- 『ウェブの迷宮』 作者:鈴村智一郎 / リアル・現代 ミステリ
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全角13829.5文字
容量27659 bytes
原稿用紙約37.5枚
ごくありふれたウェブの中の現象をテーマにしてみました。
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雅信が最近、大いに懸念しているというべきか、特に注目し始めたのは、米国シリコンバレー企業Googleだった。彼は『ウェブ進化論』や、もう少しライトな『ウェブ社会の思想』などといった一般書を最近よく読解していたのだが、そこで彼が抱いたのは、「ボルヘスがようやく微笑し始めた」ということである。それら二冊の本に共通していることは、現代が「Web2.0以後の世界」であるということと、おそらく2014年にはAmazon.comとGoogleが合併して、「グーグルゾン」という巨大なリゾーム状組織になるということだった。
そして、何よりも雅信がある種の不安と熱狂的な揺さぶりを与えられたのは、グーグルの極めてボルヘス的な企業理念であった。それは日本語版グーグルの検索トップページで簡単にチェックできるのだが、そこに「全世界の情報をオーガナイズして、発信する」といった旨のテクストが存在している。これは古代アレキサンドリア図書館で、設立時に当時の図書館長ファレロンのディミトリウスが述べた台詞「世界中の知識をここに集結させよ」と相似形を成す。更に、雅信は神秘的な喜びと共に想起したのだが、ステファヌ・マラルメが「世界中の全ての書物を一冊に結晶化させる」といっていたことも、グーグルとアレキサンドリアに類似していると考えた。そして、それらを全て混合した彼方で、雅信は、ボルヘスの存在を強く感じるのである。
ボルヘスはニーチェと同じく永劫回帰説の崇拝者であったが、ストア派の言葉でグーグルの野望を伝えようとすると、雅信にはそれが「循環論」になると感じられた。つまり、アレキサンドリアはアルファであり、グーグルはオメガである。これらはウロボロスの蛇の如く、プロティノス風の表現を用いるならば「ト・ヘン(一者)」であり、したがって時間的には巡る。奇妙なことに、グーグル社員はインターネットを神学化していた。それらも雅信は、今後の世界のための何らかの伏線に過ぎないと予想している。
雅信は、グーグルという企業は、一人の、ないしは二人以上の哲学者に匹敵し得ると考え始めていた。ドゥルーズ+ガタリが後期哲学で到達したニューラルネットワークの思考フレームを、グーグルは前提として認識している。しかし、現在の国内の出版事情について詳しいことは解らないのだが、雅信は大きな市立図書館でも彼が希求している哲学書に触れたことがない。ないのだ。それは、未だ到来していないのである。
だが、今後の哲学は、おそらくグーグルと潜在的にリンクする形式で発展すると雅信には予想された。そこでは、もうデリダの『パピエ・マシン』はアナクロに過ぎるのである。そして、時期的にもいよいよ運命的なのだが、彼がこうした思想領域に緩やかな移行を見せ始めた頃、ユーチューブでニーチェ最晩年の動画が流出しているのを知った。そして、彼はそこで初めて、あのニーチェが、「動いている」のを見たのだ!
雅信は、こういったことを考えている時、いつも宙に浮かんでいるような不安定な感覚を浮上させた。ドゥルーズがいっていたが、現代は「ネオ・バロックの世紀」になる、ということに関しては、雅信も異論はない。ドゥルーズがグーグルの驚嘆すべき諸々のウェブサービスを予言していたのかは定かではないが、確かに「21世紀のアレキサンドリア」では、書物は情報のコードとなって、管理され、余すところなく利用者に配給される。グーグルには、ライプニッツが期待していた「普遍学」的な魔術的魅力がある。だが、それらが雅信には根本的に、まだ畏怖すべきものとしても感じられた。ネットを擬人化して彼は定期的に「彼女」と呼ぶことがあるが、彼女は、一体、何を考えているのか?
