- 『神々の鉄塔 第1話『降臨』(修正版)』 作者:湖悠 / リアル・現代 SF
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全角12017文字
容量24034 bytes
原稿用紙約36.2枚
少年達と少女達が、関東圏内でSFな事件と立ち向かっていく物語。
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―序幕より数時間前―
昼過ぎ、成田空港から沖縄行きの旅客機が、物語の始まりを告げるかのように轟音を響かせて滑走路を走って行き、離陸した。重い機体が、ゆっくりと飛翔していく。どんどん地上が離れていく様は、初めて旅客機に乗る人にとっては大変感動的であり、それでいてなにか寂しさを感じさせるものでもあった。地上から離れる喜び。それは親から巣立つ時の希望と同じだろう。地上から離れる寂しさ。それは巣立つ時に抱く寂しさだろう。しかし、普段嫌でも乗りなれている人にとっては他愛もない景色である。ただ地上が遥か下方にある、とただそれだけ。山土師(やまはじ)機長もそうであった。
離陸からしばらく経った時に、「沖縄か」と山土師は脳内でつぶやいた。
「あ、そういえば沖縄って機長の出身地でしたっけ?」
隣に座る副操縦士が突然口を開く。その質問が、自分の心を読んだかのような内容だったため、山土師は驚いた。
「あ、ああ。確かにそうだ」
少し上ずった声が出てしまった。
「ご家族も沖縄に居ると聞いたのですが」
なんでそんなに知っているんだ? と聞きたくなったが、山土師は数日前の飲み会を思い出す。
(あの時に言ってしまったのか……。あまり家族の話はしたくないものなのだがな)
山土師は他人に弱みを見せないタイプだった。自分の本当の姿を公の場に晒したくないからである。酒に強く、酔ってもあまり下手な事をしゃべらない彼だったのだが、周りの雰囲気に酔わされてポロリと口から出てしまったのだろう。額に手を当て、溜息を吐きたかった。俺としたことが、俺としたことが、と何度も心の中で呟く。
一体何を山土師は隠すのか。厳しい顔をした彼の心に、一体どんな弱点が潜んでいるのか。それは単純な事である。彼は家族を溺愛していたのだ。部下に厳しい彼も、家族の前では180°性格が変わってしまう。鬼の山土師はどこへやら、家へ帰ればでっれでれな甘い父親がそこに居るだけである。そんな事実、誰にも知られてはいけない。だが、家族のことを考えると、つい顔が緩んでしまう。
(い、いかん。仕事場では厳格のある私でなければいけないのだ。そうでなければ、誰も私に着いてこない、憧れない!)
そもそも、山土師は厳しい性格などではなかった。本当は優しく、甘く、そして臆病な性格なのだ。そんな彼が嘘の鉄壁な鎧を着始めたのは、妻に言われた一言だった。
「あなたって、人の上に立てるような性格じゃないわよね」
ショックだった。雷に打たれたかのようだった。子供の頃から機長を目指していた彼。機長になったら、当然人の上に立つことになる。……このままではまずい。彼はそう思い始めた。そして、彼が出した答え。"仮の顔を作ること"だった。いきなり変わった彼に、周りの人間は驚いたことだろう。気の小さかった者が、いきなり大きな態度、そして厳格な顔つきになったのだから。そんな偽りの鬼の面をかぶり続けて、しばらく家族と会えない日々を過ごした後、彼はついに念願の"機長"の座を手に入れた。
(思えば、機長になってからは忙しかったな……副操縦士だったころも、それはまぁ忙しかったが)
近頃も家に帰ることのできない忙しい日々が続いていた。だが、今日はようやく最愛の家族に会えるかもしれない。――仮面がはずせるかもしれない。
