- 『いつかの落日』 作者:澪 / リアル・現代 ファンタジー
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全角5883文字
容量11766 bytes
原稿用紙約17.8枚
暗い部屋の片隅で一人奏でる僕だけの愛しき 哀しき 世界。
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「 ごめん 」
堪え切れなくなって膝を落とした土の、固い感触を感じてまた涙が零れ落ちた。あいつを攫って行った柔らかな風が髪を擽り逃げてゆく。揺れる草木のざわめきと、聞き慣れた川のせせらぎがやけに鮮明だった。
いってしまった。いなくなってしまった。それだけがわかる。
「ごめん……っ、違うんだ。泣きたいわけじゃないのに」
言いながら、それでも落ちることをやめない雫を降り積もった悔恨ごと、ぬくったい腕で掬い上げられて。浅ましい願いを失ってぽっかり空いた隙間を、惜別の涙に濡れたやわい肌が抱きしめる。
愛しさも哀しみも、それから耐えようのない寂しさも、全てを照らす真っ赤な夕陽と一緒に瞼の裏へ閉じ込めた。
目を閉じて想う、握りしめた手のひらの、くしゃりと鳴いた存在の証に。
もうけして逢うことのない、大切な、何よりも大切だったお前に。
――――どうか、と、祈った。
1.ラップトップの神様
優羽の通う中学校には、変人、と呼ばれている少年がいる。
この中学校は生徒数が多く、今までは違うクラスだったので彼のことは知らなかった。優羽がそれを聞いたのはちょうど三年生に進級したばかりの頃だ。
こいつ変人だから。クラス替え直後の自己紹介で、友人からそう横槍を入れられていた彼。
「うるせぇよ、ばーか」
己の不名誉なあだ名を気にする様子もなく、日浦遼(ひうら りょう)は笑った。
それから何となく、優羽は遼を目で追うようになった。純粋な興味からである。
遼は毎朝遅刻ギリギリに登校して、始業のベルが鳴るなり机に突っ伏して居眠りをはじめるような生徒だった。課題の提出を忘れてはよく教員から呼び出しを受け、山ほどペナルティーを受け取って帰ってくる(ただしその課題を提出した例はない)。真面目に掃除をこなしたことは数えるほどしかないし何をするにも無気力だったが、なぜかテストの点だけはそこそこ。性格は外交的で人と打ち解けるのも早く、ユーモアに富んだ発言を多くするため(前述した問題を除けば)教師からの受けも良かった。
そんな遼は、生徒たちからの人気も高い。遼の周りにはいつも人が集まった。変人、変人と連呼され続けてはいたが、それが俗にいういじめ行為に発展したことは一度もない。
遼は瞬く間にクラスの人気者となり、誰もが彼を友と呼んだ。そして皆、彼について聞かれると口をそろえてこういうのだ。
遼はほんと、最高だよ。変人だけどな。
* * *
【神様の発言】:それで、理由はわかったのかい?