とにかく、雅信は季節が冬になり始めているということもあって、よく身震いしていた。別の肌寒さがあるわけだ。ただ、スピノザが『デカルトの哲学原理』でもいっていたことだが、事物には善悪は宿らないわけだから、ネットが悪に思えるのは使い手次第なのである。雅信はネットを超利便的な必要不可欠な知的ツールとして認識しているので、別に怖がる必要もないのだが。
雅信はそのようなことを考えながら、ようやく安息日の一休みを終えて、河川公園に出掛けようと思い立った。自転車で家を飛び出して、堤防を駆け下りて、遊歩道を走らせていると、前方から陽彦がやって来た。こんなところで会うなんて奇遇だな、と思いながら、雅信は彼に挨拶した。二人はしばらく高校時代の聖書研究会の思い出について語り合った後、やがて二人とも、自転車で海辺へ向けて走り始めた。青空の下、広い草原の中央を、蛇行しながら遊歩道が続いている。遥か彼方まで。
――へえ、それじゃあ雅信先輩は、最近はブログで読書感想文を公開してるわけですか?
陽彦が器用に左手で自転車を操作しつつ、右手でポケットサイズの仏訳『痴愚礼讃』を開きつつ、しかも顔面は雅信の方をしっかり向けてそういった。
――ああ、そうだよ。最近はフッサールをちゃんと読む必要性を感じ始めたんだ。デリダの出発点だし、フッサールを読むことが、最近の若い二十代くらいのインテリ層で「隠れブーム」になってるらしいからね。面白い現象だ。
雅信と陽彦はそういう感じで近況報告し合いながら、ひたすら広大な海辺を目指して走り続けていた。
――あっ、そうだ。先輩?ちょっと質問したいんですけどね、よくネットで何か検索していて、ときどき「ページが見つかりませんでした」「情報を検出できませんでした」なんていう画面が表示されるでしょう?
雅信は静かに頷いた。
――例えば、あるサイトの管理人が、そこを閉鎖したりして、実態がないのに、画面だけ表示されたりするじゃないですか?前にはちゃんと更新されてたのに、お気に入りに登録してた同じそのサイトに何ヵ月後かして行くと、「ページが見つかりませんでした」という感じで表示されます。俺はこういう瞬間は、非常に神学的な命題を孕んでいると感じるんです。
雅信は、後輩である彼が、昔から常人離れした思考力の持ち主であることを知っていた。それだけに、この平凡なようでいて、何か大いなる謎を秘めてもいるような問いかけに、強い好奇心を示したのだ。
――どういうことなんだい?何故それが神学と連関を持つんだ?
雅信がそう問い返すと、陽彦は自信なげに微笑して、本を片手で閉じ、空を見上げた。
――ちょっと前にですね、『キリスト教神学事典』で、「ウェスティギア・トリニターティス」というキーワードを見つけて、チェックしていたんですよ。意味は、「三位一体の痕跡」で、この言葉をおそらく一番初めに使ったのは、聖アウグスティヌスだとされています。内容はあまり記憶に残らなかったんですが、一つだけ印象深かったのは、この概念が、現代のキリスト教神学では、ほとんど使用されていないということ。そして、これは、聖アウグスティヌスが『三位一体論』を執筆している当時に、おそらく不可避的に出現した発展途上の概念だったということです。ほら、生物で「痕跡器官」というのを習ったでしょう?「ウェスティギア・トリニターティス」は、いわば「ドクトリン・オブ・ザ・トリニティー(三位一体の教説)」の「痕跡器官」なわけです。
――ハルのいっていることは解ったけど、でもそれがさっきの「ページは見つかりませんでした」と、一体何の関係があるっていうんだい?
雅信がやはりそう尋ねると、陽彦は不意に深刻な面持ちになった。何か神秘的な気配を、彼自身がその瞬間に感じている、といった表情である。
――構図としては、まず「何か概念なり、事物が、<ある>」。それで、次に「それが、次の形態へ進化する」。この時、多くの要素が捨象されたり排除されたりしますけれど、「痕跡」として残るものはあるわけです。
――ああ。それで?
――俺がいいたいのは、「ページが見つかりませんでした」と表示されている画面には、ページが見つからなくなる前の、その当のサイトそのもの、或いはブログそのものが、「痕跡」として確実に<ある>ということです。
雅信はおかしくて笑い始めた。陽彦の突飛な発想に一驚したのである。机上の空論でさえない、幻想的な考えだと思った。
――ちょっと待てよ、ハル。その「ページ」と、「ページが見つかりませんでした」というページは別だろう?つまり、前の「ページ」と「ページが見つかりませんでした」というページの双方を知っている人間だけが、二つを意識的に連鎖できるわけだ。もしも、前の「ページ」を知らない人が、「ページが見つかりませんでした」と表示された画面だけを見て、何故その原型となる「ページ」を復元可能なんだ?
