- 『鈴山神社物語』 作者:白たんぽぽ / リアル・現代 ファンタジー
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全角13709文字
容量27418 bytes
原稿用紙約39.6枚
希望に満ちているようなそうでないような、そんな物語を目指して書くつもりです。
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そこは夢色の世界
何もかもが叶うような、そんな予感を感じさせる世界
『鈴山神社物語』
逃した魚はデカイとか、となりの芝生は青いとか言うけど、世の中には他人を羨むことをせず、立派に自分の道を胸をはりながら歩く人もいる。そんな風に生きられるようなしっかりした自分を持ちたいとは思うけど、私は駄目だ。羨ましくてたまらない、他人が眩しくてたまらない。
昔はもっと明るくて、友達ももっと多くて、そして幸せだったような、そんな気がする。それは漠然とした感情で、確信なんて決して持てないただの憧憬なのだけど、そんな風に感じてしまう。
それは今を信じられないからこそ、考えてしまうことなのだろう。そして、こうして授業中に青空を見上げてしまうのだろう。
青いキャンパスの上には、美味しそうな綿あめのような雲が浮かんでいて、それはゆっくり、ゆっくりと緑濃い山に吸い込まれていく。まるで山が雲をパクパク食べているかのようだ。
お味はいかがですか、そんなに食べて腹を壊しませんか、なんて心のなかで問いかけてみたけど、もちろん返事なんて返ってこない。風に揺られた木々のざわめきが、答えだと言えないこともないかもしれないけど、それは強引な解釈もいいところだった。
本当は別にそんなことはどうでも良くて、とにかく今日は気持ちの良い日和で、こんな狭っ苦しい教室で過ごすなんて勿体無くて、だから私はせめて外に出られなくても、眺めるだけでもして、この陽気な一日を楽しむことにしたんだ。ああ、なんて有意義な授業の過ごし方。もうこのまま昼寝でもしちゃいたい。
「ではこの問題を、桂木さん、桂木夢さん、答えてください」
でも、そんな小さな夢さえここではあっけなく潰えてしまう。さようなら私のシェスタドリーム。
返事をして、立ち上がる。卒なく答えて、着席する。
現在、数学の授業。そして今は、基礎問題の答え合わせの時間。すでに塾で問題を解き、答え合わせも終わっていた私は、分かりきった事を延々と繰り返し説明されるのに飽き飽きして、手持ち無沙汰の気分をぶら下げていた。
別にノートに落書きするのでも良かったし、隠れて小説を読むのもありだったと思う。でも、私はそんなことを大っぴらにする勇気がない。できるのは、こういったことだけ。もっと面白いことをやりなさいよ、ていうささやかすぎる抗議のようなことだけ。
教室で居眠りしようが、漫画を読もうが、こそこそ話をしようが、それが改善されることなんてない。それは分かりきったことだし、今更私も期待なんてしていない。
私の住む世界は、こんな風に平凡で刺激がなくて退屈で、そんな毎日をただただ繰り返すうちにきっと私は大人になっていくんだ……、てそう思っていた。
けど違った。世界はその奥に思いも寄らないものを隠していて、夢や希望に満ち溢れたものがそこには広がっていた。
それは今から三日後の話。失踪した近所の犬と再開したことから始まった。
「雨音の染み渡る刻限に」
その日は雨がシトシト降りしきる一日だった。止まない雨、それにウンザリしていた。
そんな日にも、我が家の愛犬カノンは散歩に連れて行ってとせがむから、牛柄のレインコートを着せて散歩に連れ立ったのだった。
元気よく走るカノンに引きづられながら、私は黄色いスニーカーを泥で汚して走る。田舎道の堤防沿いを、とにかく一直線に走る。そしてカノンは気まぐれに立ち止まっては、一生懸命に臭いを嗅ぎ出し、それに没頭する。私は海とその先の山とを眺めながら、ぼーとする。
カノンが綱をクイクイ、と引っ張り出したら次のスメルスポットへの移動の合図で、ゆっくり小走りした後結構な速さで走る。私はあまり運動得意じゃないのだから、もう少し穏やかに散歩させて欲しいのだけれど、カノンはそんなこと聞いちゃくれない。心ゆくまで散歩を楽しんでやるぞ、という心構えを頑なに崩そうとしない。
