- 『灰色。』 作者:カオス / ショート*2 ファンタジー
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全角2701文字
容量5402 bytes
原稿用紙約9.05枚
『毒は甘いと思うかい? それとも、苦いと思うかい?』
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灰色。
夜だった。
月が地上を支配する、そんな夜だった。
絶対的な闇ではなくどこか寂しさを含んだ青が支配する、夜だった。
そんな、寂し気な青の空を一つの影が、月を背景に飛んで行く。
影は翼も持っていないのに、危なげなく空を飛んで行く。まるで、見えない糸で上から釣られているように、軽々と空を飛んで行く。
まだ、若い顔をした影だった。左目に嵌めた片眼鏡が、きらりと月光を反射する。まるで、骨董屋の奥にでも仕舞い込まれていたような片眼鏡だった。その古そうな片眼鏡の奥の瞳は黒だった。影の髪も、服も、靴も全て黒だった。ただ、その黒の中で唇は毒でも塗ったように赤かった。死に絶えたような黒の中で、その赤は禍々しい。不気味なほど、赤い唇だった。その赤い唇がゆっくりと弧を描いた。
そこは、大きな屋敷の前だった。
影はその屋敷の前の空中に、ふわふわと浮かんでいた。ひんやりと冷えた風が、影の服の裾を捲る。影の黒い髪が、掻き上げられる。
月光に照らされたその顔の中で、唯一赤い唇が不気味な程に弧を描いていた。
影は嗤っていた。
地面に出来た影の、影も嗤っていた。
どこか、奇妙な夜だった。
コツコツと硬い音が響く。
地面を歩く音でもない。
ステッキを地面に付く音でもない。
机を指で叩く音でもない。
メトロノームがリズムを刻む音でもない。
それは、影が空中を歩く音だった。
影が空中で歩く度に、コツコツと硬い音が響く。影の黒い靴が、何もない空中を蹴る。何の機械もなしに、人が空中を歩く。手品のような光景だった。幸いと言うべきか、影の足下の屋敷はしんと静まり返っている。
悠々と、影が屋敷の上を闊歩する。今宵の支配者の月は、ただ黙ってその光景を眺めている。
コツ。
影が止まり、音が止まる。
月はただ、それを傍観したままだ。
「見つけた」
影の赤い唇が、微かに、しかしはっきりと、音を刻む。
その前には、大きな屋敷には似合わない、粗末な小屋があった。
雨が降りそうで降らない、はっきりしない、曇り空の灰色の瞳。
白でもなく黒でもない、どちらでもない灰色の瞳。
眼窩に嵌め込まれた外を映す器官は、灰色だ。
どんよりとした、灰色の瞳が窓の外を映していた。ただ映すばかりで、決してその灰色の瞳は外を視てはいない。
灰色の瞳の子供だった。
粗末な小屋の中で、灰色の瞳の子供は、ただ外をその灰色の瞳に映すばかりだった。
ガチャリ。
子供の目の前にあったドアが、大げさな音を立てて開く。
ひんやりと冷えた風が、窓から部屋に侵入する。子供の髪が、風で揺れる。
灰色の瞳が、きらりと光る物を映す。それは、片眼鏡のレンズだった。
窓の外、青い夜空と月を背景に、黒い影が存在していた。
赤い唇が、にんまりと嗤う。
それでも子供は、視ることはしなかった。証拠に、子供は先程から身じろぎ一つしない。まるで、高価な宝石を瞳に嵌め込んだ人形のようだ。
「見つけたよ」
影が唐突に話し出す。冷えた空気を、影の声が揺らす。
「やっと、見つけた」
ふわりと、影が地面に着地する。小屋の窓の前で、影はにんまりと嗤う。
赤い唇が、芋虫のようにぬらりと光った。
「毒は…………」
子供特有の甲高い声。
影の動きが、ぴたりと止まる。
「毒は、甘いと思うかい? それとも、苦いと思うかい?」
灰色の瞳が、小屋の中から影を視ていた。
「…………どっちだと思う?」
子供のひとひねりすれば、すぐ折れてしまいそうな手首には、黒く重厚な手錠が嵌められている。
力なく投げ出された足首には、重々しい鎖が巻き付いている。
「毒は甘いのか、それとも苦いのか」
「貴方は、どちらだと……………?」
「私かい。私は………」
子供は、手錠が嵌められた両手を、窓の外に伸ばす。今にも手錠の重みで、みしりと音を立てて、折れてしまいそうな両手を子供は窓の外に伸ばす。子供の両手が、影の顔を包んだ。影が大して力も入っていない両手に従い、小屋の中へ引き込まれて行く。
子供の灰色の瞳が、影の顔を覗き込む。
土気色をした、とても子供のとは思えない唇が、ゆるやかに声を紡いで行く。
「私はね」
カチリと、片眼鏡と爪が音を立てる。
「毒とは、やはり………」
赤く禍々しい唇に、子供の小さな唇が重なる。
影の赤い唇と子供の土気色の唇が、混じり合う。
人工と天然。
微かな衣擦れの音を立てて、重なった唇が離れて行く。
にんまりと影は嗤ったままだ。
微かに赤く染まった子供の唇が、ゆるやかに言う。
「毒とは、甘くもなく苦くもないようだ」
子供の親指が、影の片眼鏡の真上に置かれる。
「けれどね。一つ分かることがあるんだ」
ガチャリ。
ガラスが割れる。
影の片眼鏡のレンズが、細かな破片になって床に落下する。それを、追うように赤い雨が降って来る。
子供の両手が、影の顔から離れて行く。親指から、赤い血が滴る。
「血は甘いんだ」
舌が親指の血を拭う。血で赤くなった唇の間から、子供にしては立派な犬歯が覗く。
「そうだろう?」
月が空で、にんまりと嗤う。
広い屋敷の、緑豊かな庭からは、朗らかな子供の笑い声が響く。
その声を楽しむように、灰色の瞳の子供は、一人部屋の奥で本を読んでいる。
とても、子供が読むとは思えない革表紙の本が、子供の周りに積まれている。
コンコンと、ドアがノックされ、軋み声を上げながらドアが開く。太陽の光を浴びて、一人のメイドが部屋の中へ入って来る。白いエプロンが眩しい。メイドの手には、ワイングラスが一つ乗った盆が載せられている。
「ひとや様。お薬の時間です」
「ああ、ありがとう。そこに、置いといてくれ」
「かしこまりました」
メイドは、指された机の上にワイングラスを置くと、お辞儀を一つ残して部屋を出て行く。
部屋には子供が、また一人取り残された。
奇妙な薬だった。
毒々しいまでに、赤い薬だった。赤ワインと言うにも、赤すぎる程赤い薬だった。
それでも違和感を感じないのか、それとも慣れているのか、子供はワイングラスの薬を飲み干す。
ペロリと舌が、唇に残った薬を嘗めとる。
「やはり、血は甘いね」
子供は嗤いながらそう、言った。
「ねぇ。魔女もそう思うだろう?」
子供の膝には、黒い猫が気持ち良さそうに寝ている。
その猫は片眼鏡を付けた、なんとも奇妙な猫だった。
顎の下を子供が撫でると、猫は気持ち良さそうに咽をならす。
「毒が甘いか、苦いかは分からないけれど。血は甘いね」
同意するように、猫ーーー魔女が鳴く。
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2008/09/12(Fri)23:50:16 公開 / カオス
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