- 『霧でかすむ水平線』 作者:春野藍海 / リアル・現代 ショート*2
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全角1442.5文字
容量2885 bytes
原稿用紙約4.55枚
いつの日かに父と一緒に作った巣箱の屋根は、今はもうどこかへ消えていた。「どれくらい前からだっけ」と途方もなくそう思ってみる。でも、誰も答えてくれない。なにも答えてくれない。その巣箱自体ですらも。
「嫌われちゃったのかな」
肘を机につきながら、窓の向こうで容赦なく降下するぼた雪の群れに話しかける。
「あなたたちなら、その巣箱に尋ねてくれるような気がするんだ」
無表情でそう考えてみても、何の返答もない。
最近よく見る忙しない夢の雰囲気を、ふと思いだしてみた。ここ数カ月、めっきり姿を見せなくなった人――夢で最後に見かけた――の面影を重ねながら。
誰に追われているのか見当もつかないけれど、とにかく忙しいその夢の、ぽつりぽつりとなんとなく覚えているシチュエーションを必死にかき集めている自分を顧みて、「なんてムダなことしてるんだろう」と鼻で笑った。
机についている肘の右斜めに腰をおろしている、煤けた灰色のマグカップに入った生ぬるい玄米茶を口に流し込む。どこかどろりとしている慣れない舌ざわりに、腐ってんじゃないかと一瞬思案した。でも、そんな物だろうがもう食道を過ぎてしまえば、どうでもよくなる。再び、意識を外の巣箱に移した。
―― 一定のリズムで、淡々と刻む電子音に腹が立って、機械をかち割りたくなった。
弟は何かの作文にそう記していた。「そうか。あの時、同じことを思ってたんだね」となんだか安心した気持になれたのは、きっと私だけだろう。
周りのモノ全て――今まで悩んできた――がどうでも良くなるような時間は、今度いつ来るのか。でも、あんな状況にならなきゃ、そういう時間が来ないと言うのなら、私はきっぱりとこの世を制する者に「いらない」と告げる。
だって、あんな思い二度としたくないから。しばらくは、当分はしなくていい。……きっと、またいつかは来る思いなのだろうけど。
「今度、休みの日にまた来るからね」
何度同じようなことを口にしたのか。数えても、数えようとしても、そんなことはしたくないと意志が途切れる。
どうして行かなかったのだろう。あんなに近くにいたのに。私が家族の中で一番近くにいたのに。
今から思っても遅い悔い。どんなにエンドレスリピートしようが、現時点ではもう意味のないことだから。……でも、そう言うことを分かっていようが、同じことを繰り返してしまうのが人間の性。いや、私の性だ。
ごめん。ごめんなさい。許してとは言わないけれど、ごめんなさいだけは言わせてほしい。
――安い船があったから、この前買ったんだ。船って言っても遊覧船みたいな船だぞ。夏休みになったら乗りに来い。番茶とおやきでも持って、海に出よう。
幻想と苦しさにうなされながら、酸素マスクをつけた祖父が私にそう話しかけた。
「うん、楽しみにしてるよ」
泣かない。絶対におじいちゃんの前では泣かない。そう決めていたのに、涙は堰を切ったように溢れ出す。そんな私は、祖父にその言葉をかけるだけで精一杯だった。
「これから買い物に行ってくるけど、何か買ってくるものある?」
リビングから母の声が響き渡ってきた。なにもいらない、そう言いかけて私は台詞を訂正した。
「おやき、二つ買ってきて!」
もう一度、外の壊れた巣箱を見つめる。寒空の下、僅かに雪を被りながら、壊れかけていても胸を張ってそこにいた。いつもと同じその場所に。
一緒に船に乗って海に出よう。いつでも私は出られるよ。
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2009/05/31(Sun)12:55:18 公開 /
春野藍海
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■作者からのメッセージ
まだ薄っすらと雪が積もっている時に書いた作品なので、時期は少々ズレが生じています;連載の方がかなーり滞っているのもあり、短編でリハビリしようと書いてみました。ショートにしては短すぎると思うのですが、いろんな思いが詰まっていることもあり、どうしても投稿したい作品だったので、そのまま改訂せずに投稿してしまいました。少し、実体験も含まれていて主観的になっている部分もありますが、感想・アドバイス等を頂けると嬉しいです。