- 『彼女が携帯を持たない理由』 作者:高岡アキラ / リアル・現代 未分類
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原稿用紙約17.2枚
西川香織は、学校で唯一携帯を持っていない女子高生。 ちょっと田舎の高校の、彼女とあたしの物語。
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「携帯電話を持っていると、電波と一緒に魂が飛んでいってしまう気がするの」
うちの高校でおそらく唯一の、携帯電話を持っていない女子高生西川香織は、なぜ携帯を持たないのかというあたしの問いかけにこう答えた。略さずに携帯電話というところも、彼女らしいといえば彼女らしい。からかわれているのかもしれない。でも、笑顔の彼女の瞳の奥は、真剣そのものであるように思えた。
2年になって同じクラスになって以来、彼女のことはずっと気になっていた。日本人の携帯所持率はいまや2人に1人。高校生なら誰もが持っている携帯を持っていない彼女を、皆が噂していたのだ。貧乏だから携帯が買えないんじゃないのか、なんてからかう馬鹿な男子もいるけれど、あたしが思うに彼女は多分いいとこのお嬢様ってやつだ。彼女の鞄もハンカチも、決して派手なブランド物ではない。だけどどこか品のいい物ばかりだ。それに、いつもいい匂いを漂わせているあのさらさらのロングヘアには、きっと高級なトリートメントが使われている。
もしかしたら親御さんが厳しくて、携帯を持つことを禁止されているのかもしれないとも思っていた。成績もいい彼女が、こんな陳家な公立高校にいるのが不思議なぐらいなのだ。
うちの高校の制服は、子供っぽいと不評な白襟のセーラーに白ソックス。あたしにはお似合いだけど、正直彼女には似合っていない。
どこか話しかけにくい空気を醸し出している彼女と話すきっかけになったのは、5月になってからの席替えだった。くじ引きの結果窓際後ろから2番目という最高の席をゲットしたあたしの隣は、西川さんその人だった。その日は朝の占いでおひつじ座が1位だった。「気になる人と近づけるチャンス」と書かれていたし、番組ADが考えていると噂のあの占いは、案外当たるのかもしれない。
以来あたしは少しずつ彼女との接触を試みた。クラスでも決して目立つ存在ではない彼女。休み時間も、一人本を読んだり何かを描いたりしていることが多かった。読んでいるのはヘッセやニーチェなんていう、聞いたことはあるけれどあたしには縁のない作家の作品ばかり。彼女が鉛筆一本で描いているものの正体も気になっていたのだけれど、覗き込むのは無作法な気がして、気が引けていた。
「今日は天気がいいね」「西川さんはどこの中学? 」最初は他愛もない話から。少しずつ彼女と仲良くなろうと、それこそ恋愛シュミレーションゲームでもやっているかのように、あたしは彼女に声をかけ続けた。
彼女はもともとこの町の出身だけど、お父さんの仕事の都合で、小中時代をこことは違う、大きな街で過ごしていたらしい。彼女の醸し出す雰囲気は、都会で暮らしていたからこそのものなのかもしれない。
ただのクラスメイトから、徐々に友達と呼べる存在になっていく。その過程は結構好きだ。「おはよう」と彼女から声をかけてくれるようになり、本当に恋が実ったかのような気分だった。もちろんあたしが好きなのは男の子だけれど、西川さんへの気持ちは、なんだか恋に似ていると思う。
彼女に携帯のことを聞いたのは、席替えから一週間と少しがたったころ。ろくに話したこともないのに聞いても、本当のことを答えてくれないのではないかとそれまで我慢していた。すると返ってきたのはあの返事。あたしは何も言い返せなくて、微笑む彼女の顔をただ眺めていた。
いつもはあたしにとっての睡眠時間と化している古典の授業中、クラスのみんなを観察してみる。後ろから二番目のこの席は、観察するのにぴったりだ。
