- 『道』 作者:たく あきら / 未分類 未分類
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全角12086文字
容量24172 bytes
原稿用紙約37.1枚
十字架を抱えて生きていこうと結婚した二人だったが…。家族それぞれが抱えていた秘密が実はひとつだと明らかになって展開する物語。登場人物の視点を変えて「語り」の口調で綴った、叫び、道、手紙、の3部からなる。
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-叫び-
聞いてください。
私は苦しいのです。
私が これをどなたかにお話するのは 初めてなのです。
……
私は兄に捨てられたのでしょうか。
ええ、きっとそうなのです。
兄が前に進むには、それしか選択がありませんもの。
きっと、そうなのです。
でも、私は…どうなるのでしょうか。
どう、したら いいのでしょうか。
兄は、私が小学校高学年の頃から私の寝床に来るようになりました。
もう、ずっと昔の事のようで…つい昨日の事の様でもあります。
始めは遊び…そう、ごっこ遊びのようで…楽しかった。
毎晩のように…私は寝床で、お兄ちゃんが来るのをまっていたのです。
今、思えば なんと恐ろしいことでしょう。
大好きなお兄ちゃん。
昼間もおにいちゃんと一緒がいいと思うようになっていました。
両親には仲の良い兄妹に映っていて、
幼い私に、暴力を振るって虐めていた兄がやさしくなった事と…
喜んでいたフシさえありました。
二間しかない家で、
クスクス笑う二人の声を、ふすま越しに、聞いていなかったのでしょうか。
私は遊びだとおもっていたのです。
だから、とてもたのしい、眠りにつくまでの、きもちのいい、じかんでした。
でも、あるとき、あにが、、、痛いことを始めました。
つねったり、引っ張ったり、…
それから後は、苦しい、辛い夜が続きました。
兄は、声をあげることを許してくれませんでした。
痛くて堪えられないのに、口をふさがれて、苦しい思いをしないといけないのです。
其の頃には私は中学生、兄はもう高校生でした。
兄はきっと、
とっくに罪悪であることを知っていたのです。
この頃の夜は私にとって恐ろしい時間でした。
兄の力は、とても強く、とても抵抗はできませんでした。
両親に頼まれたのかもしれませんが、高校を卒業しても、兄は家を離れようとしませんでした。
一年後、兄はお役所で働くようになりました。
自宅から徒歩での通勤です。
公務員の端くれで、九時五時ぴったりの勤務です。
私は兄に負けたくないと、県立高校へ進みました。
我ながらあんな精神状態でよく頑張れたと思います。
そして、資格を取得して会計事務所に就職を果たしたのです。
この家から自立しなくては…そればかりが頭を支配していました。
わたしは二十歳。兄は二十三歳になっていました。
兄との関係はずっと続いていました。
私はいつの間にか…それを…楽しむようになっていて…
その罪悪感から逃れるように昼間は仕事に熱中するようになっていました。
あの日、私の中で全てが変わりました。
兄に転勤命令が出たのです。
遠くに行ってしまう…
もう、傍にいなくなる…
とてつもない寂しさが襲ってきて、
その夜は、兄にむしゃぶりついたのです。
危ない日と、分かっていたのに、どうしようもなかったのです。
私は兄を心から愛してしまっていました。
私に与えられたのは、罰でしょうか、それとも試練でしょうか。
兄が転勤して暫くしして、私は体に変化を覚えました。
月のものが無いばかりか、眩暈のような、吐き気のような気持ちわるさが襲うのです。
まさか…と、思いつつ、誰にも相談するわけにいきません。
兄にも、言えません。
母にも、言えません。
父に知れたら、生きてなんかいかれません。
日にちだけが過ぎていきました。
私は神経内科の先生に助けを求めることにしました。
私の話を聞いた後、先生はゆっくり話してくださいました。
あなたは全く悪くないのよ。
被害者なのだから。
だから、すべてをお母さんに話しなさい。
赤ちゃんは兄妹の間では持てないことになっているの。
近親間では、遺伝子異常が出て、死産が多いのよ。
だから、この赤ちゃんはさよならしないとね。
赤ちゃんが少し育っているとしたら、急がないとね。
今日中に、お母さんにご自分でお話しするの、大変かしらね。
お母さんには 私からお話しましょうか?
