- 『蒼い髪18話』 作者:土塔 美和 / ファンタジー 未分類
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全角52947文字
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原稿用紙約163.05枚
「武器を捨てて下さい」
聞き覚えのある声。
ホルスターを構えている者たちの背後から現われたのは、
「サミラン!」
シナカが叫ぶ。
それと同時に、こちらも聞き覚えのある声。
「殿下! 大変だ、クーデターだ!」
トリスが飛び込んできた。だがそこで見たものは、銃口を突きつけられているルカの姿。
「トリスさん、騒がないで下さい」
数名の者がトリスを取り囲む。
「サミラン、てめぇー」
トリスがホルスターを構える前に、携帯していた武器を全部取り上げられた。そしてハルガンの横に並ぶように指示される。
ハルガンは肩をつぼめて見せる。
「まあ、俺だってやるなら同時に一斉にやるな、片手落ちにはならないように。ボイ人もそこはネルガル人に学んだようだ」
「ハルガンさん、静かにしてください」
ルイはモリーにしがみ付き震えていた。さすがにモリーは上流貴族の館に仕えてきただけのことはあり、こういう修羅場は経験しているようだった。
「騒がなければ、こちらも危害を加えるつもりはありません」
サミランもルカをよく知る者の一人。ルカが善人であり、今回の水門の件も、どうにかして契約前に戻そうとしていたことも、よく知っていた。ただ最初から兄さんたちとは立場を異にしていただけ。ボイ星はボイ人によって統治する。ネルガル人は必要ない。
「殿下、こちらへ」と、サミランはルカをハルガンたちから引き離す。
とりあえずルカを押さえておけば、ハルガンたちは手出しが出来ない。
少年はハルガンの方を振り向く。ハルガンはそのまま演じろとばかりに頷いた。
「サミラン、これはどういうことなのですか」
シナカの強い叱責。
サミランはじっと怒るシナカの顔を見た。
兄さんたちの視線も痛く感じる。
サミランはじっとシナカを思い詰めたように見詰めると、
「姫様、私は以前からあなた様のことがお慕い申しておりました。ですが、あなた様がホルヘ兄さんのことを愛していらっしゃることも存じておりました。ですからずっと心に秘めてきたのです。ホルヘ兄さんには敵いませんから。ですが、異星人と。異星人と結婚なさるぐらいなら、私が名乗り出ても」
ハルガンが笑った。
「お前、さぞや壮大な夢を心に抱いてレジスタンスになったのかと思えば、私情か」
「煩い!」と、サミランはハルガンの笑いを断つ。
「ボイ人にとって、これほど重大なことはないのです。あなた方ネルガル人には解らない」
キネラオもホルヘも黙っていた。弟の気持ちは気づいていた。ネルガル王子との婚姻の件、一番反対したのは弟なのだから。
シナカは苦しそうに言葉を紡いだサミランをじっと見ていたが、ルカの方に一瞬視線を移してからもう一度サミランを見詰め、
「サミラン、あなたは彼を知らなさ過ぎます。彼は、ホルヘさんより上です。違いませんか」と、シナカはホルヘに訊く。
ホルヘは軽く頷き、
「男として、女性の前で負けは認めたくありませんが、認めざるを得ない相手もおります」
サミランは唖然としてホルヘを見る。
「きっと、あなたが私を認めたのと同じ感情です」
「しかし相手は異星人です」
「ネルガル人でもボイ人でも、関係ありません。良きライバルは」
ハルガンという男が引き付けられたのも、今では解るような気がする。私も一介のボイ人だったら、彼の親衛隊に入れてもらいたかったぐらいだ。執務は半日交代、なのに何かと理由を付けてはほぼ一日彼の傍に居るのは、自分がそうしていたいから。
ルカはこの話を自室へ続く廊下で聞いていた。物音に気づき、ルカも自室から飛び出してきたのだが、今飛び出したところでと思い、物影に潜み、彼らの行動を伺っていた。彼らの狙いは一体何なのかと。だがこのまま身代わりを連れて行かせるわけにもいかない。ハルガンと目が合った時、出てくるな。と言わんがごとくに怖い顔をされたが。ハルガンはこのまま彼と私を入れ替える気だ。
「待って下さい」
ルカは入り口に姿を現した。
貴様は何者だ。という感じにほぼ全員がルカを見た。ただハルガンだけが舌打ちして目を逸らす。
「私が本物のルカです。彼は偽者です」
はぁっ? と言いつつ誰もがルカと少年を見比べる。だが今のルカは髪も黒茶色、服もイシュタル人のそれを着ていた。誰の目にも、ルカの方が見知らぬ少年で少年の方がルカにしか見えない。
少年が堂々と言い放つ。
「その子はイシュタル人です。ハルメンスさんに頼みまして、一人貸していただいたのです。まさかこのようなことになるとは思いも寄りませんでしたから。その子はハルメンスさんの所へ送り届けてやって下さい。彼もそろそろボイ星を離れるようなことを言っておりましたから」
少年のその言葉と態度は堂に入ったものだった。さすがはハルメンスが仕込んだだけの事はあるとハルガンは感心する。
このままこいつを奴隷としてハルメンスの所へ送り返せれば。ハルガンはニタリとした。
シナカも何も言わない。
ルカはじっと少年を睨み付けた。だが少年は動じることも無い。
ルカがイシュタル人に興味を持っていることはサミランも知っていた。サミランも少年の言葉を疑っていないようだ。
ルカは諦めたように溜め息を吐いた。
この一時でも時間が欲しい時に、どちらが本物かなどと言い合っている暇はない。ルカは手っ取り早い方法に出た。ルカの親衛隊の一番の泣き所、ルカの親衛隊には決して嘘のつけない人物がいた。そして彼は、今、ここに居る。
「クリス、私の部屋へ行き、公文書用の書類を持って来て下さい」
そう命令されたクリスは、即座に答えた。
「畏まりました」
そう言って行動に移ろうとしたとき、ハルガンの今にも噛み付きそうな顔を見てしまった。
あの、馬鹿やろー。
クリスもしまったと思ったが、後の祭りだった。
「クリス、早くしろ」と、ルカはクリスに考える暇を与えないように急きたてる。
クリスはルカとハルガンの顔を交互に見ながら、急いでルカの自室へ向かおうとする。
クリスが動こうとしたので、サミランの仲間が警戒する。
「サミラン、私の守衛や治安部隊を静かにさせるための命令書を書くだけです。取りに行くことを許可して欲しい。あなた方も、仲間同士で撃ち合いたくはないでしょう」
レジスタンスの中には、親や兄弟が治安部隊に所属している者も居る。
サミランもそれに頷き、仲間の動きを止めた。
「クリスさんを自由にしてやれ」
「しかし」と言う仲間に対しルカは、
「何でしたら、見張りを付けてくださっても結構です」
「いや、その必要はない」とサミランはクリスの行動に対する見張りを付けなかった。
殿下はこういう場面で嘘をつくような方ではない。
この段階でどちらが本物なのかはわかった。
何も知らないトリスは、ぽかんとした顔をしている。
「殿下、これは一体どういうことなのですか」
これはサミランだけではなく、トリスも訊きたかった。
「私も知らない、ハルガンに訊いてくれ」
ルカは憮然とした態度で答えた。
サミランはハルガンに視線を移した。
ハルガンは諦めたように肩をすくめて見せただけ。
クリスは文箱を抱えて走り込んで来たが、銃口を突きつけられ慌てて止まった。
クリスは文箱を前に差し出すようにして、ゆっくり歩み出す。
ルカは動く許可を取るようにサミランを見詰め、
「命令書を書きます。内容は確認して下さって結構です」
サミランが頷くと、テーブルまでの間が、まるで花道のように開けられた。
公文書用の書類の納められている箱はジェラルミンでできており、ルカの生体反応で開けられるようになっている。この箱のデーターだけは偽王子のそれと入れ替えてはいなかった。この箱だけは、ルカ以外の者に開けさせるわけにはいかないというハルガンたちの思いが、かえって裏目に出た。
ここでこの箱が開けられなければ、彼が偽者になったものを。
箱の中からは、コピーの難しい特殊な技法で、ルカの軍規の紋章である竜が描かれている用紙が出てきた。それにその紋章の印鑑。これがネルガルの公の場で通用する書類一式。それと認識プレート。
誰のだ? とハルガンは思った。
プレートは二枚。このプレートは軍人が出陣する時に首に下げていくものだ。万が一、戦死し死体を回収する余裕がなかった場合、対になっているプレートの一枚だけをその場で回収する。もう一枚は死体の首に残る。それを目印に後日死体を回収することになる。
まさかあの処刑した公達の? あいつ、今まで後生大事に持っていたのか。
だがあいつらは軍人ではない。よって認識プレートも持っていないはずだが。
ハルガンの疑問をよそに、ルカは言い放つ。
「この箱を開けられるのは、この軍旗の持ち主である私だけです」と、ルカは紙に印刷されている紋章を見せる。
白竜、それがルカの軍旗。鳥ではない。ネルガルの王族なら猛禽類と決まっているのだが。
ルカはテーブルに向かい、手紙を書き出した。命令書は三通。内一通はネルガル語、残りの二通はボイ語だった。
その内容は彼らに従い、私の命令があるまで決して個人的判断で動かないようにとのことだった。最後にルカのサインと日時、この手紙が書かれた場所を記載し竜の紋章の印を押す。これが公式文書の形式。日時が記載されるのは同一命令で矛盾が生じた場合、日付が新しい方を優先するためだ。
三通をすらすらと書くとサミランに見せた。
「これで、いいですか」
サミランは内容を確認し頷く。別段我々に危害を及ぼすようなことは書かれていない。
「彼らはこれであなた方に抵抗することはないでしょう。ですからあなた方も彼らに暴力を振るうようなことはしないでください」
「始めから、そんなつもりはありません」
「そうですか」
ボイ人は温厚な性格の人種に属するだろう。ネルガル人とは違う。ネルガル人は自分が少しでも相手より優位な立場に立つと、直ぐ相手を見下し日ごろのうっぷんをはらそうとする。そして腹いせに無用な暴力を振るい始める。捕虜の虐待などがいい例だ。
そしてルカはもう一枚、今度は美しいボイの紙に公達へ宛てて嘆願書を書きしたためた。
それは先程の三通が命令調だったのにたいし、言葉を選んだ丁寧な文章だった。
内容は、必ずネルガルへ戻れるように取り計らいますので、彼らにおとなしく従ってくださいと言うようなことだった。
ルカはそれらの手紙を、やはり白竜の紋章の入った封筒に入れ封をし、宛名を書き始めた。
「大佐」と、ルカはリンネルを呼ぶ。
「何でしょうか?」
「守衛たちの指揮は、あなたが取りますか?」
リンネルの本来の仕事はルカの侍従武官。何時いかなる時でも傍に居るのが任務。そのために副官としてレイを連れて来た。彼なら私の代理は十二分に果たせる。
「いいえ、私はあなたのお傍に居たいと存じます」
「それではレイに頼みますか」と、副官であるレイの名前を書く。
そして一通には、災害救助隊、総隊長キショウ。
災害救助隊? そうだ、治安部隊の正式名称は災害救助隊だったんだ。とハルガンは今更ながらに思い出す。これじゃ、万が一ネルガルと戦闘になった時、恰好がつかない。などと言うハルガンの思いをよそに、残りの命令書にも宛名を書く。
警察機動部隊、総隊長ハクキン。
そして残る一通には、キーレン・パーキンス・カービン子爵と書いた。
この四通をサミランの前に差し出すと、
「これは、トリスに頼むとよいかと思います。そしてこれは、ハルガン、あなたに頼みます」
公達宛の封書をハルガンは差し出され、
「どうして、俺が?」
「あなたの方が彼らより爵位が上ですから」
「だったら、ハルメンスに頼め、奴の方が遥かに上だ」
「彼は、今ここにおりませんから」
「まったく肝心な時に出て来ねぇーんだから。役に立たねぇー野郎だ」と、舌打ちしながらも、その封書を受け取る。
「くれぐれも騒ぎ立てないようにと」と言うルカの言葉が消えない内に、
「サミラン、奴等が騒ぐようなら、殺してもかまわないからな」
「ハルガン!」と、ルカは厳しい口調でハルガンの言葉を制する。
ハルガンはやれやれと言う感じに肩をすくめた。
「トリス、レイに言って下さい。内乱だけは避けるようにと」
トリスは頷く。
「後は、あなた方の手で直接渡して下さい」
「いや、私が使者になりましょう」と、名乗り出たのはホルヘだった。
「その方が彼らも納得いくでしょうから」
ルカは少し考えたが、
「そうですね。そうしてくだされば助かります。ホルヘさん、くれぐれも内乱だけは」
ルカがてきぱきと指示を出す姿を見てハルガンは思った。やはり本物には敵わないなと。髪の色が違っても、もう誰もこのイシュタルの服を着ている少年が本物の殿下だと確信している。
「わかっております。我々の本当の敵はネルガル帝国ですから」
ホルヘのその言葉にルカははっとする。今更隠し立てすることでもないのだが。
「これから、どうなさるおつもりですか」
「まず、私が生きていると言う事と、何も危害を受けていないと言う事、それにボイ人はネルガルとの和平を解消する気はないことを伝えようと思います」
「そんなことをしても無駄だな。否、かえって奴等の思う壺だ」
「それはどういう意味ですか」
ハルガンは元参謀本部。一度この手の機密を手がけたことがある、グレナ王女の時に。どうにか王女だけは助け出そうと翻弄したが、結局助け出した王女は正気ではなくなっていた。ああなってしまうのなら、夫の下へ行かせてやればよかったのだろうか。と今でも悔やまれる。あの頃の俺は若かった。一般的なネルガル人と同様、他の星の者達を下等視していた。高等な生物が下等な生物と相思相愛になるようなことはないと。まして政略結婚で愛が育まれる事も。だから早くネルガルへ連れ戻してやろうと、ハルガンの親切心からだった。だがグレナ王女とあの醜い王子は心から愛し合っていた。これはハルガンの想定外のことだった。何故グレナ王女はあの醜い王子をそこまで愛せたのか。その疑問が敵に対する徹底的な調査へと変わった。報告書だけではなく自分の目と耳で確かめるという。それで得た結論は、自分が今まで虫けらと思っていた相手にも、自分と同じ知性と感情があるということだった。ルカの館に来て驚いたことは、ナオミ夫人の思想だった。彼女は誰に対しても同等だった。例え下僕ですら見下すことは無い。平民とは皆、こういう考え方なのか。では驕り高ぶっているのは貴族だけ? そして当然ナオミ夫人を母に持つルカも、その思想は強く受け継いでいた。始めからボイ人を下等視することはなかった。こいつだけは、あの王女の二の舞は踏ませたくない。もっとも今回は立場が逆だ。今度は俺が仕掛けられる番だ。
「ボイからの通信は、あったということだけは国民に流される。だが内容は別だ」
「別とは?」
「そうだな、俺だったら」と、ハルガンは顎を摩りながら、
「宣戦布告と言うことにするかな」
「そんな! 馬鹿な!」
「これが現実さ」
「でも私からの通信は、通信機を扱えるものなら誰でも傍受できるはずです。それは一般の人が傍受できないように途中でシールドが掛けられたとしても、ケリンのような人が」と言いかけて、ルカはケリンを見る。
「否、ケリンほどの人はあまりいないとしても」
ケリンの腕はネルガルでも群を抜くとルカは思っている。
「セミケリンのような人は沢山いるはずです。彼らが私の通信の正確な内容を国民に公表してくれれば」
「甘いな」と、ハルガンは言う。
「情報が錯誤するだけです。王子は殺されたと言う情報と、生きていると言う情報と。そして人は自分がより聞きたいと思う方の情報を信じるものです、何の根拠も無く」と答えたのはケリン。
ケリンは元情報部。情報を操ることで戦争を優位に運んでいた。
ハルガンはニタリとすると、ここはやはり頭で考えるより経験がものを言う。
「この場合、お前が生きていると言うより、死んでいると言う方が人は好む。なぜなら、お前が死んだと考えた方がストリー性があるからな」
「そんな、戦争になるのですよ、ただの夢物語ではない。いくらその方がストリーがおもしろいからと言っても」とルカは憮然とする。
「まあ、これは既に実証済みだからな。俺の忠告としては、くだらない通信はしない方がよい」
ルカとハルガンの会話を聞いていたサミランの仲間の一人が、
「どういうことでしょうか」と問いただしてきた。
「直に、わかるさ」と、ハルガンは薄笑いを浮かべる。
