- 『蒼い髪4』 作者:土塔 美和 / ファンタジー 未分類
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全角40923文字
容量81846 bytes
原稿用紙約130.6枚
本当にヤンス少尉を必要としていたのはルカだった。ハルガンとの間で事があった場合、ヤンスの所へ逃げ込めば彼女の一声でハルガンは黙った。やはりハブにマングースは必要。今や天敵がいなくなったハブは、我がもの顔でルカの館をのし歩っている。
「助けて下さい」
ルカは護衛の待機室へ駆け込んだ。
「どうなされたのですか」
「追われているのです。匿って下さい」
護衛の一人が誰にと訊くが早いか、
「どこへ行った、あのくそガキ」と、怒鳴るハルガンの声。
別の護衛がルカを道具箱の中に押し込めると、その上に座り何食わぬ顔をした。
ハルガンが飛び込んで来る。
「おいお前ら、殿下を見なかったか」
その場に居た者は一斉に首を横に振った。
「おかしいな、こっちの方へ来たはずなんだが」と、ハルガンは首を傾げる。
「何か、あったのですか」
「何もない」と怒鳴るハルガンの剣幕を見れば、触らぬ神に祟りなし。誰もその先を聞こうとはしなかった。
「あのガキ、今度こそひっつかまえて、言葉遣いというものを叩き込んでやる」
それは逆だろうと誰しもが思ったのだが、それを言葉にする者はいなかった。
「ちくしょう、まさか奥方の所へ逃げ込んだんじゃないだろうな」
あそこが今では唯一の聖域。
「ちくしょう、いまいましい」と、ハルガンはテーブルを思いっきり蹴飛ばすと出て行った。
道具箱の上に腰掛けていた護衛が立ち上がる。
ルカは箱から顔を出すと、
「助かりました」と、礼を述べた。
「あまり私生活に口を出さない方がいいと思いますよ、殿下。あいつの女好きは今に始まったことではありませんから」
王都でハルガンの女好きを知らないものはいない。
噂が現実より肥大するのは空域を問わない。ハルガンの女癖の噂は、本人の知らないところで繁殖し続けた。挙句の果てには、皇后ですら一夜を共にしたなどと。無論この館でも、後残るは奥方とナンシー嬢のみとか。
「あいつは、十人相手すれば十人とも本気で愛することが出来るのさ」
「普通、そういうことって出来るのですか」と、ルカは真面目に問う。
「出来るからハルガンなのだよ」
「それが出来れば俺だって、何も自室で一人で寝ていないぜ。ハルガンのように女を毛布がわりに、いやシーツか」
「いやハルガンのことだ、間違っても下にひく様なことはすまい」
「そりゃ、言えてら」
「そこら辺が、もてるかもてないかの違いだろうな」
「あやかりてぇー」
話はルカをおいてどんどん飛躍していく。
一人の護衛がルカの存在に気づき、
「とにかく殿下も、俺たちぐらいになればハルガンの気持ちもわかるから、それまで興味本位に訊かないで、ハルガンにだって答えられないのだから。あれは持って生まれた性質、言うなれば、殿下の肌がどうしてそんなに白いのかと、同じようなものだから」
全然同じだとは思えないと、ルカは思いつつ、
「でも現に、それが元で昇進できなかったと聞きました」
するとハルガンをよく知る者が答えた。
「あいつは、昇進できないのではなく、しないだけだ」
ハルガンは、一時は参謀本部にまで顔を連ねた人材だった。だが彼がそこで学んだことは、平和を維持しょうとしている星に、いかに戦争を仕掛けさせるかという方法だった。相手に先に手を出させる。これがネルガルのやり方。そのために囮にされた宇宙基地も酷いものだ、何の知らせも受けていないのだから。ハルガンはいい加減嫌気がさしていた。そんな折、ある門閥将校との女性問題。クリンベルクの計らいで大事には至らなかったが、これ幸いとばかりに参謀本部を後にした。
「どうして?」
軍人にとって階級が上がるということは名誉なこと。
「人殺しが嫌いだからさ」
女性は命の象徴である。それをこよなく愛しているハルガンは、ネルガルのやり方を嫌った。
「人殺し?」
「直にわかるよ」
数日後、護衛たちの制服に竜のマークの肩章がついた。これで彼らはルカの私兵となる。
部下たちは鏡の前でポーズを決めながら、
「どうにか恰好がついたな」
「でも、ドラゴンだぜ」
やっぱりどことなく気にする。
「いいじねぇーか、強そうだ」
現に謁見の間に掲げた軍旗は周りを威圧した。
まるで王者のよう。皇帝陛下の背後にある大鷲の眼光より鋭い目をしている。
部屋を掃除している時など、背後から睨まれているようで思わず振り仰いでしまう。
「まあいいじゃねぇーか。王子の数も十人を超してくりゃ、猛禽類だけと言う訳にもいかなくなったんだろーよ。かといって雀じゃ」
「恰好がつかないか」
戦場で雀の旗の前に集合する兵士の姿を想像し、雀ではせっかくの戦意も喪失すると皆は笑った、殿下には悪いが。
リンネルは定期的にクリンベルク将軍の館に報告に行っていた。
「どうだね、軍旗をいただいた感想は」
「はあ」と相槌をうったきり、リンネルは返す言葉がなかった。
「あまり嬉しくないように見えるが」
リンネルは大きな溜め息をつく。
クリンベルクはそんなリンネルを見て微かに笑う。
「苦労性だな。しかしドラコランとは驚いたな、陛下も悪ふざけが過ぎる」
悪ふざけで済むならよいが。とリンネルは内心思った。
「ところでルカ王子の御様子は」
「お変わりありません。月に一回の登城も何事も無く済ませております」
「そうか」
母親の身分の低い王子や王女は、何かと他の王子たちから誹謗中傷の的にされがちだ。まだ五歳では小さい。十歳ですらその中傷に耐え切れず登城を嫌がるお子も出てくる。何しろ会食の間は本人と母親しか入れない。従者は控えの間で待つしかない。だが身分が低いといくら母親でも入ることが出来ない。味方は誰もいない。
それをいいことに中傷の対象とされるのだが、
「嫌がるようなことは、ないのか」
進んで喜んでという感じもないが、小さいが故にその誹謗がお解かりにならないのかもしれない。
「ねっ、ドラゴンって」
口を挟んできたのは将軍のご子息。
「こら」と将軍。
「人の話を立ち聞きするものではない」
怒っているようだが何故かこの末っ子には甘い。
「だって、リンネルの姿が見えたから」
カロルは上目使いに将軍を見ながら言う。
「言い訳も男らしくない」
リンネルはにっこりした顔をカロルに向けると、
「坊ちゃんはいつもお元気ですね。ドラゴンとはこのマークのことです」と肩章を見せ、さり気なく親子の仲裁に入った。
「凄いな、強そうだ」
「坊ちゃんはそう思って下さいますか」
「うん」とカロルは頷き、
「ねっリンネル、遊びに行ってもいいかな、その王子様の所へ」
リンネルが月に一度はやって来てルカ王子の報告をする。それを聞いていたカロルは、次第にその王子に興味を持ち始めていた。
リンネルは答えに窮した。今までに館にこれといったお客が見えたことはない。上流貴族なら顔つなぎのためサロンを開放したりするのだが、何しろ平民出の奥方様にはそのような感覚はなかった。
「カロル」と将軍がたしなめる。
リンネルは暫し考えた後、
「わかりました、殿下にお伺いいたしましょう」
「うん」とカロルは嬉しそう。
一方ルカの館では、
ルカは見てしまった、ナオミが楽しそうにハルガンを出迎える姿を。
「殿下、どこを見ているのですか、苗が」
せっかく植えた苗をルカは踏みつけていた。
「あっ!」と思わず足を避ける。しかしその足で別の苗を踏みつける。
呆れたクリスは、
「殿下、気がそぞろです。もっと真剣にやって下さい」と忠告する。
クリスは最初、畑とは何かの戦略暗号かと思っていた。それが食糧の生産だと知った時には、ハルガンに散々文句を言ったものだ。だが一ミリにも満たない種が、頭ほどの実を付ける。それが今では嬉しくて率先して畑仕事をやるようになっていた。
これが育てるということ。
「クリス、あれ」と、ルカは畑の隅に休憩所として立てられた小屋の方へ顎をしゃくる。
「奥方様とハルガンさんですね」
「もうかれこれ三十分もああやって話している」
そこへケリンがやって来て、
「口説き落とす気だぜ」
その言葉を聞くやルカは走り出していた。
「おい、ケリンさん」
「何だ、若造」
「あんまりではありませんか」
「事実を言ったまでだ」
「ハルガンさんは奥方様に手は出しませんよ」
「だろうな、あいつは無駄なことはしない奴だから」
「ではどうして、あんなこと言ったのですか」
クリスは少し怒り気味に言うと、
「人は理性で動く生き物ではないことを、殿下に教えて差し上げようと思いまして」と、ケリンはわざと敬語を使う。
クリスは呆れた顔をする。
人はいざという行動を取るとき、ほぼ感性で動く。それがどんなに危険なものか。どんなに頭のいい奴でも既にそこに理性は無い。もし全ての人間が理性で行動するようなら、戦争など起きるはずがないのだから。戦場で作戦を急に変更するのも、そこに不安という感性が働くから。そして大概、それが敗因になることが多い。将校の不安による優柔不断な命令ほど部下を死地に追い込むものはない。
ケリンは情報戦を得意としていた。情報は盗み出すだけでは用を成さない。使ってこそ真の意味を持つ。
ハルガンは小屋の前のベンチに座り、ナオミに偵察の報告をしていた。
ハルガンはナオミに頼まれてというよりも今では自分から率先して、リサの住んでいる下町の様子を見に行くようになっていた。ハルガンは上流貴族、食うに困ったことは一度も無かった。だから平民の生活は知らない。初めは興味本位だった。見に行ってその生活の低さに驚く。軍隊の仲間から話は聞いていたが、これほど酷いものだとは思ってもみなかった。どうりで軍隊で、あれほど一緒に死地を潜りながらも奴らと俺の間に壁があったのも、今では頷ける。そしてナオミがやろうとしている事。ハルガンは次第にナオミという女人に興味を持ち始めた。最初はただの陛下のお手つきであり館の主、自分の主でもあるというだけの存在だと思っていたのだが。
食糧がある程度間に合い、と言ったところで、戦争難民は後から後から増え続け、到底間に合うものではなかったが、それでもリサの近辺ではある程度落ち着きをみせはじめていた。
「後は、教師と医者ね」とナオミは言う。
「難民の中から元教師だった者と医者だった者を探し出し、あの場所に教室と診療所を作ります。そうすれば子供たちの生活は安定してくるわ。とにかく読み書き計算だけでも教えなければ。それだけ教えれば、後は独力で学んで行くわ。子供たちは希望を与えられれば将来に夢を持つようになります。夢を持つようになれば子供たちの顔に笑顔が戻ります。子供たちが笑うようになると、大人たちの生活も改まっていくものです」
その町が幸福かどうかは子供の顔を見ればわかります。子供がよく笑うような町は豊かです。
ハルガンはそれを半信半疑で聞いていた。だがこれがナオミの考え。ハルガンはそのために知らない下町を走り回った。教師や医者を探すために。そしてそれがやっと軌道に乗り始めた。するとナオミが言ったとおり、リサの住んでいる町の雰囲気が変わった。少しながらも活気が出てきた。
平民とはこんな生き物だったのか。彼らのどん底から這い上がろうとする力。それにハルガンは感心した。ほんの些細なきっかけがこれほどまでの力を生み出す。飢えて今にも死にそうな奴らのどこに、こんな力があるのだろう。有るものを使うことしか知らない貴族と、何も無いところから何かを作り出していく平民。これが平民の力なのか。俺たち貴族はこの力に支えられているのか。そしてこれがハルガンとナオミの違い。ではルカは、一体どちらの血を色濃く引いているのだろう。
「どうでしたか、町の様子は」
「ええ、以前よりも随分とよくなりました」
町が清潔にもなってきている。
「何か足りないものはと言いたいのですが、全てがまだまだ足りないのでしょうね」
それにはハルガンも答えなかった。
奥方の言うとおり、全てが足りない。
「リサたちの様子は」
「皆さん元気でした。弟のショウだが、今中等教育を受けているようですが、あれは駄目だな」
「駄目って?」
「勉強が嫌いなようだ」
「まあ、では私に似たのかしら」とナオミは笑う。
だが字も読めなかった子供たちがそこまでになったことをナオミは喜ぶ。
