- 『過去と未来を繋ぐモノ 【第三章】』 作者:コーヒーCUP / 恋愛小説 恋愛小説
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全角14459文字
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この作品は第三章の途中から書かれています。http://novelist.s57.xrea.com/novel/viewer.cgimode=read&id=2008_01_16_02_32_55&log=20080730 初めから読んでみたいという方はこちらからどうぞ。
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綾音さんの運転するワンボックスに揺られてること十五分ほどで旅館についた。車に乗るときにどんな無茶な運転をされるのかとドキドキしたが、神崎が綾音さんにしつこく安全運転をしろと訴えかけてくれたおかげで、特に何事もなく旅館につけた。
車内で零夜君自身から自己紹介を受けた。驚いたことに彼の口調は敬語。死にたがりと同じだった。どうもこれが癖になっているらしく、もう矯正できないそうだ。死にたがりが分かりますと同調していた。今日は西条や神崎も帰ってくると言う事で、綾音さんに連れてきてもらったらしい。
西条から綾音さんの詳しい紹介をうけた。現在二十六歳。何と神崎とは十歳も歳が離れている。二年程前までは大手新聞社で記者をしていたらしいが突然辞めてフリーのカメラマンへとなった。カメラマンといってもうメディアと関わるのは嫌だからという理由で田舎の風景をなどを撮っている。写真集も出していて、結構人気らしい。
どうも西条はこの二人が大好きらしい。綾音さんには尊敬していると自身で言っていた。とうの彼女は照れるわけでも謙遜するわけでもなく、当然よねと笑っていた。
そして今の時代では珍しいほどブラコン……つまり、ブラザー・コンプレックス。必要以上に弟を可愛がっている。今日見る西条はいつも学校で見ている彼女とは少し違った。本当に幸せそうである。
地元に帰ってきてご機嫌な彼女に対し、神崎は不機嫌だった。車の中でもムスッとして口を開くことさえ少なかった。姉という存在が煩わしかったらしい。
それぞれ車の中である程度親交を深めたところで、旅館についた。周りを木々で囲まれていて、夏場なら幽霊が出そうな場所だ。勿論、幽霊など存在しないので出るはずも無い。
旅館の玄関口では西条にこの旅行プランを提案した同級生の子が迎えてくれ、西条はまた懐かしの人との再会に狂喜し、跳ね上がっていた。
対して神崎は懐かしい同級生との再会を「おひさ」の一言ですませた。同級生の彼女は彼の性格を知ってるのだろう。同じくおひさと返した後、変わってないねと付け加えた。
俺と死にたがりはタダで泊めて貰うわけだから当然お礼を言わなければいけない。頭を下げようとしたら、その同級生の彼女は手で制した。
「お礼なんかいらないわよ。私が誘ったんだもの。こんな旅館だけど、楽しんで頂戴」
短い間だけど宜しくねとウインクをされた。彼女の名は樋山若桜(ひやまわかさ)といい、地元の高校に通ってるとのこと。性格が西条に似ていると思う。だからこそ仲良くなれたんだろう。玄関口でも二人でピョンピョン跳ねていたし。
樋山という名前から旅館の名前は『緋山』だ。今は冬だから分からないだろうが、この辺は秋になると山が燃えてるように真っ赤になるという。その光景と樋山という名前をかけたんだそうだ。
彼女に旅館についての大雑把な説明をうけた。食事は全部一階の食堂でとる。部屋は俺と神崎、死にたがりと西条が同じ部屋。お風呂は大浴場があるらしい。
その他もろもろの説明を受けた後、部屋に案内された。死にたがりたちと俺たちの部屋は隣り合っていた。
長い間重い荷物を持っているので早く部屋でじっくりとしたい。
「じゃあ、何か困った事があったらフロントに言って。もし私に用があるようならフロントで私を呼んでくれって言えばいいから」
樋山はそう説明し終えると、手を振って立ち去った。
部屋に入ってからはまず荷物を下ろした。日頃からの運動不足も祟ってか、非常に疲れた。初日だけでここまで疲れてしまうとは予想外だ。
部屋の真ん中にはテーブルがあり、それを挟んで向き合うように座布団があった。神崎はその近くに荷物を放り投げると、すぐさま畳の上に横になった。部屋に暖房がついていて、寒くはない。もし暖房が無かったら、畳など地獄に等しい。
