうだ、兄を助けてやるか?」
 ルカは口に運ぼうとしていたスプーンを下ろすと、
「不才な私でもよろしいのでしたら、ご一緒させていただきます」と、答えるしかなかった。
 暫しのざわめき。あんな奴を一緒に連れて行ってどうするのだと。
「これで鬼に金棒ですね、ネルロス兄さん」と、ピクロスはわざと大げさに言う。
 ジェラルドが心配そうな視線を向けてきたのは、気のせいだろうか。
 珍しく今回ジェラルドも出席していた。話題にも入らず一人で黙々と食べていたがその内、トイレ。と言って立ち出したきり戻って来ない。暫くして侍従のデルネール伯爵だけが戻って来て、またいつもの腹痛が出たとみえ、先に席を立つことを詫びて部屋を後にした。
 どうせ来ても話もわからず、いつも中座するのだから来なくてもいいものを。と誰しもが内心思っていても、そこは王位継承第一人者である以上、誰も面と向かって言えない。
 話題は討伐軍の楽観論で終始した。


 皇帝との食事が済んだルカは、中庭へと出る。そこに、やはり探している人物はいた。花の上に座り込み、花摘みをしている。
 ルカはそっと近付くと、その前に跪き、
「もう、お腹のほうはよろしいのですか」と聞く。
 仮病だとは知りつつ。それからおもむろに、
「有難う御座いました」と、深々と頭を下げボイ星での礼を述べる。
 ジェラルドはきょとんとした顔でルカを見た。
「もう、よろしいのですか」と、クラークスがジェラルドの背後からジェラルドに代わって気づかうように声をかけた。
 義父母の処刑後、ルカは一時正気を逸していたようだった。このまま廃人になってしまうのではないかと思えるほどに。
「ご心配、おかけしました」
「いいえ、元気になられてなによりです。ところで、足は治されないのですか?」
 杖を付きながら歩くルカの姿を見て。
「願を掛けましたから、それが叶うまでは」
「願?」
「彼らも不自由しているのですから、私だけが楽をするわけには参りません。この程度の不自由など、彼らに比べれば」
「そうですか、ですが、あまり無理をなさらない方が」
 クラークスのその心遣いにも、ルカは丁寧に礼を述べる。
 話しが暗くなるのをさけるため、クラークスは話題を替えた。
「ゲリュック群星は、お見事でした。帰還して直ぐでは、大変だったでしょう」
「何かしていた方が、気が紛れますから」
 ルカは完全に痛手から立ち直っているわけではなかった。じっとしていると思い出してしまう。だからかえって忙しい方が。
「シナカ様は、お変わりありませんか」
「ええ、おかげさまで。今回はカロルさんにも随分と世話になりました。足を向けては寝られません」
「その言葉を聞けば、カロルさんも大喜びですね」
 ルカは近くの花で花籠を作ると、ジェラルドの摘んだ花を入れる。花籠は以前より手の込んだものになっている。手先の器用なボイ人に教わったようだ。
「そう言えば、このたびの事件、ご無事で何よりでした」
「それが」と、クラークスはあの時のことを話した。
 まるで、行くなと言うがごとくに、カロルの剣が重くなったことを。
 ルカは不思議そうな顔をした。
 危険が近付くと音がする、竜の目が開くとカロルは言っていたが、ルカはまるで取り合わなかった。眠り猫じゃあるまいし、夜な夜な歩き出すなどということはありえない。だが、クラークスさんたちまでが言うとなれは。ルカはベルトに挟んである笛を取り出す。そこには一匹の竜が掘り込まれている。カロルの剣と同じ文様。この笛の竜を寸分違わず掘り込ませたのだから同じはずだ。竜の目が開く。この笛も目が開くことがある。それはあの曲を吹いた時、竜の目が開き、蒼い髪の少女が現われる。それだけならよいのだが、まるで宇宙の深遠から滲み出てくるような悲しみ、神は笛を吹くと泣く。これは母の村の言い伝え。その悲しみが辛くて、私はあの曲を吹くのを避けるようになった。だが、義父母を処刑された時、あまりの悲しさにあの曲を吹いた。しかし少女は現われなかった。
「ルカ王子、笛に何か?」
 じっと笛を睨み付けているルカに、クラークスが声を掛けた。
「笛や剣に問題はないのです。問題があるとすれば、この文様」と、ルカはクラークスに竜の文様を見せる。
 どんなに調べても、笛はただの木だし剣はただの鉄の塊だ。
「ボイの刀匠に、この文様を掘り込んだ剣を作って欲しいと頼んだ時、彼はまず、白竜様にお伺いしてからでなければ打てないと言いました。この文様を掘り込むと言うことは、竜神様のお体を作るのと同じことだ、そうです。それで一回では返事をもらえませんでした。待つこと数日、竜神様が夢枕に立って許可してくれたと言うのです。その言葉を信じてよいものかどうか。しかし、打ってくれるならどちらでも良いと、私は思ったのです」
 ルカらしい考えだ。彼の周りで不可思議なことが起きているのに、その一番の原因である彼が、それを信じようとはしない。どうにか科学で立証しようと努力している。
「でもボイ星で、おもしろいものを発見しました。竜は一頭ではないのです、何頭もいるのです。微妙に角の長さや爪の長さが違ったり、指の数が違ったりしているのです。私のこの紋章は、角が二本で背中まで伸びていて、爪も鋭い、指は三本しかありませんが。ちなみにボイ星が祀っている竜神は、角は一本、しかもかわいらしいほど短い、爪もかわいい。ただ指は五本あるのですが。ですからてっきり私はボイ星の竜神はメスで私の方がオスなのかと思ったら、白竜様は全員女性だと言われました。ついでにメスオスなどと、神を冒瀆していると、シナカには酷く叱られました」
 あの頃の夫婦喧嘩と言えば、こんなところだった。ルカがあくまで神の存在を否定するのに対し、シナカは絶対的に竜神の存在を信じていた。
「ボイの人たちは、私が不器用なことは、誰に聞かずとも知っていたようです。この文様で」と、ルカはもう一度笛の竜を見せる。
「ペットが飼い主に似るように、民もその民を守護する神に似るそうです。指の足らない竜は、とても不器用なのだそうです」と、ルカは話をそこで切った。
 だが、クラークスはボイで竜の別の特徴も聞いていた。角が長く爪の鋭い竜は、気性が激しいと。
 あいつは見た目で得している。あんな少女みてぇーな華奢な姿をしているから、皆が騙される。あいつはとんでもねぇー食わせ者。あいつはおとなしくなんかねぇー。煮えたぎるマグマのような奴だ。
 ルカ王子の真の姿を知っているのは、カロルさんだけなのかもしれないと、クラークスは思いながら、
「ボイ星も、竜神を祀っているのですか」と問う。
「あの星は、ネルガルと違って水の少ない星ですから、水はとても貴重です」
 ネルガルには豊富な水と豊かな台地があった。だがここ数千年と続く民族紛争で、大地の大半は荒野となり他の惑星に食糧を求めざるを得なくなった。それが侵略の始まり。外に敵を作ったことで、一時的に民族紛争は下火になってはいるが。
 水神と言えば聞こえはいい。だがドラゴンのことである。ドラゴンと言えば悪魔、悪魔はイシュタル星。つまりボイ星はイシュタル星と過去に何らかの関係を持っていた。
「ボイ星は、イシュタル星と何らかの関係がありますね。その竜に関する書物も、全て古代ネルガル語で書かれていました。ネルガルに最初に使者として来たボイ人が、ネルガルの正式な言葉だと思って使ったのが古代ネルガル語でした。後にそれは悪魔の言葉だと知らされ、驚いたそうです」
「おそらく他の星人には、ネルガル人とイシュタル人は見分けがつかないのでしょう」と、クラークス。
 ネルガル人と姿の同じイシュタル人は、今や異星人を受け入れない王宮にも奴隷として入ってきている。姿が似ていることで使っていても違和感を持たないからだ。特に美しい少年や少女は、大人たちのよい遊び道具だ。
 そこへピクロスが他の王子や王女と共にやって来た。
「どこへ行かれたかと思いましたら、こちらでしたか」
 普段ルカに対して敬語を使ったことのないピクロスも、ジェラルドの手前敬語を使う。
「これはジェラルドお兄様もご一緒で、お花摘みですか」と、ピクロスが嘲ると、それに合わせるように他の王子や王女たちも蔑視するような笑みを浮かべた。
 ジェラルドは怯えたようにクラークスの背後に隠れる。
 ジェラルドのその姿を見てピクロスは苦笑する。こいつに玉座に座る能力はない。だが直系だ、生殖能力はある。それさえなければこいつを玉座に着けようと思う者はいない。自ずと俺たちの方へ玉座は転がり込んでくる。だがその前に、この目障りなハエを。
 リンネルが慌て走って来る。だがルカはそれを制止すると、
「何か、御用ですか?」と、ピクロスに問う。
「今度の遠征、一緒に来るのだろうな」
「陛下の前で約束いたしましたので、ご同行させていただきます」
「ではカスパロフ大佐によしなに言っておいてくれ。圧勝したいからな、それには是非とも大佐の協力が必要だから。わかったな」
「わかりました」と、ルカが答えると、
「それが目上の者に対する返事か」と、ピクロスは怒鳴る。
 ルカは仰々しく召使のように畏まると、
「畏まりました」と答えた。
 その時だった。何処で見ていたのかディーゼが走り込んで来ると、ルカとピクロスたちの間に割って入り、ルカを背後に庇うかのように仁王立ちになり両手を広げる。
「ルカお兄ちゃんをいじめる奴は、私が許さないから」
 言葉遣いが、どうやらルカの館の従者たちと会話をして学んだようだ。
「まぁ、奴だなんて、お下品な。女の子が使う言葉ではなくてよ」と、王女のひとりがたしなめる。
「ディーゼさん、友人は選ばれた方がよくてよ」
 だがディーゼはピクロスの前をどこうとしない。怖い顔で彼を睨み付ける。
 ルカがディーゼに止めるように促すが、ディーゼはガンとしてピクロスの前を動こうとしない。
 そこへディーゼの母親がやっと追いつき、息を切らせ、謝りながらディーゼを連れ出そうとする。
「お母さま、何故謝るの。私は何も悪いことしていないわ」
 ディーゼは母親のその態度に抗議する。だがまだ四歳の幼女が、母親の力に敵うはずもない。
「ルカお兄ちゃんをいじめる奴は、私が絶対に許さないから」と、捨て台詞を残すかのように母親に強引に手を引かれ、その場を去って行った。
 ディーゼがその場を去るや否や、ピクロスの平手が飛んだ。ルカはそれをもろに頬に受け、後ろへとよろめく。ルカが倒れる寸前にクラークスが受け止める。それを見届けたピクロスは、一歩踏み出すと今度はルカの胸倉を掴み。
「ピクロス!」と言う兄ネルロスの叫びも空しく、拳が振り下ろされた。
 だがそれがルカに当たるより早く、クラークスがその腕を押さえた。クラークスも武術の達人である。その気になればピクロスの腕の一本ぐらい軽くへし折れる。
「喧嘩は、いけません」
 喧嘩。やっと頭にのぼった血が引いたのか、ピクロスはルカから手を離すと、
「お前、あの子に何を教え込んでいる」
「私、何も」と、ルカはクラークイの腕の中から体勢を整え。
「嘘を付け! お前の入れ知恵なしであんな幼い子が、あんなこと言うか」
「きっと私達の悪口を吹き込んでいるに違いないわ」
「おとなしい顔して、影で何を言っているか知れたものではないわね」
 だがルカは、それ以上何を言われても反論しなかった。どうせどう言ったところで無駄だから。ピクロスの平手、受け止める気ならルカには受け止められた。だがそんなことをしたら、こんなことでは済まなくなる。
「喧嘩はやめましょう」と、クラークス。
「ジェラルド様が怯えておられますから」
 見ればジェラルドはクラークスの背後にすっぽりと隠れ、ぶるぶる震えている。
「ピクロス、止せ」と、言ったのはネルロス。
「ルカ、済まなかった。弟は少し血の気が多いもので。これにこりずに、今度の出陣には力を貸して欲しい」
 その頃にはリンネルも駆けつけて来ていた。だがルカからは来るなという指示が出ている。
 ルカはネルロスに軽く頭を下げると媚っこを引き引き、リンネルの元へ急いだ。彼をこの争いに巻き込ませないために。
「ねっ、その足、治さないの」と、王女の一人。
「治さないのは、俺たちへの当て付けか?」
 だがルカはそれには何も答えず、先程張られた頬を押さえている。透き通った白い頬にほんのりと赤く手の痕。だがルカはそれすら美しく見せた。白い肌とうっ血した赤みでピンクの頬紅を塗ったように。
「まったく、気位の高い奴だ、平民のくせに」と、ピクロスははき捨てるように言うと、そしてネルロスに対し、
「兄さん、どう言うつもりだ。何もあんな奴に頭を下げなくとも」
「ピクロス、少しは態度を慎め、ここは王宮だぞ、自分の館ではない」
 自分の館では下女や下僕を好き気ままに殴れるが。
「今度奴と会うときは戦場だ。戦場ならどうにでもなる」と、ネルロスは意味ありげなことを言う。
「でもまさか、生きて戻って来るとは思わなかったわ」
「ほんと、運の強い子ね」
「ほんとに、連れて行く気なの?」
 ネルロスの言うことは、逆を言えばルカにも言える。戦場なら、何があっても。
「ああ、奴の実力を見てやろうと思いましてね。かいかぶりもいいところだと言うことを、皆に知らしめてやる。どうせカスパロフ大佐が指揮を取っているに違いないのだから」
 彼の実力は本物だ。とクラークスは言いたかったが、そんなことを言って、これ以上彼の立場を悪くしてはと思い、黙った。その代わり、
「私達もそろそろ失礼いたします」と、怯えているジェラルドの腕を引きながらその場を去った。
 このことを早くルカ王子に知らせてやろうと思い。否、彼のことだ、既に気付いているのかもしれない。では、その策は。