うちの学校は校則がゆるく、携帯の持ち込みも禁止されていない。とはいえ授業中に使うのはもちろんご法度なわけだけど、ざっと確認できるだけでも40人弱のクラスのうち5,6人は携帯をいじっているようだ。さっきはバイブの音が聞こえていた。注意するのも面倒くさくて、先生はお決まりの聞こえていないふり。大音量で流行の着メロが流れたって、きっと先生の反応は同じだ。メール、ゲーム、インターネット、それにワンセグテレビ。文明の発達は本当にすごい。あたしには扱いきれないほど機能の多い携帯で、皆何をしているのだろう。
廊下側前から6番目の席は、サッカー部の川口。あれは絶対ワンセグでサッカーの試合を見ている。授業中だというのにあいつのリアクションはいつも通りオーバーで、贔屓のチームが勝っているのか負けているのかもすぐわかる。どうやら今日は好調らしい。
川口の斜め後ろの席の木村さんは、なんと携帯を見ながら涙を流している。そういえば携帯小説にはまっているって言っていたっけ。泣いているってことは、おそらくようやく好きな人と結ばれた主人公に不治の病が見つかったのだろう。
読んだことはないけれど、携帯小説はそんな話ばかりだって誰かが言っていた。
こうしてみてみると、学生の本分である勉強をすべき授業中だというのに携帯をいじっている彼らの魂は、確かにここにはないように思えてくる。教科書を読む先生の声は、彼らにとってBGM以下の存在だ。彼らの魂は、西川さんの言うように電波と一緒に飛んでいっているのかもしれない。
飛んでいくあてもなくクラスを観察しているあたしの魂は、幽霊みたいに教室の中を漂っているのだろうか。
だとしたら、日本中ほとんどの高校生がむざむざと飛ばしている魂ってやつを、彼女はどこに注ぎ込んでいるんだろう。
あたしの隣で授業を受ける彼女は、あたしには暗号でしかない紫式部の文学をきちんと理解し、楽しむ余裕すら持ち合わせているようだった。
先生だってこんなクラスのことは放り出して、真剣に聞いている彼女だけのために授業をしたほうがよっぽど効率的で仕事にも身が入ることだろう。教師ってやつも不毛な職業だ。
「香織は、いつも何を描いてるの? 」
いつの間にか下の名前で呼び合うようになった私たち。彼女は少し戸惑った後、優しく微笑んでスケッチブックを手渡してくれた。照れている様子もあって、なんだかかわいい。
彼女が描いていたのは窓から見える景色だった。いつも体育をしている校庭や、空を飛び交う鳥達や、新緑の季節に生い茂る木々。ずっと気になっていた彼女の絵を見られた時、宝物を見つけたような気分だった。白い紙に黒い鉛筆で書かれただけのはずのその絵は、私には色とりどりに、生き生きとして見えた。
「この学校から見える景色が好きなの」
と、彼女は言った。
「私はコンクリートばかりのところよりも、こういう緑の多いところのほうが合っているみたい」
今度は歯をみせて、さっきとは違う笑顔を見せてくれた。無表情だと思っていた人でも、親しくなれば様々な表情を見せてくれる。表情豊かなほうが、やっぱり人は魅力的だ。
うちの学校の周りは、確かに緑が多い。学校を一歩出れば、山も川もすぐそこなのだ。夏になれば、学校の前の川に足をつけてアイスを食べるのが恒例行事。裏手の山には私が小学生の時つくった秘密基地の残骸が今でも残っていると思う。
彼女の絵からは、本当にこの町が、この学校が好きなのだという思いが伝わって来た。それは見慣れた、何の変哲もない景色。それでも彼女が描くと、すごく特別なもののように思える。私が16年間住み続けているこの田舎町を、彼女が気に入ってくれていることがうれしかった。都会への憧れもあるけれど、私もこの町が好きだから。
「部活、やってないの? 」
美術部に入っていると教えてくれた彼女が私に聞いてきた。
「一応入ってるんだけど……ほとんど参加してないっていうか……」
髪をいじりながら語尾を濁した私の心情を察してくれたようで、それ以上部活について聞いてはこなかった。
