- 『幸運の神様』 作者:もげきち / リアル・現代 ホラー
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全角10443文字
容量20886 bytes
原稿用紙約31.15枚
幸運の神様で皆ハッピー、とかそんな感じだったら良いのにね。という感じの話です。
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笠取山に布引(ぬのびき)様のお屋敷がみえるじゃろ? ほれ、あの山ん中に見える大きな大きなお屋敷じゃ。ここら榊原のもんは、あのお屋敷の事を〈幸運の神様が住むお屋敷〉と言うとるんやけどな、何でかいうとやな、ほんまに〈幸運の神様〉が住んどるからなんや。布引様の家は常にいっとう栄え、病気も事故もありゃせん。いつまでもいつまでも神様に守られとるんやからな。
風格ある大きなお屋敷の前に小学校の授業が終わったのだろう、赤いランドセルを背負った小柄な少女――このお屋敷の家主である布引柾谷(ぬのびきまさや)の一人娘、布引天音(あまね)が玄関の扉の前に静かに立っていた。
天音は暫く扉の前で何をする訳でもなく無言で立っていたのだが――暫くすると天音の帰宅にやっと気づいたのだろう、ガラガラという音と共に使用人の白髪交じりの男が扉を開けた。
彼は天音の姿を確認すると、天音に向かい丁寧なお辞儀をし、迎え入れる。
「天音お嬢様お帰りなさいませ」
「はい、松田。ただいま戻りました」
天音も使用人の男、松田に深々と頭を下げる。そのまま顔を上げた天音の幼い顔には能面のような作られた笑顔が張り付いていた。
「ではお嬢様、本日も――」
二人が玄関に入ると、松田はゆっくりと扉を閉め、何かを確認するように口を開き天音を見る。
それはいつもの約束事だった。
「はい。私、布引天音は本日も決められた務めのみを果たし、それ以外は一切手出し致しません。望みません。また、私の部屋から以後一切出ない事を誓います」
「はい、宜しいですぞ。くれぐれもお破りなさらぬように」
「はい」
「では、この度は私、松田めが誓いを確認しました。旦那様も奥様も天音様に期待されております故、本日もくれぐれも粗相の無いようにお願いします」
「はい。お心遣い誠にありがとうございます」
異様としか思えない誓いを天音から聞き、松田は満足そうに大きく頷いた。
「……ふう」
自分の部屋に入ってから天音は大きく一つ息を吐いた。
そして、やっと自由な時間を手に入れたと自然な笑顔を見せた。
「ああもう……やっぱり、窮屈ねー」
言いながら両腕を力いっぱい伸ばして伸びをする。
「ま、しょうがないけどさ」
天音は元々布引家の本来の子供ではなかった。彼女は養女として、幸運の神様が住まうとされる布引家に迎えられているのだ。
――それはもう2年前の事だった。
それまでの天音は捨て子として、両親も知らないまま日向園(ひなたえん)という孤児院にいた。
彼女はそこで多くの同じ境遇を持つ仲間達と今では考えられない生活……『泥だらけにになって遊びまわったり』『おもちゃを取り合って喧嘩をしたり』と、子供として当たり前の事を当たり前に楽しんで、長い時期を過ごしていたのだ。
しかしある日、日向園に布引家の家人が訪れ、天音は養女として相応しいと見初められると、園長以下皆がもろ手を挙げて喜んでくれている中――名家布引家に天音自身も望んで引き取られて今に至るのだ。
