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『二重世界』 作者:晶 / リアル・現代 未分類
全角5421文字
容量10842 bytes
原稿用紙約18.4枚
 ザ、ザザ、ザザァ――……。ノイズが世界を閉じた。 心の形は、果たして実像を伴い、僕の世界は何を見るのだろうか。

二重世界



 夕闇が僕の世界を包む。
 ビルに零れ落ちる光と、雲に散乱する光と、そして僕を照らす赤みを帯びた光が混じり溶け合う。刻々と、夜の時間がせまっていた。
 ほどなくして、夕日は墜落するようにビルの向こうに消えた。
 街には、音も心も影も無い。空を見上げるために立ち止まってしまえば、僕の足音さえ消える。まだ紺色の空に星は見えないが、白い月が密やかに浮かんでいた。でも、そんなことは些細なことで、僕がどうして空を見上げたかというと、僕の肩に留まった白い欠片の正体を確認しようとしたからだった。
 僕は佇む。
 ああ、雪だ。
 ――僕は世界にただ一人だった。


 ザ、ザザ、ザザァ――……。ノイズが世界を閉じた。


「もう、リンちゃんまたボウっとしてる」
 うん、と僕は鸚鵡返しした。
 ひどく頭がぼんやりとしていて、浮遊感とも虚脱感ともつかない、深い眠りから覚めた感覚。僕の耳元で、紫苑がまだ何か文句を言い続けている。ぜんぜん止めてくれない。止めてくれないどころか加熱気味だ。
 おかげで、ボウとした意識が少しはマシになってきたが、僕はつい苦笑してしまった。
 駅への大通りを僕らは歩いていた。時刻は六時を回ったところ。社会人や大学生やらが急ぎ足で駅へ向かっているのだけど、紫苑と肩を並べて歩けないほど密度が高いわけでもないし、すぐ隣の紫苑の声が聞こえないほど音が溢れてるわけでもない。
 季節は冬。クリスマスを前にした十二月の半ばで、少し肌寒い。だけど雪なんて降っていないし、そもそも僕は、生まれてこのかた、雪を見たことは無い。
「紫苑、ありがとう」真っ直ぐ前を向いたまま、僕は紫苑に聞こえないように呟いた。
 そのつもりだったが耳聡く紫苑は反応して「照れるじゃんか」と、僕を軽く蹴っ飛ばした。
 すねがちょっと痛くて、手を重ねたい気分になった。僕は紫苑を一瞬だけ見て、だけど世間体を考えて、そこらへんをぐっと我慢。だというのに紫苑が腕を絡めてきた。
 暖かい。
 冬は、身を寄せ合うぐらいが丁度いいのだろう。
 そんなことを想いながら改札口を抜け、電車に揺られて十五分、ついでに歩いてもう五分。僕らは2DKのねぐらに帰ってきた。
 夕食は一緒で、風呂は別々。で、どうやって寝ているかというと。
「今夜も同衾だね」押入れには二つ布団はあるのに、一つしか布団をひかずに紫苑は言った。
「ドッキン? なにそれ。ドッキングの略?」
「リンちゃんのエロ」紫苑は僕を小突く。「でもまあ近いかな」
 照れる紫苑を見て、言わんとしていることを理解した。
「狭くて暑いよ?」
「広くて寒いなんて、不安じゃん」
 なんて言ってるそばから、紫苑は僕のシャツのボタンを口で外し始めた。彼女は僕をまさぐりつつ、僕の鎖骨にある古い傷跡を犬みたいにぺろぺろ舐めた。
 僕は気付かれないように、眉を顰めた。
 やがて、吐き気を催すくらいの感覚が僕を押し流した。


 世界には僕一人しかいなかった。
 人間は誰もいない。犬もいない。猫もいない。鳥もいない。だけど、なぜだか植物は生えている。ただし、単なるオブジェのように動かない。命を感じない。影を感じない。ビルだけが果てしなく街を埋めている。
 孤独なのだ。
 紛うことなく、僕は孤独。
 そこに疑問はなく、不安はなく、完全だけがあった。
 あったはずなのに。
 降り積もる雪の中、僕は歩く。