「そろそろ、次の段階の準備をしなければなりませんね」
「次の段階?」
「そうです。いつまでも乞食にしておくわけにはまいりません。人間は、自分の足で立ってこそ、誇りを持つものです」
恵むということは、本来その人のためにはならない。
「誇りねぇー」
ハルガンはナオミの考えが読めずに、首を傾げた。
「ハルガンさん、申し訳ありませんが、もう一度リサの所へ行ってもらえませんか。あの町の指導的な立場に居る人たちに会ってみたいのです」
今まではリサに任せていた。だが今度は、自分の目で見極めたい。こんな時、あの方が居てくだされば助かるのですが、でもルカの中には、あの方がいるのだわ。一緒に立ち会ってもらえば、助言をしてくれるかも。
虐げられた者たちが力を持つようになると、凶暴になる。と以前あの方が言っていたことがある。あれはザグードのことだったのかしら。よく見極めて、これからのことを任せられる人物を選ばなければ、リサたちの将来がかかっているのですもの。
ハルガンは二つ返事で引き受けた。この女人をもっと知りたい、というハルガンの欲求がそうさせる。
気がつくとハルガンは、今ではすっかりナオミの手足になっていた。
ルカはナオミとハルガンの前に仁王立ちになる。
「どうしたの、ルカ」
ナオミはいきなり自分の目の前に立ちはだかったルカを怪訝そうに見やり、声をかけた。
ルカはナオミとハルガンの間に割り込むように座り、
「母上、このものが皆から何と言われているか、ご存知ですか」と、いきなり切り出す。
「どうしたの、急に」
ルカは母親の答えを待たずに、
「女好きと言われているのですよ」
ナオミは一瞬きょとんとしたが、
「ええ、知っていますよ。女たらしのハルガンでしょ」
「奥方様、それはあんまりだ」と、ハルガンはわざとらしく嘆いてみせる。
女たらしとは、ルカも初めて聞いた言葉だ。
「リサに聞きましたよ、あなたの巷での噂を」
ハルガンの魔の手は、王都の貴婦人だけではなく下町の女性にまで及んでいた。
「私の村でも、女好きの男性を女たらしと言います」
どうやら平民の間の合言葉らしい。
「母上はそれを知っていて」
「殿下、ケリンにでも何か言われましたか」
ハルガンはルカの様子がおかしいので、問い詰める。
「いえ、何も」
隠してもハルガンには見切られていた。
「殿下、気をつけてくださいよ、ケリンの特技は心理戦なのです。まあ、俺でも振り回されたことがあるのだから、殿下では仕方ないが」
「ハルガンでも」と、ルカは意外に思った。
ケリンの口車に乗せられたことを認めてしまったハルガンは、ニタリと笑うと、
「あいつは悪い奴ではないのだが、人をからかうのが好きでな、情報部にいた時、上官をからかいすぎて首になったんだよ」
ルカは黙り込んでしまった。
ハルガンは改まると、
「殿下、殿下がもう少し大きくなったら教えて差し上げようと思っていたのですが」と切り出してきた。
「何をですか」
「女の口説き方ですよ。その前に口説ける女の見分け方かな」
ハルガンはナオミの前で平然とその方法をルカに伝授し始めた。
「いいですか、この銀河には、絶対に口説き落とせない女というものがいるのですよ。例え皇帝陛下でも、その女性を得るには力しかない」
これこそが皇帝のやり方だ。
「だが俺はそういうやり方は嫌いだから、最初から口説きません」
「絶対に口説けない女性とは?」
ルカも興味を持って訊いて来た。
「一人の男性をとことん愛している人です。殿下の母君のような」
ルカは思わず母親を仰ぎ見た。
「その人は、近くに居て遠い存在。違いますか」と、ハルガンはナオミに訊く。
ナオミはそれには不表情で答えた。
「そんなに、カムイさんという方はすばらしい人なのですか」
ルカが尋ねる。
「いや、カムイではないだろう」
答えたのはハルガンだった。
「カムイが相手なら、俺は負ける気がしない」と、ハルガンは胸を張る。
「えっ」と驚いたようにルカはハルガンを見る。
「ハルガンはカムイさんに会ったことがあるのですか」
ルカは一度会いたいと思っていた。
母が愛している人、そして本当なら僕の父になるはずだった人。
「いや、会ったことはない。だが解る。男の勘かな」
ナオミはにっこりすると、
「そうかもしれませんね。カムイかあなたかと言われたら、迷ってしまう」
ナオミはカムイ以外に好きな人がいることを認めた。
ハルガンは微かに笑う。
「こういう女性は、口説くだけ時間の無駄なのですよ、殿下。ケリンに何を言われたか知りませんが、あまり奴の言うことを鵜呑みにしない方がいいですよ。だが、いざと言う時は信用できる奴だ。奴は人をからかうことはあっても、仲間を売ったことはない」
それだけ言うと、ハルガンは立ちだす。
「どこへ行くのですか」
「お二人の邪魔はしたくないので」
ナオミは去っていくハルガの後姿を見送りながら不安を覚えた。
まさかエルシア様のことに気づかれたのでは。
だが直ぐに否定した。
だってあの方のお姿は、私以外に見ることは出来ないのですから。
「母上」と、ルカは不安そうにナオミを見上げる。
「母上はカムイさんが好きなのではなかったのですか」
「好きですよ」と、ナオミははっきり答えた。
「でも今のハルガンの話では、他にいるような」と、ルカは迷いながら問う。
ナオミはにっこりすると、
「いますよ。私が一番好きなのはカムイではありません。あなたですもの」
そう、あなたの中にいるエルシア様。
「あなたと私の間に、ハルガンなど入れませんよ」
ルカの不安な顔が一瞬にして消えた。満面に笑みを浮かべると、
「畑仕事、途中だったので、手伝って来ます」
ルカは走り出していた。今度は苗を踏まないように気をつけながら。
クリスの所へ戻ると、まだケリンはそこに居た。
「どうだった、やっぱりハルガンの奴」
「違います」と、ルカはすかさず否定した。
「ハルガンが違うって言ったのか」
「ハルガンは、あなたはいい人だと言いました」
ケリンは笑う。
「それがあいつの手さ。まず敵を褒めておいて自分のことを信用させる。まんまと引っかかりましたね、殿下」
「ケリン、もうよせ」と、クリス。
お前は黙っていろとでも言うように、ケリンはクリスをねめつけると、
「殿下は、俺の言葉よりハルガンの言うことを信じるのですか」
ルカはしばし考え込む。
それからおもむろにケリンを見詰めると、
「いいえ、どちらの言葉も信じません」
「ではハルガンに監視をつけた方がいいんじゃないか、手遅れにならないうちに」
「監視はつけません。あなたの言葉も信じないと言ったはずです、ケリン」
「知りませんよ、奥方がどうなっても」
ケリンはルカの不安をあおった。
今度はルカもそれには引っかからなかった。
「もう、走り出したりしません。僕は、母上を信じていますから」
今度はクリスが声をたてて笑った。
「そうですよ殿下、それが一番だ」
ケリンは忌々しそうにクリスをねめつけた。
この勝負、殿下の勝ち。とクリスは心の中で叫んでいた。
リンネルがクリンベルク将軍の館から戻るなり、ルカは彼を自室へ呼びつけた。
最初はためらいを感じた主の部屋も、子供部屋から次第に変わっていく様子を見ていたリンネルは、あまり違和感もなかったが、さすがに初めてこの部屋に入った護衛たちの印象は、品の良い戦艦の司令室、いや制御室のようだと口々に言う。細かな白い柄の入ったモスグリーンの壁紙の部屋は、半分がコンピューターシステムで埋め尽くされ残りの半分は本でぎっしりと埋まっていた。システムはケリンの趣味で最新のものが揃えられている。この館では一番金がかかっている所でもある。
「あいつ、殿下の小遣いを自分の小遣いと間違っている」と、仲間たちからは羨ましがられながら。
普通の人では到底落ち着けるような部屋ではないが、ルカ王子にとってはここが一番落ち着けるようだ。部屋の片隅にはテーブルとベッドも兼用できるような長いすがあり、ときおり本を読みながらそこで寝てしまうこともある。
「何でしょうか」
「少し訊きたい事があります。どうぞお掛けください」
珍しくルカが自分に対して改まっているのをみて、リンネルは自分がいない間に何かあったのではと訝しがる。
「ハルガンとケリンのことについてお聞きしたいのですが」
「あの二人が何か」
どの軍隊に行ってももめ事の中心に存在する二人。
この館で今まで何事もなかった事の方が奇跡に近い。
「どういう方々なのですか」
「と、申されますと」
「ですから、その」
ルカにも訊きようがなかった。
おそらくリンネルにも答えようがない。唯一あの二人を理解しているのはヤンス少尉ぐらいなものだ。
「あの二人が何か殿下に」
「いいえ、言うほどのことではないのですが」と、ルカは黙り込む。
「悪ふざけをしているようでしたら、よく注意しておきましょう」
言ってもあの二人には無駄だと思いつつも、リンネルにはこう答えるしかなかった。
「いえ、その必要はありません。おそらく僕が悪い」
ケリンには心の隙をつかれてからかわれた。ハルガンは噂ほどの女たらしではないのかも。
将来、共に戦場に行くかも知れない仲間を、今の僕は信じることができない。
ハルガンは下町へ行く前にクリンベルクの館に寄った。
「どうかね、あの母子の様子は」
物事を正面から見るリンネルに対し何事も斜めからしか見ないハルガンの意見も、クリンベルクにとっては貴重だった。
「どうかねと言われても、まあ、男勝りの奥方と生意気なガキというところですか」
クリンベルクはその感想に笑った。リンネルでは決して口にしない言葉だ。
「ところで、口説いてみたのかね」
ハルガンはアルコールを片手にソファにそっくり返っていた姿勢を少し正すと、
「閣下、お言葉を返すようですが、俺は今まで一度も女を口説いたことはありませんよ。女の方から口説いてくるのです。勘違いしないでください」
クリンベルクはハルガンのその言い訳を楽しみながら、
「まあ、そういうことにしておこう。ところでナオミ妃は君を見ても近づいて来ない」
「あの女は駄目だ。好きな男がいる。俺でもかなわないような」
「ほー、この銀河に君でもかなわない男がいたとは初耳だな。皇帝を相手にしても勝てると豪語した君が」
「人間なら、誰が相手だろうと負ける気はしない」
「と言うと、やはり相手は神だとでも言うのか、君らしくも無い」
ハルガンは奇跡だのお化けだのは一切信じない男だ。戦場で奇跡など当てにしていたら生きてはいけない。全ては自分の実力のみ。
「まさか」と、ハルガンはソファにふんぞり返りながらクリンベルクの言葉を否定したが、
「この世にいないという意味において、お化けかな」と、言い直した。
「ほっ」と、クリンベルクは興味ありそうな顔をした。
「彼女は、ルカ王子の前世の人物。つまりシーゼとかいう奴を愛しているようだ。いくら俺が頑張ったところで、死んだ奴にはかなわないからな。死人は思い出の中だけに生きる」
「つまりルカ王子の前世はレーゼという人物だったと」
「奥方を始め村人は全員そう信じている」
「輪廻転生か」
「皇帝ですらあの奥方にとっては、レーゼをこの世に再生するための道具にすぎなかった」
「しかしレーゼという人物、奥方が物心ついたころにはかなりの歳ではなかったのか」
パシャン。水の音。
「またか」
護衛の誰もがそう思った。護衛たちも今では駆けつけたりしない。
「この寒いのに、殿下もよくやるよ」
春とは言え、水浴びするにはまだ少し早すぎる。
だがさすがに水神様と言われるだけのことはあり、ルカは水浴びが好きだった。夏ともなれば一日に二回は池をプール代わりにして泳ぎまわる。
「今度こそ、捕まえてやる」
だが結局、何の収穫もなくルカは岸へとあがった。
ハルガンが呆れた顔をしてバスタオルを差し出す。
ルカはそのバスタオルを受け取りながら、
「僕がこの寒いのに、物好きに池に飛び込んだと思っているのでしょ」
ハルガンは無愛想な顔をしてルカを見る。もう他の護衛は来ようともしない。
「違うのか」
ルカはバスタオルで服の上から体を拭きながら、
「僕は、白い蛇に池に落とされたのです、誰がこの寒いのに自ら池に飛び込みますか」
こいつならやりかねないとハルガンは思ったが、
「どこに居るのです、その白い蛇は」
「あっちへ行ってしまいました」と、ルカは池の方を指差す。
ハルガンも一応ルカの指し示した方を見ることは見たが、彼の言葉を信じていないのは態度でわかる。
