- 『夢現の花恋』 作者:綾月 / ショート*2 リアル・現代
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原稿用紙約12.65枚
桜の精に恋した雅史。名前のない少女との短い逢瀬。ひっそりとした、小さなラブストーリーです。
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桜の精に恋をした、といったら笑われるだろうか?
僕が「彼女」を初めて見たのは、病院に咲く樹齢何百年という枝垂桜の樹の下だ。最初、病院の患者かと思った。けれど、すぐに違うと気づいた。なぜって、彼女は真っ白い着物を着ていたのだから。
「母さん、桜の樹の下でよく女の子を見かけるんだけど知ってる?」
もう、長く入院している母なら何か知っているかとおもって聞いてみた。昔から体の弱かった母は、父が経営するこの病院で暮らしているといっても過言ではない。
「桜の樹?ああ、枝垂桜の」
そういって、病室の窓から見える立派な大樹に目を目を移した。そして小さく微笑む。
「あなたにも、あの子が見えるのね」
「も?誰にでも見えるじゃないの?」
不思議に思って首をかしげると、母が声を立てて笑った。
「馬鹿ね、誰にでも見えたら今頃大騒ぎよ」
確かに。白い着物の女の子がいる、なんてわかったら、幽霊だの何だのそういったうわさが流れるのは必至だ。
「今夜、あの樹の下にいってごらんなさい」
その母の言葉に従い、僕は夜中にこっそりと桜の樹の下にたった。こういうとき、院長の息子という肩書きは便利だとつくづく思う。
「こんばんわ」
白い着物を着た女の子に、ためらいがちに声をかける。ぼんやりと満月を見ていた彼女が、ゆっくりと振り向いた。
黒い髪。白い肌。淡い月光の下でも、とんでもなく綺麗な子だとわかった。そして、思っていたよりも幼くないことにも気づく。同い年くらいか?見かけは20歳前後に見えた。
「こんばんわ。あなたは私が見えるのね」
そういって静かに微笑んだその微笑に、思わず息を呑んだ。
気づいたら、毎晩桜の樹に通っていた。けれど一緒にいるだけで、あまり話しはしない。何を尋ねても、大概彼女の笑顔にかわされてしまう。
そのわずかな話の中でわかったことは、彼女はどこからか移植されたこと、何かを、もしかしたら誰かを待っていること、人の目に映ることが出来るのは花が咲いている時期だけであること―――。
その待たせてる人物が心底憎らしいが、彼女に悲しい顔はさせたくないので黙っていた。そして別のことを尋ねる。
「なぁ、名前、なんていうんだ?」
あまり話しをしないから不便と感じたことはないが、彼女の名前を知りたかった。名前を、呼んでみたかった。
「名前?……あなたは?」
まっすぐに黒い瞳が僕を見る。その視線にどぎまぎしながら答えた。
「雅史。君の名前は?」
もう一度問うと、彼女は寂しそうに笑ってうつむく。
「名前は、ないの。……いえ、忘れたのかもしれないわ」
驚いて彼女の顔をまじまじと見つめた。返ってきたのはいつもの静かな微笑。その微笑がどこか物悲しく見えるのは自分の気のせいなのか?
「……名前、ないと不便じゃないか?」
小さくたずねてみる。彼女の答えはわかっている。きっと、不便じゃないと答えるだろう。だって、呼ぶ人があまりにも少ないから。
「不便、かしら?」
――やっぱり。
けれど、小首を傾げた彼女には伝えない。黒目がちの瞳で僕を見るそのまっすぐな視線にどぎまぎしながらもうなずいた。
「とっても不便だ。もし思い出せないなら……仮の名前でいいからつけていいかな?」
反射的に断られるかな、とおもったけれど、予想に反して彼女はあっさりとうなずいた。
「じゃあ、明日までに考えてくるよ」
そう告げると、僕は立ち上がる。時刻は午前4時。もう1時間もすれば早起きの人が起きる時間だ。
「また明日」
彼女は寂しそうに微笑んで手を振った。
1日、何もせずにひたすら名前を考えていた。桜の樹にいるから桜?いや、安直すぎる。何がいいだろうか。
そうして、やってきた時間。考えているうちに寝過ごして少しの遅刻だ。
「ごめん、遅くなった」
「大丈夫」
彼女はあまり多くを語らない。ただ、いつも静かに微笑んでいる。僕はその笑顔を見るのが好きだった。
「名前、考えてきたんだ」
そういうと、彼女は軽く首をかしげて僕を見る。その視線をまっすぐ受け止められずに、僕は空を見上げた。
「花恋、ってどうかな?」
かれん。可憐、と花に恋する、僕の気持ちをかけてみた。
「かれん」
口の中で何度かつぶやいて、ふわりと微笑む。今までの静かな夜の様な微笑ではなく、嬉しそうで幸せそうな笑顔だった。
「ありがとう」
花恋。それが、彼女の名前になった。
それから1日がすぎ、2日が過ぎ、やがて彼女とであって6日目の夜。花恋はいつもとどこか様子が違う。
「どうした?何かあった?」
「明日で、お別れ」
「え?」
唐突なその言葉に僕は思わず目を見張る。そして気づいた。花びらがなくなるほどに葉がおいしげってきていることに。
