- 『帰り着く場所』 作者:ピンク色伯爵 / リアル・現代 未分類
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原稿用紙約9.1枚
人はどこに帰っていくのか。原点とは――夏空の下、アキは故郷にかえっていく。
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列車を降りると、懐かしい緑色の光景が広がっていた。
「わあー。ここがアキの故郷か」
隣ではユイコが麦わら帽子に右手をやりながら、辺りの風景をきょろきょろと見回していた。その指には先日アキがプレゼントした指輪が光っていた。水色のワンピースを夏風に泳がせるようにしてユイコは歩き出す。
「半年振りだな……」
アキはぽつりと呟くと彼女の後を追った。不器用に舗装された駅周辺からは、鮮やかな緑をたたえる田んぼや、より濃さを増した山の深い緑を見渡すことができた。それらが否応なく子供の頃の記憶をよみがえらせる。
いや、自分はまだ大人になり切れていない子供だ。大学を卒業したのだってついこないだじゃないか。
「こんなにも自然が綺麗なところが、まだあったんだねー」
のんきなユイコの声が聞こえてくる。アキは不安をかき消すかのように首を振った。
「――ああ。この辺りは開発がまだ進んでいないからね。数年前に川上にゴミ処理所をつくる計画を町が予定していたんだけど、それもここの住民が一丸となって反対したから」
「で、アキのお父様が先頭に立って奮闘したってわけね」
「ユイコには前に話したことあったか」
アキの父親――テツオは詰まるところそういう人だった。
「おーぅい!!」
噂をすれば何とやら。その当の本人が道の傍に止まっている軽トラックの運転席から顔を出していた。頭には農作業用の帽子をかぶっている。テツオは目を細めてアキの隣に立つユイコに目をやった。ユイコは普段は見せない綺麗な笑みを浮かべて軽トラックに向かってお辞儀した。
「黙ってそうしてりゃ、文句なしにかわいいのに」
「何か言った? アキヒロ君」
そのままの表情でユイコがこちらに顔を向ける。アキは肩をすくめた。
「君はいつだって綺麗だってね」
「よろしい」
ユイコはにっと笑った。
「それより親父。軽トラなんかで来て、どうやって三人乗るんだよ。まさかユイコの膝の上に乗れっていうんじゃないだろうな」
「ああーん? んなもん、お前が荷台に乗ればいいだろが。荷台はしっかり空っぽにしてきてんだから」
「法律家に法律破らせるつもりかよ」
「特等席だぞ!」
テツオはそう言ってから顔を崩した。
「さあさあ、ユイコちゃんだったね? ちょっと狭いけど助手席においで。道中暑かっただろ」
「はい。ありがとうございます!」
海の男のように気が荒く、頑固者で愛想のかけらもないテツオは今日に限っては全くの別人だった。年をとれば人は幾分か柔らかくなると言うけれども、テツオもそうなのかもしれない。……いや、きっとそんな理由ではないのだろうが。それでも、テツオが老いてしまったことは変わらない。
「なぁに、難しい顔をして。もしかして私の膝の上に乗りたいの? それとも、その逆とか」
ユイコが艶やかに小声でささやく。
「お、おい……ッ」
「冗談」
ユイコはもう一度にっと笑うとテツオの軽トラックに駈けて行った。
「……全く」
アキはため息をつくとユイコに続き、ユイコとは違って「特等席」に飛び乗った。
車が走り出すと、周りの懐かしい風景が後ろに流れ出した。思えば高校生時代にはこの流れていく風景の中を自転車で通っていたものだ。それを今は自転車とは比べものにならないほどのスピードで駆け抜けている。
「――」
小窓から車内の様子をうかがうとテツオとユイコが談笑していた。ユイコは大人の笑顔というものを浮かべてはいるものの、その表情は至って透明だった。どうやら純粋に会話を楽しんでいるようだった。テツオは……言うまでもないだろう。アキは流れて行く景色に目を戻した。
「それにしても年がこれだけ離れているっていうのによく会話が弾むもんだ」