(会えないかもしれんが、とりあえず写真とメールは送っておこう。私の、真実の笑顔を送ろう)
そう心の中でつぶやき。彼は表情を厳しいものに変えた。もう少しの辛抱だ。
――そんな彼の目に、あるものが映った。
「ん……あれは何だ」
人は、わからないものが目の前にあるとき、困惑するか、もしくは恐怖する。段々と近づいてくる"何か"を見て、彼は嫌な汗を流した。もう一度瞼を閉じ、そして開ける。しかし、景色は変わらない。目の前に存在する恐怖は、変わらずにそこに映っている。
「な……あ、あぁぁぁぁっ!」
副操縦士が悲鳴を上げた。山土師も上げたかった。
――目の前に、正体不明の巨大生物がいたのだから。
いや、それは生物ではないのかもしれない。だがどう見ても飛行機には見えない。ロボットにも見えない。あえていうなら、"怪物"だ。顔は竜のようで、両手は鋭い爪が生えており、なにやら大きな羽がついている。だが、羽にはなにか装置がついているようだった。半分機械で、半分は竜。これが一番解りやすい説明だった。その怪物を見た時、山土師は息子がやっていたロールプレイングゲームを思いだした。――ファンタジーだ。ありえない。だというのに、まるでゲームの中に存在する敵のような怪物が、自分を睨みつけて飛翔している。
「こ、こっちに来る……な、何なんだよ、あれえぇぇっ!」
副操縦士が悲鳴を上げ、操縦席から立ちあがり、どこかへと駆け出した。混乱と恐怖のあまり、我を失ってしまったようだ。
「お、おい、待てっ。おいっ」
山土師の叫びは副操縦士の耳には届かない。副操縦士はあっという間にどこかへと消えて行った。
(クソッ、なんだコレは! 夢かっ、夢なのか!? 夢なら覚めてくれっ)
もう既にその怪物は目前に迫っていた。
(い、いや、まて。落ち着くんだ。あれがこちらを襲ってこないかもしれない……いや、襲ってこないでくれぇぇぇっっ)
もし、あれが生物だというのなら、こちらを襲う可能性は……酷だが高いだろう。それを裏付けるかのように、怪物は爪のようなものをこちらに向けた。終わりだ、と彼は心の中で絶望の呟きを漏らした。
映像が浮かぶ。息子、結城(ゆうき)と遊んだ記憶。やんちゃな年頃の結城は、よくリビングでくつろいでいる山土師をキャッチボールに連れ出したものだった。まだまだやんちゃで手のかかる子。これからきちんとしつけていかなければならない、と山土師は決意していた。娘の裕子(ゆうこ)は、弟の結城と対照的に静かな子であったが、中学校では生徒会会長として采配を奮っているようで、時々自慢話も聞かされた。真面目で、運動もできて、一見弱点がなさそうだったが、時々見える女の子らしい弱さを見た時、父として守ってやりたいものだ、と思った。妻の良子(りょうこ)……会いたい。人生で唯一愛した彼女に、もう一度――。
「い、嫌だ……私はまだ、……裕子に、結城に、会ってないんだっ……良子にだって、ま、まだ、あ、あ、うわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああっっっ」
――彼の叫びと同じくして、鋼鉄の爪がコクピットを、山土師を貫いた。
彼が最期に見た光景、それは自分の血で染まる操縦席だった。落ちて行く景色、落ちて行く意識。その中で、山土師の目に涙が浮かぶ。痛みじゃない、苦しみじゃない、それは後悔の涙だった。
「ゆ……き……りょ、こ……いっじょに、りょがぐきにぃ……」
旅客機が爆発、炎上し、墜落していったのは、彼の遺言の直後だった。
人間達は、何も知らない。これから始まる戦いについて、何も知らない。
――神はバトンを渡した。
……次の神へと、バトンを、渡した。
:神々の鉄塔:
序章
