- 『鞄の小僧さん_第一話』 作者:鳩 / ファンタジー 異世界
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全角31354.5文字
容量62709 bytes
原稿用紙約99.4枚
鞄屋の小僧さんを中心とした非日常の物語。第一話として完結させました。
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≪カランコロ〜ン♪≫
聞きなれた鐘の音が作業の中断をしらせた。ここはとある町のとある鞄屋の二階。
『誰だろう……こんな時間に……』規則的に続くミシンの音を聞きながら呆けた頭で考える、
『そういえば、晩ご飯食べてなかったな……』作業の中断を惜しむように、ミシンの音が間延びして、止った。
僕は鞄屋さん。正確には鞄屋の見習いだ。商店街の皆から「鞄の」とか「鞄の小僧さん」とか呼ばれてる。
僕はこの呼ばれ方が大好きだ。表通りにあるパン屋のおじさんに「おお、鞄の!」と声をかけられると嬉しくて、
ついパンを買い込んでしまう。『まだ、堅パンとチーズはあったかな……』そんなことを考えてみるが、どうしよう、
お客様だ。
『閉店のプレートに気づかなかったのかな。まあ、いいけど……』
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今日は朝からカリカリしていた。探している材料がちっとも見つからないからだ。イライラしながら山を飛んでいると
引っ掛けて、鞄を壊してしまった。
『また爺に小言を言われる。だいたい、客に対する言葉遣いがなっちゃいない。それでなくても、魔女に対する
敬意ってもんがあるだろうに……』 とある町の山奥に住む魔女、ドロシーは、側面のパックリ裂けたリュックを
手で押さえながら、いかにも『魔女ですよ』と言わんばかりの格好をして街中を闊歩している。宵の入りで決して人通りの少なくない表通りだが、魔女の行く先には道が開かれる……道行く人々が大げさに道を譲っていくからだ。
「魔女様、ご不便はございませんか……」
表通りの店々は無難な笑顔で一応の挨拶をしてくる。通行人と違って逃げ場のない彼らは魔女に便宜を図って自らの
安全を担保してきた。その関係はもちろん一方通行かもしれない。しかし、何もしないよりは、少なくとも自らは
安心できる。
「この間のチーズは上手かった。誰かを呪いたくなったら何時でも言いな!」
「……有難うございます。光栄でございます」
人好きのする居酒屋の親父は鼻をテカテカさせながら精一杯の言葉を返した。人を呪うなんてとんでもないが、
魔女様のご好意を蔑ろにする訳にはいかない。厄介は一刻も早く去ってくれといわんばかりに、笑顔でヘコヘコしている。
…嘘がつけないタイプなのだろう、笑顔も卑屈である。
特段の興味もないのか、ドロシーは独り言を言いながら慣れた調子で歩いている。喫茶店の脇までくると、
鞄を抱えなおして路地に足を踏み入れた。昔から細々と続く小店が点在するなか、時折、回りを確認しながら、
控えめな茶色の看板を目印に歩を進める。いつになっても変らない、潰れるでもない、賑わうでもない、
鞄屋の前に立った。
≪準備中≫
革に焼印とステッチで装飾されたプレートが営業時間の終了を告げている。
誰に聞かせるわけでもなくドロシーは独りごちた……。
『まったく、客を締め出そうってのかい! 礼儀知らずはこれだから、まだ19時じゃないか!』
お店のドアに鍵はかかっていない。変った形の金属の取っ手を乱暴に掴んで少々強引に開け入った。
『なんか変だね……』ドロシーは入って直ぐに懐かしさと、違和感を覚えた。閉店して明かりを落とした店内を
ぐるりと見渡す。ディスプレーされた鞄はそのままに、まるで眠っているようにも見えるが落ち着きと静溢を感じさせる。
『……このボストンバックも、あの肩掛けも、皆、おとなしすぎる』
手近にあった小物を手にとってみる。黒だと思ったが、元は深い緑色のようだ。握るとキュッと音がした。
上等な革を使って、ステッチも丁寧に入った小銭入れだ。だが、おとなしい。魔法の気配が感じられない。
『……爺も、もうろくしたか。…だが、物はいいねぇ』手に伝わる感触も重さも心地好い。握るたびに軽快な音がする。
革がだれていない。良い仕事の証だ。思わず頬が緩んでしまう。
「いらっしゃいませ〜」
不意に、上方から間の抜けた小僧の声がした。二階からゆらゆらと、ランプが作る滲んだ影が、
小僧の印象をぼやかした。
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「いらっしゃいませ〜。鞄壊れちゃったんですか♪」
二階に続く階段から淡く光が漏れている。逆光で見にくいが、小僧が階段を下りてきた。見たことのない顔だ。
爺が出てくる気配はない……。髪も目も真っ黒な小僧は、くりくりした目でこちらを伺っている。
全体的にモサっとした印象の小僧だが、魔女を相手に怯える様子も無い。それに、目端は利くらしい。
自分のところで作った鞄かそうでないかくらいは見分けが付くようだ。
「小僧、爺はどうした。」
質問には答えず、こちらの用件を伝える。魔女としての威厳を保つことも重要だ、魔女の相手が小僧では……
他の店への示しが付かない。ここはやはり、店の主人が応対するべきだろう。が、分かったような分からないような
顔をして小僧が見上げてくる。そのうち周りを回りだして、鞄やローブを引っ張り出した。
こんなのが店番で大丈夫だろうか……他人事ながら呆れてしまう。まあ、昔から変った爺ではあったが……。
「どうやって直しましょうか〜」
…マイペースな小僧だ。こちらの声が届いているのか、いないのか、心配になる。爺を呼べと言ったのだが、
お構いなしだ。それに、魔女の鞄はやっぱり、魔女の鞄だ。鞄の裂け目から、山草や猿の首が顔を覗かせている。
朝から集めた魔法の材料だ。それらには目もくれず……いや、目に入ってないのか……どうやって鞄を直すかで
頭が一杯らしい。
「パックリ割れちゃいましたね〜 まるでトマトが裂けたみたい……」
それにしたってこの小僧。魔女に対する態度がなってない。魔女は偉いのだ! そう、敬意をもって接し、
畏怖を持って敬うものだ!なにせ難関の国家資格、『魔法士』の試験にパスしたものなのだから。
この試験の合格者は『弁護士』『医師』『薬剤師』『技師』といった国家がその業務の独占を保障し、
ギルドが管理している職域を無視することができる。つまり、『魔法士』の免許で手術や裁判もできる。
逆に言うと『魔女協会』や『魔法士協会』といったギルドには誰も手が出せないということだ。
そして、協会に属する魔法士はその協会のシンボルを身に付ける。『魔女協会』の協会員にはいかにもなローブが
支給される。このローブを身に着けているということは魔法士であり、協会に認められた絶大な特権を持っている
ことを示している。そんな美味しい資格なので、当然、志すものは多い。呪いの勉強から、毒物の研究に至るまで、
日夜、精進した結果、才能のある一握りの魔法使いのみが魔法士の弟子になれる。
師匠から推薦状を頂いて初めて、受験することができるのだ。
なってしまえば働かなくっても村からの貢物で困らないし、退屈したら、井戸に腹下しの薬を流しても誰も文句は
言わない、言わせない! 鞄屋の小僧ごときになめられたとあっては魔女としての沽券に関わるのだ。
「……小僧、爺はどうした。小僧ごときがこの魔女の相手をするなど、おい、何をしている。 小僧ッ!」
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『不思議な鞄だな……』
猫背気味のおばあさんの背中に、若干ふわふわして、鞄が乗っている。
この鞄は『飛行機リュック』とよばれるもの。柔らかい皮で収納力があり、体にフィットするのが特徴だ。
その昔、飛行機乗りには、背負いやすく、下ろしやすい、風に飛ばされず、邪魔にならない、との理由で
この鞄の愛用者が多かった。今はパイロットが風に当たるような構造の飛行機は少ないのでそうでもないのだが。
このおばあさんの鞄は側面がパックリ裂けている。背負わずに肩にかけて、片手で押さえてきたのだろう。
今は押さえていた手が外れているので、自分で背中に戻ったようだ。
小僧はおばあさんの胸から腰からお尻まで、ローブを引っ張り、手で探っていく、寸法的におかしな所は……
特にない。おばあさんが動き回るので作業が難しい。なんで背中に合わないんだろう……
「小僧ッ! 無礼なッ……止めんか!!」
おばあさんが動きに合わせて、僕もくるくる回ってる。猫が自分の尻尾を追いかけたらこんな感じだろう。
鞄を直しに来たはずなのに、何でじっとしてないんだろう…。おばあさんは顔が真っ赤になってきた。
「どこかお悪いんですか?」
……おばあさんの髪の毛が逆立った!
「悪いのはお前の頭じゃ、小僧ッ!」
何でだろう……目も眉も吊り上げて、風もないのに髪はうねっている。
よっぽど怒らせてしまったのだろう。しまった! 魔女様だったか、そういえば漆黒のローブを着ていらっしゃる。
両手が印を刻んで口が裂けてきた! 明らかに魔法を構成してる。
『爆裂系じゃなければいいけど…… お店大丈夫かな』
鞄屋が無くなるのは困るけど…必要最低限の道具だけもって逃げ出すか?
…そうこうするうちに、魔女様が強烈な光に包まれた。眩い光に目をつむると、次に衝撃が!……襲ってこない?
