- 『人魚の血』 作者:遥 彼方 / ファンタジー アクション
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全角8202文字
容量16404 bytes
原稿用紙約26.85枚
ある日、僕は入水自殺を図った。けれど、海底で人魚と出会い、その命を助けられる。
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田舎ってのはそれはもう暑いところだった。列車の車内とか駅の構内とか、草の臭いがむんむんする獣道とか、もう本当に半端じゃなく暑かった。
でも、この暑さが僕への罰なのだとしたら、それはなんて安すぎるんだろう。
肩に提げたボストンバックの中にはもちろん何も入っていない。こんな片田舎に手ぶらで来ているとまず間違いなく自殺者だと怪しまれるから、新聞紙を詰め込んで鞄の膨らみをごまかしたのだ。
砂浜に降りると、さらに日差しが強くなった。繁茂していた木々が辺りから消えて、視界が開ける。
一面に広がる透き通った海に、本来ならば心躍らせるはずなのだろうけれど、それを見ても今の僕の目はまるで腐ったイワシのそれだ。
ゆっくりと波打ち際に寄り、ボストンバックを足元へ投げ捨てる。
左右を確認した。幸い、誰もいなかった。最後の最後に、天が味方してくれたということだろうか。
今まで神様に見放され続けていたのに。
僕はTシャツの襟に手をかけ、脱ぎ捨てる。汗に濡れたそれにすぐに砂がこびりついた。
短パンを脱ぐ。靴を脱ぐ。トランクスも脱ぐ。
両手を広げて大きく空を仰ぐと、本当に濁りがなく透き通っていて美しかった。
――さあ、行こう。
僕はゆっくりと波打ち際に乗り出し、足で水を掻き分け、進んでいく。
次第に四肢の感覚が薄らいでいった。
あっという間に水位が首の高さまでのところへやってくる。
不思議と怖いとは感じなかった。
そして、僕は笑う。
体がすぐに海中へと沈んでいった。
何も見えない。音が聞こえない。
ただ水の生温い感触がするだけだ。
これで僕は海の藻屑になる。
誰の顔も脳裏には浮かんでこない。走馬灯なんてものは勿論現れなかった。
体の痙攣がやがて止み、まったくの無感覚の世界へと突入する。
意識が途切れるその寸前――。
何故か歌声が聞こえた。
遠くから、ガラスを打ち鳴らしたような、高い透き通った声が聞こえてくる。
女性のそれだ。
「afji huio work soro――」
こんな言語、存在するのだろうか。
なんて、綺麗なんだろう。彼女の声は、霞がかっていた僕の頭に優しく反響し、徐々に意識が覚醒していった。
美しい。こんなに透き通った音楽がこの世界に存在したなんて。
僕の中で、初めての感情が芽生える。
もっと彼女の声を聞いていたい。このまま心地良いまどろみに浸かっていたい。
僕の瞼がゆっくりと開いた。
視界は黒に染まっている。しかし、遠くに白い影が揺れているのが見えた。
それは徐々に大きくなり、やがて海に溶け込むような色の透き通った長い髪と、氷細工のような白い肌、そして――。
「jisu nobie rlod love」
彼女はゆっくりと浮遊しながら近づいてきて、そっと手を差し伸べてきた。
氷のような肌が頬に触れる。
彼女はそっとなでてきて、僕の顔をのぞきこみ、微笑んだ。
瞳の色は青く、西洋人のように鼻筋が高かった。
彼女の顔を見た瞬間に、取り戻しかけていた感覚を失いそうになる。
気が遠くなりながら、僕は彼女と一心に見つめ合った。
母性を思わせる穏やかな微笑みが顔に浮いている。
そして、そっと彼女は僕の背中へと手を回し、抱きしめた。
柔らかな乳房が僕の胸に触れる。
彼女のなだらかなうなじだけが見えた。
僕は小刻みに息を弾ませながら、そっと涙を流す。
なんて優しい温もりだろう。
それは僕が生まれて初めて得た安らぎだった。
僕は気づけば彼女を強く抱き返していた。
「agyh」
僕の視界に、彼女のうごめくそれが見える。
その鱗は銀色に輝き、一枚一枚が宝石のようで、うねるたびにこの暗闇の中で光を放ち続けていた。
「gyou vhuo」