布引家に入ってからの天音には、名家――とりわけ『幸運の神様が住まう屋敷』という神秘的な伝承のある家系だけあってしきたりが多く、窮屈そのものの生活が待っていた。
何をするにも制限を受け、自由の全く無い生活を送り続ける日々。
しかし天音は始めこそ、このとてつもない重圧に苦しんだものの、今の自分はとても幸せだと思っていた。
あのまま孤児院に居たら、確かに自由はあったかも知れないが、それだけだ。
こんなに他者に羨ましがられる生活は得られないであろう事は幼いながらに十二分に解っていた。それに天音自身、彼女が養子を組まれる4年前に、仲の良かった一人の女の子が先に凄いお金持ちと言われる家に養子に入ったと聞いた時は、表面では祝福しながらも、本当に羨ましく思い「なんで私じゃないの」と妬みや嫉妬で気持ちがいっぱいになっていたのもある。
それが今や、自分も同じ立場、いやもしかしたらそれ以上の場所に立つ事が出来ているのだ。不平不満よりも、寧ろ彼女はそれが嬉しくて仕方が無いようだった。
「これくらいの窮屈さなんてどうってこと無いわよ」
だからこそ耐えられる。
それに――と天音は思った。
私は毎日毎日美味しいものが食べられる。
ここから出られないとは言え十分過ぎる広い部屋を貰っている。何よりお父様もお母様も私にとても優しく、私が望むものを何でも与えてくれるのだ。これ以上望むものがあるだろうか。いやきっと無いだろう。
「それに、神様に会うと怖いし……」
そして、天音が外に出ようとしない理由がもう一つあった。
それはこの屋敷に関わる全ての人に言い聞かされている伝承――
『布引家に関わる者が許し無く勝手に出ると幸運の神様に遭ってしまい、出会った人間は必ず死んでしまう』
という、不可思議な話の所以であった。
何故幸運の神様に出会ったら死んでしまうのか。名前とは間逆の伝承を天音は不気味に思いつつも、強迫観念となり外に出たいと言う意識を抑制しているのだった。
――しかし、天音が頑なに外に出ようとせずともそれは突然やってきた。
ある晩、襖を叩く乾いた音が聞こえ
「はい?」
と、天音が返事を返した瞬間、襖がばっと開き「見つけた!」と見知らぬ少女が飛び込んできたのだ。
「え? えええっ? 貴方はだれ?」
突然目の前に飛び込んできた少女に、天音は目を丸くしながら尋ねた。
白く清潔そうな和服を着た痩せぎすなおかっぱの少女は、天音を見つめながら「えへへ」と軽く笑って髪をぽりぽりと掻いていた。
外にあまり出ない子なのだろうか、露出した細い腕や足は異様に真っ白で、病的に天音の目に映った。
「あの……本当にどなたですか? それに何故私の事をご存知なのですか? 御答え頂けないと、申し訳御座いませんが人を呼ぶことになってしまうのですが……」
ただでさえ警戒の厳しい布引家。突然見も知らぬ少女が現れるはずは――無い。
――きっと、お養父様かお養母様の知り合いのお子さんなんだわ。
少女に動揺を隠し、気丈に問いかけながらも、天音は都合良くそう思った。
だがしかし、少女からの答えは天音の想像の範疇を超えたものだった。
少女は天音の問いにぶんぶんと首を横に振ると
「ううん、違う。私はね幸運の神様。大事な用で天音ちゃんに会いにきたの」
と、あっけらかんと答えたのだ。
「――え?」
天音の目が驚きで大きく見開かれる。
頭に少女の言った幸運の神様という言葉が大きく響き渡った。