「どうせ、信じないのだろう」
ルカは以前から池に白い蛇が居ると言っているのだが、誰も信じてくれない。
「見たことありませんからね」
「いいよ、もう。着替えてくる」
ルカは怒ったように歩き出す。
ハルガンはじっと池を見詰めた。ハルガンには見えない。無論護衛たちにも。
「どうしたのですか」と、ナオミ。
ルカのビショ濡れの姿を見て。
「池の縁を歩いていたら、急に白い蛇が足に絡み付いてきて」
「まあ、それは酷い。この寒いのに風邪でもひいたら大変だわ。私がよく謝っておきましょう」
「謝るって、被害を受けたのは僕なのですよ、母上。もし蛇が口が利けるのでしたら、謝るのは向こうではありませんか」
ルカはぶつぶつ言いながらシャワー室へと向かった。
体は着替えをすませさっぱりしたものの、心はさっぱりしない。
ナオミの所へ行くと、
「どうして僕が謝らなければならないのか教えてください、母上」と、先程の話を持ち返した。
「白蛇様は、神の仕えなのですよ」
「そうらしいですね」
「つまりあなたに仕えているのですよ」
「僕は神ではありません」
ナオミはやれやれという顔をすると、
「あなたが白蛇様を思い出しにならないから、ひがんでおられるのですよ」
「蛇が?」
「そうですよ、せめて名前だけでも思い出されては」
「あの蛇に、名前があるのですか」
初めて知ったという感じに、ルカは驚く。
いつものことだ。とヨウカは言っていたが、これではあまりにもヨウカさんが哀れだとナオミは思った。
「陛下ですらご存知なのに」と、ナオミは大きな溜め息をつく。
「父上が!」
ナオミは慌てて口を手で押さえたが、もう手遅れだった。
「父上もご存知なのですか、あの蛇を。しかも名前まで。母上、何と言うのですかあの蛇は」
ナオミは困った顔をした。
「それは私から教えることは出来ません。あの蛇は、あなたが思い出してくれるのを待っているのですから」
「僕が思い出す。何を」
それから数日後、月に一度の登城の日がきた。
蛇の名前を、いくら母に訊いても教えてくれない。なら父に訊くのみ。
ルカはそう心に決めて今日は父に会いに来た。
会食の席順はいつもの通り。上座には貴族の中でも高貴な血を引く母を持つ子供たちが座り、ルカのような平民の血を引く子供は一番末尾の席があたえられた。
そしていつもの通り上座はいろいろな話題がはずみ、とても賑やかだ。しかしそんな中にただ一人、周りの会話に入らず黙々と食事をしているジェラルド王子の姿がある。妹と従者を従えての出席だが、めったに顔を出したことは無い。この部屋に従者を従えて入れるのは彼のみ。もっとも従者がいなければ彼は歩くこともできない。
ルカは父である皇帝を見た。ここからはかなりの距離がある。声をかけたところで、その声が届くかどうか。
だが父に会えるのはこの場限り、ルカは意を決した。
「父上、お聞きしたいことがあるのですが」と、切り出す。
兄弟たち全員がルカを見た。上座の会話が途切れた。
皇帝は微かに首を上げてルカを見る。
「何だ」
ルカは少し緊張しながらも、
「僕の庭にいる白い蛇のことなのですが」
「白い蛇?」
「ご存知ありませんか」
「知らないな」
「母上が、父上ならその名を知っていると」
皇帝は暫し黙り込んだ。
周りの兄弟たちがひそひそと何かを話している。
ジェラルドだけが調子を変えずに食事を続けていた。
「名を聞いてどうする」
「やはりご存知なのですね、教えてください。あの蛇を捕まえるのです」
「捕まえる?」
「はい。悪戯をして仕方ないのです」
皇帝はじっとルカを見ていたが、
「名前は、ヨウカとか言ったかな」
「ヨウカですか」
ルカはどこかで聞いたことがあるような気がした。
「もし、その蛇の好物をご存知でしたら、教えてくれませんか」
「好物?」
「はい。罠を仕掛けたいと思います。かごの中にそれを入れて仕掛かるのを待ちたいと思います」
「生け捕れたら俺のところへ持って来るなら、教えてやらんこともない」
「殺さないと約束してくださるなら」
「殺す?」
「はい。捕らえたら二度と悪戯をしないように、人里はなれたところに放してやろうと思っていましたから」
皇帝はにやりと笑った。
「その蛇の好物は、美しい男だ」
「えっ!」
「男の生き血をすするのだ」
周りがざわめいた。
「嘘ですよね」
ルカは驚いたように皇帝を見た。
「嘘だと思うなら、思えの母親に聞いてみろ」
周りのざわめきが大きくなった。怖いだの化け物だのと言う声が聞こえる。
ルカは唖然としてしまった。
「お前、庭に何を飼っているのだ」
「神の子ではなく、悪魔か」
轟々と兄弟たちがルカを非難し始めた。
皇帝はそれらの言葉を無視してルカに呼びかけた。
「何でしょうか、父上」
「村の連中がお前に何を吹聴しているか知らないが」
ルカは皇帝の言葉を途中でさえぎった。
「僕は普通の人間です。神でも悪魔でもありません。嘘だとお思いでしたら宮内部管轄の病院で聴いてください」
ルカは物心ついたときに徹底的に自分の体を調べてもらった。レーゼのこともあり、二重人格ではないかと思い精神鑑定までしてもらった。だが何ら一般の人と違うところはなかった。
「ルカ、そろそろ村との交流は絶ったほうがいいな」
「どうしてですか、父上」
「お前は王子なのだから、付き合う相手を考えたほうがよい。私から宮内部に言っておこう、もう王都には来ないように」
「暫くお待ちください。それは母上が」
唯一の楽しみにしていることだった。
「ルカ、お前は躾がなっていないようだな。私の言葉を途中で断ったり、私の言うことに逆らったり、誰がお前の教育を担当しているのだ」
そう訊かれてルカは、責がナンシーに及ぶのを嫌い、
「申し訳ありません。陛下の仰せの通りに」と謝った。
「そうか、わかればよい。ルカ、一つ忠告しておこう。村の連中があまりのぼせたことを言うようなら、いつでも総攻撃を仕掛ける準備は出来ている。そう長老とかいう奴らに伝えておけ。それとも私の攻撃を、お前のその笛で止めてみるか」
「少しお待ちください。私は普通の人間です。この笛だって」
笛も調べてもらった。材質が今は珍しい竜木ということだけで、後は何ら他の横笛と変わりはない。音色もいろいろな人に吹いてもらい調べてもらったが、これまた何ら普通の笛と変わりは無かった。特に特別な波長を出しているわけでもない。
「僕に何が出来ると言われるのですか」
部屋がざわめく。
そんな中ジェラルドだけがナイフとフォークを静かに置くと、ご馳走様でした。と言って立ちだす。
すかさず背後に控えていた従者が彼の体を支える。
「お兄様、まだデザートが」と言う妹の声を後に、ジェラルドは歩き出した。
ジェラルドが去った後、部屋は暫し静かになった。
その後の食事はいつも通りに終わった。だがルカの心は晴れなかった。
会食が終わるとルカは逃げるようにその部屋を出た。リンネルが待っている控えの間をそのまま素通りし庭へと出た。
主の様子がおかしいので、リンネルは慌てて後を追った。
庭の中ほどに立っているルカに、
「どうなされたのですか」と声をかける。
ルカはリンネルの方に振り向くと、
「僕が愚かでした。母上に何と謝れば」
「何があったのです?」
だがルカは何も答えない。そのままぶらぶらと庭を歩き出す。
リンネルも仕方なしにその後に従った。
王宮の庭はドームで覆われ一年中春のような陽気だ。花が咲き乱れ蝶が舞っている。花は綺麗だが季節がないのは味気ない。
暫く歩いていると、花を摘んでいるジェラルドに出会った。そういえばこの間、彼に助けてもらったのもこの場所だった。まだその時の礼をしていない。
ルカはジェラルドに近づきその前にしゃがみ込む。
ジェラルドは花を摘む手を止めルカを見た。
「兄上、先日は助けていただき、ありがとう御座いました」
ルカは丁寧に頭を下げた。
ジェラルドはきょとんとした顔でルカを見る。
前々回の会食の時のことだ。花の美しさにひかれ、ルカは庭を今のように散策していた。そこへピクロスたち数人がやって来た。ピクロスとは軍旗の授与の時から何やらわだかまりが出来てしまったらしい。彼らに取り囲まれ嫌がらせを受けているところに、蝶を追うようにしてジェラルドがやって来た。否、ルカには彼が蝶を追う振りをしているように見えた。そしてピクロスとルカの間に割って入り花を渡す。ピクロスには品種改良をした大輪の美しい花を。だが改良の結果その花は、香りもしなければ蜜もだせなくなっていた。そしてルカにはその花の原種を。花は貧弱だが香りがよく甘い蜜も出す。
「僕は蝶、どっちに止まろうかな」
そう言ってジェラルドは躍るような足取りで去って行った。
ルカはその花を枯れるまで大切に自室へ飾った。護衛たちには機械と本にしか興味のない方が、花ですかと笑われながらも。
ルカはジェラルドと一緒に花を積み出すと、それを器用に編み始めた。花で冠を作る。ルカは誰に教わった訳でもないが、物心ついたころには花を摘むと花輪を作るのが癖になっていた。今ではかなり複雑なものが作れる。
「これは先日のお礼です」と、ジエラルドに花冠を差し出すと、そっと彼の頭に載せた。
「お似合いですよ、兄上」
髪が青ければもっとお似合いなのに。とつぶやいたルカの言葉を従者は聞き逃さなかった。
「どういう意味でしょうか」
ルカははっとし、
「別に深い意味はありません。お兄様は色白だし花がオレンジだったもので、髪が青ければもっと映えるのではと思っただけです」
ネルガルでは青い髪は悪魔を意味する。ルカは悪気がないことを付け足した。
ルカはジェラルドの隣に座り込むと、おもむろに笛を取り出し眺める。
「もしこの笛が何かの力を封印しているのなら、その力の使い方を知りたい」
「その力が必要ですか」と、リンネルもルカの隣に座り込み尋ねた。
「もし本当に父があの村を攻撃したら、今の僕にはあの村を守ってやることはできません。もしこの笛に力があるのならば」
ルカは笛を強く握りこむ。
村の言い伝えでは、この笛には天変地異を鎮めることが出来るとなっている。人工の災害も鎮めることができるのだろうか。
リンネルは首を横に振ると、
「皇帝陛下と対当出来るほどの力は不必要です」
ルカは驚いたようにリンネルを見た。
「ではあなたは、村がやられるのを黙って見ていろというのですか」
リンネルは軽く頷くと、
「それが仕える者の使命です」
ルカは少し苛立ちながら、
「あなたは意味が解っていないのではないか。僕にとって村が滅ぼされるということは、あなたにすれば、あなたの家族を僕が皆殺しにしろと命令したのと同じことですよ」
「そのようですな」と、リンネルは平然と答えた。
ルカはリンネルの方へ体ごと振り向くと、
「あなたは、それでも黙ってみているのですか」
少し口調が強くなっている。
「それが主の命令なら、いたし方ありません」
「バカな」
ルカは怒ったように前を向く。
「それが仕えるということです」
ルカは信じられないという顔をし、
「そうか、解った。それでも僕に仕えるというのか。僕が憎くないのか」
「憎くないと言えば嘘になります。しかしそれよりも寂しく思います」
「寂しい?」
リンネルの意外な言葉に、ルカはまた彼を見上げた。
「はい。ここまで私を試さなければ、信じてはもらえないのかと」
ルカは黙ってしまった。
暫く花を編み続ける。出来上がった花輪をリンネルにそっと差し出す。
「僕は、自分の心の不安から部下を試すようなことはしない」
「さようですか」と、リンネルは静かに答えるとその花輪を受け取る。
ルカはリンネルのあまりにも物静かな態度を見て少し自信を失ったのか、
「たぶん、しないと思う」と言い換えた。
リンネルは微かに笑うと、
「正直ですね。少し、心の隅に覚悟はしておきます。でも余り気になさらないで下さい。私たち部下の方でも、殿下を試しているのですから。特にハルガンやケリンは」
「試す?」
リンネルは優しい目でルカを見ながら頷く。
「そう言えば近頃あの二人、おとなしくなりましたね。何か注意してくださったのですか」
リンネルは笑うと、
「私が注意したぐらいでは、彼らが態度を改めるとは思えません。ご存知ですか、彼らはネルガル軍のトラブルメーカーなのです」
今のところ彼らを使いこなせたのは、将校多しと言えヤンス少尉ぐらいしかいない。
「では、どうして」
