- 『鬼恋慕』 作者:一日君 / リアル・現代 未分類
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全角10528文字
容量21056 bytes
原稿用紙約32.35枚
一年振りのお婆ちゃんの家は、前と何も変わっていなかった。
澄んだ空気、木の香り、それと元気なお婆ちゃんの姿。
「おかえりー詩織、良く来たねぇ。外は寒かっただろう」
「こんばんはーお婆ちゃん! もう十二月だからね。雪が降らなかっただけ良かったよ」
私はお婆ちゃんとの挨拶も足早に、車から運んできた荷物を玄関の広間に下ろして、コタツのある部屋へと直行した。玄関からは僅か数歩の距離だ。タタタっと走り、急いでスライド式ドアの取っ手口に指を掛ける。
ドアを引くときは、気付かれないようそっと引く。
「あ、詩織!?」
「ひっ!」
お母さんが寸での所で逃げ損じた私を、叱り口調で呼び止めた。
音を立てまいと時間をかけたのが災いしてしまったようだ。
「自分の荷物でしょ。後回しにしないで、自分で持って行きなさい」
怒ったお母さんには敵う気がしない……
「まぁまぁ、えぇじゃないのさ。荷物くらい、あんたが運んであげなさい」
「お、お母さん? んーでも本当は、小学生の内からあんまり甘やかしたくないんだけど。詩織ったら、お婆ちゃんの話が聞きたいって、車の中でもずっと騒ぎっ放しで、困ったものね。今日だけは私が運んでおくから、ちゃんとお婆ちゃんに感謝しなさいよ」
珍しく、お母さんが一度言った言葉を改めた。流石はお婆ちゃんだ。
「ありがとう」
「いやいや、えぇってことよ」
ガッツポーズでニッコリと笑うお婆ちゃん。皺くちゃの顔がより一層、皺くちゃになる。
お爺ちゃんが旅立ってからというもの、私はそんなお婆ちゃんを見ると少しホッとなる。
「そうだお婆ちゃん、コタツ暖めて待ってるから、お婆ちゃんはミカン持って来て!」
「到着そうそう、そんなにあたしゃの話が聞きたいのかねぇ」
「もちろん!」
どこか嬉しそうに戸惑うお婆ちゃんに返事をして、私はドアも閉めずにコタツに向かった。
四角い電熱式掘りコタツの電源を入れる。毎年劣化しているらしく、コタツ内が暖まるまで去年は二分と三十秒かかった。今年は何分かかるだろうか。お婆ちゃんは、買った当時は直ぐに暖まったものだと言っていたけど、すぐとは言い過ぎだと思う。
私はそんなことを気にしつつ、分厚いコタツ布団の中へと足を突っ込んだ。ちょっと後悔、かなり寒い。
「おやおや、すっかり勝って知ったる家になったねぇ」
お婆ちゃんは、入ってきたドアを閉めながら言った。その手には、ミカンが握られていない。
「ミカンは?」
「机の上にあるじゃない。ほれ、お盆の上だよ」
「えっと、本当だ……」
コタツ机の上にお盆が置いてあって、その更に上にミカンと茶菓子がちゃっかり載っている。慌ててたんで、全然気が付かなかった。
たぶん、私はこのとき目を丸めていたんだと思う。
「不思議かい? あたしゃ、詩織が来るのは分かっていたからねぇ」
「えへへ、そういうことか」
お母さんの叱咤には敵わないけど、それと同じくらいお婆ちゃんには敵う気がしない。きっと、お母さんはお婆ちゃんの血を引いたんだね。
「よっこらせぇい」
お婆ちゃんは私から見て右側のコタツに座った。
ミカン。
コタツ。
お婆ちゃん。
準備は整った!
