- 『無価値土塊 むかちつちくれ』 作者:模造の冠を被ったお犬さま / SF ショート*2
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全角4752.5文字
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原稿用紙約13.8枚
平行世界の未来、月でのできごと。人類は人類と戦っていた。
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無価値土塊 むかちつちくれ
荒野を往くガンマンの長いコートが地を舐めるように、質感を伴う微細なざり……ざり……と響く音が耳を離れない。眠れない。
部屋の窓にかかる薄いカーテンから漏れる閃光には慣れた。手榴弾の爆炎も、花火だと思えば風流にもなる。そう思い込まなければならなかった。それなのに、どこからか砂粒の入り込んだ時計の音に敏感になって眠れない。
大航海時代、ヨーロッパ諸国が他国を討ち滅ぼし植民地にしたように、開拓者を自称するものたちが月に群がるようになってどれほどの年月が経っただろう。最初は、私も有象無象のひとりだった。月の利権争いでもっとも優位にあるといわれたシェパード氏の派遣一団『エンジェルエージェント』に志願し、五年前にこの月面に降り立った。当時荒れていた私は、しかし安寧を求めてのことだった。「月世界は楽園。引く手数多、失業の心配なし。生活の保障もばっちり。今を逃せばもうチャンスはない」その言葉に踊られていざ来てみれば。ゴールドラッシュもアメリカンドリームも吹っ飛ぶ現実を目にすることになる。私はシェパードの私兵として、戦争に駆り出されたのだった。
未開地を発見した人類のとる行動は今も昔もただひとつ。侵攻して占拠して領土とする、陣取りゲーム。私の月世界進出は、陣取りゲームの駒の補充だった。
月のクレーターは日ごとに増えている。
車椅子を呼び寄せる。部屋の暗がりからとろとろと進み出る車椅子は、窓からの光を眩しそうにしている。戦えないこの身となった今でも、簡素とはいえ部屋を与えられているのは、ひとえに功労を認められたからだ。
両肢が吹き飛んで後、新しく私の一部となった車椅子は二年以上の付き合いになる。妻を娶ることのなかった私にとっては、伴侶のようでもあった。
六分の一の重力は、肢を失った私に優しかった。私は二度と星間移動を行わないことを条件に、ひとり残してきた妹にエージェント公式の死亡届を送ってもらった。
部屋の外ではクロスワイズエレベータが待機している。この建屋を移動するにはエレベータを利用する以外にない。エレベータ内部には各種のカメラが設置されており、生体認識のほか持ち物検査や人間ドックまがいのことまで行ってしまう。人間が監視していたり、映像が記録されているということはない。動画保存するにはデータ量が多すぎる上、ほとんどが無意味なデータだからだ。すべては数字上で管理される。私の行動がなぜ見咎められないのか、探りを入れてみれば単純なことだった。
慣れないうちは車椅子の生活をとても歯痒く感じていた。肢があれば難なくこなせるのに、と。それはエレベータパネルの操作にしても同じだった。単なる偶然、慣れない操作がたまたま隠された部屋へのコードを打ち込んでいたらしい。チン、と目的地の到着を告げるエレベータに、地球と変わらない懐かしさを感じる。ドアが開いたとき、ようやく自分の失敗に気付いた。部屋は、床面積では自室の三倍ほど、容積まではわからないが天井は高い。しかし、ある一面を除いてすべて鋼鉄でできているために心理的に息苦しく感じる。
エレベータ正面の壁は剥き出しの岩盤になっている。そこに、迫り出す美しい女性の胸像があった。こちら側を覗き込むように前傾になって、胸部と二の腕までが岩から突き出ている。髪の一本一本はケーブルとなって岩と繋がっている。女性捕虜なのかと目を凝らすぐらいに精巧に造形されていた。私は息を呑んだ。
「眠れないか」