 ルカは王宮のトイレの鏡の前に立っていた。
「この顔では、館に戻れませんね」
「申し訳ありません」とリンネルが謝る。
「あなたが謝る必要はありません。これは私の不覚です」
 ルカはハンカチを濡らし頬に当てるが、なかなか赤みが引く気配がない。こんな姿、トリスにでも見られたら一大事だ。
「赤みが引くまで、ハルガンさんの所へでも行って見ますか」
 何度か面会を申し込んだのだが、許可が下りなかった。だが近頃は貴婦人たちが出入りしていると言う、そろそろ許可が下りてもおかしくない。案の定、直ぐに許可が下り、収容所の一室へ通された。さすがは一流貴族たちを監禁、否、実質は軟禁しておく場所だ、独房とは言え平民のそれとは格段の差がある。リンネルなどきょろきょろして、
「これで収容所なのですか。私の家より立派だ」と、感心している。
 それでも窓には鉄格子が入り、牢屋という感じはする。
「こちらでお待ち下さい。ただ今お連れ致します」
 看守の態度も丁寧。これはハルガンの鼻薬が効いているからなのかもしれない。
 待つこと暫し、
「やぁ」と言って現われたのは、以前と何ら変わらないハルガンだった。ただし背後から看守が同行しているが、拘束具はいっさい付いていないようだ。
 テーブルを挟んでルカの真向かいに座ると、
「元気なようだな。シナカは、一緒じゃないのか?」と、ルカの背後にリンネルが控えているのを見ながら言う。
「王宮からの帰りですから」
「ああ、それでその頬っぺたか」
 ルカは慌ててピクロスに叩かれた頬を片手で隠す。
「ピクロスと喧嘩したんだって」
「喧嘩ではありません。一方的に」とルカは言いかけて、
「どうしてそれを?」
 つい先程の事だ。それをこんなに早く、しかもこんな収容所の中で。
「某夫人に聞いた、王宮の中庭でピクロスに殴られたんだって。かなりの音だったらしいぜ。ちなみにその夫人は、今俺の部屋に居る」
 正確にはベッドの上。
「昼間からですか」
 ハルガンのあまりにもラフな恰好をみれば想像がつく。
「ガキが、何想像してんだ」と、ハルガンはルカの頭を軽く小突いた。
 これがハルガン流の自分に対する挨拶。これ以上分が悪くなると靴が飛んで来る。
 別に。と顔を赤らめて俯くルカに。
「お前な、もう少し利口に振舞え」
「利口に振舞えと言われても」
 ハルガンはテーブルに体を載りだすと、
「お前な、お前は王子の中でも身分が一番低いんだぞ」
「そんなこと、今更あなたに言われなくとも知っております」
「知ってないだろう。身分が低いと言う事は、もっとせせこましく振舞うことなんだよ。お前は、堂々し過ぎるんだ。それでなくともその容姿、自分がどれだけ目立っているのか知っているのか? せめてジェラルどのようにびくびくこそこそと。もっともあいつは一番身分が高いくせに。まぁ、仕方ねぇーか、天然じゃ」
「ジェラルドお兄様のあれは、芝居です」
「芝居のはずねぇーだろー」
 ルカはむっとした顔でハルガンを見た。
 ハルガンはやれやれという頭を振ると、
「まぁ、芝居でも天然でもどっちでもいい。とにかく、あれを見習え。と言っても今更遅いか。まったくお前の態度は、でか過ぎるんだよ、華奢なくせに」
 ルカは黙り込む。
「まぁ、いつかはぶつかるとは思っていたが」
 ハルガンは片手で顎を掻くと、よりいっそうルカに顔を近付け、
「どうだ、いっそこの際、玉座を狙えば」
「ハッ、ハルガン!」
 ルカは驚いて椅子から立ち上がった。
「ハルガン、言って良い事と悪い事があります。次期皇帝はジェラルドお兄様です。彼以外に相応しい人物はおりません」
 やれやれとハルガンは椅子の背もたれに体を預けると、
「どうしてあんな馬鹿をそこまで買うかねぇー」と、ハルガンは呆れたように言う。
「それに私は、もうネルガルの王子ではありません。ボイの国王です。ボイの人々に認められてなったのですから、ボイを取り戻すためにはどんなことでもします」
「アホかお前は。既に存在しない王朝の国王になってどうする」
「ですから」
「ですからもくそもねぇー。取り返すよりもは乗っ取る方が簡単なんだ。お前がネルガルの皇帝になれば、ボイ星の一つや二つ、お前の一存で何時でもボイ人にくれてやることができる。そんなことも解からないのか、このアホ」
 ルカはむっとしてハルガンを睨むと、
「辛い思いをしているのではないかと会いに来てみれば」
「ベッドの相手も出来ないような奴に会いに来られてもなぁー。俺はちっとも慰めにならねぇー。それとも泊まって行くか?」
 その時だった。
「キングス伯爵、少し口が過ぎるのではないか」
 ルカの背後でむっつりと話を聞いていたリンネルが前に出てきた。
「じょ、冗談だよ、まったく。相変わらず冗談も通じないのか。こんな所にいると、妄想ぐらいしかやることないからな」
 そこへ、「お時間です」と看守。
「時間? そんなもの決めた覚えがないがな」
「失礼」と言うと、看守はハルガンに耳打ちした。
 ハルガンはニタリとして頷く。
「某夫人が待ちくたびれているそうだ」
 ハルガンは立ち出すと、
「じゃあな」と、手を挙げる。
「もう会うこともないかな、左遷が決まった」
 結局、ハルガンと言う智謀の持ち主を今の軍部で使いこなせるものはいない。よってネルガル星から数万光年離れている辺境の惑星に追いやった方が、ネルガル帝国としては安全と捉えたようだ。
「ネルガル軍ももったいないことをしますね。あなたの頭脳を女性の攻略だけに使わせるとは」
 ハルガンは大声で笑う。
「馬鹿だな、この銀河で一番攻略できないのが女性だ。女性に比べれば鷲宮など落とすのはたやすい。現に俺は、お前の母親には完敗した」
 あっ! と驚くルカを横目に、
「あの要塞を落とすにはそうとうなテクニックがいる。だがまだ俺は諦めたわけではない。カムイなどに比べれば、俺の方がずっと男前だと思わないか」
 ルカは呆れたような顔をする。
「まあご自由に、妄想に耽っていてください、時間はたっぷりあるようですから。ただ私が必要とした時に、使える程度に」
 ハルガンはニタリとすると、
「ああ、そうさせてもらうよ。その気になったら何時でも呼んでくれ、手を貸すぜ」
「その気にはなりません。時期皇帝は、ジェラルド様です」
「まあ、いい。それより、姫を大事にしてやれ。姫にはもう、お前しかいないんだからな」
 それは言われなくとも重々承知していた。
「大佐、後を頼む」と言うと、ハルガンは立ち出す。
「就任先が決まったら、連絡するよ。近くを通ることがあったら寄ってくれ」と、軽く片手を挙げて去って行った。
 王子の身ではそんな辺境の星まで来るようなことはないが、こいつは変わっているからな。



