- 『リヴァー閉塞の少女ー』 作者:藤崎 / SF 未分類
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全角23396.5文字
容量46793 bytes
原稿用紙約70.65枚
リヴァは壁に囲まれた平和な村の中で生まれ、育った。しかし15歳のある日、村に腐敗大地を超えておかしな集団『パーティ・ロレイクス』が現れ……。
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序章
T
コンクリートで押し固められた大地の上を、一台のキャンピング・カーがのんびりと進む。
そのキャンピング・カーは一般的なものとは比べ物にならないほど長く高く、またタイヤが八つも装着されていた。その為か、外観はキャンピング・カーと言うよりかは大型のトラックに近く、独立した運転席のある前部が後部の二階建て居住空間を引いて走る形だった。
外装は、後方の居住空間が木目を連想させる、流れるような濃い飴色で、運転席のある前部は光沢の無い象牙色をしていた。
後部の居住空間の側面には一階、二階共に長方形の窓が片面に四枚ずつ横たわっているのだが、今はレースのカーテンがその全てを覆っていた。しかし、そんな後部の居住空間と扉二枚で繋がり、またその動力を担っている前部の運転席はカーテンを掛ける訳にもいかず、その内部で一人眠たげにハンドルを握る男の姿を映し出していた。
男は三十台半ばで引き締まった体躯をしていた。顔は色白で元を正せば整っているのかも知れないが、少なくとも今は寝起きの様な半開きの瞳に無精ひげを薄っすらと蓄えた口元、無造作に乱れた癖の強い赤髪の影響でその面影を見ることも困難だった。
顔だけでなく服装も地肌に直接オーバーオールを着込み、アクセルを踏む足が裸足という有様だった。
「んん〜、良い天気……ふぁ……昼寝日和だなぁ……」
男はまったりとした口調でそう呟くと真上にあるサンルーフを開いた。すると一気に風が車内に流れ込み、男の乱髪を更に乱す。
見上げた空はまだ春の色彩を残した、色の薄い青色をしていた。その手前を進む雲は随分と低くに見え、手を伸ばせば届きそうな程だった。
男はそんな空を見上げて満足げに微笑むと、今度は視線を真横に向けた。
左右には森が深くまで生い茂り、キャンピング・カーの進む道は森と森の間に細々と開けていた。
男はそれを見て、また微笑む。
こんな光景ばかりを見ていると、男はある事をそそられずには居られない体質なのだ。
「ふぁ……よし、寝……」
「アドラーさん、寝たら駄目ですよぉ」
その声に男はぎょっとした。眠そうに半開きだった瞳がここで初めて全開になる。
男が声のした後方を見やると、そこには後部の居住空間と繋がる重厚な扉をくぐって助手席へと移動する少女の姿があった。
アドラーと呼ばれた運転手の男はその姿を確認すると直ぐにまた眠そうな表情に戻り、助手席に腰掛けた首元でさっぱりと切りそろえられた茶髪が印象的な少女を見た。
少女はまだ十二、三歳程度で、それでもアドラーと比べ何倍もきりりとした顔立ちをしていた。しかし、やはり頬はまだ丸みを帯びて赤く、体型もまだ寸胴だった。
少女の全身は浅黒く焼け、キャミソールの合間からは焼けていない粉雪の様な肌がかすかに覗けた。
「ニーチェ、またボンネットで日光浴かい? ソーラーシステムに日光が届かないからやめておくれよ」
「だってぇ、あたし肌弱いから夏焼くと痛いし……夏よりの春か秋がベストなんですよ」
ニーチェと呼ばれた少女は悪びれた様子も無く答えた。
アドラーは深々と溜息をついた。
「あ〜あ、色気付いちゃって可愛くない」
「うるさいですっ」
刹那、ニーチェはその華奢な体格に似合わない豪腕手刀をアドラーの眉間に落とした。
ごすり、と鈍い音がした。
キャンピング・カーは大きく左右に揺れ、それが止むとまた何事も無かったかの様に道を進む。
「それで、アドラーさん。次のお仕事する街はまだ着かないんですかぁ?」
「……そーですねー、お姫様。一日はかかりますよ。ここらへんは森の侵食が酷くって」
答えるアドラーの眉間から額にかけては、一本の真っ赤な痕が付いていた。
「そろそろ新鮮な包帯が切れるから、どこかで買いたいんですけどぉ」
「そうだねぇ〜、そう言う仕事柄だから」
ニーチェは肩を竦めた。
「誰も怪我しないのなら、買わないでも済むのですけどねぇ」
「そうだねぇ〜、そう言う仕事柄だから」
「ですよね〜。いつも無傷なのなんて、セシルお姉様くらいですよぉ。ルクレジオさんなんていっつも怪我ばっか。死なないのは不思議なくらい」
「そうだね〜、そう言う仕事柄だから」
「アドラーさん……ちゃんと聞いてますかぁ?」
「そうだね〜、そう言う仕事柄だから」
アドラーの眉間に二本目の赤い痕が付いた。
「あわわっ」
男は手に持ったティーポットを落とさない様に両手で押さえて揺れを凌ぐと、ほっと一息ついてそれを卓上に置いた。
男は二十代前半かまだ十代後半の外見だった。顔立ちは至って柔和で、整えられたブロンドと、女性と比較しても長い、ブロンドと同色のまつ毛が乗った大きな瞳が印象的だった。体は小柄ながらも引き締まっており今はそれを純白のワイシャツとチェックのズボンに収めていた。そして、そんな男の腰には二丁の短銃が茶色い革のホルスターに納められた状態で、さも当然の様に提げられていた。
「アドラーさん、今日はよく揺れますね」
男は戸惑った様に、運転席に繋がる扉を見た。
「また居眠り運転ですかね? それを心配してニーチェが行ったのに」
男は振り返りながら呟いた。が、その声に反応する人はいなかった。
それを知って、男は寂しげに辺りを見回した。
キャンピング・カーの後部は殆ど一軒家と変わらない構造をしていた。
運転席に繋がる扉の前には床に足が固定されたテーブルが置かれ、その左右には、五人は座れる長いソファがそれぞれ一つずつ設置されている。
ソファの左側には本を読む、眼鏡を掛けた女性が一人腰掛け、右側のソファは屈強な体躯の大男が一人で寝そべって占領していた。
ソファの先にはオーブンの備え付けられた簡易キッチンが設けられ、その隣にある背の高い冷蔵庫の前には、たった今そこからアイスを取り出して食べようとしている二人の女性の姿があった。その二人は、全く同じ顔をしていた。
キッチンの対面には二階へと続く階段があり、突き当たりにはユニットバスへと続くスモーク張りのガラス戸があった。
この一階には男を除いて四人の人が居る訳だが、その誰もが男を相手にする気は無いらしく、まるで無視を決め込んで各々の作業に没頭していた。
男は寂しげにそんな人々の顔を一人ずつ丁寧に凝視した。誰も目すらも合わせなかった。
「…………今、パイを焼いてるんで、そろそろおやつにしようと思うんですけど……皆さ」
刹那、四人の面々が一斉に男を凝視した。
「頂くわ」「食う」「食べて上げる〜」「食べて上げる〜」
