- 『裕福な少年』 作者:藤沢侑麻 / ショート*2 未分類
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全角3037文字
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原稿用紙約8.8枚
僕は裕福な家に生まれ、贅沢三昧生きてきた。毎食、肉を食べて、デザートはケーキ。綺麗な洋服を着て、不自由のない暮らしをしてきた。ただ唯一、頭を悩ませていることは親が過保護であることだ。ふん、こんなことを言うと嫌味に聞こえるかもしれないが、僕の過保護は裕福過ぎる故に生じた不自由というやつだ。その代わり、毎日僕を公園に連れて行ってくれている。まぁ遊ぶときも親や家政婦が同伴するのだが、別に気にせず自由に遊べるから大した問題でもない。今日もお腹いっぱいご飯もデザートも食べたし、そろそろ公園に連れて行ってもらおうかな。
「今日は何して遊ぼうかな。ねぇ、お母様、公園に行こうよ」
「待ってね。用意するから」
公園には砂場や滑り台、プールに加えてジャングルジム、遊び場が多様であれば、そこで遊ぶ友達も多種多様である。砂場で泥遊びするもの、プールで泳ぐ練習をしているもの、下品な友達は裸で走り回っていたりする。
母はベンチで秋の涼しい風に当たりながら本を読んでいる。
さて、今日は何をして遊ぼうか。ゆっくりプールで泳いでみるか。
ぷかぷか浮かびながら、周りを見回した。裸で嬉しそうに走り回っている友達が砂場で転んだり跳ね回ったりしている。そういえば、僕は今まで走ったことがない。それは、上品に生きろと教育されてきたからだ。時間もお金もたくさんあるのだから別に急ぐ必要もない。だから、走らなくてもいい。そう言われてきた。走る前にほしいものは何もかも与えられてきたから、本当に走るという必要がなかった。走るというのはどんな感覚なんだろうか。歩くよりもずいぶんと疲れるらしい。もう今日は十分遊んだ。
「そろそろ帰ろうよ」
「はいはい」
僕はお風呂に入って母の横に寝転がった。
僕はゆっくりと目をつぶった。今日も楽しかった。でも、僕の生活は本当に幸せな生活なのだろうか。何もかも管理され、何もかも与えられて育ってきた僕の視野は明らかに狭い。そんなことはわかっていたのだが、何しろ生活に不自由がない。今の現状をわざわざ変えようだなんて思わなかったのだ。いつもはこの辺でぼんやり眠りに落ちるのだが、今日は少し違っていた。恐らく友達が楽しそうに走り回っているのを見てしまったからだ。彼は僕よりも遥かに広い視野を持っているだろう。最低でも彼は走るということを知っているからな。そう考えたとき、僕の心には走ってみたいという気持ちが明確に現れていた。
今日の僕は全く眠れなくなっていた。走りたいという気持ちがそうさせていた。
昔、僕は親の目を盗んで外に出ようをしたことがある。しかし、外に出る前の玄関で見つかってしまった。その日はこっぴどく叱られた後、ご飯がしばらく一日一食になり、デザートは抜き、そして、一週間一切の外出を禁止されてしまった。楽しみだった保護者同伴の公園さえも行けなくなったのだ。もうそれ以来、自分の生活に歯向かうことを諦めた。そのくらい一人での外出はきつく禁止されているのだ。そして、今日はもう日が暮れかけている。明日の公園まで我慢するか。いや、今走りたい! そんな気持ちが僕の足を玄関に運ばせていた。
前ばれたのは、偶然家政婦が買い物から帰ってきたからだ。今、家政婦は夕食の支度中。母の寝室を覗いた。
「今日から梨が……新幹線に…………誘拐犯が逃走……今日の天気は……」
どうやら母はニュースを点けたまま眠っているようだ。よし、今なら行ける。
僕は玄関の外に出た。土が、空が、雲が、空気が、今まで見たこともないほど、赤く染まっていた。こんな美しい景色を生で見られるなんて、なんて幸せなんだ。今までは窓ガラス越しにしか見られなかった。僕の目に、口に、胸に、毛穴全部に、赤い空気が染み渡って、何度も深呼吸をしてしまいそうなほど、気持ちよくなった。実際、気がついたら深呼吸を三度ほどしていた。そして、もう一つ。気がついたら僕は走り始めていた。
