- 『FAKE Cherry's 【完結】』 作者:Sひかり / リアル・現代 未分類
-
全角112774文字
容量225548 bytes
原稿用紙約375.8枚
ある郊外の街に引っ越した少年。彼は長年離れて暮らしていた双子の兄と共に、一人の小学生としての生活を始めた。しかし、彼らには非凡な素性があり…。
-
【第一話】幼馴染
セミの鳴き声が響く郊外の街、その街の中心部にある鉄筋校舎の小学校に一人の転入生が入ってきた。
「漣渚(さざなみ なぎさ)です、よろしくお願いします」
「今日からこの六年三組に転入した漣渚君です。みんな仲良くしてね」
担任に紹介された少年・渚は軽くお辞儀したあと席に着いた。
「はい、それじゃあ今日は登校日と言うことで、改めて夏休み中の注意の補足と宿題に関しての相談を受け付けます」
担任がそう言うと軽くざわついていた教室も静まり返った。その教室は三十数人の生徒がいたが夏休みである為か三割ほどが空席になっており、冷房の音がかすかに響いていた。
一時間程して担任が授業を終わらせると、数人の同級生が渚の周りに寄ってきた。しかし、同級生の様子は普通とは少し違っていた。
「ねえ、漣って名字はまさか……一組の」
「潮(うしお)の事?」
「やっぱり、潮の兄弟なんだ」
渚がそういうと周りの児童達は一斉に予想通りだったと言う反応を見せた。
「じゃあ、お前も潮と同じ……?」
「いや、僕はあこまで開放的にはなれないな」
「ふ〜ん、そうなんだ。
それじゃあ潮とはずっと離れてたのか?」
「そうだよ、ワケあって離れて暮らしてたけど事情でこの街に戻ってきたんだ」
渚がそういうと同級生達の様子は徐々に通常の状態に戻っていた。すると、
「お〜い、渚〜」
「ん? 何やってんだ潮」
「本当だ、潮君だ!」
渚が振り向くと窓の外に噂の主がいた。
「もう終わったんだろ、ついでだから来た」
「ついでってまたお前朝っぱらから遊んでたのか」
「いいじゃねえか、俺のクラスは登校日じゃないんだから」
「まあいいか、それじゃあ僕は帰るね」
そう言うと渚はカバンを持って教室を後にした。
「あ、またね」
同級生達は廊下を駆ける渚の後姿を見ていた。
「やっぱり遊んでるって、ゲーセンとかじゃなさそうだね」
「そうだよな、何せ潮は彼女が何人もいるって言われてるからな」
「前には先生とも付き合ってたとか聞いたよ、明らかに年上の人と歩いてたのも見られたって」
「でも、潮はいいヤツだし面白いから嫌いじゃないけどな」
渚と潮は話をしながら通学路を歩いていた。
「今日は学校裏の山元さん家に遊びに行ってさ〜」
「いいよその話は、それだからマセたガキとか言われるんだよ」
「それは違うよな、俺はスカートめくりとかはやってないぞ。俺の場合はそれよりも……」
「要するにマセてるってレベルじゃないんだよね。その辺の高校生より上かもしれない」
「そうなんだよ、ん?」
二人が喋ってると突然、潮の胸ポケットから振動音が鳴った、潮はケータイを取り出し通話を始めた。
「もしもし、おうタカシかどうした? ……うん、わかった」
潮は軽く返事をしただけでケータイを切った。
「どしたの?」
「ああ、ダチから相談があるから家で待ってるって」
「それじゃあ、さっさと帰ろうか」
二人は小走りで家路に向かった。
二人の自宅は住宅街の中に建てられた二階建ての一軒家である。
「告白?」
二人が帰ると家には先ほどのタカシと名乗る少年が家の前で待っていた。二人はタカシと共に居間に入っていた。
「うん、迷ってるんだけど……」
「要するに、恋愛相談ってわけか」
「なかなか踏ん切りがつかなくて……」
タカシは詳細を話し始めた。
「つまり、同じクラスの女子に告白したいけどどうすればいいかわからない、と言うわけだね」
「うん……、カナちゃんとは幼稚園の頃から遊んでたけど、最近は女子と遊ばなくなったし」
「まあそういう年頃だからな」
「潮、同い年に言っても違和感があるよ」
「うるせえな、とにかくそのカナって子に告白できればいいんだろ」
渚の冷静な指摘に潮は声を少し大きくして言った。
「どうすればいいかな?」
「そうだな〜、普通に呼び出して告白しても意味がないしな。何か確実性をつけるためのインパクトが……」
「つまり惹かれる要素が必要って事だね」
「何かあったかな〜」
三人が悩んでいると、
「ところで、もう十二時だけど大丈夫なの?」
「え? あ、本当だ」
渚の発言にタカシは時計を見て軽く驚いた。
「ごめん、母さんが怒る前に帰るね」
「気にするなよ、また案が出たら連絡するからその時にな」
「うん、それじゃお邪魔しました〜」
タカシは二人の家を後にした。
「おや、あの子は帰ったのかい」
「あ、お婆ちゃん」
家の奥からふたりの祖母が現れた。
「今日は占い休みなの?」
「今日は星の動きが悪いからね」
二人の祖母はベテランの占い師として活動している。
「これで客来るんだからすごいよな」
「ふ〜む、しかしさっきの子だけどねぇ」
「なあに? お婆ちゃん」
祖母は腕を組みながらつぶやいた。
「吉報が近いんだけど、その前に悪運が見えるんだよね」
「悪運?」
「不吉だな、とりあえず内緒にしておくか」
次の日
「どうしたの? 朝早くから」
渚は潮の呼び出しで図書館に来ていた。
図書館は二人の家の近所にある築数年のきれいな外観であり、建物内は夏休みと言う事もあって多くの学生が来ていた。
「とりあえずあの中を見ろ」
「ほら、あの子だよ」
潮とタカシは図書館内にいた一人の女の子を指差した。そこにはショートヘアーで水色のワンピースを着た少女が入り口の案内板を見ていた。
「あの子が昨日言ってたカナって子?」
「そうだ、タカシはあいつに告白しようとしてるんだ」
「そうなんだ、友達みたいな仲だから返って難しくて」
二人は棚の影から小さな声で話していた、カナはため息をつきながら本を読んでいた。
「でも、何であの子表情暗いんだろうな」
「そう言えばそうだな、タカシ何か知ってるか?」
「いや、最近は会っても軽く挨拶するくらいだから」
三人が話していると、
「あ、こっちに来るよ」
カナは二人のいる棚に向かってきた。
「渚、お前何とか参考になりそうな事聞き出してくれ」
「わかった」
潮とタカシは奥の棚に身を潜めた。
「あら? ひょっとして隣のクラスに転校してきた……」
カナは渚のいる棚に入ると顔を見て気付いたかのように話しかけてきた。
「え? 僕の事知ってるの?」
「だって……、あの女好きで有名な潮君に似てるから」
「……あ、そうなんだ。ところで君はよく来るの?」
渚は呆れながらもそう聞き出した
「ううん、実は調べ物があって……」
「それじゃあ、またね」
「うん、またね渚君」
しばらくして、渚とカナは話を切り上げた。
「どうだった? 何か役に立ちそうな話は聞けたか?」
「とりあえず、潮が何人もの女性と付き合ってることは学年中の噂なんだね」
「それはいいから!」
潮は渚の発言を強く言い返した。
「う〜ん、それが……」
渚が話そうとすると、
「あれ? カナちゃんが……」
カナは一目散に出入り口へ走っていった、
「追いかけてみるね! 話は後でいいから」
タカシはカナの後を追って図書館から出て行った。
「あ、わかった」
「やっぱり、ダメだったかな」
「何だ? ダメって」
「さっき、この本を読んでたんだよ」
渚は潮に一冊の本を手渡した。
「これは……『飼い犬の病気がわかる図鑑』?」
数時間後、
「タカシ、ここにいたのか」
タカシは公園のベンチに佇んでいた。
「あ、潮〜実は困った問題が……」
タカシは二人を見ると覇気のなさそうに返事をした。
「問題ってまさか……」
「カナちゃんの飼い犬が、死んだんだね」
「え? そうだけど、何で?」
渚の発言にタカシは戸惑った。