それだけ即答すると、四人はまた何事も無かったかの様に各々の作業に戻った。
「………………ルクレジオさんとヘンドリックさんを呼んできます」
わなわなと握り拳を震わせ、男は二階に続く階段に向かい歩き出した。
「あ、ダージリン」
「なんですか?」
しかし、その途中で男は名前を呼ばれ足を止めた。男の尋ねる声は嬉しさに満ちていた。
男を呼び止めたのは今まで読書に没頭していた女性だった。
女性は眼鏡を外すと、静かに男を見上げた。どうやら眼鏡は読書の時のみ掛けるらしい。
その女性は二十代で、落ち着きのある雰囲気と少しだけ鋭い灰色の瞳、それと同色の長髪が印象的だった。体は強弱の激しい――出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる――つくりで、それでも本人はそれを誇示する気は無いらしく、ロゴ入りのティーシャツと段染めのロングスカートにそれを収めていた。
「二階に行くのなら、師匠からライフルを借りてきてくれる? 今夜は野宿でしょうから、兎の一匹でも狩らないと」
「はい、セシル。それなら今夜はボルシチを作りますよ。サワークリームが余ってますから」
若干物騒な要望にもダージリンは色良く答えると早足で二階へと駆け上がって行った。
二階には十個の個室が左右五個ずつ中央の道を挟んで規則正しく並び、奥には共同の洗濯機の姿があった。
二階の殆どを埋め尽くす個室は、一部屋四畳半しかない小部屋なのだが常に他人と顔を見合わせて生活しているここでは、たった一箇所のプライベートが存在する空間だった。
ダージリンは洗濯機下の籠の中に洗濯物が放り込まれていない事を確認すると、表情を綻ばせて左手奥にある部屋の扉をノックした。
「……いいぞ」
微かに返ってきた男の声を確認すると、ダージリンは入室した。
その部屋はとても殺風景で、ベッドとテーブルと椅子、幾つかの短銃、火薬類が置いてあるだけだった。あとの荷物は全て隅にある段ボール箱にしまわれていた。
そんな部屋の中央で、一つのテーブルを挟んで二人の男が椅子に腰掛けていた。
チェスの試合の真っ最中だった。
「そろそろ、おやつかの? どれ、直ぐに終わらせるか」
ダージリンの姿を見てそう呟いたのは、もう七十か八十近い老人だった。ヒゲも髪も真っ白で生まれつき漆黒の肌をした老人の顔と不思議とよく調和がとれていた。老人は恰幅が良く、シャツの腹回りが若干苦しそうだった。
「ヘンドリックさん。別に急がなくてもいいですよ」
ダージリンは老人にそう声を掛けた。するとヘンドリックと呼ばれた老人は微笑を返し、チェスの駒を一つ前に進める。
「チェック……ワシは、坊やの作る菓子が大好きでな」
「あ、ありがとうございます」
ダージリンはその言葉を純粋に喜んで、ヘンドリックに礼を言った。
一方で渋い顔を見せるのは、そんなヘンドリックと対戦する若い男だった。
男は二十代で、白でも黒でもない、その中間くらいの黄色に近い肌をしていた。異様に顎先が細く、鋭いと感じるほど真っ直ぐな黒髪と細い瞳がそれに似合っていた。体は引き締まってこそいるが肉付きは悪く、顔立ちの事もあって華奢そうにさえ見えた。そんな体を今は、ゆとりのあるズボンとタンクトップに収めていた。
男は左手人差し指でテーブルをとんとんと叩きながらチェス盤を穴があくほど見つめていた。そんな姿を見て、ヘンドリックは自慢げに煙草をふかすと、それを灰皿に置いた。
「さぁて、どうする? ルクレジオ」
「…………」
老人の問いかけに男は答えなかった。かわりにテーブルを叩く人差し指の力が強くなっていた。するとその振動で、三人が気付かないうちに灰皿の上の煙草が滑り落ち、ルクレジオの左手の甲に乗った。すぐに煙草はその表面を焦がし燻るが、それに真っ先に気付いたのはルクレジオ本人ではなかった。
「ル、ルクレジオさん! 手! 手!」
狼狽したダージリンの声で、ルクレジオはようやく左手に乗った煙草に気付いた。
「……しまった……」
小さく呟き、ルクレジオは煙草を灰皿に戻した。
ルクレジオの左手には円形の真っ黒な焦げ痕が残っていた。
「相変わらず、大変じゃのぉ」
ヘンドリックが煙草の火を灰皿の底に押し当てながら言った。
「私は良い。ただ……ニーチェが怒る」
ルクレジオは淡々と駒を進めた。
「心配しとるんじゃよ……チェック・メイト」
ルクレジオは盤全体を見渡すと、観念した様子でヘンドリックに小さく一礼した。
ダージリンがヘンドリックからライフルを借り、三人で一階に下りてみると、そこには運転手のアドラーを除くメンバー全員となる五人がソファに集まり、ダージリンを――おやつを――まっていた。
阿呆なダージリンは感激に目を潤わせ、そそくさとおやつの準備を進めた。
「お〜やつ〜、る〜るる〜」
セシルの腕に抱きつきながら歌うニーチェのみょうちくりんな歌が最高潮に達した頃、ようやくダージリンお手製のアップルパイが焼きあがった。
その頃にはアドラーも運転を一休みし、ソファで紅茶をすすっていた。
ダージリンが皿にアップルパイを切り分け始めると、それを見たある男が不満げに声を漏らした。
「またアップルパイかよ。甘すぎんだよな」
その男はさっきまでソファを占領していた大男だった。
大男は三十歳前後で、このキャンピング・カーで生活する人々の中でも一際目立った体躯をしていた。もともと身長も高く、その上に全身は木の幹の様に太く硬い。顔立ちもその体格から想像を裏切らない厳つさで、瞳は獅子の様に精悍だった。
「大丈夫ですよ、グレイさん。今回のは甘さ控えめですから」
「そうかよ。おめぇは相変わらず器用だな」
グレイと呼ばれた大男は、その言葉で直ぐに納得した様子でソファの背凭れにその巨体を預けた。
「グレイの図太い指じゃ絶対に出来ない芸当だね」
「そうだね。時々、剣の柄だって握り潰しそうだもんね」
不意にそんな言葉を浴びせられ、不満げにグレイはその声が聞こえた方を凝視した。
そこには、同じ顔をした女二人がソファに腰掛けていた。
「リュオウネ、アロラウネ……はぁ、どうにもお前等が相手だと調子狂っちまうんだよな」
「私達の台詞だよね」「私達の台詞だよね」
「うるせえっ!」
声を荒げたグレイに、二人はくすくすと笑いを零した。
この双子の女達は二十歳前後で、顔立ちは愛らしく、悪戯っぽい瞳は常に微笑んでいる様だった。ただ、余りに互いに似すぎているのを気にしているのか、リュオウネと呼ばれる方は髪を一つに束ね、アロラウネと呼ばれる方は髪を二つに束ねていた。しかし二人とも服装は統一してヘソ出しのピンストライプのティーシャツと明るい柄のガーゴパンツだった。
「はい、皆さん。お待たせしました。アップルパイです」
八人が腰掛けるソファの間にあるテーブルに、ダージリンが切り分けたアップルパイを置いた。
計九人の老若男女は皆等しくアップルパイを頬張った。この九人が揃って何か同じ事をすると言うのは、このおやつの時間以外、稀だった。
「あたし、甘いのが食べたいですぅ」