 討伐軍の編成が完了したのは、あの忌まわしい爆破事件があってから丁度半年後だった。正規軍を始め、各貴族の私兵軍との混合艦隊だ。一入植惑星を攻略するには多すぎるほどの艦の数だ。確かにこれなら数で押せる。しかし数だけで規律が取れているようには見えない。ルカはネルロス、ピクロスの二王子と同行し、マイムラー公爵の旗艦に乗船した。
 王子たちが指揮官たちの前に現れると、歓声があがった。特にネルガルでは高貴とされる朱色の髪に緑の瞳のルカ王子は、年は十二歳とは言えその美しさで他の王子に抜きん出ていた。色白で少女と見間違うほどの線の細さは男たちの胸をくすぐり、手の込んだ刺繍でかざられた軍服は、否応なしにそれを着ている王子の品格を高め、会議室内に女性軍人たちの溜め息がもれた。
「これは王子様方、どうぞこちらへ」と、艦とは思えないほど豪華な、まるで動く宮殿とも言えるような部屋の、また一段と豪華な王子専用に用意された席へと案内される。
「静粛に」と言う言葉と同時に、挨拶もそこそこにさっそく作戦会議が開かれた。スクリーンに映し出されたのはベルンハルト家所有の惑星。大きさはネルガル星にある月ぐらい。海より陸地の方が多いのだろう、どちらかと言えば赤茶色に見える。そしてそれを取り巻く六つの巨大軍事衛星と無数の小衛星。このセキャリティーを通過するには。
「数はこちらの方が断然多いのです。数で押せば」
「しかし衛星の火力は、艦のそれとは比べ物になりません。まして矮小惑星ほどもある衛星では、そこに据え付けられた火力もかなりのものだと思われます」
 ルカはその威力を正確に把握していた。なかなか軍事機密は漏洩しづらい。だが内部に密告者が居れば、ましてその密告者がその星の防衛を担当していたら、これほど正確な情報はない。フェリス・チャヴェスさんの組織は、かなり深くまで根を下ろしているようだ。
「では何かね、君は、これだけの数を持ってしても、あの惑星は攻略できないとでも言いたいのかな」
「そっ、そうは申しておりません、閣下。ただ」
「ただ、何かね」とマイムラー公爵に問われ、マイムラー公爵の参謀ローマンは黙り込む。
 彼が中将までに昇れたのは、この慎重がゆえ。
「どうやらこの期に及んで、ローマン中将は臆病風を召されたようだ」と、別の参謀が揶揄する。
 会議室が笑いに包まれた。笑わなかったのはルカとメンデス少将だけだった。
「これは戦争だ。戦争に血はつきものだ。それを恐れていては何もできない」
 そう言ったのはピクロス。
「そうだ。我々は仲間の仇を討ちに来たのだ。死を恐れてどうする」と、若い門閥貴族たち。
「このまま総攻撃あるのみ」
 歓声があがり拍手がわいた。
 彼らは決して前線に出ることはない。遥か後方に控え、勝利が決まる頃に表に出てくる。決して死ぬことはないからどんなことでも言える。
 貴族たちはその昂揚感に酔っていた。ただルカだけは。
 マイムラー公爵は出陣にあたって、軍部でのルカの噂を耳にしていた。こんな子供がと思いながらも、もしかするとカスパロフ大佐が何か入れ知恵をしているのかもしれないと思い、ルカ王子の背後で控えているカスパロフ大佐にさり気なく視線を送りながら、ただ辺りを静かに見回しているだけのルカ王子に声をかけた。
「ルカ王子、先程からお一言も、お言葉が御座いませんが」
 ルカはマイムラー公爵にそう問われて、ゆっくりと視線を公爵に移した。
 目と目が合う。
 美しい王子だとは聞いていたが、これ程とは思わなかった。これでは宮中の男どもが騒ぐのも無理はない。
「もう、許してやるという訳には参りませんか」
「許す?」
 ルカのあまりにも唐突な問いに、マイムラー公爵は驚いて答えた。
「そうです。これで相子ではありませんか」
 不思議そうな顔をするネルロス王子とピクロス王子に対し、マイムラー公爵は、ルカが言わんとすることを理解したようだ。
「どなたにお聞きになられたのか存じませんが、既に過去のことです」
 過去の事と言いつつも。
「別にあなたの過去をどうのということではないのです。ただどうして、ベルンハルト侯爵があなたの命を狙ったのかと思いまして。人の行動には必ず原因がありますから。原因がわからないことには和解もままなりません」
「和解!」と、周りの者たちがどよめく。
「許せと仰せでしょうか」
「無理でしょうか」
 おそらくマイムラー公爵も、理性ではわかっているのだろう。ただ感性がそれを許さない。
「このまま力で押せば、かなりの犠牲が出ます。せめてベルンハルト侯爵の首と引き換えに、一族の罪を許すということにすれば、この戦争は避けられます」
 何のかかわりもない平民が死ななくともすむ。
「ベルンハルト侯爵も、これだけの艦隊を相手に、勝てるとは思っておられないでしょうから」
 だからこそこの戦い、戦争になれば犠牲はうなぎ上りに出る。窮鼠猫を噛む、の例えのごとく、相手は死に物狂いだ。それに逸を以て労を待つ、とも言う。相手はこの半年の間、充分な備えをしてきた。それに対しこちらははるばる遠征をしてきた身だ。利は相手にある。勝てる。だがそれは、多大な平民の血によって。
「何でしたら、私が使者に立ちましょうか」
 それにはリンネルが驚く。マイムラー公爵も唖然とした顔をしてルカを見た。だがルカのこの提案に、真っ向から反対したのはピクロスだった。
「何を馬鹿なことを言っている。お前も臆病風をひいたか。これだから卑しい血の持ち主は困る。土壇場になって逃げ出すのだからな」
 ざわめき。
 ここは貴族でも特に高貴な血を引く者たちの集まり、混血はいない。まして平民の血を引き者など。
 この王子か、平民の血を引く王子とは。皇帝も、よく生ませたものだ。
 今までの眼差しとは眼差しが変わった。蔑視の眼差し、まるで汚いものでも見るような。
「そんなに怖いのなら帰ったらどうだ。お前のような腰抜けがいては士気が鈍る」
 自分で来いと呼びつけておきながら、公衆の面前で平民は帰れと嘲笑する。
 とんでもない。と口にはしなかったが内心思ったのはプロの軍人たちだった。
 使者に立つほど勇気のいることはない。まして相手は、死を目前にして殺気立っているのだから。
 プロの軍人の間では、今回の出陣をあまり快く思っていない。上流貴族のいがみ合いだ、俺たちには関係ない。できればさっさと片付けて本来の任務に戻りたいと。今銀河では、ネルガルに対抗する勢力が出てきた。それらの勢力が次第に脅威を持ちつつある。あまり大きくならない内に手を打たなければ。こんな所で内戦をしている場合ではない。戦わずに済むならそれに越したことはない。できるだけ本来の敵のために兵力は温存しておきたい。
「勝てる戦を、わざわざ引き分けに持ち込むことはなかろう」
「そうだ、ルカ王子。それでは我々の高貴な気持ちが納得いたしかねます。私は弟を殺されておるのです」
 我が弟の命は、平民の数万の命に匹敵するとでも言うかのように。
「私は、妻を」
 そうだ、そうだと歓声があがった。そういう者たちがこの戦いに参戦している。もう既にこの戦いは、マイムラー公爵だけの復讐戦ではなくなっていた。
「マイムラー公爵とベルンハルト侯爵の間に、何があったかは存じぬが、我々の恨みはどうなるのだ。これは復讐戦なのですぞ、ルカ王子」
 復讐は復讐を呼ぶだけだ。とルカは言いたかった。だが口には出来なかった。
 マイムラー公爵の旗艦での会議は、何の策もなくただ戦う、仇を討つ、の一点張りで終わった。
 ルカは大きく溜め息を吐くと、会議室を後にした。自分のために宛がわれた部屋に戻ろうとしたところで、メンデスと会う。どうやらルカがここを通るのを待っていたようだ。
「先日は、部下たちがいろいろとお世話になりました」
 世話? とルカが怪訝な顔をすると、
「見舞ってくだされたそうで」
「ああ、そのことですか。それでしたら私の方こそ、詫びなければなりません。私の作戦のミスで、あなたの大事な部下を負傷させてしまったのですから」
「あれが、作戦のミスですか」
 これ以上ない大勝利だと思っていたのだが。
「本来なら、戦わないのが一番よいことなのです、話し合いでどうにかすることが、言葉はそのためにあるのですから」
 これが人を人たらしめるもの。噛み付き合ったのでは犬や猫と何ら変わりない。
「そっ、そうですね」と、メンデスは黙り込んでしまった。
 確かにそうだが、それが出来れば軍隊などいらない。
 暫しの沈黙の後、話題を先程の会議に戻す。
「何も、仰らないのですね」と、メンデス。
「今の私には何も言えません。マイムラー公爵のお気持ちもわかるからです」
 ボイ人に戦い方を教えているのは、ボイ星をネルガル人の手から奪還するためなのだろうかと、それより義父母の復讐のためなのではないだろうかと。マイムラー公爵の復讐に掛ける思いを目の当たりして、ルカにも自分の気持ちがわからなくなってきていた。奪還とは建前で、本音は復讐、そんな気がしてならない。ルカはその思いに至ってはっとした。
「どうなさいました?」と、リンネル。
 あの時ピクロスたちに否定されて責める気になれなかったのは、ここら辺に根がある。
「いいえ、何でもありません」と、ルカは自分の心の底の思いを打ち消すかのように首を振る。
「マイムラー公爵は、この機会を数十年間と言うもの、待ち続けていたのでしょうね」
 復讐のために生きていたのかもしれない。
 メンデス少将もマイムラー公爵とベルンハルト侯爵のいざこざは耳にした事がある。それを知っていたからこそ、ルカ王子のその言葉を聞いて、背筋に寒気を覚えた。人の怨。ルカ王子から思っても見なかったことを聞かされた。だがメンデスが聞きたかったのはそのことではない。
「殿下のことです。ピクロス王子にあのようなことを言われて」
「あっ、そちらでしたか」
 自分に関する誹謗中傷はまるで気にしていたいご様子。
「彼の言うことは間違っておりませんから、確かに私には平民の血が流れております。それをどう感じるかは、感情の問題です。例えば、私が青い色が好きで、あなたが赤い色が好きだとしましょう。私はあなたに赤い色が好きなのはおかしい。とは言えません。それはその人の感性の問題ですから」
「そのようなものなのでしょうか」
「たぶん、そのようなものだと思います。青より赤が好きな母に育てられれば、私も赤が好きになっていたでしょう」
 ルカが青が好きなのには意味がある。ただ、まだルカがそれに気付いていないだけで。
「つまり環境です。彼のせいではありません。私もピクロス王子のように育てられれば、今とは違った考えを持ったかもしれません」
 自分に平民の血が流れていなければ。
「それより、名乗りをあげたそうですね、私の指揮下に入ると」
 あの後ピクロスは、ゲリュック群星の英雄にもう一度指揮を取ってもらおうではないか。などと言い出し、艦隊の一部をルカに与え指揮を取らせるように計らった。それに名乗りを挙げたのが、メンデス少将率いる第6宇宙艦隊だった。ゲリュック群星でも一緒だったので気心が知れているということで。
「囮にされますよ、おそらく。否、囮どころか見捨てられるかもしれません」
「だが、あなたはお引き受けになられた。あなたが何の策もなくお引き受けになられるとは到底思えませんので」
「それはかいかぶりです」
「そうでしょうか」
 メンデスは暫し黙り込んだ後、
「実は、部下たちが、是非とも殿下にお礼がしたいと申すものですから。失礼ながら、殿下と他の王子との経緯は耳にしておりましたもので、何かのお役に立てればと思いまして、今回の討伐軍に参加したしだいです」
 ゲリュック群星、ルカが終戦後しばしあそこに滞在していたのは、戦後処理ということもあるが、どちらかと言えば負傷者の収容が目的だった。撃沈された艦からシャトルで脱出した者たちの収容。これは敵味方なく行われた。ルカは去り際にもゲリュック群星の人々に頼んでいた。まだ浮遊している者がいたならば、敵味方、生死に関わらずネルガルへ送り届けて欲しいと。それなりの謝礼はお支払いいたしますから。だがゲリュック群星の人々は謝礼を受け取らなかった。恩は義で返すというところなのだろう。我々のために戦ってくれたのだからそのぐらいのことはと言って。あれからも百人以上の人々が手厚い治療を施され送られて来た。中には、あのまま見捨てられていたら死んでいたという者もいる。
「実は私も本音を言わせてもらいますと、あなたの艦隊で助かりました」と、ルカ。
 第6宇宙艦隊は規律の取れている艦隊だ。この艦隊なら、危険を伴なうがうまく行くだろう。
「お茶でもいかがですか」と、ルカはメンデスを自分の部屋へ案内した。
 ルカとメンデスがソファに座るタイミングを見計らってでもいたかのように、ホルヘがお茶を運んできた。
「ボイの方もご一緒だったのですか」
「本当はあまり連れて来たくなかったのです、身内の恥をさらすようで。それに危険でもあるし」
 ルカにとっては後者の方が重大だった。
「ですが、私達を連れて行けないほど危険な所へ行くとなると、シナカが心配するというので、それで仕方なく」
 この人らしいと思いながら辺りを見回す。侍女はお連れにならなかったのだろうか。他の王子は身の回りの世話をさせるために数人の侍女を、王子どころか貴族ですら連れて来ている、これから戦争をするというのに、まるでピクニックにでも来たような感覚だ。しかし、それにしても豪勢な調度品だ。マイムラー公爵がいかに気張ったかが思い知れる。そしてメンデスは花瓶に目が留まった。本来なら格式ある花が生けられるはずの花瓶に雑草が。
「矢車草ですか」
 ルカは恥ずかしそうに照れ笑いすると、
「縁起を担ぐわけではないのですが、館の者たちがお守りになるから持って行けときかないもので」
 母の村では神の花として讃えられている。神が好きな花だそうだ。
「私が好きだとされている花です。確かに嫌いではありませんが、これも一種の環境、否、洗脳と言ってもおかしくありません。事有ることに母からそう言われ続ければ、嫌いなものも好きになります」
 メンデスにはルカの言い方がおかしかったと見え、微かに笑みを浮かべる。
 この方には、我々には到底及ぶ事のできぬほどの高貴な血が流れている、神の血が。
「貴族たちはあなたに平民の血が流れていると毛嫌いますが、神は、あなたの中にどんなに高貴な貴族の血が流れていようと、やはり人の血が流れていると仰せになり嫌うのでしょうか」
 ルカは苦笑する。
「あなたも、あの噂を。あれこそもう、過去の遺物です。あなたはとても知的で理性的な方ですので、あのような噂には左右されない方だとばかり思っておりましたが」
 メンデスも苦笑した。
「軍人を職業としていますと、全てをかなぐり捨てて神に助けを求めることもあります」
 ここに至るまでには、そんな戦いもメンデスは経験していた。今回もそれに近い戦いになるだろう。あなたが神であってくれればと思うほどの。
 ルカは苦笑すると、
「確かに、そうですね」
 神を信じないルカでも、ボイでの戦いでは幾度と無く神に祈った。願いは届けられなかったが。
「常日頃信じていないと、その時ばかり願っても駄目なようですね」
 そんな静かな会話の中に、いきなり。
「まったく、自分の主の部屋に行くのに、何だって詰問されなきゃならねぇーんだか」
 トリスの声。
 ルカはやれやれと言う顔をしながら、
「トリスさん、どうかしたのですか」
「あっ、お前、戻って来ていたのかよ」と言うと、ルカの前に座り、
「クリス、水!」
 クリスは言われた通りに水を持って来た。
 トリスはそれをあおるように飲むと、いっきに噴き出す。
「ばっ、馬鹿。水じゃねぇーか」
「だって、水っていいましたから」
「俺が水って言えば、アルコールに決まってんだろうが」
 クリスが戻ってアルコール飲料水を持って来ようとした時、
「クリスさん、アルコールは抜きですよ」と、ルカ。
 トリスはジト目でルカを見る。
「既に、入っているではありませんか」
 クリスがどちらの命令を聞いていいか迷っていると、ケリンがいきなりトリスの目の前にドンと水のジョッキを置く。
「少し頭を冷やせ、なんなら頭から飲ませてやるぞ」
 仕方なくトリスはそのジョッキをあおると、
「これが落ち着いていられるかよ、ピクロスの野郎、俺たちを囮にするつもりだぜ。俺、聞いちまったんだよ、展望室で。それを知らせようとここへ来てみればお前は会議室だと言うし、だから会議室の廊下で待っていれば、何時になっても出てこねぇーから。戻ってみれば、お前、どうやってここへ来たんだ?」
「賓客には、特別な通路があるのです。一応私も、その中に入れてもらえましたから、話しておきませんでしたか?」
 あっ。とトリスは思い当たった。それから大きく顔の前で片手を振ると、
「駄目だあそこは、俺、通してもらえなかった」
 さもありなん。と、誰もが納得した。あそこの通路は護衛が特に厳しい。マイムラー公爵の側近たちが固めている。
「それより、どうするんだよ」と、前に乗り出すトリス。
「どうしましょう」
「どうしましょうって。だから俺は反対したんだよ。そんな誘い、断っちまえと。王宮で取れない仇を、ここで取ろうとしているんだ、あいつ等は」
「仇って、私は何も恨まれるようなことは」
「お前は、いるだけで恨まれるんだよ、美しいから。見ろ、奴等の蛆虫みてぇー恰好を」
 ネルロスもピクロスも決して醜くはない。どちらかと言えば美男の方だ。ただそれ以上にルカが。
「とにかく、あいつ等の狙いはお前なんだ。はなからそれを解かっていて、のこのこ出てくるんだから」
「だから言ったではありませんか、今回は危険だから、付いてこなくてもよいと」
「あのな、俺が付いてきたのは、貴族を公然と殺せるからだよ」
 はっ? と言う顔をするルカに。
「ダニも繁殖しすぎると、宿主を弱らせるからな。ここら辺で大規模な駆除をしておかないと」
 ルカはトリスの言い様に呆れたような顔をすると、
「ダニですか。では、汚らわしい者の血(平民)を引き、寄生虫の血(貴族)を引く私は、一体何者なのでしょうね」と、問う。
 トリスは、トリスにしては珍しいほど真面目な顔をして、
「お前は竜だろう。竜の血を引くとボイ人たちが言ってじゃねぇーか、なぁホルヘ」
 いきなり振られたホルヘは、どう反応してよいか迷った。
「ではつまり、私は化け物ですか」
「そうだろう。だいたいその脳味噌は、人間離れしてるだろーが。神でなければ化け物ってとこか。まあ俺にしてみれば、どっちでもいいことさ。神も化け物も、人間でないことだけは確かだからな。俺は、人間にだけは仕える気はないから。ところで、どうするんだ」と、トリスは話題をもとに戻した。
 命令を出してもらわないことには動きが取れない。そろそろ艦の中で貴族相手のいかさま賭博をするのも飽きた。金の亡者どもめ、こうも餌に簡単に食いつくようじゃ、面白みもねぇー。まあ、当面の小遣いは稼いだし。
「策は、ありません」
「えっ!」と、トリスは驚く。
「策はありませんって、まじかよ」
「マイムラー公爵が、どのような手を使うか解からない限り、策の立てようがありません」
「あのな、囮に使われるのは確かだ」
「私と心中では嫌ですか」
「そっ、そりゃー、お前となら」と、トリスは言いかけ暫し黙り込んだかと思うと、いきなり大きく首を振り出した。
「いけねぇー、いけねぇー。そんなことしたら、あの世に行ってからレスターの兄貴に八つ裂きにされる。死んでからまで痛てぇー思いしたかねぇーからな。レスターの兄貴に顔向けできねぇーようなことは、したかねぇー。本当に、策、ねぇーのか」
 ねぇーならねぇーで、何か小細工を考えないと。少なくとも囮にされるようなことだけは。トリスも策士だ。ただルカに比べればその規模ははるかにはるかに小さい。
 メンデス少将は、この二人のからみを楽しそうに見ていた。
 化け物という言葉に、これほど嫌悪感を持たせないのは、彼の話術のせいだろうか。悪意のない言葉は、こんなにもあっさりと聞き流せるものなのですね。トリスとの会話を楽しんでいるルカの姿を見て。人には仕えないか。この方の傍にいる人々は皆そうなのだろう。ありふれた人間に膝を屈する気は毛頭ない。キングス伯など、その第一人者だ。決して人に仕えるような人物ではなかった。それをこの方はいとも容易く使いこなした。そこら辺が、クリンベルク閣下が恐れる所以。仲間になれるようなら仲間になって、彼の者の心底を探ってほしい、どの辺りに本意があるのか。そう言いながら閣下は苦笑する。ミイラ取りがミイラにならぬようにな、と。
 メンデスが思いに耽っている間に、話題は本筋に入っていた。