雅信がそう反論すると、陽彦は急速に肩を落としてしまって、苦笑した。
――そうですよね、俺の考え方、なんかおかしいですよね。でもね、先輩?俺は感じるんです。検索して、欲していた情報を知ることができる瞬間ではなく、検索したのに、情報が非公開な時にこそ。
雅信は背筋が凍り付いた。その瞬間、彼は古代アレキサンドリアで、かつてある学者が綴ったであろう、現存しない書物の序章を想起した。それを言語化することはできなかった。創世記の冒頭、とりわけバベルの塔建造に近い「節」に、限りなく接近している、何か失われてしまった「テクスト」である。
――ハル、お前はその時、一体何を感じるんだ?
陽彦は美しい晴天を眺めながら、昼下がりの情熱的な瞳を輝かせた。その瞳は、しかし、灰色の孤独を孕んでいた。
――先輩が、毎週、聖体拝領の時に、神父様の前で感じるものです。俺は、最近、お気に入りに、実態のないサイトだけを登録するようにしています。そこをクリックしても、「ページが見つかりませんでした」としか表示されないようなサイト、ないしブログなどを。それらを、発見した日時ごとに、時系列に沿って整然とカテゴライズしているんです。昨夜、ようやく俺が確信していた出来事が起きました。最初に登録していた、「存在しないページ」が、ようやく復元されたんです。
雅信は最早、声を失っていた。Web2.0以後の世界で、何かが起き始めていることは事実のようだった。おそらく、陽彦はそのページの「原型」となるページを一度も見ていないのだろう。
――そこには何が書かれていたんだ?原型は何のサイトだったんだ?
――環境省で勤務している女性の、平凡な日記でしたよ、と陽彦は即答した。でも、彼女のブログのリンク先に、俺のブログが貼付されていたんです。勿論、俺と彼女は顔見知りじゃありませんし、ネット上でも、いかなるコンタクトも取っていない。
――ハル、君は自分のそのブログに飛んだのか?それは本当に君が運営していたブログだった?
――ええ。一部を除いて、完全に同一でした。全くのコピーです。ブログを立ち上げた日付も、秒単位で同一です。ただ、俺がまだ書いていない日記、つまり今日の日記が既に記載されていました。
――それをまさか読んだのか?といって、雅信はシスターさまから貰った大切なロザリオを握り締めた。
陽彦は薄く微笑して、ようやく雅信の顔を見つめた。自転車が止まった。陽彦は、静かに震えていた。まるで吹雪の雪山で遭難した青年のように、頬は内出血し、蒼白くなって、冷や汗を多量に湧出させていた。雅信は急いで大切な後輩を近くの黄色のベンチに運んだ。彼は既に、ぐったりして、生命力を急激に弱くしていた。
――先輩…。俺はただ、グーグルの暗部に関して、調査していただけだったんです。調べているうちに、彼らが新約聖書について、プロトコルを残しているページに漂着したんです。そこで、彼らはイエズスの名前を、奇妙にも「http/0」と表現していた。ゆっくり二千年、三千年かけて、彼らはキリスト教を消尽させるつもりです。ヴルガータ聖書も、全てラテン語原文がネット上で公開されています。彼らは、全てのリアルな情報を、ネットへ移し替えています。そして、リアルの原型を、根絶やしにして、少しずつ神の言葉を変形させるつもりです……。俺は殺される運命だったんです。日記には、今日の日記のことですが…そこには、俺が先輩と河川公園で出会うということも、綴られていました……。俺の行動パターンは、俺の日記やその他のネット上の発言で、読み取られていたんです…。先輩、もう俺から離れてください。もう少しすれば、「彼ら」がやって来ます……。