少女ニーチェは甘さ控えめのアップルパイにやや不満気味の様子だった。
「そうね、ニーチェには少し苦いかしら?」
メンテナンスを終えたライフルを壁に立て掛けながら、アップルパイを口に運ぶセシル。
「お姉様、子ども扱いしないで下さいよっ」
拗ねたニーチェだが、その頭をセシルが優しく撫でてやると、直ぐにまた表情を綻ばせた。
「なぁにが、お姉様だ。血も繋がってねぇくせに」
そんな光景にすかさず突っ込んだのはグレイだった。
「うるさいですよ、グレイさん! あたし達は心で繋がってるのですよ〜、だ!」
「ああ、そうかよ。精々、仲良くなり過ぎてそれ以上の繋がりを持たないように気ぃつけな。な、セシル」
グレイの言わんとしている事を察し、セシルは眼光を鋭くした。
「グレイ。そう言う冗談は感心しないわね」
「感心する冗談があるなら教えて欲しいもんだ」
「最低」
「知ったことかよ」
「ほらほらっ、セシルもグレイさんも! そんな事でいちいち喧嘩しないで下さいよ」
「ダージリン、間に入ると怪我するよ」「ダージリン、間に入ると怪我するよ」
セシルとグレイの仲介に入ろうとしたダージリンを、リュオウネとアロラウネはそう声を揃えて引っ張り、二人の間に座り込ませた。
「はい、ダージリン。あ〜ん」「はい、ダージリン。あ〜ん」
「ちょ、ちょっと二人と、むぐぅ……」
左右からアップルパイを詰め込まれ、それ以上なにも言えなくなったダージリンだった。
「平和だねぇ」
蚊帳の外から眺めるアドラーが紅茶片手に呟いた。
「良い事だ」
ルクレジオが頷いた。
「今回の仕事も、無血でとはいきそうに無いからのぉ」
ヘンドリックが寂しげに呟いた。
「さぁて、この先はいよいよ腐敗大地だから、気合いを入れなきゃねぇ」
そう言うとアドラーはカップの中の紅茶を一気に飲み干した。
U
先生はいつも通りの笑顔で、外を指さすと言った。
「一昔前までは、森や山なども空と一緒に『美しい物』の一つに数えられていたんだ」
その言葉に、クラスのあちこちで小さなざわめきが起こる。
場所は村唯一の学校。教室は木造で、酷く古ぼけた上に隙間風のせいで中々に寒かった。それでも六歳から十五歳までの二十人弱の生徒達は『授業を受ける時、帽子やコートを身に着けているのは失礼な事である』と教えられているので誰一人として防寒具を纏っている人は居ない。
それにしても……。
私は小さな溜息をついた。私は今年で十五歳になった一番年上の生徒だが、その扱いは既に生徒なんかでは無かった。
「センセー。どうして昔の人は森がこわくなかったの?」
一人の幼い生徒が、無垢な質問を教卓の上の先生に投げかける。すると、中年の痩せた先生は私の方を向きながら言った。
「近くのお姉さんに聞いてごらん」
ほぅら、来た。
すぐに先生に質問を投げた筈のちびっ子が、その球筋を急速に逸らし、私に向ける。これが学校ではすっかり定番となった私に対する扱いだ。
「ねー、ねー」
私は頬杖を付いて、渋々ちびっ子の一人に説明を始めた。直ぐに数人が集まってきた。その間、先生は十歳から上の子供達の集まりの方に行って、他の授業を教えていた。
先生も生徒も不足し、この学校では常にこんな風に幼稚園と学校が混ぜこぜになった状態だった。しかも授業は殆ど基礎的な事しか習えず、私くらいになる頃には、同じ授業を五回は聞いた事があった。たった今の話も十回は聞いた記憶がある。だから、その応答もほぼ完成されていた。
「少し前はね、世界に森なんて殆ど無かったの。シティみたいな高いビルがずーと続いててね。だから森とか山なんて殆ど見たことが無かったんだよ」
皆が不思議そうな顔をする。それはそうだろう。シティすらも本でしか見た事の無いこの子達に延々と続くビルを想像しろと言っても無茶な事なのだから。
「だけどっ、そんなに沢山のビルがあって、それ全部を守る壁を造るのって凄く大変だよね?」
「ううん。昔の森は今みたいじゃなかったからね。一度切ればもう二度と生えては来なかったんだよ。だから昔は、逆に森が足りなくなって、人間が木を植えてたんだから」
え〜っ、と驚きの声が一斉に上がった。この声を聞くと『話して良かった』と思えるのは、やっぱり父さんの言うように私には教師の才能があると言うことの表れなのだろうか。
「そのまま、森をなくしちゃえば良かったのに」
そう呟いた子の頭を、私は苦笑しながら撫でた。
「それは駄目。森は、人間の命を守り続けていてくれてるの。森がなくっちゃ、私達は生きることができないんだよ。昔も今も」
釈然としない表情のその子に、私は『きっと分かる時がくるから』とだけ言った。ただ、その機会が無作為に訪れることが無いことは、森の大切さを本で知った私が一番よく知っていた。
私の名前はリヴァ。さっきも言ったけど、今年で十五歳。外見を説明するのは難しいけど、とりあえず、同い年の三人の男子には皆、告白された。ま、同い年の女子が私しかいなかったのが主な原因でしょうけど。髪は癖っ毛で、ブロンドなんて言い方より、小麦色の髪、と言ったほうが妥当な気がする。長さは肩に掛かるか掛からないか位でずっと維持してる。目の色は茶。告白してきた三人の内の一人は、これを見て『穏やかに世間を見下した様で、素敵』とかほざいた。もう出稼ぎに出てしまったけど、緊張するとなんでも口走ってしまう奴だった。あまり参考にはならないかな? 父さんはそれを聞いて『言いえて妙だな』とか言ってたけど。ちなみに私は鉄拳制裁推奨派。それと女に手を上げる男が大嫌い。……えぇと、身長は中の下くらい。胸は……また例の同級生の告白文句だけど『君の性格によく合った造りだと思う』……ほっとけ! ちなみにそんな告白文句を実につらつらと吐いた男は、顔に沢山の青あざを作って去っていきましたとさ。告白して来たの、出稼ぎに出る前日だったんだよねぇ。まぁ、そんな訳で、胸とかお尻とか股下の長さとか、そう言うのはご想像にお任せします。あ、でも肌の白さと綺麗さは自信ある。と言うのも私の家は訳あって巨大で、毎朝、良い香料を混ぜた水で顔を洗ったりしてる。私は意外と物臭なところがあるけど、これは毎日続けてる。昔、父さんに言われた『毎日続ければ、きっと母さんみたいな美人になれるぞ』って言葉が未だに尾を引いてるのかも知れない。
「毎度すまないね、リヴァ」
授業後、先生は笑ってそう言った。この人は常に顔に笑顔がへばり付いている様だった。別に嫌な感じのする笑顔ではないけど。
「まだ、人は増やせないんですか? 先生」
「うん……先生なんて、なかなか気軽にできるボランティアじゃないからね。無償で人に物事を教えようと思う人は少ないよ」
「そうですね」
私達の村の学校は、既に国の管轄から外れてしまっていた。そもそも私達の村『アースル』はシティとを繋ぐ道を一年前に森に分断されてからは完全に国から放置された状態で、教育に悩んだ大人達が出した結論の一つの形が、学校を無償のボランティア機関に変える事だった。先生は、開校した十年前から今に至るまで常に一人。人も物資も交流が無いアースルでは人員を村外から呼び寄せることも難しく、先行きが危ぶまれていた。
