- 『魔の時代(第一章)』 作者:白たんぽぽ / 異世界 ファンタジー
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人間界には人と魔族の二種族がいた。しかし、この時代魔族は人から虐げられ、ひっそりと暮らしていた。そんな生活も、魔王が降臨したことで変わってしまったのだった。
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第一章『旅立ち』
日が暮れ、空が暗くなっていた頃、小高い丘の上でイアンは弓矢を構えた。そこから見える洞窟の傍に、ガーゴイルがいた。
「まだ、こっちには気付いていないな」
イアンは、遠くから今回のターゲットであるガーゴイルを観察していた。ガーゴイルは辺りを見まわし、警戒姿勢をとっていた。こっちの場所は気づかれていないが、狙われていることには気づいているらしい。
チャンスは一度しかないだろう。外せば逃げるか、こっちに襲ってくることになる。やつが背中を見せたときに、一気に射抜いてやる。イアンは弓を構えながらそんな風に考えた。深呼吸して、気を沈める。だんだんと呼吸が落ち着いていき、彼は覚悟を決めた。
「今だ」
弦から手を離す。矢が風の加護を受けながら、一直線にガーゴイルに向かっていく。それがガーゴイルにもう少しのところまで近づいたとき、ガーゴイルがこっちを見た。
気づかれた。
ガーゴイルは、風の力を使って矢を弾き返した。やつも風使いのようだった。
ガーゴイルは、矢の驚異を排した後、確かにこっちを見て、ニタリ、と笑った。
そして、すさまじい勢いでこっちへ飛んでやってきた。恐ろしいほどの速さだった。
「くそ、速すぎるぞ」
弓矢をそこに置き捨て、急いでその場から離れながら、腰の剣を抜く。こちらを襲ってきたからには、もう斬り殺すしかあるまい。
目の前に現れたガーゴイルに剣を向け、イアンは気合を入れた。
遠い昔、この世界、人間界には人と魔族が共存していた。その頃、人間界と魔界の扉が開いており、魔界から漏れでた魔物の進行を防ぐため、人は魔族の力を借りていた。
魔族は、魔術とよばれる力を行使することができ、また、人も聖術を使うことができた。魔術は、主に破壊する力であり、聖術は、浄化の力であった。
魔物に効果的であったのは、この攻撃的な魔術の方だったため、魔族は魔物退治に重宝されることとなった。聖術は、基本守りの力であり、それゆえに何かを打ち滅ぼす、ということには向かない力であった。この攻撃的な魔術を使える魔族の協力により、多くの凶暴な魔物を除くことができた。
しかし、そんな歴史もその扉が閉ざされたのを境にして、変わってしまった。人は魔物の驚異が減ったとみるや、次の驚異は魔族と認定したらしい。歴史上では、先に魔族が人に戦争をふっかけてきた、とされているが、これは人側の歴史なので本当なのかはわからない。
この大規模な戦争は、魔族の大敗という結果に終わった。それにより魔族は、その生息圏を追われることとなり、小さな集落を形成して細々と暮らすようになった。
しかし、その戦争で捕虜とされた者の多は、家族を人質にとられて、そのままその国に仕えさせられて働かされることとなった。
国に仕えた魔族は、魔兵士、と呼ばれ、彼ら彼女らは様々な伝説を残すほどの働きを見せ、そして勇者とよばれるまでになった者も大勢いた。
しかし、そんな力を持った者たちだからこそ、反旗を翻し、王国の再興を果たそうとしたことも歴史に記されている。だが、そのたびに教会の聖術師達によって手痛く葬り去られ、粛清を加えられる結果となった。基本的な戦力の数が違ったことと、また、それをみこした対魔族用の聖術が多く城に施されていることが、敗北の原因だった。人は魔族に容赦しなかった。守りにおいてこそ、教会の力が遺憾なく発揮されたのだった。
そして、今日まで、王国の復興どころか、魔族は衰退の一途を辿るばかりであった。
そんなときに、魔王と呼ばれる存在が降臨した。
「行商人から聞いたんだが、どうも、東のミズリー国が滅びたらしいぜ。良い気味だな、俺たちをこんな境遇に追いやった罰があたったんだ」
浅黒い肌をして大きくとんがった耳をした大柄な男が、同じような外見的特徴を持つ細身の男にそう言った。この肌の色と耳の形は魔族の証だ。
「だが、その周辺にあった魔族の村もやられたと言うぜ、本当に魔王を信じてもいいものか」
「俺達の先祖なんだぜ、きっと人間どもを根絶やしにした後、この地に魔族の王国を建設してくれるさ」
「だと、いいが……」
ここはタークと呼ばれる、人里離れた、山地の奥地に存在する魔族の隠れ里だった。魔族の里というのはこのように、山の奥地にあるのが慣例であった。山の中は未だに魔物たちであふれ、大変危険なところであり、そこに人が近づくということはほとんどなかったためだ。普通の人はもちろん、軍の人間でさえ、ここまで来るのは容易いことではない。
しかし、そんな環境でも生き延びることができる力が彼らにはあった。魔力という力だ。破壊をもたらすその力は、たいがいの魔物を打ち倒すことができ、彼らにとって魔物は食料とも言えるものであった。
また、人の近くに住む者もいないわけではなかったが、その者たちは多大なる税金に苦しみ、さらには何人もの戦士を国に派遣せねばならなかった。彼らの先祖の多くは、以前の大戦で国に捕まった者たちであったのだが、現代になっても、彼らは依然として待遇の改善がなされないままなのであった。
このように、差別といった形で、未だに魔族は虐げられていた。
「魔術をうまく使うために大切な事は、まず集中力を高めることです。高い集中力は、より多くの力を引き出すことができます。それゆえに、瞑想修行が最も効率的な魔術の訓練と言えるでしょう」
ターク村の魔族学校の先生であるイスカは五人の学生に向かってそう言った。学生の年齢は、一番若いのは七歳のエリオ、一番年上のものは十六歳のイアンといった感じに、まちまちなのであった。そしてまた、この二人は兄弟でもあった。
「さらに、各個人には、得意とする魔法属性がそれぞれ存在します。もちろん、他の属性を使えないというわけではありませんが、その習得には困難を極めますし、また使えるようになったとしても、望むほどの威力が得られることはまれでしょう。各々自分の魔法属性を理解した上で、魔法を習得することが大切です」
イスカは手に炎を出したり、雷を出したりしながらそう言った。炎のときは力強かったのに、雷はどうも弱々しい感じだった。
「このように、私は炎の力を強く使うことができます。みなさんも、各々の資質を見極めた上で、それを鍛え上げるよう努力してください。では、今回の授業はこのあたりにしときましょう」
バタン、と分厚い本を閉じて、イスカはそう締めくくった。
「詳しい魔法各論を知りたい人は、私の家にこの本を読みに来て下さい。ただ、いつも言ってますが、決して本を持ち出したりはしてはいけませんよ。では、さよなら」