しかし、僕の体の力は再び薄らいでいく。意識が保てなくなり、僕は彼女の体に絡みついたまま、四肢をだらりと下げた。
夢の時間は終わりだ。僕はもう死ぬ。
薄く瞼を開いていると、彼女がまっすぐ見つめてくるのが見え、ゆっくりと顔を近づけてきた。そして、横から回り込むようにそっと唇を重ねてくる。
触れ合う寸前で止められた彼女の口から『息』が出た。
僕は無意識に貪るようにそれを飲み干す。
喉を大きな塊が通り過ぎ、肺に落ちた。
彼女がまた息を吐く。それは再び僕の体の奥へと沈んでいく。
いつしか彼女は僕の唇を塞いでいた。
ゆっくりと、四肢の重みが取れていく。
最後に見た彼女の顔は、少し眉を下げ、悲しげに笑っていた。
「love」
彼女がそっとつぶやいた。
何か心地良い夢を見ていた気がする。だけど、どんなに記憶の糸をたぐり寄せようとしても、それを思い出せない。
一体どんな夢だったのか。この胸にある穏やかな感情は一体何なんだろう。
と、そんな感慨をコンマ数秒で味わった後。
ふと腹の上に圧し掛かる重みに気付いた。
耐え切れないほどじゃないけれど、でも、やっぱり重い。
僕は半分夢心地のまま考える。
誰かの嗚咽が聞こえてきた。
どうしてそんなに悲しげな声を上げているんだろう。
「お願い、起きて……起きてよ……」
急に胸から大きな圧迫感を感じた。
誰かが両手で僕の胸を突いているのだ。
その途端、突然口を塞がれる。
空気が送り込まれてきた。
う……苦しい。なんだこれ。
急に四肢の感覚を取り戻す。ゆっくりと瞼を開いた。
眼前に少女の顔がある。
目をぎゅっと瞑って、頬を涙で濡らしながら、一心に僕の唇に息を吹き込んでいた。
色素の薄いショートカットの髪が、風になびき、僕の額に垂れかかる。
このまま人工呼吸を続けると、些かまずいことになりそうなので、僕はそっと片腕を持ち上げ、少女の背中をぽんぽんと叩いた。
その瞬間、少女の瞼が開き、目が合う。
少女は思い切り飛び退った。
両手を背後についたまま、わなわなと唇を震わせる。
僕はどこか気だるい四肢を起き上がらせた。少女と向き合う。
「やあ、君は黄泉の番人かな?」
笑いかけると、彼女は目をぱちくりさせた。
「よみのばんにん?」
「あの世って、現世とほとんど変わらないんだね。体の感覚もあるし」
僕は片腕を回しながら、うんうんとうなずく。
「い……」
少女が僕に指を突きつけた。
「生きてる!」
…………え?
僕が首を傾げようとしたその途端、
「よかったあーーーー!」
少女ががばっと僕の首に飛びつく。
「のわっ!」
僕らは絡み合いながら倒れた。
「よかった! 本当によかった!」
むわふごむに……何か弾力のある柔らかいものが顔に押し付けられてるのだけど……。
「本当によかった……よかったよお……」
仕舞いには少女は泣き出してしまう。
あのう……少し腕の力を緩めてもらってもよろしいですか?
そう言いたいのは山々なんだけど、あまりに喉を圧迫されてるので、それは無理そうだった。
そこで、ようやく自分の体が全裸であることに気付いた。
対して、少女は半袖のTシャツにデニムのパンツを履いている。
さらに、地面が砂浜であること、視界一杯に海が広がっていることを認識する。
真上に広がる空は、ほんの数分前に見たように懐かしかった。
つまり、これは。
「僕……生きてる?」
いや、そんなはずない。確かに僕は入水自殺を図ったはずだ。そして――。
脳裏に彼女の微笑みが蘇る。
あれは確かに泡沫のような夢だったはずなのに。
「よかった……」
少女が首筋に柔らかな頬を擦り寄せてくるので、くすぐったくて堪らない。
それに呼吸を止められて数十秒が経過したので、再び頭がぼんやりしてきた。
あー、このままだとまた死ぬかも。
その瞬間、
「馬鹿野郎! 離れろ!」
ボコッと誰かが少女の頭を拳骨で横殴りし、少女は「あうっ」と悲鳴を上げながら、横へ転げる。
ようやく解放された僕は、喉を押さえて咳をしながら、目の前の白衣の女性を見上げた。
「いい夢見られたか?」
彼女は穏やかに微笑み、そう言う。
そして、ゆっくりと膝をついて、僕と目線を合わせた。
それから、そっと両腕を伸ばし――。
思い切り僕の頬を平手打ちする。
