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『Cresta』 作者:こなた / ファンタジー リアル・現代
全角26500文字
容量53000 bytes
原稿用紙約84.25枚
紋章と共にこの世に生まれてきた人間。その意味するものとは。紋章からの依頼を承諾したとき、「物」と「者」は覚醒する。その覚醒の意味とは。その全てが世界の崩壊との関連を意味していたのだ──
──人は生まれながらにして紋章を得ることがある。
──紋章の発端はこの星が誕生したときという者もいればごく最近だという者、そもそも紋章によってこの星が作られたという者もいる。
──この紋章が何に使われるのか、そもそもこれは何なのか。
──わかっていることは。

物理法則を増強させる。若しくは改変させる。そしてそれは紋章が覚醒していなくても人に微弱な影響をもたらす。

そんな力があれば戦争なんてしょっちゅう起きるものだが、起きないのだ。それは、まだ眠っているから。人は生まれたときに紋章を探られ、発見すると。紋章抑制薬を注射されるのだ。それは昔から制定されてきたことなのだ。そう、昔から。気付いたときにはもうそうなっているのだ。
だから人は紋章を気にすることなく一生を終えることもありうるのだ。だが、目覚めのときは近づいてきている──

六月下旬。
「今日の運勢! 今日の一番運の良い紋章の持ち主は──」
もはや占いの道具とでしか使われなくなった紋章。少年はテレビを消し、なんとなく占いを思い出して自分の右手の甲の紋章を確認した。テレビの言っていた紋章の形とは違うのか妙に残念そうな顔をした。立ち上がり洗面所で頭髪を確認した後、荷物を手に取り玄関に向かい靴を履き替え外に出た。少し歩くとちらほらと同じ制服の人を見かける。彼は彼らについていくことにしたのか、地図をしまい、その人たちについていった。そして数分歩いたところで気がついた。ある女の人が男二人にからまれていた。周りにいる人の話に耳を傾ける。
「朝っぱらからナンパだよ。かわいそう……」
「あの子には悪いけどかかわりたくないからねー。いこいこ」
その二人の会話には怒りなどわかなかった。そう。面倒ごとになんて関わらないほうがいいのだ。面倒ごとに巻き込まれて損をするのは自分なんだ。少年は自分にそう言い聞かせ歩き出した。だがその足はすぐ止まってしまった。何かが気になる。ただそんな理由で少年は現場を振り向いた。
そこには背の大小しか違いがないような似た二人が少女に話しかけていた。
「なあ、遊びにいこうぜ」
「学校なんていったって何もないじゃん」
そういって少女の肩をつかんだ。
「やめて! 叫ぶわよ!?」
「助けを求めても回りの連中なんか助けてくれねえって」
「さっきから見て見ぬふりじゃねえか」
その事実が図星だったから少女は少し黙ってしまった。
「……離せっつってんでしょ?!」
断固とする態度に男たちも腹を立ててきた。
「いいからくりゃいいんだよ」
そういって腕をつかんで連れて行こうとした。その力に少女は小さい悲鳴を上げた。そのまま連れて行かれる予定だったのだろうが、次の瞬間男の手は少女の腕から離されていた。
「え?」
男二人と少女は同じ言葉を発していた。少女と男二人の間に少年がいた。元の調子を取り戻した男二人はつっかかってきた。
「んだよてめえは」
その問いに
「五秒待つ。逃げるなら今のうち」
少年の声は静かで厳かだった。そこに優しさなどなかった。少年の目には魂が入っていなかった。そして五秒のカウントを始めた。男はその瞳に怯んでいたのか残り一秒で、
「どけよッ!」
殴りかかった。右手を強く握り少年の顔めがけて。少年の手は丁度人差し指が畳まれるところだった。
「タイムオーバーだ」
そして顔に拳が当たる直前、顔の前の虫を払うように少年は左手の甲を顔の前で右から左に払った。パシンと乾いた音がして少年の顔をめがけていた拳は少年の左側を突き抜けた。次に少年は自身の右わき腹に両手首を合わせ、手錠をはめられたように構えた。そして右腕の勢いを殺しきれず前のめりになっている男のすぐ前に左足を踏み出した。と同時に右わき腹に構えられた両手の平を揃え両拳の代わりに手のひらで掌底を放った。
男は後ろに飛び、もう一人の男に当たり、巻き込んで二人ともども吹っ飛び壁に激突した。
「ぐ……あッ……」
悶絶している男たちに少年は近づいた。
その少年の瞳はまだ冷たく、無表情だった。男らはその表情に恐怖を覚え何もいえなくなった。逃げようとしたが二人とも動けなかった。その二人に少年は静かだが重く、冷たい声で言った。
「急所を突いた。五分後に動けるようになる」
そういって踵を返した。そしてすぐそこにぺたんと座っている少女に近づいてしゃがんだ。丁度少女と同じ目線になった。少年は無言で彼女の涙をふき取った。強気に振舞っても少女は怖がっていたのだ。
「あ……」
少女は突然の少年の行動に思わず声を上げた。そして目の前に差し出されている手を見つめ、手を重ね起こしてもらった。
「あ、ありがと……」
「……。大丈夫か?」
言葉は乱暴だがその言葉には棘がなく、優しい言葉だった。少女は少年の瞳を覗いた。その瞳には魂が戻っていた。
「う、うん!」
それに安心したのか少女はすっかり元気を取り戻した。
「ならいい。んじゃ」
そう少年は言って学校へ向かう生徒の後についていった。
「あ、名前……」
その少女の声は少年には届かず、少年はそのまま学校へ向かった。
「葵ー!」
と少女の後ろから声が聞こえた。振り向くと手を振りながらこっちに歩いてくる女子がいた。
「あ、美穂」
「どうしたの?何かあったの?」
実際、少女──葵の目はさっき自分を助けてくれた少年を追っていた。だが、美穂を振り向いたときに見失ってしまった。自分と同じ制服の生徒たちはすぐそこの角を曲がっていた。
「あ。葵、ここに倒れてる人たちってこの学校の先輩だよね…?」
五分後に行動可能≠フ男二人を見た美穂はそう告げた。
「え…。」
「どしたの?葵ちゃん?この人たちと関係あるの?」
「ないない、ナンパされて連れて行かれそうになったところをさ、ある男の人が助けてくれたの」
「なんかドラマチックだね。その男の子見てみたいな、どこ?」
「もう先にいっちゃったかな……」
残念そうな顔をした葵を美穂が見た。
「追いかける?」
「う、うん。追いつくぞー!」
そういって二人は少年を探しに走って学校への道を進んだ。
「あ、あの人だ」
二人は息を切らせながらも少年に追いついた。
その二人に気付いたのか少年は振り向いた。
「…………」
その表情からは何も読み取れない。文字通りの無表情だった。
「えと、さっきはありがと」
「いや、気にするほどのことでもない。…おろ?」
そして葵の目の前で止まりさっき男に掴まれた腕を手にとった。
「?」
美穂と葵は少年の行動を眺めていた。
「…血だな」
二人がその腕を見ると男の爪が食い込んだのか血が滲んでいた。少年は手に持っていた学校指定のカバンの中を漁りはじめた。そして絆創膏とティッシュを取り出し傷口をティッシュで優しく拭いたあと、絆創膏のテープを剥がしてその傷口に貼った。
「…………」
その行動に今度は葵と美穂が無言になった。
「大丈夫、かな」
その声は小さく細々とした声だったが、心配しているという気持ちが篭っていた。
「あ、ありがとう」
「ん」
少年は用が済んだとばかりに再び踵を返し歩き出した。
「あ、ちょ、ちょっと」
あわてて葵と美穂が追いかける。
「どうせなんだから一緒に行こうよ」
少年は少し固まった。そして
「俺でよければ」
と言った。
それから少年と葵と美穂は三人で歩いた。男たちを倒したときの冷たい表情はなく、会話をしていくにつれて表情は柔らかくなっていった。
葵が何かに気付いたようで、ふと立ち止まった。
「そういえば、お互い名前知らないじゃん! 私は葵。飯島葵。よろしくね!」
「私は杉村美穂、といいます。よろしくお願いしますね」
葵はそういって右手を差し出した。少年は差し出された手と葵の顔を見比べて手を握った。そして名乗る。
「俺は辻村音紋(あもん)」
そして三人は学校へ向かった。