これがカノンを私が散歩に連れていかなければならない原因だったする。私には弟がいたりするのだけど、まだ小学2年生のヒロには中型犬とはいえ大型犬くらいはある体格のカノンを散歩に連れて行くなんてできなくて、両親は共働きだし、カノンを引き取ると言って聞かなかったのは私だし……、てなわけで、当然散歩にはやっぱり私が連れていかなないといけない感じになっていたのだった。
一度面倒くさくて、無理して一人で行かせたこともあったけど、やってしまったと思った。だってヒロもカノンのことが好きだし、散歩自体も自分一人で連れて行きたがっていたからつい、いいかな、と思ってしまったんだもん。
帰ってきたヒロの姿は、それはもう悲惨なもので、手の皮がズル剥け、膝小僧から出血していて、顔はもう大洪水だった。でもそんな状態なのに、カノンの綱だけはしっかり握りしめていたみたいだった。絶対に解けないように、と教えた綱を手首に巻く方法をきっちり守って、転んでもカノンの安全を第一にして、ヒロは綱を握り続けていたのだ。私は一人で散歩に行かせたことを謝って、そして一人でちゃんと散歩を終わらせたことをいっぱい褒めてやった。偉かった、偉かった、て。
これは両親の知るところとなり、私はそれをしこたま叱られた。そんなことがあったから、たまにヒロと一緒に行く以外、ほぼ必ず中学一年生である私が一人でカノンを散歩に連れていっている。もちろんその日もそうだった。
こんな雨の日だったから、いつもすれ違うランニングおじさんや、同じように犬の散歩に来ているおばさんも見かけなかった。私とカノンだけがこの海岸線を歩いていた。いつも騒がしい鳥のさえずり声もせず、雨の音だけが響く、とても静かな日だった。
その犬には、曲がり角に近づいたときに気がついた。道の角に座っているその黒い犬は、じっとこちらを見ていた。哀愁漂う佇まいで、私とカノンを見つめていた。
始めは見間違いかなと思った。雨のカーテン越しだったから、姿がかすんでいたし、よく似た野良犬かな、と思った。けど、その犬はやっぱり柴山さん家のゴローちゃんだとしか思えなかった。だって、その犬を見たカノンの反応がゴローちゃんと会うときの姿そのものだったもん。
カノンとゴローちゃんは愛し合っていたと思う。傍から見ていた私には、そういう風に見えた。散歩道の途中にある柴山さん家の前を通るとき、カノンは決まってゴローちゃんの寝そべる柵の所まで近づいていって、鼻を突き合わせていた。いつまでもいつまでも、そうして見つめ合っていた。その姿は相思相愛の恋人のようで、とても私には邪魔できなかった。私は二人が愛の言葉を交わし終わるまで、気まずそうに柴山さん家の百日紅の木を見上げていたものだ。
カノンはそのとき見せる表情と、まったく同じものをその顔に浮かべ、大切な存在と時間を共有できる喜びでいっぱいの目線を、その黒い犬に向けていた。それを見たとき、私はその黒犬をゴローちゃんだと確信した。ゴローちゃんが戻って来たのだ。
けど、近づくに従って不思議な点に気がつくようになった。この雨の中、ゴローちゃんは平気な顔をして座っているのだ。というよりも本当に平気なようなのであった。犬の毛がある程度水を弾くとはいっても、限度がある。こんな雨に身体をさらしていたら、毛が濡れてどんな剛毛でも必ずしなだれてしまうはずだ。でも、ゴローちゃんの被毛は太陽の下のようにピンピン突っ立ったままであった。
他にもおかしな点があった。雨のせいで姿がぼやけているのだと思っていたのだが、近づいたにも関わらず、その姿は靄がかかったままのように不明瞭であり、そして、その姿は後ろが軽く透けて見えるほど半透明だった。
毛が濡れてないのではなく、毛が濡れないようだった。よく見ると雨はゴローちゃんを通り抜けて地面に落ちている。
「ゆうれい?」
ぽつりとつぶやいて、立ち止まる。このまま進むのが少し怖くなったのだけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。けれど、やっぱり今までに体験したことがないものに遭遇してしまったので、足が止まってしまったのだった。
「幽霊じゃありませんよ」
