- 『蒼い髪 24話』 作者:土塔 美和 / 未分類 未分類
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ゲリュック群星、大小数十もの小惑星が集まっている空域である。銀河の中心方向を南とすると、その群星は東西に長く、東から西にその群星を貫いたかのように大回廊か通っている。そしてもう一本、その群星のほぼ中心から北へと抜ける回廊がある。その群星の周りには、銀河の各方面に通じるワームホールが頻繁に開くため、銀河の一大交通拠点となっていた。無論、エル・メディコ率いる宇宙海賊も、この群星の一角にアジトを構えて暗躍している。
裏社会は何時の時代でも変わらないと見え、薄暗い小屋の中は銀河の低級酒と薬物で独特な臭いを漂わせている。虚ろな目をした客を相手するのは、春を売るうら若き美形の男女。その呻き声を消すかのような音楽。中には殖民惑星から買われてでも来たのだろう、まだ年端もいかない子供の姿もあった。
そんな薄暗がりの片隅で、声を落として話す数人の人影。
「おい、聞いたかよ。近々、公爵家で祝儀があるらしい」
低級な酒をあおりながら仲間の一人が言う。
「かなりの財宝が、さるお邸に届けられるらしいぜ、ざっと見積もっても、惑星一個が買えるとか」
「ある所には、あるんだな」と、別な男が鼻糞を飛ばしながら呆れたように言う。
「なにしろ、ハルメンス家だからな、そのぐらいの財は、屁でもないのだろう」
こちらは鼻毛を抜いていた。
「それだけの財があれば、どれほどの者が遊んで暮らせるか」
地道に働く気は毛頭ない。そして、
「屁でもないのなら、いただいても大したことなかろう」と言う結論に達した。
「それでよ」と椅子を引きずり、一段と雁首を近づける。
「貨物船が、二つ出るそうじゃないか」
「片方は、囮らしいぜ」
声も一段と潜めた。
テーブルの上に二つの船のそれぞれの航宙図の描かれている星図を広げると、
「どっちが、本物だと思う?」
海賊たちは顔を見合わせた。一方はトミタ社製造の最新型の宇宙貨物船。そしてもう一方は、
「これボッタクリ号じゃねぇーのか、アモスの」
「シィー、声がでかい」
男は一段と頭を寄せると、
「アモスの野郎、ハルメンス公爵とつるんでいるってもっぱらの噂だぜ」
誰もが得心したような顔をして頷く。
「最新型の船と見せかけて、本命はこのボロ船か」
「どの道、どちらの船も最終的にはここを通るんだからな、もし違ったら舳先を変え、もう一方を襲撃すればいい」
「そうだよな、この空域は俺たちの庭のようなものだからな」
そして別の一角では、エル・メディコとその幕僚たちが雁首を揃えていた。着崩した軍服は、元彼らがネルガルの軍人だったことを物語っている。階級は全員将校クラス。
「また、王子によるデモンストレーションだって」
「ここの所、やたら多いな」
こちらも酒をあおっているようだが、先程の連中よりも少し高級のようだ。
「ネルガル帝国も、金があぶれていると見える」
「今度の王子は、何て言う名だ?」
「確か、ルカとか言ったな」
「ルカ? 聞いたことねぇーな」
誰も心当たりがなかった。だが直に、その名を誰もが知るようになる。
「王子でも、端くれだろう」
「まだ十歳だそうだ」
「十歳! なんでそんなガキに」
デモンストレーションなどさせるのだ。ネルガルもいよいよ敵がいなくなって平和ボケしたか。
「そう言えば」と、一人の幕僚が思い出したかのように、
「確かボイ星で処刑されたのがルカとか言う王子じゃなかったのか、姉貴が自分の子供と同じ年で、哀れだと言っていたっけな」
男は暫し視線を宙に漂わせると、
「生きていたのか」と呟く。
「それでその王子が生きていることを国民に知らしめるために」
「そんなところだろうな」
一応、世間的には王子の出陣ということになっている。
「それより、例の荷だが、やっぱりボッタクリ号が本命だな」
いよいよ本題に入った。一段と声を潜めると、
「護衛は?」
「高速巡宙艦が十隻だそうだ」
「攻撃より逃げる方を重視したか」
「しかしあのボロ船じゃ、いくら高速艇を揃えたところで無意味だろう」
高速艇は早くとも、肝心のボロ船が遅くては。
「宇宙軍のやることは、わからん」と、メディコたちは肩をすくめてみせる。
「襲撃するなら、ここか」と、一人の幕僚が星図の一点に指を置く。
回廊が交わる地点、三方から取り囲めば。
「出撃の用意をしろ」
ネルガル星のあちらこちらで銀色の柱が立った。宇宙港へ向かうシャトルの群れだ。まるで小魚が大群を組んで大空と言う大海を泳ぐかのように、戦士を乗せたシャトルは陽光でその銀色の肌を輝かせながら大気圏外へと昇って行く。
「いよいよ出陣か」と、カロルはシナカが幽閉されている牢の前で呟く。
「出陣って!」と、カロルの言葉を聞き咎めたルイ。
「あれ、知らなかったのか? あいつ、今日」と言って、カロルは口をつぐんだ。
そうか、心配かけまいとして、わざと言わなかったのか。だか、既に遅い。
「出陣って、もしや、あの方が」
シナカが心配そうな顔をして、奥からやって来た。
「大丈夫だよ、奴のことだから。軍服も」
「それは先日、お礼をいただきました。皆が驚いていたって」
「だろうな、あいつだけだって充分美しいのに、あんな軍服着ちゃ。まさに妖精でも見るようだっただろうよ」 奴が女だったらと言う言葉は飲んだ。
「あら、カロルさんは殿下があの服着られたお姿、見ていないのですか」
「俺もな、幽閉されているのと同じなんだよ、ここに。親父から勘当されて、ここで謹慎していろって」
「まあ、随分ご迷惑かけていたのですね」
「シナカさんが謝ることないよ、俺が勝手にやったことだから」
親父の目を盗んで、二等兵としてボイ星に乗り込んだ。つもりだったのだが、全て親父に筒抜けだった。そして親父はそれを見て見ぬ振りをしていたようだ。
「あの中に、ルカも居る。見えるか」
牢の上の方に付いている明り取り。かろうじてそこから大気圏外へと上昇して行くシャトルの群れが見えた。ボイ星でも幾度となくこの光景を見た。最初はその意味もわからず、その美しさに感動したものだ。だが後に、あの中の何割が戻って来るのだろうと肌で知った時、あの美しさのはかなさを悟った。
シナカは胸の前で両手を合わせる。
(どうか、ご無事で)
先日、笛の音が聞こえた。その音に乗せて、軍服のお礼、ハルメンス公爵が羨ましがっていたこと。そして、後数日の辛抱だと。必ずそこから出してやるからと。方法が見つかったような言い方だった。だが出陣のことは一言も。
(無理をしないで下さい。あなたと同じ空の下にいるだけで、私は幸せなのですから)
「姫様」
ルイも思わずシナカの隣で祈っていた。
「なっ、なんで! 本当に財宝、乗せるのかよ」
宇宙港の一角は、アモスの素っ頓狂な声で満たされた。
「貨物船が、荷を運ばないでどうするのですか」
事務員はハルメンス公爵から請け負ったコンテナを、的確な指示を出してアモスの船(ボッタクリ号)に運び入れた。
アモスは現場で指揮を取っている事務員の袖を掴むと、荷の影に連れ込み問う。
「お前、知っているのか、この船が、どういう船か?」
「星間貨物船でしょう。名前はボッタクリ号。船長はマルドック人のアモス。乗組員は」と、書類の最初をハンドディスプレーに映し出し、後は自分で読めというように差し出す。
「そっ、その通りだ」
アモスは何も言えなかった。
「では私はこれで失礼します。この荷物が積み終わったら、次の荷にかからなければなりませんので」
あなたのような暇人の相手はしていられないという感じに、事務員はきびきびした態度でその場を後にした。
アモスは愚痴る。
この船は囮なんだ。囮の船に何も本物の財宝をあんなに積まなくとも。砲撃を喰らったら木っ端微塵だぜ、もったいない。
そうなると自分も死ぬということは、アモスの念頭にはないようだ。
「船長、まさか本物の荷を運ぶとは思わなかったぜ、運賃、もらったのですか」
アモスはイヤンの顔を見る。
イヤンは大きく首を左右に振った。
「もらったところで、荷を守りきれる自信はないですから」
そうだよな。と納得せざるを得ない。下手に損害賠償など請求された暁には。
その彼らを遠くで眺めていた者がいる。
「クロード、おもしろい生き物がおりますから、からかって来ますか」
クロードはやれやれという顔をした。主のこの癖は止めるだけ無駄だと知っている。
「お人が悪い」と言いつつ、主に従う。
彼らの背後から、「船長」と声をかける。
聞き覚えのある声にアモスはゆっくりと振り向いた、嫌な予感を感じながら。
「ハ、ハル公。じゃなくって、これはハルメンス公爵」
「公爵ともあろうお方が、またどうしてこのような所へ?」
また難題事かと言わんがごとくにイヤンは問う。
「私の荷のチェックに来たのですよ」
「チェックってな、今回は何も運ばないということになっていたんだぜ、荷主の名義以外は。第一、何処へ運ぶんだよ、あれだけの品」
「生きて、帰れると思っていたのですか」
一瞬、アモスたち乗組員は絶句した。
「最初から、死ぬ気で引き受ける奴が何処に居る」
「ここに」と、ハルメンスはアモスを指し示した。
アモスはその手を払いのけ、むっつりとした顔をする。
ハルメンスはにこやかに笑うと、
「ですから、大盤振る舞いしたのですよ、この世に思い残すことがないようにと」
「やっぱり、そうだったのか」と、アモスたちは今更ながらに頭を抱え込む。
「と言うのは、冗談で」
冗談とも思えない。
「この方が本物らしいと思いまして」
「これじゃ、本物じゃねぇーか。いいかハル公、よく聞け。荷の保障はできない。わかってんだろう、俺たちは」とアモスは言いかけて、その後を断った。
この先は口が裂けても言えない。ルカの作戦の重要なところだ。ハル公は部外者だ。どこまで知っているのかは知らないが、荷主としての名前を借りただけ。
「わかっております。最悪の場合、それらの荷を放置してあなた方だけシャトルで逃げ出しても結構ですよ、それでも元は取れますから」
なんか、嫌な言われ方だ。命欲しさに依頼された荷を捨てたとあっては、沽券に関わる。だがしかし、今回は。
「船長」
イヤンたちがアモスの心の動きを察知して、声をかけてきた。今回だけは何と言われようと我慢しろと。命あっての物種だ。
アモスは辛うじて踏みとどまり、
「保険か」と問う。
「保険会社もかわいそうだな、お前に騙されて」
はなから襲撃されるのが目的で出航する船とも知らないで。
だがハルメンスは、いいえ。と首を横に振った。
「私は、そのような詐欺まがいな事はいたしません。あなた方と一緒にしないでいただきたい」
あっ。とアモスは素っ頓狂な声を発する。
詐欺はどっちだ、詐欺は。と怒鳴りたくなるのをやっとの思いで飲み込む。何時だって、騙されているのは俺たちの方じゃねぇーか。だがアモスも商人、ここで冷静になった。保険でなければ何で保障を取るつもりだと。
アモスのその心の動きを察したのか、ハルメンスはにっこりすると、
「賭けですよ、賭け。ひょんな弾みで宮廷で、王子たちと」
「賭け?」と、首を傾げるアモスに、
「ルカ王子が勝つか、海賊が勝つか」
あっ! と、今更ながらに気付いたようにアモスは呻いた。
ひょんな弾みなどではない。こいつは最初からそれが狙いで王宮に行って来たのだ。
「なるほど、ルカが勝つという方を一手に引き受けたのか」
「そのつもりだったのですが、残念なことに邪魔が入りまして、分け前は半々ということになってしまいました」
「邪魔?」
王宮にはこいつの上を行く奴かいるのか。恐ろしい所だ。
「それでも充分元は取れますから、勝っていただけるのなら、あの荷は一つを除いて全部ルカ王子とあなた方に差し上げましょう」
「ほんとうか」と、どよめき立つ乗組員。
だがそんなのをもらわなくともアモスは逃げ切るつもりでいた。死んでしまえば終わりなのだから。生きるためには逃げ切るしかない。これからの人生、ルカという知人を得て、おもしろくなりそうなのに、ここで死んでたまるか。
それと、アモスはその邪魔に入った人物が気になった。
「ジェラルドですよ」
「ジェラルドって、あの頭のいかれた?」
不敬なことこの上ない。憲兵の耳にでも入れば即刻処刑だ。アモスの部下たちは一斉に辺りを警戒した。
「ちょこんと顔を見せたかと思いましたら、僕もルカにと仰せになりまして」
「賭け、賭けと騒いでおりましたから、駆けっこの入場券だと思われたようですよ、ルカ王子の参加する」と、クロード。
はぁ? とアモスたち。
「結局、賭け札の一枚は取られてしまいました」
アモスは大笑いをした。
「ざまーみろ。一人勝ちは許してもらえなかった訳か。なかなかやるな、そのジェラルドと言う王子も」
アモスはジェラルドに仇を取ってもらい爽快な気分になった。
乗組員たちはこの会話をはらはらしながら聞いていた。いつハルメンス公爵の寛容が切れるかと。ここで船長が逮捕されるようなことになったら、その時は、この人とは一切関係ない、俺たちの知らない人と言うことにしよう。と全員腹の中で決めていた。不敬罪で船長と一緒に官首を揃えたくない。マルドック人は薄情だ。だがそうでもしなければこの銀河の磁気嵐の中、生きてはいけない。否、磁気嵐より怖いのは人の口。下手な噂を立てられたら、ネルガルの憲兵に銀河の果てまで一生追われる事になる。それだけは避けたい。
アモスたちが荷積みをしている頃、もう一隻の囮の貨物船も荷積みをしていた。こちらはトリスを始め数名のルカの親衛隊たちが商人の恰好をして乗り込む。無論護衛にはこちらにも高速巡宙艦が五隻付く。
「おい、死にたくなければ丁寧にやれよ。なにしろハルメンス公爵の荷なんだからな、傷でも付けたら、お前等の生命保険を千倍にしたって補償できないからな」
高貴な人のそれほど高価な品々だということをトリスは強調し、できるだけ丁寧に取り扱うようにはからう。
ようようの思いで荷積みが完了する。
「準備は整いましたぜ、司令官」
「司令官か、響きがいいな」と、トリスは一瞬その言葉に陶酔していたが、慌てて頭を振ると、
「司令官じゃおかしいだろーが、貨物船なんだからな、ここはやっぱ船長だろう」
「そうですね、トリス船長」
「うんうん、いいねー」
どこがいいのかわからないが、トリスはそれなりに満足していた。
「では、準備ができしだい、出航だ」
「アモスたちより先にですか」
「当然だろう、こっちが囮なのだから」
実は両方囮なのだが。
「もし彼らが間違って、我々の方に喰らいついたらどうするのですか」
「その時は、その時さ」
それならそれで十二分に役目は果たせる。
そこへオペレーターから、
「最後の打ち合わせがあるそうです」
「どうせ乾杯の儀式だろ、俺も参加しろってか?」
「そのようです」
トリスは自分の服装を見る。無論その恰好は軍服ではない。一介の商人の服装。
「この恰好でか?」と、両手を広げて見せる。
「護衛の巡宙艦を指揮するロンと一緒なら、会議室へ通してもらえるんじゃないか」と、操縦士のバム。こちらも商人の恰好をしている。
「まあ、いいか。着替えるのも面倒だし」
ここは宇宙港のネルカル軍専用の会議室。軍服姿でないトリスはやはり咎められたが、ロンの計らいでどうにか中に通してもらえた。
「身分証明書、そんなの持っていない」
「そのぐらい持って来いよ」
「そんなもの持ち歩っていたら、かえって危険だろうが。俺は商人だぜ」
ロンは呆れた顔をする。
室内は既に全員集まっていた。大きなテーブル件ディスプレーを囲み着座している。そのむさい連中の中ひと際目立つのはルカ。子供だということもあるがその容姿。じっとしていれば白磁の置物かと思えるほどの白い艶やかな肌と洗練された軍服。シナカの刺繍はルカの品格を一段と高めた。
その中をトリスは堂々とやって来て、
「しかし、何時見ても惚れ惚れするな、俺たちの親びんは」
トリスの開口一番は、これだった。
あいつだぜ。と言う小さな囁き。バルガスは頷く。
ルカはくだらない話に移行されない前にトリスに注意した。
「遅刻です」
「意義あり」と、トリスはその場で即、反論に出た。
「俺は、時間に間に合うように来たんだ。それを守衛が」
「いいから、座ってください」
「おい、つめてぇーぞ」
「いいから座れ」と、ロンはトリスの服を引っ張り強引に椅子に座らせた。
全員着席したのを見計らってルカは本題に入った。
「敵の動きがはっきりしましたので、こちらも少し配置を変えます」
卓上ディスプレーが輝き出すと、ゲリュック群星が映し出され、ケリンの操作により敵の陣形が描き出される。
「敵は戦力を三等分して、この地点で囮の船を包囲するようです」
ルカはカーソルを動かし説明する。
「それでこちらも戦力を三つに分けようと思います」
「意義あり」と、怒鳴ったのはまたトリスだった。
「包囲戦は、敵の倍以上の戦力を持って始めて成せる作戦なんだ。借りられたのは敵の一点五倍だろう。じゃ、三つに分けたら包囲などできない。二つにしろ二つに。俺の方は間に合っている」
「敵は、一個艦隊はおりますよ」
「ああ、ボイ星じゃ、それ以上の艦隊を相手にして戦ったんだ、一個艦隊ぐらいどってことない」
ルカは黙り込んだが、白磁のような美しい顔を痛ましいほどに歪ませたかと思うと、
「レスターの二の舞はご免です。そんなことしたら、私はあなたを地獄まで追いかけていって」
トリスは片手の掌をぐいっと前へ突き出すと、ルカの言葉を断った。
「俺の命は、海賊にくれてやるほど安くない」
ルカは暫し黙り込んだ。心の整理をしているようだ。
ルカはゆっくり視線を上げると、
「わかりました。そちらはあなたに全面的に任せます」
トリスは飛び上がるような勢いでテーブルを叩くと、
「よし、そうこなくっちゃ。任せてくれ、期待は裏切らないぜ」と、胸を叩く。
それからルカはおもむろに一同を見回すと、担当箇所の変更を言い渡した。
「シルバ中佐とレオニ少佐の艦隊は、ゲリュック群星の西側へ集合し、メンデス少将と共に行動してください。指揮はレイ・アイリッシュが取ります。彼らが回廊に入る前に叩いてください。ロブレス大佐とバルガス中佐の艦隊は今までどおりで、指揮は私が取ります。以上です、何か質問は?」
ルカはもう一度全員を見回した。だが提督たちは持ち場の変更より、トリスの出現に面食らったようだ。奴は何者だ? 何故兵士の分際でこの会議室に入れるのだ。少なくとも今ここにいる者たちは将校クラス。という疑問以外に頭に浮ものはなかった。
「では、実行に移ります」
ルカのその言葉を合図に、提督たちに美酒をなみなみとたたえたグラスが渡され、勝利の誓いを立てるはずだったのだが、
「じゃ、俺は先に行くぜ」と、そのグラスも受け取らずトリスは立ち出す。
ロンがトリスの非礼を謝るかのように室内の人々に一礼すると、慌ててトリスを追う。
元々ここに集まった者たちは、第6艦隊のメンデス少将たちを除いては、儀式を重んじるような連中ではなかったのだが、トリスの余りにも常識はずれた行動に唖然としてしまった。
トリスはトリスで、こんな戦いに勝ったところで嬉しくもない。俺の本当の敵は、あの美しい殿下の顔に影を作らせる奴等なのだから。奴等に対する勝利なら、この惑星がすっぽり入るグラスに酒を満たし、飲み干してやってもいいと思っている。
ルカはこの場を取り繕うように、
「彼が素面なのは戦場にいる時だけですから」