雅信は彼から離れず、陽が沈んでも彼とベンチにいた。やがて誰も来ないことを確かめると、彼は陽彦をおんぶして、街へ向かった。陽彦はやはり精神力を喪失していたが、冗談のような小声で「先輩が俺から離れなかったから、きっと神が俺たちの友愛に慈悲を与えたんでしょうね」と囁いた。そして、小犬にように眠り込んでしまった。雅信は陽彦を彼の自宅まで届けると、やがて静かに夜の光の洪水に向かって歩き始めた。
数週間後、彼は陽彦が高層ビルの屋上から投身自殺を遂げたことを知った。遺書には、「主は与え、主は奪われる」というヨブ記の御言葉がヘブライ語で記されていた。それだけだった。
雅信は葬儀の夜、陽彦の一つ年下の妹の春香と顔を合わせた。彼女は兄の棺を見なかった。陽彦の端正な顔立ちは地面との衝突で極度に変形し、最早いかなる痕跡も留めていなかったのだ。二人は葬儀から少し離れた夜の小さな公園のベンチで、陽彦が死ぬ間際に取っていた不可解な行動について話し合っていた。
――兄の部屋にある本を調べていたんです。事件が起きてからずっと。そうしたら、エラスムスの『痴愚礼讃』に、「イエズスの名の神秘」を説明したドゥンス・スコトゥスのことが記されているのを発見しました。兄がそこにだけ、特別に太い赤線を引いてチェックしていたんです。まるで「ココヲ読ンデクダサイ」って叫んでるみたいに…。エラスムスの説明に拠ると、Iesus(イエズス)という言葉には、三つの活用形があるそうです。もっとも、私はスコトゥスの原文もエラスムスの原文も読んでいないから、これは翻訳に基くんですが…。
――続けて。その活用形というのは?と、雅信は春香を促した。
――ええ。正確にはIesusの後に、まだあと二つあって、「Iesum」「Iesu」と続きます。最初の活用形では、本来、最後の「s」は発音されません。同様に、二番目と三番目の最後の音、「m」と「u」も、<語られない小文字>なんです。これら三つの「s、m、u」は、それぞれ「summum(起源)」、「medeium(中間)」、「ultimum(終焉)」の頭文字であると、スコトゥスは述べていたようです。
――イエズスという言葉が三段活用の一つ目だったなんて、知らなかったよ。でも、陽彦はこれについて、何か他にメッセージを残していたのかい?
――兄のデスクトップ画面に残っていた記録は、全てゴミ箱に捨てられていたんですが、一つだけまだ復元可能な文書があったんです。それをプログラム運営に詳しい友人の手で復元してもらうと、Web2.0以後の世界では、イエズスの名前は既に最後の三つ目にまで達していると記されていました。つまり、「終焉」です。でもわたし、これを読んだ時に、兄がニーチェ風の反キリスト的な悪戯をして楽しんでいるような気もしたんです。後半の文章は、全て『この人を見よ』のドイツ語原文からの引用で、最後に「mうシにマす」とだけ記されていました…。
雅信は頭を抱えた。辺りは暗い井戸の底のような不気味な闇に沈んでいた。昼間は平穏な草花や、楽しげな象の滑り台も、どこか気味悪いものに感じられたのだった。
――陽彦が自分のブログのリンク先に貼付していた人物の何人かと、君はネット上でコミュニケイトしたことがある?
