- 『-進化する遺伝子-』 作者:桜雪 / SF アクション
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全角111870文字
容量223740 bytes
原稿用紙約331.35枚
二十二世紀の世界、電気機械は進化していた。その大きさは縮小され、一つの形に統合された。その形は――腕輪。腕輪は世界を回す一つの鍵となり、様々な事件を複雑に絡めあう歯車になっていった。そして、俺すらもその歯車の一つだった。運命の時間は――動き始める。
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序章
ある日、一億円が詰まったアタッシュケースを拾う。
そんな事は人間が生きているうちに有るか無いか、と問われれば大抵の人間はそんな事はありえないと言う。確かにその通りだ。世の中に数人位はいるかもしれないが、そんな事は本当に一握りの人間しかいないだろう。さらに、実際に一億円が入ったアタッシュケースが有ったとしても、そんな重要な物を簡単に失くしたりするなんて事はありえない。
しかし、もしも同じ形で中身が旅行品のアタッシュケースが傍に有った場合、一億円の入ったアタッシュケースと間違えて誰かが持って行ってしまう。そんな事があるかもしれない。
これまでの説明は大雑把な例えだが、その限りなく低い可能性を否定仕切れないだろう。それに似た出来事が、何らかの形で誰かに訪れる機会があるかもしれないのだ。
それは運命か、偶然か、何者かの仕業か……。そう、どんな出来事にも何かしらの要因があり、それらが関連して初めて起きるものである。それは、複雑に絡み合って動く機械のようなもの、これから起きるその出来事も、世界が回る為の一つの歯車だった……。
都心より少し離れた山の中。そこには、巨大な研究所が立っていた。その研究所の地下にある一つの部屋。そこでは今から始まる実験に研究員達がPCやモニターなどに向かい様々なプログラムやデータを見つめていた、その部屋には研究員達からの緊張の空気が漂っていた。その研究室の下には広い部屋があり、強化ガラス張りにされていた。その中に長い髪を後ろで一つに結んだ男が入っていく。
その部屋の中にはもう一人の男が、電子の鎖によって拘束されていた。
電子の鎖とは、この世界で発達した技術の成果の一つである。それは、物質を構成する原子をさらに構成する『電子』を機械の力によってある程度の形に収束し、物質化する事の出来るものだ。構成できる物の形は無数にあり、現代技術の中でも二番目に重要視されている技術である。
そして、それに捕らえられている男は尋常な様子ではなかった。目は血走っており、呼吸は荒く、その顔は獣のような理性の欠片もない表情だった。
『これより、EDNA(エドナ)プロジェクト、第一段階のテストを行います。『サイガ』、電子ソードの準備はいいですか?』
オペレーターの言葉にサイガと呼ばれた人物が二階に向いて、手に持っている電子ソードを展開してみせる。電子ソードとは、その名前の通りに電子を凝縮して光刃を発生させる武器だ。それを見て、準備は良いと確認したオペレーターがPCを操作する。
『では、テストを開始します。……拘束解除』
警告音が鳴り響き、強化ガラスの周りに電子シールドが展開される。それと同時に、男を拘束していた電子の鎖が霧散するように消える。
その瞬間、男は激しく咆哮しながらサイガに向かって走り始めた。その速さは、人間離れした動きをしており、普通の人間ではまともに目で追えるような速さではなかった。男は、サイガに向かって拳を振りかぶる。
しかし、その拳はサイガには当たらなかった。拳が振られた場所には、既にサイガはいなかった。その出来事に男は驚き、慌てて辺りを見回す。しかし、その姿が見つかる前に男の体は空中に向かって吹き飛ばされていた。男は何が起きたのか理解出来なかったが、その真下にはサイガが居る事が気配で読み取れていた。反撃をしようと体の方向を下に向けようとする。だが、その前にサイガは電子ソードを男に対し、下段の構えをしていた。
「五の型――五月雨!」
そう叫んだサイガのソードは、構えてあった位置から素早く振られ、男に対して斜めに五本の剣線を引いた。剣線が見えた場所からは血が激しく噴き出る。その刃は男の体を容赦なく引き裂いた。無残に切り裂かれた男は地面に、ぼとりと落ちた。男は全身を切り裂かれ、すでに虫の息だった。体を動かすことなく、ただ喉から漏れるような空気の音が聞こえていた。
その男にサイガはゆっくりと歩み寄りながら、手首についている腕輪を向ける。
「コード EDNA Absorb(アブソーブ) 起動」
サイガの言葉に、腕輪から赤い電子の結晶体が現れる。結晶体はその形を変えて、サイガの手に纏わりつく形状になった。サイガが男の体に手を触れさせる。
「そのEDNA……、貰うよ……」
その瞬間、手の周りについていた結晶体が男の体の中に潜り込む。
「ぎゃあああぁぁ」
男はその衝撃に強烈な悲鳴を上げる。しかし、その体に傷がつくことはなく、結晶体は体をすり抜けているように見えた。触れていた手を握ると、結晶体もその動きに同調する。手を握った形で、男の体から離していく。結晶体が完全に抜けると同時に、男は脱力してそのまま気絶する。その腕輪からは『EDNA回収完了』という音声が流れた。
その瞬間、二階の研究室から歓声がわく。研究員達は自分たちの研究が成功した事の喜びに浸っていた。だが、サイガは倒れた男を無表情で見ながら、サイガはそのまま踵を返し、部屋の外に出て行った。
『第一実験終了。結果は成功しました。計画通り、プロジェクト第二段階EDNAの回収を開始したいと思います』
その報告に、研究室にいたスーツの男が口もとを歪める。その表情は貪欲な人の、欲望の象徴のようだった。そして男はこう言った。
「さぁ、盛大に続けようじゃないか! 我らがEDNAプロジェクトを!」
その呼びかけに周りの研究員達も歓声を上げる。その歓声を男は聞き終わると、研究室から出て行った。だが、部屋から出ると男は先ほどまでの笑みを消して、無表情になっていた。
エレベーターにカードキーをかざし、乗り込む。その行き先は、地下にあるこの階層よりも、もっと深い地下の階層だった。エレベーターは静かに地中深くへ降りていく。目的の階層に着くと、男はそのまま通路を歩いていった。
通路の奥には装甲扉があった。その横には、多くの人物認証システムが付いた装置があった。男は、指紋認証や網膜認証など厳重なシステムを全て行い、やっと扉を開けて中に入る事ができた。男は扉の中に入っていく。
その部屋は、特殊な部屋だった。部屋の中心にはいくつかの柱が立っており、その中には蛍光色の光る液体が入っていた。そして、その柱の中心には機械によって出来た柱が立っていた。その柱からは無数のコードが繋がっていた。
「マザー、今回の実験成功いたしました。この後は計画通り、EDNAの収集に入ります」
男はその柱に向かって跪き、マザーと呼んでいた。柱からは、女性の声が聞こえてくる。
『問題ない、そのまま計画を実行。早急にEDNAを回収しなさい。私の計画も順調に進んでいます。その為の人物も決定しました』
「そうですか……。それでは、また後ほど報告に参ります」
男はそのまま、一礼をして部屋から出て行った。その様子を見届けた、マザーと呼ばれる柱はその前にホログラフィーで作られた若い男子が映し出される。そのホログラフィーの男子は右手首に青く光る腕輪をしていた。
『さぁ、回り始めなさい。私の選んだ最高の歯車……』
部屋の中にその声が静かに響き渡った。それが、すべての始まりだった……。
第一章
世界は進化していた。
二十一世紀前半に発達した機械は大きな発展を遂げていた。縮小化の進んでいた機械、主に携帯電話やPC等は二十一世紀後半の間に発展を遂げ、その大きさは比較的にならないほど縮小化され、一つの形に統合されていた。
その形は――腕輪。通称 ITR(アイティーアール)(Integrated Technical Ring)と呼ばれる。
その大きさはアクセサリーの腕輪等と変わらない物だが、その中には想像出来ない程のあらゆる高度な機械が統合され、組み込まれている。搭載されている機能には様々なものがあり、身分証明やクレジット機能、軽度の身体補助や頭脳補助など、人間の体にも影響する物まで組み込まれているほどだ。
それほどまでにITRがあれば、今まで持ち歩いていた物の大概が不必要になるほどに、その統合された機械の数は膨大だった。
それは、発展というよりも進化という方が正しかった。
ITRはさほど時間をかける事無く、二十一世紀終盤には全世界に認められ、全ての人間はITRを所持する様になった……。
いつの時代になろうが中学三年生にとっては、日本の冬で今、何が一番大切かと聞かれれば「高校受験」という言葉しか出てこないだろう。
週末に通っている塾から大勢の塾生とまぎれて出てきた『レイ・ガーディア』もその中に漏れずに入っていた。レイはITRに入っている参考書を電子ディスプレイに映しながら歩き始める。参考書を見てはいるが、実際には頭の中には極少量の知識しか入っていかない。
元々頭が悪い方では無いのだが、彼の頭には現代の機械学や数理学しか頭に無く、テスト科目である英語と国語は完璧に苦手だった。勿論、受験する高校も理系にするつもりだが、どんな高校にもテスト科目には定番である国語と英語は必ず入っていた。
都心のビル風が冬の冷たさと共にレイの顔を撫でる。その風の冷たさにレイはコートの中に首を縮めた。黒いコートに彼の深い紺色の髪が重なる。
世界の技術がいくら進化しようと世界の自然現象はどうする事も出来ない。
マフラーでも持ってくれば良かったなと思っていると、不意に後ろから首に毛糸のマフラーが掛けられる。
「そんなに寒いならマフラーを持ってきたら良かったのに」
「……今、俺もそう思ってた」
振り向いた先に居たのは、レイの幼馴染であるミリア・ネイルスだった。暗くなった街の中でも彼女の光輝く長い髪と目は、はっきりとその色と顔の輪郭を鮮やかに見せていた。
ミリアは少し背伸びをして男物ではないピンク色のマフラーを首に丁寧に巻いてくれる。暖かければピンク色でも帰るまでは我慢しようとレイは思った。
「受験生なんだから体調はしっかり管理しなきゃいけないんだよ? ITRだって完璧に体調管理してくれるんじゃないんだから」
「あぁ、分かってるよ」
幼馴染のおせっかいな忠告に一応返事をしておく。ミリアは昔から何かとレイに引っ付いては世話を焼いていた。レイもその事は特に迷惑がったりしないので、その関係は仲の良い兄妹のようなものだった。
マフラーを巻き終えると二人はそのまま歩き始める。住んでいる家はマンションなので、今居る新渋谷駅から住宅街にリニアで帰る事になる。幼馴染だけに住んでいる部屋が隣同士なので、塾からは家までこのままずっと一緒だ。
「今日の晩御飯はどうするの?」
「まだ決めてないな……」
レイは現在一人暮らしである。両親は仕事で長期にわたって海外に行っている。年に数えるほどしか帰ってこない。その為、ミリアの家で晩御飯を食べさせてもらっている事が度々ある。
「じゃあ、今日は私の家で晩御飯は決定ね! 私、頑張って作るから期待してて!」
半強制的に決まった今日の晩御飯だが、ミリアとおばさんの作る料理は美味しいので、今日の晩御飯は考えなくていいな、とレイは気楽な事を思った。ミリアもレイが家に来る事が本当に嬉しいようで、子供の様な無邪気な顔で微笑んでいる。
その姿は街の街頭に照らされて、天使のように幻想的に見えた。レイは幼馴染みだからいつもは分からないのだが、ミリアは可愛く見える容姿である。たまに見せるその笑顔に、自覚はしていないつもりであるが軽く恋心をもっているのかもしれない。
そんな感じで見とれているうちに駅前についた。広い駅前には人は絶えなかった。しかし、駅の中は広くそんなに混雑はしていなかった。改札にITRをかざし、通り抜ける。ホームを頻繁に行き来しているリニアはゆっくりと目の前で停車した。乗り込んだ車内はまったく混んでおらず、二人は席に座り、発車するリニアに乗って住宅街へと揺られていった。
ミリアの家で晩御飯をご馳走になったレイは、自分の部屋で食休みを取っていた。この後も眠るまで時間があるので、少ししたら勉強をしようと考えていた。その間に、インターネットでネットサーフィンでもしようと思った。それがレイの勉強疲れを解消する、楽しみの一つだからだ。
ITRに対し、音声入力でインターネットを開くように命令する。しかし、インターネットブラウザを開く前にITRからこんな忠告が流れた。
『ITRは現在から、アップデートに入ります。重要機能以外は使用不可となりますので、ご注意ください』
「あ〜、そういえば今日は日曜日だったか……」
今日は十二月の六日だ。ITRは毎月の第一日曜日にアップデートをする。その時間帯はインターネットやメール機能は時間短縮の為、使用不可になる。アップデート自体に掛かる時間は二十分程度だが、今のレイにはそれ以外には勉強を除いてやりたい事は無かった為、その二十分がとても長く感じる。
「早く終わんないかな……」
その二十分を待っているうちにレイに満腹感による眠気が襲い掛かってきていた。アップデートはもうすぐ終わる時間だったが、いつの間にかゆっくりと眠りに落ちていた……。
眠りに落ちたレイには分からなかったがその後、ITRからはアップデート終了の知らせは流れなかった……。
レイは朝日に気づき、静かに目を開けた。寝起きの頭をフル回転させ自分が昨日、いつの間にか眠ってしまった事に気がついた。
「今、何時だ……」
レイは仰向けのままITRの時計機能を呼び出そうとするが、何故かITRからは時計の時刻は出なかった。しかし、時計の時刻とは別に赤い文字で、アップデート失敗とデータ破損の文字が浮かび上がった。レイはその文字を見た少しの間、その事実を受け入れるのに時間が掛かった。
「……えっ、ええっ」
事態を把握していくにつれて、その顔の色は血の気が引いたように青白くなっていく。それもそのはずだ。ITRは全ての人間に対して、生まれた時に必ず渡される。渡されたITRは生涯にわたって使っていく物だが、壊れた時の修理費や改造費などは馬鹿にならないほど高く、お金が掛かる。
それだけではない、ITRには身分証明データやクレジットデータ等も入っている為、無くしたり、壊れた場合、この現代社会では生活自体が脅かされるのだ。
「うっ、嘘だろ……」
未だ、信じがたい出来事にレイは頭を抱えて悩み始める。その時、部屋の中に玄関のチャイムが響き渡る。そのチャイムの音に悩む事さえ中断させられた。
連続して鳴らされる音に、レイはゆっくりと体を起こしインターフォンに出る。
『あっ、やっと出た。レイ、お早うー』
やかましい程に元気なミリアの声がインターフォンから流れる。しかし、その挨拶にいつも通りに答える事は出来なかった。
「あぁ……、お早う……」
『どうしたの……? 朝はいつも元気じゃないけど、今日は一段と元気ないよね……?』
レイの蒼白した顔を見たミリアは、その様子のおかしさに気がつく。そんなレイも何とか気を振り絞り現状を説明する。
「実は、朝起きたらITRが壊れてたんだ……」
『えっ……、それ本当……?』
「嘘なんて吐くはず無いだろう。これから修理に出さなきゃいけない……」
『あ〜、ご愁傷さま……』
ミリアもレイが落ち込む原因が分かり、その出来事に同情する。だが、レイには落ち込んでいる時間も無かった。
『でも、修理に出すなら早く行かないと学校に間に合わないよ?』
「分かってる。今すぐ仕度する……」
そういうと一度インターフォンを切り、私服から学校指定の制服に着替える。洗顔等も軽く済ませ、学校へ行く準備をすぐに終わらせた。外へ出ようと鍵を開け、扉を開ける。
「待たせた」
さっきよりはまともな顔でミリアにそう言うと、いつも通りに扉を閉めた。ドアからはモーターの回転音がして、自動ロックされる。
「「あっ……」」
しかし、二人そろえてその出来事に気がつく。扉の鍵もITRに入っている為、鍵が閉まったというのは、結果的にレイは部屋から締め出されたという事になった証拠だった。
しばらく沈黙した後、レイはミリアに背中を押されてマンションから出る事になった……。二人は住宅街の駅へ向かった。本来ならこのまま学区地域へのリニアに乗ればいいのだが、ITRが無ければリニアに乗る事は出来ない。レイは駅の前でミリアに学校へ遅刻する理由を伝えてくれと言い、そこで別れた。
ITRが壊れた場合、まずは仮のITRを受け取りに行く事になる。その為、駅のすぐそばにあるITR管理センターにレイは足を運んだ。
ITR管理センターは国の電子機器を管理しているマザーコンピュータの一部分である。マザーコンピュータとはITRの開発と共に作り出されたスーパーコンピューターだ。AIを搭載しており、その知能は限りなく人間に近く、国家すらもその演算能力や作り出すプロジェクトに一目置いている。その権限は政府にも通用するほどのものだ。
ITR管理センターに入り、そこにある無人対応機に話しかける。
「ITRが壊れたので修理を頼む」
その言葉に反応するように目の前にあるディスプレイに女性の姿が映しだされる。実際にはこの女性もグラフィックの作り物であり、現実にはいない人である。
『承知致しました。では、画面下のトレイにITRを置いてください』
アナウンスが流れるとディスプレイの下からトレイが出てきた。アナウンスの言う通りにITRを外し、トレイに乗せる。トレイはITRを乗せたままディスプレイの下に戻っていった。
『少々お待ちください。ITRの損傷を確認しています』
レイはITRの無い腕に違和感を覚えながら、どうか損傷が少ないようにと強く願っていた。
もし、データの破損度が高ければ、データの再登録をするのに掛かる値段も比例して高くなる。両親が共働きをしていて家計には問題は無いといっても、その責任はレイに一任され、小遣いから修理費が引かれていく事になるだろう……。
そんな最悪の事態を考えていると、再びアナウンスが流れた。レイは、その内容を聞き漏らさないように耳を傾ける。
『お待たせいたしました。お客様がお持ちになったITRの損傷状態の確認が終わりました』
「それで、結果は!」
AIによって制御されているとはいえ所詮は機械、それに問い詰めるまでにレイは切羽詰まっていた。アナウンスの流れるまでの間に、嫌な緊張感が高まる。
『お客様のITRは、初期データおよび身分データ等が全て破損しておりました。損害の状況は重度になります。その為、代理品として仮のITRを発行させていただきます。修理までにはおおよそ三日ほど掛かりますがご了承ください』
流れたアナウンスはレイにとって想定していた最悪のものであった。データの全破損。つまりそれは、修理にはかなりの金額が請求されるという事だ。残酷な結末にも関わらずディスプレイには、淡々と個人情報の登録画面が浮かび上がる。
最悪の結末にうな垂れながらも、レイは個人情報をディスプレイに打ち込んでいった……。
登録が完了すると、ITRが乗ったトレイがもう一度出てきた。しかし、そのITRには最低限の情報データしか入らず、当分の間は不便な生活が続くだろう。インターネットが出来ないのがとても苦痛だとレイは感じていた。
出てきた仮のITRを腕にはめるとトボトボとITR管理センターを出て行った。出て行く時に流れた『ご利用ありがとうございました』というアナウンスが、無情にもレイの心に突き刺さっていた。
学校へたどり着いたのは一時限目が終った頃だった。教室に入るとすぐにミリアがレイに気づいた。レイの席はミリアの斜め右後ろなので、自分の席に座ろうと歩み寄る。
「ITRどうだった?」
「駄目だった……、全データの損傷だって言われた」
自分の席に着きながら、ITRの損害結果をミリアに話す。
「全データ損傷……? そんなに乱暴に扱ってたの?」
「対ショック金属をどう人間の力で扱ったら壊れるんだよ。あれは俺のせいじゃない」
「……保険が適用されるといいね」
そんな朝と変わらないような会話も、後ろから背中に引っ付いてきた者の闖入で遮られた。顔の横には、レイと同じくらいの短い髪と丸眼鏡が見える。
「へぇ〜、レイのITRが壊れたって聞いたけど、そんなにひどく逝っちゃってたんだ」
話の最中に割り込んできたのはクラス一、機械オタクと呼ばれているナオル・ゲイジだ。彼はITRや機械の事になると、どこからかすぐに飛んできて会話に混ざってくる。一応、レイとミリアの昔からの友達である。
「人のITRが壊れたのがそんなに嬉しいのか? ナオル」
「だってさ〜、一般支給されているITRなんてもうサンプルは取り飽きてるんだよ〜。だけど、今回は応急的に与えられた仮ITRだろ? そんな物のサンプルは偶にしか採れないから貴重なんだよ〜」
レイの背中にまとわり付いていたナオルを振り払う。
「お前は労わるって言葉を知らないのか!」
「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。んで、今日辺りにサンプル取らせてよ〜」
人の話をまったく聞いていないナオルにレイは反論する事を諦める。その後もナオルは興味津々にレイのITRを触って専門的な用語を楽しそうに呟いていた。
高校のカリキュラムは受験が近い為か、自習や集中的な模擬テストが大半だった。こんな時期には、多くの生徒は塾での勉強かオンライン教育の方を重要視しており、学校の授業は後回しになる。かく言うレイ達もそれなりの高校を狙っているので、塾から貰った総復習データの方を優先して勉強していた。
HRでは体調管理についてと勉強に励むように言われた程度ですぐに解散となった。
塾は週末の二日間しか入れていないので、今日の放課後は自由な時間があったが、塾以外でもレイは真面目に放課後も勉強をしていた。しかし、今日は朝にナオルと約束した事があるので真っ直ぐ家に帰りはしなかった。
「よし! んじゃ、さっさと俺んちに行こうか。楽しみだなぁ〜」
「はっきりと喜ぶな! 少しは同情しろよ……」
レイとナオルはミリアに別れを告げ、そのまま学区地域の駅へ向かった。ナオルの家は住宅街ではなく商業地域にある。家がITR製品店でその二階からが彼の家なのだ。ナオルが機械オタクになった理由もそのせいが有る可能性が高い。
二階の部屋へ通されたレイは、毎回来る度に増えていく怪しい機械に圧倒される。今回も前回は無かった工作機械の様な物が部屋に設置されていた。
「さぁて、じゃあまずは外見分析からじっくりいこうか!」
鼻息を荒くしたナオルが、レイのITRを分析器に次々と掛けていく。その間、レイは暇になる為、部屋の中をかまわず物色する。危険そうなものには触れたりはしないが、偶にナオルの部屋には隠れた発掘品があるのだ。
そんな事をしていると、新しく置かれていた工作機械のすぐ横に何やら剣の握り柄の様な物があった。
「なぁ、これって何なんだ?」
解析用のPCに向かって座っているナオルがその作業を止めて、こちらを向いてくる。その顔は実に邪悪な、にやけ顔だった。
「良くぞ聞いてくれた! それに目をつけたレイはやっぱり僕の親友だけはあるよ!」
鼻を高くして威張っているナオルは、次のような説明を自信満々に説明した。
「それは僕特製の電子ソードさ! 軍が使っている電子ソードに引けを取らない程の高出力を維持できる様に改造してある、一級品だよ!」
「お前……、それって銃刀法違反じゃねぇ……?」
「大丈夫! それは出力の調整も出来るから安心さ!」
「そういう問題か……?」
電子ソードは、その刃の切れ味によって級位がつけられる。級位は一から五まであり一から三は特殊な許可証がないと持っていれば犯罪になる。
「馬鹿だなぁ、レイは。ばれなきゃいいんだよ。そんな臆病な事じゃ、科学は進歩しないんだよ!」
「お前って本当に唯我独尊だな……」
そう言った後、二人の会話は途切れた。レイも物色するものが無くなり、ナオルも分析に集中しているようだった。暇になったレイは鞄から紙の参考書を開き黙々と勉強をし始めた……。
ナオルの家に来てから三時間、ずっとITRの分析をしていたナオルがやっと椅子から腰を上げた。どうやら分析はもう済んだらしい。ナオルはレイにITRを返して、満足げに今日の収穫を解説していた。
「俺はもうそろそろ帰らせてもらうぞ。今日は夕飯も作んないといけないし」
「あぁ、つき合わせて悪かったよ。まぁ、大量の収穫が有ったからこっちの方が礼をしなきゃいけないな」
そう言うと、ナオルは作業台からさっきの電子ソード取ってレイに渡した。
「何だよ、これ……」
「今日のお礼だよ。まだ試作品だけど十分な威力を発揮すると思うんだ。だから、レイにちょっと使ってみて欲しいなー、なんて?」
「結局目的はそれかよ。剣なんてもう何年も握ってないぞ」
「いいだろ、今度木か何かを切って感想を聞かせてくれればいいだけなんだから」
レイは仕方なく受け取ったソードを鞄の中にしまい込んだ。その表情にはどこか暗い影があった。
ナオルに別れを告げてレイは駅へ向かう。時刻は夕方。今から帰って夕飯を作れば丁度いい時間になるだろうとレイは思っていた。
「今日の夕飯何にしよう……」
昨日と同じような事を言いながら歩いているとITRにメールが届く。その送り先はITR管理センターからだった。
メールを開き、その内容を確認する。それは、今朝出した自分のITRに関する事だった。
『レイ・ガーディア様、この度は当システムをご利用いただきありがとうございます。お客様のITRは修理が終わりました。後日、修理代と仮ITRを持ってITR管理センターにお受け取りにお越しください。なお、お客様の損害状態はデータのみでしたので、損害状態のランクを重度から軽度に変更せていただきます』
その内容は少しおかしな所があった。今日の朝出したITRがもう修理が終わり返ってくるというのだ。しかし、ITRがそんな簡単に直ってくる筈は恐らく無い。レイはその内容の理解に少しの時間が掛かった。
外装的には壊れている場所は無かったが、システムの全入れ直しと最新のパーソナルデータを入れるとなると、それは時間の掛かるものだという事が普通である。一般知識としてそんなに早くITRが直るものではないと分かってはいたが、レイはその情報に気になる点を見つけた。
「損害のランクが重度から軽度になった?」
その情報が正しければ、今日中にITRが直った事も納得がいく。損傷が軽度だとすると恐らくはアップデートの失敗により、その他の情報が引き出せなくなった可能性があったからだ。それならば、もう一度アップデートすれば状態は簡単に直るからである。
しかし、レイはその疑問よりも早く今までの様な便利な生活を、特にインターネットをしたかったので、本当にITRが直ったのか確かめに向った。
住宅街の駅に着いたレイは、ITR管理センターに急いで向かう。一刻も早く自分のITRを手にしたくてたまらなかったのだ。
センターの中に入ると、すぐに無人対応機にITRを取りに来た事を言い、メールに書いてあったコード番号を音声入力する。
『コード番号を認証しました。どうぞ、ITRをお受け取りください』
そのアナウンスと同時にトレイが出てくる。そこには自分のITRがあった。
レイはさっそくITRを腕にはめた。そして、自分の身分証明やクレジット、インターネットができる事を確認した。
「やった、本当に直ってるよ……。やっぱり、アップデートの失敗だけだったんだな」
思ってもみなかった出来事にレイは驚いた。しかし、そんな事もITRが返ってきた事によりどうでも良くなっていた。何しろ、実際に直ってきたのだから。レイはすぐさま、仮ITRの返却と修理費の支払いを済ませると、早々とセンターを後にした。
家に着いたレイは、風呂と夕飯を適当に済ませてネットサーフィンを楽しんでいた。やはり、自分のITRが一番だなと思いながらサイトを巡っていると、ある掲示板で新しい情報を発見した。
「何だ、これ? 秀才のスランプ連鎖多発?」
その内容は、こんなものだった。ありとあらゆる分野の天才や秀才が急にスランプに陥ったというのだ。芸術家は絵が描けなくなったり、スポーツマンはその競技が凡人と同じレベルになったり、という事態が連鎖的に多発しているらしい。
「こんなもん一時的なもんだろうに……」
その事件にはあまり関心は向かなかった。レイは幼い頃に戦闘術を習っていた。その時に自分もスランプになった事があったからこそ、それも少し経てば解消されるものだと分かっていたのである。
レイはその記事を読んだ後、ネットを止めて寝る事にした。寝る前に目覚ましのアラームをセットしようとした時、ITRの中に何か分からないプログラムがある事に気づいた。
「なんだこれ? アップデータした、その新しいプログラムか? EDNA Search?」
レイはそのプログラムを起動した。すると、電子ディスプレイにこの街一帯の地図が現れた。その地図にはいくつかの赤い点があり、何かを示しているようだった。
「地図だけじゃないよな? なんだろ、この赤い点」
少しの間、その赤い点を見ているとその中の一つの赤い点が消えた。
「なんなんだこれ……? アップデート情報に書いてないし……」
訳の分からないプログラムに見飽きたレイはプログラムを閉じて気にしない事にした。
アラームをセットしたレイは、そのまま眠りについた。
二章
『調査報告レポート』
『EDNA(エドナ)プロジェクトに支障発生。五つのAbsorb Ring(アブソーブ リング)のうち、一つの所在が不明になった。このAbsorb Ringの所在はマザーコンピュータでも確認が取れずにいる。内部犯による盗難の可能性が大きい為、急激なEDNAの回収を一時停止。一般市民の中から少しずつ、EDNAを回収する事にする。他の四つのAbsorb Ring所持者は上記に従いそのまま任務を実行せよ』
指定された時刻に、腕についているITRからアラームが鳴り響く。その音にレイは気がつくが朝が苦手なので、大抵はこの程度では起きられない。アラームが鳴り響き続ける中、もう一つのアラームが鳴り始める。
昨日と同じく玄関からチャイムの連打する音が追加される。朝のミリアによる起床チェックだ。部屋の中が騒音で満たされる頃、ようやくレイは体を起こす事が出来た……。
昨日程ではないが、ゆっくりとインターフォンに出て鍵を開ける。そうすると、玄関からミリアがやってくる足音が聞こえた。
「お早う、レイ! やっぱり朝はまだ弱いんだね〜」
「低血圧だからな……、朝だけはどうしても駄目なんだよ。夜は体調がいいんだけどな……」
その言葉にミリアは反応する。しまったと思った時にはすでにミリアはお叱りモードに入っていた……。
「どうせ昨日も夜遅くまで遊んでたんでしょ。自分が受験生だって事、分かってるの?」
ミリアはそう言いながら、レイに詰め寄っていく。言い訳できない状況に、その事を認めざるをおえなかった。
「はぁ〜、レイってばまだ、ただの学生気分なのね」
「そんなことは無いよ。ちゃんと勉強する時はしている。ただ、昨日は俺のITRが返ってきたから、ついネットに打ち込んじゃって……」
「えっ? レイのITR返ってきたの? 重度の損傷だって言ってたじゃない!」
レイの口から出た言葉にミリアは信じられないように大げさに言う。レイは食パンを焼きながら、事実の説明をする。
「損傷の内容がアップデートの失敗が原因だったんだ。おそらくアップデートで半端になったシステムが、中のデータを読み込めなくてデータ破損って結果が出たんだろ」
「へぇ、そういう事ってあるんだ。災難だったね……」
「まぁ、もう今は問題ないんだし、気にしてないさ」
そういうとレイは、焼けたパンをそのまま数口で食べ終わり、自室に戻った後、制服に着替えてリビングに戻った。今日は時間もまだたっぷりとある為、ゆっくりと登校出来るだろう。
準備が終わったレイは、マンションから出てミリアと一緒に駅へと向かった。ホームに入ると朝のラッシュのせいで人があふれる様にたくさん居た。リニアに乗り込む事は出来るが、中は満員状態であり、二人共に人混みの中に埋もれていた。
次の駅に着くと、降りる人と乗り込む人でリニアの扉付近では人の流れが出来る。降りた人と乗ってきた人の数は変わらないのでリニアはまだ満員状態だが、その流れによって人の居るスペースが変わる。レイは横に居たミリアが立ち辛そうにしているのに気づいたようで丁度、自分の居た壁際にミリアを引き寄せた。自分が壁に手を着きミリアが居るには十分な空間を作り出す。引き寄せた時にミリアの長い髪からふわりと優しい匂いがした。
「こっちの方が……、楽だろ……」
「うっ、うん。ありがとう……」
レイは特別な気持ちは考え様としなかったが、ミリアの顔は少しだけ紅潮していた……。その様子を見たレイも変にミリアの事を意識してしまう。そんな事を考えないようにしようとレイはITRから参考書のデータを開き、その気持ちを誤魔化していた。
学区地域に着いた二人はリニアから降りて歩き始めた。だが向かう先は学校ではなく、駐輪場である。
学校は比較的に駅からは遠くないので歩いて十分から十五分程度で着く。しかし、歩いて十分といわれると時間的には短いように聞こえるが結構な小手間になるのだ。
その為、レイは駅近くにある駐輪場にミニバイクを置いている。ミニバイクは免許こそは要らないがモーターがついており、簡易的なバイクに相当するような物だ。人が歩くよりは数倍早いだろう。ミリアも、いつもこのミニバイクに乗せてもらっている。
ミニバイクのモーターを起動させヘルメットを被る。後部のフレームに腰を乗せてミリアも準備が出来たようだ。レイはアクセルを回し、ミニバイクを発進させる。公道に出てからはさらにアクセルを回し、スピードを上げる。歩いている生徒達を次々と追い越していく光景は、少しだけ二人の優越感を引き出していた。
