- 『血も涙もないひとでなし』 作者:あかあおき / ショート*2 リアル・現代
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全角5169.5文字
容量10339 bytes
原稿用紙約14.85枚
父親は息子を他人とは違い、特別な扱いをしてくれる。ただそれは必ずしも息子の期待通りでないし、息子もその特別さを快く思いはしない。
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人の手の介入がほぼ皆無なほど深い森の中、そこに僕の家はあった。石と木だけで作られた簡素な山小屋は人里からは遠く離れており、その間を長い年期を感じさせる大木が鉄格子のように町との関係を分け隔てていた。
そのむせ返るような緑の息吹を感じる森林よりも、僕にはそれらを統べるように森の中心から天高くに伸びる火山のほうが、とても印象的だと思っている。常時うっすらと煙を上げる活火山は、いつ噴火するかわからない恐怖を絶え間なく僕に与え続けた。
だが、その強大なエネルギーを含んだ火山の様子や何が潜んでいるかわからない森よりも、僕は四十過ぎた親父の荒れくれた機嫌のほうがもっと気がかりだった。
僕は親父が嫌いだった。
ふもとの町から数キロ離れた森の、それも活火山と目と鼻の先の距離しか離れてない危険な家も嫌い。こんな場所に家があるのも、森林警備隊に勤めている親父のせいだ。だから、家が嫌いというのも、やはり親父が嫌いという意味より他なかった。
仕事の時だけ山の中で過ごし、普段は町に戻ればいいのに、親父はそれをよしとしなかった。山火事や噴火がいつ起こるかわからないのに離れられるか、というのが親父の言い分だ。
そんな親父を、安全な町に引っ越させようとあれこれ提案した母親だったが、親父はまったく耳をかさず、母だけを町に追いやった。そのくせ、親父は僕だけはその危険な家に居させ、森のパトロールや火山の観察日誌、果ては炊事洗濯などの家事も一切させられる。疲弊や苦痛を不満として抗議するも、親父はまったく聞く耳をもたず、むしろ暴力でそれを押さえつけてきた。
家の裏にそびえる火山の姿は、まさに親父の風格そのものだった。
草木一本生えることすら許さない地肌のような厳格さ、常にマグマのような苛立ちを常孕んだ雰囲気、そして噴火したら被害しかもたらさないような激怒。その被害にいつも被っている僕には、そうとしか見えない。
僕のことを都合のいい召使いにしか思ってないであろう親父が、僕はとても大嫌いだ。
鬼畜なオヤジの元から、さっさと逃げ出さなかったことに後悔したのは、そんなある日のことだった。
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その日もいつも通り親父の手伝いをさせられ、心身ともにクタクタになった夕方。日もすっかり暮れて、晩酌をしながらくつろいでいる親父を恨めしく思いながら、夕食の準備に取り掛かろうとした。
その時――、
地を揺るがすほどの振動と、耳をつんざく騒音が僕に襲い掛かった。
その二つのどちらが最初に届いたのか、もしくは一緒にきたのか、僕は覚えていない。
家全体を襲ったその衝撃に、僕は目を白黒させて慌てていた。無意味の声をあげ、その場を右往左往している。人生初の「それ」に、僕はパニックにおちいった。
しかしそんな僕とは裏腹に、親父の対応は俊敏かつ冷静そのものだった。その音と振動の意味することを瞬時に察すると、慌てふためく僕を一発ぶん殴って落ち着かせ、僕の手を引いて表へと出る。そして「それ」の正体を知った。
予想通り、裏の火山が噴火していた。
安っぽい花火のように入り乱れながら飛ぶ炎の塊と、蜂蜜のように大地を流れる溶岩の群れが、穏やかだった黄昏を侵食していた。普段はお湯の上を漂う湯気程度だった火口から昇る煙も、今では禍々しさを含んだ黒煙がもうもうと吐き出されている。
僕はその光景を呆然と見つめるだけで、それが何なのか、脳がなかなか理解してくれなかった。ただ、その非現実的な光景に心を奪われていたのを覚えている。
ふっと我に返った僕は、すぐさま逃げるように親父に提案した。身近からじわじわと近づいてくる死から、早く逃げ出したかった。だが、その場から親父は動こうともせず、さっきまでの僕と同じようにその光景を眺めている。
けれども親父は、ただ棒立ちになっていたわけではなかった。指があれこれと動き、口の中でなにやらああでもないこうでもないと小言をブツブツとつぶやいている。その姿は優れた軍師が姦計を企てる姿に酷似していた。
