- 『参百八拾円の命』 作者:寝不足 / ショート*2 未分類
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全角5153文字
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原稿用紙約14.75枚
自惚れた酔っ払いの偽善者は、自分の偽善に苦悩するのです。
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――弐百五拾円の運送代――
梅雨は嫌いだ。
雨が降ってようと降ってまいと、おおよそ梅雨といえる時期ならば嫌いだ。
バスの窓一枚を挟んだ向こうには、じめっとした空気が漂い、曇天としか形容し難い空は、あまりにも不機嫌そうで、今にも大粒の涙を放出しようとしている。
ガキのようだ、時々馬鹿みたいに晴れると思えば、度々恐ろしく不機嫌になる。あやしても泣きやむものでは無く、我儘をこちらに押し付ける。
そもそも、バスの中もそうそう快適な空間では無い。僕と同じく、雨を予測してか、乗客の数はなかなか多い。運良く座席を確保できたものの、車内の空気も気味の悪い湿っぽさを漂わせ、疲れた様な表情を崩そうとしない乗客たちは、虚ろな目を手元や携帯電話に向けている。
目を閉じて、揺れに身を任せる。高い不快指数は眠りに落ちることを許さず、バスの揺れと周囲の車の音が大きく感じられて、あまりの不快さに、そっと、数年前の携帯に繋がれたイヤホンを耳にあてがった。
しばらくして、単調な音楽が流れ始める。飽きっぽいため、8Gのメモリーカードを埋め尽くさんばかりに入れられた音楽が、ランダムに流れる。
無論、既に飽きた音楽たちは頭に染みない。両耳から入り、頭蓋骨の中で反響した後、どこかに消えていく。ぼんやりと、外の景色に目をやりながら、雑音をシャットダウンした脳内で、思考を巡らせる。
特に、考えなくてはならないことも無い、脳裏に浮かぶのは、いとも下らない事ばかりだった。下らない日常を過ごしていれば、そうもなるかと納得しかける。面白い事が無いかといえば、そういう訳でもない。しかし、それは即興的な楽しさでしかない。きっと、それは麻薬の様な物だ。一瞬の刹那、阿呆の様に酔って、気付けば虚脱感の中に放り込まれる。そして、きっと僕はその虚脱感から逃れる術を、酔う以外に知らないのだろう。
だから、自分は今、憂鬱なのだと思う。じめっとした梅雨と、あまりに静かすぎる虚脱感の中で、逃れる術も無く、ただただ憂鬱なのだ。
バスが停まった、眺めるだけの視界に、人が入っては消えて行く、見上げるのも面倒な高いビルの入口付近に、微かに植えられた人工の林は、コンクリートの中の狭い一角に、ぽつんと取り残された我が身を知ってか知らずか、高い湿度の中で青々としていた。
気の抜けた音とともに、人々を排出し、そして新たに迎え、バスは出発する。
車線を変更し、人々の群れから離れ、同類の間に巨体を割り込ませるバス。
ずんずんと、自分が人から引き離されてゆく、気付くと、僕はガラスに映った自分の顔を眺めていた。人々の例に漏れず、自分は疲れているのだ、と、我儘な主張を顔面に貼り付け、虚ろな瞳を映す。絶えず変動し続ける外の景色の中、ガラス窓にへばりつき、僕を追ってくる自分の顔が、どうも酷く嫌な物に感じられる。
堪えきれず、僕は目を逸らす。やり場に困る双眸を、遠く見える料金の電光掲示板に向けると、その光は靄がかったように滲んだ。
――壱百五拾円の傘代――
微かに熱を持ったアスファルトに、まだら模様を描きながら、小雨が降り始めた。
鞄の中の、つい先日百円ショップで買った折りたたみ傘を取り出そうかと、バスを降りながら、鞄のチャックに手をかける。
これなら、雨が止んだらどこかのコンビニのゴミ箱に放り込んで、また買えばいいのだ。
そうすれば、じめっとした雨の空気を、鞄の中に、家の中に持ち込まずに済む。
周囲を見渡す、人々は、少し早歩きにはなっているものの、傘を取り出そうともせず、ただ雨から逃げるように足を進める。
僕は、傘を出すのを辞めた。
微かなエンジン音で、イヤホン越しに鼓膜を震わせ、バスは走り去る。
大河の中に漕ぎだした船の様に、遠ざかってゆく、きっと、僕が降りた席に座った誰かは、遠ざかってゆく僕を見ているのだろうか。
車の波が、視界を遮り、僕が見えなくなるまで、絶えることなく流動する視界を追い、そして、いつの間にか現れた自分の顔に嫌悪するのだろうか。
