- 『ワールドエンド・ホットケーキ』 作者:澪 / ショート*2 未分類
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全角3232文字
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原稿用紙約9.25枚
まさかホットケーキ職人じゃあるまいし、メイプルシロップなんて携帯していないのが常。
生ぬるい金色の蜂蜜と冷蔵庫の奥の古いバターが、僕の欝屈を彩っては実に安易に咀嚼される。また、皿を割る爪を噛む。しかしどう在っても甘いのだよ、それは。
ブックオフは古本屋さんだから、やっぱり臓器とかは買い取ってくれないんだってさ。
角膜から精液まで売っ払っても僕の値段はパチンコ屋の月収にも満たないらしい。上等じゃん。だって呼吸して些細な有害物質を循環させて生きてるだけの僕に高値がついたら、ゆとり教育のガキが世間を舐めてしまうじゃないですか。
口内炎を噛み潰して、一層濃くなる鉄の味。栄養摂れない舌が白い。そんなふうにすでに終了している口内をチュッパチャップスで凌辱、ほら、生きてるって痛いなぁとストロベリーフレーバーの倦怠できっと死ねるああはやくぶち壊れないかなこの世界、および、僕。
こんな時間に電話してごめんね、と。罪悪感ゼロで言ってのけて君の神経逆撫でるのが唯一の趣味である僕は、ある意味君なしでは生きていけない設定なのだよ、ザマァミロ。
明け方四時に僕のイタ電で叩き起こされる君のその、ババアが歩くような緩慢なペースで募っていく殺気が非常に好きだ。ゾクッてくる。
収入ゼロの僕が住むにはあの部屋の家具たちはスタイリッシュ過ぎるので、お外に飛び出したわけで。アスファルトの上はとっても退屈。
暇なら女と電話すればいいんだけどね。女の子と喋ったら恋しちゃうから、だめ。
君の“可愛い人”は半年ごとに変わる。まぁ、愛って一過性ですもの。でも半年ってちょっとめまぐるしい。ようするに飽きっぽいのだよ、君は。
だけど僕のことだけは今も昔もずっと変わらず大嫌いなのだとか。あはっ、なんだかたーまんねぇよな、それ。
そして君、ご挨拶がまだじゃない? 電話には出るくせにひとことも喋ってくれない君のそのやり方は、生殺しってやつじゃない? ねぇそんな焦らし方をどこで覚えたの?
ハローハロー、聞こえますか?
『ハロー、死に損ない』
と、相も変わらず君は手厳しい。
あ、先日はお花ありがとう。あんなに立派な花を贈ってくれたのは、僕が死ぬと思ったからでしょう? 残念ながら死に損なったから、あの花、玄関に飾ってるよ。本当は茎からちぎって棺に放り込んで欲しかったんだけど。
君という存在は毒にはなれど薬にはならない。だからこそ僕にとってはとっても大事。だって薬だったらきっと、いつも通り飽和するまで飲み干してしまう。
いろんな製薬会社の睡眠薬を飲み干して、三十四度まで下がった体温。どうして生きてるの、って、運ばれた先の病院の設備が素晴らしかったからじゃない?
不意に不安になるといけないから、睡眠薬と一緒にかの有名な頭痛薬も二錠だけ飲んだ。ぜんぜん効かない優しいあの子、イエス、バファリンさまの半分程度の優しさに騙されて死にたい。
『どうして、そんなふうになっちゃったのかな』
と、ほとんど慈しむようにそう言われて、ほんの少し、焦る。ああ違えよ、そんな生暖かい罵倒ではどこにもいけない。
……なんでかなぁ、と、君は震える声で呟いた。端々が痛いほどに悔恨じみたその言葉は、電話越しにもかかわらず、距離が近過ぎる。もっと他人事みたいに聞いて欲しいんだけど。だったら、はじめから電話なんてしなきゃいいんだけど、だけどもうなんだかどうしようもないんだけど。ああ、こんな時間に電話してごめんなさい。
『そんなに嫌ならうちに来な、ホットケーキを焼こう』
午前四時、死に損なった気違い相手にホットケーキの製作を持ちかける君の心理が、まったく理解できない。
ホットケーキを焼こう。その平和さに戦慄する。
『だって貴様はホットケーキが大好きでしょう』
ホットケーキは好きだ。だったら、いったい何がそんなに気に喰わないんだ。
駐車場でゲイのカップルが痴話喧嘩している。ひしゃげた空き缶にお花が挿してある。選挙のポスターに明らかに幼い子供の字で、死ねって落書きされている。その横にとんでもない達筆で、セックス! って書かれている。羽を広げたカマキリが潰れてる。それを半分踏んでいる、僕のニューバランスのスニーカー。みんなそれぞれメロウに絶景。
