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『しかめっ面でプリン』 作者:言弾ノイテ / ショート*2 リアル・現代
全角3377.5文字
容量6755 bytes
原稿用紙約10.15枚
 とある女性による、祖父との思い出の回顧。
 ――祖父は大の甘党でした。
 ですが食べるのはいつも和菓子で、実は洋菓子を食べるところを見たのは一度きりしかありません。
 これは、祖父がわたしの前で洋菓子を口にした、その時のお話です。

 随分前の話で、その頃何を考えて急にお菓子作りなんて始めようと思ったのか、もうはっきりとは思い出せません。
 当時のわたしはとても飽きっぽい子供でした。そのくせ最初から上等なことをしたくて、色んな道具を買い揃えさせるのです。実家に行けば、トッカエヒッカエされた趣味の残骸が今もわたしの部屋に積み重ねられています。釣り道具ですとか、絵描き道具の一揃いですとか、楽器は流石に高価だったので安物のバイオリンですとか、後はテニスラケットですとか。お菓子作りの道具一式も、そうやって買って貰ったものの一つでした。
 せがむ相手は、決まって祖父。おじいちゃん子でしたし、祖父の方も、今考えてみると甘過ぎるのではないかと思える位わたしに優しかったのです。
 甘党だったからでしょう。
 もう大方の予想はついているかと思いますが、祖父が食べた洋菓子を作ったのはわたしです。
 まだ真新しい道具を弄んで作ったカスタードプリンでした。
 クッキーを焦がす等の失敗を何度か経験した後で、初めて自分で「上手くいった」と思えたひと品だったのです。
 今思えばあれはさほど大した出来ではなかったのですが、素晴らしいものが出来たと思い込んでいたその時のわたしは、とにかくそれを誰かに食べてみて貰いたくて居ても立っても居られない心持でした。
 当時は祖父母と、両親と、兄とわたしの六人で暮らしていたのですが、そのとき祖母と両親は買い物に出掛けていて、兄はフットボールクラブの日で、家に居たのはわたしと祖父だけだったのです。まだ祖父が洋菓子を好まないことなど知りませんでしたから、わたしは恐れ知らずにも祖父のところへそれを持っていって、食べてみてくれないかと頼んだのでした。
 その時の祖父の様子ははっきり覚えています。
 くしゃみをする前のヒョットコみたいな顔で、わたしに、
「こりゃ何だい?」
 と尋ねたのです。
 出来損ないの茶碗蒸しの様な代物をいきなり突き出されたのですから、そんな反応になるのも無理はありません。
 ですがわたしは「いいから食べてみてよ」と祖父に無理矢理お皿とスプーンを持たせました。
 ひょっとしたら、あのときの祖父の言葉は「こりゃ難題」だったのかも知れません。
 ともあれ、わたしの様子と、少し前にわたしに調理器具を買い与えたことから何となく事情を察したのでしょう、祖父は渋い顔ながら頷いて、スプーンをお皿の上のものに刺し入れ、一すくいを口に運んでくれました。
 そしてすぐにこう言ったのです。
「苦いな」

 苦い、です。
 普通、過度にカラメルを焦がしたりしない限り、カスタードプリンはまず苦くなったりはしません。
 その時のプリンは、まあ少し火が通り過ぎだったにしても、食べられないようなものでは決してないはずとわたしは思っていました。
 けれども祖父は確かに「苦い」と言い、苦そうな顔をして、しかもそうしながら結局全部平らげたのです。
 作ったものへの自信と、祖父の普段の優しさから、わたしは甘い評価を期待していました。だから祖父がわたしに否定的な評価をしたのに驚き、しかもそれが「苦い」という予想外の感想だったこともあって、すっかり何も考えられなくなってしまっていました。
 原因を調べに台所へ戻るとか、本当に苦いのか自分で確かめるとかもせずに、ただ祖父がプリンを口に運ぶのを見ていたのです。