「そのことですが、用意は整ったそうです」と言い出したのはケリンだった。
「先程からのお話では、我々はあなたの艦隊で戦うことになるようですか?」と、メンデスに問う。
「そういうことになります。近いうちに私の艦にお越しくださって、全指揮権を殿下に一時的にお譲り致します。ただ、このような豪華な部屋は用意しかねますが」
「部屋などどうでもかまいません。空き部屋で結構です。それよりコンピューターを自由に使わせて欲しい」とルカ。
 こちらの方が重要。ケリンもそれを望んでいる。この艦では平民であるケリンは、思うように動けない。
「それでしたら情報主任に」
「よろしくお願いします」と、ケリンは頭を下げるとルカの方に向き直って、
「殿下、そうと決まれば早い方が。会戦になる前にコンピューターの方を立ち上げたいと思います」
 部屋を用意してからと思っていたメンデスは困った。
「部屋はあまり気にしないで下さい。暫くはコンピューター室にケリンと寝泊りしますから」
 やはりこの方は、既に策を講じておられる。
 とりあえず、ケリンだけでも先に。と言うことで、ケリンは全ての荷物をまとめて、メンデスと共に彼の旗艦へと移ることにした。
 気の早い奴だ。とトリスが思っていると、
「トリス、手伝ってくれ」
 トリスは、はっ! と言う顔をするや否や、
「何で俺が、おめぇーのパシリをしなきゃーなんねぇーんだ。やなこった」
 トリスの拒否する態度を見たルカは。
「トリスさん、手伝ってやってください」
 トリスはギイギイギイーとルカの方に顔を向ける。トリスの顔はあくまでも不満げだったが、ルカに頼まれては仕方がないとしぶしぶ引き受けた。
「では、善は急げ」と、ケリンは立ち出す。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ、その前に」
「まだ何か他に文句がいいたいのか?」
「そんなんじゃねぇー、ロン、ロンはどこだ?」と、部屋中を見回してロンの姿を探すトリス。
「ロンさんでしたら、入り口のところに居ましたよ」と、クリス。
「何で、そんなところにいるんだ?」
「見張りだそうです」
「見張り?」
 トリスは暫し首を傾げていたが、
「呼んで来い!」と、怒鳴る。
 クリスはトリスに怒鳴られ、慌ててロンを呼びに行った。
 ロンが顔を出すや否や、
「お前、扉など護衛して、どうするんだ」
「扉の護衛?」
 ロンが不思議そうな顔をすると、
「護衛ってぇーのはな、守りたい奴の傍に居るのが一番なんだ。わかったか、このアホ」
 だがそこで引き下がるロンではなかった。
「じゃ、お前は今まで何処に居たんだよ、護衛の任すらすっぽかして」
「俺が任務をさぼっていたとでも言いたいのか?」
「ああ、言いたいね」
 トリスはむっとすると、
「偵察だ、偵察」と、怒鳴る。
「いかさま賭博がか?」
 トリスが貴族相手に小遣いを稼いでいるというのは仲間内でのもっぱらの評判だった。
「ああ、どの貴族が俺のオヤビンに反感を持っているか、調べていたところだ」
 トリスはトリスのやり方で、貴族の仕分けをしていたようだ。
「かえって、敵を増やしたのではないのか」と、ケリン。
 メンデス少将がルカの部屋を去るにあたり、ルカは部下の非礼を詫びる。
「おもしろいペットを飼っておられますね」
「おかげで毎日が飽きません。実は私は、こう見えて、賑やかなのが好きなのです」
 メンデスは意外だ。という顔をする。
「そんなに意外でしたか」
「これは失礼いたしました。あまり顔に出さぬよう気をつけておりますが、ここの雰囲気に心地よく酔ってしまったようです」
 一時の緊張感のほつれ。
 この方の部下たちに対する態度。部下の喧嘩腰のような会話を寛大な抱擁で見守っている。おそらく部下たちもこの方の琴線を知っているのだろう。それに触れさえしなければどんな態度を取っても許されることを。だから彼らは主の前で堂々と振舞えるのだ。



 六つの巨大軍事衛星に守護された小惑星。
 結局、数回の軍事会議の結果はこれと言った策もなく、数に物を言わせた力攻めということになった。
「こんなやり方で、落とせるのかよ」と、トリスは呆れるように言う。
「あいつら、本当に戦争したことあるのか。三歩も走れば、敵を追い詰めるどころか自分が息切れして動けないんじゃないか」
 門閥貴族たちの肥え太った体。おまけに戦場に身の回りの世話をするだけではなく、夜伽の女まで連れて来ている。
「まったくこの艦隊は、いつから豚の飼育所に変わったんだ」
「そうですね」と、思わずメンデス少将の幕僚たちも相槌を打ってしまった。
 あまりにもトリスが、今まで自分たちが心の中でくすぶり続けていたものをずけずけと口にするものだから。
「我が司令官に指揮権を与えてくだされば、もっと策を講じてから出陣したものを」
 堅固に守られている星を攻めることほど愚かな行為はない。
「この空域は、ネルガル正規軍艦の残骸で埋め尽くされることになるぞ」
 死ぬのは俺たち、奴等ではない。
「奴等はさっさと尻尾を巻いて逃げていくというわけか、奴等は、ここで屠殺されれば国民のためになるというのに」
「トリスさん、口が過ぎます」
 トリスたちがそんな無駄話をしている間も、ケリンは艦橋の片隅で必死でコンピューターと戦っていた。
「よし、OKだ。回線は開いた。攻撃地点を知らせて欲しいと」
「それはまだ、親分が帰ってこないとな」
 今、最後の打ち合わせでマイムラー公爵の旗艦に集まっている。

 そこでルカには正式に、メンデス率いる第六宇宙艦隊以外に数個の艦隊を与えられた。それで自分の思うところを突けと。つまり先陣を切れということだ。
 ルカの作戦はこうだった。この星は自給自足の惑星ある以上、包囲して兵糧攻めにすることは出来ない。ならば直接ベルンハルト侯爵の館のある都市を突くのが一番。確かに警護は何処より厳しいだろうが、それらを内部から破壊することができるのなら、これ程勝利への近道は無い。犠牲も少なくて済むはずだ。
 ルカはこの討伐軍の総司令官であるマムラー公爵に敬礼する。
 マイムラー公爵もそれに敬礼で返すと、ルカの背後に控えているメンデス少将に、
「くれぐれも殿下の身の安全を」と、指摘する。
 メンデス少将も少将で、
「私の命に代えても、殿下をお守りいたします」と誓う。
 形式的な挨拶だ。先陣に身の安全などというものはない。あるのは功労のみ。そう思いつつもルカは二人の挨拶を黙って聞いていた。これが大人の世界。
 ルカの後にメンデスが従う。その後にルカの旗下に指示された提督たちが続き会議室を後にした。だがメンデス以外の者たちの顔には不安の色がありありとしている。それも無理はない。今までの作戦会議は、作戦会議とは名ばかりで、ベルンハルト公爵の誹謗中傷ばかりで作戦に関わるようなことは何も議論されていない。この討伐軍の大半は、軍人とは名ばかりでデスクワークがおもな戦場に出たことのない門閥貴族ばかりだ。ここは鷲の宮のサロンではない。こんな事で本当に戦えるのか。と軍人たちは叫びたかった。
「これで戦えということでしょうか」と、メンデスはルカに耳打ちする。
 この人数で。そう勢力の半分にも満たない。
「そういうことでしょうね」と、ルカはあっさりと答えた。
 ルカは最初から門閥貴族の艦隊を当てにはしていなかった。ルカにとってはかえって今の状況の方がありがたい。少なくとも今ここに居る者たちは戦闘の経験がある。数は少なくとも烏合の衆よりましだ。
 では残りの艦隊は。とメンデスは問いかけたかったが、答えは聞くまでも無い。彼らは後方で構え、戦況を見て勝機があれば加勢する。なければ、見捨てられるか。

 通路の途中でロンに会う。
「待っていたのですか」
「別に、そういうわけではない」と、ロンは惚けて見せたがその態度はありありとしている。
「あまりトリスさんの言うことを気にしない方がいいですよ。護衛はリンネルさんだけで充分ですから」
 現にルカの武術の腕は、足を悪くしてからもリンネル以上だ。
 ロンは軽く苦笑すると、
「あんな奴の言うこと、いちいち気にしていたら、とーの昔に首くくってますぜ」
 では、何故。と問うルカに、
「奴の言う方に一理あると思ったからさ」
 あくまでも自分の判断、トリスは関係ない。
 護衛が二人も付けて歩くのではうっとうしい。
「断っても無駄ですね」
「無駄だと知っているなら、言わない方がいい」
 ルカはやれやれという顔をした。
 ロンはルカの背後にいる顔ぶれを見る。既にケリンから使えそうな艦隊のリストはもらっていた。
「これだけで、戦えってか」
 ルカは苦笑する。
「トリスがいなくてよかったな。奴がいたら今頃、会議室に殴り込んでいるよ」
「ケリンさんが名指しで彼を連れて行った意味が、今わかりました。助手にするならクリスさんの方がよっぽどよいのではと、先程まで思っておりました」
「ちげぇーねぇー」と、ロンは笑う。
 ただの一兵卒が、これ程までに王子と親しく会話を交わす姿を見て提督たちは驚く。いくら平民の血を引く王子とは言え、やはり王子は王子、彼らは二歩も三歩も下がって言葉をかけていたのだ。
「ケリンからの伝言だぜ、首尾は上場、ポイントを教えてくれと」
「いわずもがでしょう」
 ロンは親指を立てると、
「じゃ、二号機と三号機でいいんだな」
 ルカは頷く。
 ロンはおもむろに腕の通信機を開けると、
「作戦開始だ」とケリンに告げた。
 それを最後にルカは黙って俯いて歩き出した。作戦でも練っているのだろうか、こう言う時のルカには、リンネルですら声を掛けるのをためらう。黙々と歩くうちに艦へ移動するためのシャトルが止めてある格納庫へ着く。そこで初めてルカは顔をあげ、提督たちに振り向いた。
「今から三時間、時間を与えます。兵士たちに充分な食事と休養を取らせてやってください。三時間後に出陣します」
「出陣と仰せになられましても、何の策もなく」と、一人の提督が言いかけた時、
「六つの衛星の内、二つを破壊します。方法は私に任せてください。陣形は」と、ルカは提督たちの顔を見回し、
「ちょうどよいですね、この隊形で並んでください」
 あっさりとした指示だった。ゲリュック群星の時もそうだったが。あの時はブーイングが湧いたぐらいだったが、さすがに今回は艦隊の質がいい。疑問は抱きつつも軍人らしく面と向かって文句を言う者はいない。
「以上です」と言うと、不安そうな提督たちを残し、ルカは媚っこを引きながらメンデスの軍旗の描かれているシャトルへと歩いて行く。
 メンデスはその後姿を目で追いながら、
「信じるに足りる方です。ゲリュック群星の時もあっさりした指示でした、これで勝てるのかと思えるほど。全てはあのお方の頭の中にあるようです」
「カスパロフ大佐は、彼が指揮を取っていたのでは?」
 メンデスは軽く首を横に振ると、
「ボイ星の乱から、殿下が指揮を取られていたようです」
 提督たちは信じられないという顔をした。少女と見間違うほどの線の細い少年。外見で人を判断するのは良くないことだと知りつつも、花園で読書でもなされていた方がよっぽどお似合いだ。

