- 『君と空と入道雲』 作者:ケイ / 恋愛小説 ショート*2
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「さようなら」
君が俯いたままそう言ったのが、一時間も前のように感じられた。実際は三分前。その言葉を聞いてから、僕は何一つ思いを言葉に出来ず、学校にある桜の幹の皺の数を数えることしか出来なかった。
風が吹く。初夏の温かい風が、君の長く、墨を流したように綺麗な髪を揺らす。僕はそれに見惚れながら、また三分黙った。
「ごめんね」
君の二言目を聞いて、僕の心は更に大きく揺れ動いた。
まだ何も口にしていない。君に伝えたいことが山ほどあるのに、言葉に出来ない。なんて言ったらこの思いは伝わるのだろう。“さようなら”? “ありがとう”? 全部違う。そんな薄っぺらな言葉では君に届かない。僕の胸が、炎に炙られるようにチリチリとした感覚はどう言えばいいのだろう。
「消しゴム。ありがとね」
君が発した言葉は予想外なもので、しばらくの間、君とキョトンとした僕の間を彷徨っていた。
「ああ、これ?」
慌ててポケットから消しゴムを取り出す。それは小学生の頃、君が転校してきたときに、僕が君に貸した消しゴムだった。とても綺麗な水色で……いや、違う。水色なんていうありきたりな色で表現できない色だ。くだらないことばかり言っている中二の僕でもわかる。例えるなら真夏の空に入道雲が広がり、そのバック一面に見える真っ青な空。まさしくその色、空色の消しゴムだった。
その頃を思い出したのか、君は消しゴムを見てにっこりと笑った。あまりにもその笑顔が大人びていて、思わず俯く。
頑張れ。頑張れよ、僕。
必死に会話を繋げようとするが、何も言葉が出てこない。代わりに、この二年と三ヶ月の君との思い出が走馬灯のように蘇ってくるが、どれも一瞬頭をよぎるだけで、「これはいつのことだったっけ」なんて考えてるうちにすぐに消えてしまった。
一つだけ鮮明に思い出したのが、一週間前、この桜の傍に、君と二人でいたことだった。そこで君が僕に「私来週転校することになったんだ」と呟いたことだ。僕は何て言っていいかわからず、また今と同じく黙り込んでいた。
汗がこめかみから流れる。初夏の日差しは思いの他強くて、腕や足を露出している君と僕を、容赦なく照りつけた。僕は俯いたまま、足元の、焼けた鉄板のように熱くなったアスファルトを歩くアリを眺めていた。
「さようなら」
君がもう一度言った言葉は、再び僕の胸に突き刺さった。君が振り向こうとした瞬間、僕の中の何かが動いた。
「待って」
僕の呼びかけに応じ、君はお気に入りの白いワンピースを揺らしながら再び僕を見た。
「最後に言っておきたいことがあるんだ」
自分で言っておきながら、“最後”という言葉が氷のように僕の体を冷たくする。
言わなきゃ。言わなかったらずっと後悔するぞ。
自分の心を鼓舞しながら、僕は人生で初の大勝負をした。
「君のことが……好きだった」
その言葉を必死に絞り出すと、ドッと疲れが押し寄せてきた。君はそれを聞いて、涙を流していた。それを見ただけで、胸が痛み、知らない内に僕の目からも一筋流れた。
悲しかったわけじゃない。ただ、君が泣いているだけで僕の体と心は正常に機能しなくなるらしい。
「ありがとう」
涙を拭きながら君はそう言った。それがどんな意味の「ありがとう」なのかは、君に比べて精神年齢が幼い僕にはわからなかった。ただ、嬉しかった。
「それじゃあ」
君がそう言って後ろを向いたとき、君の髪に、よく見るリボンがついていた。僕の消しゴムと同じ色をしたリボンだった。君が一歩歩く度に髪と一緒に揺れるリボンを見て、僕は三十歩離れた君に駆け寄った。
「これ」
君の手に握らせたのは、消しゴムだった。
「あげる」
君は一瞬驚いた顔をしていたが、やがて消しゴムを優しく握った。
「ありがとう」
君は嬉しそうな笑顔で、そう呟いた。
君のワンピースが揺れる。君の髪と一緒にリボンが揺れる。君が笑って君が揺れる。真夏の空。入道雲と太陽が浮かび、真っ青な空に包まれる。そんな風景を君に見たような気がして、僕は思わず目を細めた。
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2009/03/22(Sun)10:22:41 公開 / ケイ
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■作者からのメッセージ
以前書いた「空色の消しゴム」を練り直して、ショートにまとめてみました。自分の場合、どうしても切ないエンドになってしまう(泣)
まだまだ未熟な部分が多いですが、アドバイス等をお願いします。