雅信は気になることがあって、そう質問してみた。
――いいえ。でも、一番最後に貼付されていた「バベルの塔」というサイトの運営者とは、定期的に言葉で応答していたようです。記録が残っていますから。その人に、アルゼンチンの作家のJ・L・ボルヘスという人の「トレーン、ウクバール、オルヴィス・テルティウス」の仏訳を紹介してもらったみたいで、兄も読んだようです。具体的なことで記憶してるのは、それくらいですね…。
――そうか、ハルも「トレーン」を…、と雅信は深い溜息を吐いた。いや、あの作品でも、仮想世界が現実世界を汚染する、ということが綴られているんだ。架空の本、架空の作家、そして架空の国家を、「あちら側」に設置するというのは、ボルヘスの好きだったことだよ。
雅信はそういって、葬儀の夜に相応しくない会話であったことを恥じた。しかし、春香はむしろ、大切なことは葬儀ではなく、兄が残した秘密の遺言の謎を解き明かすことだと決心していたようで、平然としていた。
――まるでグーグルの企業理念みたいですね、と春香がいった。
――君も同じことを考えるわけだね?でも、これはグーグルが最初じゃないんだ。古代アレキサンドリア図書館が設立された後でも、やっぱり同じようなことが起きたんだ。つまり、カエサルが引き起こした戦争で、七万冊以上の書物が灰と化した。情報が失われ、プログラムにもエラーが生じた。グーグル、いや、今後出現する「現代のアレキサンドリア計画」で、「カエサル」とは何を指すだろう?俺はそれが怖いんだ。そして、ハルはきっと、「カエサル」の正体に限りなく接近した、初期の目撃者の一人だったんだ。
春香が素早く立ち上がった。
――見つけましょう。二人で。「カエサル」を。彼はきっと、英雄じゃないわ。
こうして、雅信と春香の探索が始まった。それは、ダイダロスの怖ろしい複雑奇怪な迷宮を、手探りで徘徊するにも近い行動であった。二人は週末になると、大きな市立図書館に足を運んだ。その図書館の蔵書数は数年前までは二十七万冊であったが、最近は大部分がマルチメディア化され、ネットの「あちら側」へ移転されていた。つまり、紙媒体の書が世界から一冊、また一冊と消尽され始めていた。<Web2.0から、2.5に移行する上で、情報のマルチメディア化は必要不可欠です。木々を切り倒して紙を作り、印刷するという古典的な書物生産時代は終焉に達しました。これからの世界は、全て、ネットでページを開く新しい読み方へと、ゆっくり移行していくでしょう!>市立図書館の一階の中央窓口に、そんな掲示板やポスターが大々的に掲載されていた。雅信と春香は、できるだけそういったポスターから遠ざかって歩いていた。
世界中の多くの人間は、まだ「カエサル」の存在に気付いていない。気付いてからでは、もう全てが遅いのだ。だから、二人はその正体を暴き出し、大々的に全世界に公開する決意をしていた。「カエサル」は、おそらく、グーグルと関係がある…。
ふと、雅信は図書館の近隣のカフェテラスで、メモを走り書きした。春香は調査による披露で、ぐったりと肩を落としてテーブルに頬杖をついていた。彼が読んでいたのは、何故か常に注目せざるをえないスピノザの『デカルトの哲学原理』である。そこで、彼は「ユニオン」「マルチチュード」という、二つの特異な概念に遭遇した。ユニオンとは、「一」、つまり単一性を意味する。スピノザにとって、ユニオンとは、神の別称である。対して、マルチチュードとは、「多」、つまり数多性を意味すると書かれていた。不思議なことに、スピノザは、あまりにもあっさりと、これらを紹介するに留めている。
雅信は、スピノザが何か大切なことを、あえて隠しているような気配を感じた。そして、この辺りのページを往復して頭を抱えているうちに、ハッと、先日陽彦がいっていた「ページが見つかりませんでした」の話を想起したのだ。「原型のページ」と、「ページが見つかりませんでした」というページの関係は、一体どのようなものなのだろうか?それは、「素顔」と「仮面」の関係ではないか?
「ページが見つかりませんでした」という情報が伝えている真の情報とは、「ページが見つかりませんでした。少なくとも、今は、或いは、ここにおいては」である。この最も重要な部分を、通常のネット空間では、( )入れするどころか、完全に削除してしまっている。かつて存在したものは、必ず、喪の形式において残存する、とデリダは述べていた。キリスト教が、プラトニズムの廃墟の上に築かれたが如く。したがって、「ページが見つかりませんでした」という画面のどこかには、「原型」となる元のサイトそのものの、痕跡が潜んでいる。
