- 『さようなら、幼馴染』 作者:目黒小夜子 / ショート*2 リアル・現代
-
全角6743.5文字
容量13487 bytes
原稿用紙約19.25枚
タイムマシンがいつかできたら、はるちゃんにごめんなさいを言おう。
-
私の隣の家には、お友達の美織ちゃんと小春ちゃんが住んでいた。細かい話を話すと複雑になるのだが、彼女たちは、隣の家――中嶋さん――の主人の姪っ子だった。つまり、美織ちゃんと小春ちゃんの本当の父親が、一時的に彼女たちを中嶋家の主人に預けたのであった。
大人の話をすれば、彼女たちの父親は離婚をして、彼女たちの面倒を見れなくなり、隣の家に預けたのであった。しかしまあ、この中嶋家というのも複雑な家であり、現在主人と暮らしている妻は、二番目の妻だ。二人の間には雄大くんという男の子が居たが、主人と前妻の間に二人の子どもが居るため、必然的に雄大くんは、第一子でありながら末っ子だった。唯一救いであるのは、美織ちゃんと小春ちゃんが“主人側の親族”であるというところだ。これで彼女たちが“妻側の親族”であったら、更に複雑な家庭になっていたのだろう。
しかし、当時の私は小学一年生。そんな込み入った大人の事情なんて知る由もなかったのだ。自分の母親が、
「お隣のはるちゃんとみーちゃんと仲良くしなさいね」
と、髪を結いながら話していた。小春ちゃんことはるちゃんと私が同い歳。なんとクラスも同じ一組だった。お姉さんのみーちゃんは二つ年上の優しい人だった。
しかし、気が弱くて卑怯者の私は、このはるちゃんとの折り合いが良くなかった。はるちゃんにしてみたら、うじうじとした私が気に入らなかったのかもしれない。彼女は何かにつけて
「えりちゃんは来ちゃだめ」
と私を仲間はずれにしていた。
現在もそうしているのかは不明だが、当時、小学校低学年には“集団下校”なる方法をとり、住んでいる地区ごとに分けて下校のグループを決めて帰っていた。ちなみに集団登校はない。当然ながら、私とはるちゃんは同じグループだったので憂鬱だった。それでも、三年生だったみーちゃんも同じグループになるのは心強い。
みーちゃんが私に
「えりちゃんは目がくりくりしていて可愛いね。まつ毛も長いし、大きくなったらきっと美人さんになるよ」
と微笑みかける。嬉しくなった私が照れていると、はるちゃんが間に入って私を道路の方に追いやる。
「えりちゃんだめ、みーちゃんは私のお姉さんなんだから」
と一言つける。はるちゃんは、お姉さんのみーちゃんが大好きで、私にとられるような気がしていたのかもしれない。しかし、みーちゃんが
「こらっ、道路は危ないんだからそんなことしちゃ駄目!」
と怒ってしまうので、結果的にはるちゃんはしょんぼりと肩を落とした。何の得もしないはるちゃんであった。
こうして集団下校はみーちゃんのお蔭で難を逃れる私であったが、やがて一年生達が帰り道を覚えると、好きな子と一緒に帰って良いようになる。私がはるちゃんを誘ったのか、はるちゃんが私を誘ったのかは定かでない。しかし、私たちはまた一緒に下校をしていた。今度は亜紀子ちゃんと陽子ちゃんも一緒で、四人でグループをつくり帰っていた。
四人の中で、一番強気なはるちゃんがボスになる。ボスの決めることは絶対で、二番目と手を組んで指示を出せば、三番目と四番目はそれに従う。他のグループも大人も知らない主従関係がそこにはあった。つまり、はるちゃんが
「私、あきちゃんは好き。陽子ちゃんは嫌い。でも一番嫌いなのはえりちゃん」
と言えば、順位はおのずと見えてくる。その日のボスの指示は、ランドセル持ちだった。二人分の重いランドセルを持って帰ると、どうしてだか涙が出てきてしまう。同じく二人分のランドセルを持つ陽子ちゃんが
「がんばって」
と励ましてくれる。陽子ちゃんは顔が小さくてメガネをかけているので、メガネザルというあだ名がついた。今考えても失礼な話だと思う。
私とメガネザルの陽子ちゃんがうんせうんせとランドセルを運ぶと、ずっと先ではボスのはるちゃんと二番目のあきちゃんが“早く〜”とけらけら笑いながら木陰で涼むのだ。まったく、六歳の子どもとは思えない貫禄である。
私は、はるちゃんのことがだんだんと嫌いになっていった。