近頃彼らのルカに対する態度が変わった。以前ほど頭ごなしにバカにしてこなくなった。
「それは、殿下の答えに満足したからではないのですか、今のところは」
「私の答え?」
ルカには身に覚えがないが。
「先日の畑での騒動です」
ルカははっとしてリンネルを見る。確かあの時、リンネルはいなかったはずなのだが。
「何と仰せになられたのかは存じませんが」
「どちらも信じないと言ってやった」
リンネルは笑った。
「どちらか片方を信じても、揉めるのは目に見えておりましたから」
「さようでしたか」と、リンネルは楽しそう。
ルカは花に視線を移すと、
「でも考えなおしました。私はヤンス少尉の言葉を信じようと思います」
「ヤンス少尉の?」
ルカは暫し黙ると、
「リンネル、あなたにだけ私の秘密を一つ、教えましょう。母上にも言っていないことです」
ルカはじっと笛を睨むと、
「この笛を吹いて現れるのは青い髪の少女なのです。花冠を頭に載せた、それはそれはとても美しい人なのです。村の人々が神は結婚しないと言っていましたが、おそらくあの少女を愛しているから。花を摘むジェラルドお兄様の姿を見て、ふと思い出したのです。花を摘むのが好きで、僕がこうやって花輪を作ってやると、とても喜ぶ。僕は彼女を知っている。でも、思い出せない」
リンネルは驚いてルカを見た。
「母上には内緒です、心配するといけませんから。それともう一つ、これは心の隅ではなくはっきりと覚えていてほしい。僕はあなたとは違います。僕は誰だろうとあの村に手を出すものを許しません、たとえ父でも」
「殿下、そのようなことを口にされては」と、リンネルはまるで口止めするかのようにルカの言葉を切ったが、ルカは苦笑しながら続けた。
「だから二度と口にはしませんから、よく覚えていてほしいのです。僕は愛する人の涙を見るのが嫌いなのです、特に母上の。僕は過去にそれで失敗しています」
それはいつの事なのだろうと、言っているルカも聞いているリンネルも思ったが、それよりリンネルは、ルカからジェラルド、特に従者の方に視線を移し、まずい話を聞かれたのではないかと危ぶんだ。
ルカはリンネルの視線をたどり、
「ジェラルドお兄様のことでしたら心配いりません。彼の言うことは誰も信じませんから」
ジェラルドは無心に花を摘んでいる。
「しかし殿下は、ジェラルド様は正気だと」
リンネルは怪訝そうにルカを見る。
「ええ、正気です。でもお兄様の言葉を信じるか信じないかは周りが判断することで、お兄様が正気か正気でないかとは関係ありません」
「どういう意味でしょか」
リンネルは解らないという顔をした。
「つまり、真実を言ってもそれを信じてもらえなければ、言わないのと同じです」
「それは失礼ですが、ジェラルド様がご正気ではあらせられないから。殿下もそう思われているから」
ルカはにっこりすると、
「ですから、さきほど言いました。正気と周りが信じるかどうかは別の問題です」
リンネルはますます解らないという顔をした。
「ジェラルドお兄様は正気です。ねっ、兄上」
だがジェラルドは花を摘んでにこにこしているだけ。
それを見て、本当に正気なのだろうかとリンネルは疑う。だが危険なのはジェラルド王子より、彼に付き添っている従者。
ルカはリンネルの心を察したのか、
「彼も心配いりません。僕がジェラルドお兄様を好きなことはよく知っていますから」
それと口外しないというのはどういう関係があるのだろうとリンネルが考えていると、
「そうかもしれませんね」と、従者は答えた。
まず友達になってもらいたければ、自分の弱みを見せること。それを利用するようなら友達の縁を切ればよい。
ルカは従者の方を見ると、
「一つお願いがあるのですが」
「何でしょうか」
「もしそのような場合になった時、リンネルが僕の味方になるか敵になるかは、彼の自由意志にゆだねると、僕が言っていたと証言して欲しいのです」
「殿下!」
驚いて何か言いかけようとしたリンネルをルカは片手で制して、
「お願いできますか」と、もう一度頼む。
「わかりました」
これでリンネルと僕は同じ穴の狢でないことが証明される。
「私の方からも、一つお願いがあるのですが」と、今度は従者が切り出す。
「なんでしょう」
「あなたの館にいるハブに」
「えっ、彼を知っているのですか」
「ええ、学生の頃は主席を争った仲です。もっとも、彼はいつも次席でしたが、それもわざと」
「わざと?」
「はい。主席になるといろいろと面倒だというのが理由だそうです」
ルカは笑った。
「ハルガンらしい」
「そういう男ですよ、彼は」
「昔からだったのですね、あの性格は」
今度は従者が笑った。
「彼に伝えてください。たまには遊びに来てくださいと」
「わかりました。でも、面倒だといいそうな気がします」
「そうかも知れませんね」
それから数日のことだった。ジェラルドが両手一杯に花を抱えてルカの館を訪れたのは。
不意のお客様、それもネルガルでは皇帝に次ぐ高貴な方とみなされている方の来訪、侍女たちは右往左往の騒ぎだ。
そんな中一人落ち着いているのはハルガンだった。
「まったく、客を迎えたことの無い奴等はこれだから困る」
ハルガンは侍女たちの慌てぶりを横目で見ながら客人に感想を述べた。
「久しぶりですね、キングス」
その後の階級が出てこないので困った顔をしているクラークスに、
「ハルガンで結構だ。ここでは堅苦しい挨拶はなしだ。それより何しに来た」
「ルカ王子に会いに来たのです」
「殿下に!」と、ハルガンは驚いた顔をした。
「俺にではなくか」
もっともクラークスならともかく、ハルガンもジェラルドには面識がなかった。
最初ハルガンはジェラルドが館を間違えたのではないのかと思っていたのだが。
「普通、前もってアポぐらい取るだろう」
「急に、我が主が思い立ったもので。先日の花冠のお礼だそうです」
「花冠?」
ハルガンは王宮でのことは何も知らない。だがお礼だと言うなら。クラークスの影に隠れるようにして花束を抱えて立っているジェラルドを一瞥すると、
「俺が殿下の所へ案内してやるよ」と、先立って歩き出した。
エントラスホールの奥の階段を上がり、長い回廊を歩いて行く。
回廊とはいえ、天上からはシャンデリアが下がりところどころ彫刻や骨董が置かれ、ちょっとした広間ぐらいはある。だがジェラルドの館のそれは、こんなものではない。回廊の幅も長さもこの倍ではきかない。
「意外に質素なのですね」と、クラークスは周囲を眺めながら。
「皇帝の正妃ロイスタール夫人の館とは段違いだからな。これでも我が奥方にとっては、豪華で広すぎるそうだ」
そこでハルガンは笑った、何かを思い出したように。
「奥方がこの館を見た時のお言葉は、何だったと思う」
「凄いとか綺麗だ、ではないのだろうな、君が笑うぐらいでは」
「無駄に広くて、掃除が大変だ。ということらしいぜ、侍女たちによれば。まあ変わった女人だ」
「なるほど。しかし君は昔から少しも変わっていないな」
「人は、そう変われるものではない」
「噂は、いろいろと伺いました」
「誰から」
「ルカ王子からです」
「では、碌な事は聞いていないな」
ハルガンのその返答にクラークスは苦笑した。
「君の噂で、碌でなかったことはないだろう」
ハルガンはある扉の前で足を止めると、いきなりそのドアを開けた。そしておもむろにノックする。
だが部屋の中でも、これもいきなりコンピューターの画像が消えた。
「いいのか、そんな落とし方して、壊れるぞ」
ルカは何も映していないスクリーンをじっと見詰めながら、
「何度言えばわかるのですか、ノックしてから入って来てください」
「ノックはしたぜ」
「開けてからです」
「順序を間違えただけだ、細かいことを言うな」
ハルガンはドアに寄りかかりながらニタリと笑っている。
やれやれという顔をしながら、ルカはハルガンの方へ視線を移した。
ジェラルドの顔を見て一瞬驚いたが、それより、
「何、こそこそやっている」と言うハルガンの言葉が気になった。
「何もしていません」
「では、何故消した。俺に見られちゃまずいので消したのだろう。さては、あっちサイトか、このマセガキ。奥方様に言いつけるぞ」
ルカはむかっとした顔でハルガンを睨み付けると、
「あなたと、同レベルにしないでください」
これにはクラークスは笑うところだった。
「では、何をしていた」
ルカは黙り込む。
ハルガンはルカのところまで歩み寄り、キーボードの前に立った。
「触らないでください」と、ハルガンの手をはらう。
「ロックかけているそうじゃないか」
これはケリンから聞いて知っていた。
「こんなロック、ケリンのこめかみに銃口を突きつければ、簡単に解除できるぜ」
「開いたのですか」
ハルガンはニタリとした。
ルカはむっとする。
だが開いたにしては痕跡がない。もっともケリンのことだ、痕跡など残すはずがないか。妙にケリンの腕を信じてしまう自分が情けない。まだケリンには遥かに及ばない。
「やっぱり、例のことか」
ルカはハルガンを睨み付けたが、隠すほどのことでもないと思い、イシュタル星、ネルガルでは魔の星として忌み嫌われている星のことを調べていたことを暴露した。もっとも禁句とされていることだけのことはあり、その資料は少ない。否、無いに等しい。
ハルガンはまたニタリとする。
「ヘェー、魔の星のことを調べていたのか」
ハルガンは初めて知ったような顔をする。
「知らなかったのですか」
「当然だろう、何もロックまでかけているものを、本人に断りなしに開くはずないだろう」
ルカはますますむっとすると、
「僕を、嵌めたのですね」
「嵌めたなどと、人聞きが悪い。お前が悪いんだろ。お前がケリンを信じないから、墓穴を掘る」
ルカはハルガンを睨み付けた。
「ケリンは自分でやりたいと思わない限り、銃口を頭に突きつけられたぐらいでやるような奴ではない。それに奴の興味はロックであって、中身ではない。ロックを解除できても中身を見るような奴ではない。ましてその中身を他人に話すなど、あいつは絶対しない。以前言っただろう、あいつは人をからかうことはあっても、人を売るようなことはしないと」
ルカは黙り込む。
「奴の目や手足が機械だということは知っているだろう」
ルカは最初ケリンの目が妙に光るのを不思議に思っていた。それが義眼だと知ったときは驚いた。両腕も義手だと知らされた。戦争で無くしたとも。だが足までが義足だとは思ってもみなかった。
「情報部の奴等は、捕まると拷問にかけられる。だが奴は吐かなかった。お陰で俺たちの任務は完了した。その後で奴の救出に向かったのだが、既に奴は肉の塊と化していた。まともなのは耳と口だけ。連中、情報を聞き出すのに耳と口だけは最後まで残しておいたようだ。その姿で奴が言った言葉は、殺してくれだったが、ヤンスはその肉の塊を担ぎ出したんだよ。まあ、途中からは俺が担ぐことになったが」
残虐なシーンをハルガンは意図もあっけなく話してのけた。
ルカは唖然としてしまった。
それを聞いていたクラークスも同様だ。
「少し、子供にはショックだったかな」
「僕は、僕はあなた方に、それだけのことを強いることが出来るような人材なのですか」
「それは、俺に訊くことではないだろう。お前自身に問うことだ」
「僕自身に?」
「そうさ、人は鏡だ。お前自身の行動が俺に映り、またお前に帰っていく。ヤンス少尉は、ケリンにそれだけのことを強いることが出来る人材だったということさ」
確かにとルカは頷いた。女性とは思えないほどの無数の体の傷、護衛たちからの熱いまなざしと信頼。彼女に従っていれば間違いないという強い確信。ルカは一種の憧れで彼女を見ていた。女性というよりも一人の指導者として。
「ハルガン、僕があなたを信じないのは、あなたが僕を信じないからです。人は鏡。なら、僕があなたの鏡でもありますよね」
「なっ、何」
「違いますか」
ハルガンはクラークスの方に向き直ると、
「聞いたかクラークス。こいつはこういう性格なんだ」と、大げさに腕を振ってルカを指す。
「間違っていませんよね」と、今度はルカの方がクラークスに同意を求めてきた。
「では何かい。お前の性格のひねくれているのは、俺がひねくれているからだとでも言いたいのか」
「違いますか。人は鏡ですから」
クラークスは思わず吹き出しそうになったが、堪えた。
ジェラルドはクラークスの背に顔を隠した。