 食べ終えてから、祖父は真顔になって言いました。
「じいちゃんな、お菓子にはうるさいんだよ。××××(わたしの名前です)が作ったものだからって今食べたけどな、次に持って来てくれる時は、もっと上手になってからにしてくれな。後じいちゃんあんまり洋菓子は好きじゃないんだ。もしじいちゃんにこういうお菓子を食べて欲しいって思うんなら、お店が開ける位になってからにしろな」
 そう言って、まだ十を少し過ぎたばかりの孫にお皿とスプーンを返したのです。
 容赦無いでしょう?
 わたしはてっきり、穏やかに笑いながら「次は頑張ってな」等と言って頭を撫でてくれたりするのだろうとばかり思っていたのです。そこへ向けて「出直してこい」と言われた訳ですから、もう物凄く動転してしまって、その日は晩までずっと泣き通しでしたし、次の日は熱を出して寝込んでしまって、何とか立ち直ったのは三日が経った後のことでした。

 それからというもの、わたしはどうにかして祖父に洋菓子を食べさせたい一心で、お菓子作りにのめり込んでゆきました。
 祖父は内心で孫の飽きっぽさを心配していたのでしょう。始めのうちこそ孫のトッカエヒッカエを見逃していたものの、一家言あるお菓子に事が及ぶに至って我慢ならなくなり、それで戒めのつもりであんなことを言ったのではないかと思っています。
 やるのなら、一つのことをとことんまで極めろと。
 わたしはまんまとそれに乗せられて本気になり、方々で修行を積み、途中からはものを作ることの面白さに目覚めて最初の動機を忘れてしまい、そうして気が付いてみれば、こうして一軒の洋菓子店の主をやっているのです。
 今ならきっとわたしのプリンを食べてくれるだろうと思うのに、肝心の祖父は逝ってしまいました。あの時の様にプリンを差し出したらどんな顔をするか、とても見たかったのですが、残念でなりません。
 けれど、きっと、こう言います。
「じいちゃんな、お菓子にはうるさいんだよ。××××が作ったものだからって今食べたけどな、次に持って来てくれる時は、もっと上手になってからにしてくれな。後じいちゃんあんまり洋菓子は好きじゃないんだ。もしまたじいちゃんにこういうお菓子を食べて欲しいって思うんなら、世界一の職人になってからにしろな」――


――――――――


 線香の煙が途中で揺れた。わたしの吐いた息でだった。嗅ぎ慣れた、けれど久しく嗅いでいなかった実家の匂いが、すこし鼻に届く。
 閉じられた窓の外からアブラゼミの声が聞こえてくる。仏壇の周りには所狭しとお供えが置かれていて、ここ数日の間に何度も来客があったことをうかがわせた。
「……何これ」
 呟く。煙が今度は大きく揺れる。なんだか行き先を迷っているみたいに見えた。
(わたしにしては言葉が硬すぎるって、おじいちゃん。ヒョットコなんて見たこともないし)
 原稿用紙から目を離す。最近見付かった遺書の封筒に同封されていたというそれに書かれた文章――その中の「わたし」は、明らかにわたしだった。 
 書かれてある出来事も、よく覚えている。あの時から祖父と疎遠になっていったのだ。お菓子作りもそれっきりだ。だから当然、今のわたしはパティシエールではないし、自分の店も構えていない。単なる地方公務員だ。
 あの時わたしは、「ただの趣味なんだから、少しくらい出来が悪くても見逃してくれたっていいじゃないか」と思っていた。それっぽいものができれば十分満足だったし、それ以上のことができるとも思えなかった。そして、しようとも思わなかった。
 趣味で楽しめさえすればよかった。
 周りの人たちがちょっと笑ってくれて、「でも、やっぱりシロウトだね」と言われるくらいが、わたしにはちょうどよかったのだ。
 紙を脇に置き、目を閉じる。
 このお話はきっと、こうあってほしいと願ったヴィジョンなのだろう。
 他の選択肢を捨て、一つだけを選ぶことを求めたヴィジョン。
 わたしにそれはできない。全部、同じ重さなのだから。
 だから今も、それらは二階のわたしの部屋でひっそりと地層を作っている。捨てられることもなく。

 しかめっ面でプリンを食べる祖父が目に浮かぶ。
 そのプリンは、祖父からすれば、あまりに甘過ぎたのだろう。
 許せなかったのだろう。
 けれど、
「お菓子を作る人がみんなお菓子職人になりたいんじゃないんだよ、おじいちゃん」
 わたしは仏壇に手を合わせた。

 目を開く。
 仏壇の遺影もしかめっ面をしている。
 煙はもう散り散りとなって、正体をなくしていた。


("A bittersweet pudding" is closed.)
2009/06/13(Sat)02:38:11 公開 / 言弾ノイテ
■この作品の著作権は言弾ノイテさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 大多数の方には初めまして。そうでない方にはこんにちは。言弾です。

