- 『キミと共に歩むために 第五章〜最終章』 作者:チェリー / ファンタジー アクション
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全角31012.5文字
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徐々に解かれていく謎、そして露になる真実。冬慈はその真実を目の前に、これから対峙するであろう彼との回避できぬ戦いを迎える事になる。
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第五章 真名
初めて感じたかもしれない。
よく漫画等に出てくる単純な台詞。
殺気を感じる、だったか。まったくこういう奴ってのはどれだけ周りに気を張り巡らせて神経質になってるんだと鼻で笑うこともあったが、静寂に満ちた空間の中、背筋を突き刺すような威圧感と体全身を駆け巡る鳥肌が俺に単純なその台詞が脳裏を過ぎる。
殺気だけならまだ良い、もっとも危惧を抱かせるのは明らかな殺意が感じられるからだ。
まるで背後に死神が立ち、首元に鎌を突きつけるような殺意。
「あら? 冬慈君、その隣の子は――」
ルウは瞬時に駆け出し、環さんの腹部へ打撃を与えた。
鈍い音と共に彼女は崩れ、ルウは地に伏せる前に抱きかかえてそっと横にさせる。気絶させたようだ、結構乱暴な手を使ったので環さんが心配だけど、今はそんな心配事に気を回している状況では無い。
「冬慈、奴は近くにいる」
「そのようだ」
辺りは物音も無く実に静謐が保たれているが、だからこそ俺達へ向けられている殺気、殺意が痛いほど感じられた。軽く地面を蹴って砂埃を舞わせると、静止しなかったので結界は張られていない。
威圧感だけで鳥達は囀りを止め、翼を広げて工場から飛び立っていく音が聞こえた。
「時間喰らい、貴様は邪魔にならないよう離れていろ」
「お願い、彼を殺さないで欲しいの」
「ふん、そんな余裕が許されるのならばな」
ルウは右手を翳すと、光が発生しそれらは徐々に増幅されていく。久しぶりに見る、ルウの武器を。彼女自身よりも大きいその武器は次第に形を成し、弧を描いた刃物が顕になる。名称は斧、しかしながら斧といっても些か大きさを考えるならば大斧と喩えたほうが正しい。
光が消えると共に地面へ音を立てて減り込み、彼女は久しく手にしたからか肩よりも高く持ち上げて空をニ、三度斬り付け肩に乗せた。その様は実に重さなど感じない軽々とした動き、大斧は玩具なのでは無いかと思ってしまう。
「それに殺意に殺意で応えぬのは相手にとっても失礼だ」
あざみの願いは却下された。
彼女はそれを察して視線は地に落ち、片隅へと踵を返した。せめてルウの言う通り邪魔にならぬように。
「冬慈、構えろ」
いけない、この雰囲気に圧倒されて刀を出すことさえ忘れていた。
言われて俺は右手に意識を集中させる。右手が光を帯び、光が指の先へ。手には暖かいような、何かがかぶさるような、妙な物がゆっくりと流れているのが感じられた。光は伸び、形が現れてくる。この感覚をじっくりと得て自分は武器を持っているというせめてもの安心感で全身の力を少し和らげた。固く構えるのも動きが鈍るものである。
工場の入り口は先ほど環さんが開けてからそのままの状態で半開き。陽光が零れるも人影で塗りつぶされる事は無くしかし誰かが、いや誰かと詮索するまでも無く、宗司朗が其処にいる事は確かでありこの威圧感が証明している。
足音が聞こえる。
それは実に緩やかな歩調。
扉に手が掛かる。
それは少し細めの指で、扉を掴んだその手は実にゆっくりと扉を引いた。
「やあ、姉さんが僕をつけてきてたようだからちょっと時間を喰らって巻こう思ったけど、こうなってしまうと意味は無かったようだね。えーっと、緒方時子さんだったかな?」
彼はいつも笑みを浮かべた表情を保っている。それが宗司朗のいいところ、話していてこっちまで自然と笑顔になってしまうくらいで、自然と楽しくなる。
でも今の宗司朗の笑みは心の中を負に侵食されるほど、臆してしまうほどに恐ろしさを含んでいた。
「あえて記憶喰らいと答えたほうが貴様には解りやすいか」
「へえ、君は記憶を喰らうのか」
気絶した環さんを見て、宗司朗は彼女を抱きかかえて片隅へ運んだ。そして辺りを見回し、あざみの姿に気づく。二人は視線が合うと、あざみは視線を逸らした。後ろめたい気持ちがこちらにも伝わる。
「あざみさんが居るってことは、もう大体話は聞いたかな?」
「ある程度はな。だが、貴様から聞きたい事もある」
「うん、聞こう」
即答、快諾。あまりにあっさりと返ってくる言葉にルウは一瞬躊躇うもそのまま口を開いた。
「今コピーキャットはどこにある?」
「さあね、魔女にもう返しちゃったから僕には解らないよ」
ルウは嘆息をついて斧を一度肩から地面へ落とした。
「まあいい、次の質問だ。貴様はここで話し合いか、殺し合い。どちらを望んでる?」
それはちょっと直接的すぎやしないか、心中で呟き同時に染み入る不安が心臓の鼓動を揺さぶる。
おそらく既に戦いは始まっているに違いない、雰囲気から打ち勝つためにルウはあえて斧を地面へ落として直接的な言葉をぶつけたのだろう。
「話し合いという選択肢は、選んだ後に解決がある?」
「宗司朗……」
あざみは咄嗟に宗司朗へ、表情は見て取れる不安に満ちていた。
「あざみさんは何も言わなくていいよ」
結局話し合いで解決するほど収拾なんてつかない、手遅れである。彼を止めようと言葉を掛けたところでこの場が治まるなんてことは叶わない。彼女は宗司朗の言葉に潜む感情を痛いほどに受け止め、だからこそ言葉を慎んだのかもしれない。
あざみは俺とルウへ視線を投げた。
だがルウは、その視線を受け止めようとせずただただ宗司朗を見る。ルウは既に戦闘態勢へ入っている、僅かな隙も生み出さず斧を握る手に力を込めていた。
結界は未だに張られていない。
それは宗司朗が俺との戦闘を経てやはり力を消耗していたからなのか。となると宗司朗の力は完全に回復していないのならば俺達が有利。ニ対一でしかも力の差もあるんだ。
「宗司朗」
あざみは再び口を開いた。
「私はもう手出ししない」
それは宗司朗への、そして俺達への意思表示のために。
「そう……か。うん、でも大丈夫」
彼女がこの場に居るだけで俺達にとっては“もしも”と考えてしまう。“もしも”彼女が戦闘に参加したら、この些細な可能性も考えてしまうと要らぬ警戒が支障をきたす。だからこそあざみはこの“もしも”という可能性を自らかき消してくれたのだ。宗司朗はその言葉の意味をどう受け止めたのかは解らないが、どうであれ精神的に揺らぐ事も無く彼の双眸は俺達へ。
「私がいるからね」
声は後ろから、振り返ると同時にルウは斧を振るうも大きく吹き飛ばされた。
周囲に拡散する埃、そして地を削ったために土埃も加わり視界がそれらに包まれる。どこかで聞いた事のある声だった。微かに埃が薄れた先には人影、体躯はそれほど大きくない。ほっそりとしているし女性と思われる。
「久しぶり」
快活な足取りで目の前に現れたのは一人の少女。見覚えのある顔、桜川桃子だった。
以前と違い髪は少々乱雑に束ねられつつも化粧や指輪等少々身嗜みに気を配っているあたりが、真面目で目立たずどちらかというと地味だった印象は払拭された。
「な、何でここに……」
「けほっ。埃っぽい、こんな場所で戦うのは御免だわ。でも魔女があの子に手助けしろって言ってたし仕方ないのよね。あの青臭いチビカス野郎、あとで絶対しばく」
違う、外見だけは桜川桃子。中身は精神喰らいだ。桜川桃子か精神喰らいかはすぐにその口調が教えてくれる、実に解りやすい。
「記憶喰らいを相手にしろって言われてるからあんたはチビカス野郎と戯れてていいわよ。あら、そういえばあんた名前なんだったっけ? ……まあいいわ、またね無愛想ボケ頭」
こいつは本当に口が悪い。それと無愛想は言われても文句は言えないがボケ頭ってのは全然整えもせずに家を飛び出したせいで多少髪が跳ねているからなのかな。
精神喰らいはそう言い残すと起き上がり掛けたルウへ走り出し、咄嗟にルウは斧で彼女の拳を防御するも壁へ叩きつけられた。
「貴様……!」
「初めまして。あんたが記憶喰らいね? 死になさい。ギャハハハハハハ――」
工場の壁に亀裂が入った。放置されていたために老朽化していて脆くなっている壁はそのまま崩壊、ルウと精神喰らいは外へ。
「ルウ!」
思わず追いかけようとしたが、遮るように宗司朗が立ちはだかる。
「一対一。だから大丈夫なんだよ、冬慈君」
いつも通りの表情、いつも通りの口調を兼ね備えつつ、いつも通りじゃない雰囲気を纏わせる宗司朗。
近づく事さえ息苦しさを抱かせる。
「精神喰らいには困ったな、あれほど五月蝿くされるとはね。あざみさん、姉さんの周りに結界を張ってくれ。それくらいならいいだろう?」
結界なら自分でも張れるはずなのに、彼女へ求めるという事は以前に戦った時の力の消耗が影響していると思っていいのか。それとも彼女がいるから無駄な力の消耗は抑えて俺へ全力を出すためにとも考えられるが、解らない。
あざみは承諾して環さんの周りにだけ結界を張る。これは環さんの時間を結界で止めているらしい。結界が貼られている間は環さんが目覚める心配も無く、宗司朗も自由に力を発揮できるというわけだ。
宗司朗は両手を翳し、漆黒を覆わせる。力の解放、そしてそれらを固定化させて爪へ。
「……うん、やっぱり全身まで覆えるほど力の余裕が無いな。でも冬慈君にもわき腹に与えた攻撃、これなら五分五分ってところだね」
折角ならわき腹は平気な振りをしとこうと思っていたけれども攻撃を与えた本人だ、誤魔化そうと思っても無駄に終わってささやかな期待は潰された。