ダンディーな紳士の声が聞こえてきた。私は思わずキョロキョロと回りを見渡してしまう。もちろん、私とカノンの他には、目の前のゴローちゃんのような謎の犬しかいない。
そんな風に戸惑っていると、そのゴローちゃん? が優雅に近づいてきて、私の前で止まってお辞儀をした。
「お久しぶりです。ぜひまたあなた方にお会いしたかったので、こうして顔を合わせることができて嬉しいです。あの、私の声は届いていますでしょうか」
「は、はい」
恐縮しながら私は答える。
「良かったです。やっぱり雨の日を選んで正解でした。雨は私共の姿をこちらへ映しだす魔力をもっていますから」
ゴローちゃん? はそう言いながらじっと雨空を見上げた。やはり気品のようなものが感じられる立ち振る舞いであった。
「あ、あの、あなたは柴山さん家のゴローちゃんですよね」
私はそのあまりにも現実離れした姿から、どうしても尋ねずにはいられなかったため、聞いてしまった。
「えぇ、そうでした。今は鈴山神社で見習いですが神さまをやっております」
「神さま?」
「はい、末端の構成員にすぎませんが、勤めさせていただいております。名を鈴山五郎左衛門と申しており、犬達の縁結びのお手伝いなどをしております。こんな所で立ち話も何ですから、場所を変えましょう。どうか私に着いて来て下さいませ」
「わ、わかりました」
私は戸惑いながらも五郎様についていくことにした。隣のカノンは弾んだ顔をしている。少なくとも危険はなさそうに思われた。
「カノン嬉しい?」
一応聞いてみた。それにカノンは鼻を鳴らしてそれに答えた。
五郎様は所々でお辞儀をしながら路々を歩いていた。カノンもそれにならっていたので、私もそうすることにする。その場所を注意深く見ると、確かに何かがおわしますような気がした。
「こちらです」
そこは街中の稲荷神社だった。小さな鳥居に、ご身体を安置している小さな本殿。それは通学路脇にある、見慣れた至って普通の場所だった。
「私に触れながらついて来てくださいね」
「は、はい。失礼します」
私は傘をたたみ、五郎様の左側の腰辺りに手を当てながら、カノンは右腰の辺りに顔をすりよせながら鳥居の中へとついて行った。入口が狭いため精一杯手を伸ばす。カノンもしっかり身体を密着させている。
胸がドキドキする。それと同時に少し進むのを躊躇してしまう。けれどカノンの幸せそうな様子を横目で見ることで、その不安はすぐに霧散する。私は覚悟を決めて最後の一歩を踏み出した。
世界が一気に明るく変貌し、その眩しさにちょっと目をつぶってしまう。鳥居を越えた先には、秋晴れの空と美しい緑の世界が広がっていたのだった。
「風薫る世界で」
目前に広がる草の青さが目に眩しい景色。後ろには海をバックにして、鳥居だけがポツンと一つ建っている。
爽やかな風が吹き抜けて行き、草擦れの音が聞こえてきた。風のにおいを感じる。風にも香りがあるということがそのときはじめて実感できた。それはこの土地本来の香りだった。
「お時間は大丈夫ですか」
そう言った五郎様は、二足歩行で立ち上がっており、平安貴族が着るような服装だった。顔は犬の趣を残したものなのだけれど、とても格好良いキリリとした顔立ちで、思わず顔を背けてしまうほどだった。
「だ、大丈夫です」
赤らめた顔で私は答えた。
「それは良かった。では、本社の方までご案内いたしますね」
「お願いします」
今日は土曜日で、今は昼過ぎだった。午後までの授業が終わり、お昼ごはんを食べて、雨がひどくなる前に散歩に出たのだった。今日はのんびり漫画でも読んだ後、面倒な宿題でも片付ける程度にしか予定がなく、正直暇をもてあそんでいた。雨の日なので、遊びに行くのも面倒くさいし、どうせ家の中でダラダラ過ごすことになると思っていたから、その提案はとても魅力的だった。
私たちは少し離れた森の方へと歩き出した。そっちは鈴山神社がある方角だった。この世界でも位置関係は同じらしい。
けれど、世界が綺麗過ぎるせいなのか、歩き出すと私はまた目がくらくらとしだした。輝く世界の明るさに思わず目がくらんでしまうのだ。清々し過ぎる香りが身体中に充満して、破裂しそうになる。足がもつれて、転びそうになった。
「おっと、大丈夫ですか」
