- 『墓守』 作者:玄陽 / ホラー ファンタジー
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全角8985文字
容量17970 bytes
原稿用紙約30.3枚
名家に隠された秘密を探るために新聞記者が墓守の元を訪れる。しかし、突如露わになった墓守の狂気にさらなる狂気が重なる。そして、閉鎖空間に満ちる異常性がもたらした結末は、さらなる狂気を呼ぶ
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一.カコガタリ
ああ、あんたが、例の記者さんか。遠い日本からわざわざこんなところまで来るなんて、なんともご熱心なことだな。
えっ、名刺かい?
こんなところで無為に生きている老人に名刺をくれたって意味ないよ。まぁ、それでもくれるっていうんならもらっておくけどね。でも、生憎とわしには名刺
なんて大層なものはないから、何も返せないよ。
ええと、東京の五報新聞?
聞いたことがないねぇ。
もっとも、わしが日本を離れてから、もう四十年も経っているから、その間に出来たのだろうね。
わしの名前は……。もう捨てちまったよ。
ああ、そういえば、ここのことを『楽園』なんて呼ぶ奴がいて、そいつがわしを『グリフォン』だっていうんだ。
そう、グリフォン、あの上半身が鷲で、下半身が獅子、しっぽが蛇の化け物さ。
なんでも、グリフォンはエデンの園を守る守護聖獣だからってことらしい。
だから、どうしてもわしを呼びたきゃ『グリフォン』ってよんでくれ。
そうだな、そもそもここがなんなのかを一から説明しておこう。
とはいっても、ここはみたとおり墓場さ。
死人の名前と生きた月日を刻んでいる、何の変哲もない墓ばかりがある。
問題は、そこに埋められている人間達なんだ。
事の始まりは、戦争前のことだと聞いている。
昔はさる小藩のお殿様だった二木(ふたき)家という一族がいた。
御一新後に華族という身分になったその一族は、没落していった家も数多くある中、たまたま商才を持った当主がいたおかげで明治・大正・昭和を苦労なく生き抜いてきたそうだ。
そんな中、だいたい日中戦争が起こったくらいなんだが、当時の当主だった二木道之という人が運悪く病で死じまったそうだ。
その骨を荼毘に付したとき、残った遺骨が普通の骨じゃなくて真珠のように七色に光る骨だったそうだ。
そう、真珠。
遺族とかは気味悪がったそうだけど、道之の義理の弟に当たる誠一が帝大の先生に頼んで詳しく調べてもらったんだ。
その結果は、なにもわからない。
その骨が何で出来ているのかわからなかったんだ。
ただひとついえることは、本来骨を構成しているカルシウムとかじゃないこと。
それを聞かされた一族は、大層吃驚なさってね。
そりゃそうだろう。
今まで、一族をまとめていた人の骨が、人間のそれじゃなかったんだから。
ともあれ、これ以上詮索してもわからんものはわからんから、皆このことにはこれ以上深入りせずに、沈黙を守ることにした。
でも、数年経ったとき、こんどは誠一の妻、つまりは道之の妹が死んだとき、それがまた起こってしまったんだ。
そう、また真珠色の骨さ。
これには、もう誰もが恐怖に震えたそうだ。
もしも、これが二木の家全員のことだとしたら……。
そんな折り、二木の分家の赤子が流行病でコロリといっちまってね。もしかしたら前の二人は何かが悪くてあんなことになってしまったのかもしれない。これで赤子が普通の骨であれば、自分たちには関係がないと注目したんだが、それがまたもや真珠色の骨。
これが決定打だ。
そこで二木一族は、そのことが外に知られないように、その財力を使って徹底的に口止めをしたんだ。
やがて、終戦となり、二木の家にも時代の荒波が訪れた。
始めは戦争で儲けた財をあらかた手放さなきゃならない羽目になったんだけどね。
GHQへ上手く取り入ったことで、その後は破竹の勢いで、失ったもの以上の富を手に入れられたんだ。
でも、一族はまだ安心して眠れていなかった。
二木の家の人間は、真珠色の骨を持つ化け物といわれたら、今まで築き上げてきた栄光は水泡と化すかもしれない。
そこで、ここ、日本からはるか離れた南方の孤島に二木一族の墓地をつくることにした。
幸いというか、二木道之の長子、康道がこの南方にて最後を遂げたのでね。
えぇ、長子ならば、戦争に行かなくてもよかったんじゃないかって?