「あーあ、今日から学校だよー。めんどくさーい」
葵が言った。
「仕方ないよ、また一緒にがんばろう、ね?」
はーいと気の抜けた答えを返した。そして三人は教室の前にたどり着いた。
「そういや音紋はクラスどこ?」
音紋は葵のいきなりの呼び捨てに一瞬戸惑った。
「Bだよ」
「それじゃ音紋、また後で遊びに行くかもよー!」
「ばいばい」
そういって二人は音紋に手を振りながら扉の名札にAと書かれている部屋に入った。音紋は目の前にあるB組に入っていった。教室に入るともう数名いて、音紋を一瞥してすぐに会話などに戻った。音紋は一安心し、自分の席を探した。
何をしようかと考えていると教室にある男が入ってきた。その男は覇気がなくどんよりと落ち込んでいるようなオーラを身にまとっていた。その男は音紋を視界にとらえると落ち込んでいるオーラが一変した。
「あ、あにきいいいッ!」
そう叫びながら音紋に飛びついた。音紋は男を見て数秒悩み、すっと席を立ち数歩後ろに下がった。すると音紋めがけた男は空中で方向転換することもなく音紋がさっきまでいた場所を通過し床とキスすることになった。
「……床にファーストキス奪われました……」
音紋はその男のコメントを無視し男が通過した自分の席に戻り椅子に座って男を眺めていた。数秒後男は起き上がった。
「兄貴! 酷いじゃないッすか!」
その大声にクラス中の視線が男に注がれた。その視線は数秒間男の眼帯に注がれていた。
「何がだ。」
「この僕をおいていくなんて!」
「一緒に登校するなんて約束はした覚えがないな」
「ぐっ……。この野々宮俊治一生の不覚……」
その後、担任となる教師が教室に入ってきた。
「んじゃ兄貴、また後でッ!」
といって音紋の右側にいた俊治は音紋の左の席に移動した。
「後でも何も隣だろ」
「雰囲気ですよ、雰囲気」

帰り。
「辻村君」
という控えめな声と活発な声が聞こえた。そこには綺麗な長い髪をなびかせている清楚な少女と活発という言葉がぴったりあうセミロングの少女が立っていた。
「葵と美穂、だよな。ほんとに来たんだな」
二人は教室に入り音紋のところに来た。
「兄貴、誰ッすか?」
「んあ、飯島葵と杉村美穂」
そういって二人を紹介した。
「よろしくねー!」
「よろしく」
「僕は野々宮俊治です!兄貴の忠実な僕(しもべ)です!」
俊治の身体が数メートル吹っ飛んだ。
「ごめん。あいつが勝手に兄貴とかって呼んでるだけだから。」
握られている拳を解きながら二人にいった。
「はは、仲がいいねえ!」
と葵が言った。
「さて、帰りますか」
音紋はそういって席を立った。その行動に反応したのか吹っ飛んでのびていた俊治は立ち上がった。そして四人で靴箱に向かった。
四人は偶然にも同じ方向だった。四人は、たわいもない話をしながら帰った。
「兄貴、もう家ですよー」
俊治は音紋の家を指差した。
「…もう着いたのか」
そして音紋が扉に手をかけようとしたところで
「あ!」
と俊治が叫んだ。皆は俊治の顔を見た。その顔は何かいいこと思いついたと言わんばかりの表情だった。
「今日初めて出会ったにしては仲がよくなったので親睦会も含めて兄貴の家で昼飯!ってどうでしょ?」
三人は少し考えた。
「…葵と美穂がいいというなら」
女子たちの意見を聞くために葵のほうを向くと、目が合い
「うちらはオッケーだよ」
という返事をもらった。
「んじゃあ、着替えてここに集合!ほんとは外食ってのもありなんすけどー…」
「悪いな、俺が苦手なんだよ。外食」
音紋は何かを考えるように遠い目をした。
「いいですよ、気にしないでください」
美穂がそう言ってくれた。


「ただいま」
返事のない家。親は仕事の都合で外国に住んでいて滅多に帰ってこない。金銭的な支援をしてくれているだけなのだ。玄関の電気もつけずリビングに向かった。ソファに座る前に制服を脱いで着替えた。時計を見ると短針と長針が仲良く上を向いていた。
「あいつらいつ来るのかな……」
その時、玄関先から声が聞こえた。
「誰だ?俊治だけ……じゃないな。」
男の声も聞こえるがそれと同時に、女の声も聞こえた。物音ひとつしない、物凄く暗い、本人は全然喋らないこの家だと玄関の扉越しでも外の声が聞こえるのだ。音紋はソファから立ち上がり扉に向かって扉を開けた。
と同時にがんっ、というなんとも気持ちのいい、同時に痛そうな音がした。
「──ッ!!」
そこには悶絶している俊治の姿があった。
「またか。貴様少しは学べ。お前家に来るの何回目だ」
チャイムを押そうとしたが家の主が人の来訪を知らせるチャイムより早く人に気付き扉を開けてしまうためタイミングが悪い人はそのまま激突する。
俊治の後ろではさっき聞こえた女の声の音源である二人が笑いを必死に堪えていた。俊治が障害物になって開ききらない扉を俊治を押しのけることで開き、音紋は一瞬固まった。
二人とも私服姿だった。そう約束したのだから当然なのだが、なんか女子の私服は新鮮だった。
「なんだ、俊治もか。。。。あ」
私服は三人だった。当然だ。
「何がですかぁ…」
まだ鼻をさすりながら涙目で答えた。
「ちゃっす、音紋ッ」
「こんにちは」
二人は挨拶をする。
今日はじめて会っただけなのに、うちまで来るのも驚いたが、彼女らの私服姿に眼を奪われた。
「…葵はなんか雰囲気がいつもとは違うな」
なんというかテンションが高かった。
「なんてったって音紋君と一緒にご──」
美穂の口が葵に塞がれた。その光景に音紋は首を傾げたが、本来の目的を思い出した。
「葵、美穂、まあいい家ではないが入ってくれ。」
しどろもどろしている葵と何かしてやったり顔をしている美穂を居間へ通した。

「兄貴、ちゃんと服はハンガーにかけてくださいよー」
制服をハンガーにかけながら俊治がそういって簡易クローゼットにかけた。普段怠け癖のついている音紋を世話するのは何かと俊治と家政婦なのだ。家政婦も親が雇ってくれている。飯を作ったり定期的な掃除以外はあまりこない。飯事態もあまり食べない音紋は朝と昼は自分でなんとかしている。
「ああ……。悪い」
そういいながら電気をつけた。そこは殺風景な居間だった。必要最低限のものしかなく嗜好品など一切ないような部屋だった。テレビ、パソコン、テーブル、椅子、キッチンの方へ行けば台所、食器棚、冷蔵庫などが綺麗に、新築かと思われるような形で置かれていた。
「あー、兄貴。また使ってませんね」
「……面倒」
そんな会話をしている男子二人をよそに女子二人は唖然としていた。男の家、男の部屋、といったらゴミだらけ、本や服は床に散らかしっぱなしというイメージがあった。

「ここもここで……」
「すごいね……」
「うっわ……」
「男の部屋とは思えない……」
女子二人が率直な感想を述べた。音紋は飲み物を持ってきてその感想に率直な意見を言った。
「それは喜んでいいのか?」
音紋の部屋には居間とは違う生活感のなさがあった。ただただ綺麗だった。掃除がされていて埃ひとつない部屋だった。居間と似たように、生活に必要な物だけあって、必要な物だけ使っている、という感じである。現に今はベッドにしわがある程度だ。
「兄貴ぃー、彼女は来たんですかあー?」
ピシッと空間に亀裂の入った音がした。
「か、彼女なんているんだ?」
そう尋ねたのは葵だった。意味を理解した音紋は、
「そういう彼女じゃない。家政婦だ、家政婦」
「なーんだ。つまんない」
葵はグラスを手にしながらつまらなさそうにストローをかじっていた。隣では美穂が裏がありそうな笑顔を葵に向けていた。
「それできたんですかぁー?」
「いや、来ていない。今日は晩飯の時くらいだろ」
「んじゃ夜は二人きりですねえー?」
瞬間分厚い辞典が俊治の脳天に当たった。
「貴様は狙っているのかそういうことを。大体一緒に暮らしているわけではないだろう
が」
美穂が、
「その人って何歳なんですか?家政婦ってからには大人ですか?」
とたずねた。
「期待したところ悪いが同年代の高一だ」
「同級生じゃないの、今度紹介してよね!」
そのうち会えるぞ、と音紋は言いながら時計を見た。壁にかけられている大き目の時計だった。もうすぐ一時になろうとしていた。
「葵、ほらそろそろ昼飯にしようよ?」
美穂の声でやっと動き出した。
音紋は中心に小さなテーブルを出し、男組と女組に分かれるように自然に座った。そして俊治が持ってきた昼飯を開けた。