イスカはその本を持って教室替わりの木陰から家へと戻っていった。今まで体育座りをしながら聞いていた学生たちも立ち上がり、各々の家へと帰っていった。
「兄さん、兄さん。兄さんはもう魔術を使えるんでしょ? どんな魔術を使えるの?」
弟のエリオがイアンに聞いた。
「見たいか」
イアンはかがんで、エリオの目を見ながらそう言った。
「見たい、見たい」
エリオがはしゃぎながら、兄にお願いした。
「よし、ちょっとそこで見てろよ。俺の力は風の力で、こんな使い方もできるんだよ」
イアンはそう言うと、風の力を使って大きく跳躍してみせた。少なくとも十メートルほどは、飛び上がっていた。そして、降下し、地面に落ちる時も風の力を使い、ふわりと着地した。
「すごい、兄さん、すごいや」
エリオはそれを見ては大げさにほめたたえた。
イアンはそんな弟の姿を見て、照れたように、頬をぽりぽりとかいた。
「まあ、まだまだ全然なんだけどね。この力は極められたら空も自由に飛べるとか言うし」
「お空をとべるの?」
エリオはキラキラした目でそう問い返した。
「あぁ、そうイスカ先生が持っている本には書いてあった。あと、行商人にも風の力を使える人が多いんだって。この力は移動にとっても便利だから」
「よ〜し、僕も風の力を使えるようになって空を飛ぶんだ」
エリオは勢い込んでそう言った後、歌を歌いながら走りだした。
「おっ空、おっ空、お空を飛んで、鳥と、遊び、遠くへ行こお」
エリオは手を翼のようにピン、と伸ばして空を飛んでるかのようにして走っていった。
「おい、待てよ〜」
イアンもそれを追いかけて走っていった。
二人で鳥さんごっこをしながら、家へと着いたとき、二人は母親が家の中で倒れているのをみつけた。
「母さん! どうしたの、大丈夫!?」
肩をつかんで、イアンはそう問いかけた。しかし、こういうときに動かすのは良くない、と大人たちが言っていたことを思い出し、はっとしてその手を離した。
「う……ん、頭が、痛いの」
母親であるローザは、頭を抑えて、うめきながらそう答えた。相当の痛さのようで、目はきつく閉じたままであった。
「お母さん、頭いたいの?」
エリオが涙目になりながら、そうローザに問いかけた。エリオもこれが只事ではないと感じ、手足が震えていた。
「エリオ、お前はここで母さんについてやっててくれ。俺はイスカ先生を呼んでくる」
イアンはそう言うと、走ってイスカの家へと向かっていった。
エリオは、呻き続けるローザの手を握りながら、「お母さん」と涙声で呼びかけ続けていた。
イスカがイアン達の家に着いたとき、まず、ローザの脈を取り、熱を測った。脈は早く、熱もかなり高くまで上がっているようであり、かなり状態が悪いようだった。呼吸も浅い呼吸を繰り返しており、かなり辛そうだった。
イアンはローザに意識があるかどうか尋ねたのだが、彼女は唸り続けるだけで、答えを返すことができなかった。
「とりあえず、ベッドに連れていこう。イアン、頭のほうを持ってくれ」
イスカはそう指示すると、自分はローザの背中と膝の裏に手を添えて、イアンと一緒に彼女を持ち上げて、ベッドまで連れて行った。
ベッドに横になった今もローザは苦しそうにしていた。
「イアン、水とタオルを用意してくれないか。濡れタオルを作りたいんだ」
「はい」
イアンは大急ぎで水の入った桶とタオルを用意しに行った。
エリオはなおも母の手を握り続け、心配そうにその顔を見つめていた。
イスカは、さっき熱を測ったときに手に感じた、奥に角のようなものがある感触を思い出しながら、まさかあれがここまで迫ってきたのか、と苦々しそうな顔をしていた。
彼は、イアンに濡れタオルを頻繁に換えるよう支持した後、自らの家へ、痛み止めと解熱剤の薬を取りに戻った。彼は家に着いたとき、まず薬をタンスから取り出し、そして棚から医学書を持ち出した。
イスカがイアンの家に戻ったとき、イアンは一生懸命に何度も濡れタオルを交換していた。イスカは、水差しの中に持ってきた薬を入れ、ローザに飲ませた。彼は、ローザがちゃんと薬を飲んだことを確認して、持ってきた本を開いた。やはり、あの病気なのではないだろうか。彼は医学書の空白のページに自分で加えたメモのところを読んでいた。
『悪魔化』という言葉が、そのページには書かれていた。
教会は魔界の扉が再び開くことを極端に恐れていた。そのため、その扉を開くような事態を招きかねないことは、全力でたたき潰していった。しかし、最悪の事態は、外からよりも内から起こりがちのものだ。
ある国の国王が、魔神に世界を征服するほどの力を願ったことから、世界は狂い始めた。力は魔王の降臨という最悪の形で叶えられ、その国は文字通り世界征服の拠点となった。その城には魔界とのゲートが開かれることとなり、多くの魔がそこから溢れ出すこととなった。ただ、不幸中の幸いと言うべきか、魔王は魔界とのつながりなくして、力を使うことができず、結果、魔王城から身動きができないのだった。
だが、魔の進行は少しずつこの人間界を侵していき、着々と王国が滅んでいった。しかし、人もそのままだまってやられるのを待つわけはなく、人は教会の聖術師を主体とした魔王討伐隊を編成し、魔王城へ送り込んだりもしたが、古の力を持つ魔王軍の力は圧倒的であり、なかなかその奥まで攻めることはできなかった。
さらに悪いことに、その討伐隊に加わった魔族の勇者が、魔王の瘴気にあてられて、悪魔に変化していったことから、部隊は崩壊した。彼らは、その頭から角をはやし、凶暴化した。もともと大きな魔力を持った者たちだったため、その力は絶大なるものとなり、次々と部隊の聖術師達を根絶やしにしていった。そしてその悪魔達は、そのまま魔王軍に与することとなり、ますます手を出しづらいほどの力を持つこととなった。
今では、辛うじて魔王軍の進行を食い止めることできているといった状態であった。現在表立って、人側に動きはないが、裏では聖術師のみで構成された討伐部隊などが編成されたり、魔界とのゲートを閉じる呪法を調べているという。
しかしそんな状態が、もう二十年あまりも過ぎていた。
「イアン、ちょっと外へ出てくれないか」
イスカは、ローザの状態が落ち着いてきた頃を見計らって、イアンの手を引き、外へと連れだした。
「先生、どうしたんですか」
イアンは、不安そうな目をして聞いてきた。彼は、イスカの様子から何か良くないことを聞かされるのではないか、という予感を感じていた。
イスカは、真剣な目をして、彼の目を真っ直ぐ見て言った。
「いいか、よく聞くんだ。君の母親であるローザは、悪魔化の病にかかっている」
「悪魔化……?」
「あぁ、そうだ。魔族のみがかかる、近年になって発生した不治の病だ」
「治らないのですか!」
イアンは、イスカの腕を強くつかみ、そう問い返した。その目には、なんで僕達だけが、という理不尽な現状に対する、反骨心のようなものが宿っていた。
「治らない」
イスカは、単刀直入にそれだけ、言った。