私は、すべてを先生にお願いすることにしました。
私の人生が暗いほうへ向っているという、
漠然とした恐怖感だけが、頭の中に渦を巻いていました。
翌日、仕事を休んだ母に連れられて、
隣の町の産婦人科の門をくぐりました。
薄暗い待合室には患者の姿もなく、
診察台のシーツも枕カバーもあちこち綻びていました。
前もって、電話で母が手配していたのでしょう。
私も、医者も、母も、一言も口をひらきませんでした。
中年の看護婦さんがひとり、きびきびと指示をだして、私は静かに従いました。
麻酔から覚めたら、傍に母が付き添っていました。
泣きはらした真っ赤な目で、私が気が付いたのを見て、
ごめんなさい、を繰り返して、また泣くのです。
お父さんには黙っていようね。
私は、なにを言ったらいいのか、言葉がみつかりませんでした。
涙が頬を伝って、とまりませんでした。
-道-
園子は迷っていた。
産院前喫茶店に忠雄を呼び出したものの、話をどこから始めたらいいか、まるで決めていなかったのである。目の前に向き合って、落ち着かない忠雄を、この場は落ち着かせないといけない。
『朝から何も食べてないのでしょう?』
『いえ、軽く食べてからでてきましたから…』
…なんだ、この人、こんな時にちゃんと食べられたんだ。園子は、やっぱりそうか、と思いながらも反ってこれから始まることへの裏づけが取れたとも思った。
『そう、私のほうは朝四時から何も食べてないから、軽食いただくわね。いっしょにコーヒーでもどう?』
『はい、じゃあ、いただきます』
* * *
『お母さん、たいへん。起きて!』
『ん? どうしたの?』
『なんだか、お水がビシャビシャなの』
…破水だ。三十年前の記憶が甦った。自分も長男を出産した時、破水した。 痛みが無いことをいいことに、無謀にも歩き回って、苦しい出産を経験している。
『紀ちゃん、動いちゃ駄目よ。
携帯で病院に直ぐ行くって、電話しなさい。
私はお兄ちゃんを起してくるから』
ただならぬ気配を察して、肇は起きていた。
『紀子、動いちゃ駄目だよ。
お母さん、車出しておいて!
僕、紀ちゃんを抱えていくから』
…頼もしかった。やはり男が家にいるのは助かる。
しかし、肇は腰に力が入らなかった。
見ていても、大きく腹がせり出た紀子を抱えるのは到底できそうになかった。
『キャスター付きの椅子があるわ。 これに座りなさい。
出来るだけそうっと動いてね。』
そう云いながら、園子はバスタオルをたくさん抱えて車庫へ走っていた。車を玄関前に出して、暖房をフルに入れ、エンジン掛けっぱなしで戻ったら、肇が紀子の椅子を押して玄関に待っていた。
『お兄ちゃん、運転して病院まで行って頂戴。
私は電車で帰るから。きっと時間かかると思うし。』
これからながい戦いの時間が来るのは解っていた。
** *
『忠雄さん、さっき紀子の出産に立ち会ったの?』
『はい、でも楽そうでしたよ。両隣りは声を上げていたけど、紀子さんは痛くなかったみたいです。』
…この男は何を見ていたのだろうか。父になったというのに、感動もしてない。苦しくないはずが無いのに、ああ、紀子はなんという男につかまったのか。
『そう? 陣痛は辛そうだったけどねえ…』
紀子を陣痛室に運んでから程なく陣痛が襲ってきた。薄い壁で仕切られた両隣りの部屋から、出産を控える母親の呻き声と励ます男の涙声が聞こえていた。園子は苦しむ紀子の腰を擦りながら紀子をリードするように呼吸をシンクロさせいたので、園子のTシャツはまだ汗でぬれていた。
『紀子からねえ…、このあいだ、忠雄さんからの告白を聞かされたのよ。』
『えっ…、』忠雄は声を詰まらせた。
『…口に出そうとするだけで吐き気がするのだけれど、何のことかは分かるわよね」』
『…二人の秘密にするって…そう約束したのに…』
ったく呆れた男だ!