 その様子を、ネルロス兄弟が格納庫の控え室の窓から眺めていた。
「生意気に、指示など出して」と、ピクロス。
 自分が初陣の時、侍従武官の言うことも聞かず、指揮官気取りで指示を出し酷い目にあったことを思い出す。
「カスパロフ大佐のことだ、人前では奴に恰好を付けさせ艦隊に戻れば大佐が指示を出すのだろう」
 ピクロスの侍従武官は何も言わず、彼の背後に控えている。こちらの主はルカのように気安く口を聞ける相手ではない。問われたときのみ答えるのが常である。
 ピクロスは侍従武官の方に振り向くと、
「お前だったら、どうする?」
「私だったら一番手薄そうなところを突かせます。都の真上だけは避けます」
 ここは巨大軍事衛星だけではなく、大小さまざまな衛星が集結している。例え巨大衛星を破壊できたところで、地上に到達するまでにはかなりの衛星を破壊していかなければならない。それこそ膨大な犠牲が出る。
「まあ、好きにやればいい。突破出来ようと出来まいとあまり関係はない。どちらかと言えば、奴が死ぬことにこそ、意義がある」
「ピクロス!」と、ネルロスが弟の言葉を断った。
「しかし親父も、どうしてあんな平民の血を引く子供など生ませたのだか、尻拭いするこっちの身にもなってもらいたいものだ。月に一度、あんな奴と一緒に食事を取るかと思うと、どんな料理が並んでも汚くて食欲もなくなる」
 そう言うビクロスをネルロスは鼻で笑うと、
「そういうお前だって、随分平民の娘を相手にしているそうではないか」
「兄さん、知らないのですか、奴等は金さえ握らせれば直ぐに裸になり、どんなことでもするのですよ」と、下卑た笑いを浮かべる。
 それで殺してしまうこともあったが、それでもスラムに行けばいくらでも娘は買えた。現に今回も平民の娘を数名連れて来ている。ルカに当たれない分、彼女らに当たって憂さを晴らすのだ。


 シャトルの中でルカはメンデスに礼を言う。
「ホロしてくださって、ありがとうございます」
 メンデスは微かに笑みを浮かべると、
「殿下は少し、お言葉が少なすぎるかと。もう少しご説明をなされた方が、提督たちも安心することでしょう」
 ルカは苦笑すると、
「今の私では、まだ何を言ったところで無駄でしょう。それらを裏付けるほどの実績がありませんから」
 これがクリンベルク将軍なら、一声で誰もが従う。

 ルカはメンデスの旗艦に着くや否や、
「ケリン、状況は?」
「今のところ、何の通信も入っておりません。おそらく察知されないために、あえて通信を断っているようです」
「そうか、成功を祈るしかないな」
 ルカは暫し黙り込むと、
「ケリン、休めるようなら休め、三時間後には出陣します」
 ケリンは両手を軽くあげ肩をすくめると、
「戦闘が始まったら休ませてもらいます。それより殿下こそ、今のうちに少し休まれた方が」
 ルカは戦闘に入るとほとんど食事も睡眠もとらないのは、今までの経験から誰もが知っていた。
「そうだよ、少し休んでくるといい、後は俺たちに任せて」と、ロン。
「ロン、お前等もだ」と、ケリン。
「クリス、トリスと代わってやってくれ。ここは俺とクリスだけでいい。他の奴は全員休め。ホルヘ、殿下のことを頼む。大佐も休んでくれ、何かあったら連絡する」
 ケリンは皆を艦橋から追い出すと、コンピューターの前に寝袋を広げ、
「俺も少し休む。通信が入ったら教えてくれ」
「わかりました」と、クリスがケリンと代わってコンピューターの前に座った。
 メンデスはケリンたちの動きを見て、既に戦争が始まっていることを察した。我々も出遅れるわけにはいかない。メンデスは急いで部下たちに交替で食事と仮眠を取るように指示する。


 三時間後、所定の空域に艦隊が集まった。
「たったこれだけか」と、メンデスの幕僚。
 一惑星を攻略するというのに、出撃した艦隊の半数にも満たない艦隊の数を見て、メンデスの幕僚たちは失望した。マイムラー公爵は何をお考えなのかと。戦争を知らないにも程がある。
 ところがトリスは、それらの艦隊の軍旗を見て、
「こりゃ、おもしれぇー。これでやっと陣形が整うというものだ。これだけいりゃ、充分だぜ。かえってあんな奴等、居ないほうがいい。足手まといになるだけだ」
「足手まといならまだ許せる。足など引っ張られたときにゃー、味方でも砲撃してやる」と、過激なことを言うのはロン。
 この二人、怖いものを知らない。
 なんかあの二人、一緒にしておくのは不味いのでは。

 全艦揃うのを見て、ルカは出撃の下知を飛ばした。私に続け、と。
 ところがこれにストップをかけたのは、第5宇宙艦隊のアボリナ中将だった。
『僭越ながら殿下、殿下にもしものことがありましたら、この艦隊はどうなるのでしょうか。願はくば、殿下には我々の後方にお控えられ、ここは我々に任せていただきたい』
「アボリナ中将。お言葉は有難いのですが、巨大軍事衛星の主砲が発射されれば、何処にいても同じです」
『しかし』とアボリナは言い、少し考え込む。
 子供に言っても話が進まないと思ったのか、
『メンデス少将をお願いしたいのですが』
 ルカはメンデスの方に通信権を渡した。
「何でしょうか」
『君の艦隊を、後方に下げてくれ』
「少し待ってください」と、会話に割って入ったのはルカ。
「それでは戦況が見えません」
 だがアボリナは譲ろうとしない。えらの張った意志の強そうな顔でスクリーンの中から睨めてくる。
「では、中央より前と言うことで妥協します」と、ルカの方が折れたのだが、アボリナは返事をしない。
 ルカもこれ以上折れる気はない。
「私はこれ以上は譲れません」
 ルカも唇をぐいと結び、アボリナを睨み付けた。暫しの睨み合い。先に顔を崩したのはアボリナの方だった。
『解かりました殿下、それでは中央より少し前ということで。それ以上の前進は認めません。メンデス少将、殿下を頼みます』
 あの瞬間、二人の間には何らかの意思疎通があったようだ。
「アボリナ中将、ゆっくり前進してください、射程内にははいらないように」
『畏まりました』
 ルカたちの艦隊は徐々に惑星へ接近し始めた。
 ある程度の距離をつめても、惑星の方からは一つの艦隊も出撃してこない。
「どうやら彼らは、艦隊戦より要塞戦をお望みのようですね」
「よほどこの軍事衛星に自信があるとみえる」と、トリスが舌打ちする。
「ケリン、まだ連絡は?」
「まだだ」
「もう少し、スピードを落としますか。このままでは諸に巨砲の餌食になってしまいます」
「そうだな。奴さん、こっちのコンピューターで自由にアクセスできるようにするなんて自信満々だったが、それが出来ないならせめて破壊してもらいたいものだ」
 相手の持ち駒を自分のものにできるのなら最高だが、できないのなら破壊してもらわなければ。などと思っていたら、コンピューターがいきなり動き出した。
 画面に何かのプログラムを映し出す。
「パスワードだ」
 ケリンはパネルを操作し始める。
「ダウンロード完了、始動させます」
 一体これで、何が動き出すのか。
 動き出したのは巨大第二軍事衛星の主砲。それと同時に第三衛星が爆破炎上した。
 艦内に動揺が走る。
 それを見て取ったルカは、全艦隊に通信を入れた。
「どうやら、工作員が勝利を収めたようです」
 誰もがルカの言葉に驚いた。あの会議では何の策もないように思えたが、既にこんな手を打っていたとは。
「だから殿下は、中央突破を強調していたのですか」と、メンデスの幕僚。
「あのな、俺のオヤビンが、策もなく無謀なことをやるわけないだろーが」
「トリス、代われ」と、ケリン。
「後はお前の出番だ」
「俺の?」と、トリスは自分のことを指差しながら首を傾げる。
「砲術士だろう、第二衛星の巨大主砲を自由に操れるぞ」
 ケリンの前のスクリーンは、第二衛星の砲台から見た宇宙を映し出していた。アボリナ率いる第6宇宙艦隊がじわじわと接近してくる様子が見える。
「おい、こっち向けて撃つなよな」とロン。
 パネルの上で指をスライドさせると、スクリーンの映像が変わった。主砲が向きを変えたのだ。
「なるほど」と、トリスは納得すると椅子に座り直し、本腰を入れる。
「アボリナに伝えてくれ、道を開けてやるからと。それと主砲の前にいる艦に退くように言ってくれ。行くぞ」
 トリスは回りにある小型の軍事衛星に主砲の照準を合わせた。
「行け!」
 次々に軍事衛星が破壊されて行く。さすがにベルンハルト侯爵領の人々も、自分たちの兵器に攻撃されるとは思っても見なかったようだ。それに関する備えは皆無だった。慌てて艦隊を出動させても既に遅い。見る間に都市上空まで至るルートが切り開かれた。
「突撃!」と、ルカの号令でいっきに惑星上空へとなだれ込む。

 それを後方で見ていたピクロスたちは驚く。
「兄さん、一体どうなっているのだ?」
 惑星軌道上で激しい攻防戦が繰り広げられるものとばかり思っていた彼らにとって、この結果はあまりにも呆気なかった。
「何なのだ、あの軍事衛星は。ただの見せ掛けだったのか」
「とにかく我々も出撃しなければ、この討伐軍の意味がなくなる」
 この討伐は、あくまで尊い貴族の血によるものでなければならない。それをあんな平民たちに。だが本音は、奴だけの手柄にさせてたまるか。
 一斉に前進を始めた。危険がないと知れば我先にというのが彼らの行動パターンである。戦場経験のない彼らには、プロの軍人が戦闘技術顧問として指導に当たっているのだが、誰もその指示に従う者はいない。自ずと陣形は崩れ隣の艦と接触する艦も出る有様だ。敵と戦う前に艦が破損するとは、どっしがたいほどの醜態。

 だが既にルカたちは、都市上空をあらまし制覇し、地上に着陸し始めていた。
「よし、殺しまくるぞ、相手は貴族だ」と、トリスが歓喜の声を上げる。
「トリス!」と、ルカは慌ててトリスの言葉を断つ。
「あなたは優しい人です。その優しさを貴族にも向けてはもらえないものでしょうか」
 トリスは大きく顔の前で片手を振ると、
「それだけはいくら殿下の頼みでも、無理な相談だ。俺は目には目、歯には歯の主義だからな。恩は恩で返すが、害は害で返す。借りはきちんと返さないとな」
 ルカはもう何も言わなかった。
「出撃だ」と、トリスは腕をしごく。