「随分疲れてるな」
横になった神崎にそう声をかけると、まあなという元気のない返答があった。
「ああそうだこの後、俺と那美は地元の奴らと会うんだ。お前らが行っても暇なだけだろうから、ここでゆっくりしとけばいい……まあ、気が向いたらこの近くでも探索してみろ。ただの田舎ってわけじゃないから」
その後、神崎と俺は荷物を整理しながら談笑し、とりあえず来るまでの疲れを癒した。一時間ほど経つと神崎が西条と出て行ったので、昼間から何もすることの無い俺としては暇でどうしようもな時間が訪れた。
寒いから外に出る気にもなれない。死にたがりは何をしてるだろう、などと考えつつ、眠ろうと畳に横になったところで部屋の扉が控えめにノックされた。
死にたがりかなと思いつつ、はいはいと返事をして扉を開けると意外な自分が立っていた。
「こんにちは」
扉の前には零夜君が笑顔で立っていた。最初に見たときから思っていたんだが、零夜君と西条、あまり似ていない。彼のこの控えめな性格もその一つだ。西条はもう癖なのか知らないが、扉は壊すくらいの勢いで開ける。彼の場合は小さなノックだ。
随分と対称的な姉弟だな。
「ああ、零夜君。どうしたの?」
「さっき姉から連絡がありまして、この後暇なんでしょう? 折角遠出してきたんですから旅館で過ごすだけというのもつまらないじゃないですか。ちょっと外に出てみません?」
この敬語口調なところも、とても西条の弟とは思えない、どちらかというと死にたがりに似ている。
「寒いのは苦手なんだけど……」
「姉から聞いてます。大丈夫ですよ、移動は車ですから。無理にとは言いませんけど、月宮さんは来るって言ってましたよ。どうします?」
死にたがりはどうやら承諾したらしい。あいつも西条がいなくなって暇なんだろう。確かに折角来たんだから、ただ旅館で夜が来るのを待つというだけなのもつまらない。折角誘ってくれているんだから、それにのろう。間違っても目の前の彼は西条の弟だ。どんな切り札を用意してるか分からない。
俺は西条がこの旅行を誘ってきた時の事を思い出し、自然と顔をしかめた。
「そこまで嫌なんですか」
勘違いをした零夜君が不安げな顔になる。いや、別に外に出るのが嫌って訳じゃないんだけど。
「いや、違う違う。うん行くよ」
慌てて表情を戻し誤解を晴らすと零夜君は安心しましたと笑顔で言い、駐車場で待ってますと伝えると走り去っていった。急いで部屋に戻って壁にハンガーでかけていたジャンパーを羽織る。室内の電化製品を全て消して、部屋を出て鍵を閉めた。
一階のフロントに鍵を預けて外に出る。寒さが一挙に襲い掛かってきた。ジャンパーのポケットから手袋を出して、それを急いではめる。西条は嘘の情報を流してはいなかった。やはりここは寒い。俺たちの地元より、ずっとずっと。
駐車場に行くとあのワンボックスカーの周りに死にたがりと零夜君、そして綾音さんがいた。彼女は俺が来た事を確認すると、二人に車内に乗り込むよう促す。俺も早く温かい車内に入りたいので足を速めた。
運転席には勿論綾音さん。そして助手席には零夜君。後部座席に俺と死にたがりが並んで座る。
エンジン音が車内に響いた後、車はゆっくりと動き出した。しかしゆっくりだったのは最初だけですぐにスピードが上げる。結構揺れるので三半規管が弱い奴ならすぐに酔ってしまうだろう。
「綾音さん、安全運転に心がけてください。後ろにお客さんがいるのをお忘れですか」
助手席の零夜君が荒くれ運転手に安全運転を促すが、スピードはそのままだ。綾音さんはバックミラーで俺たちを見ると、サングラスをかけた顔で微笑んだ。
「大丈夫。二人とも、根性はありそうね。流石はあの二人の友達だわ」
「僕にはそんな根性無いんですぐにスピードを緩めてください」
零夜君の哀願など聞こえないように彼女は運転する。何度か死にたがりと肩ぶつけてしまい、少し気まずくなる。一応は謝るが、相手も謝り返してくる。会話にならない。
死にたがりはここに来て、更に元気をなくしたように見える。そう丁度前にいるあの二人が登場してからだ。駅に着いたときは一瞬、元気なったなと安心したのだが、旅館に行くまでの車内、明らかに沈んでいた。
けどそれに神崎も西条も気づいてなかった。どうなってるんだろう。直接聞くわけにも行かないので、頭の中で考えることしか出来ない。
「意外でした。斎藤さんが来るなんて」
死にたがりが揺れながら話し掛けてきた。
「折角旅行に来たんだし、旅館に篭るだけっていうのも嫌だからな」
