- 『わたあめ』 作者:ケイ / リアル・現代 ショート*2
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全角2273文字
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「ワタがね、死んじゃうの」
そう呟くと、私の三歩前を歩いていた美紀ことミッキーは、リズム良く動かしていた足をピタリと止めた。私は、自分が言った言葉をもう一度認識すると、舌にカラメルのような苦い味が拡がった気がした。
「寿命でしょ?」
後ろを振り向かず、ミッキーは素っ気無く答えた。それでも、固く握られた拳が震えていた。多分ミッキーの脳裏には、わたあめのようにフワフワの毛を揺らして近寄って来る、ワタの姿が浮かんでいるんだと思う。
「うん、人間で言う老衰なんだって」
「よかったじゃん。天寿を全う出来た訳だし。犬で十七年は十分長生きだよ」
ミッキーはそう言って乾いた笑い声を上げた。それは私がいつも使っているボールペンのような、茜色の空に空しく溶けていった。
「でも……私恨まれてると思う……」
「どうして?」
ミッキーはようやく振り返って、俯く私を見つめた。きっとミッキーは可愛らしい目を大きくして私を見ているんだろうな。小さな子供がお母さんに「どうして?」と尋ねるときのように。
「私さ……中学生ぐらいのときから、全然ワタと遊んであげなくてさ。ワタが甘えるように鳴いても、わざと聞こえない振りして友達と遊んでたんだ」
「皆そんな感じでしょ?」
「それでも……もう二度とワタと遊べないんだよ?」
ミッキーはピンクのTシャツから覗く喉を、コクンと動かして黙った。
「私がワタを飼いたいって言ったのに……私のわがままで振り回して……」
思わず涙が溢れそうになって、私は慌てて顔を上げた。茜色の空はいつの間にか紫になっていて、どこか重くのしかかって来る雰囲気だった。
「そういうもんじゃない?」
空のせいなのか分からないけど、暗くなっていくミッキーはポツリと呟いた。
「え?」
「ペットってさ、皆そうだと思うよ」
ミッキーは普段、冷静に物事を分析する。その分冷たい人なのかと言われそうだけど、決してそんなことはない。むしろ、普通の人よりも優しくてよく笑う。ミッキーの笑顔はマシュマロのように柔らかく、触ったら直ぐに溶けてしまいそうなほど儚い。そんなミッキーがミッキーらしいことをミッキーらしくない表情で呟いているのを見て、私は何となく納得してしまった。
「そうなのかな」
「そんなもんだよ。人間なんて」
そんなもん。それがどんな物かは、海を漂うヤシの実みたいに、毎日を何となく生きている私には分からない物で、多分一生分かんないんだろうな、と心の中で呟いた。
「お帰り」
蚊に刺された場所を叩きながら玄関に入った私に、部屋の奥からお母さんが疲れた声で言った。
「ただいま」
サンダルやスニーカーが散らかっている玄関で靴を脱ぎ、お母さんがどこかの怪しい店で買ってきた、赤とオレンジと黄色という目がチカチカする絨毯を越えて、私はリビングに入った。
「ワタに会ってきてあげた?」
お母さんはソファに座って、最近売り出し中のイケメンが出演しているドラマを見ていた。でも、その目はどこか遠くを見ているように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「ううん」
私はテーブルにラップで包んで置いてある夕飯を見つけた。夕飯はコロッケだったらしいが、ラップの中の冷えたコロッケには既にソースが掛かっていて、ビチャビチャになった衣の食感を思い出して食べるのをやめた。
「ちゃんと最後まで面倒見てあげなさいよ」
お母さんは振り返ることなく、傍にあったお茶を飲んだ。私は小さく返事をして、ワタがいる庭の窓を開けた。思わず窓を閉めたくなるような漆黒の闇の中に、ワタの真っ白な毛がフワッと浮かんだ。月の光を浴びて、いつもより青白く見えるワタは私を見ると、ゆっくりと起き上がって頼りない足取りで私に向かって歩いた。私は思わず手を伸ばし、ワタのフワフワの毛をわしゃわしゃと撫でた。真っ黒な鼻を近づけて、ワタは嬉しそうにクゥーンと鳴いて、私の足元で横になった。
「ごめんね……ワタ」
ワタはそれに答えるようにもう一度クゥーンと鳴いた。私はワタが初めて家にやって来たときのように、ギュっと強く抱きしめた。
ワタが死んだのは、私たちの町の公園で行われる夏祭りの前日だった。私はもう動かなくなったワタの毛を触ってみたけど、もう温かくなくて、フワフワでもなかった。
「私もお別れに行けばよかったな」
夏祭りで一緒に歩いているミッキーは、いちご味のかき氷を食べながらポツリと呟いた。かき氷の白さが、屋台の光を浴びて眩しく感じられた。
「何か食べないの?」
ミッキーは差し出したかき氷を、私が断ったのに驚いて尋ねた。私は、適当に食べると言い訳をしてぼんやりと夏祭りの中をミッキーと歩いた。「焼きソバ買って来るね」と言ってミッキーは色鮮やかな浴衣を着た人混みの中に紛れていった。私は少し疲れて、屋台から少し離れたベンチに座った。そんな私の目の前に、一つの小さな屋台があった。おじいさんがやっている屋台で、わたあめを売っていた。私は思わず立ち上がって、そのおじいさんに声を掛けた。
「わたあめ、一つ下さい」
「ありがとね」
おじいさんはニッコリと笑うと、慣れた手つきでわたあめを作って渡してくれた。私は代金を払って、さっきまでいたベンチに戻った。よく晴れた日の雲のようなわたあめを見つめた後、私はゆっくりと食べた。久しぶりに食べたわたあめはやっぱり甘くて、やっぱりおいしくて、だけどどこかしょっぱかった。
「そんなもんだよ。人間なんて」
ミッキーの言葉が頭で木霊した。
わたあめは一層しょっぱくなった。
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2009/07/03(Fri)20:49:01 公開 / ケイ
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■作者からのメッセージ
読んで頂き、ありがとうございます。自分で呼んでみると、少しワタの描写が少なくて、内容が薄っぺらいかなぁ、と思っています。感想やアドバイスを頂けたら嬉しいです。