レイはこの場を借りて言っておこうと思ったのか、ルカに声を掛ける。
「殿下、僭越ですが、少し甘いのではありませんか。きちんと致しませんと、規律が保てません。私が呼び戻して参りましょう」
そんなレイをルカは止めた。
「いいのです。やることさえやって無事に戻って来てくれれば、私はそれで充分です」
「しかし」と言うレイに、
「一個艦隊はあるかという敵を、たかだか五隻の高速巡宙艦のみで相手しようというのです。少しぐらい大きな態度をしたくなるのも無理はありません。それにこの作戦、彼が失敗すれば終わりです。せっかく膨らませた風船の横から空気が漏れるようなものですから」
レイは困ったという顔をした。
「私は、あなたが思うほど甘くはありませんよ、レイ」
失礼致しました。とレイは頭を深々と下げる。
竜はある一つのことをはぶけば寛容だということは、ボイ人なら誰でも知っている。ましてあの紋章の竜は、力があるがゆえに寛容すぎるほど寛容だと。例え殿下自身が竜でなくとも、竜神の生まれ変わりという噂を持つぐらいだ、あの竜と何らかの関係はあるはず。ならば殿下が竜と同じ振る舞いをしてもおかしくはない。本人が意識せずとも無意識のうちに、自分が尊敬する相手の真似をするのは、どの星人を問わず同じだろうから。ホルヘはルカの背後で控えながら、そう思っていた。
ルカはおもむろにグラスを掲げると、
「彼の成功と、皆様の御武運をお祈りします」
一斉に酒を飲み干す、ルカだけはジュースだったが。
会議室から出るや、バルガスはメンデスを呼び止めた。
「何でしょうか、バルガス中佐」
「閣下は、驚かれないのですな」
先程の会議室、トリスの行動を見て動揺していなかったのはメンデス少将のみ。
メンデスは何のことかわからず首を傾げる。
「トリスとか言う上等兵です」
「ああ、彼のことですか」と、メンデスは納得すると、
「あのぐらいで驚いていては、第14艦隊の名が泣くのではありませんか」
その言葉にダニールが、何! と言う顔をした。
ヤクザ艦隊として名を轟かせている第10、14艦隊である。
「クリンベルク将軍のゴミ箱をご存知ですか」
聞いたことはある。何でも軍で上官に楯突いてどうにもならない者だけが集まっているとか。
「ルカ王子の守衛の大半はそのゴミ箱の人たちなのです。軍では手を焼いてどうにもならない」
「またどうして、王子の身辺警護に?」
「将軍も彼らの処分にはつくづく困ったのでしょう、主が三歳の子供なら、彼らもそう暴れたりしないだろうとお考えになられたようです。苦肉の策とでも言うのでしょうか」
はぁ とバルガスたちは頷くしかなかった。
「ところがそこの奥方様が彼らを顎で使われたそうです」
「奥方ってつまり、殿下の母君」
「ええ」と、メンデスは頷くと、
「ルカ王子はどちらかと言いますと、陛下より奥方様の方に似ておられるようですね。私のような身分では、奥方様に直接お会いすることはかないませんが、ギングス伯爵のお言葉などから察しますところ、小柄で凛とした方のようです。ルカ王子にもその血は流れておりますから」
「ヤクザ者を顎で使った」
上には上がいるものだと、バルガスたちは感心する。
メンデスは頷くと、
「トリス上等兵ぐらいで驚いていては心臓がいくつあっても足りませんよ。ルカ王子の周りはあのような者ばかりです、一癖も二癖もあるような。現に戦死したレスター・ビゴットなど、クリンベルク将軍ですら、敵に回したくない男だと言っておりましたから」
バルガスは唸る。
ダニールは納得した。どうしてルカ王子が我々の態度を見て、あれだけ寛容でいられるのか。既に免疫が出来ていたのか。と言うか、彼らに比べれば我々の方がまだおとなしいとのお考えか。
まずはトリスたちが旅立った。それを追うようにしてアモスたち。トリスは北側からゲリュック群星へ入るコースを取る。そしてアモスは東側からのコースを取った。それに並行するかのように、メルデス艦隊、シルバ艦隊、レオニ艦隊が星間パトロールを装ってそれぞればらばらの方向に出航した。そして最後にルカの率いるロブレス艦隊とバルガス艦隊。王子の出陣とは名目的なものでその内容は、宇宙戦艦を引き連れた王子の遊覧旅行。名だたる商業港に寄り賄賂を集めてくるので一般の遊覧より始末が悪い。来られた方も偉い迷惑だが、ネルガルの王子と親しくしておけば後々何かと利益になる。増してその王子が玉座に付けば膨大な権益が見込める。
最初に戦闘が始まったのはメンデスたちの遭遇戦だった。レイはレオニ少佐に、怪しい宇宙船は軒並み停止させ調査するように指示した。これから重要な船が航宙するための露払いの役目を演じさせた。これにより次第に海賊たちはレオニの艦隊がうっとうしく思うようになった。
「船長、邪魔ですねあの艦隊。宝船を拿捕する前に、やっちまおうじゃないですか」
大事の前の小事とは思いつつも、こうもうるさく飛び回られてはかなわない。
「まず、あの蝿からかたづけるか」
これがレイの狙いだった。
「海賊が、動きました」と、オペレーター。
「奴等、何の目的でこの空域に集まって来ているか、わからなくなっているようですね」
これがメンデスの幕僚の感想。
それほどまでに向きになって海賊たちはレオニ艦隊を追いかけ始めた。かなりしつこく咎められたことが気に障ったのだろう。
レイの狙いは彼らを怒らせ拡散し各個打破。これはルカの指示でもあった。
レイはレオニ艦隊を巧みに操作し、海賊たちを自分たちが伏せているところへと誘導させる。そしてメルデス艦隊とシルバ艦隊で挟み込むようにして三方から包囲し殲滅させた。若さゆえに血気に逸るレオニ艦隊と慎重すぎて動けないシルバ艦隊をうまく組み合わせた作戦だ。次の遭遇戦も似たような形で殲滅させた。そして次々と敵が大きく固まる前に叩いていった。さすがにカスパロフ大佐の右腕であり、ルカ王子が別働隊を任せるだけのことはあると、感心してアイリッシュ少佐の指揮振りを見ていると、
「やった」と、喜ぶレオニ少佐の声が通信に入って来た。
「雑魚が相手ではな」と、呟くシルバの声。
だがシルバは前回のゲリュック群星の会戦で敗退をきしていた。そのため些細な勝利でも内心は嬉しい。
しかしレイの態度は冷静だった。まだ喜ぶのは早いと言わんがごとくにその視線は空域を映し出しているスクリーンを睨み付けている。
準備は整った、本番はこれから。
その頃ルカの旗艦では、ケリンが必死で情報操作をしていた。さすがは敵地、海賊たちの通信に入り込むのはたやすかったが、その分、こちらの動きを隠すのに手間取った。レイたちの戦闘、いかにも宇宙海賊の方が優勢なように情報を流す。だが実際は、
「ゲリュック群星の西側は、ほぼ制圧したようです」
「そうですか」
ルカはまるで外遊を楽しむかのように、ゆっくりと艦隊を走行させていた。いくら出陣とは言え、王子を乗せた艦隊が戦闘するはずがないと言うのは常識だった。まれに常識を知らない王子が居て戦闘を仕掛ける場合があることはあるが、その時は大概が負ける。大敗までは行かないが辛うじて逃げ帰るというパターンが多い。なぜなら何も知らない王子がその権限だけで指揮を取っているのだから無理もない。少しでも戦闘のことを知っていれば、指揮は提督に任せ自分は口を出さない方が、勝率が上がることも知っているはずだ。王子が口を出さなければ提督も、王子の身の安全を第一に考え戦いを挑んだりしない。
ルカも前例に倣い賄賂を徴収するために給油を装いある衛星に立ち寄った。だがルカの本当の目的は、ここで海賊が餌に食いつくのを待つ。
着岸早々、さっそく商人たちが列を作った。だがその数は皇位継承権上位の王子とは比べものにならなかった。
「継承権最下位ではな」
挨拶するだけ無駄だという雰囲気が漂っている。それでも何人かの商人が来るのは、このご時勢、何が起こるかわからないからだ。とにかく名を覚えていてもらえば、何かの時には融通を利かせていただけるだろうというささやかな願望。
そんな中、順番を無視して入って来たものが居る。ゲリュック群星を統治している初老のエヌルタ人だ。供のものを二人連れていた。エヌルタ人は光合成でもしているのかと思えるほど全身が緑色で、顔の半分も占めるかと思えるほどの二つの大きな黒い目が特徴だ。皮膚にはしわがなくつるりとしている。そのため年齢がわからない。身長はだいたいネルガル人と同だ。
「順番を無視されては困ります」と言う事務官の声。
その事務官の声を無視して老人は謁見の間に入ってきた。
だが、誰も咎める者はいない。それどころか今ルカと話をしていた商人すら一礼してすごすごと引き下がる有様。さほど威厳があるようには見受けられないが、周りの商人の態度からこの老人の権限の強さを意識させられた。
老人はルカの背後の真紅の軍旗を見るなり、
「なるほど」と、納得すると、
「これは凄い」と、感嘆する。
ルカはその老人の様子を見て取り、疑問に思う。
「驚かれないのですね」
「ああ、この軍旗のことですか、王子なのに猛禽類ではない」
「ええ、最初にそれを聞かれます。最も直接聞いてくる者はおりませんでしたが、聞いてよいかどうか皆さん迷われておられるようですので、こちらから答えておりますが」
相手は子供、しかも継承順位は最下位といえどもネルガルの王子、迂闊な事は口にできない。気にさわり、不敬罪だなどということになっては。しかし、商人たちの視線がそう訴えているのはルカには見て取れた。だがこの老人は。
「お噂はかねがね、アモス船長より」
「アモス船長のお知り合いですか」
老人は苦笑すると、
「お知り合いと言うほどのものでもないのです。先日、いきなり私のところにやって来て、ゲリュック群星から海賊を一掃してやろうかと言うもので、その日から知り合いになりました。そしたらあなた様を紹介され、協力してやって欲しいと」
ここで初めて老人は跪くと、
「申しおくれました、私はゲスマン・ララと申します」
ロブレスとバルガスは驚いた。名前は聞いたことがある、ゲリュック群星の影の支配者だと。だがその姿を見た者は少ない。それが彼の方からわざわざやって来るとは、他の王子が立ち寄っても年齢を口実に顔を出したことがないと言うのに。否、実際は今回同様貢物を持って来てはいたのだが。エヌルタ人もボイ人同様、ネルガル人の目では個々人の見分けが付かない、先方から名乗ってもらわなければ、目の前に立たれてもその人物がゲスマン・ララとはわからない。現に供の二人も同じような顔をしている。
ララは王子の態度しだいでは折箱だけおいて名を明かさず帰るつもりでいたのだが、アモスの言った通りの人物だった。
ルカは慌てた。御座から飛び降りるように立ち上がると、
「お手をお挙げ下さい。協力してくださる方にそのような所では、今、椅子を用意させます」
謁見の間、旗艦の中なので広さこそ広くないが、壇上にルカの御座があるのみ。
ルカはアモスから協力者がいるとは聞いていたが、具体的に誰とは聞いていなかった。
ルカがクリスに椅子の用意を指示すると、ララは微笑ましい顔をしてそれを絶って、
「お許しいただければ、この段の端に」と、老人は腰をおろした。
ルカは杖を突きながら老人のところに歩み寄り、その隣に座った。旗から見れば、老人と孫が仲良く並んで座っているようだ。
「ネルガルの王子らしくありませんな、とい言うよりもネルガル人らしくない」
ルカは苦笑する。
「あまりよい噂は流れていないようですね」
「実力のある者は妬まれますから、いくら低頭な姿勢を取ったところで」
実感のこもった言葉だ。おそらくこのご老人も、ここまでになるにはいろいろと誤解されたのだろう。
「ご老体こそ、ドンらしくありませんね」
ルカはわざとアモスたちが使う言葉を使った。
ドンなら恰幅がよくそっくり返っていると思っていた。これは他の星人がネルガル人に抱くのと同じ印象。傲岸不遜。
老人は軽く笑う。
「羨ましいですね、あなたのために皆が道を譲る」
先程の人も決して嫌で退いたのではない。老人の姿を見るや、自分の用件をさっさと済まして順番を譲ったのだ。
「私など、きちんと並んでいても後回しにされてしまいます」
皇帝との謁見、父に呼ばれてすら、もっとも呼ばれるようなこともなかったが、お前のような者が来るところではないと兄たちから言われ、兄弟の最後尾に回される。
これはルカの愚痴でもあった。ルカは老人が好きだ。それでついつい本音が出てしまった。
「凄い権限ですね」
「私が権限で彼らを退かしたとお思いですか」
ルカは首を横に振った。
違うのはわかっていた。彼らは自ら退いた。これはボイ星でもルカは経験していた。王は何一つ威厳をひけらかすことはなかった。それでも皆が義父の下へ相談に来る。皆が私の話を聞いてくれたのも義父が私を認めたから。そしてここでも同じような現象が起こる。
「ここはネルガル帝国ではありませんから。商人は縦のつながりより横のつながりを重視します。ここには皇帝も王もいません。ただあるのは誰の傘下に入るのが一番儲かるかです」
より多くの商人からより多くの信用を勝ち得たものがドンになれる。
「儲かると言うことは、自分たちは安全な場所にいるということです。安全な場所をいかに提供できるかがドンの資質です」
「では、アモス船長は商人には向きませんね」
「そうですな」と言って老人は一旦ルカの意見を受け入れてから笑う。
「しかし殿下、商人はいつでも損得だけで動くとは限らないのです。損得だけで動く商人は、所詮、小銭しか稼げません。時として粋で動きませんと」
「粋?」
自分を粋にさせる人物に出会えると言う事は、ある種の喜び。
ルカが解からない。と言う顔をしていると、老人はルカの頭に軽く手を乗せた。まだ小さいからと言わんがごとくに。
「ところで今、私の足場が揺らぎ始めていましてね、このままあの海賊をのさばらせておきますと、その安全な場所を提供できなくなる」
利害が一致したとルカは思った。ルカは海賊を退治して妻を救い出す。ララはゲリュック群星のドンとしての足場を再度固める。
「わかりました、出来るだけ短期にかたづけます。損害を最小限度に抑えるために」
「そうしていただければ、助かります」
海賊を退治してもその損害が多大なものになると、また話は別になる。
老人はお礼方々供の者に合図する。すると二人のエヌルタ人が折箱を持って来た。
「たいした物ではないのですが、お近づきの印に」
そして二人は手を握り合って別れた。そこには上下の関係はない、同盟としての仲間としての。
老人が去ってから、ゲリュック群星の人々のルカに対する態度が一変した。
「名乗られたそうだ」
「ボスがか?」
一方旗艦から降り立った老人に数名の者が駆け寄る。
「いかがでしたか?」 ルカ王子の印象は。
「何しろアモス船長は銀河を駆ける拡声器という評判ですから」
蟻ほどの話も恒星の爆発のごとくに話す。
老人は苦笑しながら、
「お茶でも飲みながら」と言うことになった。
子供とは言え、相手はネルガルの王子。いくら相手が下手に出てきたとは言え、老人は緊張を強いられた。一歩間違えば無礼討ち。いくら抗議したところで闇から闇へ葬り去られるのが関の山。それだけの権限を本人が意識するしないに係わらず、あの子供は持っている。無性に喉が渇くのも無理はない。
馴染みの店に入り、やっと一呼吸したところで、
「アモス船長の話の一つはその通りだった。身分に囚われないお方のようだ。そしてもう一つの実力の方は、これから見せてもらおう」
長い付き合いをするに相応しい相手かどうか。
そんなことを友人と話し合っている時だった。店に商人たちががやがやと入って来た。ゲリュック群星は商人の星。いろいろな星の商人が集まって来ている所だが、その中でもマルドック人は陽気さゆえにひと際目立つ。
「まったく、ガキはこれだから困るぜ」
「あんまりでかい声で言わない方が」と、たしなめる仲間。
「これが、怒鳴らずにいられるか」
腹立たしげに椅子を蹴りながら歩く。
「どうなされた?」と、老人が声をかけると、
「これはご老体、聞いてくださいよ」と、ララのところに椅子を引き寄せてきた。
「聞くも涙、語るも涙の物語」と、このマルドック人の船長は大げさなジェスチャーをふまえ話し始めた。
「マルドック人とは、どうしてこうも大げさなのでしょうか」
エヌルタ人は苦笑しながら船長の話を聞き始めた。
マルドック人もエヌルタ人もどちらも商売を生業としているのだが、気性はまるで違うようだ。
「謁見が、急にうちきられたのですよ。しかも俺なんか十五時間も並んでいて、後五組目だと言うところで」
「それはお可哀想に」と言ったものの、エヌルタ人は顔を見合わせた。
いよいよ始まるのかと。
「しかも、理由が何だと思います?」
マルドック人の船長は訴えるような目で老人を見る。
「わかりませんな」と言う老人に、
「飽きた。の一言です」
「飽きたねー」と、老人は感心したように言う。
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろってんだ。何様のつもりでいるのだか」
「この銀河を支配するネルガル帝国の王子だろ、十歳だかなんだかしらないが」と、仲間の一人が茶々を入れる。
船長はむっとしてそいつを睨み付けた。
茶々を入れた仲間は肩をすくめて黙り込む。
「それにな、奴等が出航するまで、全てのゲートを封鎖するって言うんだぜ、他の船がうろうろしていたら出航の邪魔になるからだとよ。何様の」
「だから、銀河を支配する」
船長は最後まで言わせなかった。
「煩せぇー」
いきなり計算機を投げつけてきた。
まあまあと、エヌルタ人に宥められ、やっと落ち着く船長。
「ゲートが封鎖されては手も足も動かせない。まあ、ゆっくりしませんか」と、酒など用意されると、さすがにゲリュック群星の英雄を相手にこれ以上悪態をついても居られない。素直にそのグラスを受け取る。
老人は確信した、いよいよ始まるということを。老人が謁見の間を辞去する時、王子に言われた。
「これからゲリュック群星へ入って来ようとしている船は、差しさわりのない口実をつけて、できるだけ排除してください。少しでも一般の船の被害を抑えたいものですから」
この者たちをこの衛星に釘付けにして置くおつもりですか。と老人は宙に向かって問う。
マルドック人の船長は落ち着いたものの、まだ腹の虫は収まらないと見える。
「いいのですか、あんな子供に好き勝手なことをさせて」
だが老人は、船長の話には乗ってこない。
ゲリュック群星がネルガルの支配を免れたのはこの老人の尽力のたまもの。それによってこの老人の今の地位がある。
「本当にいいのですか。あんなガキをのさばらせておいて。ここはネルガル帝国ではないと、はっきりと」
老人は苦笑する。
「交渉相手は、選びませんとね。話の解からない者にいくら言っても無駄です」
投獄されるのが落ち。それどころか不敬罪で処刑される可能性もある。
また話が解かっても、力(権力)のない者を相手にしても無駄。とは口にはしなかったが。まず、話の解かる相手が権力を持てるように協力することが、交渉の第一歩。
「商人は、無駄な投資はしないものです」
例えそれが自分の世代では回収できなくとも、次の世代にでも回収できるのなら投資をする、長い目で。
ゲリュック群星の商人と限らず商人は口が早いにもかかわらず、さすがに今回だけは協力すると言った手前、ケリンの情報戦に対しては沈黙を守り通した。そのためエル・メディコを頭とする宇宙海賊たちはケリンの流す情報に翻弄されることになった。