俺もまた揺れながら答える。
「ああそうだそうだ、ねぇ斎藤さんに月宮さん」
助手席の零夜君が体ごと後ろを向いてくる。こんな荒々しい運転の中、そんな体制をとると危ないと思うのだが止める気にはならない。
「姉さんと神崎さん、そっちではどんな雰囲気ですか」
突然の質問に俺も死にたがりも困ってしまう。神崎と西条の、雰囲気。どんな感じだろう。死にたがりは二学期になって初めてあいつらと会ったから知らないだろうが、あいつらは一学期から本当に変わっていない。
知り合ったときからあいつらは恋人じゃないよとお互いに言い続けている。そのくせよく一緒にいるし、その時はとても幸せそうだ。だから傍から見たら、絶対に付き合ってると思われる。当人たちがどれほど否定しても、そう見えてしまう。
言い淀んでいる俺たちの反応が答えになったらしく、零夜君がため息をついた。
「どうせ……お互いに彼女じゃない、彼氏じゃないと言い合いでもしてるんでしょう。それでもよく二人で行動している」
「あっ、そうです」
死にたがりが声を上げて答えると今度は運転席の綾音さんがため息をついた。
「あの根性無し……幼稚園のころからそうなのよ、あの二人。仲良くて、そのせいでよく喧嘩して、それでも一緒にいて。それが小学生まで続くの。中学生になったら何か変化あるだろうって思ってたら、結局変化無し。で、どうやら今もそうみたいね」
綾音さんがくわえていた煙草を灰皿に押し付けた。さっきから煙臭くて敵わなかったのでありがたい。どうやら二本目は吸わないようだ、そのまま運転へ戻る。
「綾音さんの言うとおりなんですよ。僕らとしては早くくっ付いて欲しいんですけど、お互いに意地っ張りでしょ。多分、最後の一線を越えられないんでしょうね。バカみたいでしょ、告白したってふられるわけないじゃないですか」
零夜君は呆れていると同時に、少し怒ってもいるようだ。まあ確かにあんな微妙な距離を保ったままのカップルが目の前にずっといたら、いい加減にしろと怒りたくもなるだろうな。
しかし、あの二人の仲に今更告白などは不要だろ。本人たちは意識してないかもしれないが、傍から見ればラブラブだ。西条も神崎も結構人気のある奴らだ。きっと想いを寄せてる奴らもいる。そんな奴らが告白しないのは、そこにお互いの存在があるからだ。
彼が不機嫌になって助手席に座り直す。すると今度は運転席から声が飛んできた。
「零夜君は去年までずっとあの二人と行動してきたのよ。そりゃあ怒っても仕方ないわ。高校に入っても成長無しか。ホント情けないわね」
「あ、あのぉ」
死にたがりが相変わらずの遠慮がちな声を出す。
「そんなにいけないことなんでしょうか。ほら、やっぱりお互いに意識し過ぎちゃってて、噛み合わないこともあると思うんですけど……」
この口ぶりからだと死にたがりは西条と神崎の微妙な距離を悪く感じていないようだ。俺も悪くは感じていないが、じれったいなと感じることは度々ある。それでも死にたがりの意見は分かる。俺たちのような年頃によくある現象だ。
しかし前の二人は納得しないようだ。揃って首を横に振る。
「確かにそういう時期もあるものよ。けど、そういう時期があの二人は長すぎなのよっ。十年以上も続いてるんだから、そんなのダメダメッ!」
彼女がクラクションをブーッブーッと二回続けて鳴らす。
十年以上も続いていればそりゃ長い。十年だ、それだけあったら火星だって公転を五回できる。しかもその間、零夜君と綾音さんはその微妙なあの二人をじっと見守っている。ストレスだって溜まるだろうなぁ。ましてや零夜君は同年代って事でよく行動をともにしただろう。怒るのも仕方ない。彼としては何か変化があることを、遠く離れたこの地から静かに願っていたんだろう。
神崎と西条の話題で盛り上がっていると、車が急停車する。
「着いたわよ」
まずは零夜君が先頭をきって車から降りる。それを合図のように俺が降り、そして死にたがりも降りた。
そこは小さな湖だった。周りの木々は冬なので葉が落ちている。落葉は乾いて、茶色の土の上にまるで絨毯が敷かれている様にそこにある。邪魔なものがほとんど無いため、湖全体が見渡せる。決して綺麗な湖でもない。落ちた葉が浮かんでいる。
それでも不思議なことに、俺も死にたがりもこの光景に魅せられていた。何かそんな魅力的なものがあるわけもない。それでも車から降りたその場から、じっと動かず湖を見ていた。
死にたがりが湖へと近づく。風がないせいか波もない。湖のすぐそこまで行くと、彼女は水面に顔を覗かせた。