雅信が考えたのは、しかし、それだけではなかった。「原型」となる元のページは、いうなれば一つのユニオンであるということだ。そして、「ページが見つかりませんでした」という、仮面化されたページは、ユニオンが何らかの作用を受けて別のものに派生したり、変形したりした、変奏、多なるものの一形式、すなわち「マルチチュード」に他ならない。Web2.0以後の現代世界において、ネットとは、マルチチュード化された世界だと認識できる。
だが、それら全てには、「原型」が存在する。そう、グーグル社員が毎朝唱えている、「彼女」が、つまり、「ネットの神」、ユニオンが…。陽彦は、ずっとマルチチュードをコレクションしていた。それが意味するところは一体何なのか?どうすれば、数多的に分散してしまったものたちが、再び結晶化して「一」に戻り得るのか?これは、バベルの塔以前、以後の言語的環境と類似していた。前バベルの塔期の言語は、ユニオンの概念に帰属する。対して、後バベルの塔期の言語は、マルチチュードである。情報が数多的なものであり、それを発信する場が唯一のものになっていくのであれば、発信者とは一体何なのか?それは、人間が求めてはならないものに違いない、と雅信は確信した。それは、禁忌の掟である。これを破れば、「カエサル」が来て、全てを焼き尽くすだろう…。
――ねえ、雅信さん?ユダヤの諺にね、こんなものがあるらしいの。「ひとは母胎にいる時、全知である。だが、生れ落ちると、全てを忘却する」…。
雅信の不安は掻き立てられた。春香に今、考えたことを教えるべきだろうか?否、それはもうよそう。彼女が兄と同じ行為に走らないために。
――神に近付きすぎると、被造物に過ぎない人間は、必ず罰を受けるんだ。サタンは堕落したし、ボルヘスは盲目になった…。
――昨夜も、兄の『痴愚礼讃』を読んでたんです。そこで、聖ベルナルドゥスが「サタンが居場所を決めたところは、学問の山であった」と記していたのを、エラスムスが紹介していました。雅信さん、神さまは何故、知り過ぎることを嫌うのでしょうか?信仰と理性は共存可能なはずです。
雅信は静かに頷いたが、最早、不安は大きな海底の大蛇のように陰鬱なとぐろを巻き始めていた。雅信もやはり、精神的に疲弊し始めていた。夢さえ見なくなった。悪夢が懐かしいような感覚である。
――俺は……と、雅信は朦朧とした意識の中で彼女に訴えた。俺は…そんな器用には生きれないな。俺は、学問よりも信仰が大切だと思う。全ての本が火事で燃え尽きても、新約聖書だけは、命懸けで守る。
――でも、と春香はほとんど「妖艶な」と形容してもいい微笑を浮かべた。新約も旧約もアポクリファも、既に世界中でマルチメディア化されています。火事で全てが灰になっても、ネットの中には全てがある。だから、「カエサル」は存在しない…。
雅信はゆっくり瞼を閉じた。何を怖れているのだろうか?何かが、もうすぐやって来るような不安なのだ。何か大いなる「忘却」が。それは知った瞬間に、忘れ去られてしまう。神が、そのように仕組まれたのだ。新しい神学は、ネットの中で悲劇的に誕生するだろう。
――あらゆるものの背後には……慈愛に溢れた力が存在する……だから、何も怖れる必要はない………なにも…。
雅信が急速に衰え始めた一方で、春香は探索を進めていた。彼女はパラケルススの錬金術に関する概念で、「分離」と呼ばれるものに注目した。それに拠れば、純粋なものと不純なものが、或いは精妙なものと粗雑なものが、分けられるのだという。錬金術には、七つのプロセスが存在した。その四番目の過程が「腐敗」と呼ばれているもので、「分離」はおそらく一つ前の過程に当たるだろう、と春香は考えた。春香は、「純粋」という語と「不純」という語は見事に二項対立的になっていることを見出した。「精妙」と「粗雑」もそうである。
Web2.0以後の世界における「パラケルスス」が、もしもネット空間で錬金術を発動するとすれば、おそらく「精神」と「肉体」を分離させるだろう。その上で、彼は、「精神」だけを、ネット上で浮遊させるだろう。ネットは、いわば身体なき頭脳と化す。春香はこのような突飛な考えを思いつくこと自体が、やはり虚無的な不安の表れだと感じた。だが、実際に、既に錬金術による「分離」によって、魂だけをネット上で浮遊させているような人間たちが、現代世界に増殖を続けていることを、彼女は知っていた。そのような人間たちが、知らず知らずのうちに、「カエサル」へと変貌していくのではないか、そんなありもしない不安さえ抱いたのだ。
春香の探索は、図書館の片隅でほとんど毎日、行われていた。ページを開ける力さえ失った雅信は、ひたすら春香の似顔絵を描くようになった。彼女は雅信が、陽彦の亡霊に憑依されたのか、或いは、ネット内の無数の顔なき幽霊たちに汚染されたように感じた。雅信は、ネットそのものを怖れ始め、携帯電話、テレビ、果ては電子辞書や白熱電球といった文明の利器に至るまで、全てを遮断して生活するようになってしまった。