「うそ……」
おかっぱの少女から目を離せないまま言葉が漏れる。
一瞬の恐怖。
でも、天音には少女の言葉が信じられる訳が無かった。
それはそうである。痩せぎすで見ているだけで痛々しさを感じる身体に不健康な青白い肌。どれだけ好意的に見ようとしたとしても、幸運の神様という名前とは掛け離れた……寧ろ疫病神のような姿なのだから当然だった。
「もー、嘘じゃないよー。って言っても仕方ないか……。このままじゃ天音ちゃんが信じてくれない事くらい私だってちゃんと解ってる」
しかし天音の疑いの眼差しをまともに受けながら少女はきっぱりと答えた。
少女の言葉に天音もこくりと頷く。
「ま、それに私もそんなに抜けていられないから先に私が本当に幸運の神様だって証明をまず今日はしておくね」
「証明?」
「うん、証明。良い? ちゃんと聞いてね。明日天音ちゃんのお養父さんが「宝くじが当たった」って報告を上機嫌でしてくるわ。当たるのは1等賞」
「そんな……宝くじが当たるなんて、夢みたいな事……ある訳ないじゃない!」
天音は呆れた表情を浮かべた。
馬鹿馬鹿しい。この見知らぬ子は悪ふざけでこんな事をやっているのだ。だからこそ、当たる筈も無い事を適当に言って私をからかっているのだ。天音は確信した。
「うん、そうそう。当然信じてないよね? だからこそこれが当たれば天音ちゃん信じてくれるでしょ?」
「……そりゃね」
しかし、天音の思いとは間逆の――当たる事を確信しているような迷いの無い少女の念の押し方に、天音は渋々と頷いた。
「はい! じゃあ、約束。今日は私もう戻らないといけないから、明日、またお話しようね。あ、そうそうそれと……これは大事な事なんだけど、私と会った事は絶対に、絶対に屋敷の人には言わないでね。絶対だよ!」
「え? あ、うん。解った。明日の結果を見るまでは誰にも言わない」
嘘だって解ったらすぐにでも皆に言ってやるんだから。天音は内心思っていた。
「むー絶対言っちゃ駄目だからね! じゃ突然押しかけてごめんね。また明日」
少女は言うや否や、すっと身体を翻し、開いたままだった襖から外に出た。ただその出方は少し不自然で、天音にはまるで何かに引っ張られるような動きに見えた。
「あ、待って――」
違和感を感じ、慌てて後を追いかけて廊下を覗いた天音だったが、見回す薄暗い廊下に少女の姿は既に無かった。
少女はまるで煙のように消えてしまっていたのだ。
「え……」
――幸運の神様を見た人は必ず死ぬ
少女が消えるように居なくなった事実を確認した天音の脳裏に、あの伝承が浮かぶ。その得体の知れない恐怖が、ザワリと全身を駆け巡った。
そして次の日。少女の言っていた予言は現実となった。
上機嫌の柾谷が「買った宝くじが当たっていたぞ! しかも一等だ!」と上機嫌で廊下を大股に音を立てて歩きながら使用人達に報告していたのを部屋越しに天音は聞いてしまったのだ。
「え? ……そんな……本当に? うそ……」
――事実になってしまった……。
昨夜の少女との会話の内容を思い出し、みるみるうちに天音の表情は凍りつき、固まってしまう。偶然では有り得ない出来事だった。
信じられない事が真実として起こってしまったのだ。
「いや、流石は布引家の当主。幸運を引き寄せられる術を心得られておりますな」
使用人たちが口々に柾谷を褒めちぎっている声が聞こえる。
――これは……やっぱりお養父様に言うべきかしら?
