- 『この世は刃物だらけで』 作者:あき / リアル・現代 未分類
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原稿用紙約19.7枚
継母がこの12月に死んだ。
睡眠薬を飲んで。
なんの前触れもなく突然だった。
その死んだ顔が、何故か誇らしげな表情で、綺麗で、気品があり、27歳になるぼくにとっては昔の貴族のように思われた。それくらい継母の死んだ顔は美しく、10歳位若返ったかのようだった。
葬式は家族だけですました。とはいっても、継母の両親はすでに他界しており、兄弟や親戚もおらず、何故か継母の血が本当につながった人は一人もいないという、不思議な葬式となってしまった。
涙は、でなかった。
死んだのは、自分へのあてつけかと思った。
ぼくは本当の母親、つまり生みの母親には出会ったことがない。
ぼくは逆子だったため、帝王切開の手術中に医者の医療ミスで大量出血し、輸血の発送も遅れ、ぼくはこの世に生まれ、母は死んだ。父親は狂ったように泣き、荒れていたそうだ。
しかしぼくが7歳になった時、父はすこし複雑そうな顔をしながら言った。
「正彦、紹介したい人がいるんだ」
その『紹介したい人』というのが自殺した継母。
父さんよりもっと若くて、それにきれいだった。
どうもこの世の中は不幸な人には更にしわ寄せがくるなー。
などと高校生の時には人権のビデオを見ながら思ったりした。
周りのやつらは寝てたっけ。
せんせー。こんなやつらに見せてもなんの学習にもなりませんってば。
いくら病と闘っている人、障害児とその家族を扱ったビデオも、今の健康な高校生にとっては所詮人ごと。よっしゃー、寝られるぜ。楽だなー。位にしか大半は思っていなかっただろう。綺麗事だけで世界は回ってない。不幸な人がいるから幸せな人がいるんだぜ。
だから、父も死んで継母と2人になってしまったけれど、まだ幸せな方。
当時ぼくはそう考えることにしていた。
父はぼくが10歳の時、職場で死んだ。原因不明。
過労死だと判断された。
自分と継母のため、残業をしすぎたのかもしれない。
父さん、ぼくも継母も、別に裕福な暮らしをしたかったわけじゃないよ。
あなたの帰りを待っていただけでしたよ。
もう一度。
不幸は、続いてしまう。
それから継母は血のつながっていないぼくを育ててくれた。時に優しく、時に厳しく。ビートルズが大好きだった継母はぼくにギターを教えてくれ、一緒に歌ったりした。透き通った優しい声を持った継母がぼくは大好きだった。
「この曲はね。お母さんが一番好きな曲なの」
「英語だよー?」
「そんなに難しくないから、頑張って一緒に歌おう?」
当時幼かったぼくだからこそ、歌詞の意味は分からなくても、すんなりと継母の発音を自然に覚え、一緒に歌うことができた。
ビートルズの『Free As a Bird』という曲。継母と何度も歌った思い出の。
鳥のように自由に
それがその次に素晴らしいこと
鳥のように自由に
心地よいねぐらに戻って
巣に戻っていく鳥のように
翼を持つ鳥のように。
どうしたというのだろう
かつて僕たちのものであった暮らしは
本当にお互いなしで暮らせるのだろうか
どこで見失ったのだろう
大切だった感触を
ぼくをとても豊かにしてくれた
どうしたというのだろう
かつて僕たちのものであった暮らしは
ぼくをとても豊かにしてくれた
自由に
こんな歌詞だった。
どこで見失ったんだろう。
当時の父の、大切だった感触。
さらなる、不幸。
それは高校生の時、進路面談があった日に起こった。
継母が、倒れたのだ。
ぼくを高校に通わせるため、生活のため、継母はパートを頑張りすぎた。いや、正確には、パートもだが、バイトを増やして倒れたのだった。教師に呼び出され、その連絡を聞いて体から冷や汗がにじみ出るのを感じた。
父の姿が何度も脳裏によみがえり、消えていく。幼かった自分をここまで育ててくれた継母にまで先立たれたら……。
病院から帰った継母は顔色こそ悪かったが、しっかりとしていた。
「なあ、なんで仕事増やしたりしたんだよ? おれ、今の生活で十分幸せだし、母さんのおかげで不自由ないよ?」
「仕事を増やした分は正彦を大学に行かせるためよ?」
母さんは笑顔で、優しく微笑んでた。ああ、そっかやっぱりこの頃からどこか貴族ぽかったんだな。
「え、おれ、でも就職希望は今日の進路の面談で就職にしたよ?」
黙っていたことだが、継母に負担をかけたくなかった。父と同じ事を恐れていた。しかし、その言葉を聞いた途端急に継母は強い口調ではっきりと、しかし優しげに、
「だーめ。正彦は大学に行くの。いっぱいちゃんと勉強して偉い人になるんです」
「いやだよ、働いて、家計支えないと。そうだ、母さんにムリさせたくないし、おれバイト探すよ」
少しむきになってきた。
「だめだってば。今は勉強しなさい。そうすればいま就職するよりもっといい職につけるから」
「大学のお金は? 母さんが休んでる間の仕事の代わりは!?」
このとき、怒鳴ってしまったのがいけなかったのかもしれない。
