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『蒼い髪 9話』 作者:土塔 美和 / ファンタジー 未分類
全角51755.5文字
容量103511 bytes
原稿用紙約162.7枚
 ルカが七歳になる頃には、一つの星との戦いにはほぼ勝利が見えてきたが、もう一つの星との戦いはますますその激しさを増していった。これで他の星が立ち上がるようなことにでもなったら、さすがのネルガルも追い込まれること必定。
「後一つぐらい布石を置くか」
 周辺の星とは同盟を結んでいる。特に経済で持ちつ持たれつの関係になっている星は多い。しかしより一層の同盟を結ぶなら血縁関係で繋がるのがよい。
 これが軍部の考えだった。さっそく宮内部に申し入れがあった。
「どの星が?」
 味方にしておけば有効な星で、後々植民地にしても価値の高い星。
 条件としては、資源もしくは高度な技術を支えられるだけの基礎技術があり、周りの星から信望があること。
「ボイ星だ」
 これは軍部からの申し出だった。あの星は宇宙船の燃料になる資源の豊富な星だ。あの星の取引を内部からチェックできれば、他の星の軍艦の動向がわかる。戦争の準備をするには、まず燃料が必要。
「ボイ星ですか、確かにあの星は周りからの信望もある」
 穏やかな国民性なのかそれとものん気なのか、燃料が豊富なわりには自分のところにこれといった軍艦を所持していないのが特徴だ。
「あれだけの燃料があれば宇宙を支配できるものを」
「燃料だけでは戦えませんよ、高水準な技術がなければ」
 人を殺すための。
「あれでは宝の持ち腐れだ」と、軍部は笑った。
「畏まりました。して、誰を?」
「確かあの星には、十七になる王女がいたな」
 十七歳前後の王子の名前が列挙された。その中の誰かがボイ星へとつがされる、和平条約のために。
 それがルカの所にまで及ぶとは思いもよらなかった。
 門閥貴族を母に持つ王子たちはその力を使い、自分の一族に利益にならないような政略結婚をくい止めた。それ以外の王子は、常日頃の宮内部への貢物がものを言った。それにルカより三つ年上の王子は、軍旗を拝領していないことを理由に候補から降ろされた。
 そしで白羽の矢がルカに立った。
 ここは宮内部のさる会議室。数人の幕僚と官僚が雁首を揃えて。
「しかしルカ王子は、まだ七歳になったばかり」
「クリンベルク将軍は、何かとルカ王子ひいきとか」
「いや、そう言う訳ではないが」
 実は彼を餌に内々に仕掛けた罠がある。だがそんなことをここでは言えない。その獲物はハルメンス公爵なのだから、よほどの証拠がなければ。だがその証拠があったとしても。
「まあ、確かに相手は十七歳の娘だからな」
「しかし十歳の歳の差など」
「それは十七歳と二十七歳なら話もわかるが、七歳と十七歳ではいくらなんでも」
 相手が列記とした娘に対し、片や子供。
「しかもボイ星の一年は長い。ネルガルの歳にすれば二十ぐらいなのかも知れない」
「しかし一日は短い」
「まあ、歳の差などあまり気にしなくともよいのではないか。所詮、セックスをしたところで子供が出来るわけでもないし」
 遺伝子が違いすぎる。
「とにかく、三年持ちこたえてくれればよいのだ。三年の内にはこちらの戦争はケリが付くだろうから、そうですな、将軍」
 クリンベルク将軍は頷くしかなかった。
「ではこの辺で、陛下の採決を仰ぎましょう」
 結局この審議でルカがボイ星へ婿入りすることになった。
 神の子なら生きて戻ってくるだろう。と皇帝は嘯く。


 クリンベルク将軍の館では、将軍はソファにくたびれたように座ると、
「まいったな」と漏らす。
「せっかく鼠を誘き出す餌をまいたというのに、その餌をこんなに早く取り上げられるとは思いもよらなかった」
 少なくともルカ王子が元服するまでは、こんな話は出ないと踏んでいた。他にも捨石にするような王子がいない訳ではないのだから。なんなら皇帝の弟でもよい。そのために高額な予算を取り食わせておくのだから。
「あまりかまい立てすれば、痛くもない腹を探られるし」
 これで地下組織の壊滅を延期せざるを得なかった。
「また別な手を考えるか」
 ギルバ帝国は内にも外にも敵がいる。
「しかし相手は十七歳の王女ですよね。七歳の王子を当てるなど、返って馬鹿にされたと憤慨するのではありませんか」
「誰を当てても違いはなかろう、押し付けるのだから」
 嫌だと断れば、艦隊を差し向けられる。力の差が歴然としている限り、生きていたければ強いものに従わざるを得ない。
「七歳か」
「三年もてはよいそうだ」
 それでは生きても十歳ということになる。
 三年後にはネルガルは何らかの因縁を付け、ボイ星から和平を破棄するように仕向けるはずだ。
 そこへカロルが飛び込んで来た。
「ルカがボイ星へ行くって、本当なのか」
 どうやら立ち聞きしていたようだ。
 カロルは叱られるのも忘れてもう一度怒鳴るように訊く。
「本当なのか!」と。
 カロルの頭の中は、そのことだけで一杯だった。
「カロル!」と、父親は鋭い声で叱った。
「立ち聞きなど、するものではない」
「本当なのか」
「まだ正式に公表されているわけではないが、ほぼ決まりだろう」
「どうして、相手の姫は?」
「十七だ」
「じゃ、姉貴と同じ年じゃないか」
「そうだな」
 将軍はあっさりと言う。
「じゃ、姉貴のところへ降下してもらえばいいんじゃないか。そうすればクリンベルク家にも王族の血が入るんだ、名誉なことじゃないか。俺はあいつのことを兄貴と呼ぶのは嫌だけど、でもあいつなら、親父の片腕になれる。兄貴だってそう思うだろう」
「それは無理だ」
「我々の家系に王族の血は入れない」
「どうして?」
「これ以上力を持つと、周りが黙ってはいないからな。シモンにはそれなりの貴族のところへ嫁いでもらう」
 その方がクリンベルク家は安泰になる。貴族の味方は多いほうがよい。
「それにあの子は、俺には御せない」
「御せないって、あいつは悪いことをするような奴じゃない。ネルガルのために一生懸命動くさ」
「そうだな、あの子は純粋だから、ネルガルをよくするためになら一生懸命になるだろう。だがそれが、貴族の利益になるとは限らない」
「どういう意味だ?」
「ネルガルの社会をどう捉えるかの違いだ。我々と同じ角度で捉えるならよいが、もし違う角度で捉えた時には、あの子は純粋なだけに誰にも止められない。少しぐらい悪びれたところがあった方が、それに付け入ることもできるのだが」
 カロルは黙って父であるクリンベルク将軍の顔を睨み付けた。
「そういう事だ」と、兄にも言われ、そろそろあの子と付き合うのも潮時だと忠告された。
「あの子から得るものは多かっただろう。それを思い出とするしかない。あの子もお前から得るものはあったはずだ」
 カロルは涙が出るのを必死で堪えた。
 見捨てろというのか、このまま。
 カロルは部屋から飛び出し行った。
「口止めしておいたほうが」
「どうせ、わかることだ」
 途中で姉とぶつかる。
「どうしたの?」
 カロルはそのまま走り去った。
 シモンは兄たちのいる部屋へやって来た。
「今、カロルとぶつかったのですけど」
 カロルの取り乱しようが、もっともカロルはいつでもああなのだが、今回だけは特別だった。ぶつかっても謝罪の一言もない。
「ルカ王子が、ボイ星へ行くことに決まった」
 えっ!
 シモンは一瞬声を失う。
「まだ、七歳よ」
「ああ、少し早いが」
「お前に降下させろとカロルは言う。相手の姫君はお前と同じ年だ」


 カロルは月に二回という約束でルカの館に遊びに来ていた。そして今日がその日だった。
「どうしました、元気ありませんね。何かありましたか」と、ルカはのんびり訊ねてきた。
 相変わらずルカの部屋は本だらけ。来るたびに少しずつ増えているような気がする。この書物は繁殖するのではないかと思えるほど。そのうち生活空間がなくなってしまうのでは。もう少し王子らしい部屋にしろと言ったところで、その気はまったくないようだ。これではどこかの平学者の部屋だ。だが奴の七歳の誕生日に、俺が強引にプレゼントした俺の一番お気に入りのレプリカは、どうにかスペースを割いて飾ってくれている。気に入ってもらっているとは思わないが、しかしこれでは、雄大な宇宙を翔る戦艦というよりもは、本の塵に埋もれている沈没船のようにしか見えない。
 カロルはそれをもふまえて、何度目かの溜め息をつく。
 ルカはもう一度、どうしたのか。と訊くが、
「あのな、お前」と言いかけて、カロルは言葉を切る。
 ルカはカロルの視線から、
「レプリカ、大切にしていますよ」
「そういう話じゃないんだ」
 何が大切にしてるだ、本の間にはさんでおくくせに。俺の気もしらねぇーで、無性に腹が立つ。
 ルカはお茶を飲もうとした手を止めてカロルをじっと見詰めると、
「はっきり言いませんか。息苦しそうで、こちらも見ているのが辛い」
 カロルはじろりとルカを睨んだが、視線をカップの上に落とす。
 やはり口にはできない。
「ボイ星のことですか」
 切り出したのはルカの方だった。
「おっ、お前、知っていたのか」
 まだ正式な発表はないはずだ。俺だって親父たちの話を立ち聞きしなければ得られなかった情報。
「ネットで調べられないものはないですよ」
 そうかこいつ、特殊情報機関のネットにすら自在に出入りできるんだ。
「知っているなら、何故手を打たない」
 カロルはかっとなってルカの胸倉を掴みあげた。
 俺は、俺が、こんなに心配しているのに、こいつは。のほほんとしやがって。
 無性に頭にきた。その澄ました顔をぶん殴ってやりたいぐらいに。
「人事じゃないんだぞ、お前の事なんだぞ」
 カロルはルカの胸倉を掴んでいた手を思いっきり離した。
 ルカは襟を直す素振りをし、
「手を打つって、どんな?」
「どんなって、お前ほどの頭があれば、何か考え付くだろう」
 ルカは全然という感じに両手を広げて見せた。
 カロルはむっと来た。だがそこは堪えて、
「お前な、二度とネルガルには戻ってこられないんだぞ。それどころか、ウィルフ王子の二の舞にでもなったら、どうするんだよ」
 ウィルフ王子が婿入りしたM8星系第三惑星とは現在交戦中だ。和平条約決裂に当たり、ウィルフ王子の首は薬品処理された後に真空保存され送り届けられて来た。その顔は生前の美しさをそのまま残している。だがM8星系の人々は、胴体まで保存してくれるほどの親切心はなかったようだ。
「仕方ありません、僕に白羽の矢が立ってしまったのですから」
「あのな、何故、そんなに落ち着いていられるんだ」
 カロルは半分怒鳴り気味だった。
 ルカは静かにカロルを見詰めると、
「カロルは、自分が宇宙艦隊総司令官になることをどう思っています?」
「どうって、そりゃ、親父の後を取るのが俺の仕事だから、当たり前だと思っているよ」
「そうでしょうね。僕も、いつかはこうなることは当たり前だと思っていました。ただ、少し早いなとは思いますが」
「おっ、お前」
「願わくば、ネルガル星とボイ星がいつまでも平和を維持できればいいですね」
 それなら自分は死ななくとも済む。と言うよりも、ルカは戦争が嫌いだった。何故かわからないが心の底から争いごとを憎んでいる。
 こいつは既に心を決めているんだとカロルは思ったが、割り切れない。
「ナオミ夫人はこのことを知っているのか?」
「いいえ、まだ公式の発表はありませんから」
「そうだ、まだ公式の発表はないんだ。まだ、間に合うんだ」
「間に合う?」
「そうさ。ハルメンスの野郎と、親しく付き合っているって言うじゃねぇーか」
「ええ、親しいとまではいかないと思いますが」
 あいつは親父たちが危険視している。だが今こそ奴を利用しない手はない。
 奴なら、こいつのボイ星行きを阻止できる。
 出口を見つけたと思った瞬間、カロルの顔に安堵の色が浮かんだ。
 それを見逃すルカではなかった。
「まさか、ハルメンス公爵に口添えしてもらおうなどと考えていませんよね。彼には弱みを見せない方がいいと思いますよ。あなたのレプリカの報酬より高くつきますから」
「それはどういう意味だ。別に俺は、この船をやったからってお前から見返りなど」
「思ってはいないでしょうけど、あの時、ニルスの子供たちを利用しようとしたではありませんか」
 うむっ。とカロルは口を結んだ。
 こいつ、奴と気軽に付き合っているわりには、一線引いているんだな。
「当然でしょう。クリンベルン将軍ほどの方が、警戒しいおられる人物なのですから。あの方に弱みを握られると、動きが取れなくなりますよ」
「じゃ、どうするんだよ」
「何がです?」
「ボイ星行きに決まってんだろ」
「行くしかないのではありませんか」
 カロルは黙り込んでしまった。
 その沈黙を破ったのはルカだった。
「今日も、泊まっていくんだろ」
「ああ、そのつもりだ」
「じゃ、後でいいもの見せてあげます」
 話は完全にボイ星から逸れていた。