そんなある日、珍しくはるちゃんの方から
「えりちゃん、今日秘密基地に行かない? この前みーちゃんと見つけてね、ハンモックがあるの」
という誘いがあった。どこにあるの? と聞いても、秘密基地なんだから行くまでは秘密という答えが帰って来るのみ。それでも、行かないという答えが出せるわけはなかった。彼女はボスだったし、みーちゃんという響きもすでに懐かしく、秘密というフレーズにすら大人の雰囲気を感じた。
いつもの四人で帰るが、その日はボスの指示がなかった。きっとボスも上機嫌だったのだろう。秘密基地は、いつも帰る公園を抜けて、住宅街に挟まれる坂を上った先にあった。正確に言えば、公園の木々の延長にあるので、地図上は公園に位置されているはずだ。見た目は何も無い木々の間を、はるちゃんに続いて二番目のあきちゃん、メガネザルの陽子ちゃん、そして私が順々に入って行く。
そこは、小さな空き地だった。下には小さな緑の草が敷き詰められ、二つの大きい木の間にどこで見つけたのかネットが張られてハンモックをつくっている。上には、木の葉に挟まれた狭い青空が覗き、チチチという声とともに小鳥が横切った。
「わぁー」
と声をあげると、はるちゃんはすでにランドセルをおろしてハンモックに身を預けている。
「ね、すごいでしょ」
うん! とこたえる頃には、すでにあきちゃんとメガネザルの陽子ちゃんもハンモックに腰を下ろす。私の座るスペースなんてなかったが、それでもいいやと思えた。だって、こんな場所、見たことが無かったのだ。
その日は、ボスのはるちゃんが怒ることもなかったので、私たちは他愛もない話をして時間を過ごした。学校の先生の話、かっこいいと思う男の子の話、お互いの兄弟の話……私たちは同じ歳に生まれ、同じ地域に住んでおり、同じ学校に通っているというだけの接点なのに、話は絶えることもなかった。生まれて初めての寄り道だった。
「そろそろ行こうか」
と言ったのは、少なくとも私ではない。当時の私には時間という概念などない。母親も“暗くなる前に帰って来なさい”と言うだけであった。何の問題もない。そう思って秘密基地を出た瞬間、近所のおばさんが私達を見つけて、あっと叫んだ。焼きそばのような頭で、たらこ唇で、身体が大きいおばさん。お世辞にも美人でないその人の目の色が変わった時、小さい四人組はただごとでない何かを感じ取った。
「いた! いたわよ遠藤さん! えりちゃん達がいた! あきちゃんも!!」
私たちの死角に居る何かに向かって、おばさんは叫んだ。たじろぐ私達のもとに、ぞろぞろと勢いよく見慣れたおばさん達が近寄った。一番勢い良いのが私の母で、駆け寄るなり
「恵理子!」
と名前を叫ばれた。奥にはあきちゃんのお母さんも居る。あきちゃんは賢くて、すぐに“ごめんなさい”というなり自分の母親の元へ向かった。
あとでだんだんと悟ったのだが、帰りの遅い私たちを、私の母親が心配し、近所のおばさん達に尋ねたのだという。誘拐でもされたら! と誰かが心配し、手分けをして捜索してくれたのだ。家が近くにあるおばさんが、メガネザルの陽子ちゃんの家にも電話をした。
「ええ、陽子ちゃん居ました。はい。これからそちらに帰りますので、はい、どうも」
こうして、私は母親に、あきちゃんも母親に連れ帰られ、陽子ちゃんも家で待つ母親のもとに帰った。でも……はるちゃんには、待ってくれる母親が、迎えに来てくれる母親が、居なかった。
いつの日か、家の前で、はるちゃんとみーちゃんと三人で遊んだ。みーちゃんの居る前で、はるちゃんが言っていた。
「はるちゃんが赤ちゃんの時にね、お母さんが出て行っちゃったの。お父さんもみーちゃんもまだ寝ててね、朝早くに出て行ったの。起きてたのははるちゃんだけだったんだって。お父さんとみーちゃんが起きた時、はるちゃんが一人で泣いてて、どうしたのって聞いたら“お母さんがこれ置いてどっかに行っちゃったよ”って泣いてたの」
はるちゃんの本当の母親は、置手紙を置いて出て行ってしまった。その手紙に何が書いてあったのか、検討がつくようでつかないような。しかし、それで離婚をしたのだ。
はるちゃんとみーちゃんは、私とは違う経験をして生きて来た。六歳と八歳でありながら、親戚の家に住み、気を使うことも多かったかもしれない。それでも私の頭には、明るく笑う二人の記憶が強い。