イアンはそれを聞いたとき、膝を折って崩れ落ちた。そして地面をみつめながら、どうして僕達だけが、父も、母も、亡くさなければならないんだ、とこのどうしようもない現状に対し悔し涙を浮かべた。
イスカは、それを見ながら、「これは可能性の一つなんだが……、」と前置きをした上で、言葉を続けた。
「古から龍の心臓に宿る魔力には、どんな難病をも癒す力があるという言い伝えがある」
「龍の、心臓……」
イアンは、震える声で、そう問い返した。
「あぁ、龍の心臓には龍の魔力が宿っており、その力を使えば」
「治るんですね!」
イアンは、イスカの言葉を遮って、そう問い返した。その目には強い意志が宿っているかのような力強さが窺えた。
「そう、言い伝えられては、いる」
「お願いです、先生。その龍とやらはどこにいるのですか」
「まて、君は龍の危険性がわかっていない。龍には手を出してはいけない、というのが、あの人間の国でも言われていることを、知らないのか」
イスカも、真剣にそう言うことで、悲痛なイアンの声に答えた。
龍はこの世界で、古より最強の生物だと伝えられていた。その逆鱗に触れたものは、ことごとく根絶やしにされ、それが通った後には、焦土が広がるばかりだという。
「それでも、俺は、助かる見込みがあるならば……」
イアンは拳を強く握り締め、そう言った。そのときのイアンには、命なんて惜しくない、といった心持ちであった。
イスカはその目をじっと見つめ、その決意のほどを確かめていた。イアンも、彼の目を食い入るように見つめていた。その瞳の奥には、もう決めたのだから何としてもやり通す、という強い意思に満ち満ちていた。
イスカはそんなイアンを見て、いつのまにかもうこんなに成長したのだな、としみじみと感じていた。
そして、彼は目を閉じて、何かを決心した後、口を開いた。
「君ももう十六になるんだもんな。魔術も十分使えるようになったし、狩りでだって、大人にひけをとらないほど成長した。君なら一人旅だってなんとかなるだろう」
イスカは、イアンの頭を撫でながらそう言った。
「先生……」
「ローザとエリオについては、私に任せてくれ。ローザにそんなに時間が残っているとは思えない。もって一年か、いや半年か。だから、君は一刻も早く龍の心臓を手に入れることだけを考えればいい」
「ありがとうございます、先生。どうか、母のことをよろしくお願いします」
イアンは、深々とお辞儀をして、イスカにお願いした。その心には、絶対にやり遂げてやるんだ、という決意で満ち満ちていた。
「ああ、まかせておいてくれ。私は今からこのことを長老に相談しに行ってくるつもりなのだが、君はその間に旅の準備を整えておいてくれ。また戻ったら詳しいことを話す」
「はい」
力強く、イアンは答えた。
イスカは急いで長老の家へと向かっていき、 残されたイアンは部屋へ戻り、まずローザの状態を確認した。
ローザは、ある程度状態が回復したようで、安らかな顔をして、眠っていた。彼はそれを見て心底ほっとした。
イアンは、このまま母を先生にまかせても大丈夫だ、という風に思った。彼は、できるならば、一緒にいて看病してあげたいと考えていたため、母を置いて旅に出ることはつらいことであったが、治る手段が少しでもある今、それを追い求めないのは、もっとつらいことだった。
彼は、決心した。必ず、竜の心臓を手に入れることを。
そして、それを心のなかで母に誓った。
イアンはそのような思いを強く心に刻んだ後、エリオに旅のことを告げた。
「エリオ、兄ちゃんは母さんの薬を手に入れるために、旅をしなくちゃいけなくなったんだ。母さんは、お前とイスカ先生にまかせることになるけど、兄ちゃんがいなくても、大丈夫だよな」
イアンは、しゃがみ込み、エリオの肩をつかみ、その目を見ながら優しくそのことを伝えた。
エリオは、急にそんなことを伝えられたので、戸惑っていた。
「兄ちゃん、一緒にいてくれないの?」
エリオは少し涙目になりながら、そう言った。
「あぁ、そうしなければならないんだ。じゃないと母さんは死んじゃうかもしれないんだ」
「し、死んじゃうの、お母さん」
エリオは涙をぽろぽろ流し、嗚咽を響かせながら言った。
「だから、そうさせないためにも、行かなくちゃいけないんだ!」
イアンは、真剣な目でエリオを見、そして強い調子で言った。エリオ、わかってくれ、お前にしか頼めないんだ、わかるよな、そんな風にイアンは、目で訴えかけていた。
「兄ちゃん……、僕、僕……」
エリオは、涙を抑えきれずに、うまくしゃべることができなかった。そしてまた、兄のいない生活なんて初めてだったため、その不安からも決断しきれないでいた。
そんなエリオを、イアンは優しく抱きしめて言った。
「大丈夫。兄ちゃん必ず薬を持って帰ってくるから。イスカ先生の言うことをしっかり聞いて、兄ちゃんの代わりに母さんを守ってくれ、できるよな」
「うん……」
かすれた声だったけど、エリオはしっかりとそう言った。
「ありがとう」
イアンは、弟を抱きしめ続けた。彼にとっても弟と離れることは、つらいことだった。このぬくもりを旅の間も覚えていられるように、忘れないように、彼は長い時間をかけて抱き続けた。
そこは、怪しげなお香が立ちこめる、不気味な置物がいたるところに配置された悪趣味な部屋だった。その部屋の中には、人の血の色をした絨毯に座る長老ガルダとそのそばに佇むイスカがいた。
「悪魔化がやっと発生してくれたのかい。これは行幸行幸。して、その小僧には、ちゃんと竜の心臓を入手させるように言ったかい、ヒヒ」
「はい、仰せの通りに」
「よかろう、よかろう」
深いしわが幾筋も走った顔をしているガルダが、げびた笑い声とともに言った。そして、イスカの答えに満足したのか、その顎に蓄えた豊かな髭をなでながら機嫌良さそうに、にんまりと笑った。
「うまくいこうと、いくまいと、少なくともこれで龍が怒るのは間違いないじゃろう。そうすりゃ、我が魔王様の野望の成就も早まるというものじゃ、フフ、そう思わんかね、エ?」
「その通りでございます」
「ヒーヒッヒッヒッヒ」
イスカは、ガルダのその問いに、礼を尽くしたおじぎをしながら答えた。その姿がよほど満足いくものだったのか、また底意地の悪そうな声でガルダは笑った。背筋がぞっとするかのようなその笑い声に、イスカは顔を伏せたまま、ぎりりと歯を食いしばり、そして、すごい形相をしてガルダの足下をにらんでいた。
飽きることを知らずに、その下品な笑い声を響かせるガルダの横で、イスカは煮えくり返る腹の中を、どうにか必死になって収めようとしていた。
「そのことで、お願いがあるのですが、よろしいでしょうか」
頭を下げたまま、イスカは声だけは穏やかにしてガルダに願い出た。
「はて、何ようじゃ?」
ガルダは、未だにその顔に下品な笑顔を張り付かせて、機嫌良さそうに髭をさわり続けていた。
「は、悪魔化は、魔界の瘴気によるものと言われています。もし、このままここに留まっていましたら、多くの村人が悪魔化の病をかかえることとなり、それによる混乱が予測され……」