人は鏡。自分が高尚なら、どんな低俗な人を見てもその人にはそれなりの考えがあっての行動だろうと受け止めるが、自分が低俗ならば、どんな高尚な人を見てもあいつは金や名声が欲しくてやっているのだとしか受け取れない。結局人は、自分の考えの範疇でしか相手の行動を理解することはできない。
ルカがジェラルドを高く評価しているのはルカが高尚だから。だがどう見ても俺には正気には見えないとハルガンは思う。
「てめぇー、こら」
ハルガンはルカを捕まえようと手を伸ばしたが、それより早くルカは背後にあるテーブルの後ろへと回り込んだ。
暫しテーブルを挟んで睨み合う。
だがそのうちハルガンはテーブルを力で押し始めた。
逃げ場を失ったルカは難なくハルガンの手に落ちた。
ハルガンはルカの服をわしづかみにすると、テーブルの上に引きずり上げ、ヘッドロックをかけた。
「痛いです」
「あたりまえだ、痛いようにやっているのだから」
「放してください。首が折れる」
「このぐらいで折れるか」
ハルガンの太い腕はいっそう力を増した。
ルカは暴れたがどうにもならない。
ルカが諦めたのを見届けてハルガンは訊く。
「敗因は?」
「テーブルを固定していなかったこと」
ルカは首に腕をかけられたまま答える。
「そうだ。いつでも非常時のために備えておくべきだな。戦場では掴まることが即、死を意味する」
「でもここは戦場ではありません」
ハルガンはルカの口答えに対し、首を絞めることで答えた。
「痛いです」
「確かにここは戦場ではないし、お前は前線で戦うこともないだろう。だから前線の兵士たちの気持ちをよく理解してもらおうと思ってな。言ってみれば俺のささやかな親切心だ」
またハルガンは首を締め上げた。
「骨が、折れる」
「何をしているのですか、ハルガン曹長!」
いきなり階級付で呼ばれたハルガンは、思わず敬礼してしまった。条件反射とは恐ろしい。
ルカはその隙に逃げる。ハルガンから距離を置くと、
「首が折れるかと思った」と、首をさすりながら首を回し、ほっと溜め息をつく。
「ハルガン曹長、これは一体どういうことなのですか」
ナンシーは烈火のごとく怒っていた。
ハルガンはこいつが。と言いかけて、
「殿下が、自分の性格がひねくれているのは、俺のせいだと言うのです」
「違うのですか」と、ナンシーの背後から穏やかな声。
きょとんとしたハルガンの顔を。
クラークスはあまりのおかしさについに噴出してしまった。
見ればそこに盛装したナオミの姿があった。
「これは失礼いたしました」
だが笑いは止まらない。
ジェラルドはといえば、クラークスの背に顔を隠したまま。
この母子、ハルガンより勝っているかも。
「奥方様、少しお待ちください。何か、大いなる誤解があるようで」と言うハルガンに対して、
「そうでしょうか」と、ナオミはあっさり答える。
それに対するハルガンの言い訳をナオミは無視し、客人に今までの無礼を謝る。そして先日、ルカが助けてもらったことに対するお礼をジェラルドに対して述べた。
ナオミもジェラルドをまともな人間として扱う。
「本来でしたら、こちらからお伺いしなければならないところを、何しろ田舎者ですので、お許しください」と、謝罪した。
「いいえ、こちらこそ突然伺いまして」と、クラークスも丁寧に挨拶する。
「こんな所ではなんですので」と、客間へ促そうとするナオミに、ジェラルドはいきなり抱えていた花束を差し出した。
本当はルカに直接渡すつもりだったようだが。
「これを、私にですか」
ジェラルドは頷く。その仕種は幼稚で到底十五歳には見えない。
「とてもすばらしい花ですね、それに何ともいえない香りです」
ナオミは全身で喜びをあらわした。
「ロイスタール夫人が精魂込めて育てた花なのです。殿下が急にこちらのお屋敷に伺うと言い出したもので、何も手土産を用意できないと申されまして、急遽この花を切ってきてくださったのです」
「何も遊びに来るのに手土産などいりませんわ。でもこの花は、私にとっては最高のプレゼントです」
「喜んでもらえて光栄です」
ナオミが先立って歩く。
そこへルカが、
「僕が案内するよ」と、ジェラルドの手を取る。
クラークスは少し迷っていたようだが、静かにジェラルドの腕を掴んでいた手を離した。
「兄上、こちらです」
ルカはジェラルドの手を強く握り走り出した。
「ルカ、そんなに引っ張っては、ジェラルド様が転んでしまいますよ」
「大丈夫です」と、ルカは答えると客間へと向かう。
「すみません、乱暴で」
「いいえ、元気があってなによりです」
ジェラルドも、昔はいたずら好きな子だった。
客間には菓子や飲み物が用意されていた。だがいくら侍女たちがすすめても、ジェラルドは口にしようとはしない。
「お嫌いなのでしょうか」
侍女たちが困っているところへナオミたちが入って来た。
「何も、お召し上がりにならないのです」
困り果てた侍女がナオミに言う。
クラークスはその侍女たちの背後を通りジェラルドのもとへ行くと、テーブルの上の菓子を一つ摘み、自分の口へと入れた。それからもう一つ摘むと、それをジェラルドに差し出す。
ジェラルドはクラークスの手から菓子を受け取ると、初めてそれを口にした。
その様子を一部始終見ていたハルガンは、
「まるで犬のようだな、飼い主の手からしか餌は受け取らないのか」
その瞬間、
「ハルガン!」と、ルカは怒鳴った。
ルカはハルガンのその言葉の裏に侮蔑の意を解し、毅然とした態度で彼に言う。
「僕は何を言われてもかまいません。ですが、僕の友人を悪く言うことだけは止めてください」
これまでハルガンのルカに対する悪態の中に、侮蔑が含まれていることは一度もなかった。だが今のハルガンの言葉は。
ハルガンもそれをさっしたのか、彼にしては珍しく素直に謝った。
「わかって下されはそれで結構です」
ルカはお茶のカップをテーブルの中央に集めると、侍女にお茶を入れさせる。
「兄上、僕に一つ取ってもらえませんか」
ジェラルドは怪訝な顔をしながらクラークスを見る。
クラークスが頷くと、ジェラルドはカップの一つに手を伸ばし、ルカの前へ差し出した。
ルカは礼を言ってそれを受け取る。
ジェラルドはそれが気に入ったのか、ナオミ、クラークス、自分へとお茶を分けた。まるで三歳の子供のように嬉しそうに。
そして皆でいただく。クラークスが口を付けないお茶を飲むのは、ジェラルドにしては初めてだった。
ジェラルドには二人の兄がいた。どちらも毒殺されている。次は我が身かと思っていた矢先のことだった。自分のために用意されていたおやつを妹が食べ、痙攣をおこし床に倒れた。そして数分後、妹はジェラルドの腕の中で息を引き取る。その時からだった、彼が正気を失ったのは。
「おいしいですか、兄上」
ジェラルドは楽しそうに頷く。
そこへクリスが、いつもなら駆け込んでくるところを、今日だけはノックして入って来た。
この館の護衛の中で、ジェラルドに対し一番敬意をはらい緊張しているのはクリスのようだ。
私のようなものが一生かけても会うことすら許されない人物。今その方が目と鼻の先にいる。
「でっ、殿下」
言葉も少しどもりぎみ。
「用意が、整いました」
軍人的に、今にも敬礼しそうな雰囲気。
「ご苦労様」
ルカはやわらかく答える。ハルガンに対する態度とはまるで違う。
「車、運転してもらえませんか」
「あっ、はっ、はい。では、車の方でお待ちしております」
手と足が同時に出そうな歩き方で、クリスは客間を出た。
「なっ、何だ、あいつ」と笑うハルガンに、
「クリスさんは純情なのです。あなたのように心臓に毛が生えているわけではありませんから」
「経験が豊富だと言ってもらいたいね。それより、何を用意したのだ」
「農園です、見てもらおうと思いまして。今日は暖かいし、今いろいろな果物が食べごろですし」
ルカはジェラルドに手を差し出すと、
「行ってみませんか、柿だのりんごだのみかんなどが生っていますよ」
ジェラルドはその手をとる。
ルカは思いっきりひっぱり走り出す。
クラークスとハルガンがその後を追う。
「まったく、ガキの子守はこれだからな」
疲れる。
「母上、母上も早く」
ルカは車に乗る前に振り返りナオミを呼ぶ。
ナオミは初めて履くのか、踵の高い靴がとても歩きづらそうだ。裾を軽く持ち上げゆっくりと歩いて来る。いつものナオミらしからぬ歩き方だ。
全員乗ると、モーターで動くトロッコのような車は静かに動き出した。今日のクリスの運転は、一段と慎重だ。
車は作業用の小屋の前で止まった。いつもは農作業の合間の休憩所として使われているのだが、今日のこの小屋はいつもと雰囲気が違っていた。テラスにあるごつい木のテーブルには小さな花柄を刺繍した白いテーブルクロスがかけられ、椅子の背にも同じ柄の布がかけられている。所々に庭に咲いている花がいけられている。そしてテーブルの上にはお茶の用意。贅沢とはいえないが、全体的に清楚な感じにまとめられていた。
「すてき。装うとこんなに美しくなるものなのですね」
ナオミは感激していた。
「母上、御自分の館ですよ、お客様の前であまりほめるのは」とルカが言いかけたのをナオミは無視して、
「誰が、やってくださったのかしら」と、近くに控えている侍女に訊く。
「リサさんです」
「リサが。彼女にこんなすばらしい才能があるとは知りませんでした。今度私の部屋もやってもらいましょう。ところで、リサは?」
「もう、町に戻りました」
「そうなの、残念だわ。皆さんに紹介しようと思ったのに」
ナオミは少しがっかりした。
リサは平民でも最下層の平民だ。奥方様に恥をかかせてはと思い、早めに館を出たのだ。
「ここでは、お茶菓子は自分で取って来るのです」とルカはジェラルドを、まずぶどう棚へと案内した。
ジェラルドは、いつもテーブルの上で見慣れたくだものが、木に下がっているのを見てはしゃぎだした。やはり誰がどう見ても、ルカの方が年上に見える。
クリスは手際よく籠とはさみを用意し、
「ジェラルド様は、はさみはお使いになれるのでしょうか」と、クラークスに尋ねる。
「ええ、使えます」
よかったと、クリスはほっとした顔をし、
「では、こちらを」と、はさみを一つクラークスに差し出す。
直接ジェラルドに渡したのでは失礼にあたる。
それからルカに声をかけた。
「殿下、抱っこしましょうか」
悔しいが、ルカの身長ではぶどうに手が届かない。
ルカは仕方なくクリスに頼む。これがハルガンでは、脚立を持って来いと言われかねない。
ルカはクリスに抱えられた体勢で、ジェラルドにぶどうの取り方を教える。
「指、切らないで下さい」と、クラークスがさり気なく注意する。
幾つか取った後、次はみかん、りんごと取って行く。クリスが用意した籠がいっぱいになると、テラスへと戻って来た。それをテーブルの上に用意されていた大皿へと盛り付ける。いっきにテーブルの上が賑やかになった。
暖かいお茶が用意され、奥方を始め侍女たちまでも加わり、くだものをここまでにする苦労話などで賑わう。ナンシーは、侍女たちが余りなれなれしくするのを好まないが、これがこの館の風潮なのだと今では諦めている。話題は後から後からと尽きない。特に下町の話になると、ジェラルドたちはまるで聞いたことのない話ばかりだった。
そこへ来客の知らせ。
隣の館の夫人。隣といってもかなり距離はあるのだが、時折遊びに来るようになっていた。ナオミのここでの唯一の友達。
「今日のところは、お引取り願ってください」と言うナンシーの言葉に、
「せっかく見えられたのですから、こちらへ」とナオミ。
「しかし」と、ナンシーはジェラルドたちの方を見た。
「彼はこの子の友達です。彼女は私の友達です」
そう言うとナオミは立ちだし、
「私がここまでお連れします」と、テラスを飛び出した。
「奥方様、お待ちください」
ナンシーは慌てて後を追う。
ナオミはドレスの裾をたくし上げ走る。いよいよもってヒールが邪魔になったのか、脱ぐとナンシーに手渡した。裸足のまま車に飛び乗ると始動ボタンを押す。自らハンドルを握り、館へと向かった。
その一部始終をテラスから眺めていたルカは溜め息を吐く。
「今日の母上はとても美しく思えたのに、もう少しお淑やかにはできないものなのでしょうか」
侍女たちがくすくすと笑う。
ルカはジェラルドの方へ振り向くと、
「あれで僕に、もう少し上品になれと言われるのですよ、困ります」
