- 『夏の訪問者』 作者:柚雪 / 恋愛小説 ファンタジー
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	全角6332文字
 容量12664 bytes
 原稿用紙約21.55枚
 どれだけ時が経っても僕達はきっと忘れない。この夏の奇跡を――。
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 海沿いの道路。
 少しの街灯。
 裏山で蝉達が夏の終わりを知らせるように
 泣き続けている。
 
 私は走った。
 
 裸足がアスファルトにすれて時々、ささるように痛い。
 
 涙が後ろに飛んでゆく。
 
 
 急がないと。
 早くしないと。
 
 夏が終わる。
 そうしたら
 
 君にもう二度と逢えない。
 
 
 1.
 ここには何もない。
 海よりも濃い青い海、どこまでも広がる山。なんて小さな町。
 マクドナルドもミスタードーナッツも、ジャスコもローソンもない。
 観光客だって滅多に来ないし、小学校も中学校も一校づつしかない。
 この町で誇れることなんて…ひとつくらいだ。
 そんな土地で私達は生まれて育ってきた。
 
 山を半分くらい登った所に今にも倒れそうな木造の建物がある。
 白いトタンの看板には「駄菓子屋」と綺麗な字で書かれていた。
 少しカビ臭い店内には私達が生まれるずっと前からそこに存在していたであろう、懐かしい扇風機が天井から釣り下げられ
 冷たい風を送っている。
 
 その横には平成の世にはおおよそ相応しくない赤いテレビが置かれていて、今は朝のニュースをアナウンサーが慌ただしく読んでいた。
 店内には、お菓子や玩具が所狭しと並べられており、店先にある長い長方形の冷蔵庫の中では
 10種類ほどの棒アイスが自分達の出番を今か今かと待ちわびていた。
 アイス達の前には仁王立ちで睨み会う二人の姿が今日もまた、あった。
 「今日こそ俺が勝つけん」
 「はっ、よく言うわ」
 私は手の指をぼきぼき鳴らした。
 腕をクロスにさせて、握った手を光にかざして子供のように覗き込んでいるのは幼馴染の槝野翔平(かしや しょうへい)。
 
 山の上からHRの開始を告げる鐘が町中に鳴り響いた。
 「怜依(れい)も翔平も、こげなじゃあまた遅刻だわなぁ」
 二人の間に挟まれて、汚い椅子に座ったこの駄菓子屋の主人のばあちゃんがウチワをパタパタさせながら言った。
 ゆるいおだんごの白髪が風に揺れて光っている。
 「ばあちゃんは黙っとって!真剣勝負なんじゃけえ!」
 翔平が言う。
 「はいはい」
 いつもの事じゃろ、とばあちゃんはゴム製のピンクのサンダルをひょいっと履きなおした。
 「いくよ」
 「あぁ」
 
 二人の間をつむじ風が舞った。
 すぅっと息を吸い込むと翔平が声を張り上げた。
 「最初はグーッ」
 「「ジャンケンホッ!!」」
 翔平の掌が虚しく空を切る。
 パーとチョキ。
 「いただきます」
 私はニヤリと笑いながら翔平に向かってピースした。
 
 「翔平はいっつも最初にパーを出すけんねぇ」
 そう言うとばあちゃんはよっこらしょと曲がった腰で立ち上がった。
 「なんなそれ!?怜依っお前知っとったが!!」
 「さぁー?なんの事でしょう」
 「ほほ、はいこれでえぇかね?」
 ばあちゃんは睨みあっている私達のまえに棒アイスを2本、取り出して来た。
 苺とメロン。
 よく冷えた2本のアイスは太陽に照らされて白い煙を出している。
 「120円ね。」
 「今月金ねぇのに…」
 半泣きになりながら翔平はだぼだぼのズボンのポケットから10円玉を12枚取り出して、ばあちゃんのシワシワの手に渡した。
 「はいよ、どうも」
 お金を受け取るや否やばあちゃんが叫んだ。
 「さぁ2人とも遅刻じゃよ!さっさと行きんさいっ!」
 「はーいッ」
 「「いってきます!」」
 アイスを口に放り込んで2人は走りだした。
 