「つまり、ここを去るよう命令しろと言うのか、主は」
今まで髭をさわっていた手がピタリと止まり、その顔はみるみるうちに不快な表情で覆われていく。そしてついには、その言葉を遮るようにして怒りの言葉を示し、ぎろり、とイスカを睨んだ。
「はい、このまま隠し通せるものではありません。病人のためにも村人のためにも、一刻も早く移動すべきです!」
「お主は何を勘違いしておるのだ!!」
ガルダは、手元に置いていた杖をつかむと、それでイスカの顔を殴りながらそう怒鳴った。イスカは殴られることで、派手に後ろに倒れ、そのせいで何かの不気味な置物が転がっていった。
倒れたイスカの額からは、緑の血がしたたっていた。
「これは良いことなのだ。やつらは魔王様につくす機会を得られるのだ。これほどすばらしいことはないのじゃよ。なぜ、それがわからぬのか」
上気した顔で、声をあらげながらそうガルダはまくし立てた。その顔には、青筋が幾本も走っており、さらに醜悪な顔と化していた。
イスカはそれに対し、初めて反抗的な目をしてガルダを見た。なぜわからないかだって、それはこっちの台詞だ、とその顔は語っていた。
その顔を見て、ガルダは、また、ヒーヒッヒ、と笑った。
「そんな目をするとはなあ。まーさか、忘れたわけではあるまい。わしに少しでも逆らってみろ。お前の大切なものが、どんな目にあうか、前に一度教えたよなあ」
イスカはその言葉を聞いたとたん、目を見開き、悲痛な表情を浮かべて顔を背けた。
ガルダはその反応がよほどうれしかったのか、また高らかにその下品な笑い声を響かせたのだった。
イスカはというと、先ほどの言葉に完全に反抗心をくだかれ、ただひたすら、きつく握りしめた拳をふるわせていることしかできなかった。
額からはまだ血が滴り落ちていた。かすかな血のにおいと、むせかえるようなお香の香り。それは、悪魔の儀式を行う場のような空気を作り出していた。そう、これはまさに悪魔の香りだ、目の前で未だ笑らい続けているこの男は悪魔そのものなのだ、とイスカは、その匂いと、ガルダの顔を見ながら、そんな風に感じていた。
ロープとナイフとテント。コンパスと地図。寒さ対策のマント。母が大切にしていた家宝の魔石。お金。イアンは、そういった物を一番大きなリュックに詰めていた。旅の準備には、結構な時間がかかってしまったが、なんとか詰め終わった。
空はすっかり暗くなってしまっている。しかし、そんな時間になっても、イスカは現れなかった。
今日は都合が悪くて来れないのかな、と思いながら窓の外を見ていたら、暗がりの中をイスカがフラフラになって歩いてきているのを見つけた。
「先生、大丈夫ですか!」
イアンは、外へ出て走って彼に駆け寄って行った。よくみると彼の額には血の跡が残っていた。
「いや、大丈夫だ。大丈夫なんだ」
イスカはイアンを虚ろな目で見ながらそう答えた。
イアンは、それを見て、長老の家で何が起きたのかを思案した。まさかこれは、長老がつけた傷なのだろうか。
イスカは、そんな心配そうな顔をしているイアンに気づくと、はは、と空笑いを浮かべながら、
「この傷は、ちょっと西の崖から落ちたんだよ。どじったな〜」
と苦しい言い訳をついた。
イアンはそれがつくり話だということは気づいていたが、追求しなかった。隠すのには、それだけの理由があるのだ。きっと、それは言ってはならないことなのだ、とイスカの人柄を信用していたからこそ、彼はそう思った。
「それよりも、旅の準備は整ったのかい」
イスカは、その話をそらしたくてたまらない風にしてそう言った。
「はい、必要なものはあらかた入れたつもりです。食べ物とかは、まだいれてないですけど」
「そうか……、イアンは、武器とかは持っていたかな」
「弓矢と少し大きめのナイフぐらいしか持ってなかったので、それだけですけど入れています」
「それじゃあ、心もとないだろう。明日……、僕が使っている剣を持ってくるよ。少し小ぶりだけど、よく切れるんだ」
「え……、そんな大切なものをいただけません。それに、それはまだ先生に必要なもののはずじゃないですか」
「私には、もういらないんだ……」
イスカは投げやりにそう言った。イアンにはあのイスカ先生がこんなにもおかしな態度をとっている理由が分からなかった。しかし、気にかかることがないわけでもなかった。長老の家を訪ねたことだ。一体そこで何があったんだろうか。
イスカは、怪訝そうになって見ているイアンに再び気づき、また作り笑いを浮かべた。
「大丈夫、私にはもう一本大きい方の剣があるから、そっちの方は、なくてもなんとかなるんだよ」
優しげな笑顔を浮かべて彼は言った。明らかに無理して作った笑顔だったが、その表情はいたわりに満ちていた。
「それは、本当なのですか」
イアンは、どうしてもその言葉が信じられなくて、そう確認した。
「あぁ、本当だとも」
依然あの笑顔のままだったが、そう言った彼の目は泳いでいた。
「やっぱり、もらえません。先生なんだか変ですよ。どうしたんですか、長老の家で何かあったのですか」
イアンは、我慢しきれなくなって、そのことについて問いただした。
「私は、おかしくなんかなっていない。大丈夫なんだ、私は……」
語気を強くして言っていることに、彼は言葉の途中で気づくと、はっとなって、続きを言うのを止めた。
変な空気が流れた。
イアンは、明らかに村長の家でイスカに何かがあったのだと感じた。しかし、たとえそのことについてまた聞いたとしても、イスカが答えてくれないことが、先程の会話からも感じ取っていた。聞くに聞けない、そんな微妙な空気だった。
「イアン、龍の心臓の話なんてして悪かった。今からでもいいから、旅に出るなんて考え直さないか?」
イスカは、良心に耐えられなくなってそう切り出した。ある程度、心は凍らせているつもりだった。イアンの覚悟も確認していたつもりだった。けれど、乱れに乱れた今の彼の心の状態では、そう言わずにはいられなかった。
イアンはそれを聞いたとき、少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な顔をして、
「俺は、絶対にやりとげます。そう弟と母に誓ったんです」
と毅然として言った。
「しかし、龍を本当に殺せると思っているのか」
「殺せなくても、殺すんです。そのためには、何でもやってやる覚悟を、俺は決めたんです。なんとしても、どんなことをしても、俺はやります!」
もう半分けんか腰のようにして、イアンは言った。この話題を出されたら、平静を保つことなんてできなかった。しかも、心に決めたすぐに、その志を変えることなんか、できるわけなかった。
イスカは、野暮なことを言った、と後悔した。こうなることはわかっていたのに、なんで言ってしまったのだろうか。だますなら、最後までやりぬかなければならない。そうしないと、僕の大切なものは守れない。彼も大切じゃないと言えなくはないが、でも、悪いが彼女とは比べ物にならないんだ!