ミニバイクのおかげで学校には五分程度で着いた。二人はミニバイクを学校の駐輪上に停車させて、教室へと向かう。教室に向かう間、ずっと他愛の無い事を話し続けていた。だが、教室の前に着いた時、二人は教室で何か騒ぎが起きている事に気がついた。
教室の前には生徒の人だかりが出来ており、中では誰かが喚き散らしている声が聞こえた。
人混みを掻き分け教室に入るとそこには、クラスメイトの女子である、ネーア・タイラーが電子カッターを持って暴れていた。彼女は、近くにあるものに対して当り散らすように電子カッターを振り回している。
そんな様子を見ていた人の中にナオルを見つけた。レイはゆっくりとナオルに近づき状況を聞こうとする。
「おいナオル、一体何が起きているんだ」
「あっ、レイ。いやそれが、僕らも良く分かんないんだ。最初はいつも通り登校してきたんだけど、他の女子と話してるうちにいきなり暴れだして……」
「男子の誰かが止めなかったのかよ!」
「止めようとしたんだ。だけど、ネーアの力が強すぎて抑えられなかったんだ」
「力が強い……?」
レイとナオルが話している間、ミリアはその出来事に衝撃を受けていた。何しろ、ネーアはミリアと同じ彫刻部員であり、とても仲の良い友人だったからだ。レイもミリアの紹介で話した事がある。彼女は、セミロングに綺麗な目の清純そうな女子だった。だが、そんな彼女の目は闇に浸り濁っているように見えた。
ミリアは、たじろぎながらもネーアに話しかける。レイと他のクラスメイトもその様子を見守る。
「ネーア! どうしてこんな事をするの、止めてよ!」
その言葉にネーアが反応する。息を乱しながらミリアの方を向くと興奮した状態のままで、怒鳴りつけてきた。
「うるさいっ! ミリアにあたしの悩みの何が分かるっていうのよ!」
その怒鳴り声にも怯まずにミリアはネーアに話しかけ続ける。
「ネーアの悩みってなんなの? それを教えて? いつもみたいに相談に乗るから!」
「……ミリアも知っているでしょ。有名人のスランプ連鎖多発の出来事……」
その言葉に、レイは昨日のネットでの掲示板の情報を思い出していた。
「あたしは、まだ作品を作りたいの! スランプなんかになりたくない! だからあたしは周りの部員がスランプになる前に、みんなを消さなきゃいけないの!」
その言葉にミリアはネーアの後ろに横たわる彫刻部の部員を目にした。体の至る所に軽い裂傷がある。
「そう……、だからね。ミリア。貴方も消えて……!」
その言葉をネーアが発すると同時にミリアに向かって走り始めていた。ミリアは突然の行動にまったく反応出来ていない。他の人も同様にそのまま立ち尽くしたままだった。
「ミリア!」
しかし、レイだけはその動きに反応してミリアの前に走り出していた。その反応速度は異常なほどに早く、ミリアに向かって振られる電子カッターを寸前で握り止めていた。手のひらから血が出るが、かまわず刃を握り締め続ける。
「離せぇ! 離さないとお前も一緒に消すぞ!」
その表情と口調はすでに狂っていた。もはやそこには、昔話した時のネーアの面影は無くなっていた。電子カッターをレイの手から何とか取り返したネーアは、もう一度。今度は先にレイを狙って電子カッターを突き出すような形で構えてきた。
レイにはその姿は、昔にあったある事件の犯人と被って見えた。脳裏にその出来事が思い出される……。
まだ二人が小学校三年生の頃、レイは戦闘術を学んでいた。両親がよく外出している為、万が一の時に対応できるように、という理由で訓練を受けさせられていたのだ。しかし、それは別に嫌な事ではなかった。戦闘術を教えていてくれた先生が教えてくれた言葉が心の中に残っていたのだ。
それは、『この力は、自分を守る事も他人を傷つける事も出来るが、一番は自分の大切な人を守れる』という言葉だった。
幼かったレイには難しい意味は分からなかったが、当時のレイはミリアの事がとても大切な存在だった。一人ぼっちだったレイのそばにミリアがいつも居てくれたからだ。
だから、レイは幼いなりにミリアを守るという意思を持ち、訓練に励んでいた。
しかし、ある日の訓練帰りに事件が起きた。訓練が終わったレイはいつも通りにミリアと家に帰る途中だった。だが、そこに電子包丁を持った変質者が二人の前に現れたのだった。
レイは変質者からミリアを守ろうとした。だが、小学生のレイにはいくら戦闘術を学んでいたとしても大人には勝てるはずも無かった。レイも怪我を負い、ミリアは一時的に意識不明にまでなる重傷を負った。犯人はすぐに捕まったが、レイはミリアを守れなかった事に激しく落ち込んだ。
その後、レイは戦闘術を学ぶ事をやめた……。
レイは今、犯人の姿をネーアと重ねて見ていた。激しく心臓が脈動し、汗が額から流れる。心の中で思っていた。自分は今度こそ、ミリアを守れるのだろうか。そんな疑問を延々と繰り返していた。
だが、ネーアはうなり声を上げて襲い掛かってくる。その間の中でレイが出した答えは、昔と変わらない、純粋な思いだけだった。
『俺は……、ミリアを守りたい!』
思いを強く決意したレイは、ネーアに対して戦闘態勢をとった。
両腕を突き出して突進してくるネーアに対して、レイも同じく走り出す。ネーアの電子カッターが刺さりそうになる刹那、レイは体を横に逸らしネーアの腕を掴む。ネーアは突進した勢いでそのまま前に突き進むが、その足をレイは払い飛ばす。
ネーアはそのまま、地面にうつ伏せになる様に倒れこんだ。すかさずそこに、腕を掴んでいたレイがネーアの腕を後ろに捻りあげる。腕からは電子カッターが床に落ちて転がっていった。
「ナオル! 電子カッターを遠ざけてくれ!」
その言葉にナオルは反応し、電子カッターを回収する。これで、何とかなったと思ったがネーアは捻りあげられた腕を無理に動かし始めた。
「やめろ! 下手に動かすと骨が折れるぞ!」
だが、その言葉はもうネーアには届いていなかった。ネーアの腕に一層力が入りそうになったのを感じたレイは、その腕を開放する。しかし、その瞬間レイはネーアによって壁際まで突き飛ばされた。その力は、男の中でもそうそう持っていない様な物凄い腕力だった。
立ち上がったネーアはレイに対し、的確な殺意を持っていた。しかし、レイはあの強力な力は自分には抑えられない、そう思っていた。
その時だった。レイのITRから謎の文字が浮かびあがる。
『コード DNA Absorbを使え。そうすればこの状況は打破できる』
レイはこの文字に驚いた。いきなり表示された文字には今、この場において起きている事を的確に知っているように書いてあった。だが、今のレイにはこの文章に書いてある事に注目する事しか出来なかった。
レイはこの情報が信用できるのか考えていた。しかし、そんな事を考える暇もなく、ネーアが襲い掛かってきた。
このままでは自分が危ないと思った。他の人を守る前に自分がやられては意味がない。その為、レイはDNA Absorbというものを使うしか、他に道は無かった。
「コード入力 DNA Absorb 起動」
その言葉を唱えるとITRから『コード認証』という音声が流れた。それと同時にレイのITRの周りに青色の幾何学模様の付いた電子結晶体が現れる。電子結晶体は次々と形を変えて、最終的にはレイの手の周りに張り付く様な形で固定された。そして、また新しい文字が浮かび上がる。
『相手の体にそれを打ち込め』
その言葉を信じるかどうかは、もはや時間がなかった。ネーアはすでに目の前まで迫っていた。レイは先ほどと同じように構え、ネーアが攻撃してくる瞬間を待った。ネーアはレイに対して大振りな動作で拳を突き出してきた。しかし、その動きは力こそはあるもののスピードは無かった。
レイは相手の懐に潜り込む様にしゃがみ、ネーアの胴体の鳩尾に掌底を繰り出した。命中したネーアの体は、前のめりに傾く。
「ああぁぁぁっ!」
レイは掌底をそこまで強く入れたとは思わなかったのだが、ネーアは悲鳴を上げた。力の加減を間違えたのかと思ったレイだったがそれは違った。なんと、手の周りに付いていた電子結晶体がネーアの体の中に入っていたのだ。
レイはその出来事に驚いたが、その結晶体はすぐにネーアの体から出てきた。その電子結晶体からは何かを取り出した様な感覚が伝わってきていた。その後、ITRからは『EDNA回収完了』という音声が流れ、電子結晶体も霧散して消えていった……。
ネーアはそのまま気を失い倒れこんだ。体に外傷はなかったが相当な興奮状態にあった為、頭に何か異常が残らないかレイは心配した。ふと、気づけば回りにはすでに教師達も集まっていた。レイとネーアの戦いを見て固まっていたのである。二人の戦いは普通の人間には対処できないようなものだったらしい。
しかし、レイも手のひらに大きな傷を負っており、教室の床に座り込んだ。それと同時に教師達もようやく動くはじめ、事態はなんとか収束された……。
学校全体を巻き込むほどに大きくなったこの事件により、今日は緊急休校となった。レイはネーアと同じく救急車に乗せられ病院へ運ばれた。レイの傷は二針縫う程度ですんだが、ネーアの方は集中検査室に運ばれていった。レイの治療が終わってから三十分経つが未だ、その部屋からは出てこない……。
その後、ネーアの親が来た事もあって、病院を後にした。外に出たレイを待っていたのはミリアとナオルだった。
「レイ! 手の怪我は平気なの……?」
「うん、二針縫うだけで済んだよ」
「そう、良かった……」
そういうとミリアは今まで我慢していたものが耐え切れなくなったのか、涙を流し始めた。ミリアの白い肌を涙が伝い落ちる。
「ごめんね……。私のせいで……。レイが怪我する事になって……」
「おいっ、泣くなよ。俺は自分でミリアを守りたいと思ったから戦ったんだ。ミリアが責任感じる事ないよ」
ミリアが泣き始めた事にレイは動揺する。男とは皆、女の涙に弱いという風に決まっている。
「でも……」
「いいんだ! 逆に泣かれる方が俺は辛いから、泣きやんでくれ……」
「グスッ……、うん。分かった……」
ミリアはそう話した後、涙を拭いて微笑んだ。
その笑顔に、レイも微笑み返す。
「あ〜、お二人さん。仲が良いのは良いんだが。俺がいる事を考えてくれないか?」
そう言ったナオルがここにいる事を、二人は完璧に忘れていた。その事実に、二人そろって赤面する。ナオルはその様子に軽いため息を付いていた。
「まぁ、それは良いとして。家で今日あった事を話さないか?」
その提案に反し、レイとしてはこのまま家に帰りたかった。何しろネーアとの戦いで疲れたし、このITRの事も気になっていたからである。
「一体何を話すんだよ……?」
「ネーアの精神状態は確実におかしかった。あれはもう、精神錯乱程度じゃ済まされない程のものだよ。それと、あの強力な腕力についても。あれも女の子としてはありえない力だった。そして……、一番の謎はレイのITRから出た電子結晶体だよ」
ナオルの的確な観察能力にレイは沈黙する。あの状況の中でよくそれだけの事を確認できたな、とレイは思っていた。
「っていうか。そんなに冷静だったなら、俺に加勢ぐらいしろよ……」
「馬鹿言え。あんな戦闘に巻き込まれたら、僕は死んじゃうよ!」
「軟弱……」
「頭脳派って言えよ!」
いつの間にかレイとナオルの睨み合いに発展していた。今にも取っ組み合いが始まりそうだが、ミリアの繰り出したチョップにより、その場は落ち着いた。
「私もなんでネーアがあんな風になったか知りたいよ。とりあえず、ナオルの家に行こう?」
ミリアにお願いをされたレイはそれ以上、抵抗は出来なくなってしまった。仕方なく、レイは二人の指示に従い。ナオルの家に行く事になった……。
第三章
『調査報告レポート二番』
『EDNAの回収は、ほぼ順調である。しかし、依然としてAbsorb Ringの行方は不明である。追加情報として某県立中学でEDNA関係の事件が発生した可能性が有り。今後もEDNAの連鎖暴走が起きる可能性有り。調査員およびAbsorb Ring所持者を一人派遣する事が決定した』
「さて、まずはネーア・タイラーの錯乱についてから話そうか」
話はナオルが主に進行させていた。この中で頭の回転が速く、冷静に判断できる能力が一番あるのはナオルだったからだ。
「とりあえず、ネーア・タイラーの素性から聞いていこうか。説明してくれる? ミリア」
「うん、いいよ。えっとね……」
ミリアの説明により、ネーア・タイラーのいろいろな事が分かった。いつもはミリアなどと気が合うような、おっとりとした性格だったらしい。私生活では変わった様子は今まで見られなかったようだが、彫刻部の時間では少しだけ神経質になるような兆候が有ったらしい。最近は特にコンクールへの制作があって、普段でも神経質になりがちだったそうだ。
「ふーん、じゃあ性格的には特に問題が無かった訳だ……」
「でも、あの時のネーアは確実におかしかった。なんていうか……。野生的だった……?」
「ちょっとレイ、ネーアを動物みたいに言わないでよ!」
ミリアが変なところで突っかかってくる。そんな事を言われても困るんだけど……。
「でも、あながち外れてはいないよ? 彼女は最後の方はもう、ちゃんとした言葉を使っていなかった。うなり声を上げるような感じだったよ」
「うん……。一体何が原因なんだろう……」
二人が考える中、ナオルが出した結論は次の様な事だった。
「考えられる内容で一番有りそうなのが、ドラッグだろうね」
「そんな……。ネーアがそんな物に手を出すはず無いよ!」
ドラッグ、未だこの国でも不正使用は止められずにいるものだ。
「でも、あの腕力はどうやって説明するんだ?」
「そう、それが問題なんだ!」
ナオルは声を上げて意気込んだ。実にやかましい。
「ドラックを使ったとしても、あそこまでの身体強化なんて出来るはずがない。そうなると他に原因がある可能性がまた出てくるんだ」
「じゃあ、その原因って何なんだよ」
「それが分かれば、僕達がここに集まる必要はないだろ……」
期待をさせておいても、結局はナオルにも原因は分からない様だ。どうやら、病院の診断結果を待つしかないようだった。しかし、ナオルの目はまだ、何か原因を特定出来る様なものが残っている事を語っていた。
「だけど、だ……。僕達にはそれを解く鍵を持っているんだよ!」
ナオルは立ち上がりレイのほうへと向かっていく。そして、レイのITRを指差した。
「これが、今回の謎を解く鍵さ!」
「…………」
レイはその答えに何も言わずにいた。何しろ、自分でさえあの時に使ったプログラムは何なのか理解が出来ていないのだから説明のしようがない。
「レイ、あの時君が出したあの電子結晶体はなんなんだ?」
「分からない……」
その言葉に、ナオルは首を横に振りながら呆れた様に、ため息を吐いた。
「自分で使っておいて分からないは無いだろ……。一体何を隠しているんだ?」
「隠してなんかいないんだ……。あの時はITRから勝手に文字が浮かび上がってきて、それに従っただけなんだよ」
「文字が浮かび上がった?」
そう、あの時確かにレイのITRからは文字が浮かび上がっていた。その内容は、明らかにこのITRに何かが隠されている事を証明していた。レイがそういうと、ナオルはすぐにITRの調査をしたいと言ってきた。
レイは、その事に同意した。レイがITRをナオルに渡すとすぐに解析が始まった。素早いタイピングによって、電子ディスプレイには機械語の羅列が次々と浮かび上がっていく。ITR内の情報を調べているのであろう。こうなると後は、ナオルにすべてを任せるしか出来る事はなかった。
ナオルがITRを調べるのにはあまり時間が掛からなかった。ナオルは不機嫌そうにPCを動かす事を止めて、解析結果を報告した。
「悪い……、僕でもこのITRの解析は完璧には出来なかった……。何個か発見はあったけど……」
レイとミリアはその事実に驚いた。プロではないとはいえ、ナオルのPC技術やITRに関しての知識は、ほかの人には理解できないほど凄いものだったはずだ。しかし、そのナオルでさえ分からない何かが、このITRには入っていたのだ。
「ITRの内部にブラックボックスのようなものが数個あったんだ。解析しようとしたんだけど、そのプロテクトが異様に高度だったから手が出せなかったんだ。このレベルは国家お抱えのプログラマー級だよ……」
その内容を聞いた時、レイの頭にはDNA Absorbの事が思い出されていた。恐らくはそのブラックボックスの中の一つにそのデータがあるのだろう。しかし、レイはその事を二人には話さなかった。二人にはこの出来事に何故か近づけたくなかったのだ。
「そしてもう一つはこれだ。ちょっと見てくれ」
そういうとナオルは電子ディスプレイを見るように言ってきた。画面には二つの画像が写っており、両方とも二本の線が螺旋を描いていた。
「これは……、DNAデータ?」
「そう、これはレイのDNAデータだよ」
「はぁ……?」
その聞き捨てならない言葉に、レイはナオルに対して問い詰める。
「おい、なんでお前が俺のDNAデータなんて持ってるんだよ! ってか、どうやって手に入れた!」
レイはナオルの襟首を掴み、前後に揺さぶる。その姿はまるでいじめっ子のようだ。
「ちょっ、頭を揺さぶるな〜。脳細胞が死ぬ〜」
ナオルは頭をガクガクと揺られながらも喋り続けている。
「こらっ、レイ。話を中断させないの! 重要な事なんだから!」
「確かに重要な事だが、俺にとってもこれは違う意味で重要な事だ〜!」
「そんな事言ってると、今日の夜ずっと、英語と国語の勉強をさせるよ!」
ミリアが理不尽な事を言ってきたので、レイもこれには言い返えした。
「この話に、勉強は関係ないだろうが!」
「じゃあ、本当に今日の夜は英語と国語の勉強をさせるからね! じっくりと!」
「……ごめんなさい」
だが、結局はミリアには口喧嘩では勝てずに、そのまま引き下がる事になる。ナオルから手を離し、電子ディスプレイに目をやる。レイは、不機嫌そうにナオルにさっきの話の続きを聞く。
「んで、俺のDNAデータがどうしたって言うんだ……?」
「あぁ、まずは左のDNAからみてくれ。これはこの間、レイがITRを壊した時に借りてきた仮ITRから読み出したDNAだ」
「「ITRから読み出した?」」
その発言に、二人が同時に疑問の声を上げる。
「そう、僕らの持つITRは装着している人間のDNAデータを採取して管理しているんだよ。プライバシー的にそんな事は、一般人は知らないけどね。これも、体調管理の一種らしいよ」
初めて聞かされる事実に二人は驚いていた。まさか、そこまで自分達の体の情報がそこまで読み取られているとは思ってもいなかった。
「話を戻すよ。そして、右が今日取ったDNAデータだよ。……おかしいと思わない?」
「……っ! DNAの形が変わっている! そんな馬鹿な!」
「間違いじゃないよ。確かにこれは両方ともレイのITRから取ったDNAデータだ」
それは、ありえない事だった。通常は人間のDNAは産まれた時から死ぬまで、その形が変わるはずは無い。DNAの形が変わる事は、人間自体が今までの自分では無くなる事と同じ意味だからだ。その変化はどんなに少しの事でも、変わった時点でまったくの別人になる。
「だけど、俺は特に何も変わってないぞ……」
「何を言っているんだい? 君はあんなにも変わっていたじゃないか? いつもの君はあそこまで運動神経が良かったかい?」
「それは……」
ナオルの指摘はまさに的確だった。レイの運動能力は統計的に一般より少し高い程度だった。もちろん柔道部や空手部の猛者達と戦えば、その実力の差は歴然だろう。
しかし、今日戦ったネーアはその猛者達を蹴散らすような強さを持っていた、それに対抗できたレイの運動能力は、まさにその変化を確実に証明するものだった。
「だから、僕はこう考えたんだ。レイもネーアも何らかの要因でDNAが進化して、肉体が変形ではなく、進化したんじゃないかってね」
「DNAと肉体の進化……?」
「つまりは、DNAが突然変異したって事だよ。肉体を形成しているDNAが進化という形で変化したって事は、肉体はその変化に対応して何かが変わる。だからこそ、ネーアもあんな怪力が出せるようになったんじゃないかって思ったんだ」
二人はその話に、ついていけなかった。ナオルの仮説が正しければ、それは今までの遺伝子学をひっくり返す様な大発見なのだから。
レイは今までの説明を聞きながら困惑していた。まさか、知らないうちに自分が自分ではなくなっていたというのだから。
「僕は、遺伝子学は専門じゃないから確信は出来ないけど、僕が今考えられる一番の可能性だよ」
しかし、今まで話した仮説の中ではもっともそれが納得できる答えに近いものだった。
「さて、一通りの話は済んだことだし、今日は解散って事にしようか。レイもいろいろと考えたい事があるだろ……」
「あぁ……」
レイはその言葉に頷いた。ミリアと共にナオルに別れを告げ、自分達の家へと向かう。その間、レイはずっと沈黙したままだった。そんな様子を後ろから見ていたミリアは何かを言いたげな様子で、レイの後を付いていっていた。
二人が住宅街に着いたのは午後二時近くだった。空腹感が少しあったがレイには食事を取る事よりも早く一人になりたかった。マンションに着き、エレベーターで自分達の部屋の階層まで上がる。レイはミリアに別れも告げず、部屋の中に入ろうとする。しかし、後ろから制服を捕まれ立ち止まる事になる。
「なんだよ、ミリア……」
後ろでは、ミリアが制服を掴みながら真剣な目でレイを見ていた。その目は真っ直ぐにレイの目を捉えていた。少しの間、黙っていたミリアが重く閉ざしていた口を開く。
「私は……、もしレイがネーアみたいに変わってしまっても、心だけはレイのままだって事を信じているから、それだけは忘れないで……」
ミリアのその優しい言葉はレイの重く悩んでいた心に、柔らかく沁みこんだ。レイは、その言葉を心に刻み、ミリアに対して微笑む。
「あぁ、サンキューな」
そういうとレイは今度こそ、自分の部屋に入っていった。その後扉の前では、満足そうに笑うミリアが自分の部屋に戻って行った。
部屋に戻ったレイはベッドに倒れこんだ。目を瞑り、今日あった事を思い出してみる。ネーアの暴走から始まり、戦い、謎の文字、DNAの変化。その全てを考えてみようとするが、そんな事をすれば恐らくは、その環境の急激な変化に気が狂ってしまうだろう。
「一体、何が起きているっていうんだよ……」
誰もいないその空虚な部屋に独り言を発する。だが、その答えは返ってくるはずも無く、ただ空しく響くだけだった。レイは食事も取らずに、その日はずっとベッドに倒れこんでいるだけだった……。
夜の新渋谷駅前に三人が立っていた。二人は姿を見た感じでは、その辺に居てもおかしくない普通の青年と女子に見えなかった。ただし、一人だけは高校の制服を着た少年がいた。
その少年はITRで電話をしているようだった。
「こちら、コードネーム『イオリ』。たった今、『バルド』、『アイナ』と共に目的地に着いたぜ」
『了解。では、今日はホテルに泊まり待機。明日からEDNA SearchにてEDNA保持者の監視に移れ。なお、暴走化および搾取できる状態になった場合は、なるべく隠密に行動せよ。抵抗した場合、軽度の負傷は認める』
「了解……」
その電話はすぐに切れた。何か機械的な口調だったがイオリは気にしている様子は無く、そのまま他の二人を連れて歩き始めた。
「さぁ、明日から楽しい狩りの始まりだ……! 獲物は元気な方がいいな」
そういった少年の顔は、凶悪な笑みを浮かべていた。それはまるで狩りをする、獣の目によく似ていたが、その目は明らかな残虐性を持ち合わせているものだった。
翌日の学校は休みになった。
昨日の夜に学校側から二日間の休校の連絡が伝えられたのだ。しかし、それはレイにとっては都合の良いものであった。レイは朝早くから出かける準備をして、街から離れた山に登りに出かけていた。それは昔、精神集中だと言われてやらされていた訓練の場を見つける為であった。
山を登り、丁度中腹辺りの平らな場所を見つけるとレイはそこでまず、準備運動を始めた。何事も基本は大事だ。程よく体を慣らした所でバッグからナオルに貰った電子ソードを取り出す。レイが学んでいた戦闘術は、主に合気術と剣術を複合させたようなものだった。
ソードを展開せずに真っ直ぐに構える。目を瞑り、呼吸を整える。その状態は周りの木々や舞い散る木の葉とシンクロしている様な静かな雰囲気だった。少しの間、そのままでいたレイはソードを展開させる。ソードを腰に構え、そこでもう一度、呼吸を整える。
そして一息をつき、もう一度息を吸った後、レイは息を吐くと同時にソードを横薙ぎに振るう。
「一の型――線剣(せんけん)」
横凪に振るったソードはきれいな一直線に見えた。『一の型――線剣』はレイの師匠が作った剣技の一つである。その名前の由来は剣を振るった時に見える剣線が線に見えるからという単純なものだ。しかし、その技も名前を付けるだけの威力があり、実際に使えるようになったのは戦闘術を習い始めて半年が経った頃だった。
目の前にあった木がゆっくりと風に煽られ地面に倒れる。
「凄過ぎるだろ……このソード」
目の前の倒れた木を見てレイはそういった。昔には実際に木を切り倒した事は無かったが、それでも木の枝等をこうやって切る事を、精神集中と共に剣術の訓練としてやらされていたのである。
「このまま、やり続けていたら自然破壊になっちゃうな……」
そういうと、レイはソードの展開を解除した。しかし、ソードは持ったまま、今度は剣術の型を演舞し始めた。
レイの心の中では昨日のナオルが言った言葉が何回も反復していた。ネーアと自分のDNAが進化した事……。その仮説がずっと繰り返していたのだ。それだけなら良かったのだが、レイはその先にあるもう一つの仮説に気がついていた。
それはネーアの暴走は、DNAが進化した為に起こったのではないか。という事だった。
(ネーアのDNAが進化したせいで暴走したなら、いつかは俺もああなるのか……)
その時を想像した時の恐怖が、レイの心をかき乱す。自分が暴走し、意識が無くなる事は別に良い。しかし、その時にミリアやナオルを傷つけてしまったら、と思う事が一番の恐怖だった。
今は何も考えず、自分の心を鍛える事しか考えられなかったのだ。例えそれが、現状からの逃避だったとしても……。
その日、レイは辺りがうす暗くなるまでずっとソードを振るっていた……。
某病院の一室、そこにはイオリがいた。その病室には、一つのベッドがありネーアが眠っていた。イオリはITRをネーアにかざすとコードを唱える。
「コード EDNA Search 対象確保 起動」
その言葉に反応し、ITRから電子結晶体が現れる。結晶体はネーアの体の周りを包み込むように展開する。結晶体には幾何学模様がついていて、それが絶え間なく組み変わっていく。しばらくして、ITRからでた青い点を見たイオリはまたしても邪悪な笑みを見せる。病室を静かに抜け出したイオリは、ITRでその調査報告を仲間に知らせる。
「こちら、イオリ。某中学校の騒動を起こした本人に接触した。EDNAの暴走反応があったが、それ以外に面白い結果が出たぞ……。EDNAはすでに回収済みだった……。つまりだ……、Absorb Ring所持者がいるぞ! しかも、所在不明のタイプGだ!」
その言葉に、他の一人が無気味に笑い始める。そして、そいつがこう言った。
「じゃあ見つけ次第、見つけた本人が貰っちゃっていいんですよね? だとしたらやる気出るなぁ……。ふふふっ、久しぶりに競争になりそうですね」
一人が挑発的に仲間を煽る。その声を聞いていたイオリもその雰囲気に感化されるように笑う。
「あたしは別にどうでもいいんだけどな〜。まぁ、仕事はしっかりやるよ!」
「アイナはやる気ないですねぇ。まぁ、そのほうが好都合ですけど……」
「じゃあ、各自行動開始だ。EDNAだけ持っているやつを見つけたら連絡しろ。それ以外は自由にやれ」
そういうと電話は切れた。そのまま、イオリも病院を後にして歩き始める。
「さて、小物は置いといて、大物を探すか……」
イオリは街の闇の中へ消えていった。
朝起きると昨日よりは、レイの精神は落ち着いていた。やはり昨日の精神集中の訓練が効いたのだろう。今日も学校は休校だが、一体何をやろうか迷っていた。
「今日はゆっくり考えてみるか……」
そのまま、レイはITRのメモ帳を開き考えるべき事を箇条書きにしてみた。
『ネーアの暴走の理由、身体能力の向上、謎の文章、DNAの進化、謎の機能』
この中で確実に分かっている事は、まずDNAの進化だ。なぜ、進化したのかは分からないがナオルの家にあるDNAは確かにレイのITRから読み取ったものだった。だとすると、レイやネーアのDNA進化は体にどんな影響を起こしたのだろうか。それが二つ目の疑問の答え、身体能力の向上だろう。ネーアの場合は筋力強化、レイは反射神経の向上だ。DNAの進化によってその向上する能力は様々なのだろう。
だが、ここで解決しない疑問が浮かび上がる。ネーアの精神異常の事だ。同じDNAの進化を起こしたネーアは精神が暴走したのに、レイは未だに自我を保ち続けている。この事はどう考えても糸口がつかめない事だった。
そして、一番の謎はあのITRからでた文章とそれが教えてきた機能『EDNA Absorb』だ。あれは一体何だったのだろうか。おそらくは、誰かの回線介入によるものなのだろうが、そんな高度な事が出来る人間が何故、レイすらも知らないITRの機能を使うように言ってきたのか、それは最も分からない謎だった。
「全く……、分からない事ばかりだ。誰か教えてくれよ……」
そんな事を考えていた時、思ってもみなかった出来事が起きた。それは、この間と全く同じようにITRに出ていたメモ帳に文字が浮かび上がたのだ。
『その謎の真実が知りたいか?』
「――っ!」
いきなり現れたその文章に、レイはどう対処していいか分からなかった。文章はさらに、新しく浮かび上がる。
『知りたければ、真実を求めよ』
レイはその返答を返していいのか、迷っていた。
「お前は一体、何者なんだ? 答えろ!」
レイはまず、その相手を確認したかった。その為、先にその文字を出してくる相手の正体を聞いた。その質問に文章が返答する。
『正体など知らなくてもいい。だが、私はお前の味方だという事を覚えて欲しい』
「俺の……、味方?」
『そうだ。私はお前に不利になるような事はしない。その事をふまえて、もう一度だけ問う。謎の真実が知りたいか?』
その答えは、すでにレイの中では決まっていた。しかし、その決断にはまだ決めかねる要素があった。
「その前にもう一度だけ、質問させてくれ。俺の友達。ミリアやナオルには危害はかからないか?」
レイの一番の心配はその事だった。あくまで、この事件の真実に関わっているのは、自分だけだと思っていたからだ。ミリアやナオルには危険な思いはさせたくなかった。
『保障は出来ないが、その可能性は低いだろう。そちらの友達が余計な事をしなければ平気だ』
その返答にレイの心は固まった。この問題は自分だけで片付ける。そう、決意したのだ。
「教えてくれ……、謎の真実を!」
ようやく聞けたその言葉に、待っていたかのように次の文字が現れる。
『ならば、開発地区の第二産業ビルに向かえ。そこの屋上でEDNA Searchを発動しろ。そうすれば、答えは得られるだろう』
「なんでそんな場所に?」
その疑問に返答は無く、その文章が最後だった。その後はいくら話そうと、返事が返ってくる事は無かった。
「開発地区か……」
開発地区は、未だ街の拡張をしている区画である。主に、そこに建っているビルは前世紀の物なので取り壊しが進んでいるが、その広大な土地には未だ無数の大きなビルが立ち並んでいるのだ。第二産業ビルというのは開発地区の中でも目立つ大きなビルの事である。
レイはその指示に従い、開発地区へと向かった……。
第四章
『調査報告レポート』
『先日起こった某中学校の事件はEDNAの暴走だった事が判明。およびその事件の解決方法がEDNA Absorbだと判明。その為、事件の調査を行った所、ある一人の生徒が事件を解決した事が判明した。Absorb Ringの現所持者はその生徒である可能性が極めて高い。その生徒の特定は現在進行中である』
開発地区では、あちこちでビルの倒壊する轟音と地響きが聞こえてくる。第二産業ビルはまだ開発されていない地区の内部のほうで、その辺りは人の気配はまったく無かった。
レイは何があるか分からない為、電子ソードと格闘用のナックルガードを持ってきていた。恐らくは第二産業ビルの内部に文字の送り主がいるのであろう。味方だといっていたが、未だその事は信じきれずにいた為の自衛策だった。
ビルに着いたレイは気を引き締める。入り口から中を見てみるが、すぐそこには誰もいないようだった。仕方なくビルの奥へとレイは進んでいった。エレベーターは起動していないので、階段で上の階層へ登っていく。具体的な場所は指定されていなかった為、とりあえず屋上へ向かう事にした。
長い階段を上りきったレイは軽く疲れていた。エレベーターが使えない事がこんなにも苦痛になるとは思わなかったのだ。軽く一息ついてから屋上の扉をゆっくりと開ける。扉を開いたその先には、ヘリポートのある広い屋上があった。
レイは辺りを見渡し、人がいないか確認する。しかし、屋上には人は誰も居なかった。屋上には隠れられるような遮蔽物も無い為、人がいない事は確かだった。
不意に、謎の文字の指示の中に、EDNA Searchを使うように書かれていたのを思い出した。何の為にあのプログラムを起動するのかは分からなかったが、その指示を実行する事にした。
「コード EDNA Search 起動」
その言葉に反応し、この一体の地図がITRから浮かび上がる。その中には、この間とは違い赤い点は一つしかなかった。
(これで一体何が起こるんだ?)