宗司朗自身、力が万全では無い分彼の言う通り五分五分。ただし場数を考えれば俺と宗司朗は大きく差がある。彼は命を奪ったという経験が事件の犠牲者の数だけある、倒しにくるのと殺しにくるのとでは大きく異なる。命さえ奪うのも何ら行動自体に抵抗を持ち合わせずに向かってくるのだ、それなのに俺は倒す事しか考えていない、いや考えられない。命を奪うなんて無理だ。
「さあ、行くよ」
宗司朗が大きく前へ踏み込むと同時に俺は咄嗟に刀を出した。
油断、したものの刀で何とか爪を防ぐもそれは右手。左手はすぐに左方から降りかかり後方へ転がり込んで俺は回避する。軽く掠って爪の跡が朱となって三つほど頬に走った。今受けた傷よりも、転がり込んだ時の衝撃によってわき腹に響いた痛みのほうが衝撃的で顔が少々強張る。
「やっぱりリーチが短いと両手であっても困るなあ」
刀と爪では刀のほうが有利、それに宗司朗の体躯は大きくも無い。前回の交戦では時間喰らいの具現化した力を相手にしていたからか体躯も大きかったが今回は宗司朗そのもの。勝算はある。
「宗司朗、初めて会った時から騙してたのか……?」
これから本格的に俺達は戦う、いや殺し合うかもしれない。喧嘩なんて些細な言葉、交戦よりも殺し合いって表現したほうが的確か。だからそうなる前に聞けることは聞きたい。
「そうだよ。僕は決めたんだ、日頃は真面目な少年を演じる事にね。魔女からの助言もあったしさ」
「……助言?」
「神の力を探る連中がいるから常に誰から話しかけられても不審を持たれないようにしろとね」
魔女は俺達を意識しての助言か、どうであれその助言が俺達を振り回す事になったわけだ。
それに精神喰らいが参戦してきたとなれば、魔女と呼ばれる存在に心当たりがある。以前精神喰らいと最後に対峙した時、少女が現れて精神世界から分離された。その少女が魔女かもしれない。
しかしながら今は魔女についてあれやこれやと詮索している暇は無い。
「いくよ、冬慈君」
宗司朗の一閃と、俺の一閃は交じり合った。
* * *
厄介だ、実に厄介だ。
どこまで吹っ飛ばされたのか、工場から吹っ飛ばされたのは覚えてるが気がつけばまた工場の中。
ここらは工場が多かったし、隣に建てられていた工場まで吹っ飛ばされたと考えるべきか。まあいい、そんな事を考えたところで意味など無い。
「……口を切ったか」
口内に広がる鉄の味、唾を吐いてみれば朱色が混じっていた。
「ぶっ飛ばすついでに首の骨を捻ろうと思ったのに、避けちゃって萎えるわほんと。でも痛いでしょ? すっごーく痛いと精神が意識する力を含ませたからね」
傷は大したことの無い掠り傷。
壁が壊れると同時に左手で首を狙ってきたので避けたところ、口を掠ったがまるで針が刺さったような痛みがあった。なるほど、こいつの攻撃は例え些細な傷であっても痛みを増幅させるのだな。意識すれば厄介、意識しなければ厄介でもない。
「あの小僧は我々を誘き出すための餌か」
「まあ、そうね。あんた達にチョロチョロと動かれるとね、正直うざったいって感じでさあ。魔女は早々に始末しろって」
そろそろ何らかの動きを見せるかもしれないと思っていた。聞いても別に驚いたりと反応は見せる事も無い。
「魔女は近くにいるのか?」
「さあね、いないんじゃないかしら? コピーキャットがどこかに行っちゃったとか言ってねえ。あ、これ言っちゃ不味かったかしら?」
「貴様の頭の幼稚さが深刻なくらいに不味いな」
「はぁぁぁあ!?」
別に挑発したつもりは無いがこの程度で怒りを見せてくると、頭の幼稚さは知れているなこの馬鹿。
「あ、今あんた私を馬鹿だと思ったでしょ? そんな目をしてる」
「いーや思ってない、ものすごい馬鹿だと私は思ったのだ」
ふむ、こいつは面白い。
「はぁぁぁぁぁぁあ!?」
この際だから頭に血が上りきるくらいに挑発してやろう。
「まったく貴様は容姿さえも幼稚だな。ほら見ろ私の胸を、貴様よりはある」
「あぁん? 私のほうが大きいわよ! それに私だってこんな微妙な器に入りたいわけじゃないし!」
「私もそうだぞ? それなのに貴様はそうやって負け惜しみを言うとはな。つまらん、つまらんな」
米神に血管が浮き出るくらいに、顔が赤に変わるぐらいに精神喰らいの怒りは見て解る。思わず笑い転げてしまいたいなこれは。だが今はいつでも戦闘に対応できるよう精神を張り詰めておかなくては。
「あー……ぶっ殺すわ」
ふらりと精神喰らいは歩き出す。
両の拳には青白い炎、それらは一瞬目を背けてしまいたいくらいに灯らせるとすぐさま消灯の後に両の拳は変化を見せていた。
力の具現化、奴の攻撃は拳で殴るのが主だからか。拳にはまるで鎧のような鋼鉄さと指先には刃のような鋭さをもつ爪で出来た、言うならば鉄拳といったところか。
「この」
続く言葉を聞く前に精神喰らいは前進した。
「糞」
刹那に紡がれた言葉が放たれた時に私は斧を振り上げた。
「野郎が!」
私は斧を地面へ落とし、砕いた破片を蹴り飛ばし、精神喰らいは一つ残らず拳で粉砕。その間に地を削りながら斧を薙ぐと荒々しく右の拳を突き出して止めた。響く金属音、下手すれば胴体が二つに割れるのに、よくそんな行為を軽々とやりのけるものだ。
所詮、器がどうなっても構わないからこそ出来る事。器が壊れればまた代えの器に入ればいい、そういう立ち回りをする奴は多少危険な行為でも抵抗無く行うから厄介である。
「あー……痛ってー」
致命的な部位は避けつつも戦闘に支障が無い部位は無視。破片は粉砕したとはいえ細かすぎる破片が太ももや頬、耳、頭に掠ったと思われる傷が多々見られる。
「まあいいや、痛みを消そうっと」
便利な能力だ。私の能力と違ってな。
精神喰らいは戦闘でも十分に活用できる力、それに精神世界への攻撃も可能。比べて私の能力は記憶を操るだけ。神の力に干渉されている奴には私の能力はあまり影響しない、唯一の長所といえば最初の力の具現化が早いくらい。まあ具現化した武具を解除するにも、距離が離れていれば解除から再度具現化までの時間が掛かる。それと力の具現化は本体の性格や戦い方の得手不得手に影響しやすいため具現化は一人一つが主であるが私の場合は、
「……あ? 武器変わってねぇか?」
そう、具現化が多数可能。とはいえ力が増幅するとか能力が高まるわけでも無いが。
「馬鹿にはこれがいいかなと思ってな」
単に斧よりも長さのある矛を選んだだけだ。槍よりも殺傷能力を高く、刃は広く蛇のように、そういう想像から創造された結果。
「あー……。馬鹿って言った奴が馬鹿って言うだろ?」
また幼稚な発言を。付き合ってられんな。
「わかったわかった。貴様は天才だよ」
特大の溜息と一緒に言葉を返してやった。
「……殺す」
精神喰らいは猛進、怒りに身を任せて拳を振るってくる。フェイントも無し、右左と繰り返し攻撃してくるがあまりにも単調な攻撃。後退するだけで回避できるな。
息を切らし始め、大振りになったところで矛を精神喰らいの足に引っ掛けた。矛はこういう細かい操作が遣り易い、斧は一撃必殺みたいなもので足を引っ掛けたりなんていう行為は簡単に出来ない。引っ掛けようとすれば斧の大きい刃が先ず地面へ当たる、あれはやはり猪突猛進な攻撃に対して適切ではない。
「んぎゃ!」
顔面で地面を受け止めたな、さぞかし痛そうだ。
「お前達はこの街で一体何をやろうと言うのだ、答えろ」
地面へうつ伏せ状態の精神喰らいの頭に矛を突きつけた、下手に動いたらどうなるかという示しだ。当然、聞きたい事が山ほどあるのでぐさりと刺す気は無いがな。
「し、知らないわよ! 知ってても教えるか!」
そりゃそうだが、この状況でも強気でいられるとは呆れる。
「おらあ!」
「ちっ……」
苦し紛れか、足を引っ掛けてきた。お返しって奴か。
体勢が崩れて矛で体を支えた刹那に精神喰らいは立ち上がり拳を振るってくる。少しは考えたようだ、矛を蹴り飛ばして再び体勢を崩した私は地に倒れた。
乗りかかられると状況は厳しくなる、こういうのなんていったかな、ああそうだ、テレビ番組で見た事がある。マウントを取られる、だったか。
「さあ、どうするよ?」
形勢逆転、それを嬉しそうな表情で伝えてくるのが生意気だ。さっきはあれほど無様な姿を曝してたというのに。しかもこいつ、鼻からは血が出ている。なんと格好悪いことか。
「今頃あの無愛想もやられてるだろうなあ?」
「冬慈を舐めるなよ、貴様より強い」
「はぁ? 私より? あっはっは! あんなの絶対弱いから、寝言は寝て言いなさいよ」
笑うな、鼻血がつく。
「寝言ではない、貴様こそ寝言は寝て言え。先ずその機能していない脳みそを起こせ」
「あーわかった。あんたそいつに惚れてるんだ」
「……何だと?」
「絶対惚れてるね、あっついあっついあつあつあっつい。ギャハ」
舌を出して口元をこれ以上とないほどに吊り上げる顔を見ていると無性に腹が立つなこいつは。
言っている事も理解できん、断じて理解できん。
横目で矛がある場所を把握。幸い、近くの地面に突き刺さっているので取りやすい。一度具現化を解除して手元に戻すのも一つの手だが、具現化までの僅かな時間は無防備。この近距離では無謀すぎる。そんな危機を背負っての行為ならばこいつをどかして取りに行った方が無難。
どかすついでに減らず口も閉ざしてやるとするか。
「そろそろその顔潰してやるよ、ギャハハ――」
精神喰らいが右肩を上げた瞬間に地面から小石を一つ手に取った。地面を砕いておいてよかった、周りに破片の小石が多々落ちている。
それを私は指で弾き、精神喰らいの目を狙う。
「痛っ……!」
次は奴の服を掴んだ。戦闘に適さない若い人間がよく着ている服、これでは掴んでくださいと言っているものだ。遠慮なく掴んで、引っ張って、頭から地面に叩き落としてやる。
「うぎゃ!」
そして最後に、近くにある矛を回収。
よく見ればまた顔で地面を受け止めたようだ。二度目はさぞかし痛かろう。
「貴様は不運に見舞われているな。私が地面を砕いてそこらには小石が大量に落ちていた事、貴様の服装が戦闘に適さないものだった事。矛を蹴り飛ばしたとはいえ近くで突き刺さっていた事。そして相手が私だった事。嗚呼、不運と言わず何と言うか」