間もなく自分の部屋にも報告に訪れるであろう柾谷に、約束を破って昨日の少女の事を話すべきか天音は考えていた。
しかし、その考えは無駄に終わった。
柾谷の大きな笑い声は、天音の部屋の前を素通りし、奥へと消え去って言ったのだ。
「え? ……お養父……さま……? 何故私には報告をなさらないのですか……」
愕然とした天音の声が空悲しく響いた。
「ね、私の言った通りでしょ?」
得意気な顔をして再び幸運の神様を名乗る少女が天音の部屋を尋ねてきたのは夜になってからの事であった。しかし、当の天音の表情は昨日に比べてあからさまに硬く、何かに怯えている様子だった。
「あれ? 天音ちゃん? どうしたの?」
天音の様子に心配した表情で少女が近づき、天音の肩に触れようとする。
「触らないでっ!」
――が、天音は力いっぱい跳ね除けた。
「あ……ごめん」
驚いた表情で腕を引っ込め後ろに下がる少女。その表情はひどく傷ついているようにも見えた。しかし、自分の事で精一杯の天音は、少女の表情に気付く事無く、怯えた表情で肩を震わせ泣き始めた。
「ど、どうしたの? 天音ちゃん?」
「私……私、死んじゃうの?」
少女の約束が当たった時からずっと天音の心の奥を支配していた言葉が漏れる。そのまま押さえ込んでいた不安と恐怖の感情が濁流のように押し寄せ、天音は激しい嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。
「え?」
天音の様子に少女は驚きの声を上げる。
「え……知っているの? どうして?」
少女の声に、天音はハッと顔を上げた。そのまま、震える声で呟く。
「やっぱり……あなた――幸運の神様に私が会ってしまったから?」
少女は、その問いに納得した表情を浮かべ、大きく首を横に振った。
「ああ、そうか。思い出したわ。この屋敷の者達に、私に――幸運の神様に会ったら死ぬって言われてたのね。ううん、大丈夫。安心して。それは違うわ」
少女は腰を落とし、ゆっくりと天音に顔を近づけ優しい声で話しかけた。
「え? 違う……の?」
天音の問いに、少女は優しく頷く。
「逆よ。私は――天音ちゃん。貴方を助けにきたの。天音ちゃん、早くここから逃げるのよ!」
――一体全体、どうして私が逃げなくてはならないのだろうか? 目の前で懸命に語りかけてくる少女の話が、天音にはまるで他人事のように聞こえてきた。
「どうして? どうして私が逃げなきゃいけないの? 私はこの布引家の一人娘なのよ。跡取りなのよ? そんな簡単に出られる訳が無いじゃない!」
少女の言葉に冗談では無い! と天音は思った。折角こんな名家に養女として迎え入れられ、多少は窮屈ながらも優雅な毎日を送っているというのに。
今更ここから幸運の神様に言われたからと逃げ出して、もし日向園に戻ったとしたら『ああ、なんだ……あの子やっぱり駄目だったんだ』と皆に表では哀れみの目で見られ、裏では『ざまーみろだ』と嘲笑されるだろう。……そんな惨めな姿になる事など絶対に耐えられない。想像するだけで吐き気がする。
「大体お養父様やお養母様が許さないわ! 私に期待し、大変良くして下さるお二人を裏切って逃げるなんてとんでもない!」
震える唇を噛み締め天音は言い放った。そのまま「元凶はあなたよ!」と少女を厳しく睨み付ける。
「…………」
見上げた少女は、天音を憐れむような深い悲しみを湛えた瞳でじっと見ていた。
「な……なんとか言いなさいよっ!」
その瞳に無性に居心地が悪く感じ、思わず天音は怒鳴ってしまう。すると、少女は天音を見つめゆっくりと口を開いた。
「本当に、大事にされていると思う?」
「――え?」
「本当に天音ちゃんは屋敷の人々に愛されていると思っているの?」
「それは……」
少女に問い詰められ、天音は答えに窮してしまった。
養父の事も引っかかった。
「私は愛されている」と断言出来なかった。
確かに欲しいものを言えばなんでも買ってもらった、食べたいものがあれば言えばなんでも用意してくれた。でも……それだけでしかなく、それ以上の事――学校のことや、家族での会話が今思えば養女として迎えられてから一切無かった。ただただ約束事を守らされているだけだった。
家族の時間など一度も無かった。私はいつも帰ってきたら監視の中、一人で閉じ込められているだけだった。
「あ……れ?」
嫌な予感が胸の中いっぱいに広がる。
もしかしたら私は約束事を守る代わりに、まるでペットに餌でも与える感覚で与えられていただけではないのだろうか?