「そうだな」と、ハルガンは相槌を打つ。
「そうはっきり相槌を入れないで下さい」
侍女たちの笑い声が幾分大きくなる。
「でも、よいではありませんか。トラクターを運転する夫人なんて、王都広しと言えども、ここの奥方様しかおりませんから」と、侍女のひとり。
「そうですね」と、今度はクリスが相槌を入れた。
「クリスまで」と、ルカが嫌な顔をすると、
「すっ、すみません」と、クリスは慌てて謝る。
「ロイスタール公爵夫人って、どのような方なのですか。気品があり美しい方なのでしょうね」
ジェラルドを見ればわかる。彼は皇帝よりおそらく夫人の方に似ている。
「一度、遊びに伺ってもよろしいでしょうか」
ルカのその問いにクラークスは答えなかった。
代わりに答えたのはハルガンだ。
「よした方がいい。お前の身の為だ」
「どうして」
ハルガンはそれには答えない。
「私の身分が低いからですか」
「いや、そんなことではない」
「では、どうして」
ルカはむきになる。
場が一瞬静まった。
クリスはそれを補うように、
「殿下、時間も時間ですので、あんなに沢山のお花を頂いたのですから、こちらも何か」と言って、果物かごを掲げた。
「それも、そうですね」
「柿を取り忘れたでしょ。今が一番旬なのに」
旬。この言葉もここでは既に死語化している。庭園を透明なドームで覆う王都では季節がない。もっともその館の持ち主の趣向で好きな季節に調整されていることが多い。食物も工場の中で生産されるようになってから、いつでも好きなものが食べられるようになっていた。
「クリス、随分難しい業界用語を覚えたな」と、ハルガンがからかう。
「ハルガンさん、柿、取ってきてくれませんか」
ルカは下心があるとき、名前にさんを付けて呼ぶことが多いことをハルガンは気づいていた。
俺がいない間に、ジェラルドの館に遊びに行く約束でも取り付ける気か。
ハルガンはニタリとすると、
「俺に取って来いと命令するのか」
「別に、命令しているわけではありません。頼んでいるのです」
「柿の木が折れやすいと言ったのはお前たろう」
「そうです」
「それを知ってて、俺を死地へ向かわせる気か」
「死地などと、大げさな」
「俺を死地にやるなど、十年早い!」
ルカは肩をすぼめて、やれやれという顔をすると、
「つまり、やりたくないと言うことですか」
「よく考えてみろ。俺よりお前の方が体重は軽い。つまり俺が登るよりお前が登る方が、危険率は低い」
ルカは大きな溜め息をつくと、
「はいはい解りました。彼は僕の兄であり友人です」と、ジェラルドの方へ手をかかげ、おもむろにハルガンに対峙すると、
「あなたに頼んだのが間違いの元でした。友人への贈り物は自分で作るものです」と、ルカは立ちだした。
「どちらへ」と、クリス。
「話を聞いていなかったのですか、柿を取りに行くのです」
ルカは少し腹立たしげに言う。
「では、私も手伝います」
「ハルガン、僕はあなたに言われたから行くのではありません。僕は」
「屁理屈はいい、早くしないと日が暮れるぞ」
ルカはむっとして歩き出す。
クリスがその後を追った。
丁度テラスを降りた頃、
「おい、クリス。お前の大事なご主人様が、落ちないようによく監視していろよ。打ち所が悪くて、それ以上舌が回るようになったら、目も当てられないからな」
ハルガンの反美的センスも、下町に行くようになってからいっそう磨きがかかった。
ルカは足を止めると振り返り、
「ご心配にはおよびません。あなたにだけはご迷惑をかけませんから、絶対に」
そういうとあかんべぇーをやって見せた。
これも誰に教わったのか。ルカは今ではナンシーの目を盗んでは、三階や四階の侍女や下僕たちの部屋に遊びに行くようになっていた。ナンシーがこの場にいたら、二人のあまりの品の良さに気を失っていたことだろう。
ルカとクリスを見送ったハルガンは、侍女たちに言う。
「君たちも席をはずしてくれないか。旧友なのだ。少し話しがしたい」
時折見せるハルガンの貴公子然たる態度。こういう時は誰しもが少し近寄りがたさを感じる。
「はっ、はい」と侍女たちは返事をすると、下がって行った。
ハルガンは彼女たちが居なくなるのを見届けると、椅子を寄せ、クラークスの前に座る。
「いいのか」と声をかけて来たのはクラークスの方だった。
ハルガンはニタリとすると、
「ああ、あいつはああ見えても、わりと打たれ強い。半分平民の血が流れているせいかな」
「結構、楽しんでいるようだな。君のそういう顔を見るのは久々ですよ」
参謀本部に出入りするようになってから、ハルガンは変わった。以前はもっと明るかった。少し性格はひねくれているが正義感の強い人物だった。参謀本部で何があったのかは知らない。肝心なことは口にしない奴だから。だが今のハルガンは、昔の彼に近くなっている。
ハルガンはテーブルの上に肘を立て顎の下で指を組むと、ジェラルドの方を顎でしゃくり、
「正気なのか」と訊いて来た。
「見ての通りだ」
「そうか。ルカはまともだと言うが。奥方までその言葉を鵜呑みにしている」
それは奥方のジェラルドに対する態度に表れていた。
「何を根拠に?」
「さあ、俺には解らない」と、首を横に振り、ジェラルドから視線をはずすと、
「奥方の村は森にかこまれているそうだ。その森は人を選ぶらしい。つまり神の、村人に言わせればルカのことだが、奴の気に入った人物しか通さない。奴には人を見極める力があるらしい」
「本当なのか」
「さあ、どうかな。試したわけではないし」
これが、奴が神と慕われる要因の一つ。
犯罪者は村には入れない。たが罪を犯した者と言う訳でもない。それに村で犯罪がない訳でもない。その場合は村の法律によって裁かれる。大半はその原因究明に力を注がれるようだ。犯人は村の賢者に預けられ、どうして罪を犯してしまったのかを時間をかけて考えさせられる。再犯を防ぐためだ。
そのため村は至って平穏。夜ですら鍵をかける家は滅多にない。かけるとすれば年頃の娘を持つ家ぐらいだが、ここでは鍵が意味をもたない。なぜならいくらかけても、いつの間にか内側からはずされているのだから。親父が戸口で頑張るしかない。
「平和だな、今時珍しい」
「ああ」と、ハルガンも呆れたように相槌を打つ。
「ところで話は変わるが、後見人のことは考えたことがないのか」
「ナンシーがいるのだ、とっくに手は打ったよ」
「そうか」と、クラークスは安心したように頷く。
彼女が紹介する相手なら、そうとうな人物だろう。間違っても捨石にされることはない。
「殿下自ら出向いて行って、断って来た」
「えっ!」
さすがのクラークスも驚きのあまり手にしていたお茶をこぼしそうになった。
「失礼ですが、相手は」
「ロズベルク候だ」
ロズベルク侯爵といえば、ギルバ帝国勃興以来の名門だ。
「それをまた、何故」
「奥方より、格が低いからだそうだ。もっともそう言っては断ってこなかったらしい。よほど丁寧に断わったとみえ、最初は乗る気でなかった奴らが、今度は奴らの方から、娘の婿になって欲しいと言ってきたそうだ」
「それで」
「一度お断りした話なのでと、言い出したらきかない」
ロズベルクの館へ養子に入れば、平民出の奥方は侍女以下の扱いになる。ルカはそれを嫌った。せめて、相手がナオミと同格かそれ以上の格を持つならともかく、以下の者の前で、母に膝を折らせることだけは絶対にさせない。
「変な所で、プライドが高い」
「君みたいだな」
「ロズベルクは名門だぜ」
「そうは思っていないだろう」
「奴にも言われた。僕が養子になれば、あなたもロズベルク候に跪かなければならないと。それができるのかと」
キングス家も侯爵でこそないが、ロズベルク家に引けを取らない名門だ。何故このような男児が出来てしまったのか疑問なほど。
「それで、何と答えたのですか」
「できないと」
クラークスは笑った。
「そしたら何と言ったと思う。それならナンシーに味方するようなことは言うなと言ってきた」
以後ハルガンはこの件に関してはだんまりを通した。
結局、この話は流れた。ロズベルク候は、ルカ王子は賢そうに見えてもまだ幼いから、この話の本当の意味がお解かりにはならなかったのだろうと言って、ロズベルク家についた傷を癒してはいたが。
「あいつはバカではない。自分が断った話の重要性は知っているはずだ」
ハルガンはジェラルドを見詰める。ジェラルドはその視線を恐れてか、クラークスの背に顔を隠す。
ハルガンはジェラルドからクラークスの方へ視線を移すと、
「俺が、どうしてこの館にいるか知っているか」
そんなことクラークスは知る由もない。
「見張りだ、奴の。閣下は、奴を恐れている」
ハルガンか唯一尊称で呼ぶのはクリンベルク将軍のみ。借りがあるというのもその理由だが、馬も合うようだ。
「恐れている、クリンベルク将軍が」
「ネルガルは、そろそろ星外の事より星内の事を考える時期にきている。今平民は疲弊しきっている。多額の戦費を捻出するための増税と戦役、それによる後遺症でな。我慢も限界だろう」
貴族たちは惑星を植民地化するたびに利益を増していく。だが平民はそれをなすための戦いで家族を失う。特に働き手の父や夫を失った家族は悲惨だ。そのための保障は微々たるもの。あれでは残された家族は到底食ってはいけない。身売りや犯罪の温床になっている。
「奴は王族と平民の血を引く。誰も自分より身分の低い者と付き合いたいとは思わないからな、王族の間では蔑まれているだろうが、平民たちはどう思うかな。まして奴は、神の血も引いている。まあ、それはどうでもいいことだ。用は平民が、それを信じるか信じないかが問題だ」
「面白いことを言うな」
「何が」
「ルカ王子も、同じようなことを言われていた」
「あいつが、自分のことを」
「いや、ジェラルド様のことだ。この方が、狂っているか狂っていないかは関係ないと、ただこの方の言葉を信じるか信じないかだと」
「どういう意味だ」
「リンネル大佐に訊くとよい。君を信じているなら話してくれるかもしれない」
ハルガンは微かに笑うと、
「それでは、無理だな。俺はそこまで信じられているとは思えない」
ハルガンは椅子から立ち上がると手すりの方へと歩む。
「神だと信じさせるには、奇跡のように見える微々たる偶然があればいい。平民は愚かにもそれを信じる。いや貴族だって、今の生活に不満を持っている奴なら大概の者は信じる。今の生活から誰かが救ってくれることを待ち望んでいるからな。そういう奴に限って、自分でどうにかしようとは考えないからな」
ハルガンは手すりに寄りかかると、
「危険だ、閣下も同じ考えなのだろう。俺が皇帝なら、奴が生まれる前に始末していた」
ハルガンがそう言った瞬間だった。ジェラルドが白い蛇がと叫ぶが早いか、ハルガンは誰かに足をすくわれるようにして前のめりに倒れた。思いっきり椅子の角に鼻頭をぶつける。
「痛っー」と言いつつ鼻を押さえる。
そこへナオミが友達を連れて戻って来た。ケリンも一緒だ。ケリンは両手に一つずつハンドボールほどの竜玉を抱えていた。
「どうしたのですか、ハルガン。血が出ているではありませんか」
ナオミは急いで倒れているハルガンのもとへ駆け寄り、ハンカチを差し出す。
ハルガンは遠慮しながらもそれを受け取り、鼻を押さえなおした。
見ればハルガンの足にはゴムホースが巻きついている。
「何だ、殿下が池に落ちるところを実演して見せたのか」と、ケリンはのんきに笑いながら言う。
周りが血であたふたしているのとは対象的だ。
ナオミは急いで流しへ行くと、タオルを濡らしハルガンのもとへ持ってきた。
「少し、冷やすといいわよ」
そこへ今度はルカが戻って来た。クリスは大きな籠を抱えている。
鼻血とは、傷が小さい割には出血が多い。血だらけになっているハルガンを見てルカは慌てた。
「ハルガン、どうしたのですか」
急いでハルガンに駆け寄ると、足に絡み付いているホースに気づく。
「こっ、これは!」
懸命に取ろうとするのだが、硬く縛り付けられたそれはなかなかほどけない。
「ケリン、手を貸してください」
ルカが彼をケリンと呼んだことで、初めてクラークスは彼が話の人物だということを知った。
「何で、俺が?」
「僕の力ではどうにもならないからです」
「自分でやったんだ、自分でほどかせろ」
「どうして俺が、自分で自分の足を縛って転ばなければならないのだ」
