- 『裏切り『改稿版』』 作者:遥 彼方 / ミステリ サスペンス
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全角3785文字
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原稿用紙約12.15枚
クリスマスイブに、彼とデートをした。でも、甘い一時は長くは続かなかった……。
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私は、泣いていた。
涙は出ていない。
心が泣いているのだ。
胸が激痛を放っているのがわかる。傷口からドクドクと悲しみの汚水が溢れ出していく。
そんな中、往来の中で立ち尽くす私の肩を、次々と通行人が揺さぶっていった。
私は空を仰ぎ、必死に涙を堪える。
泣いちゃ、駄目なのに。これから彼に会うのよ。必ず笑っていようって決めていたじゃない。
そうして私は無理矢理笑顔を作ってみせる。
拳を握っている間、粉雪が肩に舞い降りて、吸い込まれるように消えていく。私はふらつきながらも、そっと歩き出した。
こんなにも明るい雰囲気が辺りに漂っているのに、私の心はずっと塞ぎ込んだままだ。
笑わなくちゃいけないのに。
アーケード通りを抜け、大きなツリーの前まで来て、周囲へ顔を向けて彼の姿を探す。
翔君――彼の名前をそうつぶやいたその時、長い薄茶色の髪が見え、往来の中から彼の姿が現れる。
彼は淡い微笑みをたたえながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
毛皮のついたダウンジャケットに、真新しいジーンズ。そして首にはクリーム色のマフラーを巻いている。
彼は微笑み、手を軽く振ってきた。
「翔君」
私がつぶやくと、彼も「望」と返してきて、私達は近くから見つめ合った。
彼はそっと近づいてきて「行こう」と手を握り、歩き出す。その体温に、心臓が早鐘を鳴らし始めた。
先ほどの鬱屈した感情が消え、穏やかな気持ちがふつふつと湧いてきて、私は彼の腕を両手でぎゅっと握り締める。
けれどその時、目の前を数台のパトカーが通り過ぎていくのが見えた。途端、その甘い感情はすぐに消え去った。
そうして脳裏にあの凄惨な光景が蘇りかけ――。
私は彼の腕を握り締め、「翔君」と震える声で繰り返した。
「望?」
彼が立ち止まり、私の顔をのぞきこんでくる。肩をつかんで、真正面からじっと見つめてきた。
「どこか悪いのか?」
彼は心配げにそう言う。
私はそんな彼の顔を見つめながら、思う。
――それは翔君が、×××だからだよ。
私の小さなつぶやきは聞こえなかったらしく、彼は苦々しく笑うと、
「せっかくのクリスマスイブなんだし、今日は望の行きたい場所に行こう。どこがいい?」
屈み込んで、私と目線を合わせて聞いてくる。
「……大岩公園」
彼と初めてデートした場所。あそこなら、この気持ちを落ち着かせることができるかもしれない。けれど、
「そこは……駄目だ」
彼は険しい顔でそう言う。
「その場所以外で頼むよ」
彼はそう言ってすぐに表情を笑顔に作り変えると、私の腕を引いて歩き出す。そうして近くの喫茶店へと促した。
彼がオーダーをしている最中、ずっと彼の服裾を握って震えていた。そんな私の様子に気付いたのか、彼が何度も気遣うように見てきて、「望」と声をかけてくれた。徐々に心が落ち着いていく。
オーダーが済むと、彼は「行こうか」と店の奥へと進んでいった。私もその後に続き、二人で窓際の席へと座る。
大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせようとする。すると、彼は私の手をそっと握り、「冷たい手をしてる」と両手でそれを暖めてくれた。
「ありがとう」
彼の心遣いに、私の顔もようやく綻んでいく。
私達は片手を繋ぎ合わせたまま、お互いの表情を見守りながらコーヒーを飲んだ。
「笑ってくれてよかった」
彼は言う。
「せっかくのクリスマスだし、翔君は何か欲しいものある? できる限り、なんでも買ってあげるよ」
すると、彼は「本当になんでもいいの?」と言って可笑しげに笑う。
「無理しないでいいよ。僕は別に欲しいものはないから」
彼はそう言って、ふと窓の外に視線を向けた。どこか遠い目でその景色を見つめていた。
「欲しいものなら、もう手に入れた」
欲しいもの? と私は聞き返す。
「心からやりたいことが見つかったんだ。それをやっている時だけは、幸せな気持ちでいられる。その瞬間だけは本当の自分でいられるから」
彼はそう言って、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そう……」
何故か私は彼の顔を見つめているうちに、背筋が冷たくなるのを感じた。どうしてだろう。
「そろそろ行こうか」
彼はそう言って立ち上がる。
私はうなずきながら、どうしても彼のその、含みのある笑顔から目を離せなかった。
勘定を済ませ、彼と手を繋ぎながら外へと出る。彼は「少し見て回ろう」と言ってゆっくりとアーケード通りを歩き出す。
アクセサリーショップや洋服店などを巡っていると、ふと彼の手が小刻みに震えていることに気づいた。振り向くと、彼は落ち着かない様子でどこか充血した目を四方へ向けている。