そうレイは思っていた。このプログラムが一体何なのか分からない為、この後出来る事は何もなかった。しばらくの間、レイは立ち呆けていた。
しかし、浮かび上がっていた地図に異変が起きた。地図に移っていた赤い点が物凄い勢いで、レイの居るこのビルへと向かってきたのだ。レイもそれに気づき、即座にその赤い点の方向を見る。だが、そこにはレイにとって信じられない事が起きていた。
レイの視線の先にはビルの群れが並んでいた。しかし、注目すべきはその屋上にあった。無数にある屋上の上をすごい勢いで人が飛び移りながらこちらへ向かってきていたのだ。
(なんだ……、あれは……?)
レイは戸惑っていた。何しろ、高層ビルの上を人間が飛び移っていたのだから。そんな光景は、普通ではありえないだろう。しかし、その出来事に驚いているうちに、その人間はもう目の前のビルにまで迫ってきていた。
屋上の端にその人間が着地した。その姿は、長い金髪が目立ち、片目をその髪が隠していた青年だった。さらに、その耳には無数のピアスが付けられていた。
「ふふふっ、まさかこんなところでAbsorb Ringが見つかるとは思いませんでしたねぇ。まさに天命じゃないですかぁ」
目の前に現れた青年の言う言葉は訳の分からない事ばかりだった。しかし、レイはその青年に対して質問しなければならない理由があった。
「お前は誰だ! あの文字の送り主なのか……?」
「私の識別コードは『バルド』。文字ぃ? 一体何の事を言っているんですかぁ?」
その反応にレイは愕然とする。
(こいつは、送り主じゃないのか? じゃあ、こいつは一体……)
「まぁ、そんな事は良いとしてぇ。貴方に命令がありますぅ。そのAbsorb Ringを私に寄こしなさい」
バルドはいきなり、Absorb Ringという物を渡すように言ってきた。しかし、レイにはそれが一体何なのか分からなかった。
(何を言っているんだ? こいつは……?)
「ちょっと待て、Absorb Ringって一体何の事だ!」
その言葉にバルドは顔色を変える。
「何を言っているのですかぁ? 貴方の腕についているITRの事に決まっているじゃないですかぁ……」
「このITRが……?」
相手の説明により、ようやくAbsorb Ringが何なのかが分かった。謎の文字の言う通り、謎の真実がまた一つ分かった。しかし、この状況は温和とは言えないものだった。
「貴方の識別コードを言いなさい。本部にすぐさま連行させてもらいますぅ」
「識別コード……?」
分からない単語ばかりがバルドからあふれ出してくる。しかし、その言葉は何か仲間内の確認をするようなものだという事はわかり、バルドに仲間が居る事は分かった。だが、レイの反応に青年が疑問を持ち始めるのには、時間はかからなかった。
「……貴方、一体何者ですかぁ?」
「それはこっちが聞きたい事だ……」
そのレイの一言にバルドはにやりと笑う。
「そうですかぁ……。貴方は一般人なのですねぇ」
そういうとゆっくりとこちらに近づきながら、さらにこう言ってくる。
「大丈夫、心配しなくていいですよぉ。どうせ、EDNAに関しては全て忘れてしまいますからぁ!」
次の瞬間、バルドが目の前から消え去った。その出来事に驚いたレイだが、その鋭敏な感覚は、後ろから襲い掛かる気配に反応する。即座に振り返り、レイは後ろに下がる。その目の前には光り輝く電子ソードがあった。
間一髪のところでソードをかわす。しかし、その刃はレイの服一枚を切り裂いていた。もう少し反応が遅ければ、その刃は胴体に達していただろう。そう思うと冷や汗が出る。
「その反応速度……、貴方もタイプMのEDNA所持者ですかぁ。奇遇ですねぇ」
「タイプ……M? 何だそれは!」
「ふふふっ、貴方は知らなくていい事ですよぉ」
そう言いながらバルドはゆっくりと歩き始める。相手がすでに戦う気がある事が分かったレイは、自分も電子ソードの出力を最低ランクの五まで落として展解させる。
「お前から聞きたい事がたくさんある。全部教えてもらうぞ!」
「ふふふっ、出来るものならやってみなさい!」
その瞬間、またしてもバルドの姿が消えるように動く。しかし、さっきとは違い相手をよく見ていたレイは、そのかすかな残像を逃さなかった。左に見えた残像を追いながらその姿を視覚の端に捕らえる。すでにソードは振られていたが、構えていたソードでそれを防ぐ。目の前で電子のぶつかり合った力によって火花が激しく散る。
ソードを押し返し、バルドに対して袈裟切りを仕掛ける。だが、振るったソードの先にはすでにその姿は無かった。
「遅いですよぉ!」
バルドはレイの後ろにすでに回りこんでおり、そのソードは、無防備になったレイの背中を切り裂いた。背中に大きな傷が出来て、そこから血がにじみ出る。
「ぐぅ……!」
背中の痛みに耐えながら反撃として後ろに対してソードを横薙ぎに振るう。しかし、またしてもそこにはバルドはもういなく、空を切り裂いただけだった。少し離れた場所でバルドが笑っている。
「ふふふっ、所詮EDNA保持者でも訓練されていなければこの程度ですか……。少しばかり残念ですねぇ。これが一級品だったら死んでますよぉ……」
そう言いながら、バルドはレイを見下していた。背中の痛みを堪えながらもレイは立ち上がり、バルドに対して話しかける。
「さっきから言ってる……、EDNAとは何なんだ……!」
その言葉にバルドは笑いながら答える。
「いいでしょう、教えてあげますよぉ。どうせ知ったところでEDNAは使いこなせませんからぁ。それにこの後、貴方はこの件について、全てを忘れるのですからぁ」
人を小馬鹿にするような喋り方でバルドは説明をし始める。
「EDNAとは『Evolution DNA』の略名ですぅ。『Evolution』位は意味が分かりますよねぇ。つまりただのDNAと違い、私達の持つDNAは進化するのですぅ。一般の人は区別がつかないのでEDNA保持者を秀才やら天才やらと言いますがねぇ」
その言葉も意味をレイは理解した。やはり、ナオルの言っていた通りだったのだ。レイやネーアのDNAはバルドの言う通り進化していたのだ。
「そしてEDNAには三種類がありぃ、それぞれに特性があるのですよぉ。私達はその中でタイプMと言われるぅ、身体速度およびぃ反射速度の向上が見られるタイプですぅ。後はぁ、筋力上昇と体力上昇のタイプBとぉ、特異形式のタイプSですかねぇ。まぁ、貴方とは格の違いがありすぎますがぁ」
そう言い終わるとバルドはレイを見ながら盛大に笑い出す。しかし、レイにとっては笑われる事など、どうでも良かった。情報の聞き出しと、体の回復。その両方が目的だったレイにとっては逆に好都合だった。
体の回復は少し出来たが、未だその傷は動きを鈍らせる程のものだった。さらに、二度切り結んだバルドの強さは力こそ弱いものの、そのスピードはレイの反応速度を超えるものである事が分かっていた為、今後さらに苦戦を強いられる事が分かっていた。その為、レイはある戦法をとる事にした。
「さて、冥土の土産もこの程度でいいでしょう。さっさと捕縛してそのAbsorb Ringを回収しないといけないんですからぁ!」
そう言い終わるとバルドはまたしても視界から消え去る。見えるのは残像だけだった。かすかに見えるその残像からバルドの位置を捉え、それを防ぐ。それが今のレイには精一杯だった。高速で動くバルドの斬撃を何とか寸前で防ぐ、それの繰り返しがしばし続いた。
「ふふふっ、反撃もできませんかぁ! まったく期待はずれですよぉ!」
激しい斬撃の中、レイは反撃する様子を見せずただじっと、その斬撃を耐え抜いているだけだった。
しかし、しばらくするとバルドの方からレイとの間合いを置いた。レイは防ぎきれなかった斬撃によっていたる所を傷つけられていたが、それは軽いものだった。レイは少し息を鈍らせていたが、バルドの後退にしてやったりという顔をしていた。
その理由はすぐに分かる事になった。バルドはレイから離れた場所で激しく息を切らせていたのだ。これがレイの取った戦法だった。昔習っていた戦闘術の先生が好きだった戦法、それは「じっと相手の攻撃に耐えて、相手を疲れさせる」というものだ。レイは攻撃しても捉えられないのなら防御に徹するのみと考えていた。
息を切らせたバルドがこちらに向かって叫んでくる。
「貴方……、何故そんなにも傷つきながら平気で立っていられるのですかぁ……!」
「昔からの鍛え方でな。持久力だけはあるんだよ」
そう言うと、今度はレイの方から攻めに入っていった。ソードを左腰に構える。
「一の型――線剣!」
間合いに入った瞬間、レイのソードが物凄い速さで横薙ぎに振るう。その剣線は綺麗な一直線を空間に引いた。ガルドはその斬撃に反応するが、そのソードの速さはそれを上回り、ガルドの両足を切りつける。
「ぎゃぁああ」
両足を切られたバルドは大きな悲鳴を上げる。ソードの威力は最低にしてあったが、それでも技の威力により予想以上の深い傷になったようだ。
「貴方ぁ……よくも私の足を斬ってくれましたねぇ! 万死に値しますよぉ!」
そう叫ぶとバルドは傷ついた足でこちらに向かっていた。そのスピードは先ほどとは格段に違っていたが、それでもレイの動くスピードよりは速かった。レイもバルドに向かって走り出す。
ソードの間合いに入ると同時に二人はソードを振る。その剣撃は互角だった。立ち止まった場所から円を描くように回りながら切り合いが続く。ソードがぶつかり合うたびに激しい火花が散る。二人の剣技は互角、勝負の行き先は持久戦へと向いていった。
激しい斬撃が続く中、バルドの息は徐々に乱れていった。そしてレイも、バルドのスピードに追いつく為に、体力を大きくすり減らしていっていた。だが、あと少し粘れば勝てる、そう思っていた。そして、レイは決め手としてもう一度間合いを取った。
(これで決める!)
レイは先ほどと同じく左腰にソードを構えた。バルドもまたさっきと同じ技がくる事が分かった為、防御に徹する構えを見せる。だが、それにかまう事無くレイは全力でその一撃に力をこめた。
「一の型――線剣!」
左に構えたソードが直線を書きながらバルドの構えたソードへと向かっていく。ソードがぶつかり合い激しい衝撃がくるが、それにバルドは耐えようとした。しかし、バルドにはもう耐える力は残っておらず、横薙ぎに振るわれた斬撃を食らう事になった。その衝撃でガルドは地面に倒れた……。
倒れたバルドからはもう戦闘する意識も体力も残っていないようだった。
「さぁ、知っている事を全部話せ!」
バルドの首元にソードを突きつける、その動作に仕方なくバルドは頷いた。レイは屋上に有ったロープでガルドの足を縛り応急手当をした。あまりの疲労に声も出せないのだろう。しばらくして、声を出せるになったバルドは、EDNAに関することを喋り始めた。
「私が知っている事は、少ししかない。何しろ私は一末端でしかないのですからぁ。今知っている事で残っている事といえば他に仲間がこの街に二人居る事とITRの――」
その時だった。途中まで喋っていたバルドの体から黄色の電子結晶体が突き出てくる。その光景にレイは驚いた。その結晶体は以前、レイが使ったEDNA Absorbそのものだった。
「あああぁぁぁあ」
結晶体に貫かれたバルドはそのまま意識を失い、地面に倒れた。一体何が起きたのか確認しようとしたレイが見たのは、地面から突き出る結晶体が戻っていく所だけだった。
(下の階から!)
そう思って開いた穴から下の階を覗く。するとそこには同学年程度の少年がこちらを見ていた。
「中々の戦いぶりだったぜ。レイ・ガーディア」
レイは知らない相手が自分の名前を知っている事に驚いた。
「今度会う時はお互い全力で殺り合おうぜ。それまでにせいぜい腕を磨いておけよ……このイオリ様を楽しませられる程にな」
そういうと、イオリは廊下の奥へ消えていった。イオリには今は戦う気が無いようだった。正直、現在のままでは戦える状況でなかったので助けられたというべきだった。レイはその事に屈辱を覚えたが、自分の不甲斐なさにそれを受け入れる事にした。
意識を失ったバルドを開発地区の目立つ場所に置き、救急車を手配するとレイはその場を離れて行った。住宅街へは戻るのには、この傷は目立ちすぎた。出血はもう止まっていたので夜になるまで、レイは開発地区に身を隠していた。しかし、その遠くではもう一人の観測者が見ている事にレイは気づいていなかった……。
夜になり、住宅街のマンションの自室へ向おうとしていた。怪我の治療をしなければいけないと思いながら、自室の前まで行くとそこにはミリアとナオルが立っていた。二人の顔は確実に怒りを灯していた。
ミリアが近寄ってくる。そしてそのまま何も言わず、レイの頬を思い切り叩いた。その音は、叩いたミリアの手も痛くなるような音だった。涙を流しながらレイの顔を睨み付けているミリアを見てもレイは何も言わず、そのまま立ち尽くしていた。その態度に苛立ったのか、今度はナオルが近寄りレイの襟首を掴んで壁に叩きつける。
「ミリアも僕も! 心配していたんだぞ! それなのに、お前は自分だけが事件に巻き込まれれば良いとか思っているのか!」
ナオルは、そう言いながら下を向く。
「もっと、僕らを信じてくれても……、頼ってくれてもいいじゃないか……」
その言葉に、レイは今度こそ小さな声で「悪かった……」と言った。自分を心配してくれる者がいてくれるのをレイは忘れていた事に気づいたのだ。その後、レイは二人に対し自分がした行為について謝るのと同時に心配してくれた事に感謝を告げた……。
部屋に入り、ミリアの治療を受けてからレイは今日あった事の全てを話した。謎の文字からの指令、ガルドとの戦い、イオリとの接触。そしてEDNAとAbsorb Ringの事。全てを話した後にまず言われた事は、二度と一人でこの件を片付けようとしない事だった。それほどまでに二人はレイの事を心配していたのだ。レイはその事に対し二度としないと固く約束をした。
その後、今日知った情報の整理は明日レイの自宅でする事になった。レイはミリアに絶対安静を言い渡された為、明日の外出を禁止されたのであった。
「それじゃ、また明日」
「帰るとき、気を付けろよ」
その言葉に笑いながら手を振り、先にナオルが帰る。
「それじゃ、私も戻るけど傷が痛んだり、体調が悪化したら電話してね? すぐに飛んでくるから! お休み、レイ」
その後にミリアもレイをベッドに押し込んでから自分の部屋へ戻って行った。
レイも今日の出来事に疲れた為、目を閉じるとすぐに眠りについていった……。
それは、レイ・ガーディアを見送った後の事だった。バルドを回収し、本部の救急部隊を要請した後、アイナは悩んでいた。今のEDNAプロジェクトは、彼女には必要なものだった。だが、その内容には少しばかり抵抗があるものがあった。今まで、散々悩んで流されていたアイナだったが、今日見たイオリの行動を見て決心がついたのだ。それは、この組織を裏切るかどうか……。
その為、アイナはイオリに対し何故ガルドを助けなかったのか聞いてみる事にしたのだ。そして、アイナは今、そのイオリの前にいた。
「んで、話って何だよ、アイナ」
「あんた何でバルドを助けなかったの……? あの状況なら確実にAbsorb Ringは取り戻せたはずなのに!」
その質問にイオリは笑いながら答えた。
「はっ、決まってんだろ! あいつのEDNAを貰うためさ!」
その言葉に、アイナは無意識に顔に怒りの感情を表す。
「あんた、それが規則違反になる事が分かって言ってるの?」
「あぁ、わかってるぜ。でも、お前だって俺の返答しだいでとんでもない規則違反をしようとしてるんじゃねぇのか?」
その言葉に、アイナは両腰につけていた電子トンファーを展開させる。
「おっ、やろうっていうのか? この俺様と!」
その顔にはもはや戦う事だけを考えているようにしか、思えなかった。イオリの両拳から電子クローが展開される。
「あたしは、あんたみたいな戦闘狂の集まりが大嫌いなのよ!」
そういうと、アイナはイオリに向かって飛び掛った。トンファーを上から叩き下ろすように振りかぶる。しかし、イオリはそれを受けずに後ろに下がった。トンファーが地面にぶつかると、アイナの攻撃が当たった周りの地面がクレーター上に凹んだ。
「相変わらず、豪腕だなぁ。女の癖に」
「好きでこうなったんじゃない!」
アイナはさらにイオリへと攻撃を続ける。流れるように振るわれるトンファーは確実にイオリを狙っているが、その攻撃は紙一重でかわされていた。イオリの代わりに辺りの建物等が巻き込まれていく。
「はっ、そんなスピードじゃ俺様には一撃も当たらねぇよ!」
余裕があるようにイオリはアイナを挑発する。だが、アイナも戦闘の技術が高いからこそ調査員に任命された訳であり、感情は怒りに満ちていても思考までは制御できない訳は無かった。アイナは一端イオリとの距離を置いた。右手のトンファーを構えるが先ほどとは違い、その長さは通常のトンファーの十倍はあった。
「はああぁっ」
その様子にさすがにイオリも戦闘体制をとる。構えられたトンファーがアイナの力により、周りの建物を巻き込みながらイオリに襲い掛かる。その威力は小さなビル一つを倒壊させるような力だった。イオリは建物の残骸と巻き込まれながら吹き飛ばされる。
建物の残骸と一緒に他のビルへ吹き飛ばされたイオリは、大きな怪我はしなかったものの軽い怪我を体のあちこちに負っていた。瓦礫から体を起こしその怒りを周りの瓦礫に対して八つ当たりする。
「ちくしょうっ、あの馬鹿力が……」
周りにある瓦礫をどけながらアイナの姿を探す。しかし、その姿は倒壊の影響で周り広がった土煙で捕らえる事が出来なかった。瓦礫から這い出たイオリは辺りを警戒する。襲い掛かるならこのタイミングが絶好の時だったからだ。しかし、アイナはいつまで経っても出てくることは無く、その周りではさっきの倒壊がまだ続いているのか地響きが絶えなかった。
「なんだ、この音は……?」
倒壊の音にまぎれて何かが軋むような音が聞こえる。その音は次第に激しくなっていった。土煙が次第に晴れてくると、ビルの内部が見えるようになってきた。だが、そこにはアイナの姿はどこにも無かった。その代わりに見えたのは、ビルの壁が今にも崩れそうなほどになっているだけだった。
「この倒壊音っ、まさか!」
イオリが気づいた時には、すでに準備が整っていた。先ほどイオリが突っ込んだビルは、今は瓦礫の山に埋もれ、もはや中にいるものはそのビルに守られているだけだった。いつまでも続いていた倒壊音は、周りのビルを壊し、その瓦礫をビルに集めさせている音だったのだ。
瓦礫の山を積み上げたアイナは最後の一手を決めようとしていた。トンファーを伸ばせるだけ伸ばし、両腕を上に振り上げる。
「くたばれっ、この戦闘狂がぁ!」
そう言ったアイナはトンファーを全力で瓦礫の山に叩きつける。その力は瓦礫の山を叩き潰し、その辺り一帯を瓦礫と一緒に陥没させた。全力の一撃を放った、アイナは息を切らせながらも相手を倒した事に安堵し体から力を抜いた。あの瓦礫の中から脱出する事は不可能に近いだろう。恐らくは、イオリもあの中に埋もれているはずだ。そうなれば、普通の人間でなくとも死んでいるだろう。
「はやく……、レイ・ガーディアの居る場所に行かなくちゃ……」
息を乱したアイナはそう言いながら、瓦礫の山を後にする。その動きは、ガルドには及ばなかったが、乗り物を必要としないような跳躍力と素早さだった。アイナは、開発地区のビルを飛び移りながら、住宅街の方へ向かっていった……。
朝方近く、まだ薄暗い住宅街へ着いたアイナはレイのマンションの近くまで、迫っていた。
「はっ……、あと……、ちょっと」
アイナの体力は限界に近かった。イオリとの戦闘で力を使い果たしたのにも関わらず、ここまで自分の体一つでここまでも全力でやってきたのだから。マンションの入り口へ向かう為、アイナは最後の力を振り絞り屋上から地上へと降り立った。着地の反動にしばらくの間、動けなくなるがそれに耐えやっと立ち上がる。
「やっと……、着いた……」
目の前には、マンションの入り口があった。中に入ってしまえば、もう安心だろう。そう思い歩きだそうとした時、その体に後ろから衝撃が走る。その体からは、三本の電子クローが腹部を深く貫いていた。
そのクローは間違いなく、殺したはずのイオリのものだった。信じがたい事実に
「そっ……んなぁ……」
アイナの体からクローが抜き出される。腹部の大きな傷からは大量の血が溢れ出す。アイナは振り返る事も出来ずに、そのまま地面に倒れた。その目には、おぼろげにイオリの姿が映っていた。その姿は、まるで地獄から這い上がってきた、鬼のようだった。
「この俺様があの程度で死ぬとでも思ったか? Absorb Ring所持者に勝てるはずがないだろうが……」
アイナはそのまま、意識を失った。その様子を確認したイオリは、アイナを置いてそのまま街の中へ消え去っていった……。
第五章
『調査報告レポート』
『Absorb Ring所持者が某中学の生徒、レイ・ガーディアと呼ばれる一般人だという事が判明した。さらに、レイ・ガーディアとバルドが接触、および戦闘によりバルドがEDNAを吸収された。また、アイナも組織に対し反逆を起こした。イオリと戦闘の後、レイ・ガーディアの元に逃げようとするがイオリにより阻止および死亡が確認された』
『重要報告書』
『EDNAの回収率が目標値を達成。これより、EDNAプロジェクトの第三段階に入る事が決定された』
日が昇り始める朝方、レイは目が覚めた。体を起こすと全身に鈍い痛みが走るが、動くのには支障は無さそうだった。ITRで時刻を確認するとまだまだ冬では暗い五時半だった。
外にでて少し散歩したかったが、ミリアから外出禁止を言い渡されていたレイは、この時間帯ならばれずに外に出られると思い、静かに朝の仕度をして玄関を静かに開けた。外の空気は冷たいが、傷によって少し熱のあるレイにとっては気持ちのいいものだった。
エレベーターでロビーまで降りたレイは、近所を適当に歩いて回ろうと外に出た。まず、どこへ行こうかと迷っていたレイの目に、ふとカラスが大量に集まっている路地を見つけた。
(なんだあれ、ゴミの不法投棄でもあんのか?)
そう思いながら、レイはカラスの集団に近づいていく。集団に対し、足で軽く払うような動作でカラスを追い払う。
「ほら、さっさとどけよ。ゴミなんか荒らしてんじゃね〜……え?」
しかし、カラスがどいた先にあったのはゴミなどではなく、人だった。その光景にレイは思わず固まる。
(なんだ、この人? 女性だけど……生き倒れか?)
そんなのん気な事を言いながら、女性に近寄っていく。しかし、近寄るに連れてその光景は冗談では済まされないような事になっていた。辺りには血が飛び散っており、女性自身も彼女から出たであろう血の海にまみれていた。
「なっ、なんだ、これ? いや、それよりもこの人、生きてるのか……?」
おそるおそる女性に近づき、その体に手を触れる。その体は、かなり冷えていたがまだほんの少しだけ、暖かかった。体を起こして息をしているか確認する。口元に耳を当てると微かながらだが息をしていた。
「まだ生きてる! でも、どうしたらいいんだ……?」
レイは怪我の治療は受けたものの、他人の治療などしたことは無かった。一瞬ミリアに助けを求めようとしたが、このような大きな傷はいくらミリアでも処置できないだろう。そんな事を考えていると、微かだが女性が目を開ける。そして小さなかすれた声で、こう言っていた。
「腰の……、バックの中に……、特殊な薬があ……る。それを……打って」
そう言うと女性はまた意識を失った。レイはその言葉の通りに女性の腰についていたバックを開ける。その中にはいくつかの私物と一緒に携帯型の注射器があった。レイはそれを躊躇いながら女性の二の腕に刺し、ボタンを押す。注射器内の薬が流れこんでいくのを確認したレイは、ひとまず落ち着く。しかし、このままではいけないと思い、彼女を担いで自分の部屋へ戻って行った。
部屋に戻ったレイはまず彼女をベッドに寝かし、次に何をしたら良いのかを考えた。
(まずは傷を消毒しないと……)
部屋の戸棚から救急箱を出し、その中から消毒液を出す。しかし、ここで問題が起きた。消毒をするには今彼女が着ている服は邪魔になる。だが、かといって簡単に女性の服をめくれるかというと、それはレイにとっては難しい事だった。
(どっ、どうしよう……)
消毒液をかけようとする体勢のまま固まる。今、心の中でレイの二つの意志が討論を始めていた。
脱がそうとする悪のレイと、それを拒む正義のレイが言い合う。
(さぁ、脱がせ。何も全てを脱がすわけじゃないんだ。あくまで患部を出す為の仕方ない行為なんだよ!)
(いや、ここはミリアを呼ぶべきだ! 脱がしたところで俺には何も処置できる事は無いんだぞ!)
(じゃあ、脱がして消毒したらミリアを呼べば良いじゃないか!)