しかし自分の生命の危機に急いている僕には、そんなのどうでもよかった。溶岩は人の走る以上の速さで刻一刻と近づいている。僕らの移動方法といったら納屋にあるバイク一台限りだ。親父と僕が乗って、その上道も舗装されてない山道では、たいしたスピードも出やしない。だから早く逃げるべきだと思った。
騒ぐ僕を無視して、親父は噴火の様子をしっかりと目で追っていた。
ややあって、やっと親父の口から逃げるぞという言葉が発された。その時、僕は助かったと心底思った。僕はすぐにバイクのある納屋に行こうとしたが、なぜか親父は僕の手を引いて家の中へと入っていった。疑問に思いながらも、僕はそれに従った。
一階の食堂までくると、親父はなぜか床板をはずし地下倉庫の入り口を開けた。こんな時になにしてんだと叫ぶ僕に向かって、倉庫の奥にある木箱が見えるかと聞いてきた。
こんな時になにがしたいんだと思ったが、さっさとすませて逃げたいと思っていた僕は、とくになんの反論もせずに薄暗い倉庫の奥を覗き込もうとした。
途端、背中を思い切り蹴飛ばされた。
唐突の襲撃に僕はまったく反応できず、無様に倉庫の中へと落ちていった。硬い床に鼻を強打し、苦痛に呻いていると、辺りが急に漆黒の闇に包まれた。
閉じ込められたのである。
僕は暗い中、必死になって階段を上り、扉を開けようとするがびくともしない。外の親父に出してくれと懸命に叫んだ。 しかし、返事は予想だにしないものだった。
――悪い、お前をここに捨ててくわ。
金槌で脳天を殴られた以上にショックだった。仮にも血のつながった実の親子なのだ。日頃ひどい目に合わされても、いざという時は助けてくれると心の隅で信じていた。
しかし扉越しに聞こえた親父の言葉は、二人だと逃げづらいが一人だと身軽で助かりやすいといったものや、ここでうっとうしい奴を片付けられてせいせいするなどといった、とても実の親とは思えない言葉ばかりだった。
非情な現状に打ちひしがれている僕に向かって、扉越しに親父は最後にこう言った。
――じゃあな、達者で暮らせよ、愛しいわが子よ。
そんな皮肉な言葉を残し、親父は僕を置いて去っていった。
暗い倉庫の中、僕は怒りと憎しみの情動の赴くままに、親父への恨みを吐いた。
あの鬼畜で畜生な奴が生き残れない用に、悪魔に祈った。
願わくば、炎にでも炙られて、死んでしまえと呪った。
あの血も涙もない、人でなしと、もう一度会えたら、ぶん殴ってやろうと誓った。
溶岩が家の周りまで来たらしい、猛烈な熱気が倉庫内を支配する。岩作りで、半分以上地面に埋もれているような作りの家は、溶岩が流れ着いても燃えることはないようだった。ただ、その代償ともいえる熱気には、ほとほと息が詰まった。幸いなことに、閉じ込められた倉庫は普段は食料庫としても使われていたので、水や食料の心配はなかったが、いつ救助されるかわからない今では、無駄に使えない。
暑さで渇く喉がヒリヒリと痛かった。熱気で頭がクラクラする。ぶっ倒れそうだ。
そうなるたびに、こんな境遇に追いやった親父のことを思い出し、復讐心でなんとか持ちこたえた。絶対に、こんな場所でくたばってやるかと。
それだけが、唯一の生き延びようとする糧だった。
僕が救出されたのは、噴火から二日後のことだった。
真っ暗の倉庫の中、唐突に扉が開き、消防隊と思われる人が僕を救助してくれた。先にも述べたように、水も食料もあったので、僕はそこまで衰弱していなかった。
だから救助された時、僕は開口一番に親父のことを聞いた。もしどこかでのほほんとしていようものなら、ぶん殴ってやりたい。
消防隊の人達は、しばらくばつが悪い顔をして、返事を言う前に来て欲しい場所があると言い出した。体は疲れきっていたが、あのクソ親父をぶん殴れるのならばと、気合をいれて後に続いた。
家の周りは冷えた溶岩で殺風景になってしまっていた。大量にあった森の木々も、噴火の影響ですっかり真っ黒な消し炭の山に変わっている。
僕はそれらには目もくれず、消防隊の人の後に続いた。しかし消防隊の人が進む先は町とは反対の、噴火したばかりの火山の方だった。
しばらく歩み、そして僕は火山の中腹にある出っ張った岩地に導かれた。そこは他の傾斜よりも出ている分、溶岩が流れていないようだった。
そこに親父の死体が立っていた。
「家に息子がいる、助けてくれ」とかすれた文字で書かれた木板を持って。
壊れたバイクにもたれかかるように、しかし親父の体はしっかりと仁王立ちをして、その板を掲げていた。煙でいぶされたのか、それとも溶岩の熱気を直に浴びたせいか、親父の体はミイラのようにカサカサだった。
人でなしとののしった親父の姿は朽ちた巨木のようで、もはや人の姿をしていなかった。
血も涙もないと思っていた親父の体は燻製のように乾いて、文字通り血も涙も枯れ果てていた。
僕にはその光景が信じられず、呆然と立ち尽くしていた。わけがわからない。
ただ、唯一言えることは、僕はこのとおり生きており、親父は死んだということだけだった。