初めてみる景色だった。なんだか、絵の具をごちゃ混ぜにしたような景色だ。近くの木が遠くの山に滲んで、その山は空に滲んでいた。そんな中、雲だけはゆっくり、僕を見下ろしていた。僕は疲れること、帰ることも、そして、家のことも考えず、ひたすら走っていた。気がつくと見知らぬ河川敷を走っていた。
「景色って滑るんだな」
そんなことを言いながら、川を眺めながら座っていた。
「おい、お前こんなとこで何してんだ?」
僕は後ろを振り返った。そこには、見知らぬ男が立っていた。清潔感のない破けた服を着て、これまた清潔感のない無精髭の生やした大男だった。
「あれ? お前、あの豪邸の子だよな?」
「え? 僕のこと知ってるの?」
「あの家はこの辺じゃかなり有名だからな……」
僕はあることを思い出していた。僕が母の部屋を覗いたときのことだ。あの時、ニュースで誘拐犯が逃走中だと言っていた。犯人の特徴は無精髭を生やした大男だったはずだ。まさか……。
「家まで送ってやるからな。おいで」
男はそういうと僕を抱きかかえた。
僕は恐ろしくなった。どうにか逃げなければ。
「おい、暴れるな。おとなしく車に乗るんだよ!」
僕は必死に大男の腕の中でもがいた。そして、男の腕に噛み付いた。
「ぎゃっ!!」
危機一髪だった。あともう少しで、車の中だった。男は腕を押さえながら走ってきている。なんでこんなことになったのだろう。僕はただ走りたかっただけなのだ。ただ、手を伸ばせば届く、新しい世界を少しだけ、ほんの少しだけ覗いてみたかっただけなのだ。僕は少し後悔していた。いつもの通り生活していれば、きっとこんなことにはならなかったのだろうと。僕は涙を堪えながら、必死で走った。新しいこと、新しい世界を見ること、それは楽しいことばかりではない。それ相応の危険が伴うものなんだ。僕は全然知らなかった。わかっていなかったよ。
もう随分走った。僕は後ろを振り返った。もう男は追ってきていないようだ。少し安心した僕は走るとこんなに疲れるんだなと、考えながら歩いていた。
やっとのことで家に着いた。帰ってきたのだと確認すると、どっと急に疲れを感じた。足がとても熱い。もう日は沈みきっている。叱られるだろうな。
「ただいま」
玄関の扉を開いた。
「何してたの!?」
「ごめんなさい! 許して。もうしないから」
母はじっと僕を見ていた。目には涙が溢れ出している。
「ほんとにごめんなさい! あと、もう一つ謝らなければいけません。僕、誘拐犯に襲われてしまったんです」
僕は泣く母にしばらく抱きしめられていた。しばらくすると、警察がやってきた。警察の横にはさっきの大男が腕に何かを巻きつけて立っていた。
「この人です!」
僕は叫んだ。誘拐犯は捕まったのだ。
そう思ったとき、母が頭を男に下げた。
「ねぇ! 何やってるの!? なんでそんな人に頭を下げるの!?」
僕は警察に抱えられた。
「ねぇ! どうして!? あいつ誘拐犯なんだよ!!」
僕は叫び続けていたが、母と男の会話を聞いて、僕は絶句した。
「うちの子が申し訳ありません」
「いえいえ。それにしても噛まれるとはね」
「あーそちらの腕を。本当に申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。包帯でしっかり圧迫して止血してありますし」
なぜか声が届かず叫び続けた僕はその場で檻に入れられた。そして、その時、母が僕の方を見た。
「どうして人なんか噛んだりしたの、シロ」
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■作者からのメッセージ
久しぶりに短編を書いたので掲載しました。みなさまの暇つぶしくらいになれば幸いです。読んでくださった方、ちょろっと覗いてくださった方、ありがとうございました。