ルカがこの星に婿入りさせられた本来の目的。だがルカはそれをどうにか避けようと、ネルガルの無理難題を受け入れてきた。しかし幾ら温厚なボイ人にもプライドはある。いい加減うんざりしていた所に、水利権の問題。これで一気にボイ人のもやもやに火が付いた。もう少し我慢してくれれば。否、兵器が揃うまで。幾ら負け戦だと言ってもこれでは一方的な殺戮になってしまう。
サミランは知っている。だが閣僚の一人であるウンコクなどはこの力の差をどれだけ現実として受け入れているのだろうか。ここにも哀れな人間の性がある、自分の経験でしかものを考えられないという。つまり自分がやるだろうと考えることは相手もやるだろう、その逆も可。ネルガル人は優位な兵器を持っているが、それを使えば殺戮に等しい。ボイ人ならそこまではしない。だからネルガル人もしないだろうと。
ボイ人はネルガル人の怖さを知らない。金のためなら自分の利き腕まで売ってしまうのだ。まして他人の命など何とも思わない。全ては金、金こそ神。これが貨幣主義であり、ネルガル人を戦争へと駆り立てる根源。飽くなき欲求、満と言うことを知らない。
トリスはルカの手紙を携え、レジスタンスの一人に付き添われレイのもとへ行く。そしてホルヘも同様にして治安部隊の方へ向かった。
二人の使者の姿が部屋から出るのを見届けてサミランはルカに言う。
「部屋を用意いたしました。移っていただけませんか」
ルカは、何処へとは訊かなかった。
ハルガンはニタリとすると、
「部屋などと言わず、はっきり言ったらどうだ、檻と」
サミランはハルガンのその言葉に嫌な顔をする。
シナカは驚いたように、
「サミラン、どういうことなの? 私達を牢に入れるとは」
「姫様は、ここにいらして結構です」
「私は彼の妻です。彼が牢に入るのなら、私も一緒です」
そう言うシナカの言葉をルカは遮った。
「シナカ、あなたまで来る必要はありません」
「でも私はあなたの妻です。妻は夫の傍に居るのが」
ボイの常識。
ルカは軽く首を横に振ると、
「あなたは私の妻でも、ネルガル人ではありません。これはボイ人とネルガル人の問題です」
「あなた」と、駆け寄ろうとするシナカをルカは制止、サミランに行きましょう。と声をかけた。
サミランはシナカに言い訳するように、
「座敷牢です。何不自由なく取り計らいますので」
「何が何不自由なくよ、牢に入れられただけで充分不自由だわ」
シナカの声は涙ぐんでいた。
「このこと、父は知っているの?」
「国王ご夫妻には、ウンコクが説明にあがっております」
「銃を突きつけて」
それにはサミランは答えなかった。その代わり仲間に、ルカたちを連れて行くように指示する。
ルカは数人のレジスタンスに囲まれ歩き出した。その後にハルガンたちがやはりレジスタンスに囲まれ続く。
執務室の裏手にその建物はあった。厳重な鍵のかけられた扉を開けると、地価へと続く階段。中は薄暗かったが地価に降りると中は明るかった。天井全体が輝いている。まるで外にでも居るかのように。
光ファイバーか。直接外の光を室内に取り込んでいるのか。ということは、夜は、太陽が沈むと同時に暗くなるのか。
などとハルガンが思いながら歩いていると、
「お前たちの牢はここだ」と、一つの檻の前で止められた。
中はかなり広い。
「後から仲間もお見えになりますから」
仲間? 別にお見えにならなくともいい。とハルガンは思いながらも、ルカが遠ざかるのを目の片隅で取らへ、
「奴を何処へ連れて行くんだ?」
「座敷牢はこの奥になります」
「俺も」と、ハルガンがレジスタンスたちを押しのけてルカの後を追おうとすると、一人のレジスタンスに銃口を突きつけられた。
ハルガンはむっとしながらも
「奴が、どんな牢に入れられるのかこの目で見届けたい」
実際はルカの正式な位置を確認しておきたいのだ。牢を破った時に、居場所がわからないのでは救出に手間取ってしまうから。
レジスタンスの一人が頷き、ハルガンだけ奥に行くことを許された。
ルカの牢は地下室の一番奥にあった。さすがに不自由はさせないと言っただけのことはあり、調度品は一通り揃っていた。ただ今までと違うのは、座敷の前が池ではなく格子になっているだけ。
ルカは座布団の上に座っていた。黒茶色の髪にイシュタルの服を着たまま。
「おい、ルカ」
何となく彼が気落ちしていたように見えたので、ハルガンは声をかけた。
「何ですか」
「俺たちは、手前の牢に入れられるらしい」
「そのようですね」
「仲間も来るらしいぜ」
「そうですか」というルカのあっさりした返事に、ハルガンは心配になり、
「大丈夫か?」と、声をかける。
「大丈夫ですよ」
「なら、いいが。話し相手が居た方がいいよな、クリスでも」
「少し考えたいので、ひとりの方が」
「そうか」
それだけ聞くと、ハルガンは戻って行った。
だがその会話の間でもハルガンの目は周囲を確認していた。どこに監視カメラが取り付けられているとか。
牢に戻ると、リンネルとクリスが心配そうにハルガンを見る。
「奴が言ったとおり、ここよりは遥かに生活しやすそうだ」
「そうですか」と、リンネルは少しほっとする。
これからどうする。と言うリンネルの視線をハルガンは無視して、
「身の回りの世話をする奴を一人、置いた方がいいな。あまり一人にしておくと、考えが煮詰まりすぎちまうからな」
誰にすると、ハルガンは牢の中を見回す。俺と大佐は無理だろう。となると、クリスか。だがこいつではかえって考えを煮詰めさせる危険性がある。いっその事、
「おい、なって言ったっけ?」
少年の名前が出てこない。
だが、少年も答えようとはしない。
「まあ、名前などどうでもいい、偽ルカと言うことにしょう。お前、奴のところへ行って身の回りの世話をしてくれないか」と、ハルガンが言いかけると、
「曹長、それは」と、クリスが反対した。
護衛が付けられない以上、得体の知れない人物を置くわけにはいかないと。
「得体が知れないからいいのさ。もともと好奇心の旺盛な奴だから、話し相手にはうってつけだろう」
リンネルも、それは確かに。と思った。ハルメンス公爵が連れて来た人物だ、間違っても殿下に危害を与えるようなことはないだろう。
「何をこそこそ話ししているのだ」と、レジスタンスの一人が警戒するように訊く。
「いや、別に。ただ、殿下の身の回りの世話をする人が必要だなと思って」
「それなら、こちらでやる」
「お前等が?」
ハルガンは笑い出した。
「何が可笑しい」と、レジスンタスはホルスターを向けた。強度は失神のレベル。
「あのな、ああ見えてもあいつは繊細なんだ」
否、実際はひ弱で繊細に見える。だがその実体はカロルや守衛を始め、一部の者しか知らない。まったひ弱そうに見える奴は得だよな、女なら何も知らない深窓の美姫と言うところだ。それだけで周りの者は優しく扱う。だが奴は、女でもなければ何も知らないぼんぼんでもない。その姿に誤魔化されると後で酷い目にあう。
「お前等のような無粋な奴等に、奴のわびさびの世界が解るか」
実際は遥かにネルガル人よりボイ人のほうが繊細なのだが。
そこへガヤガヤとした音が近づいて来たかと思うと、牢の中の密度がいっきに上がった。
「てめぇーら、殿下の許可が出たら、ただじゃおかねぇーからな」
「ぶっ殺してやる」などと、物騒な言葉を吐きながら、残りの親衛隊が押し込まれて来た。
親衛隊は牢の中にルカの姿を見つけるや、
「ご無事でしたか」と、次々に駆け寄る。
この中で彼が偽者だということを知っているのは、オリガーとレイだ。どうやらトリスは、先程ルカの部屋で見たことをまだ仲間に話していないようだ。否、まだ自分が理解していないのだろう。オリガーとレイは、遠巻きにその様子を伺いながらハルガンを見る。
ハルガンはオリガーと視線が合うなり、オリガーのところへ駆け寄ってきた。
「どういう薬の配合をしたんだ?」
オリガーにはハルガンが怒っている意味がわからない。
「一日寝るどころか、一時間も寝ていなかったぞ」
「嘘だろー!」と、オリガー。
「こんなところで、嘘付いてどうする」
「では、彼は?」
本物の王子なのか。と訊いてきた。
「奴は、偽者だ」
「何だ、脅かすなよ」
作戦はうまく行ったのではないか。
「本物は、この先の牢だ」
「はっ?」
オリガーの頭は混乱した。念には念を入れて、致死量一歩手間の量を注入した。途中で起きないために。万が一昏睡状態から醒めない場合のために、使用した薬の中和剤の配合を書いた手紙まで添えたのに。
「本当に、途中で起きてしまったのか」
クリスは頷く。
オリガーは腕を組み考え込む。
「特異体質としか言いようがない」
「量を間違ったんじゃないのか」
「そんなことはない」
オリガーははっきりと否定した。
不思議とこの隊にいる者たちは、自分の得意とする分野にはプライドを持っている。それを疑問視されることを何よりも嫌った。
「やる前に一度、試しておけばよかった」
「あのな、こういうことは二度できるものじゃねぇーんだ」
ハルガンはやれやれと言う顔をした。
「奥方様やキネラオさんたちは」と、レイが訊く。
「自室で軟禁状態だ。モリーも年寄りだということで奥方様の下においてもらっている」
まあそれだけではない。彼らの情報を出来るだけ得たいからモリーを残してきた。と言うのがハルガンの本音。どんな状況でも打てる手は全て打つ。と言うのがハルガンの作戦。行き当たりばったりのように見えて、本当は見えないところで布石を忘れない。
「本物の殿下なのか」と、トリスは疑わしげに少年に訊く。
少年はどう答えるべきかとハルガンを見た。
「偽者だ」と、答えたのはハルガンだった。
「これは、どういうことだ」と、牢内がざわめく。
「身代わりを立てるつもりだった。成功したらお前等にも話すつもりだった。どうせお前等にはいつまでも隠しきれないからな」
身代わりの件はネルガルを発つ前にも話が出ていたので、今更驚くほどのことでもない。
「しかし、似てるな」と、守衛たちは感心する。
「静かにしろ」と、看守の一人が怒鳴る。
その彼に、
「おい」と、ハルガン。
「こいつを」と、ハルガンは少年を自分の前へ引き出すと、
「こいつを殿下の傍に置いてもらえないか。こいつはイシュタル人なんだ。今までハルメンス公爵の館に仕えていた。余りにも殿下によく似ているもので、昨日、殿下の遊び相手として送られてきた」
とっさに付いた嘘。相手がどれだけ信じるか。
少年は賢いと見え、ハルガンの言葉に合わせ、イシュタル人のように振舞う。
「嘘だと思うなら古代ネルガル語で話しかけてみろ、こいつはネルガル語は公用語しか話せない」
イシュタル人と言われて、看守は不思議に思った。どこから見てもネルガル人だ。ボイ人の大多数はイシュタル人を知らない。会ってはいても、彼らが自らイシュタル人だと名乗らない限り、誰もがネルガル人だと思って取引きをしている。そしてイシュタル人は自分たちを決してイシュタル人とは名乗らない。なぜならこの銀河ではイシュタル人は忌み嫌われているからだ。
「俺の一存では何とも言えない。少し待て」と言って、その看守は他の看守を残してその場を去った。
暫くしてサミランを連れて戻って来た。
サミランはおそらくキネラオたちからこの少年の話は聞いているのだろう、少し訝しがるような顔をしたが、
「同じ年頃の話し相手がおられた方がよかろう」と言って、少年を同じ牢に入れることを許可した。
「ケイト、頼む。奴を守ってくれ。生きていてもらわなければ話にならないからな」
少年はハルガンのその言葉に頷く。
少年の姿が見えなくなると、ハルガンはほっと一息入れた。一人にしておくよりもはましだろう。
去って行く少年の後姿を見ながらレイはつくづく感心したという感じに首を振りながら、
「まさか公式文書を持ち出してくるとは思いも寄りませんでしたよ。これでは逆らえない」と言って、レイは自分宛の命令書をリンネルたちに見せた。
これさえなければ、あのぐらいのレジスタンスなど物の数ではなかった。
まあ、それを察してのルカの先手だったのだろう。
「しかしよく似ていますね。姿、仕種ならともかく喋り方から声まで。あれでしたら彼が本物だと言い張れば、それで通用したかもしれませんね」
確かにと誰もが思った。
ハルガンもその手を使うつもりでいたから苦笑せざるを得ない。
「身代わりは失敗に終わった。奴は水掛け論はやらなかったよ、時間の無駄と取ったようだ。代わりにこの書類が納められている箱を目の前で開けられた。あの箱のデーターを変えなかったのはこちらのミスだ。開けられなければこいつは偽者だとその場で断言できたのにな。奴もこの箱のデーターだけは改ざんしないと踏んでいたようだ。まったく小憎らしいガキだ」と、ハルガンは嬉しそう。
それを見たトリスが、
「あのよ、仲間同士で駆け引きして、どこがおもしろいんだ。窮地を脱するには何の役にもたたねぇー」
もっともだと周りで頷く。
「しかし、ケリンの体を調べずに入れるとは、あいつら、どこまでおめでたくできているんだろう」と、ネボ。
「これで、本気でネルガルと一戦交える気か」
この牢といい、監視の仕方といい、その緊張感のなさに、守衛たちは笑いが止まらないという感じだ。
俺たちだったら、既にこの段階で一人や二人、血祭りに上げている。その方が捕虜はおとなしくなるからな。
「どうする曹長、このぐらいの鍵なら、おれだって」と、錠前破りの異名を持つバムが名乗り出た。
「待て」と、ハルガン。
「少し様子を見よう」
いつでも逃げ出せるとなると心は落ち着く。それは最後の手として取っておく。
出来ることなら、奴等と争いたくは無い。武器が無いのだ。いざとなれば人開戦しか方法が無い。その時奴等には駒になってもらわなければならない。とにかくルカをこの星から逃がすまでは、ネルガル軍に負けるわけにはいかない。よって駒は多いほどよい。ルカを逃がすことさえできれば、後は総崩れでもかまわない。これがハルガンの考えだった。
守衛たちもハルガンのこの考えは汲んでいるようだ。俺たち一人一人が駒になれば、どうにか血路は開けると。
「ハルメンスはまだ居るのかな」
「どうやらこの星を離れるのを躊躇しているらしいですぜ」
ルカを奴のところまで届ければ、しかし口惜しいのは、どうして睡眠薬が切れたかだ。
ハルガンはオリガーを見る。
オリガーもハルガンの心を察したのか、俺は間違っていないと毅然とした。
失敗したことを何時までもなじっていても仕方ない。次の手を打つか。
とにかく武器が欲しい、ネルガル艦隊と戦うための。
国王夫妻と宰相夫妻は同じ邸に軟禁されていた。
少しは親衛隊の抵抗を受けるかと覚悟をしていたウンコクは、血を流す事無く、それも短時間でクーデターが成功したことに驚き、国王夫妻への説明が事後承諾のような形になってしまった。
「ウンコク、これはどういうことなのかな」
「あの子は、ルカは、無事なのでしょうね」
「殿下には、何も危害を加えてはおりません。ただ、座敷牢の方へお移り願いました」
「座敷牢ですって! では、シナカも?」
「姫様は、そのまま今までのお住まいのところに」
「夫が居ないところに、一人でですか。いっそのこと、娘も座敷牢へ。その方が娘も喜ぶわ」
「姫様を牢に入れるわけにはまいりません」
「夫を入れることが出来ても」
王妃の必要以上の弾劾に、ウンコクは言葉をなくした。
「これはボイのためですので、お許し下さい」と、閣僚の一人ズイケイが謝罪する。
「ズイケイ、お前までもか」と、宰相は落胆したように言う。
実直な人となりだった。このような事に加担するようには見えなかった。
「ボイのためか」と、国王は大きな溜め息を吐いた後、
「これから、どうするつもりだ」と問う。
これでネルガルとの和平は決裂した。破ったのはこちらからだ。あの子が言ったとおり、ネルガルの筋書き通りになった。
国王は、ウンコクたちが話しをする前に切り出した。
「あの子を盾に取って、ネルガルから何かを引き出そうとしても、それは無駄だ」
「それは、どういう意味でしょうか」
「あの子は婿入り後、暫くして私のところへ挨拶に来た。リンネル大佐一人を従えて」
最初、国王夫妻の部屋に宰相が居たのを見て、ルカは警戒したようだが、国王と宰相の仲を察したのか、宰相が部屋を出ようとすると、一緒に聞いていただきたいと申し出た。自分がこの星に婿入りした本当の理由を。そしてあの子の言った言葉は。
「私は平和の使者などではありません。ネルガルは、ボイ人が私を殺すことを待ち望んでいるのです」