「食ったー……」
皆が一服していると、
「出会って一日目でこんな友達ができるとはなー……」
音紋が呟いた。その言葉に何かを感じ取ったのか俊治が聞いた。
「……どうやって二人と知り合ったんですか?」
む、と音紋の眉間に皺が寄った。音紋がいいにくそうなのを察したのか葵が話し出した。
「朝、不良みたいなのにナンパされてるとこを助けてくれたんだ、なんかかっこよかったよ、一瞬だったけど相手ふっとんじゃって」
その時を思い出すように話していた。
「……まじすか?」
「嘘は言ってないよ?」
今度は俊治が眉間に皺を寄せる番となった。
「なんかまずかったの?」
と美穂が聞いた。
「まずい、というか……」
話すことをためらうように音紋に視線を送った。その顔は僕に話させてください、と言ってる顔だった。現に目に期待があふれている。
「……どうぞ」
諦めたように音紋は許可を出した。
「面倒なことは率先してやらないんですよ、兄貴は。誰かが困っていても面倒だから、と無視する人で。中学のころは自分から人に話しかけることがなく、話しかけても無視かそっけない態度です。その兄貴が人助けするって言うのはすごいことなんです。そして親しい人以外とは全然喋りません。僕は葵さんと美穂さんは昔からの知り合いと思ってましたよ。初日で飯を共に食べる仲の友達ができるなんて想像できませんよ。」
一通り喋ったところで一息ついた。
「なんかわたしたち結構好印象得てるんですね」
美穂が言った。
「結構ってレベルじゃありませんよ。かなり、です」
「なんか気恥ずかしいですね」
といって照れ隠しなのかはにかんだ。と、そこで音紋は表情を曇らせ
「どうでもいいが貴様俺の事を悪く言いすぎじゃないのか?イメージダウンしかねない」
「イメージも何も元から悪─」
い、と俊治が言おうとしたところで顔面に辞書が二つクリーンヒットした。二つ。
「二つ?」
美穂が葵のほうを向くと、葵は手元にあった辞書を投げたモーションのまま止まっていた。
「音紋は私を助けてくれた! 悪い人は助けてくれない! 音紋は悪い人じゃない!」
沈黙。
葵は自分が言ったことがわかったのか顔を真っ赤にした。
「い、いやあー。僕が悪いって言ったのはイメージであって性格ではないんだけどなー……」
起き上がった俊治は頭をかきながらそう言った。
「……そ、そうよね。私おかしかったなー……あはははー……」
耐えられなくなったのか葵は俯いてしまった。
美穂は投げられた辞書を迷うことなく元の位置に戻しながら笑顔で言った。
「にしても音紋君葵に愛されてるねー?」
「ちがーう!そんなんじゃないって! 私は性格のことをいわれたのかと思って……」
後半はごにょごにょ言ってて何を言ってるのかわからなかった。葵は何か思いついたかのように顔を上げ、
「そ、そういえば、なんで俊治は眼帯してるの?」
明らかに不自然だった。
「ん、ああ。これね?」
「目が見えてない……とか?だとしたら失礼なこと聞いちゃったかな」
「んにゃこたあないっすよ、あえて言うなら目の訓練です。ビリヤードばかりやってたからいろんな特技が身についたんですよ」
「色々って?」
「色々です。僕や兄貴と仲良くなれば嫌でも知ることになりますよ」
そこから四人はたわいの無い話に花を咲かせていた。趣味の話や特技の話、中学校どんな性格していた、など皆の暴露大会となっていた。

音紋がふと時計を見ると短針と長針が下を向いていた。
「もうこんな時間か……」
「外暗くなってるの気付かなかったなあー」
そろそろ帰ろうかという空気になり始めたころタイミングを見計らったようにチャイムがなった。
「兄貴、来ましたね、彼女」
「だからそうまぎらわしい言い方するな……」
すると、玄関のほうで扉の開く音がして、
「おにい!鍵はちゃんと閉めてっていつも言ってるでしょ!」
幼い声が玄関から階段を上り音紋の部屋に届いた。その声に驚いたのか葵と美穂は目オあわせた。
「さっき高校一年って言ってたよね?」
葵が尋ねた。
「いやー、高一なんだがいろんなところが発育していなくて……」
この部屋にだけ聞こえるくらいの大きさで音紋が話した。
「おにい! なんか失礼なこと言ってない?!」
小さな声で話しても返事が返ってきた。
「このとおりこういう話には敏感みたいで」
「み、美穂。どんな子なんだろう……ね?」
「こればかりはどうも予想がつかないね……」
女子二人がこそこそ話していた。その横で俊治は横になって寝ていた。なんか癪に障ったので音紋はどこからか出した洗濯バサミで俊治の鼻を挟んだ。
「こいついつの間に……」
さっき一階から声と一緒に来た音を思い出したのか葵が尋ねた。
「音紋、家政婦さんは風呂も洗ってくれてるの?」
「ん、俺がやるっていってるんだが、やりたいらしい。やらせてくれない」
それと同時に洗濯機が洗濯終了の音を発した。
「今洗濯するの?」
「ん、まあ、な。朝俺が干していくことになっている。というかさっきから葵はやけに俺の生活に熱心だな、」
「んー。気になったからさー」
すると、階段を上る音が聞こえた。
「来たぞー……」
全員がその少女の登場を待っていた。階段を上りきる音が終わり、足音が近くなり、部屋の前に来たところでコンコンとノックが聞こえた。
「おにい? 入るよ?」
「どーぞ」
「そんじゃお言葉に甘えてえー!」
そして扉が開いた。と同時に口を尖らせてキスをせがむ様に少女が飛び込んできた。
「おにいー!」
音紋と俊治はすっと立ち上がる一歩下がった。すると音紋めがけて飛んできた少女は音紋がいたところを通過し、その隣にいた俊治のところに飛んでいく。その俊治もいつ起きたのか鼻に洗濯バサミをつけたまま一歩後ろに下がった。すると、どうなるかというと、床との篤いキスとなる。案の定、ガンといういい音と一緒に床に口から激突した。
「床に唇奪われたあー……」
涙を浮かべながら音紋と俊治に抗議したのはポニーテールのちびっ子だった。
「その台詞は俊治からも聞いた。そしてお言葉に甘えても何も俺は『どうぞ』としか返事をしていない」
目に涙を残したままむくっと起き上がり葵と美穂に気付いた。
「あ、お客様ですか。お見苦しいところをお見せしてしまい大変失礼致しました。私雨宮理恵と申します。以後お見知りおきを」
沈黙。
「俊治、女って怖いな。こうも仕事モードに変換できるのな」
「兄貴、用心しましょう」
男は女の恐ろしさに感心している間に葵も美穂も自己紹介を済ませた。
「皆様は今日のお夕飯はどうします? 何なら一緒にどうですか? おにいがこんな仲のいい友達を連れてくるのは私としても大変うれしいのです」
沈黙。
「俊治、俺ってそんなに惨めなのかな」
「大丈夫です、僕がついていますよ、兄貴」
当の女子は
「ではお言葉に甘えさせてもらいます。ね、葵?」
「あ、うん。お願いしますね、理恵ちゃん」
そういうと
「わかりました。んじゃおにい、私の愛情たっぷりの夕飯を作ってくるね!」
そういって階段を下りていった。
「嵐のような子だね……」
葵が言った。
「ああ。まあ元気に越したことは無い」
「なーんか仲よさそうだよねー?」
「まあ長い付き合いだからな」
葵は固まっていた。顔は笑顔だったが固まっていた。
「それで葵はなんでこんなんなんだ?」
「理恵ちゃんに対する嫉妬じゃないのかな?」
美穂が言った。すると葵はすぐ復帰し
「だ、誰が嫉妬なんかするもんですか!」
全否定。数分後、
「皆さん降りてきてくださーい」
下から声といいにおいがしてきた。
「兄貴、このにおいだとカレーですかね?」
「そう、だな。あいつ人が多い時は割とカレーが多いな。てかよくこんな早く準備できるもんだ…」

「なんか悪いね、カレーまでご馳走になっちゃって。」
葵が言った。
「それじゃあ私はこれで失礼します。今日は家で用事があると母が言っていたので。おにい、食器はちゃんと水につけておくなりしといてよ! 前みたいに放置されると困るから!」
理恵はそういってさっさと食器を片付けてさっさと帰ってしまった。
「なんだ。一緒に寝泊りするわけじゃないんだね」
「何を期待したんだ?」
「んー。ハプニング?」
食後に少し休憩し、本当にそろそろ遅くなる時間になった。
「さて、そろそろお暇しますね」
「んじゃ僕も帰りますねー」
「み、皆帰るの?んー……んじゃ私も帰る」
「おう。またな」
音紋は三人を玄関まで見送り別れた。その後は風呂に入り寝た。