――じゃあ、お養父様やお養母様は何故そんな事を? 天音は息苦しさを感じた。
「……天音ちゃん。もし、私の事を信じてくれているなら、真実を教えてあげる。天音ちゃんがここから逃げなくてはならない理由も、何もかもを。天音ちゃんが私にならないように……もう時間が無いの」
「え? どういう――」
振り向いた先で天音は目を見開いた。
少女がふわりと宙に浮いていたのだ。しかし少女の顔は苦痛に歪み、何かに強制的に引きずられるようにずるずると外へ出ようとしていた。
「あ……あああ……ああ……」
「ごめんね、今日も……時間がもう無いみたい。ちょっと無理しちゃった……あのね、天音ちゃん、もしこの屋敷の約束を破る勇気が出たら、当主の部屋に誰にも見つからないように入って。そこの掛け軸の裏の隠し部屋に……私が――本当の私がいるから……会いに……」
少女は苦しそうに呻きながらも必死に言葉を紡ぎ、苦痛の中無理やり天音に笑顔を向け――最後は天音の見ている目の前でフッと姿を消した。
「う……そ……」
ありえない現象をまざまざと見せ付けられた天音は脱力し、へなへなと座り込んでしまった。身体中からぞわぞわと寒気を感じ、抑え込むように両手で力強くぎゅっと身体を抱きしめる――も震えは依然として止まらなかった。
天音は幸運の神様に会ってしまったこの二日で、今までの日常だった事が、何がなんだか解らなくなっていた。ただ一つだけはっきりと解った事は、この布引家には、何か自分にとって良くない隠し事がある……という事だった。
――天音ちゃんが私にならないように。
そうはっきりと少女は言っていた。あの哀しそうな瞳は、嘘はついていないと天音は思った。
そして、今までしきたりだからと言い聞かせ、自分に納得させていた事への疑問の数々。思えば不自然な事ばかりだった。
「確認しなきゃ――絶対に」
天音は、震える身体を押さえつけ、はっきりとそう呟いた。
何も疑問に持つことも無く、従い、与えられるだけの日々から、天音は今日決別する覚悟を――決めた。
チャンスは意外と早くやってきた。
あれから3日後、天音は自室に入った後、暫くすると襖を静かに開けて外に出た。
あれから今日まで一度も少女は現れなかった。時間が無いと言っていた事も何か関連しているのだろう。急がないと、と天音は思った。
常に自分が監視されていると思っていたのは、布引家に入った時の印象だったのだろう。この日が来るまでの二日間、使用 人の監視がどれくらい続いているのかを注意深く観察していたのだが、彼らは天音が自室に入ると、足早にこの部屋からは去っていっていたのを確認していた。
――きっと2年間一度も逆らうことなく、ずっと従っていた自分だから、皆にもう大丈夫と安心されているのだろう。天音はそう確信していた。
私は従順なペットだったからね……自虐的に笑う。
実際そうなのだろう、屋敷の中は安心しきった様子でしんと静まり返っている。人っ子一人いやしない。
約束事の効力。良くも悪くも信頼で結ばれている最低限のルール。
しかし、この信頼はたった一度でも見つかったら、全てが脆く壊れてしまうのだ。もし見つかり信頼を無くした場合天音は、監視を再び強化され、身動きが取れなくなってしまうだろう。それは、天音自身も良くわかっていた。
天音は用心深く息を潜めて屋敷の奥に静かに歩を進めていく。
見つかってはいけないという緊張感から心臓がバクバクと音を立てているのが自分でも良くわかる。
この一回限り。なんとしても成功し、少女と会って真実を聞きださなくてはならない。ぐっと唇を噛み締め頷いた。
養父の部屋に辿り着くと、ゆっくりと襖を開け、誰も居ないことを確認した天音は静かに侵入を果たした。少女が言っていただろう菩薩像の掛け軸を見つけると近づき、恐る恐る捲ってみる。
「……本当にあった――」
天音はゴクリと唾を飲み込む。