「お婆ちゃん!」
「へいへい、お話ね。ちゃんと考えてあるよ。詩織は今年で十になったから、少し怖いお話でも平気かねぇ」
「いいよいいよ、私だって何時までも子供じゃないもん」
「そうかい? なら遠慮なく、話させてもらうとするかねぇ」
お婆ちゃんは深いため息を一つして、毎年恒例となった昔話を語り始めた。
「題名はそうね、鬼恋慕ってところかねぇ。ありゃ、あたしゃが詩織みたい、うんっと小せぇ頃だった――」
学校で妙な噂が流行っていた。
鬼恋慕という事実無根の良くある怪談話だ。なんでも、この深津小学校の近くに住まう鬼が、私のような幼い子供を浚っていると言うんだ。
前提からして、話に無理があるというのに……
授業終了のチャイムが鳴ってすぐ、クラスメイトの結城くんが私の席までやってきた。口元を緩ませて猫のような目を作っている。下心が丸見えだ。
私は予め斜に構えた。
「なぁ佐々木、お前もう誰かにタッチされたか?」
「また鬼恋慕の話? 馬鹿らしい、話しかけないでよ」
これだからクラスの男子は困る。
最初は噂だけだった存在の鬼恋慕だけれど、今では噂が乗じて、鬼ごっこのような遊び発展してしまっている。普段から体をあまり動かしたくない私のようなタイプからすれば、騒がしいだけの迷惑ものでしかない。
鬼恋慕という遊びは鬼を呼ぶことが目的らしく、その工程の一環として、異性へのタッチというのがあるらしい。
結城くんの言う「タッチされたか?」とは、つまり「お前を好くような男子は一人でも居たのか? ぷぷぷ」ということだ。全くもって、愚かしい。
「残念だったなー佐々木、お前にタッチする鬼は誰もいないみたいでっ!」
あしらったはずの結城くんがしつこく話しかけてくる。
「…………ふんっ」
そういう馬鹿は無視に限る。
「ちぇ、ダンマリかよ。詰まらんねぇの! おーい、内田ー!」
御覧の通り、斜に構えておいて正解だった。
しかし、私の次は内田さんを話し相手にしたか。内田さんは最近になってモテ始めちゃって、そのタイミングの悪さは同情する。といっても、内田さんは満更でもなさそうだから、これは単なる私の僻みか? ……同情しなかったことにしよう。
結城くんが居なくなった途端、友達のトモちゃんが駆け寄ってきた。トモちゃんは一度、好きな香水の匂いを堪能するかのような仕草をみせた。
給食の匂いでも漂ってきているのかと思って、私もトモちゃんに倣って匂いを嗅いでみる。無味無臭。
にしては、トモちゃんは花の香りでも嗅いだかのように、上品にうっとりとしている。
「はぁ……。そうそう、佐々木さんは信じてないの? 鬼恋慕。私はあると思ってるよ」
「私はないと思う。馬鹿らしいし、色々と話に無理があるもの」
「そこが面白いんじゃん。私良く分からないけど、鬼恋慕の噂が広まってから気分良いんだー。これってさー、私の嫌いな人が鬼に浚われたからじゃないかと思うの」
だとしたら、かなり気味が悪いとは思わないのだろうか。私ならそう思うけど。
「へー。なら、そうかもしれないんじゃない」
「佐々木さんは、鬼恋慕のルール知ってる?」
「途切れ途切れになら知ってる。けど、興味ないよ」
「なら教えてあげるよ。きっと、知らないから興味が持てないんだよ」
と、勝手な理屈で鬼恋慕の説明を始めるトモちゃん。