 風呂から出て寝室へ行った時だった。
 凄い違和感。カロルは周囲を見回し、あっ、と気づく。
「何だ、天蓋取ったのか」
「邪魔ですから」
 だがそのせいではない。天井を見上げるとゴシック調の飾りが一切なくなっていた。周辺の壁が装飾華美(これでも他の館に比べればかなり質素なのだが)なのに対し、天井はなにもない。ただつるりとした白いドームがあるだけ。天井だけが周りから浮いていた。
 なっ、何だこれ?
「天井、張り替えたのか」
「ええ、ちょっとケリンに手伝ってもらって」
 カロルは何と感想を述べてよいのか困った。
「これでは違和感があるでしょ」
 カロルは頷く。
 ルカが手元のリモコンを操作すると、以前の天井の図柄が浮き上がってきた。
「こうすれば部屋を改装した感じはしない」
「へぇー、スクリーンなのか」
「以前あなたと喧嘩した時、この部屋に閉じ込められましてね、退屈だったもので、母に内緒で改装しました。僕とケリン以外は誰もしりません。もっともハルガンには隠せないでしょうけど。と、君だね」
 此の時ばかりは、ルカは七歳児のようないたずらっぽい顔をしていた。仲間内だけの秘密を作る。それも母に内緒と言うところがいいのかもしれない。
 やっぱりこいつ、まだガキだ。
 時折ルカが見せる心と知性のギャップ。これがカロルは好きだった。もしかすると俺にしか見せないのかも。兄たちのルカに対する印象は俺とはまったく違ったものだった。
 繊細で物静かで賢い子。姉貴に言わせれば、上品な王子様。爪の垢でももらってきて飲ませてもらえ。とまで言いやがった。兄たちはこいつの本性を知らない。
 賢いのは確かだが、こいつは繊細でもなければおとなしくもない。
「今度この部屋に閉じ込められても、退屈しなくて済む」
 今度があるならば。とカロルは思う。
「ねっ、寝よう。これは寝て見るのが一番なんだ」
 そのために天蓋をはずしてしまたのだから。
 二人はベッドの上に仰向けになった。
 ルカは手元のリモコンを操作する。
 天井に草原が映った。遠方には雪を頂いた山々。馬にでも乗って走っているのだろうか、草木が後ろへと飛んで行く。そのスピードは心地よかった。
 そしてスクリーンが暗くなったかと思うと、満天の星空。次第にある恒星が大きくなりだし、その周りを回っている惑星が見え始めた。
「アパラ星系だ」
 そう自分たちの所属する星系。
 幾つかの惑星を通り越すと、
「ネルガル星」と、カロルは喜ぶ。
 今ではネルガル星を回るただ一つ衛星までもがはっきり見える。
「まるで宇宙船に乗って旅しているみたいだな」
 そしてその宇宙船はネルガルをも通り越してアパラへと近づく。
「やばい、このまま行くとアパラの熱で」
 そう思った瞬間、映像が一瞬消えた。
「ワームホールか?」
 ルカとカロルの乗る船は、別な星系へとワープした。
 そこはオールド雲。彗星の卵がごちゃごちゃしている所だ。
「やっ、やべぇー、あぶねぇー、ぶつかる」
 カロルは思わずベッドの上で身を翻した。
「映像ですよ」
「そんなこと、わかってら」と、カロルは照れくさそうに言う。
 何時しかその映像は三次元映像と化し、隕石が部屋中に飛び交っている。
「おっ、お前、こんなの作って遊んでいたのか」
「なかなか楽しいでしょう」
 これなら何も、遊園地へ行かずとも充分だとカロルは納得した。が、
 人がこんなに心配しているというのに、何をやってやがるんだ。と無性に頭にも来た。
 だがおそらくこいつにそう言えば、こいつのことだ、誰も心配してくれとは頼んでいないと言うに決まっている。このへそ曲がり目。
 次に映し出された星系は。
「確かここは、ボイ星のある」
 船は恒星へと近づいて行く。
「そうです、ここはM6星系第七惑星ボイ」
 ボイ星が見えてきた。水が少ないのか、赤茶色に輝く星。
「ボイには、衛星が五つあるのですよ」
「五つも! それじゃ、夜はそうとう明るいな」
「でも、ネルガルほどではないと思いますよ」
 ネルガルは衛星が一つ。だが地上は人工灯で輝き、星など見ることは出来ない。
 そして次に映し出されたのは、青い星。
「魔の星」
「本当は僕の行きたかった星は、ボイではなくイシュタルなのです。あの星との和平なら、立候補してもよいと思っていた」
 カロルは隣で仰向けになっているルカの横顔を見た。
「イシュタルへ行ってみたい。いや、僕が本当に命を張ってでもネルガルのために和平を結ばなければならない星は、ボイではないような気がする」
 なっ! とカロルは思いつつも、どうしてこいつは、こんなにあの魔の星にこだわるんだ?
「体は一つしかないんだ、ボイ星行きをキャンセルしない限りイシュタルへは行けないぜ」
「そうですね」
 ではイシュタルなのかと問われれば、ルカもわからなかった。ただボイに行けば何かがわかるような気もする。
「なっ、誰かに頼んで花嫁を探してもらえばいい。そして降下すれば、王子でなくなれば」
「カロル、僕の年齢知っていますか」
「知ってるよ、この間七つになったばかりだろう」
 それであの俺が一番大切にしているレプリカを送ったのだ。
「そうですよ、よく考えて下さいよ。常識的に考えて僕の花嫁になる人って、五歳か六歳、年上だとしても十歳未満でしょ。普通、そんな子供を嫁に出しますか」
 特別な事情でもない限り無理だろう、今回のような。
「星と星との和平を結ぶ。これが僕の仕事なのですから、君が宇宙艦隊の総司令官になるのと同じようにね」
 どこが同じなんだ。と怒鳴りたい気持ちを押さえながら、
「お前、こうなることを生れた時から決めていたのか」
 ルカは微かに笑うと、
「王子は何人もいらないから、後は、ネルガルの和平を維持するために使うしかない。本当はイシュタルへ行きたかったのですけど、これも何かの縁でしょう」
「それじゃまるで、道具のようなものじゃないか」
「似たようなものですよ。僕は父(皇帝)に愛されていると感じたことは一度もありませんから。どうして愛せない子を作るのでしょうね、ネルガルのため、それとも玉座のため」
「おっ、お前」
「君は、皆に愛されていて羨ましい。母に対してすら、僕の胸に痣がなかったら、それでも愛してくれただろうかって思うことがある」
 カロルは言葉を失った。
「僕がボイ星に発つ時ぐらい、あの人は僕に父親らしいことをしてくれるでしょうか」
 時間が止まったような気がした。こいつがこんな思いでいたなんて、今まで少しも気づかなかった。俺の館で家族団欒を見せ付けたのは酷だった。それでこいつ、俺の館に来たがらなかったのか。いやこいつはそんな了見の狭い奴ではない。
 そうだよな、こいつにとって皇帝陛下は父親なんだ。だがこいつは一度も陛下を父と呼んだことはない。
 父どころか、他の兄弟たちを兄姉と呼ぶことすら許されていないことをカロルは知らない。ただジェラルドだけは兄と呼ぶことを許してくれたのだが、それは本人にその意味を理解する能力がないから。しかしそれを聞いた他の王子たちはいい顔をしない。
 沈黙を破ったのはまたしてもルカだった。
「ねっ、カロル」
「何だ?」
「一つ、頼みがあるのですけど」
「頼み? 何?」
「僕がボイ星へ行けば、ここに戻ることは二度とない」
 確かにそうだ。もし戻って来るようなことがあればそれは体だけ。そこに生命はない。
 カロルは背中に悪寒が走った。だから俺はそれをどうにか止めに来たはずなのに。
「母をここに一人で置いておくわけには参りません。村に帰してもらおうと考えております。そうするとここで働いてくれた者たちも不必要になります。かと言っていきなり解雇するのも彼らにも生活があるでしょうから。それで君の館で雇ってくれると有難いのですが。もっとも少し甘やかしすぎたので使用人らしくないかもしれませんが、皆いい人ばかりです。よく働いてくれました」
 既にルカの言葉は過去形になっていた。
 この期に及んで、自分のことより人のことか。
 カロルは、わかった。後は任せておけ。としか言えなかった。
 ルカはぱっと明るい顔になると、
「有難う、やはり持つべきものは友ですね。僕は君に何もしてやれなかったけれど」
「そうでもないさ。お前がいなければ、俺はただのぼんぼんで一生を送っていた」
 そう、お前に会わなければ俺は一生、くだらない王子の護衛に辟易しながら生きていたに違いない。夢も何も持たずに。


 それから数日後だった、公の発表があったのは。もっともルカに正式な告示がある前に官僚たちがお膳立てをして公表したもようだ。
「これで行くと半年後だな。お前知っていたのか」
 今日はカロル以外にも二人の客人が見えていた。
「いいえ。まだ花嫁になってくださる方のプロフィールもないのです」
「顔も知らずに行くのか?」
「そうらしいですね」と、ルカはまるで他人事のように言う。
 ルカは既にボイ星については調べられる範囲で調べてはいた。ボイ人の特徴はもとより、星の生い立ち、政治経済、思想、生活様式にいたるまで。
「泣きつく気はなかったのですか?」
「誰にですか?」
「私にです」と、ハルメンス。
「それは俺も提案したんだ。そしたらこいつ」
「泣きつけば、どうにかしていただけたのでしょうか」
「それは、保障はできませんが」
 ハルメンスが意外に謙遜な言い方をしたのでルカは少しおかしかった。
 それをハルメンスは別な意味に取った。
「私に力がないと見ましたか」
「そういう訳ではありませんが、僕はあまり人に頭を下げるのが好きではありませんから」
「かわいくありませんね」
 その時である、侍女が飛び込んで来たのは。
「殿下! 奥方様が!」
「母上が何か?」
「止めてくださいまし、奥方様が陛下に」
 直談判すると言い出した。
「部屋におられますから」
 侍女たちが押し留めているらしい。
 ルカは慌てて走り出した。
 三人の侍女が後を追う。

 ナオミは皆に取り囲まれていた。
「母上、どちらに行かれるのですか」
「決まっているでしょ、陛下のところです」
 ナオミは先程ナンシーから正式な報せを聞いた。
「母上、いまさら無理です」
 ルカはナオミを引き止めた。
「ルカ、あなたは何時から知っていたのですか」
 それにはルカは答えられなかった。嘘をつきたくはない。
「どうしてこの母に、一言、言ってはくれなかったのですか」
 ナオミの非難めいた声。
「言えば母上は陛下のところへ行かれるでしょ」
「当然です。あのような知らない星へあなたをやるぐらいなら、村へ帰していただきます。村では皆があなたの帰りを待ち焦がれているのですよ」
「僕が、神の生まれ変わりだからですか」
「そうです」
 ナオミは何の迷いもなく即答した。
 ルカは暫し黙り込む。そして改めて、
「母上、以前から一つだけお聞きしたいことがあったのですが」
「何ですか?」
 興奮もまだ冷めやらないままに、ナオミはルカに聞き返した。
「母上は、僕を愛していたのでしょうか、それとも僕の胸の痣を愛していたのでしょうか」
 ナオミは唖然としてしまった。
 どうしてそんなことを聞くの、今頃になって。
「僕は以前からずーと気になっていたのです。もしもこの痣がなければ母上は僕のことなど」
「馬鹿なことを言うものではありません」
 ナオミは思わず声を張り上げていた。
 実はナオミにも自信がなかった。痣がなかったら、この子を愛せただろうか。好きでもない男の子。いや痣ではない。私が愛しているのはルカの肉体の中に潜んでいるエルシア様。ルカは自分の血肉を別けた子として愛したつもりなのだが、どこかギクシャクしていたのだろうか。
 自分の気持ちを隠そうとする思いが、思いもかけない大声になってしまったのではないのか。
「ごめんなさいね、大きな声を出してしまって」
「いいです、母上。僕がくだらないことを聞いてしまったから」
 ルカにとっては決してくだらないことではないのだが。
 ルカは笛を取り出してまじまじと見ると、
「母上、僕が死ねばこの笛は村の社に戻り、また僕が生れるのですよね」
 ナオミに確認するかのようにルカは問う。
「そうです。でも神の子は生まれても、あなたを生むことはできません」
「それは、どういう意味でしょうか」
「私はあなたの前世を知っています。御名をレーゼとお呼びしました。私が神にお会いしたのは十七の時、レーゼ様が亡くなられたのはその二年前、つまり私が十五の時です。それまでレーゼ様は村に居て、私は友達とよく彼のところへ遊びに行ったものです、兄の里親でもありましたから。たいへん子供のお好きな方でした」
 ルカはこれが自分の前世なのかと思いながらナオミの話を聞く。
「ですからレーゼ様の人となりはよく存じております」
「僕と、違いますね。僕はあまり子供が好きではありません」
 嫌いな訳でもないのだが、大人の中で育ったルカは、同じ子供と付き合う方法を知らない。
「そうですね、レーゼ様はあなたとは性格が違います。同じ神であっても、お年を召されていたからでしょうか」
「性格が違うのでは、僕の前世とはいえないのではありませんか」
 ナオミは少し困った顔をしながら、
「それでも、あなたの前世なのです、魂は同じなのですから。おそらく肉体が違うので性格も違うのでしょう」
 肉体が出す波動が、魂の波動に影響を及ぼしている。
「どうして母上は、僕の魂がレーゼと言う方の魂と同じだと言えるのですか」
「それは神にお会いしたからです」
 こうなるとルカは理解に困った。科学的に神は存在しない。
 だがリンネルも知っていた。ルカの体内に潜むものの存在を。いつかは彼に、ルカは意識ごと奪われてしまうのではないかと心配している。
 しかしナオミの考えは違っていた。
 エルシア様とルカは同一人物。人にはいい面と悪い面があるように、いろいろな人格を持っている。そしてその人格はその場に応じて現れる。昨日の私が今日の私とは限らない。そして明日の私は、また別な私が現れるのかもしれない。ただ過去から繋がっているように感じるのは、肉体がその記憶を維持しているから。おそらくレーゼ様の幼少の頃はこうだったのかもしれない。ナオミは幼少のレーゼを知らない。
「あなたは笛を吹くと幻を見ると言いましたね。その方こそ、あなたが本当に仕える方なのです」と、ナオミは断言した。
「レーゼ様も晩年、かわいそうな少女の夢を見ると仰せでした」
 そう、今思えば、たった一度だけ呟いたことがあります、私があまりにも笛を吹いてくれるようにせがみましたから。
 夕方はあの曲を吹きたくないと、魂がここにじっとしていられなくなるから。
「それはあなたの前世の記憶。レーゼ様の前世の記憶でもあります。おそらくその記憶は何千年も前の」
「母上、少しお待ちください」と、ルカはナオミの話を断った。
 今のルカの科学力では、この話をどう解釈してよいのかわからない。
「ルカ、あなたが本当に行くべき所はボイ星なのですか。ボイにその方がおられるのですか」
 ルカはナオミのその言葉に体が跳ね上がる思いがした。
 それはカロルも同じだった。ルカはボイ星ではないと言った。その人がいるいないとは別として、自分が行くべき星は。
「あなたはその方に会うために村を出る決心をした。そして王子に生まれ変わった。王子なら艦隊を率いて宇宙に出られるから。いえ、そんなお考えではないのでしょう。おそらくその方は幾たび転生を繰り返しても王女だから。その方こそが神なのだから。あなたは私に言った。私は神に仕える者だと。その方に会いに行くには、それなりの身分が必要だったから」
「母上、暫しお待ちください」
 ルカは手を前に突き出すようにしてナオミの話を断った。
「それでは僕は、王子に生れたくて生れたということになります」
「違うのですか」
「では陛下に母上を」
 ルカはそこまで言って口を閉ざしてしまった。その先は言えない。
「少なくともカムイはそう思っています」
 ルカは息を呑んだ。
「そんな、僕は」
「あなたは知らないこと。これは神と私の間での約束。あの時、神は言われた。私を生んでくれないかと。その時初めて知りました。村では神の子を生むと伝えられていましたが、実際は神自身を生むのだということを。父親は誰でもよいのです。神に肉体を与える道具に過ぎないのですから」
 ナオミのその言葉に周りの者たちは唖然としてしまった。
「ルカ、心を無にして、あなたの内なるものと会話をしなさい。そうすればあなたが誰なのかわかるはずです」
「どうすれば、心を無にできるのですか」
「それは、母にもわかりません。ただその方は、あなたが気づいてくれるのを待っております。それにルカ、私はあなたが神だから大切にした訳ではありません。いえ、そう言うとやはり嘘になるかもしれませんね。でも私の子だから、私がお腹を痛めた子だから大切にしたのも事実です。神はまた生むことが出来ます。でもルカ、あなたという人格は二度と生むことは出来ません」
 今の肉体と魂が結合してかもし出す人格。
「だから命を粗末にしないで下さい。私があなたに与えた命なのですから」
 そういうとナオミはかっと扉を睨みつけ歩き出した。
「母上」
 慌てて止めようとするルカ。
 ナオミはその手を振り切って、
「陛下に会って来ます」
「もう、無理です」
 宮内部は、僕たち親子が逃げ出さないために、僕たちへの通達より先に公表したのだ。
「宮内部からまだ正式に私の所に使者はありません。あったところで、私はその使者を受け入れるつもりもありません。まだあなたは七歳なのですよ」
 ルカは静かにナオミの前に立ち塞がると、
「母上、今の母上は母上らしくありません」
「どこがです?」
「結局、誰かが行かなければならないのです。僕が断れば他の王子が、そしてその方の母が、今の母上と同じ思いをするのです。この件を中止することは陛下のお心の中にないのですから。ネルガルはボイ星の資源を欲しがっているのです。出来ることならボイ星をネルガルのパートナーにしたい、隷属ではなく。僕には出来ないでしょうか」
 ルカはボイ星へただの和平の人形として行くつもりはなかった。行くからには、ボイの人々に次期国王として認められるようなことをきちんとやりたいと思っていた。
 とにかくボイ星をネルガルと引けを取らないような星にしたい。
 ナオミは何も答えられなかった。そこまでこの子が決心しているなら、村人の立場としてはそれでも行かせる訳にはいかない。しかし母親としては、子供の決心を砕くようなことだけはやってはいけない、どんなに我が子の身を案じても、そしてどんなに自分が寂しくとも。
「そうね、あなたなら出来るかもしれませんね」
「母上」
 ナオミは自分の心の寂しさを振り切るかのように首を横に振ると、
「ルカ、もう母は何も言いません。ボイ星へ行ったら、姫を大切になさいませ。心は必ず通じるはずです。二人で幸せを作るのですよ。それがまず基本です。夫婦の仲もうまく行かず星の仲など考えられません」
「母上」
 ルカはナオミの胸の中に駆け込んだ。
 ナオミも両手を大きく広げ、ルカを抱き込むが、カロルたちの手前、
「皆が、見ていますよ」
 ルカはナオミの腕の中からカロルを見る。
 カロルは空惚けた感じに天井を眺めている。周りの者たちもそれに合わせていた。
「誰も見ていません」と言うと、ルカはナオミの頬にキスをして走り去った。
 これが、ルカがナオミに甘えた最後だった。
 ルカは嬉しかった。母の心がわかったことが。そして一瞬でも母の心を疑った自分を羞じた。