五郎様が私をさっと支えてくれた。抱き止せられる形となり、たくましい腕に抱えられ、厚い胸板の感触がした。目の前には心配そうに見下ろす五郎様の顔。間近で見た顔はやっぱりカッコイイ。いけない、五郎様はカノンの恋人なのだ。
必死になって湧き上がる感情を押し戻そうとする。けれど、心臓のドキドキも顔のほてりも抑えることができない。だってこんな風に抱きしめられるのなんて初めてなんだもん。不可抗力だよね。
「ウールルルウゥゥ……」
なんか心底つらそうな声で、カノンが抗議しながら目をこちらに向けていた。ごめん、本当にごめん、と私は目で謝った。
五郎様もそれに気づいたようで、そっと私を地面に下ろしてくれた。すぐにカノンが寄ってきて私の顔をベロベロなめる。これは、カノンなりの心配と不満の気持ちの表れのようだった。
「ごめん、やめてやめて」
なんとか鼻面を押し戻そうとするが、中々カノンは許してくれない。そのまま押し倒されるようにして、倒れてしまう。広がる草と土と犬の臭い。くすぐったくて笑っていると、少し元気が出てきたような気がした。ありがとう、カノン。
わしわしとカノンをなでて、落ち着かせた。もう嫌っていうくらい撫で回しまくって、やっとカノンは許してくれた。でもやっぱり少しへそを曲げてしまったようで、こっちを正面から見てくれない。横目な感じがちょっと怖い。
五郎様はそんなカノンに近づいていって、屈み込むとそのまま優しく抱きしめた。しっかりと、長い時間をかけて抱いていた。そして、そっと耳打ちした後、何かを取り出し、それをカノン首輪にくくりつけた。それは白いお守りだった。純白の布に銀の刺繍が施されているお守りだった。
カノンいいなあ、と思っているところに、五郎様がこちらにもやって来て、
「あなたにも、こちらを」
と、お守りを渡してくれた。
「このお守りには、私の神通力がこもっています。これを身につけてくだされば、この世界の空気に馴染むこともできますし、こちらへまた訪れることもできます。どうぞ、大切にお持ちください。それと、もっと早くにお渡しすべきだったことに気が付かなかったことを、謝罪させてください」
五郎様は深々と、頭を下げて謝罪の言葉を述べた。
「いえいえいえ、いいんです。ありがとうございました、五郎様」
「ゴローちゃんでいいのですよ」
微笑を浮かべながら、五郎様は言った。
「そんな、神さまをそんな風に言えません。畏れ多いです」
「どうぞ、気になさらないでください。私は末端中の末端ですので、そんな偉いものでもなんでもないのですから」
「は、はい。では……、五郎ちゃんで」
「ありがとうございます」
五郎ちゃんは、うれしそうな顔をして答えた。
「では、行くとしましょう」
私達は、カノンの雨合羽を外してあげた後、鈴山神社へと向かって行った。
神社までの道すがら、私たちは様々な神さまとすれ違った。ネズミの神さまや魚の神さま、すごいのだとキノコの神さまなんてのもいた。でも不思議とみな二足歩行で人間の格好なのだった。後みんなどこか格好良かったり、美人だったりして、目を引く容姿をしていた。ついつい見惚れてしまうこともしばしばだった。
そんな風にすれ違う神たちに目を奪われているうちに、鈴山神社に到着した。遠目から見たとおりに、そこは木に囲まれた鬱蒼とした森で、あまりの緑の濃さに、近くに来ても、中は見渡すことができなかった。
「どうぞ私の後に続いて入ってきてください」
五郎ちゃんはそう言った後、鳥居の手前まで進み、一度そこで止まった。そして、神妙な調子でお辞儀をした後、再び鳥居の中へと進んで行った。鳥居を過ぎると、五郎ちゃんの姿がすっと消える。この先にも、また別世界が広がっているようだった。
次にカノンが同じように続き、最後に私が進んで行った。鳥居を過ぎると、やはり先ほど体験したように、世界が一変する。今度の世界は少し重苦しい空気をはらんでいるようだった。神聖で、重厚で、触れるのを思わずためらってしまうような、そんな感じだった
石畳の通路が奥へと続いている。その先の階段の向こうには朱の建物。その階段の両脇には、犬のお面を被った神さまが控えていた。まるでこの先への侵入を防ぐかのように、立ちふさがっているのだった。
主道を外れた脇道の先にも拝殿ほどではないが、立派な建物がいくつも長屋状に並んでいる。この神社の形態は、逆T字型をしているようだった。