『もっと早く話してくれてれば、今日の日を迎えないで済んだのだけどねえ…、
もう忠雄さんを生理的に受け付けなくなってるって、泣いてたわよ。妊娠して初めて自分の判断が間違ってたって気が付いたって…。』
* * *
お母さん、忠雄さんがねえ、中学生のころから久美ちゃんに悪戯を毎日していたって告白してきたの。
そして、そんな罪から自分を助け出して欲しいって泣いて頼んで来たの。ああ、私の好きな人はこんなに苦しんでる、助け出せるのは私しかいないって、、、馬鹿なことをかんがえてしまったの。
…結婚式の時、知ってたのね?
…うん、どうして?
あなた、少しも幸せそうじゃなかった…。 お母さんね、何だろう 何だろうって、胸が張り裂けそうだったのよ。式場に向かう車の中でも、運転しながら、今でも止められるってしきりに言ってたのを覚えている?
私には何かが引っかかってるって、おかしいなって感じてたのよ。式の最中もなんか変だったし。
…うん、式の途中で久美ちゃん行方不明になっちゃって、家族写真の撮影になかなか現れなかったでしょ。
あれ、智子さんが旅の疲れが出て腹痛とか言ってたけど、お父さんは怒ってるし…、焦ったわよ。そのくせ まわりに迷惑かけてて少しも挨拶が無かったねえ。
うん、忠雄さん、「バレちゃうよ、ばれちゃうよ」って青くなってた。
…園子は言葉が無かった。
そういうことだったのか。アレは家族で重大な事を隠そうと必死だったんだ。忠雄は両親に重大なことがばれるのを恐れ、両親は両親で、私達に疑念を抱かせるのを恐れたということか。そうだ、鹿児島へ挨拶に行った時、前もって伝えていたのに、久美子は席にいなかった。敢えて遇わせなかったということか。それにしても、久美子さんが式場から出てトイレで嘔吐してたなんて…、彼女に参列を強制したこの両親はなんと言う鬼だろう。
久美子さんが兄の結婚式をみて、嘔吐した。
それはまさしく、二人の肉体が、兄妹の間での情交が、継続してあったという証だ。
しかも、妹は兄を愛してしまっているということか。
なんと言うことを忠雄は紀子に求めたのか…。実家を遠く離れて、妹を捨て、自分だけ何も無かったように生きていこうなんて。
告白して苦しみをわけようなんて。
この純粋な娘に、なんと酷なことを…
私は…、娘に他人を救うことの前に己を大切にする事を教えなかった。
これは私の過ちだと 園子は思った。
溺れる者を助けに海に入って、いっしょに溺れてしまってどうする!
私…、気が付くのがほんとに遅いけど…、おなかの子が女の子だったらって思うようになって、なんて恐ろしいことだと、やっとわかったの。そして、はじめっからの彼の振る舞いを振り返ってみたら、やっぱりこの結婚は止めた方がいいかなって、、、ごめんね、お母さんすごく反対してたのに…
それでも、私ね、二人で秘密を抱えて生きてこうって本当に決めてたの。 でも、忠雄さん、安心したのか私を虐めるようになって、夜までも…、、、 おまけにお母さん達の悪口もぶつけてくるようになったの。 もう、毎日が辛くて、悲しくて、…妊娠が分かったら優しくなるどころかエスカレートして、…平気でいかがわしい女の話をするようになって…。
紀ちゃん、もう言わなくていい。大丈夫よ。きっと一番いい方法が見つかるよ。お母さんも一生懸命考えるから。忠雄さんに暴力振るわれるといけないから、あなたの考えはまだ黙っておきなさい。今は、おなかの子が無事に生まれる事だけに集中しなさい。予定日の二週前にはいったら実家に戻っておいで。彼に話すのはそれからよ。わかった?
********
これは大変なことになった。
夫が聞いたらなんと言うだろう。
弁護士してる和ちゃんに相談してみよう。
ああ…、久美子さんがおかしかった筈だから、忠雄の母親なら気が付いて知ってるかもしれない。確かめようか?
認める筈ない…っか…。
第一、 久美子さんはどうする? ほっとくのか?