 ザ、ザザ、ザザァ――……。ノイズが世界を閉じた。


 カーテンから差し込む柔らかい陽射しに、僕は目を覚ます。
 もしかすると、この瞬間僕は生まれたのかもしれない。
 眠りから醒めた時、酷く意識が白濁する。自分と周囲の境界があやふやで意味を成していない。
 つまり世界を再構築させるような感じ。記憶と認識を必死に結びつけて、今の自分を確認する。
 ――と、ひとさし指に痛みが走った。
 おかげで、一気に意識が覚醒した。
 布団をはぐると、紫苑が寝ぼけて僕の指をがじがじ噛んでいた。
 僕は苦笑しつつ、紫苑の口から自分の指を引っこ抜く。見ると、深い歯形が付いていた。ちょっと血が滲んでいる。だけど、くっきりした歯型が、なんだか可愛い。
「痛いじゃないか、紫苑」僕は彼女に囁く。
「うぅん。……ふわあ。リンちゃん?」瞼をこすりながら、紫苑は子猫みたいに気持ちよさそうに背伸びした。「リンちゃん、おはよー」
「おはよう」
「あ、もしかして、私かんだ?」
「うん、ちょっと今日は激しかったよ」
「うわあ、ごめん」紫苑は手の平合わせて謝ると、僕の手首を掴み、僕の指を咥えた。
「……」丁寧に指を吸う彼女に、僕は眉を顰めた。


 一車線の道路を、僕は目的も無く歩く。目的も無く歩くと言うのが目的なのかもしれないし、目的もなく歩くと言うのが手段で、僕の知らないところに目的があったのかもしれない。結局はどっちでも良いことで、僕はただ歩き続けた。それが刹那でも、永遠でも、僕は歩き続けるのだろう。永劫回帰というわけでもなく、死を許諾しているわけでもないけれど。
 太陽は燦然と輝いていたが、皮膚組織に伝わってくる温度は無く、ああ、そもそも僕は何も感じていない。脊髄に異常があるのだろうか。
 晴れ渡った空だというのに、影の無い雪が降っていた。
 世界は僕一人だけ。
 世界は僕一人だけのもの。
 でもこの日は違った。


 ル、ルル、ルルゥ――……。唄が世界を閉じた。


 ビルの向こうに消える飛行機雲を眺めながら、僕は大学のキャンパスを歩いていた。目的地は激戦区になる前の食堂。時刻は十一時半だけど、このぐらいなら、まだ空いてる席があるだろう。隣にはにこにこ顔の紫苑。何がそんなに楽しいのかと聞くと、小鳥のように首を傾けて、「リンちゃん、楽しくないの?」なんて言い返されてしまった。
 どうやら僕といるだけで、紫苑はハッピーらしい。そういうことが言える紫苑が正直羨ましい。紫苑はハッピーな女の子で、でもやっぱり僕には無理なんだろう。


 在るはずの何もかもが消えるようで、でも街はソコに在る。其処に在っても、ここが何処だか判らない。そもそも在るはずとは、何だろう。僕は何を根拠にそう思ったのだろうか。僕の頭に詰まった不透明な記憶は、全く頼りにならず、確証なんて何一つ無いのに。
 僕は街を歩く。
 歩いて、歩いて、歩き続けていると、二車線の道路に、ぽつんと少女が立っていた。
 僕は独りが好くて、その少女の首に手を回した。
 少女はきっと、苦しくて、苦しくてたまらないはずなのに……
 悔しいくらい、にっこりと微笑む。
 泣きたいほど自分が情けなかった。
 でも僕は決してやめない。
 ほどなくして、少女は死んだ。少女の微笑もうとする懸命な努力も報われず、その死に顔は、ぐえっと舌を延ばし、白目を剥き、凄まじい形相だった。
 いつの間にか手に持ったナイフか何かの鋭利な刃物で、僕は彼女を何度も引き裂いた。ズタズタにズタズタに、狂ったように、彼女を突き立てる。抜いては刺して、抜いては刺して。
 世界は僕一人に戻る。
 すべての僕に戻る。
 ああ、また独りだ。
 かすかに影が揺らいだ。


