- 『故郷と思い出』 作者:夜草 晶 / 未分類 未分類
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全角6326文字
容量12652 bytes
原稿用紙約19.25枚
故郷から離れて暮らしていた明日香は、父の願いで一時的に帰宅する。宝物を無くした少年と出会い、一緒に探すことにした明日香は、子供の頃に犯した小さな罪を思い出してしまう。
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明日香が生まれ育った町に戻って来たのは、就職してから二年が経った残暑の頃だ。
戻った、と言うが実際にはニ、三日だけの里帰り。故郷に暮らす父が倒れたという連絡を受け、のんびりと荷造りをしてから連絡を受けた三日後に現在暮らしている町を出た。
なぜ急がないのか。答えは簡単だ。父が倒れたなどという報せは嘘。一人暮らしを心配する父親が、母に何かと娘を故郷に戻るように仕向けさせているのだ。
家を出てから最初のうちは小まめに帰っていた。だが、一年経ち、二年経ちもすれば自然と帰ることが少なくなる。
子供ではない。私には私の生活がある。父はそこを分かっているのか。
母は、「お父さんはさびしいの。一人娘だもの。しばらくうちにいてみたら? それで満足すると思うわ」と言っていた。
それで会社に三日の有給休暇願を出して、溜め息を吐きながら帰って来たのだ。
先輩が言うには、家に帰ると早く身を固めろと言われて疲れると言っていた人がいる。明日香の家ではそういうことは今のところ、ない。その意味ではまだ楽なほうだと少しだけ思っている。
実家に帰った二日目の夕方。
家にいてもやることがないため、明日香は町を意味もなく歩いていた。
ちょっとした気まぐれだった。
今回家に帰ったら、正月までは実家に帰らないつもりだ。
今の暮らす町と近所づきあい。会社の仕事と人間関係。すべて円満とは言えないが、悪くない関係を築いている。休暇を取らなければ、今日は仕事の終りに向こうの友達と夕飯に行くはずだったのだ。
それを思うと帰ってきたことは意味がなく、失われた時間が惜しくなる。
帰りたくはなかった。父母には悪いがこれは本音だ。
故郷が、嫌いだった。
しかし、なぜ故郷を嫌うのか、明日香には自分でも理由がわからない。故郷は明日香ぐらいの年の者にとっては退屈な町だった。ショッピングに適した店も、お洒落な喫茶店もない。それでも生まれ育った町だ。それを、原因の無いまま、なぜ嫌いだと感じてしまうのだろう。暮れ行く空を見つめて物思いに耽る。だから、すぐには気付かなかった。
月極駐車場の前に座り込む男の子に。
数歩通り過ぎてから視界の端に何かが映ったことに気付き振り向いてみれば、うずくまった男の子がいた。
子供がうずくまっている。その事実に気づいたら、一応大人としては無視するわけにはいかない。
「どうしたの?」
子供の視線に合わせるためにしゃがみ込んで聞いてみるが、男の子は顔を上げない。
「お腹が痛いの?」
男の子は無言で首を振った。
「じゃあどうしたの? どこか痛いの?」
聞きながら明日香はふと、昔子供の頃に読んだ本を思い出した。
昔話の本だった。きれいな女の人に声をかけたらその顔がなかったという話。
ふいにこの子が顔を上げたとき、顔がなかったらどうしようと思ってしまった。それは子供に対してかなり失礼な想像だったため、明日香はすぐにその想像を打ち消したが、黄昏時。夕日に染まる空間は馬鹿げた妄想を湧き起こす。
そして、非常識な空間を作り上げる。
もう一度声を掛けようとしたとき、男の子からか細い声が聞こえた。あまりに細くて、聞き取ることができなかった。
「なに? ごめんね、もう一回言って」
「宝物、無くした」
僅かに上げた顔は泣き出してしまいそうだった。
「どこで?」
男の子が、無言で正面を指さした。正面には月極駐車場の背後にそびえる山がある。
「あそこで無くしたの?」
男の子が頷く。そして縋るような眼で見てきた。