 ふだんはこちらに投稿された作品に感想を提供している私なわけですが、そういうことをしている当の自分の文章は実際のところどんなもんなんだろうと気になりまして、皆様に評価をいただこうと思い昔書いた文章をひっぱり出してきました。
 利用者リストには読者で登録していますが、読者が作品を投稿することを禁じる規約は特に見当たらなかったのでまあ構わないだろう、と。

 そういうわけで、ご意見ご感想等、お待ちしております。
この作品に対する感想 - 昇順
[簡易感想]おもしろかったです。
2009/06/13(Sat)07:41:440点中村ケイタロウ
 こんばんは、言弾ノイテ様。上野文です。
 御作を読みました。

 文章はとても整っていて、整っているのですが、ううん。
 お爺ちゃんのオモイが、「わたし」にはズレて伝わっているように感じられました。
 お爺ちゃんが小説に心情を託したのなら、それは誤って言葉強く言ってしまった後悔と、もう一度孫のプリンをしかめ面して食べたかった、そうなんじゃないかなって。
 だからこう、読後に寂しさが残りました。
 たとえ、人から「甘過ぎる」「苦過ぎる」と評されても、パティシエールじゃなくても、自分と誰かの為にお菓子を作れること、それこそが素敵なことだと私は思います。
 大変興味深かったです。
 次回作を楽しみにしています。
2009/06/14(Sun)19:18:580点上野文
 こんにちは。初めまして。
 構成はおもしろかったです。
 うーん、どうなんでしょう。原稿用紙のなかの「わたし」が推測した祖父の心情……「やるのなら、一つのことをとことんまで極めろ」というのは、本当の祖父の思いだったのでしょう、ね。孫へのメッセージだと思いますし。でもふたりが最後の最後まで相容れていないところは、やるせなかったです。
 名前が伏字になっているのが少し気になりました。が、そこもちょっとおもしろいと思いました。
2009/06/14(Sun)21:05:550点ゆうら 佑
初めまして。千尋と申します。
 私的には、この作品は、さくさくと軽いメレンゲ菓子のように思えました。
 おじいちゃんの孫に対する思いも、どこまで本気だったのかな。もし本当に真剣に伝えたいことがあるなら、遺書と一緒になんか入れず、生きている間に自分の生の声で言うべきなのではないでしょうか。その原稿の内容も、とても間接的な表現ですしね。
 ねっとりと甘いプリンの味と、最後に漂う線香の匂いの対比が、よかったと思います。
 ほかの作品も、ぜひ拝読したいです。
2009/06/15(Mon)14:48:200点千尋
初めまして、のりこと申します。
語彙力が私に足りないせいかうまく申し上げられないのですが、新感覚でした。
不思議さといいますが、すごく表現といい書き方といい惹きこまれるものを感じました。
少し主人公の気持ちをもうちょっと突っ込んで知りたかったなとは思います。
偉そうなこと申し上げてすいません。
題名につられてきてみるとなんだか結末で空虚感でいっぱいになりました。
心がほっこりします。
また拝見させて戴きたいです。
すいません、上手く感想が述べられませんでした…。
2009/06/16(Tue)02:52:340点のりこ
[簡易感想]読み易く、そして飽きなくてよかったです。
2009/06/16(Tue)22:27:110点氷島
とても読みやすかったです。
いろいろと想像が膨らむようなお話ですね。
まさに苦くて甘い感じがしました。
ありがとうございました。
2009/06/19(Fri)10:02:491やるぞー
 お読み下さいました皆様、どうもありがとうございます。

>中村ケイタロウ様
 初めまして。
 ご感想、ありがとうございます。肯定的なご評価を頂けて嬉しく思います。

>上野文様
 こんばんは。
 祖父がどんな意図を込めて作中のような小説を遺したのかについて、作中の「わたし」の解釈も上野様の解釈も、どちらも誤りとは言えません。作中には当の小説しか判断材料がないので解釈は自由であっていいと思います。どう受け止めたかを考えるのが大事なのであって、それが「正解」なのかどうかは大した問題ではないと私は思います(この作品はミステリではありませんから)。
 ものを作ることへの姿勢については、私も同感です。祖父か「わたし」か、という二者択一では必ずしもないと思っています。