空が綺麗な朱に染まる頃。日が落ちかけるという時でも、東京の道路は多種多様な人々で埋め尽くされていた。買い物や娯楽、仕事など、それぞれの理由で人々は東京に集っている。今、携帯電話を片手に人ごみを掻き分けている少年、上塚 直弥(うえつか なおや)も又、ある理由で東京に居た。
「おいおい、トイレに行くって言ったじゃないかよっ。置いてきぼりにするなんて酷いって!」
周りの客の目も気にせず、彼は大声を出した。
彼が東京に居る理由、それは中学校の修学旅行だった。ついでに、中学校名は並木中学校。今日は修学旅行の最後の行事、つまり帰宅だ。もう既にどの班も電車に乗り込んでおり、ふるさとへと帰っている。今出る電車に乗れば、かろうじて教師たちの説教は免れるというところであった。
「え、そ、そりゃ俺も出るのが遅かったとは思うけどさ……。で、でも置いてきぼりのすることは――え、電車が来ちゃったって?」
駅で用を足そうとしていた直哉だったのだが、トイレの内外はとても混み合っており、中々小便器までたどりつけなかったのだ。そのせいで直弥の属している班は時間を大幅にロスし、こんな時間まで駅で立ち往生することとなってしまった。
直弥は必死に言い訳を続ける。
「い、いや、でもさっ。お、おい、切るなって」プツン、と冷たい音が彼の耳に入った。「ってもう切れてるし」
ちっ、と相槌をうち、携帯をカバンにしまった。途方に暮れ、汚く冷たい壁に寄りかかる。どうしようもないのでとりあえず時刻表を眺め、次の電車を確認した。
(とりあえず切符を買おう)
直弥はバッグから財布を探る、探る、探――。
「う、嘘だろ……」
嫌な汗が額を濡らした。バッグを覗きこんでみる、が財布は見つからなかった。直哉の顔が真っ青になる。
(い、いつ盗まれたんだ? いや、ってかコレ盗まれたのか? 俺がどこかに置き忘れてるだけじゃ……)
どちらにしろ、状況は変わらない。彼は通行手段を失った。汗が頬をつたる。まさか修学旅行の終盤にこんなことになるとは。彼はうつむく。既に日は落ち、空は藍色に染まっていた。
◇◆◇◆
電車の中。やはり混み合い、席に座れている者が幸福に見える。彼女、海浦 莢(うみうら さや)は座席に座っている友人をうらめしい目で見ていた。
「ちょ、ちょっと莢ぁ。そんな怖い目で私を見ないでよぉ」
そう言う友人の頭を、冗談っぽく莢は軽く掴んだ。
「あなたは今からその座席を私に譲りたくなるでしょう」
どこかのエセ超能力者のような物言いで、莢は暗示をかける。もちろん冗談だが。――と、そんな彼女を見て空気を読んだのか、友人の隣に座っていた女性が席を譲ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
遠慮しようとも思ったが、断るのは逆に失礼だと考えなおし、席に腰を下ろした。窓を見ると、もう空は暗くなっていて、ビルの光しか見えなくなっていた。彼女はしばらく何も考えないでその景色を眺めていた。
……彼女の目に異様なものが映るのはまだ先の話である。
◇◆◇◆
莢たちの乗っている車両から、数両離れた所にも修学旅行生は居た。彼、宮田 悠(みやた ゆう)は携帯を切り、ため息をつく。
(あのバカ……俺はしらねぇからな)
トイレに行き、電車に乗り遅れてしまったときの友人の顔が頭に浮かんだ。きっと冷や汗を垂らし、情けない顔で天井でも見つめているのであろう。と、そんなことを考えていると、彼の胸がざわざわと騒いだ。
(けっ、何俺はアイツを心配してんだ? 次の電車にのりゃいい話じゃねぇか。そうだ、ただそれだけだ)
それでも、胸騒ぎは収まらない。彼自身、その胸騒ぎが何かわからなかった。だが、きっとあのおっちょこちょいの上塚 直弥のことだろうと思っていた。