「それは、どういう意味ですか」と、ウンコク。
「サミランから聞かなかったのか」と、宰相。
ウンコクは外務大臣だ。宰相の三男であるサミランは彼の下で働いていた。外務部は銀河に精通している。だからどの部署よりネルガルに詳しいはずなのに。ネルガルの軍事力もさることながら、その非道さは有名だった。ネルガル人を次期国王と迎えるぐらいなら。
「殿下の命を盾にとっても、ネルガルは何の反応も見せないと言うことです。それどころか、早く王子の遺体が届かないかと、手ぐすね引いて待っている有り様です」
ウンコクもズイケイも唖然とした。
ルカ王子の身の安全と引き換えに、ネルガルからの一切の干渉を排除しようとしていたのだ。
「ネルガル人とはそういう星人だ。ネルガルの非道振りは、外務部が一番よく知っていたと思っていたが」
婿入りの件、一番反対していたのも外務部だった。
「あの子はよくやってくれました。あの時、なんと言ったと思います」
ネルガルは必ず近いうちにボイの人々が私を殺したくなるように仕向けてきます。私も命は欲しいですから、出来るだけそれらの罠を解除しようと思います。そのために真っ先にやった事が憲法の制定だった。ボイ人に憲法はいらないと言いつつも、ネルガルに治外法権を認めさせないために。ですが万が一、それに失敗した時は、私のために従者としてこの星に従わされて来た者たちだけは、無事にネルガルへ帰してはいただけませんか。その代わり私は私の知力の限りを尽して、ボイ人としてネルガル軍と戦います。それは、私を捨てたネルガルに恨みがないと言えば嘘になりますが、それよりもと言ったルカは少し俯き黙り込んだ。次第に白いルカの顔は耳の後ろの方までボイ人のように赤くなり、シナカさんのことが好きだからですと言う。あの人となら、地獄へ落ちても。こういう言い方は、ボイの方々には理解できないと思いますが。その時のルカの顔はまるでボイ人のようだった。
「あの時言ったことを、あの子は実行してくれたのです。今度はこちらが守る番です。少なくともあの子がこの星へ連れて来たネルガル人には、手を出さないで下さい。戦争が始まる前にネルガルへ帰還させます」
王妃の強い意志。
「しかし彼は、身代わりを」
「それはおそらく部下たちが勝手にやったことだろう。心は通じるもの。主が部下を守ろうとすれば、部下の方でも主を守ろうとする。これこそが主従。そうではないか」と、国王はウンコクに問う。
ネルガル人にもまともな者はいると。
「戦争になるのでしょうか」と、ズイケイ。
「それは私にもわからない」
「今からでも、殿下は無事で、我々には和平条約を決裂する意思はないと使者を送られては」
「もう、遅い」と言ったのはレスターだった。
レスターだけは捕らえることができなかった。どこからこの部屋に入って来たのかは知らない。だが好機。飛んで火にいる夏の虫と思った、が、レスターの動きの方が早かった。あっと言う間に国王を盾に取った。国王の喉もとに短刀を突きつける。
「あなた!」と叫ぶ王妃。
ボイ人の動きが止まった。
レスターは冷笑を浮かべると、
「こうすればボイ人は動きを止めるが、ネルガル人は国王もろとも俺を撃つぜ。そうして国王を殺したのは俺だという。自分で殺しておきながら」
格闘の心得のあるズイケイが微かに動くのを見て、
「本当に殺していいのか」と、レスターは短刀に力を入れる。
ズイケイの動きが止まる。
「一つ忠告しておく。奴の身に何かあったら、ネルガル艦隊が来る前に、俺がこの手でお前等を皆殺しにしてやる。覚えておくといい」
レスターの言葉は誰も冗談とは取らない。
「一つ、いいことを教えてやろう。ネルガルはボイ討伐の艦隊を用意した。指揮はラーシュ・クロラ・モービスだ」
「君が、ネルガルに通報したのかね」
「俺が?」とレスターは怪訝な顔をすると、
「通報するはずないだろう。黙っていた方が奴は安全だからな。どうせネルガル軍は奴を助けに来るわけでもないし」
レスターにとっては、ネルガルもボイもどうでもよかった。どうでもよくないのは奴だけ。奴がいないこの世など生きる意味が無い。俺を唯一、まともに扱った人物。
「商人どもがどっと逃げ出したんだ、それを見ただけでボイで何が起こったか察しはつくだろう。もっとも奴等が金に任せて有る事無い事話ししただろうから。お前等も作戦を練った方がいいな」と言うと、レスターはあっと言う間に部屋から姿を消した。
少年はルカの居る座敷牢に連れて来られた。
「殿下」と、サミランが声をかける。
ルカは牢の奥で瞑想でもしているかのように、座布団の上に正座をし、じっと目を閉じていたが、その声に目を開けると立ち上がり近づいて来た。
「お話し相手にと、ハルガンさんが」と言いつつ、少年を牢に入れようとすると、
「彼はハルメンスさんの使用人です。彼の所へ返してやってください。我々には何の関係もない人なのですから」と、少年が牢の中に入るのを拒否した。
「あなた様の身の回りのお世話をするようにと言い付かって参りました」と、少年。
「誰に?」
「ハルガンさんにです」
「あなたの主人はハルメンスさんで、ハルガンではありませんよ」
「確かにそうです。ですが、主人より、リンネルさんやハルガンさんの指示に従うようにと言い付かって参りました」
これで少年の行動は正当化される。
少年は牢の中に入った。
ルカは少年を無視し、サミランに話しかける。
「サミランさん、彼は無関係の人物です。彼をこの件に巻き込むのはやめてくれませんか。私は別に、世話人などいなくても大丈夫ですので」
サミランはじっとルカを見ると、
「誰にも危害を加えることはありません。ただここに暫く入っていてくだされば」
「ネルガル艦隊が攻めてきます。私と一緒に居れば彼も」
「公達を帰還させる時に、彼も一緒にネルガルへ送ります」
「では、彼らの命は」と、ルカは少し明るい顔をした。
「最初のお約束でしたから」
「最初の?」
「あなたがこの星へこられて直ぐの」
ルカははっと思った。確か国王夫妻に。
「あの時、私の父も同席しておりましたので、お話は父から」
シナカには内緒と言うことで打ち明けた話。
「そうでしたか」と、ルカは少しほっとしたような顔をする。
「それでしたら何故、ウンコクさんたちを」
止めてはもらえなかったのか。
「もう、そのような状況ではありませんでしたので」
ルカは黙ってしまった。
「あなたもネルガルへ戻れるように計らいます」
「私は、ここに残ります」と、ルカは強い意志で言う。
「私も王女が好きなのですよ、あなたに負けないぐらい」
ルカは、そう告白するサミランを見上げた。
「では、二人で守りましょう。その方が、シナカが助かる確率は高い」
サミランは軽く笑った。
「あなたらしいお考えですね」
「守りきれたら、勝負をつけましょう。子供だからと侮らないで下さい」
サミランは格子越しに自分の右手をルカの右手にからませた。これがボイでの女性をかけた男同士の戦いの合図。戦いと言っても殴り合いなどではない、自分の持っている技での勝負。サミランなら建築技術だが、ルカは?
「あなたにはその明晰な頭脳があります。どちらが彼女を引き付けるか」
「死ねなくなりましたね」
死ねば必然的に生きている者が勝ったことになる。
サミランはにっこりした。
少年をルカの牢の中に入れたまま鍵を下ろすと、
「夕食をお持ちします」と言って去った。
もうそんな時刻になるのか。昼は抜きになってしまったようだ。
ルカは自分と背格好の同じ少年をまじまじと見た。見れば見るほど、よく似ていると思う。世の中には整形したわけでもないのにここまで似ている人物がいるのかと、つくづく感心させられる。
「座りませんか」と、ルカは少年に自分の向かいの座布団を勧めた。
少年からすれば、身代わりになる前に一度でいいから話をしてみたいと思っていた人物。ネルガル帝国の王子。本来ならスクリーンでそのお姿を拝見するだけで、決して会うことのない人。別世界の人物。
その方が、余りにも気さくに声を掛けてきたので、どうしてよいか迷った。
「立ったまま話すより、座ったほうが楽でしょう。それとも椅子のほうがいいですか」
先程サミランと話していた時とは、まるで別人のように言葉が柔らかい。
「殿下が座敷の生活を好まれるとお聞きしたもので、座敷で生活して来ましたので」
座布団に座ることは苦ではない。
「本来でしたら、ここでお茶にしたいところですが、あいにく何もありませんので」
その言いぐさが、如何にも困ったという感じなので、少年は思わず笑いを堪えた。
ここは牢の中、客人が来たからとお茶など想定すること事態、可笑しい。
少年は小さなテーブルを挟んで手を伸ばせば届く位置に居るルカを見る。
この方が、ハルメンス公爵を魅了して止まない人。それどころかあの親衛隊ですら。否、敵であるサミランという人物ですら。一体彼のどこに、と少年は思った。
「名前を訊いてもよろしいですか」
「ケイトと申します」
「あの、失礼ですが貴族?」
貴族なら家名と門名も名乗るのが普通なのだが、身分の低い貴族では名乗りたがらない者もいる。
「いいえ、平民です」
「平民!」と、ルカは驚く。
平民にしては余りにも貴族としての振る舞いが出来すぎている。
「驚かれたようですね」
「失礼しました。あの、別に、平民を低く見ているわけでは。ただあなたが余りにも貴族らしいもので」
「わかっております。あなた様が貴族も平民も対等に扱われるということは。私はクロードさんと同じく、公爵に拾われたのです」
「拾われたというと、スラムで?」
クロードもスラム街出身だと聞いたことがある。
少年は俯いただけ、その先は話そうとはしない。
「あなた様に似ていたお陰で、命拾いをいたしました」
それはどうかな。とルカは思った。私に似ていなければ私の身代わりになることもなかった。
「あなたが援助しているというスラムも見て参りました」
「あれは、私ではなく私の母がです」
だが既にナオミは王宮を去った身、王宮から生活費の保障はない。生活費の保障があるのはルカ。ルカはその生活費の大半をあのスラムの運営のために当てている。婿入りしてもネルガルの王子である自覚を持たせるために、先方に世話にならなくとも住むだけの生活費は送り届けている。
「ご家族は?」と言うルカの問いにも少年は答えなかった。ただ、
「私に家族が有ろうと無かろうと、あなたには関係ないと思いますが」
そう言われてしまえば、ルカにはそれ以上訊き様がない。そうですね。と答えて話題を変えるしかなかった。
「どうして、身代わりを?」 買って出たのかと。
「身代わりということが、何を意味するのか知っているのですか」
「贅沢な暮らしが出来ると聞きました」
「それだけですか」
だが少年の様子から、彼が全てを知って引き受けたことは察しがついた。
「卑怯ですね」
「何がでしょう?」
「あなたは私の全てを知っている。なのに私があなたを知ろうとして訊いた質問には何も答えてくれない」
「私も何も知らないのです。気がついたら公爵の館に居たのです」
これはある意味真実だった。スラムで行き倒れになっているところをハルメンスの館に運ばれたのだから。
ハルガンは次の手に出た。
「おい、看守」とハルガンは、外で見張っているレジスタンスの一人を呼ぶ。
「何だ?」
「話がある、お前等のボスに会わせろ」
一方、ハルガンにボスと呼ばれたウンコクには先客がいた。
「これはハルメンス公爵、何か?」
レジスタンスに囲まれ物々しい中、ハルメンスはクロードを従えやって来た。
「殿下の御様子を拝見したいと思いまして」
ウンコクには、この男の考えはわからない。掴みようがないと言うべきか、殿下の側に立っている様でもないし、かと言って公達側でもない。よって会わせるべきかどうするべきかと迷っていた。
ハルメンスにしてみれば、一刻も早くルカの安否を確かめたい。焦る心を抑え相手の出方を待つ。今からが商取引だ、慌てる乞食はもらいが少ない。幾らなら、こいつらはルカを手放すのか。
「ネルガル艦隊が攻めて来ますね」
それは先程国王夫妻の前で、レスターから聞いた。
「武器が、お要りでしょう」
そこへ先程の看守が入ってきてウンコクに耳打ちする。
「ハルガンが?」
看守は頷く。
ハルガンの名前を聞き、ハルメンスも怪訝に思う。
ウンコクはハルメンスに、
「ハルガンさんが私に用があるそうです。失礼ですが」と、ウンコクが立ち上がろうとした時、
「私も、同席させてもらえませんか」と、ハルメンス。
おそらくハルガンは次の手を打ってくるはずだ、その手が気になる。どの道殿下は、私の手元へ届かない限り、この星からは出られない。どんな作戦を立てようと、近いうち接触はあるはずだ。なら、今この場でも。
ウンコクは暫し考えていたようだが、先程の看守に向かい、ハルガンをここへ連れてくるように指示した。
暫くしてハルガンがやって来た。手錠を掛けられているようでもない。ここら辺がボイ人の甘いところだ。
ハルメンス公爵の第一声は、
「ハルガン君、君にしてはかなりの失態ですね、私はずっと待っておりましたものを」
ハルガンはそっぽを向いたまま、
「俺はきちんと段取った。後はオリガーに聞いてくれ」
俺の失態ではないといわんがごとくの態度。
「まあ、過ぎたことを何時までも悔やんでいても、前には進みませんからね」
「何時まで居るつもりだ」
「そろそろ出立しようと思いまして、そのご挨拶と」
ハルメンスが来たのはそれだけではなかった。
「殿下の身請けです」
「身請け?」
ハルガンは素っ頓狂な声を出した。
「幾らなら売ってくださるかと思いまして、今ボイで一番必要なのは宇宙戦艦でしょうから」
ならばそれと引き換えに。
ハルガンはニタリとした。
やはりこいつ、そこまでして奴が欲しいのか。
ハルガンはハルメンスの足元を見たような気がした。なら、高く売ってやろうじゃないか。
「無理だな。お前が幾ら天文学的な数値を示したところで、ボイ人が売りたがっても、奴がネルガルへ戻ることを拒むよ」
あの調子では奴がボイを離れることはないとハルガンは見た。
「では君ならどうします、ハルガン君」
「戦って、勝つまでさ」
この言葉はハルメンスどころか、その場に居合わせたボイ人たちをも驚かせた。
「勝つ。正気ですか」と、言ったのはクロード。
「奴の頭脳とお前の財力、それに俺たちの経験」
ルカの親衛隊はほとんどが前線の経験者か、もしくは生き残りだ。
「ただし一回だ、二度有るとは思わないでくれ」
既にハルガンの手元には、今回の討伐軍の指揮官のデーターが入って来ていた。
奴となら、互角の戦力さえあれば負ける気はしない。しかし、なんせ戦力が。
「おもしろいですね。その戦費、私が負担いたしましょう。ですが、私も金の湧く泉を持っているわけでは有りませんから」
何、言っている。銀河中の財宝を掻き集めている奴がとハルガンは腹の中で思いつつも、それはおくびにも出さず、ハルメンスの言葉に頷く。
「負担には自ずと限界があります。今のところ」と、そこはマルドック商人との交渉で育んだ知恵、最初からの具体的な数値は避けた。
ハルメンスがルカを身請けするために用意してきた戦艦の数は三個艦隊、交渉によってはもう少し増やせるかもしれないが、これ以上の船を融通するということは、こちらの戦力にも影響が出てくる。ぎりぎりの数字だろう。それ程に地下組織は彼を欲しがっている。
「どのぐらい出す気だ?」
「どのぐらい欲しいのですか?」
「六個艦隊か」
ハルメンスは笑う。
「それだけあれば、主星を攻略することもできますね」
「ああ」
ハルメンスは腕を組み考え込むと、
「その半分ですか」と、答えた。
「三個艦隊か」
かなりきついな。とハルガンは思った。
「ただし、新しい物を揃えましょう。ここ十年以内に造られた物を」
「おいおい待ってくれ、十年じゃ化石もいいとこだ。一日にどのぐらいの戦艦が造られていると思っているんだ」
戦争ほど儲かるビジネスはない。なんせ作る矢先に壊すのだから。否、壊すのが目的で作るようなものだ。だが物ならいい、人の命では再生が利かない。
まあ、それでもないよりましか。ボイの船では話にならない。
「本当に、勝てるのですか」と訊いて来たのはズイケイだった。
「さあ、それはやってみないことにはわからない。だが、一勝ぐらいは出来るだろう」
ウンコクとズイケイは顔を見合わせた。
ネルガル艦隊が攻めてきて、ボイ人だけでは守れる自信ははなからなかった。だからその前に殿下を盾に取引きをしようと思っていたのだが、考えが甘かったことを思い知らされた。ネルガル帝国の目的はボイ星の属国化、ボイ星の資源。隷属を拒むのならボイ人はいらない。