「鬼ごっこを改造してるだけみたいだから、そんなに難しくないよ? ルール一、鬼役にタッチされると鬼役になって、鬼役だった人は元に戻る。ね、鬼ごっこでしょ? ルールその二、鬼役のタッチは異性にのみ有効。その三、鬼役になった日の夜に、何時の間にやら自分の存在が世の中から完全に消えて、朝になると戻ってるんだって! 不思議だよねー」
「そのルール三ってのは、ルールじゃなくて罰みたく聞こえるけど?」
ちなみに、私が小耳に挟んだ話を追加すると、一と二を繰り返していって百の倍数人目になった鬼役がそのまま夜を過ごすと、永久に戻って来ることが出来なくなる――らしい。
「でも結城くんは、罰じゃなくてルールだって言ってるよ? まあ佐々木さんがどう思うかは自由だけど。それでー、信じる気になってくれた?」
「全く……」
教室のチャイムが再び鳴って、国語の先生が欠伸を手で隠しながら入ってくる。
「授業始めるぞ! お前らみんな席着けー、席ー」
騒がしかった教室が水を打ったみたく静まり返った。最近はこの瞬間が学校で一番落ち着く気がする。
それから一週間後。
よりにもよってお話し好きなトモちゃんが、登校中、面識はないけど格好良い男子にタッチされたという。お陰でその日のトモちゃんとの話題は、下校するまで途切れることはなかった。結局トモちゃんは帰り際、悩んだ末にどうにかして結城くんにタッチを済ませ、鬼の役目を終えた。
そうしてしばらく団欒してからトモちゃんと別れ、一人で帰路を辿っていると、向かいからランドセルを背負った男の子が歩いてくる。その歩幅は小刻みで、遠目からでもぎこちないのが見て取れた。改めて近づくに連れて、冷えて萎んでいく蕾みたいな姿が、いじめられて陰鬱としている様に見えたのだけど。私を見るや否や男の子の表情は、家にある電熱式掘りコタツみたく、見る見るうちに本来持っているあたたかさを取り戻していった。
男の子は快活に手を振ってくる。
「よう佐々木じゃん! お前、今頃帰りかよ」
「なんだ結城くんか……。そうだけど、何か用?」
「そ、そんなに冷たくすんなよな。お前だって黙ってりゃ、それなりにその……なんだ……」
今の結城くんは、明らかにいつもの態度とは違っていた。落ち込んでたと思ったら、嬉しそうな顔をして。普段なら、二言目にはからかいの文句を言ってくる癖に、今回は自棄に歯切れが悪い。仕舞には頬を赤らめて、まるで告白を躊躇う女子のような顔をしている。
「なら訊くけど、結城くんの家って、こっち方向だったっけ?」
「いや違う! あ、いや、そう。あれだよ、佐々木のことを待ってたんだよ。分かれよな」
「分からないわよ。面倒くさいな、私に何か用なの?」
結城くんは私と目を合わせないようにして、手を差し出してきた。
「なにこれ、握手?」
「そうだよ、握手してやるってんだから、とっとと握れよな!!」
「……なんで握手しないといけないの?」
結城くんの行動は、純粋に意味が理解できなかった。握手なら明日にでもすれば良いし、そもそも、なんで握手をしたがるのか検討も付かない。
考えている最中の私の手を、結城くんが無理やり引っ掴んだ。結城くんはこれで握手のつもりなのかも知れないけど、実際に握られているのは手ではなくて手首だった。
そしてパッと手が離れる。
「よし、これでもうお前に用はない。転ばないよう地面に注意して、馬鹿みたくして歩いて帰れー」
「はぁ? うっさいな! なんなのよっ!?」
私が怒鳴ったときには、結城くんは既に走って逃げていた。
私で面白がるにも程がある! 本当に、何がしたかったのか。男子ってのは良く分からないことばかりする!