朝。適当にパンを食べて、一高校生がやるべきことをやり、理恵の言うとおり洗濯物を干し、家を出ようとした。するとチャイムが鳴った。
「誰だ?」
学校に行くので一応カバンを持って扉を開けた。
「おはよ、音紋」
そこには肩まで伸びていてさらっとした髪をしている女子がいた。
「お、葵。どうしたんだ?」
その返事が気に召さなかったのか笑顔のまま声に殺気を込め、
「お、は、よ、う」
と脅迫をした。それに気圧され音紋は挨拶をした。
「お、おはよう」
「よろしい。んと、家が近いから一緒に行こうかな、って」
目をそらしながら葵は言った。
「ふむ。まあいいけどさ。んじゃ行こ」
それを気にする様子も無く音紋は扉と鍵を閉めて歩き出した。
「授業だ……。一時間目から体育って何だよもう……」
「なーに朝っぱらから文句たれてんの! 体育は合同だから私が一緒なんだから退屈はしないわよ、多分」
「合同かー。人が多いのかー。面倒だなー……」
「後半にはつっこまないのね……」
「ん?何が?」
「なんでもないわよッ!」
そんな会話をしているうちに学校に着いた。
「そんじゃねー」
そういって別の教室に入った。そして教室一番に入ってきて聞かれたことが
「今一緒に来た子誰?」
だった。
「んあ、隣のクラスの飯島葵」
「どんな関係?」
「何もない」
「一緒に暮らしてるの?」
「そんなことはない」
「キスはも──」
「黙れ俊治」
最初の質問以外は全部俊治だった。その俊治は今床で悶絶している。俊治たちは朝早く来るため、朝のホームルームまで時間があるのだ。そのため、四人が朝集まるのは日課となっている。その四人に時々理恵が混ざるときがある。

七月。
「音紋遅い」
家の玄関先に葵が立っていた。
「悪いな。てか葵は何故毎日飽きもせずに……」
「いいの!気にすんな!」
頬を染めてそっぽを向いた。
「いいならいいが」
そして二人並んで学校に向かう。
「…にしてもあたしら四人仲いいよねー。知り合って初日から音紋の家に行ったくらいだしねえー。理恵ちゃんも慣れてくれたし」
「ほんとだな。うれしくてたまらんよ」
「うれしそうじゃないけどね?」
「表情にでてたまるか。にやけてたら怖いだろうよ」
そんなことを話しているうちに学校に着いた。
「兄貴―。また葵ちゃんと一緒ですかあー?」
「葵が家で待ち伏せしてやがる」
「待ち伏せって何よ!毎日行ってあげてるのに!」
「うっひゃー、仲がいいで──」
二人の回し蹴りが顔にめり込んだ。
「な……仲……いいですな……」
「……んじゃまた」
そういって葵は自分のクラスに向かった。四時間目の体育は体育館で合同でクラス対抗ドッジボールだった。
「高校生にもなってドッジか……。久しいな」
「兄貴苦手ですもんね。触れたらアウトだから避けるしかないですよねー」
B組の中で話している二人に葵と美穂が来た。
「当ててやるわよッ!!」
そう意気込んでいるのは葵だった。
「当たらんな。俺は避ける専門だ。当たる自信が無いくらいだ」
「なにおう?!」
試合開始し、開始十分でタイマン勝負となった。葵の力強く速く、尚且つコントロールのあるボールでダブルタッチなどが何回かあり、A組には葵、B組には音紋が残った。音紋は自分は投げることなく、全部触ることなく受け流し、当てていた。そしてなかなか決着がつかないのでダブルボールとなったがそれでも十分粘るため前代未聞のトリプルとなった。だが音紋には聞かなかった。全てかわしていた。目を瞑っていても流水術を身体の慣れで出しているためかわせるのだ。結局その試合は外野の攻撃が疲労度マックスの葵に直撃しゲームセットとなった。
「なんであんた汗ひとつかいてないのよ!!」
「いや……。何故と言われても」
「ちょ……音紋君強すぎ……」
「兄貴あれ反則」

四時間目も終わり昼飯となった。昼飯はB組に葵と美穂が来て四人で食べている。理恵も来たがっているのだが理恵は友達に捕まって昼は逃がしてくれないのだという。
その放課後、校庭が騒がしかった。バイクの音だった。野次馬は校庭に集まっていた。音紋も野次馬精神で四人で向かった。校庭には野次馬の塊ができていて、その近くで誰かを探しているようにきょろきょろしている小さいツインテールの女の子がいた。その子は音紋たちを見つけると駆け足で音紋の下へきた。走ってはいない。駆け足なのだ。三十メートルくらいあったにもかかわらず三秒もかからなかった。駆け足でさえ。
「兄さん!」
その視線はこいつらどうしますか、という意味が込められているのを音紋は感じ取った。何より、いつもは「おにい」という呼び方が、「兄さん」という呼び方に変わっていた。左を向くと俊治もその目線で語りかけてきていた。音紋はそのバイクの主たちの仲の二人に見覚えがあった。例の五分後復活の男たちだったのだ。そして理恵の手には黒い、よく身分を隠すために羽織るような、フードつきのマントだった。理恵が差出してきたので自然に受け取って羽織った。
「理恵」
唐突に呼びかけた。
「はい」
「その仕事モードを解け。そしてそのマントを俊治にも配ってこい」
「へ?」
何を言っているのかわからない顔だった。
「こんなやつらにそれを使うほどでもない」
それ、とはその生真面目なモードである。そこに俊治が声をかけてきた。
「兄貴、ここはいっちょ中学の挽回ということで有名になっては?」
その三人の世界に美穂と葵はついていけていなかった。
「いや、あの、有名とかそれ以前にあいつらをどうにかしなきゃ。なんか音紋の名前叫んでるし」
葵が言ったとおり彼らはさっきから音紋の名を叫んでいるようだった。辻村って野郎はどこだ?! と叫び声が聞こえる。クラスの連中は音紋たちを見つけたのかさっきから視線が音紋たちに注がれている。
「理恵、俊治」
音紋が二人に声をかけた。
「あい?」
「ほいさ」
「……、気楽に行こう。こんなのに本気出す必要はない」
そういうと俊治と理恵も正体を隠すためにマントを羽織り、フードをかぶった。
「……久しぶりだね、おにい」
理恵の言葉は、「兄さん」から「おにい」に戻っていた。あの仕事モードは解かれていた。
「時間制限はあいつらとの接触から五秒。俺も参加する。遠方を片付けろ」
「兄貴、僕はどうしますか」
慣れているのか俊治の声もふざけてはいなかった。
「葵と美穂と守れる人の範囲内での護衛」
「了解」
「葵、美穂」
「な、何?」「何ですか?」
音紋は二人の顔を交互に見つめ、言い放った。
「ちょっといってくらあ」
いつにもない音紋の気楽な言葉だった。

そして三人は野次馬の集団から前進した。
「音紋は俺だが」
そういうとバイクのなかのリーダーらしき人が
「貴様……この間はよくも……」
「ちゃんと五分後には動けただろう?」
「っっせえ!!」
それが合図となったのか、バイクは爆音を立ててつっこんできた。
「数は十五だな。スタートだ」
そして音紋たちはフードを深くかぶり、跳んだ。
五秒後。
バイクは残骸に、人は倒れていた。

やれえ!の掛け声からバイクは音紋と理恵をめがけてきた。まずはバイクが五台横に列になって爆音を立てて近づいてきた。そして二人の周りを回っていた。そして五台は同時に二人めがけて車体ごと衝突させるようにつっこんできた。そして、ぶつかった。衝突の瞬間に一瞬だけ音紋が動いた。衝突したときに起きた土ぼこりが晴れたところには二人いたところには音紋と、中心部を壊されているバイクと気絶している運転手しかいなかった。
後ろに続いてきた五体と先に倒れた五体の間には十メートルくらいの間があった。その間に理恵は立っていた。今度の集団は前に二人、後ろに三人の隊形で突っ込んできた。後五メートルというときに理恵は高く跳び、団体の中心めがけて落下してきた。そして集団が理恵が上空から降ってくることを認識する前に理恵は中心に着地、の直前に回し蹴りを周囲に放った。それは一瞬で、一般人には回された足すら見えなかった。その足は全て顔面に命中し運転手は飛び、バイクは横倒しになり滑って行った。
残りの五体は音紋の予想通り俊治に向かってきた。瞬時はポケットを探り、玉を五つ取り出した。それを高く打ち上げた。集団は集団といえるには程遠く一人一人別々に向かってきていた。そしてタイムリミットまであと二秒というところで上に放ったボールが俊治めがけて落下してきた。そして○、五秒の間にそれは組み立てられた。俊治の袖から三本の棒がすっと出てきて自然な動きで一瞬で組み立てられた。そして一歩下がり構える。そして、眼帯を取った。そこまでが○、五秒。残り一秒となり、玉は打ち出された。単なるビリヤードのように直線に進むのではなく、その玉は曲がった。全てバイクの運転手のこめかみに直撃し気絶した。
そこまで五秒だった。誰も声は出なかった。俊治は急いで眼帯を付け直し、土ぼこりを払っている理恵と音紋と合流し葵たちの下に戻っていった。