先程まで気にならなかった雨粒が、首筋を打ち、上向きに広げてみた掌に、あたって弾け、アスファルトとは違った水玉模様を形成する。
微かに輝き、歩調に合わせ揺れる透明な宝石を、投げ捨てるように僕は手を振った。
歩調を速め、駅の東西を渡る地下の自由道へと駆け込む、雨は追ってこないが、湿った空気が僕を迎え入れた。
数十段の階段を駆け下り、右へと曲がる、ちんたらと流れるエスカレーターを一瞥すると、僕は階段を駆け降りる。
平坦な、地下の歩道は、地下鉄や、電車への改札を併設し、雨から逃げる人々はどんどん流れ込み、やがて電車を降りた乗客と混ざり、静かに流れてゆく。
人々の衣服が吸った雨水が、僅かに蒸発してゆく、消えてゆく。
歩調を緩めることなく、僕は逃げるように歩いてゆく、雨に降られ、この地下道に逃げ込んだはずなのに、そのうち僕は蝉のように地上に恋焦がれていた。
バスの中と同じで、逃げ場のない湿り気と憂鬱、これなら、きっと地上の方がましだ。その違いは微々たるものかもしれないし、雨の中がましだと言う保証はどこにもない。
しかしそれでも構わないのだ、要は地上の方がましだと思える事が重要なのだ、地上に出ればと、少しでも憂鬱から逃避し想いを馳せることができるのが、重要なのだ。
だから、僕は今地上を目指しているのだ。
きっと、夏になってしまえば、この湿気からは解放されるのだろう。そして、暑さから来る憂鬱に悶えるのだろう。それでもいい、それでも構わない。
ほんの刹那の孤独の中で、酔い方を忘れてしまった僕に、一時だけ想いを馳せさせることを許してくれ。そして、麻薬の様にでもいい、ただ一瞬、酔わせて欲しい。憂鬱を忘れられるように。
今度はエスカレーターに乗った。コンベアのように流れる手すりに、手をかけると、微かな湿り気に指が貼り付くような錯覚さえ呼び起こす。機械に、生身の存在の様な粘りを感じ、気味悪さに背筋を粟立たせる。
階段のはるか上に見える空は、未だ曇天としか形容しがたく、それでいて、どうにも知れない自然の魅力すら、その鈍重な雲の中に、雨粒と共に包括しているように思えた。
――参百八拾円の命――
僕は、駅の構内の自販機の前に立っていた。
外では、だいぶ強めになった雨が、地面を打っている。
ここで、バスを乗り換えなくてはならない。しかしバス停はこの天から地へと流れ落ちる大瀑布の向こうにあるのだ。
この自販機のすぐ近くの出入り口から出て、すぐにバス停はある。
しかしそこまでは当然ながら屋根の無い、というより空中に建造された『ペデストリアンデッキ』と呼ばれる、巨大な空中歩道の上を歩いていかねばならない。
自販機に五百円玉を押し込むと、百二十円の緑茶を買った。別に緑茶が好きな訳でもないが、なんとなく、緑茶に手が伸びた。
再度財布を取り出す気にもなれず、緑茶を左手に、三百八十円のお釣りを右手に握りしめ、雨の中へと歩き出す。
どうしてか、傘を出す気になれなかった。
雨の中、走る気にもなれず、揺れる傘を掻きわけ進むと、少し遠くに、どうやら募金を受け付けているらしい学生が数人いた。
傘もささず、雨音に負けじと声を張り上げる、同年代の学生たちは、きっと僕の様な憂鬱とは無縁なのだろう、いや、きっと群れているからこそ、酔えているのだろう。
僕はこの酔っ払い共に、どんな梅雨よりも、湿り気よりも、憂鬱よりも不快な気分にさせられた。
微かに蹴りあげるようにした足で、溜まりつつあった水溜りを蹴散らした。雨の中。急ぐように彼らの周りを通り抜ける群集を見て、ざまあみろと内心で呟いた。
彼らの脇を素知らぬ顔で通り抜け、ちらり、と見た時。
どうやら、心臓移植を受ける為に、アメリカへ渡りたいという、幼い女の子の為の募金だった。
目標額は、億単位だった。
途端に僕は名案を思いつく。
僕は引き返すと、右手の参百八拾円を、そのまま募金箱に投げ入れた。そして、頑張ってね、と言うように、学生たちに笑いかける。ありがとうございます、と、言った少女の声を後に、そそくさと立ち去った。
僕は酔っていた。
この瞬間に、僕はまるで有史以来の善行者たちと同じく肩を並べた様な気さえした、イエス・キリストすらも同等に扱える様な、そんな善行をした気になった。
僕はあのかわいそうな幼い女の子の命の、その参百八拾円分を負担したのだ。
つまり、それは僕の参百八拾円が無ければ、彼女の命は救えなかった、という事だ。
誰が否定しようが、そうなのだ。
今、僕があの小さな募金箱に、右手に握りしめた参百八拾円を投下した瞬間から、僕は無償の善意によって、彼女を救おうとしたことに他ならない。