俺はというとひとまず、この小さな湖の周りをを歩いてみたいと思ったので一人で勝手に歩き始めた。湖の周りはろくに道も出来ていない。土と落ち葉の作り出した茶色の絨毯の上を湖を見ながら歩く。
ここに惹かれた理由を何となく理解した。ああ、ここは落ち着くんだ。風もない、人もいない。目障りなものも特に無い。あるのは静寂と湖。この空間に一切、邪魔なものが存在しない。
歩きながら死にたがりと零夜君が話しているのが見る。一人で勝手に歩いていたせいで、距離はかなり離れているので二人が並んで立っているのが見えるだけだ。けど、目を細めると微かに零夜君が口を動かしているのが分かった。
何の話しをしているんだろうか。妙にそれが気になったが、戻って訊きに行くわけにもいかないし、どうせならもっと一人でいたかった。地面を踏むたびに落ち葉が声をだす。それ位しか音が無い。とても心地よい。
ふと、さっき神崎が「ただの田舎って訳じゃない」と言っていたのを思い出した。確かにただの田舎って訳でもなさそうだ。少し油断していた。
一旦進むのを止めて、湖を覗き込んだ。水面に写る自分の顔が僅かに揺れている。凪というわけでもないらしい。しゃがみ込み、手袋脱いだ。一気に寒さが手袋に代わって手を包む。人差し指の先を舐めて立てる。
弱弱しいが確かに風は吹いていた。ただこうでもしないと気づけない程度だ。確認できたらそれでいい。急いでまた手袋を着ける。
ここはいい場所だ。来て良かった。地元で退屈に過ごすより、よほど有意義に違いない。神崎と西条はきっと幼いころからこういう場所を知っているんだろう、良いな。こんな所で育った神崎と西条を少し羨ましく感じている自分がいることに、少し驚いた。正直に言うと駅に着いた時に最初に思ったことは、なんて不便な所なんだろうということだった。
けど今は不便でもこういう場所があるなら、きっと都会などでは得られない物がここにあるはずだ。上手く言い表せないのが残念だ。
立ち上がろうとしたときに後ろに気配を感じた。驚いて振り返ると、そこには煙草に火をつけようとしていた綾音さんがライターを片手に立っていた。
「お、脅かさないで下さい」
「脅かしてなんか無いわ。私はここにいただけよ」
くわえた煙草にライターの火を持っていく。火がついたら、ライターをポケットにしまった。彼女はヘビー・スモーカーなんだろうか。
「落ち着くでしょ、ここ」
彼女が白い煙を吐き出すと、一気に煙草臭くなった。子供の頃から煙草の臭いが嫌いで、喫煙者の父によく自分の前では吸わないでくれと頼んだ。父はそれ以降、所謂「ホタル族」というものになってしまった。
「ええ、邪魔なものが一切無くて、気持ちが良いです」
俺の回答に彼女が煙草をくわえた口で笑った。
「ここの魅力に直ぐ気づくとはやるわね、君。あそこの彼女はまだ気づいてないみたいよ」
そこの彼女というのは恐らく死にたがりのことだろう。あいつは鈍感なのだ。
「綾音さんは今は帰省中なんですか?」
「ううん。一応は仕事中よ。ここら辺の山の風景を撮ってるの。そのために今は『緋山』に泊まってるわ」
「あれっ、実家に泊まればいいじゃないですか」
てっきり神崎の実家にいるものだと思っていたので面食らった。綾音さんは首を振りながら、集中できないのよねと実家に泊まらない理由を説明いてくれた。
「やっぱ落ち着いちゃうでしょう。そういうのは嫌なの。カメラマンは常に神経を尖らして、カメラに抑えるべき一瞬を見極めるんだって、私にカメラを教えてくれた奴がいってたわ。一応、その掟を守ってるのよ」
それは俺には分からない世界だろう。ただ写真と撮れば、シャッターを切ればいいとう問題じゃないんだ。どこにでもある風景。そこに色々なものが交わって、一瞬だけでシャッターチャンスが訪れる。それを逃さないのが、彼らなんだ。
「ここの湖は昔から好きでよく来たけど、今は少し苦手よ。一瞬が分からないの。撮るべき瞬間が、一向に来ないのよ。ここの一瞬を撃ちとるのが私の目標なの。とるのとは撮影の撮って言う字よ」
つまり、撃ち撮る。シャッターという引き金を引き、カメラでその一瞬を撃ち撮る。
「……つまんない話しね」
「そんなこと無いですよ。興味深かったです」
「あら嬉しい事を言ってくれるわ。あの馬鹿弟は私のカメラの話しなんか一度だって真剣に聞いたことないのよ」
彼女は携帯用の灰皿を取り出してそこに吸っていた煙草を捨てた。
俺はここで少し躊躇した。彼女に神崎についてしたい質問があったのだが、それをすべきかどうか。姉弟の間のプライベートな問題に口出しをしていいのか。ここに来てから様子がおかしいのは死にたがりだけじゃない、神崎もだ。