「さっきの話だと飼っている犬が寝込んでたらしいよ。もう十五歳って言ってたしケータイが鳴った途端に表情が曇ったから」
「そうなのか?」
「……うん、家の前までは行ったけどとても話しかけられなかったよ」
タカシはうつむいてそう言った。
「弱ったな、不幸があったとなると告白できる状況じゃないな」
「どうすればいいんだろ……」
タカシが暗い口調でそう言うと、
「逆に利用すればいいじゃない」
「え? 利用?」
渚の提案にタカシは顔を上げて聞いてきた。
「ちょっと家で話そうか」
「おう、行こうぜタカシ」
三人は潮と渚の家へ向かった。
「これならうまくいくんじゃないかな?」
渚は自分の提案を話すとタカシの顔を見て聞いた。
「すごいけど、本当にうまくいくかな」
タカシはしばらく笑顔を見せたが一瞬表情が曇った。
「何言ってんだ、後はお前の頑張り次第だ」
「そうだよ、思い切って告ればいいんだ」
「わかった! 二人ともありがとう、今から誘いに行くよ」
二人の励ましにタカシは立ち上がって宣言した。
「おう、頑張れよ!」
「それじゃあ、うまく行ったら連絡するね」
タカシはそう言うと部屋を出ていった。
「うまく行くといいね」
「ああ、チャンスは今しかないからな」
「それにしても、バアちゃんが言ってた悪運ってこれか?」
「どうだろう……、本人の不幸じゃないからわかんないけど」
「ありがとう、タカシ君……」
「いいよ、気にしなくても」
タカシとカナは近所の遊歩道を歩いていた。そこは車道の横であるが街路樹と柵で仕切られた数百メートルの道である。
「お父さんはペット葬儀の人と打ち合わせしてるし、お母さんも出かけてるから何していいかわからなくて」
「ここ、座ろうか」
タカシは遊歩道内の脇道に設置されたベンチにカナを座らせた、
「うん……」
カナは軽くうなづきながら腰掛けた。
「…………あのね」
「何?」
カナはゆっくりと話し始めた。
「この道……、よくレオと一緒に散歩してたんだ」
「そうなんだ……」
「他の犬も結構いたけど、レオだけはいつも引っ張ったりしないで大人しくついてきてくれて……」
カナは両目に涙を浮かべながら語っていた。
「カナちゃん……」
「ごめんね、つい思い出しちゃって……」
「使いなよ」
タカシはハンカチを取り出した。
「ありがとう……」
一方その頃、
「ああ、いたいた」
タカシの後を追っていた渚と潮は、遊歩道の近くの建物の陰に入った。
「うまく行くといいけど」
「そうだよな、あんなベタなセリフ使いで良かったのか? もっと思い切った言葉でも良かったんじゃ」
「別に奇をてらってもしょうがないじゃん。状況が状況なんだから」
「う〜ん……まあ見守るとするか」
「レオとはいっぱい思い出があったんだね」
「うん……」
タカシとカナはしばらく話し込んでいた。
「だから……前から調子は悪かったけど、急にいなくなるなんて」
カナは手で顔を覆いながらうつむいた、タカシは両腕でカナの肩をそっとつかんだ。
「あのね、カナちゃん……」
「……なあに?」
ゆっくりと顔を上げたカナの目を見つめてタカシは思い切って言い出した、
「……僕が、レオの代わりになるよ」
「……え?」
カナはその発言に涙を止めた。
「僕はレオとは違うけど……カナちゃんにとって大事な存在になりたいんだ」
「タカシ君……」
「その……それは恋人とか、そうじゃなくて……いやいや、あながち違うとも」
「……うん、私は……」
タカシがたどたどしく話していたその時、
「あ、ごめん、ちょっと待って」
カナのポケットから着信音が鳴った。
「もしもし、あ、お父さん……うん、わかった」
カナはケータイを切ると立ち上がった。
「カナちゃん?」
「ごめん、今日レオの葬儀やるらしいから帰るね」
「え?! カ、カナちゃん?」
カナは走ってその場を後にした。
「おい! 走って帰っちゃったぞ、失敗したのか?」
「どうだろう、ケータイ持ってたし」
渚と潮はタカシに聞こえないように小声で話した。
「ケータイって事は、親に呼び出されたのか?」
「そうかもしれない」
「なんだよ、だからさっさと言っちゃえば良かったのに。まだたたずんでやがる」
タカシは状況が受け入れられずまだベンチに座っていた。
「そうだね……ん?」
渚は周りを見回すと少し先の道路が目に入った。
「どうした?」
「いや、あれが……」
渚は道路を走る一台の軽自動車を指差した、その軽自動車は他の車と違い少し左右に傾きながら走っていた。
「何だあの車、危ない走りしてるな」
潮がそう発言した直後、
「……あぶない!」
突如、軽自動車は左折し遊歩道に迫ってきた。
「タカシ! 逃げろ!」
「……え? あっ……」
潮の叫び声にタカシが顔を上げると、目の前に軽自動車が突っ込んできた。
「……タカシ!」
周りの柵が壊れる音の後、タカシは真横のアスファルトにたたきつけられた。
「……きゅ、救急車だ!」
「う、う〜ん……」
「気がついたか?」
「……え? ここは?!」
タカシが目を覚ますと白い天井が見えた、隣には潮の姿があった。
「病院だよ、お前は車に轢かれて病院に運ばれたんだ」
「……そうなんだ、急に車が見えたから何事かと思った」
タカシはベッドの上でギブスや包帯を巻かれた状態で横になっていた。
「さっき医者が言ってたけど、足の骨折やら肘の捻挫やらで一週間は安静だってさ」
「……とにかく生きてるんだな」
「まあな……」
「ねえ、ちょっと」
渚が病室のドアから顔を出してきた。
「渚、どうした?」
「お母さんは、あと20分ほどで着くって。お父さんも会社は早退してきたそうだよ」
「まあ、そうだろうな」
「それと、潮……」
渚は潮の腕をつかんで病室の外に引っ張った。
「イテテ、何だよ渚!」
「また明日来るからね!」
「あ、うん……」
渚はタカシの病室の隣の待合室まで潮を引っ張りこんだ。
「何なんだよ、渚」
「あれ、見てよ」
渚は階段の方を指差した。
「ん? ……あ!」
そこには階段を早足で上るカナの姿があった。
「シッ! 邪魔しちゃ悪いから」
カナは待合室を通り過ぎてタカシの病室に駆け込んだ。
「あ、カナちゃん!」
タカシはカナが現れたことに驚いた。
「はぁ……タカシ君……」
「……ごめんね……」
カナは泣きながら頭を下げた。
「え?」
「私がタカシ君も一緒に連れて行けば、こんな事には……」
「謝らないで……カナちゃんのせいじゃないよ」
「……それとね」
カナは頭を上げタカシの顔を見つめた。
「さっきの事なんだけど……」
タカシはその言葉を聞くと表情を曇らせた。
「……僕の方こそごめんね、急にあんなこと言って」
「違うの」
「え?」
カナは一呼吸置いてゆっくりと口を開いた。
「嬉しかったんだ」
「カナちゃん……」
「急に言われて戸惑ったけど、私もタカシ君の事は……」
「もういいよね、帰ろう……」
「そうだな、腹も減ったし」
待合室にいた渚と潮は病院から出た。
「それにしても悪運ってこういうことだったんだな」
「まあ結果的には良かったじゃない」
渚と潮は遊歩道を歩いていた。
「見ろよ、さっきの事故の跡」
そこにはひしゃげた柵とベンチが倒れていた。
「さっき、警察官が『タイヤのパンクで操縦しにくくなって運転手がパニックになった』とか言ってたよね」
「そうらしいな、正面じゃなくて斜めにぶつかったから直撃しないで助かったらしいけど」
「そうだね。怪我したとは言え障害とかはないみたいだし」
二人はそのまま遊歩道を離れて家路に向かった。
「だけど、『死んだ犬との思い出の場所で話す』ってのは本当に良かったのか?」
「悲しい事があったんだからその事を避けるわけにはいかないじゃない。いざと言う時だからこそ心に残りやすいってのもあるし」
「まあ、代わりになるというか一緒にいるというか……俺にはそんな歯の浮くセリフは言えないな」