雅信は都市の密林に逃げ込んだ、一人の現代の原始人と化した。
そんな頃、春香は図書室でライプニッツの本に出会った。そこで、彼女は「街は一つだが、街を見る視点は無限にある。そしてそのいずれの視点もが、一つの街そのものの姿を表出している鏡である」といった内容のテクストを見出した。これを読んだ時、春香は雅信が落としたメモを読んだ時に感じた神秘的な感覚に近しいものを感じた。また、同じ頃、春香はラテン語辞典で「ユニオン」という語について調査した。
ユニオンの「ユニ(uni)」が、接頭辞として「唯一の、単一の」を意味していることを知った。そして彼女は、uni-genaが「ひとり子」を、uni-versitasが「宇宙、全世界、普遍性」を意味していることを知った。「ひとり子」は、等号で「キリスト」と結ばれていた。それを目にした時、春香は雅信のようなキリスト者ではないにも関わらず、厖大な辞書の記号の洪水の中から、光を発見したような気がした。
やがて雅信が行方不明になり、懸命な捜査の結果、五日後に河川で溺死しているのが発見された。しかし、春香は奇妙にも、「哀しい」とか「涙を流すべきだ」とか「もう何もしたくないし、何も考えたくない」などという感情を剥奪されていた。春香は、むしろ、本当にこう思ったのだ。「一体、誰が雅信さんを殺したのだろうか?」。
よくよく考えてみれば、兄の自死も、不可解な死だった。二人は、誰かに暗殺されたわけでもない。ただ、この世界においては、死者として位置付けられたに過ぎない。だが、ネット上ではどうだろうか?兄も雅信さんも、ネット上のどこかでは、「霊魂」だけになって、まだ生きているのではなかろうか?プラトンは霊魂不滅の最終定理を『パイドン』において述べていた。これはイエズスも教えにおいて看取していた。一般的にひとが怖れる死とは、肉体の死に過ぎず、実際は、ひとは霊魂の状態で、永遠に生きる。誰も死んでいないのではないか?
むしろ、「ネット」に、彼らの霊魂は向かったのではないか?霊魂にとって、ネットは、まるで温かい波打際の世界のように、居心地が良さそうだ、と春香は感じた。だが、しばらく自室で、雅信が描いてくれた下手な似顔絵を覗いていると、いつの間にか涙が一滴滑り落ちているのに気付いた。何故、私は、彼に感謝の言葉を与えられなかったのだろう?少なくとも、つまらない学校生活よりも、彼と過ごした半ば不安げな探求の方が、まだ幾らか楽しかった。彼も、兄も、どうしようもなく下らなく、哀れな死に方をしたような気がして、彼女は恥辱に満ちた罪の意識を抱いた。
やがてカトリック教会が、ネット上で「赦しの秘蹟」を行うとするメッセージを全世界に向けて発信した。これによって、キリスト者は、教会に通わずとも、ネット上の仮想教会で、祈り、罪の告白ができるようになった。神父や牧師の説教は、全て動画でリアルタイムで配信された。聖体拝領のパンは、教会公認の特別なパンを用意することで、あまりにも乱雑に解決された。
そこには、明らかに教会の、何らかの大きな権力への妥協が見え隠れした。一部の若いカトリック信徒は、グーグル連合とカトリック教会の癒着を感じ、プロテスタントに改宗したり、教会離れになっていった。
都市では世界的なレヴェルで大規模な森林公園化が進行していた。巨大なビルや工場地帯は、いつの間にか森になっていった。春香の学校も、全てネット上に移転された。移転することに対する抵抗感を除去するための神学書や、理論的な哲学書が、広く知識人の間で流通した。世界は、ネットという島宇宙の中にほとんど移転され、逆に原始時代へ回帰した。グーグルの本社は、密林の深奥で、城のように美しい透明の建物として聳えていた。
この頃になると、既に春香は死んでいたし、春香の息子も既に老人となっていたが、二十二世紀になる頃には、ユビキタス化が実現され、いわゆるWeb3.0が到来していた。そしてその頃、東南アジアの極度に発達した一都市で、七歳のハッカーの少女が逮捕された。罪状は、(ある神学者の説に依拠すると、彼女は新世界をネット内に創造したのだという)表向きは「情報そのものに対する侵犯行為」とされた。しかし、彼女の肉体は未だに発見されてはいない。
春香の曾孫の雅人は、亜熱帯化によって深刻な食糧危機に陥った日本列島を離れ、遠国の南仏ニームの郊外で、両親と三人で暮らしていた。雅人は十三歳だったが、飛び級で既にバカロレア試験に合格していた。最近、雅人は親友の英国出身のセプティマスと、街からバスで二十分で行けるローマの古代橋で憩っていた。この辺りもやはり温暖化の影響で、ミストラルの風向きさえ変化していた。二人は、本当は禁止されているのだが、古代橋の上に上って、観光客にこっそりポッキーを落としたりして遊んでいた。
――雅人、今朝のル・モンド誌を見た?