一緒に探してほしいのだと訴えていることがわかる。
徐々に暗くなる空。山の中は街頭に照らされた道路よりもずっと暗いだろう。その山の中に入って男の子の「宝物」を探さなければならない。いくら可哀そうだと思っても、躊躇ってしまう。
「大事な、もの?」
再び、大きく頷いた。
その姿を見て、明日香は決心を固める。どこで無くしたのかはわからないが、子供の足だ。そう奥には行っていないだろう。しかし、放ってはおけないが、真剣に探し回るだけの真面目さはない。見つかれば問題はないが、見つからない場合はもう遅いからとか、暗くて見えないからなど、上手く男の子を宥めて家に帰してあげればいい。そう考えた。
「じゃあ、お姉ちゃんが一緒に探してあげる。おいで」
「ホントに! ありがとう」
先ほどまでの悲しげな様子から一転。明るい声で男の子は喜んだ。
「どのあたりで落としたかわかる?」
「うん。わかるよ。こっち」
男の子は明日香の手を握って山に向かった。
二人が山に入った道は、昔は登山口だったのか土と丸太で階段のようなものが作られた雑草の生い茂る山道だった。
明日香は山に入る直前に、道や山の名称を書く丸い木の棒を見つけた。それはすでに汚れて、書かれた文字の判別はできなかったが明日香はなぜか、それに見覚えがあると思った。
案の定、山の中は暗い。
まだ足下が見えないほどという暗さではないが、木々の生い茂った向こう側は闇しか見えない。
明日香がいることに勇気づけられているのか、男の子は土の階段を軽やかに登って行く。しかし明日香は、普段山を登るようなこともなく、履いている靴も少し踵のあるヒールだった。歩きにくいことこのうえない。
「ねえ、どこまで?」
すでに息を切らせながら、手を引いて前を歩く男の子に問い掛ける。
「もうすぐだよ。頑張って」
溜息が出そうになるのをなんとかこらえる。振り返ってまだ入り口が見えるか確かめたい。だが男の子の速度はやけに早く、振り向く暇がないほどだった。
「このあたりだよ」
ようやく立ち止まった場所は、階段の終わり。平坦な山道が続く場所だった。
真っ直ぐに伸びた道はどこまで行くのか。下りか、さらなる上りか。明日香はボンヤリと道の先を見つめた。
「ここで遊んでたんだ。もう少しだけ先にも行ったけど、でも絶対にこの辺だよ」
「じゃあ、探してみようか。そうだ。聞き忘れたけど、宝物ってどんな物なの?」
「銀色のペンダント。犬の形をしているんだ」
男の子の宝物としては珍しいと思った。
「わかった。じゃあ、探してみようか。あまり斜面に行かないようにね」
男の子は頷くとさっそく草や低木を掻きわけて探し始めた。明日香も腰を低くして探してみる。
地面に落ちていないか、枝に引っかかっていないか。一応は丁寧に探してみるが見つからない。
男の子の様子を確かめてみれば、道の先の方に行ってしまい闇と同化しかけている。
危ないと思い、追いかけようとした。だが、屈めた腰を不用意に上げたために足を滑らせた。体が傾く先は斜面になっている。
小さな叫び声を上げて明日香は転げた。
そう長くは転がらず、したたかに木に背中をぶつけたことで回転は止まった。痛む体に呻きながら立ち上がり、土に汚れた自分の体を嫌そうに見る。そうして転がった斜面を見ると、急な斜面ではなかったことに安堵した。
木にぶつけてしまった背中を押さえながら斜面を登ろうとした足が、何か固い物を踏んだ。
足元を見てみると、それは土に埋もれた平たい何かだった。なぜかそれが気になってしまい、掘り返してみる。平たい物は浅く埋められていて、すぐに取り出すことができた。
それは、箱だった。アルミに色を塗った玩具の箱。長く土に埋められていたのか、汚れて描かれた模様を判別することはできない。
だが、それを見てすぐに明日香は模様が何かわかった。
(ウサギだ。二匹の笑ったウサギ……)
縁を赤と黄色に塗り、真中に草原で戯れる擬人化されたウサギが描かれている。
土と年月はその絵を判別不可能なまでに消してしまっている。今は、僅かに縁の黄色と赤。草原の緑がわかるだけで、ウサギはわからない。