「それでは私は、用事があるので」
私がからかい半分で優雅に一礼すると、
「ほどほどにね」
と言う先生の声が、苦笑交じりに聞こえた。
村の中には勿論、一本の木も無い。芝や背の低い花だけが目の保養に残され、他の植物は全て村を囲う十メートルの壁の向こうだ。壁には十数人の国から派遣された兵士がいるが、彼らはシティへの道の遮断と共にここへ取り残されていた。国からの連絡も無く、給料も途絶え、しかし徒歩でシティに帰るにはリスクが高く、仕方なくここで村民の施しを受けそのお礼に壁の守護を続けていた。そんな関係のお陰か、この村の村民と兵士は仲が良かった。
私が今向かっているのは、まさにそんな兵士達が勤務している門と寝泊りする小屋がある村の東端だった。
枯れた細道を挟むように小さな煉瓦の家が点在し、四角い煙突からは昼餉を報せる白煙を上げていた。先生は働きながら先生をしている。だから午後には仕事をしなければならず、学校は朝早くに始まり、昼には終わってしまうのだ。
ある家の前を通った時、不意にふわふわの毛をした大型犬に私は吠えられた。けど、それは私の気を引こうとする行為で、私はそれに慣れていたので笑顔だけ返した。すると今度はその家から一人のおばさんが出てきて、私を見るなりすぐに微笑した。
「あら、まぁ。リヴァ。またそんな格好でこんなところを」
私の格好? おかしいな。ちゃんとスカートをはいてるし、上だってごく普通のタンクトップのはずだ。
「勤勉の裏でそんな事ばっかりやってるんだから、村長も気を抜けないわね」
「あっ」
言われて、私は始めておばさんが何に笑っているのか気付いた。スカートの上から短剣の柄がひょっこり顔を出していたのだ。短剣はスカートで隠した短パンにベルトで固定していた。
「まずいまずい」
慌てて私は柄をスカートの中に押し込むと、ぎこちない笑顔でおばあさんを見た。
「父さんには内緒で……ね?」
ウインクとかしてみると、
「あらあら、気色悪い媚び方するねぇ」
と失笑された。
「うるさ〜いっ!」
私が憤慨しておばあさんに詰め寄ると、呼応する様に『わん!』と声が聞こえ、刹那に大型犬プッチに押し潰された。
「はぁ……酷い目にあった……」
雌犬の癖にやたら人を押し倒したがる好色犬プッチを押し退け、ようやく私は息を切らせながら壁前の兵士が寝泊りする小屋に辿り着いた。
小屋は正方形の簡単なもので、寝れるのは六人が限度だ。その間、他の兵士は東西南北の門に設置されたやぐらか、厚意から村民の家で眠らせてもらう。どっちが寝心地良いかはその人次第だろう。
私はそんな小屋に向かって意気揚々と歩を進めたが、その途中である光景が見えたのでそれ以上近寄るのをやめた。
そこには若い女性と顔を極端に寄せ合って会話する男の姿があった。
その男こそ私が探していた、守兵の小隊長ウルウス・ヴァレットさんだった。
ウルウスさんは三十八歳。態度には歳相応の落ち着きがあるものの、かなりのプレイボーイだ。顔は細いが体は筋肉質で、それと都会風な振る舞いを武器にアースルの田舎っ子達を次々に引っ掛けていた。ただ、彼は遊びと本気にしっかりと境界を引いていて公言もしているらしく、彼との付き合いで傷心した女性は見た事が無かった。遊びが終わった後でも一方的に恋焦がれる女性は多いが。
「それじゃ、楽しかったよ。私は仕事に戻らなくては」
そう言うとウルウスさんは私の目の前で、あっさりと女性の額を啄ばみ、別れを告げた。
私は冷めた目でウルウスさんを眺めた。いつもの事とは言え、本当に『元気』な人だ。服装も兵士の格好とは思えない、ダメージ加工の施されたワイルドなジーパンに、至る所に飾りのチャックが取り付けられた、都会を思わせる上着を着ていた。
「やぁ、ご令嬢。またわざわざ私に会いに?」
「いいえ。剣術を盗みに」
即答すると、やれやれとウルウスさんは大きな素振りで落胆して見せた。それでも直ぐに剣を取ると、稽古を始めてくれた。
いつも通りの事だった。スカートを脱いで短パンとタンクトップの格好になると、小ぶりの剣を皆で振るい、ウルウスさんが他では見せない険しい顔付きで指導し、時には叱咤する。私と非番だった三人の兵士が参加し、二時間みっちりと剣術を学んだ。剣を振っている間は無心になれと言われた私だが、私はいつも何か没頭している時こそ他の事を考えてしまう癖があるようだった。そう言えば読書の時も、そこから得た内容から想像で話を二転三転させてしまうことがたまにある。
いつまで、この生活が続くのだろう?
私の今日の考え事は、そんな考えてもなんの意味も無いことだった。
シティと分断されて一年。もともと金銭の流通が弱かったアースルでは自給自足の生活でこれまで困ったところは殆ど無いが、軍の流通まで途絶えてしまうと森の侵略を防げる保障は無い。ウルウスさんにそれを臭わす仕草は無いにしろ、いつかは森に壁を突破されてしまう気がする。そうすれば、森と共に巨大な肉食獣達が押し寄せて、村はおしまい。私はこんな事は全部、本で読んで知った事だけで、ウルウスさんに森の実体を聞くと要領を得ない。だからこそ、怖い。こうして考えを巡らせてしまう。なんとか、道を戻さなくちゃ。中央軍はこんな村、すっかり放棄しちゃってるし……なんとか、私達だけで。
一度考えを切り、私は剣を振るった。粒状の汗が飛び、冷たい地面に染みを作る。
ここまではいつも考えが巡った。だけど、その先はまるで未曽有で本の知識も役に立たず考えが滞っていた。それに平和すぎる日常が、私の知識を遥かに凌駕する安息感を与えてしまっていた。
もしかしたら、この生活はずっと続いてくれるのだろうか。
考えながら、また剣を振るう。切れが無かったのか、ウルウスさんがこっちを一瞥した。
いけない。せっかく教えて貰ってるのに。頑張らなくちゃ。
気合を入れ、私は心に無を描いた。そして剣を振り上げる。その時だった――。
「小隊長」
妙に上擦った声が、私の集中を妨げた。
気付くと、いつも西側の門を警護している髭づらの兵士が息を切らせてウルウスさんに駆け寄っていた。
「どうした?」
稽古の険しさそのままの調子でウルウスさんが尋ねる。
「西の……腐敗大地から一台の車がっ。今、検問にかけています」
私は耳を疑った。同じくウルウスさんも。
「直ぐに行く。まだ入れるな」
ウルウスさんと兵達が駆け出し、釣られる様に私も短パンの格好のまま駆け出した。
V
腐敗大地……それは森の侵略に手を焼いた人間の、最強最悪の対処だった。それは名称そのままで、大地に毒を撒き、全ての植物がそこに生きられないようにしてしまうのだ。それで森は死んだが、残ったのは紫がかった大地と木々や、動物の死骸だった。腐敗大地の毒は強力で、その砂塵が目に入れば失明し、多量を飲めば絶命する脅威の地と化してしまったのだ。結果、そこには植物も人も残らない腐った土地だけが残った。
そこを超えて人が、車がこの村を訪れた。なんのために?