 2.
 今日の朝もやたらと暑い。裏山のセミ達が短い夏に生きた証を残そうと必死に鳴いている。
 染めたばかりの胸まで届く長い髪が朝日に照らされてオレンジ色に光った。
 「よーしっ」
 入道雲に届きそうなくらい長く続く石段を見上げて気合いを入れる。
 「気合い入ってますねェ、怜依さん」
 翔平が横で制服のズボンの裾を膝まで折りあげながら言った。
 私は履いていたラルフローレンの紺色のハイソックスを脱いで、使いすぎてボロボロになったスクールバックに押し込む。
 ローファーのかかとを踏み潰すと素足にペトッとくっ付いた。半袖のワイシャツの袖を更に捲りあげた。
 ふぅと息を吐き出して石段に足を掛けると、つま先に力を入れて一気に駆け上がる。
 「あーっ!怜依フライングじゃーッ!!」
 不意を付かれた翔平があわてて叫んでくる。
 「うっさい!サッカー部の意地見せてみろやーッ!!」
 だらんと垂れた赤いリボンが胸元で揺れる。ダンダンダンと石段を登る足音の重い震動が脳天に響く。
 「スカートん中丸見えだぞーッ」
 「うっさいバカッ!!」
 息を切らしながら笑うとくわえているアイスが口の端から垂れてくる。
 「怜依汚いが!!」と翔平が笑う。
 「あんだだって口の周りアイスだらけー!」
 
 「抜ーかしッ」
 石段の半分くらいまで来たとき、翔平に抜かれてしまった。さすがサッカー部のエース。
 痛くなった横腹を押えながら苦笑した。口の中にはアイスが無くなった木の棒だけが淋しく残っている。
 すっかりバテた私は手摺に掴まってしゃがみこんだ。石段の横には錆びついた手摺が付いている。
 息を切らしながら後ろを見下ろすと、眼下には少しの町並みと一面の海が見渡せる。今日の海はいつもに比べて特に青かった。
 「れーいー!早くしろやーッ!!一限間に合わんがぁ!!」
 20段くらい上から翔平が叫んでいる。
 「わかっとるーッ!」
 カラカラになった喉で怒鳴った。
 私達の高校は山の頂上にある。だからこの学校に行く時には、この恐ろしく長い石段を登らなくてはならない。
 
 「誰だよ…こんな所に学校建てたバカは…」
 毎朝一回は誰もが呟く言葉を私も今吐いた。高校に入って今年で3年目だが、未だにこの坂とは仲良くなれない。
 「遅せぇ!今日の一限…うっわ、森先生だが。怒られたら怜依のせいだけんなーッ!!」
 石段の一番上の段に腰を下ろした翔平が、生徒手帳に挟んである時間割を見ながら嘆いた。
 「文句言うなら先行けや…」
 水気の無い口で、悪態をついた。もう叫ぶ気力すらない。
 文句を言ってる翔平だけど、ホントは遅刻したいんだ。少しでも授業をサボりたい、だから奴はこうして毎朝私の遅刻を口実に使う。
 あと3段…あと2段…
 私は一番上の段に置いてあった翔平のPUMAの黒いエナメルに倒れ込んだ。
 部活の道具が入っているので何とも言えない匂いがした。
 「…これ、臭いんだけど。」
 「あぁ、多分スパイクの匂いじゃ。そろそろ新しいの買わんと」
 カバンの外にまで匂いが漏れてくるなんて、実物はどれだけの臭気を放っているんだろう。予想しただけで吐き気がした。だから男の子って不潔で嫌だ。翔平だって昔は小さくて女の子みたいであんなに可愛かったのに…。
 「時の流れって残酷だわ…」
 「ん?なんじゃ?」
 そうこう言っている間に学校にようやく到着した。なんだかもう力を使い果たしてしまった気分だ。
 