――え?見てないよ。ぼくは夜行性だからね。朝刊は夜に見るのさ。
空は呆れるほどの美しい青空だった。地球規模で、もう既に別の天体への移住計画が進行しているというのに。
――ユネスコがさ、百年くらい前に「世界の記憶」プロジェクトってのを発動したろう?ほら、貴重な世界遺産の写本をマルチメディア化して、ネット上で保存する国連の計画だよ。あの実質的な管理権が、グーグル連合に譲渡されたってさ。
――ふーん。
――あれ?びっくりしないの?
雅人はまた、ふざけて、今度はオレンジジュースを小太りなアメリカ人の中年女性に降り注いだ。彼女は大声で悲鳴をあげて、「神さま!」と叫び立てながら、ハンカチで拭っていた。雅人はクスクス笑いをして、意地悪そうにセプティマスを見つめた。
――グーグルが国連にも認められるほどの国際的な「政府」になったってことだろう?なにを今更って感じだね。そんなことよりティミー、ぼくは先月逮捕されたらしい「彼女」に関心があるよ。いや、ぼくだけじゃないね。世界中の知識人が、みんな「彼女」をテーマにしたがってるように感じるんだ。なにせ、「肉体」だけが逮捕されたわけだから。
雅人がそういうと、セプティマスは肩をすくめた。
――逆だろう?新聞じゃ、「肉体はまだ発見されず」って…。
――バカだなあ。あれはグーグルの三流ジョークさ。ネットの中は、あいつらの十八番だろう?捕まえたも同然って意味で、精神・肉体の二元論を倒置させて遊んでるわけ。彼らがやりそうなことだよ。もうとっくに体だけは捕縛されてるはずさ。えっと…七歳の女の子だっけ?
――うん。ユーチューブで動画も観たよ。沈黙を守り続けてるらしいんだ。黒髪で、チョコレートを見ると目の色が変わるってさ。
――ふーん。まあ、別に誰でもいいんだよ。「彼女」にとっては。
雅人は元気よく立ち上がった。そして、残りのポッキーをやんちゃに口の中に放りこんだ。セプティマスも立ち上がった。二人は空を見上げ、橋の下の広い川辺で遊んでいる同年代の少年たちを見下ろした。
――雅人、きみはこれからどうするの?やっぱり教授になる?パリ大へ?
――いや、三週間後にイスラエルに飛ぶ予定なんだ。テクニオン工科大から講演会を頼まれててね。パリは二の次。
――いつも思うけど、君は風変わりな日本人だよな。普通のアジア人はみんなパリを見たら、それこそ目の色が変わるってのに。こんな田舎がお好きなんて。
――田舎が好きなのは事実だね。最も中世的じゃないか?実際、最近、ぼくの祖国でも街が中世化してるそうだ。森が増えて、ビルは減ってる。もっとも、森のいたるところに端末はあるけれどね。
二人はそうして、やがて橋の上から姿を消した。仮想世界に作り出された古代ローマ橋ではなく、実際のポン・デュ・ガールまで、バスはもう少しで来るだろう。夏、躍動的な入道雲が、一人の少女を見つめている。少女はクレパスを使って、ゆっくりと何者かの似顔絵を描き始めた。
(終)
※この作品でテーマとなったグーグルのブック計画に対する警鐘としては、以下の記事が有力な示唆を与えている。 「グーグル・ブック検索は啓蒙の夢の実現か?」(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年3月号)
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■作者からのメッセージ
よろしくお願いします。