つまり僕は一人の人間を救った。
命の価値のその参百八拾円分を負担したのだ、その尊い輝きを守ったのだ。
それはきっと病人を癒したイエスにも、貧乏な人々にパンを配ったマザーテレサにも、いや、無償の愛で世界を創った神様とやらとすらも一緒なのだろう、それだけ尊い事なのだ。
そして彼女の生には、僕の参百八拾円が必要不可欠だったのだ。
つまり、僕は必要とされていたのだ。両親が、世間が、いや世の中の全てすらもが僕の存在を否定し、抹消しようとしても、僕が入れた参百八拾円は、幼い命に必要とされたものであって、僕が必要とされた事実と、結果としての彼女の今後が、僕がいなければ成り立たなかったことを証明しているのだ。
そして彼女の生には、僕の参百八拾円が必要不可欠だったのだ。
僕を否定するという事は、僕の救った少女の存在と、そしてその後に続く命の系譜すら否定するのだ。
そう、僕は、誰かの尊い命を救った。救ったのだ。
いいじゃないか、その事実だけで、酔っていいじゃないか。
――弐拾円の予防薬――
二十円で、尊い命が救えます。
そのフレーズが、一瞬で、真空に吸いだされてしまった様に、箸を持ったままの僕を止めた。
そう、善行に酔っていたはずの、僕の心臓を停めた。
唐突に僕の脳裏に浮かび、ぱっと光り輝き、流星の様に潰えたのは、『尊い命』という、言葉だった。
人の命は尊い、価値の付け得ない物だ、しかし、それが弐拾円で買えてしまう。
人の命は重い、計り知れない物だ、しかし、たった弐拾円でそれを変えてしまえる。
いや、違う、きっと僕の脳裏に浮かんだのは、先程の参百八拾円だったのだ。
その参百八拾円で、僕はいくらの命を救えたのだろう、違う、違うはずだ。僕はあの参百八拾円を浪費してはいないはずだ。それは価値のある物だったはずだ、そう、命を救うための、価値のある物だったはずだ。
しかし今はそれが色あせて感じられてしまう。そんな自分に困惑した。
命の重さが、全ての存在に同等に与えられたものならば、たった弐拾円で救える命と、数億で救わなくてはならない命が、なぜ存在するのだ。
矛盾じゃないか、命の重みを知っているならば、それが同価値と知っているならば、何故そんな差が存在するのか、矛盾じゃないか。同価値じゃないのか、あの数億で幾らの人が救えるのだ、いや、違う、違うのだ。
運が悪かった?生まれた場所が悪かった?片や発展途上国の土塊の中で、片や経済大国の清潔な病院で、その違いか?ならばなぜその違いは存在するのだ?命は同価値じゃないのか?生まれたと同時に平等に保障される価値じゃないのか?
いや、そうじゃない、何故僕はあそこであの募金箱にあの僅かばかりの小銭を入れたのだろう。
決まっている、酔うためだ。麻薬の様な酔いを手に入れる為に、善行者を演じたのではないか?誰かを救うためじゃない、自分の為に、自分の為にやったのだ。
もしや、あの参百八拾円で救えたかもしれない命は、僕の快楽の為に、費やされたのか?
そんな訳は無い、僕は悪くない。
それでも、心の奥底に鉛のように横たわるのは、罪悪感だった。
行き場を失った、快楽殺人犯のそれに似たような、罪悪感だった。
誰も僕を責められない、その事実が、僕の身動きを封じ、今すぐに死にたくなるような、罪悪感を縛りつけていた。
偽善者め、誰かがそう呟いた。
CMが終わったテレビか、僕の斜めに座る両親か、隣に座る兄弟か、全てをシャットダウンされ、空っぽの脳内に、その声が木霊し、染みいり、アスファルトに落ちた水滴のように染みてゆく。
どうしてか、気付いてしまった世の中の矛盾と、僕が思っていた以上に、阿呆な酔っ払いの自分に、僕はただ唖然としていた。
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2010/08/06(Fri)02:34:49 公開 / 寝不足
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■作者からのメッセージ
まずは、よんでくださった方、ありがとうございました。
『梟は何処で啼くか』も完結してないのに
またこんな駄文を投稿してしまう事をお許しください。
数ヶ月前に感じた疑問と、それに随伴した苦悩をどうにか表現したくて
勢いで書いてしまいました。
募金したことを後悔したりする訳じゃないんですが
どうにも答えの出ない疑問による
苦悩や、冷めてしまう気持ちをすこしでも感じていただけたら幸いです。