「あの、あちらの建物はどういったものなのですか」
私は現実世界では見覚えのない建造物群が気になって聞いてみた。
「あの長屋ですか。あちらは、一つ一つが神々の家となっています。それぞれに所有者が決まっていまして、私の家も少し遠いですがあそこにあります。今からご案内致しますね」
「よろしくお願いします」
私たちは二番目の脇道を右に折れてその道を進んでいった。道すがらこの建物は、猫神様のおわします、だとか狸神様の邸宅などの説明を受けながら歩いて行く。一軒一軒にそれぞれの特色があり、絢爛豪華なものもあれば、極々質素な佇まいのものまで千差万別だった。
その中の割とシンプルな家が五郎ちゃんの邸宅だった。
「こちらが私の住まいです。ささ、どうぞごゆるりと、おくつろぎください」
五郎ちゃんの導きに従って、中へ入る。玄関には先程のと似た犬顔の仮面が飾ってあり、それが異様な存在感を醸し出していた。ついついそちらに目を奪われて、足を止めてしまう。
「あれは祭儀用の仮面です。お館様にお会いするときや、祭儀の際に使用しております。土地神様の力を多く蓄えた木から彫り出した仮面で、強い呪力を備えています」
やはり畏れ多い品物らしく、私は思わず仮面に頭を下げる。そして、私はスニーカー、五郎ちゃんは草履を脱いで、カノンは手ぬぐいで足を拭いてもらってから、茶の間へと案内されて行った。
茶の間に着くと、座布団を用意してもらってそこに私とカノンは座り、五郎ちゃんは、台所へと向かった。私はすることもなかったので、のんびり部屋を見渡す。
そこは、簡素な囲炉裏の他には、至って普通の調度品しか置いてない物の少ない部屋だった。掛け軸などが似合いそうなものなのだけれど、そういった骨董品のような贅沢品は置いてなく、小ざっぱりとした印象を受ける。あえて気になる物と言えば、レトロな感じの小さなブラウン管状のテレビだろうか。赤い外装に、触覚のように生えているアンテナを備えるそれは、漫画とか昔の映画とかでしか見たことのない品物だった。
あれ、でもなんでテレビがここにあるんだ。アンテナがあるということは、電波が届くということなのかしら。それに、よく考えたら電気とかどうなんだろう。外には電柱とか電線とかなかったようだけど……。
そんな風な事を考えているうちに、五郎ちゃんが湯呑みと皿を手に戻ってきた。その時私がテレビの方を熱心に見つめているのに気づいたらしく、
「テレビつけましょうか」
と聞いてきた。
「あ、その、この世界にもテレビがあるのが不思議で、ちょっと気になってしまいまして」
しどろもどろになりながら、答えてしまった。
「ええ、確かにこの世界にある数少ない器械ですからね。でも器械とは言っても神通力を利用していて、あなた方の世界のものとはちょっと違っていたりします。番組も祭りの知らせや神社紹介などが主です。こんな感じにですね」
五郎ちゃんはテレビの上に手を置き、力を込めた。すると、テレビに光がともり、映像が流れだした。
「今回は、五十九島神社界についてご紹介いたします。こちらは海の中に存在していまして、ご覧のような美しい景色が広がっております。そもそもここ五十九島神社は、水神であらせられるイチキシマヒメ様方、宗像三女神を祀るものであり、土地神様も水に関係した神様だとお聞きしております。それはそれは立派な大亀様がおわしますと……」
烏天狗と評されるであろう仮面を被った神様が、海の中の世界をレポートしていた。そこは、揺らめく光が珊瑚あふれる海底を照らしている、とても幻想的な世界のようだった。
「このように、風光明媚な世界の紹介や、そこで執り行なわれている祭りの紹介などをしているのですよ。私も今の仕事が終わったら、このような所へ旅してみたいと夢見ております」
私もそういう世界を体験できたなら、と思う。けれど、それは大きすぎる望みだろうか。もうこんな素敵な世界に招待してもらったのだ。これ以上を望むのは身の程知らずな高望みなのかも知れない。
「あの、今の仕事が終わったらとは、どういうことなのですか」
私は先程の言葉で、そこの部分がひっかかったので聞いてみた。
「それに関しては少し長い話になるので、お茶でも飲みながらにしましょう」