「そうだろうね、小六にして女好きと言われるんだから」
「もうその話はいいだろ!」
二人は笑いながら家に帰っていった。
翌日、街の中心地にある駅のホームに一人の少年が降り立った。
「ここでいいんだよな……あの家に行くには」
少年はメモを見ながら改札へ向かった
「いったい何がどうなってるんだ、誰も教えてくれないなら自分から調べるまでだ」
――――――――――――――――――――
【第二話】再会
『遅い! もっと早く解くんだ!』
ある中年男性が机に向かう子供を叱っていた。
『あなた、もう夜なんですから怒鳴るのはやめてください』
『あ、すまん。今からできるだけ詰め込んでおいた方が良いから、ついな……』
妻と思われる同年代らしき女性の発言に男性は頭をかきながら答えた。
『少し休憩にしましょう』
そう言うと女性はお茶とせんべいを用意した。
『おばあちゃん、さっきTVでやってたお菓子食べたいよ』
先程、机に座っていた子供がその女性に話しかけた。
『ダメです、最近のお菓子は添加物や人工甘味料が入ってて体に良くないのよ。それに、やわらかい物ばかり食べるとアゴが弱くなるからね』
女性は子供の要望をピシャリとはねのけた。
『さてと、あと5分経ったら再開するぞ。今週中に基本的な文法を覚えるんだからな。渚!』
『そうよ、口も頭も悪いあの娘みたいにならないようにしっかりと勉強してもらわないとね』
夫婦は渚と言う名の子供にそう言い聞かせていた。
『……はい……』
渚はしぶしぶと机の上の問題集に目を向けた。
「渚! おい、渚!」
「う〜ん……あれ、もう朝?」
渚が目を覚ますとそこには日光で照らされた見慣れた天井が見えた。
「大丈夫かお前、さっきからうなされてたけど」
潮は少し心配そうに渚に問いかけた。
「ちょっと……、小さい頃の夢を見たんだ……」
渚はつぶやくように答えた。
「そうか……、あのスパルタを受けてた時の事か」
潮は遠くを見つめるような表情で言った。
「……TVでもつけようか」
渚は何気なくリモコンを手に取りTVの電源を入れた
『それでは次は、週に一度の大人気コーナー「サンゴお婆ちゃんのウィークリーチェック」です』
そこには女性アナウンサーの紹介と共に二人の祖母が映っていた。
「今日は婆ちゃんが東京で仕事か」
「本当にわからないよな、占いで本出したからってTVにまで出るようになるんだから」
『今週の山羊座の方はいい出会いがあるでしょう、その際に気をつけることは……』
二人は祖母の占いを聞き流しながら食事の準備をしていた。
しばらくして二人はカバンを持って家を出た。
「しかし、この暑い時に学校見学なんて面倒臭いよな」
「しょうがないよ、この辺は中学を選べるようになってるんだから」
二人が現在住んでいる地域では学区内の数校から進学先を選べる制度になっている。この為、二人は学区内にある中学校の見学会に向かっていた。
「どうせ俺らの所は二校しかないのにな、今日行く下平(しもだいら)中とトンネル挟んだ隣町の加味平(かみだいら)中だけだぞ」
「どっちにしようか、下平の方が近いけど加味平は生徒少ないし」
「まあ、それは見てからゆっくり決めようや」
二人は話しながら下平中学校へ向かった。
しばらくして二人は下平中にたどり着いた。
二人はそのまま鉄筋校舎の一階にある生徒玄関へ入った。
「それではこれから校内の見学を行います。はぐれないでついて来て下さい」
数分ほど他の生徒共に生徒玄関で待っていると、引率を務める若い女性教師がやってきた。渚と潮を含めた児童達は歩き出した女性教師の後をついて行った。
「二回に分けるとか言ってたけど僕ら含めて二十人ぐらいしか来てないね」
「夏休みだから来ない奴もいるだろ。俺だってする事ないから涼みに来たんだし」
「そうだね……ん?」
渚が窓を見つめて視線を止めた
「どうした?」
「いや、あの部屋から大声が聞こえない?」
渚は窓の外から見える校舎の一室を指差した
「そういえば叫んでるような声がするな、応援団か何かか?」
「いや、そこまでの声じゃないような気がするけど……」
二人が小声で話していると、
「ねぇねぇ、渚君……」
「ん?どうしたのミキちゃん」
ミキという名の女の子が渚に話しかけてきた。
「お願いがあるんだけど……後でちょっといい?」
数十分後
「それでは見学会はココで終了します。みんな気をつけて帰ってください」
女性教師は玄関前でそう言うと自分の持ち場に戻ろうとした、
「あの〜、すみません」
「ん?なあに?」
渚が女性教師に話しかけた。
「僕達、もう少し部活動とか見たいんですけどいいですか?」
「う〜ん、まぁまだ午前中だからいいけど邪魔にならないようにね。昼には帰るのよ」
「はい、わかりました」
渚と潮とミキの三人は女性教師と反対方向へ歩いていった。
「う〜んと、この辺でいいかな。少し話そうか」
渚は体育館近くの階段の下に二人を呼び寄せた、潮とミキはと一緒に階段の下にしゃがんで隠れた。
「それで、そのラブレターをサッカー部の先輩に渡したいんだって?」
「うん、一人じゃどうしたらいいかわからなくて……」
そういってミキは話し始めた。
「この間、お姉ちゃんが出てたスポーツ大会で偶然見かけて一目惚れしたんだ……。
だけど、顔と『佐東』って名字しかわかんなくてどうすればいいのかわからなくて……」
「さっき、玄関の下駄箱に入れなかったのか?」
「私もそのつもりだったんだけど、ここの下駄箱は出席番号しか書いてないから……靴にも名字がカタカナで書いてあるからどれだかわからなかったんだ」
「サトウって多いからな〜、ココのサッカー部は三十人ぐらいいるらしいし名字が被ってる可能性もあるだろうし」
「とりあえず直接見に行くしかないね」
三人は立ち上がってその場を離れようとした。その時、
「おや、君達は見学の子かい?」
階段を降りて来た年配の男性教師が声をかけてきた。
「あ、はい部活動の見学をしたくて……」
渚がそう言いながらその場を離れようとすると、
「ん?ちょっと二人とも待ってくれ」
「え?」
男性教師は不思議そうに二人が胸につけている名札を見た。
「蓮……もしかして、サザナミと読むのかね?」
「そうですけど、何か?」
男性教師は表情を変えて驚いた。
「ひょっとして、君達のお父さんはミナキって名前だったんじゃないか?」
「え? 俺達の親を知っているんですか?!」
潮も男性教師の質問に驚いた。
「あなたはウチの父が言っていた山元先生ですか?」
渚は淡々とした口調でそう聞いた。
「ああそうだよ、君達はあの二人の息子のようだね……」
「そうなんですか……話には聞いてましたけど」
潮が山元の話を聞こうとすると、
「潮、僕はミキちゃんとグラウンド場を見にいってくるから。終わったらさっきの玄関に集まろう」
「ああ、わかった」
渚とミキはその場を後にした。
「おや?君達もお父さんと一緒でサッカーやるのかい?」
「いや、まぁ一度見ておこうと……」
三十分後、
潮が玄関で待っていると渚が一人で戻ってきた。
「あれ? ミキちゃんはどうしたんだ?」
「別れた後ですぐに帰ったよ、グラウンドに行く途中に色々あってね」
「色々?」
渚は潮に数ページの冊子を見せた。
「これはさっき貰った見学会の資料じゃないか」
「よく見てよ、所々変わってるから」
潮は言われたとおり文面に目を通した。
「何々……運動会が十一月で全校スキー合宿が三月? また変わった日程だな」
「それだけじゃないよ、生徒会役員は十六人もいるし去年のテスト平均点は八十四点って書いてある」
「確かにこれはおかしいな、でもあの佐東って先輩と何の関係が?」
「実はね……」
渚が詳細を話そうとすると、
「あれ? 潮じゃない?」
二人の背後から女性の声がした。
「その声、まさか……」