私はなんとなく、トモちゃんが結城くんに鬼役をタッチしたことを思い出した。始めは、「トモちゃんも、結城くんより良い男子なんて沢山居たのに。よりにもよって結城くんにタッチなんかしたら、変な噂が出てきても知らないよ」という心配だったはずが、思考がどう巡ってしまったのか「結城くんは鬼役を移すために、私に握手でタッチしたのかな」という考えに刷り変わっていた。
「それって、私が好きってこと……なのかな!?」
考えを口にした瞬間、全身の毛が爆発したみたく逆立ったのを感じた。
「まさか……」
た、例えそうだったとしても、私は結城くんのことなんかこれっぽっちも好きじゃない。むしろ、嫌いよ嫌い、大っ嫌い! 私が驚いているのは、これが始めての体験だったってだけで、別に、結城くんにタッチされたことが嬉しいわけじゃない! うん。
出来るだけ結城くんのことを考えないようにしながら、私は止めていた足を動かし始めた。
落ちる夕日が水田に反射する殺風景な畦道を、私は肩を怒らせて進んでいく。
ふと、見渡す限り誰も居ないはずの畦道で、どこかからか強烈な視線を感じた。母が私を叱ったときに、背中を向けていても感じる妙な視線と似てる。背筋を撫でるような悪寒が、下へ上へと引っ切り無しに駆けている感じ。
きっと、鬼恋慕のことを頭のどこかで信じてしまっているから、こういう怖い思いをするんだろう。だとしたら、結城くんの今回私にした行いは、今までで最高に性質が悪い。
たしか、百の倍数人目の鬼役は、鬼に浚われる寸前で『鬼の手招き』という現象を体験するってどこかで聞いた。どうしてこう、怖いことを思い出すのか、私の頭は……全くもう。
帰宅して、お母さんとお父さんと一緒に晩ご飯を食べている時も、強烈な視線が消えることはなかった。
「食べるときくらい、少し落ち着いたらどうなの?」
と、お母さんに注意されること三回目。
自分でも馬鹿だと思えるくらい、部屋の隅々――特に部屋の角や暗い箇所――にキョロキョロと目を配らせていた。
言い訳をするなんて子供らしいけど、それでも思い切って鬼恋慕のことを二人に打ち明けた。「そんなの作り話に決まっているわよ」「馬鹿らしいぞ」と同時に笑い返された。
私は晩ご飯を食べ切るまで口を閉ざし、代わりに、二人のことを心の中で「酷い親だよ、全く!」と悪態を付け続けた。
「食べたらお風呂に入っちゃいなさいよ」
「う〜。お母さん、今日は一緒に入って」
「嫌よ、悪いけど私はもう入ったもの。そうだ! お父さんまだだったわね。たまにはお父さんと一緒に――」
「なら一人で入るよ」
思わず本心が口を衝いて出てしまった。
お母さんは、私が会話の途中を遮ったのが気に食わなかったみたいで、ムッと口を尖らせた。
「あなた、お父さんに失礼よ!? だったら早く入ってきなさい」
「う〜……」
それが不安がっている娘に言う言葉なの?
そういう私はまだ子供だけど、私がお母さんになって女の子を産んだら、絶対にもっと優しく接するもの!
「こら、早く入れとは言ったけど、お母さん走れとは言っていないわよ!?」
無視して脱衣所まで走って逃げ込んだ。
依然として、舐めるような視線を体中に感じる。出来れば、こんな状態でお風呂になんか入りたくないけど。これ以上お母さんを怒らせたら、後で大変だ。
「これも全部、結城くんのせい……」
裸になってお風呂場に入った。湯船から掬ったお湯を頭から被る。お湯を被っているその一瞬だけ、不思議と怖い気持ちが和らいだ。
私は何度も立て続けにお湯を被っていった。
何度目かの湯が体を打ったとき、私は次に湯を掬うはずだった桶を床に落としてしまった。
「ひやっ!?」
咄嗟に桶を拾おうとする手に、電流のようなものが駆け抜ける。私は反射的に延ばした手を引っ込めた。
一瞬だったから、電流かと思ったけど――どうも違うらしい。例えるならむしろ、真冬の雪を掴んで、そのあまりの冷たさに思わず雪を手放してしまう感覚に似ている。
私は不思議がって、手をお腹で抱えてみた。すると、氷のように冷たくなっている!?
今度はもう一方の手で桶に手を伸ばした。結果は同じ。一瞬だけ冷たい何かが手に触れて、そこから先の感覚はなくなってしまう。
両手とも腕は動くのだけど、風に浚われそうになる葉みたく、指先が震えてならない。
私は怖さと寒さで、風呂場を出てお母さんに助けを求めようと決めた。この際、どんな叱咤が待っていようと構いやしない!