 その頃、ベルンハルト侯爵の館からは、ベルンハルト侯爵の孫にあたる五人の子供たちが、平民を装い、これまた平民の姿をした護衛に守られながら脱出していた。
「母さんは、一緒では?」と、問うし少年。
「お前も、行くといい」と言う夫。
 だが夫人は静かに首を横に振った。
「私は、ベルンハルトの娘です。私が一緒にいてはこの子たちの身が」
 ネルガルに矛を向けた一族に生きるすべはない。
 夫人は子供たちの前に跪くと、
「いいでか、これからは平民として生きるのです。決してベルンハルトの名を口にしてはいけません、わかりましたね。それと、誰も恨んではいけません。ベルンハルト家がこうなったのは報いなのです。ベルンハルト家が大きくなるために今まで多くの人々を踏み台にしてきました。その報いなのです。ですから誰のせいでもありません。自分たちが過去にしたことが、自分たちに返って来ただけのことです。わかりましたか、振り出しに戻っただけです。誰のせいでもありません」
 夫人は繰り返しそのことを強調した。憎しみの連鎖を断つために。夫人は父や祖父のやり方を目の当たりにし、彼らを止めることが出来ない限り、いつか恨みを買うだろうと覚悟していた。せめて彼らへの償いのかわりにと平民にほどこした結果が、今回の救出劇になった。
 夫人は立ち上がると護衛に向き直り、
「お願いします」と、頭を下げる。
「我々の命に代えてもお子様たちを、彼の方の元へお送りいたします」
「頼む」と父親。
「お父さん」と涙ぐむ少年。
「しっかりしろ、お前がしっかりしなければ弟や妹は」
 涙ぐむ長男の肩を、父親はしっかりと抱きしめる。
「さっ、行け。ぐずぐずしていると、敵が来る。その前に約束のところへ」
 護衛は頷くと、
「さっ、お坊ちゃま」と声をかけた。
「お坊ちゃまではない、これからは名前で呼び捨てにするように。それと名前も変えたほうがよいかもしれない。平民らしい名前に」
「わかりました。道々に考えます」
「そうしてくれ」
 護衛はプラスターのエネルギー量を確認すると、夫妻に一礼し、子供たちを連れて館を後にした。
 それから間も無くだった。この上空にも小型艇が現われて空爆を開始したのは。道は逃げ惑う民衆の車でごったがえしていた。車を諦め民衆に交じり広大なお狩り場へと逃げ込む。所々に狩猟小屋がある。その一つに彼らは平民たちと一緒に身を隠した。次から次へと子供を抱えた親たちが逃げ込んでくる。
「このままでは、ここも直ぐ一杯になってしまいます」
「暗くなったら、もっと奥の小屋に移ろう。歩くことになるが、この森を突っ切る方が安全だろう。うまくフェリスたちと合流できればよいが」
 だが、その読みは甘かった。
 戦場には場違いかと思うほどの高級車が二台の装甲車に守られながら、小屋の前に止まった。どうやらこの小屋に逃げ込む女たちの後を追って来たようだ。
 数人の将校クラスの兵士が車から降り立った。その中にひと際目立つ軍服の青年。何やら耳打ちしている。
 それを小屋の中から護衛たちは息を殺して見守る。
「裏口から逃げるか?」
「駄目だ、既に裏にも兵士がいる」
「では、どうする?」
「あの軍旗は?」
 高級車のポールではためく真紅の旗。
「猛禽類だ」
「では、あの方はネルガルの王子」
「だが、彼の方の軍旗はドラゴンだと聞いたが」
「ドラゴン?」
 悪魔の象徴ではないか。
「王子なら、さほど非道な振る舞いもすまい。ここは白旗を掲げて」
 自分たちだけなら打って出てもよい。だが子供たちを抱えてでは戦いようがない。
「それしか方法がないな」
 既に戦況ははっきりしてきていた。戦争が終焉に向かうにともない、巷では血に酔ったネルガルの兵士による略奪と暴行が始められている。
 護衛の一人が、白旗を掲げて小屋から出る。
「私達はこの惑星で働いている平民です。私達には抵抗する意思はありません。ですから助けてください」
「よかろう、では、武器を捨てて出て来い」
 ピクロスは小屋の扉を開けさせ、全員を外に出した。見ればほとんどが女、子供だ。ピクロスに従ってきた貴族たちは下卑た笑いを浮かべる。
 貴族たちの館を襲い、令嬢たちを相手にするのも一興だが、泥臭い娘たちを相手にするのも、また一味違ったものがある。そんな狙いでピクロスは、わざと郊外を回っていた。それにこんな郊外で敵兵に出会うのもまれだろうから。戦うときは白い顔をしていても無抵抗のものにはとことん強いのが門閥貴族だ。
 年頃の娘達が一箇所に集められる。
「話が違うではないか」と言う護衛の足を、プラスターが射抜く。
「静かにしろ、今度は頭を射抜くぞ」
「静かにそこで見ていろ、さもないと全員撃ち殺す」と、銃口を娘達に向ける。
「お前等もその気があるなら、仲間にいれてやってもよいが」
 ピクロスたちに彼らを生かしておく気は毛頭ない。ただ、遊んでから始末するか、遊ぶ前に始末するかの違いだけ。
「お前等、こいつらを見張れ。騒ぐようなら撃ち殺してもかまわん」と、男たちを兵士に見張らせると、上官たちは娘達の方へ行く。
 銃口を突き付けられ、娘達は一列にならばされた。
 ピクロスはひとりひとり品定めを始める。そしてある娘の前で止まった。年は十五、六。
「へぇー、平民にしてはなかなかの上玉だな」
 ピクロスが娘の顔に触れようとした刹那、
「無礼者!」と、娘が威嚇した。
「ほー、お前、貴族か」
 身なりは薄汚い平民の恰好をしているが。ここまでの逃走劇、服もかなり汚れていた。
「これはおもしろい。俺はこの女にする。後はお前等の好きにしろ」
 嫌がる娘の腕を引き、強引に地面に押し倒す。
 服の引き裂ける音。
 だがその時だった。何かがピクロスの頭に当たった。
「痛っー」と言いながら、ピクロスは上体を起こす。
 目の前に、見覚えのある袱紗。
 ピクロスが視線を上げると、数台の装甲車と小型軍用車が取り囲んでいる。そしてその軍用車にはためく真紅の軍旗。
「ル、ルカ」
 ルカは軍用車から降りると、杖を突いて歩いてくる。
「きっ、貴様。弟の分際で兄に物をぶつけるとは」
 ルカは小屋の前に落ちている白旗を見て、
「兄さんこそ、投降してきた者たちを、軍規に反します」
「こいつらは貴族でもなければ兵士でもない、ただの平民だ。平民は家畜も同様。どう扱おうと我々の自由だ」
 例え殺しても罪にはならない。否、貨幣主義、正確には金でカタが着く。
 ルカはじっとピクロスを睨み付けた。
「あっ、これは失礼、お前にも平民の血が流れていたのだったな。兄さんなどと呼ぶからすっかり忘れていた。同類相憐れむか」と、ピクロスは口の端に冷ややかな笑いを浮かべた。
 それと同時に周りから冷笑が漏れる。
「だが心配するな、私は平民などに手はださない。この娘は貴族だ。どうせ囚われれば処刑される。男も知らないで死ぬのは哀れだと思ってな」
「その娘は平民だ」と、ルカは言い切った。
「平民の身なりをしているから、お前にはわからないのだろうが、この娘は」
「ここにいる者は、全員平民だ」と、ルカは言い張った。
「おっ、お前」
 ピクロスは暫し黙り込む。
「おもしろい、私とやりあうと言うのか。ここは戦場だ、どういう死に方をしても我々は名誉の戦死ということになる」
 ピクロスは考えた。今ここでまともに戦えば火力で負ける。自分の方は装甲車二台に対し、ルカは装甲車五台に機動力を補うため小型軍用車を数台引き連れてきていた。おまけにその荷台には全て機銃砲が積んである。それと大型輸送車が二台。
 工作員だけを救出するなら輸送車はいらない。だが彼らが他の者たちと一緒に逃げていたら、その者たちも置いていくわけにはいかない。ルカはここへ来る前に何度となく貴族や兵士たちの横行を目の当たりにしてきた。だが、まずは約束をと、リンネルたちに忠告され、それらに目をつぶってここまで来たのだ。そろそろ忍耐も限界に達していた。
 ルカの乗ってきた軍用車には真紅の軍規が二枚翻っている。一枚は無論白竜、そしてもう一枚はアボリナ中将のものだ。
 彼は、ルカが工作員たちを救出に行くと自ら飛び出したので、仕方なく付き従うことになった。殿下にもしものことがあっては。
 何故このお方は、旗艦の奥でじっとしておられないのか、後は我々に任せて。ここまで指揮を取ってくだされば充分なのに。
 工作員たちと落ち合う場所に到着したが、そこにはフェリスと一部の工作員の姿しかなかった。
「肝心な人たちは」と、問うルカに、
「まだのようです」と、フェリスは答える。
 まさか王子自らが来るとは思ってもみなかった。
「待っていても無駄ですね」と、ルカは判断した。
 既に交通機関の封鎖が始められている。
「あなたがここへ来るとすれば、どの道を使われますか」と、ルカはフェリスに問う。
「おそらくこの時間にここに来られないのでは、車を捨てたものと思われます。女子供の足では」と、フェリスは暫し考え、
「狩場を突っ切るのが一番の近道かと」
「では、こちらから迎えに伺いましょう」
 それでフェリスたちが道案内を買って出た。
 数ヶ月前、フェリスがルカに会いに来た真の目的は、恩義のある者たちをこの惑星から救出したい。と言うことだった。
 一入植惑星が、まともにネルガル軍を相手にして勝てるはずがない。それでフェリスが考えたのが裏切り行為だった。だがフェリスにしてみれば、それは何ら裏切り行為には当たらないと思っている。ベルンハルト侯爵の下で働かせてもらっているが、私が忠誠を誓ったのはただ一人。その方を助け出せるのなら、ベルンハルトを裏切ったところで何ら罪の意識はなかった。私を人として扱ってくれたのは夫人だけ。他の者は交換の利く部品程度にしか思っていない。
「あなた方の艦隊を誘導いたします。それであなた方は犠牲を出さずにこの惑星に侵攻することができるはずです。その代わり、助けてもらいたい人物がおります。ベルンハルト侯爵の娘とその家族」
「百パーセントの約束は致しかねます。ですが優先させましょう」
 これがルカの答えだった。

「兄さん、その娘から手を放してください」
「この下郎。お前などに兄呼ばわりされたくない」
 ルカは言い直した。
「ピクロス王子、その娘から手をお放し下さい」
 ピクロスは立ち上がると娘を仲間の方へ突き飛ばす。
「そんなにこの娘が欲しければ、力ずくで奪ってみろ」
 ピクロスは自分の剣技に自信がある、一対一なら、こんな奴に私が負けるはずがないと。なぜなら館で自分に敵う者がいなかったからだ。侍従武官が相手ですら二本に一本は自分が勝っていた。それがお情けで勝たされていたなどとは微塵も思っていない。だがルカは違っていた。リンネルに勝てるようになったルカに手ほどきしたのはレスター。彼は容赦しなかった。敵は、相手が王子だから、子供だからと手加減しない。と言って。彼には一度も勝つことができなかった。結局そのまま、勝ち逃げされた。私に一度も勝たせてくれないまま、永久にその機会を奪ってしまった。