しかも両手でダブルのビンタを食らったので、そのまま背後へバタリと倒れた。
「何考えてるんだ、お前は! 死ぬなら別の場所にしろ! 余計な仕事を増やさせるんじゃない!」
僕はジンジンと痺れている頬を擦りながら、呆然と彼女を見つめる。
「わざわざなんでこんな田舎まで来て自殺なんかする必要があるんだ! 都会にはもっといいスポットがあるだろうに!」
ひどい言い草だ。
「何寝てるんだ、さっさと起きろ!」
あんたが殴ったからでしょう! それに、この位置だと彼女のスカートの中が見えてしまったり。
僕がぼんやりとストライプのそれを見つめていると、顔を踏んづけられた。
「貴様、後で殺すからな」
助けるのと殺すの、どっちなんだこの人。
僕は胸倉をつかまれ、引き起こされる。
再び間近で見つめ合った。
また殴られるか、罵倒されるか、と半ば諦めていると……。
ふと、彼女の顔がくしゃりと崩れる。
「よく……よく生きて返ってきた」
そして、そっと甘い香りが風に乗って漂った。
僕は彼女の腕の中でぼんやりとその匂いを嗅ぐ。どうやらこの長い髪から漂ってきているのだと推測した。
すぐに抱擁は解かれる。
そして、彼女は僕をまっすぐに見つめてうなずくと、そっと白衣を脱いだ。それを肩にかけてくれる。
「さすがに毛の生えた男の裸は長時間見たくないものだな」
僕はようやくそれに気付いて、慌てて股間を押し隠した。
「姉さん! 私、頑張ったよ! たぶん私の人工呼吸が効いたんだよ!」
ショートカットの少女が、先程女性に殴られた頭を擦りながら、興奮した様子で言う。
すると、白衣の女性は手に提げていた鞄を開いて、何やら医療器具のようなものを出しながら、呆れたようにつぶやいた。
「何もファーストキスを失うことはなかったのにな。あの時既にこいつは意識を回復させていたようだぞ」
「えっ!? 嘘!」
「残念だったな。こいつに責任取ってもらえ」
少女が僕へと振り向く。
「責任取って!」
あのー……それって僕の所為なの?
そのまま検査を受けた。
その後で、白衣の女性は僕の顔をまじまじと見つめながらつぶやく。
「お前、本当に人間か?」
……。言っている意味がわからないんだけど。
「まあ、詳しい話は後でいい」
女性はそう言って、再び体に手を回してきた。
ふわりと宙に浮く感覚。
僕はなんと、お姫様抱っこをされてしまう。
口をぱくぱく開閉しながら、彼女の顔を見つめた。
「なんだ、不満か。女じゃないんだから、少しくらい見られたところで、どうってことないだろう?」
「いや、そういうことではなくてですね……」
そのまま女性は歩き出し、大股で砂浜を横断していく。その後に少女がついてきた。
そうして路肩に停められていたワゴン車の中へと僕は引きずり込まれる。
おろおろと視線を彷徨わせていると、後部座席に少女が乗り込んできて、僕の頭をよいしょとつかむと、膝の上に載せた。
とてつもなく柔らかい感触を後頭部から感じる……。
少し頭を揺れ動かすと、「あっ」と少女が身を悶えさせるので僕はおとなしく四肢の動きを停止させた。だって突き刺すような視線を感じるもの。
運転席に先程の医者らしき女性が乗り込む。
「あの、」
どこに行くんですか、とつぶやこうとした刹那――。
突然ものすごい圧迫感が襲ってきて、僕の体はシートに打ち付けられた。
猛烈な勢いで窓の外の景色が切り替わっていく。
「ちょ、スピード出しすぎじゃ……」
言い終える前に、最初のカーブに入り、思いっきり僕はシートの上を転げ回った。
またまた柔らかいあの懐かしの感触がして、必死に両手両足をばたつかせて逃げようとする。
「あふっ」
少女の艶かしい吐息が首筋に吹きかかった。
体を起こそうとすると、むに、と柔らかいものが手の平に押し込まれる。
「はぐっ」
顔を上げると、頬を上気させて目をぎゅっと瞑って震えている彼女の姿があった。
慌てて起き上がろうとすると、再び車が猛烈な勢いでカーブを曲がり、僕は少女と絡み合いながらシートの反対側へと転がり、倒れる。
真っ白な太ももに顔を挟まれて、僕は息もできずに目をぐるぐると回す。
お願いだから停めてください……。
すると、運転席から声がした。
「妹に手を出したらぶっ殺す」
いや、これはあんたの所為でしょ?