「知ってるの?」
潮はゆっくりと振り返った。
「何驚いてるのよ、何度か制服姿で会ったじゃない」
そこには制服姿の女子生徒が立っていた。
「楓(かえで)姉さん……」
潮は目を見開いてそうつぶやいた。
その頃、
「え? サンゴ婆ちゃんは休み?!」
駅ビル内のシャッターの下りたテナントの前に一人の少年がいた。
「仕事で東京に行ってるから『占いの館』なら休みだよ、あの人は忙しいからね」
警備員の男が少年に向かってそう言った。
「困ったな、住所知らないから探すのは大変だし……」
少年はため息をつきながらその場を後にした。
「ですからこれは毎年行っている事でして、大会用の本格的な競技場も使用するのですからある程度は……」
「だからってもう少し安くはならないのですか! ただでさえ道具やら食事やらで大変なんですから合宿費を抑えていただいてもいいじゃないですか!」
ソファーの置かれた部屋でかなりの剣幕で叫ぶ女性を前にして初老の男性が困惑していた。その部屋と扉を隔てた廊下に渚達三人が立っていた。
「なるほど、さっきの叫び声はこのモンスターペアレントとか言う奴か」
「たまに来るのよね、ここまで怒鳴り散らすのは珍しいけど。
暑い時期に運動会するなとか子供を生徒会に入れろとかワケわかんない」
楓は思い出したように言った。
「今は野球部員の親らしいけど、これでもまだマシだよ。
さっきなんて息子を次期キャプテンにしろってうるさかったんだから」
「え? ひょっとしてさっきのミキちゃんの件って……」
楓の言葉を聞いて潮はハッと気がついた、
潮の問いかけに渚は振り向いて口を開いた。
「うん、佐東って人の親がPTAの副会長らしくてさ。
たまたま前通った時に親の隣で偉そうに座ってるの見て幻滅したんだってさ」
「でも佐東くんって控えって聞いたけど、この間の練習試合でも見なかったよ」
楓がそう言い終わる前に潮が玄関の方に振り向いた。
「なるほど、親のすねかじりの身の程知らずじゃ冷めても仕方ないな。用も済んだし帰ろうぜ」
「私も用は済んだからそろそろ帰るわ」
三人がその場を立ち去ろうとすると、
「あっ……」
楓が二人の後姿を見て一瞬、動きを止めた。
「どうしたの? 姉さん」
「いや、何でもないよ……。それよりさっさと帰ろう」
楓はそう言って二人の前に出た。
『あの渚って子の傷……まさか……』
楓は渚のうなじに存在した一本の傷が気になっていた。三人はその場を後にしてそのまま校舎を出た。
「あ、そうだ」
校門を出る時、楓が潮の肩をつかんだ。
「今夜だけど、どうする?」
「そうだなぁ、最近ヒマだし行くよ」
「オッケ〜、それじゃあいつもの所でね」
潮の返事を聞くと、楓は二人とは違う方向へ走り去った。
「今夜って事は夕飯はいらないんだね」
家路に向かう途中、渚が何気なく言った。
「ああ、悪いけどお前一人で頼む」
「いや、僕も今日は出かけるよ」
渚の返答に潮は少し不思議そうな表情をした。
「え? お前今日何かあったっけ?」
「大した用はないけど……、何となく今日はありそうだからさ」
渚は遠くを見つめるような目でそう返した。
「そうか、でも婆ちゃんは今夜には帰ってくるんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、その辺わかってるさ」
「……まぁそうだけどよ」
潮がつぶやくように返事をした。
「そう言えば、さっきの山元先生から何を聞いたの?」
数秒ほどの間を置いて渚はそう問いかけた。
「ん? 多分お前なら大体知ってる事だったぞ、一応説明はするけど」
潮は淡々とした口調で説明しだした。
「母親ができ婚だったから周りの反対で勘当された事、親がどっちも俺らが六歳の時に死んだ事。
後は、中学の時の他愛もない話だな」
「そうか……、まあ親族じゃないからその程度だろうな」
渚は前を向いてそう言った。
「小学生だからって隠したかもしれないけどな。こっちは言われなくても大体知ってるってのに」
二人はその後、黙ったまま家まで歩いた。
「あ〜あ、泊まる所はないしどうしよう……。明日には帰るつもりだったのに」
先ほど駅ビルにいた少年が駅の待合室内にある椅子に座って途方に暮れていた。すると、
「君が私の事を探していたのかい?」
少年の後ろから女性の声が聞こえた。
「え……、あ!」
少年は後ろを振り向いた途端、驚きの声を上げた。そこには少年が探していた漣珊瑚(さんご)の姿があった。
「おい、あれってTVに出てる占い師じゃねぇ?」
「本当だ! サンゴおばあちゃんだ!」
周囲の通行人が騒ぎ出しケータイを取り出し始めた。
「ココじゃ話しにくいから、ついて来なさい」
「あ、はい……」
少年は珊瑚に手を引かれ駅を離れた。
「それで甲一君は渚の素性について知りたくて来たんだよね?」
珊瑚は近くの甘味処に甲一を連れていた。客は珊瑚達以外にはおらず、珊瑚は席に着くなりそう切り出した。
「僕の名前も知ってるんですか?」
「私はやらせや台本なんかじゃないからね、記憶力もいいから渚を里親に出した時の写真を覚えてるんだよ」
「すごい……やっぱり本物なんだ」
甲一は目を見開いていた。珊瑚は甲一の顔を見て笑いながら話し始めた。
「それで、甲一君は親戚に預けられたらしいけどよく来れたね」
「その、先生も訴えなかったんで事故って事ですぐに帰されたんですけど……。祖父ちゃん達は兄ちゃんはもう他人だからって中々許して貰えなくて、家出みたいな感じで来ました」
甲一はゆっくりと答えた。
「あらそう、でもお父さんのケータイ番号は変わってないから後で話しておくわね。今日は泊まっていきなさい」
珊瑚は普通の口調でそう話した。
「え?! でも、兄ちゃんとは会いづらくて……」
「いいのよ、多分今日は誰もいないでしょう。あの子は勘がいいからね」
「……すみません、色々と」
甲一は申し訳なさそうに言った。
「詳しい事は帰ってから話すわ。お腹減ってるでしょうから何か頼みましょう」
「あ、はい」
「すみませ〜ん、注文お願いします」
珊瑚は手を前に上げて店員を読んだ。
「私はアンミツでいいけど、甲一君はどうする?」
「えっと……僕も一緒で」
「アンミツお二つですね、かしこまいりました」
店員は注文を確認すると店の奥に消えた。
「さてと、それじゃあどこから話しましょうかね」
珊瑚は前を向いて甲一の目を見た。
「……本当にいいのね?」
珊瑚の表情が急にまじめになった。
「え?」
甲一は表情の変化に不思議そうな顔をした。
「あなたも平凡じゃ済みそうもないから言ってもいいけど……、渚の事はその辺の子供みたいなやわな話じゃないのよ」
珊瑚は堅い口調でそう言った。
甲一はその発言と雰囲気にしばらく返事が出来なかった。
その頃、
「早かったね、潮」
駅の近くの歓楽街に潮と楓がいた。
「今日はヒマだからさ、姉さんこそ夕飯はこっちで済ませるつもりじゃん」
「まあね、どうせ親は出張でいないから」
潮と楓は話しながらとあるアーケードを歩いていた。周囲には様々な年代の通行人が行きかっていたが、立ち並んだ建造物は多くが暗い外観であった。
――――――――――――――――――
【第三話】頑固
「ただいま〜」
「あら、二人ともお帰り」
時刻は午前八時、
渚と潮の二人はカバンを抱えて自宅に戻ってきた。
「ご飯は食べてきたのかい?」
「うん、朝飯もおごって貰えたから」
「僕もツトムの家で出してもらったよ」
二人はそう言いながら自分の部屋に入った。
「ところで婆ちゃん」
「ん? 何だい、渚」
渚は廊下で服を着替えながら言った。
「甲一はもう帰ったよね?」
「え?」
潮は渚の言葉に驚いた。
「ああ、もう帰ったよ。家族に電話はしておいたけどあんまり長いと怒られるからって」
珊瑚は驚いたそぶりも見せずそう返した。
「甲一ってあの……」