私は微かな期待と妙な不安を覚えながら、西の門に向かった。
アースルの村はそれほど広くは無い。東端から西端の距離でも一時間も走ればつく。私は体を目一杯酷使して四十分分ちょっとで西端の門に着いたが、ウルウスさんは直ぐに私の視界から消えたと思うと、三十分足らずで着いてしまっていた。
西端の門は既に開かれていて、トラックの様に大きなキヤンピング・カーがウルウスさんを始めとする兵士達に取り囲まれていた。
「リヴァ?」
息を整えながら車に近づくと、不意に私は呼び止められた。声の方を見ると、そこには少し腹の出た中年の男が立っていた。私には嫌なほど記憶にある顔だ。
「父さん。どうしてここに?」
ダーニク・アイルトン。その中年男は紛れも無い私の父だった。
「またお前はそんな格好で……お客人が到着した様でね。出迎えにと思ったんだが」
私の短パン姿に一瞬驚いた父さんだったが、あきれた様に肩を竦めると、父さんは緊張した面持ちのウルウスさんを見た。どうやら近づけさせても貰えないらしい。
「お客人て……あの大きな車は父さんが呼んだの?」
「ああ、そうさ。前にも話しただろう? 私達の家にある電子端末は未だにシティからの電波をキャッチし続けていると。それで、少し思い当たるところにコンタクトをね」
「あの車に乗ってる人達って……何者? 腐敗大地を通って来るなんて……」
長大なキャンピング・カーには沢山の窓があったが、その全てにカーテンが掛けられていて中の状態は分からなかった。ドライバーもウルウスさんの背に隠れて見えない。
すると、父さんは言った。
「彼等は【パーティー・ロレイクス】。非合法の何でも屋さ」
唖然とする私に、
「この村は検問に何時間かける気だ!?」
途轍もない怒号が車内から響いた。
父さんは村長で、形から入りたがる性格もあって家はとても広い。私と父と使用人の三人しか住んでいないのに、その大きさは村外れのトウモロコシ畑と同じかそれ以上になる。今までその広さを不便としか思わなかった私だが今、初めてその広さが役に立っている。
「まさか、本当に来てくれるとは」
恐縮する父さんの前には、九人の老若男女の姿があった。柄の悪い大男や随分とスタイルの良い女性、私より年下に見える少女や杖をつく老人など、その顔ぶれは奇妙以外のなにものでもなかった。なにより彼らは――。
「いいえ、ご依頼ありがとうございます」「あ〜、検問の野朗……」「喉渇いたぁ」「…………」「お金は準備出来てる?」「お金は準備出来てる?」「柔らかいソファじゃのぉ」「長閑なところですね」「昼寝し易そうだねぇ」
……まるで集団としての統一性が無かった。
私と父さんは【パーティー・ロレイクス】と言う巨大キャンピング・カーで訪れた一団を村の真ん中にある家に案内すると、その庭先に車を停めてもらって、二十人は座れるソファが並べられたリビングに通していた。
そんな九人と対峙する様に、反対のソファには父さんと私と、険しい表情のウルウスさんが腰掛けていた。
残りの兵士達は車の見張りを指示されたのだが、ちらりと外を見ると、見た事も無い巨大なキャンピング・カーに子供たちが群がり随分と四苦八苦していた。
「あの、できればリーダーの方だけとお話がしたいのですけど」
九人が口々に好きなことを話し続ける集団に、痺れを切らせて私が言った。すると急に九人は押し黙って、やがて一番体格の良い男が口を開いた。
「……生憎、俺達にリーダーはいねぇ。ただ対話・交渉役の人員は居る」
リーダーがいない? その不自然な事の理由を尋ねようと私が口を開こうとすると、それを遮る様にロレイクスの面々が無言で動き始めた。ソファの端でぺちゃくちゃと喋っていた二人の女性が私達の対面に移動してきた。
その二人は常に微笑しているような顔をした、顔立ちのそっくりな双子だった。年齢はまだ二十歳前後だろう。身長も体型も、私より立派だった。まぁ、年の差があるしこれは仕方が無い事だ。
「それで、話が纏まるまで俺達はどこに居ればいい?」
ソファを立った男が、父さんでなく私に尋ねた。きっと、大人ぶって可愛げの無いガキが。とか思ってるに違いない。ここで屈してなるものか。
「二階にお部屋が幾つかあります。そこでお待ち頂けますか?」
にこりと眩しい笑顔で私は即答した。男は私をまじまじと見つめると、やがてリビングの出口に向かいながら尋ねた。
「嬢ちゃん、名前は?」
「リヴァです」
「そうか、俺はグレイだ。適当に村を散歩させて貰う」
急に挨拶を交わすと、男を先頭に双子の女子以外の全員がリビングを後にした。
私は思わず溜息をついた。グレイと名乗った男は酷く威圧的で、目を合わせているだけで息が詰まってしまいそうだったのだ。
「リヴァ。余計な事をしちゃいかんぞ」
父さんが直ぐに私を嗜めたが、私の意識は既に目の前で陽気な振る舞いを見せる双子の女子に移っていた。
「よろしくね〜、リヴァちゃん」「よろしくね〜、リヴァちゃん」
声を揃えて二人は私に挨拶した。私が笑みを返すと楽しそうに握手を求めてきたので私は、先ず髪を一つに束ねた女子の手と握手した。
「私はリュオウネ」
次に髪二つに束ねた女子とも握手をした。
「私はアロラウネ」
リュオウネとアロラウネと名乗った二人は愛想も良く、グレイとか言う大男とはまるで違う印象を受けた。流石は対話・交渉役と言ったところだろうか。
リュオウネとアロラウネは父さんとも同様に挨拶を交わし、ウルウスさんにもそれを求めたが、明らかに苛立って見えるウルウスさんがそれを拒むと、小さく苦笑してソファに腰掛け笑顔を消した。交渉が始まるのだと思った。
私は父さんがどうして彼女らを呼んだのかも知らないので、しばらく黙っている事にした。
私が黙しているのを確認して漸く、父さんが口を開く。
「それではリュオウネさん、アロラウネさん。メールを読んで頂いたとは思いますが、もう一度、話の趣旨を説明したいと思います」
「どぞ」
リュオウネが使用人の出した茶に手を伸ばしながら言った。
「腐敗大地から来られたのでご存知とは思いますが、この村アースルはシティとの道を森に飲まれ、一年前から孤立状態にあります。もともと自給自足の生活を営んでいた私達はそれでも今まで何とかやって来ましたが、それも長くは持たないようです」
長くは持たない? 何があったのか尋ねようとする私より先に、ウルウスさんが言った。
「ダーニク殿。こんな得体の知れない者達に話す事では無いと思います」
辛辣な言葉に父さんは思わず目を見開いたが、リュオウネとアロラウネは失笑にも近い笑みを浮かべて飄々と言った。
「ここ、木の根に大分侵略されてるよね? 壁が押し上げられて少し傾いてたもん」
リュオウネの言葉にウルウスさんは眉を顰める。
「それに、猛獣に時々襲われてるでしょ? 壁とか、近くの木々に真新しい傷とか血痕があったよ。兵士さんにも怪我してる人がいたし」
アロラウネの言葉に、ウルウスさんは机を叩いて答えた。
「出過ぎた事を言うな。ここは私の守る村だ」
ウルウスさんの言葉にリュオウネとアロラウネは口を閉じたが、父さんもウルウスさんも二人の言葉を否定はしなかった。
沈黙が、現状を肯定していた。
森の侵略? 猛獣の襲撃?
考えさえ巡らなかった驚きの事態に次々とぶつかり私は押し黙っているのに限界を感じた。私は弾かれた様に立ち上がると、父さんとウルウスさんを見た。
「二人とも……そんな事を今までずっと隠してたの? どうして……私は、ずっと不安で、考えてたのに……っ」
「リヴァ……出てるんだ」
泣き出しかけていた私に、ウルウスさんは冷酷な言葉を吐いた。その言葉が、私の崩れかけた神経を悪戯に逆撫でた。
「これ以上、のけ者にしないでっ!」
憤然として、私は地団駄を踏んだ。いつも仲良くしてくれてると思ったのに、なんの隠し事も無い親子だと思ってたのに……裏切られた!