目の前に漆黒のローブを纏った女性が立っている。ローブを着ていても、しなやかな体躯がはっきりと分かる
……でるところはでている。
「おばあさんがお姉さんになっちゃった……」
お姉さんは、いや、魔女様は、凄い形相で僕を睨んでる…。
どうしよう…魔女様の、胸から、腰から、お尻まで、しっかりと確認してしまった…。
なす術は……あるはずもなく。
--二へ続く--
窓からぼやけた光が差し込んで、それほど明るくない室内に揺らぎをもたらしている。時折、家路につく若者の嬌声が
一枚隔てて、入ってくる。今日という日を惜しむように、生気に溢れたその声は、遠ざかり、残された路地裏のガス灯が、
ゆらめき、宵闇の訪れを深くする。
「…………」
「…………」
とっても気まずい雰囲気が場を支配している。ここは路地を少し入ったところにある鞄屋の二階。鞄屋で見習いとして
働いている小僧が寝起きにも使っている、工房兼、台所だ。
今日は変ったお客様がいらっしゃった。壊れた鞄を引っさげて、見るからに『魔女様ですよ』といった格好をした
老女が訪ねてきた。確かに閉店の看板を掛けていたのだが……見えなかったらしい。閉店だと分かっていて入ってきた
気もするのだが……。そうでないことを願おう。
「ちょっと……」
「……なんですか?」
「なんか言うことあるんじゃないの?」
「とっても美味しいです」
「ふんっ…… 鞄屋のくせに、口の利き方がなっちゃいないよ。」
小僧と魔女が食卓を囲んでいる。なんともシュールだ。食卓といっても作業台にナプキンをしいただけの簡易なものだが。
悪口をたたいた魔女だが、それでも心なしか、嬉しそうにも見える。一概に魔女というものは気位が高い。
その上、この魔女、ドロシーは山奥に一人で住んでいる。人に食事を振舞うのに慣れていないのだ。
一方、鞄屋の小僧は『魔女様、怒ってないかな……』と別のことを気にしている。ドロシーの持ってきた鞄は
『飛行機リュック』と呼ばれるもの、持ち主と鞄とがフィットしているのが望ましい……。しかし、壊れた鞄は
老女の背に、ちょこんと、乗っかるように浮いていた。寸法が合っていないように見えたのだ。
小僧は壊れた鞄に夢中になって、老女の寸法を測るために、無遠慮にあちこち触ってしまった。
触れば寸法は合っているのだが、どうにも鞄と不釣合いに見える……。何のことはない、ドロシーが姿を変えていたのだ。
合ってないように見えた鞄も、実際はぴったりとドロシーの背に収まっていたのだ。
「……魔女様もお食事は普通なんですね」
「ああ……あたしは人間を辞める気はないからね」
重苦しい雰囲気に呑まれて、会話も弾まない……。こうゆう時はお仕着せの定型句、天気の話題とか、ご当地自慢とか
普通なら会話のリズムを作る手段はいくらでもあるのだが、いかんせん、魔女が相手では……。
魔法使いは人外のものである。世界の調和を乱す存在だ。ドロシーも人の道を外れて魔法の修行を積んだのだろう。
でなければ魔女になんてなれっこない。普通は薬草とか苔とかから作った魔法食を食べて、自らを鍛えるはずだ。
クリームシチューと堅パンを食べながら、以外に料理上手な腕前をいぶかしむ。足りない材料を買いに走らされたし
……壊れたリュックから山草を取り出してシチューに入れるし……美味しい以前の問題が頭をよぎる。
『魔女様の作った料理を食べて平気だろうか……』
体は痺れてないし、お腹を壊す予兆も無い……魔女のお相手としては破格の待遇だろう。
細かいことはさておき、この魔女様は姿を変えられるらしい。老女の姿をしていたが、
今は二十歳前後の顔立ちをしている。妙齢の女性に黒いローブは不釣合いだが……まあよしとしよう。
無駄な採寸をしてしまった……。今は背筋もしゃんと伸びている。
腰紐に何かの頭蓋骨が三つ、数珠状に繋がれている……人か、猿か……まあ、気にしない!
自分の姿を変えられるお方だ……物の大きさを変えるのもお手の物だろう。
「……で」
「はい!」
姿勢を正して魔女様のお言葉を待った。魔女様の考えることは分からない。鞄を直しに来たはずなのに、
小物を物色していたし……採寸したら怒り出して変身するし……挙句に腹が減ったから何か食わせろと来た。
言っておきながら自分で料理をはじめたのだ。
「鞄は直るのかい?」
「どうしましょうか……」
「直らないのかい?」
「どうしようかと思いまして……」
魔女様の鞄は『飛行機リュック』と呼ばれるタイプのもの。旅の携行に適していて、とても扱いやすい。
「普通の鞄なら、裂けたところを手当てして……まあ、縫っちゃえば終わりなんですけど……
魔女様の鞄は魔法鞄ですので……魔法の効力を考えると……ちょっと……」
「直せないってのかい?」
「直せないわけじゃないんです。現に、魔女様の鞄は未だに魔法効果を維持しています。ただ……鞄が怒ってて……」
「何だって!? 鞄が怒る!? そんなバカな話があるかい!!」
「ああッ、ごめんなさい。魔法の元になっている宿主が怒ってるんです……」
「はあっ!?」
魔女様の驚きをよそに、小僧は立ち上がってミシンのある作業台から『とうふ』と呼ばれる道具をもってきた。
鞄に鋲をうったり、金具を付けたりする時に、土台として使う金属の塊だ。四角くて豆腐のような形をしているので
『とうふ』と呼ばれている。
「魔女様、鞄をかしてください」
「ああ、ほらよ」
放り出す感じで、ドロシーは鞄を食卓に投げ上げた。勢いあまって中身がこぼれ落ちる。……猿の頭にカラスの嘴、
野うさぎは食料だろうか…。鞄屋の小僧はというと…まったく気にする様子は無い。鞄に夢中のようだ。
「可愛い可愛い小鳥さん♪ 久しぶりに羽を伸ばそうね!」
小僧の右手が光りはじめる! 何時の間に魔法を唱えたのか……。鞄も光りだしてふわふわと浮き上がりはじめた。
なんとも…鞄から羽音が聞こえ出した。既に小僧の頭よりも高い位置で滞空している。
「おー! ご機嫌ですな〜。」
ニヤニヤしながら、小僧はジャンプして鞄にタッチした。光る右手と鞄がぶつかる、一瞬! 何かが弾け飛んだ。
「なんて……ことだい」
ドロシーはあっけに取られている……。
普通、魔具(魔法道具)は魔力を媒介する『もの』を使って様々な効力を定着させる。魔石など、魔力を留める媒介に
よって、魔法の効果をストックするのだ。だからポーション(回復系ドリンク)などは比較的作りやすい。
点在するヒールスポットから水をくみ出せば、大抵、癒しの力が宿っている。
滋養強壮剤、例えば、ア○ナミンVにヒールの魔法を閉じ込めれば、簡単に作れるのだ。
……だが、鞄から解き放たれた『モノ』はまったく別格のものだ。明らかに『意思』を持っている、力だけではなく、
意思を感じさせるのだ。
軽快に飛び回ったそれは、一度、天井に頭をぶつけて……、軽く一鳴き。ひらひらと舞うように降りてきて
『とうふ』の上に鎮座した。光が徐々に落ち着いてきた。オウムのようにも見える、それは、土台が少し窮屈なようだ。
「ハーピーか? それにしては純粋すぎる……。」
「魔女様、改めましてご紹介いたします。小鳥さんです♪」
鞄がぼろ布のように 「ポスッ」と落ちてきた。
--三へ続く--
≪朝だ、朝です、朝ですよ〜♪≫
間の抜けた声が朝の到来をハモッっている。オウムと小僧が仲良く音をとりあっている姿は不気味だ……。
遠くにカラスの声を聞いた気がしたが……とっくに朝が明けたらしい。強い日差しが部屋の一角に幾何を映す。
今日は目がくらむほどの晴天なのだろう。
ここは、とある町の、とある鞄屋の二階。壊れた鞄を修理するために訪ねたのだが、何故か泊まるはめになった。
私はドロシー、これでもれっきとした魔女である。魔法の材料を集めに、山を飛び回っていたら、鞄を壊してしまった。
壊れたものを修理したいだけなのだが……厄介なことにそれは魔法鞄だった。
「小鳥さんは賢いね〜。チェスが出来る鳥さんは初めてだよ〜」
……オウムはチェスも出来るらしい、頭が痛くなってきた。確かにオウムの足の動きにあわせて駒が移動している。
どうなってるんだか…。昨晩、作業台兼食卓に小僧がチェス盤を持ってきた。それからずーっとチェスが続いている。
見たところ両者とも腕前は大した事ないらしい。世間話をしながら、時々思い出したように
駒を進める。こいつが鞄に宿っていたのかとおもうと……そら恐ろしい。
魔具は大抵、魔石をつかって作られる。だから、壊れたら魔石を交換すれば、大抵は事足りる。私の鞄も魔石を
交換すれば直ると踏んでいた。だが、私の魔法鞄は精霊が宿っていたらしい…そう、チェスを嗜んでいるオウム様だ。
壊れた鞄から解き放たれたオウム様は、ルンルンで自由を謳歌していらっしゃる。治すはずの鞄屋ときたら、
こちらもルンルンでオウム様のご機嫌を取っている。
「チェックです」
「しばし待て、小僧」
「小鳥さんは弱いね〜」
「なにせ、鳥だからなw」
「そんな鳥がいるかぁ!!!」
とりあえず突っ込んでみた。魔女に突っ込ませるとはたいしたものだ。
≪ここッ、ここッ、ここに〜 お〜り〜ま〜す〜♪≫
「いちいちハモルなッ!」
頭が痛くなってきた、これで何度目だろう。壊れた鞄は直った、側面がパックリ裂けていたのだが、ジッパーをつけて
口が閉じるようになった。これで横からも物が出し入れできる。便利だ。鞄屋の小僧は昨日のうちに、そこまでは、
手早く鞄を直してしまった。
私は魔女だ。そんなに暇ではない。修理が済んだら、鞄を担いで颯爽と飛び去るつもりだった。勿論、魔女といえば
箒で空を飛ぶ! 箒で空を飛べてこそ魔女だ!! だから、邪魔にならないように『飛行機リュック』と呼ばれる鞄を
使っているのだ。これなら、旋回しても、ひっくり返っても、体と一緒に重心が移動する。上空は気流が激しいところも