幸い、扉は押すと真ん中が山形になって折れて開くタイプで、手を使う必要がなかった。足で押して扉を開いていく。グッと体重を込めて押し込んだところで、足の感覚がぷつりと途絶えた。
「うわああぁぁぁーーー!!」
私はまるで階段から足を踏み出したみたく、叫びながらバランスを崩して尻餅をついた。
『――逃がさないよ』
「えっ?」
誰かが私の耳元で親しげに囁いた。お父さんの声ともお母さんの声とも違う。
ザラついた手で頭を鷲掴みにされ、その恐怖で喉の奥が閉まっていく。
――まさかこれが『鬼の手招き』!?
『君は十三人目の僕の彼女だ』
やっぱり鬼なの!?
逃げなきゃ、逃げなきゃ!
でも体が動かない……。腕が、足が、指先が、別の生き物のようにワナワナと震えて、まるで使い物にならない!
「ちょっとー、大丈夫なの?」
お母さんの声だっ!?
それに、扉越しにお母さんの気配も感じる。
「後でお父さんも入るんだから、あんまりお湯使わないであげてよ?」
こっちだよお母さん! 助けに来て! さっき話した鬼が私のことを連れ浚おうとしているの!!
「――聞こえているのかしら……。ちゃんと後の人のことを考えて使うのよ、良いわね?」
嘘、お母さんの足音が遠ざかっていく。待ってよ。何時もは口うるさく注意するくせに、こういう時だけ簡単に済ませないでよ!
『残念だったね』
「ひっ!!」
私の感覚を消していく何かが、首や胸に触れていく。最後に残った頭にそれが触れたとき、私は意識を失ったんだと思う。
最初は真っ暗闇だった。
壁も敷居も足場も月も太陽もない、テレビで見た宇宙のような空間が徐々に視界に現れる。どうやら私は、この取り留めのない空間の中を漂っているようだ。
『――君は十三番目の僕の彼女だ』
またこの親しげな声。
でも聞こえてくるのはさっきみたく耳元からじゃなくて、もっと遠いようで近いような、捉えられない場所から聞こえてくてる。たぶん、頭の中で勝手に響いてるんだと思う。
私は奥歯を震わせながら言ってやった。
「私に彼氏なんていないよ。あんたなんか知らないもの!」
口にした言葉を、心の底で強く、強く繰り返す。
知らない――
知らない――
知らない!
『僕ら姿も性格も好きなモノやコトもお互い知らないけど、これから沢山知り合う時間はあるんだ。その間で、ゆっくり好き合っていけばいい』
「嫌だよ、嫌だ嫌だ嫌だっ! どうしてこんなことするの?」
『どうしてって……。誰かに好かれている君が羨ましいんだ。僕はここでしか、誰かと知り合えない、好き合えないから』
寂しさを紛らわすために、私は浚われたって言うの? そんな理由で誘拐されたって、私は何もしてあげられない。
「私なんかよりもっと良い人見つけてよ! 第一ここが嫌なら、違うところに行けばいいんじゃないの?」
『出れないんだ。みんなが僕を忘れてしまってから、僕はずっとここで一人ぼっち』
「なら私が忘れないから、絶対。だから、ここから出して……うぅ、お願い……」
『――泣いたって駄目だ。千二百八十七人の子供がそう言うから逃がしてきたけど、誰一人として約束を守らない。証拠に、僕の祠には誰も参拝しに来てくれてない』
「祠って……何の話? 私知らないよ」
『君は知らなくていいことだ。どう? そろそろ体の感覚が薄れてきたかな。完全に魂だけの存在になれば、君はもう一生僕の彼女さ』
「帰して、お母さんが心配してる! お母さんの所に帰してよ」
『元居た世界での君は、端から存在していなかったことになっている。だから、お母さんが風呂場で君を見つけることもなければ、見つからないからって心配がることもないんだ。お母さんのことは安心してくれていい』
「うぅわあぁぁぁん! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ! お母さんに会いたい! どうして私がこんな目に遭うの!? それもこれも全て、私にタッチした結城くんのせいじゃないっ!」