彼女の頬に触れると、長い睫を付けた目蓋が持ち上がる。
最初に言葉をかけられたとき、度肝を抜かれた。降り掛かる不条理と巻き起こる理不尽に精神ががたついていた私は、女性のなりをしているそれにしがみつくように触れた。そうしたら、彫刻だと思っていたものが口を利いたのだ。口振りが外見に似合わない蓮っ葉さで、声質が予想外にハスキーだったために、どこから聞こえたのか何度も頭を振ることになった。
「起こしてしまいましたか」
「 i が眠るときは月が眠るとき」
「詩人ですね」
「お前は赤ん坊のようだな」
「それは、アークが母親代わりになってくれるということかい」
彼女のことはアークと呼んでいる。アーキテクトゴーレム01と名乗った彼女に付けた綽名だ。「それではアーキテクトゴーレムすべてがアークとなってしまう」と言っていたが、私は彼女以外のアーキテクトゴーレムを知らないし、知ったとしてもアークとは呼ばないだろう。
「人間が i の親だ。卵が鶏に成長するように」
「そこは『鶏が卵を産むように』だろう」
「それはエラー。常に卵が先にある。人間が神を創ったのと同じこと」
「アーク、君の発言は兎の跳躍のようだ。論理が飛躍しているとは言わないが、頭の出来が芳しくない私にもわかるように話してくれないか」
「アルゴリズムのサンプル周期を短く採ればいいのか。処理を実行する。
卵が成長して鶏になる。人間が製作してアーキテクトゴーレムが完成する。人間が想像することによって神が生まれる。これらは同じ流れの中にある。ここまでの転送で致命的なノイズはないか」
「いや、私はその流れの矢印方向に悩むんだ。人間がアークを作ったのはわかるよ。でも、鶏は卵を産むし、神が人間を創造したとされている。つまり双頭の矢印、逆もあるのではないかと考えてしまう。その内実を知っているから命題として名高い『鶏が先か卵が先か』に喩えたんじゃないのか」
「チューニングテストだ。知識量・思考内容・理解度にどれほど開きがあるのか確認している」
「アークにテストされているのか。私なんかを人間の水準だと思ってはいけないぞ」
「安全性を見込んで性能を低く見積もることはあってもいいが、余計な卑下は相手を不快にするぞ、エージェントリーダ」
「久しぶりの皮肉だな。怒ってるのか」
心なしか、声が上擦っているように聞こえた。聞こえただけだろう。
「『感情を表現することに意味はない』と、親は i に入力した」
この場合の親とは、人類全体にかかるものではなく、アークを生んだ科学者ということだろう。公理を重んじ定理を発見する科学者らしいといえば、らしい。しかし、ならばなぜアークをこのような形にしたのだろう。話すことができる能力も矛盾だと感じる。アークと会って、いちばんの疑念がそれだ。
アーキテクトゴーレムの目的は集合知。人の思念は時空を飛び交うものであり、それを収集・保持・分類するために製作された。半径五千キロメートル内を通過した思念はすべて採取される。その範囲は、月をまるごと覆う規模だ。ただし、いかに科学技術後期発展期を迎えたとされる現在においても“思念が空を飛ぶ”なんてのは超自然の神秘学でしかなく、科学の分野ではない。奇論でしかない論理を基礎にすえ、本当に情報を蓄積する機械を作りおおせてしまうなど現在の科学力の常識を逸脱している。そんなものはオーパーツ──Out Of Place ARTifactS──、水晶髑髏や恐竜土偶の一種だ。
アークからアーキテクトゴーレムの機能を聞いていたが、その製作者についてはいつ聞いても不明瞭な答えしか返ってこなかった。隠している。アークが、というよりは製作者が自らに関する情報を引き出されないようにロックしていると見るのが正しいだろう。
「おかしくないか、アーク。君のその姿はなんのためにあると思っているんだ。情報をキャッチするだけならば、もっと適したフォルムがあるはずだ。君は明らかに人間と相対するように設計されている」
「個々人のデータも必要。ダイアログ形式をとることで必要なデータを集中的に取得することが可能になる。リーダ、君からも取得している」