あるので大切なことだ。
「思い出しましたか〜?」
「だから、そいつの名前なんてきいたことないって!」
「悪いご主人様ですね〜。小鳥さん、名前を思い出せないんですって」
「……ありえんな」
「ありえませんよね〜。だいたい、名前も知らないで使役するって非常識にもほどがありますよ。本当にあなたの
鞄なんですか?どっかから盗んできたんじゃありません?」
「だから!そいつに世話になった覚えはない!!」
「恩知らずなご主人様ですね〜。さんざん使っておいて身に覚えがないなんて」
「悪魔にも劣る所業だな。」
「悪魔以下ですよね〜」
……またこれだ。一晩中同じことを繰り返している。要は、鞄の修理にオウムの名前が必要らしいのだが、
そんなものは聞いたことがない。大体、鞄に宿っていることも知らなかったのに、どうして名前が分かるというのだ。
「身に覚えがないのなら、帰っていただいてかまいませんよ。小鳥さんは喜んで引き取らせていただきます。」
「……よろしくな、小僧。」
「あ〜もうっ! 思い出せばいいんでしょう!」
私にだってプライドがある。それに魔女としての立場もある。
鞄屋の小僧と、妙ちくりんなオウムにバカにされながら一晩中付き合うほど暇ではない。
……私は帰ろうとしたのだ。帰ろうとは。だが、上手く飛べなくなっていた。重心がふらついてどうにも箒が
安定しない、それにいつもより体が重い。魔女になって十七年。こんなに歯がゆい思いをしたことはなかった。
悔しいが、あのオウムが飛行の助けになっていることは否めない。ピンチなのだ。上手く飛べない魔女なんて
洒落にもならない。なりたての少女ならともかく、こっちは十七年も経験を積んできたベテランだ。
自力で飛べないなんて、魔女協会に知られたら、それこそ赤っ恥だ。
思えば、昔から箒が苦手だった。魔女修行で一番苦戦したのも、薬草学でもなく、実践黒魔術でもなく
……箒による飛翔だった。何時も優しく励ましてくれた師匠が懐かしい。
「……ヒント! なんかヒントないの!」
小僧とオウムが顔を見合わせる。心底、あきれているようだ。
「鞄の持ち主なら説明くらい受けたでしょう。…人語を解してチェスまで出来る高位の精霊ですよ。見当付くでしょう?」
「……無駄じゃよ。十七年を伴にして、存在にすら気づかなん輩じゃ」
「相当鈍いのか、才能がないんでしょうね〜」
散々な言われっぷりである。それに魔女は精霊学の専門家ではない。薬草と呪いが専門だ。精霊学なんて魔術基礎で
習って以来。殆ど記憶にない。
「私は魔女なの! 悪魔とか呪いとかが専門なの!」
「じゃあ、小鳥さんとは相性が悪いね〜。居心地悪かったりして」
「わしは悪魔が苦手じゃ」
「……やっぱ、諦めれば〜」
「ムッー!!!」
風系統の精霊を片っ端から思い出してみる。あのオウムはどう見ても風の精霊だろう……。
鳥の形をしているし、何よりも、飛翔の効力がある。
思えば、私のために師匠が用意してくれた鞄だった。魔女にリュックは似合わないが師匠からのプレゼントである……。
一目で強い力を持った魔具だと分かったので、特に疑問もなく、ありがたく頂戴したものだ……。
「……じゃあ、ピクシー?」
『呼んだ?』
オウムの操っていたチェス駒が盤面からおちた。綺麗な緑色をした、悪戯っぽい顔をした妖精がチェス盤の上に
浮いている……。パチパチと瞬きして、こっちを見ていたが……駒を落としたのに気付いたらしい。
オウムにごめんなさいをして、チェス駒を抱え動かした。
「なるほど〜 ピクシーを使って駒を動かしてたのか」
「ばれたか……上手いこと動いてたろう?」
「なんで……」
今までは隠していたのだろう。ピクシーの姿がだんだん透けて、見えなくなった。
魔女様が硬直している。無理もない。精霊を使役する精霊を見て初めて小鳥さんの実力に思い至ったのだ。
大体、ばれないように力を使うなんてよっぽど高位の存在でない限り不可能だ。魔法は世界に負担をかける。
術者が未熟であればあるほど、その醜さは顕著に現れる。
「魔女様、お水飲みますか? 顔が土色になってますよ〜」
「おお!! こいつはいかん!? 刺激が強すぎたようじゃ」
『これは夢だ、悪い夢を見てるんだ……』
ドロシーは虚ろな目をして意識を手放した……。
--四へ続く--
「おーい、大丈夫か」
「どうだよ、若先生」
「過度にストレスがかかって、一時的に意識を手放したみたいだなぁ」
「クルックゥ!」
「おーッ! さすが若先生、見立てはばっちり〜 なおるの?」
「魔女様の生態を良く知らんからな……下手な薬を使って、服薬がバッティングしたら最悪だ。
気付け薬くらい大丈夫だと思うが……まぁ、用心のために気が付くまでほっとこうや」
「魔女様も人間なんだね」
「クゥッルッックゥッ!」
ここはとある町の診療所。今日は午後から診察開始なのだが……。鞄屋の小僧が、配達よろしく、妙な女を担ぎこんで
きた。付かず離れず、妙に貫禄のあるオウムも連れている。明らかに訳ありだ……大体、魔女協会のローブを着た女に
ろくなのはいない。性格のねじくれた魔女様と見て間違いないだろう。……だとすると、あのオウムはお目付け役か。
不気味な目をしている。まるで人を値踏みするかのような目だ。
俺の名はラスキー。町医者よろしく親父の後をついで、小さな診療所を切り盛りしている。
『若先生』と呼ばれるようになってずいぶんたった。親父も現役だが今日は町の有力者達と狩りに出かけている。
とりあえずは落ち着いたので。診療所二階のベッドに移した。改めて女を見てみる。格好はアレだが……いい女だ。
魔女にしとくのが勿体無い。飾り気のない黒髪には艶があり、魔女独特の化粧が人外の美しさを作っている。こうして、
寝ている時でしかまじまじと拝めないものだ。ありがたく鑑賞させていただこう。…だがやはり、『私は魔女様よ』と
いわんばかりのローブはいただけない。不気味な腰紐もアレだ……。猿だか人だか分からない小さな頭蓋骨を数珠状に
している。分からないものには触れないほうが身のためだろう。
鞄屋の小僧もいつもと違って怪しい。どうみても不釣合いなオウムに夢中になってる。
ペットにしちゃぁ鎖もつけてねえし、妙な気品を備えていやがる。
「ところで小僧さんよ、物騒なの連れてるねぇ」
「さすが若先生、小鳥さんの力が分かるの?」
「そりゃ……凄い勢いで合いの手を入れてくるからなぁ、明らかに人の言葉が分かってるだろう」
「……ドロシーより感が良いのぅ」
「……喋れんのかよ。 魔女様はドロシーってのか? 小僧さん、凄いの見つけたな」
「この魔女様の持ち物なんだ……。でも魔女様は小鳥さんの名前を思い出せないの」
「クゥーッ! それでも飼い主を慕うたあ、健気だねーっ」
「なかなかに居心地が良くてのぉ」
「それでっ……、 あんたみたいな強力なのが側にいて、何で魔女様はこうなっちまった?」
≪ ……クルックゥ♪≫
小僧とオウムがハミングする。
「……お前らなんかやったな。」
≪ ……♪≫
……嫌な予感しかしねぇ。
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目が覚めると固いベッドの上だった。魔女だって寝る時は寝る。もちろん、魔法修行のために睡眠を削って魔力を
高める陰険なやつらもいるが……そうゆうやからは、もはや人間ではない。仙人の類だ。私は人間を捨てるつもりは
さらさらない。美味しい食事には目がないし、良い男がいたら魅了したい。欲望に正直な魔女なのだ。
いや、正直だから魔女になったというべきか。
「気が付きましたか?」
柔和で良い男がベッドの脇に座っていた。年のころは30くらいか……。白衣を着ているからドクターだろう。
……そういえば薬品のにおいがする。自宅とは違い、治療用の薬物が鼻に付く。無言のまま男を見つめるが……
見覚えがない。ここは小さな町だ。町医者は魔女から薬剤を仕入れている。医者は病気の専門家であって、
薬の専門家ではない。小さな町には薬剤師なんて高等な職業のものは派遣されない。
魔女に依頼して薬を調達するのだ。その証拠に戸棚には見覚えのある瓶と薬剤が並んでいる。
「お前、もぐりか?」
「お初にお目にかかります、魔女様。ハロルドの息子、ラスキーと申します。」
男は胸に手を当てて丁寧に挨拶をしてきた。上位者に対する礼儀をしつけられる家柄なのだろう。
「何だ、あいつの息子か……」
「はい、ご気分は如何ですか?」
「私を誰だと思っている… 西の魔女だぞ。」
≪ケケッ♪≫
魔女様の腰紐が動いた気がした。正確には腰紐に結わえてある数珠状の骸骨がカタカタいったのだ。
「魔女様ッ!」
「騒ぐな! 魔法の気配にこいつらが反応しただけだ」
物音が増えてきた。部屋全体が細かく揺れている。魔女が腰紐を解いて右手で突き出した。左手で印を結ぶ。
高等な結界を張っているのだろう。戸棚にしまってある薬瓶が不快な音を立てる。部屋全体の揺れとは別に、
魔女の骸骨たちが、カタカタと鳴り始めた。あたかも、複数の術者が術印を唱えているようだ。
ラスキーはようやく部屋の異変に気付いた。当然、魔女は分かっている。採光のための窓が歪んで見える。
窓のある壁が歪んで、何かが這い出すようにウネウネしている。嫌な予感がぬぐえない。魔女様の結界の範囲に
自分は含まれているのだろうか…。何時も持ち歩いている診療バッグが窓のそばに見える。あれを失うわけにはいかない。
「バカ、戻れ! 結界から外れるぞ」
一応、魔女様の結界の中にいたらしい。今はもう外れてしまっただろう。外から魔女様の結界に戻るのは不可能だ。
診療バッグひったくるように掴むと、歪む空間からできるだけ距離をとった。
壁が、ウネウネと動いてこちらに近づいてくる……空間が…歪んで 裂ける!