 ―、――、――――……。無音が世界を閉じた。


 夜。
 ……満月の夜。
 僕の隣で眠る彼女の寝顔はとても安らかだった。
 ズキリ、と心が痛む。
 精神という自分にも痛覚は存在している。それはなんて皮肉だろうか。心と言葉のジレンマは、精神と身体のソレに似ていると思った。
 僕は彼女に告白された時のことを想い返していた。
 去年のカレンダーが最後の一枚になってすぐの頃、つまり一年前の出来事なのだけど、彼女が僕をケイタイで呼び出した。
 突然の彼女の告白に「僕も好きだよ」と、僕は応えた。その時、僕はどんな笑顔だったのだろうか。想像するだけで、吐き気がする。
「本当に嬉しい」ぽろぽろと、彼女は泣いていた。
 僕は嘘をついた。
 ずっと、僕は一人が好かったのに。


 また僕は独り街を歩いていた。なんで街を歩いているのだろうと思う。森でもなく、海でもなく、まして翼で空を飛んでいるわけでもない。どうして僕は彼方まで続く街を歩いているのだろうか。
 偶然、僕の前に少年が通りかかったので訊いてみることにする。
「ねえ、そこのあなた、どうして僕は街を歩いているのかしら? この雪の中、歩くのはとても気が滅入ってきたわ」
 振り返った瞬間、少年はやはり少女だった。だから僕も僕の有り様が変わる。
「ごめんなさい、知らないわ」申し訳なさそうに瞼を伏せて、少女は答えた
「そうか、知らないか」僕は素っ気無く呟く。「じゃあ死んで」
「ええ、あなたが受け入れてくれるまで何度でも死にましょう」少女は優しく微笑んだ。「あなたが幸せになりますように」
 それは果たして、祈りの言葉だったのだろうか。


 ギ、ギギ、ギギィ――……。ゴトリと首が落ち、赤い血が世界を閉じた。


 ……。
 夢を見た。

 狭い狭い部屋の中。
 母は僕を、突き刺した。
 細い細い小径の先。
 母は僕を、置き去りにした。
 深い深い山の奥。
 母は僕を、突き落とした。
 燃える燃える家屋を眺め、
 薄く僕は嗤う。
 ああ、僕は生きている。


 雪が降り続け、世界が白く白く塗りつぶされる。白が、あらゆる存在を呑み込んで、美しく染め上げる。僕の立っている場所から彼方まで真っ白に。僕はその白さに足跡を残すことで、辛うじて僕という存在を証明していた。僕一人っきりの世界で、僕は本当に存在しているのだろうか。だけど僕は、街を世界を、歩き続ける。歩くことでしか、僕は在りえない。
 ――ああ。
 決して溶けない雪の結晶たちが、僕の足跡さえ埋めていく。僕も、いつのまにか、僕が僕と判らないぐらいに白く染まっていた。
 だというのに、少女の髪は黒かった。
「また殺して欲しいんだ?」
「違う、認めて欲しいだけ」
「なんでだよ。僕の前から消えろよ」
「消えることなんて出来ないわ」
 少女の言葉は、忌まわしい呪詛か、さもなくば、誕生の祝詞だ。
 僕は執拗に、幾千回も彼女を突き刺した。


 ズ、ズズ、ズズゥ――……。僕に這い寄る黒い闇が世界を閉じた。


「ねえ、私のこと好き?」
 僕は答えない。
「ねえ、私のこと嫌い?」
 僕は答えない。
「嘘つき」
「……そうさ、僕は嘘つきの恥知らずだ」
 結局――真綿で首を絞められるような幸福に、僕は耐えられなかった。