「翔君?」
彼は私の言葉には気づかず、人込みに向かって歩き出した。咄嗟に彼の腕をつかもうとすると、思い切り払われる。その瞬間、
「……×りたい」
彼が低い声でそうつぶやいた。
「×りたい。……×りたい、×りたい」
彼は、ぶつぶつとつぶやき始める。
私は呆然と彼の横顔を見つめ、その瞬間、彼がガッと私の手首をつかんできた。私は悲鳴を上げて、振りほどこうとする。
「×りたいんだ、望」
私は彼のギラギラ光る瞳を見て、思わず声を失う。
「どうしたの? ……ねえ、」
腕を揺さぶって問いかけると、彼は「×りたい、×りたい」と繰り返すだけだ。
私はその瞬間、彼を抱き寄せていた。彼の肩がびくんと震える。
「……大丈夫だから。私はここにいるよ」
私は彼の耳元でそう囁き、ゆっくりと彼の背中をさすってあげた。
「……のぞ、み」
「ずっと一緒だから」
腕に彼の震えが伝わってくる。けれど、それは徐々に小さくなっていき、程なくして途絶えた。
「……望。僕は、」
「何も言わなくていいよ」
彼は弱い力で抱き返してくる。
やがて私達はゆっくりと体を離すと、まっすぐ見つめ合う。彼の瞳は濡れていた。
「翔君は疲れてるんだよ。少し休んだ方がいいわ」
私は彼の肩を支えて、そっとベンチに座らせる。そして、しゃがみ込んで、顔を近づけて囁いた。
「家族に電話してくるから」
私は彼の手の甲を叩いてベンチを離れ、携帯を取り出した。そして、電話をかける。
二言三言伝えて、すぐに電話を切った。もう一度彼の方を見る――目が合った。
ゆっくり近づきながら、そっとポケットに手を入れ、それをつかむ。そして、
「翔君に会えてよかった。これからもあなたを好きでい続けるよ」
彼は私の突然の言葉に、目を瞠る。
「翔君。本当に好きだよ――」
そう言って、ポケットから手を引き抜き――。
銀色の軌跡が閃き、ザク、と音がする。彼が呻き声を上げて、横向きに倒れた。
――私はナイフで彼の顔を切りつけていた。
彼は顔を抑えながら私を見て、「のぞ、み……」とつぶやく。私はくすりと微笑み、
「これは私からの、精一杯の罰だよ」
そう言ってもう一度ナイフを振りかざそうとすると、「やめろ!」と背後から数人の男が飛びかかってきた。私はあっという間に男達に押さえつけられる。私は必死に顔を上げて、驚愕の目で見つめる彼を見やって、
「翔君……精一杯生きてね」
それだけをつぶやいて、体の力を抜き、地面に組み伏せられることを許した。頭上から、「通り魔を確保したぞ!」という叫びが降ってくる。
私は、男達の汗まみれの指で、頭蓋骨や肩を締め付けられながら、そうして思う。……これでよかったんだよね。
今日、私はデートの待ち合わせ場所まで早く来てしまった。
一分一秒も早く彼と会いたくて、気付けば足がそこに向かってしまっていたのだ。しかし、待つことに痺れを切らし、私は彼を家まで迎えに行くことにした。
最近大岩公園で通り魔が出たばかりで、人気のない住宅街の道を歩くことに躊躇いはあったけれど、その時私は本当に浮かれていて、些細なことを気にする余裕はなかった。
そんな中、狭い路地を歩く彼の姿を見つけたのだ。私は思わずはしゃぎながら、彼へと駆け寄ろうとした。
しかしその瞬間、彼はそっとポケットから手を出し――。
そして、鈍く光り輝く刃が歩行者の女性の首筋をえぐった。その光景に、私は目を見開いた。
彼は恍惚とした表情を浮かべながら、倒れ伏した彼女をじっと見つめて、小刻みに肩を震わせて笑っている。
私は一歩、また一歩と後ずさっていく。……こんなの嘘だよ。でも、そこにいるのは間違いなく彼で――。
私は何か言葉にならない悲鳴を上げながら、涙を散らせて走り続けた。
……翔君。……翔君。
――そして、私はナイフをそっと強く握り締める。
街頭の光を弾き返すそれには、翔君の血の他にも、誰かの血がべっとりとこびりついていた。
彼を抱きしめた時に、ポケットからそっと抜き取ったナイフ。
警察を呼びつけたのも私だ。電話で犯人が私であることを自供し、居場所を伝えた。
世界は「犯人」を翔君から私へ切り替える。そして、彼の指紋を消し去る為に、私は――。
刃を、そっと自分の首筋に突き立てる。
ナイフが肌を抉り、その柄は私の血によって洗い流される。最後に、彼の絶叫する姿だけが見えた。
翔君……大好きだよ。
彼の顔を見ながら死ねるなら、それだけでもう十分だ。
他でもない、彼の為に。私のすべてを、あなたの為だけに――。
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2011/05/29(Sun)23:15:53 公開 / 遥 彼方
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■作者からのメッセージ
皆様のご批評・ご感想を基に、自分なりに『改稿版』として書き直してみました。
あと、関係ない話ですが、エディターを変えたら推敲がやりにくくなってしまい、文章が稚拙になっている箇所もあるかもしれません。が、気付いたところから精一杯直していきたいと思っていますので、何卒ご批評の方、よろしくお願いします。少しでも楽しんでいただけたら幸いです!