そうなんだけど、康道はいわゆる妾の子でね。
それで、身分卑しからぬ方々は、康道が当主の座には相応しくないと、部屋住のような立場に追いやってしまった。
そこに召集令状が来たというわけさ。
これはわしの意見だが、一族の誰かが軍に手を回したんじゃないかと思うんだ。
じゃなきゃ、妾の子とはいえ、二木の家の長子が激戦の南方におくられるわけがないじゃないか。
うん、話を戻そう。
真実がどうであれ、二木一族は彼の霊が寂しくないようにここを一族の墓とするということにした。
一見はそれは美談だが、その真実はもっと生々しいものだよ。
ともあれ、このような場所にわざわざ墓を暴きにいくものもいないだろうから、二木一族はようやく枕を高くして眠れるようになった。
――ただし、もう火葬はしないんだ。
だってそうだろう、せっかく闇に葬ったというのに、葬式をする度にその現実を改めて突きつけられるなんて気分がいいもんじゃないからね。
ここまで死体を運ぶのに必要な法律とか手続きとかは偉い人がなんとかしているそうだから、わしにはよくわからん。
わしかい?
この墓地が出来たときに墓守になったのが父だった。
わしの家は、江戸時代から二木家にご奉公していたんでね。それで随分信頼されていたんだ。
やがて、父が死に、それからずっとわしが跡を継いでいる。
二.ツミ
墓守の話を聞き、記者は思う。
二木の家が背負うたもの。
異能の力があるわけではない。
異形と成り果てたわけではない。
ただ、骨が真珠色であるだけである。
とはいえ、人は、というよりも社会的な集団としての人間は、異物を排除しようという性質を持つ。
それが、死するまで違いがないものであったとしても。
二木一族はそれを十二分に理解しており、それがもしも現実となったときに失うものの大きさ故に大仰ともいえるほど恐怖を抱いていたのである。
戦争からもはや半世紀以上が過ぎ、社会のあり方も変わってきた。
世襲による権力、富の継承は忌み嫌われ、近隣住民、親戚との関わりも薄くなっている。
また、ネット社会によって、情報の伝播は広いが、その分話題の持続性は弱まっている傾向にある。
今、二木の家が真実を世間に広めたところで、当初はセンセーショナルに広まるだろうが、それがいつしか当然のようになりえるかもしれまない。
だが、記者がここに来た目的は真実を伝えるジャーナリズムゆえではなかった。
懐にある写真。
記者は、静かに墓守に差し出す。
「この娘を知らないか?」
墓守は写真を手に取ると、睨め回すように写真の少女を確認した。
「……これは二木の分家、先ほど話した道之の弟、誠一の曾孫だな。」
「どこに眠っている?」
「あそこさ」
墓守は、窓に近づくと、そこから最近つくられたばかりなのがわかる、白く丸い墓石を指さした。
「本当だな?」
「嘘を言ってどうする、確かにその娘はあそこに眠っている」
記者は手を出して写真を返すように促す。
墓守はそれにしたがった。
だが、そのとき記者の反対の手には、その静かな場には不似合いなグロックが握られている事に気がついた。
「なっ、それはどういうことだ!」
「あそこまでいけ」
記者はグロックで娘の墓を指す。
「……問答無用という訳か」
「……」
墓守の問いかけに記者は答えない。
墓守の小屋を出ると、雨粒の感触が肌に感じられた。
「ええい、年寄りには雨はこたえるというのに。わしが風邪をひいたらどうしてくれるんだ」
墓守が悪態をつくが、記者は意に介さず黙ってグロックを向けていた。
目的の墓は、すぐにみえるところにあったので、そのように両者にとって不快な時間は長くはかからない。
「墓を掘り起こせ」
「墓を掘れって、わしは墓守で墓荒らしじゃないんだがね…。ああ、わかったよ、まずは墓石をどけなきゃらん。あんたも手伝ってくれ」
「いや、ひとりで掘り起こせ」
「そんな、年寄りひとりで、こんな重い墓石をどけろなんて殺生な。もうちょっと年寄りをいたわる気持ちを持った方がよいのではないか?」
返事の代わりに記者は、銃口を墓守のこめかみに押しつけた。
もはや何も言っても無駄だと悟ると、墓守は黙って墓石をどける作業に取りかかった。
墓守が「よいしょ」と力を振り絞る声と雨音だけがこの異様な状況に響く。
30分あまりの格闘の末、ようやく墓石がどけられた。
重い石の形が茶色い土くっきりと残っている。
墓守は、疲れ果てて地べたに座り込んでいた。
それを確認した記者は、小屋の外壁に立てかけられていたシャベルを持ってきて墓守に突きだした。
墓守は、これまでやりとりから、もう何も言うことはない。
疲れた体に再び気力を入れて、土を掘り返し始めた。
今度は『ザッ、ザッ』と土を掘る音が静かな墓場に響く。
「これこそまさしく、老体に鞭打つというものであろうな」
愚痴をいえるだけ、まだ余力があるのかもしれない。
時が経ち、掘り出した土が山のようにつもったとき、シャベルに『ゴンッ』と固いものにぶつかった衝撃がした。
−−棺にぶつかったか?