これからはちゃんと親孝行するから。ご飯は静かに食べるし、お風呂のお湯だって我慢するから。お家に帰りたい……
『――待って。誰か来た。こんな朝早くの山に、子供が一人で何をしているんだ? ここには僕の祠しかないのに』
「誰か? 誰だっていい! お願い、何でもいいから鬼の祠に参拝してあげてっ!!」
『そんな……やっと、やっと僕は解放されるんだね。これで僕は――』
釈然としない意識の中で、私が最後に聞いた鬼の声は、小さく震えてはいたけれど、たしかに希望に満ち足りた少年の喜びの声だった。
先にも後にも嘘みたいな話。
次に私が目を開いた時、私は林の中で呆然と突っ立って居た。
乱雑に生え伸びた木々の間に、山吹色の夕暮れが縫うようにして地面をゆらゆらと照らしている。
此処はどこぞの山の中らしく、緩やからな勾配がずっと続いて見える。景色の一枠から、まるで大地と木と茜空に縁取られたかのような美しい町並みが見下ろせた。それは初めての光景で、親しみを感じる風景で。米粒のように小さく見えるけれど、中でも一際大きい建造物に、私は目をつけた。
「ここは……。あれは、深津小学校? ってことは、位置的にここは深津山!? そういえば、どうして私はここに居るんだろ」
何か、壮大な夢物語を見ていた気がする。でも、本当に全部夢だったのかな? にしては、この状況は判然としないけど。
ふと近くに、首から上がもげて、下半身が土草に侵されている像が一つ。それと、そんなみすぼらしい像に泣いて縋る結城くんの後ろ姿があった。
「俺、何か大切なものを失くした気がするんだ。ここでお願いすれば分かるって……父さんが言ってた。お前、昔はめちゃくちゃ偉い神様だったんだろ!? 何か知っているんなら教えてくれよ〜」
「あ、あのー……ゆうき――ひゃっ?」
結城くんの名前を風が遮った。その風は微風だったけれど、自分が風呂場の姿のまま――裸のままであることを気付かせるには、十分な風力だった。
もはや私が見付かるのは時間の問題だ。
私は結城くんに見付かるよりも早く、そそくさと木の陰に身を隠した。
顔だけひょっこり出して結城くんを覗くと、計らったみたくに目が合った。
「なっ!? 誰……お前!? どっかで見たことある!! あーくそ、喉元のところまで出てきてるのに、名前が出てこねぇや」
「結城くん、私のこと忘れちゃったの?」
どうやら、さっき体験した出来事は夢じゃないみたいだ。存在までは消えなかったけど、みんなの記憶からは消えてしまったんだ。どうせ私のことなんて、お母さんもお父さんも思い出してくれないんだ。誰も私のことなんて――
「佐々木……。お前、もしかして佐々木か!?」
「そう……っ! 思い出してくれたの!?」
「思い出すも何も、ずっと同じクラスだろ? お前、馬鹿になっちまったのか?」
「馬鹿っ!? ……馬鹿、なのかも」
馬鹿とは何よ! と言い返したかったけど、出来なかった。私も結城くんと同じくらい馬鹿な人間だ。意地を張ったり、悔やんだり、絶望したり、かと思ったら喜んでみたり。
「結城くん?」
「佐々木のくせに、なんだよ」
結城くんの、誇らしげに胸を張りつつも涙で汚い顔がなによりも、馬鹿らしくて。面白くて。こういう馬鹿なら、たまには付き合ってあげてもいいかも知れない。
「助けてくれて、ありがと……」
「ばっ、馬鹿野郎、とっとと帰っぞ!?」
「これで鬼恋慕の話は終わりじゃ。どうじゃった、詩織」
素敵な話しだった。私は堪らず、暖まった堀コタツの中で足をバタ付かせている。たまに勢い余って堀コタツの壁に踵がぶつかって、部屋中に大きな音を響かせる。その度に、話の途中から加わったお母さんに睨まれ、たじたじ。
「今までで一番、面白かった! それ、お婆ちゃんが考えたの?」
「うふふ。気に召してもらえたようじゃ良かった。あたしゃ、もう眠いから寝からせておくれ」
「うん……それじゃ、明日になったらまた聞いてもいい?」
「明日になったらね。詩織も疲れているだろう? 早く寝ちゃいなさい。悪い子は鬼に食べられてしまうのよ」