 ナオミは黄昏にまぎれて池の辺にたたずんでいた。
「どうしのじゃ」
 いきなりかけられた声に、ナオミは我に返った。
「ヨウカさん」
 久しぶりな感じだ。そう言えばここのところ。
「わらわの存在を意識しなかったようじゃのー」
「別に、忘れていたわけでは」
「まあ、よいわ。ところでどうした、浮かぬ顔じゃのー」
 ナオミは何から話してよいか迷った。
「ボイ星行きのことか」
 ヨウカは全て知っているようだった。それもそうだ、ヨウカはルカに憑依しているのだから。
「村の人たちに何とお詫びしたらよいか」
 村に連れ戻すどころか、異星へ。
「あやつは言い出すと聞かぬからのー」
「あの子がこの星を発ってしまったら、村はどうなってしまうのでしょう、池の水は?」
 村の守り神。彼がいるからこそ、村は潤っている。
「心配いらぬ。あやつは何処へ行っても、村から出ることはできんのじゃ」
「それ、どういうことなのですか」
 ナオミは不思議そうに聞き返した。
 現にルカは今は王都に居て、今度はボイに行こうとしている。とっくに村から出ているのに。
「あやつは、自分の魂をあの池の底に打ち付けておるのじゃ。じゃきに、動けん」
「でも、現にここに」
「ルカはあやつの魂の一部じゃ。実体は今も村から一歩も出てはおらん」
「ちょっと待って、白竜様の魂の一部がエルシア様で、エルシア様の一部がルカということ」
「まあ、そういうことじゃのー。お前にしては頭がよくなったのー。あやつはこの星を離れることは出来んのじゃ。あやつが守っているのは村ではなくネルガル星じゃきに」
「ネルガル星? 村ではなくて?」
 ナオミは驚いたように聞き返した。そんな話、長老たちから一度も聞いたことはない。
「そうじゃ」と言って、ヨウカは黙り込む。
「少し、話しすぎたのー。後はエルシアに訊け」
「どういうことなの、教えてヨウカさん」
「わらわにはこれ以上、言えん。あいつは馬鹿で間抜けでアホじゃきに、損なくじべぇー、引くのじゃ」
 そこにはヨウカのエルシアに対する思いが込められているようだった。力になりたいのに何も言ってくれない人。
 いるのよね、そういう人。
 ナオミはカムイを思い出していた。くだらない事はべらべら喋るくせに、肝心なことは何も言わない。カムイは過去を話そうとはしなかった。彼の心の中に潜む影。話してしまえばどんなに楽になることだろうと思うのに。
 まだ時期ではないのよね、そのうちきっと。心の傷が癒えれば話してくれる。
「心配はいらぬ。あやつはわらわが守る。あの肉体でもう一度ネルガルの地を踏ませてやる。魂で池に帰したりはせぬ。じゃきに、待っちょれ」
「ヨウカさん」
 ナオミは喜びのあまりヨウカに飛び付こうとして、池に落ちそうになった。
 やっとの思いで体勢を立て直す。
「なにやっちょるのじゃ、お前」
「へへぇー、あなたが透明だということを忘れていた」と、ナオミは子供っぽく舌をだす。
「お主は幾つになっても変わらんのー、そのそそっかしいのは」
 もー、と脹れながらも、
「本当に生きて」
「ああ、約束しちゃる。わらわは竜じゃないきに、千年も二千年もというわけにはいかぬがのー」
「そんなに生きられないもの、そんな長い約束をされても困るわ」
 ナオミは本当にヨウカを抱きしめたかった。有難う。と何度心で繰り返したか。
「奥方様、こちらでしたか、お食事の用意が」


 ボイ星からの迎えが来るのは春、その前に母を村へ帰さなければ。
 ルカは宮内部の官僚に掛け合った。母が村に発つのを見届けてから、自分はボイ星へ発つと。
 父(皇帝)に願い出てもよかったのだが、父は壇上の人。ルカには遠い存在だった。ならいっそ、王宮を牛耳る宮内部と直談判した方が早い。ルカは自ら出向いた。本来なら王子という身分を利用して呼びつけてもよかったのだが。
 官僚たちは一瞬、戸口にたたずむ美しい子供に息を呑んだが、相手が誰だかわかると丁寧に挨拶をしてきた。
 ルカは自分の館と王宮以外に足を踏み入れたことはほとんどない。自分の人生を勝手に決める官僚に会うのもこれが初めて。いや、王宮の控えの間ですれちがっているのかもしれないが、意識したことはなかった。
 この人たちが僕の人生を決める人たちなのかと思いながら、
「こちらでよろしかったのでしょうか、お願いがあって参りました」
 ルカは物静かに下手に出た。
 今更ボイ星行きの件か。官僚たちは改めてルカを見た。
 大概どうにもならないとわかっていていながら、それでも一揉めないと事が決まらないのだが、今回はナオミ夫人からは一言の命乞いもなかった。それがここへきて。官僚たちの辟易するような顔。
 官僚の一人が執務室のソファにルカを案内すると、
「何でしょうか、殿下」と、あくまでも事務的な態度で出た。
「母のことで」
「ナオミ夫人のこと」
「はい。僕がこの星を発ってしまえば、母はあの館に一人になってしまいます。願わくば、故郷に帰していただきたいのですが」
 官僚は意外な顔をした。
 ボイ星行きを断りに来たのではないのか。
「お願いできませんか」
 ルカはあくまでも真摯に頼む。
「わかりました。私の一存では何とも言えませんが、議会に掛けてみましょう。後日、連絡いたします」
「有難う御座います。願わくば、母が村に発つのを見届けてから、この星を発ちたいと思います」
 ルカは軽く会釈をするとその場を去った。
「しかし、生れたときも美しい赤子だったが、時がたてば経つほどその美しさは増してくるようだな」
 それが誰もがルカに会って最初に受ける印象だった。
 ネルガルで最高の気品とされる紅の髪に翡翠のような瞳。線が細く色白で、物静かで気品が漂う。
「まさに深窓の美姫だ。男にしておくのはもったいない」
「あんな蛮族にくれてやるのは欲しいぐらいだ」
「ご成人なされば、さぞや素敵な貴公子になられたことでしょう。見たかったものです」
「もう、それは無理だな」
 その時、一人の官僚がルカの後を追って部屋を出た。
「やれやれ、また彼の悪癖が始まった」
 官僚たちは密かに笑う。
 王子で彼の手のついていない者はいないとまで言われている。
「まだ相手は、子供ではありませんか」
 一人の官僚が同僚に耳打ちする。
「知らないのか、彼はスラムへ行っては、あのぐらいの子を買ってきては自宅で楽しんでいるという噂だ」

「お待ちください、殿下」
 彼は広間かと思えるほどの広い廊下でルカを呼び止めた。
「お話が」とルカの腕を引き、人目の付かない柱の影へと連れて行く。
「何でしょうか」と、ルカはその手を振りほどきながら。
「今ならまだ、間に合いますよ、ボイ星行きの件」
 ルカはその官僚の顔をまじまじと見詰めた。
 彼は彼で、自分の胸下あたりからじっと自分を射抜くように見詰める美しいが鋭い瞳に心を打たれたようだ、きりりと閉ざされた淡いピンク色の唇に触れたくなるのをじっと堪えて、
「如何です、時折私どもの屋敷に遊びに来られてお泊りになって下されば」
 ボイ星行きを他の王子と交換してやってもよいと。
 ルカは微かに笑うと、
「僕の体でですか」と、はっきり切り出した。
 官僚は一瞬ためらったが、
「さすがに頭が切れますね、話が早い」
 官僚はルカの唇に触れようと手を伸ばした。
 その瞬間、ルカは一歩身を引く。だがその後はない、レリーフされた壁。
「気をつけてください。僕の体には蛇が宿っているのですよ、噛み付かれなければよいのですが」
「蛇?」
 官僚は笑う。
「そうです、胴回りが二メートルもあるそうです」
 噛み付くどころの騒ぎではない。丸呑みされてしまう。
 だが彼は、その話には乗ってこなかった。大人のようで子供だ。そんな童話を持ち出すとは。
 名前はヨウカ。もっとも見る人によってその姿が違う。陛下には妖艶な女人に見えたようだが、僕やカロルには白い蛇。リンネルに至っては胴回りが二メートルもある大蛇に見えたそうだ。
 僕はその蛇を生け捕りにしようと罠を仕掛けた。餌はねずみ。だがそれは母に叱られた。
「ヨウカさんは、そのようなものは食しません」と。
 そしてかわいそうだ。と言って、母はねずみを逃がした。
 次は生卵。だが結局これも、母に言わせれば、彼女(母はその蛇を女性だと思っている)の食物ではないらしい。
「では、一体何を食べるのですか?」
「陛下にお聞きにならなかったのですか」
 陛下からその名前は聞き出した。そして、その餌も。人間、それも美しい。
「僕が餌になればよいのか」
「殿下!」と、周りの者が止めるのも聞かず、僕はその蛇が出てくるまで罠の中に居るつもりだったのだが、夜になって寒くなり、とうとう諦めた。
 次の日は一日熱を出して寝込んでしまった。
 母は枕元に冷えた果物を持って来ながら、
「これでねずみの気持ちもよくわかったでしょ」と言った。
 でも僕は諦めなかった。どうしても奴を生け捕りにしたい。
 カロルにも見えるということがわかってからは、二人で共同戦線を張ることにした。二人で網を持ち池の中に入り、挟み撃ちにする。さんざん池の中を押して回り、やっと捕らえたと思って引き上げた網の中には、携帯用の通信機、バッテリィー、リモコン、靴下、パンツ、ざる、木鋏、ボール、布(たぶんハンカチやタオル)、爪切り等々、がらくたばかり。極めつけはハルガンの靴が四足、それも左足のものばかり。そして最後に例のゴムホース。
「なっ、なんだこれは」と、カロルは大声を出す。
「確かに蛇が入ったと思ったのになー」
「ご苦労様、お陰で池が綺麗になったな」と、ハルガンは腹を抱えて笑う。
 周りの者たちも、何と声を掛けてよいのか解らないという感じで、びしょぬれの僕とカロルを眺めていた。
 それも当然、蛇が見えるのは僕とカロルと母上だけ。他の者たちには見えないのだから、この光景はさぞ滑稽だったことだろう。
 母はがらくたをしみじみと眺め、あまりの汚さに、
「時々池の底もさらわないといけませんね」
 結局、どうやっても蛇を捕まえることは出来なかった。母はあの蛇は僕のしもべだと言うが、どうしても僕をからかっているとしか思えない。
 だがそれももう直だ。まさかボイ星までは追って来まい。

 ルカは耳元の髪に何かが触れるのを感じで我に返った。
「どうなさいました」
「考えておきましょう」
「もう、あまり時間がございませんよ、なんでしたら今夜でも、空けておきますよ」
 そこへリンネル。リンネルは彼の噂を知っていた。だからわざと、大声で呼びかけてきた。
「殿下、こちらでしたか、迎えに参りました」
 官僚はさっと身を引き愛想笑いを浮かべる。
 リレネルは彼の前に立ちはだかり、さっさとルカを促す。
 こんな所に長居は無用だとばかりに。
「後は使用人たちを立ち行くようにしなければ」
 ルカはリンネルに話しかけたような仕種をしながらも、聞こえよがしに言う。
 これがルカの答えだった。
 背後でペンか何かが折れるような音がした。
 ルカは微かに笑う。
 リンネルは主のその様子を見て、何があったのか不審に思った。

「振られましたね」
「これはハルメンス公爵、何のことでしょうか」
 官僚は態度を一変させた。だがハルメンスは一部始終を見ていたようだ。
「なかなか一筋縄ではいかないようですね」
「馬鹿な親子だ。少しでも我々に貢いでおれば、どうにでも計らってやるものを。王子とは言え、所詮我々の手駒に過ぎん。生かすも殺すも我々の手中だというのに」


 ルカは車に乗って初めて口を利いた。
「怒らせてしまったようですね」
 リンネルにもその意味がわかっているようだ。さり気なく頷く。
「でも一人ぐらい怒らせても支障はないと僕は見ました。館を一つ維持するということは、膨大な費用がかかるものです。こちらから閉鎖したいと申し出たのですから、彼らはさっそくその手続きを取ってくれるでしょう。やはり、弱みは見せるものではありませんね」
 僕だけならまだしも、母までがあんな獣の餌食にされては。
 現に過去において、母子ともさんざん弄ばれたあげく、その星にはと嫁がずとも別の星に嫁がされた王女もいた。
「一度へりくだれば、そのあと何を要求されるか知れたものではない」
「殿下」
 ルカはじっと外を見る。
「僕の体はもう彼女のものですから。僕が成人すれば、ボイ星の王女は、僕を愛してくれるでしょうか」
 きっと最初は子供として扱われるに決まっている。でもその内、対等に会話を交わしてくれるようになってくれるだろうか。
 それにはリンネルも答えられない。なにしろリンネルは独り身だった。


「着きました」と、運転手。
 ルカが次に向かったのはクリンベルク将軍の館だった。
 リンネルを介し、既にアポイントは取ってある。
 リンネルはトランクから一振りの太刀を取り出した。
 ルカはリンネルからクリンベルク将軍が好きそうなものを幾つか聞き、その中の一つをハルメンスに頼み用意してもらった。少し値は張ったがこれも使用人のため、他に彼らにしてやれることは何もないのだから。今まで彼らは自分に充分尽してくれた。別れ際の礼として。
 エントランスでは既にシモン嬢が待っていた。
「ようこそお越し下さいました。先程から父が待ちかねております」
「すみません、お忙しいところを」
 居間では、車から降り立つルカ王子の姿を見ながら、二人の兄と将軍が話をしていた。
「今更、何の用だろう」
「まさか、命乞いでもあるまい」
 ルカはシモンの案内で居間へと通された。
 将軍にソファに促されるが、ルカは座る前にリンネルに太刀を将軍のところへ持って行くように指示する。
 リンネルは将軍の前に方膝を付くと、おもむろに袱紗に納められた太刀を掲げる。
「太刀ですか」
「お気に召して下されば幸いです」
「見せていただく前にご用件を伺いましょう。私には出来ることと出来ないことがありますから、見てからでは悔やまれますので」
 将軍は武人らしくはっきりと言ってきた。
「まあ、お掛けください」
 ルカはその言葉でソファに腰掛け、リンネルもいったん身を引きルカの背後に立った。
 無論、将軍の背後にはカロルの二人の兄、マーヒルとテニールがいる。
 ルカはクリンベルク将軍は嫌いではない。言葉に無駄な飾りがないのが好きだ。だからルカも単刀直入に切り出した。
「実は既にカロルさんに頼んでおいた件なのですが、やはりこう言う事ははっきり将軍の方に頼むのが筋かと思いまして、参りました」
 カロルに? それで将軍は思い出した。
「殿下の使用人のことですか」
「はい。何人になるか今のところまだわかりませんが、もしよろしければこちらの館で使っていただければと思いまして、よく働く者ばかりですので」
「なるほど、それでこれですか」
「はい、ご迷惑料です。少なくて申し訳ありませんが、これが僕に出来る精一杯のことですので」
 将軍はほっとした。ボイ星行きの件だけは、自分にはどうすることもできない。
「わかりました。そのようなことでしたら、喜んでお受けいたしましょう」
 将軍はリンネの差し出す太刀に手を伸ばした。
「拝見させていただいてもよろしいですか」
「どうぞ、もうあなたの物ですから」
 将軍は袱紗の紐を解き、まるで女人の服を脱がすかのように丁寧に袱紗の中から太刀を取り出した。
 武具には詳しい将軍のこと、人目でそれが何であるかわかった。
「こっ、これは」
 二の句が告げない。
 古代の名刀。今では実戦で使うよりも骨董としての値打ちが高い。
「どうやって、これを?」
 市場に出回るような品ではない。
「ちょっとした知り合いがおりまして」
 ハルメンスは自分で顔が広いと自慢するだけあって、何でも手に入れることが出来た。イシュタルの禁書も、あれから何冊も持って来る。市場には一冊もないのに。
「お気に召していただきましたか」
「無論」
 将軍の声は、心なしうわずっていた。
「では、よろしくお願いいたします」
 ルカは立ち上がる。
「これで、お帰りなの」とシモン。
「はい、用件は済みましたので」
「カロルに会って行ってくれません」
 ルカが来たと知らせたのに、部屋から出てこようとしない。ルカがボイ星へ行くことにまだ気持ちの整理がついていないようだ。
 ルカはカロルのことより、リンネルと将軍が話があるのではないかと思い、
「では、少しだけお邪魔させていただきます」と言って、シモンに案内してもらった。
 ルカが居間を出るのを見届けて、将軍は溜め息をつく。
「方や使用人の行く末まで配慮しているというのに、我が息子ときたら」
「仕方ありません、坊ちゃまは純粋な方であられますから」
「お前はどうするのだ」
「私は、殿下に付いて行こうと存じます」
「リンネル」
 将軍はうなった。出来れば片腕として傍に置きたい。
「将軍に目を掛けていただいたことは、大変光栄に思っております。しかし私はあの方の傍にいたいのです。あの方の生き様を見ていたい、申し訳ありませんが」
「そうか」
 将軍はもう何も言わなかった。
 おそらくリンネルのことだ、あの子の遺体に付き添って戻って来ることはないだろう。あの子が遺体で戻ってくるようなら、リンネルもあの子の後を追う。奴はそういう男だ。ネルガルは欲しい人物を二人も失うことになる。これが将来大きな痛手にならなければよいが。いや、これでよかったのかも知れない。