「あ、宮田くん。直哉くんはどうだった?」
クラス委員長の山際 千里(やまぎわ ちさと)が悠に問いかける。
「あ、え? あ〜、大丈夫そうだよ。第一、次の電車に乗れば良い話だし」適当に答えた。
彼の心臓がドクドクと波打つ。考えてみれば、自分の班で今残っているのは千里だけだ。直弥はあんな感じで、もう一人は人ごみに流されてどっかにいってしまった。
(これって、チャンスなのかな)
淡い恋心。それは思春期の男子に訪れる必然の事件。
(直哉、お前が乗り遅れたのに感謝するぜ……)
とっくに胸騒ぎのことなど忘れ、彼は千里に話しかけようとした。思えば、この時の胸騒ぎは後の悪夢を予見していたのかもしれない。だが、悠はそんなことをまったく知らない。他の誰一人、いや、ある者を除いて、まったく後の出来事に気づく者など居なかった。
――電車がトンネルをくぐろうとしている。
◇◆◇◆
(やばい、どうしよう……)
悠や直哉、千里の顔を思い浮かべ、彼女はうつむく。
(きっと皆心配して――ってそんなわけないか。私って影薄いし)
先ほど人ごみに流され、班の人を見失った美浦 綾乃(みうら あやの)は動かずにその場に留まっている。班の人達をこの人ごみを潜って行って探すのはほぼ無理だろうと思ったからだ。それに――。
(班決めのときに残されてた私だもんね。悠くんや直哉くん、千里さんだって私を班に入れたくなかったんだろうな)
彼女は友人関係で上手くいってなく、浮いた存在だったため、いつも一人だった。班行動の時だって、班員とは最低限の会話しか交わしていない。別に、一人でもいいや――と彼女は思い始めていた。
トンネルに入り、外の景色がなくなる。その直後、下半身に違和感を感じた。
(誰かに、触られてる?)
綾乃はちらっと後ろを向く。見ると、明らかにいやらしそうな中年オヤジだ。めがねをかけており、よく漫画で出そうなエロオヤジである。
(ど、どうしよう……声を出しても、変な目でみられるだろうし……)
彼女は困惑していた。突然のことで頭がパニック状態になる。
(そ、そうだ。触っている手を握って、この人痴漢です! って言えばいいんだ)
ドラマなどの1シーンを思い浮かべながら、痴漢行為をしているオヤジのゴツゴツとした手を握る。
それはちょうど、トンネルを抜けた瞬間だった。
◇◆◇◆
以上がこの物語の中心部分となる登場人物である。
これから彼ら、彼女らは東京を舞台に様々な事態に出くわすのであろう。
それは、悲しみか、破壊か、幸福か、創生か。
……もしかすると、この物語の登場人物は、"全人類"なのかもしれない――。
第一話 ―降臨―
駅前の階段に直哉は座り、自分の心のように陰鬱に暗くなっていく空を眺めていた。おっちょこちょいな彼は、駅員に事情を話すという事を考え出せなかった。行く当てもなく、今は駅前の階段に座り尽くしている。
(あぁ、今頃皆は電車の中なんだろうなぁ。今俺に降りかかっている不幸に気づいていないんだろうなぁ)
ふてくされ、卑屈になり始めた。そういう彼も、綾乃に起こっている不幸に気づいていないわけだが。
(何か、暇だな。ってか、俺ずっとこのままなのかな……)
直哉は立ち上がり、ゆっくりと階段を下りていった。夜だというのに、東京には多くの人が集っている。直弥が見る限り、皆彼のような顔はしていなかった。皆楽しそうな顔で、忙しそうな顔で、道路を優雅に歩いていたり、走っていたりする。皆、彼のように途方には暮れていない。少し、羨ましかった。
階段を下り終え、道路をゆっくりと、何の目的も無いのに歩いていく。そんな中、彼はある音声を聞いた。アナウンサーの緊迫した声だった。
「臨時ニュースです。先ほどから行方がわからなくなっていた、沖縄行きの旅客機が変わり果てた姿で発見されました」