お婆ちゃんは冗談っぽく笑って言った。
「お婆ちゃんったら、私だって子供じゃないよ? 鬼なんか信じないもん」
「あたしゃも、鬼さんに出会うまではそう思っていたもんさ。んーじゃ、二人ともお休み」
お婆ちゃんはすっかり軽くなったお盆を持って、どこかへ行ってしまった。
お婆ちゃんにし損ねた質問を、代わりに、お母さんにしてみる。
「ねぇお母さん。お婆ちゃんって、鬼に会ったことがあるのかな?」
「さあねー。実はさっきの話、私も詩織くらいの頃に聞かされたことがあるわ。まさか、ここでもう一回聞けるとは思わなかったけど」
それってつまり! ……どっちなんだろ。鬼に会ったことあるのかな。
「本当のことは私にも分からないけど、お婆ちゃんが言うには、実体験だそうよ。詩織はどう思った?」
「うーん。お婆ちゃんがお話してるとき、ずーっと昔を思い出してるみたいだった。だから、本当なのかも」
お母さんは私の答えに満足気に頷いた。
どうやら、お母さんは鬼恋慕の話を信じているみたいだ。
「そう、信じるのね。だったら良いこと教えてあげる」
「良いこと! 何なに!?」
全くこの子は……、とお母さんは呆れたけど、直ぐに元の顔に戻る。
「話に出てきていた結城くんって男の子が居たでしょ。それね、私のお父さん――つまり、詩織からしたら死んじゃったお爺ちゃんのことなのよ?」
「お爺ちゃん!? 嘘! じゃあ私、あの結城くんの血を受け継いでるってこと?」
「えぇまあ、少しくらいは受け継いでいるかもね。もっとも、鬼の出てくるさっきの話を信じるのなら、になるけど」
「じゃあ私、鬼に食べられちゃわないよう、早く寝て良い子にしてないと」
「それも良いけど、その前にお風呂に入っちゃいなさいよ? 散々車の中ではしゃいでたんだから……」
言われるとは思っていたけど、実際に指摘されると、物凄く億劫に思えてくる。ただでさえ、一段落して眠くなっている時なのに。このまま掘りコタツで寝ずに、布団の場所まで移動しようと考えている私を、まずは誉めて欲しいくらいだ。
「えぇー、いいよ今日は。なんだか疲れたし。それにほらっ! お風呂の途中で鬼が出て来て私が居なくなったら、お母さんだって困るでしょ!?」
お母さんの顔に一瞬だけ、鬼が宿ったように見えた。
「ぐだぐだ言わないのっ。お風呂に入ってもずっと出てこなかったら、そしたら心配してあげるから」
「うぅ。あんな話を聞いた後だから、お風呂怖い〜。お母さん……」
お母さんは小さくため息をつくと、情けない声で立ち上がった。
「――もうったく、仕方ない子ね。一緒に入れば良いんでしょ? ま、お母さんも早めにお風呂入って布団でぐっすり寝たいしね」
私はそれを聞いて急いで掘りコタツの電源を切り、お母さんに負けじと立ち上がった。
「やった!」
終わり。
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2011/02/17(Thu)03:03:13 公開 / 一日君
■この作品の著作権は一日君さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
初めまして、一日君と申します。
A型の臆病者なので、投稿ボタンを押すのに冷や汗を掻きました……
ジャンルは何が適切なのか、作品説明は何を書くべきか(他の人の作品説明を観察して、書かなくても大丈夫そうなので、結局省くことに)、作品本文入力に本文をコピペしてから読み返すこと三回とちょっと。
もっと自分の行動に自信を持ちたいです。
考えた挙句に変な自己紹介になってしまいました。それはさておき……
何か感想やご指摘がありましたら、どうぞよろしくお願いします。
2月17日 追記
言われたことを自分なりに注意して、書き直しをしてみました。
ですが、正直、ちゃんと直せている自信はあまりないのが本音です……すみません。自分なりに精一杯頑張ったつもりです。