「まずは、あいつを牢から出すことだな」
「それには、少し時間を下さい。国民を納得させなければ」とズイケイ。
ウンコクはまだハルガンたちを完全には信用していない様子。
そもそもネルガル人をこの星から追い出すために発起したのだ。それをまた頭首に付けるなどと言ったのでは、首脳たちの指導力が疑われる。
「まあ好きにしろ。ぐずぐずしているとそれだけ勝機が遠のく。敵は既に万全の体制を取りつつあるのだからな」
「殿下に会えませんか、会わせてくださればその足で取って返し、船を用意いたしましょう」
既に艦隊はある星系に待機させてあった。その星はボイ星から見ると物理的にはネルガル星より遠くにあるため、艦隊を隠すには好都合な場所だった。しかもそこからワームホールを使えばネルガルのあるアパラ星系から来るより早い。ワームホールは物理的な距離には影響されない。どちらかといえば時空の歪みに影響される。
ズイケイが先立ち、ハルメンスたちをルカが監禁されている牢へと案内する。
一方親衛隊の方は、全体的にルカの部下たちはボイ人に受け入れられていた。主が主ならば部下も部下。上が和気藹々とやっているのに、下で異星人だからと喧嘩するわけにはいかない。最初はギクシャクでも付き合っていくうちにお互いを知り、今では飲み仲間になっている者たちもいる。だからレジスタンスの中にも友はいた。彼らがウンコクの側に付いたのは義理のため、ネルガル人が憎いわけではない。よって自ずと監視も甘くなる。
そしてまた親衛隊も、そもそもが反抗分子の集団。トリスなどはその典型。ネルガル軍の中のレジスタンスのような存在なのだから、彼らと意気投合しないわけが無い。
「そうなんだよな、何も知らねぇーくせに、上官だと言うだけででかい面しやがって威張り散らしてよ」
「そうそう、頭に来るよな」と看守の一人。
「やっぱり、ボイでもそうなんかよ」
「ボイ人は皆穏やかな奴ばっかりなのかと思っていたが」と、バムも話に加わる。
なにしろキネラオやホルヘを見ていたのでは、ボイ人は全員理路整然としているように見えた。
「とんでもない」と、別の看守が話しに加わり顔の前で手を大きく振って見せた。
「中には酷い奴もいるんだよ」
「話のわかんねぇー奴は、全然話しにならねぇーからな」
「そりゃ、そうだ」
ボイ人のぐちを聞いて頷いたトリスは胸を張り、
「その点、殿下は違った」
「そうそう、筋道さえきちんとしていれば」
「俺たちをまともに扱ってくれた」
部下たちはめいめいに思っていることを言い、大きく頷いた。
「いい人だよな、ああ言う上官なら、俺、命まで捧げちまうぜ」などと言いつつ、何時の間にか牢屋の扉は開かれ、一緒にお茶を飲む有様。
まったくこいつら、どうなっているのだ。とレイなど目の前の光景を疑いたくなった。
戦争を知らないとは、ある意味哀れなぐらいだ。これで我々が打って出れば、彼らは皆殺しだ。
「本当にこいつら、革命をやるつもりなのですかね」と、ケリンも呆れ返る。
そこへ公達を見張っていたレジスタンスがやって来た。
「オリガーさんはおられますか?」
オリガーは自分の名前を呼ばれ怪訝に思いながらも、
「私がオリガーだが」と、答える。
レジスタンスは息を切らしてふうふう言いながらも、
「怪我をされた方がおりますので、診てやってください。ボイの医者では信用できないと」
「怪我?」
まさか発砲でも。
一瞬、牢の中は静まり返った。
だがよくよく話しを訊くと、静かにするように頼んだところ、彼らは我先に逃げようとして将棋倒しになり、下敷きになった者たちの中に骨折した人が出たようだ。
「何だ、自業自得だ、ほっとけ」と、トリスは言う。
「しかし、怪我はさせないというお約束でしたので」
「あのな、自分でけつまずいてすりむいた傷まで、責任を感じることは無い」
「すりむいたのではなく、ボイの医師の報告では、骨を折っているそうです」
「それを俺たちの間ではすりむいたと言うんだよ」
そっ、そうなのですか。と、まともに信じるボイ人。
やっぱりこりゃ、戦にならない。とネルガル人はめいめい心に思ったようだ。
「とにかく、行こう」と、オリガーは立ちだす。
くだらないことで騒ぎが大きくなっては示しがつかない。
「一人で大丈夫か」と言うリンネルの言葉に、
「手がたらないようなら、ボイの医師を使うよ」
ルカの座敷牢には別のルートからも行けるとみえ、ハルガンたちは自分が監禁されている牢の前は通らず、ルカの座敷牢の前に出た。
「お元気そうで」と、ハルメンスが声を掛けたとたん、ルカはむっとした顔をして立ちだし、ハルメンスの所へやって来た。
その背後にはケイトもいる。
「ハルメンスさん、お話があります」
ルカの鋭い声、それに今にも噛み付きそうな顔つき。
「あなたでも、そんな怖い顔をすることがあるのですね」
ルカは格子越しにハルメンスを睨み付けながら、
「私は、人の弱みに付け込むような人は嫌いです」
ハルメンスは驚いたような顔をすると、
「私が何時、人の弱みに?」と、訊きかえしてきた。
身に覚えのない中傷だと。
「彼のことですよ」と、ルカは背後にいる少年を見た。
「彼が、何か言ったのですか」
「いえ、何も。おそらくあなたに口止めされているのでしょう。名前以外は何も話しません」
「私が口止め? どうしてそんなことを」
「身代わりの件です」
「彼の意志ですよ。私が強制したわけではありません」
「子供が死ぬことを覚悟で、身代わりなど申し出るはずがありません」
「そう決め付けるのはおかしくありませんか。あなたも死を覚悟で、戻られた」
皆で立てた計画だった。あのままケースの中でおとなしく眠っていてくれれば、今頃ボイ星を脱出できていたはずだった。
「私と彼とでは、立場が違います」
「王子でも平民でも、ネルガルを思う心は同じだと思いますが」
「そんなことを言っているのではありません。あなたは、彼が断らないことを知っていて、または断れないようにして、身代わりの件を頼んだのです。違いませんか、卑怯です」
「取引きです。お互いに納得すればよいことです」
「選択の自由のない納得など、納得とはいえません。それが今のようなネルガルを作ってしまったのです。金のある者が無い者を、あたかも自分の意思で選択したかのようにして従わせる。身代わりなど断じて認めません。命の重さに代わりはありません。あっちの命は生きる資格があるが、こっちの命はどうでもよいなどと」
「それは、違うと思います」と言ったのはケイトだった。
ルカは驚いて振り向く。
「確かに命の重さに差はないでしょう。ですが、その人が生きて何が出来るかということになれば差が出てきます。私が生きるよりもあなたが生きた方が」
「ハネルンスさん、あなたが彼にこのような考えを吹き込んだのですか」
「吹き込んだとは、お言葉の悪い。私は別に」とハルメンスが言い訳がましく言い出した時、
「これは、私の考えです」と、ケイトは言う。 ルカはケイトの方に向き直ると、
「あなたは、今ご自身が言っている言葉の意味を理解しておられるのですか。あなたは今、自分の命より私の命の方が重いと」
「そうは申しておりません。殿下こそ、よくご理解下さい。私が申したのは、私が生きるよりもあなたが生きた方が、これからのネルガルのために、やれることが一杯あると申したのです」
ルカは黙ってしまった。
「そういうことなのです、殿下」と、ハルメンス。
「その考えは、間違っております」
「そうでしょうか。私は今のネルガルを変えたいのです。それにはどうしてもあなたが必要なのです」
「彼を犠牲にしてでもですか」と、ルカは少年を指す。
「その値打ちはあると思いますが」
あくまでもハルメンスは淡々と答えた。
「自分の命欲しさに一人の少年を身代わりにして、こんな私にネルガルの民が付いてくるとは思えません」
「それは、考え過ぎですよ。時として、それも必要なことです」
あまりにも淡々と言うハルメンスに、ルカは恐怖まで感じてしまった。
「ク、クロードさん。どうしてあなたが付いていながら、彼に忠告して差し上げなかったのですか。友達なら、それは貴族的な考え方だと、平民なら」
生まれながらに、自分は特別で大事にされて当然だという環境で育たない限り、このような考えにはならない。
ルカはハルメンスでは埒が明かないと悟り、クロードに話題を振った。だが彼の答えは、
「私も、主の考えに同じですので」
ルカは唖然としてしまった。
「あなたは平民だったはずです。いつから心まで貴族になってしまったのですか」
「俺も、ハルメンス公爵の考えに賛成だが」と、言ったのはケリンだった。
何時の間にか親衛隊が集まって来ていた。
「俺もだ」と、言ったのはトリス。
賛同の声が次から次へと上がる。
「役に立つ者が生きるべきだろう」
「では、彼は」と言うルカに、
「彼の役は殿下の身代わりだ。そして俺たちだって、死んだ方が役に立つ時が来れば死ぬ。その時は悲しまないでくれ。あんたの役に立てて、喜んで死んで行くんだからな」
「そうそう、どうせ一度死に掛けた命だ。今更」
どうせ軍人である以上、駒にされて死ぬのが落ち。貴族でもない限り将校になることもない。なら、嫌いな上官の駒になるより、こいつならと思う上官の駒になりたい。殿下なら駒にした部下のことは決して忘れないだろうから、俺たちは殿下の心の中で生きられ。
皆は頷く。
「殿下の負けですね。平民でも貴族でも、ここに至っては考えは同じ」
ルカは黙ってしまった。
「少し、独りにしてください。考えたい」
「殿下、きれい事は、もうお止めになられた方が。きれい事は、何の苦慮も無い時に、柔らかなソファの上で美酒を片手に女性の前で語るものです。ホルスターを構えながら、敵味方の血肉の散らばった床几の上で語るものではありません。現実を直視して下さい。ネルガル艦隊が攻めて来るのですよ。ボイを守るためには皆の犠牲が必要です。戦争は、どれだけの味方の犠牲によって、どれだけの成果が上げられるかという方程式です。あなたは既に、この方程式を知っておられる」
そう、あなたは既に人の命の遣い方を知っておられる。さもなければ、見せしめのために人を処刑するようなことはなさらない。
ルカは唇を噛みしめハルメンスを見る。
全ては無意識の中で解かっていたこと。だがそれを意識に上らせたくはなかった。
「ネルガル艦隊の総司令官は、ラーシュ・クロラ・モービスだ」と、ハルガンが言う。
「独りにしてください、考えたい」
ルカは言い捨てるように牢の奥へと逃げ込む。
看守の一人がケイトをルカの牢から出そうとした時、ケイトはそれを拒んだ。
「彼の傍に居たいのですが」
看守は相談するようにウンコクたちの顔を見る。
ウンコクが許可するように頷いた。
ケイトは牢に戻りながら近くに居たハルガンに耳打ちする。
「もしものことがあったら、私が彼の身代わりになります」
ハルガンは驚いたようにケイトを見、ケイトの意志の固さを感じ頷いた。
暫くしてルカは、ケイトの前にやってきた。少し落ち着いたのか、先程のような悲壮感はない。
「座ってもいいですか」
「牢とはいえ、ここはあなたの部屋ですよ」
ルカはテーブルを挟みケイトの前に座ると、
「家族を質に取られているのですか」と、訊いてきた。
ケイトはやはり何も答えない。
ルカは想像で話す。
「もしそうでしたら、私があなたの家族の面倒をみましょう。私というよりもは件のスラムに頼むことになりますが、生活に支障のない程度の教育はあのスラムでも受けられるようになっております。成績がよければ皆で資金を出し合って、上層教育も。ですから公達と一緒にネルガルへ戻ってください。ここに居ては」
「あなたの傍に居ては、お邪魔ですか」
ケイトは思った。もっとこの人を知りたいと。公爵が来るまでのわずかな間の会話の中に、既にこの人の心の深さを感じた。この人がネルガルの王になってくれれば。
「邪魔とかそういう意味ではなく、ここに居ては危険だからです。あなたの身にもしものことがあれば、ご両親が悲しむでしょう」
「あなたのご両親は悲しまないのですか」
「私の両親は」と、ルカは少しくちごもってから、
「おそらく父は悲しまないでしょう。ですが母は」
「悲しむ人が居るのでは、私と同じです。私が身代わりになれば、あなたのお母様は悲しまなくて済みます」
「私の母はそういうことを許す人ではないのです。私がそんなことをしたと知れば、もっと悲しみます」
ケイトはまじまじとルカを見た。皆がこの人に引き付けられる訳。
「殿下、確かに私は今まで、ハルメンス公爵に選択の自由の無い選択を強いられました。ですが、今は違います。私が自ら選択します、あなたの身代わりになりたいと。家族もなにも関係ありません。あなたが私の家族の面倒を見てくれなくとも、公爵が見てくれなくとも、今はもうどうでもよくなりました。私の意志だけで、あなたの身代わりになりたいと」
ルカは何も言えないで居る。
「どうして? と言う顔をなさるのですね。答えは簡単です。そうすることで私もネルガルを変える一役を担えるからです」
自分のことより他人のことを思いやるこの人なら、今までにないようなネルガルを作ってくれるような気がする。
「正気ですか。私にはあなた方の考えがわからない」
「おそらく永久に、わからないと思いますよ」と、ケイトは軽く笑う。
ルカは彼が笑う顔を初めて見たような気がした。
「人には二種類いるのですよ。人を魅了す人と、魅了されてどうにもならない人と。人を魅了す人には、魅了されて魂まで差し出す人の気持ちは永遠にわかりません」
この言葉、以前にも何処かで聞いたことがあるような。
ルカはまた黙り込んでしまった。
この少年には、何を言っても無駄。
その夜ルカは久々に笛を吹いた。竜の子守唄。青い髪の少女の幻さえ現われなければ、不思議とこの曲が一番心を落ち着かせる。
ケイトはルカの傍らでその曲を聴いていた。竜の子守唄。この曲は紫竜様が吹くことに意味があるのです。他の誰が吹いても意味をなさない。そう言ったのは公爵の館で怠け者と呼ばわれているイシュタル人の奴隷。イシュタル語は彼から教わった。
「ご存知ですか、その曲。竜を眠らせるそうですよ」
「それは、竜の子守唄という題ですからね。ですが、肝心な竜は存在しません」
ルカは相変わらず竜の存在を否定する、科学的ではないと。
「紫竜様が吹くと、白竜様が眠られるそうです」
ルカは怪訝な顔をしてケイトを見る。
ケイトもある意味自分でも信じていないから、その視線を避けるようにして、
「そう、イシュタル人の使用人が言っておりました」
この笛で私が吹くことに意味がある。他の誰が吹いても意味が無い。そう言ったのは母の村の人々。
ルカはじっと笛を見詰める。ネルガルの艦隊が攻めて来る。白竜の力を借りれば味方の血を一滴も流さずに勝利できることを、エルシアは知っている。それこそがネルガル人がイシュタル人を恐れる起因であり、エルシアがこの世に存在する唯一の理由でもある。だが、今のルカはそれを知らない。
ここはイシュタル星の王宮の一室。ニーナと王妃は一人の赤子に手をこまねいていた。
「どうしたことでしょう。今までこんなにぐずられたことはないのに」
ぐずるどころか、何の反応も示さない子だった。
「アツチ様がご覧になられているのは、この部屋の様子では御座いませんから。おそらく紫竜様の身に何か」
「何かと言われますと、何か危険なことでも」と、王妃は心配する。
「いえ、たいした事ではないと存じます。もし本当に紫竜様の身に危険が迫れば、アツチ様はここにはおりません」
「そうですよね、白竜様のことですから、すぐさま紫竜様の所へ駆けつけられますよね」
だからイシュタル人は昔から言う。紫色の髪の人を手荒に扱ってはいけないと。もしその人が紫竜様なら白竜様を敵に回すことになるから。どんな目にあわされるかわからない。それこそ魂まで砕かれ、転生すら不可能になる。
その時、ドアがノックされた。
「王妃様、お言いつけのお花、お持ちいたしました」
侍女が大きな花籠を持って入って来る。
「これは?」と問うニーナに、
「紫竜様のお好きな花だとお聞きしました」
矢車草。
「アツチ様にはお見えにならないのかも知れませんが、お部屋に置いておけば少しは」
いくら見えないとは言え、何もなくては余りにも殺風景過ぎる。