「どっちが、正しいんだよ」と。
情報は錯綜するもの。そして人は自分に有利な情報を信じたくなる傾向がある。
「西側の用意はできたらしいぜ」
「ではいよいよ、追い込みにかかるか」
海賊たちは東側に集まりつつあった。
謁見の途中で、クリスがルカに耳打ちした。
「かかったようです」
「そうですか」
事務官が次の組を入れようとした時、
「謁見は、これで中止します」と、ルカはいきなり中止を申し出た。
事務官は困った顔をする。彼はこの艦隊には珍しく、かなり真面目な性格のようだ。どうしてこの艦隊に配属されてしまったのか疑問が出るところだ。
「何とお断りすれば」と、恐る恐る尋ねてきた。
「飽きたと」
「あっ、飽きた!」
事務官は驚いたように言ってから自分の非礼に気づいたのだろう、慌てて、
「しっ、失礼いたしました。ですが」
それでは朝から十時間以上も並び続けていた方々に申し訳ない。と顔に書いてある。
おそらくここら辺が上官の顰蹙をかったのだろう。そしてこの艦隊に配属されてしまった。ネルガル人のくせに、他の星人をネルガル人同様に扱うから。否、過去に扱ったことがあるからだろう。さすがに過去の経験でこりて、口にはしなかった。
ルカは事務官のそこが気に入った。
「名前は?」と問う。
「ホアン・コルティンと申します」
「コルティンさん、あなたの気持ちもわかります。ですが今は急を要しますから。他の口実では説明が必要になります。ですがこの口実でしたら説明は不要でしょう。子供ですから、何時までも椅子に座っていられなかったのだろうと、誰もが思います」
確かに。と周りの者は納得した。
「それと全てのゲートを封鎖して下さい。こちらは出航の邪魔だと。常日頃のネルガル人の態度から、皆さん納得されるでしょうから」
「しかし、それでは殿下の評判が」と、心配するリンネルに対し、
「結果を出せばよいのです。途中経過は必要ありません」と、ルカは御座から立ち出す。
「ロブレス大佐、バルガス中佐、何をぐずぐずしているのですか、早く出航の準備をして下さい。出来た艦から出航します。遅い艦は置いて行きます」
「あっ、はぁ」と二人の提督は慌てて駆け出す。
「殿下はああ見えて、意外と気が短いんだ。まごまごしていると怒鳴られるぜ」
ルカの意外な一面。傍に仕えている者でなければ知らない。
ルカは彼らの後姿を、微かに笑みを浮かべて見送った。
「リンネル、私達も」
「畏まりました」と、リンネルが踵を返したその部屋の片隅に、上半身人間で下半身が蛇体の妖艶な女性がいた。
ヨウカ殿。思わずその声を飲み込む。
(いよいよ竜の本領発揮じゃのー。竜は愛するものを守る時、軍神になるのじゃ)
(では、イシュタルの守り神と言うのは) イシュタル人は竜に愛されているから。
(もう、イシュタルの守り神ではないわ。イシュタル人は嫌われておるからのー)
(それで、ネルガルに) 殿下がイシュタル人の言葉によると転生したということになる。
ヨウカは妖艶に声をあげて笑うと、
(ネルガル人は、憎まれておるのじゃ)
「どういう意味だ?」
嫌われているより、もと酷い。
「大佐、どうなされました」と、キネラオ。
「いや、別に」
うっかり声を出してしまったようだ。リンネルはキネラオの方へ一旦視線を移し、もう一度部屋の片隅に視線を戻したが、もうそこにヨウカの姿はなかった。
じっと一点を見詰めて動かないリンネルに、
「あそこが、何か?」と、もう一度キネラオが問う。
いや、何でもない。と言いかけた時、
「白蛇だ」と、ホルヘ。
「あなたにも見えるのですか」と、リンネルは驚いたように問う。
「ボイ星でも数回、殿下の庭の池の辺で」
殿下に憑いている。と言われている白い蛇。そして白蛇は、ボイ星でも竜の使いと言われている。
「何か、話されたのですか」と言うホルヘに、
「いや、何も」と、リンネルは首を横に振った。
ただ、見えるだけです。
衛星の街中に警報が鳴り響いた。
「なっ、何だ?」
「出航だとよ、遅い奴は置いて行くそうだ」
「また、急に。どうしたんだ?」
下の者たちには、今回の作戦は知らされていなかった。そのため誰もが、王子の気まぐれと受け取った。
「まったく、これだから偉い奴のお供は嫌なんだよ。予定があってねぇーようなものだからな」
「何も、警報など鳴らさなくったって」
それでも皿の上のものを全部口にかき入れようとしている兵士。
「おい、早くしろ。遅れるとどやされぞ」
連帯責任だ。チームの中に一人でも遅刻した者がいると、全員で責任を取らなければならない。
老人の横を、上着を抱え込むような姿で、あるいは口の周りをテイッシュで拭きながら慌てて走り去るネルガルの兵士。彼らに期待するしかない。
「今の話しぶりだと、彼らは知らないのですかね、今回のこと」
「どうやら、そうらしいですね」
それでうまくいくものなのだろうか、とエヌルタ人の一人は心配する。
今回の艦隊、王子の艦隊にしては品がなさ過ぎる。こう言っては何だが、軍人の屑の集まりのような。本当にこの者たちでエル・メディコ相手に戦えるのかという感じだ。また敗走するのが関の山ではないのかと。だが老人が信じるのでは我々も信じざるを得ない。
「アモス船長の話では、相当変わっている王子らしいから、引き連れている艦隊も変わっているのだろう」
ルカの出航が整った頃、エル・メディコの仲間も東の空域に集まったようだ。
「よし、包囲してお宝を頂戴するぞ」
「逆らう者は、皆殺しだ」などと、歓声をあげ始めた。
一方、アモス船長の船、ボッタクリ号の船内では。
「しかしケリンの野郎、言うに事欠いてアパラ神の瞳だと」
「これがねぇー」と、厳重なケースの中に納まっているティアラを眺めながら。
「これが本物なら、俺、これ持ってとんずらするぜ」
「しかし、レプリカにしてもすげぇーな、この輝き。本物みてぇーだぜ」
「馬鹿だな、本物みてぇーに作るからレプリカなんだろーが」
「ちげぇーねぇー」と、ボッタクリ号の船員たちは訳のわからない話題に夢中になって納得していた。
アパラ神の瞳。この銀河に二つしかない宝石だ。その一つはネルガル皇帝の頭上、王冠に。そしてもう一つは、初代ネルガル皇帝の妃の頭上に。本来そのまま次の妃に引き継がれる予定だったが、万が一直系の血筋が耐えたときの用心に、その時の皇帝の弟であったハルメンス公爵に引き継がれたのである。以来そのティエラはハルメンス家にある。つまりアパラ神の瞳とは、ただの宝石ではない。ネルガル帝国継承者の証なのだ。
「これほどの宝石、本物だったらたかだか十隻の高速巡宙艦の護衛で運ぶか」と言いたいところだが、海賊たちはケリンの情報を信じ込み喰らいついてきた。
「せっ、船長!」
ダンの緊張した声。
「レーダーに無数の艦影」
ダンはメインスクリーンにそれらを映し出した。
まだ距離があるせいか艦の形ははっきりしない。だがその数、馬鹿ではない。
「きっ、来ましたぜ。総結集で感じだな」
「アパラ神の瞳があると、本気で思っているらしいーな」
艦影は見る見る大きくなって来た。
「せっ、船長。奴等からの通信です」
船橋に緊張が走る。
「何と言ってきている?」
「アパラ神の瞳を素直に差し出せば、命は助けると」
「何が、命を助けるだ。今まで助けたことなどないくせに」
エル・メディコの非道振りは有名だ。後に彼の数十倍も上を行く冷酷な海賊が現われるのだが、今はまだ鳴りを潜めていた。
「どうします、船長」
「回線を開け。こっちから喧嘩を売ってやる」
「えっ!」と、船員たちは顔を見合わせた。
「何も売らなくとも、収益にはなりませなよ」と、イヤン。
「いいから開け、囮なら囮らしく、敵を充分に引き付けなくちゃな」
メインスクリーンに、エル・メディコの上半身が映し出される。
先に挨拶してきたのはメディコの方だった。
『これはアモス船長、始めまして』
「あんたが、エル・メディコ元大佐か」と、元を強調する。
「しけた面してるぜ。そんな面しているから、いい上官に恵まれず、この様か」
『なっ、何だと』
いきり立つメディコ。こちらが下手に出ていれば。
「どうやら図星のようだな。まあ、お前さんが上官に不平を漏らしていくら暴れまわっていても、俺は一向に構わないのだが、俺の商売の邪魔だけはしないでくれ」
『お前の商売?』
「決まってんだろー、このアパラ神の瞳を、さる貴嬢の下まで送り届けること。これが俺の今回の商売だ」
『そのアパラ神の瞳をいただく。と言うのが今回の俺たちの目的なんだ。命が欲しけりゃ、がたがた言ってねぇーで、さっさと差し出せ』と、メディコはスクリーンの中で、戦力の有意差から冷ややかに笑う。
アモスはぼりぼりと顎をかくと、
「やらないこともない。ただし貴嬢の手に届けてからにしてくれ。その後なら、お前の自由にしてもいいぜ」
「それって、やる気がないってことですよね」と、船員の一人が隣の者に確認を取る。
それはメディコもわかったようだ。
『てっ、てめぇー、ふざけてんじゃねぇーぞ』
いよいよ本領発揮、地が出てきたようだ。
そうこうしている間にもメディコ率いる宇宙海賊は数を増やしつつ近付きつつあった。
「やっ、ヤバイですよ。そろそろ射程距離に」
護衛の巡宙艦がアモスの貨物船を囲い始めた。
「船長、巡宙艦の司令官から通信です」
「開いてくれ」
スクリーンに今度はネルガルの軍服をきちんと着た軍人が現われた。きちんと着たとあえて言うのは、ルカの艦隊にあっては珍しいことなので、かえって目立つ。
「これは、司令官」
『船長、困りますな、敵を挑発するような言動は』
今頃言っても遅い。
「なんだ、盗聴していたのか。だったら前もって忠告してくれればよかったのに」
忠告したところで聞くような相手ではない、アモス船長は。
司令官は苦笑すると、
『小惑星を楯にして、救援が来るまで持ちこたえるしかありません』
この作戦を知らされていない司令官としては、妥当な作戦だ。だが、
「あれだけの敵を相手に矛を構えたところで無意味だ。それより逃げるしかない」
『しかし、その船では』
旧式で鈍重そうな貨物船。我々巡宙艦は逃げ切れるとしても。
「心配要らない。この貨物船はただの貨物船じゃない。お前たちこそ、この船に付いて来られるかと言いたいな」
『なっ! 何?』
驚き半分、疑問半分。
「いいから、航路を開けろ。そろそろ逃げないとヤバイぜ。俺の船に付いて来い」
そう言うとアモスの船は推進力を増し始めた。
司令官は暫し幕僚たちと顔を見合わせていたが、戦っても無意味なことは数の点で明らか。逃げ切れるならそれに越したことはない。
『救援信号を』と、司令官が指示をしているのが聞こえた。
星間警察か。当てにはならないが、それでも来てくれればそれに越したことはない。と、司令官は考えたのだろう。敵にこちらの位置を教えることになるが、同時にルカにも教えることになる。こちらの位置がはっきりしていた方が、動きやすいだろう。
アモスの読みは正しかった。
「巡宙艦からの救援信号です。どうやら海賊と鬼ごっこを始めたようです」と、ケリン。
「第一級戦闘準備」
同じような会話は、トリスの率いる艦隊の艦橋でも。
「奴等、今、どの辺だ?」
「小惑星ブーフ近郊を通過しているようです。速度を徐々に増しているようですから、後三十分もすればこちらの回廊との交差空域を通過します」
「そうか、ではまだ追い立てるな。アモスの船の前に出られたらまずいからな。妨害電波を出して撹乱させろ。あんな旧式の貨物船に、まさか最新型の高速艇のエンジンが取り付けられているとは、誰も思わないだろうから」
相手の位置が確認できなければ、過去のデーターを基に計算して割り出すしかない。
案の定、海賊たちは、ボッタクリ号の 交差空域の通過を今から四十分後と算出した。三方からの挟み撃ち。もしボッタクリ号が通過したなら、その後を仲間と一緒に追えばいい。
「少し早いが、交差空域の出入り口で待機していればいいか」などと言って、北側の回廊を担当した海賊たちは前進を始めた。
「距離を置いて、後を追え」
仲間と合流されても面倒だ。その前にあらかた始末する。その方法は。
「トリス船長、先方はそろそろ交差空域です」
「よし、こちらも準備を始めるか。各自、最終チェックに入れ。終わり次第、隣の巡宙艦に移るように」
『了解』と言う返事が、各部署から聞こえた。
最終チェックが済んだ部署から次々とシャトルで隣の艦へと乗り移る。
「五分前です」と、オペレーター。
「自動操縦に切り替えろ、脱出するぞ」
トリスたちが脱出した後、最新鋭の星間貨物船はケリンの組んだプログラムを走らせ始めた。ゆっくりと海賊船へ近付いて行く。トリスはそれをシャトルの中から見守っていた。
その頃、海賊たちはボッタクリ号の速さに驚いていた。
「はっ、早ぇー。何だ、あの貨物船は」
海賊たちの目の前を、高速艇顔負けの速さで疾走するボッタクリ号。それを追いかけるかのように護衛の巡宙艦。そしてそれを追いかける宇宙海賊。彼らが目にしたのはそこまでだった。その後にネルガルの正規軍がいたのだが。
「親分、後方より、貨物船か一隻近付いて来ますぜ」
「なっ、何?」
「最新型の貨物船じゃねぇーのか」
彼らが貨物船の船籍を確認した頃には、その貨物船は船体をバリアで被い、猛スピードで突っ込んで来た。
怪しいと思った時には既に遅い。
貨物船はバリアを解除すると後続の海賊船を巻き込み、自爆したのだ。積荷の代わりにわんさと積み込んだ爆薬。その威力は並みではなかった。北側の回廊はこの爆発によって完全に封鎖されてしまった。辛うじて助かった海賊船の幾つかは、仲間と合流しようと前進したのはいいのだが、背後を見ればネルガルの正規軍が追いかけて来ていた。
ボッタクリ号を追う海族、その海賊を追うネルガル正規軍。
ルカは艦橋でゲリュック群星全体を映し出したスクリーンを眺めていた。
「自爆します」
はっ? と、ケリンの隣にいるオペレーター。まだレーダーには何の反応もないのだが。
ケリンの反応はこの旗艦の専属のオペレーターより早かった。
「全員、避難できたのかな」
ルカがそう問いかけた直後。
「北側の回廊近郊で、大きな衝撃波を確認しました」と、オペレーター。
同じ通信士でも、隣の奴(ケリン)は、何をやっているのかわからない。乗艦してからひたすらパネルを操作しているようだが。そして今のように勝手に報告する。だが殿下はそれを待っているご様子。などと思っていると、
「どうやら北側の回廊は封鎖されたようですね」
後はこのまま西側へ追い込むのみ。
「全艦、砲撃開始」
ルカの合図で一斉に砲撃が始まった。
「一体、これはどういうことだ」
海賊たちは焦った。
何時の間にか追う立場が追われる立場に変わっていた。
前を逃げていく宝の船を目の前にしながらも、背後からのネルガル正規軍の砲撃を避けなければならない。ここまで来てお宝を諦めるのは苦しいが、命あってのものだね。たまりかねて一部の海賊は狭い回廊へ逃げ込んだが、そこは既にゲスマン・ララ老人の掛け声で集まった商船が、機雷等を持ち寄り封鎖していた。
「親分、機雷ですぜ!」
小さな爆発波がレーダーに点滅する。
「どうやらわき道は塞いでくれているようですね。これでほぼ完璧に封鎖しましたね」
狭い回廊を引き戻してきた海賊船は、ネルガル正規軍の砲撃の餌食。
海賊たちは既に、宝船を追っているのかネルガル艦隊から逃げているのか解からない状態になっていた。
ルカはこの様子をスクリーンで冷静に確認している。
「遅いですね。艦長、もう少し速度を上げてもらえませんか」と、ルカ。
リンネルが忠告しようとするより早く、
「殿下、旗艦が突出する訳にはまいりません」と、艦長。
「そうなんですか」と、ルカは納得し暫し沈黙した後、オペレーターに、
「バルガス中佐を呼び出して下さい」
「畏まりました」
コンマ数秒後、メインスクリーンの一部に、バルガス中佐の上半身が映し出される。不機嫌そうな顔、この忙しいのに何の用だと言いたげな。用件をさっさと言え、さもないと通信を切るぞ。という感じに睨み付けている。
ルカはその雰囲気に臆する事無く。
「バルガス中佐。貴官の艦隊は、ロブレス大佐の艦隊に比べ遅れております」
『なっ! なにー』
常に目の上の瘤であるロブレスに、遅れを取ったとは。
レーダーをよくよく冷静に見れば、そんなに違いはないのだが、指摘されると人は、かなりの遅れを取っているかのように錯覚するようだ。まして相手がライバルのロブレスでは。他の奴に負けても、こいつにだけは負けたくないという意識が働く。
『スピードをあげろ。ロブレスの野郎に遅れを取るな』
通信機の中にバルガスの怒鳴る声が入ってくる。
ルカは通信を切らせると、にこりと笑った。
当然、バルガス艦隊が前進を早めれば、ロブレス艦隊も負けじと加速した。
「バルガス中佐目、何を考えているのだ」と言いつつ。
「おそらく、武勲を一人占めしようと」
さり気ない幕僚の言葉が、それを加熱させた。
「ロブレス艦隊が、加速しました」
「なっ、なに!」
バルガスはレーダーをチェックすると、加速しろ、ロブレスなどに負けるな。と命令した。海賊退治が目的なのか、競艇(この場合、競宇宙戦艦とでも言うべきなのだろうか)が目的なのかわからなくなってきている。
バルガス艦隊が加速すれば、当然ロブレス艦隊もまた加速する。
「おい、敵を抜く馬鹿がいるか。これじゃ近すぎて砲撃できないじゃないか。速度をおとせ、速度を」などとわめかれても、この際、下手な逆噴射は事故のもと。
後から押され、結局、敵味方ごっしゃになって大回廊の西側のメンデス少将が包囲している空域に突進するような形になってしまった。
「おい、空域に出る前に敵から離れないと、撃ち殺されるぞ」
周りが速度を上げれば、当然ルカの乗った旗艦も上げざるを得ない。艦長は操縦士に速度を上げるように指示し、さり気なく背後を振り向く。
そこにはスクリーンに魅入っているルカの姿。
おもしろい、お方だ。
一方、何もわからずこの戦闘に加わることになってしまった兵士たちは、一部のこの戦闘の流れを理解している艦長が焦るのを見て、理解に苦しんでいた。
スピードを落とせ。という通信が入ってから、艦長の様子がにわかに変わった。
「逆噴射しろ、逆噴射!」
「艦長、そんなことしたら後続の艦にぶつけられますぜ」
このやり取りを傍受していたら、こっちが海賊ではないのかと勘違いされるような言葉遣い。
「馬鹿やろー。何でもいいから、敵から離れろ」
「艦長、どうしたんですか?」
「いいか、このまま回廊をぬけたら、俺たちは海賊と間違われて蜂の巣だ」
「それ、どういう意味ですか?」
やっと事態の重要さを知ったのか、幕僚たちが真剣になり始めた。
「これは、遭遇戦ではなかったのですか?」
誰もがそう思っていた。大体、王子の護衛と聞いた瞬間、何で俺たちみたいな半端者の集まりの艦隊がとも思ったが。王子の護衛だというだけで面倒なのに、そこによりによって宇宙海賊との遭遇。しかも相手はエル・メディコ率いる最悪の海賊。この海賊とだけは遭遇したくなかったのだが、宇宙は狭いものだ。否、それとも俺の運が尽きたのか、まだまだやりたいことは一杯あるのに。などと感傷に浸っているわけにもいかない。こうなればこの艦だけでも、助かる道を。
「違う、これはルカ王子の綿密な計算に基づく作戦だ」
「作戦?」