そしてそれは今目の間にいる彼女が現れてからだ。唾を飲み込んで、口を開いた。
「訊きたい事があるんですけど、いいですか?」
「やけに真剣ね。いいわよ、お姉さんに訊いちゃいなさい」
「神崎と、仲が悪いんですか?」
死にたがりとで反省室で過ごした時、彼女に自殺の理由を訊いた。彼女は答えてはくれなかった。しかし、それは訊く前から分かっていたことだ。答えられる質問と、そうじゃない質問。あの時の質問も、今回のも明らかに後者だ。
それを分かりながらどうして問うのか。知りたいから。ただそれだけ。
神崎は車の中でも、旅館に着いてからも明らかに元気が無かった。電車の中では俺をからかっていたくせに、そんな元気はもうなさそうだった。
「別に不仲って訳じゃないわ」
意外なことに彼女はあっさりと答えてくれた。
「昔からあんな感じなの。あいつは私が少し苦手なのよ。それが四年前にちょっと悪化して、今みたいになっちゃっただけ」
「悪化っていうと何か大きな喧嘩でもしたんですか」
彼女はまさかという顔つきで首を振った。だろうな。俺にも兄が一人いるが、兄弟喧嘩なんて長く三日で終わる。四年も続くわけが無い。
「私に恋人がいたのよ。ガキの頃から一緒の奴でね、稲村幸一っていう男。そいつが大学在学中に、いきなり行方をくらましたの」
あまりに大変な事実を告げられて言葉を失ってしまう。行方不明……しかも四年もの間。それって下手をすればもう……。
「あぁ勘違いしないで、そんなに大変なことじゃないわよ」
彼女はそういうと胸ポケットに手を突っ込んで、二つに折られたハガキを取り出して渡してきた。受け取ると表のあて先の所には神崎綾音様と丁寧な字で書かれていて、送り主のところには稲村幸一とあった。
裏には綾音さんに向けられたメッセージが書かれていた。寒くなって来たな、元気でしているか。長い間心配をかけてすまない。龍也は元気か。そして最後の一行には二〇〇六年十一月と書かれてある。
「行方不明って言っても家出よ。自分探しの旅に出るんだって置手紙残して、大学中退して消えたのよ。定期的にそういう手紙をよこすわ」
「じゃあ、生きてるんですね」
「怖いこと言わないで。生きてるわよ、その字はあいつの字。何度もノートを見せてもらった私が言うんだから確かね」
俺は手紙を返しながらその顔も知らない人物が生きてるということを聞いて安心した。しかし、これだけの説明では納得は出来ない。
「その稲村って人の家出がどうしてそんなに……」
「あいつはね、龍也の憧れなのよ。よく知らないけど龍也はあいつに憧れて、那美は私に憧れてた」
西条が綾音さんに憧れていると言うのは『緋山』までの車の中で知った。彼女は綾音さんを尊敬している理由として、女性として強いからだと熱く語っていた。
「龍也にとっては幸一は不思議な存在だったんでしょうね。なんせ、あの姉の恋人という存在なんだもん。自分の天敵の恋人よ。そりゃあ憧れるかもしんないわ。よく懐いてたしね」
再び胸ポケットに手を突っ込んで、今度は煙草を取り出した。魔法のポケットなんて存在するわけないが、彼女の胸ポケットはそれに等しい。口にくわてから火を点けた。
「けどある日当然、自分の憧れが消えちゃった。そりゃあショックだったんでしょうね。その時から私たちの距離がまた開いちゃったわ。私と龍也は、幸一がいたから上手い具合に関係ができていたのよ。けどそれがいなくなっちゃたからねぇ。私もその後すぐ就職して家を出たから、その距離を埋めようとは思わなかった……」
人差し指と中指の間に煙草を挟んで、白い煙を吐いた。行方をくらました稲村さんは、恋人がここまでヘビー・スモーカーになっていることを知ってるんだろうか。
「じゃあ、神崎はただ単に綾音さんが苦手なだけなんですか」
「さあ、それはあいつに聞いて。私が知りたい位だもん」
再び煙たくなってきた。やはりこの臭いは何度嗅いでも慣れることはないな。そんな時がくるのなら、それはきっと俺が綾音さんみたいになったときだろう。
姉の恋人に憧れた弟は、何を思ったのだろう。自分の憧れていた者が目の前から消えた時、彼は何を感じたのだろう。悲しかったはずだが、それでも涙は見せれないだろう。何故なら自分以上に姉が悲しんでるはずだから。男としてもそこで泣くわけにはいかない。
バランスを無くした姉弟は未だに体勢を戻せていない。ずっと、不安手ない関係を続けている。そもそもどうして神崎は実の姉が苦手なのだろうか。