「ところで、潮。ちょっと聞きたいんだけどさ」
渚は潮の発言をさえぎって聞いてきた。
「ん……何だ?」
数時間後、
二人は近所の公園のベンチで同級生と話していた。
公園内では遊具で遊ぶ子供達の声があちこちから聞こえていたが、二人はどこ吹く風とばかりに真剣に話をしていた。
「やめておけ!」
「え……、いや急に言われても」
潮は同級生に強く言った。
「まあまあ、とりあえずツトムの話を一通り聞いてからにしなよ」
渚は潮に諭すように話した。
「うん、とりあえず詳しく話すよ……」
ツトムはゆっくりと口を開いた。
「去年、小学校の文化祭で礁野(しょうの)先輩と一緒に店番やった時に気になったんだけど……。
緊張してその時は話せなかったんだ、その後も卒業まで結局言えなくて……」
「それが何で今更になって?」
潮の質問にツトムは数秒黙ってから再び口を開いた。
「この間、市民プールで偶然見かけたんだ……。一人だったから恋人いないと思って早くしようと」
「ふ〜ん」
二人はツトムの話を聞いて一瞬、顔をあわせた。ツトムの言う礁野先輩は潮のよく知る女子中学生・礁野楓の事だった。
「しかしねぇ……よりによって楓姉さんなんて」
「よりによって、って?」
「あ、いや、何度かあったことあるからさ」
その言葉を聞いてツトムは潮に近づいた。
「マジで? 恋人いるの? 趣味とかわかる?」
ツトムは急に声を大きくして聞いてきた。
「落ち着けよ、とりあえず恋人はいないけどさ……」
「まあ、とりあえずプランを練ろうか。ココは暑いから場所を変えよう」
渚はツトムの肩に触れてそう言った。
三人は図書館の二階にある談話室に入った。
「何でまた図書館なんだ? 姉さんがこんな所に来るわけないだろ」
潮が渚に問いかけた。
「しょうがないじゃん、ツトムの親は厳しいんだからカフェとかで見つかったらうるさいんだよ」
「そうなんだよ、特に父さんなんてメシの時も箸使いだの食べる順だの口うるさくて……」
ツトムはだるそうに言った。
「確か、父親が大学の准教授で母親がマナー塾の講師だったっけ? 今時そんなに厳しいのも珍しいよな」
「うん、昼飯までには帰らないといけないから早めに決めよう」
渚は場をまとめるように発言した。
「それで、礁野先輩に自然に会える状況ってあるかな?」
「そうだな〜、何せ家に帰らない日もあるぐらいだから先回りは難しいぞ」
潮は机に肘をつきながら話した。
「市民プールに会ったのはその時だけ?」
「うん、毎日来てる訳じゃないみたいだし……」
ツトムは聞いてきた渚にむかってつぶやいた。
「友達付き合いとかで遊びに来ただけだろ、普段はもっと高いプールに行ってるだろうから」
「どういう事? 礁野先輩の家って金持ちなの?」
ツトムは潮の発言に食いついてきた。
「金持ちと言うか……、とりあえず親は出張や単身赴任でよく家を空けるってのは聞いたけど」
「それじゃあ……」
その時、
「あ、悪い……、俺のケータイだ」
潮は着信音の鳴ったケータイを取り出した
「もしもし、うん、うん……、わかった、夕方までだからね」
潮はケータイの電源を切った。
「友達?」
ツトムは何気に聞いた。
「いや、実はその……」
「楓さんでしょ」
答えに詰まった潮は渚の言葉に驚いた。
「よくわかったな……」
「え?! 本当に礁野先輩なの?」
ツトムは目を見開いて再び潮に迫った。
「いや、いいカモがいるから来ないかって。午後に駅裏のアプサラスホテルプールで遊ぶんだってさ」
「マジで?! ついていってもいい?」
ツトムは立ち上がり強い口調で潮に頼んだ。
「やめた方がいいよ。アプサラスって高級ホテルだから誰が入場料払うの」
渚がなだめる様に言った。
「確か、プールだけでも子供・八百円だったな。姉さんは一人分の余裕が出来たとか言ってたし追加は無理っぽいな」
「う……、じゃあどうすれば」
潮の説明を聞いてツトムは力が抜けたかのように椅子に腰掛けた。
「潮、プール内でさりげなく「会いたがってる奴がいる」とか伝えられるかな?」
渚はゆっくりと潮に問いかけた。
「ああ、それ位ならできると思うけど」
「それじゃあ、ツトムがラブレター書いて、それを潮が渡すってのはどうかな?」
渚が改まった口調で発言した。
「そうか、それならほぼ会う機会がなくても可能だな」
「……ラブレター……手紙なんて書いたことないよ」
ツトムが小さな声でつぶやいた。
「だったら、今から手紙の書き方とかの本を読めばいい。その為に図書館に来たんだから」
「……わかった、すぐに書くよ」
ツトムは椅子から立ち上がり部屋を出て、一階の書架に向かった。
「お前、その為に図書館来たの?」
ツトムが席を立った後で潮が聞いてきた。
「だって殆どつながりがないんだから、いきなり目の前に現れて告られても戸惑うでしょ」
渚は腕を組んで答えた。
「そうだな、まあツトムの家じゃ母親いるから話しにくいよな。相手が姉さんなんだし」
「昨夜だって宿題教えあうって理由で泊まったからさ。爺さん程じゃないけどツトムの親は厳しくてやりづらい」
渚は窓の外を見ながら言った。
「どうした? 厳しいからってあのジジイの事思い出したのか?」
潮は不思議そうに言った。
「それがさ……、聞いてみたらツトムの父親はあの爺さんの元でやってたんだってさ」
「マジか?! あのお前をしごいたスパルタジジイの教え子かよ」
潮は強い口調で言った。渚の言う爺さんとは親の死後に半年間、渚を引き取っていた大学教授である母方の祖父の事である。
「うん、今は教授である爺さんがちょくちょく入院してるから次期教授も時間の問題らしいけどね」
「それじゃあ厳しくもなるよな、父親があのジジイの教え子じゃツトムも大変だ」
潮はため息をつきながら言った。
しばらくしてツトムが何冊もの本と一枚の便箋を持って戻ってきた。
「何とか書いてきたよ」
「まあ一枚でいいよ。それより連絡手段はちゃんと書いたよね?」
「もちろんだよ、ちゃんとケータイ番号書いたから」
渚の質問に答えると、ツトムは潮に便箋を渡した。
「コレを渡せばいいんだな、俺からは直接紹介しないから手紙の内容次第だ」
「自信はあるよ、精一杯書いたんだから」
ツトムは早口で潮に言った。
「わかった、後でしっかりと渡すからな」
潮ははっきりと言った。
「ところで、そろそろまずいんじゃないの?」
渚は室内にかけられた時計を見て言った、時刻はすでに十一時を過ぎていた。
「本当だ、十二時には家にいないと母さんがうるさいだろうな……」
「じゃあ、この辺で解散にしようぜ。俺はメシ食ったら行くから夕方にはまた電話する」
「わかった! それじゃあ頼んだよ」
ツトムはそう言うと部屋の扉に手をかけた。
「またね、ツトム」
ツトムが図書館を出た後に二人も家路に向かった。
「手紙の内容は見てないけど、どうなるだろうな」
潮は歩きながらつぶやいた。
「成功率は低いだろうね、半日一緒なだけじゃ覚えてないだろうし……姉さんはアレやってるし」
渚は一旦間を置いてそう話した。
「アレ、か……。でも、逆に同世代は新鮮だからって良い方向に行く可能性もあるけどな」
「とにかくやるだけのことはやらないとね」
二人は話しながらセミの鳴き声の響く道を歩いていた。
その頃―
「事故に……スパルタに……トラブル、かぁ……」
甲一は走る電車の中で昨夜、珊瑚から聞いた話を思い出していた。
『渚の両親は六歳の時に事故で死んでね、潮とも離れ離れになって母方の祖父母に引き取られたんだよ』
『…………そうなんですか』
甲一は珊瑚の言葉に驚きを隠せなかった。
『その祖父母が時代錯誤なぐらい厳しかったらしくてね、心配していた矢先に親族のトラブルに巻き込まれたから里親に出したのさ』
『トラブル?』
甲一の問いかけに珊瑚は下を向いた。