教師は警察を引き連れてきたころには三人は人ごみの中に戻っていた。警察署に連行されるときバイクの主らは「化け物だ……」とうわごとの様に呟いていた。
「お疲れ様」
葵が言った。一度音紋の技を見慣れているから多少は驚いていたが美穂に比べると平気だった。美穂は野次馬と一緒に唖然としていた。


その夜音紋は不思議な夢をみた。そこは真っ暗な暗闇。上も、下も。何もわからないなかで音紋はいた。
『時が来た』
その声は低く、冷徹な声。
『紋章が動き出す』
音紋は自分の紋章を見た。右手の甲にある黒い丸。生まれたときからあり、皆あるのが普通、無くても別におかしくないという物で、誰も気にしなかった。実際、音紋は紋章を見つめたのは高校一年になって今日が初めてだった。誰も気にしていないのだ。誰かの紋章なんて。
「こんな未知の力が現れたら混乱はする、な。」
『奴らが現れる。それは汝らに埋め込まれた抑制剤を無効化させてしまう。』
「…………」
『奴らの存在が紋章の波長を狂わせ、目覚めさせる』
「その運命に抗うことは?」
『不可。紋章がある時点で影響を受け、目覚める』
「怖いな。戦うんだろ? 戦いに抵抗は無いが、それを悪用する人間もいないとは限らない」
『だから我らは選ぶのだ。力のあるものを』
「力におぼれる奴もいるんじゃ?」
『その先にあるのは破滅のみ』
「俺にできるのか?それは」
『汝と他の選ばれし紋章師にしかできぬのだ』
「他の奴ら、とは?」
『なに、すぐわかることだ。それよりも、我は問いたい』
「協力してくれるか、だろ? よくわからない。だからお試し期間ってのはどうだ?自分の力が自分にふさわしいのか、それくらいはな」
『……いい、だろう。いい返事を待つことにする。それより覚えておいてくれ。我が名は──』

朝。
音紋はベッドから身を起こした。そして右手の甲を見た。さっき見た夢。夢なのに現実味がある夢。その紋章は普段何気なく占いにしか使っていない。なのに、夢を見た後だと印象が違って見えた。音紋の紋章は模様など無い。見る者全てを吸い込みそうな『闇』を表すように真っ黒だった。
「暑いな」
音紋はそうぼやいた。
音紋は朝食の片づけをして鏡に向かい歯磨きをしながら髪を整え、一連の作業が終わるとかばんを持ち、外へ出た。
そこには、いつもの葵の他に俊治と美穂、そして理恵もいた。彼らはあまり明るい顔をしていなかった。音紋は嫌な予感がして、そして右手にある紋章が疼くのを感じ取った。そこには夏とは思えない寒い風が吹いていた。


音紋が紋章に目覚めた時。桂木の下にも紋章が来ていた。彼のところには音紋の時のような真っ黒い空間ではなく裁判所だった。自分は被告席に、眼鏡≠ヘ裁判長の席に浮いていた。他には誰もいなく、音ひとつない場所だった。
「……私に協力しろと?」
被告席から眼鏡に問うその状況は不思議なものだ。
「そう。他の人間の下へも私と同じような紋章が行っている。私の名前は真偽眼=B文字通り事象の真偽を見ることができる。今はこの眼鏡に憑いている、紋具」
眼鏡は女の事務的な声でそういった。
「……わかった。具体的にはどうすればいいんだ?」
「…………。私は眼鏡に憑いているが、他の紋具使いや紋章師は他の物や人に憑いている。われ等を見つけ、意思の統合をし、訓練により我々の扱いになれてほしい。スペリアも準備をしている筈」
その声は焦燥を含んでいるような声だった。それを気にすることも無く桂木は
「そもそもスペリアとか紋章師とか言われてもよくわからない現実があるんだが」
「……迂闊。説明は長くなるが聞いてほしい。まず、紋章師とは人に紋章が憑く事。能力的には物理法則の増強。そして私のような物に憑くパターンは紋具使いと呼ばれる。紋具使いは物理法則の増強というのは同じだが、増強できるレベルが紋章師に劣り、紋具をとられるとどうしようもなくなるのが欠点。中には紋具を使うのに物理法則の改変を行う紋章もいる。それは特例だ。そして敵のスペリア。スペリアの能力は物理法則の改築。物理法則を塗り替えることができる。これは大半。スペリアとは本来敵の集団を意味する。だからスペリアに紋章師がいてもおかしくは無いと同時にこちら側にも元スペリアがいる。その元スペリアを『裏切り者(アンダーグラウンド)』と呼んでいる。こちら側にいて物理法則の改築を行うものはアンダーグラウンドと判断してかまわない。だが見分けがなかなかつかない者もいるのは確か。
紋章は物理法則の改変、改築を行うがそれ以前にその紋章の能力というのはおおよそ目安がつくもの。それは憑いた人物や憑いた者を使用する者の特技などが影響する。影響の種類は補足型と増強型がある。例えば元々力が有り余る者に紋章が憑いた場合、その腕力を更に増強させるか、不足しがちな敏捷さを補足するか。私の能力はその情報の真偽を分別する能力。つまりあなたに元々そのような力のようなものが備わっていると見られるが?」
「ちょ、ちょっと待て。整理に時間をくれ」
そして約二分が経過した。
「よし。わかった。そして最後の答えだが、私は元々刑事をやっていてな。その職業上容疑者の言っていることが本当か嘘かを見分けなければならない。それが特技、かな。」
「そう。そしてこれは私の個人的な質問」
「何だ?」
「普通人間というものはこういう異常な事態に多少は戸惑い、決断を後回しにするもの。あなたはすぐに私たちに協力してくれると言った。何故?」
桂木は手をあごにあて、考えた。
「半分は自棄。半分は自分探し。さっき元々(、、)という言い方をしただろう。俺は本当に元刑事なんだ。首を切られてな」
そこで桂木は自嘲的に鼻で笑った。
「だから生きる目的がほしいというのが理由だな。こういう戦争もどきのことで自分探しってのもおかしい気がするが、それと同時に何か生きがいを見つけられそうな気がするんだ」
「……そう」
そういうと浮いていた審議眼は桂木の目の前に移動し
「もしスペリアと対峙する覚悟ができたのなら私を手にとって」
桂木は自分に言い聞かせるように眼をつぶり小さく頷いたあと、真偽眼(めがね)を手に取った。その瞬間、真偽眼がまぶしく光り、その光は自分を包み、その場所を包んだ。気がついたら先程までいた書斎にいた。握っている真偽眼を見つめ、夢ではないことを確認した後、その眼鏡をつけてみた。
「何だ、眼鏡も似合うじゃないか」
書斎のカーテンを開けると朝日が入ってきた。まぶしい朝日を目にくらい、うっと目をつぶった。そして洗面所に向かって顔を洗った。洗面所の前でもう一度、何だ、似合うじゃないか、とつぶやいた。
普段着に着替えた。厚着はせず、薄地のシャツとジーパンを履いて外に出かけた。
「善は急げ。仲間探しに向かいますか」