それは駄目だ。母親による保護が必要だ。
智子は動揺するだろう。
いや、知ってるかもしれない。
例え知ってたとしても、顔をあわせたら、平静でいられるわけが無い。
そうだ、とにかく母親同士、話をしてこよう。
*******
次の日曜日、園子は鹿児島行きの機内にいた。夫を説得して、紀子には鎌倉でのクラス会だと偽って家をでてきた。行動に出たのはいいが、頭はまだ混乱していて、自分自身戸惑っていた。
神経が昂って少しも眠れなかった。冴えた頭は最初に切り出す言葉を捜している。 智子に連絡して、二人だけで食事をするという段取りで市内のホテルの席を予約してある。
ホテルのロビーで待っていると、彼女は何事かといった顔で現れた。
さあて、何と言おう…。
席に着く前に園子は切り出した。
『紀子が、離婚したいと言い出しました。』
『……』
『忠雄さんと久美子さんが中学生の頃からいろいろあって、結ばれてる事を知らさせて、(ここは否定してほしいけど…、)生理的に受け付けられなくなったと言ってます。』
『……』
『お母さん、ご存知なかったんですか?』
『ごめんなさい、…久美子から、…打ち明けられて…知ってました。
婦人科へ行ったり、精神科へ行ったり、…、
そうですか…、 このこと、紀子さんご存知だったのですか…。
まさか、、忠雄が言ったんですね…。紀子さん、知らないとばかり…。
私も苦しくて、本当に苦しくて。この歳になってこんな目に合うなんて…、
(この母親は自分が一番かわいいのか!)
忠雄には私達は知らないことにしようと、夫と相談して…、
だから忠雄は誰も知らないと思ってるはずです。
久美子は、…貧血がひどくなって、もう結婚なんて出来ないんです。』
智子は泣いている。
園子は吐き気をもよおした。 まさか、、、堕胎してるということか!
『…精神科にかかってます。
医者が、久美子はお兄さんとは離れないといけないといって、それを忠雄へ連絡してくれて、それで忠雄は関東へ転勤したと聞きました。』
泣きじゃくる母親をまえにしても、園子は不思議と冷静だった。
『久美子さん、どうしてますか? 紀子は自分の事は二の次で、 久美子さんのことばかり心配していました。 自分達が結婚して解決するという考えが、反って久美子さんを苦しめたに違いないといっています。』
『ええ、でも忠雄が結婚して離れれば、私達は救われるし、久美子もそのうち年月が忘れさせてくれるから、これで解決したと思ったんです。忠雄も家にお金を送金してくれるようになって、連絡も頻繁にしてくれるようになっていたし、なにもかもうまく運んでいるとばかり思っていました。』
紀子はこの家族に騙されていたのか…。
『とにかく今は、子どもが無事に生まれる事を第一に考えたいです。ご主人にも、息子さんにも、私が来た事を伝えないで下さいね。紀子には初めての出産ですよ。紀子の精神状態を乱さないように、今はそれだけ考えていてくださいね。母体や赤子に何かあったら、それこそたいへんですから。
…紀子はまだ決めてないんです。赤子の顔を見たら考えが変わるかもしれません。一度は許して一緒に生活しようって言っていたんですから、私はそうして欲しくないけれど、紀子の判断ですから、彼女がなんて言うか、彼女の人生ですから、とにかく無事赤ちゃんが生まれるまでは…。
生まれたら、お知らせしますから、本人の気持ちを聞いて、お知らせしますから、いいですね。』
私達夫婦もこの両親にまんまと騙されていた。
あほらしいけど、これではまるで結婚詐欺だ!
智子と別れて鹿児島空港で飛行機を待っていると携帯が鳴った。
『紀子さんに、一度は許してくださったのだったら、もう一度許して欲しいと伝えて下さい。』
こんな家族に一生を振り回される事はしない。
園子の腹は決まっていた。
* * *
『私ね、鹿児島のお母さんにお会いしてきたのよ。
そしたら、驚いた事にすべてご存知だったわ。』
『えっ? …まさか、、…知ってたんですか。
…わざわざ知らせに行ったんですか?』
『久美子さん、とても心配な状態なんですって。貧血も酷いって…。
』
産婦人科での踏み込んだ話は云ってもしょうがないと呑み込んだ。 この男は久美子が堕胎したことを知らないのかもしれない。
『まず 久美子さんの保護が必要でしょう? それにはお母さんが事実を知らないと。
これからどうしたらいいかも二人で相談したかったし…。』
いや、園子は向こうの非を認めさせたかったのだ。男だったら、殴ることだってしたかった。
『ところが、すっかりご存知で、忠雄さんが紀子に内緒にしてるとばかり思っていらしたって。
忠雄さん、紀子をこんなことにまきこむなんて、卑怯だと思わない?』
『僕の家は、いつも親が留守で、二部屋しかなくて、夜は妹と一緒に寝てたんです。
あるときから、まだ小学生だった妹とあそぶようになって、襖のむこうに両親が寝てて何もいわれなかったから悪い事してるとおもっていませんでした。 おおきくなって、いろいろわかってくるうちにエスカレートしていきましたが、久美ちゃんも楽しんだと思います。毎晩でした。僕が徳島に出てからは、実家に帰ったときに一緒に寝てました。部屋が一緒だったし。でも、いつからは、やっぱりやめたほうがいいと思って何とかしないといけないと、苦しかったです。紀子さん、僕の苦しみを分かち合ってくれるって言ってたのに、駄目になったんですね。
…もう、皆さんに知られてしまったなら、僕は去るしかないです。』
ああ、紀子はまんまと乗せられた! この男は屑だ!