(そっ、それは〜)
その討論は結局、悪のレイが勝った。所詮、中三男子の心の中には女性の体を少しでも見てみたいという気持ちが誰にでもあるのだ。それに彼女は顔立ちも整っており、赤紫の短い髪はさらさらと滑らかで枕の横に流れていた。レイは、ベッドに横たわる女性の上着に手を掛ける。罪悪感が心の中に出てくるが、それすらも今はレイの興奮に手を貸すものにしかならなかった。
そっとその上着を上にずらそうとした時、ゆっくりと彼女が微かに目を開ける。その視線は、レイの方を向いていた。
「あっ、あの……、お早うございます……」
そんな言葉で、この状況をごまかそうとする。だが、ゆっくりと開かれていく彼女の薄い桃色の目には、今のレイはセクハラをしようとしている男にしか見えなかった……。その目が完璧に開かれる頃には、その顔に羞恥と怒りが混ざった表情があった。
「いっ……」
「い……?」
「いやぁぁぁぁっ」
その瞬間、部屋どころではなく家の中全体にその悲鳴が響き渡った。同時に彼女の手には、さっき見た時に腰に付いていた電子トンファーが展開しており、それがレイの頭に向けて振りかざされていた。
「ぐはぁっ」
振られたトンファーは見事にレイの頭に命中した。その衝撃でレイはベッドから転げ落ちる。落ちた時に、頭を打ったレイは見事に撃沈した。頭を抑え、床を転げまわる。彼女はベッドからシーツを手繰り寄せて体を隠す。レイは強烈な頭の痛みに耐えながら、自分を殴り倒した彼女の方を見た。彼女はこちらを見ながら警戒をしていた。その様子にレイはまず誤解を解こうとする。
「とりあえず、話を聞いてくれ! あれはみだらな事をしようとしていたんじゃなくて、君の治療をしようとしていたんだ!」
その言葉に彼女は傷を負っていた事を、思い出したように腹部に手を当てる。その様子にレイは少しでも状況を理解してもらえた事に気を緩ませる。これで、何とか自分の無実を証明できたと思った。
しかし、次の瞬間、レイはベッドから跳び出てきた彼女に抱きつかれた。
「良かった! 貴方の元にたどり着けたのね!」
その行動と言葉の意味が理解できず、またしてもその場で固まる。一体何がどうなっているのか、今のレイには何も分からなかった。
「レイ・ガーディア……。会いたかった……」
その恋愛ドラマのような言葉の中に不思議な点があった。
「君、どうして俺の名前を――」
その疑問にレイが質問しようとした時、玄関の方から誰かが駆け抜けるような凄まじい足音が聞こえてくる。その足音は廊下を通過し、すぐさまレイの部屋へと向かってきていた。扉が勢い良く開かれる。そこには、バットを持ったミリアが居た。
「レイ、大丈夫! 今の悲鳴は何!」
息を荒げながら入ってきたミリアはそう言いながらレイの居場所を確認する。だが、今のレイの状況はシーツに包まった女性と抱き合っているようにしか見えなかった。その様子に、ミリアは何か信じられないようなものを見たような顔で固まった。
「ミリア……、とりあえず俺の話を聞いてくれ。これには深い訳があってだな……」
しかし、その言葉はミリアの耳には届いておらず、バットを手から離し、近寄って来てレイの頬を思い切り叩いた。そのビンタは昨日よりも何倍も強く叩かれた。
「この……、レイのスケベーー!」
ミリアの怒鳴り声が響く中その後、レイは昨日の怪我と今日の頭への打撃によりしばらくの間、夢の世界へ落ちていった……。
数分後、目を覚ましたレイは頭の痛みを抑えながら、さっきあったことが夢である事を祈った。だが、現実はそんなに都合よく進まず、頭にはたんこぶがあり、頬は腫れていた。そしてリビングに向かうと彼女は確かにそこに居た。
「あっ、レイ。目が覚めたのね! 気分はどう?」
気絶させた本人が反省の色も無く尋ねてくる。気分などいいはずが無い……。
「お蔭様で最高に悪い気分だよ……」
軽く怒りを表しながらレイはそう言った。その様子にミリアが体を縮めながら小さな声で「ごめんなさい……」と言った。しかし、本当に問題なのはミリアの事ではなくて、その向かい側に座っている彼女の事だ。
「まぁ、それは良いとして。君はどうしてあそこで倒れていたんだ? それと何故、俺の名前を知っているんだ?」
彼女はミリアから治療を受けたのか、血だらけだった服ではなくミリアの服を着ていた。彼女は立ち上がり、レイの方を向いて頭を下げた。
「さっきはいきなり抱きついたりしてごめん……。まずは命を救ってくれた事に感謝するよ」
彼女は先ほどまでとは違う雰囲気で真剣に謝罪を告げる。
「貴方が見つけてくれなかったら、あたしは死んでいた……。本当にありがとう」
「いや、別に当たり前の事をしただけだから、そんなにかしこまらないでくれよ」
そういうと、彼女は顔を上げ、レイに対し満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあ、自己紹介をしないとね。あたしのコードネーム『アイナ』。元イオリ直属の調査員だよ。よろしくね」
その自己紹介はさらりと重要な事を言ってのけた。アイナが言ったイオリと言う名前に反応し、レイは戦闘態勢をとる。まさか、助けた人が自分の敵だとは思わなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 今あたし『元』って言ったでしょ! つまり、あいつらを裏切ってきたの!」
「裏切った……?」
「そうだよ、じゃなきゃ、あんな死にそうな事になってるはず無いでしょ!」
「あ、あぁ……。そうだな……」
アイナの言うことは正しかった。もし演技であっても、あそこまでの傷を負っていたら目的を果たす前に本当に死んでしまうだろう。その事は、彼女自身を直接見たレイが一番分かっていた。
戦闘態勢を解き、アイナに話しかける。
「もう、傷は平気なのか?」
「うん。薬のおかげでもう完璧に塞がっているよ。これも、レイのおかげだよ……」
そういうとアイナはレイの手を取って握る。どうやら彼女は体による感情表現が多いようだ。
しかし、その様子をミリアは嫉妬を含んだ目でレイを凝視していた。その背中には、何か人を無言で言い聞かせるオーラが漂っている。そのオーラを感じ取ったのか、レイはアイナの手を解き後ずさる。
「それで、あたしがレイの元に来た理由なんだけど、依頼をしたいんだ。はっきりと言うね。イオリを倒して欲しいんだ」
「はぁ……?」
本当にはっきり言われた依頼にレイは驚きを通り越して、呆れる。
「なんで俺がイオリを倒さないといけないんだ?」
もっともな質問にアイナは黙り込む。アイナも調査員ならば戦闘は出来るはずだ。なのに何故、わざわざ自分のような、EDNAを使いこなせない者に頼むのか理解できなかった。
「とりあえず、今までの経緯を話すよ。それから依頼を受けるかどうか考えて欲しい」
その言葉にレイは、仕方なく頷いた。彼女なりの理由があるのだろうと推測したからだ。レイはソファーに座り、話を聞く気構えをした。しかし、その横で黙っていたミリアが急に立ち上がった。
「レイ、この話はナオルも混ぜて話そうよ。そうしないと昨日の約束を破る事になるよ」
ミリアの言葉は正しかった。またも、レイは一人で厄介事を請け負おうとした事に気づいた。ミリアに対して申し訳ない顔をする。
その顔を見ていたミリアは少しきつく言い過ぎたと思い、さらにこう言った。
「それに、私はこれから学校があるの。アイナも私達全員が揃ってからでも話は良いよね?」
「うん。まぁ、そっちの事情もあるみたいだし、ここにいればまだ安全だからね。待ってるよ」
レイはなんとなく自分の情けなさに、自己嫌悪していた。女性二人に話の主導権が持っていかれているとなんだか、男として尻に敷かれている気分になったからだ。しかし、その場は黙って言う事を聞くしかなかった……。
「それと、レイ」
「ん? なんだよ」
不機嫌な顔をしたミリアが立ち上がりながら、こちらを見る。
「安静にしてなさいって言ったのに、勝手に外に出るなんてどういうつもりなの?」
その質問に、意表を突かれたレイは、どう答えていいのか分からずにたじろぐ。
「いや、それはだな、傷の熱が辛くて外の冷たい風に当りたくなったんだ!」
真実を含めた言い訳を言うレイだったが、それに対してミリアは言い訳に騙されず、言い返してくる。
「それならベランダに出ればよかったんじゃないの……?」
「あ〜、それは……、その……」
的確な指摘を受けたレイは言い負かされる。こういう時のミリアはなんて鋭いのだろうか。そんな事を思っているとミリアはレイの部屋から学校の制服を持ってきた。
「おい、制服なんて持ってきてどうするつもりだよ?」
「そんなに歩きまわれるなら学校にも行けるでしょ!」
確かに日常生活に問題は無いが、学校まで行き、授業を受けるほどレイの体力はあるのか、自分でも分からなかった。だが、このまま家に残ってもアイナと二人っきりになる訳で、それも何となく気まずい気がした。
「分かったよ。今準備してくるから待っててくれ」
そう言うと、レイは自分の部屋へ向かった。制服に着替えている最中にリビングで、ミリアがアイナに何かを言っているようだったが、それは聞き取れなかった。
着替えを済ませ、リビングに戻るとミリアの姿は無かった。その代わりに、アイナが「ミリアは先に下に行っちゃったよ」と言ってくれた。レイは、アイナに帰るまでは適応にくつろいで居てくれと言い、ミリアを追いかけて行った。
だが、アイナの顔には何か思惑のある笑みが浮かんでいた。
マンションのロビーには一応、ミリアが待っていてくれた。しかし、レイが来た事を確認するとミリアはさっさと歩き始めてしまった。それを追いかけミリアの少し後ろをついていく。
昨夜の不機嫌な様子と違い、ミリアは何かに不満を持ってイラついているようだった。その原因を聞いてみようかと思ったが、それはさすがに自分でも情けないと思い、ミリアが何に対してイラついているのか考える事にした。
マンションから学区地域に着くまでの長い間、二人はずっと無言だった。何かを話しかけようにも、今のミリアにはレイの言葉は火に油を注ぐような事になるのが明白だったからだ。
いつも通りミニバイクに乗り学校へ向かう、こんなにも密接している状態でも話しかけられない事が辛かった。
しかし、学校へ着くとミリアの方から一言だけ忠告をしてきた。
「体調が少しでも悪くなったらすぐに言うのよ……」
そういうとミリアはレイを待たずに先に教室へ行ってしまった。だが、少しでもまだ話しかけてくれる位は自分の事を心配していてくれる事が嬉しかった。その後、ゆっくりと自分達の教室に向かっていった。
教室のたどり着いたレイは中に入り、クラスメイトに挨拶をしようとした。しかし、教室では一角に人だかりが出来ていた。この間のような、危険な様子は無いがその中心には誰かが居るようだった。
荷物を置いたレイは、その人だかりの方へ向かう。だが、そこには思いもよらない人物が居た。
「ネーア……」
そこには数日前に事件を起こした張本人のネーアが居た。ネーアはこの間とは違い、周りの皆と笑顔で話をしていた。その顔は以前のネーアと変わらない穏やかな顔だった。
その事に驚愕している時、後ろから近寄ってきたナオルが耳打ちをした。
「彼女、後遺症も無く健康体だって事で退院したそうだよ。性格もあの通り、皆と仲良く話してる」
その事を聞き、少し安堵する。何しろ、ネーアを止めたのはレイであり、その時には軽くだが暴力を振るっていた事に罪悪感があったからだ。レイは、皆と混ざりネーアに話しかけようとする。しかし、その前に逆にネーアから声が掛けられた。
「あっ、レイ君。久しぶり!」
「ああ、久しぶり……」
「皆から聞いたよ……、錯乱したあたしを止めてくれたんでしょ? 怪我もさせちゃったみたいだし、ごめんね……」
その言葉に、レイは否定する。
「そんな事無い、怪我なんて大した事ないし、俺の方こそ暴力を振るって悪かった……」
その二人の謝り合いに、場の空気が重くなる。しかし、そんな中二人の頭に対してチョップが炸裂する。その突然の行為に、周りの皆も仰天する。
「はいっ、謝り合いはそこまで! もう過ぎた事なんだし、くよくよしないの!」
場の空気を変えたのは、ミリアだった。いつも大人しいミリアが真剣な顔をしてそう言うと、何か心強い感じがした。周りの皆もその言葉に、少しずつ雰囲気を取り戻し始めた。その様子にミリアは満足げに笑っていた。
その後、HRが終わり休み時間になった。レイは机で雑誌を読んでいたナオルを連れ出し、相談に乗ってもらう事にした。何しろネーアとの仲介はしてくれたが、その後に話しかけたら軽薄そうな目で見られ、無視されてしまったのだ。という訳で、一人では解決できないと思ったレイがとった行動だった。
「んで、貴重な休み時間にトイレに連れ込んでレイは何がしたいんだ……?」
「あぁ、実に重要な問題なんだ……」
レイは、今日の朝から起きた全ての出来事をナオルに話した。その間、ナオルはずっと黙っていたが、話し終わりと同時につまらなそうな顔をして、ため息をついた。
「何だよ、そのため息は。俺は真剣なんだぞ」
「いや、真剣なのは分かるんだが。お前らって本当にお互いに馬鹿だなって思って……」
「はぁ?」
「残念だけど、僕にはこの件について助言程度しか出来ないね」
その遠回しな言い方にレイはイラつき、ナオルに詰め寄る。それほどに切羽詰っていたのだ。
「それで! 助言ってなんなんだ!」
「つまりは、ミリアの不機嫌な原因は全て、アイナって子に関係してるって事だよ」
「アイナに原因が……?」
その意味はさらに、レイの中で問題になっていった。さらに浮かんでくる疑問に耐えられなくなったレイは、トイレを出てどこかへ行ってしまった。
「ああ言うのを、のろけって言った方がいいのかな……」
ナオルはその後姿を見送りながら、一人言を呟いた……。
結局、放課後まで問題は解ける事は無かった。レイはもう時間がどうにかしてくれる事を祈り、そのままナオルを連れて住宅街へ帰ってきた。ミリアとの関係も大事だが、これからアイナの重要な話を聞くのだと思い、気持ちを切り替えた。
鍵を開け部屋の中に入っていく。リビングの扉を開けると、そこにはソファーでアイナが眠っていた。
「彼女がアイナって子かい?」
ナオルが後ろからレイを押しのけて言う。
「へぇ、可愛いな〜。これじゃ、レイが手を出そうとするのも分かる気がっ――」
そう言おうとした瞬間、レイがナオルの鳩尾に掌底を入れる。ナオルはそのまま、前のめりに痙攣しながら倒れた。
「襲ってないって言ってるだろうが!」
(絶対少しは思ったくせに……がふっ)
その騒ぎに、アイナが目覚める。寝ぼけ眼でこちらを見ながら呂律の回らない口で「おかうぇり〜」と言う。その状態を目にしてレイは、まだ完璧には話を始めることは出来ないと思い、部屋に着替えに行く。
適当なTシャツにジーパンに履き替えてリビングへ戻ると、アイナも目が覚めたようで冷蔵庫からお茶を出し飲んでいた。ナオルも何とか動けるようになったのかソファーに座っており、ミリアもすでに座っていた。
「これで話に関わる人は全員?」
アイナがお茶を冷蔵庫に戻しながら、聞いてくる。レイも座りながら答える。
「あぁ、これで全員だ」
そういうとアイナはこちらに戻ってきて同じくソファーに座る。
「それじゃ、さっそくだけど、大事な会議を始めようか。まずは、そっちの聞きたい事から話すよ」
その言葉にまず、レイが質問をする。それはこの間、バルドに聞けなかった自分のITRの事だった。
「いったい、俺のITRは何なんだ? バルドが言うには、これはただのITRじゃなくてAbsorb Ringと呼んでいた」
その質問に、アイナは真面目な顔をして話す。
「Absorb Ringっていうのは、政府が作り出した特殊なITRだよ。全部で五個あってその中には、一般のITRには入っていない特殊な機能があるんだ」
「特殊な機能……」
「一つはEDNA search。EDNAを保持している人を、ある程度の範囲内なら見つけ出す事ができる機能。二つ目はDENA Absorb。EDNA保持者からEDNAを吸収することの出来る機能」
アイナの説明で二つ目の機能には心当たりがあった。一度目は自身がネーアに対して使った時、二度目はイオリがバルドに対して使った時だ。しかし、あの機能にそんな意味があったというのは初耳だった。
「これらは、政府が計画しているEDNAプロジェクトに関係しているものなんだ」
ここで、初めての名称が出てきた。それに政府が絡んでいるという事にも驚く。
「EDNAプロジェクト?」
「そう、具体的な内容は知らないけど、このEDNAを使って人間を進化させようって計画らしいよ。その為にAbsorb Ringを使ってEDNAを回収しているんだ」
突拍子の無いその計画に皆が口を閉じる。確かにその計画があるのだろうが、にわかに信じられない部分もあった。
「聞きたい事はこれくらい?」
「いや、まだ一つある……。EDNAを取られた人は……、どうなるんだ?」
「EDNAを取られた人はEDNAに関する記憶と、その人の得意だった事。つまりは才能を失う事になる」
その言葉に、ネーアの事が頭に浮かぶ。恐らくネーアはEDNA保持者だった。それでは彼女はもう彫刻を彫れなくなってしまったのだろうか……。
あんな事を悩んでいると、アイナがそれを察したのか追加でこんな事を言ってきた。
「ネーア・タイラーの事だけど、あれはレイのせいじゃない。的確な処置だよ」
「……どういう意味だ?」
「ネーア・タイラーの暴走。あれはEDNAが関係しているんだ」
その言葉にミリアが食いつく。
「ネーアの錯乱にどうしてEDNAが関係してくるの……?」
「これは、彼女だけの問題じゃない。EDNAを持つ人、全てに共通している問題なの。EDNAはただの人間を超える力を与えてくれる確かなものだよ。だけどね、やっぱり大きな力っていうのは制御しきれなくなる場合があるの」
「つまり、それがEDNAの暴走……?」
その言葉にアイナは肯定する。そしてこう言った。
「現在分かっている段階でも、暴走したEDNAは自然には沈静化する事は無い。つまり、EDNAが暴走した場合、脳が壊れるか、体が壊れるか、EDNA Absorbを受けるか……。これしか、選択肢は無いの」
それは衝撃的な真実だった。ミリアが青ざめた顔でうつむく。ナオルでさえこの事には驚きを隠せないようだった。
「じゃあ、もし俺がEDNA Absorbを使っていなかったら……」
「うん……、恐らく彼女は、発狂して廃人になっていただろうね……」
レイの心は複雑な気持ちだった。確かに、何よりも命というものは大切なものだ。しかし、ネーアにとって、彫刻を彫る事は命をかけるほどの価値があっただろう。それを奪った事も確かなのだ。
質問する事が無くなったレイ達は少しの間、黙っていた。それを機に今度はアイナが要求を入ってくる。
「さて、じゃあ今度はあたしからの要求だよ。朝も言った通り、イオリを倒して欲しい」
その質問に、レイは疑問を持った。
「アイナも一応、EDNA保持者なんだろ。しかも、EDNAを使う戦闘訓練を受けた。なら、自分で戦えばいいじゃないのか?」
レイが言い返すと、アイナは目をそらしてからゆっくりと口を開く。
「あたしはすでにイオリと戦って負けたんだよ……。その証明はあたしが倒れていた事だよ」
その話を聞いて、レイはやっとアイナが自分の所に来た理由が分かった。確かに負けた人にはもう一度戦いを挑んでも無意味だろう。
「理由は分かった。だけど、聞きたい事がある。アイナはどれくらい強いんだ? もし、俺よりも強かった場合は、俺に頼んでも無意味だろう」
そう言うとアイナはこんな事を言ってきた。
「一応、バルドよりは強いかな。でも、やっぱりレイとの強さは比較出来ない。だからさ、提案なんだけど」
アイナは立ち上がり、こう言ってきた。
「明日、力試しをしよう!」
それは、突拍子も無い提案だった……。
第六章
『調査報告レポート』
『前報告にあったコードネーム『アイナ』の死亡は、確認不備により取り消し。およびアイナの生存が確認された。現在はレイ・ガーディアと共に行動中。恐らくイオリへの対策をとっていると思われる』
『重要報告』
『EDNA試験体の状態は良好。完成まではあと少しかかる模様』
土曜日の朝からレイ達は山を登っていた。昨日、アイナが突拍子の無い力試しをするには、自分が使っている修行場しか思い浮かばなかったからだ。アイナとレイは楽々と登っているが、ミリアとナオルにとってはかなり辛いようだった。
いつもより時間をかけてようやく着いた修行場はこの間と同じ状態だった。ナオルから貰った電子ソードによって切られた木が、倒れて枯れ始めている。
「それじゃ、準備運動したら始めようか」
そういうとアイナは普通の柔軟体操をし始めた。やはりそういうところは、根本的に同じなのだと共感を覚える。レイは普通の柔軟体操とは違い、師匠に教えられた柔軟体操を行う。
およそ、五分間ほど柔軟体操と体を温め終わると、アイナがさっそく声を掛けてきた。
「レイのほうは準備良い?」
「ああ、ばっちりだ」
仮にも実戦では無いとはいえ力試し。負けたくないという気持ちが、レイの中にもあった。お互いが丁度良い距離を保ったところで立ち止まる。
「それじゃ、始めよっか!」
「遠慮なく行くぞ」
そういうと、二人は各々の武器を取り出す。アイナはこの間と同じ電子トンファー。片やレイの方は電子模擬ソードと左手に電子グローブをしていた。二人の武器から同時に電子が展開される。
その瞬間、場の空気が一転して張り詰めたものに変わる。それは、ミリアやナオルには体験した事の無い、とても重苦しいものだった。初めて感じる本物の戦いという気迫に呼吸が薄れる。
しばらくの間、続いた緊迫した空気は一瞬の動作によって、緊迫から激動へと変わった。先に動いたのはレイだった。素早い速さでアイナに向かって走り出す。ソードを構えたレイだったが、その構え方は抜刀では無かった。
腰の後ろから刀を突き出すように構え、そのソードのみねを左手のグローブで掴むような形だった。
「二の型――雷走(らいそう)」
その突きは特殊な技だった。左手で掴んだみねをそのまま鞘代わりに滑らせながら刺突していくものだ。その間、電子同士の擦れる音がバチバチと、物の間を走り抜ける雷のような音に聞こえた。
その突きは、確実にアイナの体の中心に向かっており、とても普通の人の避けれるような速さではなかった。しかし、そのソードがアイナの体に届く瞬間に、その体は木の葉のように舞い、その突きをトンファーにより受け流した。
「――っ!」
その反応の速さと身のこなしにレイは驚く。しかし、その体は即座に次の攻撃へと移ろうとしていた。だが、アイナも簡単には攻撃する暇を与えはしない。突きを受け流したトンファーとは逆のトンファーで、レイの胴体に向かって思い切り殴りつける。
レイも、その攻撃に反応して急速に後ろへと下がる。しかし、その小さなトンファーからは信じられないほどの凄まじい風圧が襲い掛かってきた。風圧に何とか耐えたレイだったが、その防御体勢には隙が生じた。
アイナはそれを見逃さずに、全力の一撃をレイに向かって繰り出す。攻撃を避けられないレイはトンファーをソードで受け止める。しかし、その瞬間にはレイの体は強い衝撃と共に空中へと吹き飛んでいた。
その出来事に驚くが、レイは空中で体をひねり、ソードを地面に突き刺す。何とか十数メートルくらい吹き飛ばされた程度で済んだ。
着地したレイは、今の攻防ですでにアイナへの戦略を立て始めていた。
(アイナのEDNAはタイプBなのか……)
その事はアイナの攻撃を受けて分かった。その為、レイはある程度の戦略を決めた。攻撃が力強いならその攻撃は大振りになるはずだ、ならばその瞬間を作り出すような状況を作り出ソード良い。その考えはタイプMのレイならでは出来ると思うものだった。
戦略通りにレイはアイナに対して近づきながらも、フェイントなどを含めた軽い攻撃しかしなかった。だが、その攻撃にアイナは何故か、どんどんと苛立ちを見せ始めていた……。
いつまでも、軽い攻撃を続けていると少し経った時、アイナが距離を取った。その顔には落胆と怒りの表情が見える。
「ねぇ、レイ。あんた、本気出してる……?」
突然の質問にレイは答える。
「勿論だ。今出せる全力で戦っている」
「嘘だね。病み上がりだって言っても、これじゃバルドにも勝てないような弱さだよ!」
その言葉にレイは愕然とする。一度は勝てたバルドに負けるほどの弱さ、と言われた事はショックであり、信じられなかった。
(今の俺が、バルドに負ける……?)
レイの心中では、本当に全力で戦っているつもりだった。しかし、アイナはそれを否定してくる。
「レイは、これがただの力試しだと思っているんだね……。だとしたら大違いだよ。だから、あたしがレイの本気を出させてあげる」
そういうと、アイナは先ほどとは違う殺気を込めて、レイと対峙し始めた。
「ミリア、ナオル、少し離れててくれる。そこに居ると巻き込まれるから……」
その言葉に従い二人はアイナ達から、さらに離れる。
「おいっ、アイナ……」
「本気出さないと……、死ぬよ」
その瞬間、アイナの姿が消える。実際はアイナが移動したのだろうが、その速さはバルドとは比較にならないほど早く、その姿を視界に捉える事は出来なかった。周りではアイナが地面を蹴る時の音しか確認出来ない。
後ろから殺気を感じ取り、無意識に体が反応する。アイナの振られたトンファーが勢い良くソードに当たり、電子同士の弾ける音がする。受け止めたレイは、今度は吹き飛ぶ事はなかった。
「そうだよ。やれば出来るじゃないか!」
そういうとアイナはもう一度、片方のトンファーを振るってくる。しかし、レイはその攻撃を受ける事無く、瞬間的にアイナの後ろへ回り込んでいた。その速さは、アイナと互角かそれ以上だった。
レイは、攻撃した態勢のままのアイナの胴体にめがけてソードを振る。その刃はアイナの体に当たる寸前で止まっていた。
「……勝負有り、だね」
そう言われた瞬間、やっと戦闘が終わった事に自覚が湧いてきた。殺気を感じ、トンファーを受けてからの自分は何かいつもとは違う感じがした。それは、実感の湧かない戦いだった。
「ミリア、ナオル。もうこっちに来ても良いよ」
その言葉に離れていた二人が近寄ってくる。近くに来てから開口一番に出た言葉は、ミリアからのものだった。
「それで、レイがどれくらい強いか判断はついたの……?」
ミリアの質問に、アイナは少しの間、何かを言い悩んでから答えた。
「潜在能力の高さでは、レイの方が強いって事が分かったよ。レイは、まだ今は強くは無いけれどEDNAを使いこなせるようになれば、確実にイオリと対等に戦える」
その言われたレイは、ほっとする。それならば鍛錬さえ積めば自分は強くなれると思ったからだ。しかし、アイナはそれ以外にもある指摘をしてきた。
「でもね、今のレイはとても危険な状態だ。レイはEDNAを使ってあたしに勝ったんじゃない、EDNAに使われて勝ったんだ」
「EDNAに使われている……?」
それは、少し前のレイが想像していたものを、呼び起こすものだった。
「レイは、EDNAの暴走を起こしてはいないけれど、EDNAに『支配』されているような感じがするんだ」
その言葉の意味は、すぐに理解できた。自分は戦闘中に意識はあるものの、自分の完全なる意識ではなく、反射反応と鋭敏な感覚のみで戦ってきた。それはまさに、自分の中のEDNAに支配されていると言っても過言ではなかった。
「これは、あくまであたしの予想なんだけど、このままの状況でEDNAを使い続ければ確実に、レイは近いうちにEDNAの暴走を起こす可能性があると思う」
アイナの言った事は三人にとって、衝撃的な発言だった。何しろ三人はネーアの暴走する様子を見ているのだ。ミリアは、レイのそんな姿を大切な人として、見たくは無かった。
「ねぇ、アイナ! それは何とか防ぐ事は出来ないの……?」
ミリアはアイナに詰め寄る。何しろ、ミリアはすでに一度、ネーアという友人を失いかけているのだ。そんな事は、二度と起きないようにと強く思っている。
「おい、ミリア。落ち着け!」
興奮状態にあるミリアをナオルが引き止める。
「まだ、レイが暴走するかどうかは分からないんだ。それにEDNAを制御する方法があるのかもしれないだろ!」
そういうとナオルは、アイナの方を向く。その凄まじい判断能力に、アイナも驚かされる。
「ナオルの言うとおりだよ。EDNAは訓練次第によって、自分の意思で制御できるようになる。そうすれば暴走を起こす可能性はほとんど無くなるよ」
その発言に、レイとミリアは安堵する。特に、レイにとっては一番重要な事だった。
「アイナ、それは具体的にはどんな事をすればいいんだ?」
「レイのEDNAのタイプはMだ。反射速度、身体速度の向上が一番現れやすい。つまりは、特訓方法としては、自分の体を素早く動かし反応させるものが一番合ってるんだ」
「つまり具体的には?」
「高速で向かってくる物体を避ける! これが一番だね」
そんな簡単な事でEDNAを使いこなせるようになるのか、少し不安に思えてきた。だが今はアイナの言う事を信じるしかなかった。
「そんな訳で、明日は屋上で訓練するから!」
そういうと、アイナは今日の訓練は終わりだと言った。仕方なくレイたちも片付けを行い、帰り支度をする。いったいどんな訓練をさせられる事になるのかは、アイナはまだ教えてくれなかった。だが、帰り際にナオルに何かを作るように頼んでいたのを見たレイは嫌な予感を感じていた。
翌日、午後になってからレイは訓練に適した動きやすい体操服を着た後、マンションの屋上に呼び出された。屋上には、すでに三人が揃っていた。だが一番目に付いたのは、屋上に設置されたピッチングマシーンだった。
「なぁ……、何なんだ。それ」
俺の質問にナオルとアイナが笑う。その様子は明らかにレイの予感を的中させるような、物だった。
「説明してあげるよ! これは僕が改良したピッチングマシーン。その名も神速投擲マシーン一号だ!」
前にもまして威張りながら自分の作った機械を説明するナオルを放って置いて、レイは今日の特訓内容をアイナに聞く。
「いったいあれを使ってどんな事をやるんだ? まさか、あれから出る球を避けろとかじゃないよな?」
「えっ? 何言ってんの? それ以外に何かやる事あるの?」
はっきりと言うアイナの言葉に、初っ端からやる気が下がる。仕方なくピッチングマシーンの前に行こうとするが、その前にミリアが服の端を掴んで忠告してきた。
「レイ。気をつけてね……」
そう言った後、ナオル達の元へ駆けていった。その後、ミリアは思いっきり後ろに下がってヘルメットを被っていた……。
(マジで……)
しかし、ナオル達はそんなレイの心配など気にせずに、準備完了と言ってきた。ピッチングマシーンの対角線には、球受けなのか分からないが頑丈なワイヤーを編みこんだネットが広がっていた。
「それじゃ、まずは軽く百キロからいってみようか!」
アイナがそう言うと、ナオルがピッチングマシーンをレイの方に向ける。モーターが回転し、もういつでも発射できるようになったようだ。
「それじゃ、今から始めるけど球が出るタイミングはランダムだから、常に気を張ってるんだよ〜」
「よし、分かった!」
一応不本意ながらもその声に応じる。百キロ程度なら今の反応速度でも避けられるだろう。そう簡単に気構えていた。
しかし、それはそう簡単なものではなかった。常にいつ来るか分からないものに対して、気を張っているという事はかなりの精神力が必要だった。待ってから十秒くらい経つが、この時点でもうすでにレイの集中力は切れかけていた。
その瞬間、ピッチングマシーンから球らしきものが飛んでくる。それに何とか反応したレイは紙一重で球をかわす。
「ちょっとレイ。百キロ程度で紙一重はないでしょ! 本当に集中してる?」
「してるけど……、長く持たないんだよ」
「まぁ、そりゃしょうがないか……。それじゃ、ヒントあげるよ」
「ヒント?」
球を避けるのにどんなヒントがあるのかと思ったがそれは大きな間違いだった。これはEDNAの訓練なのだ。ただ単に、自分の体を動かソード良いというものではない、自分の中のEDNAを使わなければ意味がないのだ。
「自分の中にあるEDNAを意識して、自分の思う形にイメージしてみな! それだけでも十分違うはずだから」
そのヒントは、とても不思議なものだった。単純な連想をさせるものだが、レイはそれを真剣に考える。
(俺の中のEDNAの形……)
そう考えているうちに、自然とレイは心の中に雷をイメージしていた。それは、教わった戦闘術が雷をモチーフにしたものだったからなのだが、それだけでもレイは先ほどまでとは違う感覚を覚えた。自分の中で何かが活性化され、全身の感覚が研ぎ澄まされていく感じがする。それは、とても気持ちが良かった。
その様子を見たアイナは、少し驚いた表情を見せた後にその顔に笑みを浮かべた 。それほどまでに、今のレイはEDNAを使いこなしているのだ。
(これは期待出来そうだね)
ナオルに時速二百キロを飛ばすように命令する。少し戸惑ったナオルだったが、彼もレイの雰囲気を感じ取っていた為、それを了承した。
「いくよ、レイ」
「あぁ、来い」
そう言うとモーターの回転音が激しくなる。
(さっきより早いな……)
だが、今のレイにはそんな事は関係なかった。集中力は最大限にまで引き出され、先ほどまでとは桁違いに意識を集中できると思った。
先ほどと同じく約十秒で球が飛び出す。しかし、発射されたと同時にレイは動いていた。今度はレイのいた位置とはまるでかけ離れた場所に球は当たった。自分の意思で出来た動きに驚いていたが、それでも確実にEDNAを扱えた感覚がした。そう思うと今、自分はどれほどの動きを出来るのかが試したくなってきた。その為、レイはナオルにこんな注文をした。
「ナオル、そのマシーンは最大何キロ出るんだ?」
「えっ! あ〜っと、三百キロだけど……。まさか、やる気じゃないよね?」
さすがのナオルも、野球の硬球が時速三百キロで当たれば人がどうなるかぐらいは想像できる。その為、ナオルは止めるように言ってきた。だが、それをアイナは止めなかった。
「良いのかい? 当たれば死ぬよ?」
アイナは笑いながらそんな事を言ってくる。だが、レイはそれにも了承した。
「さぁ、来いよ!」
「よし、いくよ……!」
その後は、実に緊張した時間が流れていたに違いない。だが、レイにはその時間も自分の力の証明になると思い、逆にそのスリルを楽しんでいた。
そして、今度はさっきより長い二十秒ほど経った時、球は発射された。レイとアイナ以外には一瞬に感じたと思う。しかし、確かに発射された球はレイの体に向かって一直線に飛んでいた。だが、レイはその速度にも簡単に反応し、その場からナオルとミリアの後ろへ回り込んでいた。レイは完璧にEDNAを使いこなせたのだ。
「よーし、合格だよ。レイ!」
その言葉にナオルとミリアは意味が分からずにいた。しかし、後ろからレイが肩を叩くとびくりと飛び上がった。
「いつの間に、移動してきたのか……? 凄いな……」
「嘘みたい……」
二人が口を開けて驚いている様子を見て、レイは満足していた。
「さぁ、アイナ。これで文句は無いだろ」
「うん、これなら二人掛りでいけば勝てるよ!」
そう言った顔には、確信のある表情があった。後は、実際に奴と戦うだけだ。
「そういえば、いったいどうやってあいつと戦うつもりなんだ?」
「それは、あたしが電話であいつを呼び出すよ。きっとあいつの性格だから一人で来るはずだ。その時を二人で狙えば良い」
「分かった。それじゃあ、いつ決行するんだ?」
少しの間、アイナは沈黙し、悩んでいた。それは慎重に選ばなければいけない事だからだ。
「レイの傷や、あたしの体力の回復を考えると決戦までは後、二日は欲しいね。その間にも軽く特訓の方もやらないといけないし。それ以上かかると、恐らく組織からの追加部隊が送られてくると思う。それは絶対に避けないといけない」
「あと二日か……。結構時間がなさそうだな……。俺らは学校があるし」
「あぁ、その事なら心配しなくて平気だよ。対策は取っておいたから!」
そういうとアイナは今度は簡単な組み手をしようと言ってきた。その対策とやらはレイ達には分からなかったが、それはとんでもない事だと知るまでにはそう時間は掛からなかった……。
第七章
『調査報告レポート』
『レイ・ガーディアがEDNAを使いこなせるようになった模様。恐らく、近日中にイオリとの交戦をすると思われる。イオリにその報告をしたが拒否された。彼の行動も今後より監視対象に入る。なお、私自身もレイ・ガーディアと接触する可能性あり』
翌日、いつも通りに目覚ましのアラートで目覚めたレイは薄らぼんやりとした意識で、その後に来る第二の目覚ましの為に、我慢して体を起こした。EDNAを使いこなせるようになった後にやった組み手のおかげか、体中が筋肉痛だった。しかし、そんな筋肉痛もあまり苦にならないのはEDNAのおかげなのだろうか……。