(何のニュースだ)
首を傾げ、ガラス越しに展示されてあるテレビに目を向けた。
「中継がつながった模様です。中継の西山さぁん」
画面が山間部に切り替わる。よく見ると、一部分が赤く光っている。直哉がその光を炎だと理解するのに一秒と掛からなかった。どうやらまだ消火活動が続いているらしく、あまりに激しい出火のせいで生存者はまだ確認できていないようだ。酷い事になっているな、と彼はただそう思った。
「何故墜落してしまったかは依然として不明です。ただ、旅客機の先端部に不可解な損傷が見られていると――」
溜息を吐いた後、直哉は再び歩き始めた。気になるニュースだったが、まず今は自分の事をどうにかしなければならない。しかしこれからどうするべきか考えても、彼には良い考えがまったく浮かばなかった。だんだんと考えるのも嫌になり、時間が経てばなんとかなるだろうという根拠のない希望を胸に、直哉は東京の街を歩いていった。
(そういえば、昔東京は憧れだったな)
彼らの住まいは田舎であり、こんなに高いビルなど目にしたことも無かった。TVだけで見れる、天に届かんと無数にそびえ立つ高い巨塔たち。一度でいいから、あの堂々と立つ巨塔の天辺まで登り、空を見渡し、そして地上を見下ろしたかった。――彼の心に光が灯った。
(目的が出来たな。目指すはあの高いビルの上だっ)
表情を明るくし、彼は走り出す。
直哉は陸上部に入っていた。走ることには多少、いや大分慣れている。小学校では毎年リレー選手だったし、中学校でもアンカーをつとめている。陸上部に入ったのは、そんな自分を活かせると、そう思ったから。でも、彼が本当に活かしたかったのはそういう方面でではなかった。直哉は物心がついたころから、漠然とヒーローに憧れていた。どのヒーローもどんなことがあろうと、人助けを喜んで行うのだ。――かっこよかった。戦隊物が放映されてるTVの前で、彼はよく瞳を輝かせていた。そして、よく彼は言った。『俺は、絶対皆のヒーローになってやるっ!』それは彼が5、6歳のころの話。だが無論、今も彼は憧れているのだ。正義のヒーローに。走りが速いのもその影響だろう。小さい頃から激しい戦隊ごっこをやっていたため、身体が自然に鍛えられていったのだ。
足の速い彼は既に近くのファッションビルの屋上まで上っていた。そして最後の階段の一段一段を踏みしめて上り――。
「とうちゃっく」
念願の夢を一つ叶えた。
しかし、喜びは束の間であった。他愛もない夢だ、と思った瞬間に興奮は一気に冷め、ただ虚しさだけが彼の心に広がっていった。疲れと虚しさ、これからの行く当てに対する不安で力が抜け、屋上に大の字で寝転んだ。星は見えない。見えるのは暗い空だけだった。彼の心がより冷たくなる。希望とも言える光が、輝いてくれない。希望の天使は彼を見つめてくれないのだ。まさに天からも見放されたな、と直弥はふて腐れた。
思えば、何度目であろうか。しようもない夢を果たして、こんな気分になるのは。何度めだろうか。夢を果たした自分が、まだ無力であるという事を思い、悔しさを覚えるのは。果たして何度目なのだろう。自分の追い求める一点の輝きは、太陽のような光で、温かくて、眩しくて、でも決して生きている間にその本当の姿を見ることはできず、手など絶対に届かない、不可視、不可知の存在であるという事を思い知らされるのは。
月だけが、彼の目に映っている。そう、いつも月だ。直視できるのはいつも月。見ようとすれば見える。行こうとすれば行ける。可視、可知の存在。――俺はただ月を追い求めているのではないだろうか? 俺は太陽を追っているようで、実は妥協して月を追っている。いや、まさか……。
では太陽とは何なのか。
では月とは何なのか。
答えはいつも出ない。ここまで思考を巡らすのが精一杯だ。