外に散歩のついでに仲間探しに出た桂木は数分後には家に戻っていた。玄関の扉を開けたらそこには四人の女の人たちが立っていたからである。彼女らは、自分たちは契約したての紋具使いであると説明をした。そして今に至る。
「どうぞ座ってください」
四人は「失礼します。」と言いソファへ腰掛けた。
「では、先程の続きになりますが、私が代表して仕切らせてもらいます。私は穂村香苗と申します。歳は今年で二十歳。剣道範士十段。私の紋具は剣で名は赤縞瑪瑙(めのう)。本業は社長秘書をしていましたが、その会社が倒産したためここに至ります」
そう丁寧に自己紹介したのは厳か≠ニいう表現が合いそうな女の人だった。スーツ姿で、雰囲気から律儀だといえるような、且つ余分なものはないとでもいうようなきれいなスタイルをしていて、街中を歩いたら大勢の人が振り向くだろう容姿をしていた。眼鏡の奥の瞳からは睨むだけで人を殺せそうな眼光が潜んでいるように見えた。
「自己紹介は自分でした方がいいとおもうので、次、桜庭さんお願いいたします」
そういうとおっとりした雰囲気の女の人が口を開いた。
「私、華道の桜庭流の開祖の子孫の桜庭華代と申します。年は十六です。私の紋具は花、名は紅薔薇です。よろしくお願いします」
和服姿で髪の毛が床につきそうなくらい長い彼女は終始ほんわかな雰囲気を残した桜庭は華道で習ったのか、きれいなお辞儀をした。これを大和撫子というのだろう。
「名前は西村矢苗。付近の学校に通う高校二年生です。紋具はチェーンソー、名は電佛丸。以上」
すっと起立し、これも習ったのか、丁寧な四十五度のお辞儀をした。矢苗も穂村と同じようなショートヘアで、良いスタイルを保って、雰囲気もどことなく似ていたが、その同じような瞳には穂村が厳かに対し、矢苗は優しさが含まれていた。
「名前は東山時奈です!早苗ちゃんと学校は同じなので説明は省きますー。紋具はハンマー、名前は阿修羅っていう私に似合わないくらいなんかかたっくるしい名前の子っ! よろしくです〜!」
サングラスをかけていた時奈は桜庭のおっとりとは違い、そこらに飛び回っているような元気っ子という感じであった。桂木は自分の自己紹介がまだだったということを思い出し、
「私は桂木豪。両親が某企業の社長兼資産家である。私は元刑事。歳は二十八。紋具はこの眼鏡、名は真偽眼だ。以後宜しく頼む」
深々とお辞儀をした後桂木が口を開いた。
「本題の紋章師ら探しの前に聞きたいことがある」
四人の意識が桂木に向いた。
「ごく自然にここまで来たが、君らはどうやってこの場所を知ったんだ?」
その質問に、桜庭が答えた。
「私の能力です。皆さんが契約したときに紋章に私の能力が付加されていました。私自身もさっき紅薔薇に聞いたんですが、紋章に花のような形が小さく描かれていると思います」
そうして桜庭以外の四人は自分の紋章を確認した。自分の紋章に小さく桜の葉のようなものが彫られていた。
「その印がついている人の居場所は私だけがわかるんです。穂村さんたちと合流したのもその印を追いました。近い人から当たっていったらこの四人が集まったんです。なので、また追えば見つかります」
唖然としている皆を見て桜庭は顔の前で手を振りながら恐縮し
「そ、そんな大層な力じゃありませんよ〜」
やっと口を開いたのは時奈だった。
「すごーい! これですぐ見つけられるねッ!」
といって桜庭に飛びついた。
「こりゃ出会って早々仲がよくなったな。桜庭の能力には感謝する。ありがとう。だが、このまま俺らにその印がついてたら探すのは難しくなるんじゃないか? 近くの人から当たるんなら隣にいる俺らに当たってしまう」
桜庭は目をつぶった。数秒間あたりが静まった。そして、
「えと、私がその印に触れれば解除できるようです。皆さん紋章を」
桂木はかけていた眼鏡を差し出し、穂村らはもってきたバックの中を漁り出した。そこに出てきたのは彼女らの武器だった。穂村は刀身が二メートルはあり、黒光りする刀だった。柄の部分に紋章が描かれていた。矢苗は瑠璃髑髏と同じくらいの長さのチェーンソーだった。電佛丸にはエンジン部分に紋章が掘られていた。時奈の紋具、天撃槌には瑠璃髑髏と同じで柄の部分に紋章があった。各々それを桜庭に差し出し、それに触れることで印だけが一瞬光り、消えた。
それが三人分終わったところで次は矢苗が質問をした。
「先ほどから気になるんですが、自分の紋章とは自分だけとしか会話ができないのでしょうか?」
『そんなことはない』
あたりに響くような、特殊な声が聞こえた。その声は反響して聞こえたが真偽眼の声だった。
『私は紋界で、ある軍の統率者をしていたため、特権でこうして周りの紋章師や紋具使いに話しかけることができる。そういう例もあるってこと。でも君らの紋章のような一般の紋章は憑いた人としか会話ができない。そして私は任意の紋章と一対一で会話もできる』
「……だそうだ」
真偽眼の説明が終わった。

「提案があるのですが」
皆が早苗の方を向く。早苗は時奈とアイコンタクトをとり、頷いた。そしてしゃべりだす。
「私と時菜はこの町を出て行こうと考えています。他にも紋章師や紋具使い、アンダーグランドが覚醒したとわかった以上この町に留まらず他の町で仲間を集めたほうがいいかと思います。なので、私と時奈は別部隊として他の町で活動したいと思います。どうでしょうか」
桂木は顎に手を当て数秒間考えていた。
「……いいんじゃないかな。君らの意見を尊重しよう」
次に桜庭が懐から種を四つ出した。それは本当に小さな種で息を吹きかければ飛んでいきそうな大きさだった。桜庭はそれを握り、
「『紅薔薇』」
自分の紋章の名前を呟くと手が光った。正確には手の中にある種が光り、急速に成長したのだ。
手のひらサイズのその花は白く、握るとすぐつぶれてしまいそうなやわらかさがあった。それが二つと、もう一種類の花は中心が黄色く、そこから細長い白い花びらが伸びていた。それは最初の花より小さかった。
「これはイベリス、という花です。花言葉は「ひきつける」です。私はこの花をたよりに皆さんを探してきたので、他の町の花びらのついた紋章師さんたちを見つけるのにはこれがあったほうがいいと思います。こっちは東雲菊です。精神的な強さなどの象徴です。何事にも負けず、という意味ですね。この花たちは私の合図か、燃やされたりされない限り死にません」
その二種類の花を一本ずつ時奈と早苗に渡した。
「ありがとうございます」
「ありがと!」
二人はそういって受け取った。
二人は元々それを言いに来るのが目的だといってすぐに旅立ってしまった。入り浸ってしまうと名残惜しくなってしまうので、と。桂木らはまたいつか会うときにまた、と挨拶をして別れた。車で送ろうとしても断られた。
二人の姿を見送りながら桂木は呟いた。
「さて、これからこの家が本部だ。ここを拠点に俺らはこの町の紋章師たちを集めよう」
「そのことなんですが」
と桜庭が言った。
「私の桜の印がついている紋章の位置を視覚化したところ、多く集まってる場所があるんです」
さっき花の印を消してからしまうのが面倒だということで刀を腰に下げていたさっきから一言もしゃべっていない穂村が口を開いた。
「どこですか?」
桜庭はその方向を見据え、その先に見える建物を指差して言った。
「あの学校です」

この世界は町と町、国と国との間に大きな城壁を隔てるのが常識となりつつあり、今時それがないのは集落くらいなものだろう。その城壁の門には門番が居る。旅人も商人も何も来ない暇な日々を門番は送っているのである。
その城壁は陽の光りを遮らない様に天井は開いている。そもそもこんな城壁を築いたのは昔戦争が多発していたらしく、その名残である。今はどの国も平和なのだが、外すにも外せない。めったに町の外に出る人も居ないため、自分の町しか知らないまま自分の町で生まれ、死ぬ人も少なくないのだ。その城壁の中の人間はその城壁の中だけが自分の知る世界なのだ。この町の建物は多くもなく少なくもない。人口密度も高くはない。農業も工業もやっている。
工業地帯と農業地帯は遠く離れていて、いわゆる都会と田舎に分かれている。音紋たちが住む場所はちょうど真ん中くらいである。

その頃、音紋たちの通う学校と同じ制服を着て信号待ちをしている女子二人がいた。二人とも身長も体格も似ていた。二人とも引っ越してきたばかりの家を出て今そこにいる。赤信号が青になるのを待ちながら妹が言った。
「何かつながりがあるのかな?この転校と紋章」
姉は目の前を横切る車を見ながら答える。
「さあね。でもありそう。私は思うのよ。この先の学校に、私らと同じレベルの能力者がいるって」
妹は自分の右手にある紋章――丸の中に太い線で「×」と描かれたような紋章──を眺めていた。
「快諾しちゃったけどいいの?」
姉は横断歩道の手前の停止線で止まっているトラックを見ながら答える。
「さあね。退屈してたし、いいんじゃないの?それに、」
一旦呼吸をおいて
「あたしらの能力じゃ簡単に死にそうもないわよ?さ、いこ」
信号が赤から青に変わり、二人は歩き出した。周りにも同じ学生の姿が見える。

そして他にも。
幾千という、
紋章が覚醒していた。


そこには、いつになく沈んだ空気があり、出会ってからずっと髪を伸ばし肩までしかなかった髪の毛はすごく長くなっている葵と、その葵と見分けをつけるように長い髪を後ろで一箇所だけ結ぶ、いわゆるポニーテールにしている美穂、いつもと同様にニヤニヤしている俊治と、これもいつも同様ツインテールにしている未発達少女理恵がいる。
「今日は全員お揃いで?」
音紋は目の前にいる四人の友を見渡した。
「兄貴、おはようございます」
俊治がそう呼んだ。直感とはあるものなのだろうか。音紋は思った。ここにいる俺らは皆仲間じゃないのかと。自然と重い空気になっていた。その空気を打ち壊したのは葵と理恵だった。
「ほーらほら! 折角皆集まって一緒に登校だってのにこんな空気じゃ一日がつぶれちまうぞ!」
現実に引き戻された音紋は鼻で笑い、
「そーだな。行くか」
そうして五人は歩き出した。
「あ、おにい、ちゃんと洗濯物干した?食器はちゃんと──」
理恵の家政婦としての言葉を華麗に無視しながら。