≪朝だ、朝です、朝ですよ〜♪≫
「……魔女様?」
「……もういい、何も言うな」
心底疲れたといった表情をして、魔女様は腰紐をたたんで放り投げた。
カラカラとざわめく骸骨が笑っているようにも見える。……魔女様の横顔は意外に幼い。
「やっほーっ! 魔女様、元気になったら鞄を取りに店によってね♪」
「クルックゥ♪」
「じゃあね〜」
…裂けた空間の先は、路地を入ったところにある鞄屋の二階。相変わらずオウムと戯れているらしい小僧が、
ご機嫌で手を振っている。オウムはどこか得意げだ。こんなことが出来るのはあのオウムしか考えられない。
ふと、ラスキーは嫌な予感がした。この魔女様は先ほど何とのたまわれたか……。『西の魔女』といわれた気がする。
西とは方角をあらわしているのではない。西に楽園があるという古の信仰と、魔女の神秘性が結びついた二つ名だ。
楽園には命の木があり、天使がそれを守っているとの言い伝え……。その楽園を通って来た魔女、天使をも凌駕する
力を持っているということだ。
「魔女様、まだ横になられていたほうが……」
「ラスキー! 世話になったねぇ」
いつの間にか魔女様が老婆になっていた。左手を差し出して破けた空間を無理やり閉じる。
腰紐を手繰り寄せて、『よっこらしょっ』といった感じでベットを降りる。
「…三日やるから逃げな」
鼻で笑うように吐き捨てた。俺に対する警告じゃない!
町に避難勧告を出さねば。相手は呪いの専門家だ……
--五へ続く--
≪タタッ タタタタタッ≫
ここはとある町のとある鞄屋の二階。軽快なミシンの音が、薄暗く、静かな空間にリズムを与える。
一階には仕立てあがった鞄や小物がそれぞれを主張しながら、整然と並んでいる。ビジネス用のブリーフケースから、
旅行用のボストンバックまでラティーゴと呼ばれる厚めの牛革を使ったものが多い。勿論、ブタ革やそれ以外の材料で
作ることも出来るのだが、基本的に牛革で作っている。仕入れの問題とメンテナンスをかねてのことだ。
材料を均一にすることは、経年劣化や破損に対する、修理やメンテナンスに活きてくる。
特別な材料を使う場合はそのデメリットをお客様に説明している。人皮を使ったりすると、材料の入手や持込に
制限がかけられることがあるからだ。鞄屋としては、一生使える鞄を、持ち主と一緒に、大切にしたいと思ってる。
二階で一心不乱にミシンを操っているのは、鞄屋の小僧。オーナーの代わりに店を守るようになってもう五年になる。
どうみても少年にしか見えないそれは、年のころ十二歳かそこらだろう。
「鳥さん 見てみて〜 がま口を作ってみたんだ♪」
「おー! なかなかの出来栄えじゃのお。」
鞄をかける取っ掛かりの上に、どこか気品のある、オウムのようなものが留まっている。鳥かごはあるのだが、
このオウムのための物ではないらしい。人語を話す時点で、かなりの存在であることは間違いないのだが……。
食事用の机だろうか……少なくとも作業台とは呼べないような、不安定な机をはさんで、
灰色の髪と目をした青年がオウムと対峙している。悶々とした表情が一部のマニアに受けそうな、
どうしょうもない情けなさを醸し出している。この町で代々、医者をしているハロルド家の一人息子、ラスキーだ。
「このがま口はなんに使うのじゃ?」
「何でも入るよ〜 金貨も入るし、手形も入るんだ。」
「おぉ!そうか。じゃが、デバイスは入らんようじゃな」
「デバイスはポーチに入れればいいんだよ♪ がま口はお金関係!!」
「おぉ。そうかそうか。」
軽口をたたきながら、オウムはチェスを打っている。相手は勿論、ラスキーだ。片手間でも十分遊べるくらい実力差が
あるらしい。実力以前の問題かもしれないが……。ラスキーはといえば、必死に何かを訴えているようなのだが、
何せ相手が相手だ。やかましくがなりたてながら、律儀にチェスにも付き合っている。基本的に悪い男ではないのだ。
ちなみに、デバイスとは魔法使いが使う杖のようなもので魔法を使える職業の者なら、それぞれにデバイスを持っている。
鞄屋の小僧なら金物を打つためのハンマーか、革を裁断するためのナイフだろう。ひょっとしたらお気に入りのミシンが
デバイスかもしれない。ラスキーのデバイスは診療鞄に入っているのだろう。診療所から急いで走ってきたわりには、
やはり、しっかりと小脇に抱えている。
「だから!! 二人ともそんなことしてる場合じゃないんだって! 西の魔女が攻めてくるんだぞ! どうすりゃいいんだ?
俺は大丈夫か? どうやったら魔女から逃げられる……。町ごと消されるかもしれないんだぞ!!」
どうみても、一番年上の、それなりの職業についている良い大人が恥ずかしくなるくらい取り乱している。
まぁ、魔女に狙われれば無理もないが……。
「小鳥さん♪ 掛けてあげるね〜 緑色がいいかな? あーっ、やっぱり似合う♪」
「小僧。礼を言うぞ。長く生きてきて、この鳥に鞄を作ってくれたのは、お前がはじめてだ」
「鞄じゃないよ〜 がま口だよ♪ 鞄は道具を入れるもの。小鳥さんに道具は必要ないでしょ?
だから、がま口♪ 大切な人へのプレゼントをしまってね。小鳥さんにぴったりだし!」
「さながら宝箱か……。面白い余興じゃのぉ」
オウムは頭をめぐらせて、本当に動かしたわけではないだろうが、何かを思い出そうとしているようだ。
どうせ、がま口に入れる宝物の見当でもつけているのだろう。
≪こんにちわぁ〜≫
一階から可愛い声がした。それぞれに思考が飛んでいた三人の目が店の扉に集中する。
あどけない少女が立っている。黒いフードに茨の刺繍の入った……『ローブ』、間違いなく一般人ではないだろう……。
バラの蕾だろうか、赤いものが『ローブ』に散見する。
「魔女をお届けに参りました〜」
≪ ……、間に合ってますッ!!! ≫
はじめて三人の息が合った。
--六へ続く--
「首が〜 回らない♪ 痛く〜て回らない♪吐〜き 気〜が 酷い〜♪ からだ〜も痺れてる♪
死にたいッ♪ 死にたいッ♪ 死にたいッ♪ 殺し〜てよ〜♪」(賛美歌263番:改)
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人里離れた山奥にノリノリの歌声がこだまする。龍の背中と呼ばれる、断崖が連なる連峰の谷間に、
とある魔女の住処がある。すり鉢状に形成されたその絶景は、人の立ち入りを悠然と拒絶するかのようだ。
景色が移り変わり、突き出た崖に無理やり掘った洞窟が見えてきた。入り口がひらけているが、
ここから出入りするわけではなさそうだ。風が強く、トンビや鷹も苦戦する、こんなところに入り口を作るわけがない。
猿が登れる傾斜ではない、鹿が下れるわけもない。大方、ごみ捨てかなにかのために開けてあるのだろう。
それとも処刑用か。魔女からみたらゴミも人間も大して変らないかもしれない……。
役に立たなければ、結局は邪魔なだけだ。
洞窟の中では、いかにも魔女といった格好の老女がせっせと体を動かしている。ノリノリの歌声は彼女に間違いない。
ふもとの町を脅かす魔女、ドロシーだ。洞窟は一人で住むのに困らない程度には整えられている。
魔女とは別に動く影がある……しかし、それには頭がない。
入り口から山に向かって輪唱しているモノもある……。ドロシーの歌声に合わせて、頭は歌うたい、体は奉仕する。
魔法薬か何かだろう……材料を運び、砕き、混ぜ、最後に魔女が整える。しかつめらしい儀式はない。
万事は淀みなく流れているようだ。
「お前たち! 一眠りしな!」
≪カカカッカッ≫
山奥は静けさを取り戻した。雄大な景色に似つかわしくない余韻が、山々にこだまする。
ドロシーと歌を共にした頭たちはこぶし大の頭蓋骨に戻ったようだ。
猿のものとも、人のものとも分からない。ないはずのモノをキョロキョロさせて、影は、自分の頭を探している。
小さく、骸骨になった自分の頭にたどり着いたその影の体は、りんごを丸飲みするかのように、
あんぐりと頭を飲み込むと、ヘナヘナと3本の腰紐になってしまった。
「よっこらしょ」
ドロシーは3本の腰紐を結びなおして、薬つぼを奥へと移動させる。怪しげな緑色の液体が泡立ち、わずかな音を立てる。
まだ、なじんでいない様だ。時々、溶けきらない材料が顔を覗かせている……。
弾ける泡を見るにつけ、気分が悪くなる。当然といえば当然か……。
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「うえ〜、気持ち悪いよ……。」
「見るからに凶悪な物を作ってるな……。」
「さすがお姉さま! 魔女の中の魔女と呼ばれるだけのことはありますわ!」
水晶玉をさすりながら、小さな魔女は次々に別の場景を映し出す。
ドロシーもまさか、自分の住処が覗かれているとは思ってもみないだろう。
「チビちゃんはあれが何か分かるのか?」
「失礼な! こう見えてもあなたよりは年上です!」
「あ〜 はいはい……。お話は後でゆっくり聞くから……とりあえず、このミドリの物体が何なのか教えてくんない?」
コツコツと水晶球をつつきながら、みるからに『不幸な』外見の男が言葉を紡ぐ。
ここはとある町のとある鞄屋さん。路地を入ったところにある、こじんまりとしたお店の二階。
食卓を囲んでいてもおかしくはない時間だが、銘々が囲んでいるのはパンでも
ご飯でもない。人外魔境を映し出す、占い師が良く使う水晶玉だ。
黒いフードに黒のローブ、ローブには茨の刺繍が入っている。小さな魔女様には不釣合いにも見えるが、
この際、たいした問題ではない。小さな魔女様は、魔女様よろしく、遠くの景色を次々と水晶玉に映してみせる。
ドロシーとは知った仲なのか、すぐに彼女の住処にたどり着いてしまった。