なのに明日香にはわかった。明日香は箱を知っている。
心臓が高鳴る。
箱を放り出したかった。
こんな箱は知らない。山に埋めたことなんてない。
知っていると思ったのに、それを打ち消して箱を捨てようとした。それなのに、抗いようのない力に操られるように、明日香は箱のフタを開いた。
箱に詰められた物が零れ落ちる。
色とりどりのガラス玉に折鶴。小さな手鏡。明るく塗られた石ころ。玩具の指輪。
闇を打ち消すように可愛らしい極採色が地面を彩る。
呆然と明日香は落ちる色を見つめた。
もはや自分を欺けない。明日香はこれらの品を知っている。
遠い過去。消してしまった罪の色達。
明日香が子供の頃、明日香には常に側にいる二人の友人がいた。
弘と奈津美という、二人の友人。
三人は町の子供のほとんどが通っていた幼稚園で知り合い、仲が良くなり小学校に上がってからも常に一緒にいた。他の二人が遊べばもう一人を誘いに行く。二人だけで遊ぶなんてことはなかった。いつだって三人一緒だった。
親友。その言葉が最も相応しいだろう。
小学校に上がれば三人にはそれぞれの友達もできた。だが、その友達と過ごす時間よりも三人で過ごした時間が一番多い。
最も輝いていた時間であり、最も無邪気な時。
だが、明日香はわかっていた。自分にとってはそれらが幻想でしかないことを。幼かった当時の彼女には、幻想という言葉も意味も知らなかったが、あの頃のどこか偽物めいた時間と自分の本心と二人を欺く感情を思い出せば、あの宝物のような時間は幻想だったのだとわかる。
時々、弘は明日香に隠れて奈津美にプレゼントを渡していた。
弘は、大ざっぱで少し無遠慮な子だった。彼にしてみれば女の子に何かをプレゼントするということはすごく恥ずかしいことだったのだろう。だから、明日香にも周囲にも隠れて奈津美に渡していた。
明日香にしてみれば、それは裏切りのような行為だった。
どうして自分だけ仲間外れにするの?そう思った。
悔しくて仕方がなかった。だからだ。
奈津美が弘から貰ったプレゼントを、明日香はこっそりと盗んで持って帰っていた。
全部ではない。時々。
机の中から。ランドセルの中から。誰もいない時を狙って盗った。
それらは家に持ち帰って箱の中に入れた。寂しさと怒りを封じるための儀式のようなものだった。
ある日、奈津美が泣きながら明日香に訴えたことがある。
弘から貰った幾つかの物が誰かに盗まれていると。
奈津美は弘が明日香に隠れて渡していることを知らなかった。恐らく考えることすらなかっただろう。奈津美という子は、純粋で優しい子だった。
きっと別の場所で明日香にも同じようにプレゼントをしている。そう思っていただろう。
渡してくれた弘に申し訳なくて黙っていたが、昨日貰った玩具の指輪が取られて悲しみが限界に来てしまい、明日香に悲しみを告げた。
誰がこんなことをするのかわからない。弘にバレてしまうことが怖いと泣きながら明日香に訴えていた。
その様子を見て、明日香の罪悪感が爆発しそうになった。
すべて話して謝りたい。だが、そうしたら二度と二人と遊べない。それは耐えられない恐怖だった。
偽物と感じる時間でも、大切で愛おしかった。
大丈夫。探してあげる。そう言ってなんとか奈津美を宥めた。
同じ日の掃除の時間。
ゴミを捨てに行った明日香はまた、見てしまった。
弘からペンダントを貰って嬉しそうに笑う奈津美の姿を。
爆発寸前の罪悪感は、押し寄せる怒りに消されてしまう。
奈津美が無造作に机の中にペンダントを入れるのを見た明日香は、他の生徒に見られる危険を犯して、ペンダントを盗んだ。
そしてそれを箱に入れて、家に帰る途中にある佐野山という小さな山に埋めたのだ。
赤と黄色で縁取られ、戯れる二匹のウサギの描かれた箱を。
奈津美は知っていたのだろうか。
弘が奈津美を好きだということを。
弘はけしてそんなことを言わなかっただろう。ただ、奈津美が好きな色を送ることが弘なりの伝え方だった。