未熟な立ち回り、未熟な性格、未熟な力。あれほど有利な立場になったというのに無駄話をすると呆れて何も言えん。あまりにも歯ごたえの無い相手では矛など使わなくても良かったかもしれんが、こいつと違って私は戦闘ならば隙や驕りの一つさえ考えないようにしている。
「なんでよ、どうしてよ! 私の力のほうが上のはずなのに……」
精神喰らいは地に伏せたまま悔しそうに拳を地面に叩きつけた。
「神の力は確かに貴様のほうが上だな。だが戦いを知らぬ者が、自分の力に驕り一度でも戦闘の中で余裕を見せるような奴が勝てるほど甘くはない」
私ならば、矛を蹴り飛ばされて地に倒れた時に全力の力で潰しに行っただろう。一瞬の勝機は一瞬にして勝利へと導く時がある。一瞬の勝機が目の前にあれば例え右腕を失うとしても、残った左腕で命を奪え、左腕も無いならば残った両足で首を潰せ、それくらいの闘志が必要だ。しかしこいつは“私は有利だ”と思って無駄話をし始めたのだ、実に愚行。
「だったら……神気一体で捻り潰す!」
すると仰向けになって両の拳を掲げた。
厄介だ、実に厄介だ。
精神喰らいの体は青白い炎が包み込み、拳の鋼鉄は腕から肩へ、肩から胸へ。全身は鎧で纏われた。
具現化とは少し違い、神気一体は体を巻き込んだ神の力の具現化。今までは具現化したものを壊されても力が消耗するだけだったが神気一体は今まで以上の力を出せる反面、具現化部分が壊されると身体にも大きく影響が及ぶ諸刃の剣。
「そこまでするか、馬鹿な奴……」
「ギャハハ、魔女にはあの糞餓鬼からてめえを遠ざける程度でいいって言われたけどもう殺す!」
頭に血が上って魔女の言い付けも無視か。
精神喰らいは既に異様へと化して両の拳を振るってくる。
まるで違う速さ、まるで違う破壊力、まるで違う立ち回り。矛を持ったままでは避けきれない、一度解除して避ける事に専念する。精神喰らいが拳を振るえば空気は唸り、振るった拳を避けた先にある壁は触れた途端に破壊。一撃でも受ければ、いや掠る程度でもまずい。
反撃をするならば私も神気一体をせねばなるまいか……。
「ほらぁ! どうしたぁ!」
無理だ、神気一体する間に攻撃を受けてしまう。どこかへ逃げて神気一体をするとしてもこの工場、隠れる場所も無くそれほど広くは無いので無理。外には出れない、関係無い人間がいたらこいつの場合、そんなもの関係無いと攻撃対象にしてしまうかもしれないのだ。ここで戦わなくては。
「殴るだけだと」
右、左と繰り返し拳を振るってくる、先ほどよりもさらに速く。
「思ってんじゃねーよ!」
蹴り、ああそうだ、蹴りが来る。
右? 左? いやどちらでも関係無い、まだ後ろへ避けられる。
右足がかすかに動いた、右足で蹴るつもりだ。
「そらぁ!」
予想通り右足。
それを私は後方に飛んで避けた。前髪が精神喰らいの右足に掠る、一瞬にして数本の髪は千切れた。
冷や汗が額から頬へ、頬から地へ。肌を撫でるように流れる感覚は敏感に伝わる。緊張感、緊迫感が感覚を敏感にさせているのだろう。
慣れない蹴りで精神喰らいの上体が揺らいだ、反撃できる。
武具は何を使うか、矛――それよりも攻撃性を高めた斧だ。
具現化をさせて私は反撃へ転じた。
「ギャハハ!」
何を笑っている。
「【私の攻撃を受けたい】よねえ?」
いきなり何を言い出す。
「【武器を手放したい】よねえ?」
斧を、手放したい……。
いや駄目だ、何を考えている私は……?
「【何も動きたくない】わよねえ」
構えるまでの動作は実に緩慢。拳を握り脇を広げた瞬間に避ければ問題は無い、どう攻撃してくるかその緩慢な動きで予測できる……それなのに体が動かない。
むしろ私は今指一つ動かす動作さえ倦怠感を抱き、斧を手放していた。
攻撃が来る、わかっている。
左の拳がわき腹を狙っている、わかっている。
右の拳は頬あたりを狙っている、わかっている。
攻撃が来た、避けなくては。
「ギャハハ――!」
左の拳はわき腹へ、骨が数本悲鳴を上げた。何本かは確実に折れた。
右の拳は頬へ、視界が大きく揺らいだ。一瞬頭の中が真っ白になる。
気がつけば晴天が視界に広がっていた。
体の所々には何やら石製の破片や木製の破片が引っ付いている、大方壁に叩きつけられて突き破り外にまで飛ばされたのだ。背中に走る痛みがそれを伝えている。
何故奴の言葉を受け入れてしまったのか、何故避けれなかったのか。考えるまでも無く神の力が作用していたからだ。しかしいつ力を注がれたのかが解らない。
思い返して数秒前の視界。
精神喰らいが放った右足の攻撃、掠ったのは髪の毛数本程度だが接触して神の力を注がれたとならばその瞬間。
神気一体で神の力での抵抗力を軽々と破られたか、私の力でも外部からの能力干渉は防げると思ったが神気一体をされてはそれも無駄のようだ。
わき腹はニ、いや三本ほど折れたかもしれん。
右肩も痛い、壁へ叩きつけられた時に強打した。利き腕が動かないのはもはや致命的。
足腰は力が入らない、回復まで暫し掛かりそうだ。口の中は鉄の味で広がっていた、殴られたほうの左の奥歯は折れている。
軋む体に無理を強いて上体を起こしそれを吐く。吐血と一緒に奥歯も一本吐き出された。顎も痛い、折れてはいないが。
体内には奴の力がまだ残っているな、浄化しておこう。
「どうしたあ? かかって来なさいよお!」
工場の扉を破壊して精神喰らいが外へ出てきた。
まずいな、足がまだ動かん。
武器も工場の中だ。奴がここまで来るのも残り数歩、残り数秒。手元から離れると離れた距離が長いほど一度解除して具現化するまでの時間も長くなるのだ、贖う策を考えるための時間か、死を覚悟し受け入れるための時間か。
結局こうなるのはすでに解りきっていた事。
神の中でも力の序列は中の下。神気一体したところで精神喰らいに敵う筈も無く、具現化した武具での戦いなら相手の立ち回り次第で互角に戦える程度。
死ぬかもしれない。
ならばただ殺されるよりも足掻くほうがいい。
具現化は解除、再び具現化までの時間が遅い。かなり武具と離れているという事、つまり私がどれほど殴り飛ばされたかという結論も示される。
具現化出来るまで時間稼ぎをしなければ。
「貴様の器である桜井桃子、その魂はまだ残っているのか?」
「何をいきなり。まあいいわ、答えてあげる。桜井桃子はまだ残ってるわよ、私が主導権を握ってるけどね」
「なるほどな、一つの器に二つの魂。いつかそれも亀裂が入るぞ」
解除まであと少し。
ちっ、呼吸するだけで胸に痛みが走る。右腕は少しでも動かせば肩に激痛。
「大丈夫、私はあの子を理解してる。あの子も私を理解してる。あの子の同意の上で私が表に出てるのだから。それに私は久しぶりのこの世界を堪能したいしね、人間の精神を喰べて喰べて喰べつくしたいわ。あんたもどうせ人間の記憶を喰べてるんでしょ? 人間は実に美味よね」
「人間の記憶など喰べていない。あいつを失望させたくな……」
何を言おうとしたのか、無意識に出た言葉を塞き止めようと思ったがもう遅い。
「あいつ……? ははぁん、あんたやっぱりあいつに惚れてるわねえ? 冬慈、うん、冬慈。はっきりと名前は憶えてるわ」
こいつの口は少々幼稚、耳障りな単語で鼓膜を嘗め回される気分。
「なら物とか動物とかそんなのばっかり喰べてるんだ? 不味い物は腹も膨れないのに、でも冬慈に好かれたいからってところ? 乙女ねー」
所詮この会話に意味は無い、聞く耳は不要。
具現化の解除も終わる。
「神と人間とでは結ばれないのに無駄な奴ね。人間なんて死んだら肉、魂は使いまわされ肉に入れられての繰り返し。そんなもの私達の餌じゃない」
いや、止めだ。
「気が変わったよ、精神喰らい」
「……は?」
こいつの口は下水の入り口、吐かれるものは全て汚物。これ以上聞いたら鼓膜が腐る、崩れる、朽ちる。
「お前、真名は?」
元々喰らいの神は創造神が別れて作られた、とされている。随分昔の事で私も喰らいの根源には疎いが皆喰らいと呼ばれるよりも自ら名前をつけていた。
「スピリトゥスよ。それが何か?」
「ふむ、良い真名だ」
「……そう。何なのかしら? 最期に真名でも知りたかったの?」
「いや自己紹介をと思ってな」
足はもう動く、そろそろ立とう。
「私の真名は知っているか?」
腰を上げて、両足で立つ。いける。
「知ってるわよ、魔女に教えてもらったわ。ルウって言うのよね?」
「いいや、それは間違いだ」
「……は?」
右手は動かせないが左手で十分だ。
左足を一歩踏み込む。
「教えずとも、貴様は知るだろう」
「へぇ、何を?」
「だが無駄だな」
残りはおよそ五歩の距離。
「貴様は」
ここからは言葉を発しても無駄かもしれない。
「どうせ」
残りの五歩は、
「今から起こる出来事など」
一秒よりも早く、
「憶える事は出来ない」
「あれ? あたりが……ど、どうして!?」
空は黒に染まり、辺りは陽光を喰らい漆黒に。
こうなるから、この力は使いたくない。私の存在を知らしめるのだ、この力は。
そのまま私は左腕で精神喰らいの腹部へ打撃した。辺りが漆黒になって一瞬気を取られたのもあるだろうが、それでもこの一撃は避けられまい。
「――――っ!」
何かを言いたいように口が開くも工場の中まで吹っ飛んでいって言葉は聞けず。自分でも予想して無いほどの威力だった。久しく力を引き出して少々奴が生きているか不安になる。力加減を間違っていなければの話だがまあ……大丈夫だろう。昼では力がそれほど引き出せない。そのため昼に力を使えば辺りは強制的に漆黒へ染まる。月が出ていれば今よりも力が開放できるが、開放しすぎると器が持たない。
右腕は使えなかったから左腕で殴ったが、反動が大きすぎて左腕も暫く動かす事は出来ないな。だから使いたくない、月が出ていなくてもこれだけの反動、人間の器が先に壊れてしまうのは必須。
唯一動かせる両足でゆっくり歩調を刻んで工場の中へ。
おお、いたいた。