「雄大くんの秘密、教えてあげよっか」
とはるちゃんが言うと、みーちゃんが笑いをこらいきれなくなり、ぷぷと噴出した。なに? と目を輝かせる私に、はるちゃんが言う。
「おちんちんの先が切れてるの。だから雄大くんがおしっこすると、あとからちょろって血が出てくるんだよ」
あはは、とみーちゃんがお腹を抱えて笑った。私も笑ったが、正直な話、何故雄大くんがそのような事態に至っているのか、それのどこがおかしいのかも、よくわからない。ただ、はるちゃんとみーちゃんが、私を友達だと思ってくれること、それが嬉しかっただけなのかもしれない。
しかし、私とはるちゃんの間にある主従関係に気づいた時、みーちゃんが私に尋ねる。
「えりちゃん、はるちゃんにひどい目に遭わされてない? はるちゃんと遊ぶの、辛くない?」
楽しい時は忘れていられるのに、何でもない時になると、ボスの指示でランドセル持ちをさせられた過去が蘇り、私はぐずぐずと泣き出した。あらあらとみーちゃんが手持ちのハンカチを渡してくれた。私の悲しみは、涙に変わってみーちゃんのハンカチに吸い込まれた。
幼子の心は、ころころと変わる。
はるちゃんや私だけでなく、きっとあきちゃんやメガネザルの陽子ちゃんも同じだ。
その時の私は、はるちゃんと遊ぶのが嫌だと言ってしまった。それからみーちゃんは、はるちゃんと私が一緒に居ると、自然と私を守るように動いた。それを隠し通せるわけもなかった。
その日も、私たちは三人で、はるちゃんの家の前で遊んでいた。みーちゃんははるちゃんに、怒った口調で
「えりちゃん辛いんだから、辞めてあげなよ」
と言ってしまった。はるちゃんのダメージはきっと大きくて、それでも彼女は私のように泣き出すわけでもなく、冷めた目で私をじとっと見つめた。背中が冷え冷えとしていくのを感じる。
「えりちゃん、はるちゃんのことが嫌いなの? みーちゃんも?」
黙ってしまう私を見て、はるちゃんはみーちゃんに言った。
「みーちゃん、今すぐ包丁持ってきて!」
「それでどうするの?」
「皆が嫌いなら、死んでやる!」
そう言って家に入ってしまうはるちゃんを、みーちゃんが止めに入った。道路には、子犬のように震える私だけが、取り残された。ただ、大変なことになったんだ。それだけ感じた。
五分もしないうちに、涙を流して顔を真っ赤にしたはるちゃんが、みーちゃんに肩を抱かれながら帰って来た。ぐすぐすと泣くはるちゃんを見るのは、前にも後にもこの時だけだ。
「ひどいよ、えりちゃん、親友だと思ってたのに」
そんな言葉が、私の心に鮮やかな傷をつける。幼いながら、はるちゃんに悪いことをしたのだと感じる。
「ごめんね、はるちゃんごめんね」
許して、なんて言えなかった。はるちゃんの細い目からは、大粒の涙がぽたぽたと零れていった。
はるちゃんは私をどう思っただろうか。
月日が流れると、私たちはまた、何事もなかったかのように下校を繰り返した。やっぱりはるちゃんは意地悪なボスで、私のランドセルをあきちゃんやメガネザルの陽子ちゃんに取らせては、ゴミを入れたり、老人ホームの公園に捨てたり、あるいは私に犬のうんこを踏ませようとしたりした。
たまに、よそのグループの子が一緒に帰ると、いつかのみーちゃんのように私を守ったり“あの子たち、嫌な感じだね!”と話していた。じゃあその子と一緒に行動しちゃえばいいじゃない。なんて言う人も居るかもしれないから、忠告しておく。そんなこと、できるわけがないのだ。教室では隅っこで遊び、格をつければ最下層だった私たちのグループの、更に最下層が私だったのだから。よそのグループの子だって、同情で一時的に庇ってくれるのであり、ずっと一緒に行動をするなんて、お互いに身が持たない。そういう関係なのだ。
二年生になったある日、私の母親がパートに出かけるようになった。嫌なことがあっても、お家にお母さんが居てくれるというのは、子どもにとって大きな安らぎであった。そのため、いなくなってしまうのは私にとって辛い出来事であった。私は毎日のように泣いてしまった。