自室を出てリビングに入るとまだアイナは起きていないようで、母さんの部屋からは明かりがついているのが確認できなかった。無理に起こす必要も無いと思い、そのまま部屋の前を通り過ぎる。水を飲んだ後、適当に朝食を食べようと思った時、第二の目覚ましがやって来た。レイはすぐさまインターフォンを取る。
『お早う、ミリア』
『うん、お早う、って珍しいね。レイがそんなに寝起きがいいなんて……』
『まぁ、偶々だ、今開ける』
そう言うと、インターフォンを切り、扉のロックを解除する。ミリアが入って来るのには時間はかからない。玄関からの扉が開き、ミリアが入ってくる。
「あれ、アイナは?」
ミリアはリビングを見渡し、その姿が無い事に質問してくる。
「あぁ、まだ寝てるみたいだ。無理に起こさなくていいと思ってな」
「そうだよね、レイの特訓で疲れもあるはずだし……。レイは平気なの?」
「少し筋肉痛だけど、まぁ何とか平気って感じ。問題ないよ」
そういうと冷蔵庫を開け、何か食べられそうな物を確認する。しかし、中にはもうほとんど食材が無く、まともなものは何一つ作れそうに無かった。ここ数日間、忙しい日が続いた為、買出しに行っていなかったのが悪かった。
(朝飯どうしよう……)
そんな事を思っていると、ミリアが大きな手提げ袋を持っている事に気がついた。
「なぁ、ミリア。その袋は何なんだ?」
そういうとミリアは、テーブルの上にその袋の中身を置き始めた。そこには、タッパー詰めにされた卵焼きなど、朝食にふさわしい料理がいろいろ入っていた。まだ暖かいそれは、エネルギーを求める体にはご馳走に見えた。いや、実際にこんな豪華な朝食を見るのは久しぶりだ。
「どうせレイの事だから、食材の買出しにも行ってないのはお見通しなの。だから、私が作ってきてあげたんだよ」
その有難さに、口から思っていた事をそのまま喋ってしまっていた。
「ミリアが、俺の為に作ってくれたのか?」
そう言った瞬間に、自分でも自惚れている事が分かって顔が赤くなる。つい言ってしまった言葉だが、その恥ずかしさは自分の中でも耐え難いものだった。恥ずかしさを堪えてミリアの方を向いて見ると、案の定ミリアも顔を赤く染めていた。
だが、その初々しさには平和な日常のかけらが見えて、ほんの少しだけこの時間がとても大切に思えた。これが、いつまでも続く時間であれば、と思いながら。
そんな事を思っているうちに、ミリアは手際良くテーブルに料理を盛り付けていた。顔はまだ赤いままだが、その顔には微笑みが見えていた。
「はい、準備できたよ。ちゃんと味わって食べてね」
ミリアはそう言うと、キッチンに入り、タッパーを洗い始めた。レイはソファーに座り、目の前にある料理を食べ始める。
「頂きます」
そう言ってから、適当に並んだおかずとご飯に手を付けていく。その味は、まるでレイの好みに合わせて作られたかのように美味しく、自然と口の中に入っていった。
目の前にあったおかずは全て、そう時間も経たないうちに無くなっていた。食べた自分でさえも驚くほど、見事に食べつくしていた。満腹感に満たされながら、レイは食器をキッチンに運んでいく。
「ご馳走様」
「はい、お粗末さまでした」
皿を受け取ったミリアはそのまま洗い物を続けていた。その姿に感謝して、レイは部屋に戻る直前にミリアにこう告げた。
「ミリア、その……、美味しかったよ」
「うん、ありがと!」
ミリアは、その言葉に満面の笑みを浮かべてくれた。その顔は、いつも見ているミリアよりも何か、特別な感じに見えた。
自分から言った言葉だが恥ずかしくなり、すぐに自分の部屋の中に戻る。いつも見慣れたミリアの笑顔が、こんなにも直視できないなんて。脈拍が上がっているのはやはり、ミリアの事を思っている証拠なのだろうか……。そんな悶々とした感情が頭の中をよぎっていたが、リビングからミリアが急いで仕度をするように言ってきた為、中断された。
すぐに、制服に着替えリビングに戻る。ミリアも、洗い物を中断してエプロンを外していた。テーブルの上にはアイナの分の朝食と、書置きが置いてあった。
「ほら、早く行かなきゃ」
「あぁ、悪い……」
二人はそのままアイナを起こさないように、部屋を出て行った。外は一段と寒く、息は微かに白く見えていた。ミリアも学校指定のコートを着ていた。
マンションから駅へ向かう間、ミリアはこんな事を話してきた。
「ねぇ、レイは季節の中でいつが一番好き?」
「季節?」
「そう。あたしは冬が好き! 寒いのは仕方ないとして、何よりも雪が降るから好きなの!」
「雪なんて毎年降るじゃないか。見飽きないのか?」
ここは都心だが、土地開発された現代では雪が降る事はそう珍しい事ではない。降る量はそうたいした事は無いが、それでも軽く積もる位は、毎年雪は降っている。
「そんな事無いよ。白い空から降ってくる雪を見ていると、なんだかとっても不思議な気分になるの。なんて言うのかな……。うまく表現できないけどね、すごく落ち着いた感じになるの」
「俺は、雪が解けた後の春の方が好きだけどな」
「あ〜、酷い! レイはそういう事言うの!」
「だって、俺寒いの嫌いだし……」
そう言うとミリアは、ため息をついて肩を落とす。
「それは、レイがちゃんと寒さ対策しないからでしょ? 今日だってマフラーとか付けてないし……」
確かに、それは間違ってはいない。コートと制服こそは着ているものの、それ以外にはセーターも何も付けてはいない。寒いのは当たり前だ。
「いいんだよ、駅だって近いんだから」
マンションから、住宅街の駅までは歩いて五分程度である。確かに、ほんのちょっとの距離ではあるが、それにしても少し怠慢だろう。だが、実際にはこんな会話をしているうちにもう駅には着いてしまった。
朝のリニアには毎度の事多くの人が乗っている為、リニアの中では二人ともその息苦しさに喋れなくなる。しかし、それでも二人は今までの会話で満足していた。
学校に着いたレイ達はすでに暖かくなっていた教室に入り、やっと一息つく。教室ではミリアはいつも通り、ネーア達と談笑をしていた。
そんな様子を見ながら机に体を預けていると、後ろからずしりと重いものが乗っかってきた。それは紛れも無く、ナオルであろう。
「おい……、うっとおしい……」
「いや、女子を見てにやけているレイに忠告をしてあげようと思って……」
その言葉にレイは顔に手を当てる。しかし、別段にやけてなどいなかった。
「にやけてなんていねぇよ、っていうかいらないお節介だ!」
「またまた、ご冗談を……!」
(この野郎……)
ふざけた冗談を言ってくる邪魔なナオルを払いのけ、蹴り飛ばす。しかし、ナオルはそれを見事にかわす。
「ふっふっふっ、甘いなレイ。絶対いつもよりは感情的に浮いているのが手に取るように分かるぞ! ミリアと何かあったのか……?」
ナオルがまとわり付いて聞いてくる。その言葉に、朝のミリアとのやり取りを思い出すが、それを表に出さないように誤魔化して、ナオルの顔面に対して裏拳を入れる。直撃した拳は、ナオルを一撃でのたうちまわせた。
そんな様子を見ながらも、レイはこの時間を楽しんで笑っていた。
「確かに、今は楽しいさ……」
誰にも聞こえないように独り言を呟いたレイは、そのまま起き上がり反抗してくるナオルとくだらない話で盛り上がっていた。
HRが始まると、担任がいつもとは違う話をしてきた。何やらおどおどしているが、一体何があるのだろうか。
「あ〜、実はな。この季節には珍しいが急な事情により、うちのクラスに転校生が来る事になった」
その言葉にクラス全員がざわめく。受験の真っ只中に転校などする人も居るのだな、と思っていた。だが、レイは今更そんな人には興味も無く、机に突っ伏した。
「では、入ってきてくれ」
扉の開く音がすると、クラスの男子が一斉に歓声を上げる。その様子に、転校生は女子だとレイは確信した。だが、その男子の歓声の中でミリアが声を掛けてきた。
「ちょっと、レイ。起きてよ!」
その様子にレイは渋々と顔を上げる。何をそんなに驚いているのかと教壇の方に目をやると、そこには驚くべき人物がいた。
「では、自己紹介をしてくれるかい?」
「初めまして。アイナ・ウェーラって言います。あんまりこういう丁寧語は慣れていないので、早くみんなと仲良くなって気軽に話せるようになりたいと思っています。特技っていうほどじゃありませんが、トンファーを使う武術を習っていました。以上、自己紹介終わります」
そいつは見事な自己紹介を終わらせた。クラスの皆にはさぞかし可愛くて、性格の良い人だと思い込ませることが出来たであろう。だが、ナオルとミリアとレイはその光景に圧倒されていた。
ミリアが慌てるのにも納得がいく。出来るものなら自分自身も大声で、アイナがそこにいる事を問い詰めたくなる。
「席は昨日のうちに出しておいたからみんなと早く馴染めるように真ん中あたりに座らせようか」
その席はちょうどミリアの目の前だった。まるで図られたかのような気分になる。
「後ろの彼女はミリア・ネイルスだ。面倒見がいいから、何か困った事があったら彼女に相談しなさい」
加えてミリアを目付役に任命してきた。ここまで来るとさすがにアイナの手が回っている事に気がつかないレイ達ではない。机を移動させて席に着いたアイナはあくまで、初めて会ったかのように接してくる。
「よろしくね。ミリアさん」
その笑顔の中には、確実に周囲へ知り合いだという事を隠しておけという視線が込められていた。その視線にミリアはこくこくと頷きながら握手をしていた。
HR終了後、アイナはクラスの皆から転校生の宿命ともいえる質問攻めにあっていた。その間、レイ達はアイナの転校について論議している真っ最中だった。
「おい、レイ。アイナが転校してくるなんて聞いてないぞ!」
「俺だって知らねぇよ!」
ナオルの言いがかりにレイは喧嘩腰で返答する。確かに、レイはアイナが同じ学校に転校して来るなんて、思ってもみなかった。一体、いつの間に転校手続きなどしたのだろうか……。いや、その前にいったいどうやってこの学校に転校できたのだろうか……。
「でも、驚いたけど別に問題がなければいいじゃないの?」
「問題ねぇ……」
「いろいろと大ありじゃないのか? あいつまで学校にいたら、ここが狙われるんじゃないのか?」
その疑問に悩んでいるレイ達をよそに、アイナはすでにクラスの皆と、慣れ親しみ始めているようだった。口調はいつも通りの女の子にしたら少し乱暴な喋り方になっていた。
「まぁ、放課後になってからじっくり話を聞こうよ」
「そうだな、それからでも遅くはないだろう」
ナオルの提案には異議はなかった。というよりもアイナはそれまで話す時間が無さそうだったからだ。
しかし、アイナは転校初日からすでにクラスのアイドル、いや、学校のアイドルになるほどまでに有名になっていった……。
放課後になり、やっと話していた生徒達がいなくなるとレイ達は、アイナに事情を聞きに行った。教室ではアイナが沈みつつある夕陽を見ながら、佇んでいた。
「いったいどういう事なのか、説明してもらおうか……」
教室に入りながら、レイが問いただす。
「別に、大した理由はないよ。ただ、戦力は一か所に固まっていた方がいいでしょ? その為に、組織の権力ちらつかせて何とか転校って事でここに入ったんだよ。大変だったんだから」
「学校を巻き込むことになるかも知れないんだぞ……」
アイナの軽い返事に、レイは少し苛立ちを見せた。ネーアの事件だけでも、あれだけの騒ぎになったのだ。もし、イオリや政府の追加部隊が来たら、間違いなくここで戦闘が起きる可能性が高くなるだろう。そうなれば、ネーアの時とは比べ物にならないほど大騒ぎになるだろう。
「大丈夫だよ、逆にここなら襲ってくる時間が分かって戦いやすい。朝は登校によって人が多い、昼と夕方はまだ生徒が残っている。だけど、完璧な放課後なら生徒はほとんど残っていないから襲って来やすい。単純な事さ」
確かに、その考えは間違っていなかった。だが、レイはその事に納得できなかった。
「イオリと戦うのは良い! だけど、なぜ学校を選んだんだ!」
「戦いのに適していたからだよ。それ以外に理由なんてないさ」
その今までに無いアイナの冷徹な態度にレイは戸惑いと共に怒りを感じる。その様子にアイナも面と向かって話してくる。
「いいかい、レイ。今度やるのは命をかけた殺し合いなんだ。他人の事なんか、かまっていられないんだよ!」
「殺し合い……?」
その言葉は、レイには想像もつかないものだった。
人を殺す事になるなんて思いもついていなかったのだから。
「もしかして、レイはイオリを殺すなんて考えてなかったの? だったら……、そんな甘い考えは捨てな!」
アイナの厳しい発言にレイは躊躇う。
「そんな事を言われても、人を殺すなんて出来る訳がないだろう! 俺は今までただの学生だったんだ!」
その言葉を言った瞬間に、アイナが胸倉を強力な力で掴んできた。それは、EDNAの力も使ったアイナからの忠告だった。
「もし、今も自分がただの学生のつもりだって言うのだったら、早くその観念を捨てる事だね。さもないと、あんたは絶対にイオリに殺されるよ……。あんたはもうただの学生じゃないんだ!」
そう言うと、胸倉を乱暴に突き放された。息苦しさから解放されたが、その心には重い枷がかけられたような気分だった。アイナはその様子を見て、言いたい事は無くなったようだった。鞄を持って教室を出て行ってしまう。
だが、教室を出る時に最後にこう言っていた。
「あたしだって、殺さないで済むのなら、その方を望むよ……」
その言葉はアイナからレイに対して与えられた、最後の情けだったのだろう。レイはその答えの無い現実に飲み込まれていった……。
アイナは校門を出て、静かに歩いていた。先ほどの強気な態度とは裏腹に、その表情は暗く沈んでいた。
(あたしって、なんであんな風にしか言えないんだろう……)
実際には、アイナも人を殺す事なんて本当はしたくないのだ。だが、EDNAプロジェクトに関わってからはそんな概念は通用しなかった。
アイナの実力は、おそらく組織の中でも上位、しかもAbsorb Ringを所持できるほどのものだ。だが、アイナが何故、調査員という立場にいるのかといえば、それはどうしても消せない罪悪感からの逃げだった。
Absorb Ringを所持すれば、確実に戦闘の最前線に赴くことになる。それは、人体には影響こそないがその精神に大きく影響するEDNA Absorbを使う事、EDNAの暴走を起こした人を沈静化する為の暴力の実行。それらを強要される事になる。それはアイナとしては耐えられないものだった。
(自分だって未だに躊躇っているのにね……)
その思い返してアイナは今まで、レイに対して強引な強要も止めていた事に気づく。レイの先ほどの態度は、組織に入った頃の自分そのものだった。
そう気づいた時には、アイナは自然と組織から配給された携帯電話を取り出していた……。
(ごめんね、皆……)
アイナに、今の自分の立場がどんなものなのかを聞かされてから、レイはずっと部屋に篭って繰り返される質問に、答えが出せずにいた。時刻はもう日が変わりそうな時間になっている。
(人を殺す事になる……、でも、それは仕方ない事……?)
アイナが見せた覚悟は本当に辛かったものに違いない。だが、何故彼女はそんな決意をしなければならなかったのだろう……。
そして、今の自分には『人を殺す』覚悟があるのか……。そして、それをするに値する何かがあるのかをずっと考えていた。
(俺は……、なんでこんな状況に巻き込まれてるんだろう……)
ふと、そんな考えが頭を過ぎった。全ての始まりは一体、どこからだったのだろうか。自分を作る歯車が狂いだしたのは、どうしてなのか。そんな事を思い始めていた。
薄暗い部屋の中で、天井を見ながらITRのついた右手を天井へと差し出す。全ては、これから始まったのか……。
そう思いながら、手を下げようとした時、ITRの電話が鳴り始める。着信表示は、非通知だった。
通話スイッチを押すと、レイの方から先に問いかける。
「もしもし……」
そう問いかけたレイは、相手が返事をしてくるのを待つ。しかし、そこから聞こえてきた声は信じられないものだった。それは紛れも無く、『自分』の声だった……。
『レイ・ガーディア。久しぶりだな……』
自分の声で話しかけてくるその相手は、こちらを知っているようだった。
「お前は……、誰だ……?」
『そうだな……。『M』とでも名乗っておくよ。今は、その方がまだ合っている』
「『M』……?」
相手は、正体の掴めないものだった。まるで、あの謎の文章のような透明感。しかし、そこにある何か巨大に感じられる意思……。
『今のお前の悩んでいる事は手に取るように分かるよ。辛い問題だ……。だけど、本当は自分の中で分かっている。答えが出ているんじゃないか?』
Mは、突然とレイの心境を語り始めた。
「……どういう意味だ」
『あくまで白を通すつもりか? だったら少し残念だな……。せっかく背中を押してあげているのに』
Mとの会話は、何故か気味が悪かった。それは相手の正体が分からないからでは無い。自分でも分からない、生理的悪寒が広がっていった。
『お前は、もうただの学生なんかじゃない。そして、もう元の生活に戻れない事を自分でも分かっているんだろ?』
「そんな事は無い! 俺は……、ただの学生――」
『のつもりだろ……?』
その途切られた言葉に、レイの心臓が激しく脈打つ。まるで、自分の心臓が手で鷲摑みにされたように痛み出す。
「俺は……、怖いんだ……。EDNAに関われば、俺は自分の中で何かが狂い始めている事に気づかされる。ミリアやナオルとは違う。異質な存在だって思わせる……」
『でも、それは紛れも無い真実だ。変わる事のない、世界の真理。今回の問題は、それを認めたうえで初めて答えられる選択なんだよ……』
Mの言葉が、レイの心に染み込んでいく。それはまるで、自分自身の影と話しているような、感覚だった。
『回り始めた時計の歯車は止まるか、回り続けるしかない。お前は、ここで止まるのか? それとも、未来を信じて回り続けるのか?』
「俺は……、戦うしかないのか……?」
『最後に、また手助けをしてやるよ。質問の答えはそれを見て答えればいい。まぁ、答えはお前が決めるのだがな……』
まだ激しく脈打つ心臓に手を当て、握り締める。
そうしていると、今度はメールが着信する。それにはMと名前が入っており、添付データが付いていた。その添付データを開いてみる。そこには、アイナとイオリが対峙している画像があった。写真には、時間が明記されており、それは数分前のデータだった。
「アイナ……! 一人で戦いに行ったのか……」
その写真を見て、レイは先ほどの質問の意味をもう一度、理解する。『答えはお前が決める』その言葉は、この事があったからこそ言ったものだったのだ。
『さぁ、選択の時だ……』
その言葉に、レイは勢い良く起き上がる。武器を持って急いで部屋を飛び出た。戦闘が始まるまでもう時間なんてない、レイはエレベーターなど使わずにEDNAを使い、マンションのテラスから柵を足場にして屋上に跳ね上がる。足場の柵がその反動で曲がるが、今はそんな事を気にして入られない。着地したマンションの屋上では風が激しく吹いていた。その風は、まるでレイの背中を押すように後ろから吹き付ける。レイは、学区地域の方を向くと同時に走り始めた。
『そうだ……、お前はまだ回り続けなければいけない。お前は……、歯車の中心なのだから……』
その言葉と同時に、電話が切れる。切れた電話と共に文章が現れた。それは、謎の文章からの、いや恐らくはMからのメッセージなのだろう。それを見たレイは前を向き直す。そして、レイはマンションの屋上から跳躍していた……。
「俺は……、自分の意思を貫いてみせる……!」
その言葉は、レイの出した答えだった。しかし、それが正解かどうかは、まだ分からなかった……。
ミリアは玄関で聞こえた音に気付き、扉を開けた。そこにはひしゃげた手すりがあるだけで、他に誰の姿も無かった。ミリアはレイの部屋のチャイムを鳴らし、レイの安否を確認する。しかし、チャイムをいくら鳴らしてもレイは出てくる事は無かった。
ミリアは直感的にレイとアイナが危険な目にあっていると思った。ミリアは不安になり、マンションを飛び出した。レイたちのいる場所は大体の予想がついていた。昼間の会話で出てきた学校であった。
走りながらミリアは二人が無事でいるように願っていた。自分も何か手伝える事があるかもしれない。そう思い、ミリアは一人で学校へと向かって行った……。
学校の屋上では、アイナとイオリがすでに戦い始めていた。この間とは違い、イオリが一方的に攻撃を続けている状態で、アイナの体にはすでにいくつかの裂傷があり、苦戦を強いられているようだった。
息を切らせながら攻撃を一撃ずつ防いでいくのにも、限界が近かった。
「ははっ、自分から誘っておいてこの様か! 学習能力がねぇな、アイナ!」
「ふんっ、まだこっちには、隠し手があるんだよ! それさえ使えば、あんただってすぐに倒せるさ……!」
アイナは強がりを言っている訳ではなかった。最終手段として、イオリと一騎打ちをする覚悟くらいは出来ていた。だからこそ、レイを呼ばずにここに一人で来たのだ。
「さぁ、今度はこっちから行くよ!」
そう言うと、アイナはトンファーの片方を通常の二倍くらいに長さを伸ばす。攻撃の形にはこの位の長さが、最も適している長さだったからだ。長くしすぎれば、今度はイオリに懐へ入られる原因になる。しかし、短すぎても攻撃は防げない。これが、今の戦闘に適した最高の戦闘形体だった。
「はっ、どんな小細工したって勝てねぇもんは勝てねぇんだよ!」
「それはどうかな……? あたしだって、少しは変わったんだよ……」
アイナは、長いトンファーを前に構えず、腰の後ろに構えていた。長いトンファーの先端をイオリに向け、その下を短いトンファーで支える。それはレイの剣技『雷走』を真似た、アイナの改良技だった。
「はああぁっ!」
アイナは掛け声と共に、EDNAの力を最大限に引き出す。走り出し、空中へ跳ね上がる。そして、長いトンファーをイオリに向かって素早く、全力で突き出す。しかし、アイナとイオリの間にはまだ、トンファーが当たるほどの距離がなかった。
「どうした! とうとう、自棄にでもなったか!」
だが、アイナの顔は笑ったままだった。その瞬間、イオリの体に激しい衝撃が走る。それは、アイナのトンファーによる攻撃が当たったかのように錯覚する痛みだった。
突然食らった実体不明の攻撃に、イオリはよろける。アイナはそこにすかさず、トンファーによる直接攻撃を加える。
短いトンファーでまずはイオリの頭を狙う、よろけているイオリはそれに反応し、頭に対しての攻撃を両手で防ぐ。だが、ここまでがアイナの作戦通りだった。両手を頭の上で防御しているイオリは、攻撃を防ぐ方法が無かった。
「くたばりな!」
イオリが下がろうとした時には、すでに長いトンファーがイオリの胴体に向かって振られていた。ほんの半歩程度下がる事は出来たが、それでもトンファーの直撃を食らう事になった。イオリの体に当たったトンファーはその体にめり込んでいる。確実に、肋骨が何本か折れたであろう。そのまま、屋上の端まで吹き飛ばされる。
「ぐはぁっ」
イオリは苦痛の声を出すことは無く、血を口から吐き出した。地面に倒れたイオリを見て、アイナは少し安堵する。これで勝機が見えてきたのだから。
アイナは、もう一度先ほどの構えをする。そのトンファーの先端はイオリに向いていた。
先ほどの衝撃は、勿論アイナの攻撃だった。アイナの力と、レイの剣技『雷走』の合体した技、それは凄まじい突きによって生まれた空圧であった。その力は、遠距離なら衝撃波、近距離なら空気の槍に変わるアイナの最終手段だった。
殴られた胴体を押さえながら、イオリが立ち上がる。その顔には先ほどまでとは違う、冷酷な表情があった。
一瞬、その顔に気圧されそうになるが、イオリも本気になったという認識として気を引き締めた。
「まさか、ここまでやってくれるとは思わなかったぜ……」
「ふん、侮ってもらったら間違いだよ……」
「やっぱり、お前はAbsorb Ringを持つべきだった。そうすれば、今頃お前はタイプGを持って、夢を果たしていたかも知れなかったんだぜ」
「あたしはそこまでして、自分が幸せになろうだなんて思わない。だから、組織だって抜け出した。それであたしは、満足してる」
その言葉に、イオリは落胆する。だが、その顔にはまったくアイナの事を惜しく思っている表情は無かった。
「残念だぜ、お前の力は俺が一番知ってたんだけどなぁ。今度こそ、お前を殺さないといけないだなんて……。手下として勿体無い……」
そう言うと、イオリは左手を差し出してきた。その行動にアイナは警戒する。
「安心しろよ……。一撃で終わらせてやる!」
そう言ったイオリから強烈な殺気が漂ってくる。
「コード タイプR Ripper(リッパー) 起動」
コードを唱えたイオリの周りに、黄色い電子結晶体が現れる。それは、EDNA Absorbの時に出る結晶体の量とは比較にならないものだった。
その言葉は、今まで聞いた事の無いものだった。アイナはそのコードの意味を考える。その間にも、イオリの周りには結晶体が集まって巨大なクローの形を成していく。
「なにさ……、それ……」
その言葉にはイオリは答えなかった。その代わり、アイナに対して答えられたものは、一言。
「消えろ……」
その瞬間、アイナは光に包まれ、吹き飛んでいた……。
住宅街から学区地域へ建物の屋上を伝って向かっていたレイは、もうすぐ学校に付く頃だった。学校の姿は遠くからでも確認できるほど、目立っていた。屋上では、アイナ達の武器から出る閃光が見えていたからだ。
しかし、その光はついさっきから見えなくなっている。現状として勝敗が付いたという判断が脳裏を過ぎるが、それでもレイは学校へと向かっていた。だが、その考えとは逆に屋上で激しい光が見え始める。
(何だ……!)
光はどんどん大きくなっていく、だがその光には形があった。光の一部は先端が三つに分かれ、爪のような形をしていた。それは何かに向かって構えられている。その先には、アイナらしき人影が見えた。
レイは直感的に、何か危険な感じを捉えた。だが、その距離はまだ手を出せるほど近いものではなかった。それが今とても、もどかしく感じた。
だが、その予感は当たっていた。光の爪はアイナに向かって振り下げられた。屋上の床を巻き込みながらその周囲を切り裂くように破壊する。
その中に、アイナの姿が見えた……。
「アイナ!」
その声が聞こえたかどうかは分からないが、レイは無意識にアイナの名前を呼んでいた。学校の屋上にすぐ飛び移れる場所まで来たレイは、急いで屋上へと向かう。
屋上の土煙の中を、レイはアイナを見つける為に潜り込む。しかし、すぐに煙は無くなり、そこに全身に裂傷を負った横たわるアイナを見つける。
「……アイナ!」
レイは近寄り、アイナを抱える。アイナはまだかろうじて意識があるようだった。
「……レイ?」
その虚ろな目には、レイの姿が映っていた。その目からは微かに、涙が流れる。
「来て……、くれたんだ。遅いよ……、馬鹿」
「喋るな! 早く治療をしないと……」
そう言いながら、アイナを後ろにある壁を背もたれ代わりにして座らせる。だが、その後ろからは、批判の声が上がる。
「おいおい、お姫様を守る騎士のつもりか? 敵を目の前にしてよくそんなことが出来るな!」
イオリの声に反応し、レイはアイナに一言だけ告げる。
「待っていてくれ。絶対、また助けて見せるから……」
そう告げると、レイはイオリの方を向く。その体の回りに纏った黄色い電子結晶体は鎧に見えた。
「さぁ、第二ラウンドの始まりだ! ちょっとは楽しませてくれよ、レイ・ガーディア!」
「お前なんかに、付き合っている暇は無いんだ。さっさと終わらせてやる!」
そう言うと、レイはアイナのそばから離れた。ソードとナックルを展開する。
「はっ! そんなナマクラな武器で、俺を倒せると思ってるのか!」
絶え間無く挑発してくるイオリに対し、レイは冷静でいた。しかし、それは挑発に乗らなかったのではない。アイナを一人で戦わせる羽目になった自分の弱さに苛立っていたからだ。
レイは、そのままナックルを鞘代わりにソードを構える。腰を落とし、レイはいつでも抜刀できる状態になる。
「いくぞ! 一撃くらいは持たせろよっ!」
イオリは右手に付いた巨大なクローを、レイに目掛けて全力で振り下ろす。クローが当たった床は、その外郭を砕けさせ、床に大きな穴を開けた。
イオリはすぐにその腕を引き戻す。攻撃した本人だからこそ分かるのだろう。その攻撃は、レイを捉えてはいなかった。消えた姿を視界と感覚で探し出す。
だが、その姿はどこにも捉えられなかった。こんな事は今まで一度も無かった。感覚でさえ半径五mは探れるのに、それにも感じ取れない事態はありえない事だった。その違和感にイオリは警戒した。
「くそ、どこだ!」
その姿が見えない事に、イオリは苛立つ。だが、その感覚に急速に接近するものを感じ取った。
「上か!」
見上げた先には、確かにレイがいた。落ちながらも抜刀の構えを解いていないレイは、ソードを握る手に力を入れる。
(師匠、禁則を破らせてもらいます……)
そう心の中で言うとレイはソードを抜刀した。
「四の型――斬空!」
その刃は、遥か先に居るイオリに向かって振られた。その様子に、イオリは先ほどのアイナと同じような遠距離攻撃だと考える。確かに、その考えは合っていた。『斬空』は空気を切り、真空の刃を作り出す剣技だ。EDNAが発現する前は、数センチ先の物しか切れなかったこの技も、EDNAの力を使ってその威力を格段に増加させていた。
その為、イオリはその思い込みが間違いだったと思い知らされる事になる。
飛んでくる攻撃に対し、イオリは左手のクローでそれを防ごうとする。何十にも重ねられた電子結晶体は強力な防御力を誇っていると知っていたからだ。しかし、その刃が結晶体に届いた瞬間、その形は無残にも崩れ落ちた。
「――なっ!」
信じられない光景にイオリは唖然とする。まさかこんなにも簡単に装甲を破られるとは思わなかったのだ。続いて降って来るレイに対し、更なる警戒を強くする。
レイはすでに構えを変え、ソードを突き出すように向かってきた。
「舐めるなぁ!」
イオリもそれに対抗して、右手のクローをレイに向かって振るう。レイはその斬撃に耐えられるように、ソードの出力を一級まで上げる。空中で激しく衝突したソードとクローは、激しい火花を散らす。威力は互角のようで双方の武器には傷は付かなかった。
レイは、クローの力によって空中に投げ出される。そこを狙い、イオリはさらに追撃しようとした。だが、レイもそれはさせなかった。
「四の型――斬空!」
先ほどと同じくレイはナックルを鞘にして抜刀する。その技に対してイオリは真っ向からぶつからず、その斬撃から身を避ける。その判断は正解だった。微かに避け切れなかったクローの先端が、いとも容易く切り離され、霧散していく。
その実体を見てイオリはソードが強いのではなく、あの剣技が恐ろしく強烈だという事が分かった。
レイは、地面に着地する。ここまで見ればレイが優勢のように見えたが、それは違っていた。レイは自然と立ち上がるが、ソードを構える事は無かった。それは構えなかったのではない、構えられなかったのだ。
(さすがに……、体に影響が来るな……)
それは先ほど放った、『四の型――斬空』に関係があった。
斬空はレイの師匠が作り出した剣技の中でも、かなりの威力を持つものだ。しかし、それだけに使用者への負担も大きい。ましてや、骨格の出来上がっていないレイにとっては、この技を使う事は体を痛めつめているのと同じ事だった。恐らくは後、一回しか放てないだろう。
痛みが引いてきてやっとソードを構える。この間に、イオリが警戒して攻めて来なかったのは幸運だろう。しかし、イオリの装甲を破るチャンスはもう一回しかない。レイはその事に内心焦りを見せていた。
イオリの周りにあった結晶体も、今はすでに回復して元の形に戻っていた。少しの間、レイとイオリの戦いの間に静寂が訪れる。
だが、その静寂は打ち破られた。
「くっ、くくっ、あはははぁっ!」
イオリは急に笑い始めた、その様子にレイは少したじろぐ。
「いいぞ、そうだ! 戦いってのはこうでなくちゃいけない! 最高だよ、レイ・ガーディア!」
「……そんなに戦う事が楽しいか?」
その問いにイオリは歓喜の声で答える。その顔は狂気に満ちていた。
「勿論だ! お前はEDNAの本当の力を知って、何を思った? その圧倒的な戦闘能力だろう?」
確かに、その答えは合っていた。芸術作品を作る者や、発明家等、力に関係無い者もいるが、EDNAの本質は何故か戦闘能力を引き上げる力にたどり着く。
「もしこれが、EDNAの本当の使い道だったら、それを有効に使わなければ勿体無いだろう? だから俺は戦う! この力を使って、俺の力がどこまで通用するのか、試してみたい!」
「その為に、多くの犠牲者を出してもか!」
「関係ないな。俺は俺の進むべき道を行くだけだ……」
そういうとイオリはクローを頭上に構える。今度こそ、本気で攻めてくるつもりだろう。そうなればレイは勝てないという事実を良く知っていた。だからこそ、レイはイオリの答えに対立する事にした。
「お前が戦いを求めるのなら、俺は逆に平穏を求める。だから、俺は平穏を求める為にお前と本気で戦ってやるよ……」
そう言うとレイは、左手を前に差し出した。そして、こう唱えた。
「コード タイプG Guardian(ガーディアン) 起動!」
その言葉に反応し、レイの周りに青色の電子結晶体が形成され始める。イオリはその様子を見て驚いていた。
「何で……、お前がこのコードを知っていやがるっ……」
その質問にはレイは答えなかった。ただじっとイオリの方を見て、その敵対心を向けている。レイの結晶体はイオリの物とは違い、比較的小さかった。全身に取り巻く結晶体と肩から腕に展開される結晶体が、盾のように見えた。その結晶体の密度はイオリのそれとは比較にならないほど高いように見えた。
「さぁ、ここからが本番だ……!」
驚きの表情を見せていたイオリだったが、その顔はまた今までの狂気に満たされる。二人の強い意志が作り出すその空間には、もはや誰も立ち入る事が出来ない。張り詰めた空気が、その場を静まり返させる。二人がその空気を断ち切ろうとしていた時だった。
ふいに、屋上の扉が開かれる。その出来事に二人の意識が扉の方へ向けられる。そこに居たのは、――ミリアだった。
「……ミリア!」
扉を開けた状態で固まってるミリアに声を掛ける。しかし、それは逆効果だった。戦いの場を壊されたイオリが逆上して叫ぶ。
「邪魔だぁ! このアマがぁぁ!」
イオリはレイよりも先にミリアを狙い、クローを振り下げようとする。その攻撃に反応し、高速でミリアの前に立ちはだかり、電子結晶体による盾を作り出す。体に当てられていた結晶体も使い、そこには大きな一枚の盾が形成された。
だが、今度のイオリが繰り出した攻撃は生易しいものではなかった。クローは高密度で作られた結晶体の盾を貫通させ、その刃をレイまで届かせた。クローのうち二本をソードで防ぐが、一本がレイの腹部を切り裂く。
「ぐあぁぁっ」
激しい痛みにレイは気を失いそうになる。だが、歯を食いしばり、何とか意識を取り戻す。結晶体を操り、腹部の傷へと終結させる。それが、今出来る最大限の応急処置だった。
だが、その痛みにレイはその場にうずくまる。盾の修復を急ぐが、今のレイにはそれが今出来る精一杯の事だった。
イオリは振り下ろしたクローを戻し、二回目の攻撃をしようとしている。この状況は、まさに最悪の状態だった。せめて出来る事として、ミリアに早く逃げるように伝える。
「ミリア……、早く逃げろ!」
「やだっ、だってレイが死んじゃう!」
「俺はいいから、早く逃げてくれ!」
レイの説得に反論し、ミリアはレイを抱きかかえるように、その場にしゃがみ込む。その抱きしめる手は震えていた。レイはどうにかして、ミリアをイオリの視界から隠そうと思う。しかし、負った傷は予想以上に深く、まだ動けるほどには回復出来なかった。
イオリがクローを高く掲げ、振り下ろしてくる。その動きはスローモーションを見ているかのように思えた。
ミリアを助けられない……。その思いだけが頭の中で反復していた……。
イオリのクローがレイの盾をバチバチと音を立てて切り裂く。その瞬間が、最後なのかと思えた。
(死ぬ……? これで終わり……?)
そう思った時、ミリアが耳元で囁いた。
「今度は……、あたしがレイを守る……!」
その瞬間、イオリのクローがレイ達の寸前で動きを止める。それは信じられない光景だった。
(何が……、起きた……?)