一度壁に衝突した後に地面へ倒れたようで、壁には大きな窪みが出来ていた。良かった、力加減を間違えていなくて。下手をすれば工場の壁さえ突き破っていたところだ。追いかけるのが面倒にならなくて手間が省ける。
「おい、生きているか?」
こいつも器は人間だったな、忘れていたよ。
「……ギャ……ハッ」
ふむ、笑えるくらいの元気があるのならば心配は無いか。神の力で生命力も治癒力も普通より高いだろうし。
「……その姿……あ、あんた……まさか……」
この姿を曝すのは何時以来であろうか。あまりこの姿は好きでは無い。目も爪も髪も黒より深い漆黒に染まり力の源である刺青が肌を走る。
「私が誰であれ、貴様の記憶は私の糧となる。知っても無意味だよ」
精神喰らいの頭に左手を添える。
美味、佳味、甘味、好味、芳味。それらがまるで混ざり合って最も最良の味を引き出して甘露と評してもまだ言葉が足らぬほどの感覚。飢えを我慢して、我慢した後にようやく食事をした時に得る幸福感、まさに天禄。しかしこの味も次はいつ味わう事になるやら。
「……あれ? 私何を……痛っ! 全身が……痛い……! すっごく痛い……!」
「ほほう、それは災難だったな」
今日一日の記憶は全て食べ尽くした、こいつにとっては目が覚めれば大怪我を負っていた状況を体験したようなものだ。
「あんた……えっと、誰?」
こいつは今日私が記憶喰らいだと知ったのだから覚えてないのは当然の事。答える必要も無い。どうせ後々魔女にでも教えてもらうだろう。
「知る必要など無い」
冬慈に加勢はするまい。
怪我人が加勢したところで足手まといになるだけだ。冬慈を信じて待つとしよう。
「苦戦したようじゃな」
立つのも辛く地に腰を下ろしたところでキスイがそっと隣に座った。
「久しい苦戦も、心身を引き締めるには良いものだ」
「そりゃよかったのう。とりあえず鬼門を張っておいた、お主らには結界と申したほうが解りやすいかのう」
これで魔女が干渉する事も無い、助かる。
時間喰らいと顔を合わさせて気を悪くしてしまったのでまさか鬼門を張ってくれるとは思っていなかったが。結界と違って鬼門はキスイの意思無しでは外部からはたとえ神であっても侵入出来ない、一般人が通る場所ならば見えない壁に阻まれて困惑するであろうが、ここらは人通りが少ない場所。その心配も無い。他に鬼門はすべての神の力を把握できるなど結界とは違い便利なものだ。
「冬慈は……戦っておるのか?」
「そうだな、私はご覧の有様で加勢も出来ない」
「ではわしが加勢するかのう」
「そうしてもらいたいが、鬼門に集中して欲しい。魔女が無理やり干渉してくる可能性もある」
もしも強引に鬼門を破ってきたら、結界よりも防御性の高い鬼門であっても僅かな可能性が頭を過ぎる場合警戒は怠る事など出来ない。奴が鬼門を破ってしまったら絶望的だ。
「そうじゃな。しかし先ほど戦ってた輩に止めは刺さなくてよいのか?」
「止めを刺す力も残ってない、それにまだあの器には人間の魂が残ってるのだよ。人は殺めたくない」
生死を賭けたにも関わらず生かしておくなど甘い、普通ならばそんな喝を言われてもおかしくないがキスイは一言「優しいな」なんて言って微笑を溢した。呆れられたともとれるその微笑、どうであれ微笑で返した。
「一つ問いたいのじゃが」
キスイの問いは既に解っている。
鬼門を張るならば戦闘が始まる前に行っている、つまりは私と精神喰らいとの戦闘の一部始終は見られたはず。無論、誰にも見せた事の無い、あの姿を曝したところも。
「質問次第では答えよう」
「お主……本当に記憶喰らいか?」
返答への言葉を探すべく暫しの無言を返す。
「今から話す事は……私とお前だけの秘密だぞ」
そう、二人だけの秘密だ。宗司朗には、絶対に言えない……。
でも、いつかは話したい私の秘密。
第六章 歩むために
かなりの衝撃、かなりの騒音。
ルウと精神喰らいとの戦闘がどれほど激しいものなのか無意識に思い浮かぶほどに衝撃は肌へ、騒音は鼓膜へと伝わる。
しかし俺は心配するほど今は余裕も無く息を呑んでかすかな隙さえ見せまいと立ち回っていた。
剣道三倍段って耳にした事があるがまったくその通りだ。横に薙ぐだけでも牽制になるし、突くだけでもその刀身を恐れて宗司朗は後退。途中懐に入られて攻撃されるも咄嗟に刀で防御して僅かに爪が頬へ掠った程度、まだまだいける。
だが畏怖を得た。
別に頬に掠り傷を負ったからといって危機など感じはしないが問題は何の抵抗も無く首筋を狙ってきたという事。もし少しでも刀を引くのが遅れていたら、頭が今頃地面へ転がっているところだった。
爪と刀が擦れ合う音は鼓膜を劈き左の耳が実に痛いが、集中……集中。
「君にだけは知って欲しくなかった」
ふと戦闘を始めて開口一番に宗司朗の口が開いた。
返答しようか迷う、何故ならば宗司朗の左手が薙ぎられて現在俺は上体を逸らして避けている最中。加えてまだ完治していないわき腹が悲鳴を上げる中返答など難しい行為である。
ただし頭の中で返答はする。
俺も知りたくはなかったよ、と。宗司朗の攻撃をかわし終えて、両者対峙。
「でもこの際だから全部話そう。僕もそのほうがすっきりする」
全部……?
ならばまだ俺が知らない事があるわけか?
再び対峙は解かれ、両者同時に前へ出て宗司朗の爪と、俺の刀が交わり工場内に金属音が響き渡る。
剣道三倍段、再び思い返すがそれほど差は無いような気がしてきた。痛めているわき腹は右側。攻撃した当人である宗司朗はそれも把握している、集中的に右側からの攻撃を仕掛けてきた。防御も反撃も遅れて上手く攻守を組み立てられない自分がいた。
「僕は姉さんがずっと嫌いだったんだ」
爪と刀で力の押し合い、それは互角。
「嫌い……だって?」
ああそうさ、と爪で刀を弾いて後退。反動がわき腹に響いて反撃に転じる事が出来ず、表情が歪む。何度心の中で舌打ちをしたものか。
「姉さんはいつもいつも僕に何かを強要し、何かを求め、何かと擁護して、何かと引っ付いてくる。僕の学校生活は毎日躓きっぱなしでさ」
宗司朗は溜息をついて一度両手を下ろした。攻撃は出来る、だが宗司朗の目を見る限り隙は無い。
「入学間も無くから姉さんは僕を生徒会へ入るよう言ってきてね。断ってもどうせしつこく懇願してくるのならと入ったはいいけど、もう姉さんの噂は広まって僕はそれをネタに苛められもしたよ」
そう……だったのか。
宗司朗が生徒会に在籍しているのはいつだか集会で耳にした気がする、環さんが絡んでの事だったとは知りもしないが。環さんのブラコンってのはまったく恐ろしいね。それにしてもしかし宗司朗が苛められてたというのは初耳。
「ある日にね、とうとう僕はしつこく接してくる姉さんに怒って口論になったんだ」
確かにあれほどの溺愛も長く続けばいつかは憤る時もあるかも。
宗司朗の左足が半歩進む、耳を傾ける傍らこのような僅かな変化は見逃さずに警戒心を尖らせなければ。
「ちょっと押しただけだったんだ、それに姉さんの後ろの窓が開いてて……」
「まさか……環さんが転落したのは……」
宗司朗がどうして転落事故を隠そうとしたのか、その理由がようやく理解できた。
「ああ、そうだよ。僕が姉さんを突き落としたんだ」
宗司朗は言下に地を蹴った。
上体は深く、爪は地を削りながら突き進んでくる。
後退? いやもしも後退と同時に宗司朗の前進、攻撃が速まれば防御に回ってしまう。ここは立ち向かうべきだ。
足腰、刀を握る両手に力を入れて俺も前へ出た。
考えるべきは宗司朗の攻撃距離、前に出すぎても駄目だ。そして肩の動きから先ずは左の爪が来る事を予測しこちらから左の爪を弾いた。
「くっ……」
刀を振るたびにわき腹の痛みが響く。
それでも右の爪を対処しなくては。
振りが大きい、狙いは首か。
頭を下げて爪を避けて、刀を引いて攻撃へ転じた。
「おっと」
しかし宗司朗はすでに後退。
先ほど地を削りながら突き進んできたのは、時間を喰らって瞬時に後退できるためだな。
「その後はね、姉さんや転落事故の現場にいた先生と生徒にコピーキャットを使ったりして大変だったよ。起きた事実を揉み消せばいつかそれが知られた時に疑問が生じるけど、起きた事実を歪めれば歪みはそのまま事実になる。君も歪みに振り回されたね」
「まったく振り回されすぎて脳震盪でも起こしそうなくらいショックだったよ」
宗司朗の爪は更に長く鋭くなった。
地面の時間を喰らったからだ、対象に爪で攻撃する度に力が回復されるとなるとこのような攻防が続けば不利になるのは俺。そのためにも攻撃に転じて時間を喰らう余裕など無くさなければならないが、実に至難の技。
「そうそう、僕が殺した生徒達だけど。最初の四人は僕を苛めていた人たちでね。結界の使い方もその時に覚えたよ」
不適に笑うその表情、もはや彼には命を奪って悔やむ心は持ち合わせていないのか。
「その後の犠牲者は、魔女の助言で俺達を欺くための迷彩……だな?」
「うん、そういう事」
宗司朗は再び動き出す。
地面を削っていき弧を描くように走った。途中途中、地面を削って時間を喰らいつつ移動時間の短縮もしながら間合いを徐々に詰めてくる。
まるで餌が疲労で動けなくなるまで待つ獣。
正直わき腹の痛みが著しく動きを制限させつつ体力を殺ぎ取っている。攻めるたびに、守るたびに自分が不利な位置へと駆け上っている感覚。
あざみとの戦いでも苦しかったんだ、相手が変わったからといって楽になるとは限らない。むしろ今のほうが辛い。少しは力の使い方や立ち回りは宗司朗のほうが劣ると踏んでいたが、予想とは裏腹にこうして肩を上下させて息を荒げている俺。
『一度引くのも策。お前の目を通してこの場を把握したが、奥は物が多い。隠れ場としての場もな』
それもそうだな……。
というかイタカ、目覚めてるなら一言言ってくれよ。
ここで踵を返すのは少々気が引けるも、自分の命が掛かっていれば縋れるものは何でも縋らなければ。しかしどうやって目の前の宗司朗から逃げるか。刀一本で目暗ましなんて無理だ。
『それとな、お前の刀。ある程度は斬れるぞ』
……ある程度?