【ユーの発言】:まだ……
カタカタと音が響く。ディスプレイの向こうにいる相手に送るメッセージ。一文字一文字、キーボードを見ながら入力していたのも今ではだいぶ早くなった。
これは両親にも教えていない優羽の密かな日課だ。コンピューターの画面を通した見えない相手との会話、所謂チャットである。
優羽は《ユー》というハンドルネームを使って、この《神様》と交流を続けていた。部活を終えて学校から帰宅し、夕食を食べ、自分の部屋に入ったら必ず。毎日毎日繰り返して、もう三年以上の付き合いになる。
【神様の発言】:早くわかったらいいね
《神様》は聞き上手で、優羽は一日に起こったほとんどのことを語ってしまう。
しかし最近優羽が話す内容といえば、専ら遼のことばかりだった。三年生になってからずっと、優羽は《神様》と二人で遼を見てきた(と言っても勿論見ているのは優羽だけで、《神様》は逐一その様子を聞いているだけだ)。彼の観察を始めてからずいぶん経つけれど、実は肝心なところが優羽にはまだ分からない。
【神様の発言】:どうしてリョウは“変人”と呼ばれるのだろう
【ユーの発言】:それなんだよね
《神様》も知りたがっている、その一点。
日浦遼は、確かに変わり者ではある。けれど人から言われ続けるほど“変”だとは、今まで見た限りでは思えないのだ。
遼のことが気になって仕方がない理由が、優羽にはあった。本当は直接訪ねたいのだけれど、生憎そんな勇気はない。
いい加減にしないとストーカーみたいになっちゃう。妙な心配をしながら優羽は文字を入力した。
【ユーの発言】:もうちょっと、観察してみるつもり。
【神様の発言】:報告楽しみにしてるよ、ユー
――優羽には誰にも話したことのない秘密がある。
遼がどうしてそう呼ばれるのかはわからないけれど、本当は、
「……日浦くんが本当に、変ならいいのに」
自分のほうが確実に“変人”だと思っている。
2.キラルの双子
じゃあな、と片手をあげて友達と別れる。少年は軽い足取りで階段を上った。
所属していた部活はどうにも気乗りしなくなって、二年の後半あたりから行っていない。最近は暇な放課後を、日当りの良い図書室で昼寝をしたり漫画を読んだりしながら過ごしている――遼は一人、のんびりと図書室に足を踏み入れた。
気付けば冬休みがあけて、中学校生活も残り少なくなっている。遼の通う所は中高一貫の私立なので、外部を受験する生徒以外は気楽なものだ。
自分が“変人”と呼ばれる件について、遼はとっくの昔にそれを受け入れてしまっていた。むしろその程度のあだ名で済んでいることを好運に思うべきだと考えている。
三年生になって新しいクラスメイト達と出会ったが、自分のあだ名は自己紹介の段階で広まっていった。遼からすれば好都合だ。“これ”が見つかった時に、言い訳に苦しまなくて済む。
「変人様万歳、だな。……うっせ。良いの。良いんだってば」
誰もいない図書室で一人、遼は語りかけるように笑った。
……彼には妙な癖がある。癖だ、と周りには言ってある。これが本当にただの癖ならば直しようもあるが、生憎遼にやめる気はさらさらなかった。
「お前だってそのほうが、退屈しなくて良いでしょ」
遼が図書室を気に入ってる理由は三つある。一つ目は人がいなくて静かなこと、二つ目は日当たりが良いこと。そして三つ目は、大きな鏡があることだ。
「うん、そう……卒業までこれで通せるよ」
一番奥の壁に立てかけられたその全身鏡が、何のためにあるのかは知らない。じゃあこれは俺達のためにあるんだな、決めつけた遼はそれを覗き混み、ニヤリと笑顔を浮かべる。
「俺の癖は……鏡に向かって独り言を言うコト、ってねー」
『――おまえ本当にそれで良いわけ? 遼、変人街道まっしぐら』
他の誰にも聞こえない声が遼の耳には届いている。
彼の見ている鏡には、遼の姿と並んでもう一人。背格好も顔付きも遼そっくりな少年が映っていた。
『今まではうまくいってたけどさ。次こそイジメられたりして』
「ないない」
“彼”と会話しているとき、遼はまるで独りで喋っているような状態になる。“彼”を見ることができるのも、その声を聞くことができるのも、遼だけだったからだ。
「俺が今更お前を切り離せるわけないでしょ、」
『そ、だけどさ』
「ずっと一緒だったんだから。そうだろ、翔」