考えている内に、眠気が差した。だんだんと視界がぼやけていく。ああ、と彼は思う。悪者が目の前に現れれば良いのに。
そうすれば俺が正義を奮うのに。
そうすれば俺が正義の味方、つまりヒーローだと言う事を証明できるのに。
『本当か』
誰かの問いかけが聞こえた。そこは暗闇だった。暗闇の中に、彼は立っていた。そして彼の目の前には見覚えのある小学5年生くらいの少年が立っていた。
『お前の言っている事は本当なのか』
再び声が響く。直弥は喋ることができない。喋ろうにも、口を開けない。まさか、これは、と過去の思い出が泡のように浮かんでいく。あの時も、口は開けなかった。いや、開けなかったんじゃない。開かなかったのだ……。
目の前の少年が笑った。意地の悪い笑みで、直弥はぞっとした。以前にも、見たことがあった。
『だったら、こいつは何なんだよ?』
少年の隣に、悲しい匂いが包まれた、白い紙の花束が落とされた――。
そこで、目を覚ました。息が切れて、顔や身体は汗でぬれている。何という悪夢なのだろうか。直弥は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
悪夢の事を忘れようと思い、その場から立ち上がって生ぬるいフェンスに腕を掛けた。夜の東京は、とても明るかった。夜の寒々しさを感じさせない活気に溢れている。しかし、その光を見ても直弥の不安、後悔は薄れることはなかった。偽りの光では何も満たされない。その事は彼が人一倍知っていた。
再びコンクリートに背を落とす。空は暗い。しかし、月は輝いている。それは微々たる光だが、それでも自分のように安心感を覚える者も居る……。そう考えると、先程考えていた事もどうでもいい事に思えた。しかし、それが過去に対する逃げだという事に、直弥は気付かない。
しばらく不格好な月を眺めていた。しかし、突然その月が見えなくなった。雲で隠されたのか、と最初は怪訝そうに空を見ていたが、やがて不審感が募り、彼は腰を上げた。よく見ると、月は何か大きな浮遊物に隠されている。しかし、形は雲ではない。耳を澄ますと、大きな音が聞こえた。
「飛行機かな」
形や空を切り裂く轟音で、最初は飛行機だと思った。しかしそれが段々近づくにつれ、明らかに飛行機とは形が違うことに気付いていく。直弥は思わず立ち上がる。あれもまた、自分の知らない物なのか。
いや、知っているはずがなかった。
「お、おい、あれ……」
汗が頬を伝った。それは、運動後のさわやかな汗でない。目を何度もこすり、その浮遊物を再び凝視した。
黒い影。
その大きな闇が、東京の空を包む。
直弥の心臓が激しく波打つ。
「あ、あれは……」
その声は震えていた。もしやこれも夢なのでは? これも、自分の過去の傷なのであって、その傷口が開いているから見てしまう悪夢なのではないか? 彼はそう考えていた。
彼を、東京を、何が闇にいざなっているのか。それは、現実主義には嘲笑われ、ファンタジー作家には、面白い話だ、と流されてしまう、どうにも言葉に表せない生き物を差す時に用いられる表現。"怪物"である。その"怪物"は、ゲームに出てくるドラゴンのような容姿だった。暗くてよくわからないが、両翼から数本の光の筋が伸びている。――炎だ。あれで浮遊しているのだろう、と直弥は勝手に判断した。地上に近付くにつれ、その怪物の姿がハッキリとしていく。爬虫類特有の固そうな、黒々しい皮膚をしているが、胸部や頭部、脚部には何らかの装置が付いている。ロボットなのか、それともドラゴンなのか。しかし、怪物はそんな事を考える余裕も与えない。
怪物は数キロメートル離れた高層ビルの密集地に降り立った。
「ああっ」
直弥は思わず叫んでいた。