『例えばお前の近くに聳える鉄の箱』
つまりこれは刀で鉄の柱こと機械を斬れって言いたいのかな。でも刀で鉄を斬るなんていう芸当、普通なら出来るはずも――待てよ、今普通じゃない状況で普通ならなんて語るのもおかしいか。
俺は刀で機械を斬ってみる。接触と同時に一瞬火花が散った。
多少引っ掛かったりするのかと思ったが、まるで砂を斬るように反動も無く易々と斬れる。斜めにずり落ちていくところで、その影をなぞる様に俺は踵を返して奥へ走った。後ろから舌打ちが聞こえる、すぐには追いかけられないようだな。俺が斬った機械は工場の主力となっていたものだろう、辺りで埃を被っている小さな機械よりも数倍大きく部品も多々備え付けられている。
舌打ちの後に金属音が幾多も重なり耳に届き、想像するまでも無く派手に機械が壊れた様子が思い浮かぶ。
奥へ奥へと逃げる傍ら、どう攻めるべきかとか守るべきかとかそういったものよりも優先的に考えてしまうのは、宗司朗を刀で斬る事が出来るのか――出来る状況が得られたら本当に斬れるのか、毎度の事俺は戦う時にこうして同じ事を考えていた気がする。
でも、今回の場合はどうしても行き詰ってしまう。
短い期間、ああそうだ。俺と宗司朗が友好を深める時間なんてそれほど無かった短い期間。携帯電話のアドレスを交換し合ったくらいで宗司朗の事などよく知らない。特に街で遊んだというわけでもなく、図書館でお喋りをする程度。苛められてたなんていう事実も知らなかった。
攻めあぐねているのはわき腹の痛みのせい?
いいや、他にもある。
たとえ短い時間だったとしても俺は宗司朗を友達だと思っているから、刀を振るっても決して宗司朗には届かないようにと無意識に動いてしまうんだ。
走る事数秒、裏口に到着。
正面の扉と違ってやや小さめでどこにでもある普通の扉。ここから出れば宗司朗と戦わずに済むかもなどとそんな臆しの心が、立ち向かえと囁く心を突いてくる。
『当たらぬよう振り続けるならば、振るのを止めてこの扉から逃げるほうがよっぽど利口』
そうだ、確かにそうだ。
でもそれでは宗司朗は止められない。
「イタカ、君は……友達であっても斬る?」
『そいつが大罪を犯したのならば斬るしかあるまい』
さらっと言われて、うんそうだねと斬れるはずもなく。
近場に隠れられる場所は無いかと探して奥に寂しく埃を被った俺の身長ほどある機械の陰へと移動して壁に凭れた。
手が、指が、足が震えている。
何度か訪れたこんな場面、何度も覚悟したこんな場面。でも今回の敵は宗司朗、その違いは今までと別格。
こうしてまたイタカと話している時点で、俺は進歩しないなと嘆息を漏らした。夜には鍛錬だってしてる、素振りぐらいしか出来ないけれど、それでも腕の筋肉は以前よりも少しは鍛えられた気がするも、素振りをしたって、体を鍛えたって、やっぱり心は鍛えられない。
しかしこうしているだけでは何も始まらない。逃げるという考えは捨てよう。裏口を見るのももう止めだ。
その時、緩慢な動作を感じられる歩調の足音が鼓膜を突いた。
遠く、いやそれほど遠くでも無い。警戒しているのかもしれない、度々足音は止まり、地面を擦る音――方向を変えた様子。まるでホラー映画のワンシーン。殺人鬼が主人公や脇役を探しにくるようなもの。
少しだけでも休憩できたおかげで呼吸も落ち着いた。わき腹の痛みもずっと押さえていたからか気休め程度楽になった気がする。
「そこだね?」
一歩右足を進めたその刹那、心臓の鼓動が跳ね上がり全身の毛が弥立つ。
声はどこから? 背後? いや背後は壁、前は誰も居ない、右も壁、左は大型機械。
場所が特定できない、でも宗司朗は俺の近くにいる事は確か。
この場から逃げなければと俺は前へ走った次の瞬間、背中に何かが通り過ぎた。
同時に、削岩するような爆ぜる騒音と空気が震えて肌に伝わる衝撃。飛礫が幾つか背中に当たる。
振り返れば俺の居た場所は粉塵が舞い人影が薄っすらと一つ。粉塵の中からは漆黒の腕、爪が見えた刹那にそれは襲いかかり、咄嗟に刀で防いだ。
先ほどまでは腕まで漆黒が覆っていたのに、今は肩、首、顔まで漆黒。まるで鬼のような仮面を被っているような、瞳は燃えるように紅くその双眸の威圧感で腰が砕けそうになる。宗司朗の全体重が乗った両手の爪、それを俺は刀で防ぐも足が地面へ減り込むぐらいに、今にも膝をついてしまいそうなくらいになるもなんとかわき腹の痛みを我慢して力を振り絞って押しつぶされまいと支える。
最初の時よりも……力が強くなってる。
「冬慈君は僕をどうしたいの? 捕まえても法律では僕を殺人罪として裁くなんて証拠も無いんだから無理だよ」
わかってるさ、心の中で反論。
「それに僕達はもう引き返せない、生と死という天秤の傾け合いだ」
ならば俺の中にある天秤は今、死へと傾き始めているな。宗司朗の姿形から力は増しているんだ、比べて俺は疲労とわき腹の鈍痛。持久戦でも勝てない、短期戦でも難しい。すでに天秤は傾いたまま覆る事など無いかも。
「頑張らなくて良いよ、死ぬ時は一瞬。僕が楽にしてあげられる」
さらに爪の圧力が掛かる。
膝をつきそうになるも、もし膝をついてしまったらそのまま押し込められるに違いない。
「宗司朗、俺はお前の天秤を死へ傾ける気は無い」
「はは、なら尚更どうしようっていうんだい?」
難しい質問だ。
考えながら戦闘も難しいけれど。
「わからない……」
答えはまだ見つからない。
この状況を覆す方法も見つからない。勝ち負けの基準さえ見失ってしまった。
それでも宗司朗を止めたい一心だけが働いてしまう。
「でも……一つだけ言える事がある、俺はお前を救いたい!」
刀を握る掌に力を込める、鍛えた成果を見せる時だ。わき腹の鈍痛を差し引いても筋力の比べ合いなら負けない。宗司朗の見た目はそれほど鍛えてもいないようだし、問題はやはり神の力の差。
「はっ!」
足腰に、腹に、腕に、刀に力を込めて全力で押し返した。
宗司朗の足元が僅かに揺らぎその瞬間、俺は刀を振り上げて――。
「……冬慈君は甘いよ」
刀を振り下ろせずにただただ宗司朗を凝視するしか出来ず。
軽く斬るだけ、そう思っても腕が動かない。大怪我をしてしまったら、そんな言葉が脳裏を過ぎり刀を振るなと信号が送られて電源が切れた人形のようになってしまう。
「ほら、攻撃するよ?」
仕舞いには反撃の機会さえ与えてしまい、一度掴んだ攻めを自ら潰して守りへと入り込んでしまった。この場合、逃げ込んでしまったと言うべきか。傷つけたくないから攻めたくない、だから守るだけにする。嗚呼、俺は逃げてるだけなんだな。
どうにかこんな悪循環な思考と悪循環を生み出してしまう状況を変えたいが、どうにも出来ない。
よくこんな状態で宗司朗の攻撃をまともに受けなかったなと思う。
覚悟を決めろ、イタカに言われて一度は心身を奮い立たせたもののここぞというところで懼れる自分が情けなく思う。ここで宗司朗を止めなければならないのに、止める勇気さえ無く止める術さえ無い。
慌てて後退するも躓いて尻餅をつく。無様だ、そして危険。
宗司朗が爪を振り上げたその時――。
「なっ……!?」
辺り一体は瞬時にして暗闇に飲み込まれた。
先ほどまで窓から差し込んでいた光も、穴の開いた天井から漏れた光も全て瞬時に消え去り工場内は夜のように、暗闇が包み込む。
好機、宗司朗の爪が襲い掛かる前に立ち上がって再び後退。生き延びた、けれどどうしよう。
「なんだっただろうね今の。まあいいさ、時間は削った」
その言葉の意味、俺が逃げた時に宗司朗は何かの時間を削っていたようだが暗闇で何も見えない。いや、待て。地面を削る音がした気がする。それならば後退したところですぐに距離は詰められる。
後退して何を俺は攻撃を受けないなんて安心をしていたんだ。いくら暗闇であれ互いの距離がそれほど無かったら見えずとも目の前を攻撃するだけで俺に当たるはず。
暗闇の中、何かが光っていた。
二つの赤、それは宗司朗の双眸。
空気が震える。
そしてもうひとつ何かが、いや考えずともわかるな、宗司朗の爪だ。それが振り上げられたのだ。
少し、少しだけ目が暗闇に慣れてきた。二つの赤の右上辺り、暗闇の中に何か五つの尖るものが蠢いている。暗闇よりも漆黒、これは宗司朗の爪……か?
