- 『思夏期』 作者:諸味胡瓜 / 異世界 ショート*2
-
全角1508.5文字
容量3017 bytes
原稿用紙約4.05枚
陽炎の向こうに制服姿の若い男女。緩めたネクタイ、膝上スカートは宣誓の旗のごとく翻る。互いに手を繋ぐ両者。繋がぬもう片方の手に、男はピストルを、女はペットボトルを握っている。今夏二人を待ち受ける出来事に、彼らは笑みを隠しきれない。もどかしそうな足踏み。荒れ果てる息遣い。弾む胸。銃口が静かに上を向く。
そして今! 青天井に号砲一発。投げ上げたボトルから、ソーダの花火が炸裂する。
両者、手を繋いだままゆっくりと助走を開始。蒸し返すコールタールを靴底が駆け抜ける。二人は寸分狂わぬ足並みに速度を載せていく。熱を帯びる筋肉、振り乱す長髪。舞う葉を斬り、飛ぶ蚊をを一閃。四十八段の下り階段手前で、右足衝いて、跳躍。
追い風は上昇気流に早変わり、二人の体躯を押し上げる。風船のように高く飛翔する。眼前に突然広がる城下町に男は咆哮ファルセット。ポケットから吹っ飛ぶ携帯電話に女は嬌声ソプラノ。それら全部が、風の織りなす轟音に葬り去られた。
男女の目指すは華麗なる着地。同輩に、お前なんぞは二階の教室からも跳べやしないさ弱虫やーいとからかわれ、憤激したのは野郎の方。おうし其んなら学校前の心臓破りの階段を跳んでやるから今に見とけと宣戦布告。お前もやるかと冗談交じりで彼女を誘えば「うんとぶー」と畏れを知らぬオナゴの強きこと此の上なし。
ところが意地の張り合いなどは、いざ跳んでしまえば跡形もなく消え去った。全身にジェット気流を浴びた瞬間、あらゆるしがらみは忘却の彼方。そう、なんといっても今日を境に夏休み! 二人の愚かな若者は、自分らの持ち得るエナジーを束の間の快楽に丸ごと注ぎ込むつもりなのだ。
教師の指導、親の小言も馬耳東風。階段に隣接した黄色い家のガラス窓を、放った銃弾が見事に打ち抜いていく。
熱気のレールを疾走中、絶叫マシンはれんち号がベルトをほどき、全裸になって大笑い。指の隙間からちゃっかり見ている女に男が猛攻撃、はためくスカート破り捨てついに両者は古代ギリシャのオリンピックさながら、丸裸の陸上選手と相なった。
呆れる太陽にさらなる追い打ち。ソーダの花火が空中で氷結し、スコールに姿を変えて降り注いだ。二人はかえって大熱狂。赤く火照った肉体から、大粒の滴がいくつも浮遊する。降り注ぐ炭酸と立ち昇る汗。水飛沫のフライトショー。
彼らは背中に翼を望まなかった。右足で思い切り踏み出せば、水平線の果てまで、どこまでも、どこまでも飛んでいけると、若者たちはそう信じて疑わない。いかなる多神教信者も自己という名の一神を崇めるその時代。雨を操り大空を滑る彼らには、まさしく神が憑依した。今夏二人を待ち受ける出来事に、彼らは笑みを隠しきれない。
最下段に風雨が舞い降りる。ゴールは目前。四十八段跳躍成功なるか。と思いきや、男が脳天から地面に落下。続けざまに女は脚を強打。二発の打撃音が競技終了を告げる合図となった。
頭から大量の鮮血が溢れ、ソーダの水たまりに流れ出す。蒸し返すコールタールを急激に冷やす。ぴくりとも動かぬ両者。一斉に静まり返る観客。凍り付く競技場。
男が、血まみれの顔をむくりともたげる。膝から下があさっての方向に曲がった左足を、恨めしそうに睨む女。やがて互いに視線を繰り合わせる二人。大怪我、着地失敗。びしょ濡れ、携帯紛失。なんだ、これ。あまりに下らないじゃないか。
堰を切ったように、再び爆笑の嵐。箸どころか裸体が転ぶだけでこの可笑しさ。つられて観客も、競技場も笑いの渦に巻き込まれる。太陽さえも苦笑い。嗚呼、世界中にあまねく与えられた、一生に一度きりの、幸福の祭典! 狂おしき泡沫の季節よ!
-
-
■作者からのメッセージ
どうも。諸味胡瓜です。
連投気味になってしまいました。もうしません。
大学前の、(四十八もあったかはさておき)急な階段と、隣接した黄色のアパートをモデルに書きました。
作者が言うのもなんですけど、僕は学生時代にこういう青春と呼べるものを味わってないような気がしています。ていうか僕夏嫌いです。