 自室でカロルは、ベッドの上に突っ伏したまま塞ぎこんでいた。
「せっかく来て下さったのだから、挨拶ぐらいしたらどうなの」
「どうせ直ぐにいなくなるんだ。もう友達ごっこは終わりだ」と、毛布をかぶる。
「また、会えるよ」
「会えるものか、もう二度と会えないんだ」
「後六十年もすれば、僕も隠居できると思う。そうしたらネルガルに遊びに来るよ」
 カロルはがばっと起き上がると、
「馬鹿かお前」
 六十年も先のことなどわかるはずがない。
「まあ、ボイの国王になられる方に、その口の利き方はなに」と、シモンはわざと怒って見せる。
「何が、ボイの国王だよ」と、カロルはベッドの上に仰向けに倒れる。
 その投げやりな態度に、
「まったく、仕方ない弟ね」と、シモンも諦め状態。
「ああ、どうせ俺は仕方ない弟だよ。兄貴たちのように出来はよくないし、もう何もかもやる気なくした」
 カロルはベッドの上で大の字になった。
 ルカは暫しそんなカロルを眺めていたが、
「卑怯だな」と、ぽつりと言う。
「卑怯、何が?」
「それって、僕に責任を押し付けて、自分は逃げているだけだろう。勉強するのも武術の鍛錬をするのも辛いから」
「なっ、何だと!」
 カロルは起き上がった。
「もう一度、言ってみろよ」
「ああ、何度でも言ってやるよ。僕のせいにして、お前は怠けるつもりだ」
「なっ、何!」
「僕のことを心配するふりして、本当は自分が怠けたいんだろう」
 俺の気持ちも知らないで。それでなくともこのやり場のない気持ち、イライラしていたのがいっきに噴出した、カロルの怒りは脳天に達す。
 カロルは飛び掛っていた。ルカの上に馬乗りになると、
「王子だと思って、今まで手加減してやってれば」
「誰が手加減してくれと頼んだ。ついでに心配してくれとも頼んでいない」
「てっ、てめぇー」
 カロルは拳を振り上げた。
「てめぇーは、生意気なんだよ」
 殴り合いが始まってしまった。二人は上になり下になりして床のうえを転げまわる。さすがに年上で体格もいいカロルの方が有利だ。だがルカも負けてはいなかった。髪は引っ張る顔はかきむしる、挙句の果てに腕に噛み付いた。
「痛てぇー」
 シモンは慌てた。父たちの居る居間へと駆け込む。
「誰か、止めて、喧嘩」
「喧嘩?」
 リンネルは急いでカロルの部屋へ行く。
「殿下! 坊ちゃん!」
 二人の間に割って入り、二人を左右に抱え込んだ。
「放せ、リンネル」
「こいつが」
 だがさすがは武人、彼にぐっと押さえ込まれると二人は身動きがとれなくなった。
 二人の呼吸が整ったところでリンネルは腕を緩める。
「どうなされたのですか、お二人とも」
「知るか」と、同時に言うと二人は顔を逸らした。
 本気で殴りあったとみえ、口の中は切れているし目の周りは腫れ上がっていた。調度品にぶつけたらしく二人の頭はこぶだらけ、お互い受身は出来ているようで大した怪我には至らなかったようだが、鼻血も出ている。
「すみません。冷たいタオルを何本か持って来てもらえませんか」と、リンネルは何事かと集まって来た侍女たちに言う。
 タオルが来るとリンネルはルカを、シモンはカロルを。まず鼻頭を冷やして血を止める。それから顔を拭き傷口を冷やした。
 王子と貴族の御曹司が取っ組み合いの喧嘩など、前代未聞だ。
「もう一度、原因を訊いてもよろしいですか」
 なにしろ子供とは言え、どちらもリンネルより身分は遥かに上。
「訊くのなら、そいつに訊け。そいつが喧嘩を売ってきたんだ」と、カロルはルカを指差す。
「僕は本当のことを言ったまでです」
「まだ言うか」
 また飛び掛ろうとするカロルを兄が押さえた。
「あま、今はどうにもならない。頭が冷えたらじっくり訊くとしよう」
 傷の手当も済み、血の付いた服も着替えたところで、
「申し訳ありませんでした」と、リンネルは頭を下げる。
「申し訳ないのはこちらです。お怪我の方は」と、ルカを気遣いながらも、
「後ほど改めて」と言う将軍に対し、
「これは子供の喧嘩です。大人が出る必要はありません」
 ティシュを鼻に詰めたままの姿でルカは言う。様にならない。
「殿下」
 リンネルは困った顔をしながら、ルカを車の方へと促す。
 それを一家で見送りながら、シモンは、
「もう、まったく、守るべき相手に怪我を負わせてどうするのよ。これで二度目よ、まったく何を考えているのよ」
 男の喧嘩に女が口を出すなという感じに、カロルはそっぽを向いた。
 こちらもまだ鼻血は止まっていないようだ。
「まあ、何か考えるほどの脳味噌があれば、こんなことはすまい」
「まあ、テニールお兄様ったら」
「しかし意外でしたね。おとなしい子だとばかり思っていましたが」と、マーヒルは感心したように言う。
 だからカロルを飼いならせたのかと。
「しかし七歳も年下の子に、こうもやられるとは」
 兄たちの批評は厳しい。
 カロルはむっと脹れて横を向く。
 噛み付かれたところには歯形がくっきり、ずきずきと痛んだ。

 だが次の日から、カロルはまたいつもの生活に戻った。午前中は勉強、午後からは武術の鍛錬。ここのところさぼり気味だったが。
 それを見ていたシモンは、
「カロルには私たちの言葉より、ルカ王子の一言の方が効くのね」
「あいつを御すツボを心得ているようだな、ルカ王子は」
「まっ、お兄様ったら」と、シモンは笑う。
「お前の平手より効くようだな」
 テニールのその言葉にはさすがのシモンも脹れた。


 数日後、ルカはハルメンスに頼んで質屋を紹介してもらった。
 ハルメンスは質屋と一緒にやってきた。
 エントランスの騒ぎ。
 ルカは慌ててエントランスへ向かう。そしてその質屋を見て驚く。
 ネルガル人よりも優に二まわりは大きい。漆黒の肌に黒い瞳。白めだけがやたら目立つ。
「マルドック人ですか」
「よくご存知で、さすがは噂にたがわず。初めまして、ルカ王子」
 そのマルドック人は、言葉は人を食ったような感じでもその仕種は、方膝をついて深々と頭を下げた。
 その礼儀のよさに、侍女たちも理解を示し、以後は騒がなくなった。もっとも下町出の者が多いルカの館では、マルドック人を見ているものはかなりいる。中には彼らと商取引をした者も。ネルガル人が日常使う道具も彼らは売っていた。
 ルカはこんなに間近でマルドック人を見るのははじめてだった。ハルメンスに下町を案内されてから、ルカもときおり館を抜け出しては町を散策して歩いた。供はハルメンスの時もあれば館の護衛のものがつくときもあった。マルドック人とは、さすがに銀河を股にかけて商売をしていると言うだけあって、何処ででも会えたのだが(ただし王宮にはいない)、実業家でないルカには話す機会がなかった。彼らは金にならないことは、例え挨拶ですらもったいなくてしないと言う。本当だろうか。
「こちらは、ぼったくり号の船長で、アモスさんです」
「ぼったくり号?」
「直にわかりますよ」
 彼らと付き合うようになれば。
「初めまして、アモスさん。どうぞ、お立ち下さい」
 立たれると見上げるようだ。
 マルドック人には興味があった。銀河のことなら知らないことはないと言う彼ら。どの星系へも出没する。おそらくハルメンスがイシュタルの書を手に入れるのも彼らを通してだろう。一度じっくりと話がしてみたかった。だが今はそれよりも、
「よく、ここへ入れましたね」
 王宮に異星人はいない。宮内部の許可がなければ入れないし、その許可はよほどのことがなければ下りない。
「私の辞書に、不可能という文字はありませんから」
 今ではネルガル一の青年実業家としても名を馳せている彼は、血筋と金に物を言わせてできないことはない。
「僕はてっきりネルガル人の質屋を紹介していただけるのかと思っておりました」
「マルドック人では、嫌ですか」
「そういうわけではありませんが」
「ネルガル人では足元を見られ、安くたたかれますよ。その点マルドック人は持っている市場もネルガル人よりも遥かに大きいですから、言い値で買ってくれます」
「高く買わせていただきます」と、アモスと紹介されたマルドック人は、体が大きいのに似合わず、その体を小さく丸めて手もみする。こういう姿は商人なのだが、ただ立たれていると戦闘要員のような感じだ。商人よりはるかに向いているのでは。
「ところで、何を質に入れるのですか」
「この館にある物全てを、お金に換算してもらいたいのです。無論、庭のものも」
「この館のもの全てですか」と、驚くアモスに対し、
「お金がいるのです。願わくばその金額、全額前借りしたいのですが」
「どうして、また?」
「使用人たちの給金です」
「それでしたら、今までも充分すぎるほど払っていると伺っておりますが」
 この館の使用人は手厚くされていると口伝いに聞いている。使用人の間では、どうせ仕えるならナオミ夫人の館がいいと。
「これからは仕事がなくなりますから、次の仕事が見つかるまでの保障です。幾らあっても多すぎるということはないでしょう。中には病気の両親や幼い子供を抱えている者もおりますから。僕はもうここへ戻ることもないし、母は村へ帰ることになりましたから」
「そうか」と、ハメルンスは肩を落とした。
 せっかく見つけた旗印をくだらない戦略のために不意にする。これだけの人物はもう見つかるまい。
 それと同時にルカの覚悟の程も知った。
 ルカは各部屋の隅々までアモスを案内し、値踏みをしてもらう。
「僕の婿入り道具は、宮内部の方で全て新しい物を揃えるそうなので、もうこれらの品はいりませんから」
 ここぞとばかりの品を揃えているようだ。ボイ人たちにネルガルの威光を見せ付けるために。
 ただ母の調度品の一部は、そのまま母と一緒に村に送り届けるつもりでいた。村の人たちに新しい物を用意させるのも気の毒だから。
 全部の品の値踏みが済んだところで、お金は三日後に用意すると約束してくれた。ルカも品物は自分がネルガルを発ったその日に処分してよいと約束した。
「これで全て片付きました。後は村から迎えが来るのを待つばかりです」
 ルカはハルメンスたちを居間へ案内すると、そこでお茶にした。そしてあの村にかかわる不思議なことを話した。
「実はこちらから母を村に送ろうと思い、使いを何度か村に向かわせたのですが」
 誰も村にたどり着いた者はいなかった。これはハルメンスも同じ、そして皇帝も。
 皇帝は自然豊かなあの村を一目見て気に入り、狩場にしようと再三あの村に使者を立てたのだが、あの村にたどりつけた者は一人もいなかった。村から道案内人を頼んだところで同じだった。いつの間にか案内人とはぐれ、元の入り口へ戻って来ているしまつだ。
「一体あの村はどうなっているのだ」
 使者の間には次第に不吉な噂が流れるようになった。
 悪魔が住んでいるの、魔物がいるの、だから我々は近づけない。無理に入れば生きては帰れない。などと言い出す。
 それで仕方なく村人に迎えに来てもらうことにした。
 通信は出来る。それで道順を聞くこともできた。なのに村にはたどり着けない。
「不思議なこともあるものだ」と、ルカは首を傾げる。
 彼らはそもそも村に本気で行く気はなかったのではないか。
 そう疑いたくなるような事件だ。
「一人で帰れますから心配はいりません」と、母は言う。
「でも、母が村に入れなかったら?」
「その心配はいりません。母はあの村の出なのですから。村の者なら、どんなに道に迷っても村に戻れるのですよ、白蛇様がおられますから」
 あの白い蛇。山菜取りなどで山で迷子になると、村まで案内してくれる。
 村の者は皆、白蛇の存在を信じている。現に見た者も何人もいる。それなのにどうしてここでは?
 気残りなのはその蛇の存在。あいつの正体だけは、どうしても突き止めたかったのだが。
 母が村に帰ってから、もう一度あの池を。