 ピクロスが剣を抜く。それに素早く反応したのはリンネルだった。
「リンネル! 手出し無用!」
「しかし」と、リンネルが食い下がろうとすると、
「リンネル、下がれ」と、ルカは一歩前に出た。
 ルカは腰に剣を帯びてはいない。その代わり、杖が。
「なっ、何!」と、トリスたちが驚く。
「仕込み杖、何時の間にあんなものを」
 ルカはその剣を構える。
「まじかよ」と、トリス。
 そりゃ、ピクロスの野郎をぶちのめせるなら、こんな爽快なことはないが、しかしそんなことしたら、後がやばいんじゃ。型破りなトリスですら、そう考えた。
 ピクロスは口元に冷ややかな笑みをたたえる。
 ピクロスの侍従武官は主の腕を知っていたが、相手は五歳も年下の見るからにひ弱そうな王子、しかも片足は不自由だ。万が一にも負けることはないだろうと、ルカの外見にすっかり騙され高をくくっていた。
「死んでも恨みっこなしだ、かかってきたお前が悪いのだから」
 ピクロスは本気でルカを切り殺す気でいる。
 ルカは黙って間合いを計る。
「誰も手を出すなよ」と、ピクロスは余裕の態度で周りの者に言う。
 ルカの実力を知らないアボリナ中将は心配そうにリンネルのもとに寄った。
 どう見ても、十二歳のルカと十七歳のピクロスとでは体格の差がありすぎる。ましてルカは片足が不自由。誰が見ても分はピクロスにある。いくら王子を守るためとは言え、他の王子に剣を振りかざしたのでは、その場で死罪だ。それならいっそ、自分がルカ王子の楯になろう。おそらくカスパロフ大佐も同じ考え。そう心に決めたら、少しは動揺が落ち着いた。
 ルカは背後の容易ならぬリンネル達の気配を感じ取り言う。
「リンネル、心配はいらない。私にはレスターの形見があるから」
 唯一彼が私に残していってくれたもの。それはこの剣技。
 ピクロスが打って出た。
 ルカはそれを柳のようなしなやかさで交わすと、峰打ち。鮮やかにピクロスの脇腹を捉えていた。
「一本だな」と、ロン。
 だがそれによって我を忘れたピクロスは、狂ったように剣を振り回し切り込んできた。大降りに剣を振り回す、隙だらけだ。ルカはそれを寸分の狂いなく交わした。無駄な動きがない。見るものが見れば、二人の実力の差は歴然。否、見るものでなくともわかった。
「まるでレスターの兄貴を見ているようだ」
 レスターのしなやかな動きは、戦場の中、血飛沫を背景に舞を舞っているようだった。
「なっ、なんですか、あの流儀は?」と、アボリナ。
「まるでレスターの兄貴が乗り移ったようだ」
「あれでは、ピクロスは触れることもできまい」
 あんな奴、殺してしまえ。とトリスは心の中で叫んでいた。
 ピクロスの息が切れて動きが鈍った時、ルカの剣が振り下ろされる。
 だが、それを受けたのはピクロスではない。もっともルカは寸止めをするつもりだったようだが。受けたのはピクロスの侍従武官。
「私が、お相手いたします」
「では、私が」と、リンネルが透かさず剣を抜こうとした時、
「勝負はあった。子供の喧嘩に大人が向きになることもなかろう」と、アボリナが仲裁に入る。
「お互い、剣を収めてはいかがかな」
 結局、ピクロスは負けを認めこの場を去った。
「やったぜー、ざまーみろ」と、飛びはねて喜ぶトリス。
 すっかり先程の心配は宇宙の彼方にすっとばし、爪の垢ほども脳味噌に刻まれていないようだ。それを見てリンネルは大きな溜め息を吐いた。トリスのように無邪気には喜べない。リンネルはほっとする反面、不味いことになったと思わざるを得ない。それでなくともピクロス王子は殿下を快く思っておられないのに、これで確執は確実なものとなった。
 ルカの元々の兵士以外は、唖然とした顔でルカを見た。少女のようなこの少年のどこに?
 フェリスは改めてルカの前に跪くと、
「有難う御座います。このご恩は一生かけてもお返しいたします」
 夫人を助けることはできなかった。だがその子供たちは無事だ。
 怪我をしている者たちの手当てをし、落ち着いたところでルカは夫人の行方を問う。
「それが」と、フェリス。
 ここまでの経緯の全てを、フェリスは子供たちの護衛として付き従ってきた貴族たちに聞いていた。
「夫人は、彼らに子供たちを託すと、館に残られたそうです」
「一緒に、来られなかったのですか」と、ルカは護衛の貴族に問う。
「幾度となく声をかけたのですが、私が一緒では子供たちの身が危ないと仰せになりまして」
 ルカは子供たちを見る。
「夫人を迎えに行きましょう」
 護衛は首を横に振った。
「もう、生きてはおられますまい」
「どういうことですか」
 まだベルンハルト侯爵の館に敵は足を踏み入れてはいない。ただそれは時間の問題だが。今なら、まだ間に合う。
「自害なされたかと。テーブルの上に高級酒が用意されておりましたから」
「毒を仰いだと」
「辱めを受けるぐらいなら、そちらを選ばれるお方ですので」
「何故、殴ってでも連れて来なかったんだ。何が自害だ。子供を放り出して、無責任だろう」
 スラムの母親たちがどんな思いで子供たちを育てているか、それを思うと括弧ばかり付けている貴族に、トリスは苛立ちを覚えた。
 護衛の方もトリスのその言いぐさに腹を立てた。
「お前等平民に、我々貴族のこの高貴な思いがわかってたまるか」
「何が高貴な思いだ、偉そうに。お前等貴族のせいで、俺たち平民がどれだけ迷惑を被っていると思っているんだ」
 トリスは容赦しなかった。ここぞとばかりに今までのうっぷんをこの貴族にぶつける。
「トリス、もうよさないか、子供たちが見ています」
 自分の親の悪口を言われて、いい思いをする子供はいない。
 トリスもそれを察したのか、口をつぐんだ。
「これからどうしますか」と、声をかけてきたのはアボリナ中将。
 一旦、引き揚げるべきか、それとも夫人を探しに行くべきか。
 隣で静かに立っている少女の気持ちを思えば、例え亡くなっていたとしても、その遺体を収容しに行くべきではないのか。とルカが迷っていると、
「殿下」と、通信士が駆け付けて来た。
 殿下と呼ばれるのだから、確かにこの少年は王子には間違いないのだろう。だが何故、王子ともあろうお方が、フェリスのような平民と知り合いなのか。護衛の一人であるケンベルトは、それが疑問でならない。下級貴族の身分であるケンベルト当たりでは、拝顔すら許されないのに。
 フェリスが最後に夫人に伝えた言葉は、
「ネルガルのさる王子と繋ぎを付けることができました。必ず助けに来てくださるとのことです。そのお言葉を信じて、お待ち下さい」
 将軍ならいざ知らず、王子と繋ぎを付けた? これ事態異様、信じがたいことだ。
「夫人、フェリスの言うことを信用なさるのですか」
 夫人があまりにもフェリスに頼るのを快く思っていなかった。あのような平民を重宝なさるとは。今思えば嫉妬だったのかもしれない。貴族のこの私がこんな平民に。
「嘘なら、もう少し真実味のある嘘をつくでしょう。王族の名前など持ち出すはずがございません」
 それが夫人の言葉だった。だから私は彼を信じるのですと。
 王族ともなれば上流貴族はいざ知らず、一般の貴族では到底お会いすることはかなわない。それを一介の平民が。
 護衛はじっとルカを見下ろす。自分の不遜な態度にも気付かず。
 そう言えば、平民の血が流れていると言っていたな。どういう意味だ?
 ルカは言うなれば雲上人、一般の人はルカの生い立ちを知るよしもない。
「ベルンハルト侯爵が、毒をあおったそうです」
 通信士のその言葉で、ケンベルトは我に返った。
「ベルンハルト侯爵が自害」
「はい。雉の宮(これはネルガルの皇帝の宮廷を鷲の宮と呼ぶのに対抗して)は、炎上しております。ゲリジオ伍長と通信がつながっておりますが」
 ルカは通信士から通信機を受け取る。
「ケリンか?」
『はい、殿下。お怪我は?』
「私の方は全員無事です」
『それは、何よりです』と、ケリンはまずルカの様子を聞いてから、本題に入った。
『使用人の話では夫人もご一緒だったとのことです』
 あくまでも夫人の名前は出さない。誰がこの通信を傍受しているかわからないから。
『ベルンハルト侯爵は、炎の中で怨念を飲んでの自害だったとか。ですが先に仕掛けたのはベルンハルト家だったのですから、自業自得かと』
 これがケリンの感想だ。
『それより殿下、お子様は?』
「元気です」
『それはよかった。こちらの方は、六つ、否、一つ破壊されましたから残る五つの軍事衛星と一部の衛星は、殿下の意のままに動くようにしました。何なりとご指示下さい』
「全て制御できるようにしてしまったのですか」と、その通信を隣で聞いていて驚くフェリス。
 フェリスは万が一のことを考え、衛星を一つ破壊したのだ。万が一制御できなければ。だが、その必要はなかったようだ。
 ルカはにっこりすると、
「ええ、これが彼の趣味ですから。戦争そっちのけでやっていたのでしょう、ゲームを。入れないセキュリティーがあると向きになる人なのです」
『殿下、そのお言葉はあんまりです』
 ケリンに筒抜けだったようだ。どうやら通信機のスイッチを切り忘れた。
 周りの兵士たちが笑う。一時の休息。
「終わったな」と、トリス。
 敵の大将は自害した。肩の荷を降ろしたかのように言う。
 だが本番はこれから始まるということを、この時ルカたちは知らなかった。
『では、これからの指示を仰ぎたいのですが』
 ルカは暫し考える。ケリンが言うのなら間違いないだろう。彼は確実な情報しかもたらさない。既に夫人は灰になっている、行くだけ無駄か。それよりもは、檻から解放した野獣たちを檻に戻さなければ。被害はあらぬ方向に拡大する。
「引き揚げます。ケリン、メンデス少将と代わってもらえますか」
『何でしょうか司令』と、メンデスが通信に出る。
「メンデス少将、あなた方はそのまま大気圏外で待機していてください。それと他の提督たちの現在位置を確認し、徐々に引き揚げるように指示してください。私達も引き揚げますので」
 野獣たちを惑星から引き離し、頭にのぼった血を冷まさせる。
『畏まりました』
 ルカは通信機を通信士に返すと、
「さっ、私達もここを引き揚げましょう」
 すし詰め状態だが、全員二台の輸送車に乗ることができた。後残るはここにいる平民を装った貴族たちだけ。
「我々も、この者達と一緒にこの輸送車に乗れと言うのか」
「しょうがねぇーだろ、他に車がねぇーだから。嫌なら歩け!」と、トリス。
「我々を侮辱するのもいい加減にしろ」
「ケンベルト様」と、フェリスが二人の間に割って入った。
「殿下がピクロス王子の前で、あなた方を平民だと言い張った訳をお察し下さい。殿下のお言葉を、あまり無駄になさらないように」
 彼らを守るために、ルカは彼らが平民だと言い張ったのだ。貴族とわかれば即刻死罪。
「そうです、ケンベルト。ここは彼らに任せましょう。私達がものを言える立場ではありません」と、口を挟んだのは夫人の娘。
 乱れた服を両手で押さえながら。
 既に私達の命は、この少年に握られたのも同じ。
「母は私達に、これからは平民として生きるようにと仰せでした」
「お嬢様」
「これからはお嬢様という言葉もなしです。フェリス、母はあなたのことを信頼しておりました。これからはよろしくお願いいたします。私達はあなた方の生活を知りませんので、いろいろ教えてください」
 娘はフェリスたちに丁寧に頭を下げる。
「へぇ、そういう風に下手に出れば、こっちだって考えないことは無いのに」と、トリス。
 ルカはその少女をじっと見詰めていた。
「あっ、申し送れました、こちらが」と、フェリスが紹介に入ろうとした時、
「聞かないことにしましょう」と、ルカ。
 何も知らなければ知らなかったで、全てが通せる。
「わかりました」と、フェリスは言うと、
「こちらが私の姪のカオルに甥のボブです」
 ルカは微かに笑うと、
「お会いするのは、これで二度目ですね、ボブとは三度目ですか」と答えた。
「トリス、カオルさんに上着を貸してやってください。私のでは小さすぎますから」
 トリスが上着を脱ごうとした時、
「いや、いい。私のを」と、ケンベルト。
 だがルカはそれを制して、
「彼の軍服の方が、後々ものを言います。肩章には私のマークが入っておりますから」
 そこを見ればどこの軍に所属しているか一目瞭然。宮廷では蔑視されていても、王子は王子である。それなりの権限は持っている。それに今回の功労者でもある。
「だとよ」と、トリスはケンベルトを押しのけ、少女に軍服を差し出した。
「平民の服は着られねぇーって言うなら、話は別だが」
「いいえ」と、少女は首を振り、それを丁重に受け取る。
 ルカはにっこりしながらその様子を見ていた。
「少し狭いですけど、暫くの間、我慢してください」と、ルカの言葉が終わらないうちに、
「お前の車はこっちだ」と、トリスがいきなり少女の腕を掴んで走りだす。
 あっと言う間に一台の装甲車の前に来ると、ハッチを開けさせ彼女を押し込んだ。
「おい、裾を押さえないと下から丸見えだぞ」と言うトリスの言葉に、少女は思わずスカートの裾を気にし、バランスを崩して装甲車の中に落ちる。
「おい、受け取ったか」
「あっ、はい」と、兵士の声。
 いきなり女性が降って来たので驚いているようだ。
「おい、砲術士、出て来い」
「どうしてですか」
「つべこべ言ってんじゃねぇー、殿下の命令だ」
 ルカはそんな命令、出した覚えがない。
「トリス、どういうことですか?」と、問いただすルカに。
「いいのか、野獣の中に、あんな美味そうな少女を押し込んで、俺、どうなっても知らねぇーぜ」
 押し込んだのはトリスである。ルカは心配げに中を覗きこむ。
「引き揚げなら、俺が指揮する。お前はこの中で休め」
「しかし」と言うルカに、
「ああ、そうかい」と、トリスは装甲車の中を覗くと、
「おいお前等、その女、お前等に」と、トリスが言いかけた時、
「彼女に指一本触れたら、私が許しませんから」
「そんなに心配なら、中に入って見張っていればいいだろう。触れたか触れないかなど、ここにいちゃ、わからねぇーぜ」
 結局ルカも中に入ることになった。代わりに砲術士が追い出される。
「これ、装甲車ですよね、どうして俺が」と首を傾げる砲術士に、
「つべこべ言っているな」と、トリス。
 トリスはその後に杖と笛と通信機をほうり込む。
「どういうつもりだ、トリス」と言うリンネルに、ハッチを閉めてトリスが言う。
「これからの光景を、あいつに見せたくないだけだ」
 あの中なら、小さな窓を覗き込まない限り外は見えない。
 トリスはこれで戦争が終わったとは思っていなかった。


 何の前触れもなく、いきなり高貴な方を迎え入れることになった装甲車の中では、兵士たちがトイレに行きたくなるような緊張を強いられた。否、かってに自分たちで強いている。
 そんな中、一人の兵士が、
「あのー、殿下」と、おもむろに声を掛けてきた。
 なんせ今まで、殿下などと呼ばれる生き物に会うどころか見たこともない者たちだ。
「俺」と言いかけて、態度を改め最敬礼の状態で話し出す。
「自分は、お尋ねしたいことがあるのですが?」
 そのあまりの仰々しさに、ルカは思わず微笑む。そして、
「何でしょうか?」と、柔らかく答える。
「失礼なことをお尋ねいたしますが、殿下は、男でしょうか女でしょうか」
 かなり失礼な質問だ。ルカは唖然とした。どういう意味だと心の中で問う。
「あの、実は殿下は本当は女性なのだが、やむを得ぬ事情がおありで男装なされていると、お聞きしたもので」
 ルカは、はっ? と言う顔をした。
「一体、誰がそんなことを?」
 だがその刹那、
「よい、聞かなくとも察しがつきました」
 心の中で、トリス、こんどこそ絶対許さない。と決断しつつ、平静を装い、
「賭けでもしたのですか、幾ら賭けたのですか?」と問う。
「それが、ええと」と、なかなか答えない兵士。
 彼にすればかなりの金額だったのだろう、可哀相に。
「私は、男です」と、ルカは言い切った。
 すると別なところから絶望的な声。
「うっ、嘘でしょ」
「あなたが男だなんて、神への冒瀆、否、女性への冒瀆だ」
「もう、絶対トリスを許しません」と、ルカは脹れる。
 その脹れた横顔すら美しい。思わず少女はぷっと吹き出す。始めてみる少女の笑顔。まあ、この少女に免じて、今回だけは許すかと甘いことを考えていると、
「本当に王子なのですか?」と、今度は少女が訪ねて来た。
 確かに部下たちはこの少年の命令をきびきびと聞く。だがこの扱い。本当に王子なら、恐れ多くて私などと、思っている本人がかなり失礼な質問をしていることに気付いていない。
「王子も貴族も平民も、人間ですから、人が決めたルールでしかありません。自然界で通用するものではありません。現に太陽の光は誰の上にも平等に降り注ぎますし、雨は誰の肩の上にも降ってきます。まして死などは避けられません」
「それは、そうですけど」
 幾つなのだろう、この子。自分の弟より年下だと思われるのだが。
「それで、どちらに賭けたのですか?」と、ルカは話をもとに戻す。
「実は、女性の方に」と、兵士たちは小さな声で言う。
 ルカは自分の顔を片手で覆い、大きな溜め息を吐いた。
「そんなに私は、女性に見えますか?」
 染み一つない白い肌に刺繍の軍服は、まるで人形のよう。
「あなたが男性だったら、俺、神を恨むぜ」
「それこそ、自然の摂理に反している」などと、難しいことを言い出す有様。
 幾ら賭けたのかは知らないが、かなりトリスに騙されたようだ。
 そんな時だった、車が止まったのは。