また空気が震えた。
攻撃がくる。
宗司朗の爪が振り下ろされたその瞬間は、実に緩慢に見えた。
気づかなかった、目を凝らして見ると爪が先ほどよりも大きい。暗闇だから見間違えた、というわけでもなく暗闇でも一目でわかるくらいにはっきりと解る漆黒の爪。
『――と』
イタカが声を荒げるも俺はどうしていいか解らず無我夢中で刀を前方に。
反射的に刀で防御しようにも一瞬動作が遅れていた。それくらいにこの瞬間は刹那という中であるにも関わらず俺にはこうして考える余裕があるほど、全てが緩やかだった。
『――う』
宗司朗を止められる勇気、止められる力が欲しい。いくら考えたってもうどうする事も出来ない。
『――じ!』
宗司朗の爪が、俺の刀が互いの軌道に入り、そしておそらく……。
交錯した。
刀と爪がぶつかり合う音が工場内に響き渡りその後実に静謐な時間が数秒。
無意識に目を閉じていたようだ。視界は暗闇。目を開いても暗闇だろうけど、それなりに物は微かに見えたから、今は目を閉じているのは確か。
それとも俺はもう既に死んでいてこれは死後の世界かもしれない。いやしかし死んでいたらこうして悠長に考える事なんて出来るのだろうか。
瞼に力が入ってた、やはり目を閉じてただけ。それも無意識に臆して目を閉じた……のかな俺は。
恐る恐る目を開ける。
暗闇は無く、明るい。暗闇になったのはなんだったんだろう。
目の前には宗司朗がいた、それは当然の事。でも表情は驚愕に満ちていたのだ。
何を驚いている?
その疑問の答えはすぐそこに、そして俺が手に持っていた。
「あ……」
思わず俺は声を出して目を瞬いた。
俺の持っていた刀は白一色に染められていた、はず。
それは過去形。現在はどうなっているかというと、刀身は薄っすらと赤々、いや少々黒が混じったようなどちらかというと混濁な赤で淡く輝いていた。
その刀に触れていた宗司朗の爪は見る見るうちに崩れて黒が失われていき宗司朗の手が露となる。何が起こったのか、両者理解できずこの現象を見つめ、宗司朗は俺よりも先に我に返り構えた。
「なんだい? 今のは……」
今起きた事を確かめるかのように宗司朗は左の爪で攻撃し、俺は訳も解らず、反射的に爪を防御。
すると爪は一閃された後に弾けて煙となり、黒が失われて先ほどと同じような現象に。
『刀が……変化した?』
イタカすら驚愕を含む声を出した。これはイタカ自身でもある、それなのにイタカが驚愕しているとなると彼女すら理解できない事が起きたようだ。
「な……!? 僕の力が……」
神の力により体全身がほぼ漆黒に覆われていた宗司朗の体、両手だけ素肌が露になりその部分だけ神の力が消えている事は見て理解できた。しかしどうしてそうなったのかが、おそらく力を消した当人は俺だがどうしてと聞かれたら解らないと答えるしかない。
刀を見ると刀身は未だに淡く輝いていた……さっきよりも輝きは増してる、かな?
『まさか……私の力を独立させて刀に変化を与えたのか……?』
難しい話をされるも、自分で何をしたのかさえ解らないのだ、なんとも言えないが宗司朗が劣勢に傾いているのは確か。おかげで宗司朗は後退してこの不可解な能力を前に攻める気を削がれていた。
「俺の刀、どうなったんだ……?」
『おそらくはそれは私の力ではなくお前の意思に影響して変化し、私の力と独立したようだ』
でも宗司朗の神の力が消えたのがよくわからない。
『その刀は能力もお前の意思に影響したのならば、奴を斬りたくないと意識していたために奴の神の力だけを斬っているのかもしれん。神の力ごと奴を斬れるならば奴が防御した時に少しは怪我をしているはず』
なるほど、でも試しに斬ってみようなんて気持ちは沸かない。もしその通りじゃなかった時には宗司朗が怪我をしてしまう。
「それが……君の力なのかい?」
ならば攻撃なんてせずに終わらせるのが一番。
「……そうだ、もう無駄だよ宗司朗」
降参を誘えばいい。
「……これじゃあ攻撃する度に僕は自分の首を絞めるだけか」
言下に溜息を漏らして宗司朗は神の力を解除する。もはやこれ以上戦っても無駄だと悟ったようだ。随分と潔い、ありがたい話ではあるが。
漆黒に塗れた体はようやくして溶ける様に薄れていく。
「……僕の負け、か」
宗司朗は肩を落とし、数歩下がって壁に凭れる。そのままずり落ちるように尻をついた。それはまるで心身共に疲れ果てたような、深い溜息さえ漏らしているのを見るとそう感じられた。
「結局、あの日から僕の人生は全て変わっちゃったんだ」
苦笑いを浮かべ、顔を伏せる宗司朗。
あの日、それは環さんを突き落としてしまった日をさしているのだろう。
「教えてくれ、何があったのかを」
「そう……だね」
一呼吸置いて、宗司朗はゆっくりと重々しく口を開いた。
「あの日、姉さんは校舎の三階から、しかも頭から落ちてね。病院に運ばれてすぐに手術で、今夜が峠だと言われたよ」
「死の時間を生の時間で上塗りするには力を多く使う、あざみが言ってたけどやっぱり環さんは……?」
「うん、その夜に息を引き取ったよ。泣いた、すごく泣いたんだ。嫌いなはずだったのに」
家族間で嫌いなんて感情を抱いても家族は家族、失ってからその大切さを痛感したに違いない。そう簡単に肉親を嫌いになどなれるはずも無いのだ。
「それでね、姉さんが息を引き取ってすぐに魔女と会ったんだ、まるでこうなる事を待っていたかのようにね。あざみさんと出会ったのもその時だ」
後はあざみの話と合わせれば自然と繋がる。
俺はその後の言葉を拾った。
「そして神約して環さんを時間喰らいの力で蘇らせた、そうだな?」
無言の首肯。
これ以上問い質すほど必要なものは特に無い。教えてくれ、とは問いつつも既に答えを知っていたにも関わらずあえてそう問い質した理由は、自分で導き出した答えと宗司朗の口から出る言葉との答え合わせのようなもの。
これでこの事件についての謎は全て雲散された。
最初の犠牲者四人は宗司朗を苛めていた生徒達であり、宗司朗が結界など力の使い方を覚える予行演習のようなものだった。あざみへの力を注ぐのも兼ねての。その後の犠牲者は事件を探る俺達の目を掻い潜るための布石、魔女からの助言による行動で俺達は上手く振り回されたわけだ。
何よりコピーキャットによって、事件の現場にいた生徒や病院の医師等の記憶が塗り替えられたのが迷走の原因だ。
「僕の唯一の救いが、あざみさんだった」
加えて考察するならば、事件の歯車を激動させたのはあざみ。
「一目惚れっていうのは、妙な魔力を秘めてるよ。彼女のためなら僕は何でも出来た。人を殺める罪悪感にも打ち勝ったよ、食欲と体重は短期間でかなり減ったけれどね」
一目惚れ、俺もそうだったなあ。
懐かしくなんて思わない、いつも昨日のように頭を過ぎってた。時子と出会った日、時子と過ごした日々。俺も時子のためなら何でも出来るかもしれない。
それでも人殺しは駄目だ、なんてそんな言葉を吐けるはずも無く。現に時子が生き返るのならば俺は何でもするだろう。
あざみさんに会いたい、宗司朗は力無い言葉で呟くと腰を上げた。
止める理由も無く宗司朗についていく、少し後ろを歩いて。肩を並べて歩けなかった、お互い一度は殺し合いをして、俺は宗司朗が殺人者である事を知ってしまった。見えない壁でも出来てしまったかのように、重苦しく気まずい気分。
「嫌よ嫌よも好きのうち、そんな言葉があったね」
ふと彼はそんな言葉を口にする。
一度は誰もが耳にするであろう単語、宗司朗と環さんの関係もその言葉が実に合う。
「魔女の助言で途中から環さんに目を逸らさせて囮役を演じさせたのなら、俺が真相を知った時点で環さんはもう用無しなはずなのに環さんの周りに結界を張ってくれと頼んでたのが引っ掛かったよ」
「僕はきっと、構ってくる姉さんが嫌いだったんじゃなく、構わせてしまうくらいに弱い僕自身が嫌いだったんだ。苛立ちは姉さんへのものではなくて、僕自身に対してのもの。それを僕は、姉さんへの苛立ちと錯覚して嫌悪感を抱いてたんだと思う」
「これからは環さんの言い分も少しは聞いてやれよ?」
「はは……出来るかぎりね」
まあ環さんの事だ、色々と無理難題を日々要求してそうなので多少断るのも必要だろうな。
「宗司朗」
あざみは闘いが終わった事を既に悟っていた様子。
丁度こちらへ歩いてくるところで鉢合わせとなった。
「あざみさん、終わったよ。僕の負け」
「良かったの。あ、えっと……」
「いいよ、別に気遣わなくても。あざみさんが望んでたのは僕の敗北、僕はあざみさんの望みが叶って安心。これで良いさ」
宗司朗はそっとあざみに抱擁を交わし、そしてすぐに離れると何故か距離を取った。
「宗……司朗?」
「どうしたんだ?」
工場内の中心部だろうか、宗司朗の立つ位置は。
機械もさほど無く少し広い。
宗司朗はゆっくりと口を開く。
「ずっと考えてた。後悔に苛まれて、でも僕は解放されたいからじゃなく……けじめを取りたいからこうするんだ」
宗司朗の両腕が漆黒に染まる。
何をしようとしているのか、彼の言葉からすぐに察するも、宗司朗の足元から放たれる漆黒の煙が壁を作り目の前を阻んだ。