 だが、ナオミが村に帰る前に、ボイ星の使者の方が先に到着した。



 ここはM6星系第七惑星ボイ。赤茶色の星。
 ネルガル星との距離は、ワームホールを使い貿易船で一ヶ月あまりの所に存在する星だ。五つの衛星を持つ星。五つが全て見えるということは滅多にない。だが常時三つの衛星は見えるため夜は結構明るい。
 そして今、この三つの月が輝く宮廷の中庭というか広場では、円状に並べられたテーブルで、朝から開かれた会合が結論を見ないまま今に至っている。
 この円卓に集められた者は、王、王妃を始め、おもな閣僚と各地域の代表。
「それでは何ですか、和平の証に王子を送って来ると言うのですか」
「こちらには王女がおられますから」
「それで、そんな話を承諾したのか」
「ですから、先ほどから申し上げているではありませんか。星へ戻って相談しないことには返事はできないと。そう言って時間をもらって来たと」
 どうやら話はまた振り出しに戻ってしまったようだ。
「王女を送ってよこせと言われるよりましではありませんか」
 議会のメンバーは黙り込む。
 結局、ネルガルの王子を受け入れるか受け入れないかで、今まで時間を費やして来た。
「それで私も、この会議に参加することになったのですね」
「はい、さようで御座います。姫」
「もし、この申し出を断れば?」
「即、戦争になりましょう」
「それで、勝算は?」
「御座いません」と、大使はあっさり言う。
 彼はネルガルで嫌と言うほどその軍事力を見せ付けられていた。
「では、受けるしかありませんね」
「しかし受け入れたところで、開戦が何年か伸びるだけです。彼らが欲しいのは我が星の資源なのですから」
 ネルガルに目を付けられた星は最後だ。いつしか宇宙空間でそう囁かれるようになった。だが王女はまだその噂を知らない。
「ならば、今までのように商取引をすればよろしいのではありませんか」
「それがそうも行かないのです。彼らは対等の取引を好みません。あくまでも相手を隷属させないと気がすまないのです」
「どうしてですか」
「さあ、それは私はネルガル人ではありませんので、そこら辺のところは解りかねます」
「おそらく不安なのだろう、自分たちが優位に立っていなければ。臆病なのだよ、彼らは」
「だからこそ、何をしでかすか解らないのです」
「臆病な犬ほど、よく噛み付くと言いますから」
 また、暫く沈黙が流れる。
 ネルガルをどう批評したところで、その軍事力だけは半端ではない。
「何年か開戦を延期できれば、勝てますか」
 もしそれならば、好きでもない星の王子と結婚しても。
「五年や十年延期したところで、おそらく無理でしょう」
 答えたのは軍部の代表だった。
「兵器が違いすぎるのです。今から真似て作ったところで、彼らは彼らでより破壊力のある兵器を開発するでしょうから」
「そもそもこの星は平和過ぎたのです。人殺しの道具など作る必要がなかった」
 ボイ星は王族を中心にうまくまとまった星だった。ボイ星は気温が高く一年中一定だ。そのため果物が豊富で、それを採取して生計を立てていた彼らは温厚な気質でもあり、ここ数百年と内乱らしい内乱もなかった。それがここに来てネルガルと取引するようになってから、次第におかしくなって来た。それもネルガルの方から強引に開かせた宇宙港だ。
「申し出を受けても受けなくとも戦争になるということですか。それも戦えば負ける」
 ネルガルの軍事力を目のあたりにした者は頷く。だが知らない者は戦ってみなければ勝敗の行方は判らないと言う。しかし今すぐでは勝ち目がないことだけは事実だった。
「それで姫様のお心しだいと言うことで」
「そんな、困ります」と、王妃は国王である両親を見た。
「何も今ここでと言う訳では御座いません。まだ時間には余裕がありますので、二、三日よくお考えになられまして、ご返事を頂きたいと存じます」
 結局、ボイの行く末を姫に任せるという形になってしまった。
「来られるとなれば、どなたが」と、姫は少し赤らむ感じで尋ねる。
 異星人とはいえ、夫になるかも知れない人。
「御年は、七歳になられたばかりの」
「七歳! まだ子供ではないか。我々を馬鹿にするのにも程がある」
 座は一気に騒がしくなった。
「こちらの姫の歳は申したのか」
「ネルガルには王子は何人もいると聞いているが、皆が皆、そんなに幼いとは聞いていないぞ」
「はい、ですが」と、大使が言いよどんでいると、
「子供なら、かえってよいのではないか。こちらで教育して、如何にネルガルのやり方が間違っているか、よく教えやればよい」
 国王はのんびりと答えた。
「しかし陛下、所詮はネルガルの子。既にネルガル人でなければ人にあらずという教育を受けているのではありませんか」
 座が静まった。大使はその静けさを破り、
「確かにまだ幼いですが、ネルガルの王子の中では一番美しいとの評判です」
「美しいと言っても、彼らと我々とでは美の基準が違うからな。ネルガルでは白い肌が美の象徴のようだが、我々の星では死人の象徴だ」
 一般的なボイ人の肌の色は赤茶色だ。多少地域や個体差はあるものの、死ねば皆、時間が経つにつれ白くなっていく。ちなみにボイ人の特徴は、髪は朱または茶でちぢれている。首や手足はネルガル人に比べて長い。手に至っては前で組んだ手が背中でまわる。よって背中をかく時は便利だ。そのせいか身長はネルガル人より高く、すらっと見える。
「しかも、頭がかなりよいとのことです」
「頭が? 何故そのような者が他の星へ人質のような形で使わされるのだ」
 頭がよければ後々は自分の星で。それがボイの考え方だ。頭がよく人々を導けるものが次の王になる。
「それが、母の身分が卑しいとか」
「卑しい?」
「平民の出だそうです」
 ボイでは平民を卑しいなどとは言わない。だいたい平民という階級がない。あるのは指導的立場の者という階級だけで、他はみんな普通の人だ。よってそこら辺の感覚が集まった者(指導的立場の者)たちには理解できない。結論から言えば、頭がよく、外見に何ら問題がないのに星を出されるような者は、性格にかなり問題があるのではないか。と言うことになってしまった。ボイにもそういう人物はいる。そういう者には修行と言う意味合いも込めて、他のファミリーに送り出す。自分の生れ故郷ではない所で、もう一度自分を見つめ直すために。そして人徳を備えることができたならば、ファミリーは彼を向迎え入れ指導的立場の者にする。
 結局、結論が出ないまま会議はここで中断になってしまった。

 去り際に現ネルガル駐在大使が国王たちの所へやって来た。
「プロフィールをお預かりして参りましたので」と、王女に差し出す。
「何故、皆さんにお見せにならなかったのですか」
「まだ受け入れるとも受け入れないともはっきりしておりませんし、まずは姫様にお見せするのが順当かと存じまして。それと僭越ながら私の意見を言わせていただけるのでしたら、長らくネルガルに住んで思ったことなのですが、まず彼らに目をつけられたらお仕舞いだということです。出来ることなら彼らの機嫌を取り、うまくやって行ければと思うのですが、まず難しいでしょう。ネルガルは条約相手にいろいろと難癖を付け、相手から破るように仕向けるようです。現にそういう形をとられ、ネルガルとの戦争に突入した星がいくつも御座います。そういう場合、大半がその星に嫁がれた王子や王女はご遺体でご帰還なされたとか」
 これには王女は唖然とした。
「おそらくこの王子も、そのぐらいの覚悟でこの星へ来られるのだと思います。ですがまだ幼いですから、そこら辺のところはお解かりになられていらっしゃらないかも知れませんが、余程うまく振る舞いませんと、それらの星の二の舞かと存じます」
 そう言うと大使は大きな溜め息を付いて、その場を辞した。
「彼もネルガルでは随分と苦労しているようだ、肌の色が悪くなった」
 王女は渡されたチップを握り締める。
「どうすれば、よろしいのですか」

 結局ボイ星は、ネルガルの申し出を受けることにした。
 即開戦では勝ち目はない。姫には申し訳ないが暫く時間を作ってもらい、その間にネルガルと遣り合えるだけの体力を付けるということで皆の同意を得た。しかし王子を受け入れるとなると、ネルガルからの監視もしやすくなる。その中でどれだけの軍事増強が出来るかは、疑問の残るところだ。
 ネルガルの申し出を受けると、直ぐに婚礼の日取りが決まった。
「ネルガルまで商船で一ヶ月はかかります。そろそろ向かえに参りませんと」
「そうだな」と、国王は気のない返事。
 誰もが乗る気ではない縁談。
 ただ王妃だけは、
「幼くして両親の元を離れ、お一人で来られるのです。私たちが優しくして差し上げなければ、お可愛そうでしょう」と、幼い王子の身になって語る。
 実際、自分の娘が、逆の立場だったらと思っているようだ。
「そうだな」と、国王も大きな溜め息を付きながら、どうにか心を入れ替え、
「この星へ来れば、この子にとって頼れるのは、我々だけなのだからな」
 この子が悪いわけではない。この子もネルガルの強欲の犠牲の一人なのかも知れない。と、自分に言い聞かせるように言う。

 使者は速やかに決められた。
 ネルガルの言葉と慣習に詳しいと言うことで、元ネルガル駐在大使だったエチェベリア夫妻。外務省、内務省、通産省の閣僚が二名ずつ。通訳と事務処理担当が数名。それに、
「キネラオ、ホルヘ、お前たちも行ってみるか」と、国王は自分の側近の若者に声を掛けた。
「若いうちに、宇宙最強と言われているネルガルの首都を見てくるのも良いかもしれない、
どうだ?」
「是非、同行させて下さい」と、ホルヘ。
「ひと目見たかったのです、ネルガルを。それに王子のことも。どのような方なのかその人となりを調べておきたいと存じます」
「そうか、それではエチェベリア夫妻の護衛ということで、お前たち以外に後二、三人、若いのを連れて行くとよい」
 ネルガルを勉強するために。
「人選はお前たちに任せる」
「有難う御座います」
 ホルヘは王女の方へ向き直ると、
「どのようなお方なのかよく調べて参りますので」
「でも、性格が酷いからと言って、お断りする訳には参りませんでしょ」
「どうしてもの場合は、別な王子に替えてもらいます」
「まあ」と、王妃は驚く。
「姫様の夫になられる方です。後々はこの星の王に。変な方はお連れいたしません」
「頼もしいこと」と、王女の顔が少し明るくなった。
 そこに王妃が割って入る。
「会いもしないうちから、そうと決め付けてしまうのはかわいそうですよ。それに王女として生れたからには、結婚相手は自由にならないことぐらい、はじめから知っていたはずです」
「でも、ボイ人以外の人だとは、夢にも思いませんでした」
「でも、添うてみればよいものですよ、私と陛下のように」
 王と王妃も好き合って結婚したわけではない。いくら争いのないボイ星とは言え、やはり上の方ではお互いにファミリー間で血縁を築き、仲良くするように努力している。その結果が今のボイ星だ。
「でも父と母は同じボイ人」
「これからはそういう時代ではなくなるのかもしれませんね」
 シナカは気が重かった。慣習から言葉まで、何から何までまるで違う人と、うまくやっていけるのだろうかと。ただ救いは相手が子供だということだ。


 そして数ヶ月後、ネルガルの王族への贈り物と二十名の使者を乗せたボイの船は、五隻の船に守られボイ星を後にした。



 アパラ星系第四惑星ネルガル。
 ルカは大きなくしゃみを立て続けにしていた。
「おい、風邪でもひいたか?」
「違いますね、これは誰かが僕の噂をしているのです。しかもよくない」
「じゃ、ボイの姫様か。お前のプロフィールを見て、こんなすねたガキじゃ嫌だ。とかなんとか」と、ハルガンは腹を抱えて笑う。
「そんな、まだお会いしたこともないのに、どうして僕の性格がすねていると思えるのですか」
「馬鹿だな、それはな、お前」と、ハルガンが言いかけたところ、
「風邪だ!」と、断言する声。
 ハルガンはこれから本腰を入れてからかってやろうとした矢先を、その一声で断たれ、むっとした顔をする。
「人が黙って聞いてりゃ、いつまでもぐだらぐだらとご託を並べやがって、俺を呼びつけたのは、何のようだ」
 実戦主義のレスターにユーモアは通じない。
「用がないなら、俺は帰る」
「少し、待ってください」
 踵を返そうとするレスターを、ルカは慌てて止めた。
 ハルガンはやれやれと肩をすぼめて見せる。
 ケリンもコンピュターを操作していた手を軽く止め、すくめてみせた。
「ケリン、用意は?」
 OKと片手を上げる。
「では、テーブルに着いてください」
 卓上の画面が輝き始める。
「今から過去にネルガルが植民地化した国や星のデーターをお見せいたします。意見を聞きたい」
 本当はもっと多くの仲間から意見を聞きたかった。しかし多すぎると秘密も漏れる。とりあえずこの三人なら。
 共通点は通商条約、ネルガルが他国や他の星に強要する通称不平等条約にあった。
 その内容は、相手に関税自主権を与えないこと。関税率をこちらの意のままに操作し、貿易において不当な利益をあげる。一方の利益は他方の損。それがその星の財政を圧迫し、国力または星力を弱め、指導的な立場の者たちを没落させる要因になる。それと治外法権を認めさせること。これによってネルガル人の身の安全をはかった。だがその権利はその星に治安問題を起こさせる要因になる。それが後々、国民の司法への不満となり内乱へと発展していく。
 巧妙なネルガルの手口。こちらからはあまり手を出さず、相手が内側から崩れていくのをじっと待つ。
「なるほどねぇー」と、ルカはハルガンを真似たわけではないが、顎の下に手をあてて考え込む。
「つい最近の例でしたら、M4星系第四惑星があります」と、ケリンはデーターを出す。
 ハルガンは少し顔をしかめた。
 だがケリンは気にしない。ルカに出来るだけ生の情報を与えたいから。
「グレナ王女の嫁がれた星ですね」
 彼女は正気を無くして戻って来た。
「この星でしたら、詳しい情報が得られます」
「どうして?」
 ケリンは卓上の画面の上にその件にかかわった情報部員のリストを流した。超極秘情報。ケリンだからこそ、ハッキングできた。
「あっ!」とルカ。
 一つの名前のところで視線が止まる。
 そこには、ハルガン・キングス・グラント少尉の名が連ねられていた。
 少尉、今より階級が上だ。
 ルカはゆっくりハルガンの方へ視線を移す。
 ハルガンは卓上に肘を付き、顔の前で指を組んだままルカを見た。
 彼が情報部をやめた原因。
 ハルガンは重たげに口を開いた。
「お前らが嫁ぐ前から、既に情報部が活動を始めている」
 その星を手中に収めるための策略。
 ネルガルの巨大な資本をもって、相手の基幹産業を買収していく。そうすることによって、その星の経済を牛耳る。経済を牛耳れば政治を牛耳ったも同じ。財力的基盤を失った指導的立場の者たちは、没落していく。我々に必要なのは上流階級の権威の失墜。上流階級さえいなくなれば、平民は烏合の衆にすぎない。その後ネルガル人が、彼らに代わって星を収める。だが同じ支配者でも、同星と異星では支配の仕方が違う。同星の者は被支配者に対し同族意識があるが、異星の者にはそれがない。自己の利益のためなら、取れるだけ取り尽くす。後に残るのは付かれきった星の人々と、植物ですら生えないほどの荒れ果てた土地。搾取され続けた星の人々は、自分たちが生きるために立ち上がるしかない。それが反乱。惑星間の戦争へと転化し、和平条約の破棄へと向かう。
「まだ他にも手はある」と、ハルガンは続けた。
 どんなに政治がうまくいっている星でも、底辺と言うものは存在する。あるいは不満を持つ者。そこに存在する人々。彼らに声をかけるのだ、自由を、独立を、開放をと。そして立ち上がった彼らが得るものは、ネルガルによる今以上の拘束と混乱。しかしネルガル人は、これら自分たちの都合で起こした戦争を、侵略戦争とは呼ばない。あくまでも独立戦争、または解放戦争と呼ぶ。我々は彼らの独立に手を貸したまでだと。
「だから、今更手を打っても遅いということさ。生き残りたければ、戦って勝つしかない」
「ネルガルに?」
「当然だろう、他に何処に敵がいる」
 四人は黙り込む。
「今が絶好の機会かもしれない。ボイに行ったら、結婚式などあげる前に軍備を拡張することだ。式を挙げるための予算を使ってでも」
 今なら、今戦闘中の星と同盟を組み、万に一つ、ネルガル相手に勝利を得られるかもしれない。まあ、奇跡に近いが。
 ルカがここに呼び出した三人は、それぞれに情報網を持ち世情には明るい。その三人が三人とも、ネルガルと戦うなら今しかないと思っていた。だがそれには資金と武器が。
「そっ、そんな、この星には母上がおられるのですよ、友達も」