「いやだ」
気づいたら子供じみた言葉が口をつく。季節が終わる、それは仕方のないこと。けれど、花恋との別れはどうしてもいやだった。
まだ、たったの1週間しか一緒にいない。漠然ともっと長くいつまでも一緒にいられると思っていた自分に気づいた。そしてうつむいて唇を強くかみ締める。
「駄々をこねないで」
小さな子供をあやすようにいう。
僕は顔を上げると勢いよく立ち上がった。
「雅史?」
隣に座る花恋の手をつかみ、立ち上がらせる。そのままきつく抱きしめた。そのとたん、涙がこみ上げる。
あるはずの感触が、ぬくもりや女性らしい柔らかさ。そういった感触が一切なかった。あるのは、樹の幹に抱きついているような感触と冷たさ。
「わかるでしょう?」
静かにいう彼女の言葉は、もちろん理解していた。でも、感情がついてこない。好きという感情が、思ってた以上に育っていたらしい。
「離れたくない」
「わたしも、あなたと一緒にいれて楽しかったわ」
その言葉は、別れの言葉に聞こえた。けれど、聞こえなかったふりをして手を離さない。
「明日は、1日そばにいる」
そういって、冷たい彼女の唇に、初めて唇を重ねた。
翌日は、憎らしいほどの晴天だった。朝早くからカモフラージュ用の本を数冊持って桜の下に座る。隣には、花恋が静かに寄り添っていた。
「花恋」
「なぁに?」
平日だったおかげで人はまばらだ。小さな声で呼びかければ、すぐに返ってくる声。
「本当に、今日でお別れなのか?」
「……はい」
「そうか」
それっきり、言葉をつむぐ。
夕方になっても離れない僕を不思議に思ったのか、父がやってきた。
「もう日が暮れるぞ」
「うん」
あまり、父と話をした記憶はない。忙しい人だ、という認識しかなかったが、少しふけただろうか?
「お前も、見えているのか?」
「え?」
ぼんやりと昔の父を思い出していたが、父の言葉に現実に戻る。そしてまじまじと見つめた。
「私はもう見えないが、黒髪の少女がいるのだろう?」
「……うん」
ふと、気になってとなりの花恋を見る。花恋は驚いたように目を見開くと、ついで嬉しそうに微笑んだ。そう、名前をあげたあのときのように。
「ほどほどにしておきなさい」
しばらく桜の樹を見つめると、父は背を向ける。その背が完全に見えなくなってから、僕は花恋に問うた。きっと、その声はみっともないくらいに震えているだろう。
「……父さんを、知っているのか?」
「ええ。あの人も、あなたと同じように毎晩ここに来てくれたわ」
きくことが、出来なかった。父が好きだったのかとなど。
僕は何も答えずに、もう一度座りなおした。その隣に、花恋も座る。
そうして、何も話さないまま終わりの時間が来た。
「雅史」
「ん」
わかっている。とめることなど出来ないと。だからせめて、彼女の顔を覚えていようと思った。
「これを、あなたに」
そういって差し出されたのは、薄いピンクをした花。
「あなたが忘れなければ、きっとまた」
「絶対に忘れるわけない」
瞬く間上を向いて涙をこらえ、まっすぐに花恋を見る。花恋は嬉しそうにわらって、背を伸ばした。
唇が、一瞬重なる。思わず抱きしめたその瞬間、彼女は消えた。小さなピンクの花を残して。
それから夏が来て、秋が来て、冬が来た。花恋のことを忘れた日はなかったが、次第に薄れる彼女の顔になぜか焦る。時折夢じゃないかと疑って、そのたびにしおりにした花恋の桜を見ては心を落ち着けた。
そして、待望の春が来た。病院の枝垂桜が淡くピンクに色づく頃。
「花恋、逢いに来たよ」
誰もいない、深夜の桜の下で。彼女が残した花を片手に告げる。けれど返事はなく、深い絶望が僕を襲った。
「花恋」
名前を呼んで、樹の幹にすがりつくように額を押し付ける。
「雅史」
小さな声が、後ろから聞こえた。あわてて振り向けば、そこには見間違えるはずのない姿。ただ、違うところは。
「花恋?」
「あなたを、待っていたの」
黒く長い髪に、真っ白なワンピース、可愛らしいピンクの靴。そう、紛れもなく現代の少女の姿だ。
「花恋!」
夢ではないかとぎゅっと抱き寄せれば、あたたかなぬくもりと柔らかな感触。
「私を忘れない人を、待っていたの。名前をくれたあなたを、待っていたの。……忘れた名前なんて、なかった。あなたがくれた名前が、私の名前」
以前いっていた、待っている誰か。それは、自分を忘れないでいてくれる人。
待っていた何か。それは、名前。
「花恋。好きだよ」
そうして僕が恋した花は、愛せる花に変わった。
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2011/09/17(Sat)17:08:49 公開 / 綾月
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■作者からのメッセージ
ショートショートで現代風?は初めて書きます。(基本は長編のファンタジー……)拙い作品ですが、感想などいただければ嬉しいです!