「アツチ様がご覧になられているのは紫竜様がご覧になられているものであり、お聞きになられているのは紫竜様がお聞きになられている音楽であり、味わられているものは紫竜様が食されておられるものなのです」
王妃はくずるアツチをじっと見詰める。決してこの子は母である私の顔を見ることはない、例えこの子の瞳に私が映っていても。王妃は寂しさを感じながらも、
「それはわかっております。早く、紫竜様がお傍に見えられるとよろしいですね」
その時、アツチのぐずりが収まった。
「お花が効いたのかしら」と侍女。
「いいえ、紫竜様の笛の音です」
ニーナにそう言われ、王妃と侍女は耳を澄ました。だが何の音も聞こえない。
一万光年彼方からの笛の音。しかしアツチにはしっかり聞こえていた。
「吹いてくだされたのですね」
安らかに眠りに付くアツチの顔を見ながら、ニーナは紫竜に感謝する。
来てくださらないのでしたら、時折り笛を吹いてくださるだけでも、アツチ様の寂しさはまぎれる。
安らかな眠りに付いたアツチを、ニーナはそっとゆりかごの中へ戻す。
ネルガル星では、ボイ星との決戦に備え、着実に艦隊を揃え始めていた。ボイ星から帰国した商人たちは金のためなら真実よりも相手が聞きたがる話をべらべらと喋った。本人に言わせればリップサービス。だがそれがどんなことを巻き起こすかなど、一向に責任を持つつもりはない。それどころか戦争が起きれば俺たちの出番とばかりに、兵器をかき集めては敵味方関係なく高い値を付けた方に売りさばく。
「本当にルカ王子は殺されたのか?」
「殺されたところは見てないが、牢に入れられたという話は聞いた。殺されるのも時間の問題だろう」
「いや、既に殺されているかもな、王子が牢に入れられたのは俺たちがボイ星を発つ前だからな」
「そうそう、王子が監禁されたと言うのを聞いて、俺たちもそろそろ引き上げた方がいいなと思って帰ってきたのだから」
「しかし、あのボイ人たちが」と、スラムに居る元ルカの守衛たちは囁く。
紳士的だった。少なくともネルガルの貴族よりもはよっぽど。
何かの間違いだろうとしか思えない。
「一体、何があったのだ」
「本当に殿下は、殺されたのか?」
真実が知りたい。
不安が錯雑しているのはスラム街だけではなかった。クリンベルク家の守衛たちの間でも、
「よっ、殿下が処刑されたらしい」
「それなら遺体が帰還するはずだ」
「いや、生きているらしいぜ、ただ監禁されているだけだとか」
「じゃ、時間の問題だろう」
「いや、牢から出してもらったと言う話だぜ」
「もし殿下が殺されるようなことがあれば、それはボイ人の手ではなく、公達の仕業だろう」と、一人の元ルカの守衛が声を潜めて言う。
「ああ、その可能性が強いな」と、別の一人が同意する。
「縁起でもねぇーこと言うなよ」
そしてカロルも。
ルカから贈られた剣をじっと見詰め、
本当に殺されてしまったのか。そんな事ないよな。お前がボイ人に嫌われるような、そんなドジを踏むはずがない。やったのは公達か? 否、ハルガンが付いているんだ、奴がそんなドジを踏むはずがない。そっちの方は奴がしっかりカバーしているはずだ。生きているよな、お前が死ぬはずがない。そうだ、笛。だがあの笛が村に戻るのは二、三年後。
カロルは居ても立ってもいられなくなった。
あの討伐軍に加わり、誰よりも先にお前を見つけ出しこの邸に匿ってやる。
そして元ルカの館に仕えていた者たちは、ぞくぞくと軍への志願を始めた、ルカを助けるために。だがそこで、クリンベルク将軍からまったが掛かった。
「ルカ王子は無事だ。今回は少し様子を見ろ、それからでも志願は遅くない」
これはルカの元守衛たちに言ったというよりも、自分の息子であるカロルに対して言い聞かせたような節もある。
「情報に惑わされ闇雲に動き、肝心な時に動けないでは意味がなかろう。犬死になるようなことだけは止せ、わかったか」
これが戦場での一番の心得、とにかく正確な情報を掴むこと。
「将軍、その情報は確かなのですか、殿下が無事だという」
「確かだ。伝えてきたのはキングス伯」
「ハルガン曹長が!」
「お前たちにまだ動くなと言って来た。スラムの者達にも伝えて欲しいそうだ。動くなら次」
「次とは、どういう意味だ?」
「私にも解からん」
元守衛たちは首を傾げながらも、とにかく殿下が無事だということを知りほっとした。
カロルなど館中にルカの無事を言いふらして回った。それこそトイレで用をたしている者にまで。
「まったく」と、シモンは溜め息を吐きながら、心の中では嬉し涙が溢れて止まらない。
その夜、クリンベルク将軍は一人で酒を飲んでいた。
「お父様、眠れないのですか」とシモン。
「お前もやるか」と、将軍は娘にグラスを勧める。
娘も眠れないでいることを将軍は知っていた。
「もう少し彼が大きければ、お前の所へ降下していただいたものを」
「まあ、お父様ったら。クリンベルク家は王族とは縁を結ばないのが家訓ではなかったのですか」
「時と場合による」と、将軍は微笑む。
家訓より娘の気持ちの方が大事。まして平民の血を引く王子では、王子と言えども身分は最下位。縁を結んだところで余り支障はなかろう。クリンベルク家は、家系の力が大きくなりすぎるのを警戒していた。他の貴族からの妬みの対象にならないために。よって王族とは縁を結ばない。
しかしルカ王子も罪なことを言い残して行くものだ。これで娘の婚期は伸びそうだ。それでなくとも男勝り。
クリンベルクには開戦以外にも悩みの種があった。カロルといいシモンといい。心配せずに済むのはこの二人の兄たちだけか。
そこにクリンベルク自慢の二人の息子が軍法会議から戻って来た。
「ただ今、戻りました」
「遅かったな」
シモンは急いで二人の兄にグラスを用意する。
二人の兄はソファに座るや同時に部屋の中を見回し、
「カロルは?」と、シモンに訊く。
ルカの死亡説が流れてからと言うもの、カロルは塞ぎこんでいた。軍法会議の結果を誰よりも早く聞きたがっていたのではないかと思っていたのだが。
「カロルでしたら、今頃守衛たちと酒場ですよ。ルカ王子が生きていると解かりましたから」
「ルカ王子の無事が?」
将軍は頷いた。
「今日、これが」と、将軍は一枚の手紙を見せる。
この通信機器の進んだ時代に手紙。だがこれが、確実に相手に渡せるのなら一番傍受しづらい手段だ。
「マルドックの商人が持って来たのだ。直接私にと、ギングス伯からだそうだ」
手紙の内容はおおよそ、
彼の花の苗は元気だ。彼らは彼の花をとても愛しんでくれる。
その手紙にはルカの名前はおろか、キングス伯の署名もどこにもなかった。ただその筆跡を、知る人ぞ知るのみ。
そして気になる文面。
今回はよいが、次は取りに来てくれ。おそらくこちらからは贈れない。
「これはどういう意味だ、次とは?」
次第に状況が悪くなるのが読み取れる。
そして最後に皆にもよろしく。とのことだった。
おそらくこの手紙はクリンベルク将軍宛というよりも、この館に仕えている元ルカの使用人に宛てたものなのだろう。
「信じてよろしいのですか」
「信じるしかあるまい」と言って、将軍は手紙に添えられていた一輪の矢車草の押し花を出す。
「これは、ルカ王子が好きな花」と、シモンの反応は早かった。
「お前にやろう」と、将軍はその花をシモンに差し出す。
マーヒルはその手紙を読み、やはり同じところに疑問を持つ。
「次とは、一体何を意味するのでしょう」
テニールも手紙を覗き込む。
「それより、会議の結果は」
「会議の方でも、王子はまだご無事な御様子です」
「そうか、早く殺してもらいたくて、手ぐすね引いて待っていると言うのに」
「おっ、お父様!」と、シモンは叫びに似た声を発した。
これがネルガル軍の幕僚たちの作戦。だがボイ人は思うように動いてくれないようだ。
「処刑されるのを待つつもりなのか」
「いいえ。今はM8星系の勝利で戦機も上がっておりますので、兵士たちの休暇が終わり次第、作戦を実行するようです。ルカ王子は処刑されたということにして」
「そうか」と、クリンベルク将軍は腕を組んだ。
そうなるとルカ王子の身はよりいっそう危険だ。先鋒隊の特殊任務はおそらくルカ王子の暗殺。
「総司令官はラーシュ・クロラ・モービス将軍に決まりました」
これでクリンベルク家はこの戦争とは関係なくなる。別な戦場を与えられることになるだろう。
「お前たちのどちらかでなくてよかった」と、将軍はひとまず安堵した。
これは父としての思い。この二人のどちらかがカロルやシモンの恨みを買うようなことになっては。これで家族の絆は保たれたが、カロルがこの館でじっとしている訳がない。先日から艦隊に参加したいので提督に口を利いてくれと言ってきかないのだが、あの子を推薦するわけにはいかない。なぜならあの子がその軍隊を乱すことは目に見えているからだ。皆の迷惑になる。一人のためにその軍隊が窮地に陥ることにでもなれば取り返しが付かない。それにクリンベルクの家名に泥を塗ることにもなりかねない。否、泥を塗るぐらいで済めばよいが、下手をすれば謀反の疑いを掛けられ、クリンベルク家の存亡自体危うくなりかねない。
「お父さん、顔色が優れないようですが」と、次男のテニール。
「カロルのことがな」と言っただけで、誰もが同じ考えに行き当たった。
「どうしたらよい」
「止めたところで、無理でしょうから」とマーヒル。
敵の来襲より頭を悩ませる。
「放っておくしかないでしょう。もう子供ではありませんし」
元服は迎えた。一人前の軍人だ。自分の進退ぐらい自分で考えるだろう、他人に迷惑をかけないで。
「お父さんが何時までも甘やかすから、カロルは大人になれないのです」と、テニールに痛いところを疲れ将軍は黙り込んだ。
噂に惑わされているのはクリンベルク家だけではなかった。ここにもう一人、ルカの安否を気遣っているものがいた。テラスでルカに教わった花籠を編みながら。
「ジェラルド様」
クラークスがお茶を入れて来た。
「クリンベルク将軍でしたら、正確な情報を得ておられるのではないかと存じます」
この週末、ジェラルドのお妃候補の館でその娘の誕生会がある。ジェラルドはその招待を受けていたのだが、気乗りがしないことを理由に返事を引き延ばしていた。と言うよりも、彼に今回のパーティーの意味が理解できていたかどうかも定かではない。
「返事の方、出しておきましょう」
王位第一継承者である彼はその意味を理解するしないにかかわらず、誰かと結婚しなければならない。
「彼女はシモン様のご友人でもあるそうなので、おそらくシモン様もお見えになられることでしょうから、そのおりに」
ルカ王子の安否を訊こうということだ。
ジェラルドはクラークスの言っている意味がわかっているのかいないのか、黙々と花籠を編んでいた。
そしてシモンの方でも、友人のカトリエナから
「ジェラルド様から、ご返事を頂いたのよ」と言う吉報を、うんざりするほど聞かされていた。
「それは、脈があると言うことね。よかったわね」と、周りの友人も活気付く。
願わくば私の方を仕留めて欲しいと心の底でささやきながら。
喜ぶカトリエナを見てシモンは訊く。
「あなた、彼にお会いしたことあるの?」
「いいえ」と、カトリエナは答えた。
会うのはこれが初めて。一般に上流貴族の娘は滅多に人前には出ない。友人の館に遊びに行くのも車での送迎。外向きの用は大概のことは侍女たちが済ませてくれる。まさに深窓の美姫。シモンのように積極的に外出する娘は珍しい。
「そう」と、シモン。
その後の言葉をどう続けてよいか困った。
会ってがっかりしなければよいが。しかし彼女の父親も父親ね。娘の幸せを考えればあんな白痴、まだ狂人よりもは、おとなしいだけ増しかもしれないけど。私の父なら絶対反対するわ。そこまでして次期皇帝の父の座が欲しいのかしら。ジェラルドには皇帝は務まらないだろうが、その子なら。シモンもいつしかカロルの影響で、ジェラルド王子のことを呼び捨てにしていた。
シモンが考えに深けっているのを見て、
「どうなされました」と友人の一人。
「そう言えばシモンは、ジェラルド様にお会いしたことがあるのよね」
父や兄が近衛の仕事をしている手前、父の用で王宮の奥まで出入りすることはある。
「どんな方なのかしら」
ジェラルドのことは知る人ぞ知ると言う感じで、公には公表されていない。
「そう言われても、遠めで見かけただけですから」
見た目はクラークスの影に隠れずきちんと立っていれば凛々しい。ルカ王子が成長なさればあのようなお姿になるのではと。髪の色といい瞳の色といい、何しろ兄弟、母は違えど血は争えない。しかし如何せん。
そしてパーティー当日。ジェラルドはかなり遅れてクラークスに手を引かれるようにして現われた。遅れるのも作戦だった。最初にじらしておけば後はこちらのペースで進められる。案の定、事前に遅れるという連絡を受けていたにもかかわらず、本当に来てくれるかどうか心配で、パーティーの主催者であるカトリエナの両親は気が気でなかったようだ。無論両親がそんな調子だからカトリエナ自身も落ち込んでいた。本当に来るのかしらという囁きの中。
カトリエナの顔はジェラルドの姿を見たとたん、一変した。
「遅れて申し訳ありません。なにしろ生まれつきお体が弱いものでして、曲は一曲でよろしいでしょうか」と言うクラークスの言葉に、両親とカトリエナはただ来てくれただけで感激し、後は何も望まないようだった。
「曲は何を」と問う執事に、
「ワルツを」とクラークスは答え、ジェラルドをカトリエナの前に導いた。
「初めまして」とカトリエナとジェラルドは深々と挨拶を交わしてから手を取った。
ジェラルドと組んだだけでカトリエナの心は舞い上がり、ステップは間違えるは、足は踏むはで散々だった。だがジェラルドは常備優しく微笑みそれらを許した。この段階で彼女は、完全にジェラルドの本質を見抜く目を失っていた。
曲が終わるとジェラルドは疲れたように近くのソファに座り込む。カトリエナが心配する中、クラークスが、
「少し外の空気を吸わせてさしあげたいのですが」
「でしたら、その扉を出ますと回廊になっておりますから」
「ご心配には及びません。主は人ごみが苦手なものですから、少し外の空気を吸えばご気分もよくなると存じます」
そう言ってクラークスはジェラルドを抱えるようにして外へ出て行った。回廊の隅にあるソファに彼を座らせる。
心配して付いて来たのだろう、
「お水でも運ばせましょうか」と言うカトリエナに、
「用意してありますので心配には及びません。それより主役のあなたが抜けてしまわれては。こちらも少し休みましたら、また会場に伺いますので」
そう言われて居るわけにもいかず、会場へと戻った。
入れ違いに現われたのはシモンだった。
「やはりお見えでしたか」と言うクラークスに対し、
「やはり私に用でしたか」と答えるシモン。
深窓の美姫とは違う、軍人の娘。
「ジェラルド様がこの館に見えられたのは不自然ですか」
「そうでもありませんよ、彼女は王妃候補なのですから。それにとても喜んでおられますし」
彼女も馬鹿ではない。王妃候補は掃いて捨てるほどいることは知っている。振られたところで一時でも一緒に踊れたことを誇るべきだ。中には顔を見ることすら出来ない娘が沢山いるのだから。
シモンはバックから一通の手紙を取り出した。それは美しいボイの紙に綴られている。
「父宛の手紙です」
「読んでもよろしいのですか」
「筆跡を鑑定していただきたいのです」
「筆跡を?」
だがその封筒には受取人の名前も差出人の名前も書いてなかった。
中を開ける。クラークスはジェラルドにも見えるように、彼の横に座りそれを読んだ。文章は単純なものだった。だが確かにこの筆跡は、
「キングス伯爵のものですね、間違いありません」
「そうですか、それを確認したくて、これをここへ持ってきました。あなたでしたら彼の字はご存知かと思い」
「ご無事な御様子ですね」
「今のところはと言うべきでしょうか」
二人は黙り込んだ。
「父が言っておりました。おそらく先鋒隊は彼の暗殺が目的だろうと」
シモンがそう言った瞬間、ジェラルドが膝の前で組んでいる両手を強く握り締めたような気がした。気のせいだろうか。
「でも心配いりません、キングス伯が付いておられますから。ですがここに次とあります。おそらく二度目は守るので精一杯なので迎えに来てくれと言うことではないかと、父は申しておりました」
自分の命と引き換えてもというハルガンの言葉を思い出した。
「そうですか」と言いながら、クラークスは手紙を封筒に丁寧に入れ、シモンに返す。
その時、
「ずるいわ、抜け駆けは」と友人の声。