「あっ、面白い事を教えてあげるわ。あなたたちの通ってる高校、あそこは幸一や私の母校でもあるのよ」
それを聞いて俺は合点した。なるほど……だから神崎たちはここの近くの高校じゃなくて、離れたあそこに通っているのか。憧れの人と同じ場所に立ちたい。日頃はおちゃらけてるくせに、胸の中は中々熱い奴なんだな。西条としても神崎と同じ思いだったんだろう。
「話しを聞いて安心しました。仲が悪いのかと、本気で心配しましたからね」
少なくとも不仲ではないと知り安心した。関係が上手くいっていないなら、どうにかしてやりたいと思っていたのだがどうやらその心配はなさそうだ。
「まあ決して良くはないわね。けど、悪くも無い。ちょっとだけバランスが悪いだけよ」
「綾音さん……幸一さんのことは」
恨んでいますか。そう訊こうとしたら、俺の問いより早く答えが返って来た。
「当然。いつか帰ってきたときに、引っ叩いてやるわよ。あとついでに……」
彼女はそう言うと二本の指に挟んだ煙草の先を俺の顔面の前に突きつけてきた。臭いが半端ではない。そして彼女の目。サングラスの向こうの、細く鋭く光る眼光。それが何より怖い。
「根性焼きでもしてもらおうかしらね」
ほんの少し、出会った事もない稲村さんを哀れに思った。きっと、彼女は本気だ。彼が帰ってきたときは、絶対にただですはすまない。
しかし同時にある事を察した。綾音さんは稲村さんがまだ好きなのだ。だからこそ胸ポケットにあんなハガキを忍ばせている。気丈な事を言ってもやはり心のどこかで寂しいと感じているはずだ。そして弟はそれに気づいているだろう。
だからこそ関係が上手くいかないのかもしれない。自分も悲しみたいけど、もっと悲しんでる人間が傍にいて、同情してやりたいが変に同情しても仕方が無いことだと分かる。彼女が寂しがってることくらいは、あの観察力の持ち主ならすぐに分かるはずだ。
結局話しはそれで終わった。しばらくして死にたがりたちと合流し、『緋山』に帰ろうとしたが折角だからということで車で山の中を走り回ってくれた。荒れた山道に荒れた運転のダブルパンチに、俺も死にたがりも零夜君も『緋山』に着いた頃には疲れ切っていた。
部屋に戻っても神崎はまだ帰っていなかった。彼らが帰ってきてから食事だ。それまでの間に風呂でも入っておこう。それと適度に睡眠もとっておかなくてはいけない。今夜は星を眺めなければいけないんだ。眠気は出来るだけ取り除いておかなければいけない。
部屋の窓から身を乗り出して空を見上げる。緋色に染まり始めた空を見て、これから訪れる夜を想像してしまい楽しみのあまり笑ってしまった。
そして大浴場で温泉に浸かりながら、ずっと考えていた。神崎が元気がなくなった謎は解けた。しかしまだ死にたがりの方が残っている。彼女は俺たちに何を隠しているんだろう。無性に心配になるのは、やはり一度自殺し損ねたところに立ち会ったからか。またあのような行為をしないか不安だからか。
それとも神崎の言うとおり俺があいつを……。まさかな。お湯を顔にかける。そんなことは無いだろう。目を覚ませよ。あいつは友達だ。それだけだろう。
何故か自分自身を言い聞かせていた。
▽Side Historian
あのはしゃぎ様はまるで小学生です。私は部屋で一人、お茶を飲みながら夕食後の斎藤さんの様子を思い出していました。西条さんたちが帰ってきて、しばらくしてから皆で食事をとりました。綾音さんも一緒に食事をして、おいしいご飯に楽しい会話と、良いこと尽くしでした。
食事後、暗くなった外に斎藤さんは駆け出していきましたが、神崎さんが一応付き添いと言うことで彼も外に出ました。こういうときは寒いのに耐えれるんですね、あの人は。
西条さんは疲れているからといって、先ほどお風呂に行かれました。私は既にお風呂に入っていたので、何もする事がありません。斎藤さんたちと星を眺める気にもなりません。
今日はただでさえ両親の事で落ち込んでいたのに、あの湖で追い打ちをかけられました。零夜さんの、あの言葉が未だに頭から離れません。
「あなた、未来が嫌いでしょう?」
湖で彼と二人で喋っていたら、唐突に彼は私にそう訊いてきました。予想外の質問に私は後ずさりしたくなりました。彼のあの目。全てを見透かしたようなあの目はしばらく忘れれそうにもありません。
「同じ口調ですから似たようなものを感じますよ、月宮さん」
「何を言ってるんですか」
「年下の僕にまで敬語ですか。よほど敬語がお好きなんですね」