 3.
 玄関で上靴を履いていると、キーンコーンカーンコーンと1限のチャイムが広い校内に鳴り響いた。
 夏になってからは毎日遅刻していた。もっとも今、大半の生徒は夏休み中なのだ。今校内に居るのは来年大学を受験する進学組の生徒だけだった。
 こんな小さな町なので大半の生徒は家業を継ぐのだ。
 私と翔平は今、夏休みの講習のために学校に来ていた。遅刻してるけど…。
 階段を上がって3年の教室のある2階へ行くと、日当たりの悪い一番奥の教室から先生の低い声が聞こえた。
 「怜依と翔平は、また遅刻しちょんかっ!!」
 その声を聞いた翔平が「やっば」と言って走りだす。負けじと私も走りだす。廊下に争う二人の足音がばたばたとうるさく響いた。
 「おはようございます!!」
 翔平が勢いよく教室の前のドアを開けた。
 「おっはようございます!!」と私も翔平の後ろからヒョンヒョンと跳ねて先生に挨拶した。
 「お前らまぁた、ばあさんの所でアイス食ってたじゃろうが!!」
 真っ黒に日焼けした担任の森先生が今日配る予定だったであろうプリントの束で翔平と私の頭をポンポンと叩いた。
 「おっ!先生今日のポロシャツ、カッコいい〜」
 「そ、そうか?嫁さんが…じゃなくて、いいから座れ!」
 褒められてまんざらでもない感じで先生は笑った。教室に入るといつもの顔ぶれ。
 小学校の頃から、いつも見ている同じ顔がそこには揃っていた。ただ、席はガラガラで教室には私と翔平のほかには6人しか居なかった。
 私が窓際の真ん中の席に腰を下ろすと「怜依おはよ」と、前に座っていた亜希子が小声でプリントを渡しながら言った。
 亜希子はこの教室に居る誰よりも頭がいい。セミロングの真っ黒な髪がとてもよく似合う和風美人だ。亜希子は東京の国立大学を目指していた。
 「おはよー、亜希子は今日もかわいいねぇ」
 「そっ、そんな事ないよ…!」と顔を真っ赤にして照れる亜希子が可愛くて、私はいつもついイジメてしまいたくなってしまう。
 「怜依それセクハラ。」
 「亜希子可哀そうー」
 横の席に座っている翔平とサッカー部仲間の弘人が茶化した。弘人は夏休みに入ってから、髪が邪魔だと言って天然パーマだった髪を剃って坊主にした。サッカー部で坊主は1人だけなのでやたらと目立つ。
 「セクハラじゃないわッ。それよりアンタ達2人ともバカのくせして大学なんか行ってどうするん?弘人はおとなしく漁師継いどけぼいいのに」
 「うっせー!お前こそ黙って酒屋継げやッ」
 「私、女の子だもん」
 弘人と翔平がその言葉を聞いてぶーっと勢いよく吹き出した。
 「ほらっ、そこのバカトリオ!!静かにせんか!プリント配るぞー」
 森先生に怒られた3人は顔を見合せてまた笑った。
 
 何もないこの町だけど、大切な友達がたくさんいる。
 勉強も、あの石段も大嫌いだけど、大好きな学校がある。
 私はそんなこの町が誇らしかった。大切で、大好きで、特別で。
 
 3.
 キーンコーンカーンコーンと授業終了のチャイムが鳴ると翔平が「良く寝たー」と言って大きく伸びた。翔平にとってチャイムは、目覚まし時計らしい。
 「しょーへー!! 部活行こう!」
 弘人がボールとバックを持ってキラキラした顔で翔平を呼んだ。
 「おぉ! 行くべ!!」と翔平が立ち上がる。
 「あれ……翔平、背伸びた?」
 亜希子が、弘人と並んだ翔平を見て言った。確かに弘人より3センチくらい翔平の方が高い。
 「あぁ、そういやこの前計ったら178センチやったわ」
 「うっそ、あんたそんなに伸びたん!?」
 ……高校3年生になってもまだ伸びるのか。
 「頼むからそれ以上デカクならんで!」
 「怜依チビいからなー、羨ましいか?」
 ニヤニヤした顔で翔平が座っている私を見下ろす。
 「そんなことないわッ!! 私だって160はあるけん!!!」
 スキップまじりで教室から出ていく翔平の背中に向かって叫んだ。
 翔平も弘人も、部活は夏にもう引退したはずなのに未だ放課後の練習には言っていた。
 「スキだねー、受験勉強もしないで。小学生の頃と変わんない」
 「ね、バカだからさ」
 さっき先生にバカトリオと言われたことも忘れてしまって2人の悪口を言ってしまった。
 亜希子と一緒に教室の窓からグランドを眺めると、白と黒のボーダーの練習服を着て走り回っている翔平の姿が嫌でも目に入った。ホント、いつまでもガキだなぁと微笑んで溜息をついた……
 その時、
 「ねぇ、翔平ってさカッコよくなったよね」と真顔で亜希子がポツリと呟いた。
 私にはこの言葉が静まり返った教室に落とされた一種の爆弾のように聞こえた。
 「……え……えぇぇッ!?」
 驚きすぎて目が飛び出そうになる。思わず亜希子を二度見してしまった。
 「亜希子何言っとん!? ぜぜぜ全然カッコよくないよ!!」
 大げさなくらいめいいっぱい否定する。力を入れすぎてしまって声が裏返ってしまった。
 「そう? カッコよくなったと思うよ。皆も言ってる」と亜希子がほほ笑んだ。
 「みんなって……いったい誰がそんな馬鹿みたいなことを……」
 「きっと怜依は毎日一緒に居るから気付かないだけだが」
 「……」
 確かに、毎日一緒に居る。翔平の家は本屋で、家だって同じ商店街だから斜め向かいだし。でもそれとこれとは話は別だ。
 「そうだけど……で、でも翔平だよ!?皆小学校の頃から一緒やん!! 小3の時毎日遊びに行ってる林で迷って帰れんくなったり、通学路にいる犬が怖くて学校に来れんくなったりした、あの翔平だよ!?」
 「でも、今は今だけん。怜依、ちゃんと今の翔平を見てあげないと」
 「へ……?」
 心の裏側まで見透かされそうな、亜希子の澄んだ瞳は私の眼を覗き込むと哀しそうに笑って言った。
 「いつまでも、朔也(さくや)ばっか見てたら翔平が可哀そうだが……」
 亜希子のあまりにも的確な言葉に胸がずきっと痛む。風が吹いて亜希子の髪がなびくとシャンプーの甘い香りがした。
 「ま、あとは怜依しだいでしょ」と亜希子がバックのひもを肩に掛けながら優しく笑った。
 ぎくしゃくした笑顔を亜希子に返してグランドを見下ろすと翔平がふざけて、ボールを後輩のお尻に蹴りつけていた。
 翔平は翔平だ……いつまでも、どこまでも翔平で。それ以上でも以下でもない。
 ――朔也とは……違う。全然違うんだよ……――
 夏の夕日が差し込む教室に、グランドから翔平の声が響いていた。
 亜希子が帰った後、一人残った教室でカバンを開けた。ジィーとチャックの開く音が誰も居ない教室で大きく聞こえた。
 カバンの奥底に朝、大事にしまった封筒を取り出すと窓際に腰を下ろす。取り出した青と白と赤に縁取られた封筒にはとてもキレイな字で、
 ≪Rei Isidu≫と書かれている。しっかり糊付けされている封を慎重にはがし、中を覗くと真っ白な髪が一枚、入っていた。
 折りたたまれた紙を開くと、懐かしい字がほんの数行にだけ書かれていた。
 「相変わらず短いなぁ」そう呟くとそっと笑った。
 