ただ唯一東の空だけが、身が竦むほどに、壮絶なまでに、とても無責任に、美しい。何の救いにもならない朝焼けは、悪い冗談みたいに綺麗だった。
この世界の何が嫌かなんて、なんだか途方もなくて説明できない。それを上手に説明できるようになった頃には、僕に溶け切らなかった絶望感できっと内臓がビショビショだ。そんなもの抱えて歩けるわけがない。
『こうゆうときくらいはさ、好きなものを食えばいいんだよ』
死ねとも生きろとも言わない君は、何ひとつ根本的な解決をしていない。だけど午前四時に突拍子もなくホットケーキを焼いてくれる。市販の凡庸なホットケーキミックスを使って、スキルゼロで投げ遣りに焼いたホットケーキ。最低限保障されているのは甘さだけで。
『お前はこれからも死に損なってうちでホットケーキを焼いていればいいんだよ、この蛆虫が』
……この、蛆虫、が。
あ、それ素敵。蛆虫とか、そうゆう罵倒が僕のストライクゾーンなんだけど、君、ここでそれを使うのは汚えよ、反則だ、どうもありがとうございます。
これから先も死に損なう。結構な殺し文句じゃないか、畜生。殺し文句に生かされるなんて、おかしな話。
まんまるくってとびきり端正なホットケーキを焼いてやろうじゃないの。それを消化しきった頃にはもう一段階暗い欝屈がやってくるかもしれないけど、そんなことより、雑な料理の後片付けに忙殺されてやろうじゃないか。後片付けが終わってしまったらどうしてくれよう。ああ。まぁ、いいじゃん。
この世界には、絶対に逃げ切れないなにかってやつもあるのだよ。
なんて、まったく達観できない分際の虚勢も、言い切ってしまえば心地良い。こうゆう不用意な快感で人間って増えてるの? ああはやく世界は終わればいい。
追い掛けてくる絶望感、逃げる足取りは軽やかに軽やかに、そうでなければ踏み外してしまいそうだから、軽やかに。さながらホットケーキをひっくり返すような危うさで、客観的には鮮やかに。はやくはやく世界が終わりますように。何ひとつ解決していないことを忘れちゃいけない。ホットケーキだけが甘い。
『ハローハロー、聞こえますか?』
黙り込んだ僕に、君がからりと問い掛ける。
死ねとも生きろとも言わない、実は心配しているとか、そんなことさえ君は言わない。言いもしないのに、こんな未明に冷蔵庫を漁り倒し、バターやバニラエッセンスを血眼になって探しているに違いない。ホットケーキよりも好きな食べもの、あるんだけどな、正直。だけど本日の午前四時にはなぜだかそれはどうにも代えがたい代物で。
午前四時にホットケーキを焼いてくれる。それっていったいどれほどのことだろうか。
「……ハロー」
聞こえますよ。わかってるよ、全部わかってるよ。申し訳ない、とても。
ハローの先の言葉が続かなくて、まったく暖まらない携帯電話を耳に押し当てたまま僕は、死んだカマキリの横にしゃがみ込んで、歪む表情を誰にともなく隠すために笑おうとして。笑おうとして、三日月を作った唇が切れた。かくも俗っぽい鉄の味。
生きてるって痛い。しかしホットケーキだけは、どう在っても、甘い。午前四時に摂取するその甘さはなかなかにイレギュラーで、それは多分ほんのひと刹那だけでも暖かい。甘いけど、それだけでは生きていけないよ。なんて、知った話じゃねえ、甘いんだよ。
ああ願わくば、はやく世界が崩壊して終了して全部残らず消え失せますように。そしてホットケーキがきれいに焼けますように、どうか。
「ハロー、君の可愛い蛆虫です」
END.
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2009/03/13(Fri)11:56:51 公開 / 澪
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■作者からのメッセージ
どうも、澪です!
連載のほうがまだ終了していないにも関わらず、ショート作品を書いてしまった澪です。(笑
なんか、思いついたら褪せないうちにと、文字を打つ手が吊る勢いで書きました^^
なかなか誰かを救えないし、誰かに救われないな、とつくづく思ったことがあったのです。お話の中のことですが、ハッピーエンドのあともまだ続いてたとしたら、なんだか、きっとこのくらいがちょうどいいのかなぁと思いました。
だけど鮮やかに救えなくても救われなくても、こんなときにハローハローって言ってくれる存在は、きっと尊いんだろうなとやはり、思うのでした。
では!今後ともよろしくお願いします!