「席に着けー」
担任の登場で理恵と葵と美穂は自分のクラスに戻った。
「転入生だ、静かにしろー」
定番といわんばかりに先生の言葉を無視し、転入生という言葉に反応した生徒らは女子なのか男子なのか、可愛いのかな、カッコいいのかな、そんな話題で持ちきりになった。先生も慣れているのかざわめきが納まるまで待っていた。ある程度収まったところでしゃべりだした。
「やっと黙ったか。俺はいいとしても転入生に失礼じゃないのか、諸君?さ、入って自己紹介してくれ」
すると教室は一気に静かになり、扉の開く音が響いた。そこには女子がいた。その人はとてもきれいで、男子も女子も小さく歓声をあげた。その少女は黒板に自分の名前を書いた。
「綾野香奈です。趣味はバイオリン、特技は……人形を操ること、かな?これからよろしくお願いします」
その少女は言葉には多少は社交辞令が入っているがその笑顔は偽者だった。裏がある笑顔だと音紋はわかった。こういうのに男は騙されるのだろうか。
「兄貴、かわいい子っすね」
騙されていた。
「……よかったな。その台詞を葵の前でして見ろ。殺されるぞ」
教卓の横に立っている香奈は何かを思い出したように、
「あ。隣のクラスに妹もいるのでよろしく。よく瓜二つって言われるから」
やはり挨拶のみ社交辞令らしい。もう敬語なんて入っていなかった。そして香奈は教師に言われたとおりの席に座った。音紋たちから遠かったという理由で俊治は悔しがっていたが音紋はそれを無視した。
昼休み。
開始早々校内放送が流れた。
「如月先生、至急元会議室までお越しください。繰り返し──」
女の人の声でそう言われた。校内放送なんて珍しいものじゃないので誰も気にしなかった。
やはり転入生イベント恒例の質問攻めに香奈は苦しめられていた。眉がつりあがっているのを音紋は危険信号だと悟った。数分後にはその妹が入ってきた。
「ありゃあ……」
その子を見た音紋の感想だった。香奈は妹を見つけ、手を上げて呼んだ。
「おー、静香―!きてくれー!」
静香と呼ばれた少女は香奈を取り巻く生徒に一瞬硬直したがしぶしぶ姉のほうに向かった。それと同時に理恵たちがクラスに入ってきた。
「やほー! ……って何これ」
「すごい集団だね……」
葵と美穂は取り巻きに驚いていた。理恵は驚くこともなく、
「静香ちゃんはうちのクラスに来たの。あれはもううちのクラスじゃ終わったよ」
あれ、とは恒例取り巻き集団のことを指していた。
飯を終え、恒例取り巻き集団も消えて綾野姉妹も自由にされたようだ。
「……偶然もあるんだな」
そろそろ話し時だろうと思っていた五人は音紋のその発言に驚かなかった。
「そうですね……。皆やはり僕らと同じ心境でしょうか。少なくとも自分を騙し、今までと同じような生活を送ろうと必死ですね」
俊治は組まれた自分の手に目を落とす。
「錯乱して病院に運ばれた先輩もいるそうですしね。ただ、あの時に拒絶した人がどうなっているのかは気になります。皆さんの手にはまだ紋章が残っているということは、拒絶しても紋章は残されるのか、皆さん全員が承諾したのか」
美穂の言葉を継ぐように葵が喋りだす。
「前者だと思う。全員が承諾なんてことになってたら今頃ここはパラレルワールドだろうよ」
ため息混じりにそう言った。そして順番的に自分と思っていたのか理恵が喋りだす。
「そして覚醒者の共通点は桜の印ですね、おにい」
そして全員自分の紋章についている花の印を見た。
「へえ、あなたたちもなんだ?」
いつの間にか綾野姉妹が横にいた。五人とも香奈に視線が行く。
「ていうことはあなたたちも?」
えへへ、そうなんだ、と静香が返事したところで紋章の花が光った。七人とも驚きの顔を隠せず、顔を見合わせた。
「おにいたち、あれ」
そう理恵が指差した先には教室の扉があり、そこに光るものが浮遊していた。花だ。その花は非常に小さく、発光していなければ気づかなかった。その花は淡いピンク色で、その中心はドーム状に空間が開いていて、その中心に周囲を崖に囲まれた足場のような場所がありそこに雌しべがある。そして花びらは五つだった。あまりにも綺麗とはいえないその花は、全体を見るとドームが口で見る者全てを飲み込むような食虫植物のようだった。
その花はそこでくるりと一回転し、視界から消えた。
「来い、って事なのかな?」
静香がそういって、皆は立ち上がった。
花を追いながら廊下を歩く中、誰一人として口を開かなかった。その空気を打ち壊したのは葵だった。
「綾野さんたちはここに来たのはこれのため?」
顎で目の前を浮いている花を指して言った。
「名前でいいよ、呼び捨てで。苗字だとまとめて言われてる感じがして嫌だからさ」
質問に答えない香奈を次いで静香が質問に答えた。
「多分、偶然です。あ、私も呼び捨てで言いですよ。多分、というのもわかっていないので。親の仕事の転勤ということになっていますが、ここにこうして七人揃ったのは偶然なのかもしれないし偶然じゃないのかもしれない。わかりません」
ま、そうだわな、と音紋が言ったところで俊治が口を開いた。
「ここ、って。普段誰も来ないところですよね。あれは我々をどこに連れて行くつもりでしょうか?」
階段を上りもせず下りもせず、三階の廊下を延々と歩いただけである。
すると花はスピードを上げある扉の前で止まった。七人は花の指し示す扉の前に立ち止まった。
「おにい、ここって」
校内見学のときに見たことがある、数年前から使われなくなった、定期的に掃除をするだけの元会議室だった。そして何より、さっき放送で如月先生が呼ばれた部屋だった。プレートには部屋の名前すら書かれていない。皆が足を止めていると
「入ってください」
花が喋った。手にある紋章の花の印から聞こえてきたのではなく、部屋の扉の前に浮いている花からだった。
音紋は意を決したように扉の取っ手に手をかけて開けた。
「如月徹…じゃないね。ようこそ、紋章支援会へ」
そこにはいつも使っているような清潔感が漂う空間が広がっていた。社長が座るような肘置きがついている椅子に座っている男とその隣に立つスーツ姿の女がいた。その女の腰にはスーツには相応しくない二メートルの刀がぶら下がっていた。そして案内した花もその部屋に入ってきて、この状況に唖然としている七人の前に飛んできて止まった。
その花は花が咲く前のつぼみの状態になり、膨らんだ。その膨らみようは異常で中に人が入っているようだった。そして、そのつぼみが開くと何の御伽噺だろうか、中から和服少女が現れた。少女はつぼみから降りると花に触れ、花は種に戻った。そして少女は男の隣に行く。それを待っていたように男が口を開いた。
「さて。面白かったかい? その子の紋章の力」
俊治が話し出した。
「面白いも何も状況が飲み込めてないのでなんとも言え─」
ない、と言おうとしたところで扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
返事をしたのは昼の放送の声であり、男の隣の刀をぶら下げた人だった。
「失礼しまーす」
なんとも間の抜けた声が扉の外から聞こえ、扉が開いた。そこには白衣を着た、頭がぼさぼさの男がいた。その姿に一同扉に視線を向け、美穂がその人の名前を口に出した。
「如月先生……」
先ほど放送で呼ばれた養護教諭の姿があった。
「悪いっすね、飯食ってたもんで」
胸からタバコを覗かせているその男は昼休みに入りすぐ呼ばれたというのに悠長に飯を終え、のんびりしてから来たのだ。
「で、なんすかね? というかどちらさん?」
するとスーツの男が立ち上がり七人の生徒と一人、計八人の前に歩み出た。
「はじめまして。私は桂木豪。隣にいるのは桜庭と穂村だ」
隣の二人がお辞儀した。
「さて、わかると思うがここにいるのは覚醒者の中でも選りすぐりの連中だ。紋章についてる花の印がその証拠。この国にいる紋章師の中で有力なのは諸君のみだ。まあ他にも危険因子はあるにしても、だ。キミらがここにいるということは承諾をしたということだな。それは確実だ。そしてスペリアとの戦いに向けて今俺らがやるべきことはただひとつ」
一旦呼吸をおいて桂木は続ける。
「実力を蓄えてスペリアとの戦いに備えることだ。学校内ではここが本部、学校外では私の家を本部としよう。我が家の住所は渡しておこう」
人数分の名刺をポケットにある名刺入れから取り出し、渡した。
「で、約束事をいくつか。不用意に力を使わない。それと、この国に現れるうちは修行と考えるんだ。本番は別にあるらしいぞ?俺の紋章は向こうの世界でも結構なお偉いさんみたいでな。とりあえず信用できる。だから、基本一対一を心がけてくれるとありがたいかな。ここで多対一で勝ったところで「本番」に勝てるとも思えない。時々は俺らも戦うつもりだ。この国には今五千万人の人がいる。その中の高レベル紋章が俺ら十一人。俺らには満たなくても、少し頑張れば俺らと互角というやつもそこらにいるだろう。少ないようで多いのかもな。本番の戦争に向けて、諸君、頑張ってくれ」