五郎ちゃんはテレビを消し、一枚の皿と二個の湯呑みの上に手をさっと、次々にかざした。手を離すと、そこには香り立つ暖かそうな麦茶が湧き出していた。
「私ども犬には、緑茶などのお茶は少々体の毒となるため、麦茶をお出ししました。どうぞ、いただいてください」
私はお礼を言って、麦茶の入った湯呑みを受け取った。それを口に運ぼうと思ったが、あることが気になって、その手を止めた。カノンは気にせず皿の麦茶に口をつけようとしていたので、慌ててそれを諌める。
「あの……」
ちょっと言いづらくて、声を出したものの口ごもってしまった。
「はい、もしかして麦茶はお嫌いでしたか」
「いえ、違うんです。その……、この世界のものを食べたり飲んだりしても大丈夫なのか、ちょっと心配になって……、五郎ちゃんのことを信頼していないわけではないんですが、そういうことを聞いたことがあって……」
黄泉の世界の食べ物を食べたせいでその世界から出られなくなってしまったという昔話のことを思い出したのだ。おとぎ話の事だけれど、こんな不思議な世界なのだから、同じであってもおかしくないと思ったのだ。
「なるほど、確かにこの世界で飲み食いしてはいけないものはあります。しかし、これは私が作り出したものに過ぎないので、ご心配には及びません。正直な話、カノンさん達とは一緒にこの世界で暮らしたいと思うのですけど、私ごときの権限でそんなことできないのですよ、残念ながら」
冗談めいた口調で、五郎ちゃんはそう言った。その言葉には邪念のようなものはこもっていないようで、信じてもいいと思った。
「それに、もし私がそうしようと思っていましたら、最初にあなたが倒れそうになったときに、薬だと言ってそれを食べさせたと思います。もしまだ心配なご様子でしたら、片付けますが……」
「いえいえ、杞憂だったようですし、大丈夫です。いただきます」
五郎ちゃんの言った、薬として食べさせようとした、という言葉は確かに、と私を納得させる言葉だった。そうなのだ、こんな周りくどい手をろうさないでも、チャンスはあったのだもん、大丈夫なはずだ。
ごめんね、とカノンの首に回していた手をほどいて、頭をなでなでする。カノンは麦茶を飲みながら、それを甘受した。
私も飲もうと湯呑みを口へ運ぶ。香ばしいにおいが薫り立っている。口の中に含むと、心地いい苦味が広がっていった。そしてほんのりと清々しい甘みが後からふわっと広がる。なんとなく悪いものが外に出ていくような、そんな感じがする。そう、疲れみたいなものが抜けていくのを感じた。
「お口に合いましたでしょうか」
「おいしいです、とても」
「それは良かった。おかわりが欲しい時は言ってくださいね」
うれしそうな顔で五郎ちゃんは言った。その顔は、心のそこから喜んでいるのを感じさせるもので、疑念なんかが浮かぶ余地すら無かった。
「では、先程の話の続きでしたよね」
改まった口調で五郎ちゃんは話を切り出した。
「私が今のような仕事をしているのには理由があるのです、それは私の見た夢から始まりました」
「夢を見せてもらった」
「その夢で私は、今と同じような格好をして、拝殿の中で正座しながら座っていました。夢の中だからなのか、犬の身でありながら、そうすることが当たり前のように感じていました。
しばらくそのまま待っていますと、翁の仮面を被った頭目である人神様がいらっしゃいました。そして、私にそのことを告げてくれました。
『お前の主人である清子殿は、これから半年も経たずに病に倒れるだろう。これは避けられない運命である。病魔は今も彼女を蝕まんとしている。お前はこの運命をはばみたいと望むか』
私は、その問いに、『はい』と答えました。
『よかろう。ならば、そなたの望みどおり、病を抑えるためのまじないを彼女に施すこととしよう。これで彼女は大病もなく寿命を全うするであろう。しかし、その分お前には代償を払ってもらう事となるが、その覚悟はあるか』
私は先程と同じく、肯定しました。
『では、お前を今から犬神に任命する。お前は彼女の寿命が延びた分だけ、犬神として働いてもらう事となる。よいな』
私は覚悟を決めて、それを承諾しました。
『さあ、本殿へ向かおう。土地神様の加護を受けに』