「これは、何かの魔法薬ですね!」
向かいから真剣な表情で覗き込んでいた『不幸な』男がずっこけた。30歳くらいだろうか……
灰色の髪に灰色の目をした青年、ラスキーだ。ラスキーの一族は、代々この村で町医者をしている。
「それはそうだろう、これを見せられて魔法薬以外の何かを作ってるなんて
考えるやつはいないよ。俺が聞いてるのは、どんな効果を持つ魔法薬かってこと。」
呆れ顔で尋ねてくる。自分は何もしてないくせに、口だけはいっちょ前だ。
「あなたは薬と魔法薬を区別できるの? ひょっとして魔法使い?」
「若先生はね〜 腕の良いお医者さんだよ。魔法はからっきしだけど」
「……あんなゲテモノ、俺は薬だとは認めない!」
鞄屋の小僧は次々と違う景色を映し出す水晶玉に見とれていたが小さな魔女様は操作をやめてしまってた。今は
ドロシーも薬つぼも水晶玉から消えてしまっている。小僧さんはおねだりをするように笑顔で小さな魔女様を見つめている。
「お姉さまが作っていた薬は一般的な鎮痛剤だと思われます」
「うへッ! 魔女様の作る鎮痛剤ってあんなに趣味が悪いものなのかよ! 知らずに処方しちまったじゃねえか……」
「知らぬが仏〜。若先生は牛の解体を見たら焼肉が食べれなくなるタイプだよね♪」
「おいおい、小僧さんまでよしてくれよ……こう見えても俺は繊細なんだ」
ほとほと呆れたように、小さな魔女がため息をつく。命の危機だと騒いでいたのに、脱線して、話が前に進まない。
「お話を続けてもよろしくって? 問題はあの歌のほうです」
「……確かにあの歌は酷かった」
「山奥暮らしでよかったね〜」
「……いやいや、そうではなくって…… あの歌がただの薬を魔法薬へと変質させています
呪いと申しますか……ただの鎮痛剤におそらく……遅効性の不快作用を付けたのかと」
「不快になるだけか? あんなものを飲んで平気なのか?」
ラスキーは薬の生産過程に強い不快感を覚えたようだ。
「お薬自体はただの鎮痛剤です。命を脅かすものではないでしょう……ただ……嫌がらせにしては、込めた呪いが強すぎます」
「……。確かに強烈な歌だったが」
「お姉さまは違うことなくメロディーを刻んでいらっしゃいましたよ……恐ろしいくらいに正確に、
使い魔にハーモニーまで付けさせて……」
ドロシーは美しい声だった。それに、性別の分からない声が3つ。確かに4声に分かれていたが、骸骨の性別なんて
分かるわけもない。できれば、バリトンは男性であって欲しい。あれが女性であったなら、素敵過ぎる……。
「……。ああ、4声あったな」
「あれがお姉さまが最も得意とする魔法です 使い魔に補助をさせて魔法効果を飛躍的に上げています……
しかも、カウンタープレイを構成していて解除が出来ません。」
「……カウンタープレイってのはなんだい?」
「反言だよ〜 ものの持つ効力を反転させちゃうんだ!」
「…物知りな坊やですね」
「えへへ〜 鞄屋の小僧で〜す。」
「ここのご主人は物知りな方なんでしょうね。賢い坊やにも恵まれて……」
小さな魔女は改めて店内を見渡した。大きなオウムが興味なさそうに
こちらを見やっている。どうして鳥かごに入っていないのだろう……。
「…解除が出来ないってのはどういうことだ?」
「呪いの解除は神聖魔法の得意とするところです。ですが、お姉さまはカウンタープレイで神聖系の力を呪いに
変えています。あの連峰に流れ着く神聖系の力、上位者に対する賛美や感謝の祈りを魔法の原動力としているのです……」
「……山の神様への祝詞や祈祷が、魔女さんの魔法で呪いに変わるってことか?」
「簡単に言うとそうです」
「じゃあ、魔法使いの先生や神官様を呼んできても、お払いが逆効果って事か?」
小さな魔女は少し考える風だったが……首を振ってため息をついた。
「……。呪いが強くなるだけでしょうね……さすがお姉さまです」
「感心してる場合か! 急いでどうにかしないと!」
「なにを焦っていらっしゃるの? お姉さまがアレをどうするかも分からないのに」
「俺に使うんだよ! 魔女様は俺に、"三日やるから逃げな"って言ったんだ!」
「まあ大変! ご武運をお祈り申し上げますわ」
「他人事だな!!」
「他人事ですもの。お姉さまを敵に回したくはありませんわ」
「……。小僧逃げるぞ! やられるとすれば俺かお前だ!」
「僕は大丈夫だよ〜 逃げろって言われてないし〜」
診療鞄を手繰り寄せて、ラスキーは今にも駆け出さんばかりだ。町医者の一族が、町を捨てて、何処へ逃げ出そうと
いうのか……。鞄の小僧さんは水晶玉に触ろうとして、小さな魔女を伺っている。
「……あれは人に使うには大仰過ぎるぞ」
我関せず、といったように、部屋の置物と化していたオウムが口を開いた。
「まあ! 素敵な方だとは思ってましたが、やっぱり喋れるのね!」
「遠視の魔女殿、割り込んですまんな」
ちっともすまなそうに見えないオウムが軽く腕を振るうかのように見えた。ぽーと、水晶に明かりが灯り、
はるか上空からの映像が映し出される。空を飛ぶというのは、こういう景色を見るということなのだろうか……。
水晶玉の景色が谷間の小川にフォーカスしていく。このオウムも水晶玉を使って遠方を映すことができるようだ。
「ドロシーは何時もそこから虫下しの薬を流し込んでいる」
「!!!」
ラスキーと小さな魔女は同時にオウムを見やった。一様に驚愕の表情が張り付いている。
今度は小さな魔女の腰も引けている。何かあったら一目散に逃げ出そうという体だ……。
「オウム様、どうしてお姉さまの名前をご存知ですの?」
「少し縁があってな……」
「……申し送れました。"望遠の魔女"の名を頂いております。ミチルと申します。」
「!!!」
ラスキーがミチルと名乗る魔女を驚きをもって見やる。魔女が名を名乗るなど……それも二つ名だけでなく
身銘と呼ばれる本名を名乗るなど……ありえないことだ。ミチルと名乗った小さな魔女は落ち着きを取り戻したように
見える。いや、開き直ったというべきか…。オウムの正体は分からないが、危害を加える様子でもない。
名は体を縛る……魔法を使うものにすれば身銘は隠しておきたいはずのものだ。ラスキーは未だに鞄の小僧の
名前を知らない。町の人間から聞いたこともない小僧の鞄屋は伝統的に魔法鞄を扱っているから魔法を使えても
おかしくない。町からの配慮というわけだ。それだけに、魔女が名を名乗るなど、異常なことだ。
ラスキーは、魔法士には『ハロルド家のラスキー』と名乗っている。これは、出自と身銘を明かすことで、
自分は敵ではありませんと言うためのもの…まあ、降伏宣言みたいなものだ。
ミチルは魔女だ……。その魔女が身銘をなのった。隠しても無駄だと悟ったか、上位者への礼節なのか……。
ラスキーは恐る恐るオウムを見やった。
「これは、ご丁寧にいたみいる…… 」
オウムは鷹揚に応えた。余裕というか、威圧感というか、なんともいえない空気が場を支配する。
「むしむし 蒸し蒸し 虫下しぃ!!!」
退屈したのか、お腹がすいたのか、小僧は台所からソーセージを取ってきて遊びながらしゃぶっている。
「小鳥さんもどうぞ!」
小僧が持ってきたソーセージをオウムに差し出した。オウムは一応、右足で受け取った。
「ミチル様も若先生もどうぞ!」
ミチルとラスキーは受け取ったものの、オウムがソーセージをどうするか気になってしかたがない。
明らかに高位の存在であるオウムにソーセージなど無礼ではないか……と。
オウムは怒るでもなく、しばらく思案する風にソーセージを見ていたが…テーブルに投げやった。
場の視線がテーブルの上のソーセージに集まる。皆でソーセージを見つめる状況はなんともシュールだ。
「……さて、ドロシーに届けてやるか」
オウムがつぶやくとテーブル上のソーセージが消えてしまった。
「まさか、空間転移……」
ミチルは絶句している。オウムがあまりにも自然にソーセージを転移しまったからだ。空間転移など……
普通は魔法士が4、5人がかりで、魔方陣を使用して、やっと構成できるしろものだ。ミチルの目が違う色を帯びてきた。
尊敬でも畏怖でもない、どこか陶酔するような……オウムに魅入ってしまったようだ。
……ラスキーは小僧にもらったソーセージのやり場に困ったようだが、ちょっとためらった後、ソーセージを口にした。
「わしはドロシーの鞄持ちじゃからのぉ……」
悠然と言いのけたオウムは、笑っているように見えた。
--七へ続く--
≪カカッ≫
腰紐にぶら下がってる骸骨が音を立てた…。ドロシーは『あらッ』といった表情で辺りを見回す。
世界を隔てる連峰、人の行き来を制限する自然の神秘は、人々から畏敬をこめて
『龍の背』と呼ばれている。その切り立った崖の中腹にドロシーの住処がある。
伝統的な黒のローブを身にまとうドロシーは、誰が見ても一目で魔女と分かるだろう。
不気味な腰紐がウエストの括れを不似合いに意識させる。妙齢と呼ぶにはまだ早い、二十歳ぐらいだろうか。
安物のソーセージが作業台にころがっている…。勿論、出した覚えも、作った覚えもない。
しかし、どこかで見た気がする……。
「あの小僧か……」
ソーセージには確かに見覚えがあった。昨日、壊れた鞄を修理するために訪ねた鞄屋でみた。
夕食を作るために食料庫を覗いたのだ。何処にでもあるものではあるが、あの鞄屋にあったものだろう。
「さて、鞄をどうするかね……」
ドロシーはソーセージを手にとってぼんやりと外を眺めた。鞄屋の小僧も、あのオウムも…かなり厄介そうだ。
呪文も印も使わずに魔法を発動させる小僧。術を媒介するようなデバイスも使っている様子はなかった。
それに、あのオウム。人語を解して、配下に妖精まで従えている。
「……分が悪いねぇ」
