- 『音感カプリチオ(修正版)』 作者:風丘六花 / ショート*2 リアル・現代
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原稿用紙約10枚
「耳に入るメロディが、全部ドレミで聞こえるのってどんな気分なんだろ」
窓から橙が覗く、夕方の音楽室。囲んだグランドピアノ、ふいのつぶやきは隣から。
聞こえてそっちを向いたら、「ちょっと気になって」と目を伏せて笑われた。私は肩を竦める。こいつと一緒に居て、いつの間にかうつっていたしぐさ。
「どんなって言われても、わかんないよ。それが普通なんだもん」
「だよなあ」
予想通り、と倉本も肩を竦める。私が真似したしぐさのはずなのに、なんだか真似された気分。視線は手元に落として、ちょっとむっとしてみせれば、気付かれたのか。倉本は肩をすとんと落として、宙ぶらりんになった右手をピアノの縁に。
わかってたならどうして聞いたの、と。一度は声に出そうとしたけど、やめた。きっとこいつだって、意味があって聞いたわけじゃないんだろうから。
困ったように眉を寄せて、小さく笑う姿が絵になるのに、またちょっとだけむかむか。なんだって、こいつに。
なんとなく悔しくなったから、ちょっとだけ反抗。いつもいつも同じ質問ばっかりされる、私の身にもなってみればいい。なんて、それはほんの小さな八つ当たり。
「そんなこと言ったらさ、私は倉本には音がどう聞こえてるのか知りたいよ。この音が」
ぽーん。右手の人差し指で、ちょうど触れた鍵盤を弾く。指を滑るなめらかな感触から、間延びした単音。
「――“ミ”だってわからない、倉本の世界をみてみたい」
目を落とした白と黒、指は確かにその上にあった。間違えるわけはないけれど、ちょっと安心。
倉本に目をやれば、やつは少しだけ目を丸くしていた。さすがにこの切り返しは予想していなかっただろう。ちょっと、勝った気分。なにが負けだかはよくわからないけど。
倉本は、ひとつ溜息。それから、「降参」とばかりに両手をあげて首を横に振る。そんな大袈裟なジェスチャーさえ、自然に思えるところに腹が立つ。射し込む陽の光は、赤く長く。
「俺が悪かったよ、答えらんねえ。俺は、こうじゃない世界なんて知らない」
「でしょ? 私だって、音がドレミで聞こえない世界を知らないもの」
ぽん、ぽん、ぽん。高くしたままの椅子に座って、付かない足をぶらぶら。片手だけ、適当に鍵盤を叩く。放課後夕暮れ、音楽室のグランドピアノを二人で占領して、なんて。どんな青春ドラマ。
それなのに、甘い雰囲気の欠片もないのが惜しまれる。まぁ、倉本相手じゃ仕方ない。ピアノと私と倉本と、残ったのは広い広い空間。まっすぐ飛んで、あちこち跳ね返って響く音。ぽん、ぽん、ぽーん。
「なんか、曲弾いてよ」
「やだ。倉本の前でピアノ弾きたくない」
「なんで」
「やだったら、やだ」
倉本サイズのピアノの椅子は、私がずっと占領して、そんなわがまま。それはもう、ちょっとした意地。何回も繰り返したやりとり。ここに二人でいるのも何度目だけど、私の指は意味の無い音しか紡がない。白鍵の上で、跳ねる。なんの理由もないスタッカート。ぽんぽんぽん、ぽーんぽん。ドレミファソラシド、ドシラソファミレド。
「ピアノ、上手いんだろ。コンクールで賞とか獲りまくってるって聞いた。有名だって」
「だって、昔からやってるもん」
「何でやなんだよ」
「ピアノ、好きじゃないから」
嘘。嘘でもないけど、近い。倉本は案の定目を丸くした。「初耳だ」とピアノの縁にかけた右手に、力を込める。
「好きじゃねえのに、上手いの?」
「ピアノしか、出来ないから」
「……ふうん」
腑に落ちないような声を出してから、「代わってよ」と倉本が私に言う。だから、席を退いた。さっきまで倉本が居た位置に立てば、今度は倉本が椅子に座る。私と違って、足はしっかり地面に付いた。ピアノにかける両手。長い指、大きな手。メロディが、広がる。
倉本のピアノが好き。上手いとか下手でいったら、そんなに上手くはない。それは確か。だけど、私はこの音が好き。決して上手くない一個いっこの音が集まってつくる音の世界が、びっくりするほどひとつだから。つながったまま、橙の光に融ける。触れたピアノ、指先にかすかに伝わる振動。
音がわかってしまうのは、昔からだった。いつからなんて覚えてない。ただ、幼稚園の時に聞こえる音に名前を付けられてから、音といえばそれだった。全て単音の集まりで、メロディは細かく分割されて頭の中に入ってくる。それが普通。どんな優雅な曲でも、流れるようなメロディでも、いつもばらばらだった。