私達は、拝殿の裏へと抜け、草履を履き、奥へ奥へと進んでいきました。山の奥深くへ。そして緑が深くなったそこには、土地神様がおわすという場所につながる鳥居が立っておりました。
『ここから先は、お前一人で行くのだ。粗相のないようにな』
そこからのことは、私もよく覚えていません。ただとにかく緑の濃い世界に大きな狐の神様がいらっしゃったような、そんなイメージが残っています。そして、私は土地神様へ挨拶する過程で、この身にその力をいっぱいに浴びたようでした。私が変質し、もう後戻りできないことを感じていたような気がします。
気づいたときには、私はまた拝殿にいました。どうやって戻ったのかもわかりませんでした。そして、いつの間にかあの仮面を被っていました。
『これでお前は、犬神、鈴山五郎左衛門だ』
私はこうして神の一人となりました。そして、先輩の犬神様に縁結びの仕事について、教わりました。どういった縁を結ぶべきか、そして、どんな縁を切るべきか。他にも神としての作法など、様々なことを学びました。今ではここ一帯の管理を一人でまかされるようにまでなったのですよ。この仕事を十年間続ければ、それからは自由にしていいと言われてますので、その後に自由気ままに旅にでも出かけたいと思っています。長くなりまりましたが、今私がこの仕事をしている理由はこんな感じです。疲れたでしょう、麦茶もう一杯どうですか」
「すみません、ありがとうございます」
相変わらずこの麦茶は、聞き疲れた身体を癒してくれた。
五郎ちゃんの覚悟は十分わかったのだけれど、でも五郎ちゃんがいなくなった後の柴山のおばあさんのことも、私は知っていたので、聞かないではいられなかった。
「あの、柴山のおばあさん、五郎ちゃんがいなくなって、本当に寂しそうでしたよ。本当にこれで良かったのかな」
「私もおばあちゃんのことは、知っています。何度も訪れましたから。でも、話しかけてはいけないのですよ、そういう約束ですので……。本当の気持ちを知ることができないというのは、本当に辛いことです。でも、私はこれが一番だと信じていますから、そうするだけなのです」
その言った五郎ちゃんの目は、強い決心がこめられていた。けれど、それなのに、涙を浮かべて泣いているかのようだった。
「そうですよね、きっとそうなんですよね」
私にはそれ以上余計なことは言えなかった。だって、これは当人が決めることだもん。自分勝手なことを言っても悲しませるだけだもん。
五郎ちゃんは、お茶をすすって、しばらく気分を落ち着かせてから、
「さて、他に何か聞きたいことはありますか」
と話題を変えた。
「あの、土地神様ってどういった神様なのですか」
私も話題を変えねばと思って、度々出てくる曖昧なイメージしか浮かんでこなかったこの言葉について聞いてみた。
「土地神様ですか……、簡単に言うとその土地の守護神ともいえる存在です。土地の主、という感じでしょうか。私どもはその方の力をお借りして、神通力を使っています。私達にとって土地神様とは、この土地の力を分け与えてくださる大いなる神様なのです。また、この世界は長くいれば居るほど、力を蓄えることもできるので、土地神様とは最も古くからこの地に住まわれていたもの、とも言えるのかも知れませんね」
「土地神様ってどんな土地にもいらっしゃるものなのですか」
「えぇ、そこに生き物が存在する限りいます。生と死を司る、なくてはならない神様ですから」
「私達は神様に守られているのですね」
「もちろんです。しかしそれは、目に見えない程度のものでしかないかもしれませんが、確実にあるのです」
守られている、その言葉を聞くだけで、どこかうれしいものを感じた。嫌なことばかりが目立つ世の中だけど、それでもいいことだってたくさんあるんだ、と保証してくれている気がしたから。
「いろいろ教えてくださってありがとうございました」
「いえいえ、長話に付き合ってくださって、こちらこそありがとうございます。さて、私もちょっと仕事の報告に、お館様へご挨拶に参らねばならないのですが、良ければその道中まで、カノンさんをお借りしてもよろしいでしょうか。ちょっと道中一緒にデートでもさせていただきたくて、ですね……」
最後の方がちょっと恥ずかしそうな調子になりながら、五郎ちゃんはそう私に尋ねてきた。