出産を終えた紀子は可愛い赤子を抱いて清清しい目をしていた。
久々に、娘が美しく、眩しくみえた。
やっぱりもう彼に会いたくないの! 言葉の攻撃をうけないで静かに暮らしたい。 お願い、わたし、やっぱり離婚します。いま身動きとれないから、お母さん手続きを手伝だって!
紀子の悲痛な言葉を思い出しながら園子は続けた。
『それでもね、紀子はね、子どもを父親のない子にしたくないと必死で考えてたのよ。 出産の立会いを認めたのは、最後の判断材料が欲しかったのね。ところが、出産立会いの時のあなたの様子を見てて、やっぱり離婚しかないと結論が出たって、そう言ってるの。 いいですね。』
『忠雄さん、あなたが妹さんにしてきたことは犯罪ですよ。 本当に取り返しのつかないことをしてしまったのです。 ご両親や妹さんが告発するとは思えないけれど…、鹿児島に帰ってまずご両親と妹さんに頭下げてきたらどうですか? あなたのとるべき道は、ご自分の一生をかけて、狂わせてしまった久美子さんの人生に責任を持つことでしょう。せっかく過ちだと気付いたのに、その時しっかり考えていたら、妹さんはまだ救われていたかもしれない。 あなたは自分の事を優先して、おまけに他人を巻き込んで現状から逃げたのよ。 そして…、二度も、道を大きく外してしまったのね。』
『…』
『私としては、あなたの事が憎い! そうは言っても、紀子が一度は信じた人だから、せめてこれから先は正しく生きていってくださいね。私達の事はいいから、久美子さんにきちんと償いをして正しく生きていって!』
- 手紙 -
大変ご無沙汰申し上げております。長女紀子が徳島で大変お世話になり、その折のお礼も十分に申し上げておりませんこと、たいへん気になっておりました。あらためて、厚く御礼もうしあげます。徳島の皆さん、特に先生にご祝福を戴いた結婚も、皆さんの期待に沿えず、1年半で離婚いたしましたこと、先生をはじめ、親しくしていただいた方々にはご説明も無く、ご理解いただけてないことと存じます。お仲人さまのような存在でいらっしゃる先生には早くにご説明を致すべきところでしたが、
とても苦しい時期を乗り越えるのに、今日までのときを要したとご理解下さい。本日、この手紙にすべてを認めようと存じます。
結婚式での紀子の浮かない顔を覚えていらっしゃいますか? 私は新生活への不安から来るものだろうと、母としての注意をここで最初に怠りました。 すべてが判明したのは離婚が成立してしばらく後、紀子の口から少しずつ真実が語られるようになってからです。
臨月になって、産休に入りましたので、紀子は日中を実家で過ごすようになりました。ところが、様子がどうもおかしいのです。聴くと、涙を流して、結婚はいけなかったと申すのです。気持ちの不安定な時期でもあり、喧嘩ぐらいするだろうからと、私はただなだめる事しか致しませんでした。ところがある日、出産のお印があると、離婚しか解決策はないと言い張ります。
いったいどうしたことかと、落ち着いて、時間をかけて話をさせました。
先生にこのお話をお聞かせするのは本当に心が痛みます。こうなる前に、私にも、お近くにいらした先生にも、相談することすら出来なかったのかと、もっと早くに気が付いていたらと、親として悔やまれてなりません。
紀子が忠雄さんから聞かせられたのは、自分は中学に上がった頃から毎日のようにずっと妹に乱暴していて、そのため二人の仲がぎこちなくなっていて困っている。妹に対してとてもひどい事をし、詫びる気持ちでいっぱいだ。自分としてはとても後悔していて苦しんでいる。紀子の明るさならきっと助けてもらえるから、と泣いて救いを求めたと言います。
二人が親しくなって結婚の意志を固めた頃のことだそうです。このとき紀子は、これは家庭内暴力だと理解して、それでは自分も被害者になるのではと、恐ろしくなったと申します。ところが、カレの苦しみを本人から打ち明けられてここで逃げ出すなんて出来なかったと申すのです。