「すまない、こんなことを聞いてしまって」
イスカは後悔から、謝罪の言葉を述べた。
「いえ、俺も頭に血が上ってしまって、イスカ先生を怒鳴るように言ってしまいましたから、俺の方こそ、すみませんでした」
イアンも、イスカの謝罪を聞いたとたん、頭が冷えてそう謝った。
沈黙が流れた。
イスカは、その後悔がきっかけではあったが、今度は心から自分の剣をゆずりたい、と思った。彼を危険な場所に送り出すのだから、それくらいしないと、どうにも納得できない気持ちだった。
「でも、龍の危険性はやはり、認識していてほしいんだ。それに龍だけじゃない、他にも危険な魔物はたくさんいるんだ。だから、やっぱり、私の剣をもらってほしい。さすがに龍の鱗を切り裂くほどの切れ味はないが、そこらへんの魔物を切り伏せることに関しては、不自由しないはずだ。頼む、そうしないと私の心が納得しない」
イスカは、イアンの手を取り、強い調子でその気持を伝えた。なんとしても、という強く熱い気持ちのこもった言葉だった。
それにイアンは、
「こちらこそ、お願いします。ぜひともその剣をゆずってください」
と答えた。心にはいまだに複雑なものが残ってはいたが、イスカの言葉を無下にするわけにはいかなかった。
「あぁ、ありがとう。明日の朝に必ず持ってくるから、待っててくれな」
そう言ったイスカの声は、涙でくぐもっていたかのように聞こえた。
その夜、イスカは眠ることができなかった。自分のしてしまったこと、これから起こること、それら全てに押しつぶされそうになっていた。彼はその気持から逃れるために、何かしなければならない、という気持ちに駆られていた。
彼は自分にとって最も大事な書物という宝も、イアンにあげても惜しくない心持ちだった。しかし、そこまで受け取ってもらえるとは思えなかった。彼は考えた結果、羊皮紙に重要な箇所を書き写すことを思いついた。この羊皮紙だって、手紙を書くために買い集めた、彼にとってとても重要なものであったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。羊皮紙はまた買えばいいが、イアンの命はこの世でただ一つしかない。比べ物にはなるわけがないのだ。
魔法書、歴史書、医学書、指南書……、様々な実用書から、自分が一緒に旅するならば教えてあげるだろう知識を、羊皮紙にびっしりと書きこんでいく。夜通しかかって彼は書き書き写し続けた。この文字の一つ一つがイアンの命を救うと信じて書き続けた。
ついには、羊皮紙がなくなるまで書いたが、それでも書きたいことは全部書けなった。その裏表ともにびっしりと書かれた二十枚あまりの羊皮紙は、空が明るくなる頃になってようやく出来あがった。
彼は、出来上がった紙を見ながら、イアンがこれから辿るであろう試練の日々を思った。この旅は、必ずつらいものになるだろう。そして、それがどんな結果になろうと、イアンを不幸にするだろう。きっかけは、自分が与えた。けれど、自分にはこんな事しかできない。彼はそんな無力感に悩まされながらも、やらないよりはやって良かった、というある種の達成感を感じていた。そういった気持がなんとか、彼の罪の意識を軽くさせる役割を果たしていた。それが彼を潰しきらない重さにならないように。
イアンは、母親寝るベッドの傍で夜を明かした。今は大丈夫そうに見えるけど、容態が急変するのが怖かったのだ。静かに寝息を立てて眠る母の姿を見ながら、彼はイスカに感謝の気持ちを抱いていた。イスカ先生がいてくれなければ、今頃どうなっていたことか、少なくともあんな風に素早い対応ができた自信はない。しかも、母と弟の面倒まで見てくれると言ってくれた。そして、さっきは剣を……。
そこまでしてもらって、いいものだろうか。しかし、彼以外に頼れるものがいないということもあったけど。この御恩は必ず返さなければならない、そう思いながら、彼は眠りに落ちていった。
朝になったとき、ローザは意識を取り戻した。彼女は体を起こし、頭に触れた。頭痛は嘘のように止まっていたが、何かこめかみの下辺りに変な違和感を感じた。それに触れると、そこに何か尖ったものがあるような感触があった。なんなんだろう、これは。頭の中に何かが燻っているような、そんな感じがする。
部屋を見渡すと、壁に寄りかかって眠っているイアンをみつけた。昨日は、いきなりの頭痛に襲われて、あのまま意識を失ってしまったけど、イアンが私の世話をしてくれたのね。ありがとう。
彼女は、イアンの傍まで歩き、その顔を撫でながらお礼を言った。愛おしい寝顔だった。こんなにも成長したのかと、彼女はしみじみと感じた。
「ん……」
イアンは、美味しそうな匂いとともに、起きた。台所の方から音がしていた。母のいるベッドは空であった。
「母さん!」
彼は大急ぎで、台所に駆けつけた。
「母さん、大丈夫なの」
勢い込んで言うイアンにローザは、
「昨日はありがとう。今は大丈夫だからそんなに心配しないで」
と微笑んで答えた。
「そっかあ、そっか。良かった〜」
アレンは脱力しながら、そう言った。気が入りっぱなしで、今も気づくと力んでいたのだ。
「エリオとイアンで私をベッドまで運んでくれたの?」
「イスカ先生が手伝ってくれたんだよ。先生がいてくれたから、なんとかなったんだ。本当に世話になったんだよ」
イアンはイスカのことを絶賛した。これからの世話もしてくれると言ってくれた彼に、イアンは、本当に恩義を感じていたので、そんな言葉が次から次へと出ていった。
「そう、イスカさんが。それは、お礼をしないといけないわね。そうだ、イアン。ちょっとイスカさんのところまで行って、朝ご飯をご一緒しないかどうか聞いてきてくれないかしら。母さん、少なくともご飯くらいはごちそうしてあげたいの」
「そうだね! いいと思うよ。じゃ、早速行ってくるね。でも、母さん、無理はしないでね、まだ病み上がりなんだから」
「はいはい」
ローザは元気よく出て行くイアンを、手を振りながら見送った。そして、見えなくなるのを見計らって、手を頭にやった。未だに残る違和感。こんな風に頭痛から始まる病気を知らないわけではない。でもまさか、そんなはずはないわよね、とローザはその病名を頭から忘れようとした。しかし、この言葉を考えたせいで、この病気が発症した人のことが思い出されてしまい、どうしても頭から離れなかった。悪魔化、それは嫌な思い出の記憶とともに、封印していた言葉だった。
「奥さん、あなたの旦那さんは、もう……」
「いや、この人は悪魔なんかになったりしないわ!」
ローザは、ベッドに縛られながら横になっている夫アレフの傍で、取り乱しながら言った。
「しかし……、戻って来れただけでも幸運なんだ。もう上の奴らは、早く危険分子を殺せ、とそればかり言ってるらしい」
医者らしい格好をした小太りの聖術師がそう言った。彼は教会の下っ端のようだった。
「ローザ、俺はもうダメだ。教会の奴らも、この病だけは、進行を止められないらしい。神の力を借りている、と普段大言を吐いていても、この程度なのさ。まあ、もともと俺達には効きにくかったんだけどな、はは」
アレフはそうやって、無理に作り笑いを浮かべた。それは痛々しいものであった。
「そんなこと言わないで、絶対に治る方法はあるから、だから、あなただけはあきらめないで」
そう言って、彼女は泣き崩れた。
アレフはそんな彼女をじっと見つめていた。その目はもう諦観の色を帯びていた。
「なあ、ローザ。僕は絶対に君や息子たちを傷つけたくないんだ。これは、この目で悪魔を見ていたからわかるんだけど、あんなもんになってしまったら、僕は君たちを殺してしまうかもしれないんだよ。それも、自分がそれをしたことさえ、理解出来ないんだ。悪魔に理性なんてもんはないし、感情なんてもんもない。僕はそんなものになるのは嫌だ。死ぬより嫌なことなんだ。だから、今から頼むことを、怒らないで聞いてくれよ。僕を……」