その予感は当たった。
黒塗りの棺が土の間から見えている。
ここからは慎重に掘り出さねば。
棺が大部分姿を現すと、記者は墓守を押しのけて棺にしがみついた。
「もう、そろそろ、理由(わけ)を話してもらってもよいと思うんだがね。それと、そんな物騒なものはもう仕舞ってくれないか?」
墓守の言葉に促されるように、グロックを懐にしまい、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「ここに眠るのは、二木の娘じゃないんだ。俺の娘だ」
「おまえさんの娘?それはおかしい。この娘を葬るときに、この娘の父親もきていたが、おまえさんではなかったが?」
「……それは戸籍上のだ」
それで墓守は合点がいった。
つまり、この母親は夫以外の男と関係があったという事だ。
「……記者というのも嘘だ。俺は二木物流の風間だ」
風間という名前には聞き覚えがあった。
墓守の家と同様に、二木の家に江戸時代から仕えている。
ただし、風間は江戸留守居役などの重職についているので、その立場は明確に違う。
それに、二木物流の風間、それは確か風間士郎をさすはずだが、それはこの事態においては別の意味をも持っていた。
「この娘の母親は、おまえさんの実の妹だったはずだ。つまりは、そういうことか?」
沈黙が返答となった。
墓守は事実を確認すると、笑いがこらえきれなくなった。
「ハー、ハッハッ、そうか人倫を犯し兄弟で子をこさえた外道という訳か。そし
て妹は出来た娘を何食わぬ顔して二木の娘だと大切に育てていたわけだ。父親、いや戸籍上の父親はいい面の皮だ。あれだけ埋葬の時に涙を流したというのに、その娘が自分の子ではなかったとは」
その言葉は最後まで発することは出来なかった。
風間が墓守を殴ったからである。
口からは血が出ていた。
墓守は手で血をぬぐうと風間に抗議した。
「みろ! 血が出てしもうたわ。やはり妹とむつみ合うような男は情が薄い」
風間はこれ以上、墓守の相手をして時間を浪費することをやめた。
小屋に置いておいたカバンからあらかじめ用意しておいた釘抜きを取って戻ってきた。
一本、また一本と釘が抜かれ、蓋が開けられる。
そこにあったのは、
『空』
だった。
「どういうことだ!」
顔を真っ赤にして墓守へ詰め寄る。
墓守はその勢いにたじろぎながら棺を指さした。
「もういちど、よーくみてみい。もう日が大分落ちているから暗くなっている。ただ見えづらくなっているだけかもしれんから、もっと目をこらしな」
その言葉に、風間は再び視線を戻した。
だが、その一瞬こそが命取りであった。
墓守は、手にしたシャベルを高々と振り上げると、風間の脳天へしたたかに打ち付けた。
鈍い音と吹き出る血が致命傷であることを確信させた。
「なっ、なにを!? 」
「なにをする? 決まっておろう。おまえさんを殺すのさ。今の頭にくれてやったシャベルの一撃で、まず助かるまい。おっと、銃はおっかないからね用心させてもらうよ。」
そういうと、こんどは頭を抑えている手を打った。
ぐしゃりと指の骨が砕ける音がした。
「本当にどういう事かわからないという顔をしているな。最後まで聞けるかわからないが、もうすぐ死ぬあんたに教えてやろう」
三.クルイシセカイ
わしがここで四十年間、どんな気持ちで墓守を続けてきたと思う?