その一言が痛かったです。彼はまるで私がどうして敬語を使っているかを知っているようで怖くなり、その場は適当に言葉を濁しましたが決して誤魔化せは出来ませんでした。
私自身、何故自分が敬語が口調なのか分かりません。ただ、思い当たることがあり、私はそれを必死に否定しています。この口調はきっと生まれつきなんだと自分に言い聞かせています。違うのは分かっています。
私だって普通の十代の学生のような口調で喋っていた時期がありました。いつからこうなったのか。何故こうする必要があったのか。
「僕も口調、敬語でしょう。だから何となく分かりますよ。あなたが敬語を使う理由」
「……何なんですか、あなたは」
彼は小さく微笑むとこう答えました。
「そうですね、強いて言うなら……未来への追放者とでもいうところですか」
追放者。追放された者。未来へ、追放された者。
「意味が分かりません」
私は彼から目をそらして、空を見上げました。
会話はそれで終わりました。零夜君が何かを言ってくる事もありませんでしたし、私から何か言うこともありませんでした。その後は離れた場所で綾音さんと斎藤さんの二人が話している姿を見つけ、何を話しているのかと想像をしていました。
西条さんと私の部屋にはもう布団が敷かれています。私たちの食事中に旅館の方が敷いてくださったのでしょう。今日はもういろんな事で疲れました。
私は布団の上で横になり右の手の甲を額に乗せて天井を見上げます。
今日はもうこのまま眠ってしまいましょうか。心身ともに疲れきっています。けど、西条さんが帰ってくるまでは起きときたいです。せめておやしみなさいという挨拶はしたいです。
ふと頭に両親の顔が思い浮かびました。母は元気でしょうか。ちゃんと食事をしてるでしょうか。父はもう帰ってるでしょうか。ちゃんと母の傍にいてあげてるでしょうか。あの冬の家は、今どうなってるんでしょうか。祖父母から連絡はありませんから大丈夫なんでしょうが、心配でなりません。
ああ、やっぱり斎藤さんたちと一緒に星を見に行けばよかったですね。そうすれば余計な心配はせずに済んだでしょう。とんだ選択ミスです。
私が陽射しを感じて急いで起き上がったのは、それから数時間経った後でした。上半身だけを起こし、周りを見ると窓際で外を眺めていた西条さんがいました。私が起きたのに気づくと優しく微笑みました。
「おはよう、ツーちゃん」
「えっはっ……お、おはようございます」
焦って私はまともな挨拶さえ出来ませんでした。そんな私を西条さんが小さく笑います。
「あのぉ私……」
「私がお風呂から帰ってきたらもう眠ってたわよ」
昨晩の事を思い出そうとしても、ろくに思い出せません。両親の事を考えていたところまでは覚えていますが、それ以降の記憶が一切ありませんから、きっとその後眠ってしまったんでしょう。やってしまいました。西条さんを待っておこうと思っていたのに。
私には掛け布団が掛けられていました。自分でした覚えはありません。きっと西条さんがしてくれたのでしょう。
「実はね昨日の夜は隣の部屋で私と綾音さんと龍也と斎藤君で遅くまで遊んでたのよ。起こそうかと思ったんだけど、斎藤君が疲れたんだろ、起こしてやるなって」
「そうなんですか」
疲れてるというなら皆さんだって同じだったはずなのに、情けないです。私がうな垂れていると西条さんが気にしなくていいのと励ましてくれました。
「それより早く着替えましょう。そろそろお腹も減ったし」
西条さんが言い終えたところで、私のお腹が鳴りました。そういえば昨日は体は疲れていたにも関わらず、両親や零夜君の事で食欲が湧かず夕食をしっかりとっていませんでした。
恥ずかしくなって顔を赤くした私は何故か逃げるようにトイレに駆け込みました。顔の温度が上がっていくのが分かります。ドアの外から西条さんの笑い声が聞こえてきました。恥ずかしくて、しばらく外に出れそうにありません。
結局、十分ほど篭城していましたが西条さんがトイレのドアを叩きながら、もう笑わないよ、だから出てきてと要求してきたので私は早朝の立てこもり事件を終わらせませした。西条さんはトイレから出てきた私を見ても笑いはしませんでしたが、さっきまで大笑いしていたせいで瞼に涙が溜まっていて、それを拭いていませんでした。
結局、特に西条さんが悪いという訳でも無いのに私はもう知りませんと怒り、無言のまま着替えをすませました。
二人で食堂に向かうと、食堂の四人がけのテーブルに既に神崎さんと斎藤さんが腰掛けて二人で眠そうに話していました。私たちに気づいた彼らは交互におはようと挨拶をしてきましたが、私は小声でしか返せませんでした。