私の心は怒りと悲しみでぐちゃぐちゃだった。体を震わせ、呼吸と心拍ばかりが前に出てそれ以上の言葉は出なかった。そして無言で立ち尽くす私に、目を伏せたウルウスさんがとどめの一言を放った。
「リヴァ。出ていろ」
私は、瞳から一滴の涙が零れ出たのと同時に走り出した。きっと呼び止めてくれるだろうと思っていた父さんも一瞬、私の方に手を伸ばそうとしただけで結局、私が家を飛び出すのを無言で見届けた。
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私は家を飛び出すと、行くあても無くただ人気の無いところを探して走り続けた。
こんな疎外感は初めてだった。父さんはいつも私を第一に考えていてくれて、村の皆も兵士の人達も私に優しくしてくれた。さっきの一瞬で、その全部が崩れ去ってしまった様だった。なにより、予想以上に深刻な村の状況がショックだった。森の侵略、猛獣の襲撃。これからなんらかの対処を施して間に合うレベルなのだろうか? 考えれば考えるほど恐怖が増し、またその対処法に私が参加できない悲しみが込み上げてきた。今すぐ絶叫を上げて泣き崩れたかった。ただ父譲りで、形を気にする私の本質がそれを寸前で拒んでいた。
どれくらい走っただろうか? 剣の稽古を受け、東端から西端を全力で駆け抜けた体が遂に悲鳴を上げ、私は一面に芝の生い茂った広場に寝転んだ。
私の荒い息だけが耳に届いた。
空は、私の悲しみや憤りの全てを飲み込んでくれそうなほど深く青かった。私はそれを見て、また体の底から涙が滲み出て来ているのを感じた。それが溢れ出るのを拒んで、私は目を閉じた。
真っ暗闇の世界で、私は温もりを感じた。柔らかな日差しと、それに暖められた春風だ。
どれくらいの間そうしていただろう?
春の微かな日光をこんなにも意識して浴びたのは初めてだった。走り続きで疲弊した体から噴出した汗は芝を撫でる風に曝され、何時の間にか乾いていた。呼吸が整った頃、私の口は小さく開くと、
「どうして……隠してたの……」
そう呟いていた。
「お前に、心配を掛けたく無かったんだろ」
その腹に響く声は、突如、私の頭上から降り注がれた。
驚いて私が跳ね起きると、そこには天を衝く様な大男が立っていた。
「貴方は確か……」
私が唖然としていると、大男は面倒くさそうに頭を掻き散らし私の前にしゃがみ込んだ。
「パーティー・ロレイクスのグレイだ」
そう。それはさっき私の家で少しだけ会話を交わした酷く威圧的な男だった。
「グレイさん、ですか。今なんて?」
私が尋ねると、グレイさんはその鋭い双眸で私を直視した。
「だから、あのウルウスって野朗の事だよ。態度は気にくわねぇが……優しい野郎じゃねぇか」
「どうして、そんな事が言えるの?」
「アイツに似たのが、俺等の中にも居てな。正直じゃねぇ癖に気ばっかり遣いやがる」
グレイさんは一切笑顔を見せなかった。常に面倒臭そうな、または威圧的な顔で真っ直ぐに私達の目を睨む。
「でも……私は追い出されました」
「お前の動揺が予想を越えてたんだろ。だからこうやって整理の時間を与えた。お前みたいな頭の良い奴は、予想外の出来事に対する対処に時間がかかんのさ」
「…………」
私は閉口せざるを得なかった。そうして私が押し黙っていると、不意にグレイさんが笑い出した。顔に似合わず爽快な笑いだった。
「グレイ……さん?」
「頭が良い、ってのは否定しないのな。お前」
「あっ」
はっとする私を見て、もう一度グレイさんは笑った。
「あのウルウスって野朗も、今頃後悔してると思うぜ。ああいう奴に限ってお人よしだったりするからな」
グレイさんの真っ直ぐな視線を受けながら、私も笑みを零した。
「グレイさん、人を見るのが得意なんですね」
「ま、長々と旅してりゃあな」
「……ここみたいな村も沢山見てきたんですか?」
「ああ。ここよりも、もっと酷いところも。既に侵略されてるのにも気付かずにのうのうと暮らしてるところもな」
グレイさんは平然と言う。しかし、
「…………」
私がそれに沈黙すると、何かに焦った様に
「ここはマシな方だぜ? なにせ村を取り仕切る一族と兵士がしっかりしてる」
と付け足した。
「そうですか」
もう一度笑って、私は立ち上がった。
空は橙色に染まりつつあった。
「グレイさん。私の家に行きましょう。私もあの話し合いに参加したいです」
するとグレイさんは笑みを消して、私を見上げた。
「また追い出されたら?」
私は少し考えてから、にこりと笑った。
「その時は武力行使で追い出されない様に、護衛としてグレイさんを雇います」
爽快で、良く通る笑い声が夕暮れの村に響いた。
X
戻った私とグレイさんにウルウスさんも父さんもそれ程驚きは見せず、私が『話し合いに参加していい?』と尋ねると、暫く黙ってから『大人しくしていられるのなら』とだけウルウスさんが答えた。予想以上にあっけなかった反応に、私は拍子抜けしたがグレイさんはさも当然の様に私を見て微笑した。
その後ウルウスさんは四方に散った兵士達を呼び寄せた。それからパーティー・ロレイクスの全員もグレイさんが呼びに行き、あっと言う間に私の家に二十二人の人間が集まった。極長ソファが一杯に埋まったのは初めての事だった。
「さて、事態は急を要する」
そこで最初に開口したのは父さんだった。珍しく落ち着いて力強い、長らしい喋り方だった。
「私とウルウス殿は前々からここ、アースルの存亡を危惧しその打開策を考えていた。しかし妙案も浮かばず、殆ど途方に暮れていた。そして私はウルウス殿にも話さずに……それを説明するだけの可能性も無いと思っていたのだが……パーティー・ロレイクスへと信号を送った。そして今に至るのだ」
「おっちゃん、かっくい〜ぃ!」
ここで冷やかしを入れたのはリュオウネだった。アロラウネも口に出さないまでも笑みを浮かべているのを見ると、どうやら二人は父さんの本当の性格を見抜いている様だった。形だけの村長演説がよっぽど面白かったのだろう。
「リュオウネ。黙りなさい」
すると、灰色の目と髪をした、清楚なロレイクスの女性がぴしゃりとリュオウネの軽口を嗜めた。部が悪いと思ったのかリュオウネは渋々黙ってアロラウネに意味も無く寄り添った。
「こほん……森の侵入、猛獣の襲来と問題は多々あるが、私とウルウス殿、そしてそこのリュオウネとアロラウネとの話し合いで、まずは村内に侵入している木の根の殲滅と壁の強化が必要だと言う事になった」
ウルウスさんが何も言わないところを見ると、パーティー・ロレイクスの関与を渋々だが承諾した様だった。
「けど、どうやって?」
「二人の話によると、西の腐敗大地を二時間ほど車で走ったところに、放棄された工場群があるらしい。そこで、多少のリスクは伴うものの、そこから金属類を集めて壁の強化に当てる。木の根の殲滅は……今のところ、毎日壁下で根を切り落とすしか手が無い」
「……それを、延々と続けるの?」
私の言葉を受け、父さんが苦虫を噛み潰した様な顔で押し黙る。すると変わってリュオウネが厳しい調子で言った。
