- 『取っても喰わぬ』 作者:星遼介 / ショート*2 童話
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取っても喰わぬ
山奥にあるその村には、オダケという名の医者がいた。御年八十になる老医だが、幸い腕も気も確かである。
彼の元へは時折、奇妙な病人がやってくる。この前など、一人の女性が一頭の仔牛を引き連れてやってきた。なんでも、息子が飯を喰った後に昼寝していると、牛になってしまったのだという。この手の患者は、規則正しく生活していればいずれ治るもので、患者の治療よりもむしろ、泣き喚く親を看ることの方が難儀であった。
それでも、時には難しい症例の患者もいる。
あれは七月も暮れゆくある日のことだったか。昨日の雷雨も収まり、秋晴れのすがすがしきこと。昼間、オダケは往診へ出ていた。その日向かったのは、女一人、子が四人の農家で、ここのサネという女は、末の子が産まれてすぐに流行り病で夫を亡くし、女手一つで子らを育てていた。だがサネもあまり体の丈夫なほうではなく、オダケの元へ「かかぁが倒れた!」と言って子供らがかけ込んで来ることもしばしばであった。
「近頃どうもめまいがして、時折、立っていられなくなるのです」
縁側に腰を下ろすオダケに、茶を出しながらサネは言う。
「そうですか、それはお気の毒に。ちょっと失礼――」
オダケはサネの体の具合を診た。
「だいぶ疲れておるようですな。充分に休養をとってくださいね。では、今日はいつものお薬と、あと最近になってこんな薬が出来ましてね、なんでも吐き気やめまいに――」
サネの診察も終わって、帰り路についたときだった。
「おばけ先生!」
そう呼び止める声がした。見ると、その家のやんちゃな三男坊が走り寄ってくる。
この「おばけ」というあだ名には、この老医に対する子供らの親しみと、いわゆる「畏敬の念」が込められている。
「おや、どうしたィ坊主、またケンカでもしたのか」
オダケは屈んで尋ねた。その坊主、ブンタはオダケの腕を引きながら言った。
「ちょっと話したいことがあんだ」
そうして、オダケを近くの大きなクスノキの下へ連れて行った。
「――で、今日はどうされましたかな」
オダケは先ほどまでとは打って変わり、いかにもといったふうの医者の口調で話した。ちょっとおどかしてやろうと思ったのだ。ブンタは少し怖がっているのか、うつむいている。
「先生……昨日、すごい雷があっただろ」
「ありましたなァ、いやあれはすごかった」
「そんでな、そん時にな……雷様にへそをとられちまったんだ」
ブンタは相変わらずうつむいていた。
「ふむふむ、へそをねェ――」
オダケは別に驚くことも無く言った。「どれ」と言って、ブンタの着物の襟元を広げ、腹をみた。なるほど、へそは無い。
「雨のなか裸で走りまわっていたのか」
「そ、そんなことしてねェやィ!」
ブンタはムッと頬を膨らました。オダケはカッカッと笑った。
「分かったよ。そんなら、何があったか話してみろ」
「別に……オレはただ、家にいただけだよ」
「何をしていた?」
「……ケンカ」
「誰と」
「かかぁ」
「どうして」
「だって、かかぁはいつもキスケに味方すんだ。『お兄ちゃんでしょ!だったらキスケに貸してあげなさい』とか『お兄ちゃんなら我慢しなさい』とか言ってよ、笛も竹とんぼもオレが作ったのにさ……。どうせ、かかぁはオレのことなんかどうだっていいんだ」
事情は大体分かった。この年の子にはよくあることだ。ここで「そんなことはないだろ。お前の母ちゃんはな――」と言って諭すことは容易である。しかし、それではへそは戻らないだろうし、わだかまりも残る。
彼はなぜ、雷様にへそをとられたのだろう。『雷の日にへそを出していると、雷様にとられるぞ』とは昔からいわれているが、雷様だって神様である。そこにむきだしのへそがあったからといって、むやみにとっていく筈はない。そもそも、なぜよりによって「へそ」なのか。へそをとられたからって、別に飯が食えなくなるわけでもない。
「――お前、雷様からへそを取り返したいのか」
「あたりまえだよ」
「どうして」
「どうしてって……」
ブンタは少し考えた。
「……だって、川遊びなんかする時に、皆からからかわれちまうよ」
そう、へそが無くて困ることといったらその程度なのだ。なぜ雷様は、そんなものをとるのだろう。へそにはどんな意味があるのか。
しかし、そんな問答は大人の理屈である。
「そうか、それなら少し考えてみよう」
そう言って、オダケはブンタと別れた。
庵に戻ったオダケは、部屋の隅に積まれた医学書や見聞録、辞典、それにほこりをかぶった風土記まで読みあさり始めた。
へその医学、へそに関する言葉、へそのいまむかし、へそを喰う河童の伝説、出べそのブンゴロウの話……
いつの間にやら日は暮れ、犬の遠吠えもひとしきり、草木までもが床についたころ、オダケはようやく書物から顔を上げた。まったく、御年八十とはとても思えぬ体力である。これなら、子供らのいう「おばけ」というあだ名にも、少し信憑性がある。無論、彼はしっかり二本の足で立っているが。