紀子がカレの言葉に疑惑を持ったのは結婚式での出来事でした。教会形式で皆様にご列席いただいておりましたので、中には異変に気づかれたかたもあったかもしれません。私どもは最前列に座しておりましたので、気が付きませんでしたが、右側の家族席にいらした妹さんが蒼白な顔で退席なさったのです。
カレはそれを目撃して慌てたと申します。式が終わって、披露宴の前に親戚の写真撮影がございます。その席に、妹さんがなかなか現れませんでした。
一同カメラさんの言いなりにになったままで待機しておりますなか、お母様がオロオロと捜し歩いて、やっとお連れになって写真に写まった次第です。この間、カレは「どうしよう、どうしよう、久美チャンがばらしちゃうよ」と小さくうろたえていたと申します。
このとき、初めて、紀子はカレと久美ちゃんの間で起きていた事の真相に疑念が湧いたと申します。
この話を聞かされて、結婚式での妹さんの異常な振る舞い、ご両親が妹さんを私たちに近づけなかった事、披露宴が終わると、さっさと帰ってしまわれたこと、すべての辻褄が合いました。
後で知ったことですが、この頃から、紀子は神経内科に通うようになります。そのため、会社にもご迷惑をおかけすることもあったように聞いています。なんとかして一人で解決する方法を模索して苦しんでいたのだと 思います。私たちに知れたらとても悲しませるからと…。
そんなことになっているとは知らずに、私どもはゆくゆく子育ての手助けが要るからと、近所に越してまいりました。このことは後になってとても幸いしたと思います。
妊娠したことで、紀子は自分の判断が誤りだったことにやっと気が付いたと申します。婦人科の医師に対する恥ずかしい彼の態度、近くの女子高に登下校の女生徒たちに対する振る舞い…自分はこの人のマリアになろうとしていたのに、カレは改心どころではないのを見て、日々育っていくお腹をかかえ、これから生まれる子が女の子だったらカレの興味が向かない筈がないという思いが離れなくなったと申します。
紀子は妊娠初期から7箇月ころまで切迫流産で会社に出られない状態が続いていました。
出産間近の紀子を前に、私たちのできることは限られておりました。
信じがたい話を聞いて、私は彼の母親に会いに直ぐ鹿児島へ飛びました。どんな話を聞かせていただけるか検討も付きませんでしたが、この時は何か行動をとらざるを得ない心境でございました。
ちょうど、お父様がお怪我のため入院中で、お母様と二人きりで料亭でお会いするこが出来ました。
ここで、彼女は二人の結婚より前にすべて妹さんから聴かされて知っていたと話しました。そして、妹さんはもう結婚も出産も出来ない…と、この兄の所為でひどい目にあったと話すのです。そして、紀子が一度許したのなら、もう一度許してほしいというのです。
結論は紀子が出すことだから、とにかく出産が無事済むまで、私がこちらに飛んだことは内密にして、騒ぎ立てないようにと頼んで、その日のうちに帰宅しました。
次の日、紀子を実家出産に備えるからと家に引き取り、紀子の身の回りの品も実家に移しました。毎日泣いて過ごす母体が赤ちゃんに良いわけがありません。わたしが出来ることは明るく振舞って、励ますことのみでした。
嵐のような出産が済んだ日、紀子の迷いをカレに告げました。そして親元に行ったことも話しました。自分のしてきたこと、紀子に対しても誠意が無かったこと、カレは泣きじゃくりながら話していましたが、(紀子はこれに引っかかったのです)ご両親が知っていたとは、思わなかったし、口止めしていたのに私達にすべてが知れてしまったのなら、最早、自分は去るしかないと…。紀子がまだ結論を出す前だというのに…。
あっけないほどのスピード離婚でした。紀子には事実を告げていたから慰謝料は払わない、綺麗さっぱり忘れたいから子供に会わないかわり養育費も払わないと言って転居先も告げずに立ち去りました。最後に紀子に残した言葉は私に対する憎悪と裏切りに対する悪態でした。同じ人物がこうも変われるものかと、正直あっけにとられた次第です。