私は、運動嫌いな上に音楽センスも絵心もない。特にやりたいことも見付からなくて、普段は閉鎖されて入れない屋上に入れるからという不純な動機で入部した、幽霊天文部員なのだ。あの絵を見る限り、熱心に部活をやっているであろう彼女には言いにくい。
「美術部に見学にいけないかな? 香織の絵がもっと見てみたい」
思い切って聞いてみた。今日は天文部もたしか活動日だけれど、どうせいつも行っていないのだからどっちだっていい。
「見学は大丈夫だと思うけど、私の絵を見るよりも絵を描きにおいでよ」
いたずらっこのような笑顔を見せる彼女。私はその笑顔につられて、絵など描けないのに、思わずうなずいてしまった。
がんばっているのは先生たちだけの退屈な授業が終わり、来る授業後、美術を選択していない私は、初めてこの学校の美術室に来た。普段使っているのとは別の棟の、3階突き当たりにそれはあった。扉を開ける前から、そこは特有の空気を放っていた。扉の前には古い棚があり、生徒たちの作品が無造作に並べられている。扉自体もなんだか古めかしくて、教室のものとは違っていた。
絵の具の匂いなのか石膏の匂いなのか、そこには美術室特有の匂いがあって、同じ学校の中なのに、クラスとは違う世界みたいだ。
匂いは五感の中で一番記憶を呼び起こすと聞いたことがある。私は、中学時代を思い出していた。
うちの中学の美術の先生は、いつも美術室にこもって作品作りに打ち込む、若くて素敵な男の先生だった。私はその先生に憧れて、昼休みになると用もないのに美術室に入り浸っていた。先生が作っているもののよさは正直さっぱりわからなかったけれど、真剣に作業をする先生の横顔が好きだった。
彼女はいつもこの匂いの中で、たくさんの絵と、たくさんの思い出を作ってきたのだろう。あのときの先生のような顔をして。
中では数人の美術部員らしき人たちが絵を描いていた。自分の作業に集中しているのか、私たちが中に入っても、誰もこちらを見ることはなかった。それぞれがそれぞれの世界に入り込んでいるのだと教えてくれた。絵を描いているときはほとんど会話をしないという。
彼女はそれぐらい平気だといったけれど、私は彼らの集中を崩さないようにできるだけ物音を立てないように動いた。彼女は描きかけの絵を見せてくれるという。
彼女が描いていた絵は、一面が綺麗なピンク色。
それは、学校の前を流れる川の両側に植えられた、沢山の桜。絵の中央に流れる川は散った花びらで埋め尽くされ、その絵は本当に、ほとんど全体がピンク色だった。
「ソメイヨシノの寿命は60年って言われているの」
絵に圧倒されているあたしの横で、絵を見つめながら彼女は言う。
「あの川原に植えられたソメイヨシノは、今からちょうど60年前に、地域の人たちの手で一斉に植えられたものなんだって。だからね、あの沢山の桜は、もう何年かしたら一斉に枯れて、見られなくなってしまうかもしれないの」
そこまで言って、彼女があたしのほうを向いた。驚いている私を、とても悲しそうに、だけどとても意志の強い目で見ている。
「それを聞いたとき、どうしても桜の絵を描きたいって思ったの」
あの桜がなくなってしまうだなんて、考えたこともなかった。小さい頃から、桜が咲くあの川は、あたしの遊び場だった。わざわざ見ようとも思わないほどに、桜の並んだ景色は、当たり前のものだった。
あたしにあの桜との思い出が沢山あるように、彼女にも幼い頃の思い出があるのだろう。だからこそ、彼女は桜を描いているんだ。桜の花びら一枚一枚を描く彼女の姿が目に浮かぶ。きっと彼女の顔は真剣で、絵を愛しそうに見つめているんだろう。
そこで唐突に、確信を持って気づいたことがある。皆が携帯の電波に乗せて飛ばしている魂ってやつ。それが本当にあるとすれば、彼女の魂は、彼女の絵のなかに注ぎ込まれているんだ。あぁ、なんて、羨ましいんだろう。