ソーセージをもてあまし気味に感じながら、ドロシーはイスに腰掛ける。今日は小僧の前で不覚にも
意識を失ってしまった。運び込まれた診療所では空間を捻じ曲げて、話しかけてきた……
「…………」
ボーっと手の中のソーセージを見やる。山の結界を無視して、ここまでソーセージを送りつけてきたのだろう…。
ドロシーは魔女として自分の能力に誇りを持っている。その自分にすら難しいことだ…。
おそらく、あのオウムはこともなげにやってのけたのだろう…。
「……たまらないねぇ」
ある種の無常を感じながら、谷にかかる霧雨をボーっと見やる…。認めたくなくても認めるしかない現実も
この世の中にはあるものだ。魔女になった今もそれは変わらない……。かつては見えなかったものまで見えてしまう。
むしろ、現実に打ちのめされることは増えたのかもしれない…。
ドロシーはむしゃむしゃとソーセージを租借しはじめた。霧雨が優しく視界をぼやかしていく。
ソーセージを食む音が、骨を伝わり、頭に響く……
----
≪タタッ タタタッ≫
とある町の鞄屋の二階。革を縫う、ミシンの音が店内の静寂を引き立てる。窓に差し込む光が赤い。
今日も何時もと変わりなく、一日が終わりそうだ。町医者のラスキーは、『若先生』と呼ばれるだけのことはある。
急患が出たとの知らせを受けて診療所にもどった。
小さな魔女様は、ミチルと言ったか…、なにをしに来たのか分からないが今日の宿を探しに出た。
まだ暫く、滞在するつもりらしい…。
今日の仕事をあらかた片付けて、鞄屋の小僧は店を閉める準備をしている。
「小鳥さんはこれからどうするの〜」
鞄をかけるための取っ掛かりにオウムがとまっている。すっかり定位置になってしまった。
緩慢な印象を与える動作でイスの背もたれに移動する。このオウムは何を食べるんだろう…。
「さあて……途方にくれているところじゃ……」
「やりたいことが見つかるまで、ここに居たら良いからね」
「……すまんのぉ」
小僧さんは昨日のシチューを温めなおしてから、食卓にやってきた。
一人前の夕食には十分だ。薄焼きパンにレモン水を整えて、食膳の祈りを唱える。
「天のお父様、今日もいい仕事が出来ました。魔女様の作ってくれたシチューにも感謝です。小鳥さんのお家が
見つかりますように。ラスキーのお仕事が上手くいきますように。ミチル様のお宿が見つかりますように……」
≪カランコロ〜ン♪≫
誰かが来たようだ。昨日といい、閉店の看板を出しているのだが…もっと目立つものにしたほうがいいかもしれない。
診療所ならともかく、ここは鞄屋だ。宵闇のお客様は…ミチルだ。手に食料を携えて二階に上がってくる。
「ご一緒しても宜しいかしら?」
「もちろんです、ミチル様。今コップを出しますね〜。グラスのほうがいいですか?」
「グラスをいただけるかしら。小僧さんも飲みません? 良さそうなワインを見つけてきたんだけど」
「ありがとうございます。僕はコップでいただきますから、お皿は2枚でいいですか?」
小僧さんは右手にグラス、左手にナイフとスプーンを握って、皿も抱えてきた。
魔女様の手提げ袋からは堅パンとワインがのぞいている。
「あら、おいしそうなシチューね。私はチーズとスモークサーモンを買ってきたのだけど」
「それならハムとレタスも出しますね。トマトはあったかな〜。ミチル様はアボカドとかはお好きですか?」
「私はあまり食べないけど、ドロシーお姉さまはお好きみたいよ。」
「あっ! ドレッシングが切れてる〜」
「私はかまわなくってよ。薄味は健康にも良いし」
……魔女のくせに健康を気にしているのか。ドロシーといい、ミチルといい、魔女らしくない魔女が集まったものだ。
オウムが『ぱさっ』と羽を動かした。食卓の脇にドレッシングが出現した。青ジソとゴマとの2種類だ。
「あー! 小鳥さん! 何処から持ってきたの?」
「ドロシーの家からかりてきた。さっぱりしていて旨いらしい」
「……オウム様」
ミチルは呆れ顔でオウムを見やる。たかだか夕食のために秘術を使う人間はいない。
まあ、人知では到底、計り知れないから『上位者』と呼ばれるのだが…。
「豪華な食事だね〜」
堅パンを切るためのナイフを置いて、小僧さんは嬉しそうにいただきますをした。
ミチルはドレッシングに手を伸ばす。スモークサーモンにも、ハムにも合いそうだ。
≪カランコロ〜ン♪≫
「……今日はお客さんが多いね」
誰に言うでもなく、小僧がつぶやいた。来訪者を気にする様子も無く、堅パンに具をはさみ、ドレッシングで迷っている。
ミチルはゴマのドレッシングが気に入ったようだ。せっせと食べている。
「小僧さん、助けてくれ!」
ラスキーが真っ青な顔をして二階に上がってきた。初老の男性を連れている。診療鞄を持っているということは、
ラスキーの父親、ハロルドだろう。『なんだ……ラスキーか』目で雄弁に語り伝えると、三人は視線を食卓に戻した。
もちろん、食事の手は緩めない。
「ああ、ミチル様、ちょうど良かった」
「私達、食事中ですの」
ミチルは何事もないかのように食事を続ける。小僧もシチューに夢中のようだ。
「それどころじゃないんだ! 町長の容態が相当悪い一刻も早く治療しないと!」
「……あら大変! あなたの出番じゃなくって?」
ミチルは棒読みでラスキーに返事をした。相手をしてやるだけ優しいほうだろう。小僧はあらかた食事に満足したのか、
チーズを肴にワインを楽しんでいる。ワインよりも牛乳が似合いそうなコップだが…、なみなみと注いでは飲んでいる。
「町長の病気は腹に巣くった虫が原因だ! 魔法薬でないと治せない。いつもはドロシー様にお願いしてる……」
3人の目がラスキーに集まる。『なんて間の悪い男だろう……』目は雄弁に語るものだ。
ハロルドが申し訳なさそうに口を開いた。
「西の魔女様にお願いしろといったんですが……このバカが魔女様と諍いを起こしたと申しておりまして……
皆様のお知恵を拝借できればと思いまして……」
「こいつ等もそのバカに一枚噛んでるんだがな!!」
「…………」
ハロルドは申し訳なさそうに固まってしまった。これではいけない……やぶ医者とのうわさは本当だろう。
「……もっていけ」
オウム様が口を開いた。ハロルドは口をパクパクさせている。
ムッとする臭いが食卓に広がった。ラスキーの前には、見覚えのある薬つぼが鎮座している。
「……こいつは」
「……想像以上の出来ですね」
ラスキーが固まっている。ミチルは嫌な顔をして鼻をつまでしまった。間違いない、薬つぼには見覚えがある。
緑色に泡立つその中身にも……。ヤギの胎盤だろうか……顔をのぞかせて、また、沈んでしまわれた。
「どうした、虫下しが欲しかったんじゃろう?」
オウム様が容赦ない言葉をかけてくる。これが虫下しだったのか……。作っている現場を見てはいけないものが……
この世界には確かにある。……ソーセージと魔法薬だ。
--八へ続く--
≪キャンキャン≫
≪ワンワン≫
≪バウバウ≫
『犬の鳴き声はどう表現したもんかな……』
日暮れの町の一角、不幸が似合う背中をした青年が途方にくれている。ここはとある町の保健所。
捨て犬や野良犬を保護するセクターだ。
大小、さまざまな種類の犬を前に、もちろん、個別に檻に収監されているのだが……なんともいえない罪悪感を携えて、
右手に緑色の怪しげな液体の入った瓶を隠し持って、30歳位だろうか……青年が佇んでいる。痩身にパッとしない顔。
診療鞄がなければ誰も医者とは分からないだろう。代々この町で医者をしている一族の末、ラスキーだ。
普通、お客人に対して、捨て犬が取る行動は3通り。
1.威嚇する
2.媚びる
3.無関心
……幸いなことに、ラスキーはこれ以上ない歓待を受けていた。全ての犬という犬が、ラスキーを威嚇している。
『不幸がうつる! どっかいけ!』とでも言わんばかりに、吼えまくっている。
『……俺だって好きで不幸なわけじゃないよ』
勿論、ラスキーは犬語が分からない。奇妙な意思の疎通を通じて、いっそう、不幸を実感する。
犬は群れに序列をつける動物だ。歓待に応えて、いやそれ以上に、力を見せ付ければ、
あるいは、大人しくなるかもしれない。
吼え猛る犬達は益々勢いづいてくる。ラスキーは気持ちが萎えてきた。
……不思議な静けさを感じる。轟く咆哮も耳に届かない。
「……俺だって好きでやってんじゃないよ」
思わず本音を漏らしてしまった。言っても詮無いことだ。人はそれぞれに役割を生きている。
例え不幸な役回りだとしても、投げ出すわけにはいかない。
「……どうれ、大きいのからいくかな」
ラスキーは軽く気合を入れた、押しつぶされそうになっても、不幸に押しつぶされたことはないのだ。
持参してきたハムに緑色の液体を塗布して犬に差し出す。かなり薄めたのだが……臭いは、未だ、強烈だ。
……犬達は怯えて静かになった。
狩猟犬だろう、一番威勢が良くて体の大きな犬を選んだ、が、あからさまに顔を背けて食べようとしない。
……どうにかして無理やり食べさせるしかない。もともと逃げ場のない連中だ。ガス室で最後を迎えるやつが殆どだろう。
運がよければ、金持ちの町長が恩を感じて、引き取ってくれるかもしれない。
この地方にも風土病と言われる病が存在する。『孕み虫』と呼ばれる病で、これにかかると
腹が妊婦のように膨らんで、衰弱していく。子供や老人など、体力のないものがかかると命を落とす病だ。
この病気の原因はただの虫。人間の腸壁に吸い付いて大きくなる、いわゆる寄生虫だ。この町は井戸も使うし、
人糞を肥料として野菜を育てている。寄生虫の卵は水や野菜を介して、人に宿る。腹の中で卵が孵り、
虫は孕んで産み増える。卵は人糞と共に畑にまかれ……その繰り返しだ。
何百年も変わらない自然のサイクル。変わったのはつい最近……魔女が町に顔を出すようになってからだ。
