- 『dusk』 作者:雨務雨務 / ショート*2 恋愛小説
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夏の日は潔く、唯、過ぎ去った
雲間の蒼、陽の白さえも忘れて
僕達は、団居に惑い、立ちすくむ
波の端が残した、声だけを抱えて
『dusk』
「ねえ、見て」
夕暮れ時。連れ出された秋の日。
流れるだけの時に身を任せるだけの僕には、珍しく強引な彼女に逆らう道理もない。そうして手を引かれるまま暫時、辿り着いた景色に息を呑む。
眼前に広がるのは只管に赤い夕焼け空だった。
赤い――それだけの空。しかし、全てを燃やし尽くした炎の、散り際の煌きのようなその荘厳さは、数多のつまらない感情をも焼き尽くしてくれる。
鉄筋の林と成り果てつつあるこの街に、まだこんなに純粋な明い景色があったなんて。
けれど、……一瞬の既視感。
この燃えるような赤はまるで――。
「……で、わざわざ呼び出して、何か用か」
僕の口は天の邪鬼だ。
彼女はその様子を見て口元に手を当て苦笑する。それはどこか懐かしい仕草で。どうせ子供っぽいとか思ってるんだろうが、僕は、子供のように自分に正直なままでいられる彼女が時々羨ましい。
「ふふ、最近元気なかったから。ほら、綺麗でしょ。空が真っ赤だよ」
何気無い言葉。
微笑む彼女。
重なる過去。
そして、僕は何も言えなくなる。
例えば、君の声に振り返ると、そこに君は居ないんだ。君に投げ掛けようとした言葉は、衝突を繰り返して終に沈澱する。
例えば、愛しい影に心躍らせても、それは君じゃないんだ。行き場を喪った君への想いは、身の無い残滓だけを浮かべて朽ちてゆく。
そうして、嘘偽りのない僕自身の積み重ねで出来上がったものと、心の底で抱き続けているものとの乖離は絶望的なまでに広がり、僕を引き裂こうとする。
君を想う心とそれを醜いと見做す心。道標を喪い、二律背反の海に独り取り残されて、僕は何も言えなくなる。
蒼い空、白い陽射し。
あれは夏の日。遠い想い出。
「……で、わざわざ呼び出して、何か用か」
僕の口は天の邪鬼だ。君はその様子を見て口元に手を当て苦笑する。
「夏だからね。外は暑かろうと思って、涼しい室内にご招待さ。……といっても、もうすぐ秋か」
アハハと笑う君は、けれど、そのまま咳き込んで倒れた。
助け起こさんと触れた身体は、今にも折れてしまいそうで。逃がさないよう握った手は、涼しい室内に在って尚、陶器のようにひやりと冷たい。
口調が、仕草が自然すぎて気付かなかったが、風邪をひいて寝込んだ僕を「貧弱だ」と一蹴した、一月前の君とはまるで別人のようだ。
暫くして落ち着いた君は、それでも立っていることは出来ずにベッドに横になった。
どうして、無理をさせていることに気付かなかったのだろう。こうしていると病人にしか見えないじゃないか。
「失敗、失敗。もう、身体が言うこと聞いてくれないや」
努めて明るい科白を吐くも、口調はまるでたどたどしい。小さく笑う姿が傷ましくて、僕は目を逸らす。
一瞬の沈黙。冷房の機械音が小さくなる。もう充分に部屋は冷えた。
「……今暫くは大丈夫な筈だから」
沈黙を破った君の弱弱しい言葉に思わず目を上げる。
『今暫くは』
不穏な言い回し。君はゆっくり頷いた。
「今日中に、私は消えるよ」
僕は、そうか、と言った。
「人格が、消える?」
白衣の男の言葉を、唯馬鹿みたいに繰り返したのは更に数日前。
「ええ。正確には入れ替わる訳ですがね。今回の場合、今居る彼女は完全に消えると言って問題ないでしょう。
症状としては、徐々に身体の自由が利かなくなり、それに伴い生理機能も低下、数日の昏睡の後に目覚めた時には本来の人格に戻っている筈です。
我々にとっても相当特殊な、異常とでも言いたいようなケースなので、俄かには信じられないかもしれませんが、……まあ、そもそも代替人格に過ぎない彼女が三年以上も身体を支配していたことが異常なんですがね」
面倒なことのように吐き捨てた男は、すぐにデスクの書類に目を落とした。
難しい言葉はまるでわからないが、男の科白の中で一つだけ気になることがあった。
「彼女の記憶は?」
三年前の彼女は僕を知らない。
男は書類を捲る手を止めると、緩慢な動きで振り返り、さも煩わしげに言った。
「何のための代替人格だと思ってるんです?」
最期の夕暮れ。一日の終わりに、病は落ち着く場所を知る。
白い建物の最上階の清らかな部屋には、大きな窓があった。
君は、そこから眺める世界が好きだった。
「ほら、すごい。空が真っ赤だよ」
白い部屋で、君は言った。
蒼い顔で、君は笑った。
僕は、唯、それを見ていた。
燃え尽きる直前の炎が、君を照らしていた。
――この空を綺麗だと云うなら、あの日の空は何と呼ぶ。
そうして僕は……。
「……ねえ、聞いてる?」
君の、否、彼女の呼ぶ声で我に帰る。目の前には気遣わしげな顔が夕陽に赤く染まっている。
「大丈夫? もしかしてどこか具合悪かった?」
貧弱な、とは言ってくれない。それどころか、殊勝な科白は先ず以て君のものじゃない。……それだけでも夢から醒めるには十分だ。
「……空が」
それは秋の日。始まりの黄昏。
「空が余りに赤いから」
僕らしくない科白――彼女は小さく笑ったけれど、君ならば何と言うだろうか。
「ねえ――」
「行こう」
茜空の下、僕は手をとって歩き出す。
涼しい秋風の中でも尚、握りしめた手は柔らかく、温かかった。
『dusk』或いは人格消滅→了
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2008/10/22(Wed)18:18:00 公開 / 雨務雨務
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■作者からのメッセージ
初めまして、です。キリサメツトムと申します。
意識したのは、一枚の絵画のようなイメージ。或いは所により韻律にも拘りましたが、そちらは割と中途半端です。
短いものですので、一言一言に意味を込めるように、無駄な言葉を省くように気をつけましたが、少々省きすぎた感があります。
校正を携帯電話で行ったので、そちらで見やすいよう改行が多いかもしれません。
その辺りに意見を頂けたら嬉しいです。
ところで、こういう小説は何というジャンルでしょうかね?
当初はshort-shortかな、などと思っていましたが、今思うと余りそぐわないような気がします。
かといって、短編っていうほどの長さはないですし、詩というわけでも……。
こちらもご意見ある方はお願いします。
或いは作品自体の感想や、文章校正上のミスなど、ありましたら是非お願いします。
以上。長々失礼しました。
※10/22upに関する追記:文章校正上のミスを訂正致しました。内容は大差ありません。