だれも人は来ない。
来るとしても二木一族の誰かを埋葬したり墓参りするくらいだ。
孤独の中で気が狂いそうになっていたんだ。
……いや、もう狂っていたのかもしれない。
そんな中で、おまえさんの娘を見つけた。
もともと、おまえさんの妹が嫁いできたときから、わしの心には何ともいえない情欲の炎が生まれた。
だが、わしは今よりか若く、二木の家に対する忠誠心もあってなにもしなかった。
でも、もう還暦をこえて、家族もなく、なにも失うものがないとなったときに、今まで抑えてきた心がの箍が外れ、その炎が噴出したのさ。
わしは密かに日本に戻り、おまえさんの娘が通う大学を張っていた。
そして、じっと機会をうかがっていたんだ。
そして、二ヶ月ばかりその行動を監視して、生活パターンを徹底的に調べ上げ
た。そして、一人になるタイミングを把握すると、いよいよ実行の時がきた。
わしは、大学の近くの家から車を盗むと、その瞬間を待った。
そして、いよいよその瞬間がきたのさ。
深夜、道路には街頭だけがあり、近隣の家はすで眠りにつき外のことなど何も気をかけない。通行人もその時間には全く表れない。
おまえさんの娘は、週の決まった曜日にピアノのレッスンでその時間での帰宅となることがわかっていた。
夢を叶えるために努力をする若者
殺すのに良心がチクチクと痛んだよ。
だが、それ以上にこれからさきのわしの人生を考えると、悦びがあふれて仕方がなかった。
フロントガラス越しに見えたあのときの表情は、まだわしの脳裏に焼き付いている。
恐怖、驚き、そして諦め。
そんな感情がすべてないまぜになったような、そんな表情だった。
なぜ、殺したのかって?
それは、わしが墓守だからよ。
生きた人間をさらってここまで持ってくるのは不可能。
それに、人間は年を経るものだからな。
だが、死んでしまえば、死体は向こうからやってくるし、もう年はとらない。
……あとは、もうわかるな。
そこに何もないのは、もうわしが掘り出した後だからさ。
あの家におまえさんが座っていたソファ。
あの中に、きちんと防腐処理を施した死体がある。
おいおい、わしのおかげで美しいままずっといられるんだ。そんな風に睨まずに感謝して欲しいな。
なんだ。もう死んだのか。
ちょうどいい、中が空の墓穴がひとつある。
そこに埋めてやろう。
ふふっ、娘の墓に父親が入る、何と感動的なことか
四.キセキカノロイカ
墓守は死骸となった風間を埋めようと思ったが、そのまえに身につけているものをもらおうと思った。
どうせ、薄暗い土の中に埋まるだけなのだ。
それならば、今風間の手首に鈍く光る時計などを墓守がもらった方が有意義だと思ったからだ。
洋服は身長などが違うので、強いてとろうとは思わない。
だが、懐には先ほどの銃があるだろうし、財布だってあるはずだ。
目的のものはすぐに見つかった。
手に取った瞬間、なにかの小さな包みがこぼれ落ちたような気がした。
地面には赤い薬包がある。
「これは……、なにかの薬かのう」
広げてみると、中には『反魂香』と書かれた和紙と白い香があった。
白居易の『李夫人詩』に曰く、反魂香は前漢の武帝が先立たれた李夫人を思って苦しんでいたときに、道士がその悲しみを和らげるべく炊いたという代物である。
たしかに、その香はある種の霊力があった。
死者が焚いた香の煙の中に表れたからである。しかし、それは陽炎のような存在で生前と同様に語らいあうことなど出来るものではなく、またすぐに消えてしまったが為に結局悲しみは癒されなかった。
日本でも近松門左衛門の浄瑠璃であり歌舞伎の演目になっている『傾城反魂香』や反魂香をモチーフとした古典落語の名作『反魂香』がある。
『傾城反魂香』では武帝の逸話を元にしているので死者が七日間甦るという部分にて反魂香がキーアイテムとして使われている。
対して落語の『反魂香』では反魂香も出てくるが、反魂香を手に入れようとして、中国伝来の腹痛薬「反魂丹」を買ってしまった男の間抜けさがに主眼が置かれている。
さて、風間はどこから『反魂香』を手に入れたのかわからない。
また、生きていればこれをどのように使うつもりであったかも。
しかし、紙に書かれたのは紛れもなく『反魂丹』ではなく『反魂香』であった。
墓守は、若い時分からこの途絶された世界におり、また学がないために、『反魂香』とはなにかを知らなかった。
だが、香というのだから、焚けばいい香りがするものだろうと、何も考えずに他の収穫物と一緒に小屋へ持ち帰った。
風間を埋める作業は、棺を掘り出す作業に比して、それほど苦ではなかった。
なにより、一番の違いは銃で脅されながらの作業ではないという事であろう。
二日かけて、墓場に静寂が戻った。
それより半月ほどたった時である。
墓守は、反魂香のことを忘れていたが、改めて風間の遺品を整理しているときに、ああこういうものもあった、と思い出した。
本来ならば香炉などを使うべきであろうが、この小屋にはそんな小洒落たものはない。
しかたがないので、空き缶にライターで火をつけた反魂香を入れる。
そして、その香りが部屋に満ちるのを待った。
墓守はいつの間にか眠りについていた。
だが、その部屋では墓守の予想だにしないことが起こっていた。
そう、反魂香は死者をよみがえらせる力を持ち、ここには墓守の狂気により生を奪われた少女の亡骸がある!