「お前なら、やりかねないだろう。侍女たちの気を引こうとして」
ばかばかしいと言うハルガン。
ルカは苛立たしげに、
「もういいです。クリス」
クリスはテーブルの上に籠を置くと、ハルガンの所へやって来た。ケリンも竜玉を籠の隣に置くと、やって来た。
「どけ」と、ルカとクリスを下がらせるとホースをほどき始める。
さすがは義手。腕を接続してある自分の肩さえ痛めないように気をつければ、かなりの力が出せる。特に握力は凄い。軽々とハルガンの足からホースをといた。
「ケリン、それ処分してください」
「処分って、水巻用のホースだぜ」と、ケリンは何の変哲もないホースを高々と掲げて見せた。
「そのホースには何か憑いているのです。僕にだけならともかく、他の人に危害を加えるようでは」
そこへナオミが間を入れずに、
「お待ちなさい。そのホースはヨウカさんのお気に入りなのです。処分することは許しません」
ナオミの凛とした態度。こんな時の母は何事にも動じない。
「しかし母上。ハルガンはそのホースで怪我をしたのですよ」
「それはハルガンが悪いからです。おそらくあなたが居ないのをいいことに、ジェラルド様にあなたの悪口でも言ったのでしょう」
「母上」
今度はルカの態度が変わった。
「お言葉を返すようですが、確かにハルガンは口が悪いかもしれません。ですが、陰口を言うような人ではありません」
しばしナオミはルカを見詰めていたが、
「わかりました。確かにそうかもしれませんね。ですが、あなたがハルガンを信じるように、私もヨウカさんを信じています。彼女は訳もなく人に危害を加えたりはしません。おそらくハルガンが何か気に障るようなことを言ったのでしょう。以前から彼のあなたに対する態度が気に食わないと言っておりましたから」
ハルガンはティッシュをまるめると鼻に突っ込んでいた。そんなハルガンをルカは見詰め、
「何か、言ったのか」と訊く。
「いや」と、ハルガンは首を横に振る。心当たりはないと言わんがごとくに。だが心当たりは十二分にあった。
「母上、何も言っていないそうですよ」
「そうですか。でも本人が気づかないだけかも知れませんよ。ヨウカさんはとてもデリケートな方なのです。ハルガンのようにバリケードな心臓は持ち合わせておりません。私も昔失敗したことがあります。とてもチャーミングな黒子のある友人がいました。私はその黒子が素敵だと思っていたのですが、彼女は気にしていたらしく、私が素敵だと言ったとたんに泣き出してしまいました。こちらが思っていることと相手が思っていることって、時々まるで違うこともあるのです。きっとそんなことなのでしょう。それでヨウカさんは怒ってしまったのです。きっと」
ナオミはそういう事で納得したようだ。
ルカも言われればそうなのかも知れないと思った。
だがハルガンとクラークスだけはそうでないことを知っている。生まれる前に始末するなどといわなければ、この事故は起こらなかった。奇跡に近い偶然。だがここには一つだけ問題点がある。ジェラルドは見ている白蛇を。いまだネルガルの科学を持ってしても説明できないものを。
ケリンはホースをテラスの下にいる護衛に、小屋に片付けてくるようにと渡す。おもむろにテーブルの上の籠を見て、
「何だ、それは?」と訊く。
「盛り籠です」と、ルカは自慢げに言う。
クリスと二人で作ったのだ。
「葬式のか?」
ルカはむっとした。
「誰が死んだんだ。それともこれから死ぬのか」
「もういいです。どうして僕の館の護衛は、そろいもそろって皆こうなのでしょう。手伝いたくないなら手伝いたくないとはっきり言ってください。そんな遠回しな言い方しないで」と、ルカは脹れた。
「いや、別に手伝いたくない訳じゃない。花籠を作るなら手伝ってやってもいい」
ルカは驚いた顔をする。
「ケリンさんが、お花の愛好家だったとは存じませんでした」
わざとらしく敬語を使う。だがケリンはいっこうに気にした風もなく、
「そうか、新しいデーターだ。入力しておくといい」
ルカはむっとすると、
「僕が、畏まりましたとでも言うと思っているのですか。もう結構です。邪魔ですからどいてください」
ハルガンは両手を広げてやれやれという顔をする。鼻から飛び出しているティッシュがさまにならない。
ケリンは視線を宙に漂わせると、
「俺が某夫人なら、これは絶好の機会と取るが。それも一石二鳥だ」
ルカは籠の中に果物を入れる手を止めた。
「どういう意味ですか」
「俺だったらその果物に毒を入れる。その果物を食べたジェラルドは死に、送ったお前は王子殺しだ。王族殺しは理由なく極刑だぜ。まあ、片方は殺すに値するが、もう片方はどうでもいい奴だ。だが競争相手は少ないに越したことはないからな。これで王子二人が片付く。万々歳だろう」
ルカは楽しそうに話すケリンを怖い顔で睨んだ。
「だから、花籠にしろと言っているんだ。花なら口に入れることはない。果物は胃袋の中に入れて持ち帰ってもらえ」
クリスも唖然としてしまった。
これがジェラルドを取り巻く環境。正気で居られるはずがない。
「俺もケリンの意見に同感だな。ここでなら毒を盛られる心配はない。なぜならお前が皇帝になるにはジェラルドを始め、まだ生まれていない王子を含め何人もの王子を殺していかなければならないからな。気が遠くなる」
ルカは両手でテーブルをバンと叩くと立ち上がった。
「ハルガン、二度とそのようなことは口にしないで下さい。ジェラルドお兄様は、僕にとっては大切な友達なのです。それに僕は皇帝になるつもりはありません。許可が下りれば直ぐに村に帰るのです」
「ああ、そうだったな。俺たちはそれまでの付き合いだ」
その言葉はなんとなくルカには寂しく響いた。
「ハルガンも、村へ来ればいいではありませんか」
「俺がか」
「嫌ですか」
ハルガンはニタリとすると、
「いい村なのだろうが、俺には性に合わないと思うぜ」
僕が村に帰る時が彼らとの別れ。ルカは少し寂しさを覚えた。だが僕は本当に村に帰れるのだろうか。
「ルカ」
一瞬ぼっとしていたルカに、ナオミが呼びかけた。
「竜玉が生っていたのですよ。皆で食べようと思いまして」
ルカの好物というよりも、ナオミの好物である。
護衛たちも侍女たちもこの味を知っている。一度口にすると忘れられない。
「竜玉と申しますと、あの池の縁にあった竜木の実ですか。あの木、実を付けるのですか」と、驚いたように訊いてきたのはクラークスだ。
ジェラルドの館にも竜木はあった。だが一度も実を付けたことはない。花すら咲いたことも。
「こんな大きな実がなるのですか」
「竜木はとてもデリケートな木なのです。少しでも土壌が汚染されると直ぐに枯れてしまいます。だから村では池の周りに植えるのです。あの池は村の命。水質が少しでも落ちると村の死活問題になります。だからこの木を植え、この木がすくすく育つように皆が監視しているのです。水質が落ちるとこの木は直ぐに枯れ始めますから」
ネルガルのどこにでもあった木。でも今ではほとんど見ることがない。
ナオミ自らが食べやすいようにカットし、ジェラルドの前に置いた。
毒見はクラークスがする。だがクラークスより先にジェラルドが手を出した。
口にほおばる。口の中いっぱいに瑞々しい甘酸っぱい香りと味が広がる。
「いかがですか」と、ナオミは尋ねる。
「おいしい」
ジェラルドはそう言うとクラークスにもそれを差し出した。
「ジェラルド様は、ひとり占めなさらない方なのですね」
「奥方様、私たちにも」と、侍女たち。
ナオミはもう一つの方を侍女たちに渡した。本来はジェラルドに持ち帰ってもらおうと思って二つ取って来たのだが、先程の話を聞いては。
侍女たちは喜ぶ。
「あと、いくつぐらい生っていました」
「五つかしら」
「もっと沢山ならないものかしら」
「そうだ、挿し木して増やしませんか」
「まだ木が小さいから駄目よ。それに実がなるまで何年かかると思っているの。それより村に言って、あと何本か送ってもらいましょう」
「その案に賛成」と、侍女たちは飛び跳ねながら流しの方へ行ってしまった。
「まったく客人を置き去りにして、何をやっているんだここの侍女どもは」
「まあいいではありませんか、ケリン。それより見たでしょ、竜玉の威力。あなたも好きな人がいたら、この実をおくるのですよ。そうすれば結婚成立ですから。駄目よ、いい年頃の男が、コンピューターが恋人だなんて言っては。兄にも随分言ったのですがね」
「だとよ」と、ハルガンがケリンの胸を肘で小突く。
「うるさいな」
そしてナオミは友人の前にカットした竜玉を置くと、
「あっ、紹介するのを忘れていたわ」
今、思い出したかのように言う。
「こちら、シモーネ・ルクテンバウロ侯爵夫人」
彼女は下流貴族の娘だった。ルクテンバウロ侯爵がその美貌に魅せられ養女にし、後宮に入れたという噂だ。侯爵の趣味らしく、熟女というより純真無垢な清楚な感じの少女だ。年は十八。
「こちらはジェラルド王子と執事のクラーク・デルネール・ピテルス伯爵です」
ジェラルド王子と聞いただけで、ルクテンバウロ侯爵夫人は緊張してしまった。白痴という噂は聞いている、がしかし、第一王位継承者であることには間違いない。彼は駄目でもその子供にはと、期待をかける門閥貴族も多い。彼らの間では彼の妃の座を狙っての熾烈な争いが繰り広げられている。
緊張のあまり俯いている夫人に対し、クラークスの方がジェラルドに代わり声をかけて来た。
「始めまして、ルクテンバウロ侯爵夫人」
「はじめまして、デルネール伯爵」と、夫人が会釈すると、
「クラークスで結構です。この館では、階級はあまり意味を持たないようですので」
まぁ。とナオミは笑う。
この館は今では完全にナオミの嗜好になっていた。規律に厳しいナンシーも諦めているようだ。
ナオミは緊張のあまり動けなくなっているシモーネに、前に置いてある竜玉を食べるように進める。
「とてもおいしいのよ」と言いながら、この木にまつわる話をする。
村では男性が女性に結婚を申し込む時に使う木だと。枝では後で突き返すことができても、実ではいったん食べてしまったものを吐き出して返すことはできないから、村の男性は実がなるまで結婚の申し込みを待つことが多いと。
「おもしろいお話ですね」
「本当においしいのよ。そのおしさのあまり、夫になる人の顔が少しぐらいまずくとも、いいかとすら思ってしまうほど」
シモーネも緊張がとけたのかくすくすと笑い、一切れ口にした。
飲み込むと、しばし胸元を押さえていたが、急に口を押さえ流しへと走り出す。
毒。クラークスは慌ててジェラルドの様子を伺う。だがジェラルドには何の異常もない。
ナオミは慌ててシモーネの後を追った。
今朝からの胸のむかつきが、竜玉を食べることによって我慢の限界を超えたのだ。シモーネは流しで吐いてしまった。
ナオミは優しく彼女の背をさすり、
「お医者様を呼びましょうか」と尋ねる。
だが其れに対するシモーネの反応は早かった。
ナオミの手をとるや、
「お願い、それだけは止めて」
懇願するような顔でナオミを見る。
「いつからなの」
吐くのがおさまったシモーネに、ナオミはタオルを渡しながら訊く。
シモーネはナオミから出されたタオルで口元を拭きながら、
「十日ぐらい前からかしら」
「誰も、気づいていないの」
「私、もともと体が弱いから。ここのところ体調が悪いのも、風邪だということにしてあるの」
「そうなの」と、ナオミは少し困った顔をする。
このままにして置く訳にもいかないし。
するとシモーネがナオミの腕の中で泣き出してしまった。
「私、産みたくない」
「どうして、せっかく授かった命ですよ」
「利用されるのは目に見えているわ。この子がかわいそう」
「かわいそうかどうかは、生まれてみなければわかりません」
いきなりの背後からの声に、二人の夫人は振り向く。
そこにはルカが立っていた。
「お腹の子は、あなたを母として選んで生まれてくるのです。そのぐらい承知だと思います」
「ルカ、この子は普通の子よ。あなたとは違うのよ」
「僕も普通の子です。みんな生まれてくる時には、この人を母にしようと決めてくるのです」
ナオミは黙ってしまった。
「産んでやってください。生まれたがっているのですから、あなたを母上と呼びたがっているのですから」
「そっ、そうね。小さくとも味方がいるということは心強いものね」