「ルカ王子って、あの人形のような?」
「確か、まだ十歳だとか言ってたよな」
出陣の前に挨拶に立ったが、皆さん、よろしくお願いいたします。と頭を下げただけだった。
「らしい」と、艦長もそこら辺は自信がなさげにあいまいに答えた。
艦長も作戦会議に参加したわけではない。実際に参加したのは提督たち。艦長はロブレス提督の旗艦でその話を聞いただけだ。
「エル・メディコ一味を一掃するのが、今回の出陣の目的」
「そっ、そんな命令、聞いてねぇー」
「今、言った」
「今、言われてもなぁー」
「とにかく、命が欲しけりゃ、回廊を出る前に奴等(海賊)から離れることだ。どんなことをしてでも」
「ケリン、速度を落とすように皆に伝えて下さい。このまま回廊を出たら、全員、撃たれます」
ケリンはパネルの操作を止めて、ルカの方へ振り向くと、
「殿下、既に伝えております。それであの様だ。常日頃の訓練をサボっているからだ。つくづく身に沁みただろう。戦艦を操って一、二年のボイ人だって、ここまで酷くはない」と、ルカの背後に控えているキネラオとホルヘに向かって言った。
それどころか一、二年でよくもあそこまでの艦隊運動ができたものだと感心したぐらいだ。
ケリンはくるりと椅子を回すとまたパネルに向かい、
「まあ、撃たれるということはないだろうが、今度は俺たちを楯に使い、奴等(海賊)は逃げにかかりますね」
ルカは溜め息を吐いた。後は、ロブレス大佐とバルガス中佐の艦隊操作に頼るしかないかと。
背後でごたごたやっているうちにアモスの船ボッタクリ号は、大回廊を抜けた。どうにか助かったと思ったのも束の間、目の前に展開するその光景は。
メンデス率いる第6艦隊を中心に、ネルガル正規軍が整然と包囲していた。
「やっ、やべぇー、撃たれるかも?」
そんなささやきが船橋に響く。否、誰しもがそう思ったようだ。
あいつら、海賊ごと俺たちも。
背後を振り向けば、海賊の集団。
「とっ、とにかく、突っ込むしかなかろう。後には引けないのだから」
ビビるアモス船長。
船橋に緊張が走った。その時、
『アモス船長、聞こえますか』
「こっ、この声は」
地獄に仏。
「アイリッシュ少佐? レイ・アイリッシュ少佐」
アモスははっきりと声の主を確認した。
『速度を落とさず、そのまま突っ込んで来てください。中央を開けます』
アモスが速度を下げずにそのまま突進すると、包囲しているネルガル正規軍の中央にぽっかりと穴が開いた。そこを目掛けてアモスの船ボッタクリ号はさらに速度を加速した。後続の巡宙艦が追いつけないほど。
逃げに徹したせいかアモスの一団は、多少の損傷は受けても全艦無事だった。彼らが通過すると、穴は見事なほどに塞がった。さすがはメンデス率いる第6艦隊。常日頃の訓練のたまものだ。
一方、海族たちも出口が見えると一層の加速をし始めた。死に物狂いである。背後からは砲撃、この際、前に逃げるしかない。
「もう少しだ、回廊さえぬければ、何処へでも自由に行ける。運よくワームホールが開いていれば、それで、銀河の果てまで逃げ切れる」
誰しもがそう思って、広大な空域目掛けて回廊を疾走した。
「殿下、アイリッシュ少佐からです。用意は整ったようです」と、ケリン。
「そうですか、では、ロブレス大佐とバルガス中佐に回廊から出しだい、左右に展開するように伝えて下さい。展開が済み次第、一斉掃射です」
ところがそのロブレス艦隊とバルガス艦隊は、常日頃訓練をサボっていた成果が今、いっきに現われたようだ。
「殿下から、何だって?」
「回廊から出たら、左右に展開しろとのことです」
「左右に展開しろって言ったってなー」
敵味方ごしゃごしゃの状態である。砲撃するにも艦の軌道を変えるにも、味方の艦が邪魔で身動きが取れない。
「このまま回廊を出ると、第六6艦隊にこっちが一斉掃射されるぜ」
「それ、どういう意味ですか。第6艦隊って、何処にいるのですか」
「回廊の外で、待ち伏せているんだ」
アウトだ。と誰しもが思った。
その時である。いきなり海族たちが加速し始めた。出口が見えたので、我先に出ようとしているようだ。外で第6艦隊が待伏せしているのも知らずに。
海族とネルガル軍との距離が離れて始めた。
さすがにこのチャンスを逃がすロブレスではなかった。
「今だ、態勢を立て直せ」
ロブレス艦隊の態勢が整い始めればバルガス艦隊の態勢も整い始めた。
「撃て! 撃ちまくれ! 今までろくに撃てなかった分もだ」
ケリンはその様子をモニターで見ていて苦笑した。
「やっと、攻撃態勢が整ったようですよ」
今まで、何やっていたのか、と舌打ちする。
ルカも苦笑すると、
「これからが本番ですから」
本番に間に合えば、少しの醜態は仕方がない。
海族たちが回廊の外で見たものは、
「ヤバイ、引き返せ!」
だが既に遅い。背後も、見事なまでにロブレス艦隊とバルガス艦隊が展開していた。ロブレス艦隊もバルガス艦隊も展開しつつも砲撃の手は緩めない。それどころかやっと艦隊運動ができるようになり、砲撃が増してきた。
「モイセンはどうした。奴がこの空域を確保していたのではないのか。あの役立たずが」
モイセン率いる海族は、既にメンデスたちとの戦いで宇宙の藻屑と化していた。
「親分、どうします。完全に包囲」
「そんな事、言われなくとも見ればわかる!」
メディコは怒鳴った。
宝船を包囲するつもりが、いつのまにかこちらが包囲されてしまった。
第6艦隊もアモスたちを完全に背後に収容すると、砲撃に出た。
激しい砲撃戦。宇宙の闇に数万条というエネルギー弾の筋。それが艦体に当たって光と化す。その光景はさながら夏の夜の花火。砕け散った艦体の破片がそのエネルギー弾の光を反射し、万華鏡を覗いているかのようにキラキラと踊り、目が離せない。死とは、これ程までに美しいものなのだと、悪魔が囁いているようだ。飛び散る艦体は見えても、ここから飛び散る肉体は見えない。だがこの光景は、ルカにボイ星での戦闘を髣髴させた。
旗艦がエネルギー弾を受けた時、気付けば目の前に誰とも知れぬ肉片の塊。思わず声を張り上げそうになり、自分を必死で庇ってくれている者の存在を知る。こんな事で悲鳴をあげていては。そして最後に見たものは、超新星と見間違うほどの発光。
「レスター!」
ルカは思わず指揮シートから立ち上がっていた。
ケリンや艦橋の者たちが振り向く。
「殿下」と、リンネルの気遣うような声。
「もういい、砲撃は中止だ」と、ルカは怒鳴る。
だが、
「それは、なりません」と、リンネル。
リンネルはルカを指揮シートに座らせると、
「敵が降伏するまでは、砲撃の手を緩めるわけには参りません」
ルカはリンネルを睨み付けた。だがリンネルはそれに臆することもなく、じっと戦闘を映し出しているスクリーンを見ている。敵の次なる動きを察知するために。ここで手を抜けばどうなるかわからない。敵は必死なのだから。
「これでは一方的な殺戮だ。戦闘などというものではない。止めさせろ」
だがリンネルはルカの命令を無視した。
所詮戦争などとは、このようなものなのです。勝つ側の一方的な殺戮。だから勝負が付くのです。それがはっきりしていなければ引き分けです。両陣営が、自分たちこそ勝者だと言い張る。
リンネルが自分の命令を聞かないことを知ったルカは、ケリンに命令した。だが、ケリンもリンネルと同じだった。ただ、首を横に振るだけ。彼らは戦場で勝利を経験したこともある。勝利がどのようなものかも知っている。
そのうち海族たちは最後の決戦に出た。
「動いたぞ、取り逃がすな」
リンネルの下した命令だった。
戦闘は終盤に向かっていた。
「こうなったら一か八か、弱いところに集中砲火して、突き破るぞ。俺に続け」
エル・メディコは最後の悪あがきに出た。
だが、それも一瞬のことだった。
海賊から降伏の打電が入ると同時に、雨のような砲撃は止んだ。後にはおびただしい船の残骸。
暫しその光景を眺めていた隊員たちも、自分たちが勝ったことを実感すると歓声をあげ始めた。何処の部署からも何処の通路からも、歓声の声が聞こえる。無論、艦橋でも隊員たちが肩を叩き合い、抱擁し会って勝利の喜びを分かち合っている。
だがルカは、その光景に唖然として指揮シートに体を沈めた。その人形のように美しい顔には一筋の涙。
「殿下」と、声をかけるリンネルに対し、
「喜ぶべきなのでしょうね」と、ルカは力なく笑う。
だが涙が出て笑うことが出来ない。
これが、これが、私が望んだ勝利。
「殿下、後は私が」と言うリンネルに対し、
「やはり、さっき、戦闘を止めるべきだった」
そうすればここまで犠牲を出さなくとも、悔やんでも悔やみきれない。
「いいえ」と、リンネルは首を横に振ると、まるで子供に諭すかのように言う。
「仮に相手が降伏する前に砲撃を止めれば、我々の方にもかなりの被害が出ていたことでしょう。彼らは一段となって、この包囲網を突破しようとしたのですから」
これしか方法はなかったのだと。彼らの被害を少なくするには、彼らがもっと早く降伏すべきだったのだと。
リンネルの判断は正しい。あの時、私の命令に従って砲撃を中止していたら、おそらくリンネルが言うとおり我々の方にもかなりの犠牲が出ただろう。俺らは追い詰められたネズミだったのだから。リンネルを避難するのは間違っている。そうは思うものの、このやり場のない悲しさ。
ルカは疲れきったように指揮シートに体を沈め、涙を止めるかのように目を固く閉じた。
そんなルカをホルヘが抱き上げる。
竜は争いごとを嫌う。争えば池の水が枯れるとはボイ星での言い伝え。この方は何かしら竜にかかわっている。ならば争いごとは根本的に嫌いなはず。増して殺し合いなど。
「少し、休まれた方がよろしいですよ。部屋までお送りいたしましょう。それに」と、ホルヘはルカの耳元に口を寄せ、ボイ語で囁く。この戦いの全てを紛らわせるために、愛する者への思いを。
「睡眠が足りませんと、背が伸びません」
ルカが何よりも自分の身長を気にしていることを知っていて。妻シナカとの身長差。子供なのだから仕方ないのに、背伸びをしてもキスもできないと。
ルカは苦笑すると、リンネルに後を頼みホルヘに身をゆだねた。不思議とホルヘに抱かれると、シナカに抱かれているような気がする。ホルヘの腕の中から、まじまじと彼の顔を眺めている。
「どうなされました?」
「いや、似ていると思いまして」
「姫様にですか?」
「肌の色が似ているからかな」
決して美形とはいえない色。ボイ人は肌の色が朱ければ朱かいほど美しいとされる。だがシナカもホルヘも、白っぽくくすんでいる。ネルガル人のルカにしてみれば、こっちのほうが自分たちに近い肌の色になるので馴染みやすいのだが。白は死を連想するといってボイ人たちは嫌う。ルカの白い肌など死人のようだと。
ルカの侍従武官リンネル・カルパロフ大佐と指揮を交替し、彼が指揮シートに座っているのを見て、ボイ人に抱かれたルカと廊下ですれ違った将校のひとりが言う。
「感涙の余り指揮が取れないとは、やはり王子とは言え、子供ですな」
この将校が勘違いしていることは、この艦橋にいた者たちは誰も知っていたのだが、上流貴族の将校には誰もそのことを言えないでいると、
「違う」と、ケリンが透かさずその将校の言葉を絶った。
「殿下の涙は、そんな涙ではない」
これは長年ルカに仕えていた者達だけがわかる。
「海賊に同情したのさ」
そう言ったのは先程からケリンの助手をしていた男。彼も長年ルカの館に仕えていた。ボイ星には同行できなかったが。
「海族に、同情?」
「そうさ、殿下はそういうお方だからな。幼少の頃から争いごとはお嫌いだった。増して殺し合いなど、もってのほかだ」
武器を解除させ捕虜の収容が始まる。
艦橋は一瞬ルカの涙で静まっていたが、ルカがいなくなると蜂の巣を突っついたような喜びになった。仕方のないことだ、やはり勝てば嬉しい。一つ間違えれば、自分たちがああなっていたかもしれないのだから。勝った時ぐらい、生きている喜びを実感しなければ。
それに水を差したのもケリンだった。
「何時まで騒いでいるんだ」
「だって、メディコの海賊に勝ったのですよ、今までさんざんてこずらされた」
「そうですよ、どの艦隊も勝てなかった相手ですよ、これが喜ばずにいられますか」
「基地に戻ったら皆に自慢してやろう。エル・メディコなんて、たいしたことなかったと」
現に彼らは、ただ突っ走っていただけで勝利を収めてしまったのだ。味方の犠牲が少なかったせいか、戦った気がしない。
「しかし、よくあんな安直な作戦で勝てたものだ」
ケリンはそう言った幕僚を睨み据えると、
「勝って当然だ。この戦いのために、殿下がどれほど地道な計算をなされていたか。もっとも、お前たちの知る由はないか」と、ケリンは鼻で笑うと、
「その計算に基づいたプログラムだ。後はそのプログラムを走らせるだけで、勝利というゴールに着く。ただし途中でバブらなければな」と、幕僚たちを見回す。
プログラムが高度過ぎて、機能がそれに付いていけない。今回のロブレス艦隊やバルガス艦隊のように。最も彼らが低級すぎるのだが。
ケリンは一人の幕僚に向き直ると、
「あなたは、ロブレス大佐と仲がいいようですね」
何処でどう調べたのか、最もこの手の情報はケリンの得意とするところだ。
「彼に伝えておいてください。何処がヤクザ艦隊だと、口ほどにもない。これではボイ人の一、二年で付け焼刃のように作った艦隊のほうが、よっぽどましだったと」
ケリンは憎まれ口を言うだけ言うと、さっさと自分の部署に戻った。
暫くして、
「大佐、ララご老体から通信が入っております」
「開いてくれ」
ゲスマン・ララは、画面に映ったのがカスパロフ大佐だったのを訝しがって、祝勝の言葉を述べる前に、
『殿下は、どうなさいました』と、訊いてきた。
「少し休まれております。なにしろここ数日、ろくに睡眠を取っておられませんでしたから」
戦闘はものの半日、しかもゲリュック群星を東西に駆け抜けただけで終わった。だがそのための準備は。ララのところに声がかかったのも、ひと月も前のことだった。
『さようですか』と言ってから改めて、海賊退治の礼と、祝いの言葉を述べると、
『殿下がお目覚めになられてから、もう一度改めて連絡いたします』と言って切れた。
おそらく戦後処理の話をしたかったのだろう。ララ老人とすれば、これを口実に今まで認められていたゲリュック群星の自治権をネルガルに奪われてしまってはたまらないというところだろう。
一方ネルガル星では、軍部会議が開かれていた。ルカ王子の圧勝。損害はたかだか数隻。この数では損害とは言えない数だ。
「驚きましたね」
星間警察はもとより宇宙軍ですら手を焼いていたというのに、ものの十時間たらずでほぼ全隻捕縛してしまうとは、お見事。としかいいようがない。
「どうやら、噂は真実だったようだ」
誰もが黙り込んだ、これからルカ王子をどう扱うべきかと。
沈黙を破ったのは一人の参謀部長だった。
「この際ですから、ゲリュック群星を我がネルガル星の属星としては」
前々から欲しがっていた場所である。銀河の交通の要所でもありここの制宙権を得られれば、ネルガル宇宙軍は銀河を異のままに移動できる。
「しかし、それは無理です」と言ったのは、今回の戦いの後方支援を担当していたレンベルト少将だった。
ルカは、ゲリュック群星の商人たちの協力を得るために、彼らとの間に、自治権をどんなことがあっても絶対に侵害しない。と取り決めていた。しかも口頭でではない、正式な公文書で。おそらくレイ・アイリッシュ少佐が作成したのだろう、その書面は非のうち用がなかった。サインもルカだけではなく、侍従武官であるカスパロフ大佐のものまで添えてある。おそらくルカが子供だという口実で、この契約が無効になることを防ぐためのようだ、なかなか抜け目がない。
「契約を結んだだと、我々に断りもなしにか」
「作戦に係わることは、全てルカ王子に任せると言うことでしたから」
「こんな大事なことを」と、いきり立つ参謀部長に、
「まあ、よいではないか。ゲリュック群星など欲しければいつでも手に入る」
難癖を付け、武力で鎮圧すればよいだけだ。ネルガルこそこの銀河の法、我々が善と言えばそれは正しくて、悪と言えばそれは悪いのだから。
「それより問題はルカ王子だ。子供だと思って侮っていると」
「確かに」と、やっと本題に入った。
「虎を飼うには檻が必要です。しかも堅固な」
「飼うだけでは意味がなかろう。それは見ているだけで目が癒されるほど美しいらしいが、やはり飼うからには調教しませんと」
これが王子に対する言葉か、お前たちこそ不敬罪ではないのか。と平民が聞いたら問いただしたくなるようなことを、上流貴族たちは平気で口にしていた。皇位継承権も最下位では、既に王子としての存在意義はない。
「何を調教するのやら」と、宮内部の一人が下卑た笑いを浮かべる。
会議室がざわめくのをクリンベルクは咳払いで静めると、
「丁度よい檻と鎖があります」
クリンベルクのその言葉に全員が注目した。
「と、申されますと」
「檻は館です。王子の館は全て奥の宮ありますから、宮内部の監視下にあるも同然。そして鎖は。ご存知でしようか、過去に伝書鳩という通信方法がありましたが、鳩を完全に戻って来るようにするには、番の片方を手元に置いておくことだそうです」
「何がいいたいのですか、将軍。早くルカ王子に妻を娶らせろと」
クリンベルクは大きく首を左右に振ると、
「ルカ王子には、既にいるではありませんか」
はっ? と誰もが顔を見合わせた。
「いるとは、初耳だが」
「ボイの王女です」
これには誰もが唖然とした。ルカ王子がボイ星に婿入りしたということは知ってはいたが、異星人を、否、ネルガル人ですら、この王宮に出入りできるものしか人とは思わない彼らに、異星人を愛の対象にするなどという感覚はまるでなかった。
「ボイの王女と言いましても、相手は異星人ですよ」
彼らにとって異星人は、見世物か奴隷か玩具でしかない。殺したところで痛くもかゆくもない存在だ。
まさか! という貴族たちを相手に、
「ルカ王子からの嘆願書がでているのではありませんか」と、宮内部の者に問う。
「確かに、凱旋した時には、シナカとその従者を自分の館に迎え入れたいというようなことが」
「ボイの王女を収容所に入れておいてもルカ王子の館に移しても監視には変わりはないでしょう。否、ある意味ルカ王子の館のほうが監視しやすいのでは。ボイの王女がこちらの手にあるうちは、ルカ王子はこちらの指示には逆らわないでしょうから。もっともこの戦いがまぐれでなければですが。しかしまぐれだとしても見事すぎる」
「まあ、まぐれかまぐれでないかはおいおいわかることだ」
「しかし、クリンベルク閣下は、かなりルカ王子を警戒されておられるようですな」
「はっきり言いまして今回の戦闘、私ですらあそこまで綺麗には行かなかったと思います」
誰もが腕を組んで考え込んだ。確かに、二流の将軍とは言え、何度かゲリュック群星に派遣したが、全て失敗に終わっていた。エル・メディコはただの海賊ではなかった。ネルガル宇宙軍を知り尽くしたとまではいえないが、それでもそこで大佐まで上り詰めた人物である。戦術もそれなりに立てられた人物だ。
「わかりました、それではクリンベルク将軍の案を採用いたしましょう」