箱を埋めてからは、明日香は奈津美が弘から貰ったプレゼントを盗むことを止めた。罪を重ね続けることに恐怖を感じた。自分の体を切り裂きそうな罪悪感に耐えきれず、明日香はこの事を忘れようとした。
そして忘れてしまったのだ。消してしまったのだ。
だが罪の意識は消えず、大人になってからもずっと心のどこかに存在していた。
最後に奈津美から盗んだ物を明日香は思い出した。
犬の形をした、ペンダントだった。
そして箱を埋めた日。明日香は今日と同じ場所で足を滑らせた。幸い、雑草を掴むことで転がり落ちることは免れたが、箱は手を離れて落ちてしまった。その時中身が零れてしまい、慌てて拾い上げてから埋めた。
犬のペンダントが見つからないまま。
明日香はただ茫然と立ち尽くす。
あの男の子の言葉が、頭の中を駆け巡っていた。
「犬のペンダントを無くした」
この山の中で。偶然にしては、出来過ぎている。
ふいに、背中に気配を感じた。振り向けば、あの男の子が無表情に立っている。
恐怖に一歩よろめいた。足が滑って尻もちをついてしまう。その明日香に男の子がゆっくりと近づく。
言葉が出ない。体が震える。
いつの間にか泣いていることに明日香は気付いていなかった。
「どうして?」
男の子の声は、予想外に悲しげだった。
「どうして、奈津美ちゃんから僕を引き離したの?」
明日香は、必死になって声を振り絞った。
「だって、悔しかったんだもの! 私は弘君のことが好きだった! なのに、二人はそんなことも知らないで、プレゼントを渡して! 貰って! 悔しかったの! 弘君を好きだったのに、弘君は気付かない! 奈津美も、知らないで貰っていた! どうして私だけ仲間外れだったの! どうして……!」
泣き叫ぶ彼女は、大人の女性としての明日香ではなく、幼い子供の明日香だった。闇が降り注ぐ山の中で、明日香は声を枯らすほどに泣き叫ぶ。
男の子が、優しく微笑んだことに明日香は気付かない。両眼を押さえて泣いていた。
「お姉ちゃんも苦しかったんだね。だけど、僕達も寂しかった。誰かに手に持って笑ってもらいたかった。それが僕達の存在理由だから」
その言葉に、明日香の泣き声が止まった。しゃくり上げながらも、男の子を見つめる。
「喜んでもらいたかったんだ」
明日香は悟る。
悲しみを与えたのは奈津美だけではなくて、盗んだたくさんの玩具にも悲しい思いをさせていた。掌の温もりを与えられることなく、アルミの箱の冷たさと暗闇の中で耐えていた。
自分の犯した罪の重さが、明日香に圧し掛かる。
「お姉ちゃん。笑って。僕達は、人の泣き顔は見たくないんだ」
闇が深くなる。何も見えないほど。
明日香が目を覚ました時、周囲はすっかり夜だった。
土の冷たさが、頬に心地よい。
起き上がった明日香の右手になにか、金属的な物が握られていた。
それは、犬のペンダントだった。
故郷が嫌いだという原因がわかった。かつて自分が犯した罪を思い出したくないから、出会いたくないから、嫌いだという理由を付けて近づかないようにしていたのだ。
会社にもう一日だけ休暇願を電話で頼み、明日香はその日も出掛けた。
行く先は、すでにそれぞれの家庭を持ったかつての友人のもと。
手には色褪せたアルミの箱。
謝罪を受け入れてもらえるかどうかはわからない。ただ、この玩具を返したい。
それが自分にできる二人と玩具達への唯一の小さな罪滅ぼし。
抜けるような空を見上げて、次の休みにはまた戻ってこよう。そう、思った。
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2009/02/17(Tue)20:57:28 公開 / 夜草 晶
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■作者からのメッセージ
初めての投稿です。
分かりにくいところもあるかと思いますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
感想、アドバイス、お待ちしております。
少し直しました。
ちゃんとと直せていればよいのですが……。