今覚えば、あたしが中学時代美術の先生に憧れていたのは、先生が夢中になって作品をつくっていたからだ。そう、魂を込めて。部活も勉強も中途半端だったあたしは、真剣に打ち込めるものを持っている先生に、だから、惹かれた。自分もこんな風になにかに夢中になりたいと、どこかで思っていたんだ。
彼女に惹かれたのも同じ理由だったんだ。どこか皆と違う空気を醸し出している彼女が、自分の世界を、自分だけが打ち込める何かを持っていることは、何となく分かっていた。同い年の、同じ学校に通うクラスメイトなのに、彼女にはあって、あたしにはない。あたしにもいつか、こんな風に打ち込めるものが、魂を込められるものができるだろうか。
高校生になれば、何か見付かるのではないかと思っていたような気もする。そんな高校生活も1年以上が過ぎた。受験勉強という、形だけでも打ち込むもののあった中学時代と比べても、今のあたしには本当に何もないのだ。目を輝かせてサッカーの話をする川口にも、携帯小説に夢中になって泣くことのできる木村さんにも、どこかで嫉妬していたんだろうか。
知らぬ間に、涙が流れていたらしい。彼女は驚いた顔であたしを見て、心配そうにしている。
「絵に感動しちゃった」
涙を拭って、笑ってごまかした。
「ねえ、香織。明日、部活抜けられる?」
彼女がこの学校から見える景色が好きだと言ったときから、あたしは彼女を連れて行きたいところがあった。
この学校で一番景色のいい所。屋上だ。
家に帰ると、何年かぶりにてるてる坊主をつくった。顔を描いて、やっぱり自分には絵のセンスがないなと、思わず苦笑する。彼女に顔を描いてもらったほうが、効果があったかもしれない。
翌日。絵に描いたような晴天。あたしの作った変な顔のてるてる坊主も、なんとか役目を果たしてくれたみたいだ。
いつも以上に身が入らないまま、1日の授業が終わった。昼休みに、部長から屋上の鍵は入手済みである。あたしは完全に幽霊部員で他の部員には相手にされていない。だけど部長は、アイドルの生写真を差し入れに持っていけば、授業のノートでも屋上の鍵でも、なんでも貸してくれるいいやつなのだ。最近彼の好きなアイドルが一気に知名度を上げ始め、写真が手に入りやすくなったのには本当に助かっている。
今日は天文部は休みの日。あたしと彼女で、屋上を占領できる。
天文部とは違い毎日部活があるという美術部を今日だけ休んでもらって、彼女を連れ出した。とはいえ彼女はスケッチブックと鉛筆を持ってきているから、美術部の活動とも言えるのかもしれない。
コンクリートで出来た学校の階段を駆け上がる。こんなに興奮しているのは、初めて屋上に上がるとき以来だ。彼女は屋上からの景色を見て、どんな絵を描くのだろう。
扉を開けて屋上に出る。
「わぁ……」
いつもより近くに見える青い空。後ろから彼女の声がする。学校より高い建物のないこの辺りでは、屋上から見る空は広く果てしない。大きな空を見ていると、自分はなんてちっぽけなんだと思えてくる。
彼女は早速スケッチブックを広げている。私にもいつか、あんな風に熱中できる物が見つかるといい。高校生活は短くて、きっとあっという間に終わってしまうだろう。
だけど焦ることはない。高校を卒業しても、たとえあのソメイヨシノが枯れてしまっても、この空は広がっている。
彼女の描きかけの絵を覗き込む。
そこには鉛筆1本で描かれた、大きな空と流れる雲。そして、笑顔のあたし。
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2011/01/22(Sat)16:49:48 公開 / 高岡アキラ
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■作者からのメッセージ
「携帯をもっていると魂が飛んでいく」と実際に言った方がいて,そこから広げて作った話です。
自分も感じていたもやもやした気持ちを書けたらなと思ったのですが,なかなか難しいです。