それなのに、どうしてだろう。どうして倉本なのかはわからないけれど、倉本の音だけはなんだか違う。音じゃなくて、完全なメロディ。「音」を感じさせない連続性が確かにあって、それがどうしてなのかはよくわからない。けど、倉本の奏でる繋がった音が好き。
もしかしたら、それは倉本には音がわからないからなのかもしれない。こいつは、びっくりするほど音感がない。よく、そんなで音楽やれるなぁ、と思ってしまうほどには。でも、きっとだからなのだろう。音を名前で区切ることが知らない倉本だから、こんな。
「なぁ、笹原」
メロディの途中に、倉本の声が顔を出す。「なに」と聞けば、倉本は鍵盤から両手を同時に離した。急にしぼむ音、わずかな余韻も倉本の右足が踏み消した。
「絶対音感って、便利?」
どうして、今日はこんなにも唐突なんだろう。わざわざ、弾いてた曲を途中で切ってまで。
「便利だよ。……でも」
一度聞けば曲は弾ける。音楽をやっているなら、誰もが欲しがるものなのだろうとは思うし、わかってる。それに、現に利用もしている。確かに便利だ。でも、だけれど。
「私はほしくなかったし、嫌い」
倉本は、今度は目を丸くはしなかった。そうか、とただ呟くだけ。視線は手元、ちょっと触れた鍵盤。このわかった風なのがやっぱり腹が立つ。
「だって、これに人生決められちゃったみたいで、悔しい」
理由は聞かれなかったのに、私は喋っていた。勝手な自己満足、だけれど言葉にしたかった。絶対音感なんて嫌い、ピアノなんて嫌い。望んで持ったものでも始めたものでもないのに、気が付いたら自分の一部だった。一部どころじゃなくてほとんど全てだった。ピアノが得意なのが、私。
それが、悔しい。
「それでも、やめねえの?」
「やめないよ。だって、私だもん」
だから、倉本の前でピアノを弾くのは嫌。倉本は本当にほんとうにピアノが好きだから、音楽が好きで好きで大好きだから。そんな、ピアノが好きな倉本が弾くピアノが好き。だから、邪魔したくない。雑音なんか、入れたくない。
私の音は、気持ちのこもらない模範解答。楽譜通りに弾いて、楽譜通りの感情表現。そんなもの、倉本に聞かせたくない。こんな音が素晴らしいと思ってほしくない。素晴らしいのは、私の音じゃなくていつだって倉本のものでいい。
「倉本、弾いてよ。倉本のピアノが聞きたい」
「俺だって、笹原のピアノ聞きたいんだけど」
「やだよ。今は、弾いてあげない」
そう言って、笑ってみせる。このタイミングで倉本は一瞬、目を見開いた。だけど、すぐに顔を伏せて、それからやつも笑う。「今はってなんだよ」と、笑いながら聞いてくる。
「そうだなあ、じゃあ」
「お?」
こっちに乗り出してくる体、このきらきらした目がどうにも。なにを期待してるんだか、なんて。自然と笑えてくる。こんな、図体してる癖に。本当に、こいつには腹が立つ。
「私が倉本のこと好きになったら、倉本にセレナード弾いてあげるね」
一瞬、空白の時間。倉本はまた目を丸くして、それから盛大に笑い出す。「意味わかんねえ!」と大笑いして、思わず拳が鍵盤を叩く。ぽろろーん、ぽん。それが聞こえてもまだ、倉本は笑っていた。
本心だよ、と言ったらこいつはどんな顔をするだろうか。なんて。でも本当だと思う。倉本のことが好きになったら、きっと私はピアノが好きになる。だって、ねえ? ――まあ、そんなことがあるなんて保証ないけれど。
「要するに、一生聞かせねえ、ってこと?」
残念。と倉本は呟いた。広い両手が一オクターブと二つ、一気に叩く。滑らかに、流れ出す両手とメロディ。やっぱり好きだなぁ、と。思ったのは、今はこのメロディにだけ。
夜が近づく放課後の音楽室、グランドピアノを囲んで二人。この音を独り占めできる私は、本当に幸せ者だ。
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2011/01/03(Mon)03:04:51 公開 / 風丘六花
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■作者からのメッセージ
こんにちは、風丘六花です。
初めてお邪魔させていただいてから、そういえば重い話しか書いていなかった気がするので、今度は軽い話を、と。
「等身大」を目指しました。
同い年くらいの子を書くのは一番難しいです……。
私は音楽に関しては無知(特に演奏する方)なので、音楽についての表現はかなり危ういと思います。
その辺りもあわせて、ご指導いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
[01/03]
加筆修正いたしました。
ちょっとカメラワークを引いた描写を増やしてみたつもりです。
冬休みの課題が終わりません。もといやってません。