何年も掛けて高さを積み重ねてきた鉄塔達が、積み木の城を崩すかのようにいとも簡単に崩れ落ち、重々しい轟音が何十年も平和であった明るい都に響きわたる。その轟音は都を、そして直哉を恐怖で埋め尽くすのには十分過ぎるものであった。
いよいよおかしい。しかし、頬をつねったのだが、現実と裏付ける小さな痛みがあった。夢じゃない。現実だとすれば……。
もう、逃げるしかない。
直哉はベランダを後にし、長く続く階段を急いで降り始めた。
「ちっ、一体何なんだよっ」恐怖に困惑し、彼は声を荒げる。「あれ、本当は撮影とかなんじゃ――」
焦りで前が見えなくなり、直弥は階段を勢いよく踏み外してしまった。体が前のめりに倒れていき、踊り場に顔面から着地する。耐え難い激痛が彼を襲った。鼻から生暖かい液体が流れ出る。直哉がそれを血と判断する前に、恐ろしい程大音量の爆音が響き渡った。まずいことになっていることだけは、鈍感な直弥にでもわかった。鼻を押さえつつ、残酷に続く階段を再び降り始める。今度は慎重に、かつ早急に一段一段を降りていった。
彼が二階にたどり着いた時、先ほどよりも大きな爆音が聞こえた。先程よりも、確実に近くなっていると言う事が、嫌な程にわかった。嫌な汗で既に制服はびしょ濡れだった。もう猶予はないと思った直弥は、一気に階段を駆け下り、一階へたどり着く。出口へ向かって走っていきながら、当たりを見渡した。既に人影は見られなくなっていた。床にはこれから売りだされていくはずであった服が無残にも破れ、散らかっていた。
「もうすぐっ……出口だっ!」
息を荒げながら、直哉は希望の光が差し込む自動ドアへ懸命に走った。今程自分の脚の速さに感謝した時はなかっただろう。しかし、直哉は立ち止まった。いや、立ち止まらざるおえなくなったというべきだろう。
目前にあったはずの出口が、大きな音をあげて崩れ落ちた。そして、自動ドアの代わりに巨大で鋭い何かが現れた。見て数秒はそれが何であるのか全く判断できなかった。しかし今の状況と先程見た怪物を脳内で照らし合わせた時、その爪が先程見た怪物のものなのだろうと判断できた。怪物の爪には、真紅の液体が大量に付着していた。考えたくなかったが、恐らく……何人か踏み潰されたのだろう。増していく恐怖。逃れようのない不安。しかし、声を出すこともできない。目の前の希望の光は遮られ、絶望の景色が目前に突如として現れたのだ。あまりに早い終焉。物語はまだ15年にも満ちていない。
どく、どく、と心臓が大きな音を立てる。今まで、心臓の音がこんなに大きく聞こえた事はなかった。頬は痙攣し、喉は砂漠のように渇ききっている。脚は振るえ、もう一歩も踏み出す事が出来なかった。遂にはその場に倒れ落ち、吐きこんでしまった。
昼に食べた東京バナナがぐちゃぐちゃになって、床にばら撒かれた。
もう彼の頭に、楽しい思い出など残ってはいなかった。
◇◆◇◆
東京に正体不明の怪物が舞い降り、人々が恐怖に怯えている頃。並木中学校の生徒の乗った電車の中もまたパニックに陥っていた。
「な、何なんだ!? あれはっ」
「これ、夢? ははは、夢に違いねぇよ」
「お、おい! あの変な化け物が建物破壊したぞ!!」
「ロケの撮影だろ! 落ち付けっ」
どの乗客も、顔を歪ませ、恐怖に狂っているように見える。叫び声を上げ、恐怖を少しでもごまかそうとしている。叫び声をあげることによって恐怖を助長することなど、狂っている彼らには気付く由もない。
様々な叫び声が響く中、莢は先程響いた爆音で気を失って倒れてしまった友人を介抱していた。彼女は他の乗客に比べて少し冷静であった。
「も、もう、しっかりしてっ」
友人の頬を軽く叩く。しかし、反応はない。息はしているのだが、ぐったりと項垂れており、一行に起きる気配がなかった。