「こ、これは……!?」
「宗司朗! それは駄目なの!」
「あざみさん、僕はもう何人も人を殺した。それなのに僕が悠々と過ごすなんて馬鹿げてるよ」
俺は刀を出した。沸いてくる焦燥感、本能が宗司朗を止めろと言い聞かせる。
「冬慈君、止めないでくれよ。いや、止められるかどうか」
「止めるさ!」
止められるはずだ、この刀は神の力を斬れるのだから。
刀を振り上げて俺は壁に斬りかかった。
壁と接触、黒い火花を散らして手ごたえは感じられる。
――が、壁は消えず。
「僕の全力だからね」
壁は微かに漆黒が薄まったくらいで壁越しの宗司朗を目視。
「全……力? 宗司朗……もしかしてお前……」
「君には全力なんて出せないよ、友達だもの」
以前の戦闘で力を消耗していたと思っていたが、今こうして見るからに膨大な力を使っているとなると俺との戦闘ではかなり手加減していたのか……。
潔い引き方、今考えると自らすぐに身を引きたかったようにも受け取れる。それさえ気づけずにいて、宗司朗の事を誤解し理解していなかった自分に苛立ちさえ抱いてしまう。
いくら斬りつけても壁は消えず、斬りつけている感触、手ごたえはあるも壁の漆黒は薄くなってはまた濃くなるの繰り返し。神の力を斬っているには斬っているが、それを上回る膨大な力によって俺の行為は全て無駄に等しくされていた。
「駄目駄目駄目駄目駄目! 駄目なの!」
あざみは漆黒の壁に両手で触れて、漆黒の光を発生させる。
黒い火花が宙に舞い弾かれ、あざみの表情が歪む。
「教えてくれ! これは何なんだ!?」
「黒壁の結界! 自分の力を全て出し切ってこの黒壁内全ての時間を消すつもり! 術者は絶対に入っちゃ駄目なの!」
ならばその結界内にいる宗司朗は、自分で自分の時間を消してしまおうとしている。
止めなければ、でも……どうやって?
「止めなくていいんだよ」
「約束忘れたの? 一緒に歩もうって言ったじゃない!」
「そう……だね。でも、もう僕は君と歩む資格も無くなったんだ」
最初に話を聞いていた時は彼女と、宗司朗の関係はどれほど深いのかは解らなかった。
宗司朗が一方的な愛情を突きつけていた、そんな印象でもあったがこうして二人のやり取りを聞く限りでは、嗚呼――彼女達は愛し合ってるんだな、そう思った。
宗司朗がすぐにこの黒壁の結界とやらを解けば二人はこの先ずっと歩んでいける。
そんな輝かしい二人が望む未来を自ら拒むほど宗司朗の意思は固い。この黒壁の結界のように。
「姉さんを頼むよ」
黒壁の結界が一気に色濃くなる。
「宗司朗!」
空気が震え、風が生じたその瞬間。
「さよなら、あざみさん」
最後に聞こえたのは、宗司朗の声。そして空気が圧縮でもされたかのような轟音が全てを揺るがせた。
気がつけば工場の天井を見ていた。背中には鈍痛、吹き飛ばされた……らしい。
すぐ近くにはあざみが倒れており、俺は立ち上がって彼女の上体を起こした。
「だ、大丈夫?」
「うん、大丈夫……なの」
何事も無く彼女はすっと立ち上がりただただ一点だけを見つめ始める。
そこには何も無かった、丸くコンパスで弧を描いて綺麗に消しゴムで消してしまったように地面も窪みが出来ており近くの機械はこうしてみると左右に二つ、それらの半分は見事に弧を描いて消失。まるでそこに元々球体があったはずなのに消失してしまったかのようだ。
あざみはその窪みの中心へ歩み、膝をついて地面に手を当てた。
何度か擦る仕草をして、手を止める。
まだ、受け止めたくなかった。
そこに誰がいたのかなんて。
「時間を司るといっても、私にはもう戻せない……時間そのものが消失したの」
彼女の肩は震えていた。
「宗司朗……宗司朗……」
彼女は繰り返し、彼の名前を呼んだ。
それは暫く続き、俺は暫くただただ立ち尽くして時間を浪費するしかなかった。
「馬鹿野郎……」
もうこの世に居ない彼へ罵倒。
全部、終わったのだ。
あれから三日後。
今日のニュースは汚職やら交通事故やらで殺人事件とか変死事件などという物騒な事件はまったく起きていない。連続変死事件はこれ以上続きなどしないが、世間はそれを知る由も無く未だに学校側は教師を無意味に巡回させたり、警察側も同じ対応をしている。
ラヴアには全て話したものの、やはり神が関与する事件だ、警察側にはどう説明するべきか検討中らしく近い内に何らかの対処はするらしい。
「冬慈、林檎くれ」
それにしても、とんだ夏休みだ。
三日の内二日はわき腹の打撲が悪化してベッドから起き上がれず、ようやくしてある程度痛みは引いて動けるようになったものの今度はルウの世話で一日を費やしている現在進行形。
両肩、両腕、わき腹、加えて全身打撲もいいとこってくらいに重傷だったルウはこうしてベッドで我儘を言い放題。顎も怪我してれば口数は減っただろうに、残念。いや、残念というのは失礼だがそれくらい今日のルウは我儘なわけで。
それでも病院へは行かずルウ曰く神の力による治癒力でなんとかなるらしいので俺のベッドは占領されている。その隣で林檎の皮むきをして一口サイズへ切ってルウの口元へ差し出す俺。エアコンも常時起動中、どこのお嬢様だよまったく。
「冬慈、もう少し小さめのをくれ」
「……はいはい」
「それは小さすぎだ」
「……わかったわかった」
「そうそう、それくらいだ!」
彼女は一応重症患者、俺は大人しく命令を聞く。
ルウがいなければ精神喰らいとも相手をしていたのだ、そうなれば俺の命は無かったと考えると精神喰らいを倒して重傷を負ってしまった彼女に感謝するが、如何せんもう少し我儘さは控えて欲しいね。
「うむ、美味い。まだ頬が痛むがな、ぐ……顎も少し痛い」
「無理して食べなくてもいいよ、記憶を喰べれば済む話だろ?」
「こうして器へ定期的に食べ物を送り込んでおけば治癒力も上がるのだ」
なるほどね。
ではもう一個。
「うむ、美味い」
よし、もう一個。
「う……む、美味い」
そら、もう一個。
「う……待て」
遠慮は要らない、もりもり食べて早く元気になってくれ。俺はルウの口へ林檎の欠片を詰め込んだ。
「んー!」
ルウの口内は林檎で埋め尽くされてとうとう言葉を発する事も出来ず、ルウの視線は怒気を含むも林檎という防壁が彼女が発したい文句であろう言葉を口内で全て阻む。
「しっかり味わいなよ。俺はちょっと出かけるから、残りの林檎は後でね」
両腕は動かせないためか、両足をばたつかせて不服を訴えるも後回し。
俺は家を出てとある場所へ向かった。
一度しか行ってないがその場所は僅かな時間、僅かな日々ではあったものの思い出の一つとして俺の記憶に根強く、些細な部分でさえ欠落することなく今も鮮明に憶えている。
今日も晴天、肌を刺すようで煮るような陽光も相変わらず。
額に汗が浮き始めて暫しの時間、目的地にようやくして到着。
家を見渡し、二階の窓へ視線を止める。彼の部屋、もうあの部屋には誰もいない。
インターフォンへ指を伸ばすも、寸前で停止。
一体俺は何を求めているのだろう。
彼が迎え入れてくれるはずも無いのに、何をしているのやら……。
もしかしたらインターフォンを押せば彼が扉を開けて笑顔で現れるのでは、そんな叶わない期待を望んでいたのかもしれない。
『入る?』
するとインターフォンから女性の声。
環さんの声だ、窓からでも見ていたのかな。
「あ……」
何を言っていいのやら、それさえも解らず言葉が詰まる。
プツン、と音声が切れる音。
数秒後に玄関の扉が開いた。
「遠慮しなくていいわよ。入りなさい」
軽く会釈をして中へ。
なかなか環さんに言葉を発せず、無言のままついていく。
てっきり居間へ行くのかと思ったが、案内されたのは宗司朗の部屋。以前と何も変わらずそのままの状態だった。ある程度布団にはしわが寄っており、何故そうなっているかなどという余計な詮索はするまい。簡単に想像がつく。
腰を下ろして起動していたエアコンによって涼しい風が漂う空間で暫し心地良い時間が流れる。
以前とまったく同じ場所に座り、環さんも同様に同じ場所に。唯一違うのは、環さんの隣には以前とは違って誰も居ない。それが、今自分の抱いている喪失感を視覚化したようなもの。
「私ね、思い出したの」
環さんは少々顔を俯けて口を開いた。
「何を……ですか?」
「私、もう死んでるのよね?」
問い掛けは、俺も環さんが既に亡くなっている事実を既に知っているという前提での事。俺は無言で首肯した。
「あの子の話は正直信じられなかったわ」
あの子? この事件について彼女に話をした者がいるとすれば時間喰らいのあざみぐらいか。ルウは動けるはずも無いし。
「いえ、信じたくなかった……のかしら」
一般的にこの事件も、環さんの身に起こったものも非現実的。それは信じられるはずも無く、本当だとしても信じたくないのは解る。しかし、全て事実ですとも言えず言葉は何も浮かばず俺は沈黙を続けた。
「夏休み中に騒がれた事件の犯人は宗司朗なのよね」
無言で首肯。
「私を蘇らせたのも、宗司朗なのよね」
再び無言で首肯。
「宗司朗は、本当は行方不明じゃない……のよね」