「では、早い方がよい。ルカ王子が戻られる前に、ボイ人を館に戻したほうが、印象的にもよいのでは。そちらがこちらの指示に従ってくだされば、こちらもそちらの願いを聞き入れるということで。この方が、後々の指示がしやすいというもの」
「将軍が、これほど細かい配慮をなさるとは存じませんでした」
「細かいからこそ、勝利できるというものだ」
雑な計画は、必ず破綻を来たす。考えられるあらゆるケースを考慮に入れて戦場に向かう。だからこそ、勝てるのだ。
その他にも海賊たちの処分や功労者たちの昇級や昇格などが話し合われ、会議は閉会した。
ルカはやっと充分な睡眠が取れたせいか、落ち着きを取り戻していた。ベッドで目を覚まし部屋のテーブルを見ると、ずっと傍に付いていてくれたのだろう、ホルヘがそこで一生懸命髪飾りを作っていた。おそらく館の侍女にでも頼まれて。ルカは暫くホルヘのその姿を眺めていた。
ボイは平和な星だった。宇宙船の燃料になる鉱物が豊富にあるということをネルガル人が知るまでは。朝の掃除から始まり午前中仕事をし、午後からは趣味にいそしめばよい。誰もが手先が器用なのは、芸術に費やす時間が豊富にあったから。
ルカが目覚めているのに、やっとホルヘは気付いたようだ。
「起きていらしたのですか」と、手をやめて近付いて来た。
「お目覚めでしたら、声を掛けてくだされば」
「あまり一生懸命にやっておられましたから、それに細工物が出来ていく様子を暫く見ていたかったもので」
ホルヘはその細工物をルカの目の前に差し出すと、
「本当は、完成するまで見せないものなのですよ」
それが職人のプライド。中途な作品は見せない、人前に出す時は、自分が納得した物に限る。
「侍女たちに頼まれまして、一人だけ作ったのではずるいと言われまして。でも、全員には行き届きそうもありません」
ホルヘがほとほと困ったという顔をすると、
「そんなに丁寧にやるからですよ、もっと適当に」と、ルカは冗談で言ったつもりなのだが、
「そうは参りません」と、ホルヘは即座に否定した。
不完全なものは渡したくないという職人の意気込み。
「殿下もそうでしょ、出陣するにあたって、とことん調べさせていた、どんなケースでも勝てるように。それと同じですよ」
どこが? とルカは問いたかったのだが、ホルヘはホルヘで今回の出陣で何かを学んだようだ。それならそれでよしとしよう。本来ボイ人に、戦闘など教えたくなかったのだが、ボイ星をネルガル人の手から取り戻すには、武力しかないのだろう。この銀河で一番言葉を使わない星人、それがネルガル人だ。何故、話し合いが出来ないのだろう。ボイ人は一度も鉱物を売らないと言った覚えはない。ただネルガル人の方に、ボイ人との対等な商取引を結びたくなかっただけ。その鉱物があまりにも莫大な富を生むから。
ルカが起き上がろうとすると、ホルヘが手を貸してくれた。
旗艦は既にゲリュック群星の一衛星の宇宙港にドッキングしていた。
「私は、どのぐらい寝ていたのでしょう」
「約半日ですか」
「起こしてくださればよかったのに」
「あまりよく寝ておられましたから、皆さんで、起こさないほうがよいという結論に達しましたので」
海族の収容は既に終わっていた。ネルガルからは彼らの身柄の護送を指示されているが、司令官が休養中とのことで、まだその返事はしていないとのことだった。
「リンネルをここへ呼んでもらえますか」
現在の状況を聞かなければ。
「手が空いていたらで結構です。もし空いていないようでしたら、私の方から伺うと」
だがホルヘは動こうとしない。
「それより殿下、食事を」
戦闘に入ってからというもの、ほとんど何も口にしていない。
「食事って!」
そんな悠長なことをしていられるか。というルカの態度に。
「リンネル大佐から言い付かっております。目覚められたらまず食事を取らせるようにと。戦後処理はゆっくりやればよいそうです。その方がお互いの気持ちも整理されてくるからと。殿下の指示が必要なところは、そのままにしておくそうです」
例えば海族の身柄の護送の件など、おそらく殿下にはお考えがあるはず。これは幼少の頃から傍に仕えていたリンネルだからこそ、解かる。
そして、ルカが目覚めたという報を受けて、真っ先に駆け付けて来たのはトリスだった。
ルカがホルヘの用意してくれた食事をテーブルで取っていると、そこにいきなりトリスが飛び込んできた。
「殿下、大丈夫なのですか、倒れたと聞いたもので」
ルカは口に運ぶ箸を留めた。
「だ、誰がそんなでたらめを」
「でたらめって、アモスやロブレス大佐も心配してましたぜ。倒れたんじゃなかったんですか」
ルカは箸を几帳面に置くと、
「トリス、情報は正確に捉えなければなりません。誰ですか、そんな嘘を流したのは?」と、ルカはホルヘを見る。
「私は、殿下をここへお運びいたしまして、そのままここにおりましたから」
では、誰だろう。と考え込むルカに、
「ケリンだ」と、トリスは思い当たるように言う。
「あの野郎、殿下が指揮シートに居なくなった説明をするのが面倒になって、過労で倒れたということにしやがったんだ」
間違いではなかろうと、ホルヘは思ったのだが、トリスの様子は尋常ではなかった。
「俺が、どんなに心配して、戦後処理をちゃっちゃっと済ませてここへ駆けつけたと思っているんだか、ケリンの野郎、ただしゃおかねぇー」
一応、やることはやってここへ来てくれたようだから、ルカはほっとした。もしこれが中途で来たのなら、さっさと追い返すところだった。
「それより、トリスさんたちの方は、負傷者は?」
「俺たちの方は大丈夫だ。戦闘らしい戦闘はしなかったから」
「そうですか」と、ルカはほっとする。
「アモスたちも全員無事だぜ。護衛艦が二隻、ビーム砲を喰らったようだが、負傷者が数人で死者までは出なかったようだ」
「そうですか」と、ルカは目をつぶり大きな溜め息を吐いた。後は実際に戦闘に携わった者たちがどれほどの犠牲を払ったかだ。
リンネルたちは捕虜の扱いでもめていた。軍部からは早く護送するように指示されながらも、ゲリュック群星の治安部の方からも、引き渡すように要請されている。
そもそも海族の大半はネルガル人。ネルガル星へ戻れれば罪を軽減するどころか、下手をすれば無罪などということにもなりかねない。と、まるでネルガルの司法を信用していない様子。そしてネルガルの軍部では、海族たちの持っている情報で何か有意義なものがあれば、その情報と引き換えに罪を軽減、もしくは無罪にしようという腹積もりなのだから、ゲリュック群星の人々がネルガルの司法を信用しないのも無理からぬことだ。
「ですから彼らは、ネルガルできちんと裁判にかけて」
その裁判が当てにならないから、とは口にしないで、
「彼らは我々の星を荒らしまわっていたのですよ、我々の星で裁くのが当然でしょう」と、あくまで理詰めできた。
「しかし、捉えたのは我々だ」
ここへ来て、軍部ではなく宮内部や外務、治安局などが威張り出し始めた。
リンネルはただ議長席に付き、成り行きを黙って見守っているだけ。戦略、戦術には詳しくとも、政治には疎い。レイに補佐はしてもらっていたが、ほとほと困り果てていた。そこにルカが現われた。シナカお手製の刺繍の入った軍服をきちんと着込んで。その装いは非の打ち所のない貴公子。腰には剣の代わりに笛。
リンネルは即座に席をルカに明け渡す。
「遅くなりました。少し、休ませていただきました」
ルカは暫しの不在を丁寧に詫びる。
「もう、お体のほうはよろしいのですか」と、ルカの身を気づかったのはネルガルの文官たちではなく、ゲリュック群星の代表者たちだった。
「ゆっくり休ませていただきましたから、頭が軽くなりました」
「若いとは羨ましいですな」と、エヌルタの老人。
「少し休んだだけで基に戻る。この歳になると十日は休まなければ、疲れがぬけません」
ゲスマン・ララの親友ということで、この席に出席しているようだ。そして肝心なゲスマン・ララは室内を見渡したがその姿がない。
「ララご老体は?」というルカの問いに対し、
「本日は、都合が悪いとのことです」
都合が悪いのではない。交渉相手が不在では、いくら会議を持ったところで意味がないというのがララの考え。ルカ以外の者と交渉する気はないらしい。そしてルカも、ララ以外を相手に交渉する気はない。
「では、本日の会議はここで打ち切ります。ララご老体のご都合をかんがみたうえで、後日改めて開きたいと思います」
「どういうことですか」と、文官たちからのブーイング。
だがルカはそれを完全に無視して、会議を閉廷してしまった。肝心な交渉相手がいないのに、開いていても時間の無駄。
ゲリュック群星の代表者たちは速やかに退出したが、ネルガルの文官たちはそうはいかない。
「これはどういうことですか、殿下」と、ルカに詰め寄る有様。
「平行線をたどっているのでしょう。では作戦を練り直さなければ」
なるほど。と、文官たちも納得する。
後日、ララの方から日取りを指定してきた。ルカには異存はない。ルカにしてみればこんなところでぐずぐずしていたくはなかった。さっさと戦後処理を済ませ、ネルガル星へ戻りたい。それからがルカの本当の戦場なのだから。
ルカは今までの話の流れを、リンネルやレイやケリンから聞き、自分なりに判断を下していた。
会議が開かれた。出席者はルカとその幕僚、終戦と同時にネルガルから派遣された文官、そしてララを始めゲリュック群星の代表者。無論ルカの傍らにはボイ星のホルヘたちが秘書として詰めていた。
ルカは誰にも何も言わせずに、
「海族の身柄は全員、ゲリュック群星の治安部に引き渡します」
えっ! と言う会議室のどよめきを無視して、ルカは後を続ける。
「ただし条件があります。彼らの家族にまでは手をださないこと。ネルガル星へ帰りたいというなら、そうさせてやってください。ゲリュック群星で働きたいというならそうさせてやってください。その他、他の星への移住を希望するものにはその希望を。それが条件です。彼ら家族には罪はありません」
中には幼い子供もいるだろう、父親が何をして稼いでいるかも知らないほど。そして知っていても、生活苦からそれを容認していた妻。この場合、罪がないとはいえないが、そこまで罰しては道理が成り立たなくなってしまう。そもそも生活できないような状況に追い込んだ政治や社会構造が悪いのだから。本当に罰しなければならないのは、そういう世の中にしてしまった政治家とその社会構造こそが正義と信じる者たち。彼らは生れた時に既に、自分たちが恵まれているということを理解せず、社会の底辺にいる者たちを蔑視する。
「殿下、少しお待ちを」
やっとどよめきを抑えルカの速断を留めたのは文官たちだった。
だがルカは、
「ここの司令官は私です。これは星同士の戦いでもありません。罪人を捕らえただけです。よってその処分は司令官に任されております」
ルカは戦後の処理まで決めての出陣のようだった。
「何でしたら、条文をお見せいたしましょうか」
アイリッシュ少佐とルカが言いかけた時、
「いや、結構」と、断る文官。
初歩的な法律である。
ルカは改めてララの方を向いた。
「家族には、一切罪を波及させないということですか」
ルカは頷く。
「しかし、我々が容認したところで、今まで海族たちに酷い目に合わされてきた者たちが
どう出るか」
「それで、護衛をお願いしたいのですが。無論、費用はこちらで持ちます」
これにはリンネルたちも驚いた。文官の間からはやくざ顔負けの野次が飛ぶ有様。
「もう少し、貴族らしく振舞うように言ってもらえませんか」と、ルカは近くに居た文官に耳打ちする。
もっともこれが本来の貴族の姿なのだろうが。それにしてもゲリュック群星に来てまで恥をさらけ出すことはない。
ざわめきの中、ルカの一方的な決断で、会議は閉廷された。
ゲリュック群星の代表者たちは納得した。まさか海族全員を引き渡してもらえるとは思いもよらなかった。これで民衆の手前、面子は立つ。犯罪者を我々の手で裁けるのだから。彼らの家族ぐらいは見逃したところで、ネルガル正規軍を相手に自治権を貫いたと誰もが認めるだろう。これ以上、下手なことを言ってここに長居をされても迷惑。さっさとネルガルへ引き揚げてもらいたいものだ。用が済めば邪魔者扱い。だがララ老人だけは、今後の長い親交をルカと結んだ。
「王子、このご恩は一生忘れません。と言ったところでそれほど長い一生でもありませんが」と、ララは笑う。そこに老いを恐れる様子は微塵もない。
既に老体には先が見えていた。そして方や人生の駆け出し。
この歳になって、こんなおもしろい人物と会えるとは、長生きするものだな。
「以後、何かお困りの時には声をかけて下さい。情報と資金面からでしたら、少しはお力になれるかと存じます」
ここは銀河の商人と旅人が集う場所。情報と資金は、どこより豊富。
「ありがとう御座います。その時は、お世話になるかもしれません」
以後、ルカの手元に入る銀河の生の情報は、アモスたち商人を介してここゲリュック群星からのものが多くなった。そしてその情報は、どこよりも早く、何よりも正確だ。
それから三日後、ゲリュック群星の持て成しの晩餐もほどほどに、ルカはさっさとネルガルへ引き揚げて行った。
「まず行動の早いお方だ。戦うのもあっと言う間かと思えば、引き揚げるのも。ネルガル軍が皆こうなら有難いのだが」
おかげで戦闘による被害も少なく、ネルガル軍の停留による経済的損失もない。中には大口を叩いて、お前等のために海族を退治に来てやるのだ。と、さんざんただで飲み食いしたあげく、尻尾を巻いて逃げ帰った将軍もいたが、今回の艦隊は随分と柄が悪く警戒はしていたのだが、思ったより軍としての規律は取れていたようだ(傍から見て)。真相は、そんなことをしている暇がなかったというだけのこと。ルカは彼らに必要以上の無駄な時間を与えなかった。彼らを街で野放しにすると、終止符が付かなくなるのが目に見えていたから。
「しかし、あんな人形のような子供が、よくあの荒くれどもを纏めているものだ」
「ネルガルの王子というのを初めてこの目で見たが、さすがに王子だけはあるものだ、子供でも威厳がある。その証拠に誰からの苦情も聞き入れなかったからな」
ルカのワンマンぶりが光った戦後処理の会議だったが、その実体を知る者はここゲリュック群星には誰もいなかった。
ルカの帰還の知らせを受け、ネルガルではシナカの身柄の移動が急遽行われた。
「出ろ!」と言う牢番の言葉に、
「いきなり、何事でしょう」と、心配するルイ。
「どうしたんだ」と、駆けつけるカロル。
「移るんだ」
「移るんだって、何処へ?」
「館だ」
「館って、誰の?」
まさかそこら辺の物好きなエロ爺の。
カロルにかかっては門閥貴族もあったものではない。
「ルカ王子の館だ」
牢番のその一言が、全員の緊張をほごした。
「ルカの館」
王子が抜けていると牢番は突っ込みたかったが、相手はクリンベルク将軍のご子息。ここで下手な印象を持たれてもつまらない。
「早くしろ、既に外に車が待っている」
そう急かされてもと思いながらも、ルカに会えるという喜びは隠し切れない。恐る恐る牢から出ると、冷静だったのはカロルだった。シナカが牢番について行こうとするのを止める。
「その話、本当か?」
もしかすると、そう言えばシナカがおとなしく付いてくるという誰かの謀。
「俺は、何も聞いていない」
「いちいちお前に報告する必要はなかろう」
「いや、ある。俺はルカからこの人を頼まれているんだ」
何時の間にか、そういうことにしてしまったようだ。カロルがかってに思い込んでいるだけなのだが。
だから、王子だろう。と心で突っ込みながらも、牢番は、
「そんなに疑うのなら、将軍に聞いてみればいい。これは軍部からの指示ですから」
「軍部から? 宮内部からではなく?」
「当たり前だ。ここは軍部と治安部の管轄だ。あんな青病短どもに、でかい顔されてたまるか」
牢番も軍部出身だ。常日頃の文官の武官に対する態度に、どことなくわだかまりを持っているようだ。
ここは政治犯を収容するところだ。宮内部より軍部や治安部の方が権限がある。だがルカの館へ越せば、今度は宮内部の管轄になる。俺ですら、なかなか手を出すことは出来ない。
一応、親父に確認取ってみるか、と思っているところに、
「坊ちゃん、ここでしたか。奥方様を迎えに来たのですが」と、カロルの耳に口を寄せると、
「全員同じに見えて、誰が誰だかわからない」
カロルは一瞬、ふきだした。だが冷静に考えれば自分も最初のころは。
「こちらがシナカ妃だ。それに侍女のルイ。それと」と、同じ牢の中にいた数名の女性を紹介したら、
「いい、一度に紹介されても覚えられそうにないから、ぼちぼちと」
「それと向こうの牢にいるのが男性で」
「男性は、尚いい。女性を全員覚えて、余裕があったら覚える」
その男の言い方に、シナカとルイは微笑んだ。私の館は変な奴ばかりなのです。とはルカの口癖。その筆頭がハルガン曹長だったようだが。
クリンベルク将軍は、古代の武器がずらりと飾られているメイン回廊を自室へと歩んでいた。傍らには長子のマーヒル。
「大変なことになった」と、溜め息を吐く将軍。
人前では堂々たる態度を取っていても、実は家族思いの子煩悩な人物だ。体ががっしりしていて大きいため、黙って立っているだけで周りの者に威圧感を与える。
「我々が鎖に繋ごうとしているのは、虎でもなければ獅子でもない。火を吹くドラゴンなのだからな」
ネルガル星での伝説上の動物。悪魔の化身としてイシュタル星同様、ネルガル人たちは恐れている。居るはずがないと言いつつも、子供を叱るときなど、そんなに悪いことをしていると、ドラゴンに食べられるよ。などと言って脅す。すると大概の子供はおとなしくなる。
「お父さんも、相変わらず心配性ですね」と、マーヒルは微笑む。
だからこそ、今のクリンベルク将軍があるのだと言うことを、マーヒルは知っている。傲慢で自信過剰だったら、とっくの昔にその命はなかっただろう。
マーヒルは考え込むように腕を組むと、
「ルカ王子がドラゴンかどうかは、私は存じませんが、怖い方だとは思います」
クリンベルクは歩を止めてマーヒルを見た。
「人前に自分の弱点をさらした上で、尚且つ、その弱点を守り抜けるという自信がおありのようですから」
クリンベルク将軍は唸った。
「号外! 号外!」
どんなに通信機器が進んでも、人が喜びを表わす方法は太古と変わらず、ゴミになるのを承知で印刷物がばら撒かれた。
「凱旋だ! 凱旋だ!」
ルカ王子の率いる艦隊が、ゲリュック群星の海賊を退治したというニュースは、ネルガル星中を駆け回った。
ネルガル宇宙軍としても、これでやっと面子が立つ。惑星一つ植民地にしたわけでもない些細な勝利、だが幾度となくゲリュック群星の海賊に苦湯を飲まされてきたネルガル宇宙軍にしてみれば、これでやっと溜飲が下がった。
ルカの帰還を待ち伏せていたのは多くの報道陣。と言って相手は王子、報道できる記者は限られる。よってルカの旗艦が宇宙港に付く前に、既に報道戦が始まっていた。
「なっ、何だ、この騒ぎは。出入りでも始まるのか」
さすがは元やくざの集まり。徒党を組んでいると、何でも出入りに見えるようだ。
「やっ、やばぃすよー、このまま行ったら」
報道陣の宇宙船と正面衝突になる。
やむなくルカは艦隊の移動を止めた。
「どうなっているのですか、これは。管制室に連絡して、ゲート前の船を避けてもらってください」
こんな所で無駄な時間は取りたくない。