「いやああああああ!!」
絶叫が反響した。悲痛な声で全てが埋め尽くされる。その音が極限まで高まり、ぷつんと消えた。
ここから先は、決して思い出してはならない。
「すみません、ご相伴にあずからせてもらって」
「いいんですよ。昨日は大変お世話になりましたし、これくらいさせてください」
「はあ、恐縮です」
イスカは少し照れたように、首に手をやって恐る恐る料理をつまんでいく。その手には、インクの汚れがべったりついていた。
「先生、きたなーい」
エリオがそう無邪気に茶化した。
「こら、エリオ。先生は俺のために、昨日メモを必死になって作ってくれたんだ。失礼だろ」
イアンが、エリオの頭をたたきながら言った。
「いったーい、ほんとのこと言っただけなのに」
エリオが頭を抑えながら涙目でイアンを見て抗議した。それを見て、イアンは、
「また、叩かれたいのか?」
と、握った拳を振り上げながら、エリオに言った。
「ごめんなさい」
それを見たエリオは、すぐに頭を下げて、謝った。
「はは、いいんだよ、イアン。いやあ、ちょっと頑張りすぎたみたいで、どうしてもインクが手から落ちなかったんだよ。まったく、失敗失敗」
陽気に笑いながら、イスカはそう答えた。
それを見て、エリオは、にかー、と笑った。
「本当にごめんなさい、先生」
イアンは本当にすまなそうに、謝った。彼としては、自分の為にしてくれた結果、こうなったのだから、責任を感じていた。
「いやいや、これは私の不注意さ。そんなことより、この玉子焼きおいしいですね。この甘い味がすっごく好みです」
「あら、ありがとう」
「僕も卵焼き好きー」
「わ、俺のを取るなエリオ、自分のをつまめ」
こんな感じに、幸せな時間が過ぎていった。そして、そんな中だったからこそ、イスカも、イアンも、あのことを切り出せなかった。けれど、それは必ず言わなければならないことだった。
イアンは気を使って、エリオを連れて食器を洗いに井戸へ向い、イスカとローザを二人きりにした。
「ローザさん、あなたは自分がなぜ倒れたか。わかっていますか」
「……」
ローザは、テーブルをじっと見つめて黙っていた。それは、沈黙することで肯定しているかのようだった。
「貴方達も、西の方からこちらへやって来ましたから、きっと、この言葉を知っていると思いますが、あなたの病は」
「悪魔化……ですよね」
「ご存知でしたか」
「もう二度と聞きたくない言葉でしたけどね」
ローザは吐き捨てるようにそう言った。その言葉には、憎悪がこもっていた。
「この病に治療法がないというのも」
「よく、知っています」
「しかし、それにきくかもしれないと言われるものがあるのを、知っていますか」
「……?」
ローザは、それについては知らなかったようで、顔を上げ、怪訝そうな表情でイスカを見た。
「龍の心臓です」
「あなたは、そんな伝説上の薬が実在すると、本当に思うんですか」
何を馬鹿な事を、と言わんばかりの口調でローザが言った。
「しかし、それしか方法はない」
「……」
ローザは返答に窮した。実際、この病がどうしようもならないことは、身にしみて知っていた。そして、天にも祈るような気持ちで回復を願ったことのある身としては、このことを考えなかったわけではなかった。しかし、こんな古文書にしか載っていないようなものを信じることは、彼女にはできなかった。
「それを求めて、イアンは旅をする、と言っている」
「何ですって」
声を震わせながら、ローザはその言葉に反応した。
「彼は、どんなことをしても、それを手に入れると、言っていました」
「あなたが、イアンをそそのかしたんでしょ!!」
ローザはヒステリーになって、そう答えた。一気に頭に血が上り、血圧が高くなる。それに伴い、軽い頭痛感が戻ってきたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
イスカは、それに気圧されることなく、冷静に言葉を続けて言った。
「彼は、あなたとエリオに誓ったとも言ってました」
「そんなの、私は望んでないわ」
だんだん、ローザの声が乱れていった。息子の決意がつらかったのだ。
「彼は、このまま何もしない方がつらい、と言っていましたよ」
「……、そんなの、私の方がつらいわ……」
弱々しく、そう答えた。今にも涙を零しそうになっていた。
「あなたが止めても、きっと彼は行く。そういう運命なのです」
「……運命?!」
ローザはすごい形相でイスカを睨みながら、その言葉を言った。再び怒りのボルテージが上がっていた。
「信じてあげましょうよ。彼はもう十分大人だ。子どもが大人になったら、親は子どもを縛ることなんか決してできないんですよ」
「それでも、私にとっては、まだまだ子供なの……」
泣き崩れそうだった。イスカの言葉をもう一言も聞きたくなかった。彼から聞かされるイアンの気持ちの一つ一つが痛かった。こんな自分の気持ちを、イアンにぶつけたかったけれど、ぶつけたら最後のような気がした。あの子は、彼の言っているように、何があっても行ってしまう。こんな気持をぶつけたら、旅出の思い出が悪くなるだけだ。けれど、そしたら、この気持はどこにぶつけたらいいの。
「私は……、私はあなたを恨みます」
ローザは、それをイスカにぶつけることにした。半分本気で、半分八つ当たりだった。
イスカの方も、それを承知しているらしく、
「えぇ、わかっています」
と、神妙に答えた。
「ただ、だからこそ、あなたに恨まれている私だからこそ、ここぞというときには、私が責任持ってやります」
「……」
ローザはその先に言われる言葉が何か察しがついた。察しがついたからこそ、彼女は耳を塞ぎたい気持ちになった。
「悪魔になるまえに殺してあげます」
「殺してくれ」
もう涙を抑えることはできなかった。なんで、自分たちばかりがこんな目に会うんだ。どうして、どうして……、と混乱した頭で何度も、何度も彼女は思った。そして、彼女はそんな思考を繰り返すことで、神を恨みたい気分になった。魔族である私たちを憎んでいるという神を……。
イアンは、家の外で、イスカとローザとの会話を聞いていた。聞こうと思って聞いたのではなく、母の声があまりに大きかったので、聞こえてしまったのだ。
彼は、まずその声に不安になったエリオをこれ以上心配させないように、抱きしめて耳をふさいだ。こんな悲しそうな声を、エリオには聞かせたくなかったからだ。
そして、このまま自分が何もしなければ、こんな日々は終わらない、と思った。自分がやり遂げることで、この不幸の連鎖を断ち切るんだ、と息巻いていた。そう考えることが親不孝な感情だとは、全く彼は思わなかった。
イアンは自分しかできないのだ、と信じてやまなかった。そう思わないではいられなかったのは、きっと、そうしないと彼自身もやりきれなかったからだろう。彼自身も危ういバランスの中で、自分を保っていた。母親が回復することで緩んだ決意が、一気に元に戻ったことにより、彼の心は揺れに揺れていた。
そんな状態だったから、もう自分を信じるという方向に針を固定するしか、彼は心を保てなかったのだ。だからこそ、彼は盲目的に自分を信じた。そうするしか、彼には道がなかったのだ。
八方塞がりの中で見えた光、それがどこへ続いているのかは、まだ誰も知らない。
しばらくして、イスカ一人が外へ出てきた。
「ローザさんは、ちょっとしばらく一人でゆっくりしたいそうだから、イアンとエリオはちょっと家に遊びに来ないか」
努めて明るい調子で、彼は言った。しかし、その言葉は疲れを感じさせる響きがあった。
「はい、行かせていただきます」
固い調子になりながら、イアンは答えた。これだと、何があったか知っていることがまるわかりだった。