「それはお母さんがなんとかするっていったでしょう!?」
「なんとかできてないから倒れたんじゃないか!」
そのときはお互いの意図が分からなかったのだ。言葉が足りなかったために。
継母は実際言い合いにまけ、すこしひるんだ。
「それでも、今バイトはだめ。絶対だからね!」
「はいはい」
3日後、ぼくはその約束をやぶり、地元のコンビニのバイトで働いていた所を見つかった。
「なんでバイトなんかしたの」
「母さんだけじゃきついだろ」
「でも、だめだって言ったじゃない。返事もしたし」
「そう言わないと母さんは引かないだろ! 大体なんでそんなに大学に行かせたいんだよ! 見栄か? 私の息子は東大なのよ。なんて言いたいのか? なんでおれの意見を聞いてくれないんだよ! 本当の母さんなら……!」
自分の思いをくみ取ってくれない反動と、苛立ちから、思っても無いことと絶対に言ってはいけなかった言葉を口にしてしまった。言ったとたん、継母は綺麗な顔を少し引きつらせて大きな、少し茶色の瞳から静かに涙をながした。
ぼくは、失言に気づき、うつむく。
「ごめん」
一言言って階段をいそいで上がり、自分の部屋で昔の父、母の写真を見ていると、勝手に涙があふれた。今まで辛かった事に蓋をしてきた。そのふたが壊れてしまったのかも。
「なあ、母さん、父さん。どうすればいいと思う? 今の母さんにムリさせたくないし、悲しませたくもないよ」
どうしようもなく、惨めに思えた。人一人、幸せにできない自分が。
その日から二人の仲が少しぎくしゃくしたものになってしまった。しかし、ぼくは死にものぐるいで奨学金の基準をクリアして当選し、バイトで貯めたお金で地方の国立大学に進学した。しかしそのせいで、継母とさらに少し気まずい空気にもなったが。
在学中もお金はバイトでどうにかした。しかし継母からは毎月仕送りがきた。嫌みなのか。おれへの。どうして、分かってくれないのだろう。母さんには体を大事にしてほしいのに。なんで真逆の事をするんだよ。
在学中に知り合った彼女と卒業し、結構良い会社に就職後結婚。それからは幸せだった。継母とはぎくしゃくした空気がぬぐえず、あまり会わない。孫を見せたのが最後だっけ。
そして今に至る。
火葬の途中、妻が近づいてきた。妻は正直言って、実の母親ととても似ている。
「泣かないのね。」
「もう、おれは大人だ。いい年して人前で泣けないだろう?」
「でも、継母とはいえ、あなたをほぼ一人で育てたも同然なんでしょ? 以前の正彦なら人前でも泣いたんじゃない?」
泣けるわけがない。継母の最後のあてつけなのに。継母に逆らってつかんだ幸せだから、母さんはぼくへのそのあてつけに死んだんだ。
母さん。大好きだったのに。なんで最後にこんなことするんだよ。
それから数日経ち、実家の整理をしていた。この廊下も、壁も、庭も。全てが懐かしい。今、別の場所に家を建てる予定なので、残念だけどこの家は売る事にした。正直、泣きそうだ。
継母の遺品を片づけようと、部屋に入ると、懐かしい継母のにおいが鼻を優しくくすぐった。が、彼女はもういない。
机に目をやる。自殺に使った睡眠薬。捨てる。
引き出しを開けると、白い封筒があった。
なんだこれ。遺書? 開けてみると遺書というより手紙だった。しかも、自分宛への。
正彦へ。
この手紙を読んでいる頃、わたしはおそらくこの世にはいないんだろうな。
正直、人生に楽しみが無くなりました。なにもすることなく、家事とテレビを見るだけのせいかつの辛さが分かる? 仕事は正彦が親切にも毎月お金を送ってくるので、あまりしないし。
わたしの生き甲斐。楽しみ。
それは正彦の成長を見ることでした。嘘じゃないよ。だって、わたし子どもができない体だったし。だから、お父さんと結婚するときあなたの事を知って飛び上がったもの。覚えてる? ちっちゃい頃一緒にビートルズなんかを歌ったこと。あの時は本当に幸せだった。でも、お父さんが死んで残されたあなたを守らなきゃ。と思ってから正直きつかった。仕事も、家事も。でも正彦は明るかったし、それに大きくなっていくのを見ると頑張れたわ。けど、そのぶんどこか遠くに行っちゃう気もしたし、怖かった。
けど、あなたは大きくなる。成長する。わたしはあなたを巣から飛び立たせてあげないといけない。そう思ったの。そう思ったからわたしはどうなってもいいからってあなたに負担のかからないよう、すべてをささげたつもり。けど、正彦にかえって迷惑をかけてしまったかもしれない。ごめんなさい。あの日のけんかをあやまりたかった。あなたの意見もきくべきだった。けど、できるだけ幸せになってほしかったからあの時の就職は反対したの。そのせいで嫌われてしまったけれど。
今更ながらほんとうにごめんなさい。
でも、正彦の姿を毎日見れるのは本当に嬉しくて、会話は楽しくて。
本当に幸せだったわ。
あなたは無事巣立ちしてわたしの役目も終わったと思う。孫、可愛かったし。未だに正彦の赤ちゃんの頃と比べてにやにやしてるのよ。きちんと育てなさいよ?