そう思ったのはイオリも同じだった。レイが作り出した盾は完璧に切り裂いた。だが、その後に何かにぶつかった感覚があった。クローを引き下げその正体を確認する。
レイも、抱きついているミリアから少し顔をそらし、その方向を見る。
そこには、――純白に光輝く電子結晶体が漂っていた。
それはミリアの周りをふわふわと漂っており、まるで雪のように見えた。ミリアはいつも見せないような感情の無い顔を見せている。
「なんだ、これは……?」
その光景にイオリは呆然としている。全力の一撃をこんなひ弱そうな結晶体に遮られた事が信じられなかったのだ。もう一度、クローを振りかざす。
「あああぁぁっ」
今度は、レイの盾も無くまともにミリアへと目掛けてクローを全力で振り下ろす。その振り下ろし方には躊躇など微塵も無かった。
しかし、その刃がミリアに当たりそうになる寸前、ふわふわと舞っていた結晶体が急速に集まりクローを止める。結晶体は一本に繋がり、それが無数にクローに絡み付いていた。
それはさながら、雪の鎖といっても過言ではなかった。
雪の鎖は、ミリアの周りから絶え間なく作り出されていく。それは、クローだけでなく、イオリの体までも絡みとり始めていた。
「畜生っ! 放せ! 放せぇ!」
完全に四肢を鎖によって封じ込めれたイオリは、もう動く事が出来なかった。
「レイ。EDNA Abosrbを使って……」
レイはその言葉に従う。ゆっくりと立ち上がり、イオリへと近づいていく。
「コード EDNA Abosrb 起動」
コードを唱えると、その手の周りには結晶体が集まり始める。その結晶体は、ミリアの周りに有る結晶体とは違う青色で染まっていた。
レイが近寄るにつれ、イオリは大声でわめき散らす。それはイオリの初めて見せた恐怖だった。
「来るな……、来るなぁー! 俺はまだ戦い足りない! まだ力が欲しい!」
「もう、終わりだ……」
その言葉を告げると、レイはイオリの体に触れる。その瞬間、結晶体はイオリの体に潜り込む。
「うわああぁぁっ」
その叫び声は、EDNAを取られる衝撃だけでなく、EDNAを失う恐ろしさも混ざったものだった。
Absorb Ringから伝わるEDNAを吸い取った感触に、レイは腕を引き出す。結晶体が抜け終わると、イオリは気を失った。その後には『EDNA回収完了』という音声が空しく流れた。
だが、その瞬間と同時に純白の鎖も消え去る。後ろでは、今にも倒れそうなミリアがふらついていた。レイは、痛みを堪えてミリアが倒れる前に抱きかかえる。
「ミリア。大丈夫か……?」
「うん、平気だよ……」
その質問にミリアは疲れたように返事する。だが、それ以外には特に問題はなさそうだった。
「よかった……」
心の底からレイはそう言う。得体の知れない力を使った代償に、何か弊害が出たりしたらと思っていたからだ。
「早く、アイナを連れて帰ろう……」
「うん……、そうだね……」
レイはミリアを支えながらアイナの方へ向かっていった。
(とりあえず、ナオルを呼び出して手を貸してもらわないと……)
そう思っていたレイの後ろに、人の気配を感じる。レイは、その気配の方を振り向く。そこに居たのはロングの髪を後ろで一つにまとめていた、若い男性だった。顔は暗くてよく見えない。
「誰だ……!」
その威嚇するようなレイの声に、その男性は返答をする。だが、その声は聞き覚えのあるものだった。
「へぇ、ずいぶんと男らしくなったもんだね。俺としては微笑ましいな」
その男が言っている事の意味は分からなかった。しかし、ゆっくりと近寄ってくるその男の顔は近づくにつれ、はっきりと見え始めた。レイは、その見覚えのある顔に思考が固まる。
「……セイル師匠?」
「覚えていてくれたか、レイ。久しぶりだな」
それは昔、レイに戦闘術を教えてくれた師匠だった。軽い口調だが、その雰囲気は昔と変わらずにいた。
「何故、師匠がここにいるんですか……?」
「勿論。君達の監視をしていたんだよ。ずっとね」
その発言に、胸が痛む。尊敬すべき師匠が、今度の敵だなんて信じたくなかった。
「今は監視係だけど、戦う事になるだろうね。何しろ、EDNAタイプPが見つかったんだから」
「タイプP……?」
その言葉に、ミリアの出した結晶体が頭に浮かぶ。それは確かに、特異な力だった。
「タイプP……。それは肉体にも、精神にも、関与しない『特異な力』。それは今まで多く確認されているEDNA保持者でも最も珍しい力だよ」
落ち着いた口調が響く中、レイはこの状況をどう対処すればいいか、迷っていた。今戦って、果たして勝てるのだろうか……。そればかりが思考を埋め尽くしていた。
「タイプPの保持者は確保対象の最高位にある。おそらく、近いうちに刺客が送られてくるはずだよ」
ゆっくりと近づいてくるセイルに、レイは気圧されていた。この人には勝てない……。セイルがゆっくりと手を伸ばしてくる。その行動にレイは、息をする事さえ出来ずにいた。
しかし、その手は攻撃ではなく、頭の上に乗せるだけだった。
「悪いね、怖がらせてしまったかな? 大丈夫だよ、今はまだ戦う時じゃない……」
そう言われた瞬間、体から力が抜ける。ミリアと一緒に地面にへたり込む。
「俺は、この事を組織に知らせないといけない。またいつか会おう。その時は、弟子の成長をこの身で体感させてくれ」
そういうとセイルはイオリを肩に抱えた。連れて帰るのであろう。そう思った時、セイルが何かを投げてきた。反射的にそれを受け取る。それはイオリのAbsorb Ringだった。
「俺からのプレゼントだよ……」
そう言うとセイルは屋上から飛び跳ね、夜の街に消えていった。
レイは、その姿が見えなくなると同時に息を深く吸った。夜の冷たい空気が肺を満たしていく中、同時に体から出ていた冷や汗が収まる。
(いつか師匠と戦う事になるのか……)
そんな事を思いながら、レイは呆けていた。ミリアやアイナの手当てをしなければいけない。しかし、その体は動いてくれなかった。
自分の足を軽く殴りつける、その痛みにようやく立ち上がる事ができたが、とても体力的にもアイナとミリアを運ぶ事は、不可能だった。
「ナオルを呼ばないと……」
そう思い携帯を取り出そうとした時、屋上に人が上ってくる音がした。まずいと思うが二人を抱えて逃げる事は今のレイには出来るはずが無かった。しかし、屋上に現れた人物はナオルだった。その姿を見てレイは今度こそ、ほっとする。そして、ミリアも自力で立てるほどに体力が回復していた。
「大丈夫か、レイ!」
「俺よりも、アイナの治療をしてやってくれ。俺より重症だ……」
「馬鹿言え、二人とも重症だよ!」
「とりあえず、タクシー呼んでレイの家まで帰ろう。そうすれば、治療できる」
そういうとナオルは携帯でタクシーを呼んだ。負傷したレイとアイナは、それぞれ肩を貸してもらい。何とか校門まで出ることが出来た。その後、すぐにタクシーが来てレイ達は住宅街へと戻って行った。
レイの頭の中ではタクシーの中で意識が途切れるまで、師匠との会話がいつまでも反復していた……。
第八章
『調査報告レポート』
『イオリはレイ・ガーディアによってEDNA Absorbを受け。使用不可能になった。それに加え、EDNAタイプPの所持者を確認。レイ・ガーディアの幼馴染みであるミリア・ネイルスである。EDNAの能力は電子結晶体の操作だと思われる。なお、殲滅対象レイ・ガーディアと接触。交戦はせず』
『重要報告』
『EDNA試験体が二体完成。実験体としてレイ・ガーディアと戦闘させる事にする。およびタイプPのEDNAの確保も優先させる』
レイが目覚めたのは、腹部の傷による鈍痛によってだった。それ以外には他に怪我は無かったが、体は重りが付いたように不自由だった。
まだ思考の働かない頭に、リビングからナオルとミリアの声が入ってくる。レイは、重い体を起こし、リビングへと向かう。扉を開けると、二人は振り向いて驚いていた。
「えっ、レイ! 駄目よ、まだ動いちゃ!」
「大丈夫だよ……。傷も大分塞がってきてる」
そう言ってレイは、ソファーへと座る。まだ完全に働かない思考で、あれからの状況を聞いた。
「今は、何日だ?」
「今日は十六日だよ。詳しく言えば、レイ達が戦った日の翌日だよ」
「一日中寝てたのか……」
「普通なら、まだ起き上がれないような傷だったぞ。アイナが持っていた薬を打ってなかったら、危なかったほどだ」
薬と聞いて思い出す。以前アイナが瀕死になっていた時に打ったあの薬だ。
(アイナに打った薬はまだ半分程度残っていたな……)
「アイナにも打ったのか……」
「ああ。お前とアイナで半分ずつ打ったよ。なんだか危ない成分が入ってそうな薬だよな。あんなに深い傷が一晩でこんなに回復するなんて」
「容体はどうなんだ?」
「まだ目が覚めないけど、何とか平気そうだよ」
そう言われてやっと不安が消える。全員何とか帰って来れたという事に安堵する。しかし、気が緩んだせいか腹部の傷が疼き始めた。
「……っ!」
「おい、レイ! 傷が痛むのか!」
「ナオル、ベッドに運んであげて!」
「……これくらい、大丈夫だ」
「馬鹿、顔真っ青にしていう奴の台詞じゃないだろ」
そういうと、レイはナオルに肩を担がれ、自室に戻された。ベッドに横になると少しだけ痛みが引いていった。
「いいか、用がある時は自分でやろうとするな! 俺らに言え。いいな」
ナオルはそう言いながらリビングに戻って行った。それと入れ替えに、ミリアが何かを持ってくる。
「はい、これ鎮痛剤と抗生物質。ちゃんと飲んでね」
そう言いながらミリアは薬を差し出してきた。薬を口に放り込み、ミリアに支えられながら、水を飲む。
薬を飲み終わったレイは、ベッドに横になる。ここに来てやっと昨日の夜の事を思い出した。イオリとの戦闘や、師匠との再会。そして、ミリアのEDNA能力……。
ミリアは、特に外見的体調に問題はなさそうだが、一応気になったので聞いてみる事にした。
「ミリアは怪我とかしてないよな……?」
「うん……、怪我もしてないし、体調も何の変化も無いよ」
その点に関しては問題が無い事が分かり、安心した。だが、その顔には何か思い悩んでいる様子があった。恐らくは、自分が出したあの電子結晶体の事だろう。ミリアもかろうじて意識があった為、師匠の説明が聞こえていたに違いない。
「なぁ、ミリア。昨日の事がやっぱり不安か……?」
そう聞くとミリアは、レイの手を握ってこう言ってきた。
「……うん。自分もEDNAを持っているって聞いてびっくりした。だって、今までこんな事になるなんて思ってなかったから……」
ミリアは強くレイの手を握りながら話し続ける。
「昨日……、あの電子結晶体を出したのが、自分だって未だに信じられないの……。あれから何度か自分でも試してみたんだけど、やっぱりあれと同じものが出てくるの……」
ミリアの周りに、少しずつ純白の結晶体が現れる。雪のように揺らめく結晶体は、暗い室内でもその光は優しく強く輝いていた。
「私も、近いうちに狙われるんだよね……」
そう弱弱しく言うミリアに対して、レイはそれとは反対に強い意志を伝える。
「大丈夫だよ、ミリア。俺が絶対にそんな事はさせない」
「でも、それでレイが傷つくのは嫌だよ……!」
ミリアの目からは、涙が頬を伝っていた。その様子を見て、レイは手をミリアの頬にあて涙を拭う。その行動にミリアはこちらに顔を向けてくる。
「よく聞いてくれ。俺は小さい頃からずっとミリアと一緒にいて、楽しかった。一人ぼっちの俺と一緒にいてくれたのはミリアしかいなかったからな……」
ミリアはレイの話に小さく頷く。
「だから、俺はずっと思っていたんだ。ミリアだけは俺が必ず、ずっと守り抜いてみせるって……。その思いは今だって変わっていない」
レイは、今がその思いを伝える時だと思っていた。
「ミリア、俺はお前の事が好きだ……。誰よりも大切な、守り抜きたい人だ。だから、必ず俺が守り抜いてみせる」
思いを伝えると、ミリアはさっきよりも多くの涙を流し始める。だが、その顔には今まで見てきた中で一番の笑顔が詰め込まれていた。ミリアは頬に触れていた手を握り返してこう言った。
「うん……、ありがとう、レイ。あたしも、レイの事が好きだよ……」
ミリアからもその思いが伝えられる。二人の思いはやっと繋がる事が出来たのだ。見つめあうその時だけは、他の何者にも邪魔されない、二人だけの言葉の要らない静かな時が流れていった。
その後、ミリアは疲れていたのか気づかないうちに眠っていた。レイも鎮痛剤の効果によっていつの間にか眠っていたようだ。時計を呼び出し、時間を確認するとまだ先ほどからそう経っていなかった。
ミリアは穏やかな顔でベッドに伏せるように眠っていた。レイは起こさないように、静かに上体を起こす。レイには、まだ考えなければいけない事が残っていた。脳裏に、セイルの姿が浮かび上がる。
(師匠……)
寝ている間、レイは幼い頃の夢を見ていた。それはセイルとの修行をしている頃の風景だった。教えてもらっていた期間は、長いとはいえないだろう。だが、その修行は今の戦闘でも役に立つ、強力なものだ。彼の使う剣技は全て独自の技だが、その全ては恐ろしいほどの完成度を見せていた。
教えてもらった型は一から五までだが、実際はさらに七まであるらしい。それを教えて貰わなかった事が今になって惜しく思える。だが、そのやり方も、実際に使う所も実際に見せてもらった事があった。
だから、レイは師匠と戦う前に、それを極めなければいけないと思っていた。何しろ、当時でさえセイルの実力は今のレイを超えていたであろう。それが、今は年月を得てさらに熟練されたと思うと、それに対抗できるかが難しく思えてくる。
だが、迷っている暇は無かった。師匠は近いうちに戦いを仕掛けてくる。そうなれば戦えるのは、もうレイしか残っていない。アイナは重症で当分は戦えないだろう。それに、ミリアを戦闘にだそうなんて思わなかった。
「俺が、全部守り抜いてみせる……」
そう思うレイの目にはもう迷いは映っていなかった。傷の痛みは治まっている為、ミリアに気づかれないようにリビングへ向かう。そこではナオルがレイのソードを分解していた。
「何してるんだ……?」
「あ〜、レイ。起きてくるなって言っただろ……」
「大丈夫だよ、今は鎮痛剤が利いている」
そういうとナオルは諦めたようにため息をついた。「せめて座っとけ」と言ったナオルは、また作業に取り掛かり始める。
ナオルの指示に従いソファーに座る。そうすると、先ほどの問いに答えてくれた。
「これは、メンテナンスだよ。本当はこんな事をするなんて思っていなかったけど、これから大切な戦いがあるんだろ。だったら万全に整備しとかないと、もし不備が出たら大変だ」
意外な盲点だった。そういえば、今まで戦いの中で一番活躍してきたのは、このナオルが作ったソードだった。これが無ければ、レイは戦う事が出来ていなかった。
「まぁ……、そうだな……」
「それに、僕に出来るのはこれ位しかないからね……」
ナオルの言葉には、微かに悔しみが混ざっている事に気がついた。ナオルにしてみれば、自分だけEDNAを持っていない事がふがいないと思っているのだ。レイは「そんな事は無い」という思いをどう言えば良いのか分からなかった。
だが、ナオルはこちらを向いてこう言ってきた。
「だから僕は、レイのサポートとして全力で援護する事にしたんだよ。戦えなくても、やれる事は他にも沢山あるんだ……」
ナオルの目には、確かにその思いが伝わる熱意が見えた。ナオルも自分でその意思を強く決めていたのだ。レイはその頼れる強い思いに答える。
「ああ、ばっちり整備してくれよ。お前の作る武器が無きゃ、俺は戦えないんだからな!」
「任せとけよ! 僕はクラス一の機械マニアだからね!」
そういうとナオルは、作業に戻った。邪魔をしてはいけないと思い、じっとその作業を見ていたが、さすがに見続けているのもおかしいと思い、席を立った。
部屋に戻ると、ミリアはまだぐっすりと眠っていた。さすがにもう一度ベッドに戻ろうとすればミリアが起きてしまうと思い、ベッドに寄りかかるようにしてまた眠りに落ちていった……。
二日後、レイの傷はもう痛みを感じさせないほどに回復していた。もう体を動かすには支障がないほどに体調も良かった。ナオルはさすがに学校へ行かないとまずいという事で、昨日から登校をしていた。
受験前なので三年生は登校がほとんど自由だが、本当は週に二度は顔を出さないといけなかったが、それどころではないのでレイ達三人は、ずっと家で療養していた。帰りには必ずナオルが家にやって来るという形になっていた。
アイナも今日の朝、やっと意識が戻った。最初は信じられないように「あたし、生きてるの?」など言っていたが、午後には意識もしっかりとして、もう歩き回れるほどに回復していた。
レイ達は、一通りの事をアイナに説明し、今後の対策を取る事にしたが、そう簡単には成り立たなかった……。
「悪いけど、あたしはまだ戦えない。緊急的に守るとかは出来るけど、戦闘は不可能だ」
アイナは現在の体調を見てそう言ってきた。確かに、今朝まで寝込んでいたアイナに、戦闘の手助けをしろというのは元より無理があった。それは分かっていた事だったが一縷の希望が消えた事に、レイは少し落ち込む。
だが、そうなればやはり戦えるのが自分一人だという使命感に、皆を守るという思いは一層強くなった。
対策は、なるべくミリアをレイから離さない事だけだった。それ以外には、こちら側に出来る事はなく、後は敵の出方を見るしか出来なかった……。
夜になってナオルが帰った後、レイ達はいつも通りに眠りに付いた。敵がまったく動かないのが不思議に思えていたのだが、レイには直感としてもうそろそろ何かが来る事が分かっていた。
深夜、静まり返っていた部屋の中に、電話の着信音が鳴り響く。それはレイのITRからだった。レイは電話を繋ぐように命令する。電話から聞こえてきたのは、レイ達と変わらないような、若い女の声だった。
『レイ・ガーディアですね』
「ああ、そうだ」
『今から指定する場所に来てください。これはお願いではなく、命令です。そうしなければ、ミリア・ネイルスおよび、その周辺にいる人物の保証は出来ません』
定型句のような脅し文句だった。しかし、その声にはまぎれも無い真実だけが含まれていた。
「分かった。どこへ行けばいい……」
『戦闘準備をした後、そのマンションから徒歩十五分の大山公園に来てください。そこでお待ちしています』
そう言った相手は、すぐに通話を切った。レイは戦いが始まる事に気合を入れる。心の中で何度も呟く。
(俺は皆を守る……)
気合を入れたレイは戦闘に備えて準備をし始める。それに気付いたアイナが、部屋に入ってきた。
「敵から連絡があったの……?」
「あぁ、今から大山公園に来いって言われた」
一瞬、申し訳なさそうな顔をしたアイナにレイは苦笑する。
「そう……なんだ。レイ、ミリアの事は任せておいて、必ず守って見せるから。だから、レイも帰って来るんだよ」
「分かってる、俺は絶対帰ってくるよ」
そう言うと、レイはミリアに電話を掛け、アイナのそばに居るように言った。仕度が済み、レイは玄関に向かう。玄関では、ミリアが丁度外に出たところだった。
「敵が来たの……?」
「ああ、でも大丈夫だよ。絶対帰ってくるから。待っていてくれ」
「うん……、絶対帰ってきてね……。レイ。いつまでも待っているから……」
その言葉にレイは深く頷く、そしてエレベーターへと向かって歩き出す。後ろでは、ミリアが不安そうな目でその背中を見守っていた。
エレベーターが一階に着き、レイはロビーを出る。ロビーの前で立ち止まったレイは、大きく息を吸い込み、深呼吸した。何度かそれを繰り返したレイは、気持ちを切り替え、大山公園へEDNAを使って向かった。
EDNAの力を使いここまで来たので、時間は掛からないで大山公園に着いていた。辺りを見渡すが人の気配は無く、その静けさが不気味だった。
(とりあえず、公園内を回ってみるか……)
そう思い、歩き出そうとする。しかし、その前にはいつの間にか、二人の少女が立っていた。
服はまるでどこかのスパイが着ているような特殊な作りのものを着ていた。歳はレイ達より少し下あたりだろう、背はまったく同じ、顔立ちも双子のように瓜二つだった。見分ける要素といえば、前髪を左と右に髪留めで分けている位だった。
レイは驚くが、すぐに二人から距離をとった。恐らくこの二人が敵の刺客なのだろう。レイは警戒しながら、二人に対して質問する。
「お前らがさっきの電話を掛けてきたのか……?」
「そうです。私のコードネームは『ティラ』、そしてこっちが『ティナ』です」
馬鹿正直に自己紹介してくる二人には、何か違和感を覚えた。この二人には、未だ殺気が感じられないのだ。先程から喋っているのはティラという前髪を右に分けた方の少女だった。
「私達の目的はレイ・ガーディアのEDNAとAbsorb Ringの回収。およびEDNAのタイプP回収です。現時刻を持ってからこのミッションを開始します。なお、貴方には降伏するという条件も残っています。降伏をしますか?」
「悪いが、降伏なんてしない。勿論、お前達がやろうとしている事も認めない!」
そう言うと、二人の感覚が変わった。今度こそ、明らかにレイを狙って殺気を漂わせ始める。
「降伏を拒否。現時点でレイ・ガーディアを殲滅対象に変更。最優先で殲滅します。いくよ、ティナ」
「了解、ティラ」
二人は同時にITRを目の前に差し出した。それは紛れも無くAbsorb Ringのタイプ能力発動の構えだった。
「まさか……、二人とも!」
「コード タイプM Mirage(ミラージュ) 起動」
「コード タイプB Blacksmith(ブラックスミス) 起動」
同時に発動されたAbsorb Ringから緑色と桃色の電子結晶体が現れる。
ティラの電子結晶体は緑色だった。その量は多く、空中で彷徨い、形は定まっていなかった。その光景に見入っていたレイは、周囲で起こっているその異変に気がつけなかった。
後ろから、何かが動く音がした。レイはそれに反応し、振り返る。そこには、さっきまで目の前に居たティラが立っていた。その手には、桃色の結晶体で作られたレイピアが握られている。
(いつの間に……)
しかし、その認識は間違っていた。さっきまで大量に空宙を舞っていた緑色の結晶体が消えた代わりに、あたり一帯に十数人のティラとティナが桃色の様々な武器を持ち、立ち尽くしていた。
「嘘だろ……」
レイはこの光景に唖然としていた。まさか、こんな攻撃を仕掛けてくるなんて思わなかった。目の前にいるティナとティラはどれも精巧に作られており、生身の人間と見た目では区別がつかなかった。
(電子結晶体による偽者の作成と、武器の作成か……?)
レイは即座に気を引き締め、この状態を判断する。戦闘が始まったら、戦況を分析しろ。セイルがいつも言っていた、戦闘が始まった時の決まりだった。レイはナックルとソードを展開する。
しかし、いつまで経っても向こうからは襲ってこなかった。歩いたり、構えを変えたりはしているが、攻めて来る様子はまったく無かった。
(こちらから行くしかないか……)
レイは仕方なく、自分から攻めに行く事にした。もっとも近くにいたティラに対して、斬りかかる。攻撃を受けたティラは持っていた薙刀で斬激を受け止める。しかし、その動きはとても単純なものだった。すかさずレイは、左手のナックルで掌底を繰り出す。
掌底は、見事に鳩尾に当たった。その瞬間、攻撃を食らったティラは緑色の結晶体に戻って砕け散った。
「やっぱり、結晶体で作った偽物か……」
レイは、予測通りだった事に一瞬喜ぶ。しかし、その予想にはもう一つ喜べない事があった。目の前で砕け散った結晶体は、レイから離れた場所にまた集結し、またティラとしてその姿を復元していた。
「……再生も無限か」
この時点で、レイは本物のティラを倒さない限り、周りにいる偽物を無闇に攻撃しても意味が無いと確信した。これ以上攻撃しても体力が減るだけで得は無い。
(だったら、じっくり気配で探すしかないか……)
そう思い、警戒しながらも気配を探り始めようとした。だが、その様子を見たティラは戦略を変えてきた。今まで全く動かなかった二人が急に襲いかかって来たのだ。
様々な武器を持ったティラとティナが、次々と襲いかかってくる。それに対してレイはソードを下段に構える。周りを囲むように襲いかかって来る二人の合計数は四人。しかもいずれも動きは遅かった。
「五の型――五月雨!」
下段に構えたソードは素早く動き、四人のティナとティラを切り裂いた。いずれも結晶体に戻り、レイの周りに散っていった。
(全部偽物か……)
それもそうだろう、これだけの偽物を作っておいて積極的に攻めてきたら、それこそ意味がない。だが、二人の攻撃が止む事は無い。
(早く本物を探し出さないとこっちが持たないな……)
気配を探りながらも、襲い掛かって来るティラ達を倒していく。だが、その攻撃は絶え間無く続き、レイはなかなかティラの気配を掴む事が出来なかった。その間にも、体力は徐々に削られていく。
(くそ、偽物が多すぎる。これじゃ見た目でも、動きでも判断がつかない)
少しずつレイにも焦りが出始める。それにつれて、思考も大分疲れ始めていた。考えていた戦略が一つずつ消えていく中、レイは賭けとして新たな攻撃をしてみる事にした。その為に、レイはポッケトからあるものを取り出す。
「本当は使いたくなかったんだがな……」
レイが取り出した物は、もう一つのAbsorb Ring。つまり、この間手に入れたイオリの所持していたタイプR(Ripper)である。
ティラ達はそれを見て警戒を強める。動きが一時的に止まりこちらの出方を待つようになった。だが、それはレイにとっては逆に好機になった。
Absorb Ringを左腕に付けたレイは、それを起動する。
「コード タイプR Ripper 起動!」
コードを認識したAbsorb Ringは、黄色い結晶体を展開する。所有者の影響を受けているらしく、その形状はクローではなく、レイのソードを模した物を何本も作り出していた。しかも、その一本一本はレイの意思によって動くように作られていた。
この二日間でAbsorb Ringのタイプ能力には、何種類かの形態がある事をレイは知った。タイプG(Guardian)なら鎧の形状と楯を形成できる。タイプR(Ripper)なら大量の刃と、巨大な刃になる等と特性がある事に気付いたのだ。
レイはソードの展開が完了した事を確認すると、すべての刃を上空に飛ばした。上空に上がったソードの切っ先は、全てティラ達の方向を向いていた。
「貫け!」
レイの命令と共にソードが次々とティラ達に向かっていく。ソードを弾ききれなかった偽物はその刃に体を貫かれ、結晶体へと戻っていった。だが、その中でソードをはじき返し、生き残った二人がそこにいた。それは、まぎれもない本物のティラ達なのだと判断した。
レイはまず、ティラを標的に定めた。相手も腕の立つ人間なら同じ手段はもう通用しないだろう。時間が経てばまた偽物が復活し、紛れ込まれる事になれば次のチャンスはもうないだろう。その前に、ティラを倒さなければいけない。
ティラに向かって抜刀の構えをしながら、全力で近寄る。ティラも反応し、身構えるがレイのスピードにはついていけなかった。
「一の型――線剣!」
高速で迫ってくるレイの斬檄はティラの武器を破壊し、腕に付いていたAbsorb Ringすらも破壊していた。切られた部分から火花が散ったと思った瞬間、Absorb Ringは爆発して粉々に砕け散った。それと同時に、周りにいたティラ達の偽物も結晶体に戻り、霧散していった。
「――っ!」
今まで冷静だったティラもさすがにAbsorb Ringまで破壊された事には驚いたようだ。その場で立ち止まり、次の行動をどう取ったらいいのか迷っているようである。
「コード EDNA Absorb 起動」
レイはすかさず左手でEDNA Absorbを起動させる。それはほんの数秒の事だった。
その言葉に反応してティラが振り向くが、すでにレイが掌底を放った後だった。掌底はティラの鳩尾に寸分の狂いもなく、当たっていた。
「あああぁぁっ」
EDNAを取られる衝撃に、ティラは悲鳴を上げる。流れ込んでくるEDNAの感覚には慣れてきたが、それでもまだその違和感は消える事はなかった。
ティラは気を失いその場に崩れ落ちる。その姿を見たレイは一瞬、苦痛の表情を見せるがすぐに振り返り、ティナの方を向いた。
ティナは倒れたティラを見た後、すぐにレイの方を向き直した。
「ティラが戦闘不能になった為、行動優先権はコードネーム『ティナ』が引き継ぎます。これより、レイ・ガーディアとの戦闘を継続します」
ティナは、ティラを倒された事に何も感じていないようだった。あくまでも冷静に判断し、レイへと戦闘の意識を向ける。それに対し、レイもティナとの戦闘に備え、戦闘体制を変える。
「コード タイプR Ripper 停止」
レイはタイプRの展開を解除する。周りに浮いていた黄色い結晶体がそれと同時に霧散して消えた。そして、今度は左手を前に差し出してタイプGを起動させる。
「コード タイプG Guardian 起動」
今度は、青く光る結晶体が展開される。その形状は小さいが数は多い、結晶体の圧縮された高密度の盾だった。
ティナがAbosrb Ringの付いた手をこちらに向ける。それは攻撃の合図だった。様々な形をした武器がレイへ向かって襲い掛かっていく。レイはそれに対し、全ての攻撃を盾で器用に防いでいた。全ての盾はレイの意志で動いている為、その操作力と反応能力は凄まじいと言えるだろう。
レイは、攻撃を防ぎなら着実にティナへと近づいていく。ティナ自身は短い短剣を二本持っていた。ソードの間合いまで入った瞬間に、ソードを縦に振り下ろす。ティナはそのソードを両手の短剣で受けると、すり抜けるように懐に入ってくる。その短剣は、確実にレイの心臓に向かって突き出されていた。
しかし、その刃はレイの体に刺さる事は無かった。服が切り裂かれて肌が見えるが、そこには青く光る小さな結晶体が体に纏わりついていた。
「詰めが甘い……」
それは、レイの仕組んだ単純な罠だった。攻撃をしたばかりのティナは、すぐにレイから距離を取ろうとする。だが、下がろうとしたティナの背後にはレイの結晶体が壁となり、立ち塞いでいた。逃げ場を無くしたティナは一瞬だけ、その動きを止める。それをレイは逃さなかった。
「コード EDNA Absorb 起動」
素早くEDNA Absorbを発動させ、ティナに掌底を繰り出す。気を取られていたティナはそれを避けようとするが、攻撃は避けられなかった。ティナの体に結晶体の付いた掌底が当たる。
それと同時に結晶体がティナを貫いて悲鳴を上げさせた。そして、EDNAの回収が終わると、ティナは崩れ落ちた。
ティラ達を倒したレイはその場に少しの間、立ち尽くす。その間、レイは展開した武器を解除する事は無かった。それは、戦いを始めた頃からその存在を感じさせていた相手への威嚇だった。
「師匠……、居るんでしょう……」
レイがそう言うと、公園の暗闇の中からセイルがゆっくりと現れる。その顔は、いつもと変わらない軽く笑ったような表情をしていた。しかし、その顔に昔とは違った冷酷な面を感じる。
「よくAbsorb Ringを使いこなしたね。想像以上に強くなっていて嬉しいよ」
セイルが笑みを浮かべながら、軽く話しかけてくる。その態度にレイは苛立つ。
「それが、仲間が倒された人が言う言葉ですか……」
「ああ、こいつらね。仲間だなんて思っていないよ。だってこいつ等は、人によって作られた存在なんだよ? そんな奴らを仲間だなんて思えない」
「作られた存在……?」
「そう。こいつ等は集められたEDNAから作られたクローン体なんだよ」
その言葉に、レイは驚愕する。さっきまで戦っていたティラ達が、とても作られた人間だなんて思えなかった。
「EDANプロジェクト。コードネーム『アイナ』から名前くらいは聞いているだろ? その実体は、政府がマザーコンピュータと一緒に立案した、戦闘用クローン体の製造が目的だったのさ」
「何の為にそんな事を……」
「さぁ? 政府の考えている事は俺には興味が無いからね。それ以上は知らないよ」
「じゃあ、何故そんなプロジェクトに師匠が関わっているんですか!」
その矛盾している動機を問い詰める。セイルはその問いを待っていたかのように話し始める。
その顔には本当のセイルの感情が込められていた。
「このプロジェクトが成功した時、それの協力者。つまり、Absorb Ringの所有者とその調査員には報酬が出される。それが俺の目的さ……」
「その報酬とは何なんですか……」
「報酬はEDNAプロジェクトの研究成果の提供だよ。俺は強靭な肉体を持てるEDNAそのもの。それが欲しいのさ……。一刻も早く……」
その顔には、何かを守ろうとする決意が込められた表情があった。それは、レイと同じく強い意志で固められた純粋なものだった。
「師匠にどんな事情があるのかは分かりません。でも、俺にも譲れない思いがあるんです。だから師匠……。俺は貴方と戦います!」
その言葉に、セイルは言葉無く応じる。左手の電子グローブ展開し、腰に付いていたホルスターからソードを手に取り、展開する。それは、レイと戦うという意思表示だった。セイルからは微塵も容赦の無い、殺気が放たれる。
「まったく、弟子は師匠に似るっていうのは本当だね。考え方も、まったく一緒だなんて……。でも、だからこそ容赦なく戦えるんだよね……。そこだけは喜ばしいな」
セイルが話しかけてくる中、レイはセイルに対して最大限の警戒をしていた。いつ来るか分からない攻撃。それは、レイの思考を全て使っても、まったくその予兆を掴む事ができなかった。
「だから、レイ。自分の意思を貫きたいのなら躊躇してはいけないよ。例え、戦う相手が自分の師匠や弟子だとしてもね」
その言葉が言い終わった瞬間、セイルが飛ぶように迫ってくる。その構えは抜刀だった。抜刀から来る攻撃は三つ。一の型と四の型と七の型だ。どれも一本のソードでは受けるのには心細かった。
レイは周りにあった盾を自分の周りに終結させる。形を変形させ、鎧のように自分の体に纏った。少しでも防御力を高めなければ、どの型を食らっても恐らく一撃で戦えなくなるか、死ぬかのどちらかだろう。
レイは、その抜刀の瞬間を見逃さないように集中する。それは一瞬の勝負なのだから……。
「四の型――」
「――っ!」
レイは型の数字を聞いた瞬間、防御の構えを解いて避ける事に気を集中させる。四の型は衝撃波と同じである為、防ぐには同じく衝撃波を与えなければならない。しかし、そんな事は理論上の考えであって実際にやろうとしたらそれは、よほどの実力者でなければ不可能だろう。
ソードが抜刀されるまで、その太刀筋は自由に変えられる。レイはその抜刀の一瞬を見極めなければならなかった。
セイルのソードが横に傾く。それはセイルを中心に周囲を薙ぎ払う斬撃を放つ形だった。
ソードが引き抜かれると同時にレイは空中へ飛び上がる。斬撃を避ける事が出来たが、セイルの放った斬撃はレイの想像を遥かに超える威力だった。
セイルが放った斬撃は半月の形を描いており、レイの後ろにあった物を次々と切り裂いていった。斬撃の範囲はレイが放つ、『斬空』の数倍はあった。
分かりきっていた事だったが、実際にその実力の差を見せ付けられると、これからの戦いがどれだけ苦戦を強いられるのかが想像できた。レイがこの一撃を見て判断した事は、剣技のみでは戦えない事、そしてAbsorb Ringを使われたら絶対に勝てないという事だった。
その為、レイはこちらから全力で攻めなければ押し負けてしまうと思った。地面に着地すると同時に、左手を前に差し出す。それは、レイの全力で攻撃する為の最終手段だった。
「コード タイプR Ripper 起動」
コードを認識したAbsorb Ringは黄色の結晶体を展開する。レイの現段階での全力は、Absorb Ringの同時発動である。Guardianで防御をして、Ripperで攻撃をする。これが今出来る最強の装備だった。
展開した結晶体はソードに集結して巨大な分厚い大剣になる。それを腰に持っていき、抜刀の構えをする。
レイは、セイルに向かって走り出す。だが、その動きは一瞬だけだった。
「一の型――線剣!」
レイの放った抜刀はセイルから十メートルは離れていた。しかし、それはセイルの虚をつくための行動だった。ソードに付いた分厚い刃は、その形を素早く変形させて細長いソードに変わりながらセイルへと向かっていった。その長さは軽く十メートルを超えているだろう。刃の軌道は、完璧だった。
だが、セイルはその斬撃を軽く受け止めていた。それはまるで、その攻撃を予想していたかのようだった。ソードを弾き返すと、そのままこちらに向かって来た。
レイはソードを引き戻し、大剣を形成しようとする。だが、結晶体が戻ってくるよりも、セイルがレイの元にたどり着くほうが早かった。
「いい攻撃だけど、それは有効策ではないな……。次の攻撃に支障が出るよ」
セイルがソードを下段に構える。それは『五の型――五月雨』の構えだった。下段に構えられたソードが、レイへと向かって振られる。しかし、レイはまだソードが集結仕切れていないのに下段の構えをしていた。そして、振られた刃がレイのソードに当たった瞬間、レイの動きは変わった。
「三の型――流線」
その動きは、セイルの五月雨の威力を完全に打ち消していて刃は動きを止め、レイとは関係ない方向に向けられる。『三の型――流線』は七つある型のうち、唯一の返し技であった。その効果は、流線型の物体に攻撃を当てたときの如く、威力をそらし、相手の隙を作る技だ。
完全に隙が出来たセイルに、レイは集結したソードで突きを入れる。
「二の型――雷走!」
その刃はセイルに直撃するはずだった。しかし、セイルはソードで防ごうとはせず、寸前のところで刃は左手のグローブに受け止められてしまった。だが、それでも威力はそのまま伝わっていた。
グローブは突きに耐えるように電子同士の衝突で火花を散らしていたが、突きが終わる頃にはグローブは電子を展開出来なくなっていた。壊れたグローブから見える腕からは、多少の血が流れていた……。
(全力でこれか……)
息を切らせながら、自分の全力出した攻撃を受けたセイルの傷を見てそう思う。だが、セイルに傷を負わした事でさえ、本当は賞賛すべき事だった。
「驚いたな……、まさか、ここまで腕が上達しているとは思わなかったよ……。小学生の時に教えた事をよく覚えているね」
「貴方に、そう覚えさせられましたからですよ……」
「ははっ、そうだったね。俺の教え方は間違っていなかった訳だ。でも、これで弟子の成長も分かった事だし、もうそろそろ終わりにしようか……」
セイルは左腕を前に差し出す。タイプ能力を発動させようとするセイルに、レイはその時間を与えまいと飛び掛り、ソードを上段から降り下ろす。だが、セイルはそれを避けようとはしなかった。
「コード タイプA Asura 起動」
コードを唱え終わると共にレイのソードがセイルに直撃する。発動直後なら、まだ結晶体の展開が間に合わないと思っていた。しかし、それは間違いだった……。激しい火花が収まった後、レイが見た姿は全身に赤色の結晶体を纏ったセイルだった。
しかも、セイルは防御を一切してはいなかった。ただ、そこには今までの笑みを一切消した、阿修羅がいた……。
レイはその表情に恐怖を感じた。近くにいたら確実に殺されると、全身が撤退せよと命令していた。レイは本能に従い全力でセイルから距離を取る。
跳ね跳ぶように後ろに下がったレイは、抜刀の構えをする。動かれる前に倒さなければこちらが殺されると判断したからだ。最強の装備で今出来る全力での攻撃をセイルに向けて放つ。
「四の型――斬空!」
その一撃は、今のレイが全力で放てる攻撃だった。威力は先ほどのセイルが放った斬空と同じか、それ以上のものだった。だが、セイルは向かってくる斬撃に対し、同じく抜刀の構えをする。レイはその光景に目を疑った、そんな事はありえないと心の中で思った。しかし、そんな思いも次の瞬間には現実のものになっていた。
斬撃がセイルの目の前に迫った時、セイルは動いた。その動きは、レイと同じく遠距離への攻撃である技だった。
「四の型――斬空」
その刃は、レイが放った斬撃を一瞬にして消し去っていた。放たれる斬撃がレイへと向かっていく。だが、レイも『斬空』を放った直後であり、身動きをとる暇は無かった。
Guardianを急速に動かし、その斬撃に対して適した形に結晶体を集結させる。それが今のレイに出来る精一杯の抵抗だった。Guardianは斬撃を受け止めるもその役目を果たす事はなかった……。目の前で砕け散った結晶体は無残にも原形を留めてはいなかった。
レイに風が吹きつけられる。その瞬間――レイの体には赤い線が描かれていた。
そこからは激しく血が噴出し、辺りを赤く染めていた。そして、レイはそのまま自分が染め上げた真紅の地面に倒れる事になった……。
その感覚は、不思議なものだった。痛みは勿論あった。右肩から斜めに一線についた傷は、未だ大量の血液を流していた。だが、それとは別に、何かが抜け落ちる感覚がしたのだ。
恐らくそれは、戦いに敗れたという事実が信じられなかったからなのだろう。いまだ、闘争心が消えない心とは逆に、その意思を無くしていく体。その相違間が今のレイを満たしていた。
(動けよ……、俺の体……)
いつものように手に力を入れようとするが、その手は微塵も動く事がなかった。次第に体全体の機能が徐々に停止していく。体は完璧に動かなくなり、五感が無くなり始める。それでも、自分が死ぬなんてレイには思えなかった。
目の前で離れていくセイルが何かを喋っているようだった。耳もほとんど聞こえなくなっていたが、最後の言葉だけはしっかりと聞こえた。
「お前の思いはその程度だったのか……?」
その言葉を聞いた時、レイは仲間の事を思い出した。今まで支えてくれた人達を守ると決めたその思いは、軽いものなどではなかった……。だが、レイは心の奥底でセイルを殺さずに倒すという甘い考えをしていた、それが原因で自分は大切なものを失うのかと思った。その時、ミリアの言葉が脳裏に流れる。
『いつまでも待っているから……』
その瞬間、レイの思いは燃え盛った。人を殺す事は許される事ではない。しかし、この戦いはお互いの命を賭けるほどの思いがあったものだったのだ。
(俺は……、まだ死ねない……。皆を守るんだ!)