「お母さん、病気じゃないの、大丈夫なの」
エリオがそう素朴に尋ねた。
「だから、母さんは静かに寝てなきゃいけないの。わかる、お前がいるとうるさいんだって」
機転を利かせて、イアンは素早くそれに答えた。
「ひどいや、兄さん!」
エリオはそれを信じたらしく、ぷんすか怒って、兄を殴っていた。
「そういう所が、うるさいんだって」
べー、としながら、イアンがそう言い、走ってイスカの家の方へ行く。それに、ただ単純に怒って、エリオは追いかけていく。
イスカは、なんとか危機を乗り越えることができた安堵感から、どっと疲れがでていたため、走る気にはなれなかった。それに彼は、歩きながらさっきのことを思い出していた。
我ながら最低な対応をしたものだと思う。普通なら、止めるさ。それが当たり前だし、あんな風に行かせてあげろ、と言う方がおかしいのだ。それに実際、自分が言い出さなければこんな事にはならなかった。彼と彼女を追い詰めてしまったのは、僕だ。
彼は歩きながら、自分の罪がまた重くなったのを感じていた。一歩一歩がとても重く感じた。そして彼は、自分は碌な死に方をしないだろうな、と自嘲気味に思った。
彼は自分にとって大切なモノを守るためには、自分が押しつぶされてしまうほどの罪にも耐えれるような男だったが、しかし、そのまま潰されて死ぬこも厭わないようなやつだった。彼もなんとか今は心を保っていた、大切なモノを守っているのだ、ということを盲目に信じる事で……。
イスカは家に着くと、薬草から煎じたお茶を準備した。独特の香りがするが、どこか落ち着く香りだった。イアンは、イスカの書いたメモを読み、エリオは、まだほとんど読めない本と格闘していた。
「兄ちゃん、読めないよ〜、読んでー」
「兄ちゃん忙しいんだ。自分で頑張りなさい」
イスカがお茶を入れ終わるまで、そんな感じに時が流れていた。
「さあ、飲んでくれ」
「いただきます」
二人ともそう行儀よく言った。
そして、カップにくちづけをしたのだが、エリオは、
「苦〜い」
と言って、顔を背けた。そんな様子を見て、二人は、はははと笑った。
「エリオにもこの苦さの良さが、分かるときがくるよ」
「ちゃんと、全部飲みなさい、失礼だろ」
「ぐえぇ」
エリオはもう一度飲んでみたのだけれど、やはり心底嫌な顔をして、お茶を置いて本をおいてる場所まで行ってしまった。
「ごめんなさい、弟が失礼して」
「まあ、私も子供の頃は、これが嫌いで嫌いでたまらなかったから、そんなもんなんだよ」
「慣れると美味しいんですけどね〜」
イアンは、心底美味しそうに味わって飲んでいた。エリオの分も自分の方に寄せて、これも飲むつもりでいた。
「ローザさんには、あの話をしたよ」
「はい……」
「そして、反対されたよ」
「わかってます……」
「でも、君は行くんだろ」
「それしか、道はないですからね」
冷静に、イアンは言った。母が怒る気持ちもよくわかった。けれど、彼にはそれをするしか他にどうしようもない、といった気持ちだった。半分諦めたかのような気分でもあった。例え途中で死んだとしても、彼はこの道を選んだことを後悔しないだろう。
「今度は二人でお願いしよう」
「はい……」
沈黙が流れた。少し離れたところで、エリア本を読みながら、唸っている声が聞こえていた。
「よし、じゃあ僕は剣をとってくるよ。ちょっと待っててくれな」
そう言って、イスカは、居間から自室の方へ歩いて行った。
イアンは、じっと茶の緑の色を見ていた。この色は、自分の血の色、魔の血の色だった。魔物にも流れている同じ色の血。この血が魔術を使わせてくれるのだが、こんなもんいらないから、頼むから母を病から開放してくれ、と彼は神に祈った。
人間に言わせると、この血の色をしているのは、神に呪われた結果だという。だから、おぞましい魔術などを使えると言っている。お前らは神に見捨てられたんだよ、と口汚らしく、罵られたこともあった。思い出したくもない過去が彼にはたくさんあった。
もう二度と、人間の住む世界には近寄ることはないと思っていたが、今回ばかりはそうは言っていられないだろう。全てにおいて情報が足りない、それに旅の資金を稼ぐためには、なんだかんだ言って、あそこが一番いいのだ。嫌な感情など、母の命に比べれば軽いものだ。俺は、なんとしてもやり遂げると、決めたのだ。
「この剣だ、どうだ、なかなかいい輝きをしてるだろう」
イスカが剣を机の上に置いてそう言った。少し小ぶりとはいえ、なかなかの重量感のある剣だった。それをイアンは、見とれているかのように、目を奪われていた。
「ちょっと持ってみるか」
「いいんですか」
「やる、て言っただろう」
ほら、と言って、彼は柄の根元を片手で持って、柄の先端がつかめるようにしてから、イアンに渡した。イアンは恐る恐る右手で受け取ったのだが、その重さに思わず落としそうになりながら、急いで両手で柄を支えた。両手で持っても、重かった。その重量感に、ごくりとつばを飲み込んだ。
「訓練で使う木刀とは、わけが違うだろう」
「はい、こんな大きな武器を持ったのが初めてだったので、びっくりしました」
「少しずつ慣れていくといいさ」
イスカは、少し寂しそうな目をしていた。彼に取って相棒同然だった剣を手放すのは、やはり、心苦しいことであった。
「剣の修行については、メモに色々書いてあるから、旅の途中でそれを読み返しながら、訓練してくれ。木刀での訓練から、君の筋がいいことはわかってる。後は慣れたら、きっといい使い手になれるはずだ」
「ありがとうございます!」
イアンは、深々とお辞儀をし続けた。
何から何まで世話になりっぱなしだった。この旅が終わったらきっと恩義を返すのだ。そのためにも、死ぬわけにはいかない、と彼は決意を新たにした。
そんなイアンを見ながら、イスカはやはり苦しい気持ちでいっぱいになっていた。旅出の時は迫っている。もうそれは止められない。運命の輪は回り始めてしまったのだ。彼はその運命の先にあるものを待つことしかできないただの観客だった。だからこそ、彼は、舞台が始まる前の楽屋で、出来る限りのことをしてあげたかった。この劇が悲劇に終わらないように、切なる願いを込めて、彼は自分のできる全てを与えた。
「母さん、俺旅に出ようと思ってるんだ」
「……」
今度はイスカとローザ以外に、イアンとエリオがいた。
「俺、母さんの薬を探しに行きたいんだ」
「……」
ローザは黙ったままだった。
「母さん、お願いだ。俺の好きにさせてくれ」
「……、私は、反対ですよ」
ぽつんと、そう言った。顔はずっとテーブルを見つめたままだった。
「母さん!」
「ローザさん、イアンはあなたのために旅に出ようとしてるんですよ」
「……」
イスカは、やさしげな声色でイアンの肩を持った。その声にローザは答えなかった。
あなたに私の何がわかるっていうの、とローザはイスカに対する恨みを深めていた。イスカの言葉を聞くだけで、心が乱れるのを感じていた。
「お願いだ……母さん」
イアンの声が痛かった。なんで、そんな声で死にに行くようなことを言うの。龍に挑むなんて、やめて、私の元から離れないで。そう、言いたかった。
ガタン、と音を立てて、立ち上がる。そして、台所の方を指さす。震える指の先には、旅に必要な携帯食や保存食、弁当などが置いてあった。さきほどの時間を利用して、大急ぎで準備したらしかった。
言葉で行け、とは言えなかった。言ってしまったら、自分は一生後悔することになると思った。しかし、反対しても……。だから、これが答だった。
「母さん……、ありがとう」
イアンがローザに駆け寄ってそう言った。彼女は依然イアンを見ることができなかった。こんな顔をイアンに見せるのは嫌だった。こんな悲しい顔を……。
「……、私は……」