カレは出産前に離婚を言い出していたら子供の認知からも逃げたかもしれません。出産を待ったことで、父としての自覚を測ったのですが…。
離婚してからの紀子の様子は平穏とは言いがたいものでした。紀子は子供を抱いたまま、夜遅くまで戻らなかったり、いきなりはだしで飛び出したり、目を離せない状態が続きました。この頃の事は思い出すだけで心が痛みます。幸い生まれた子がこの上なく健康で、わたしが育児を手伝うことで、気持ちも少しずつ晴れていきました。
が、しかし、カレがまだ近くにいる。約束を破った自分をきっと恨んでいるに違いない。いつか逆襲される。其の思いが紀子から少しも離れません。携帯や電話の音に怯え、カーテンは締め切ったまま、明かりが漏れないようにするのです。
カレには、一日も早く本籍を地元に戻し、勤務先も関東から他へ移動することを約束させました。カレのもとには子供の扶養はもともと収入の関係で紀子にありましたので、ご実家にお一人で戻ることになると思いますが、私共には結果を確かめようがございません。
私どもは、早く仕事に戻ることが紀子の精神を立て直す早道と考え、乳飲み子をかかえて大変でしたが、昨年4月から短縮でしたが仕事に戻るよう勧めました。 暫くの間、母子家庭に対する周囲の目に敏感に反応したのはまだ精神が癒えてないからだと思います。
最近ではようやく、自分の過去に付いた精神不安定というレッテルも間違った結婚生活が原因だったこと、また離婚の経緯(もちろんすべては話せる内容ではありませんが)も一部の上司に話せるようになり、上司からの信頼も取り戻しつつあるようです。
神は紀子に子育てという喜びを与えてくださいました。そして、お救い下さったのだと思います。他人を欺いて生きていく者を神が救うはずがございません。紀子は今では自分がしようとした事が間違っていたけれど、神はちゃんと見守ってくださっていたと、感謝の気持ちで毎日を過ごしております。そして、赤子に救われたと思うことがその子供を大切に育てる力にもなっております。
紀子はいまでも、妹さんの苦しみを考える時があると申します。二人の結婚が妹さんにどんなに残酷だったことか、今になって申し訳なかったと…。しかし、それはご両親が心配るべきことで、紀子には子供を持つ親としてのつとめが与えられているのです。
紀子の親である私どもにもまだまだつとめが続きます。紀子のほかに子らがおります。それぞれが家庭をもって、人生が軌道に乗るまでの間、親の力を発揮できるうちは幸せと思うように致しております。
お話いたすべきことは大体以上のようなことでございます。紀子が未熟であったこと、私がきちんと教えるべきことを怠ったことが紀子の判断を誤らせたと存じております。今は、外れた軌道を取り戻し、幸せに向って進んでおります。どうか、先生には紀子の家庭を温かい心で見守っていただきたいと、切にお願い申し上げます。
ながい文になり、お疲れになったことと、お詫びもうしあげます。先生の今後のご活躍をお祈りもうしあげて、筆をおくことに致します。
いずれ、お目にかかれる日まで… ごきげんよう。
宮本 園子
人物;紀子
園子=紀子の母
忠雄=紀子の夫
肇 =紀子の兄
和彦=紀子の従姉弟
智子=忠雄の母
多久 あきら 作
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2009/10/07(Wed)14:42:23 公開 /
たく あきら
■この作品の著作権は
たく あきらさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
長いこと温めてきた作品です。同じ物語に登場する人物の視点を変えると面白いだろうと考えました。 今回はひとつの家族の姿を想定して書いてみましたが、紀子の描写、離婚の後の様子を手紙で表現してみました。こののち、忠雄の声、智子の過去、にも迫ってみたいと思ってます。多久あきら