そのうち何処からか現われたパトロール船によって、報道陣の船は蹴散らされた。それでも隅の方に固まっては、サーチライトのような強い光をあてて来る。
「何か俺たち、一夜にして英雄になっちまったようだ」
今までネルガル艦隊の屑、恥と罵られてきた第10、14艦隊の兵士たちは、ここぞとばかりに胸を張った。
報道陣の船から入ってくる通信に、
「俺たちが本気になれば、こんなものさ」などと、通信を送り返す。
ルカの旗艦は王族専用ゲートへと誘導された。だが残りの艦は軍港。そこはフラッシュの嵐だった。艦員が降りてくると同時に質問攻め。まして仕官クラスの者の姿を見つけるや、そこには蟻の山のように報道陣がたかった。
「いいな、やっぱり勝利は」
「今回は圧勝だものな」
「そこのところのお話を」と、マイク片手に飛び込んでくる記者。
「なんと言っても、俺たちの腕」
「いや、作戦だろうな」
おのおのの艦員は、マイクを向けられるとまたおのおの勝手なことを話す。
「やはり、カスパロフ大佐の作戦が功を奏したということですか」と、記者は問う。
「そうです。こんな戦い、初めてです。何時の間にか勝ってしまったのですからね、大した死傷者も出ずに。それは戦争ですから、全然死傷者が出なかったと言えば嘘になりますが、いままでの戦闘の中で、これほど楽な戦闘もありません。さすがにカスパロフ大佐です」
下仕官では、誰が作戦を立てたかなど、知る由もなかった。大体、ただの遭遇戦だと思っていのが、実は綿密に計算された軍事行動だったとは、後で知らされたのだ。まあ、敵を騙すにはまず味方からと言うが、もう少し俺たちを信じてくれても。などと常日頃の行動からは口が裂けても言えないことを平気で言う。
さすがに王族専用のゲートには、報道陣は押しかけては来なかった。代わりに迎えに出たのは上級将校が数名。勝利の祝いを述べると、
「お疲れのようですので、この軍港で一泊なされて、お体を地上の重力に慣らされてから地上に戻られてはいかがですか」と、提案する。
「いいえ、このまま地上に降りて、報告いたします。疲れは、艦のなかで充分に取りましたので」
艦の中はほぼネルガルの環境になっているのだが、着陸する場所によっては時差がしょうじる場合もある。
「さようですか、では、シャトルまでご案内いたします」
地上はすっかりカスパロス大佐の作戦による圧勝ということになっていた。まさか十歳の少年が、この戦いの作戦から指揮までを取っていたとは誰も思っていない。カスバロス大佐が影で糸を引き、ルカ王子に初陣を飾らせたのだと思っている。
出陣の時とは逆に、今度は上空から大量の銀色の魚の群れが地上目掛けて泳いでくるかのように、シャトルが降りてきた。
あの中にルカも居るのだと思うと、カロルはじっとしてはいられなかった。収容所での謹慎も解かれ、晴れて自由の身になったカロルはさっそくルカを迎えに行く。
ルカの帰還の知らせを受けて軍務室では、今回の戦闘に対する賞罰が検討されていた。
「しかし、捕虜を我々に一言の相談もなくエヌルタ人の手に渡すとは、ルカ王子は何をお考えなのか」
「エヌルタ人どもが、捕虜を公平に裁くとは思えない」
「そうだ、何しろ奴等は、我々ネルガル人を目の仇にしているからな。ここぞとばかりに捕虜を虐待するに違いない」
「さもなければ死ぬまで酷使するとか」
軍務室の者たちは顔を見合わせて頷く。
それはお前たちのことではないか。と、他の星の者たちが聞いていたら言いたくなる様なことを、彼らは平然と口にしていた。
ネルガル人は先住民のいる惑星を力ずくで奪うと、その惑星の住民を牛馬のように酷使する。現にボイ星もそうなりつつある。そして、それによってその惑星の住民が死に絶えてしまったという惑星もあるほどだ。
人は自分の物差しでしか相手を図ることが出来ない。自分たちがそうなのだから、当然エヌルタ人もそうするであろうと考える。彼らがルカとの約束を守り、海族の家族には危害を加えていないことなど、知る由もない。
「エヌルタ人の奴等、ただではおかない」などと、善悪が逆転してしまった者までいる。そもそも悪いのは海賊の方なのに。
だが、中には冷静な者もいた。
「ルカ王子の報告の通り、今回はあくまで海族退治ですから、言うなれば泥棒を捕まえたのと同じ。我々軍部が、そんなに目くじらを立てるほどのものでも」
「そうだ、それよりルカ王子の功績を」
何を持って報いるかだ。
巷ではカスパロフ大佐の功績になっていた。しかし客職将校の話によると、やはりこの作戦は立案から指揮まで、全てルカ王子の独断だったようだ。
「たかだか泥棒を捕まえただけだとは言え、彼等には我々もかなりてこずらされましたから、ルカ王子の手腕、お見事と言うしかありませんな」
「では、昇格を?」
既に七歳で少将、十歳で中将か。誰しもが内心、そう思った。
「否、それは他の王子の手前、まずかろう」
いくら王子とは言え、初陣は元服を過ぎてからが一般的。出陣しない限り軍旗も階級も与えられない。よってルカより年上でも階級をもらっていない王子は何人かいる。
「では、何を?」
昇格するのと同等の価値のあるもの。軍人にとって昇格は、何よりもの喜びだが。
誰もが腕を組んで考え込んでいると、
「ルカ王子より、嘆願書が出ているそうです」
「嘆願書?」
「宮内部からの話によりますと、凱旋できた暁には、ボイの捕虜を全員、自分の館へ引き渡して欲しいとのことです」
「ボイ星から連れて来た捕虜を?」
外務部では彼らを洗脳して、ボイ人を支配するための道具として使うつもりだった。やはり相手を支配するには、同じ種族の者を使って支配するのがやりやすい。ただ、その者が我々に逆らわないことが絶対条件。そのための教育を徹底的に行う。ネルガル人でないことが既に低級なのだと。そしてそのことを繰り返し教えることによって、自ら自分たちは低級なのだと立証するようになる。そうなればもう、支配は完璧。
「ルカ王子は捕虜を、どうするおつもりだ?」
さぁー。と誰もが首を傾げる。
だが、褒美がそんなものでよいのなら、安いものだ。昇格に見合うだけの貨幣ともなれば、馬鹿にはできない額になるから。
そしてルカと同行した司令官たちも、常日頃の行いが行いなだけに昇格とまではいかないまでも、それなりのボーナスは出ることになった。
カロルが王族専用のシャトル港に着いた時には、既にルカの姿はなかった。ルカはそれより早く、軍務室へと移動していた。早くシナカを、自分のもとへ帰してもらいたい一心で。
軍務室の大きくやたらと古式ゆかしい扉が、自動で内側へと開く。
ルカはその扉の開閉も待ちきれずに中に飛び込むと、局長に向かい、
「ただ今、戻りました」と、成果を報告すると同時に自分の要求を突きつけた。
自分は任務を遂行したのだから、今度はそちらが約束を守る番だとばかりに。
これには局長も驚いた。三年前、ネルガル星を発つ前に一度お会いした時には、美しいが影の薄いひ弱な王子に見えたのだが。こんなにご気性の激しいお方だとは思いもよらなかった。静かな物腰の中にも、凛としてこちらを睨む翡翠のような瞳には、その意志の強さを物語っている。決して自分の考えを曲げない信念のようなものを、局長はその瞳に見た。
「殿下、館にはまだ、お戻りになられてはおられないのですか?」
「宇宙港から、直接ここへ来ました」
「さようですか、では、一度お戻りになられてから、不服が御座いましたらもう一度、こちらにお越し下さい」
「どういう意味ですか?」
「私達も、約束は守ります」
ルカははっとした顔をすると、
「リンネル、館に戻ります」と言うが早いか、踵を返すと杖を突きながら、駆け出していた。
「あれでは、大佐も大変ですな」と言う局長に、リンネルはルカの非礼を詫びると、ルカの後を追った。
こういう時、足が悪いのは本当にまどろっこしい。あっと言う間にリクネルに追いつかれてしまった。一緒に地上カーに乗り込む。
「こういう時は、足を治そうかと思うのですが」
だが、やはり、ボイ星が昔のようになるまでは。
リンネルはそんなルカのこころを察し、
「宇宙艦隊の指揮を取るには、足はいりませんから」
ルカはリンネルを見上げると、微かに笑った。
この人は、どこまでも私に付いてきてくれる。これからの修羅の道を、シナカを守るための。
ルカは無言でリンネルの手を握った。
車が動き出して間も無く、急ブレーキがかかる。
「どうした!」と、身構えるリンネルに、
「申し訳ありません、人が」と、言う運転手。
見ればガラス窓、一人の青年が窓を叩いている。
「ルカ、俺だ、俺」
「カロル!」
ルカは慌ててドアを開けた。
カロルはすーと乗り込んで来ると、
「まったく、人がゲートで待っていれば、何時の間にか車に乗り込んでいるし。よくその足で、こうも身軽に移動できるものだ」と、悪態を吐く。
ネルガル星でやっと、友として会えたというのに、最初の挨拶がこれだった。
「それよりお前、館に戻ったのか?」
「否、今から戻るところだ」
「じゃ、まだ」
「まだ、何だ?」
「否、何でもない、戻ればわかることだ」
「何ですか、その奥歯にものの挟まった言い方は」
「別に、何もはさまってはいない」と、カロルはそっぽを向く。
「シナカが、居るのですね」と言うルカの問いに、カロルは黙って大きく首を横に振った。
違う。と隠したつもりが、ルカには見え見えのようだった。
「黙秘を通しても無駄ですよ、顔に書いてありますから」
カロルは嘘をつけない性格だ。これでは指揮官としてはと思うが、不思議とそれをカバーしてくれる仲間がいる。カロルは嘘をつけないのだから、カロルごと騙して作戦を遂行させようとする幕僚が。その幕僚に言わせれば、カロル司令官がいるからこそ、この作戦が立てられるそうだ。明朗快活なカロルには、多くの兵士が付いて来る。
カロルは顔を擦りながらも、それでも口を割らない。
「他の人たちも、帰してもらえたのでしょうか」とルカに問われ、じっと澄んだ緑の瞳で見詰められると、
「ああ、全員、お前の館にいる」
ついに諦めて、カロルは喋ってしまった。本当は黙っていて驚かせるつもりだったのだが、こんなことなら迎えに来なければよかった。
一方ルカの館では、
「坊ちゃんが迎えに行っちゃ、筒抜けですぜ。入り口で待っててやった方が喜びますぜ」
「でも、カロルさんが奥座敷でって」
「それは殿下が、奥方様がここに居るのを知らないというのが前提です」
「そうそう、もう殿下は知っているでしょうから、そんな面倒なことしなくとも」
ルカの館の全員が頷いた。
収容所からここへ連れられて来た時、この館に知っている者は誰も居なかった。ルカと一緒にボイへ来た者たちは、そのまま一緒に出陣したとのこと。そして、キネラオやホルヘも。知る人もなく心細かったのだが、館の人たちは誰もが親切だった。着くと直ぐにある部屋に案内された。そこには自分がボイで使っていた調度品が所狭しと置かれていた。中には父や母のものまで。そして自分と共にネルガルへ来た者たちの家財まで。
「どっ、どうしたのですか、これ?」
ボイ人たちは驚いた。
「アモス船長が、運んで来たのです」
「アモス船長が?」
「何でも今回の作戦で殿下に船を新調してもらったらしく、その試運転でボイ星まで行ってきたそうです」
シナカは父や母の思いが残る家具を手で撫でながら、
「あの戦火の中、よく無傷で」
全然傷がないとはいえなかった。だがその傷もあまり目立たず使うに支障はない。
「皆で地下に運んだそうです。全部とまではいかなかったようですが」と、ルカの館の侍女が答える。
「でもよく、ネルガル人に」と言いかけて、シナカは口をつぐんだ。
目の前に居る人たちもネルガル人。同僚の悪い噂は聞きたくないのはネルガル人もボイ人も同じだろうと思って。
「気にしないで下さい。私達を、あなた方の星を襲ったネルガル人と一緒にしないで下さい。少なくとも私達は、彼らとは人種が違うと思っておりますから」
「ご免なさい」
「何も、謝らなくとも」と、困ったという顔をする侍女。
そこに別な侍女が助け舟を出した。
「それよりも、殿下が戻られる前にこの荷物、それぞれのお部屋に運びましょう。皆さんの部屋も用意してあるのですよ。殿下の指示でボイ風の間取りにしました。後は調度品を入れるだけなのです。足らないものはネルガルで調達するしかありませんが」
「ええと、奥方様の部屋は決まっておりますが、他の方の部屋は好きな部屋をとのことです」
「まあ、早い者勝ちだな」と、下僕が言う。
そう言われると気もそぞろ、ボイ人たちは侍女に案内され、さっそく自分の部屋割りにかかった。
「奥方様はこちらです。以前、大奥方様がお使いになられていた部屋です」と、侍女が先に立って案内すると、ルイまでが付いて来た。
「ルイ、あなたも早く部屋を決めてきなさい。さもないと、よい部屋を取られてしまいますよ」
「私は、何処でもいいのです」と言うルイに、
「奥方様でしたら、ご心配にはいりません。私達が付いておりますから」
「そうですよ、ここはあの方の館なのですから、それにこの方たちはあの方の従者ですし」
「信じていただきたく存じます。これから長い付き合いになりますので。あなた方がボイ星で殿下を大切にしてくださったように、今度は私達があなた方をお守りいたします」
その言葉に、ルイは思わず涙が出そうになった。やっと心の安らぎを得たような。
「お願いいたします」と、ルイは深々と侍女たちに頭を下げた。
「こちらこそ。至らない点は、ご指摘ください。ボイとネルガルではいろいろと習慣の違いもありますから」
お互いが心地よく暮らせるように。
「さあ、まずは奥方様の調度品から運びますよ」
侍女がそう言うと、何処からともなく屈強な男たちが現われた。台車に軽々と調度品を乗せると、さっさと運び出し始めた。
「ルイ、早く自分の部屋を決めたら、手伝ってちょうだい」
「わかりました、姫様」
館の者総出でも、全ての家具が各々の部屋に落ち着くまでには丸々一日はかかった。後は足らないもののチェックだが、その前に一休みと言うことになった。皆で同じことをすると、直ぐに仲間意識が芽生えるものである。広間の椅子やソファに思い思いに腰をおろした時には、ボイ人もネルガル人もなかった。皆でテーブルを囲み同じように汗を拭きながら、ネルガルのお茶を交わしお互いの星や趣味の話しに花開いた。
「この館が、こんなに賑やかになるのも何年ぶりかしら」
ナオミ夫人が居た頃は、否、殿下がボイ星へ行かれる前までは、笑いの堪えない館だった。
「しかし、よくこれだけの物をあの業突く張りのネルガル人の目を盗んで、運び出せたものだ」と言ったのは、ネルガル人自身。
「それともアモス船長は、買ってきたのか?」
「いいえ。ウンコクさんと言う方が、地下通路を使って運んできたそうです」
「ウンコクが」と、驚いたようにルイは言う。
ルカのやること全てに反対していた彼を、ルイは今でも好きにはなれない。
「ルイ」と、シナカが慎ませようとすると、
「お知り合いなのですか」と、侍女が訊く。
「彼は、外務大臣でした」
「そうでしたか」
「彼は、元気なのでしょうか」
「アモス船長の話では、少し痩せたようですが、ボイの民衆をよくまとめておられるとか」
実際は、あれでは酷い。と言っていたが、侍女はそのことは口にはしなかった。ネルガル星に武力で制圧にされた惑星が、どのような状態かはこの銀河に住んでいる者なら誰でも知っていること。ボイ星も例外ではない。だからルカは焦っていた。余り星民が疲弊しないうちに、独立させてやれないのなら、せめて自分の星にしてしまおうと。将軍の中には、凱旋の褒美として惑星をもらっている者もいる。ルカもそれなりの功績をあげて、何時かは。自分の星にしてしまえば、どう統治しようと、それはルカの自由である。
「そうですか、ウンコクさんが」と、シナカは何か思いにふけっているようだった。
足りないものを宮内部を通しネットで購入すると、やっと各々の部屋が個室らしくなった。だがネルガル人にしてみれば何処となく異様だ。だいたいドアの開閉からして違う。ネルガルの場合、前後に開くのが一般的だが、ボイでは引き戸、左右に開くのが一般的のようだ。ネルガルの場合、左右に開く扉は公共的な施設に多く、一般的な建物には用いられない。
「これでは、鍵はどうするのですか」と、尋ねる侍女に、
「鍵など、掛けた事がありません」
ボイの建物に鍵はなかった。
「えっ、じゃ、泥棒が入ったら」
これにはルカたちも最初驚いたことだ。ボイ人には盗まれるという感覚がない。彼らに言わせれば、黙って借りて行かれた。よってその内返しに来る。案の定、数日経つともとの位置に戻されていることが多い。ルカたちも最初は疑問に思いながらも、習慣とは恐ろしいものだ。いつしかそれが当たり前のようになっていた。
「鍵、掛けないのですか?」と、不思議そうに言う侍女。
「掛けないというより、始めからないのです」
「ボイ星には、泥棒はいないのですか」
「皆、顔見知りですし、それに盗むような物もありません」
盗むような物がないと聞いて、またまた侍女たちは驚く。見ればシナカ様の調度品は、どれを取っても素晴らしいものばかり。売ればかなりの値が付く。
まじまじと見詰めている侍女たちに、
「よろしければ、差し上げますよ」と、シナカ。
侍女たちは驚いて、
「とっ、とんでもありません」と辞退した。
「これらはみんな、頼んで作ってもらうのです」
「もっとも製造主が、気が向かないとなかなか作ってはもらえないのですけど」と、ルイが補足する。
「そのために、おだてたりすかしたり友達になったりと、なかなか大変なのです。ボイには買うという慣習があまりないですから。例えお金を積まれても、作ってやりたくない相手には作りませんから」
「ほんと、これがやっかいなのよ。かえってお金で買えるなら、その方が簡単でいいわ」
「そっ、そうなのですか」と、侍女たちは何か不思議な慣習を聞かされ、理解に苦しむ。
「ではこれらはみんな買ったのではないのですか」
「ええ、作ってもらったのです」
「材料費は?」
材料は全て自然にあるもの。ただ、材木にしても原石にしても取り出すのに人手がかかる。特に宝石などは、その磨き方で値が違う。ネルガルではそれこそが材料費(価値)なのだが、ボイではやりたいものが集まってやるので、費用にはならなかった。そこら辺の経済感覚がルカにも理解できない。これは貨幣を持つ世界と持たない世界の根本的な思想の違いなのだろうか。貨幣が発明されていなければ、どういう世界になっていたのだろう。蓄えると言うことに意味のない世界。なぜなら、万物は流転するのだ。そのままの形で存在し続けることはできない。特に食物など、腐る。そういう意味では貨幣も、何千年も経てばただの紙になってしまうのだろう、いつまでも同じ社会体制が存在するはずがないのだから。それでもネルガル人は、必要以上に蓄え続ける、数十万人が一生生活出来るほどの貨幣を受け取っても、満足しない。
「材料も、それを扱う人たちに頼むのです。今度こういうものを作るのでこういう材料が欲しいと」
「時には一緒に、材料の切り出しまで手伝うこともあるのですよ」と、ルイ。
ルイは声を潜めると、
「特に姫様は男勝りでしたから、職人たちと一緒になって。私もよく付き合わされました。スカートは切れるし、泥だらけになって邸へ戻ると、国王が嘆いておられました。もう少し女の子らしく出来ないのかと」
侍女たちは軽く噴出す。