「王子様が外へ出られたら、あなたも後を追うようにして外に出るから、何かと思って付けてみたら」
「何ですの、その手紙?」
名前が一つも記されていない手紙、隠す必要がないと思いシモンはその手紙を友人たちに見せた。
「ラブレターですの。ただ差出人の名前がないもので、デルネール伯爵でしたらご存知かと思いまして」
デルネール伯と言われて友人たちはクラークスを見た。シモンが用があったのはクラークスであってジェラルドではない。
「よろしいのですか、見て?」
「ええ、かまいませんわ。名前も書けない様な方、私は最初から相手にしようとは思っておりませんから。ただ、高貴な方でしたら少し失礼になるかと思いまして、筆跡をデルネール伯爵に鑑定してもらっていたところなのです」
「お花のお礼のようですけど、心当たりありませんの?」
「花でしたら、いろいろな方に贈っておりますから。特に父の下で戦って戦死したり怪我を負ったりした方たちには」
「そっ、そうでしたの」
ここら辺の事情は深窓の美姫たちは知らない。
「この字、キングス伯爵の字に似ておりませんこと」と友人の一人。
「私もそう思ったものですから、デルネール伯爵に見ていただいたのです」
その時友人たちは、どうしてキングス伯とデルネール伯が? と言う顔をした。
「あら、ご存知なかったのですか、デルネール伯爵とキングス伯爵は大のご友人で」
その時、クラークスは大きな咳払いをした。
「シモン様。そのようなことはあまり公にされては」 困るという顔だ。
片や真面目一辺倒のクラークス、それに対しハルガンは。誰が見てもこの二人が親友だなどとは想像もつかない。
娘達はくすくす笑う。
今まで築き上げてきたイメージが崩れてしまったと言う顔をしながらもクラークスは答えた。
「その字は、キングス伯爵のものではありません」と。
「では、無視していいわね」と言いつつ、シモンはその手紙をバックにしまった。
「無視するのでしたら、破ってしまえば」と言う友人に、
「紙が、とてもきれいなのですもの」
「そこですか」と、クラークスは不思議なものでも見るような顔をした。
「女性とは不思議なところで物を大切になさるのですね」
「何でも一つ、取り柄があればいいのです」
「でも、どうしてシモンはキングス伯爵の字をご存知なの?」
まさか、彼からのラブレターを。と思いつつ訊いてみると、
「あの方、元参謀本部勤務だったでしょう。それでときおり父のもとへ作戦書が」
「そういうのって、勝手に見られるの」
「違うわよ、その間から手紙が、それも母宛に」
「まぁっ」と、驚く娘たち。
「それで、どうなりましたの」
ここら辺は興味津々。
「いっそのこと破ってしまおうかと思いましたけど、知らぬ顔をして、その書類を受け取りに来た彼の部下という方に、また挟みなおしてお返ししましたわ。それよりどうしてあなたは?」
「私も、母に来た手紙をみてしまったのです」
こちらも娘たちは驚いた。
クラークスは穴があったら入りたい気分だった。
「でも、よかったわ」と、カトリエナは溜め息を漏らす。
「私はてっきりあなたに抜け駆けされたと」
「だから言ったでしょ、シモンは絶対抜け駆けなんかしないって。だってシモンにはもう好きな人がいるのですから」
「えっ、私に」と、シモンは驚く。
「あら、隠しても駄目よ。そのブローチの方よ」
それで初めてシモンは胸元に気づく。
「やっ、やだ。これは、子供からもらったのよ」
「子供がそんな洒落たものを女性に贈るはずがないでしょ。いったい誰よ、隠さないで白状しなさい」
「本当にこれをくれた子は、まだ十歳にもならない子供なのよ」
「嘘です。その銀細工のすばらしさ。余程の目利きよ、十歳の子には無理だわ」
「それにいつもそのブローチ、気にしていますし」
周りの友人たちも頷く。
どうしてここでこうなるの。とシモンは思いながらも。
「わかったわ、白状するわ。その子の家庭教師がいけないのよ」
「家庭教師?」
シモンは大げさに頷いて見せ、
「ハルメンス公爵とキングス伯爵」
ネルガルの二大婦人キラーの名をあげた。
「まぁー!」と言ったきり二の句のつけない娘たち。
「これでわかったでしょう。花のお礼に何か贈りたいと言った時、あの二人がそそのかしたのに決まっているわ」
娘たちは納得せざるを得なかった。
「末恐ろしいわね、その子」
話しが一件落着したところで、友人の一人がジェラルドを誘った。
「今度は、私と踊ってくれませんか」
ジェラルドはもじもじと立ち上がるとクラークスの影に隠れてしまった。
それを見た瞬間、シモンは苛立たしさを覚えた。せっかく今、ルカ王子の面影に浸っていたのに。ルカ王子とジェラルドは重なる。ジェラルドの仕種がルカ王子のイメージを台無しにしてしまった。
「もう、シャキとしなさいよ。いつもデルネール伯の後ろでこそこそと、あなた、男でしょ。あなたを見ていると」
「シモン」と友人たちが驚いて声をかけた。
言ってしまった。慌てて口を押さえたが後の祭りだった。
言われたジェラルドは、ぽかんと口を開いたまま立ちすくんでいる。
シモンは口を押さえたままその場を逃げるように駆け出す。
翌日ジェラルドの館では、近衛の大将でありシモンの兄でもあるマーヒルが、些細な手見上げを持ってと言ってもそれは一般の貴族にとってはとても些細な物ではなかったのだが、深々と頭を下げていた。
「とんだご無礼なことを。後日父が改めてお伺いいたしますので、ひとまずこれをお納め下さい」と。
「マーヒルさん、クリンベルク将軍にお伝え下さい。主は夕べのことは何も気にしておりませんので、このような気づかいは無用ですと。閣下自ら出向く必要もありませんと」
見ればジェラルドは嬉しそうに荷物の紐を解き始めている。
「クリンベルク家はいいですね、カロルさんといいシモンさんといい、とても元気がよろしくて。羨ましく思います」
一見皮肉にも聞こえるこの言葉。だがクラークスは本心からあの二人の自由奔放さを愛でているようだ。
「本当に申し訳ありません」
「カロルさんはお元気ですか」
ルカ王子の安否がこれだけ流言していては、彼のことだ、じっとしてはおられまい。無謀なことをしなければと案じるクラークス。
「それが、お恥ずかしい話ですが、先日父と何かあったと見え、館を飛び出したきり戻って来ないのです。心当たりのところはあたってみたのですが」
「それは、ご心配な」
マーヒルは苦笑すると、
「弟のテニールに、父や私が甘すぎるのだと言われました。少しほっておけばよいとも」
ほとほと困っているようだ。
「閣下も大変ですね」
そしてその日の午後、作戦会議が済んだその足でクリンベルク将軍はジェラルドの館に立ち寄った。無論他の打ち合わせは全てキャンセルして。これも娘のため。
娘の非礼を詫びた後、クリンベルクとクラークス、それにジェラルドの三人は池の辺を散策した。これがジェラルドの日課だというもので。
「お付き合いいただいて、申し訳ありません」
「いいえ、今日は、午後は空けておりますので」
許してもらえなければ許してもらえるまで粘る気だったのだろう、子煩悩な方だ。だがこの人が一度艦隊を率いれば向かうところ敵なし。獅子の軍旗の前を過ぎる艦隊はないとまで言われている。
「不思議ですね、こうやってお会いした感じでは、猛将と言う印象は一つも受けません」
子煩悩な好々爺という感じだ。
「実は私は、戦争が嫌いでして。いつも戦争にならなければよいと願っているしだいです。しかしそう願いどおりにはいきません。政治は政治で別に動く。いくら軍が反対しても、政治家の見栄で戦争は行われる。それで責任は軍人が取らなければならないのですから」
そう言ってしまってからクリンベルクは苦笑した。
「今のは、老人の戯言としてお聞き流しください。どうも近頃、愚痴が多くなりまして、娘にも笑われるのです」
老人と言ってもまだクリンベルクは四十代後半、油が乗り切った年だ。
「将軍がそのようなお考えだとは思いもよりませんでした。いつもお強いものですから」
クリンベルクはまた苦笑した。
ジェラルドは静かにクラークスの腕を掴み寄り添うように歩いている。
「戦争が嫌いだからこそ、早く終わらせたいのです。それには勝つしかありませんから。勝負が付けば戦争は終わります」
「なるほど、将軍がお強い訳がわかりました」
「いいえ、またまた運がよいだけのことです」
暫く行くと休憩室が用意されていた。そこで水筒を出し少し休む。これも日課になっているようだ、ジェラルドの動きを見れば解かる。指定されたところに座り、いつもしているかのように水を飲む。
「口にするものは出来るだけ持ち歩くようにしております。この方が安全ですので」と、クラークス。
こちらはこちらで常備暗殺に警戒しなければならない。これも気の疲れることだ。
クリンベルクは辺りを見回し、一本の木に目が止まった。
「竜木ですか」
「以前は弱々しかったのですが、今では花が咲くようになりました。実を付けるのももう直かと思います」
ルカの館の侍女たちが言っていた。暫くは花だけなの、でも直に実がつくようになると。
「ルカ王子に何度かいただいたのですが、実に美味しい果実でしたから、早く生れば良いと待ち焦がれているのです。竜とは相当舌の肥えた生き物のようです」
「そもそも竜が好むから竜木と呼ばれるようになったとか、侍女たちの話では昔はネルガルの何処にでも生えていた木だそうです」と言ったのはクリンベルク。
ルカの館から引き上げてきた者たちの話だ。おそらくナオミ夫人の受け入れ。
「実は私の館にも、侍女たちがルカ王子の館から若芽を頂いてきたようで、庭に活けたところカロルの面倒がよかったのか、今では腰ぐらいまでになりまして」
「では、もう直ですね、花が咲くのも」
侍女たちもそれを楽しみにしている。
暫く三人は竜木を眺めていた。思いは遥か彼方、ボイ星。それぞれの思いで。
「ご無事のようですね」
「そのようです。実はこう言うのも何ですが、いっそお亡くなりになられていてくれたらと、つくづく思うのです」
クリンベルクからのこのような言葉に、クラークスは驚いた。
「将軍は、ルカ王子に生きておられると何か不都合でも?」
「いいえ、本当は心から感謝しております。おそらくカロルはルカ王子がおられなかったら、どうなっていたか思いますと、ご指導いただきあり難いしだいです。ですがそれとこれとは話が別になります。あの方は、生れるべきではなかったのです。本来平民の娘が懐妊した場合は、それとわかった時点で堕胎させるのが筋なのですが」
ルカは堕胎されることなく生れてしまった。これは神の思し召しなのか。
「おそらく今回は、キングス伯のことです、何か手を打っておられるのでしょう。だが二度目は逃がすまでの手が打てないということなのでしょう。それで迎えに来てくれと。地下組織も動いているようです。彼らはどうしてもルカ王子が必要なのです。必要ということは大事にすると同じことだと以前キングス伯が申しておりました。大事にしてくれるのなら、最終的には彼らの手に委ねることも彼は考えているようです。ですが彼らの手に入っては取り返すのは至難の業です。その前に我々の手のほうにとは思っております」
「どうして彼らは、そこまでルカ王子を」
「それが、私があの方は生れなければよかったという所以なのです。地下組織はいろいろな人種の集まりです。貴族もいれば平民も、職種もまちまちですからおそらく考え方もまちまちでしょう。ただ唯一共通なのはギルバ帝国に反感を持っているということだけです」
そう、彼らに共通しているのはギルバ帝国への不満であって、彼ら全員がネルガルのことを思っての行動ではない。それは中にはネルガルの未来を見据えたあげく事に及んだ者もいるだろうが、その彼らですら勝利後の国家体制はまちまち、話し合いで合意するにはかなりの時間がかかるだろう。その間政治は空白状態。それぐらいならよいのだが、彼らの大半はそのようなことは考えていない。どちらかといえばこの騒動に乗じて、新皇帝の座を狙っている者達ばかり。よって革命が成功しても暫くの間は内乱が続くことになる。これは歴史が物語っていた。そしてそれが故にルカは革命には反対なのだ。
「よってまとめるのが至難の業。そういう組織は力を持ってくれば持ってくるほどまとまらなくなります、相当な旗印を持ってこない限りは。従って我々としては地下組織がその旗印を得る前に、その点に付け込み仲間割れを起こさせれば勝利は間違いないのですが、何しろ外の敵で精一杯、内の敵までまわす戦力がない有様です」
やっとM8星系が落ち着いたのだから、次は地下組織をと思っている矢先にボイ星への出撃。クリンベルクは外の敵より内の敵を恐れていた。ネルガルの最大の敵はネルガル。
「既に彼らの軍事力は我々の軍事力に近づきつつあります。後は彼らをまとめることの出来る人物、それで彼らが目をつけたのがルカ王子です。あの方は、皇帝の血を引くということで貴族を黙らせ、平民の血を引くということで平民を従わせることが出来ます。そしてそれだけではありません。あの方の出生、神と契りを交わした娘の産む第一子は神の子である。つまりあの村の言い伝えを言葉通りに解釈すれば、神が皇帝と村娘の肉体を借りて降臨したということになります。つまりルカ王子は神ということです」
それは王宮の上層部の者なら誰でも知っている。そのためにルカは王子たちの間でいじめの対象とされた。神の子なら何かやってみろと。だがルカにはそれらしき兆候はなかった。ルカ自身、自分が神の子だとは思っていない。ナオミ夫人もそのようにはお育てにはなられていなかった御様子。
「しかしそれは」と、クラークスが言い出した時、
「この際、ルカ王子が本物の神の子かどうかということは問題ではないのです。問題なのはそれを周りの者たちが信じる否かなのです。そしてルカ王子にはそれを信じさせるだけの力があります」
その点に関してはクラークスも認めざるを得ない。
ハルガンはルカ王子のために自分の命を投げ出す気だ。あの孤高な男をそこまでにする力。一見、女たらしに見えるハルガンの実体を知るのはクラークスのみ。あの男は他人に跪くような男ではない。
「失礼ですが将軍は、こうはお考えになられないものでしょうか。ルカ王子がこの腐りきったネルガルを新しく再生してくださるとは」
ハルガンはそう言っていた。奴以外にこの腐りきったネルガルを救えるものはいないと。だからこそ、命をかけて守る価値があると。
クリンベルク将軍は驚く。まさかデルネール伯爵の口から腐りきったネルガルなどと言う言葉が出ようとは。
「キングス伯の口癖です」と、クラークスは苦笑する。
「地下組織の王となってですか」
ルカ王子が地下組織の王になれば、クリンベルク家は必然的に彼と戦わざるを得ない。それが近衛兵を代々率いてきたクリンベルク家の任務。
「そのようなことになれば内乱は確実です。今内乱が起これば、ギルバ帝国はもとよりネルガルは滅亡します」
クラークスはその言葉に目を見張った。現皇帝かルカ王子のどちらかが勝つのではなく、ネルガルが滅亡するとは。
「ネルガル人がどれほど他の星から嫌われているかご存知ですか。彼らはネルガルの軍事力を恐れるが故に、我々の前では体裁のよい言葉を並べておりますが、その内心は隙があればいつかこの雪辱を、と思っている者ばかりです。それもこれも全て、貴族たちが周りの星々のことをお考えにならないからです」
そう言うクリンベルク家も貴族。貴族の傲慢な振る舞いが周辺の星々の反感を買っている。
「ネルガル人ぐらいです、自分たちがいかに嫌われているかを知らないのは。ですから今内乱でも起こそうものなら、たちまち彼らは結束して立ち向かってくることでしょう。そうなってはなすすべが御座いません。そうなる前にせめて同盟星ぐらいは大切にすべきだと、私は考えております」
ここのところクリンベルクは仕切りに同盟星との友好を訴えている。それが傍からは将軍も年を取られて弱腰になったと映るようだ。
「それに」と、将軍は深く息を吸ってから、
「それに今銀河には、気になる勢力が出来つつあります。今のところ海のものとも山のものとも掴みかねておるところです。軍人崩れではないかとの噂も御座いますが、それだけでは割り切れないところも御座います。彼らの特徴は基地というものを持たず、打ち合わせたかのように一箇所に集まっては襲撃し、すぐさま散ってしまいます。これでは追撃のしようがありません。ある星系とかある惑星とか決まっているのでしたらこちらから仕掛けるということもできますが」