「ううん、半年だよ。それが私達の最長契約期間だもん」
頑なな言葉だった。私もそれ以上は言葉が続かなかった。
「シティの援助があれば……」
搾り出すように誰かが言った。
「シティみたいに遮断溝を設置できれば、森の脅威は無くなるのに」
遮断溝……それはシティの科学者が発明した植物の嫌う音波を発生させる装置だった。シティはその装置を、街を覆う壁の真下と、各町へと続く主要道に設置する事で森の侵入を防いでいた。
「いや、他にも手はある」
今まで黙していたウルウスさんが静かに言葉を放つ。
「シティへの道に毒を撒き、一度腐敗大地にしてしまうんだ。それからその上をコンクリートで固め、腐敗大地を閉じ込める」
それは私の知らない方法だった。
「それは……安全なんですか?」
「必ずとは言えない。しかし、田舎町の連携は殆どこの方法だし、近くに腐敗大地もあるから毒の運搬もそれほど苦労しないと思う」
「それなら、どうしてシティは直ぐにそれをしないんですか?」
私の問いかけに、ウルウスさんは溜息を付いた。
「それが一番の問題だが……コンクリートなんかの人造石ってのは今、殆ど無いんだ。輸入方法も私は分からないし、さっきリュウオウネ達にも聞いてみたが……」
「さっぱりだよ」
リュオウネの言葉に、皆一様に落胆した。一瞬にして空気が重くなった。
「まあまあっ! 兎に角! 今は壁の補強と木の根をアースルに立ち入らせない事が先決です。そうしている間は、アースルはこのままでいられるのですからっ!」
焦ったのか、父さんが普段どおりの口調でそう言い放つと、皆、気を取り直そうとし、大げさな動作で頷いて見せた。
私達の戦いが始まった。
外界
T
柔らかな朝日が優しく私を包み込み、私は緩やかに目覚めた。しかし、毛布の中でもぞもぞと寝返りを打つと、優雅な二度寝を目論んでもう一度目を閉じた。
どうせ学校の時間になったら父さんが起こしに来るし……。
熱の籠った毛布から足を投げ出しながら、私は意識の彼方に再び……。
「リヴァさん、リヴァさん」
その声は、私が最もイラッとする瞬間を知っているかの様なタイミングで発せられた。
……誰? 私の二度寝を絶妙のタイミングで妨害するアホンダラは?
私は目を閉じたまま拳に力を込める。
「リヴァさんてば」
その時、温かい掌が肩に触れ、小さく私を左右に揺すり始めた。
宣戦布告も甚だしいわっ!
私は即座に飛び起きると、快眠を妨げる悪漢のみぞおちへ一心不乱に鉄拳を打ち込んだ。
「うきゅっ!?」
へぇ、良い声で鳴くじゃない。
なんて事を考えながら、私はみぞおちに拳を突っ込んだまま悪漢に顔を寄せた。
「い、痛いです……」
するとそこには、燦燦と輝く金色の短髪を携えた、一瞬女性と見間違うほど華奢な少年の姿があった。あ、少年と言っても間違いなく私より年上だけど。
私は若干戸惑った。てっきり、いつもの様に使用人か父さんが起こしに来たのだと思っていたのだ。
「え〜っと……誰?」
私が訪ねると、美少年は殆ど涙目になって答えた。
「ごめんなさい……僕……ロレイクスのダージリンて言います……」
ロレイクス! 私はその言葉にはっとして、即座にダージリンと名乗った美少年のみぞおちから鉄拳を引き抜いた。既に鉄拳を炸裂させてから十数秒が経っていたのだが。
「あの……」
「おはよう、ダージリン!」
私はダージリンの言葉をかき消し、ここ数年で一番元気の良い挨拶をした。びっくりしてダージリンが『あ、はい』と思わず言葉を返してきた。
「貴方はロレイクスでどんな仕事を任されてるの?」
取り敢えず、流れに逆らえない人である様なので鉄拳の事実をかき消す為に適当な話を切り出した。
「はぁ……僕は、今はまだ見習いです。グレイさんやセシルさんに戦術を教えて貰っています」
「それじゃあ、普段はなにもしないの?」
「う〜ん……あ、でも、ご飯や洗濯や掃除は僕がやってますよ? 好きですし」
要するに主夫って事ね。なんだか性格と良く似合ってる。
「じゃあ、女の子にモーニングコールしてあげるのも貴方の好きで?」
途端にダージリンは両手と顔をぱたぱたと左右に振った。
「い、いいえっ。そんなっ……僕はただ、朝食を温かい内に食べて貰おうと思って……」
可愛い。ふとそう思った時には、私はダージリンの頭を撫でていた。私はこれでも十五歳で、ダージリンは二十歳位なのに。その割にダージリンはなんの抵抗も無くただ、くすぐったそうに微笑を零しただけだった。
「分かった。直ぐ行く」
「はい」
ダージンは弾んだ声で応えると、楽しそうに私の部屋を出て行った。
本当に、一体ロレイクスってどんな集団なんだろ? ふとこれまで会った面々を思い出しながら私は思った。
「ま、家事に苦労する事は無さそうだけどね」
私は朝日の照る窓ガラスに向かって大きく伸びを打つと、寝巻きのまま部屋を出た。
事態が急変して、私の朝はちょっぴり素敵になった気がした。それが今は嬉しかった。
食卓は九人が囲み、私が顔を出すと適当に挨拶して来て、それから朝食を取り始めた。私のところの使用人とダージリンはまだ調理場にいて何かを話していた。
私はさっき洗面所で洗ったばかりで、まだ水滴の残る顔を、寝巻きをたくし上げて拭きながら父さんの隣の席に座った。
「おはよう、リヴァ。その拭き方はやめなさい。おへそが見えるから」
「おはよう、父さん。毎日、顔よりも先におへそを見てるからって、私の顔間違えないでね」
私はいつも通りの挨拶を交わすと、寝巻きを下ろして静かに辺りを見回した。
そこには何日も前からそうであるかの様に、ロレイクスの面々が朝食をとっていた。
「あ、お嬢さん。ジャムとって下さいな」
私の対面に座っているオーバーオールの男が私の目の前にある苺ジャムを見ながら言った。
「はい……え〜と」
「俺はアドラーね」
「はい、アドラーさん」
「ども」
アドラーと言う人は赤い髪と眠そうな目をした、空気の柔らかい人だった。
朝食は焼き直した食パンとサラダと、チーズとチョコレートの、二つのケーキだった。二つのケーキ? 一瞬戸惑った私だったが、奥でなにやら意気投合しているダージリンと使用人の姿を見て、私はすぐに察した。ダージリンが持ち込んだ食材を使って二人でそれぞれケーキを作って腕比べをしたのだ。
私は苦笑を漏らしながらチョコレートの方のケーキにフォークを挿した。
朝なんだから、もうちょっと勝負するものを考えても良いのに……あ、おいしい。
シティとの交流が途絶えてからは自給自足の生活もあって、菓子類を口にする機会は殆どなかった。もともと、それ程甘いものが好きではなかった私だけど、こうして久しぶりに食べると途轍もなく美味しく感じるのだから不思議だ。
私が夢中でケーキの一つを平らげると、空になった皿の上に不意にもう一つのチョコレートケーキが置かれた。
「?」
顔を上げると、仏頂面のグレイさんが立っていた。新たに置かれたケーキはグレイさんのだった。
「私に気があるんで……」
がすっ!