 あれから一ヵ月後、使者を乗せたボイの船は、予定より少し早くネルガルに着いた。
 一般に宇宙港は、その惑星の軌道上にある人工衛星が多い。ネルガルでは天然の衛星(月)が一つあるため、それを最大の宇宙港にして利用しているがそれ以外にも幾つかの宇宙港としての人工衛星がある。それより多いのは軍事基地としての衛星だが。
 宇宙船はその衛星のドックに収容され、惑星にはその衛星のシャトルで行くことになっている。宇宙船それ自体が成層圏へ入り込むことは、戦争以外にはあり得ない。
 さすがに宇宙の中心と言われているネルガルだけあって、出入りする船の数は半端ではない。
「衛星は他にも幾つかあるだろうに、この船の数は」
 迂闊に軌道修正などしたら、他の船に接触してしまいそうだ。
「宇宙は広いというのに、この混みようは」
 呆れてものが言えないという感じだ。
 そして自分たちもその渋滞の中にいる。
 ところがボイの船団が月に近づくにつれ、今まで出入りしていた貿易船の動きが一斉に止まった。
「どうしたのでしょう」と船長たちが不安に思っていると、月からの通信が入った。
『十二番ゲートに誘導いたします』
 そこは王族専用レーン。
 月から船のコンピュターに指示が入り、船は吸い寄せられるように月にある一つのゲートに向かった。
 ボイの船団がゲートに収容されると、また月の周りはいろいろな星の船が同時に動き、ごったがいした。
「一様、形式だけは賓客として扱ってくれるようですね」と、皮肉な笑みを浮かべながら元ネルガル駐在大使は言う。
 ネルガル人が我々を客だなどと思っていないことは、ネルガルでの長年の経験からわかりきっていた。彼らは全ての人種はネルガル人より下等だと思い込んでいるというより、それを信じて疑わない。
 さすがに王族専用レーン。ゲートからして威厳があった。希少価値のある金属と鉱石で飾られている。
 ゲートに降り立つと、既にそこには迎えが待機していた。
「遠い道中、ネルガルへようこそお越しくださいました」と、儀礼的な挨拶をする。
 一通りの挨拶を済ませると、シャトルでネルガル星へと向かった。
 上空から見たネルガルの首都は、道路が碁盤の目のように走りその桝目は高層ビルで埋め尽くされていた。そして突如現れる広大な緑の大地。
「あれが王宮です」と、ネルガルからの案内人が説明を始めた。
「上手に住めるのは王とその一族、王から許しを得た貴族、一部の閣僚、それ以外の者は許可がなければ入ることも許されません」
 ネルガルでは王宮のあるこの緑の大地を上手、その周辺を下手と呼ぶ。
「そうですか」と、ボイ人たちは感心したように案内人の話を聞く。
 だがそれぐらいのことは既に調べてあり、誰もが知識として持っていた。
 ただ上手と呼ばれる王宮の敷地が、これほど膨大だとは思わなかっただけで。
 これでは都市の半分以上を占めてしまう。
 シャトルが地上に近づくにつれ、広大な空き地だと思っていた上手にも、下手の枡の一画かと思われるほどの敷地の中に、屋敷が一軒ずつ建っているのが見て取れるようになった。だがそれより凄いのは下手の過密状態だ。上手を中心に放射状に広がった升目の中には空き地がない。
 ボイも首都は込み合っていたが、これに比べればまるで空洞だ。
 シャトルは上手の行政機関が集まっている一画に降り立った。
 そこから車で賓客ようのホテルへと案内される。
「今日のところはお疲れでしょうから、こちらでごゆっくりお寛ぎください。明日、王都をご案内いたします」と言うと、担当のものを残し、宮内部の者は去って行った。
 担当のものは五人。まず自己紹介をすると部屋から案内し始めた。
 部屋は七つ、二人用から四人用まであった。どの部屋も広々としてゆったりしている。一部屋、十人は泊まれるのではないかと思われるほどに。そしてバルコニーからは王宮の庭園が眺められた。庭園の遥か奥に王宮が小さく見える。
「いかがですか」
「ええ、とても素敵な部屋ですわ」と、エチャベリア夫人。
「気に入っていただけて光栄です。もう直、食事の用意が整いますので。それにこちらは、これからのスケジュールになります」と、執事はチップを一枚とりだすと、卓上の装置にセットする。
 壁に掛けられていた名画が光りだすと、デスプレーへと変わり、文字を表記した。
「操作の方は」
「わかります」
「コピーも取れますので」
 機械がどんなに便利になっても、やはり紙に表示されている方が安心するようだ。
 執事はコピーを五枚取ると、卓上に置いた。
「では、私達は隣の部屋に控えておりますので、何かご不自由なことが御座いましたら、なんなりとお声をかけて下さい。内戦は五番になります。それでは食事ができましたらお迎えに上がりますので、それまでお寛ぎ下さい」と、執事たちは去って行った。
 彼らが去ってやっと緊張がほぐれた。元大使はソファに倒れこむように座り込む。
「大丈夫ですか」と、キネラオは気遣う。
「大変な役を仰せつかったものだ」と、元大使は大きな溜め息を吐く。
「彼らは下手に出ていても腹の底では馬鹿にしているのだ、我々を」
 これは彼がこの星で十年以上も暮らした経験から出た言葉だった。
 決してネルガル人は、自分たち以外の人種を同等には扱わない。
「気をつけたほうがいい、あまり羽目を外さないように。それに部屋は盗聴されていると思ったほうがよい」
 キネラオたちは頷いた。
 夫人はシケジュール表をめくり、
「これでは何時、肝心な王子様にお会いできるのでしょう」
「あまり焦る事はない、既に決まったことだ。今更、ろくでもない王子だからと言って断ることはできないのだから」
「それは、そうですけど」
 人質に出されるぐらいの王子だ、質は落ちるのだろう。
「ボロが出ないうちにさっさと式を挙げてしまおうというのが、彼らの本音だろう」
 次の日から、エチェベリア夫妻とその護衛として来たキネラオの三人は、ネルガルのおもな施設を自慢たっぷりに案内されることになった。残りの者は婚礼の事務手続きに取り掛かる。
 さすがに宇宙の中心、上手ではネルガル人以外の人種を見かけることはあまりなかったが、下手に入ると人種の坩堝。博物館かと思えるほどいろいろな星の生物がいた。特に貿易関連施設は凄い。ありとあらゆる人種と物が氾濫していた。ここへくればこの銀河にあるものは何でも手に入る。極めつけはこのネルガルの先端技術を支えるテクノタウン、それを生かした遊園地を始めとする娯楽施設。最後にこの全ての元になったネルガルの栄光ある歴史を綴った資料館や美術館などを三日にわたり案内された。どれもこれも前もって調べてはあったが、やはり見ると聞くとではその規模にかなりの差があった。
「何事も、ネルガル人のやることは大きいな」
 ホルヘはそんな感想を受けた。
 四日目の王族との晩餐会。皇帝陛下の列席こそなかったが、数名の王子と王女の列席はあった。
 もしかしてルカ王子もと思ったが、彼はまだ小さいためこういう公の場には出席しないとのことだった。
 ネルガルでは、公の場に出られるようになるのは、男女とも十五歳からだ。その代わり、明日正式な対面があるとのこと。
 さすがに四日もネルガルに滞在すれば、彼らが自分たちを見下す視線にも慣れてはきたが、この晩餐会でも王子や王女は自分たちを壇上から見下ろすような感じで、挨拶こそすれ、ろくに話はできなかった。
「これでは先が思いやられる」と、一人のボイ人が呟く。
 まったくだ。と傍にいた者たちは頷く。
 だいたい言葉が通じない。ネルガル語以外は言葉ではないと思っている節がある。
「彼らはネルガル以外の生活様式を認めようとはしないようだ」
 これが、ホルヘが四日間ネルガルに滞在して受けた第一印象だった。
「そう言えば商人たちも、皆ネルガルの様式で商いをしておりました」
 彼らの生活様式はそんなによいものなのだろうか。四日間、いろいろな所に案内された。確かに繁栄は凄いと思う。しかしこれが最高の生活とは思えない。何かに追われて、立ち止まるどころか眠ることすら忘れたような。そんな感じを受ける星だ。


 その頃ルカの館では、侍女や執事、護衛から使用人まで館にいる全ての人を、ルカは謁見の間に集めていた。
「見張りはどうするのですか」
「短い話だから、暫く誰もいなくともいいらしい」
「そんな、もし何かあったら、俺たちの責任になるんだぜ」と言いながらも、殿下の命令では仕方ないと、この時間の見張り担当の者までがしぶしぶと広間に集まった。
 全員集まったのを見届けて、ルカは話し出す。
「明日、ここへボイからの使者がお見えになります」
 ボイとの縁組が決まったからには、何時かは来るとは思っていたものの、いよいよかと集まった誰もが固唾を呑んだ。
「それで、話しておきたいことがあります。まず、彼らに会ったらにこやかに挨拶をして下さい。嫌な顔をしないように。それに、強いて敬語を使う必要はありませんが、乱暴な言葉は避けて下さい。特に、そこら辺」と、ルカは護衛たちが集まっているところを指差した。
「何で、俺たちなんだよ」
 もうそう言う段階で周りの者たちは納得した。
 くすくすと笑い声すら漏れる。
「はいはい、解りました。自分の知る範囲で敬語を使わさせていただきます」と、護衛の一人がおどけて答える。
「無理をしなくていいですから」
「なんかそれって、俺たちを馬鹿にしていないか」
「じゃ、敬語が使えるの?」と、侍女の一人が反論する。
「俺たちだって敬語ぐらい、その気になりゃ」
「やめておいた方がいいぜ、恥かくだけだから」と、護衛うちからそんな言葉が出た。
「恥をかくぐらいならまだいい、舌を噛むぜ」
「舌噛み切ったら即死だからな」
 皆がどっと笑う。
 静かにして下さい。とルカは言うと、
「僕が言いたいのは、喧嘩腰の言葉は避けて欲しいのです。それに、ネルガルとボイでは慣習が違うと思いますので、彼らがどうしてよいかわからずに迷っているようでしたら、注意するとか教えるとかという態度ではなく、ネルガルではこうですが、ボイではどうなさるのでしょうかと尋ねるような態度を取って下さい。くれぐれも軽蔑するような態度は取らないように、誠意を持って迎えてください。あなた方が彼らに取った態度が、僕がボイへ行ってから彼らに取られる態度になりますから。それでは皆さん、右手を上げてください。誓いを立ててもらいます」
「誓い?」
 集まった者たちは疑問を抱きながらも、右手を上げた。
「破ったものは、渋柿を三個、完食してもらいます」
「えっ!」と、皆のブーイング。
「ちょっと待って。一つだけ聞きたいことが」
「何でしょう?」
「奴等、じゃなくて、彼らはネルガル語が通じるのですか?」
 通じなければ悪口を言ったところで、わからないだろうという考えだ。
 使用人たちにとって自分の主を連れ去る奴など、押し込み強盗以外の何者でもない。使者などという奴は、それが合法的なだけにたちが悪い。ましてこんな小さな子供(少し生意気だが)を誘拐するなど、もってのほかだ。
「使者として来るのですから、ネルガル語は話せると思って間違いないでしょう」
 使者と言う言葉に、誰もが黙ってしまった。
 彼らがこの星を去るとき、殿下もこの星からいなくなる。
 どこからか鼻をすするような音。
 ルカはそれを無視して、
「それではお願いします。彼らが少なくともこの館の中では、心置きなくいられるように心がけて下さい。それに、いきなりボイ人を見たら皆さんも驚かれると思いまして、今から平均的なボイ人のホログラフィーをお見せいたします。よく見て下さい」
 ルカが言い終わるが早いか、広間の前方に立体映像が浮き上がった。その姿は赤茶色の肌に朱色の縮れた髪、手や足はネルガル人より長く、身長もやや高い。肩幅などはネルガル人と対して変わらないのだが手足が長い分痩せて見える。
 おおっ。と言うどよめきとともに、何か、気持ち悪いという感想の声。
「気持ち悪いというのは、ボイ人も同じだと思います。なぜなら、彼らボイ人は、死ぬと私たちのように肌が白くなるそうです。つまりボイ人からすると、私たちは死体のように見えるのではありませんか」
「そんな、まさか」と、誰かの声。
「本当のところは、僕もボイ人から聞いた訳ではありませんからわかりませんが、お互いいろいろと違いがあるので、あまりマイナス的な言葉は口にしないで下さい。それでは明日はよろしくお願いいたします」
 ボイ人のホログラフィーを残して解散となった。
 解散後もボイ人のホログラフィーをしげしげと眺めるものもいれば、大きな溜め息を吐くものもいるし、さっさと自分の持ち場へ去って行ったものもいた。この日が来ることは覚悟はしていたものの、思いはそれぞれだ。
「この館はよかった」
「ずっとこの館で働ければよかったのに」
 これが誰もが共通する思いのようだ。
「渋柿の三つや四つ食ったっていい。それよりボイの野郎を二、三発殴りてぇー」
「おいおいそれは、娘を嫁に出す親父の気持ちだろうが」
「同じようなものさ、これで殿下とは二度と会えねぇーんだぞ」
 下の者たちは知らない、和平がネルガルの方から破棄されることを。

 次の日、ルカの館は蜂の巣を突いた騒ぎだった。
 前々からこの日のために準備はしていたものの、いざとなると普段これといった来客がないだけに慣れていないことも手伝い、まして今日は賓客中の賓客、ボイ星を代表する使者だ。下手をすればネルガル星の恥にもなりかねない。
「ええと、お客様は確か、エチェベリア御夫妻と、外務の方がお一人、内務の方がお一人と、通訳が二名、秘書が一名の合わせて七名でしたよね」
「今更、何を言っているの」
「それで女性の方は夫人と」
「夫人は女に決まってるだろう」
「いや、違う場合もある」
「そりゃ、特殊な奴だ」
「もう、茶々入れないでよ。えーと、夫人と外務の方と秘書の三名でしたよね、確か」

 一方ルカは、正装に身を包んでいた。
「こう見ますと、随分大きくなられましたね」と、ナンシーはルカの着替えを自らの手で手伝いながら、感慨深げに言う。
 私がこの方に仕えたのは、まだこの方が三歳にも満たなかった時から。あれから四年。身長は確実に伸び、知性にいたっては大人も顔負けだ。お会いした瞬間に、賢い方だと感じだが。
「型苦しいな」と、ルカは体をぎくしゃくと動かす。
 相変わらず型にはまった姿はお嫌いなようだ。
「ご立派ですよ、惚れ惚れするほど」
「ナンシーに好かれても仕方ないな。ようはボイ星の王女が僕を好いてくれるかが問題だ」
「そうですね。でも殿下でしたら大丈夫ですよ。私が好きになったぐらいですから、ボイ星の姫様も好いてくださるでしょう」
「随分確信的にいいますね、ボイ人の気持ちも知らないのに、そうやって人をぬか喜びさせるのは無責任です」
 ナンシーは柔らかく微笑むと、
「ボイ人のことは確かに私も知りません。でも私も姫様も女性には違いはありませんから、女性のことはわかっているつもりです」
 ルカはこれ程までにはっきり言うナンシーを、不思議そうな顔をして見上げた。この人は感情でものを言う人ではないと思っていたが。
「ご用意はお済ですか」
 扉の外からリンネルの声。
 侍女たちが下がりリンネルが入って来た。
 ルカは軽く頷いた。
 腰には本来、陛下から拝領した剣を差すのが正式なのだが、まだルカにはその剣は長すぎた。よって代わりに笛を差した。
 リンネルは幾分顔をしかめたが、
「この方が、平和的だろう」と言うルカに相槌をうち、
「それでは、ご拝領の剣は、私がお持ちいたしましょう」
 今のリンネルは軍人としての第一礼装。さすがに大佐。胸の階級モールが輝かしい。
「こう見ると、リンネルは本当に軍人なのですね」
 今更のようにルカは感心して言う。
「今まで、そのように見えませんでしたか」
「それでは私は、奥方様の方を手伝って参ります」と、ナンシー。
 これからは男同士の会話。女性の出る幕ではない。
「僕も、母上に挨拶をしてから」
 ナンシーはルカの方に振り向くと、
「殿下、ボイ星に行かれましたら、ご自身のことは私と言われるとよろしいかと存じます。その方が少しだけ大人に見えます」
 ナンシーの最後の忠告なのかも知れない。
「あっ、有難う。わかった」
 ナンシーは優しく微笑むと先に立って歩いた。

 ナオミはまだ普段着のまま、あれやこれやと侍女に指図していた。実を言うと、こうでもしていないと、これからおこる喪失感に耐えられないから。動いていれば気がまぎれるから、何も考えなくて済むから。しかしじっとしてしまうと、あの子のことが心配で、もう少し手元においていろいろなことを教えてやりたかった。まだ去るには早すぎる。
「母上」
「あら、できたの」
 ナオミは浮かない顔を笑顔の下に隠し、立派に着飾った息子をそっと抱きしめる。
「行ってらっしゃい」
「はい。母上も後のことは侍女に任せて、着替えられた方がよろしいですよ」
「ええ、そうするわ」


 正式な対面は宮内部の謁見の間で行われることになっていた。その後、ルカの館で親睦を兼ねた食事会。ルカはその後、彼らの内二、三人でよいから館に留まってくれるように宮内部に申し入れていた。ボイ星へ行く前に少しでもボイ星のことを知りたかったので、彼らと話す時間を取りたかった。
「何人お泊りになられるのかしら」と言う侍女たちの言葉に、
「泊まっていただけるかどうかも、疑問です」と、ルカ。