(一体何がどうなってんのさ……! 明らかに夢じゃないし、幻じゃないし、あんな派手すぎる映画の撮影あるわけないし……)
窓から外を見ると、怪物は尚暴れ続けていた。ビルが積み木のようにいとも簡単に崩れて行く。あまりにも現実離れしすぎた光景。映画の撮影と思うのも無理もない話だろう、と彼女は静かに思った。しかしどの人も気付いているはずなのだ。撮影でも夢でもないという事が。だから、あんなに叫んでいるのだ。
(それにしても、電車に乗ってて幸運だったな。もし東京に残っていたとしたら……)
寒気がした。心臓がバクバクと激しく鼓動する。もし残っていたら、あのビルのふもとに居るであろう人々のように、瓦礫の下敷きになるか、怪物に踏みつけられてしまうのだろう。そうなれば……。
堪えようのない恐怖に身を奮わせていた時だった。
「あっ、莢ちゃん!」
声の主の方に振り向くと、綾乃が目を輝かせて立っていた。
◇◆◇◆
悠も、外に広がる恐怖を眺めていた。怪物が暴れまわる姿。彼は他の人物とは違い、それを見て少し興奮していた。――まるでハリウッド映画のようだ、と。
(しっかし幸運だったぜ……。もし乗り遅れてたりしたらアレの餌食だもんなぁ)
「ね、ねぇ」
千里が悠の制服の裾を掴んだ。その行為に、悠が萌えたのは言うまでもない。顔が熱くなるのが分かった。
「な、何?」思わず声がうわずってしまう。
「あの、さ。直哉くん大丈夫かなぁ」
そこで宮田はようやく乗り遅れた"不運な奴"を思い出した。興奮が少し冷めた。流石に心配になったのだ。あのお調子者がどうなってしまったのかを。
「いや、大丈夫でしょ。だってコレの次の電車に乗っただろうし」
千里だけでなく自分の不安も紛らわすように、宮田はそう言った。
「そ、それが……」
千里は涙目になっていた。悠は気付いた時、恐らくあの怪物への恐怖だろう、と思った。可愛いもんじゃないか、とまた少し興奮する。
「コレ……直哉くんの財布なの……」
彼女は、皮製の黒い財布をバッグから取り出した。これには悠も目を丸くして驚いた。興奮が一気に冷めた。
「な、なんでアイツの財布を?」
「直哉くんがちょっと前に、失くしちゃいそうだから持っててって……。それで、さっき渡しそびれちゃって……そんなことを今思い出して……ッ」
千里は泣き崩れてしまった。
(そんな、ってことはアイツ……)
悠も最悪な状況を考えていた。
この場合、責任が問われるのは、千里だ。
(いや、待て待て。駅員さんに相談すればなんとかなるんじゃねぇの? そうだ、そうに違いない。アイツはきっと相談して乗ったんだ、電車に)
そう前向きに考え、悠は千里の肩を優しく叩いた。
「大丈夫だよっ。アイツのことだから駅員さんに事情を説明して――」
悠はなんとか千里を励まし続けた。直弥が、そんなことを思いつかなかった事も知らずに……。
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2010/02/07(Sun)20:52:33 公開 / 湖悠
■この作品の著作権は湖悠さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
もう何だか中二的な表現、展開ばっかですよねw ども、みずうみです^^
中二の頃に書いていた小説があったので、書き直して投稿してみました♪ 紅の人形師(以降略)と同時進行させていきますが、こちらは中二に書いた分を書き直す感じなので、紅の進行を妨げる事はないと思います。ですが自分的にも心配なので、こちらは遅いペースで更新の形で行っていきますね^^;
お二人のお言葉を受け、修正致しました。
今はこれくらいしかできませんが……許していただければ幸いです。