その思いに、眠りかけていた体の機能全てが共鳴するように復活していく。冷たくなった体は、逆に熱く燃え滾るように活発化していった。心臓が激しく脈動する。そして、心と体に刻まれた思いはレイに力を与えた。
「俺は……、みんなを守るんだ!」
その発言に、セイルは振り返る。そこには、紛れも無く自分の足で立ち上がっていたレイがいた。その体は依然として酷い怪我を負っていたが、EDNAの力により一時的に出血は止まっていた。
セイルを見るその目には先ほどまでとは違う、思いの強さと決意があった。それは、レイが初めて人に向けた殺意だった。その殺意はセイルにも圧迫を与えるほどのものだったらしく、セイルはレイに向かってソードを構え直す。
それに対しレイは、Guardianで左手に密度の高い小さな盾を、右手に圧縮した細身のソードを構えていた。
少しの間の後に、今度はセイルが先に攻めてきた。一瞬でレイの後ろに回り、上段からソードを振り下ろしてくる。それに対し、レイは盾でそれを防いだ。盾は削れたが砕け散る事無く、刃を受け止めた。激しく火花が飛び散るが、そんな事は問題にはならない、逆にその火花を使ってセイルの死角から突きを繰り出す。
その突きはセイルの兜に当たっていた。兜の表面が突きにより、砕け散っていくがそれも少しの間しか当たらなかった。下がったセイルに対し、レイは近距離で抜刀の構えをする。
セイルはそれを見逃さず、ソードを振るってくるが、その振り下ろすスピードと抜刀の速さは同じだった。
「一の型――線剣!」
ソード同士が激しくぶつかる。その衝撃は、当たり一帯の空気を震えさせるほどのものだった。ソードを弾き返すと、今度は真正面からの切り合いになる。次々と繰り出される剣撃にレイは盾とソードを使い、うまく切り結んでいた。
二人の体力は着実に磨り減っていった。お互いの全力で攻撃をし、それを防いでいるのだ、そんなに長い時間を切り合いなどしている体力など無かった。その為か、二人は先ほどから剣技の連発をしていた。
「五の型――五月雨!」
セイルの素早い斬撃を盾で全て受けきる。五撃目が終わったところで逆にレイが切り返す。防いだ盾の付いた手でみねを掴み、そのまま技に入る。
「二の型――雷走!」
強烈な突きがセイルの胴体に目掛けて放たれる。だが、その強烈な突きをセイルはソードで軌道をそらし、その反動を使い切り返してくる。
「三の型――流線!」
突きの状態からソードを動かせないレイは裏拳を出すように、左手を後ろに回す。その盾は見事にソードを防いでいた。それを見たセイルは追撃をせず、後ろに下がる。
二人の息は大分、切れ始めていた。そんな時、今まで何も話しかけてこなかったセイルが声を掛けてきた。
「お互い、このままじゃ埒が明きそうに無いな……」
「だけど、師匠も戦いを止めはしないんでしょう?」
「あぁ、それだけは止められない。だから、お互い次の攻撃を最後の一撃として決めようじゃないか。どうせ使えるんだろ、七の型を」
「何でもお見通しですか……。まぁ、次で最後にするってのは俺も同感です」
七の型。それは流派で言えば奥義と同じようなものだ。セイルの作り出した剣技の中で、もっとも威力が高く、回避不可能な技だ。その正体は一の型と四の型の合成である。抜刀から近距離で相手に斬撃を与え、その後にその余波として衝撃波が体を切り裂く。その範囲は抜刀した瞬間から、ソードが止まるまでの角度。つまりはほぼ周囲全体に広がる技である。
それをお互いが放ち合い、正面からぶつかるとならばそれはどちらかが確実に重症を負うだろう。あるいは死が待っている。
お互いは抜刀の構えに移る。レイは盾を全身に展開し、鎧へと変えていた。そこには赤き阿修羅と、青き守護者がお互いの命を賭けて最後の一撃を放つ前の静寂だった。
二人だけの空間で、お互いの目を見据え、その気迫は徐々に高まっていった。お互いが最後の時を見極めるようにその時を待つ……。それは、数秒にしか満たない時間が永遠に感じるような感覚だった。だが、その空間は突然の突風により、現実へと引き戻される。
それはまさにお互いの踏み込む合図となった。二人は一瞬にして間合いを詰める。そして間合いに入った瞬間に二人のソードは引き抜かれた。お互いに手に付いた結晶体を鞘代わりにしてその剣速を加速させる。
そして二人のソードはぶつかり合った……。
「「七の型――雷神!」」
二人のソードからは強力な衝撃波が生まれた。お互いの鎧はその威力により、全て吹き飛んでいた。残った衝撃波は、二人の体の至る所に傷を付けていった。そして、ソードはぶつかり合う衝撃により、凄まじく火花を散らしていた。衝撃波は互角、この勝負の決め手になるのは最後の一振り、たった一本のソードである。
ソード同士が、その衝撃に耐えるように軋む。ソードの柄は衝撃に耐えられなくなり、少しずつひび割れていった。徐々に壊れていくソードを握り締め、二人は最後の力を込める。だが、それはソードの寿命を縮める事になった。ソードには大きな亀裂が入り、それは次の瞬間には壊れる事になった。
「……お前の勝ちだ、レイ」
セイルのソードが、音を立てて砕け散る……。ソードを包み込んでいた結晶体も砕け散り、セイルの体をレイのソードが切り裂いていく……。切られた勢いにより、セイルは仰向けに倒れる。その傷からは先ほどのレイと同じほどの血が溢れ出ていた。
セイルはそのまま、起き上がる気配が無かった。その様子を見て、レイはセイルに近寄っていく。
「師匠……、まだ戦えるんでしょう……? 起き上がらないんですか?」
その問いに対して、セイルは静かに答える。
「まさか……、もう手足も動かせないよ。それに俺の心が折れてしまったからね……。もう、立ち直れない」
「それで師匠は良いんですか……?」
その問いにセイルは空を見つめる。その表情は、諦めきれない悔しさと、今まで自分が行ってきた罪への懺悔が篭っていた。
「これが、他人を不幸にしてまで自分が幸せになろうとした天罰か……。やっぱり、俺にはこんな事似合わなかったな……」
「師匠はどうしてプロジェクトに関わったんですか?」
「……俺には子供がいるんだ。だけど、重い病気を生まれながらに持っていてね。何年も生きられないと言われていたんだ……。それをEDNAの力で治そうとしていたんだよ……」
そう告げるセイルの目からは、涙が零れ落ちていた。その表情は昔のセイルが見せていた、本当の顔だった。
「俺は……、守りきれなかったんだ……」
そう言ったセイルは目を閉じた。そのまま死を受け入れようとしたのだ。そんなセイルをレイは許さなかった。
「まだ……、まだ間に合います! 師匠の子供は死んでいないんでしょう! だったら、まだ師匠は生きなければいけない! 自分の子供を守る義務があるでしょう!」
レイはそういった後、傷が痛むのを堪えながらティナ達のほうへと向かっていった。彼女達は、腰にポーチを付けていた。もしかしたらそこに、アイナが持っていた薬があるかもしれないとレイは思ったのだ。二人のポーチを集め、中を開く。レイはポーチの中に薬がある事を祈った。その中には、やはり注射器が入っていた。
レイは急いでセイルの元へ向かう、仰向けに倒れたセイルはもう大分呼吸も薄れ始めていた。
注射器をセイルの首へ打ち込む。それは血の巡りの早い動脈への効果的な対処だった。薬はゆっくりと全てセイルの体に染み込んでいった。後は、セイルの生きたいと思う意志を頼るしかなかった。
「師匠……、生きてください……」
そう言ったレイは、そのままセイルの意識が戻るまで待っていた。その間に、自分にも薬を打ち込み、ただひたすら待ち続けた……。
三時間くらいは待っただろう。時刻はまだ、深夜といえる時間帯だった。レイはその間、片時もセイルから目を放す事はなかった。自分の体も瀕死になるほどの傷を負っていたが、それは薬のおかげか、すでに傷が塞がり始めていた。
セイルの傷も出血は治まり、一命は取り留めたようだった。時々手足などが動いていたのでもうそろそろ意識が戻るはずだと思い始めていた。そして、その数十分後、セイルはゆっくりと目を開けた。
「師匠、やっと起きましたか……?」
その言葉に、セイルはこちらを見て答える。
「どうして俺は生きている……?」
「師匠達が使っている緊急治療剤を打ったんですよ」
「……あの二人が持っていたのを使ったのか……」
「そうです」
そう言うとセイルはまた、涙を流し始めた。今度はその涙の理由が分からなかった。
「結局、俺は死ぬ覚悟なんて無かったんだな。お前に偉そうな事言っておきながら……、師匠失格だな」
「そんな事ありませんよ。師匠は生きる理由があるんです。それをまっとうするまでは死んではいけない……」
「人を不幸にした人間が幸せになって良いと思うのか? だとしたら俺は逆だ。その報いを受けるべきだと思う」
その言葉には、分かるところがあった。確かに、自分が犯した罪は償うべきだ。それはどんな些細な事でも決まっている。だが、レイには死んでその罪を償う事は、間違いだと思えた。
「俺は死んで罪を償うなんて事は、逆に罪からの逃れだと思います。だから、師匠には生きてその罪を償って欲しい。師匠の家族を見守り続けるって役目を……」
レイはセイルに近寄り、Absorb Ringを向けた。それはレイが考えた、罪の償い方だった。
「コード EDNA Absorb 起動」
コードを認識したAbsorb Ringは結晶体を展開する。その青い結晶体は安らぎを与えるような輝きを見せていた。
「さようなら、師匠……」
その言葉と同時に、レイはセイルにEDNA Absorbを打ち込んだ。その衝撃にセイルは苦しむが、その中で一言だけレイに聞こえた言葉があった。それは腕を引き抜く瞬間だった。
「……ありがとう、レイ」
そう言ったセイルはそのまま気絶した。腕からAbsorb Ringを取るとレイはセイルを公園のベンチに座らせて、救急車を一応呼んでおいた。これで、セイルは少し経てば元の生活に戻れるだろう。その姿を少しだけ見つめた後セイルに向かって一礼をした。
その後、レイは残ったティナ達を抱え、皆の待つマンションへと戻って行った。ロビーから二人を抱えたまま入るのはまずいと思ったので、EDNAを使い自室がある階まで跳ぶ。そのまま着地に成功したレイは一旦、ティナ達を床に座らせて自分の部屋のチャイムを鳴らした。
チャイムを鳴らすと同時に、中から走りかけてくる音が聞こえた。それは恐らく、ミリアだろう。扉の鍵が外され、そこから見慣れた顔が飛び込んでくる。そこには満面の笑みを浮かべたミリアが出迎えてくれた。
「レイ!」
レイの顔を確認すると同時にミリアが抱き着いてきた。その顔からは微かに涙が零れ落ちていた。
「良かった……、帰って来てくれて……」
「約束しただろ、必ず帰るからって……」
その言葉にミリアは何度も頷いて喜んでいた。廊下の奥ではアイナも顔を見せていた。その顔には笑顔が見えていた。そう、これで俺は平穏を手に入れたんだ。まだ気は抜けないけれど、また敵が来たら俺は全てを賭けて皆を守りぬいて見せる。それが俺の役目だから……。
その後、ティナ達の事情を説明した後、レイは傷の治療を受け、アイナとミリアから眠るように言われた。眠れそうにはなかったが、二人がそう言って聞かなかったのでレイは布団の中に入り、目を瞑っていた。しかし、やはり疲れがだけは残っていたようでレイは気付かないうちに眠りに付いていた……。
第九章
都心より、少し離れた山の中。そこには、巨大な研究所が立っていた。堅牢な壁で覆われたその研究所は、今一つの情報により、大きな問題を抱える事になっていた。
研究所の一室ではそこには長いテーブルと、大量の椅子があり、険しい顔をした研究員等、が座っていた。その部屋の中心に一人のスーツ姿の男が立っていた。周りの幹部と思わしき人々は彼を厳しい目で見つめていた。
「これは一体どういう事なのか、説明してもらおうか」
彼の目の前にいた老人が重い声で問いただす。老人の目の前にあった書類には「十二月二十一日の緊急会議内容。十二月十九日のEDNA試験体の敗北について」と書いてあった。
「君の計画では、このクローン体は同じEDNA保持者を殺せるような戦闘能力があると聞いていたのだが、それは嘘だったのか……」
「嘘などではございません。確かに、このクローン体は一般のEDNA保持者程度なら五秒も掛からず殺せます」
「では、何故このような事態になった!」
興奮した老人は机にあった書類を叩きつける。その様子に彼はあくまで冷静に答える。
「今回クローン体を戦わせた標的はただのEDNA保持者ではありません。戦闘訓練を積んだ熟練者です。さすがに経験の違いが出て勝てなかったようですね……」
その返答に、横から若い男性が他の話で問いただしてくる。
「しかし、実験ではこちらの戦闘訓練を積んだEDNA保持者を軽く殺していましたよね。ならば、条件は同じだったんじゃないですか?」
「残念ながら、彼らとは違い殲滅対象はAbsorb Ringを所持していたので、それにより戦力差が出たのでしょう」
「データによれば、クローン体もAbsorb Ringを所持していたとなっていますが?」
「Absorb Ringの能力差によるものかと思われます。戦闘訓練を積んだEDNA保持者を倒せればあくまで、第四段階は合格しておりますので」
全ての質問に一切の漬け込ませる隙を与えない彼を見て、回りの幹部は口を出せなくなる。「では、このままプロジェクトを進めていけば作れるのだな。国家を覆し、他の国に負けない軍隊を作る事は……」
「はい、出来ます。しかし、その前に少々邪魔なゴミが目立ちまして、困っていたのです」
「やはり、殲滅対象が計画の支障になるのか?」
「いえいえ、そうではございません。計画はしっかりと進行し、完成いたしました」
その発言に周りの幹部達が騒ぎ始める。だが、その発言に反抗を唱えた者がいた。それは目の前にいた老人だった。
「どういう事かね、計画書では段階は六段階まであるはず、それが全て終わったとでも言うのか……?」
「あぁ、その計画書ですか? それはあくまで政府側が雇った研究員が出したものですよ。本当の計画書はマザーが持っております」
「何……? それはどういう事だ……」
その顔は薄笑いを浮かべていた。まるでこのやり取りが、芝居と同じ演技だと言わんばかりに。
「くくくっ」
「何がおかしい……?」
その問いに彼は耐えられなくなったのか、大いに笑い始める。その様子に周りにいた幹部全員が驚いていた。
「ふふふっ、もうそろそろこの茶番も終わりにしましょうか。これ以上時間が掛かると、あの方に迷惑が掛かってしまう……」
そう言った彼は手を上げて、指を鳴らす。するとそれと同時に若い三人組が入ってきた。その姿は特殊な繊維で出来た戦闘用のスーツを着ており、その手には短い電子ソードが握られていた。
「おい、そいつらはまさか……」
「では、研究成果をもう一度ご覧に入れましょう。これがEDNAプロジェクトの成果です」
そう言った瞬間、三人が姿を消していた。目の前では座っていた幹部全員が切り裂かれ、死に絶えていた。残っていたのは先ほどの老人だけだった。その喉元にはソードが突きつけられている。
「お前は……、一体何をしようとしているのだ……?」
「私はただ、老人の戯言や金にしか興味のない連中の命令より、あの方の命令に従った方がよっぽど人間らしいと思っただけですよ」
「あの方だと……?」
そう老人が言った時、部屋の外から若い男性の声が聞こえた。
「まだ時間を掛けていたのか? こっちはもう終わらせたぞ」
部屋の中に入ってきた声の主は、彼に声を掛ける。その態度は明らかに彼よりも上からの言い方だった。
「申し訳ございません。今すぐ終わらせます」
そう言った彼は手を上げる。指を鳴らソード老人の命は亡くなるだろう。だが、それよりも目の前の老人は彼の横にいる人物に目を向けていた。
「何故だ……、何故、殲滅対象がここに――」
だが、その言葉が終わる前に指が弾かれた。老人はそのまま机に伏せるように倒れる。テーブルには血が広がっていった。その様子を見終えた彼は、目の前にいる主に跪く。
「さぁ、マザー。次のご命令をどうぞ……」
目の前にいる人物は、それを見てしばしの間考える。そして結論として浮かんだ考えは、一つだった。
「俺は、あいつに会いに行く。その間、お前は次のコネクションと手を組んでおけ。くれぐれも、全容を見せるんじゃないぞ」
「分かりました。マイ、マザー」
その呼び方に、マザーと呼ばれる男が訂正を加えさせる。それは自分の呼び方についてだった。
「マザーと呼ぶのは止めろ。もう俺はマザーなんかじゃなく自由なんだ。そうだな……、今から俺の名前はインテグラだ。いいな」
「分かりました。インテグラ様……」
その呼び方に満足したのかインテグラは歩き始める。それに続いて彼とクローン体達も付いていく。
研究所内は静まり返り、生きている人は居なかった。研究所を出たインテグラはその体を大きく広げ、風を体全体に受け止める。その顔は喜びに満ち溢れていた。そして、それを満喫した後、インテグラは遠くに見える街に向かって告げる。
「さぁ、待っていろ……。俺の半身、レイ・ガーディア……」
そこに立っていた姿は、レイそのものだった。ただ違っていたのは、その髪と、目の色が闇の中でも光り輝くプラチナブロンドだった……。
二十二日の朝、レイの家のリビングは大食卓になっていた。そこにはレイ、ミリア、アイナと共にティラとティナも混ざっていたからである。その為、いつもは広いテーブルも今は食器の山で埋めつくされていた。
ティラ達は戦った日の朝には目を覚ましてきた。レイ達は実際に彼女達をどうしようかと悩んでいた最中だったので、驚いた。しかも、ティラ達は戦闘をしていた時とは別人のようにちゃんとした自我を持っていた。
二人は姉妹らしく、ティラが姉らしい。その為、ティラは少し落ち着いた感じのお姉さん的性格。ティナはまだ幼さの残る生意気な妹的性格という風な事が判明した。
だが、そんな事はどうでもよくて、やはりこの二人をどうするかという事でこの二日間レイは悩んでいた。一応連れてきたのは自分だから責任があるという事だ。その事にはミリアもアイナも賛成していた。
そんなかんだで未だ二人をどうするか決まっていないのだが、そんな事はどうでも良いかのように二人は朝食をのんびりと食べていた。
「ほら、ティナ。口の周りにご飯粒付いてるよ、ちゃんとゆっくり食べなさい」
「分かってるよ〜、ティラ。あっ、ミリアさんご飯お代わり!」
こんな賑やかな朝食もいいのだが、実際にはこの状況を続ける訳にはいかなかった。何しろ、元々、食費はレイ一人分しか送られてこないのに、それに加えて三人分の食費などまかなえるはずが無かった。
(まぁ、実際は貯金があるから平気なんだけどな〜)
だが、それでもいつか無くなるものは無くなるのである。その為、今日はお昼にその事を話すと決めていた。しかし、この様子では何となくそのままティラ達がこの家に居座りそうな予感がばっちりしていた……。
そして、昼前になり会議は始まった。まずは、ティラ達の意見を聞いてみる事にした。
「私達は、もう戻るところがないのでここに住まわせていただければ嬉しいです」
ティラは予想していた通りにここに住みたいと言ってきた。ティナもその意見には意義はないらしい。そして、次はアイナに聞いてみた。
「まぁ、ここに居て良いなら楽だけど、何となく年上としては年下に甘えているのはプライドとして情けないというか……」
その言葉に、レイとミリアが驚く。
「えっ、アイナって年上だったのか?」
「同じ学年に転向してきたよね……?」
その反応に、アイナはショックを受ける。
「えっ……、そんなにあたし年上っぽく見えないの……?」
その言葉に、その場に居た全員が頷く。それを見たアイナはしばらく黙り込んでしまった。アイナなりに年上として今まで接していたのだろう。だが、それはレイ達には伝わっていなかったようだ。
「それで、結局どうするの?」
ミリアがレイに対してそう言ってくる。その答えは簡単には出せないものだった。
「別に居る事には問題が無いんだが、金銭的に問題が出てくるからな。そこら辺がどうにかなれば、俺は別にこのままでも構わないぞ」
「でも、お金なんてどうするの? 高校一年じゃ雇ってくれるバイトもないよ? ティラちゃん達はもっと働けないし……」
「バイトならあたしが出来るよ、一応十八だし……」
黙っていたアイナがそう言ってくる。
「そういえば、私達ってアイナのこと良く知らないよね?」
「そういえばそうだな。気にした事が無かった……。アイナってどうして組織なんかに入ったんだ?」
「ん〜、まずはEDNAが発現してからそれが原因で家から追い出されたんだよね〜」
さりげなくアイナは、言っていたがそれはレイとミリアにとっては聞き捨てなら無い事だった。その信実に二人はどういって言いか分からなくなる。
「あ〜ほら、そこの二人は落ち込まないの! あたしはあの家から開放されて精々してるんだから。それで、街をふらふら放浪してたらある日、調査員が来てそいつと戦闘になったの、そしたらスカウトされてそのまま組織に入ったって訳」
「そうだったのか……」
「それに、新しい名前や、住民登録も作ってくれたからね。生活していくには問題はまったくないんだよ」
「じゃあ、やっぱり残るのは金銭面だけか……」
何となくだが、一応現状の維持で話はまとまった。金銭面は何とかすれば、親からもう少し払ってもらえるだろう。そう思っているうちに時刻はお昼を回り、会議はひとまず終わりとなった。
簡単な昼食をミリアと共に作り、それを皆で食べる。そんな中、テレビをつけると番組ではクリスマスの話題で盛り上がっていた。その番組を見ていたミリアはふと、こんな事を呟いてきた。
「みんなでクリスマスを楽しむのも良いよね〜?」
「あっ、あたしも今そう思ってた!」
「私もです」
「ティナもそう思う!」
次々と話題が出ていく中、レイはその様子を見ていて心底、生き延びてよかったと思えた。あの時、セイルがレイに声を掛けなければきっとレイは死んでいただろう。そう思うと、セイルはもう元の生活に戻れたのかと、ぼんやりと考えていた。
その時、後ろからミリアに大きな声で名前を呼ばれる。考え事をしていたせいで呼ばれていた事に気がつけなかったようだ。
「ねぇ、レイったら!」
「聞こえてるよ……。んで、なんだ?」
「なんだは無いでしょ、だからクリスマス・イヴにパーティーをしようって話してたの!」
「パーティー……?」
今まで、毎年クリスマスを過ごしてきたがミリアの家は毎年必ず、パーティーをしていた。主にレイが呼ばれていただけだったが。
「お前、自分家のパーティーはどうするんだよ?」
「今年は、丁度二人とも用事があってパーティーは無いの。だから丁度いいでしょ!」
そう言ったミリアはもう準備の段取りを考え始めていた。楽しそうなミリアの邪魔をする訳にもいかないし、レイはそのまま準備の段取りを聞いていた。
パーティー前日、レイは一人でナオルの家へ出かけていた。それはパーティーの予定を伝える事もあったが、もう一つ予定があったからだ。
レイはいつも通りナオルの部屋に通されると、開いていた勉強机の椅子に座った。飲み物を持ってきたナオルからそれを受け取ると、レイはさっそく本題を話す事にした。
「それで、ソードとナックルの修理はもう出来たのか?」
「あぁ、出来てるよ。まったく、ナックルは大して壊れてなかったからいいけど、ソードは使い物にならなくなってたよ。しょうがないから最初から全部作り直してやったよ」
そう言って渡されたソードは今までと違い、所々に強化金属のパーツが組み込まれていた。
「お前これ、高かったんじゃないのか?」
「いや、強化金属はITR廃棄工場からパクってきて、それを成型してもらっただけだからそんなに掛かってないよ。前と同じくらいさ」
「相変わらずせこいな……」
そういうとナオルは「リサイクルに貢献したんだ」などと言ってきていた。レイはそれに対しては何も言わず、聞き流した。
「っと、そうだ。今日はこれを受け取りに来たのと、伝言代わりに着たんだった」
「伝言? メールですれば良いのに」
「俺が行くって言ったら、ミリアについでにって頼まれたんだよ」
その言葉にナオルの眼鏡が怪しく光る。その下では、何かいやらしい笑みを浮かべていた。
「あ〜あ、レイはすでにミリアの尻に敷かれてるって訳だ……。男として情けないなぁ」
ナオルの発言にレイはジュースを噴出しそうになった。寸前のところで飲み込むが、気管に入り、むせた。何度か咳をした後、レイはナオルに向かって怒鳴りつける。
「てめぇ! 誰が尻に敷かれてるだ! って言うか、なんでその事を知ってやがる!」
「お前、いくら壁があるって言っても、静かな時じゃあの距離だと聞こえるんだよ!」
「じゃ、じゃあ、あの時言った事全部……」
「あぁ、丸聞こえだ! しっかりと聞かせてもらったぞ。ちなみに全部覚えてる。中々恥ずかしい事サラって言うよねぇ〜。キスはもうしたの?」
その発言にレイは顔を真っ赤にする。その度具合は恥ずかしさ八割、怒り二割りだ。レイは手に持っていた電子ナックルを手にはめて展開する。
「今すぐその頭から記憶を消し去ってやるよ……! 完璧にな……」
「ちょ、ちょっと待て! 落ち着け、レイ。冷静になれ! 大丈夫、明日のパーティーで喋ったりしないから!」
「喋る気満々じゃねぇか!」
後ずさるナオルを壁際に追い込み、拳を鳴らす。ナオルの顔には恐怖が浮かび上がっていた。
「さぁて、何回殴れば消えるかなぁ〜」
「分かった、待て、交換条件といこう。取っておきの情報を教えるから!」
「何だよ……、その情報って……」
話に食いついてきたレイにナオルは耳を貸すように言う。レイはその通りに耳を貸すとその情報を聞いた。その情報はレイにとっては貴重な情報だった。
「へぇ、お前にしては中々の情報じゃないか」
「ふふっ、何しろこんなときの為に手に入れた情報だからね。ここで使わなければ意味がない!」
「まぁ、この事に免じて、聞き耳立てた事は許してやるよ」
そう言うとレイは振り向いて帰ろうとした。だが、それはナオルによって止められた。引き止められた手には、力が篭っていた。
「何だ、まだ何か言う事があるのか?」
「ああ、重要なことだ……」
見たことの無いナオルの真剣な顔に、レイもその様子につられて真剣になる。そしてナオルは最後にこう言ってきた。
「レイ、あそこは絶好の人の来ない穴場だ。だから……」
そこで意気込むナオルの気迫にレイも息を呑む。その様子は本気だった……。
「……する時は、ちゃんと避妊するんだぞ……」
その言葉に、レイの頭から何かが切れる音がした。
「余計なお世話だ!」
その瞬間、ナオルはナックルで殴られ、虫のように壁に張り付いていた。バタンと力いっぱい扉が閉じられ、レイはそのまま帰っていった。ナオルはそのまま床に転がると、殴られた頬を撫でながら呟いた。
「まぁ、幸せになれよ、レイ」
それは親友からの聞こえない応援だった……。
帰り道、レイはナオルから言われた事が頭から離れずにいたレイは、少し街の中を歩いていた。久しぶりの平穏な時間に今までの戦いが嘘だったかのように思える。だが、その戦いで得たものもあるのだと思うと、それは複雑だった。
ふと、歩いていたレイの目に綺麗な指輪が目に入ってきた。シルバーのリングに青い綺麗な石が付いたものだった。その時、どうしてかその指輪を買わなければいけないような気がしていた。値段はそんなにも高くなくセール特価と書いてあった。レイは特に変な意味は無いがその指輪をミリアにプレゼントしたくなっていた。
気付いた時には、何気なく店の中に足を運んでいた。
そして二十四日 クリスマス・イヴがやって来た。朝から、買出しや部屋の飾りつけなどで忙しかった。みんなで作業を分担し、着実に夜から始まるパーティーの準備は出来始めていた。
主に飾りつけはアイナとティラ達。料理はメインがミリアでレイがサポートをしていた。ちなみに、ナオルは買出しだ。
みんなでわいわいと準備しているこの時間がとても楽しかった。みんなが笑顔で居られる事がとても嬉しかった。
夕方になると、部屋の飾りつけも終わり、料理も残るはケーキとメインディッシュの七面鳥だけだった。アイナ達は、リビングで料理が完成するのを待ち遠しく見ていた。たまにティナが来てクリームをつまみ食いするたびにティラが気付いて叱っているの見てみんなが笑っていた。
そして、パーティーは始まった。
「それじゃ、苦難の道を越え、味方も敵だった人も関係なく、今日はみんなで一緒に騒ぎまくろう〜! それじゃ、カンパ〜イ!」
「「カンパーイ」」
アイナが取り仕切った乾杯と共にみんなが一斉に声を合わせてはしゃぐ。作られた料理を次々とさらに持っていき、それを食べた。話の話題は様々だった。
自己紹介をし直したり、歌を歌ったり、とにかくその夜は大盛り上がりだった。途中でナオルがレイとミリアが付き合い始めたと言った時が異様に盛り上がりを見せていた。ミリアは女性陣に絡まれ質問攻めに合っていた。
「ねぇ、ミリア〜。レイとは〜、どこまでいったの? キスはした〜?」
「ちょっと、アイナ。まだそんな事してないよ!」
「へぇ、じゃあ「まだ」って事は今度するつもりなんだ〜。今やっちゃえば〜!」