 ルカを乗せた車は滑るように宮内部の表玄関へと入る。
 車が着くや、数名の者が出迎えた。既に用意は整っているようだ。
「こちらです」
 ルカは促されるままに彼らの後に付いて行く。その後にリンネルも続く。
「先方は、先程から持っております」
「早いですね、私は遅れたつもりはありませんが。それでは直ぐにお会いいたしましょう」
 待たしては失礼だ。
 ルカも予定時間より少し早く来たつもりだったのだが。
「いえ、その必要はありません。時間までは、いや、少し遅れても、それが礼儀というものです」
 あくまでも高飛車にでる。これがネルガルのやり方。
 だがルカは、時間になると一人ででもさっさと広間へ向かった。
「殿下」
 止めようとする事務官へ、
「くだらない駆け引きは時間の無駄です」
 まったく子供は気短で困る。少しはじらせるということをしなければ。
 事務官は舌打ちする。
 控えの間では使者たちがじっと待っていた。
「一時間や二時間、ここで待たされるのは覚悟した方がよい」
 これも長らくネルガルに駐在していた元大使の経験から。酷い時は、一日待たされたあげく謁見を断られたこともある。
 だが時間丁度に呼び出されたので、かえって驚く。
「ルカ王子がお待ちかねです、どうぞこちらへ」
 謁見の間、壇上に一人の子供が座っていた。その背後に侍従武官らしき男。
 ボイ人たちは教えられ通りに壇下で跪く。
「こちらはルカ王子、そしてこちらは」と、事務官から一通りの紹介がなされると、ルカは椅子から立ち上がり下へと降りてきた。
「遠路はるばるご苦労様です。お立ち下さい」
 ボイ人たちはその言葉に左右を見た。そういうことにはなっていないはずだが。
 事務官の方も慌ててルカに駆け寄ると声を掛けようとしたが、ルカはそれを無視して、
「どうぞ、遠慮なさらずに。その体勢では話も出来ませんので」
 事務官も諦めて、ボイ人に立つように促す。
 立ち上がるとさすがに大きい。いやすらりとした印象だ。
 ルカはしたから見上げるようになってしまった。
「これでは段に上らないと視線が合いませんね。失礼して、二段ばかり上らさせていただきます」
 ルカは段を二段ほど上がると、
「大変手の込んだ引き出物、有難う御座います。母も大変喜んでおります」
「お気に召していただければ幸いです」
「ボイの方々は、大変手先が器用なのですね」
「全員が全員、そうとも限りませんが、それでも他の星の人々よりもは器用かと自負しております」
「そうですか」と、ルカはにっこりする。
 しばらく世間話をし、いよいよルカの館へと行くことになった。
 謁見の間から辞去してきたボイ人たちは、今まであってきたネルガル人とは少し違う感じの王子にあっけにとられていたが、
「悪くないな」と、ホルヘ。
「ええ、話しやすい方ですね。驕るようなところもなく」
「まだ、子供だからではないか」と、元大使。

 エントランスには既に車が待機していた。それと王子の姿も。
 王子はボイ人の姿を見ると歩み寄ろうとして側近の者に引き止められている。そして代わりにその者が近づいて来た。
 ボイ人に向かって一礼すると、
「殿下の車の方にも二、三人乗れますので、どなたかご一緒にいかがですかとのことですが」
 ボイ人たちは顔を見合わせる。
 何時の間に来たのかその男の背後から、
「ボイ星のことがいろいろと知りたいのです。もしよろしかったら」と、子供の声。
 男は振り向くと、
「殿下、車で待つように申し付けておいたはずですが、こういうことは私の」
「でも、お前では誰も乗ってくれそうもないから」
 リンネルはやれやれと肩を落とす。
「わかりました、それでは一番若いものを二人」と、エチェベリア氏はキネラオとホルヘを呼んだ。
「この二人は通訳で」
「それは助かります。実は、言葉の練習もしたかったのです」
 ルカは二人を連れて自分の車へと乗り込む。
 リンネルが乗ろうとした時、
「お前は前に乗ってくれ」
「お邪魔ですか」
「そうでもないけど、そうかな」
 リンネルは苦笑する。
「心配するな、お前の悪口など言わないから」
「そんなことでは」と、リンネルがルカの言葉を否定しようとした時、
「私が何を話すか心配なら、中の窓を開けておけばよい」
 だが中の窓はとうとう開かなかった。
 リンネルカが心配しているのはルカの会話の内容ではない。ルカの身の安全。ボイ星の方でもこの縁談に賛成しているわけではないだろう。
 車が走り出す。ルカはボイ語で話しかけてきた。
「始めまして、私はルカと申します。これで通じますか」
 ボイ人は驚く。
「ええ」
「何かおかしなところがありましたら、教えて下さい」
 見事なボイ語だった。
「ボイ語はいつのまに」
「王女にお会いして、挨拶もできないようでは笑われると思いまして」
「そうですか」
「ネルガルはいかがでしたか。もっとも彼らの案内ではおもしろくなかったと思いますが」
 そう言われたからと、そこで相槌を打つわけにはいかない。
「いいえ、いろいろと参考になりました」
「ボイ星は資源の豊かな星だと伺っておりますが」
「細工物も得意です」
「そうみたいですね、この短刀も美しい」
 夫人には銀の食器を、そしてルカ王子にはボイ人が普段身につけている短刀を贈った。
「皆が身につけているそうで、飾りかと思ったら、とてもよく切れる」
「お怪我でも?」
「いいえ」
 ホルヘも自分の腰の短刀を手に取り、
「これはそもそも果物を取ったり割ったりするために使うものなのです。私たちの星は、水さえあれば気候は温暖で果物がたわわに実ります。短刀一本あれば飢えを知らないほどに」
 食べることで争わなくて済む。だから彼らは温厚な性格なのか。
「ネルガルの剣とは違い、人を殺すことはありません」
 ルカは軽く苦笑すると、
「あれは、貴族や軍人の嗜みなのです。一般の人々が身につけることはありません。それに軍人のはどうかわかりませんが、私たち貴族の物は見てくればかりであまり役に立ちません。本当は私も今日、身につけて来なければいけなかったのですが、まだ少し大きすぎて、それで代わりにこの笛を」と、ルカは腰に下げた笛を取り出す。
「笛ですか」
「はい。この笛は母の故郷のもので、母の故郷では皆が笛を身につけているそうです」
 皆ではないのだが、でも全員が笛は吹ける。
「ネルガルも地域によって多少文化が異なるようですね。私たちの星でも、それぞれの地域に王がいまして、それぞれのやり方でその地域を治めておりますが、それを総括しているのが私たちが仕えている国王です。年に数回、そういう王たちや、その代表が集まって会合を開き、ボイ星の行く末が決められます。その会合のなかで、次期の総括を委ねる国王も決められるのです」
「ボイを総括する王は世襲ではないのですか」
「違います。そのファミリーファミリーを統治する王は世襲のことが多いのですが、ボイ星を代表する王はそれらの王の中から話し合いで選ばれます」
「そうなのですか」
 同じ王制でもネルガルとは違う。
 内ガラスが開けられ、
「着きました」と、リンネル。
 車の中での会話は全てボイ語だった。
 リンネルがドアを開けると、ルカが先に降り二人を促す。
 エントランスには、護衛を始め侍女や使用人が数名並んで出迎えていた。中にはいつもの調子で、「お帰り」と声をあげる者もいたが、大半の者は何と挨拶してよいのかわからず、黙って一礼しただけである。
 すると一人の女官が前に進み出、ボイ人に対し深々と一礼する。
「ようこそお出でくださいました。奥方様が先程から待ちかねております。どうぞこちらへ」と、案内し始める。
 ボイ人が去った後、使用人たちの緊張がほぐれる。
「挨拶と言われてもな」
「やっぱり、こんにちは。ぐらい言ったほうがよかったかな」
「頭下げとけばいいんじゃないか」
「俺、頭下げるのも忘れた」
 ネルガル人と違うボイ人を、まじまじと見詰めてしまった。殿下からはくれぐれもそのようなことはしないようにと忠告されていたのに。
「仕方ないよ、ああも違っちゃ」

 ボイ人は女官の後へ続く。既に幾つかの館には招待され伺っていた。どの館も異星人を間近に見てみたいがための招待だった。だがこの館は今まで招待された館の中では一番質素、だがやはり王族、使用されている材質は最高級だ。ボイ人は加工を得意とする人種。よってその材質を見抜く目は一流だ。けばけばしさが無い分、落ち着いた印象を受けた。
 女官はボイ人たちの方に振り向くと、
「失礼ですが、ネルガル語は」
「日常会話程度なら、全員わかります」と、ボイ人のひとりがネルガル語で答えた。
 ナンシーはほっと胸を撫で下ろした。
「実は殿下がお一人でボイ語を習われておられましたから、私もと思ったのですが、なにしろ殿下の記憶の早さにはついていけずに。でもネルガル語が通じるのでしたら」
「王子様は、ボイ語がお上手なのですよ」と、キネラオはエチェベリア夫妻に言う。
「とても流暢に操られる」
「とんでもありません。まだまだです」と、ルカが言った言葉はボイ語だった。
「独学だったのですか?」
「ネルガルでは、ネルガル以外の言語はないと思っている人が多いのです。私の知る範囲では誰もボイ語を話せる者がおりませんでしたので」
 ナンシーは謁見の間とは反対の方へ使者たちを案内する。
「あれ、母は何処で待っておられるのですか」
「居間の方です。謁見の間では仰々しいと申されまして」
 ルカは母らしいと思い苦笑した。
「お着きになられました」と言うナンシーの声と、
「お連れしました」と言うルカの声。
 ナオミは庭を眺めていた体勢で振り向いた。
 ナオミは正装と言うよりも略礼装だった。シックな感じに品よくまとめている。ボイ人たちは今まで華美な夫人たちを見てきただけに、かえって印象に残った。
「始めまして、ルカの母です」と、ナオミは丁寧に頭を下げた。
「こちらは」と、ルカがひとりひとり紹介する。
 紹介が済むと、ナオミはソファをすすめた。
 テーブルの上にはボイ星から贈呈された銀の食器に、庭で取れた果物や手作りの菓子が体裁よく盛り付けられていた。テーブルクロスの色から食器の配置まで、全てが銀の食器が引き立つように気配りされている。
「さっそく、使わさせていただきました」
「お役にたてて、光栄ですわ」と、エチェベリア夫人。
 星は違えどやはり女性同士、こういう気配りの仕方はお互いにピンとくるようだ。
「それでは私も着替えて来ます」と、ルカ。
「そう」と、ナオミは心もとなげにルカを見る。
 ここで一人にされても。
「直ぐに参ります。この服では肩が懲りますから」
 ルカは急いで部屋を去る。
 皆がソファに落ち着いたところで軽い飲み物が出された。
 ボイ人が緊張しているのを見てナオミは、
「楽にして下さい。私は田舎者ですので、あまり格式ばったことは苦手ですから」と、テーブルの上の飲み物を促す。
「それではお言葉に甘えまして」と、エチェベリア氏がグラスを口にする。
 緊張のあまり喉が渇ききっていた。
 一口、口にして、あっと思う。
「これは」と驚く。
 ボイ星なら何処でても飲めるお茶。
「黄茶だ」
 えっ。という感じに、めいめいが口にした。
「ほんとうだ」
「ボイのお茶だそうですね、しかもよく飲まれる。あの子がどんな味がするのかと言って、取り寄せたのです」
「このような所で口にできるとは、思いもよりませんでした」
 エチェベリア夫人は本当に嬉しそうに言う。
 これでこの場の空気は一気に和んだ。
「あの子のボイ語は通じましたでしょうか。一人でコンピュター相手に練習していたものですから、機会の音と生の音では違いますから、心配しておりました」
「ええ、大変お上手で、こちらが驚いたぐらいです。あれでしたらボイへ行かれましても言葉にご不自由することはないかと存じます」
「そうですか」と、ナオミは安心したように肩を落とすと、
「ボイはどのような所なのでしょう。気候は暖かいのでしょうか、寒いのどしょうか」
「気候は緯度によってかなりの差はありますが、ネルガル星のように軸が傾いてはおりませんので、四季はありません。一年中同じ温度です」
「そうですか。あの子はわりと体は丈夫な方で、今までにこれといった病気はしたことがありませんが、主食は果物と魚と伺いましたが」
 やはり母親。ルカ王子が政治や経済のことを中心に尋ねてくるのに対し、夫人は気候や生活習慣のことを訊いてきた。
「そうですね、今では穀物と魚が主です。肉は食べません。食べても鳥ぐらいです」
「そうですか」
「ネルガルとボイが一番違うと思われるのは月です」と、今度はボイ人の方から話してきた。
「ネルガルには月が一つのようですが、ボイには月が五つあります」
「五つですか」と、ナオミは驚く。
 月は一つだとばかり思っていた。いや、実際にそういう話は聞いたことがあるがあまり実感したことはなかった。
 ナオミは夜空に月が五つある光景を想像する。
「それでは随分、夜も明るいですね」
「そうですね、でもこちらの夜ほどではありません」
 下町のネオン街やショッピングモールの明るさは、真昼並み。
「でもその内の二つは遠いので、少し大きな星のようにしか見えません。後の三つはネルガルの月のように見えますが、軌道によって二つになったり三つになったりします」
「星がかわると、夜空の景色もかわるのですね。月は一つだとばかり思っておりました」
 そこへルカが戻って来た。シャツブラウスにズボンといういつもの恰好。相変わらず笛を腰のベルトに挟んで。
 侍女が慌てて上着を持ってやって来た。
「お客様がお見えなのですから、せめて上着ぐらい」と言う侍女に対し、
「もう謁見は終わりました。後は楽にしましょう。皆さんも上着が型苦しいようでしたら、脱がれてもかまいませんよ」
 ナオミはやれやれと言う顔をしながら、
「ルカ、聞きましたか、ボイには月が五つあるそうですよ」
「ええ、知っております。カルダヌス、ドリル」と、ルカはその月の名前まで言った。
「まあ、そういうことは事前に調べるよりも話を聞いて知った方が、新鮮味があって面白いものなのです。まったく、味も素っ気もない子ですね」
 ナオミのその言葉にエチェベリア夫人は軽く笑う。
 やはりそこは子育てに苦労した者同士、通じ合うところがあるようだ。
「ご馳走様でした」と、ホルヘはルカにグラスを掲げて見せる。
「ここで黄茶がいただけるとは、夢にも思いませんでした」
「ボイの人たちが皆飲んでいると聞いたもので、どんなものか思って取り寄せてみただけです」
 実際はこのために取り寄せたのだが。
 侍女たちがもう一度、一通りお茶をついで回ってから、
「ボイの姫様って、どのような方なのでしょうか。せめてプロフィールでもいただければ」と言う。
「プロフィールなら、とっくにお送りしたはずですが」
「じゃ殿下、やっぱり持っていたのですね。私たちに見せないなんて、ずるい」
「いや、私は受け取っていません」
 皆は顔を見合わせた。
「何か、手違いがあったのでしょう」と、ルカはネルガルの内部のことをボイの人たちに知らせまいと穏やかに言った。
 だが、
「手違いなんかじゃないわ、故意よ。プロフィールを見せて、殿下が嫌だなんて言い出したら大変なもので」と、侍女の一人がそこまで言ったところで、別の侍女が彼女の腕を引っ張って奥へと連れて行く。
「すみません。あの子、宮内部に少し恨みがあるようなので」と、別な侍女がカバーしたつもりが、カバーになっていない。
 せっかく盛り上がった雰囲気に水を差してしまったようになってしまった。
 そこへ別の侍女が、
「写真でもかまいません。ありましたら一枚いただけないでしょうか。殿下の奥方様になられる方なのですから、お会いすることは叶わなくとも、せめてそのお姿だけでも拝見させていただきたいと思いまして」
「十歳年上と伺っております。ちょうど私たちと同じぐらいかと。同じ女性としてとても気になります」
「あなた方が気にしても、しかたないでしょ」
「でも、奥方様は気にならないのですか」
 実際こうやってボイ人を目の辺りにすると、個人どころか男女の区別もつかない。皆同じ顔に見えてしまう。写真を見せていただいても今目の前にいる人たちと同じにしか見えないだろうが、それでも。
「そうか、十歳というとあなた方と同じなのですね」と、ルカはまじまじと二人の侍女を見る。
「嫌だ、今更のように言わないで。そりゃ、どうせ私たちは論外ですが」
 殿下の妃候補になれる身分ではない。
 だがルカは、侍女たちに言われて初めてボイ星の王女の雰囲気がわかったような気がした。そう言えば,カロルの姉のシモン嬢とも同じ年だ。
 彼女たちの共通点を見つければ、どうにか対処のしようがあるのではないか。
 ルカは頭の中で分析を始めた。
「殿下、どうかなさいました」
 じっと一点を見詰めているルカに。
「いいえ、何でもありません」
 それからの話題は、お互いの星自慢になってしまった。嫌味の無い。
 その内、食事の用意ができたむねの知らせが入る。
 食事はネルガルとボイの料理が交互に出された。これにもボイ人たちは驚かされた。しかし味付けが少し違う。うまくネルガル人向けにアレンジされているようだ。
「いかかでしたか」
「ネルガルに来て、ボイの料理が食べられるとは思いませんでした」
「でも、味がかなり違うと思いますが」
「いいえ、なかなか美味しかったです」
 ルカは最後に料理長を紹介した。
「下町でレストランを経営している方なのです。ボイの料理も多少作れると言うので来て頂きました」
「大変美味しかったです。ルカ王子の食事を作るときの参考にさせていただきます」
「それは、光栄です」と、料理長は頭を下げその場を辞去した。
 やはり味の違いはある。これは少しずつ王子に慣れていただくしかない。