■
あの後知ったことだが、親父は僕と分かれた後、森林警備隊として立派に働いていたらしい。
火山地帯の風向きや、地形によっての溶岩の動きなどを、逐一ふもとに報告していた。そのために一番現場から近くで調べねばと、火山弾乱れる山中を一人バイクで駆けずり回っていたそうだ。
その親父の働きによって迅速に避難が進み、被害を最小限に食い止められたようだ。
その代償として、親父は逃げ遅れたというわけだった。
倉庫内が一番安全だと知っていたのは親父、そこに僕を閉じ込めたのも親父、僕がそこで救助をまっているのを知らせたのも親父。そのために死んだのも親父だった。
親父は僕のために死んでくれたのかと思った。
だが、親父はもともと死ぬ気でこの職についていたらしい。親父の死後、一通の手紙が遺産の中から見つかった。
それは、親父から僕へと送られた遺書だった。
内容は普段の親父の口からは一切でないであろう、謝罪の言葉で始まっていた。そして、親父のさまざまな本音が詰まっていた。お前だけ俺の近くにいさせたのは、色々生存するための術を教えるためだということ。森林警備隊がいかに危険かを教えたかったということ。だから絶対に俺の後を継ぐなということ。俺みたいにバカな大人には絶対になるなということ。そして俺のかわりに母さんを幸せにしてやってくれということ。
本当に親父が書いたとは思えないことばかりだった。
そして最後に一言、親父はあの台詞で閉めていた。
じゃあな、達者で暮らせよ、愛しいわが子よ、と。
あの時は皮肉にしか思えなかった言葉だったが、あれは本気で僕への親としての愛情として、言った言葉だったようだ。それを理解できたのが、いなくなってからだというのはとても悔恨だ。もし僕が、親父の下からさっさと離れて、母親のところで生活していたなら、親父はもっと違った対応をとってくれたのだろうか。普通の父親として、反面教師としての冷たさだけでなく、その不器用な愛情表現で、僕に接してくれたのだろうか。その答えは永久にわからない。
親父が亡くなってから、一つ問題が起きた。それは新たな森林警備隊が誰もいないことだった。もちろん適材なのは僕だったが、今回の凄惨な事件を知っている僕がなるとは到底思えないし、なにより親父もその職の危なさを教えたくて近くにおいていたのだ。だから、誰も僕がなるとは言い出さないと思っていた。
僕も最初はふもとの町で普通に生活しようと思っていた。しかし、それを僕の感情がよしとしない。ただ、親父の後を継がなければと思った。その理由は、わからない。
あれこれと悩んで、そして一つの答えに行き着く。
僕は親父が嫌いだった、だから親父の思い通りにはなりたがないんだと。
それは完璧な戯言で、昔思っていたその感情は、今の僕には微塵たりともなかった。
しかし、それでいい。そんな真意を隠し方が、いかにも親父の息子らしいからだ。
そんなわけで僕は今、親父の後を継いで森林警備隊になっている。親父がいた時と同じことを繰り返すだけだから、内容は簡単なものだった。
そばにもう親父はいないけど、僕はそれでもやっていけるだろう。
いつの日かあの火山のようだった、大きな親父みたいな人間になってやると心に誓っている。
まぁ自分の子からは、とても嫌われているけどね。
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2010/06/07(Mon)23:32:04 公開 /
あかあおき
■この作品の著作権は
あかあおきさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
初めまして、作者のあかあおきです。
ここの投稿はなにぶん初めてなもので、何度も利用規定などを読み返しましたが、それでもなにか間違いやしてはいけないことがありましたらすみません。
この作品は大学時代の文芸部だったころに、適当に書いたものです。
評価は可もなく不可もなくといったものでしたが、ただ自分以外の部員は詩や川柳ばかりだったので、同じ物書きなどの視線からの意見はほとんど聞いたことがありませんでした。なので、ちょっと自分の文章がどれほどのものか、知りたくて投稿しました。
文芸部では誤字脱字や文法ミスが大量にあったので、今もどこかにないかと内心ひやひやとしています。もし指摘してくださいましたら、とてもうれしいです。生活が忙しかったりするので、もし返事がおくれましたらすみません。
一応文芸部時代の作品が後いくつかあるので、それを今後少しづつ上げながら、久々に新しくなにかを書こうと今は検討中。
最後に、初投稿で拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。