できれば、もういちど一緒に歌いたかったな。
人生で一番素敵な時間をありがとう。
れいな
そういえば、正彦あなたわたしの昔の恋人に似てきたのよ。
それと、CDは全部貰って頂戴。たまには聴いてあげて?
自然と頬が濡れていた。
なんだ、この手紙は。
子どものできない体? 聞いてないぞ。
反対した理由……。ぼくと同じだ。お互い同じ事を願ってたんだ。互いが幸せになることだけを二人とも考えていた…。
なんだそれは?
お互いがよかれと思ってやったことがこのザマなのか? 皮肉だ。でも、この世にはよくあることなのかも。こんなすれ違い。だって相手の心や思っている事ほど、複雑で、難しいものはないから。
しかし、この手紙は継母の声がよみがえるようで。
本当に幸せそうで。最後の文なんてもう「くすっ」なんて懐かしい笑いが聞こえてきそうなくらいだ。
目に浮かぶ涙をぬぐいながら引き出しをもういちど見ると、もうひとつ、大切なものがみつかった。継母の日記。毎日つけていたものだ。覗いたが、全部ぼくの事ばかりだ…。「母さん……」
ここまでかかれてくると苦笑するしかない。でも、その愛情が暖かかった。
ふと、あるページが目についた。あのけんかの日だ。
わたしは母親失格なのかも。ねえ、さつきさんならどうしたの?
たったそれだけ。実の母に問うている。ここまでぼくの放った言葉が継母を傷つけたとは。悔やんでも、悔やみきれない。
最後のページ……。死んだ日。
そこには
さつきさん、お父さん、正彦くんを産んでくれてありがとう。
こんなわたしに幸せをくれて。
実の母親と父親の写真と、ぼくのあかちゃん、子ども時代の写真が添えられていた。
継母と遊園地に行った写真もあった。思えば、継母は本当にぼくに良くしてくれた。その愛情は本物だった。なのに、ぼくは疑った。あてつけだと。疑わなければ継母は死ななかったかもしれない。自然と大声で泣いていた。あの日よりも。嗚咽で前屈みになる。
もし、あの日お互いがきちんと思っている事を話していたら。タイミングがよかったなら。
泣きながらCDをとり、震える手で開けてステレオに入れる。まもなく、曲が流れ出した。むかし歌った。ビートルズの。懐かしさと継母のあの優しい声が思い出されてさらに視界がかすむ。そしてぼくも口ずさむ。
鳥のように自由に
それがその次に素晴らしいこと
鳥のように自由に
心地よいねぐらに戻って
巣に戻っていく鳥のように
翼を持つ鳥のように。
どうしたというのだろう
かつて僕たちのものであった暮らしは
本当にお互いなしで暮らせるのだろうか
どこで見失ったのだろう
大切だった感触を
ぼくをとても豊かにしてくれた
どうしたというのだろう
かつて僕たちのものであった暮らしは
ぼくをとても豊かにしてくれた
自由に
ぼくたちの暮らしはお互いなしではなりたたなかった。
どこで見失ったのだろう。
母の感触。
みんながいたから、ここまで育った。
自由に……。
ジョンレノンはこの先に何を伝えたかったのだろう。
外を見ると、雪がさらさらと落ちてきていた。ああ、また年が明けるんだな。けれども、来年は、母はいない。父もいない。
多分ぼくは自由に飛び立てただろう。しかし、心地よいねぐらにはもう戻れない。戻る所がない。けれど、ぼくの子どもはまだ巣立っていない。ぼくには彼らを飛び立たせないといけない。そして、ぼくとは違って戻るための巣を守らないといけない。その過程では傷つくだろう。ボロボロになるだろう。だってこの世界は刃物だらけで、ぼくたちは歩くごとに、人と関わるごとに、その体を切り裂かれる。でも、立ち上がらなければ。自分を犠牲にしてではなく、みんなで幸せにならなければ。
いま、大人になったぼくなら言える。いや、言わないといけない。母の生きている間は言えなかったから。
嗚咽をこらえながら、ゆっくりと
「ありがとう」
空にむかってつぶやく。
すると、声が、聞こえた気がした。明るい、優しい、綺麗な声で。
「どういたしまして」
と。
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2011/05/29(Sun)09:33:23 公開 / あき
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■作者からのメッセージ
初投稿です。稚拙ですけど、頑張って書いたので温かい目で読んでくれると嬉しいです。