「一方的に喋られてはいおしまい、ですか」
あきれ気味に音紋が言う。
「キミら頑張るねえ、若いのに」
残りの昼休みを六人は中庭で過ごしていた。小さな机と椅子に集まり、先ほどのことを整理していたのだ。養護教諭である如月はタバコをふかしていた。
「若いって…。てか先生、タバコ吸っていいんですか?校内ですよ」
校内は基本禁煙になっている。如月はさっき胸ポケットから出ていたタバコに火をつけてすっていた。
「まあ、これが自分の紋具だから仕方ないって事でゆるしてちょ」
大きな息とともに大量の煙が口から吐かれていく。
「それが先生の紋具…ですか?」
美穂が聞いた。
「そ。『不知火』」
煙は風とは無関係の方向に曲がり、増え、周囲を取り巻く煙幕になった。瞬間、それは収縮し、腕の形になる。
「こんなもんよ。ま、たまにゃ自分の力を試してみなさいな」
ぼふん、という音を立てて煙は消え、如月は寝癖ぼさぼさの頭をぼりぼり書きながら本来の仕事場へ気だるそうに向かった。
「……なんか疲れたっす……」
そういって俊治は机に伏せた。それを横目で見ながら理恵が口を開いた。
「とりあえず……。明後日から夏休みなのでそれが勝負どころですかね……?」
全員重いため息を吐いたあと、その場を解散した。

その日の下校は葵と音紋の二人きりだった。
「登校は一緒でも下校も一緒ってのは珍しいな」
音紋は手にした名刺を見ながら言った。
「ん。そーだね。意識すると周りからはそういう視線で見られてたり」
そして二人はとある家の前で脚を止めた。
「葵はそういう視線は嫌か?……というかこの家のでかさは異常だろう」
そこには時々テレビに映る豪邸レベルの家だった。門から家の玄関までは長々と石畳が敷かれているし周りに生い茂る草木だの花だの。
「どういう意味よ? ……てかこの中に入れるの? 入ってもなんか迷いそうだわ……」
音紋は門をしげしげと眺め、インターホンを見つけた。それを押しながらも会話は続いている。
「そういう、意味だ。俺とそういう風に見られるのは嫌か、と。ああもう何を言ってるんだかね。忘れてくれ」
インターホンから無機質な声が聞こえた。機会の声かとも思ったがそれは昼に放送のかかった穂村の声だった。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください。まずはその石畳を家まで歩いてきてください。家の中は迷うので桜庭を遣わしております」
門が軋みながらそれらしい音を立てて開いた。二人は終始無言のまま石畳を歩いていた。音紋はさっきの問答を激しく後悔していた。
「忘れてくれなんて無理に決まってるじゃない……」
葵の呟きは音紋の耳に入ることはなかった。二人は家の扉の前にたどり着き、ノックした。すると扉は開き、中から和服少女が出てきた。
「あら。今日は訪問者が多いですね……。いらっしゃいませ。お待ちしておりました。先ほどはろくに挨拶もできず失礼いたしました。私桜庭華代と申します。この続きはあるきながらでも」
二人は桜庭の後をついていった。私の能力は花言葉を具現する能力ですよ、などと自分の話や自分の身の上話などに花を咲かせていた。ただ、一方的に桜庭が喋っているだけだった。途中何か重々しい扉があり、暗証番号を入力し地下へともぐっていく。
「今日ここにきたばかりなのに色々覚えさせられて大変ですよ……。あ、先に美穂様と俊治様と理恵様はいらっしゃいますので」
「抜け駆けとはいい度胸じゃないかあいつら……」
そうしてたどり着いたのはこれもまた重々しい扉だった。すこし違うのは、扉がある壁の四隅に花が咲いていたことだ。
「ここからは核シェルター並みの耐久性を保持する部屋だそうです。並大抵のことじゃ壊れないそうですが…多分壊れますね、暴れたら。自分の力を見てもそう思います。ただここは私の結界の中で制御下なので、あなた方が私より強い場合を除いて壊れることは早々ないと思います。では、思う存分修行に励んでください」
そしてその扉は開かれた。
昼休み解散したあと、桂木邸に行こう、ということになったのだ。多少の行動は起こしておこう、と。葵と音紋を除いた三人は先に行くぜ!と行ってしまった。
扉を開いた先にいた人間にはとりあえず変化はなかった。音紋はてっきり紋章の力で変身でもするものかと思っていたのだ。
「兄貴、ここにはデートにきたんじゃないんですよー、そんな仲睦まじく来ないでくださいー」
手に持った棒を振り回しながらそう抗議した。いつもなら反論する二人だが先ほどのこともあってか
「やっぱそういう風にみえる?」
という葵の返事には三人とも固まってしまった。
「あ、葵どうしたのそんなコメントしちゃって」
美穂まで珍しく困っていた。笑顔は崩さず。
「い、いやいや、気にしないで。さ、練習でも修行でもやったりますか!」
そういって葵は美穂に連れられた。音紋の下に理恵と俊治が来て何か言おうとした。
「黙れ」
という音紋の言葉がなければ「何があったんですか?!」などの言葉はあっただろう。俊治と理恵は顔を見合わせ、
「んじゃ、紋章の発表会とでもいきますか」



2009/01/28(Wed)18:56:49 公開 / こなた
■この作品の著作権はこなたさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
見てくれた方、ありがとうございました。
こういう形で皆さんの目に触れることは初めてです。
自分は以前から何回か小説を書いたことはありましたが、途中であきらめていました。
今回の作品はそんな僕が真面目に加工と思って数ヶ月前から書き始めた「作品」としての第一作目です。
自分はもっと上手くなりたい、と思っています。
そのためならどんな辛口コメントでも甘んじて受けます。
厳しい批評をお願いいたします。

※未完です。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは!読ませて頂きました♪
これから紋章の力を使ったバトル的な方向へ行くのかなと少し楽しみです。今とは少し世界という感じで良かったと思います。ただ全体的に話の流れというか時間の経過が早い気がしました。紋章の説明も一気にあったので、なんとなくしか分からなかったかもです。あと登場人物が多くて、あまり把握できなかったかも知れません(桂木は、ちょっと好きかもです)。
では続きも期待しています♪
2009/01/28(Wed)19:30:170点羽堕
羽堕様
コメントありがとうございました。
ご指摘のとおり自分でも紋章の説明と展開の速さはどうにかしなきゃかな、と思っていました。
なかなかその方法が見つからず、色々と試行錯誤していました;
登場人物……は、とりあえず絞ってみます。自分の頭の中に色々登場人物とかアイデアがすごくいっぱいあるのでそれをどう扱おうかと考えていました。なかなか難しいです、ね;
ありがとうございました。
2009/01/28(Wed)20:19:260点こなた
大まかながら一読させていただききました。
戦闘描写はダラダラと続けるより、簡潔にまとめた上で描写されれば良い意味でスピード感のあるものが描けるかと思います。過ぎた発言かもしれませんが、それが私が受けた印象です。
続編に期待しています。お互い頑張りましょう。
2009/01/29(Thu)01:54:500点木沢井
木沢井様
過ぎた発言なんてとんでもないです。
もっと簡潔……ですね。
心がけます
ありがとうございました
2009/01/29(Thu)06:11:050点こなた
作品を読ませていただきました。文章そのものはテンポを重視されているのか会話が多くスピード感はあるのですが、地の文が少なく描写がやや少なく読者が物語世界を理解するよりも早く物語が進んでしまっている印象を受けました。また、登場人物が多く読者としてどの登場人物に視点を置けばいいのかやや迷いますね。辛口で書きましたが、文章そのものは読みやすく一気に読めます。では、次回更新を期待しています。
2009/02/02(Mon)07:53:150点甘木
甘木様
ありがとうございます
辛口なんてとんでもない、これから書く上で参考にします。
2009/02/06(Fri)06:00:390点こなた
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