 食事の後は自然に女は女同士、男は男同士に別れて庭など散歩した。やはり星が違っても女は女、男は男で話題が同じだ。
 結局、キネラオとホルヘの二人がこのままこの館に残ることになった。
 他の者はホテルへと戻って行く。
 ここでの食事は今までの中で一番よかった。食材こそ他の館に比べれば豪華とはいえないが、心は一番こもっていた。
 館の雰囲気はそこを仕切る奥方の手腕で決まります。ナオミ夫人は平民の出ですからあまり格式ばったもてなしは行いませんが、とてもお優しい方なので、その雰囲気はよくご理解いただけたかと存じます。
 これがここの女官の言葉だった。
 確かにと思った。
「ここへ来て、やっと落ち着けたな。ネルガルにもあのようなお方がいるとは思わなかった」
 長年ネルガルに駐在していたが、このような方に会うのは初めてだった。
「ほんとですわ。もっと早くお会いすることがかなえたら、ネルガル人に対する印象が少しは違ったものになっておりました」
「そうだな、我々が駐在しているころに会えたなら、星への報告も。あれからナオミ夫人とはどのようなことを」
「大変ルカ様のことをご心配なされておりました。まだ子供ですから、皆さんに可愛がっていただければと。どこの星の母親も、子供を思う心は同じなのですね」
 こちらは無理に押し付けられた婿殿だと思っていたが、婿に出す方の身になれば、やはりそこにも。
「仕方ない、これが政治というものだ。個々人の感情は後にされる」

 ルカの館に残った二人は、池のほとりでルカとボイ語で話をしていた。
 ボイ星へ行くまでに、どうしてもボイ語をマスターしたいというルカのたっての頼みで。それと王女のこと。
「どのような方なのでしょう」
「お名前は、シナカと申します」
「シナカさんですか」
 どうやら何も伝えられていないようだ。
「趣味は編み物や刺繍です」
 ここは女らしく紹介した方がと思い、キネラオはここら辺で止めておいた。
 ルカは、やはり手先の器用なボイ人らしい趣味だと感心する。
「ご気性はお優しい方なのですが、少し、ほんの少し気のお強いところも御座います」
 あまり嘘もつけない。キネラオは親指と人差し指で五ミリ、いや二ミリだろうか、隙間を作って見せる。
「そうですか。では、私の母のようですね。母もあれで意外に気性が強いのです。特に卑怯なことや人を見下すような態度は嫌いで、随分、叱られました。それに怒ると怖いのです」と、ルカは声をひそめ首をすくめて見せる。
「そのようには、お見受けいたしませんでしたが」
 ナオミは第一印象はのんびりした感じに取られる。
 ルカは苦笑した。そして話題を変える。
「もう私のことはお調べになって知っていると思いますので、包み隠さず申し上げますが、私は王子の中でも身分が高い方ではありません」
「母君の血の関係だそうですね」
「はい。王子が一人なら母方の血筋は関係ないのでしょうが、こうも何人もいるとやはり血統のよい者が上になります。ネルガルは血筋で最初の地位が決まりますので。でも私は母を尊敬しております。他の夫人と並べても見劣りするとは思っていません」
 さすがに他の夫人より上だとは言わなかったが、ルカは内心そう自負していた。
「ボイも血筋はある程度気にはしますが、それよりもは本人の性格と能力です。いくら血筋がよくとも人間的にできていなければボイ星では相手にされません。その点、ナオミ夫人はご立派なお方だとお見受けいたしました」
 これは冗談抜きで、今までネルガルで会ったどんな令夫人よりも。
「有難う御座います」と、ルカは礼を言う。
 庭はすっかり暗くなり、月が出ていた。
 昼間の余韻も消え、後片付けも済んだとみえ、館の中も静かになった。
 池のほとり、美しい月が昇り、月明かりに三人の影が伸びる。
「ボイでは貧富の差はどうなのですか」
「貧富の差?」
 ボイ人にはあまり馴染みのない言葉だった。五十人ぐらいの小さなファミリーが寄り集まり、最終的には何十万人という大きな一つのファミリーを作る。これがボイの社会構造だ。ファミリー内では誰でもが同じような生活をする。それは国王も同じ。よってそこには貧富の差はない。だがネルガルの利益至上主義の思想が入ってきてから、ボイは変わり始めた。
「あなた方が案内されたネルガルは表の部分だけです。光があれば必ず影もあります。あなた方が案内された路地より一本奥に入った所は、地獄です。明日食べるものもないのが現状。同じネルガル人として生れながら」
 ルカは黙り込む。こんな事をこの人たちに話しても無意味なのだが、誰かに話さずにはいられなかった。
「ネルガル人全員が戦いが好きなわけではありません。戦いが好きなのはほんの一部の者です。どんなに戦争が激しくなっても決して死ぬことのない者たち。ネルガル人の大半は平穏に暮らしたいのです。ただあそこで虫けら以下の死を迎えるよりもは、例え戦って死ぬことになっても人並みの生活を望むのです。戦っている彼らが悪いのではない」
 全てはネルガルの社会構造。
 最初は民主主義から始まり、利益至上主義になり、最後には金に飽かせて王を名乗りだした。今や誰もが金の奴隷になっている。隣の人より高価なものを所持していなければ気がすまない。本当の幸せは? 一人前という言葉がいけない。人並みでいいのに。
 ボイ人には王子が何を話しているのかわからなかった、ボイ語では話されていても。
 ルカの目は月ではなく、もっと遥か遠くを見ているようだ。
 ルカは視線をボイ人の方へ向けると、軽く苦笑し、
「こんなこと、ボイのあなた方に話しても仕方ありませんね。ただ私がこの星を去るのに、気残りなのです。この星を去る前に彼らをどうにかしてやりたかったのですが、今の私には何の力もない」
「やはり、こちらでしたか」と、侍女。
「皆さんがお探しですよ」
「皆さんのお邪魔になるといけないと思いまして」
 事をやるまではルカが指示しても、後片付けはかえってルカがいない方が早く終わることを、これまでの経験からルカは知っていた。体が小さく力の無いルカは、まだ子供だから仕方ないのだが。いれば邪魔になるだけ。
「ええ、お陰様で早く片付きました」
 するとあと一人の侍女がやって来て、
「先程はすみませんでした」と、謝る。
 ルカが心当たりがなくきょとんとしていると、
「殿下が役人の手違いだと言われたことを、否定してまで自分の意見を言ったことです」
「ああ、そのことですか、気にしてませんよ。でも何か宮内部の方々とあったのですか」
 あの時の彼女は尋常ではなかった。
「あったも何も、以前奴等がこの館へ来て」
 彼女は何を思い出したのか、急に豹変した。
「事もあろうに、奥方様に殿下を差し出せって言ったのよ。そうすればこの件は無いことにしてやるって」
 そこまで言った時に、もう一人の侍女に腕を引かれたが、頭にきている彼女は話を続けた。
「殿下、知ってました?」
「いいえ」と、ルカは首を横に振る。
「でもあの時の奥方様はかっこよかった。そんなに娼婦が所望なら花街へ行くがいいって。
ここは妓楼ではないって。ぴしゃりと言ったのよ。そしたら奴等、カンカンになって出て行ったの」
 既にルカの隣にボイ人がいることすら、彼女の頭にはなかった。
「だから私、塩を器ごとまいてやったのよ」
「ああそれでですか、ロビーの脇の花壇の花が枯れていたのは。塩を器ごとまいた人がいるからとは聞いていましたが、私はてっきりそそっかしい誰かさんが、器を持ったまま転んだのかと思っていました」
「そんな、私はそこまでドジじゃないわ」
「皿を重ねて持って、転んで全部割ったことはあってもね」と、別の侍女が付け足す。
「酷いわ、そんな昔のこと、今ここで持ち出さなくとも」
 皆は笑った。
「賑やかですね」と、リンネル。
「やだ、何時の間に来てたの?」
「ただいま戻りました」と、リンネルだけは軍人らしくビシッとしている。
 リンネルは客人をホテルまで送って来たのだ。
「どうも、ご苦労様でした」
「エチェベリアご夫妻が、大変喜んでおられました。殿下にくれぐれもよろしくとのことです」
「そうですか。皆さんのお陰ですね」と、ルカは侍女たちに言う。
「頑張ったかいがあったわ」と、侍女のひとりが重い肩の荷を降ろしたかのような大きな伸びをする。
「まあ、自分ひとりでやったみたい」と、いつの間にか集まって来ていた侍女たちが笑う。
「殿下、料理長が挨拶したいとのことです」
「あっ、待たせてしまいましたか」と、ルカは慌てて館の方へ歩き出す。
 それから侍女はボイ人たちへ、
「お部屋は一つの方がよろしいでしょうか、それとも別々の方が?」
 ボイ人は顔を見合わせてから、
「一つで結構です」

 寝る前にボイ人はルカに一つの美しい箱を持って来た。
「これは?」
「姫様からルカ様へと、お預かりした品です」
「私に?」
 ボイ人は箱を差し出す。
「開けても?」
「どうぞ」
 ボイ人に促されるままルカは箱の紐を解き、蓋を開けた。
 中から紙に包まれたブラウス。その紙もかなりこったものだが、それよりブラウスの刺繍が目を引いた。
「姫様が、裁断から縫製、刺繍までご自身の手でなされたものです。あなた様のために」
 ルカはそのブラウスをまじまじと見た。襟ぐりから胸元、カフスと込み入った刺繍がされている。色は同色の濃淡だけ。刺繍を糸の色で誤魔化すようなことはしていない。よほど腕に自信がある証拠。
「サイズは、あなた様から頂いたプロフィールをもとに割り出したのですが」
「着てみてもいいですか」
「どうぞ」
 ルカはブラウスを持って隣の部屋へ行くと、着替えて戻って来た。
「ぴったりです。似合いますか」と、ボイ人の前でくるりと回って見せた。
 お茶を持って来た侍女が、
「まあ、すてき。どうなされたのですか」
「姫様が、私のために作ってくださったそうです」
 ルカはとても嬉しそうに侍女たちに自慢する。
「ほんとうにボイの方々は器用なのですね」
「何か、お礼をしなければいけませんね」
 ルカは考え込んだ。お礼と言っても、何かを作ってやるわけには、これほどの技術の持ち主では。
「殿下の不器用は、この館では知らない者はいませんからね」
 人が気にしていることを、侍女はずけずけと言った。
「そうですよね」
 それで足らずに相槌まで入れる。
「釘を打たせれば指を打つし、ナイフを持たせれば手を切る」
「どうせ僕は、不器用ですよ」
「あら、怒っちゃいました」
「出て行ってください」
 侍女たちはくすくす笑いながら部屋を後にした。
 廊下でまだ先程の話の続きをしているのだろう、笑い声が聞こえ、次第に遠ざかって行った。
 ルカはふて腐れるようにソファに座ると、
「まったく」と、愚痴る。
 だが頭の中はお礼の品のことで一杯。
「それでは私たちはこれで」と、ボイ人は立ちだす。
「あっ、すみません。変なところをお見せいたしまして」
「いいえ」
 今日一日で、この王子が館の使用人たちにどれだけ愛されているか、十二分に解った。


 次の日は居間で、ボイ人相手にチェスをした。どこの星にもこれに似たようなゲームはある。ただボイのチェスがネルガルのそれと違うのは、
「どうして一度取った駒を、今度は味方の駒として並べるのですか」
 ルカはこれには戸惑った。もう角に当たるような駒は全部取ってしまったので、斜めに動く駒はないと思っていたのに、自分の取られた駒が相手の手駒になっている。
 ボイ人は微かに笑うと、と言っても、彼らの表情の変化は、まだルカには見分けがつかない。
「これも作戦です。敵を殺すよりもは、生かして懐柔させ、自分の手駒として使った方がよりよいと思いませんか」
「でも、裏切られるかもしれない」
「その可能性は高いですね。でも、本当に味方になってもらえれば、これほど心強い者はおりません。敵の内情が全てわかるのですから」
「でも、本当にそういうことがあるのですか」
 ネルガル人は自分しか信用しない。相手を同格とはみていないから、味方にするなどという考えもさらさらない。あるのは利用することのみ。
 ルカはじっとボイ人を見た。自分たちとは違う駒の使い方。
 ルカはまだ戦争の経験はない。戦争で故郷を追われた事もない。よってその悲惨さも知らない。ただ頭の中でシュミレーションするしかない。
 敵が寝返るとはどのような時なのだろうか。
2009/06/14(Sun)23:11:46 公開 / 土塔 美和
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■作者からのメッセージ
 今日は、続き書いてみました、またお付き合いください。少し長くなってしまったので、途中でプッツンと言う感じになってしまいましたが、続きは10話で書きますので悪しからず。感想お待ちしております。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 羽堕です♪
 突然の政略結婚という流れで吃驚してしまいましたが、相手の王女はどんな人なのかなとか、すぐにそっちが気になってしまったり。それとカロルとクリンベルグとの会話で、ネルガルの為が決して貴族の為になるとは限らないというのは、分かるなって感じです。
 ルカとカロルの部屋の会話は、仲の良い兄弟のようであってホノボノとする部分もあるけど、しびやな話もあって二人の信頼関係が伝わってきました。
 ルカとナオミのやり取りは、ナオミの愛情について核心的な部分だったと思うのですが、ナオミはルカを愛しているし、ルカの考えを受け入れたんだろうなと思いました。それとヨウカの言葉は心強かったです。
 官僚との会話は、やっぱり腹立たしいですね。こういう人間がネルガルを駄目にしているんだろうな。あとルカのクリンベルグへの用意周到な所なども、気の回るなかなか強かな部分が出ていて良かったです。ルカとカロルの互いを想う気持ちが強いからの喧嘩で、それをカロルはちゃんと汲み取れるから偉いなと。
 ボイ星でのシナカ達のやり取りがあって、相手側の星でも縁談の意味を把握した上での苦渋の選択と思惑が分かって良かったです。その後のネルガルの他星を搾取する方法などもあり、ルカはどう行動するのか楽しみになりました。
 ボイ星の使者を迎えるルカの館の様子は、本当に良い館だったんだなというのとルカをみんなが好きなんだなって伝わってきます。それにナンシーとの、やり取りが何かグッときました。
 ルカに少しずつ惹かれて行くようなボイの人々など、上手く書かれているなと思います。ブラウスのエピソードもいいなぁって好きです。この後に、どうなっていくのかドキドキしながら待ちたいと思います。
であ続きを楽しみにしています♪
2009/06/15(Mon)01:10:170点羽堕
 羽堕さん、いつもコメント有難う御座います。次回はいよいよルカの結婚式といきたいところですが、その前にナオミさんを村に帰さなければなりません。余白がありましたらルカの結婚式まで書きたいと思いますが、だらだら書く癖のある私には、その余白はないのではないかと思います。そしたらその次の回かな。でも次回もお付き合いください、ジェラルドも彼らしい姿で出しますので。それでは、ここまで読んで下さって有難う御座います。
2009/06/22(Mon)23:35:010点土塔 美和
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