その言葉にミリアは顔を真っ赤にして断っていた。ティナが興味津々にしていたがティラがその耳を抑えていた為、話は聞けていないようだった。
その間、レイはナオルをボコ殴りにしていた。
途中からナオルがどこからか買ってきた酒が入ると、その盛り上がりはさらにヒートアップした。アイナはだれかれ構わず絡んで、自分の武勇伝を聞かせていた。
ティラとティナは飲んだ後、レイに「再戦だ〜」などと言って殴りかかってきた後、パタリと眠ってしまった。ちなみにミリアは飲んだ瞬間、そのまま寝てしまった。
ナオルとレイは一緒に飲み合い合戦をして、どちらも同じ分だけ飲んで眠ってしまった。取り残されたアイナも、その後少ししたら眠ってしまった。しかし、その場にいたみんなの寝顔は笑顔だけだった。
一番早く起きたのはミリアだった。一番先に寝てしまったから、起きるのも早かったのだろう。起き上がると飲み物を取ろうとした。しかし、起きたてで急に動いた為、目測を誤りジュースのボトルを落としてしまった。
その音にレイが気付いて起きた。音のした方を見ると、ミリアがボトルを戻しているところだった。レイはちょうどいいと思い、ミリアに声を掛ける。
「なぁ、ミリア。ちょっと熱冷ましに外に出ないか?」
「うん、いいよ。レイも一緒なら危なくないもんね」
そう言った後、テーブルに書置きをして、二人はそのまま外へ出かけていった。行く先は、昨日ナオルから教えてもらった穴場に決めていた。行き先を聞いてくるミリアに、レイは「秘密だ」と言いながら目的地へ向かった。
穴場と言うのは、この間戦いの場所になった、大山公園だ。ナオルが言うには、公園の奥には隠れてしまったが、穴場への隠された道があるらしいのだ。実際にはレイも行っていないので確信は出来ないが、ナオルが良くそこで開発した道具の実験を行なっていたらしいから、道や安全性は保障されていた。
歩いてから十五分ほどして、目的の大山公園に着いた。レイはミリアを連れて、まずは穴場の入り口まで案内をした。何度かここにはミリアと来た事があったので、そこまではすんなりと行く事が出来た。そして、穴場の入り口に着くとレイは注文をした。
「ここから先は、目を瞑っていてくれないか?」
「うん……、いいけど?」
注文にしたがってミリアは目を閉じる。レイはミリアの手をとり、転ばないように指示しながら、誘導していった。穴場の入り口には細かい小枝があり、一見見ればそこには道など無いように見えたが、その下には確かに舗装された小道があった。
レイはそのままミリアの手を引き、その先へ歩いていく。周りを木々に囲まれたその通路はまるで自然のアーチのようだった。そして、その通路を抜けた所にはナオルの言う通りの恋人同士には最高の景色があった。
「ミリア、もう目を開けてもいいよ」
ミリアはそう言われると、恐る恐る閉じていた目をゆっくりと開ける。だが、その開いた瞳には何千と輝く地上の星が広がっていた。それは、この穴場から見渡せる都会方面の光だった。
「わぁ、……凄い」
「ここから、住宅街と都心方面全部が見渡せるんだ。夜に来ればこうやって綺麗な夜景も見えるから、ミリアに見せたかったんだ」
ナオルからの受け売りだったが、それでもミリアは目の前に広がる景色に夢中になっていた。実際に自分も見て、これは凄いと思っていたので女の子のミリアが夢中になるのも仕方が無いだろう。女の子はロマンチックなのが好きなのだそうだから。
「ねぇ、レイ! 見て、あそこに観覧車が見える! ……凄い綺麗」
ミリアが指差す方向には確かに小さな観覧車が見えた。あれは、恐らくどこか小さな遊園地の観覧車なのだろう。しかし、その観覧車にミリアは夢中になっていた。その様子に、レイは提案をしてみる事にした。
「なぁ、ミリア。今度、受験が終わったらどこかの遊園地に行こうか? その、よければだけどさ……」
「本当に! うん、絶対行く! 一緒にいろんな乗り物とか回ろうね!」
その顔には、今からでも待ちきれないような高揚した気分が溢れ出していた。レイはそんなミリアの顔を見られて満足だった。ふと、ポケットの中に入れてきた物のそんざいを忘れるところだった。それはこの間買った。ミリアへのプレゼントだった。
「ミリア、手を出して……」
「えっ? 何?」
そう言いながらも、ミリアはレイの前に手を出す。レイはそのミリアの手に、プレゼントを置いた。それを見て、ミリアはボケっとしていた。
「それは、ミリアへのクリスマスプレゼントだよ」
「クリスマスプレゼント……? 私に?」
「他に、誰がいるんだ?」
レイはミリアの驚いた様子に少しばかり、苦笑していた。自分宛のプレゼントを受け取ったと認識したミリアの顔が、見る見るうちに赤くなるのと同時に、笑みが溢れ出てくる。
「……ありがとう、レイ。ねぇ、開けてみてもいい?」
「あぁ、良いよ」
ミリアは、包装してあったリボンと紙を丁寧に剥がし、その箱を開けた。中に入っているのは、あの時買った指輪である。ミリアはその指輪を手に取り、たった一言だけ呟いた。しかし、その一言にはミリアからの心からの気持ちが篭っていた。
「この宝石、凄い綺麗。まるで、地球みたい……」
そんな事を言うミリアに、レイは少し恥ずかしくなる。恥ずかしさに、そっぽを向いていたレイに対し、ミリアがお願いをしてきた。
「ねぇ、レイ。この指輪、レイがはめさせて?」
「はっ……、俺が……?」
「だって、レイからのプレゼントでしょ? だったら最後まで責任もって、指にはめて……」
「あ、あぁ、分かった。それくらいはするよ」
ミリアから指輪を受け取る。その指輪をどの指にはめようか考えていた時、ミリアは左手を出してきた。その行動に、レイの鼓動が一気に高まる。ミリアも、その行動に期待しているのか、顔を下に向けて恥ずかしさを隠していた。
(これは、薬指にはめろって事なのか……?)
そう思うと、レイの顔も一層赤くなった。何しろその行為は、将来の約束をするのも同じ事だ。将来なんて分からないが、今レイにその意思が有るか無いかが丸分かりになる選択だった。
だが、レイも覚悟を決めていた。ミリアとなら、きっと一緒に幸せに暮らしていける、そう思える気がしたのだ。レイは、意を決めミリアの手を取る。手が触れた瞬間、ミリアが体をびくりと震わせたが、それは一瞬だった。
落ち着きを取り戻したのを確認したレイは、ミリアの薬指に指輪をはめてあげた。その瞬間、ミリアがレイに抱きついてきた。その行為にレイは仰天する。抱きついてきたミリアは微かに目を潤ませていた。
「レイ、ありがとう!」
レイはそれに答えるようにミリアを抱きしめ返す。二人はお互いの温もり感じながら、少しの間そのまま抱き合っていた……。
少しして、寒さと風が強くなってきたのを見切りに、ミリアに帰ろうと言って出た。ミリアもそれに同意して、帰ろうとした。しかし、ミリアは最後に夜景を写真に撮っておくといい、もう一度夜景の方向を向いていた。それに対し、俺は先に後ろを振り返った。帰る頃には、みんなも起き始めているだろうと思い、その視線を前に向けた。
だが、そこにはレイにとってかつて無い衝撃を与える人物が立っていた。そいつは悠然と、こちらを見て笑っていた。レイは思わず、自分が幻覚でも見ているのかと本気で思った。しかし、その人物は紛れも無くそこに居た……。
ミリアが、写真を取り終わったらしく、レイの方を向いてきた。だが、ミリアはレイのただならない表情を見て、その視線の方向を向いた。その瞬間、ミリアもそこに居た人物に目を疑った。
「よう、久しぶりだな。俺の半身。レイ・ガーディア」
そこに居たのは、髪と瞳の色がプラチナブロンドのレイだった。服装はレイが着ているコートと同じものを着ていた。
「お前は……、誰だ……!」
やっと出せたその質問に、もう一人のレイが答える。
「おいおい、もう俺の事を忘れてしまったのか? アイナが戦っている時、助言してやったのは俺だっていうのに……」
「あの時の電話がお前……?」
「まぁ、驚かすのはここまでにしておくか。さて、まずは自己紹介からしようか。俺の名前はインテグラ。マザーコンピュータが作り出した。お前の、『レイ・ガーディア』のEDNAクローン体だ」
その言葉に、レイは驚きと共に怒りをあらわにする。レイは、インテグラを睨みつけながらさらに問いただす。
「何をしに来た? また俺を殺しに来たのか。そんな悪趣味な手を使ってまでして……」
「おっと、勘違いするなよ。これはもうEDNAプロジェクトとは一切関係の無い、ただの私用だ。それに、EDNAプロジェクトは終わったよ。俺が完成した事によってな」
「終わった……だと?」
インテグラから次々と出てくる。情報に、レイは少し混乱していた。セイルから聞いていたEDNAプロジェクトは、戦闘用のクローン体を作る事だったはず。ならば、こいつがその頂点に立つ、クローン体の最終形態なのだろうか。
「EDNAプロジェクト。それは政府が考えたEDNAクローン体を使った、特殊部隊を作る事が目的だったのさ」
「……何だって!」
「実際はそういう風に計画されていたものだった。だけどだ、マザーコンピュータはEDNAの使い道をそんなくだらない私欲のために使いたくは無かった。その為、マザーコンピュータは計画書を改ざんして、真のEDNAプロジェクトを作り出す事にしたんだ」
EDNAプロジェクトの全容が明らかになっていく中、二人はそれを黙って聞いているしかなかった。それは、とても信じられないような内容だったからだ。
「その内容は……、EDNAクローン体によって、EDNAという強い力を有効利用できない人間全てを殺す事、そしてこの国の政府を崩壊させる事だ」
「馬鹿な……! そんな事が出来るはずがない!」
「確かに、俺一人ならそんな事は出来ないが、他にもまだまだクローン体はいるんでな。全員で掛かればこの国の軍隊程度、簡単に破滅させる事ができるさ。それにこれもあるしな」
差し出された手にはITRがはめてあった。しかし、その色は黒く塗りつぶされていた。
「Absorb Ringの改良品だ。お前が持っているそのプロトタイプのAbsorb Ringより高性能になってる。まぁ、もっともお前のタイプGがここまで壊されないでいてくれたから作れたんだがな」
その深い意味の込められた言葉に、レイは興奮する。まるで今までの出来事が、全てこいつらに操られていたのではないかと思えた。
「もうそろそろ、気付いてきただろ。お前という存在がどうしてこの戦いに、プロジェクトに巻き込まれたのかを……」
その問いにレイは答えなかった。いや、答えは分かっていたが答えたくは無かったのだ。その拳は今にもその感情を爆発させそうなほどに強く握り締められていた。
「はぁ……、また黙るのかよ。そうやって思ったことを言わないのは勿体無いぜ……。仕方ないから、ちゃんと言葉にして言ってやるよ」
その顔には邪悪な感情がつぎ込まれていた。その目はレイを見つめこう告げた……。
「お前はマザーコンピュータによって、EDNAプロジェクトをうまく成功させる為に選ばれた、可哀想な歯車だったんだよ……!」
その言葉を聞いた瞬間、レイは我慢が仕切れなくなった。コートに入れておいたソードを展開し、インテグラに切りかかる。だが、その刃は簡単には当たらなかった。インテグラはその刃を紙一重でかわし、レイに掌底を叩き込む。
その掌底も本気ではなく、単にレイを吹き飛ばすだけのものだった。レイは姿勢を立て直し、インテグラに向けて強い殺気を放つ。
「ったく、喧嘩っ早いな。まぁ、この後に戦う羽目になってたんだし、丁度いいか」
レイはその一言を聞き逃さなかった。それはさっきインテグラが言っていた事とは矛盾していたからだ。
「俺を殺すつもりは無かったんじゃないのか……」
「あぁ、勿論だ。今の俺にはお前を殺す理由が無いからな……。だけどだ、ここに来た理由はもう一つある」
レイはその言葉に、一つの目的が浮かんだ。レイに用が無いなら有るのはミリアだけだ。だとすれば、インテグラの目的は――。
「ミリアのEDNAか……」
「その通り。いくらプロジェクトが無くなろうとタイプPのEDNAだけは確保しておかないと危ないだろう? だけど、それにどうせお前は反対し、妨害してくる。だから戦うはめになるのと俺は言ったんだ」
インテグラはコートを脱ぎ捨てる。その下はティラ達が着ていた戦闘スーツと同じ物だった。ホルスターからソードを取り出し、展開させる。
「さぁ、そこをどいてもらおうか……」
「そんな事で誰が動くと思う……」
レイはナックルをはめて展開させる。そして、ソードを抜刀の構えに持っていった。
「あ〜あ、最初から殺す気満々かよ……。怖いねぇ、さすが俺の半身。だけど……、殺すつもりなら最初からタイプ能力を開放して来いよ!」
「お前らクローン体ごときには、使わなくても勝てる……」
そう言ったレイは、そのままインテグラに飛び掛る。今度は一撃で仕留める為、本気で刀を振るった。
「四の型――斬空!」
近距離で放たれた斬撃はかわせる距離ではなかった。攻撃は当たる、これで終わったと思った。
「俺達クローン体を舐めるなぁ!」
インテグラはそう叫ぶと向かってきた斬撃に対し、切りつけた。それはレイにとっては信じられないものだった。放った斬撃はインテグラの一撃で消滅していたのだ。
先ほどとは違い今度はインテグラから殺気が漂ってくる。それはティラたちが出していた殺気とは比べ物にならない、熟練者の殺気だった。
「言っただろ、俺はお前のクローン体だって。お前がそのRingを付けてからの戦闘経験や感情、全てが俺につぎ込まれているんだ。ティラとティナは、戦闘経験等をつぎ込まなかった赤ん坊同然の存在だったんだよ! 俺をあいつらと同等に見るなよ……」
レイは、その言葉に戦闘意識を変える。いや、言葉が無くてもそうしていただろう。タイプ能力を使わなければこいつには勝てないと自覚していた。レイは両手に付いているAbsorb Ringを起動させようとする。
右手にはGuardianを付け、左手にはセイルが使っていたAsuraが付いていた。レイはソードを構えたまま、コードを唱える。
「コード タイプG Guardian タイプA Asura 起動」
その瞬間、Ringから赤と青の結晶体が展開される。両方とも全身に纏うタイプのけいたいだったので、結晶体が重なりその色が紫色に見えた。その姿は、紫色の鬼のようだった。
その様子を見ていたインテグラもさすがにこの光景に圧倒される。その目は結晶体を纏ったレイに釘付けだった。しかし、それは恐怖ではなく好奇心のような感情が混ざっていた。
「さすが俺達、クローン体の戦闘経験データの元だけはあるぜ。俺も、タイプ能力があっても勝てるかどうかわかんねぇな……。でも、それに挑戦するのがたまらない!」
そう言ったインテグラは手を出しコードを唱える。
「コード タイプF Freedom(フリーダム) 起動」
インテグラのRingからは黒い結晶体が展開されていた。結晶体は形を変えて、レイと同じ形になった。そこには、黒い鬼がいるように見える。
「やっぱり、条件は同等じゃなきゃ、意味がないな。さて、順部も出来た事だし、本気でやろうか!」
インテグラは勢い良くレイに向かって走り出す。その構えは抜刀、構えすらも同じだった。それに対し、レイはソードを正面に横にした状態で構えていた。インテグラが間合いに入るとその構えは抜刀とは逆の腰だめになった。それにインテグラは警戒するが、構わずに突っ込んでいった。
「一の型――線剣!」
高速で向かってくるソードに対し、レイは腰だめしていたソードをぶつける。その衝撃で激しいソード同士が激しく閃光を放つ。しかし、レイのソードはそれ以上インテグラのソードを進ませることは無かった。
「六の型――不導(ふどう)」
それは今まで使って無い技だった。『不導』はどんな攻撃もそれ以上の進行を止める完璧な防御を誇る技だ。レイは固まったインテグラのソードを弾き、素早く懐に入り込む。その構えは、下段に変わっていた。
「五の型――五月雨!」
素早く振られるそのソードの一撃には以前とは比べ物にならないほどの威力があった。防ぎきれなかった二撃がインテグラの鎧を削り、傷を負わせる。
すると、インテグラはその傷を見て舌打ちをした。だがそれと同時に、目つきが変わった。それはまるで、楽しみを取られた時の表情だった。
「残念だが、楽しみはここまでのようだ。今度は目的を果たさないといけなくなった……」
それが合図だったようにインテグラは、レイではなくミリアに向かって抜刀の構えをした。その様子にレイは慌てる。
「――っ止めろ!」
だが、そんな静止の言葉も意味は無く斬撃が放たれる。レイはミリアの方向に向かって急いで移動した。
「四の型――斬空!」
放たれた斬撃がミリアへと跳んでいく。ミリアは、それに気付き純白の結晶体を出すが、それは間に合わなかった。だが、斬撃が当たりそうになる瞬間にミリアの前にはレイが割り込んで入ってきた。間一髪で助かったミリアだったがその代償は大きかった。
斬撃を直接食らったレイは鎧を壊され、深手を負う事になった。それは致命的ではないが、先ほどまでの動きと、インテグラと対抗できるほどの力を残せる状態ではなかった。
「……っくそ!」
「ははっ、残念だったな、これでそいつを守る事はもう出来なくなっただろ? 諦めてそいつをこっちによこしな。命は助かるんだ、安いもんだろ……」
「ふざけんなよ……、この野郎! Guardian!」
その呼びかけに応えるように結晶体がレイとミリアの周りに展開される。それはインテグラにとっては大した事の無いものだったが、この状況を見てインテグラは情けを掛けてきた。
「丁度いい、別れの会話くらいはさせてやるよ。ほんのちょっとだけど、楽しんで話しな!」
そう言ってインテグラは時計を表示させていた。その余裕さがレイの神経を逆撫でさせるが、今はそれどころではなかった。ミリアを助ける方法を探さなければいけなかったからだった。レイはどうにか出来ないかと頭の中で様々な戦力を考えたが、今の体力では出来るものはなかった。
その悔しさに、地面を拳で叩く。自分の無力さに嘆いた。だから、レイは思いついた最終手段を使う事にした。それは禁断の方法であり、使えばレイの命の終わりを示していた。レイはその意思を伝える為にミリアに話しかける。
「ミリア、すまない。俺はこの後、一緒にいられなくなる」
「どういう事……?」
その問いにレイは偽り無く答える。
「俺は……、EDNAを暴走させるつもりだ」
レイが言い出したその行動は、本当に最終手段だった。レイもミリアも、その意味が良く分かる。だからこそ、レイは自分の身を犠牲にしてミリアを助けると言い出したのだ。だが、勿論そんなことをミリアが許すはずが無かった。
「駄目っ、そんな事をしたらレイが死んじゃうじゃない!」
「でも、これ以外にはミリアを助ける方法が見つからないんだ……」
その言葉にミリアは、口を閉ざす。レイはそれを沈黙の了解だと受け取り、力を解放しようとした。しかし、ミリアはレイには思いつかないような事を言ってきたのだ。
「ねぇ、レイ……。あたしをEDNA Absorbして」
「……何を、言ってるんだ……?」
「あたしはあんな奴にEDNAを取られて力と記憶を失うなら、レイに取られた方がいい……。そう思ったの」
その顔には真剣な思いが込められていた。ミリアはレイの顔に近づき、口づけをした。その行動に、レイはただ驚くばかりだった。
「お願い、レイ。あたしは絶対に記憶を無くしても、必ずいつかこの事を思い出してみせる。だからレイにこの思いを預けたいの……」
ミリアは、レイの目を見つけたままそう言っていた。しかし、その言葉はレイには耐えられないものだった。
「そんなの……、お互いに辛すぎる……」
レイの目からは自然と涙が溢れていた。それは、あまりにも残酷すぎる解決手段だったのだから。
「でも……、そうするしかないよ、だから、お願い……」
レイは涙を拭い、ミリアの顔を見つめる。そして今度はレイからミリアに口付けをした。その後、苦難を耐えるようにコードを唱えた。
「コード EDNA Absorb 起動」
その様子にインテグラが気付く、こちらに向かって抜刀の構えをして『斬空』を放ってくるつもりなのだろう。だが、その前に二人は意思を決めていた。その斬撃が来るまでにはそれは終わっているだろう。
結晶体が手に集中していく最中、二人は見つめ合っていた。それは最後の別れではない、またいつかこうして二人で幸せになる為の約束だった。結晶体を纏った手がミリアの体に触れる。そして、二人は誓いの言葉を唱えた。
「「また、幸せになろう」」
そして……、結晶体はミリアの体を貫いた……。
ミリアのEDNAが体に流れ込んできたが、それは違和感など無くむしろ優しいものだった……。レイはそれを受け入れた、その思いを大切に胸の奥に……。
インテグラが放った斬撃が二人に襲い掛かる。だが、斬撃はレイとミリアの直前で爆風と共にかき消されていた。インテグラには何が起きたのか分からなかった。しかし、そこには今まで無かった、純白の結晶体で出来た壁が築きあがっていた。
結晶体はそのままゆっくりと崩壊していく。その光景はまるで、二人の周りだけに雪を降らせているかのような幻想的空間だった。ただ、その中には悲しみの色が混ざっていた。ミリアを抱きかかえたレイが、その目の前にしゃがんでいた。
ミリアに自分が着ていたコートを掛け、立ち上がる。インテグラの方向を見たその顔には怒りでもなく、憎悪でも無く、ただ目の前の敵を倒す。そんな表情があった。その表情はインテグラには、殺気などそんなものなど目ではないほど脅威に見えた。
インテグラのFreedomが鎧の形から、変形し無数の刃になる。その数は、見た感じでも数百本は越えていた。
「どうだ、これなら対抗できないだろう!」
自信満々に言い誇るインテグラに対し、手を向ける。その行為には意味は無かったが、インテグラに対しては、効果があった。レイの背後には、同じく純白の結晶体で出来た刃が無数にあった。それはとめどなく、作られ続けFreedomの本数より勝っていた。
「こっのっ、化け物がぁ!」
インテグラが手を振ると同時に、数百本という刃がレイに向かって飛んできた。しかし、それに抵抗するように純白の刃がそれを全て空中で弾き返していた。数百本という白と黒の刃が空中で交差し、辺りを埋め尽くしていた。
Freedomの攻撃は全て防がれていた。一本もレイに当たる事は無く、地面に突き刺さっている。その光景を見て、インテグラは恐怖に駆られた。
後ずさるインテグラに対して、レイは歩みよる。その距離は徐々に縮まっていった。恐怖に耐え切れなくなったインテグラはレイに対し、切りかかった。だが、それは無意味な事だった。
切りかかろうとしたインテグラの体に瞬時にして現れた純白の鎖が絡みつく。それはインテグラを完璧に捕らえ、動けなくした。
ひっしに鎖から抜け出そうとするインテグラに対し、レイは突きの構えをする。そのソードの切っ先はインテグラを捕らえていた。
「消え失せろ! 二の型――雷走!」
強烈な突きが、インテグラに向かって放たれる。その突きは確実に胴体の中心へと向かっていた。だが、そこに黒い鎖が巻き付いてくる。それはインテグラのFreedomだった。
「外れろぉぉっ!」
急激に外側へずれる剣筋に、レイは力を入れて抵抗する。全力を込めて、インテグラの方へと突きを向けていった。そしてその刃はぎりぎり、インテグラの肩に当たっていた。肩に当たった程度で済んだと思ったのかインテグラは笑みを浮かべる。しかしその瞬間、インテグラの肩は付け根から吹き飛んでいた。
「ぐあああぁぁっ!」
インテグラの断末魔が響き渡る中、黒い鎖は自分の意思で行動するかのようにレイを狙ってきていた。ソードで弾き返し、もう一度インテグラに攻撃をしようと思ったが、その必要は無かった。
インテグラの体は、砂塵のように消え去り始めていた。その様子に、レイは攻撃する必要が無いと判断する。その間、インテグラはレイに対し置き言葉を残していった。
「いつか……、必ずタイプPを手に入れてやる。それまで、大事に持ってろよ……。レイ・ガーディア……」
そう言い残したインテグラはそのまま砂になって消え去った。その場に残ったのはただ、無意味な戦いの傷跡だけだった……。
レイは、タイプ能力を解除してミリアのほうへと近寄って行った……。ミリアを抱きかかえ、レイはそのままマンションへ戻って行った。全てはミリアがまた平穏に過ごせるように……。
マンションへ戻ったレイは、まず起きていたみんなに先ほど起こった出来事を伝えた。その話にみんなは言葉を無くしたが、レイだけはミリアの意思を引き継いでその意思を伝えた、「私は必ず、思い出すから……」という言葉を。
その後、レイはミリアの両親に連絡を取り、うまくその出来事を誤魔化して伝えた。ミリアは転んで頭を打ち付けた、などと言って。おばさん達はその事を信じてくれたが、レイの心には罪悪感が浮かんでいた。
検査の為、ミリアを連れて病院へ行くおばさん達を見送った後、レイは少しの間、自分の部屋に入ってみんなに聞こえないように一晩泣き通した……。
それから三週間後……。
朝の目覚ましがレイを起こした。レイは制服に着替え、洗顔等を済ませておいた。朝食は、いつも通りのパン一枚。しかし、これでも腹は膨れるので問題は無かった。出かける時間になり、レイは慌てて、玄関から飛び出る。そこには見慣れは人物がすでに待っていた。
「はい、五分遅刻! これが本当の入試だったら今頃失格だよ!」
そこには長く綺麗な髪をしっかりと整え、元気な顔を見せているミリアがいた。
「悪い、朝はやっぱり苦手なんだ……」
「もう、高校はもっと遠くなるんだから時間はもっと厳しくなるんだよ! なのに、これじゃ先が思いやられるじゃない……」
「高校までには何とかするよ、それより行こうぜ。これ以上喋ってると本当に遅刻する」
ITRから時計を表示させると、ミリアが飛び跳ねるように驚いていた。
「もうっ、分かっているんならもっと早く言ってよ!」
そう言うと、ミリアはレイの腕を引っ張りエレベーターに乗り込んだ。狭い個室の中で、二人きりだが、特に会話は無かった。ミリアの記憶はやはり消えていた。それはEDNAに関係した事象つまり十二月の始め頃からクリスマス・イヴまでの間だ。本人は気にしていないようだが、実際はいろんな事に影響していた。
アイナとティラ達は現在、近くのマンションに住んでいる。アイナのバイト代とレイの仕送りによって生活している状態だ。あと、レイとミリアは元々受けるはずだった高校の試験を受ける事を辞めて、もう一段ランクの低い高校を受けることにした。
体調を考慮してと、レイの勉強不足もあったので結果的にそうなった。なので今は丁度、受験勉強の再来で大忙しである。マンションを出て、ミリアは走り出した。その姿はまるで、変わらないあのころのミリアと同じだった。
「ほら、レイ! 早くしないとリニア来ちゃうよ!」
こちらを振り向き、手を振るミリアを追いかけレイも走り出した。走っている最中、レイはミリアの手についている指輪に気がついた。レイは溜まらず、その事について質問する。
「なぁ、ミリア。その指輪どうしたんだ?」
自分が送った指輪を知らないフリをして聞くのは何か違和感があった。しかし、その問いにミリアは答えてくれた。
「気がついたら持ってたの、買った覚えが無いから貰ったものだと思うんだけど、なんだかここにはめてなきゃいけない気がするの……」
その言葉に、レイは立ち止まる。レイは両目を手で隠しており、その下からは涙が溢れていた。その様子に、ミリアはどうしていいのか分からなくなった。
「えっ、ちょっと、気分でも悪くなったの……?」
そんなことを聞いてくるミリアに対して、レイは誤魔化すように涙を拭い笑う。
「平気だよ、ゴミが入っただけだ」
「はぁ……、良かった〜。オーバーアクションだよ。心配するじゃない」
「悪い、めっちゃ痛かったから俺も驚いたんだ」
「もう、気を付けてよね。ちょっとの事でも怖いんだから!」
「ああ、気をつけるよ」
そう言うとレイは、ミリアを置いて走り始めた。後ろからミリアが待つように言ってきたが、今だけはミリアに顔を見せたくなかった。だけど、レイはそんな事は頭から捨てて、今と未来を生きる事にしたのだ。
レイは、ミリアに聞こえないように小さい声で呟いた……。
「また一緒になろうな、ミリア……」
そう言うと、レイはミリアと並んで走り始めた。そう、まだまだ人生はこれからなのだ、レイはその思いを心に秘めながらミリアと共に先へ走っていった……。
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2009/03/15(Sun)00:02:27 公開 / 桜雪
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■作者からのメッセージ
どうも、桜雪です。
これは、GA大賞ニ次落ち作品なのですが、いままで自分が書いた小説では一番うまく書けていると思う作品なんです。
改稿するためにも、この作品で疑問に思うところ、おかしいところ、いいところ等皆さんに聞きたいと思います。評価をお願いします。