少女ともつれ合いながらシートの上を転がっていると、程なくして車が路脇に停車する。
視界がぐるぐる渦巻く。うわ、吐きそう。
「う、うぐっ」
振り向けば、少女が口を抑えて唸っていた。
や、やめてくれ! ここで吐かれると、真下にいる僕としては非常にまずいことになる!
慌てて彼女の背中に手を回してさする。
とりあえず少女の顔の青白さが取れたのでほっとした。すると、
「何、妹を抱きしめてんだ、お前」
鞄で後頭部を殴られる。
「抱きしめてませんって!」
女性はフン、と鼻を鳴らすと、運転席から降りて、ドアを開いて再び僕をお姫様抱っこした。
「本来ならばここでお前の手足を百八十度曲げてみるところだが、一応お前は病人だからな。これだけにしておいてやる」
いてててて。耳が切れる……。
僕は診療所へと運び込まれる。田舎っぽさが漂う、古い建物だった。ぺちゃくちゃとお喋りしているお年寄りの前を年若い医者はズンズンと進んでいった。
当然僕は半裸のまま衆目の前に晒されることになり、股間を固く握ったままいやいやと首を振り続ける。
「ごめんなさーい。失礼しまーす」
少女が後に続くと、待合室が静まり返った。お年寄りの視線が逸らされる。
そのまま僕は診察室の奥のベッドに寝かされた。
「さっさと寝ろ」
「えと、まさかこのままで?」
「お前が夢の国にいる間に看護師が着替えさせてやるから」
「いや、気になって眠れる訳ないでしょうが」
「お前の皮のかぶったイチモツなんて見たところでどうってことないぞ」
なんてひどい……この人、僕のコンプレックスをさらりと言いやがった。
「はいはーい。お着替えしましょうねー」
頭にナースの帽子だけを被った少女が患者服を持って現れる。
「彼女が看護婦だ」
「いやふざけないでくださいよ」
僕は少女に全身をもみくちゃにされながら、半泣きで訴えた。
「悪いな。今看護婦は全員、手が離せない状況にある」
いや、そこの窓から煙草を吸って談話している女性数人の姿が見えますよ?
「いいから、寝ろ」
僕はぶかぶかの患者服を纏った体を丸めて、仕方なしに布団を被る。
「そして今から目を閉じずに話を聞け」
「いや寝ろって言ったのあんたでしょ?」
男勝りなその医者は、少女を部屋から出して、ラジオからハードロックの音楽を流しながら、遠い目で窓の外を見つめた。
沈黙が流れ、僕はどうしたものかとその横顔を落ち着かなく凝視する。
「なあ、命って何故あるのだろうと思う?」
いきなりなんで哲学を始めてるの?
「人生ってものはまったくもって答えというものがない。何故なら、誰一人として神様には成りえないからだ。人は生まれたその瞬間から無知であり続け、そして結局そのまま人生を終えるしかない。知識とは、結局は答えではない。何故なら本当の答えとは、自ら見つけ出すべきものだからだ」
あのー……。
「人は常に自分自身に対し疑問を投げ続ける――答えが出ないことを知りながら。一時答えを見つけ出したと思っても、それは単なる勘違いか錯覚でしかない。本当の答えとは、個人の信条に他ならない。限りなく真実に近い答えとは、その信条が人生を過ごす上で有効かどうか、という観点から判断される」
「寝ていいですか?」
「お前は自らの手で命を断とうとした。それにはどんな信条があったんだ?」
「いい加減……うるさい」
苛立ちが胸にくすぶり始める。
あんたに何が分かるんだよ。知ったような口聞きやがって。
「そうとも。私はただの知ったかぶりだ。だがな、どうしてもお前の選択が気に入らない」
「助けてもらっておいて言うのも何ですが、僕のことはほっといてください」
「お前は本当に全力で人生を過ごそうとしたのか? 自分の持て得るすべてのエネルギーを使って、人生をよりよくしようと頑張ってみたのか?」
僕は舌打ちし、彼女を睨みつけた。
「まだまだお前は余力を残しているように見えるのだがな。もっと歯を食い縛って、骨を削られながら、それでも生きてみようとは考えないのか? そうしないとあまりにもったいない。その艶やかな黒髪も、雪細工のような肌も、星を散りばめたような瞳も、すべてが無駄になってしまう」
褒めているの? けなしているの?