“翔”は鏡の中で僅かに目を細めた。遼が彼の姿を見ることができるのは、こうして鏡を覗いた時だけだ。声はいつでも聞こえるけれど、鏡がなければその表情はわからない。
遼が生まれて十四年と数ヶ月、翔はずっと側にいる。鏡越しに話をすることはもうずいぶん昔から続けていて、今更やめようとは思わなかった。
小学生の頃こうして一人鏡と喋っているのを友達に見つかり、癖なんだと誤魔化したら、なんと今日までそれで通ってしまっている。楽天家揃いの同級生たちをつくづくありがたいと思った――変人だとは言われるけれど。
「ところで今日の晩飯何が良いと思う? かーちゃん帰り遅いらしくって……って、翔は食べないからなぁ」
『――遼…っ』
鏡の前に座り込んでのんびり夕飯に思いを馳せていると、翔が固い声を出した。はっと遼が振り返ると、閉じたはずの図書室のドアが開いている。
さらに視線をずらせば、見覚えのある少女が入り口の側で棒立ちになっているのが見えた。
「アンタ……」
声をかけようとした瞬間、少女はぱっと踵を返して逃げるように部屋から出て行ってしまう。
『聞かれたな』
「それはまァ平気でしょ。逃げられるとは思わなかったけど……」
それよりあいつ誰だっけ。呟くと、翔が窘めるような声を出した。
『同じクラスにいたじゃん。 お前っていつもそうだね。友達多く見えて、他人の名前とか覚えてないし』
「……苦手なんだよ。えーと、確かなんか変な名前なんだよな。い……イー……」
『――イズミサワ』
「え」
『泉澤優羽、じゃん?』
良く知ってんねお前。黎也は驚いたように鏡中の少年の顔を見た。
3.ラップトップの神様
ばくばくとフル稼働している心臓を服の上から押さえて落ち着ける。高鳴る鼓動の理由は、家まで全力疾走したから、だけではない。
(なに、なにあれ?)
疑問符が優羽の頭を埋め尽くす。同時に、とうとう見てしまった、と漠然と思った。
優羽が図書室に入ったのは本当に偶然で、断じてあの少年の後をつけていたわけでははい。本を返し忘れた友人に代わって返却を買って出ただけだ。その友人はというと、体調不良で昼前に早退してしまっている。
「麻由美に感謝、かな……」
熱を出した友達に対し不謹慎なことを思い浮かべ、優羽は自室のドアを開けた。結局麻由美の本は返すことができないままで、家まで持ってきてしまったのだが。手に持ったままのハードカバーには“本当にあった怖い話!”と書いてある。読む気にはならなくて、そのままベッドに放り投げた。
「あと……三分」
壁に掛けられた時計の針を確認する。十七時五十七分。
優羽はそわそわしながら古びたパソコンの前に座った。《神様》と話をするためだ。優羽の部屋にあるパソコンはノート型をしているけれど、大きい上にごつごつしていて不格好である。とても持ち運びには向かないだろうこれは一昔前に、“ラップトップパソコン”と呼ばれていたのだと父親から聞いた。
【“ユー”が入室しました。/××,01,16/18:00】
十八時ちょうど。タイミングぴったりで優羽はラップトップを起動し、唯一登録してあるそのチャットページを開いた。 一言だけ書き込んで早く、とそれだけを思う。願いが通じたかのように、数秒待っただけですぐ《神様》は現れた。
【ユーの発言】:神様、来て!!
【神様の発言】:こんばんは。ユー
いつもは律義に挨拶を返すところだが、今日の優羽はいきなり本題を書き込んだ。冷めやらぬ興奮のせいか、まだ心臓がどこかふわふわしている気がする。
口で言うよりは数段遅くなるタイピングにやきもきしながら、優羽は今さっき見聞きしてきたことを文章にしてゆく。友達が熱を出したこと、代わりに本を返そうとしたこと、放課後図書室に行ったこと。キーボードを押すたびに指が震えて、何度も打ち間違いをした。
【ユーの発言】:……でね、図書室に入ったら、日浦くんがいた。一人だったんだけど、
――日浦遼は、鏡に向かって喋っていた。否、正確には、鏡に映った自分と喋っていた――というところだろうか。
もし自分が見たものが見間違えでなければ、なるほど遼は変人なのかもしれない。考えながら、そこまで書ききって一先ず優羽は息をつく。焦りすぎて支離滅裂になった文章もあったが、なんとかニュアンスで読み取ってもらえるだろう。
優羽の報告に、《神様》はひどく興味を示したようだった。
【神様の発言】:とても面白い。ユーは、なぜリョウが鏡に向かって喋っていたと思う?