そんな私に斎藤さんが「大丈夫か」と訊いてきました。きっと彼の善意や優しさの質問です。
「大丈夫ですっ!」
ムキになって答えると斎藤さんと神崎さんがポカーンとした表情をされて、隣の西条さんが大笑いをしました。それでまた恥ずかしくなります。
私は無言のまま食事をすませました。斎藤さんが時折何か話し掛けようとしてきましたが、結局は何もいってきませんでした。きっと話し掛けられても今はどんな質問でも上手く答えられないでしょう。
しばらくすると食堂に眠そうな顔をした綾音さんが姿をみせました。流石に室内ではサングラスをつけていないようです。サングラスをつけていても、つけていなくても綺麗なお方です。少し髪の毛が跳ね上がったりしていますが、そんなのが気にならないくらい素敵です。
彼女は私たち四人を見つけると、おはよぉとやはり眠そうな声で挨拶をしてきました。
「流石に若いと朝が早いわね。お姉さんには無理だわ」
「単純に朝に弱いだけだろ」
「まあね」
実の弟である神崎さんの指摘をあっさり認めた後、彼女は今日の私たちの予定を訊いてきました。そういえば今日何をするかは聞いていません。そもそも、何か予定をたてているかどうかさえ知りません。
「今日は隣町まで行こうかと思うの。あそこならまだお店とかもあるし」
「ああそう。車が要りそうなら言いなさい」
「うん。そうさせてもらうね。けど今日は大丈夫だと思うわ」
その後、綾音さんと西条さんが話しこんでしまったため、神崎さんが私と斎藤さんに隣町について教えてくださいました。ここから少し離れた場所に、ここよりは田舎じゃない場所があると神崎さんは説明しました。
斎藤さんは寒いのが嫌なのかあまり気乗りでは無かったようです。昨晩はあの寒さの中、はしゃいで星を眺めていたくせに昼になるとこれですか。困ったものです。
神崎さんは呆れを通り越して少し怒っていました。寒いの位我慢しろと言うと、斎藤さんは暑いのならなんと出来たのにと訳の分からない言い訳をしていました。神崎さんの怒りの原因は昨晩、あの寒さの中ずっと彼の天体観測に付き合わされたことだそうです。俺は寒さに堪えたんだからお前も堪えろよと、彼にしては珍しく声を大きくしていました。
しばらくしてそろそろ旅館を出ようということになりました。斎藤さんは渋っていましたが、最終的には折れました。笑顔の西条さんに、渋り顔の斎藤さんに彼を説得する神崎さんに、ようやく恥ずかしさが抜けてきた私。
出かける準備をするため部屋に戻ることになりました。食堂を出てロビーを通りました。ロビーのフロントでは四十代後半くらいの女性がどうやら今来たようで旅館の方から鍵を貰っていて、私が彼女を見ていたため、こちらに彼女が顔を向けたとき目が合いました。
彼女の顔が急に強張りました。私の顔に何かついてるんでしょうかと不安になりましたが、彼女の視線が私から少しずれていることに気づき、彼女が見ているのが私じゃないと察しました。彼女は、私の横に立っている西条さんを見て驚いているのです。
「何し来たのよ……」
不意に今まで来たことも無いような西条さんの声が聞こえて、急いで横を振り向きます。彼女は物凄く鋭い目つきで女性を睨みつけながら、両手を握り締めて震えていました。女性の方は何故か俯いています。
「一体……何しに来たのよっ!」
旅館全体が揺れるんじゃないかと思うほどの西条さんの怒声。そしてそれは、私が初めて見る、彼女の憎しみという感情の表れでした。
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■作者からのメッセージ
色々とありましたがようやく投稿できました。一度投稿した時には上野文さんに「規約違反だよ」と教えてもらい削除。上野さん、報告ありがとうございました。本当に助かりました。
二度目は投稿ミスにより醜態を晒す結果となりました……。
三度目の正直です。第一章から書いていたほうは過去ログへといきましたので、三章の途中からという中途半端なところから投稿させてもらいます。
物語としてはようやく全ての歯車が揃い、そして回り始めてくれました。後はこれらの歯車が上手くかみ合って、ちゃんと動いてくれるのを祈るばかり……。勿論、作者としてもがんばりますよ。
次回はやっと月宮の自殺の件について触れれるかなと思います。どうなるか分かりませんけどね。
第三章もまだ続きます。これは結構長くなりそうです。下手をすれば第二章の長さを超えてしまうかもしれません。気長にお付き合いください。