「は、はい。いいです、よ」
そうなのだ、五郎ちゃんはカノンのことが好きだったのだ。今まで私が五郎ちゃんを独占する形でお邪魔虫になっていたのだもんね。少しは空気を読まなけきゃいけないよね。
「では、お暇でしょうから、テレビはつけておきますね。そんなに長くかからないと思いますから、どうぞ待っていてください」
「はい、ありがとうございます」
私は玄関まで二人を見送りに行った。二人とも目で語り合っていて、言葉がなくても通じ合っているようだった。
「いってらっしゃい」
二人とも行ってしまい、一人残されて、やっぱりちょっと寂しい。
「あーあ、私もあんないい人の恋人がほしいよ」
ぽつりとつぶやく、さらに寂しさが増すだけだった。
それから五十九島神社の番組が終わり、伏水稲荷大社、十隠神社と紹介が進んだところで、二人は帰ってきた。
「すみません、お待たせしてしまいましたね」
すまなそうなのだけれど、どこか満足気な感じで五郎ちゃんは言った。
「いえいえ、大丈夫です」
実はテレビに飽きかけていたのだけれど、それは秘密だ。
「もう大分経ってしまいましたね。もうそろそろ陽が沈む頃ですが、大丈夫ですか」
「もうそんなに経ったのですね、そろそろ帰らないとちょっと怒られそうです」
「次お越しになるときは、ぜひこうやって私をお呼びください」
五郎ちゃんは自分のお守りを額につけて、目を閉じた。すると、『もしもし、桂木夢さん、カノンさん聞こえますか』という五郎ちゃんの声が私とカノンのお守りから聞こえ出した。私はびっくりしてお守りを手に掴んで、それに向かって「は、はい、聞こえます」と応答した。
「こんな風にお守りに念じれば、その声が届くようになっていますので、ぜひそうやって呼んでくださいね」
「はい、そうさせてもらいます」
私は、お守りを見ながら、このお守りすごい、ハイテクだよ、みたいなズレた驚きのこもった声でそう答えた。
「それと実は、次の機会に夢さんの願いを一つだけ叶えてあげられたらなどと考えていたりします。もちろん、自分に出来る範囲なのでなんでもとは言えませんが、縁に関わることでしたら極力叶えてあげられると思います。ぜひご一考お願いしますね」
「そんな、悪いです」
うれしいのだけれど、いいのかしら、と思う気持ちのほうが大きかった。
「あなたには、私とカノンさんの今回や今までの逢瀬を許してくださったご恩がありますので、私としても何かしたいのですよ。どうぞ遠慮なさらないでくださいね」
「あ、ありがとうございます」
うーん、どちらかというと、カノンがその道以外を行くのを許さなかった側面なんかが大きかったりするのだけれど、いいのかな、こんな幸運を受け取って。
「では、家までお送りします」
夢のような時間はあっという間に過ぎ去って行き、残ったのはお願いごとを聞いてくれるという、希望あふれる置き土産。私にだって好きな人くらいいる。また会いたい引っ越してしまった友だちもいる。良い先生を望むということもできる。何だってできる、その事が私をつい舞い上がらせてしまった。けどそれがあんなことに繋がるなんて、そのときはまだ思ってもみなかった。
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2011/06/20(Mon)08:38:53 公開 / 白たんぽぽ
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■作者からのメッセージ
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
お久しぶりです。最近将来の事とかに関わる出来事に忙殺されて、ちょっと時間を見つけることができないでいました。そのため、こんなにご無沙汰してしまうわけになったわけですが、次回はもっと間隔が空きそうな予感でいっぱいです。どうしたものかしら……。
さて、今回趣味バリバリで書いてしまいましたが、暴走していないかどうかちょっと心配です(後日本語として正しいかもちょっと不安……)。もしよろしければ、感想やアドバイスがいただけるとうれしいです。できる範囲でそれに答えていきたいという意気込みだけはちゃんとあるので、どうかよろしくお願いいたします。