虫を孕む患者を見なくなったと思ったのに……。
急患で運ばれてきた町長の腹は、外見でわかるくらい大きく膨れていた。顔色が悪く、脱水症状も酷い。
虫が腹を食い破ろうとしているのだろう。腹を捌いて虫を取り出しても、他の感染症でやられてしまう。
ここは設備の整った都会の病院とは違うのだ。
勢いあまって肛門から出てきた虫を、手ずから掴んで、無理やり引きずり出す町人もいる。大抵、腸が破れて命を落とす。
虫が腸壁に張り付いているからだ。金のある人間は、都会の病院で虫下しを飲むか、手術を受けるか、
いずれにしても余裕のある一部の人間しか受けられない。それに、今から運んでも町長は助からんだろう。
「さ〜て、死にゃしねえだろう……手間を掛けさせるなよ、ワン公!」
ラスキーは倉庫からつっかえ棒を持ってきた。狩猟犬の口をこじ開けるためだ。
何匹かの犬が吠え立てるが、ラスキーが視線を向けると黙り込む。
…だれも身代わりにはなりたくないようだ。狩猟犬の口に棒を突っ込む。檻の中だ…逃げ場も自由も無い。
無理やりハムをねじ込むと……狩猟犬はピクリともしなくなった。
「あらぁ〜、可愛そうな事しちゃったね。次は上手くやるからね…」
ラスキーは2枚目の準備をする。別に好きでやってるわけじゃない。町長の命が懸かっているのだ……。
……緑色の液体を水で薄めて濃度を低くする。この緑色が魔女の作った虫下しであるのは間違いない。
問題は希釈率だ。どれくらい薄めて使うものなのかが分からない。犬が腹を壊して、それでも、命に別状のない濃度に
なるまで繰り返す必要がある。犬で上手くいったら次は人間で試さなければならない。…そのときは自ら実験台になろう。
「……はい、次ぃ!」
百倍に薄めたものを、更に百倍に薄めてみた。今度も…犬は動かなくなった。はじめの犬はもう助からないかもしれない。
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「魔女様はどうやって皆に虫下しを飲ませてるの?」
「……この町の水源は山にある。山からの水はこの町をふくめ、山麓の町や村を潤しておる。
その水源にこの虫下しを入れれば、ふもとに住む全ての人間が虫下しを口にすることになるんじゃ」
「すごいねぇ〜 ふもとの町全部を魔女様が救ってるんだね!」
「そうじゃな、魔女らしくはないな。都会の医者に薬を売りつけたほうがずっと儲かるんじゃが
……都会者を嫌うておる。都会の医者が儲からないように、虫下しを流すと言っておった」
鞄屋の2階では小僧とオウムがチェスをしている。魔女が壊れた鞄を持ってきてから、毎晩、腕を競うようになった。
「そういえば、どうして鞄は壊れたの? 内側から裂けてたみたいだけど」
「……つい食べ過ぎてしもうた。器としての限界を超えたから入れ物が裂けたのじゃ」
「えー 小鳥さんが原因! 魔女様を苛めるのは可哀想だったかな……」
「…そうかもしれんな。わしも元は意識のない小鳥であった……ドロシーは光脈を飛ぶのが好きでな」
「光脈って? 龍の背に流れ込む光路のこと?」
「そうじゃ、精霊とか天使とかが行き来する力の流れじゃ。見えるものには光の筋のように見える。
地を流れれば森を茂らせ、火山を噴かす。空に帰れば、是、天道に通じる」
小僧さんは『龍の背』と呼ばれる連峰を思い出していた。
……ミチルの水晶球にオウムが映したように、雄大な景色が流れるのだろう。
「そんなところ飛んで、よく平気だね。嵐の中を飛ぶようなものでしょ?」
「光脈にも力と流れがあってな、委ねればなるようになるんじゃ。人が人として歩むように、
光脈もそこにあるべくして、ある。……それを曲げようとするから難しくなるだけじゃ。
ドロシーはそこのところが分かっておった。だから、好んで光脈を選んだ」
「……ふ〜ん。食べ過ぎたっていうのは?」
「光脈は力の流れ、精霊にとって力は存在の根幹に関わる。わしは光脈に長く居すぎた……
人間であるドロシーとは違う、己を保つことが出来なかった」
「光脈に長くいたから上位種になっちゃったってこと?」
「……まあ、そんなところじゃ」
分かるような、分からないような…。チェスもそぞろに会話を紡ぐが、小鳥さんの表情は変らない。
時折、ポーっと光って、ピクシーがチェス版に姿をさらしている。主を心配しているのだろう。見上げる姿も儚げだ……。
「じゃあ、小鳥さんも自分の名前が分からないの?」
「……名前があったかどうかすらな。置いて来てしもうた」
神妙な雰囲気が場を支配する。凍りつくわけではないが…存在の根幹にかかわる話は、空気を変えるものだ。
「…じゃあ、名前をあげるよ! コカトってのはどう?」
「……コカト、『古い姉妹』か。儂には過ぎた名前じゃな」
「ドロシーと姉妹ってことだよ〜 どっちがお姉さんかな?」
「儂を使ってドロシーは魔女になり、ドロシーによって儂は生まれたか……」
「ねっ! ぴったりだと思わない!」
≪そんなのだめよ!≫
誰もいないはずのところから声がした。小僧もオウムも中空を見やる……
オウムが『ふっ』と、ため息をついたように見えた。まるで老人が過去を自嘲するように…。
≪ドロシーお姉さまは私のものなんだから!≫
中空から声がする。遠視の魔女、ミチルのものだ。大方、覗き見でもしていたのだろう。オウムは機嫌を損ねたようだ。
チェスも会話も切り上げて、鞄掛けに戻ってしまった。一時、羽を動かしたようにも見えたが…今は彫像のように動かない。
≪アッぁー≫
ミチルのおかしな声が聞こえた。……いつの間にかチェス盤に水晶玉が転がっている。
『今夜はお開きかな…せっかく盛り上がってたのに…』
夜は人を饒舌にさせる。オウムも例外ではないようだ。
暗い話の盛り上がりを味わっていた小僧は、その中断を惜しみつつ、寝る準備をし始めた。
ベッドにもぐりこみ、小僧はふと思った。
『魔法を使っている間にデバイスから引き離されたら……術者はどうなるんだろう?』
……チェス盤の上にころがる水晶玉に、ミチルが映っている。
いや、水晶の中にミチルが閉じ込められているのか……?
『まっ、いっか…』
気付かないフリをして、小僧は眠りを深くした。
--九へ続く--
「今日も良いお天気だね〜」
ここはとある町のとある鞄屋さん。お店は路地を入ったところにある。鞄屋では小僧さんが一つ一つ、
鞄に声をかけながら、様子を見ながら、オイルを塗ったり、並び替えたりを繰り返している。
日差しがあたるところ、風通しの違い、鞄は時間の経過をその表情に焼き付ける。
小まめにお手入れをすれば上品に、しなければ荒々しく、革は趣を変えていく。
日は既に中天を少し過ぎた、昼食を取るにはちょうど良い時間だ。
「お昼は何にしようかな〜」
鞄屋は今日も平和そのものだ。
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右を見ても左を見ても真っ暗だ。上下の感覚もない。もうどれくらい閉じ込められているのだろうか……。
時間の感覚もぼやけてきた。
「……屈辱だわ」
『望遠の魔女』、ミチルがそう呼ばれるようになって短くない月日がたっている。実際、こんな屈辱は初めてだ。
遠視とは読んで字の通り、遠くにあるものを見る魔法。ミチルはその能力がずば抜けていた。水晶玉を使って、
どんなに遠くの町でも行ったことのない山奥でさえ、映し出すことが出来るのだ。
この系統の魔法が得意な魔女は占いを生業としている。しかし、ミチルはずば抜けた能力が評価され、
町の占い師ではなく国の諜報機関から依頼を受けて情報収集に当たっている。いわゆる、宮廷魔術師だ。
魔女協会でも一目置かれている。
「……お姉さまに届いたかしら」
後方支援型の魔術師は歩兵や装甲兵と比べて、格段にリスクが少ない。体を張って前線を維持することもないし、
前線が崩れたら撤退すれば良い。その中でもミチルはさらに安全な部類にはいる。宮廷魔術師として戦場にでた経験はなく、
もっぱら国に残って遠視を使って情報収集し、遠話を使って情報を伝達する。身の危険を感じたことなど一度もないのだ。
「……もう何日目」
その自分が魔法空間に閉じ込められた。こんなことが出来るのはあのオウムぐらいだろう。
あのオウムと来たら呪文も印も使わずに魔法を発動するのだ。気付いたら魔法が発動している。
結界を張る暇もなかった……。
今までも身の危険を感じることがなかったわけではない。特に多いのは物理攻撃と呪い。だから、高位の魔女には
物理攻撃を無効化するローブを着用するものが多い。無効化の発動にはそれなりの代価を取られるが、死ぬよりはましだ。
そして、呪いを防ぐために魔具をそろえる。ミチルがドロシーを姉と慕うのは当然といえば当然かもしれない。
呪いのエキスパートを味方につければ、自ずと安全性は高まる。
≪おっはよ〜ございま〜す♪≫
急に視界が白一色になった。明るすぎて目が利かない。徐々に慣れるにしたがって、見渡す限り、鞄屋の小僧の
にやにや顔がみえる。亜空間に住むという魔人のように輪郭がゆがんで見えるのは……。
「……まさか、水晶玉に閉じ込められた!」
≪あったりー!≫
暫く立ち直れないかもしれない……。
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鞄屋の小僧が布をひらひらさせている。昨晩、『明るくてミチル様が眠れないといけないから』と布をかけて
忘れてしまっていたらしい。もう正午を回っているのに『おはよう』は無いだろう。小さくなったミチルを
ペットでも見るかのように観察している。当のミチルはショックのあまり気絶してしまったようだが……。
≪カランコローン≫