そこは首肯できなかった、彼女が既に答えを知っていたとしても。
暫しの沈黙。
呼吸さえ辛かった。そんな時間が続く。
「それとね」
環さんは静かに沈黙を破った。
「私、時間喰らいと神約……だったかしら。それをする事になったの」
「え? そう……なんですか?」
それは彼女の意思か、あざみの意思か、どうであれ何故だろう。
「私に注がれた時間はそれほど多くないとかでね、よくわからないけれど放っておくと私は死ぬとかであの子は私が死なないよう補ってくれるらしいの」
なるほどね、あざみは環さんを注がれた時間の消費によって死なせないために神約を促したようだ。
「私にはもう生きる希望も無いのだけれどね……」
「そんな……悲しい事言わないでください」
「大丈夫、一度は死のうとも考えたけれどこれも宗司朗の事をちゃんと理解してあげられなかった私の罪、背負い続けて生きていこうと思うの」
環さんは言下に薄っすらと微笑みを見せた。悲しみを帯びた、微笑みだ。それでも悲しみに押し潰されぬよう背負う覚悟が感じられる。
「今日は……帰ります」
胸が苦しくなる。
「そう、いつでも来て」
宗司朗の事を思い出すと締め付けられるように。
でも環さんは俺よりもずっと辛いはずだから、一人にさせようと思う。玄関を出て数歩、俺は宗司朗の部屋の窓を振り返った。意味など無い、気まぐれを含んだ動作。
帰路に着いて、俺は視線を落としながら重い足取りで只管歩いていた。直ぐに家へ帰る気分にもなれず、遠回り。
ぽつり、と頬に何かが触れた。
水滴、それは空から落ちたもの。太陽が出ているも、小さな雲が視界にはいくつか疎らで見えるほど。天気雨ってところ。
雨が体を徐々に濡らす中、頬には雨とは別の水滴が滴る。
ああ、俺は泣いてるんだ。
頬の水滴に触れて理解する。友を失った悲しみと、あまりにも無力だった自分への悔しさ。それらが混ざり合って溢れ出たような涙。強くなりたい、そんな願望では駄目だ。強くなるという確固たる決意と使命感も持ち合わせなければ。
戦うたびに失っていくものは増えている。
もう誰も失いたくない、守られるより守りたい。
決意を胸に、涙を拭って俺は止まり掛けた足を動かした。
俺もまた、ルウと共に歩みたいから。
「折れないのね、誉めてあげたい」
彼の背中を見つめて溜息混じりの言葉を呟く魔女は、今彼が歩いている歩道左方に建つビルの屋上にいた。まるで雨が降ることなど予測していたかのように傘を差して雨水から身を守り、彼の歩調に合わせて彼女の両足も進む。
魔女が折りたかったのは彼の心。誉めてあげたいとは言いつつも自分が想像していた未来が叶わず傘を握る手には力が込められていた。
「ここ最近、踏んだり蹴ったりってやつだな。コピーキャットはいなくなるわ時間喰らいは別の人間と神約してしまうし精神喰らいは重傷ときたもんだ」
彼女の隣に肩を並べて、いや肩を並べるには身長差があるも兎に角肩を並べて歩いていたスーツ姿の男性は、身長差を考慮して魔女の傘へ入れず雨に打たれながら魔女へ語りかける。
「結果が得られただけ十分よ。今回はコピーキャットの効果を観察するのが主な目的、それ以外は望まないけれど少しは足並みを崩せるとは思ってた」
「がしかし彼は折れなかった、残念」
後半、彼は苦笑いで言い、魔女は鋭い双眸で彼へ視線を送った。
おっと、とでも言いたげに彼は隠し切れぬ笑みを溢しつつも手で口を覆って言葉を慎む。その大人びた容姿とは裏腹に魔女へ冷やかしを含んだ言葉を放つ後に稚気が感じられる慎み方を見ると魔女の怒気は失せてしまった。
魔女は怒気の代わりに溜息をぶつけ、一度止めた歩調を再開。
「重隆、コピーキャットの効果は素晴らしいものだとは思わない?」
「そうだな、あの西尾宗司朗とかいう奴へ“時間喰らいを愛するよう”に心を操作できる感情喰らいの力も完璧に発動させたし、記憶喰らいの力も然り。便利だ、まあどっかに行っちゃったわけだけど」
計画通りだった。
この過程を思い返してみればその一言が結果として現れる、がしかし魔女は素直に笑みを溢さない。
「完璧では無い」
笑みどころか、彼女の表情には険しさが滲み出た。
「計画通りで完璧だったのは“宗司朗が愛する者のために事件を起こして最終的に自害する”までの過程。しかし“愛する者のためなら阻む者は全て殺害する”という感情の植え付けは思い通りにならなかった」
その証拠に彼は生きている。
ならば心が折れてくれればという淡い期待も叶わなかった事で彼女の悔しさは増幅された、彼の背中を見るたびに。
「人間は思い通りにならないっていう事じゃないかい、ほら、強い意志とかさ」
「冗談は貴方の存在くらいにして頂戴」
「お、俺って冗談で存在してるのかい!?」
重隆はさておき、彼の言葉は強ち否定出来ないかもと魔女は顎にその細い指を当てて思考する。容姿は例え少女でも実に大人びた仕草と雰囲気、そして漆黒を基調とした西洋のドレスを着こなす姿が魔女と言われる所以にも繋がっている。
氷で作った眼球をはめ込んだような双眸で彼女は再びはるか下にいる彼の背中へ視線を移す。
宗司朗も、彼も思い通りにはならなかった。
思い出すとまた傘を握る手に力が込められる。まるで遺憾の起爆剤、魔女は視線を戻してこの悪循環を停止。それ以降は見る事も無く、元々彼に攻撃を仕掛ける気も無いため魔女は彼とは正反対の方向へと踵を返した。元々ビルの屋上、わざわざ隣のビルへ飛び移るのも億劫。
「良いのかい? 今なら簡単に始末出来そうだが」
「今回の件で多くの人間に感づかれたから、暫くは従容たる行動でコピーキャットにだけ集中しましょう。それに駒が無い」
「そういや、時間喰らいもいないしね。しかし駒の使い方が荒すぎないかい? 時間喰らいがいれば手広くやれたろうに」
重隆に苦言を呈されるも時間喰らいが手元に居ないのは想定の範囲内。
「コピーキャットを優先したかったから手広くやるつもりも無かったわ。時間喰らいの性格から西尾環と神約をするはず、即ちルウは力の回収が出来ない」
なるほど、と思わず重隆は敬する。興趣すら得られるこの感情、魔女の魅力を感じる瞬間。
敬慕の意をこめて魔女の頭を撫でると、
「やめなさい、馬鹿者」
足の脛に靴の踵で強打されて悶絶。これも魔女の魅力、と強打されつつ重隆は笑みを溢す。
「ルウ……今回は私の負け」
魔女は傘を手前に引いて空を仰いで呟いた。
言い知れぬ敗北感が彼女の眉間にしわを寄せる。
「精神喰らいとの戦闘も鬼門のおかげで干渉できなかったけれど、辺り一帯が夜のように暗くなったのは何か妙な行動は起こしたような気がするね、そうでなければ精神喰らいがあれほどの重傷を負うなんて出来ないしさ」
彼が死んでいないのも敗北感を身に染みさせる一つであるが、それだけではない。ルウが精神喰らいへ何らかの行動によって重傷を負わせたという状況が鬼門によって見れなかった事である。ルウは何か力を隠している、それは魔女にとって既知の事実ではあったが今回その力を確認できる唯一の機会であった。それさえも叶わず魔女はこれといった収穫は何一つ得られなかったために否定できぬ敗北感は隠し切れない。
いっその事ルウの腰巾着である彼を手にかけてしまおうか、一度は見る事を止めた魔女は再び視線を移そうと顔を向けると重隆が阻むように手を伸ばした。
「君から殺意を感じるね、指揮者は指揮棒だけを動かさなきゃ。そうだろう?」
重隆の言葉を聞いてすっと沸きつつある一つの感情――殺気が薄れていく。
魔女は静かに呼吸する。ゆっくりと、一呼吸。
つい先ほど自分の言った事を忘れて、自分らしからぬ行動を取ってしまうところだった。冷静になれ、と自分へ呼びかける。
「そうね、では次のソロは貴方に任せようかしら。コピーキャットは任せるわ、“言術師”には気をつけてね」
「承知」
重隆は内ポケットに手を伸ばして黒のサングラスを取り、それをかけて踵を返すと瞬く間に消える。
さて、と魔女は膝を折って暫し街を見渡す。
西尾宗司朗と時間喰らい、二人を思い出し視線を落とした。
わからない、人間は何故愛する者がいると強くなるのか。そして何故思い通りにならないのか。人間とはまったく未知の存在だ。
彼女は長らく脳内に留まるその疑問が解消できず思い煩う。
「共に歩みたいが故に、など……」
魔女の言葉は雨滴る曇り空へ静かに解けていった。
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです、チェリーです。更新しようと思ったのですがうちのパソコンが重すぎてフリーズしてしまうので新規投稿という形にさせて頂きました。さてさて、次で最終章となるなんていいつつもなぜか6章まで執筆ささってしまいました。まぁなんていうか、5章では治まりきれませんでした、うん。とりま最近は忙しいため前回からの更新も間が空いてしまいましてなんともなんとも、、、これからは色々とやる事もある第四部は書けるか正直不安なところ。うーむ、話は出来てるのですが時間が無くて、、、 ではでは、稚拙な文章ですがどうぞよろしくお願いいたします。チェリーでした。