掛け軸の裏には少女が言っていた様に細い、隠し通路のようなものが存在していた。奥は階段となっており、ここからでは薄暗くて様子が伺えない。ただ、何か禍々しい雰囲気だけははっきりと感じた。
こんな人の目から隠す形で作られた場所になんて何も良いものは無いだろう。でも、私はこの先に行かなければならないのだ。あの少女が待っているのだ。
「うん。よし、行こう」
天音はそう覚悟を決めると大人が屈んでやっと通れそうな細い入り口を通り、階段を慎重に降りていった。
奥に近づくにつれ薄暗く、かび臭いその場所から禍々しい何かが漂ってきている気がして天音は吐き気を覚えた。
そして……辿り着いた先の光景に天音は絶句した。
「ひっ――」
そこには身体はボロボロに朽ち果て、骨と皮だけ。虚ろな瞳は暗く陥没し、焦点があっていない――でも、先日まで来ていた少女と全く同じ衣装、髪型の少女が手足を鎖に繋がれ身体を二つに折るようにして倒れ、存在していたのだ。
「な……なんなのこれ……」
「――天音ちゃん、来てくれたんだ。良かったまだ間に合ったわ」
異様で、グロテスクな光景に後ずさりし、呆然とする天音の背後で声が聞こえた。慌てて振り返ると、そこには深い悲しみの色を湛えた少女が立っていた。
「あれがね……本当の私。まだ辛うじて生きているわ。でも、もう駄目ね」
そのまま、まるで他人事のように倒れている少女を指差した。
「――そ、そんな……酷い。どうして?」
「幸運の神様として、私はこの一族の不幸を受け止める生贄にされたの」
「――え?」
天音は、その言葉を聞き固まった。
「おかしいと思わなかった? この一族に不幸が全く無く、事故も、病気にもならず、常に幸運に恵まれている事に」
言って、少女は真剣に天音を見つめた。
天音は少女の言葉に深く頷いた。
「それはね……私が、いえ私たちが、こうして閉じ込められ、幸運の神様としてこの一族の不運、罪を全て一身に受け止めているからよ。勿論、あいつ等が幸運を望めば、相応の代償を私が払い、あいつ等が得ている。そして……私が死んだら次は天音ちゃん。あなたの番になってしまうってわけ」
「嘘……そんな……」
天音の声は遠くから聞こえるほど掠れて自分の耳に届いた。
「――私もここに養女として初めは迎え入れられたの。天音ちゃんと同じようにね。そして同じように約束をさせられ、同じように欲しいものを与えられた」
少女の淡々と語る声に、天音の身体が無意識に震えだしていた。
「でも、それはあいつらにとって、自分達の幸福を磐石のものにする為の事。生贄する私たちに対してのちょっとした贖罪だっただけ。実際は居なくなっても大丈夫な都合の良い人材を調達して利用しているだけだった。人の心なんて無い。私がそれを知ったのは既に手遅れだったけどね」
少女はまた、自分の身体を指差した。
「見て、本当の私の身体。本来ならあいつらが受けなければならない業でもうボロボロ。病は私を内側から蝕み、精神も抉られ、生きているのか死んでいるのかすぐに解らなくなったわ。欲望って怖いよね」
少女は手をひらひらさせながら笑った。
天音は何も言えなかった。
「でも、不思議ね。私は自分が死ぬって感じた時にこうして外に飛び出せた。縛りがあって遠くまで出られなかったけど、色々思い出せた。だからこそ天音ちゃんにこうして危機を伝えることが出来た。それだけでもう十分幸せだわ」
「どうして、私の為にそんな……?」
天音の問いに、少女はにっこり笑った。
「んふふ、今でも私は覚えてるの。一緒にやったシンデレラの劇。私が王子で、天音ちゃんがシンデレラだった。最初で最後の一緒の劇。とても楽しかったわ」
天音ははっと顔を上げた。そして、まじまじと少女の顔を見つめる。声が震えた。信じられない想いで胸がいっぱいになる。
「も、もしかして……嵯栗ちゃん? 嵯栗麻希子(さくりまきこ)ちゃん?」
少女は、天音の声にゆっくりと頷いた。