鞄屋のベルがなった。客人が来たようだ、が、……見るからに怪しい、全身黒ずくめ、顔もフードで隠れているため、
外見の特徴がほとんど分からない。何かの紙切れをひらひら振りながら、人を探しているようだ。
「何かお探しですか〜」
鞄屋の小僧は何事も無いかのように接客に出て行った。こんな鞄屋だ、素性を隠したお客も珍しくないのかもしれない。
小僧は紙を受け取って難しい顔をしている。
「……私の名を呼べ? どっかで見たことあるんだけどな〜」
紙には古代文字で装飾的に美しく、文字が書かれている。間違いなく、魔法使いの手によるものだろう。
小僧は額に皺を寄せながら、客人の周りをうろちょろしだした。おろおろと小僧を追いかける客人。
顔がフードからこぼれた。そう…ごろんとこぼれたのだ。
「おお! 魔女様の所の鬼さんだ!」
小僧はこぼれた頭を抱えて嬉しそうにはしゃいでいる。頭をなくした影は恨めしそうに小僧を追いかける。
「鬼さんもしゃべれるでしょ? 私って誰? 鬼さんの名前? 僕は知らないよ〜今度、ドロシー様に聞いてみるからね」
そのとき、手の中の鬼の頭が、ニヤッと笑ったように見えた…。体はへたへたと縮み、頭もこぶし大に小さくなった。
「……やれやれ、またここか」
いつの間にか、不機嫌そうな顔をした魔女が鬼のいた場所に立っている。年のころは二十歳前後だろうか。
床に落ちた腰紐を拾い、小僧に向かって手を差し出した。
「……小僧、返しな。 その鬼は私のものだ」
「えへへ〜 魔女様、お待ちしてました〜」
小僧は素直に鬼の頭骸骨をドロシーに手渡す。ドロシーは腰紐を結びなおしてから店内を見渡していった。
「ミチルに呼ばれて使いを出したんだがね……カズキが間違えたか?」
「ミチルさまなら二階にいますよ〜」
「なんだい! 鞄屋に捕らわれて助けを呼ぶとは……魔女も落ちたものだね」
小僧がミチルの水晶玉を持ってきた。ミチルはまだ気絶しているようだ。
「……で、ミチルは何処だい?」
小僧はニヤニヤしながら水晶玉を指差す。ちょっとこずいてみると水晶玉の中のミチルが目を覚ました。
≪……お姉さま!、助けに来てくれたんですね!!≫
ドロシーはうんざりといった表情を浮かべて、座る場所を探した。
商談用のテーブルを見つけると、腰掛けて目頭を揉み始めた。
「…で、これもオウムの仕業かい?」
「ミチルさまが盗み聞きするのが悪いんだよ!」
「は〜ん! 遠視の最中に術返しを食らったんだね。そりゃ、自業自得だ」
「でしょ!」
「ミチルには良い薬だね。自力で出られるよう、せいぜい頑張りな」
≪……お姉さま、でも!≫
「おだまり! それはそうと小僧さん。あたしの魔法薬をちょろまかしたやつがいるみたいなんだが、心当りは無いかね?」
ドロシーが魔女らしい表情を浮かべて、話題を変えてきた。大まかなことは分かっているのだろう。
「ああ! それなら若先生が持ってったよ〜 なんか急患の治療に必要なんだって。」
「……そうかいそうかい。ラスキーといったか……あの医者も熱心だね。それで治ったのかい?」
「しらな〜い。出てったきり戻ってこないし。」
ドロシーは当てが外れたような顔をして、思案している。小僧はかばんの手入れに取り掛かった。
「ハロルドのところにいってみるか……小僧、あのオウムがいるってことは鞄はまだ直らないのかい?」
「小鳥さんは大きくなりすぎて鞄に入らなくなっちゃったんだって、鞄が避けたのはオウムさんの食べすぎが原因みたい」
ドロシーは満面の笑みを作って、オウムを見やった。オウムはちょっとお辞儀をする風に頭を下げた。
「……相棒、悪かったね。気がつかなくって、狭かったろう」
「いや、おぬしの飛びっぷりは気持ちのいいものだ。これからも良しなにな」
「思わせぶりな口調だね〜 また力を貸してくれるのかい?」
「もちろんだ、古い姉妹よ。わしはおぬしのおかげで生まれることが出来た」
ドロシーは悪友にでも語り掛けるようにオウム様と話しをしている。魔女としてのプライドは棚に置いてしまった
らしい。上位者に対する礼儀はなっちゃいないがオウムは気にするふうでもない。
「……古い姉妹、『コカト』か。……お前の名前かい?」
「僕があげたんだよ魔女様! 良い名前でしょ?」
魔女とオウムが互いを見やる。魔女の目に複雑な光が宿っている。オウムは何時もと変わらない。静かな眼差しだ。
ドロシーは机から降りて跪き、腰紐を解いた。祈るように暫く何かを呟いていたが、諦めたように印を結びはじめた。
「…大層な名前をもらっちまったね、名は体を縛る。『汝の上に神のご加護があらんことを……』」
「畜生に過ぎない儂を祝福してくれるのか、古い姉妹よ……」
「わが銘は『常闇』。ドロシー・ナイトメア・アリスリデルは汝との契約を望む…」
「如何で破を唱え給う。我はコカト・ドーブ・タイニーサンダルフォン。今後ともよしなにな…」
「魔女がセラフに立会いを求めるとは。分からないものだね…」
オウムの名前は大層なものだ…。属性名にあたる『サンダルフォン』。熾天使に繋がるその銘にドロシーは軽い眩暈を
覚えた。『西の魔女』の二つ名を持つ彼女も天使は恐ろしいのだ。
「『古の盟約にのっとり…汝と、血における契約を結ぼう…死に至るまで忠実であれ』」
オウムの首が『ぽとり』と落ちた。……ぽろぽろと頭が燃えていく。後には鳥の頭蓋が残った。
ドロシーは身を起し、階段を上って再び跪いた。小さく、白く燃え残った頭蓋は、本当に軽かった。
「……私なんかで本当にいいのかねぇ」
ドロシーは愛おしむように鳥の頭蓋をみやる。暫く逡巡した後、おもむろに親指を刺し通した。
骨の一部がこぼれ落ちた、が、ドロシーはそれを拾い上げて、口にした…。
「……体は返すよ。無いと困るだろう」
鞄掛けに灯が燈り、オウムの体が影となる。
「……例を言う、古い姉妹よ。これでも不自由な身の上でな」
「暫くここに厄介になるんだね。気楽にやりな、そのうち誰かお迎えが来るだろう……」
小僧は魔女と精霊の契約を初めて目にした。こんなにあっけなくていいのかというほど、派手さがない。
同意の上での契約など、そんなものかもしれない。結婚や国替えも反対勢力が居るから盛り上がるのだ。
これが、無理やりの契約だったらどうなったのだろう…戦争と大差ない、派手なものになったかもしれない。
オウムの体はすっかり元に戻った。もとの体はとっくに朽ちていたのだろう、当たり前かもしれないが…
小僧は興味津々といった面持ちで燃え残ったオウムの羽をいじっている。
「どれ、気分がいいから急患とやらを見てくるかね。小僧、その間に鞄を直しといとくれ」
「魔女様? 鞄をどうするつもりですか? 小鳥さんは入りきらないよ」
「そうだね……やっぱり、今のままで貰っていこう。これをつかって何か作っておくれ」
割けた側面にチャックをつけた『鞄』を小僧から受け取り、ドロシーはオウムの頭蓋を小僧に差し出した。
「なくしちゃ困るけどね……、指につけたままじゃ薬の効果が狂っちまう」
「じゃあ、小鳥さんとお揃いのがま口を作るよ。大切なものは肌身離さずにね♪」
ドロシーはオウムに笑いかけた。神殿の現神体として祭られても不自然さを感じないであろう、オウムの首に、
緑色のがま口がぶら下がっている。首からがま口をぶら下げる魔女も、おそらく、初めてだろう。
ドロシーはおもむろに箒を取り出し、二階の窓から、意気揚々と飛び出した。……もう、墜落することは無さそうだ。
オウムの骨を食んだのだ。飛翔の能力も、魔女の中では一番になっただろう。
「……よーし! 張り切っていきましょう♪」
小僧はミシンに向かい、がま口の製作に取り掛かる。オウムの頭蓋を収めなければいけない。
腰紐のように、柔軟に使えるよう、仕上げなければ……。難しい仕事だが、小僧の瞳に迷いは無い。
≪タタッタタタッ≫
規則的なミシンの音が間違いのないステッチを思わせる。オウムは既に彫像と化してしまった。
……まるで何事もなかったかのように悠然と構えている。
≪……まって! ここからだして〜≫
水晶玉からミチルの声がする…。今日も鞄屋は平和なようだ。
--エピローグ・小僧さんの手紙--
敬愛するお師匠様
僕は今日も鞄を作っています。鞄屋は相変わらず平和です。
先日の話の続きを報告します。
ラスキーは動物虐待の罪で拘置所に入れられました。
虫下しの実験に使ったお犬様が、天のお父様の元に旅立たれたからです。
結局、七匹が死んで、十三匹が安楽死になりました。
……もし、ラスキーが死刑になって、天国に行ったら、犬に追いかけられると思います。
水晶球に閉じ込められたミチル様は、翌朝には頭がおかしくなってしまいました。
半笑いで、泣きはじめたところから、危ないとは思っていたのですが、
さらに一日、忘れていたら、泡を吹いて白目をむいてしまってました。
ミチル様が中にいる限り、水晶玉も使えないので小鳥さんに出してもらいました。
今はハロルド家のベッドで、お花畑を見ているようです。
ドロシー様はお家に帰りました。
町長に物凄い治療代を請求していたので、町の財政は苦しくなると思います。
チェスはちっとも上手くならないけど、小鳥さんも僕も元気です。
又、お手紙出しますね♪
--第一話・完--
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2009/08/17(Mon)02:11:52 公開 /
鳩
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■作者からのメッセージ
気が向いたら、加筆、修正いたします。
表現のまずさ、誤植は直しますのでご指摘いただければ幸いです。
読んでいただきまして、心から感謝申し上げます。