これが新しいクリンベルクの悩みの種になっていた。ここに内乱など、とんでもない話だ。
クリンベルクは、何時の間にか休憩所の玉砂利の敷き詰められている所に行って、子供のようにそれを並べて遊んでいるジェラルドを見詰め、溜め息を吐いた。
どうしてルカ王子はこの方を高く評価するのだろう。
「ですが少なくともルカ王子が、ジェラルド様を立ててくださるのが救いと言えば救いです」
今のところルカ王子には皇位継の意志はないようだ。
クリンベルクは腕のモニターで時刻をチェックする。
「とんだ愚痴をお聞かせしてしまいました。あなたとお話しておりますとキングス伯と話をしているようで、実を申しますと彼にルカ王子の動向を見張ってもらっていたのですが、どうやらミイラ取りがミイラになってしまったようで」
「随分と、ルカ王子のことを警戒しておられるのですね」
「はい。お恥ずかしい話ですが、私はルカ王子が怖いのです」
将軍の中の王とまで言われているクリンベルク将軍をここまで怖がらせるとは。あなたほどの高嶺に登らないとあの方の真の姿は見えないということなのだろうか。
「ここでの話はあなた様の胸のうちだけに留め置きくだされば」
「聞かなかったことにいたしましょう」
「有難う御座います」
「とろでカロルさんは? 館を飛び出されたとか」
「お恥ずかしい話です。あまり言うことを聞かないもので勘当いたしました」
「やはり、ルカ王子のことで」
クリンベルクは苦笑しながら、
「おそらくボイへ渡るつもりでしょう。私は動きがとれませんので、丁度よいのかもしれません。地下組織よりも先にルカ王子に接触できれば」
ネルガルでじっとしていろと言ったところで無理だろうから、いっそ勘当して自由にさせてやろうと言うのがクリカベルクの考えのようだ。
ボイでは連日のようにコロニーの代表者たちが集まり会議が開かれていた。
「ネルガルでは既に、殿下は亡くなられていることになっております」
「それは、どういうことなのだ?」
「ネルガル帝国は、殿下の死を望んでいたと言うことです」
「我々は、まんまとネルガルの罠にかかってしまったということなのか」
「どう責任を取るつもりだね、ウンコク君」
「こうなったのも皆、あなたが考えの浅い若者たちを扇動してあのようなことを仕出かしたから」
議会があらぬ方向に行くのを感じ、王妃が言う。
「ウンコクさんを攻めるのはお止めなさい」と。
「ウンコクさんだけのせいではないでしょう。あなた方は民衆の怒りを買うのを恐れ、傍観していたのではありませんか。ある意味ウンコクさんは、民衆にはけ口を与えたのです。これで少しは民衆の気持ちも収まったでしょう」
ネルガルからの嫌がらせ、ボイ人は我慢に我慢を重ねてきた。ルカはボイの戦力がネルガルのそれと余り差がなくなるまで、ボイの国民に我慢を強いるつもりだった。今戦っても、勝ち目はない。
「それより、これからどうするのですか」
もえ民衆も気づいたはずだ。自分たちのしたことが何を招いたか。
「ネルガルとの和平の交渉はどうなっている?」
「生きておられるなら、ルカ王子を返して欲しいとのことです。和平はその後で」
「やはりここは、殿下に一度ネルガルへお戻りいただきますか」
「それは止めた方がいい。過去にネルガルは、和平決裂のために帰還させた王子を自らの艦隊を海賊に装わせ襲撃させ、相手の星のせいにするという戦法を使ったことがある」
「つまり殿下を我々の力で無事にネルガルまで送り届けることが出来ないのなら、帰還させない方がよいということか」
「少なくとも我々の手中にある間は、殿下は生きておられます。生きておられるのとおられないのでは、交渉の段階でかなり違ってきます。例え我々の手で殺害してなくとも、彼らは我々がやったと言い張るでしょうから」
とにかく戦力が違いすぎる。今のボイの力では殿下一人守れない。まして星など。
「ハルガンさんは、一度なら勝てると言われたとか」
「助かりたいための、方便だろう」
そう言えば牢から出してもらえると言う打算。ネルガル人同士で殺し合うはずなどない。
まだウンコクの仲間はルカたちを信じきっていない。
皆は黙り込んでしまった。
ルカが抜けた後の首脳部の指導のなさは目に見えて歴然としていた。ルカがいかに助言していたか誰もが思い知らされた。決して強く出る人ではない、だが確実に的を射ていた。
「やはりここは、ルカにも出席してもらったらどうかね」と、言ったのは国王だった。
ネルガル艦隊を相手に、ボイ人だけでは戦えない。
「あの子は、ボイがネルガルと互角の力を持つまで、戦いを避けたかったようだ。それにボイ星だけで戦うのは無理だから、他の星と同盟を結ぶようにした方がよいとも。ただこれには、ネルガルを恐れず反旗を翻す星がどのぐらいあるかによるとも言っていた」
数が少なくては意味をなさない。なにしろ相手は銀河一の軍事力を誇るのだから。
「それに殿下はおもしろいことを仰せだった」と言い出したのはホルヘだった。
「今この銀河には、ネルガルに対抗しておもしろい二つの勢力が出来つつあると、その勢力と手が組めれば、勝てる見込みも出てくると」
「どういうことなのでしょう」と、誰しもがその話に興味を示した。
「とにかく殿下を牢から出して、この会議に出席してもらうのが先決ではありませんか」
ルカはまだ座敷牢の中にいた。民衆の手前、出すに出されずにそのままの状態で据え置かれていた。今ではシナカまでその牢の中に入っている有様。周りのものが何と言おうと、出ようとはしない。
「妻として、夫の傍にいるのは当然」
言い出したらきかない跳ねっかえりぶりだ。ルカと結婚して少しは慎ましくなったかと思っていた矢先のことだ。
そんなことがあって、ルカが座敷牢から出られたのはクーデターがあってから十日も過ぎてからである。その間、ボイとネルガルでは幾度となく和平に関する交渉を繰り返したが、ネルガルはルカ王子を帰せの一点張りだった。
「殿下、ご不自由な思いをさせました」と、キネラオとホルヘに迎えられ、ルカは自室へと戻る。
無論ハルガンたちも元の仕事へと戻った。治安部隊も機動部隊もそのまま通常勤務に戻る。クーデターの主導者たちもルカがこれと言って咎めるわけでもなかったので、彼らもまたそのまま通常勤務に戻り、ボイは表向きはまるで何もなかったかのような状態になった。だがただ、ネルガルとの関係は。
やれやれと言う暇もなく、ハルガンは訊いてきた。
「これからどうする」と。
「まずは、データーが欲しいですね、総司令官の」
「それなら直ぐに揃えられますよ、ただし、ここ十日間のデーターは抜けますが」と言ったのはケリンだった。
「その十日間のデーターなら、俺が提供してやる」と言ったのはレスター。
ケリンやハルガン、レスターの情報網は、ボイに居ても健在だ。
「不思議ですね、どこからそういう情報を得るのですか」
ルカは一度訊いてみたいと思っていた。
「貸しというのは作っておくものだ」
「特に戦場での貸しは」と言ったのはケリン。
命のやり取りの場、そこでの貸しは一生の恩になる。だが逆に恨みも一生もんになる。
ハルガンとケリンは顔を見合わせて微かに笑う。これは戦場を経験した者にしかわからない。いくらルカが頭よくとも、これは理性で理解できるものではない。
燃料の産出星であるボイには、ネルガル軍関連の船も頻繁に立ち寄る。ましてルカが婿入りしてからはその数も増えた。その際に必ずと言っていいほど昔の仲間は挨拶に来る。その時、聞くでもなく聞き出すのだ、世間話として。
そしてルカもルカで、新たに友情を築いたマルドックの商人を使って情報を得ていた。ルカはボイの匠を、マルドック人を使って銀河へと紹介した。それによってマルドック人は利益を得、ルカは情報を得た。こちらはきちんとした商取引。
その中におもしろい情報があった。銀河の二つの新勢力。彼らは自分たちを宇宙海賊と称し、次々とネルガルの艦隊にゲリラ戦を仕掛けているようだ。まだ勢力としては小さいが、彼らはお互いの縄張りを決めているかのようだ。ネルガルから銀河の中心を見て主に銀河の右回転方向に出没する海賊をアヅマと言い、左回転方向に出没する海賊をシャーと呼ぶようになっていた。ちなみに銀河の中心を南、外を北と呼ぶ。そしてイシュタルはネルガルより東にある。
「銀河の二つの新勢力を知っていますか」
「へぇー、誰がそんなことを殿下の耳に?」
「マルドック人です」
「なるほど」と、ハルガンは顎を片手で擦りながら、
「おそらくシャーはネルガルの軍人崩れでしょう」と言ったのはケリン。
入手したシャーのメンバーのデーターの中に、知っている名前がちらほらしていた。だがアヅマの方は得体が知れない。
「アヅマはイシュタル人だろう」と言ったのはレスター。
「その根拠は」とケリンに問われ、
「奴らは時空を移動する」
ネルガル人や他の星のものたちはワームホールを利用しなければ時空を移動できない。だがイシュタル人は、何の前触れもなく時空を歪め移動することが出来ると(テレポートの事なのだが)、ネルガル人なら一度は御伽噺の中で聞いている。だから彼らは悪魔なのだと。
「艦隊ごとテレポートするとでも言うのか」と、ケリンは常識はずれだと言わんがごとくに聞き返した。
「彼らの船は忽然と現われ忽然と消えるそうだからな」
「それならシャーの率いる艦隊も」
同じような出没の仕方をする。だからこそ、ゲリラ戦が有効なのだ。彼らは決して待ち伏せしているわけではない。最も待ち伏せしている時もあるようだが。
ルカは黙って三人の話を聞いていた。
イシュタル人。以前ハルメンス公爵の館でイシュタル人が言っていた。力のある者たちはイシュタルを離れ、ネルガルに対抗する艦隊を結成しつつあると。
そんなことを私に言ってもいいのか。と訊いた私に、彼らの居場所はネルガル人には決して見つけることは出来ないから。言ったところで差し支えないと言ってきた。
その艦隊がいよいよ動き出したのか。
「しかし、それにしてもあのクーデターの速さは見事だったな。ああ見えて、けっこう決まれば動きは早いのかもしれませんね、ボイ人は」と感心するのはケリン。
「だが奴等、まだこりずにネルガルと和平交渉しているらしいぜ。ネルガルではとっくにお前は処刑されたことになっているのにな、往生際が悪い奴らだ」と、ハルガンは笑う。
「それは、人のことを言えないのではありませんか」と、ルカはまじまじとハルガンを見る。
「それはどういう意味だ」
「一度なら、勝てると言ったそうですね、牢から出してもらいたくて」
「俺は本気だ。お前なら出来ると思っていたが」
「そんな、無理ですよ。兵器らしい兵器がなにもないのですよ」
「ハルメンスが三個艦隊、用立ててくれるそうだ」
「たったの三個艦隊ですか」
「迎え撃つのなら、それで充分だろう」
彼らの話をシナカやキネラオ、ホルヘ、ケイトたちは遠巻きに聞いていた。三個艦隊と言われてもピンとこない。やはりここは、本物のルカでなければ話が進まない。
ルカは親指の爪を噛みながら考える。
戦力が劣る以上、地の利を生かすしかない。幸い地の利はこちらにある。後は指揮を取る私がそれをよく熟知すれば。
「キネラオさん、データーが揃い次第系内を散策したいと思います。外出の許可を取っていただければ有難いのですが」
「どちらの方へ?」
「それは、まだわかりません」
戦場に適した場所。
「散策もよろしいのですが、議会の方も」と言い出したのはホルヘだった。
「私が議会に参加してもよろしいのですか」
「皆さん、困り果てております。できれば明日からでもご出席いただければ」
「虫がいい話だな」と、ハルガンは軽蔑したように言う。
「そのことに関しては、こちらも申し開きはありません」
「ハルガン、過ぎたことはよそう。それよりこれからどうするかだ。幸い治安部隊も機動部隊も命令に従ってくれたようで、無傷ですから」
それだけは救いだった。ここで内乱など起こされてはそれでなくとも少ない兵士と武器が、いっそう少なくなるところだった。それに何よりもよかったことは、仲間同士に亀裂が入っていないこと。内乱はしこりを残す。
「ハルガン、これから受け入れる新人を、一ヶ月で使えるようにしてください」
「いっ、一ヶ月だと、そりゃ無理だ」
「命令です。この命令が聞けなければ、ボイは負けます」
「はぁ?」
「リンネル、ハルガンを手伝ってやってください。艦隊戦でいきます。着陸されたらアウトです」
それはハルガンもわかっていた。地上戦を準備する時間はない。
「ネルガルの艦船が手に入るのでしたら、シュミレーショの速度をあげて訓練してください」
「そのぐらい、言われなくともわかっている」
そうでしたか。と言わんがごとくにルカは微かに笑うと、
「ケリン、ボイ近郊のできるだけ詳細な航宙図を用意してください」
「了解」とケリンは敬礼した。
これが彼ら本来の姿。
次第に活気付いてくる。傍から見ていると戦争を楽しみにしているようにも見えなくもない。
そこへクリスに案内されてやって来たのがマルドックの商人、ボッタグリ号の船長アモスとその副官イアンだった。
アモスが真っ先に駆け寄って挨拶した相手はケイト。
「やぁ、殿下、ご無事で。捕まったと聞いたから、俺、心配しましたぜ。てっきりこうなっちまったかと」と、アモスは自分の首の前で手を振り、首が刎ねられたような仕種をする。
ボイ人たちはそれを見て嫌な顔をした。
場の空気を読むのが早いのも商人の特徴。
「冗談ですぜ」とアモスは笑って場を和ませる。
アモスの態度は、ルカの前とハルメンスの前では違う。相手によって態度を変えるのも商人の悪癖。なにしろハルメンスの場合は背後にいる腰巾着が煩いから。
ケイトはどう対処してよいのか伺うような感じにルカを見る。
ルカはルカでそのまま演じればという顔をする。
ケイトは困った顔をしながら、
「ルカ殿下でしたら、あちらに居られますが」と、髪の黒いルカを指し示した。
アモスは怪訝な顔をして髪の黒い少年を見たが、またケイトの方へ視線を移すと、
「ご冗談はよせよ」と言う。
「冗談ではありません。本物はあちらです」
はぁ。と言う顔をして、「じゃ、お前は誰だ」と、ケイトに問う。
「私はケイトです」
アモスはロボットのように首をきしませて黒い髪の少年を見た。
少年は微かに笑うと、
「あなた方も早くこの星を発った方がいいですよ。この星はもう直ぐ」
「発ちたいのはやまやまなんだが、発てないんだよ」
ここへきてアモスも髪の黒い少年がルカと確信したらしく話し出す。
「もう一人、イシュタル人の奴隷を乗せなければならないから」
ここでルカは気づいた。こいつ等もグルだったのかと。
ハルガンも納得した。
なるほど、奴隷船を使う気だったのか。奴隷の中に一人ぐらい縛り付けられて意識のないものがいても、言うことを聞かなかったから折檻したとでも言えばそれまでだ。じゃ、奴の船は囮か。ハルメンスの船が出航の手続きをしていたのは知っていた。公爵の特権で荷物の確認をさせずに出航すれば、誰しもが怪しむ。
「その奴隷がまだ届かないもので、それで暇つぶしに殿下の顔を見に来たというところだ、牢の中はどうだったかと思ってよ。しかし殿下もおもしろい趣味、持っているね、これ、どういうことなんだ?」と、アモスはケイトを指差しながら言う。
「知らなかったのですか」
「俺が? 殿下の趣味までは知らないぜ」
ルカは呆れた顔をした。グルと言えばグルなのだろうが、彼は荷物の中身を知らない。
「あなたは、荷物の確認もせずに仕事を請け負うのですか」
「時と相手による。まあ、今回は特別さ、常連様の頼みだからな。そしてこういうヤバイ仕事はあまり深入りしないに限る、経験上な。なんせ奴隷を運ぶにしちゃ、報酬が良すぎたからね」と、アモスは苦笑いしながら。
「用意してくれと言われたのが七、八歳から十五歳までのイシュタル人の奴隷。男女問わず十四名。色白で、綺麗なことというのが条件だから、ここで乗せるのもガキだなとは思った。まあ、公爵のご趣味ということで、それ以上の詮索は」
しないのに限る。身の破滅にもつながるし、うまみのある客を失うもとにもなり兼ねないから。
「とにかく商人は、依頼主の許可がない限り、頼まれた荷の数がきちんとそろうまでは出航できないんだよ」
「いっそのこと、こいつ乗せたらどうだ」と言ったのはハルガン。
「色白だし、年齢は九歳だし、否、もう直十歳になるのか」
アモスも気づいた。もしかしてハル公(ハルメンス公爵の略)が用意すると言った奴隷とは、殿下のこと?