「こら、ルイ」と言う、シナカの咎めるような声。
ルイは首を引っ込めると黙ってしまった。
「それでしたら、大奥方様も男勝りでしたから」
すると広間の片隅の男だけの集団が、ボイの男性たちに言う。
「気をつけた方がいいぜ。この館は他の館と違って何故か女が強い。下手に逆らうと、倍以上になって返ってくるからな」
「下手すると、飯も食わせてもらえねぇー」と、ひそひそと言う声が聞こえる。
現に広間の中央を占拠しているのは女性、男たちは片隅に追いやられていた。
「まあ、殿下がお戻りになれば少しは我々の肩身も」
「否、当てにはならないだろう」
そしてルカの帰還の日、ルカと同行した者たちが戻って来た。その中にキネラオやホルヘ、サミランの姿もあったが、ルカの姿だけがない。
「皆さん、ご無事で」と言ったものの、シナカの目は落ち着かず、しきりにルカの姿を探している。
「ただ今」と言うトリスの元気な声。
トリスはシナカの姿を見つけると、
「あれ、奥方様、戻られていたのですか」
「トリスさん、ルカは?」
「殿下でしたら、あなたを帰してもらうと言って、軍部に掛け合いに行きましたよ」
「それでは、行き違いですね」
「何時、こちらへ」と言う静な声はレイ少佐だった。
「これはレイさん、お怪我のほうは?」
「お陰さまで、この館の者たちは全員無傷です」
「そうですか」と、シナカはほっとした溜め息を漏らす。
戦争なのだから、多少の犠牲はと思っていたのだが、全員無事だと聞いて心から嬉しかった。
「私達がこの館に移されたのは、ゲリュック群星からの勝利の一報が入ってまもなくでした」
「そうでしたか。全員、こちらへ?」
「はい」
「殿下も、早く戻ってくればいいのに」と、侍女のひとり。
「戦後処理の報告もありますから」
「戦力が互角なら、断然殿下の勝利よね」と、侍女のひとりが自信たっぷりに言う。
「ここが違うもの」と、自分の頭を指差して。
「でも殿下、本当は戦争、嫌いなんじゃないのか」と、下僕のひとり。
「どうして?」
「だってよ、俺たちに、決して軍人にだけはなるなって、言い残して行ったじゃないか」
言われれば、そうだ。
「勝っても、あんまり喜ばないんじゃないのかな」
「ああ、その通りだ。勝っても喜ばなかった。それどころか、海賊の処罰ばかり気にして」
「でも処罰は軍部でやるんでしょ、脱走兵が大半だって聞いたわ」
「ああ、だから軍部になど引き渡したら全員死刑だろ、脱走は重罪だからな。それで殿下、ゲリュック群星の奴等が彼たちの法で裁きたいと言い出したのをいいことに、条件付で彼らに全員引き渡しちまったんだぜ、軍部に相談もなく。今頃軍部の奴等、カンカンだぜ」
「ちょっと、そんなことして平気なの? それがもとで、また奥方様が収容所だなどということになったら」
「だから、掛け合いに行ったんだよ」
大丈夫かしら。と不安がる侍女たち。
「殿下のことだから、大丈夫だろう。俺たちとは、ここが違うから」と、今度はトリスが自分の頭を指し示しながら言う。
「お前のお頭は特別だからな」
「あっ、それどういう意味だ?」
褒められているのか馬鹿にされているのかわからない。
「随分、活躍したんだって、今回は」と、下僕のひとりがトリスをおだて始めた。
「ああ、そりゃ、俺がいなけりゃ」と、トリスはその下僕の肩に手を回すと、
「俺の武勇談、聞かせてやるから」
「遠慮しておくよ、長くなりそうだから」と、下僕がトリスの腕をはらいその場から逃げようとすると、
「殿下が居ないうちしか話せないんだよ、ほんと、あいつ、勝利を全然喜ばねぇーんだから、やりづれぇーたらありゃしねぇー」
聞いてくれー。とトリスにすがられて、下僕たちはやむなく聞く羽目になってしまった。
シナカたちはシナカたちで、キネラオとホルヘとサミランから、今回の戦闘の一部始終を聞いていた。何しろルカの一番近くに居た三人だ。誰よりも詳しい。
そんなこんなで、エントラスホールは武勇談で花が咲いていた。
そこへ守衛のひとりが、
「殿下が、お戻りになります」
皆一斉に、エントラスへと駆け出す。
暫くして、ルカを乗せた地上カーが滑り込んできた。だが、その車が止まらないうちにドアが開くと、中からルカが飛び出した。
「あっ、危ない」と言う暇すらなかった。
ルカはエントランスにシナカの姿を見ると、居ても立ってもいられず、まだ車が止まらないうちにドアを開け、飛び降りた。
「危ない!」と隣に乗っていたリンネルが手を伸ばしたが、既に遅い。
「痛っ」と、路上で一回転して起きるルカ。
車は慌ててブレーキをかけた。
リンネルとカロルが車から飛び降りてくる。
だがそれより早く、花壇を横切って駆け付けて来たシナカが、ルカを抱き起こした。
「シナカ」と、ルカはシナカの首に抱きついた。
「あなた」と、シナカはルカを抱きしめる。
それを遠めで見ていたトリスが、
「ちぇっ、まったく見てらんねぇーな。あれじゃ、幼稚園から帰ってきたガキだぜ。ママー、転んじゃった。ってな」
トリスがそう言い終わるか終わらないうちに、侍女のひとりがトリスの足を思いっきり踏みつけた。
「痛ってー、何すんだよ」
「それは、殿下が一番気にしていることですよ。あまり口にされない方が」と忠告したのは侍女に代わってキネラオだった。
「そうよ、まだ子供なのだから、奥方様より小さいのは仕方ないわよ」と、足を踏みつけている侍女。
増してボイ人はネルガル人より平均的に大きい。実際、腕力も重力の影響か、ネルガル人よりもある。
「殿下が、かわいそう」などと、下手をすればこの館の全ての侍女を敵に回しかねない雰囲気、トリスは慌てて謝った。
海族ならいくら敵に回しても怖いと思わないトリスでも、この館の侍女だけは敵にしたくなかった。何しろ敵にしたら最後、重労働と餓死を覚悟しなければならない。
「でもやっぱり、もう少し背が欲しいですよね」と、何気なく言うクリス。
シナカは静かにルカを地面に下ろすと、改めて、
「お帰りなさい」と言う。
「それは、こちらの台詞です。お帰り、シナカ」
二人はもう一度抱擁し合い、
「収容所は、寒くなかったですか」
「あなたこそ、無事のご帰還。それなのにこんなところですり傷を」
シナカはハンカチを出すと、自分の唾を付け、ルカの額の傷口を拭く。
それを見ていた侍女たちが、
「大奥方様も、よくあのようにして下さいました」
「唾は消毒液の代わりになりますから、何もない時は有効です」と、ホルヘ。
「まったく、走っている車から飛び降りる馬鹿が何処にいるんだよ。首の骨でも折ったら」
ルカは色白で文人的だ。否、木陰で書物を読んでいるところなど、詩人と言ってもいい。だから運動神経は鈍い。とカロルは勝手に決め付けていた。本当は、剣の腕に関してはリンネルより上だと言うことを、カロルはまだ知らない。
「車が走っていたとは思わなかったのです」
はぁ? とカロルは一瞬、呆けてしまった。
「そっ、そりゃ、宇宙船にくらべりゃ、かなり速度は遅いが」
そっ、そういう問題ではないだろう。と、周りの者たちは思ったが、
「さあ、皆で殿下の無事のご帰還と、奥方様のご帰宅を祝してパーティーを開きましょう。皆さん、軍服を脱いでラフな服に着替えたら、広間に集合よ」
ルカのこころを察してか、勝利のお祝いとは誰も言わなかった。
ルカはシナカの件が片付くと、今度は、今回の戦闘で負傷した者たちのことを思っていた。
服も着替えずにボーと池を眺めているルカに、
「お疲れですか。少し休まれてから」と、シナカ。
「否、今回のパーティーはあなたと私が主役ですから」
ルイがネルガルの服を用意すると、
「ルイさん、すみませんがボイの服を。あの方が動きやすい」
そうですか。とルイはルカがボイで着ていた服を持って来た。
部屋の間取りはボイの時とほぼ同じように作られていた。ただボイよりネルガルの方が水は豊富なので部屋が池の上までせり出している。そこにルカの部屋がある。ここはルカが母親とくらした部屋だ。この部屋は、この子は竜神様の生まれ変わりですから出来るだけ水の近くがいいと言って、わざわざ作らせたものだ。ナオミが後にも先にも我がままを言ったのは、この部屋と池の中の祠ぐらいだった。その部屋に、ルカがボイで使っていた家財が運ばれている。そして、その中にボイで着ていた服も。
ルカはボイの服に着替えると、
「行きましょう。早くしないと、食べるものがなくなってしまいます」
これがこの館のルール。遅れてくる奴の分まで、親切に確保しておかない。
パーティーは夜通し開かれた。結局ルカは睡魔には勝てず中座する。
「先に、休みます」と、ルカは大きなあくびをする。
「お休み、殿下」
ハルガン曹長が居れば、坊やは、もうねんねか。などとからかわれたところだ。
「では、私も」と、シナカが立ち出すと、
「えっ、奥方様も行っちゃうのですか、ボイの話、もっと聞きたかったのに」と、ぐずる侍女たち。
「皆さんは、ごゆっくりどうぞ。まだお酒も一杯ありますから。ボイの話は、また後日」
「シナカ、いいよ、私に付き合わなくとも」と、ルカ。
「私は、一人で寝られますから」
「私も、疲れました」と、シナカはルカに寄り添う。
その二人の後をルイが追いかけようとした時、
「ルイ」と、トリスが呼び止める。
「邪魔するな。積もる話もあるだろ、今まで離れ離れだったんだからな」
ボイでは二人はいつも一緒だった。傍から見ていると夫婦というよりもは仲のよい姉弟という感じだった。
「そっ、そうね」
「どうだ、俺と二人、月を眺めるってーのは。ネルガルの月は一つだからな、ボイとはまた一味違う」
「止めとけ」と、茶々を入れる者がいた。
「ネルガルの夜はボイとは違って暗い。トリスじゃ、何するかわからんぞ」
「そりゃ、どういう意味だよ。それじゃまるで俺が狼みてぇーじゃねぇーか」
「狼みてぇーじゃなくて、そのものだろうが」
「なっ、何!」
喧嘩腰のトリスに、
「おい、もう酔ったのかよ。酔うにはまだ早いぞ。それともまだアルコールが足りないで禁断症状でも出てるのか」と、トリスのグラスに酒を注ぐものがいた。
結局このまま朝まで続き、昼頃まで全員、酔いつぶれていた。
シナカはルカに寄り添うようにしてベッドへ入った。まるで母親が子供に添い寝するように。ルカはシナカの胸に顔をうずめる。
「いい匂いだ」
ボイでもずーとこうして寝ていた。ボイの御伽噺を聞かせてもらったり、ネルガルの御伽噺を紹介したりして。
ルカはやっと安住の地を得たかのように眠りについた。その手はしっかりとシナカの服を握り締めている。
竜は、争いごとはお嫌いなのよね、あまり無理をしないで。
昼近くになって、
「姫様、お昼のご用意が」と、声を掛けてきたのはルイだった。
「申し訳ありません、先程まで、皆で寝ていましたもので」と、襖を開けるルイ。
シナカはルイの顔を見ると、静かに。と言う感じに人差し指を唇にあてた。
朝、一度ベッドから起きたものの、池にせり出している部屋に薄い布団を敷き、そこでごろごろしているうちに、ルカはまた寝てしまったようだ。さぞかし疲れていたのだろう。シナカは皆を起こすのも気の毒と思い、この部屋にあるナオミ夫人が愛用していたと言う文机を借り、刺繍を始めていた。
ボイではよくこのような光景を見たとルイは思った。
姫様が刺繍をしている傍らで、殿下が読書、今回はお昼寝のようだが。
「お食事、こちらに運びましょうか」
「皆さんは?」
「食べたり食べなかったりです」
二日酔いで食が喉を通らないというのが本音のようだ。
「お手数ですけど、こちらに運んでもらえますか。ただし、軽いものでけっこうです。ルカが起きたら、一緒に食しますので」
「畏まりました」と言いつつ、ルイはシナカの手元を覗き込む。
「どなたの軍服ですか」
「カロルさんのよ、今回はいろいろとお世話になりましたから。こんなものでしか、お礼は出来ませんけど」
「喜びますよ、きっと」とルカは、眠そうに目を擦りながら。
「あら、起こしてしまいましたか」
「お腹、空いた」
どうやら腹が減って目が覚めたようだ。
「まぁ」と、呆れたように言うシナカ。
「ただ今、用意いたします」と、ルイは慌てて部屋から飛び出そうとすると、
「食べに行きます」と、ルカ。
「ルイも、少し休むといいですよ。私達の身の回りの世話でしたら、この館の侍女たちもやってくれますから。皆と仲良くやってください」
「ええ、もう、仲良くやっております。皆さん親切な人たちばかりですから」
「そうですか、それはよかった。シナカ、きりの良いところでご飯を食べにいきましょう」
そう言うが早いか、腹の虫が鳴く。
シナカはくすくす笑いながら、道具を片付け始めた。
「カロルさんは?」
「今朝方、お帰りになりました。挨拶をと思いましたが、まだお休みでしたので、声を掛けずに行かれました。ただ、よろしくとのことでした」
「そうですか、それは悪いことをしました。でも、一、二日は居るかと思っていましたが」
カロルは遊びに来るとこちらで追い出さない限り帰ろうとしなかった。
「なんでも明日から星間パトロールの仕事に戻らないとならないそうです。それで今日は準備だとか」
「そうですか、カロルももう一人前なのですね」と、まるで自分の方が年上のような口ぶり。
シナカもルイも思わず笑ってしまった。
昼食後、ルカはまた寝てしまった。
ルイが薄い掛け布団を用意する。
「本当に疲れているのね」
「海賊退治の指令が出てから、ほとんどお休みになられておりませんでしたから」と、ホルヘ。
ケリンも一緒だった。
「あら、ホルヘさん、ケリンさんも」
ルカを起こそうとするシナカに、
「休まれておられるのでしたら、そのままで。急ぎの用でもありませんので」と、ケリンはシナカの行動を止めた。
「作戦を立案するのに必死でしたから」
「そんなに勝つことを」と言うルイ。
やはりネルガル人、戦争ともなれば血が騒ぐのだろうか。だがこの人だけは、そうあって欲しくない、姫様のためにも。
「いいえ、勝つことは簡単でした。ただ、いかに犠牲を減らすかということに、殿下はお心を砕かれておられました。そのために情報を集め、寝食も忘れて練り上げたのが今回の作戦です。今回の戦いは、皆さん楽だったと思いますよ。ほとんど殿下一人で戦っていたようなものですから。皆さんが行動に移った時には、既に勝利は確定していた。彼らがよほどヘマをしない限りは」
「そうですね」と、ホルヘもケリンに同意する。
「私達、ボイ星での戦いもそうでした。戦力が足らないからと仰せでしたが、本当は血を見るのがお嫌いなのでしょう。竜は争いごとを嫌うといいますから。それで出来るだけ戦わずに勝てるようにお考えになられたのが第一回戦でした。それがあまりにも勝ちすぎたため、ボイ人は驕ってしまった。殿下の苦労も知らずに。そしてネルガルの真の力も知らず、口ほどにないとネルガルを見くびった」
その結果が今のボイ星だ。
ケリンはそれに関しては何も言わず、
「また来ます。ゆっくり休ませてやってください。奥方様のお傍が、殿下にとっては一番お心が休まる場所のようですので」と、シナカに一礼すると、その場を去った。
ケリンを見送ってから、
「体の調子は大丈夫ですか」と、ホルヘはシナカを気づかう。
ネルガルのバクテリアに慣れる間、ワクチンを投与しているとはいえ少しは発熱したりする。それはネルガル人がボイへ行った時も同じだった。
「もう、すっかりよくなりました。ハッサンが診たててくれていましたから」
「そうですか」
「ホルヘたちの方は?」
「私達でしたら、オリガーさんが」
「そうでしたか」
ホルヘは池の上に迫り出した縁の上に座り、池を眺めながら、
「ネルガルはボイに比べると水の豊富な星です。宇宙港からは真っ青に見えました」
星が美しいのだから、そこに住んでいる住民の心も、美しくあって欲しいと願ってはいけないものなのでしょうか。
二、三日、爆睡していたルカはやっと活力を取り戻すと、さっそくケリンをコンピューターと書物で埋め尽くされている自室へ呼び出した。
「そう仰せになると思いまして、既に用意してあります」と、ケリンはルカが寝ている間に調べ上げたデーターをディスプレーに映し出した。
「こちらが今回の戦闘での死傷者のリストです」
そこには死者の氏名と埋葬場所、負傷者の傷の程度と病院名等々が表示されている。
「かなり、おりますね」と言うルカに対し、
「少ない方です」と、ケリンははっきり答えた。
「お見舞いに行きましょう」
「殿下、そのようなことをしていたら、体がいくつあっても」
「しなければ、一生気残りになってしまいます」
止めても無駄なことを知っているケリンは、やれやれという顔をすると、ハンドパソコンにデーターを移した。
「クリスを連れて行くといいですよ」
彼は几帳面だから、このような仕事はうってつけ。
「それに護衛に誰か」と、ケリンが言いかけた時、
「私でよければ」と、ホルヘが名乗り出た。
ケリンはまじまじとホルヘを見る。
確かにプラスターの腕は確かだった。それに体術も、ボイ人の方がネルガル人より体格がよく、腕力があるだけ有利。ただし一つ問題がある、ホルヘが異星人だということ。しかし病院は全て王宮外にある。そこなら異星人の往来も珍しくない。それでもボイ人は珍しい人種に属することになるだろうが。
普通の巷の子供の服に着替えたルカは、これまた普通の服を着せたクリスとホルヘを従えて、病院へと向かった。
「お止めにならないのですか」と、言う侍女たち。
奥方様が止めてくださればもしかして、との期待を込めたのだが。
「言い出すと、きかないのよ」と、シナカ。
確かに。と侍女たちも納得するしかない。
「やはりボイ星でも、そうだったのですか」
幼少の頃からのルカを知る侍女たち。女たちは笑う。
リンネルも大きな溜め息を吐いて見送るしかなかった。
「大佐が一緒では、わざわざ平民の服を着ていく意味がなくなりますからね」の一言で。
だがリンネル大佐の指示で、数人の守衛が私服で街中に散った。
「大佐も大変ね。他の王子では、こんなご苦労はしなくて済んだでしょうに」
だがある意味、別な苦労を強いられたかもしれない。少なくともこの館では、出自が卑しいと差別されることはない。それに大佐の家柄では、本来王子の侍従武官などにはなれない。
ルカが出かけてから間も無く、小さなお客さんが夫人と一緒にやってきた。
「これは、ルクテンバウロ侯爵夫人」と、侍女頭のルイーズが型苦しく呼びかけると、
シモーネは困ったような顔をした。
ナオミ夫人でしたら、何時も名前で呼んでくださったのに。
「ルカお兄様は?」と言うディーゼに、
「これはディーゼ様、大きくなられて。お幾つになられました?」
シモーネはルカがボイ星から無事に戻られたと聞いて、一度挨拶に伺ったのだが、その時も留守のようで会うことはできなかった。否、実際は居たのかもしれない。だが取り込み中のようだった。館も殺伐としていて、帰還を祝うような雰囲気ではなかったので、そのまま会わずに引き揚げたのだが、今度は奥様もご一緒だということなので、改めて挨拶に来た。
「五つになりました。それより、お兄様は」
母親に似ず、はきはきした子だ。物怖じしないところは皇帝似。
「申し訳ありません。ただ今、外出しております」
「またですか、先日、母が尋ねた時も」
「そうでしたね。では、お待ちになりますか」
ディーゼはかわいらしく小首を傾げ、少し考えた末、
「ルカお兄様のお嫁さんがご在宅だと聞きました」