オダケは一つの仮説を立てていた。
へそとは即ち、へその緒が繋がっていた跡、胎児が母親と繋がっていたことが体に現れる唯一のものだ。それをとってしまうということは――
朝になって、オダケは再び件の家を訪ねた。
「ごめんください」
「はい」
「朝早くから申し訳ない。オダケです」
サネが戸をあけた。
「あら先生、どうなさったんですか」
「ブンタはおりますかね」
「えぇ、奥で寝ておりますよ」
「あぁ、それなら――」
結構です、また後で来ます、と言うつもりだった。
「ブンタァ!」
遅かった。
「ん〜、なんだよかかぁ……」
奥から眠そうな声が帰ってきた。
「オダケ先生があんたにお話があるそうよ」
「朝からおばけなんて出ないよ……」
寝ぼけた声だ。
「早くしないと、先生に注射をお願いしますよ!」
寝巻き姿でとび起きてきた。
「……いや、すみませんね。では、しばらく息子さんをお借りしますよ」
「ええ……あの、先生?ブンタが何か病気にでも……?」
サネは心配そうに尋ねた。
「いえいえ、心配御無用。ちょいとばかし話すだけですよ」
オダケは、昨日と同じクスノキの下でブンタと話した。
「へそを取り戻せるかもしれん」
「え、ほんとか!」
「あぁ。だが、努力と運が必要だな」
「どりょくとうん?」
「まずは、お前さんが母ちゃんに孝行することだ」
「……なぁんだ、お説教か」
ブンタはふてくされて、そっぽを向いた。
「年寄りの話は最後まで聞くもんだ。いいか、ブンタ、へそってのは何だと思う」
「えぇっと……」
ブンタはふくれながらも、首をかしげた。
「赤ん坊がまだ母ちゃんのお腹ン中にいる時に、へその緒ってので母ちゃんと繋がっていて、産まれてから緒が取れて、で、その跡がへそだ、って前に和尚さんが言ってた」
なかなか学のある子だ。
「その通りだ。へそは、お前が母ちゃんの子供だっていう証拠だ。じゃあなんで雷様は、へそをとっていかれたんだ」
「……オレがかかぁとケンカしたから」
「少し違う。お前が、母ちゃんは自分のことなんてどうだっていい、と思っていたからだ」
「どういうこと?」
「言っただろう、へそはお前が母ちゃんの子である証拠なんだ。それがないってことは、お前はいったい誰の子なんだろうなァ?」
「か、かかぁの子に決まってらァ!」
「なんでそう言えるんだ」
「なんでって、そりゃあ――」
ブンタは言葉に詰まった。
「何を努力すれば良いかは分かったな。で、問題は『運』のほうなんだが……」
オダケは、もう白髪も少なくなった頭をかいた。
「なにせ、もう秋だ。雷様だって、そろそろ寝ちまうころだろう。そうなると、次の夏まで待たなきゃならん」
「……」
「雷様が来たとしても、せいぜいあと一度だ。それまでに、『努力』しなくちゃな」
「オレは別に……」
ブンタはうつむいている。オダケは、ブンタの頭に手を置いた。
「まァ、お前が母ちゃんの子じゃなくたっていいと言うなら、家に帰って寝なおしたっていい。自分で考えるんだ」
そう言って、オダケはその場を後にした。
一週間後、激しい雷雨となった。
それが明けると、世はすっかり秋である。
「近頃は体の調子も良いし、子供たちも手伝ってくれて、助かっております」
縁側に腰を下ろすオダケに、茶を出しながらサネは言う。確かにサネはこのごろ顔色もよく、声にも活があった。
オダケは、お構いなく、と言いつつも、まだ湯気の立つ湯呑みに口をあてた。
「それは結構なことですが、油断はなりませんぞ。都のほうでは、コロリなる病も流行っていると聞きます。充分に気をつけられることです」
「承知いたしました。本当に、いつもお世話になっております」
サネは微笑みながら、深々と頭を下げた。
帰り路、オダケは遠くにブンタを見つけた。
「あ、おばけせんせーい!」
ブンタが気づき、笑顔で手を振っている。肩には竿に桶を括りつけて担いでいる。
水汲みの帰りであろうか。
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2010/01/11(Mon)18:14:50 公開 / 星遼介
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■作者からのメッセージ
こんにちは
ずいぶんと前(2年前くらい?)に「不翔鳥」という名前で、ショートショートを2編ほど投稿した者です。まだ中学生だったので、それはそれは恥ずかしい作品を投稿したものです。もっとも、誰かの記憶に残るほどのものでもないので、誰も覚えていらっしゃらないでしょうが(^^;)
まァそんなことはどうでもよくて……
いかがでしたか
これはある漫画からヒントを得ました。時代設定や人物の雰囲気も似せているので、ピンとくる方がいらっしゃるかもしれません。
思い立ってからものぐさに書くこと早半年(笑)
「大人の童話」を目指して書きました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。