帰り道、はるちゃん達にいじめられる前から泣いてしまうと、はるちゃんは私に“どうしたの?”と聞いてくる。自分がいじめて泣く分には嬉しそうに笑うくせに、ほかのことで泣かれてしまうと心配をする。はるちゃんはそういう子だった。
「お母さんが、お仕事で、居なくて、寂しくて……」
涙のせいで、つっかえながら少しずつ言う。今思えば、もっともはるちゃんに言うべきでない言葉だ。黄色い通学帽子越しに、はるちゃんの手が私の頭に触れた。いつも意地悪なことを言うはるちゃんは、私に言った。
「えりちゃんのお母さんは、えりちゃんが嫌いになって居なくなったんじゃないんだよ」
びくりと震えた身体が、落ち着きを取り戻した。まったくその通りなのだ。 だって、私の母親は仕事に出ていても毎日帰ってくるじゃないか。
だって、はるちゃんのお母さんは、赤ん坊の頃に出たきり、帰ってこないじゃないか。
嗚咽に混じり、“うん”と頷く私は、家の前ではるちゃんと別れた。強がりだけど、寂しがりやのはるちゃんは、お家に帰ったあとで泣いていたのかもしれない。当時の私にはそんなことを想像することもできなくて、はるちゃんは意外と優しいところがあるんだなとだけ思っていた。
はるちゃんは意地悪だ。それでも、それだけじゃない。
二年生の冬にはいる。学校の掃除では、箒による掃き掃除と、雑巾がけによる拭き掃除に役割が分担される。この時期、人気があるのは当然箒の掃き掃除だ。雑巾がけは、バケツの水に毎回手を突っ込まないといけない。最初は先生がお湯を足してくれるのだが、湯に濡れた手が冷めるのは時間の問題だ。そして、ゴミに汚れた雑巾が入ると、みるみる黒ずんで、最後には手を入れるのさえためらってしまう。
じゃんけんに負けた私とはるちゃんは、雑巾がけに励む。雑巾を絞りながら、はるちゃんが私に話した。
「えりちゃん良かったね。私、三年生になる頃にはいないよ」
どういうこと? と聞く私に、はるちゃんは何も言わない。
「もしかして、はるちゃん、引越すの?」
いつかのように冷めた目で、雑巾を絞るはるちゃんは、
「皆と一緒に、三年生になれなくてもいいや」
と言いながら雑巾がけに行ってしまった。
三年生になる前に、はるちゃんの転校は教室で発表された。教室で、大袈裟に寂しがる人なんて居なかった。建前で寂しがる人は、皆、はるちゃんとの関わりが薄かった。
ボスのはるちゃんが居なくなることで、いつもの帰り道も各メンバーのパワーバランスが崩れた。私が強くなった時期もあったが、一番強くなったのは意外にもメガネザルの陽子ちゃんだ。しかし、陽子ちゃんはボスになる器が無かったらしく、すぐに孤立してしまった。賢いあきちゃんは私たちをあっさりと捨て、新しい友達と打ち解けていく。そして私とメガネザルの陽子ちゃんは仲良し二人組となった。お互いに裏切り、お互いに馴れ合う。本当の友達ではない。
世間は狭く、人生は不思議な経過を辿る。
いつの間にか、中学生になると私とあきちゃんが再び仲良くなるも、陽子ちゃんにいじめられたりもする。
だけど、高校生にあがる頃、私たちは別々の高校に進学し、接点はついに絶たれた。
やっと終わったのだ。しかし不思議なもので、私は全てが終わったこの時、急にあの幼少時代を懐かしく感じるのであった。一人で、あの時の秘密基地に行った。しかし、ハンモックはおろか、そこにはもう何もなかった。一人で、ランドセルの捨てられた老人ホームにも行くが、やはり何も無い。
すべてが終わり、今になってあの時を思い出せるのは、もう私だけなのかもしれない。
ふと気が付く。私たちの世界は、狭かったのだと。
あれからもう十年以上の年月が経つ。私たちの接点は、もう何もない。
-
2011/05/29(Sun)17:00:47 公開 / 目黒小夜子
■この作品の著作権は目黒小夜子さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
ストーリーを組み込もうとするとテンポが駄目。
テンポを考えると描写が雑。
描写を薄くすることでストーリーもより浅はかに!!
こんにちは。初めましての方は初めまして。今回は、はるちゃんというキャラクターづくりに重きを置いてつくりました。“私”というナレーター越しに、はるちゃんを見ていただけたらと思います。
五月二十八日頃、誤字脱字を発見・修正いたしました。