『聞くかい? どうするかは任せるよ。……とても信じがたい話だからね……』
「……聞いてよかったのかな」
甲一は視点を窓の外に戻した。目の前には青空と大きな入道雲が見えた。
時計が午後二時を回った頃、ツトムは再び図書館に来ていた。
「本当?」
『うん、さっき潮から「手紙は渡した」ってメールが着たんだ』
ツトムは図書館の出入り口の隣にあるロビーで、設置されている公衆電話から渚と通話していた。ロビー内には数台の椅子が置かれていたがツトム以外の人はいなかった。殆どの来館者はロビーの脇を素通りして書架に入って行くからだ。
「良かった。でも大丈夫かな……」
『それは何とも言えないよ。とりあえずあと二十分ぐらいでそっちに行くからね』
「うん、わかった」
そう言ってツトムは電話を切った。
「ふぅ……返事は明日の待ち合わせに来るかだけど、大丈夫かな……」
ツトムはゆっくりと設置されている椅子に腰掛けた。すると、
『続いては、「夏休み特別企画・子供の安全を考える」です』
ロビーの中央にある大型テレビの音声が耳に入った。
「ワイドショーか」
ツトムは何気なくテレビ画面を見つめだした。
『今回は五年前に起きた「北砺市小学生暴行事件」を基に、子供が事件に巻き込まれた際の……』
ツトムはアナウンサーの言葉を聞いて思い出した。
「あの事件から五年経つんだ……。小一だったからあんまり覚えてないけど」
テレビ画面には資料と書かれたテロップと共に何枚もの画像が映し出された。
『今から五年前の五月某日、×県北砺市の繁華街で当時小学校一年生の男の子と小学校二年生だった女の子が、男女六名に暴行を受ける事件が発生し……』
「そう言えば二人ともウチの学校の生徒だったっけ。クラスが違うから名前も覚えてないけど、あの駅前の繁華街はしばらく近づくなって言われたっけ」
ツトムはつぶやきながらテレビ画面を見ていた。
『男の子は保護者であった伯父の借金のカタとして暴行され、偶然にも家出中の女の子が目撃した事で犯人の一人に捕まり……』
「酷い事をするんだな。借金にその二人は関係ないだろう」
『兼ねてからこの繁華街では未成年者の売春が行われており、現在でも摘発者が後を絶たず……』
ナレーターはその後も淡々と事件の詳細を語っていた。
数時間後、
ツトムは渚と共に図書館を後にしていた。
「あのさ、一つ気になってるんだけど……」
ツトムは歩道を歩きながらツトムに問いかけた。
「何だい? ツトム」
「あのホテルのプールに行ったのって、合コンじゃないよね?」
「まさかぁ、後のメンツはオッサンとかオバチャンって潮も言ってたし」
渚は心配そうな顔をするツトムにそう言い返した。
「親戚かな? それならいいんだけど……」
「詳しくはわからないけどね」
「うん……、それじゃあまたね」
そう言ってツトムは渚とは別の道に走っていった。
「知らないよね……、楓さんが普段どうしてるかなんて」
渚はツトムの後姿を見ながらつぶやいた。
「さてと……」
渚はケータイ電話を取り出して潮の番号にかけた
「もしもし? もうそろそろ帰り?」
『ああ、今着替えてるから。姉さんも今日は家に帰るらしい』
「わかった、じゃあ一応行って見るよ。それじゃあ後で」
『ああ、後でな』
渚はケータイを切った
「行くか」
そのまま渚は駅前に向かった。
「よぉ、来たのか渚」
潮はプールの出入り口の前にいた渚に声をかけた。
「うん、一応確認しようと思ってさ」
「そうか。俺は用が済んだからこのまま帰るけど」
潮がそう言って帰ろうとすると、
「あらそう、それじゃあ渚君。どこか食べに行かない?」
楓が後ろから話しかけてきた。
「珍しいね、姉さんが歳の近い奴と食いに行くなんて」
「はいはい、行かない奴はとっとと帰った、帰った。」
「は〜い、それじゃあまた今度」
潮はそう言いながらその場を後にした。
「いいんですか? 僕も行って」
「いいのよ。このホテルの上の方にカフェがあるから行きましょう。フリーパス持ってるから」
楓はそう言うと渚の手をつかんでホテルの入り口に向かって歩き出した。
楓と渚はホテルの展望台にあるカフェに入った。そこはテーブルが十卓ほど置かれていたが客は数名しかいない静かな店だった。
「あのラブレターけしかけたの渚君でしょ?」
店の奥の席に着くと楓はそう切り出した。
「そうですけど、何か?」
「今時ラブレターとか年下なんて逆に新選だもん。明日気が向いたら行こうかな」
「ハハハ、あくまで気分次第ですか」
渚は笑いながら言った。
「ご注文の方はお決まりでしょうか?」
店員がテーブルの前にやってきた。
「注文どうする? 私はコーヒーとナポリタンにするけど」
「それじゃあ……、ココアとミートソースのヤツで」
「では、ご注文の方繰り返します」
店員は注文を確認すると厨房に戻って行った。
「それでね、大事な話なんだけど」
「何ですか?」
楓は店員が去ると、まじめな表情で言い出した。
「私達、この間が初対面じゃないよね?」
楓は思い切って話し始めた。
「潮に初めて会った時から身内にいるんじゃないかって思ってたけど……、やっぱりそうだったのね。あの五年前の……」
渚は楓の言葉を黙って聞いていた。
「思い出したくないだろうけど大事な事だから……」
渚は楓の言葉を聞きながらシャツの襟をめくった。
「この傷でしょ?」
渚のうなじには数センチほどの短い切り傷の後があった。
「やっぱり……あの時の子だったのね」
「最初から気付いてましたよ。楓さんがあの時のもう一人の子だったことも、それがきっかけでアレの常連状態なのも……ね」
「そう……」
楓は渚の返事に一言だけ返した。
「……料理が来たみたいですね。こっち側には僕らしかいないですから」
渚は料理を運ぶ店員を見て言った。渚の言う通り、他の客は出入り口付近に座っており周囲に客はいなかった。
「そうみたいね……」
楓は小さな声で言った。
――――――――――――――――
【第四話】尚早
八月のある晴れた日
「そうか、楓さんちゃんと待ち合わせに来てくれたんだ」
「本当良かったよ! 協力してくれてありがとう!」
児童の話し声があちこちから聞こえる教室で、ツトムは渚に対して嬉しそうに言った。この日、渚達の通う小学校では六年生の学年登校日であった。
「ケータイのアドは教えてもらったって行ってたけど、どこか行ける所あるの?」
「それが、図書館と市民プールぐらいしかなくて……遊園地とかは遠いしお金かかるし」
ツトムは悩んでいた。
「まあ、楓さんは金持ってるけどね。いくら年下でも頼りっきりは複雑か」
「そうなんだよ、楓さんは家に泊まらないかって言ってたけど、ウチの親がうるさいし」
すると、廊下から潮がカバンを抱えて渚とツトムの前にやってきた。
「それよりさ、登校日だってのに三時間目まであるってどういうことだよ? 二時間連続で話聞くだけってのも疲れるぞ」
潮がだるそうな口調で言った。時計は十時半の少し前を指しており、今は二時間目が終了した休み時間であった。
「さあね、夏休みの注意と進学説明とアレらしいけど、二時間にまとめてもいいよね」
渚は机の上に置かれた中学校のパンフレットを手に取った。
「下平が四クラスずつで加美平は二クラスずつだよね? 何でこんなに差があるんだろうな」
ツトムが不思議そうに言った。
「過疎化しかけて潰れる数校をまとめた所だから、何とか二クラスに出来たって感じだよ。
うわさによると近くの小学校と合併するって話も持ち上がってるらしい」
「そうなんだ。でも加美平は遠いからほとんどは下平行くらしいね」
渚の回答にツトムはそう返した。
「でも、パンフにある通りワケあって加美平に来る奴もいるらしいな。寮も作られたから」
潮の言葉にツトムはまたも不思議そうな顔をした。
「ワケって?」
「ああ、加美平は山と海が近いから病気の療養とか、家庭の事情とかが多いらしいぞ」