ソファの中にまで、反魂香の煙が侵入してくると、ピクリと少女の指が動いた
。
墓守が目覚めたとき、誰かがのぞき込んでいる事に気がついた。
しかし、このようなところに、誰がいるというのか。
目覚めたばかりでぼやけていた視界が、次第にはっきりとしてくる。
それにともない、墓守の心は徐々に恐怖で凍り付いた。
『ああ、そんな馬鹿な!
そんなはずはない!
おまえは死んでいるはずだ!
そう、あのソファにしっかりとしまってあるはずだ!
だが、その黒髪は、その顔は!
わしに復讐しようというのか?
来るな!
わしは悪くない!
みんな、おまえ達が悪いんだ。
二木家だなんだと偉そうにして、わしをここに縛り付けてきたおまえ達がわるいんだ!
頼む、助けて!
老い先短い年寄りだと思って助けてくれ!』
墓守は夢中で叫んだ。
いや、叫んだつもりだった。
しかし、口から漏れ出たのはただ、ああっ、とかううっという言葉にならない言葉であった。
恐怖に打ち震える墓守に向かって少女が何かをつぶやいた。
だが、あまりにもそれは小さく墓守の耳にまで届かなかった。
一糸まとわぬ姿で墓守を見下ろす少女は、静かに墓守に近づき囁いた。
「自分は二木康道である。死した後、激しき憎しみを抱くが故に輪廻よりはじきだされた自分が神仙の珍宝にて黄泉がえりしはまさに僥倖である。……自分は復讐をする。自分を死に追いやった二木の家に。妾の子よと蔑み、自分と母を殺したあの者達に。」
目の前の少女の中には、二木康道がいる。
そのことに墓守は衝撃を受けた。
墓守は反魂香の霊力を知らぬが、香を焚けば本来であれば、少女の体には少女の魂が返るはずであった。
しかし、この地で死んだ康道の並々ならぬ二木一族への憎悪、そして少女がすでに成仏していることなど、結果的に康道の魂が引き寄せられたのである。
墓守には、そのような理屈はわからなくても、少女の目に宿った殺気が本能的に危険を告げていた。
「わしはただの墓守です。どうか、どうかお慈悲を」
拝みながら精一杯そう口に出す。
しかし、康道の目は和らぐどころが、一層激しく燃えた。
次の瞬間、墓守ののど笛を康道は食い破った。
鮮血が部屋中に飛び散る。
そして、少女の肉体を得た康道は、その見目とは裏腹に残忍な笑顔を浮かべながら墓守の肉を喰らい始めた。
人は死すれば『幽鬼』と呼ばれる。
そして『幽鬼』とは『鬼』である。
仏教においては、閻魔や菩薩の配下として獄卒をつとめることがあったり、説話においては大江山の酒呑童子の話などのように人に仇なす存在としての鬼が一般的である。
だが、鬼をひとつの存在として定義づけることは難しい。
いえるのは、陰陽における陰の部分であることであろう。
そして、ひとたび陰に染まった存在は陽になることは難しいものである。
これは、古事記におけるイザナギの黄泉下りや西洋におけるギリシア神話のペルセポスの話でもよくわかる。
そして、康道は一度その生涯を閉じしてしまい死に身をおいた。
ましてや、並々ならぬ憎しみで魂の形を変容させたのである。
反魂香の力で甦ったとしても、『鬼』としての性質が消えることはなかった。
「待っていろ、二木の豚ども。再び祖国の地を踏み、正義の鉄槌を貴様らに振り下ろしてやろう。」
二木によって葬られたはずの闇が、再び甦った。
その鬼の叫びを聞き、墓場に眠りし真珠色の骨はカタカタと震えている。
それがわかっているかのように、美しい少女の姿をした鬼が南方の孤島で高笑した。
康道の目には、もうその光景が目に見えるようであった。
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■作者からのメッセージ
日常とは切り離された狂気、そこにおこった非現実的な現象、そういったものを書こうと思いました。
二木一族の身に起きたこと自体は、説明できない現象として存在させておき、あくまでもメインは墓守の狂気、そして戦争で消えたはずの過去の亡霊です。
真珠色の骨については、別の話になります。