それは、天音より4年前にお金持ちの家に養女として入った筈の天音と仲の良かった女の子の名前だった。
「私、あの劇で大好きな天音ちゃんと一緒に演じれたのが本当に幸せだった。いつも優しくて憧れだった天音ちゃんを、私が王子様になって迎えに行くのが嬉しかった」
「麻希子ちゃん……」
二人の目が涙で滲んでいく。
そして、それを振り切るように麻希子は声を張り上げた。
「さあ! だから天音ちゃん、王子様が助けに来たの! ここから早く逃げて!」
――天音は夜の暗闇の中を裸足で一生懸命に走っていた。大声で泣きながら走っていた。とにかく人に見つからないようにと、山の中を走る天音の身体は枝やささくれにひっかかり傷だらけになっていた。
しかし、そんな事は天音にとってどうでも良い事だった。ただ泣き、喚き、どこまでも走り抜けたかった。逃げ出したかった。
『ごめんね。全ては自業自得なの』
天音は走りながら、去り際の麻希子の謝罪を思い出した。
『私、この家に養女として入るのが決まった時に天音ちゃんに勝ったと思ったの。天音ちゃんじゃ無くて私が選ばれたんだって。醜いよね。最低だよね、あんなに天音ちゃん一緒になって喜んでくれたのに……だからこんな罰を受けた――』
「違う! 違う! 違う! 私は、そんな綺麗な人間じゃない。同じなの。同じように醜くて汚い最低の人間なの!」
立ち止まり、その場で言えなかった言葉を大声で叫んだ。力いっぱい叫んだ。心の中に留めて置く事が出来なくて、嗚咽を漏らしながら叫んだ。叫んで、叫んで、地べたにへなへなと崩れ落ちた。
「私の方が汚くて醜い人間なのに……」
涙が大量に溢れ零れ落ちた。
ただひたすらに泣いて、麻希子に謝り、空に向かい自分の浅ましさを呪った。このままここで朽ち果てたかった。
しかし――と、再び天音は身体を起こしすと、重い足を引きずりながらまた走り始めた。麻希子との約束があるのだ。
『私からのお願い。天音ちゃんはこの許されない出来事を伝え、私達と同じような子を作らないようにして欲しいの。もう、この悲惨な呪いが続かないように……それが、私――きっと布引家最後の幸運の神様だった者からのお願い』
「うん! 絶対に……絶対に終わらせるからね! 麻希子ちゃん……」
そう。終わらせなければいけないのだ。
天音は、後ろを振り返り今まで自分が住んでいた屋敷を眺めた。夜の闇の中、何も知らない明るい光が煌々と漏れていた。
――あの光は偽者の光だ。
天音は思った。
他人に不幸を押し付け、のうのうと幸せを謳歌している紛い物の光だ。
私は幸運の神様のお願いを聞いて必ず引導を渡すのだ。最低な呪いで、これ以上の犠牲者が出ないようにする為に。そして――決して終わらない己の贖罪の為にも。
力を込めて天音は走る。
見上げた月は孤独に光る。
でも、その光は柔らかく、ただ真っ白に天音の身体に降り注いでいた。
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2010/02/01(Mon)23:37:53 公開 / もげきち
■この作品の著作権はもげきちさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
こんばんはー、初めましての方は笑顔で握手! お世話になってる皆様には大空に笑顔をキめたいもげきちでっす。短編でっす。
というわけで、長編だけでなくとにかく練習あるのみ! と、相も変わらず苦手な短編を書いてみました。しかも、タイトルでのはのはと読めるものと思って読んでしまった方には本当にすみません、なんだか暗い話になってしまいまして(汗
普段、王道、ハッピーエンド大好きな自分ですが偶には頑張らないとーっと思った次第で勢いにのってがががっと書いちゃったので詰め込みすぎとか色々あるかもしれませんが、こうして最後まで読んで下さった皆様に本当に心からの感謝を! ありがとうございました