 ベルンハルト侯爵が自害をしたと言うことを知った途端、今まで後方で青い顔をしていた門閥貴族の子息たちは、いっきにその本性をあらわにした。徒党を組み町を襲い、暴虐の限りを尽くす。総崩れになったベルンハルトの軍を、まるで狩猟でもするかのように狩り始めた。ほとんど人間のすることではない。いくら専属の戦闘顧問が規律を教えても何の役にも立たない。これが貴族の本性さ。常日頃気取っているから、箍が外れると救いようがない。


 案の定、ルカからここへ来る前に通りかかった町が気になる。との通信が入った。
「ほれ見ろ、こう来ると思っていたんだ」
 町を通過するとき、助けて欲しいと随分泣き付かれた。それを無視しての行軍だった。トリスとしては荒野の道を選びたかったのだが、確かにこっちの方が軍港には近い。
 町に着くや否や、鼻をつくような死臭。一体や二体ではない、おそらくこの町全体が。
「俺、見て来る」と、トリスは小型軍用車から飛び降りた。
 次々と兵士が飛び降り、建物を一軒一軒当たり始めた。だがどの建物も、もぬけの殻。全員避難したのか? だがそれにしてはこの臭い。町の集会場でもあろうか、ひと際大きな建物の前に来て、その意味がわかった。扉を開けると同時にむせるような血の臭い。
「こっ、これは」
 兵士たちは唖然としてしまった。中には吐き気を催した者もいる。数々の戦場は見てきた。おぞましいほどの死体も。だが、これは。
「早く降ろしてやれ、こんなものを殿下に見せられるか」
 だが、数が多すぎた。それ以外にも床やテーブルの上に。そこは羞恥のかぎりを尽くされた女性の死体で溢れかえっていた。では、男性は? この町には男もいたはずだ。
「大佐!」と、「中将!」と言う言葉が重なった。
 扉に掛けられていた鍵を壊すなり、二人の兵士は叫んでいた。
 兵士に呼ばれたリンネルとアボリナは、その兵士のところに駆け寄る。
 部屋の中には、町の男たちが全員集められ銃殺されていた、それに年寄りと子供も。床には河のように流れ出した血。
「生きている者はいるか?」
 聞くだけ無駄だろうと思いながらも、リンネルは問う。そうせざるを得なかった。
「縄目を解いてやり、死体を一箇所に集めろ、火を放つ」
 このまま火葬にするしかないと、リンネルとアボリナは判断した。
 ふと振り返ると、戸口にルカの姿。
「でっ、殿下」
 リンネルはルカのもとへ急ぐ。
「あの馬鹿、何で出てきたんだ」と、トリス。
「あいつら、一体何をやっていたんだ。殿下を車から出さないようにと言っておいたのに」
 ルカの後を追ってやってくる装甲車の操縦士を見て、
「お前、何故出したんだ!」と、怒鳴るトリス。
「トイレだと言われまして」
「トイレなど、輪ゴムの一本もやれば間に合ったのに」
「輪ゴム一本? ですが、妃殿下だと」
 操縦士たちは諦めていなかった。最後の最後までルカを妃殿下だと思いたかった。でなければ、今回の出兵手当てが。
「おっ、おま。見ればわかるだろうが」と言いかけ、トリスはルカの姿を頭に描く。
「見れば見るほどわからなくなるか」
 トリスは自分の過ちを悟った。こんな時に、やるべき賭けではなかった。
 ルカは茫然と扉の前で立ち尽くす。その背後に少女もいる。そしてその背後にケンベルト。
「これでわかっただろう、これが貴族のやり方だ。戦闘中はこそこそ隠れていやがって、勝ったとわかれば、この様だ」
「何故これが、貴族の仕業だと言い切れる。お前たち血に飢えた一兵卒の仕業かもしれないだろう」と言うケンベルトに、トリスは足元に落ちている下着を拾い上げ、投げつけた。
 ケンベルトはそれを受け止める。
「平民はな、そんな高級なパンツは身に付けないんだよ」
 部屋の所々に散乱している場違いなような高級な服や下着。それらはここを襲撃した者たちの身分を証明していた。
 その時である。白い小さな毛玉が、チッチチッチと音を立ててルカに飛びつき、ルカの顔をなめ出した。それを追ってきたのであろう、一人の少年。
 少年は兵士たちを見て立ち止まった。脅えているようだが、それでもこの毛玉を助けようとして、
「チッチを放せ!」と、ナイフを構えた。
「放せって、向こうから来たんだぜ」と言うトリスに、少年は刃先を向ける。
 ルカはしゃがむとその毛玉を地面に下ろした。チッチと名付けられた毛玉は、ルカの手を放れ少年の方へ走り出す。だが途中で向きを変えると、またルカの手元に駆け込んだ。甘えるかのようにルカの頬に鼻先を擦り付けたり舐めたりしている。
 少年は唖然とした顔でその光景を見た。家族以外に懐くことのないチッチが、どうして見知らぬ子に。
「おい、この毛玉、殿下のことが好きらしいぜ」
 いつしか少年の背後に回り込んでいたトリスは、少年の手からナイフを奪うと、そのまま少年を取り押さえた。
「離せ、人殺し!」
 叫ぶ少年。
「おい、こら。俺たちを奴等と一緒にするな」
 ルカは毛玉を抱きかかえ、トリスの腕の中で抵抗している少年のところにやって来た。そして毛玉を差し出す。ルカの腕の中で毛玉は嬉しそうに尾を振る。こんなに嬉しそうなチッチを見るのは久しぶり。少年は不思議そうにルカを見た。
「動物というのは、自分に味方してくれる奴のことは、直ぐにわかるんだよ。少なくとも俺たちは、お前の敵ではない」
 少年はやっとおとなしくなり、ルカの手から毛玉を受け取る。
 少年の鋭い目に射抜かれながらもルカは言う。
「助けに来た」
「今頃来たって、遅い」
「すまなかった、もう少し早く来れば」
 素直に謝られ、少年は言葉をなくした。今にも泣き出しそうな顔で睨む。が、
「母さん」と、建物の中に飛び込んで行った。
 一体の死体の前にうずくまる。その死体には布がかけられていた。おそらくこの少年が、彼らが去った後にここに入り、母の死体に。
「父さんは、あの中なんだ」と、指を差したその扉は開いていた。
「父さん」と、走り出そうとする少年の腕を、ロンが掴む。
「今、こっちへ運び出すから、ここで待て」
 少年はポケットに手を入れると、何かを出し、硬く握り締める。
「母親の形見か?」
「違う!」と、少年はロンを怖い顔で見上げた。
「母さんの仇だ。母さんが握り締めていたんだ」
「どれ、見せてみろ」
 少年はゆっくりと手を開いた。その掌には高価そうなボタンが一つ。
 ロンはそれを記憶するかのようにまじまじと見詰めると、
「俺たちが奴等と違う証を見せてやる。近いうちにもう一つ、これと同じボタンをお前に持って来てやる、そいつの血を付けてな」
 少年はじっとロンを見上げた。
「だから、何時までもくよくよしているな。お前のそんな姿を母さんは喜ばないだろうから。それと一つ約束してくれ、このことは誰にも言うな。今度は俺とお前が殺されてしまうからな」
 少年は頷く。
「男同士の約束だ」

 死体は建物の中央に集め火葬することにした。
 ロンが何処からか子供たちを連れて来た。
「生き残っていたのですか」
 驚くルカに、
「下水に逃がしたようだ」
「こんな中でも、子供だけでも守ろうとしたのですね」
 子供たちは手に手に道端の花を持っている。
「あげてくるといい」と言うロンに、
「見せない方が」と言うトリス。
「否、現実はきちんと見せた方がいい。じゃないと前に進めないからな」
 ロンは子供たちをここへ連れてくるにあたり、何かを言い含めたようだ。
 火が放たれた。むせび泣く子供たち。この炎の意味がわからずはしゃぎまわる幼子。少年はロンの隣でじっと炎を見詰めていた。



 市街地、囚われれば確実に処刑される者たちの最後の抵抗が続いていた。その戦場に正規軍の一員としてロンの姿も在った、敵に包囲された味方を助けるために。そもそも貴族同士の戦い、ロンにしてみればどうでもよいことなのだが少年との約束がある。その味方の中に件のボタンを身に付けた貴族がいた。ロンはその貴族を助ける振りをして、その貴族の仲間のナイフで彼の心臓を一突きにした。彼が気付いたときには既に遅い。その貴族は一言も発せずにその場にうずくまる。だが、ネルガル正規軍が助けが来たのを知り、我先に逃げようとする仲間たちに、それに気付く統べはない。
「あばよ、あの世で後悔するんだな」



 難民収容所の中、ルカは少年と話すロンを遠くから見ていた。
「ご存知だったのですか」と、アボリナ中将。
 彼の部下が、ロンがさる貴族を手に掛けたのではないかと言って来たが、その貴族がこの間の犯人の一人だと知り、報告するかどうか迷っての決断だった。
「私には、止められませんでした。トリスは騒ぐので前もって注意できますが、否、口にするだけ陰にこもらないのかもしれません。それに対しロンは何も言いませんから」
 ルカは辛そうな顔をして、
「私があの町に寄るなどと言わなければ、彼も人殺しなどしなかったのでしょう。せめてあの子達が素直に育ってくれれば、彼のしたことも無駄にはならないのでしょうが」
 その可能性は低い。何の社会保障もないこの世界で、子供だけで生活していけるほどネルガル星は甘くない。今のネルガル星はそういう社会だ。
「彼には以前から上官殺しの噂があるのです。ただ証拠がありませんから、目撃者もみんな口をつぐんで話そうとしません。おそらく、彼がやらなければ俺がやっていたというところなのでしょう」
 今回もそんな感じだ。ここで騒ぎ立てれば、かえって平民兵士たちの顰蹙を買う。兵士の大半は平民。彼に抵抗されたら軍隊は成り立たない。
「そろそろ平民たちの我慢も限界に達しているのでしょう。近い将来、貴族と平民の対立は確実なものになります。さるお方など、それを見越して平民に肩入れなされておられるようですが、結局、今ギルバ王朝を倒して新しい体制を作ったところで、何の変わりもないでしょう。革命の繰り返しです。その度に、社会の底辺にいる人々が苦しい思いをするだけです」
 ルカは遠くを見詰めるような目をし、
「武力を使わずにできないものでしょうか、全ての人々が、せめて飢えなくて済むような社会を。少しずつ皆が分け合えば、そういう社会が作れるのではありませんか。自由、平等と言いますが、何が自由で何が平等なのでしょう。生れた時に、財産のある家に生れるのとない家に生れるのとでは、既にそこで不平等が始まっています。平等などという言葉は、特権階級に生を受けた者たちの口実に過ぎないのではないのですか。自由も、そもそも完全な自由などあり得ません。生れた時から家族に縛られ、大人になって自由になったような気がしても社会に縛られます」
 家柄だの名声だの地位だのと、結局彼らも自由が利かないから、精神的に歪むのではないか。ルカは想いを過去に飛ばした。ボイ星に自由だの平等だのという言葉はなかった。誰も意識する必要がなかったからなのだろう。生を受けた子は、誰でも同じものを与えられた。生きていくのに必要な食糧と空間、そして医療と教育。どんな親の子でもそれは同じ。他の人より多いこともなければ少ないこともない。
「鍵盤を同時に十一個叩きたくとも、指は十本しかありませんし、空を飛びたくとも羽がない。仮にそれらを道具で賄えたとしても、同じ時刻に違った場所で、球技と剣術を同時に楽しむことは出来ません。それだけ既に、生れた時に自由を束縛されているのです。この際、それが少し増えたところで何の不自由でしょうか。それより皆が楽しければ少しぐらいの不自由など」と、ルカは黙り込む。
「そう言えば私は過去に、球技と剣術を違った場所で同時に楽しむことが出来る人物を知っていたような気がする」
 えっ! と驚くアボリナ。
「殿下、もしそのようなことが出来る人物がいたとすれば、それは人ではありません。神か、でなければ悪魔です。同じ時間に、別々の場所に存在できるなど」
「そうですよね」と言いつつも、ルカはそういう人物がいることを知っている。ような気がした。
「殿下、こちらでしたか。マイムラー公爵が、お探しです」

2011/11/12(Sat)22:25:54 公開 / 土塔 美和
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 今日は、お久しぶりです。入院してました(パソコンが)。やっと退院してきました。でも考えるに、新しい機種にすればよかったかな? また、お付き合い下さい。コメント、お待ちしております。
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