「ふ〜ん、そうなんだ」
ツトムは潮の回答に納得した素振りを見せた。
しばらくすると、渚達のいる教室にカバンを抱えた男子児童が続々と入ってきた。
「そろそろ時間だけど俺はどこに座れば良いかな?」
潮は時計を見て渚に聞いた。
「僕の隣で良いんじゃない? どうせ皆適当に座るんだし」
「大丈夫か? お前の隣の女子を狙ってる奴とかいないのか?」
潮は何故かまじめな口調で言い出した。
「まさかぁ、漫画じゃあるまいしそんな小学生いないよ」
「ハハハ、それもそうだな。椅子ぐらいでイチイチこだわらないか」
潮は笑いながら席に着いた。
「ところで、なんで三時間目は男女で別々のクラスなのかな?」
ツトムが渚の前の席から聞いてきた。
「そういや去年は体育館に全員集まってたよな。今年は別々ってのも変だよな」
潮もその言葉を聞いて疑問を感じていた。
「あ、先生が来たよ」
渚がそう言うと、廊下からジャージ姿の男性教師と白衣を羽織った養護教諭が教室に入ってきた。
「鷹橋(たかはし)がジャージなのはいつもの事だけど、なんで尾野田(おのだ)先生は白衣なんだ?」
「冷房が苦手らしいよ。冷え性にも悩んでるとか言ってたし」
潮の質問に渚が淡々と答えた。尾野田と言うのは普段は保健室に常駐している養護教諭で、二年前に資格を得て赴任したばかりで黒髪ロングヘアーの若い女性である。一方、鷹橋は三十台半ばの男性教師であった。
「……三十三、三十四。よし、男子は全員来ているな。今から尾野田先生がアンケートを配るから正直に書くんだぞ」
鷹橋が男子児童の数を数え終えると、尾野田は各列にアンケート用紙を配った。
「何この、「性教育事前調査書」ってのは?」
ツトムが用紙を見て言った。
「とりあえず正直に書けばいいんだよ」
渚はそう言いながら用紙に鉛筆を走らせた。
「そう言われても難しいな……」
潮は頬杖をついて悩みだした。
「わかんなかったら大まかでいいんだよ。何十人とか」
「そうか、それもそうだな。え〜と……」
渚の言葉に潮は数秒ほど考えてから回等を書いた。
「よし、後ろから裏返しにして回収だ」
五分ほどで鷹橋の指示により、最後尾から用紙が前に回された。尾野田は用紙を一枚、一枚確認しながら最前列の席に来た用紙を回収した。
「一応、ここで今の回答から二手に分かれる事になっているが……、まあ多分このままだろう」
「分かれるってどういう基準すか?」
鷹橋の言葉にある生徒が質問した。
「ん? わからん奴はこれから説明するが要するに経験って奴だ。男子は学年で一人いるかいないかだけどな」
鷹橋がそう言った直後、
「先生、三人だけ進路相談室に移動です」
尾野田が用紙の束を揃えながら言った。
「え?! 本当ですか?」
鷹橋は驚いて用紙の置かれた机に駆け寄った。そこには三十枚程の用紙の束と、その隣に三枚の用紙が置かれていた。
「……まさかいるとは思わなかった。女子でもこれまでに数人しかいなかったって言うのに」
鷹橋は分けられた三枚の用紙を読んでゆっくりとそう言った。教室内は先ほどの尾野田の発言から状況を理解できない児童達が騒いでいた。
「それじゃあ、漣兄弟と磯山ツトムくんは私についてきてね」
「え? オレも?」
ツトムは名前を呼ばれたことに驚いた。
「いいからさっさと行こうぜ、長引くと帰りが遅くなるだろ」
潮はツトムの肩に触れて言った。
「あ、うん……」
他の児童の好奇の目にさらされながら、渚達三人は自分のカバンを持って廊下に出た尾野田のあとをついて行った。
「それじゃあ、前の方の席についてね」
校舎二階にある進路相談室の前につくと尾野田は扉を開けて中に入った。その部屋は普通の教室と同じ内装であったが、違いとして机と椅子が十脚しか並べられていなかった。渚達三人は黙って黒板付近に置かれた席についた。
「さてと、とりあえずあなた達が書いたアンケートの中身だけど、磯山君以外は呼ばれた理由がわかってないみたいね」
尾野田は黒板の脇に置かれたパイプ椅子に座り、先ほどの三枚の用紙に目を通した。
「はい、アンケートはササっと書いただけで……」
ツトムは尾野田の言葉にゆっくりと返事をした。
「渚君と潮君はわかってるのね。さっき鷹橋先生が言ったとおり三人も別室移動なんて初めてね」
尾野田は少し笑いながら言った。
「そんなにすごい事書きましたっけ?」
潮が冷静な口調で返した。
「何言ってるの、潮君は『小三、六十人ぐらい』って書いたじゃない。こんなに多いの君が始めてよ?」
尾野田は潮の書いた用紙を掲げてそう返した。
「そうですかね〜」
「お前今、完全にわかってるだろ。大人でもすごいじゃないか」
とぼける潮に対して渚が横から指摘した。
「渚君も『小二、五人』ってのは普通にすごいじゃない。いつかこういう生徒が来ると思ってたけどね」
「先生、そろそろツトムに説明してやってくださいよ」
渚は口を空けたままの状態のツトムを指差して言った。
「そうね、磯山君みたいに『彼女あり』って答える子は他にもいるけど、君はちょっと特殊みたいだから呼んだの」
尾野田はツトムの横に来て話しかけた。
「でも、まだ付き合い始めたばっかりだから……」
ツトムはたどたどしく返した。
「多分、今は普通のデートだろうけどね。相手が相手だからそこまで行くのは早いんじゃないかな」
尾野田の助言にツトムの前に座っていた潮が振り向いた。
「楓姉さんの事知ってるんですね」
「やっぱりあなたも知ってるのね」
潮の発言に尾野田が反応した。
「あの子は去年あなたぐらいの事を書いて先生たちがひっくり返っちゃったの。それまでにも経験ある子は毎年いたんだけどね」
「それじゃあ女子はどうしてるんですか?」
「女子は分かれないで別のプリントを渡すだけで対処してるんだけど、男子は予想外だったみたいね」
「なるほど、何十人もの前で経験者だってバラされたから、下手すりゃ親が恥をかかされたって乗り込む可能性も有りますね」
尾野田の説明を聞いて渚が納得したように発言した。
「ということは、先生もあの繁華街の……」
「そうよ……、昔の事だけどね」
潮が言いかけた所で尾野田がつぶやいた。
「ツトム、その内に楓さんから聞かされるだろうから今は黙っておけ」
「うん……」
一人、場違い感のあるツトムに渚がそう助言した。
「なるほど、磯山君はあの子と付き合ってたのね。それなら教える必要はやっぱりなかったわ」
そう言うと、尾野田はツトムに数ページ程の冊子を渡した。
「……これは?」
「保健体育の資料よ。この二人には必要ないからね」
ツトムは疑問に思いながらも冊子をカバンにしまった。
「あなた達はもう帰っていいわよ。確認だけしたかっただけだから、指導も必要ないだろうし」
「いいんすか? 他の連中は時間まで指導を聞かなきゃいけないんでしょ」
潮が尾野田の発言を聞いて聞き返した。
「いいのよ、登校日はあんまり重視されてないから」
「は〜い、それじゃあ帰ろう」
渚がそう言うと三人は教室をあとにした。
学校を出た三人はそれぞれ自宅へ向かって帰った。渚と潮はツトムと分かれた後、車通りの少ない住宅街の道路を歩いていた。
「それにしても、渚」
「何だい? 潮」
潮が何気なく話し出した。
「尾野田先生なんだけどさ、前から怪しいと思ってたんだ」
潮は急に真剣な表情になった。
「怪しいって、アッチ方面に詳しいってことか?」
「ああ、前に聞いた事あるんだけど……黒髪ロングヘアーの人が一昔前に知られていたらしい」
潮はかみ締めるように言った。
「それで?」
「確か名前は……、アユミだったとか」
潮がそう言うと渚も口を開いた。
「あの先生の名前、「尾野田鮎実(あゆみ)」だったな」
「だろ? いいのかよ、教諭として」
「過去の事だからいいんじゃない? 最近は見ないんだろ」
渚は冷静に返した。