呟いた言葉は文字通り風にさらわれ、かき消される。
「思ったことをズバズバ遠慮なしに言ってくるユイコは、意外に頑固親父と相性がいい、か」
まあ、テツオもリアルタイムでユイコよりもさらに若い女の子の相手をしているのだから、彼女みたいなのと話すのは別に苦手というわけではないのだろう。相手にしている、というのは妙にいやらしい響きがあるが、もちろん別にそういう意味ではない。テツオは高校の教頭なのだ。もう髪には白いものが混じっているというのに、いまだ教育の場の先頭に立って活躍している。
それもあと数年。テツオは退職する。
「そうなれば親父は農作業くらいしかすることが無くなっちまうな」
複雑な気分だ。昔はあれだけ強く、大きかったテツオが時の経過に流されていく。そんな風に考えてしまうと、急に雨よけになる木を失ったかのような気分になってくる。ふと、テツオの顔に目を戻す。
磊落に笑う顔が、哀しくもあった。
○
その日の夕食は楽しいものになった。酒に強いはずのテツオが一番最初に酔い、その次につまみを作っていたはずのユイコが何故か酔い潰れてしまった。悪乗りする酔っ払い二人を相手にアキは辟易しながらも、普段は見られないだろう父の姿に新鮮な気分になった。
午前一時になってようやく二人をそれぞれの寝室に押し込むことに成功すると、アキは一人縁側に出た。一人で缶ビールをあおっていると、不意に背後で物音がした。
「死んだ人間は先祖代々の山に帰っていく。……祖霊信仰は昔っからある考え方だ。わしは魂とか幽霊とかは信じとらんが、ふとした瞬間にもしかしたらと思うときがある。――それは、きっとわしが生粋の日本人気質だからかもしれん」
「親父。寝たんじゃなかったのかよ」
驚き半分で振り返ると、意外にも姿勢をピシッと正した父が立っていた。
「演技してたのかよ」
アキはホトホト呆れて言った。テツオはフンと鼻を鳴らした。
「あの程度の酒で酔うなど漢ではないわ」
「なんでまたそんな面倒くさいことを……」
「酒は人を裸にしてくれる。――その人のありのままを見るのなら、酒は最高の試験薬よ」
テツオは続けた。
「山など見つめて、母さんのことを考えてたのか?」
「別に」
「何だ。珍しくしんみりしているんじゃないのか」
「誰が」
「心配せんでも、お前はよくやっている」
テツオはアキの言葉を遮るように静かにそう言った。
「よくやっていなければ、あんな良い娘を連れてこれるはずがない」
「――何言ってんだよ。やっぱり酔って」
「ああ――確かに酔っているみたいだ。柄にもないこと言っちまった」
テツオはそれだけ言うと踵を返した。
「わしゃ寝る! 寝るぞ! ……お前も酒はほどほどにしとけよ」
そう言ってテツオはふすまの向こうに消えていった。
「ああ……ほどほどにするさ」
アキはぽつりと呟いた。
「どうやら俺も、柄にもなく酔っちまったみたいなんだから。だけど――」
アキは闇空を見上げた。
「――もう少しだけ、酔いしれていたいんだ」
不覚にも目頭が熱くなるのを感じる。
ふと口にされた父の言葉。一体テツオは何からそう言ったのか。何の気なしにあふれたものなのかもしれない。しかし、そんなことはどうだっていい。不安でつい立ち止まってしまった自分の背中を誰かがまた力強く押し出してくれたのだから。
「もう少しだけ――」
そう呟いたアキの言葉は、やがて空(くう)に消えていった。
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2010/07/17(Sat)08:37:22 公開 / ピンク色伯爵
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■作者からのメッセージ
拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
感想・評価よろしくお願いします。
また、この小説とは関係ないのですが、「葛の葉の陰陽師」も全面改稿したものをあげていきたいと思います。(改稿前のものは実はここにひっそりとあげられています)