「お会いになられますか」
「うん」
「では、お呼び致しましょう」
ディーゼはルカより年下である。だが格から言えばルカより上になる。ルカの母親は平民。それに対しディーゼの母親は傍系とはいえ貴族。そのためルクテンバウロ侯爵の養女として皇帝の房室へ入った。
ディーゼがわざわざ出向いてきてまで会いたいと言えば、こちらに拒む権限はない。これがネルガルのルール。
急いでその旨がシナカに知らされ、侍女はディーゼ母子を居間へと案内した。
母子を迎い入れた主の姿を見て、ディーゼは思わず後ずさりをしてしまった。異星人を見るのは初めてだった。映像やホログラフでは何度も見ているが、いくら実物のように三次元で映し出されていても、実物とは違う。ディーゼが怖がらないようにと、シモーネは何度かボイ人のホログラフを見せたのだが、あまり意味がなかったようだ。シモーネの侍女に至っては、悲鳴こそあげなかったものの、その場にへたりこんでしまった。
「こちらが」と、侍女が紹介しようとした時、
「ディーゼ、シナカさんですよ、ルカ殿下のお嫁さんです」
ディーゼは幾度となく母親から話は聞かされていたのだろう、わかってはいるようだが。
「驚かれるのも無理もありませんね。王宮では、異星人に会うことは滅多にないそうですから」
シナカは優しく微笑んだつもりなのだが、なかなかネルガル人のように表情を作ることが出来ない。
「すみません、初めてお会いするもので」
「どうぞ、お掛け下さい」と、シナカは少し距離を置いた席を二人に勧めた。
ルイがお茶を運んでくる。
「彼女が作った菓子なのです。彼女は菓子作りの名人なのです。ルカもこの菓子は、とても喜びます」と、流暢なネルガル語で、二人の前にお茶と菓子を用意した。
無論、ルイもボイ人だ。彼女の朱色のネルガル人より長い手が伸びるたびに、ディーゼは母親の腕を強く握った。
「ルカ殿下がお好きなお菓子だそうですよ」と、シモーネはディーゼに菓子を促す。
それでもディーゼは暫し二人のボイ人を交互に見比べていた。少し経って落ち着いてきたのか、喉の渇きを感じたディーゼは、菓子より先に飲み物に手を出した。
すーと喉に入っていくジュース。
「おっ、おいしい」
ディーゼはいっきに飲み干してしまった。
空になったグラスに、ルイがさり気なくジュースを注ぐ。
おいしい飲み物とは不思議なものである。何時の間にか警戒心を解きほぐしてしまった。
「ルカお兄様が好きなお菓子なの」と言うと、さっそく手で摘んで口にした。
「いかがですか」
「うん、おいしい。ルカお兄様、いつもこんなおいしいもの食べているの?」
雰囲気が和んだところで、
「庭になった果物がありますので、お持ちしますね」と侍女。
暫くすると、テーブルの上はいろいろな果物で一杯になった。
「そうね、ここの館は何時もこうだったわ。庭で取れた果物や野菜で一杯だった。ナオミ夫人が直々に取ってきてくださって」
シモーネは昔を懐かしむように言う。
「無いのは冬だけなの、冬は大地が雪でおおやれてしまいますから」と、侍女。
「ボイでは、雪は降らないのです」
「では、シナカ様は、雪を見たことがないのですか」と、ディーゼは菓子をほおばりながら問う。
「はい。映像では見ましたが、実際には」
「では、今度雪が降ったら、一緒に雪だるま作りませんか、ルカお兄様も誘って」
おいしい菓子は抜群の効果を発揮した。恐怖心は消えてしまったようだ。
「でも、これ本当においしいですね。ルイさんが作ったのですか、今度私にも教えてください」
「はい、喜んで、ディーゼ王女様」
「約束ですよ」と、ディーゼは小指を立てた。
これはルカがよくやる仕種。
ルイはそっとその小さな小指に自分の小指を絡ませた。
ルカは負傷兵一人ひとりに声をかけた。傷の具合はどうか、きちんと治療してもらっているのか、困っていることはないかと。特に負傷手当ての手続きをしていない者には、その理由を聞き、字が書けないという者には代筆までしてやった。そんな中、家族が見舞いに来ている兵士に出会う。妻と子供三人、子供はまだ小さい。そしてその兵士は、右腕を切断していた。
「義手の申請をしておりませんね」
「義手や義足は、士官クラス以上にならないともらえないと聞いたが、俺たちのような一兵卒じゃ」
「誰がそのようなことを。そんなことはありません。全員、申請すればもらえるはずです。そうですよね、クリス」と、ルカは背後に控えているクリスに問う。
クリスはハンドパソコンですぐさま検索すると、それに関する法令を呼び出した。
「確かに、戦闘による負傷は、保障されております」
「申請しなさい。そうすれば義手を付けてもらえます。このままでは不自由でしょう」
ルカにそう言われても、
「俺、学校、出てないんだ。だから読み書きは。だから申請したくとも」
これにはホルヘは驚いた。ルカから聞いてはいたが、実際にこんなに居るとは思わなかった。この部屋の大半の怪我人は読み書きができない。ルカの館の者は、下働きの者に至るまで読み書きは出来ているのに。ボイ星では読み書きの出来ない者は、知能的もしくは肉体的に特別な異常がある者に限られていた。
一兵卒の大半は読み書きが出来ない。これがネルガルの実態なのだと言いたげに、ルカはホルヘを見た。長らくの戦闘に次ぐ戦闘で、孤児が増え、彼らは食べることすらままならない有様だ、まして学校など行けるはずがない。
「わかりました、私が代筆しましょう」
ルカはクリスに申請用紙をパソコンでプリントさせると、その兵士から氏名、所属艦隊、乗船していた艦名、配置等々を聞き出し、右腕切断までの経緯を、書類に決して綺麗な字ではないが几帳面そうな字で書いた。
それをじっと見ている一番年上の子。歳は七つぐらいだろうか、ルカよりも少し小さい。本来なら、学校へ行っているはずなのだが。
その紙を奥さんの前に差し出すと、
「これをこの病院の事務所に持って行くといいですよ、後は事務所の方で手続きしてくれるはずですから」
「お兄ちゃん、字が書けるんだ」
その男の子は驚きと言うか尊敬とでも言うのか、複雑な視線でルカを見る。
「学校は?」
「行っていない」
「そうか。では、周りに字が書ける人がいたら、その人に字を教わりなさい。字が読めないのでは損ばかりします」
「じゃ、お兄ちゃんに教わる」
そう言われて、ルカは困った。
「私も、あなたに字を教えてやりたいのですが、暇がないのです」
「暇?」
子供にそんなことを言ってもわからないか。と、諦めたルカはクリスから白紙をもらうと、そこに少年の名前を書いてやることにした。
「名前は?」
「ボブ」
ルカは紙にぼぶと書くと、弟と妹の名前も聞いて書いてやった。
「まずは自分の名前が書けないとね。練習してごらん」とペンを渡し、その握り方から教える。そして空白に、五つぐらい書かせた後、おとうさん、おかあさんと書いてやる。
「まずは、これだけでも」
「じゃ、後二つ書いてくれる」
「何を?」
「お兄ちゃん。と、お兄ちゃんの名前」
ルカはおにいちゃんとるかと書く。
「何て読むの?」と、問う少年に。
「読めるでしょ、同じ字がある」
少年は今まで書いた字を見詰めて、気がついて喜ぶ。
「かおるのると、おかあさんのかだ。ルカ」
ルカは大きく頷く。
「お兄ちゃんの名前、ルカって言うんだ」
何か大発見でもしたように喜ぶ少年。
ルカは空いているところにもう一つ字を書いた、ともだち。と。
少年はその字をまじまじと見詰め、
「との次は何て読むの?」
「友達」
少年の瞳が輝く。
「俺と、お兄ちゃん、友達」
ルカは頷いた。
もっと教えてやりたいのだが、他の兵士たちを見舞わなければならない。
その場を去ろうとしたルカに、
「誰か、お探しですか?」と、少年の母親が尋ねる。
ルカは一瞬、答えに迷ったが、
「友達の兄を」と、嘘を付いてその場を去った。
ルカは時間が許す限り病院を訪れた。ボブという少年とは、すっかり仲良くなってしまった。今日で三日目、少年は午後になると病院の入り口でルカが来るのを待つようになっていた。
「まだ、見つからないの?」と問う少年に、ルカは少なからず罪悪を感じていた。
その場を去るためにとっさに付いた嘘なのだが。
「お父ちゃんが言っていた。もう生きていないかもしれないって。名前がわかれば負傷者リストから探せるんだって」
「心配してくれてありがとう」とルカは言うと、バックの中から二冊の絵本を出した。
「これ、あげるよ」
一冊はものの名前と絵が描いてある本。もう一冊は物語。
「この本が、読めるようになるといいね」
「病室に、字の読める兵隊さんがいるんだ。その人に、今教わっている。この本も、その人に読んでもらうよ」
ルカは少年に本を手渡すと、別の病棟へとびっこをひきながら歩いて行った。
その一部始終を、遠めで見ていた下士官がいた。
「また、来ているな。服装からして、貴族ではなさそうだが、二人の従者を従えている。しかも一人は異星人」
「何処かの豪商の息子なのだろう。親父が奴隷として買い与えたのではないか」
「何しに来ているのだ?」
「友達の兄を探しているそうだ」
「兄?」
聞いた方の下士官は不思議そうに首を傾げた。
それにしては兵士一人ひとりに声を掛けていくのはどういう意味だ。聞けばその兵士に代わって補助金の申請を代筆しているとか。
その下士官は、そっと後をつけるようにして、少年の向かった病棟へと入った。
そこは集中治療室だった。ガラス越しに中をじっと見詰めるルカ。この部屋の者は、ほぼ助からない。死を待つだけの者たち。
下仕官はさり気なくその少年の横に立った。
今回の戦闘、負傷者の大半は、敵にやられたより味方の艦との接触や味方の艦に撃たれた事によることが多かった。
「艦隊運動を、きちんとマスターさせなければ駄目だ」
ルカはその下士官に聞こえるように呟く。
下仕官は集中治療室の中の兵士を見ながら、
「今回の戦闘は、速度が速すぎた。あれでは」
「あの回廊は、エヌルタ人から一時的に借りたのだ。あの回廊の中での戦闘が長引けば長引くだけ、エヌルタ人の被害も大きくなる。あのぐらいの速度なら、ボイ人なら軽く艦隊を展開させることが出来る」
下仕官は少年を睨んだ。だが少年は、じっと集中治療室を見詰めているだけ。
「訓練さえきちんとしていれば、こんなに犠牲を出さずに済んだ。上官の怠慢だ」
ルカは言い捨てるかのように言うと、その場を歩み去る。クリスとホルヘが慌てて後を追う。
確かにあの少年の言うとおりだ。何故あの少年は、今回の戦闘のことをこんなに詳しく知っているのだ。
暫し、ぼーとその場に立ちすくんでいた下士官に、声を掛ける者がいた。
「これは、上官」
「どうした、そんな難しい顔をして」
「それが」と、下士官は先程の少年とのやり取りを話す。
「確かに、その少年の言うとおりだな」と、上官は苦笑せざるを得ない。
「しかし」
何故、こんな事を知っているのだろうか、あんな子供が。
「その少年の名前は?」
「確か、ルカとか」
上官には、名前に聞き覚えがあったようだ。
「もしかして、びっこをひいておられなかったか」
「そう言えば、左足を引きずっていたような」
「王子だ。おそらくルカ王子」
「ルカ王子! まさか。何故ルカ王子がこんな所に?」
「彼は、何をしていた?」
「それが」と、下士官は入院している兵士たちから聞いたことを上官に伝えた。
「見舞いに見えられたのか?」
「まさか、負傷兵はここだけではないです。それに、何故王子が、こんな一兵卒を見舞いに?」
上官はくるりと向きを変えると歩き出した。下士官はその後を慌てて追う。
「今回の戦闘の指揮を取られたのはルカ王子なのだ」
下仕官もそれは知っていた。王子が指揮を取ると。しかも子供だと。命あっての物種だと、今回の指揮官のことを皆で馬鹿にしていた。だがいくら子供だと聞いていても、元服したばかりの王子、少なくとも十五、六にはなっているだろうと思っていたのだが。
「そうご指摘されておられたか。あの醜態、さぞ愛想尽かされたことだろう」
以後、ロブレス率いる第10宇宙艦隊は、基礎的な訓練からやり直し始めた。二度と王子の前で、あのような醜態を演じないために。そしてロブレス艦隊が訓練を始めれば、バルガイの艦隊も、負けずと訓練を開始した。やはりこちらも、ルカ王子の前での醜態が気になっていたようだ。
宇宙軍の恥とまで言われていたこの二つの艦隊が猛特訓を開始しと言うのを聞いて、軍の上層部では何事かと驚いた。もしや、クーデターなどと、良からぬ噂を囁く者まで出る有様だったが、結局、三日も続くまいということで落ち着いた。
案の定、十日を過ぎた頃から部下たちのブーイングが激しくなってきた。ロブレスの艦隊の兵士とバルガスの艦隊の兵士が宇宙港の酒舗で一緒になった時、
「なんで、今頃になって特訓なんだ?」
不満はいっきに噴出した。
「そりゃ、勝利もまんざら悪いものでもないが、特訓してまで得るほどのものでもない」
「そうだ、上官らはどうかしてるぜ」
「俺は、もう、止めた」
「俺もだ」
そこへ一人の下士官が近付いて来た。
「お前、義手が付いたようだな」と、その下士官。
「あっ、これか、あの少年のおかげだよ」と、以前の自分の腕と寸分変わりのない義手を仲間に高々と見せる。
「誰が、お前たちのことを見舞っていたか、知っているか」
「見舞うって、あの少年のことか」
「そうだ」
「あの少年は、友たちの兄を探しに」
「本当にそう思ったか。字が書け、パソコンも使える少年が、わざわざ病棟を歩くか、足が悪いのに。それもお前たち一人ひとりに声をかけながら」
言われてみれば、確かにそうだ。
「あのお方が、どなたか知っているのか」
「確か名前を、ルカとか言っていた」と、別の兵士が言う。
彼も声を掛けられた口だ。
それ以上のことは何も知らない。倅は本までもらって随分と親しくなっていたようだが。少年が都合で来られなくなっても、暫く病院の入り口で待っていたものだ、もらった本を大事そうに抱えながら。
「ルカ王子だ」
「ルカ王子? 誰だ、そいつ」
彼らは指揮官の名前すら知らなかった。ただ今回は王子が同行すると言うだけで。俺たちのようなヤクザな艦隊に、物好きな王子も居たものだと。
「あの少年が、王子だというのか。それも俺たちのことを心配して、見舞いに?」
信じられない話だ。王族は雲上人。一般の者たちは、会うことすら許されないのに。
「信じられない話だな」
疑う者は、とことん疑う。
「少年の背後にいた異性人を見たか」
「見たことのない異性人だとは思ったが、まあ、銀河は広いからな」
「ボイ人だ」
「ボイ人って、ついこの間、反乱を起こした」
「確か、王子を殺したとか」と、別な兵士までが話しに加わる。
「それが少し違うらしい。まあ、ここら辺はあまり深入りしない方がいい、命が欲しければな」と、下士官は話を濁し、
「俺はあの少年にはっきり言われた。ボイ人なら一年足らずの訓練でも、あの速度で余裕で艦隊を展開できたと。つまりどういう意味か解かるか。お前たちは、一年足らずのボイ艦隊より下だということだ。上官の怠慢だとも言われた。きちんと訓練させておけば、お前等も怪我をしなくて済んだとな」
暫しの沈黙。
「お前等、戦争のセの字も知らないあんな子供に、笑われたんだぞ。悔しいとは思わないのか」
だが、親身になって自分たちを心配してくれたのも事実だった。一人ひとりに声を掛けている時のあの少年の目は、本気だった。少なくともあの少年が申請してくれなければ、この義手はもらえなかった。義手を付けた兵士は、その腕をまじまじと見詰める。
「ボイ人以上の艦隊運動をして、見返してやろうとは思わないのか。この艦隊には、そのぐらいの根性のある者はいないのか」
「俺には、そんな気はもうとうない」と、義手を付けた兵士は言う。
「だが、あの少年が俺たちのことを親身になって心配してくれたのは事実だ。俺、今まで何度となく負傷したが、一兵卒の俺を、指揮官が直々に見舞いに来てくれたのは初めてだった」
「俺もだ」と相槌を打つ兵士。
「王子だろうと何だろうと、そんなの関係ない。ああいう指揮官の下なら、俺、戦ってもいいな」
「俺もだ」
「だが、今のお前等では、ルカ王子の方から断ってくるさ」
そして、軍上層部の思惑とは違って第10艦隊と第14艦隊の者たちは、もくもくと訓練を始めた。二度と、ルカ王子に笑われたくないという一心から。
ルカの館では小さな客人を迎え、久々に団欒を味わっていた。
ディーゼはルイとキッチンに入り、さっそくクッキー作りに挑戦した。
「すっかり、ルイをディーゼに取られてしまいましたね」
「その分、あなたが傍にいてくださいますから」と、シナカは刺繍の手を止めずに言う。
ルカはキッチンの方を見ながら、
「やはり、おいしいと言わないとまずいでしょうね」
「そうね。どんなものを出されても、不味いという表情だけはしない方がいいかもしれませんね」
「胃薬を、用意しておくか」
「まあ、あなた」と、シナカは呆れたように言う。
そんな会話をしている内に、キッチンからいい香りがしてきた。
ルカは鼻をひくひくさせると、
「匂いだけは、おいしそうですね」
どんなものを食わされるのかと心配でならないようだ。ある意味、毒を盛られるより怖い。
暫くすると、皿にクッキーをのせて、ディーゼとルイが現われた。
一目瞭然だった。形のよいのはおそらくルイの作。では、こちらのえびつなのは。
「どうぞ」と差し出すディーゼの手から、ルカは恐る恐るクッキーを摘む。
私が先に食べなければならないのでしょうか。と言いたげにシナカの顔を見ても、シナカは何の反応もしない。そして周りの者たちの顔を見ても皆同じ、全員ボイ人になったように無表情。どうやら毒見は私のようだ。
「どうぞ、お兄様」
ルカは諦めたようにそのクッキーをほおばった。
「どう、おいしい?」
食べられないことはなかった。だが、硬い。まるで石のよう。どのようなやり方をすれば、あの柔らかそうな粉が、ここまで硬くなるのか? と、反対に訊きたくなるぐらいに。
「どう?」と、首をかわいらしく傾げて問うディーゼ。
「うん、噛めない」
つい、本音を言ってしまった。
「噛めないって?」
ディーゼも自分で焼いたクッキーを一つ摘んで小さな口に入れる。
「かっ、硬い!」
「飴か?」と言うルカ。
しかし、口の中で溶ける気配はない。
だがディーゼはルカと同じ翡翠のような瞳に涙を一杯浮かべると、泣き出してしまった。
ルカはおろおろする。
「食べられないことはないよ、おいしいよ」と、その硬いクッキーを強引に噛み砕き飲み込んだ。
それを見たディーゼは、泣いて俯いているはずの口元から小さな舌を出し、ちらりとルイを見た。ルイはその時、ディーゼが嘘泣きをしていることを知る。そしてさり気なくそのことをシナカに知らせる。シナカは、まぁーと呆れたような顔をした。
後でルカが席をはずした時、ディーゼは二人に言う。
「だって、ルカお兄様、やさしいから」
異星人とはいえ、そこはシナカもルイも女性、ディーゼのその女心がわかるようだった。
そんなつかの間の長閑な日々の中、事件が起こった。
「マイムラー公爵館が、爆破!」
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2011/08/09(Tue)22:54:41 公開 / 土塔 美和
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