【ユーの発言】:えっと……
ようやく冷静さを取り戻した頭で優羽は考える。一番無難な答えは“独り言”だ。けれど優羽にはどうしても、あの光景を見た瞬間の違和感が拭えなかった。鏡と向かい合っていた遼。たった一人で続けられていた“会話”。
【ユーの発言】:あのね、よくわかんないんだけど……あれは独り言とは違う気がした。
【神様の発言】:どう違ったんだい?
【ユーの発言】:ひとりで喋ってるにしてはね、不自然な間があるんだ。
独り言って、ひとりで喋っているわけだから内容は続いてるはずでしょ? 優羽は慎重に考えを書き込んでゆく。《神様》はどんなに時間がかかっても、優羽が入力を終えるまでは余計な口をはさまない。まるで、優羽のタイピングが見えているかのように。
【ユーの発言】:日浦くんは、まるで誰かと喋ってるみたいだった。話を聞いてるみたいに黙ったり、相槌を打ったり、それに……
――誰かの名前を呼んだ気がした。そこまで書き込んで、ようやく《神様》からいらえが返ってくる。
【神様の発言】:そう、ユーの勘はきっと正しい
【ユーの発言】:正しいって?
【神様の発言】:リョウは、誰かと喋っていたのだろうね。ユーや他のみんなから見えない誰か……
【ユーの発言】:そんなことってあるの?
【神様の発言】:あるかもしれないと、他の誰よりもユーが知っているだろう?
《神様》が笑ったのが見えたような気がした。思わずキーボードを打つ優羽の手が止まる。
同時にふと何かの気配を感じて振り返っても、ここは自分の部屋だ。女の子にしては珍しいと言われる殺風景なこの部屋には、優羽と必要最低限の家具、そしてこのラップトップしかない。
【神様の発言】:だとすれば、リョウの相手は鏡の中だ
とても面白い、と《神様》がまた書き込んだ。画面の中の彼――男かどうかはわからないが、口調から男性だろうと勝手に優羽は思っている――は、遼のことがとてもお気に召したらしい。また何かあったら教えてほしいと《神様》が言うので、優羽も了解の旨を書き込んだ。
【神様の発言】:そうだ、ユー。約束まであと二か月を切ったね
不意に現れた文字に優羽は身体を強張らせる。うん、とかろうじて返事を入力してラップトップの電源を落とした。優羽、と一階から夕飯を知らせる母の声が聞こえる。今日は急いでいた為にまだ食事をとっていなかったのだ。
電源を切る寸前、楽しみにしているよ、と《神様》が書き込んだのが見えた。
「優羽! 早く来なさい、ご飯冷めちゃう」
「はーい!」
叫ぶように返事をして優羽は部屋を後にした。リビングに続く階段をなるべくゆっくり下りながら、その間に考える。
日浦遼には、本当に何かが見えているのだろうか。彼にしかわからない話し相手が、いるのだろうか。
だとしたら遼は、優羽を助けてくれるだろうか。
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2009/05/05(Tue)18:07:50 公開 / 澪
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■作者からのメッセージ
はじめまして、澪と申します。
お久しぶりの方がいらっしゃいましたら、大変ご無沙汰しておりました。
時間ができたので細々と活動再開です^^
御感想・御指摘等ありましたらお気軽に書き込んでください。
感想を下さった方、心から御礼申し上げます!小躍りして喜んでいます(笑)
※本作品は最終話以外、「ラップトップ」と「キラル」が交互に続きます。
同じ題名が何度も出てくることになりますがタイトルミスではありません。
視点がわかれているわけではありませんが、どちらかといえば前者が優羽寄り、
後者が遼寄りの話です。分かり辛くて申し訳ないです……。