「私はお前の根性を叩き直したくて、うずうずしているのだ」
「だから余計なお節介ですってば」
「絶対にお前のその腐った頭の中を掃除してやろう」
そう言って女性は立ち上がり、突然僕の頬を引っ張る。
「あのお、ひゃにするむでひゅか?」
「これは夢ではないということ、まだお前が生きているということを思い知らせているのさ」
彼女は僕の頬を引っ張ったまま、再び椅子に座り、ふむ、と頬杖をついた。
「ところで、お前は口先では死にたいと言いながら、その体は驚くべき生命力を宿しているようだぞ」
冗談抜きで、痛い。必死になって彼女の手を離そうとするのだけれど、存外に力が強い。
「お前が砂浜に倒れているのを妹が見つけ、それを緊急で知らされた時はさてどうしたものかと思ったが、いやはや私の出る幕などなかったな」
ようやく彼女が手を離してくれる。ジンジンと痛む頬を擦りながら、何するんだよ! と半眼で睨む。
「元々深いところまで潜っていなかったのか、砂浜に打ち上げられるまでの時間が短かったのか、それとも他に何か神秘的な要素が関わっているのか……」
彼女は顎に指先を添えて、物思いに耽った。
しかしやがて溜息を吐くと、「まあいい」と首を振る。
「お前、しばらく私の家に下宿しろ」
…………はい?
「あの、それはどういう……?」
「言っただろう。お前の根性を一から叩き直してやると。このまま自殺されても後味悪いからな」
女性はそう言って僕をじっと見つめ返してきた。
僕はその視線に耐え切れずに眼を伏せる。
なんでまたこの人は、こんな立ち直る見込みのない心を癒したいと言うのだろう。
いっそこのまま朽ち果てさせてくれれば、世の中のすべての煩わしい事から解放されて楽になれるのに。
けれど――。
何故か僕の頭には、誰かの歌声がずっと響いていた。
不思議と穏やかな感情が胸に広がっていく。
「そういうことだから、千尋、後でこの包茎野郎を家まで案内してやれ」
突然女性が扉に視線を向けると、細い隙間が一気に開かれ、「のわわっ」と少女が倒れこんできた。
「盗み聞きなんて下品な真似はよせ、千尋」
「そ、そそそそんな、姉さんっ」
少女は顔の前で手の平を水平移動させる。
「とにかく、こいつを家まで連れて行け。以上」
すると女性は椅子から立ち上がり、部屋から出て行こうとする。
「あ……あの」
反射的に呼び止めてしまう。
無言で白衣の女性が振り返った。
僕は口をぱくぱく開閉させて、言葉を探す。
すると、彼女の目元が緩んだ。
「言いたいことはわかった。まずポイント一つ追加な」
「え……?」
それだけを言って、女性は扉を開き、姿を消してしまう。
僕は少女と顔を見合わせた。
「何を言おうとしたの?」
「えと、その」
しどろもどろになって、とりあえず言い訳の代わりに布団を頭までかぶる。
そして、逃げるように瞼を閉じた。
すぐに睡魔が襲ってくる。
意識がまどろみへ沈んでいく中、ふと手を握られる感触がした。
柔らかく、暖かい温もり。
何故か安心感がこみ上げてきて、僕は何年ぶりかの安らかな眠りにつく。
最後に口に出さなくてよかったと思う。ありがとう、だなんて、なんだか僕にとっては恥ずかしすぎる言葉だ。
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2011/02/09(Wed)00:26:45 公開 / 遥 彼方
■この作品の著作権は遥 彼方さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
第三回目の投稿になります。
最近、どんなに頑張ってもなかなか文章力の向上に繋がらなくて、身近な人に作品を読んでもらっているのですが、ボツを出されるばかりで、自分の何がいけないのか、悩んでいます(趣味で悩むことができるのはある種の幸せですが)。
どうにかして、より人の心に響くような作品を書いてみたくて、あれこれ試行錯誤しています。
自分の執筆の腕を向上させる為にも、皆様の御意見を伺いたいと思い、ここに掲載させていただきます。
まだまだ至らぬところばかりで、作品の中に稚拙な表現があったりするかと思いますが、小説に対する情熱は人一倍強いと思うので、何卒よろしくお願いします!