 怜依へ。
 お元気ですか。
 この前の手紙、なんか手違いで遅れたみたい。
 日本は暑い? ロンドンもなかなかに暑いです。
 最近、味噌汁が飲みたくなってインスタントの買って飲んでみた。
 すげえマズかったよ。近々そっちに帰るよ。
 翔平によろしく。
 浦添朔也 7月23日
 
 「うそ…帰ってくんの?」
 手紙を読み終えると小刻みに震える手で、カバンから筆箱と昨日翔平家の本屋で買った便箋を引っ張りだして机に並べた。
 金魚の柄の夏らしい便箋だ。もう一度手紙を読み返す。
 『近々そっちに帰るよ。』
 間違いじゃない事を何度も何度も繰り返し読んで確認する。そして焦る気持ちを抑えて、ボールペンを取り出すと便箋に出来るだけ丁寧に、
 ――朔也へ と書いた。
 
 朔也へ
 お元気ですか?
 相変わらず短い手紙、ありがとう。
 手紙、なかなかスムーズに届かないね。
 こっちもまだまだ暑いです。
 先週は上野神社で夏祭りがあったよ。
 翔平が大はしゃぎして射的で三千円も使ってました。
 相変わらずバカです。
 そうそう、一昨日からまた、夏の講習がスタートしました。
 私達は毎朝ばあちゃんの所で道草して遅刻して、森先生に怒られてばかりです。
 最近先生は怒るとすぐに「朔也を見習え」って言います。
 帰ってくるの?
 翔平が聞いたら大喜びするよ。
 クラスのみんなにも伝えておくね。じゃあ。
 伊志津怜依 8月13日
 
 ペンを置くと、教室にはもう夕日が差し込んでいて顔をオレンジ色に染めていた。
 「帰らんと……」
 窓を閉めようと外を見ると、いつも間にかサッカー部も解散していた。
 朔也が帰ってくる…
 考えただけでじっとしていられないくらい嬉しくて仕方なかった。あまりに顔が二ヤけるので、下唇を思いっきり嚙んだ。
 「朔也が帰ってくる……!!」
 書いた手紙をカバンの中に突っ込んで走って教室をでる。翔平の驚く顔が見たくて仕方なかったんだ。
 
 
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2009/01/22(Thu)19:50:15 公開 /  柚雪
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■作者からのメッセージ
 初投稿、柚雪(ゆずき)と申します。
 まだまだ至らぬ点も多々あるとおもいますが、
 どうかお付き合い頂けると嬉しいです。