 世界はノイズで満ちている。
 ザザザザザ、ザザザザザ。
 うるさいうるさいうるさい黙れ。
 大気に渦巻くノイズを僕は睨みつけた。そんなことは無駄と判っていても、判っているだけに我慢できなかった。せめてもの救いが、真っ白い雪がノイズを掻き消すように、降り続けていることだ。だけど、その雪さえも忌まわしい。
 やがてノイズは唄に変わり、唄は祈りに変わり、祈りは少女に変わった。少女は影を伴って、僕に近づく。
 僕は激昂した。
「なんで僕の前に立つ。何度繰り返せば気がすむだよっ。僕は要らない。お前なんか要らない。僕は僕で十分だ! お前なんてこれっぽっちも望んじゃいない!」


 サ、ササ、ササァ――……。白い満月が世界を閉じた。


 ――鏡に映る自分を、僕は好きになれない。
 だから、僕は紫苑に背中を向け合わせたまま、一言も声を発しなかった。紫苑も僕に背中を向けているのだろう。
 ずっと一緒にいる少女に、初めて僕は反発した。
 ささやかで、致命的な反抗。
 首に冷たい手の平の感触。
 紫苑が僕の首をぎゅっと絞めた。
 ああ、そうか。実にシンプルな答えだ。気に入らない世界は、跡形もなく壊してしまえばいい。それがベストだ。作り変えるよりも、きっと壊してしまうほうがずっと楽だ。
 僕をそんなに欲しいなら、体で繋がるなんてまどろっこしいことをせずに、初めから奪ってしまえば良かったんだ。心も体も全部これで紫苑のものになるんだろう。
 だけど何が残る?


 少女が言う。
「私は貴方だから、貴方の言う通りにしようと思う。だって、私は貴方なんですから。色々なところで、貴方は、貴方と私になっているけど、せめてこの街では、私は貴方に戻りたい。でも、貴方は独りが好いの?」
「君は僕だと言うけど、そんなことは、真実どうだっていい。僕はお前なんか要らない。僕は僕だけで十分だ。他の何も要らない」
「貴方は勘違いしている。私を殺すことは、独りに戻ることなの。私は貴方なんですから」
「だったら、僕はどうすればいい?」


 サ、ササ、ササァ――……。木々から雪が落ち、緑の葉が世界を閉じた。


 僕は鏡の前に立った。
 紫苑は本当の意味で鏡だったと思う。心も体も正反対だ。双子なのだから当たり前なのかもしれない。
 紫苑は泣き腫らした顔で僕を見上げた。
「僕は紫苑が嫌いだ。でも少しは好きになれそうなんだ。だから、だから、今更だけど、普通に戻ろう」
 

 いつの間にか雪はとけ、二車線の道路に少女と僕――いや、彼女と彼は立つ。
 彼女は闇で、彼は光で、彼女と彼は相対して双曲に位置し、彼らは二人で歩いていくのだろう。そのうち道路は四車線になって、そこからさらに増え、世界は何処までも広がっていくに違いない。
 陽光の下、二つの影が、そっと手を重ねるように手を離した。


 ザ、ザザ、ザザァ――……。



2008/11/11(Tue)22:02:11 公開 /
■この作品の著作権は晶さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 過去作品を読み直して、観念的すぎるなーと相も変わらず思うわけです。現在執筆中の小説は物語をメインとして、プロット完成するまで暴走は控えようと思ってます。何が大切かって、それは読者が楽しめることなんですけども、作者も一緒に楽しみたいですよね。そのためには精進あるのみです。
 ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
 追記です。自分のペンネーム akiraとか、よさ様で使っていたために間違えてしまいました。利用者規約違反にあたると思い、どうしようかと思いつつ、書き直しました。ごめんなさい。
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