味方というよりも、子を持つと女は強くなる。この子が人並みになるまでは死ねない。私以外にこの子を守ってやれる人はいないと思うせいだろうか。
現にナオミはルカが生まれてから強くなった。貴族の仕来りがなによ、この子を育てるのが先決。
「私も子育て、手伝ってあげるわ。今度は二度目ですから、もう少しうまく育てられると思うの」
ルカは聞き捨てならないことを聞いたような気がしてナオミに詰め寄る。
「それでは、僕は失敗作のように聞こえますが」
「ええ、もう少し上品に育てるつもりが、どこで間違ってしまったのかしら」
侍女たちが笑う。
ルカはむっとすると、
「母上、親に似ない子は鬼っ子と言うのですよ」
今度はハルガンたちも笑った。
「どういう意味かしら」
「母上の胸に訊いてみて下さい」
クラークスも笑いを堪えている。
シモーネはそう言い張るルカをじっと見詰めていた。
「元気がいいのですね、ルカ王子様は」
「お腹の子も、僕に負けていないと思いますよ」
「いいえ、シモーネさんのお腹の子は、もっと上品に育てます」
「母上が手伝うのでしたら、間違いありませんよ、絶対に」
ルカのその言葉はどちらにかかっているのか、それはその場にいる人たちの受け取り方の自由だった。
結局ルカは、綺麗な花籠を作ってジェラルドに持たせた。
車まで、ルカとハルガン、それに花籠持ちのクリスが付き合う。
「ここは環境がよいのか悪いのかわかりませんね」と言うクラークスの感想に対し、クリスが、
「殿下には環境がいいとは思えません」と答える。
「僕もそう思う」と、言ったとたん、
「痛い」
こぶしが頭の上から落ちてきた。
「悪いな、あくびをしたらぶつかった」
ルカは嘘だとばかりに足を振り上げたが、それを予期していたハルガンは、ルカの頭を手で押さえることでそれをかわした。まだハルガンの腕の方がルカの足より長い。
ニタリと笑うハルガンの手をルカは払いのけると、その指に噛み付いた。
「痛てぇー」
ハルガンは噛まれた指をふうふう吹きながら、
「おい、もう少しジェラルドを見習ったらどうだ」
「ハルガンこそ、クラークスさんを見習ってください」
ルカはハルガンの手が届かない所に非難して言う。
「聞いたか、口の減らないガキだ」
クリスはひとり、花籠を持ち困った顔をしていた。
そこへ侍女が花束を持ってやって来た。それはジェラルドが手土産に持ってきた花の一部だ。
「五本と言いましたので、五本、奥方様から分けていただきました」と、侍女がハルガンにその花を差し出す。
「ああ、ありがとう」
「五本だけでいいのですか。と仰せでしたが」
「この花はとても高価なものだ。あまり多いとかえって怪しまれる」
「そんなに高価なもの」と、侍女は首を傾げる。
侍女はこの花の値を知らない。
「ええ。母上がいただいた花束だと、ハルガンの一ヶ月の給料は軽くでてしまいます」
誰もがそんなに高価なのか。と侍女が言ってくるのを期待したが、意外にも侍女は、
「ハルガンさんの給料って、そんなに安かったのですか。もしかして、私たちより低いの」と言ってきた。
ここの館の大半の人々は、そんなに高価な花があることを知らない。
「ハルガンさん、宮内部に掛け合ってもっと上げてもらった方がいいですよ」
「あっ、ありがとう。健全なアドバイス」
「どういたしまして」と、侍女はにこやかにその場を去って行った。
「まいったな」と、ハルガンは顎を掻く。
「仕方ありません。この館では一番価値があるのは人であり人の命ですから。人の命より高価なものがこの世に存在するなんて、母は思ったこともないでしょうから」
「そうだな。しかし、お前がこの花の値を知っているとは思わなかった」
「この館の常識は王宮では通用しませんから。最初は随分、戸惑いました」
ナオミから命ほど高価なものはないと教わってきたルカは、最初宝石の価値がわからなかった。
「母は、この花が本当に綺麗だから感激したのであって、高価だから喜んだわけではありません。母はそういう人ですから、僕はそれでよいと思っています。母はこの館から出ることはありませんから。何も王宮の価値観を教えて悩ませることはありません。僕には王宮の価値観より母の価値観の方が正しいように思えますし、いずれ村に帰られる方ですので」
ルカはそこで一呼吸すると、寂しそうに、
「僕は無理でしょうけど」と付け足した。
「お前、奥方が帰れると思っているのか」
「いや、このままでは無理でしょう。かといって、頼んでも足元を見られるだけです。機会は一度、向こうから頼みごとをしてきた時に、条件として付けるのです。母を村へ帰してくれるなら、やってやってもよいとね。これなら確実です。例え僕の命に代えても、母はこんな所に長く居る方ではありません」
ハルガンは驚く。
「あの村はいいところです。でも僕の浅はかな一言で、もう村の人たちも来られません。母の唯一の息抜きの一時だったのに、申し訳ないことをしてしまった」
その時だった、
「殿下、こちらでしたか」と、侍女が息を切らして走ってくる。
「何か、あったのですか」
「いえ、たいした事ではありませんが、奥方様が、今宵はシモーネ様の館の方にお泊りになられるそうで」
奥方様の外泊は初めてのことなので、とにかく殿下にお知らせしなければと、侍女は急いだ。
「泊まる!」と、ルカは微かに動揺する。
「シモーネ様が、どうしても傍にいて欲しいとのことでして」
ナオミはあの後直ぐに彼女を自宅へ送り、彼女はそのまま医者に行ったようだが、ナオミは彼女の館でその帰りを待つ約束をしていた。
ルカの不安そうな気持ちを察してか、侍女は、
「奥方様にはご不自由のないように、数名の侍女をお付けいたします」
ナオミは言い出すときかない。ならせめて、万全の策を講じるしかない。ルカは母が貴族の前でも恥をかかないようにと策を講じだが、ハルガンは彼女の身辺を気にした。
「そうしてくれますか、特に貴族の仕来りに詳しい者をひとり、ただし、あまりうるさい者では困ります」
「畏まりました」と、侍女が去ろうとしたその後ろ姿に、
「それと、シモーネ夫人にお伝えください」
侍女は振り返る。
「何でしょうか」
「元気な赤ちゃんをお生み下さいと。その王女は、必ずギルバ帝国、否、ネルガルの救世主になられる方ですから、大切に育ててくださいと」
「王女、救世主」
侍女は不思議そうにルカを見ると、
「宮内部から何か発表があったのですか」
自分がここへ来る間に検査が終わり、性別が判明したとか。
「いえ、何も」
「では、どうして王女だと?」
「何となくそんな気がするのです。髪は僕のように紅く」
侍女は不思議そうな顔をしながらも、奥方様にお伝えしますと言い、去って行った。
「救世主。どういうことだ」と、ハルガンはルカに詰め寄る。
ルカも首を傾げると、
「なんとなくそんな気がするのです。彼女がネルガルを救ってくれる。だだし、僕がそれまで生きていれば」
「お前、死ぬ予定でもあるのか」
「さあ」と、ルカは首を傾げた。
自分でも、自分の言っていることがわからない。
「それよりハルガン、その花、どうするのですか」と、ルカは話を逸らした。
ハルガンは手にしていた花を思い出したかのように、胸に抱くと、
「バカだな、男が花束を手にする時は、デートに決まっているだろう」
野暮なことを訊くな。
「誰と?」
「いちいちお前に報告する必要はないだろう。今日は本当は朝から約束していたのに、こいつの顔を見たから」と、ハルガンはクラークスを顎で指す。
「そういえばハルガンさん、今日、非番でしたよね」
「そうだ、せっかくの休みを」と、楽しく過ごせたくせに愚痴を言う。
「休めばよかったのに」と、ルカは呟く。
「何か、言ったか」
「いえ、別に」
ハルガンはニタリとすると、
「では、参りましょうかジェラルド殿下」と、彼の車に先に乗り込む。
誰もが、どうして。という顔をしていると、
「罪滅ぼしに、途中まで送ってもらうのさ」
さっさと自分の場所を確保すると、そこで腕と足を組む。
クラークスはしばしジェラルドを見ていたが、彼が嫌がるふうもないので、そのまま一緒に乗り込んだ。
クリスが花籠を座席に乗せる。
車から出ようとした時、
「レスターに、奥方の護衛をするように言っておいてくれ。奴の腕なら、あんな素人の集まり、何人いても目じゃないだろうから」と、ハルガンは小声で言う。
「もし、武器を使うようなことになったら、レーザ銃にしろと言っておいてくれ。原始的な武器は汚いからな。綺麗に始末しろと。もっともあの奥方のことだ、少しぐらいの血ではびくともしないだろうが、怪我して出血するのと、殺すために出血させるのとは意味がちがうからな」
「了解」と、クリスも小声で答える。
「後、この事はルカには内緒だぞ。それでなくとも母親が外泊するというだけで動揺しているのだからな」と、ハルガンは笑う。
ルカの母思いは見ていても痛々しいほどだ。あれほどの親思いも珍しい。
クリスは小さく敬礼する。
ハルガンはわざとらしく声を張り上げ、
「そんな置き方じゃ、走り出したらひっくり返るだろう」と、怒鳴る。
クリスは謝りながら車の外に出た。
「じゃ、その生意気なガキの子守、頼むぜ」
ルカはむっとしながらも、ジェラルドに、
「また、遊びに来てください」と、別れの挨拶をする。
車は滑らかに走り出す。
「いいのか、相手は王子だぞ」
粗野な態度で振舞うハルガンに、クラークスはさりげなく忠告する。
「任務さえ遂行していれば、別に咎はないだろ」
「任務ねー」
ハルガンという人物。どう見ても真面目に任務を遂行しているという印象を他人に与えないところがある。
「俺の任務は、奴の護衛さ。例え相手が皇帝だろうと、奴に弓を引けば俺は盾になる」
「ハッ、ハルガン!」
クラークスは息を呑んだ。
ハルガンはニタリとすると、
「そう言うことさ」
「君は、誰のお陰で生活できると思っているのだ」
ネルガルの正規軍は全員、ギルバ帝国から給料を得ている。
「俺の食い扶持か。俺の食い扶持は平民から貰っている」
ギルバ帝国がくれる給料は、本をただせば平民から徴収した税だ。
「やっとわかったのさ、俺のここでもやもやしていたものの正体が」と、ハルガンは自分の胸を親指で指す。
「奥方に教わった。否、気づかされたと言うべきかな。あの方は、自然体で振舞っているだけだ。それを見てどう思うかは俺たちの自由。おそらくあの方はギルバ帝国が亡くなっても何も失うものはない。だが俺たちは、全てを失う。生きがいすらな」
「そうかも知れませんね、名声も地位も、ギルバ帝国あってのものですから」
「ああ」と、ハルガンは頷く。
「だから俺は、あいつを守ってみたいと思う。お前がそいつに付いている意味はわからないがな」
「ルカ王子は、この方を高く評価されております」
「あいつは、変わっているからな。鳥や獣とも話をする」
「えっ!」
「冗談だよ。だが時折、そんな風に見えることがある」
神の子。人外の力。二人は黙り込んだ。
「あっ、運転手、その先で車を止めてくれ」
ハルガンは急に車を止めさせた。
ハルガンが車から降りようとした時、クラークスは問う。
「救世主とは、どういうことだ」
「さあな」と、ハルガンは肩をすぼめて見せる。
「あいつも、そこの誰かさんと同じように時々変わったことを言う。奴の母親は巫女だからな、神がかることもあるのだろう。でも奴自身、それを信じてはいない。それが実におもしろいところだ、聞いているこっちとしては」
「君は?」
「俺か。信じるはずないだろう。そんなもの信じていたら、戦場では生きられない」
ハルガンは車から降りると、待機させておいたらしいタクシーへと乗り込む。
「話はこれまでだ。これ以上、待機料金がかさむと、俺の安月給じゃ厳しいからな」
ハルガンはタクシーを出させた。
クラークスはそのタクシーが見えなくなるまで目で追うと、ジェラルドに視線を移した。ジェラルドは器用に編まれた花籠を眺めている。
「車を出してください」
「畏まりました」
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2009/01/10(Sat)22:13:02 公開 / 土塔 美和
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明けましておめでとう御座います。続き書いてみました。今年もよろしくお願いいたします。