>ゆうら 佑様
 初めまして。
「物語を読む物語」の構成は結構あったような気もしますが、楽しんで頂けたのなら幸いです。
 そうですね、「やるのなら」云々は祖父にとって最も強調したい部分だったはずです。ですがそれは祖父にとっての理想であって、「わたし」にとってはそうでなかった。そして「わたし」には彼女なりの信念があった。ならばこの結末は必然であったと思います(悲しいことではありますが)。
 伏字は、途中でいきなり固有名詞が出てくると話のテンポが悪くなるし「わたし」の名前が出てこなくても不都合はないと思ったのでああしただけなのですが、今見返すとそれ以外の効果も生んでいるようですね。

>千尋様
 初めまして。
 メレンゲですか……、好意的な評価と受け取らせていただくことにします(空疎で張り合いがない、という意味でしたら精進致します)。
 真剣に伝える段階は作中で述べられているプリンの件で済んでいる、というのが書いた私の認識です。それ以降祖父が「正面から伝える」方向ではなく「自分の姿勢をほのめかす」だけの方向に進んでいるのは、祖父にそれなりの思惑があってのことです。「なぜ直接伝えるのでなく、小説という回りくどい形をとったのか」も、そこに含まれます(ただ、作中にはその辺りに関する祖父の思惑を推定できる記述はほとんどありません。主題からそれるので、切りました)。
 作中の世界で祖父の小説を読むのは「わたし」だけとは限りません、とだけ。

>のりこ様
 初めまして。
 この作品は初めにタイトルありきで作ったものなので(しかめっ面でプリン食べるのってどんな状況だそれ、みたいな調子で)、そこに反応していただけて嬉しいです。
 そうですね、「わたし」の心理描写は薄かったかも。もう少し掘り下げても良かったかも知れません。ご指摘、ありがとうございます。今後に活かせればと思います。

>氷島様
 初めまして。
 ご感想、ありがとうございます。リアクションがあるというのはそれだけで嬉しいものですね。

>やるぞー様
 こんにちは。お久しぶりです。
 読みやすさは文章を人に見せる上で何より大事な要素だと思っていますので、そう仰っていただけるのはとても嬉しいです。
 暗喩、と言えるほど隠れてもいない気もしますが、この作品は暗喩です。また、答えとして一つの見解を示すものではなく、どちらかと言えば「問い」です。もしこの作品から何かお感じになったのであれば、その感覚を大事にしていただけると、作者としては嬉しく思います。

 予想を超える量の反響をいただけたので驚いています。
 改めまして、皆様、お読み下さりどうもありがとうございました。
2009/06/20(Sat)02:41:340点言弾ノイテ
拝読しました。素直に面白かったです。なんなのでしょうこの読後に残る苦々しさは……。良い話しで締めくくられると思ったら、ズンドコまで落とされたようなこの落差に私はビックリ。でも、事実ですよねぇ。自分でナァナァで良いやと思ってるのに、とことん目指せとか言われても困るだけで御座います。しかし、中々出来ないそれを、純粋にやってのけたのは面白いです。うん。変な感じで面白かったです。
2009/06/21(Sun)21:32:031水芭蕉猫
>水芭蕉猫様

 初めまして。ご感想、ありがとうございます。
 その苦々しさや変な感じの正体はたぶん「本気の作品を投稿!」が前提のこちらの掲示板において一番不似合いな姿勢を描いたことによるものだと思います(ちなみに「それ」を描くことに対しては私は本気でした。作中の「わたし」の姿勢は、書いた私自身の姿勢ではないです)。
 現実でものを作る時には甘くてキレイな理想のようにはいかないし、どうしてもいつか「それ」と折り合いをつけなければならなくなる訳で、ならば「それ」との折り合いのつけ方に自覚的であった方がもの作りへの姿勢が定まって良いのではないかな、と私は思ったりしています……まあ一度姿勢を定めたからと言って、その姿勢にこだわり続ける必要はないとも思いますけれどね。
 元々この話は原稿用紙十枚以内という縛りの中で書いた話で(こちらへ投稿するにあたって手を入れた結果オーバーしていますが)、短い中で緩急を付けるにはどうするかということで思いっきり落とす方向にしてみたのですが、うまくいっているようで良かったです。
 ありがとうございました。
2009/06/27(Sat)17:45:560点言弾ノイテ
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