その先は言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。どちらのことを言おうとしたのか、もう彼女にも分からなかった。
そんな彼女をイアンは抱きしめた。
「ありがとう」
その言葉を聞いたとき、ローザの目からは涙がこぼれた。次から次へと、湧くように涙が流れて言った。彼女も彼を強く抱きしめた。愛おしかった。こんな愛おしいものが、自分のもとを一生離れるかもしれないなんて、考えたくなかった。今だけは、ただ、この気持を忘れないように、覚えていられるように、ずっと抱き続けた。
それを遠目で見ていたイスカは、胸に痛いものを感じていた。僕は自分の大切なものを守るため、他人の大切なものを踏みにじった。その事実は、何をしても変わらないのだと、改めて実感していた。
エリオはただただ、この空気に何も言えずに、じっとそれを見つめていた。それを見ていると、彼はなんだか泣きたい気分になった。なんとも言えず、彼もべそをかいていた。
それを、イスカが頭を撫でることで、なだめていた。
葉ずれの音が大きく響いていた。風がだんだんと強くなっているようだ。それは、まるで旅がイアンを呼んでいるかのようだった。
旅の見送りは三人で行った。
「イアン、必ず戻ってくるんだぞ」
「わかってます、絶対やりとげてみせます」
拳と拳をぶつけ合う。それを通して二人の思いがそれぞれに流れていく。
「兄ちゃん、早く帰ってきてね」
「大丈夫、だからそんなに泣くな」
イアンは、エリオの顔を下から覗きながらそう言った。
それにエリオは、「泣いてないもん」と強がった。
「母さん……」
ローザは、依然下を向いていた。
それにイアンは、仕方ないことだ、と自分を納得させた。最後まで反対されないだけ、いいのだ。これが一番じゃないけど、でも、仕様がないんだ。
「じゃ、行ってくるね。先生、後のことはお願いします」
深々とお辞儀してお願いをする。
「ああ、まかせておいてくれ」
「それでは……」
そう言って、イアンは歩いて行った。
少し歩いたところで、彼は後ろを振り返ると、ローザが顔を上げていた。
そのローザに向かって、彼は大きく手を振る。行ってくるね〜、と大声で言いながら、手をブンブン振った。
イスカと、エリオもそれに手を振って返す。
ローザはそれを見たとき、笑顔でほほえみ返した。
イアンはそれを見ると、一旦手を止め、下を見て、涙をこらえてから、また満面の笑みでぶんぶん力強く手を振りながら、進んでいった。三人が小さくなってほとんど見えなくなっても、彼はときどき振り返っては、手を振った。
「行ってしまいましたね」
「……」
「恨んでもらって結構です」
「言われなくても、恨んでますよ」
刺々しい感じを含んで言った。
「僕は、イアンならやり遂げてくれるような気がしています」
「私は、今でもすぐに挫折して帰ってきてほしいと願ってますよ」
ローザは、投げやりな感じにそう言った。
「兄ちゃん、帰ってくるよね」
エリオの無邪気な質問に二人は答えることができなかった。
二人とも、この旅の最終目的がいかに達成困難かを、知っていた。
イアンは、途中でやるべきことを投げ出すような子ではない。それがわかるだけに、口ではああ言ってても、本当に、帰ってきてくれるとは信じられなかった。
信じなければいけないと分かっていても、どうしてもそれができなかった。
本当の意味で、帰還を信じていたのは、龍のことを知らないエリオだけだった。
いっそう風が強くなっていた。東の空が黒々としていた。今夜は嵐になりそうだった。
「兄ちゃん……」
そうつぶやいたエリオの声は、すぐに風にかき消されてしまった。不気味な音を立てながら吹く風の音に。
ガーゴイルは、こちらの剣をその太く長い爪で、受け止めながら、それで攻撃をしかけていた。
なんとか紙一重でそれを回避しようとするが、両の手から来る攻撃は、手数が多くて、避けきれず剣で防ぐことが多くなる。
このままでは、やばい
そうイアンは感じていた。だんだんとスタミナが削られ、反撃の機会を失っていく。
ガーゴイルは、地上戦だけでケリをつけられると判断したのか、空を飛ぶこともしなかった。イアンは明らかになめられていた。
少しずつ弱っていくイアンの姿を見ながら、ガーゴイルは、楽しくなっていた。あと少し、もう少しで殺せる。その時を楽しみにして攻撃していた。
ガーゴイルの左爪が深く右腕をえぐる。イアンは、それにより顔を歪めて、剣先を鈍らせる。
それを見た、ガーゴイルは残忍な笑みを浮かべた。そして、大きく右腕を振りかぶる。しかしそれによって、攻撃の手が少し止まってしまった。
今しかない。
イアンは、きっ、とガーゴイルを睨み、その風の力を開放した。豪風が吹き荒れ、ガーゴイルが体勢大きくを崩す。
これを好機として、足の裏に風の力をため、それを一気に放出させる。一足飛びでガーゴイルの懐に入ると、剣を上に突き上げた。
「これで、終わりだ」
剣を、首筋にまっすぐ突き刺す。緑の血が噴水のように噴き出し、イアンを汚していく。それに伴いガーゴイルの断末魔の声が響き渡った。
ガーゴイルは、少し痙攣した後、ぱったりと動かなくなった。
剣を抜き、自分にもたれるように倒れてくるガーゴイルを地面に倒させる。
「なんとか、なったか」
息を荒らげて、イアンは自分が殺した魔物を見ながら、そう言った。手には細かい切り傷が幾本も走っていた。防御する過程で、なんどもかすってしまっていたのだ。
特に右腕の傷がひどかったので、マントを切り裂き、それを包帯替わりにする。古傷の上にまた新しい傷ができてしまっていた。
なんとか怪我の処置をした後、イアンはその首を切断した。そして、剣を残ったマントで吹いた後にそのマントで包んだ。これを、町に持っていけば、三千コルだ。
これで当分の旅の資金には困らないだろう。しかし、早速マントを新調し、剣を研ぎに出さねばならない。怪我も少しは癒してから旅を続けなければならない。
時間はそんなに残っていないというのに、イアンはこんなレベルの魔物にも苦労していた。龍はこんなやつよりも大きく、そして強大な力を持つ。
龍がどこにいるかという情報もまだ手に入れられていなかった。また、龍を殺せるような武器についても、わからなかった。
早く大国エルクラルドに行かなければならない。そこの図書館を使うことが出来れば、龍とその武器に関する記述がきっとあるはずだ。今は、それを信じて進むしかなかった。
弓矢と荷物を回収し、首を包んだマントをバッグの中に入れて歩き出す。右腕がひどく痛むため、それをかばいながら歩みを進めた。ゆっくり、ゆっくりとした歩みだった。
一歩一歩、痛みを堪えながら進んでいくこの道筋は、これから辿るであろうイアンの運命を象徴しているかのようだった。辛く厳しいこの道程を、共に歩く仲間は、まだいない。
続く
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2010/12/18(Sat)02:19:52 公開 / 白たんぽぽ
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■作者からのメッセージ
12/18
みなさんの作品を読んでいたら、急に僕もファンタジーを書いてみたい!と思ってしまい、先にこっちを書いてしまいました。超久しぶりの三人称だったのですが、どうだったでしょうか。一応王道ものを書いてみたかったことと、登場人物の葛藤をテーマとした作品を書いてみたかったので、こんな話にしてみました。それにしても戦闘描写とか、ファンタジーの設定って難しいですね。自分にはどんな作風がいいのか、ちょっといろいろ書いたり、読んだりしながら、また考えたいと思います。感想待ってます。よろしくお願いします!