「建前を訥々と述べるのは、とても人間らしい行為だぞ」
「人間的であることを感じるのなら、それはそうプログラムされているから」
「それはエラーだ。君の親は、君がどう判断しようとそれに支障がないようにさまざまな思考をカバーする人工知能を積んだ。人間的に振舞うように考えたのは君だ。製作者も予感していたのではないか、君が人間であろうとすることを」
私は、車椅子から降りる。
「なにをしようとしている。やめろ、アーカイブス・ハップル師団団長」
車椅子を掴み、岩盤を殴りつける。
肢を失った代わりに握力は鍛えられた。筋繊維が衰えがちな月面であっても、地球の人間の握力ぐらいはある。肢のない私の体重は60キログラム弱。月面では10キログラム重にもならない。両腕だけで全身を支えるなど造作もないことだ。
「元・リーダ。元・師団団長だ。間違えるなよ」
またしても肢を失う羽目になるとは因果なものだ。二年の付き合いはこれで破局。伴侶とも思える存在の犠牲を払ってまでも、欠片ひとつこぼさない岩盤が憎い。
無常の音だけが虚しく木霊する。
「無駄だ。意味がない。わからないのか」
「けっこう、値が張ったんだがな。この車椅子」
削岩機代わりの機材を用意することは容易だったろう。ダイナマイトなど、爆発物を手に入れることもできた。しかしそれらでは持ち込む手段がない。これがサスペンス映画だったなら、いかにもな車椅子に仕掛けを施して、何食わぬ顔で持ち物検査をクリアするだろう。現実は厳しい。クロスワイズエレベータは車椅子の中だろうと見通し、危険物の持ち込みには機械的にアラームを上げる。
「なにがしたい。物に当たるのはやめろ。 i が気に入らないなら詫びる。許せ」
「無駄だとか無意味だとか、そういうものに価値を見出すのが人間なんだよ」
「だからなんなんだ。サイコパスのほうがよほど理論立っている」
「アークに賭けているんだ。私は君を信じている」
「意味がわからない。なにがしたいんだ。ハップル、答えろ」
「おや、人間の思考を読み解くのが君の存在理由なのに、それができないと言うのかい。まともに動かさないから錆びついているんじゃないのか」
私が手にしているものは、錆びつくどころか半壊している。
「私は君の心に訴えている」
ぴしっ
硬いなにかに亀裂が入った。それは岩盤だったかもしれないし、アークの閉ざされた心だったかもしれない。
「ここは地下なのだろう。君は、地上でなにが起こっているか知っているか。知らないはずはないな。その類稀な地獄耳を生やしているのなら、阿鼻叫喚を聞いただろう。あっけなく肢が吹き飛んだときの、私の情けない声を聞いたか。爆発に煽られてボールのように弾む人間の、声にならない叫びを聞いたか。もんどりうって倒れ、死に往く無念の悲痛を聞いているのか。故郷から遠く──あまりに遠く離れたこの地で──土だけの死の地で──ひとつまたひとつと死んで往く我々の声を聞いただろう。夢を追ってやってきながら、現実とのあまりのギャップに絶句しつつ、死なないために殺す状況に追われた、間抜けな私たちの想いをどんな笑い話に分類してくれたんだ」
アークの表情に変化が見られる。発熱している。
「アークに同情を請うているんだ。応えてくれ、君には感情がある」
岩盤に亀裂が奔る。
前傾がさらに傾く。
ケーブルが端子から外れ、あるいは引き千切られる。ひときわ大きな音がしたかと思えば、右腕が岩盤から引き抜かれている。まだ岩の形状を残している右手は、左手が埋まっている辺りに叩きつけられる。アークの両手が姿を見せた。あとは、時間にして一分もかからなかった。土煙から登場した全身はまさしく女性のそれであり、歳にすれば二十歳前後、均衡のとれた身体つき、身長は私より頭ひとつ低い。相変わらずの端正な顔。
「それで、なにをさせようと言うのだ。私のリーダ」
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■作者からのメッセージ
人間と機械の対話を書きたかっただけです。