刹那にグレイさんの厳つい拳が私の脳天を叩いた。
「俺は甘いのが嫌いなんだよ。食えるんなら黙って食っとけ」
相変わらずの鋭い視線を放ちながらそう言うと、グレイさんは大雑把な足取りで元の席へと戻って行った。
その途中で双子ちゃんがここぞとばかりにグレイさんにちょっかいを出し、怒鳴り散らされていた。
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私の家は何度も言うが、無駄に大きい。主となるリビングには二十人は座れるソファの群れ、キッチンはそれなりとしても食卓もまた二十人一斉に腰掛けられる長方形のものである。ただし、大きさにこだわったせいで、それぞれの品は安物ばかりで、床と壁には所々継ぎ接ぎがあったりする。決して高級な家では無いのだ。二階は客室になっていて四人部屋が五つ並んでいる。これも使用人が毎日掃除してくれているのだが、造りはボロい。本当に広さだけが取り得の家なのだ。ま、田舎の村長の家なのだから、見得を張ってもこれが限界なのだろう。しかしそんな家が今、少しだけ小さく見える。原因は、他でもないロレイクスが乗ってきたキャンピング・カーだ。
私の家の庭先に停めてあったその存在を忘れて外に出た私は、あと少しで腰を抜かすところだった。昨日は慌ただしくてあまり車に近寄ったりもしなかったが、それはまるで動く家だった。高さは私の二倍以上もあって、長さは私の家の広大な庭からはみ出してしまう程だった。更に聞いた話によると、車内にはユニットバス、キッチン、小さな個室まであるらしい。
兎に角、私は乗ってみたい衝動に駆られていた。
「リヴァ、話し合いを始めるぞ?」
父さんに呼ばれ、私は後ろ髪を引かれながらも車に背を向けた。
そこにはウルウス達兵士も加わっていて、また二十二人の団体と化していた。
「それで、工場群には誰が行こうか?」
グレイさんがそう言うよりも早く、ロレイクスの一人が車の運転席に向かっていた。
「俺は決定だしょ?」
未だに顔から眠気が抜けないアドラーさんだった。
アドラーさんが運転手って……不安。
率直にそう思った私だったが、それは伏せておいた。話し合いが進む。
「あまり大勢で行くと金属を積めなくなっちゃいますからね。アドラーさんを含めて四人くらいが良いんじゃないですか?」
「そうね、それも防毒マスクをしたまま重い金属を何度も運び回れる体力自慢が」
するとウルウスさんは小さく頷いて、兵士二人の背を叩いた。
「私達は防毒マスクを装着状態での訓練も重ねていた。その内で特に体力がある二人を出そう」
「なら、あとは俺が行く」
グレイさんが言うと、ロレイクスの面々は勿論、兵士達も一切の反対を言わなかった。グレイさんの巨大な体躯は兵士達と比べても抜きん出ていたのだ。
うぅ……機会を見て『私も乗る』って言おうと思ってたのに、この面々は……私、邪魔かな……?
私が思い悩んでいる内にスラスラと事は流れ、選抜された三人がアドラーさんを追って次々と車に乗り込んでいた。
「それでは、残りは村民と一緒に木の根の切除を」
ど、どうしようっ。今回は見送り!? 私が慌て始めたころ、不意に一人の女性が口を開いた。
それはロレイクスの女性陣の中で一番年上に見える灰色の髪と目をした綺麗な人だった。
「ごめんなさい、私、できれば狩りに出たいのだけど」
その言葉に、皆耳を疑った。その女性は銃や剣なんかよりも本の方が良く似合うお淑やかな印象だったのだ。それでも直ぐにウルウスさんが驚き以外の言葉を返した。
「なんで今なんだ?」
「だって私達九人が半年も生活をするのよ? 食料を恵み続けて貰うのは厳しいんじゃないかしら? それに、私やニーチェは根を切る斧なんて殆ど振れないし」
そして女性は、ここに来てから一時も女性の傍を離れない小さな少女の頭を撫でた。
「あたしは、どっちだってお姉様と一緒なら大丈夫ですけどねぇ」
ニーチェと言う少女は、そう言って女性に笑いかけた。お姉様と呼んでいたが、その肌は浅黒く髪も茶色で全く血の繋がりを感じなかった。
「しかし、女性二人で狩りなんてできるのか? 森には猛獣もいるぞ?」
「深入りはしないもの。大丈夫よ、私は狙撃手だから。それにニーチェは薬草の採取が得意で、いざとなったら獣除けの香だって焚けるわ」
そして美麗な女性はウルウスさんに微笑みかけると、ニーチェの手を引いて歩き出そうとした。
「しかし……」
それでもウルウスさんが呼び止めようとすると、女性は観念した様に溜息をつき、振り返って言った。
「ルクレジオ。来て頂戴」
女性が呼んだのは、ここに来てから殆ど言葉を発していない長身痩躯の男だった。
女性の呼びかけにルクレジオと呼ばれた男は無言で頷いて応えた。
「これでいいわね? ここを襲ってるって言う猛獣の規模も無理しない程度に調べてくるわ」
それでようやくウルウスさんも、渋々だが許可した。
三人が……壁の外に行く。獣を狩りに。
それは私には考えられないほど斬新な事だった。それもそうだろう。孤立してから門は閉ざされっぱなしで、獣の肉もほとんど口にしていなかったのだから。外の状況を知る術も無かった。それがこのタイミングで可能になる。私は好奇心を擽られっぱなしだった。
そして、さっき機会を逃したこともあって、私の好奇心は理性を押し退けてしまった。
「わ、私も連れて行って下さいっ!」
言ってすぐに、辺りの空気が冷たくなったのを感じた。
「リヴァ! 馬鹿なことを言うんじゃない!」
すぐに青くなった父さんが声を荒げた。ただ、私も言ってしまった以上は折れる気はさらさら無かった。
「私、この村の状態をしっかり把握しておきたいのっ! それに毎晩押し寄せるって言う獣達も! これって変なこと? 馬鹿なこと!? 私は、もう自分だけ状況を把握していない様な事になりたくないのっ!」
我ながら上手い言葉だと思った。そしてそれは着実に父さんを絶句へと追い込み、拒絶の言葉を封じた。
後は、ロレイクスの三人に許可を貰うだけだと思った。そして三人の方を見ると、美麗な女性がすぐに私に近づいてきた。
「リヴァ、だったわね。武器はなにか使えるの?」
「剣を」
即答すると後ろで、ウルウスさんの「まだ実戦じゃ無理だ」と言う、呻くような声が聞こえた。
「残念ながら、猛獣に剣で太刀打ちは出来ないの。銃だって下手をすれば命に関わるわ」
女性の言葉に、ウルウスさんと父さんは安堵の息を漏らしていた。私は落胆と悔しさで、精一杯女性を睨み上げた。
すると、予想もしていなかった女性の優しい微笑が返ってきた。
「だから、私かルクレジオの傍を離れない様に」
「な、アンタッ! 本気でリヴァちゃんを連れて行く気か!?」
すぐにウルウスさんが声を上げた。
「ええ。この子、逞しいもの」
それ以上、女性はウルウスさんに発言させず、私に直るとその灰色の長髪を束ねながら言った。
「私はセシル。よろしくね、リヴァ」
私は気合を入れて、叫ぶように返事をした。
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2010/03/05(Fri)02:23:53 公開 / 藤崎
■この作品の著作権は藤崎さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
序章のW、Xと外界のT、Uを纏めて投稿させて頂きました。
ようやくヒロイン候補のダージリンとリヴァが出会えたので、徐々にシリアスになりながらも小ネタを挟められたら嬉しいと思います。