アモスは悔しさの余り舌打ちした。
「しっ、しまった。それ知っていれば、もっとふっかけてやったものを」
ルカは頭を抱え込む。
どうして私の身の回りには、ハルガンに輪をかけたような者ばかりなのだろうと。ここまでくるとハルガンですら可愛く見えてくる。
「戦争が始まる前に避難させるつもりだったのです。本人にばれて大失敗」とケリン。
ハルガンはケリンをねめつけた。
「なるほど、じゃ、話が早い。殿下が俺の船に乗ってくれれば今すぐにでも発てる」
「私は断ります」
「どうして、戦争が始まるんですぜ。早く避難した方が」
「私が避難して、どうするのですか。私はボイの王子ですよ」
「まさか、戦うっていうんじゃないだろうな」
それには誰も答えてこなかった。
「正気とは思えない。相手はネルガル軍ですぜ、奴等の軍事力は」
「アモスさん、私はネルガル人です。あなたに言われなくともネルガルの力はよく知っております」
「そっ、そうだよな。じゃ、俺はどうすればいいんだ?」
このままでは永久にボイを離れることはできない。
「彼を、私の代わりに連れて行ってもらえませんか」と、ルカはケイトを指し示した。
「奴を?」
「そうです。もしハルメンスさんに何か言われたら、似ていたもので間違ったと」
それにはアモスは断固抗議した。
「殿下、こう言っちゃなんだが、俺は自分を宇宙一の商人と自負しているんだ。その俺が、似ていたからって宝石とガラス玉を間違ったなどと、口が裂けても言えるか」
商人は目が命。そんな信用をなくすような取引き、頼まれたって出来るようなものではない。商人の第一の条件は目利きであること。高く売れそうな品を、より高く売る。これが儲けるコツ。
アモスはアモスなりにプライドを持っている。
ルカは黙り込む。暫くして、
「では、取引きをしましょう。ボイ近郊の航宙図が欲しいのですが、それもかなり詳細な」
「開戦に使うのか」
それにはルカは答えなかった。
「よかろう。お前の望むようなものを用意しよう」
これぞ商人。
「値段は?」
「お前が俺の船に乗ってくれれば、ただでいい」
「それは出来ないと、さっき申し上げました」
「じゃ」とアモスは腕を組み、一般相場以上の値段を口にした。
「足元を見たな」と、ハルガン。
「お前と一緒にしないでくれ、それだけの値打ちがあるから言ったまでだ」
それなりの価値があるものを、それ以上の値で売る。これがアモスのやり方。それに答えられない客は、はなから相手にする気はない。ここら辺がやらずぼったぐりと言われる所以。
アモスはじっとルカを見た。俺の客に相応しいかどうか。
「いいでしょう」と、ルカ。
「では、今夜にもご用意いたしましょう。時間もおいりようなご様子ですので」と、言葉を改めて返事をする。
必要なものを必要な時に必要な場所に必要なだけ。このどれかが欠けても商人としての信用が落ちる。今日の商品、いくら情報量が豊富でも時間がかかりすぎては意味をなさない。
ルカは頷いてから、
「ただし、私が既に入手している情報はいりません」
アモスは了解と言わんがごとくに、二本の指を額に当ててネルガル式の敬礼の真似事をする。
ケリンの集める情報がただものではない事を知っているハルガンは苦笑した。それ以上の情報が、こいつに集められるのかと。
マルドック人が部屋を出てから、ハルガンはルカに訊く。
「おい、何時の間に、あんなのを飼いならしたんだ」
「彼は、彼が思っている以上にいい人ですよ」
「まあ、お前がそう言うなら間違いなかろう。お前の人を見る目は確かだからな」
イヤンはずっとアモスの背後で控えていてはらはらしていた。いくら子供とは言え、相手は列記としたネルガル皇帝の血を引く王子。何時気が変わり、無礼だ。などと言い出すか知れたものではない。それなのに船長は我のままで。
「どうした?」
イヤンが余りにもぼっとしているのを見て、アモスが声を掛ける。
「いや、何でもありませんよ、船長はたいしたものだと思いまして」
いや、鈍感。いや、無神経。そうだ、この人には神経が無いんだ。とイヤンは結論付けた。
「どう思う?」
「何がです?」
「あのガキだよ」
「綺麗な人ですね、まるで人形のような」
「見た目じゃなくて」
アモスは鼻の下を指で擦りながら、
「食えねぇーガキだと思わないか、ある意味ハル公より」
だがそう言うアモスは楽しそう。
また船長の悪い癖が始まった。とイヤンは思う。これに付き合わされたら今度こそ命が無い。
「航宙図を作る」
「作るって?」
「売っている地図じゃ、既に奴は手にしていると見た方がいい。だからその地図の上に俺の経験を書き込むのさ」
過去にこの近辺で起きた磁場現象とその航宙術。この銀河に一枚しかない地図。
そして連日の会議。時間は無駄に流れた。その間、ルカの親衛たちは戦争の準備に取り掛かっていた。新人たちの訓練も日増しに厳しさを増して行った。だが議会の話は、次第にここは一旦ルカ殿下にネルガルに帰ってもらうと言う事に纏まり始めていた。
里帰り。その際にボイで起きたクーデターのことを説明して頂こうと。
「何だって、悠長なのもいい加減にしろ」
「それじゃ、死にに行けと言っているようなものじゃないか」と、怒り出したのはトリスたち。
「どうするんだ?」と、ハルガンはトリスたちを黙らせてルカに問う。
「どうするも、議会で決まればそうするしかありません」
「ネルガルに着く前に殺されるというのは、本当なの?」と、シナカが心配そうに訊く。
「おそらく、間違いなかろう。過去にもそういうことがあったからな、奴等が今更手を変えるとも思えん」
シナカは黙り込む。無論、キネラオたちも。
ネルガルのやり方はボイ人には理解できない。親子なのにどうしてそこまで。
「ネルガルのお父様は、あなたのことを可愛くないのですか?」
「王子が多すぎるのです」と、ルカは苦笑した。
「里帰りには反対しろ。みすみす殺されに行くようなものだからな」
「でも、決まればそうも言っていられません」
「馬鹿か、お前は」
「その時は、あなたが守ってくださればよい事ではありませんか、ハルガン。それとも守れないとでも」
ハルガンはむっとしたが、
「知っているのか、ネルガルが差し向けてくるのは宇宙海賊なんかじゃないんだぞ。ボイ人のせいにするには、お前を確実に仕留めなければならない。少しでも息があれば失敗だからな。死人に口なしっていうやつさ。奴等が差し向けるのは、プロの殺し屋の集団なんだ。解かっているのか、そこら辺」
奴等を相手にするくらいなら、まだ前線で指揮を取っていた方がよっぽどましだ。
「口ほどでもないのですね」
「なっ、なに。むかつくガキだ。よかろう、守ってやろうじゃないか。その代わりネルガルに無事に着いた時には、その生意気な口、二度と利けないように舌をねじ切ってやる」
「そっ、曹長」と、皆が驚いたように声を発した。
ハルガンは考え込む。実戦の経験のないボイ人を当てには出来ない。当てにするには相手が悪すぎる。方法は一つ、地下組織の力を借りることだ。だがその代償はかなり高い。
「シナカ、もしそのようなことになったら、あなたはここで私の帰りを待っていてください」
「私も、一緒に行くわ」
ルカは大きく首を横に振ると、
「ネルガルに無事に着いたら連絡します。そしてネルガルの議会を納得させたら、必ず戻って来ますから」
シナカは不安げな顔をした。
ルカはキネラオとホルヘにシナカを頼む。
「帰りを待っていてくれる人がいると言う事は、心強いものなのですよ」
「おあついですね」と、ハルガンはからかう。
そこへケリンが飛び込んできた。あの冷静沈着なケリンにしては、滅多に見せないほどの慌てぶり。
「殿下、このニュースを」
ケリンは自家製の装置をモニターに接続すると、スイッチを入れた。
そこに映し出されたものはルカの国葬。
「なっ!」 誰もが息を呑んだ。
美しい少年の遺体が、花に覆われたカプセルの中に納められている。その棺を取り巻く多くの高貴な人々。悲しくもないのに涙を流して見せる。ある意味ベールはいい、その下で笑っていても見えないから。
アナンスが流れる。
『ネルガル暦、X年X月X日。ボイ星から贈られて来たものは、あの愛くるしいルカ王子の、二度と笑わぬお姿だった』
「三日前の映像だな。お前三日前に死んでいたことに」とまで言いかけて、ハルガンはルカの顔を見て唖然とする。
白磁のような白い顔はいっそう白くなり、きりりと結ばれた唇は血が滲むほど噛みしめられていた。ぶるぶると震える両拳。
「あの少年に、どんな罪があったと言うのですか」
ルカは怒鳴る。
おそらくスラムででも見つけてきたのだろう、ルカにそっくりなその少年は、ルカの代わりに殺され棺に納められていた。
「お前に似ていたからだ」
「私に似ていることが、死に値するほどの罪なのですか」
頭ごなしに怒鳴られたハルガンは、肩をすくめて見せてから、
「俺に当たられてもな」と呟く。
「絶対、許さない。ネルガルに行ったら、弾劾してやる」
ルカは大股で歩き出し、自室へこもってしまった。
やれやれとハルガンは大きな溜め息を吐く。
「あの方の怒った顔を、初めて見ました」とホルヘ。
「私たちのような虫けらのために」
「ケイト、そういう言い方はよせ。殿下は一度もお前等をそんな風に見たことはない。だから皆が彼について行くんだ」
初めて自分を人間として扱ってくれる指導者に出会えた喜び。それが彼らを何処までも突き動かす。
ルカは誰に対しても平等だった。例え悪人に対しても、困ったという人は居ても、悪いという人は居ない。これがルカのモットー。
こうしている間にも、モニターの中の葬儀はしめやかに進められていく。最終的に王墓へ向かう行列。だがその先をカメラが映すことはない。貴族は血の濁りを嫌う。よって王子でもないこの少年の遺体は、王族の墓をそのまま通り過ぎ、その背後にある無縁墓地に投げ込まれる。それを知るのは一部の門閥貴族のみ。国民は誰もが王墓に埋葬されたものと信じ込む。
ルカは怒りに任せて壁を叩きのめしていた、自分の指が折れるかと思うほどに。
こんな姿を誰にも見せたくなかった。だからルカは自室へ駆け込んだのだ。じっとしていられなかった。体の底から湧き上がってくる怒りを何かにぶつけずにはいられなかった。
「許さない、絶対に許さない。人の命を何だと思っているんだ」
モニターの中の葬儀は終わりを告げていた。これは数日かけた葬儀の様子を星間放送のために編集したようだ。そして最後に、金で縁取られた真紅の旗、その中央にはギルバ帝国の紋章である大鷲が映し出された。その前に佇む一人の男。彼こそがこの銀河を支配するネルガル星の現ギルバ皇帝。皇帝の姿がモニターに広がる。
「あの方が、ルカのお父様」
シナカは始めてみた。
キネラオたちも会ってはいたが、あまりにも遠すぎてその輪郭はよく見えなかった。今ここで、初めてその顔を拝顔する。
筋骨たくましく、がっしりした体躯。ルカとは似ても似つかない。
「ルカは、きっとお母様似なのね」
「ケリン、この映像をルカのところのモニターにも映し出せ、宣戦布告だ」
そう怒鳴ったのはハルガンだった。ハルガンは幾度となくこれに似た映像を見て来た。そしてケリンも、この映像の意味は既に知っていた。ルカの自室のモニターは既にケリンによって開かれている。
「宣戦布告って?」
「お前たちがのんびりしているから、向こうから仕掛けてきた」
皇帝は悲しみに沈む父親の姿で弔問者への挨拶を終えた後、
ネルガルの皇帝は高らかに宣言した。
『我が王子の仇を討つ』と。
ルカが飛び込んで来る。
「頭は冷えたか。自分ひとりの怒りに浸っている場合じゃないぞ」
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2010/06/04(Fri)22:21:34 公開 / 土塔 美和
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