「まあ、ここ数年は見なくなったって聞いたけどよ……。やっぱり……俺達以外にもいるんだからな……」
潮は空を見上げてゆっくりと言った。
「そうだな……、さっきの話聞いた限りではいてもおかしくないよな」
渚は冷静な口調で言った。
「……楓姉さんと話した時も、そんな事言ってたんだろ?」
「うん、お互いあの時の仲だって気付いていたから、改めて話すこともなかったよ……。僕ら以外にもいるってぐらいしか話題がなくて」
「いろんな意味で裏だからな……俺達がいるのは。何人いるかわかりゃしないな」
いつの間にか、渚も潮も冷静な口調で話していた。二人は太陽が照りつける道路を歩いて帰路についた。
その頃、
「なるほど、やっぱりそういうことだったんだ」
甲一は祖父母の家でパソコンをやっていた。画面上には潮がよく行っている繁華街の画像が映っていた。
「でも、問題はもう一つの事だな。兄さん達が事件にあった後、どうしたのか……」
甲一はキーボードのキーを叩いた。すると、
「お〜い、ご飯だよ〜」
廊下から祖母の声が聞こえた。
「あ、今行くよ〜」
甲一はパソコンの電源を落として部屋を出た。
――――――――――――――――
【第五話】純粋
「二十分か、結構早く終わったな」
渚達を含めた十数名の生徒は校舎見学が終わると生徒玄関の付近でそれぞれ話し込んでいた。この日、渚達は加味平中学校の学校見学に来ていた。
「来年から隣町の小学校と合併するぐらいだからな、クラスもギリギリ2組だしそんなに紹介する所もないんだろ」
潮が資料を広げながら言った。
「まあ、あの病院の方がメインだから潰れないだろうけどね」
渚は校舎の隣にある建物を指差してそう言った。そこには、『歌護山(かごやま)総合病院』と書かれた四階建ての病院があった。
「療養に来る奴が多いらしいな、学生なんかも学校併設がメリットでよく来るって言うし」
潮がそう言うと、
「潮〜、ちょっと頼みがあるんだけど」
後ろからツトムが声をかけてきた。
「おう、どうしたツトム?」
「実は……、あんまり大きな声で言えないんだけど」
ツトムは潮に耳打ちをした。
「……なるほど、わかった」
潮は納得した表情でツトムから少し離れた。
「渚、先に帰るから悪いけどコレ渡しておいてくれないか?」
潮はそう言うとリボンの巻かれた片手に収まる程の白い小箱を渚に投げ渡した。
「何コレ? 番号が書いてあるけど」
その小箱にはリボンと箱の間に『102』と書かれたメモが挟まっていた。
「あの病院のその部屋に置いてきてくれればいいや、ツトムの奴が姉さんからゴム頼まれたって言うからよ」
「言わなくていいから!」
ツトムは何気ない潮の発言を注意した。
「大丈夫だって、ここにいる連中じゃアイツしかわかんねえよ」
潮の言った通り、大半の児童はすでに帰り支度をしており誰もツトムの方を見ていなかった。
「あっそう……行ってらっしゃい」
渚は冷静に返した。
「それじゃあ、今日予定ないから終わったら先帰ってるな」
そう言うと潮とツトムは自転車に乗ってその場をあとにした。
「やれやれ……、まあどうせ暇だしいいか」
渚は小箱を持って隣の病院に入った。
加味平中学校は山と海に挟まれた旧歌護山村集落に存在する中学校で、今時珍しい三階建ての木造建築である。この村は大半が田畑と林による緑で覆われており、学校と病院以外には数件の民家と店舗が建っている程度であった。
「コンビニはここで……後はスーパーと本屋と郵便局か。やっぱり少ないな」
渚は病院ロビーの地図を見ながらつぶやいた。病院内は近年に改装されたらしく白く明るい内装だったが、ロビー内には渚以外に三人ほどの老人が座っているだけだった。
「やっぱり、療養メインらしいから見舞い客もろくにいないんだな……」
渚はそう言いながら病室を探し出した。
「え〜と、階段と売店を通り過ぎると病室で……」
渚が売店の前を横切ろうとすると、
「ちょっと、お兄ちゃん」
「……はい? 僕ですか?」
背後から一人の年老いた女性が声をかけてきた。その女性は数枚の袋を持ち、夏にも拘らず黒い服に身を包んでいた。
「アンタ、ひょっとして一階に入院している人の見舞いかい?」
女性は渚に近づいて聞いてきた。
「はい、お使いを頼まれてこの箱を……」
渚がそういうと女性は表情を暗くした。
「可哀想にね……、ここの一階に入院する人は、ほとんど家族に見捨てられて長くない患者なんだよ」
「そうなんですか?」
渚は不思議そうに聞いた。
「アタシの従兄弟が先月からココに入院してたんだけどさ、兄弟も親族も見舞いに来ないまま一昨日ポックリ逝っちまったんだよ」
女性は悲しそうな口調で話し出した。
「そうなんですか……」
「近所の連中の話では一階は『姥捨て山』って言われててほとんどが一年も持たないらしいよ。アンタもその患者とはあまり身近の人間じゃないだろうね」
「はい、僕自身は会った事がなくて」
渚は正直に答えた
「やっぱりね、アタシもヒマだからって遺品取り行かされたんだんだよ。遺体は業者が先に取りにきたけど火葬だけして共同墓地行きさ」
そう言うと女性は渚の前に出た。
「アンタも気をつけなよ、くれぐれも態度には出さないようにね……」
「はい……」
女性は前へ向かって歩き出した。しかし、
「あ、そうそう」
数歩ほどで足を止めて渚の方に振り向いた。
「ここには子供もいるんだけどね、何らかのトラウマを持ってる子もいるから気をつけるんだよ」
「あ、はい……」
「まぁ、中には生きてるかどうかもわかんないのもいるって聞くからね。アタシは霊感ないから見たことないけどさ」
そう言って再び女性は歩き出した。
「……姥捨て山ねぇ……」
渚はその場に立ち止まっていたが、しばらくして再び歩き出した。
渚は102と書かれた病室のドアを開けた。
「……あれ? いないのかな」
そこには白いベッドとTVの置かれた冷蔵庫だけが存在し、人の気配はなかった。
「まあいいや、箱だけ置いて帰ろう」
渚がベッドの上に小箱を置こうとすると。
「……お兄ちゃん?」
後ろから女の子の声が聞こえた。
「ん?」
渚が振り向くと、そこにはツインテールの女の子が立っていた。
「渚お兄ちゃんだよね? やった〜! 初めて会えた〜」
女の子は嬉しそうに渚に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと……、とりあえず離して」
渚は女の子の腕をゆっくりと解いた。
「あ……、ごめんね、写真でしか見たことないから嬉しくて」
女の子はそう言ってベッドに腰掛けた。
「初めまして、波内岬(なみうち みさき)だよ、よろしくねお兄ちゃん」
「そうか、僕は潮の弟の渚って言うんだ」
渚はそう言うと先ほどの小箱を取り出した。
「それなあに?」
「潮に頼まれたんだ、中は知らないけど」
「そうなんだ……、潮兄さん来なかったんだ……」
岬は悲しそうな声で言った。
「ところで、何で僕の事知ってるの?」
渚が言い繕うように聞いた。
「潮兄さんが写真見せてくれたの、『刈り上げてない坊ちゃん刈り』の男だって」
「……確かにそうだけどさ、床屋で短めって言ってるだけだけど」
「岬は渚お兄ちゃんの方がいいな、潮兄さんはスポーツ刈りが嫌だもん」
渚は髪をかきながら苦笑した。
「ねえねえ、お兄ちゃん」
岬はベッドから降りて渚の前に立った。
「岬と遊ぼう、一人だとつまんないよ」
岬はそう言いながら渚の服を軽くつかんだ。
「そう言えば、いくつなの?」
渚は何気に聞いた。
「十歳だよ、八歳の時からここにいるんだ」
「十歳……? 二年間?」
渚は不思議そうな表情をした。
「変かな? 岬はチビだから……」
岬の身長は頭が渚の腹の辺りに来るほどしかなかった。
『僕はそんなに背が高くないし……二歳違うだけでこんなに違いがあるかな……』
渚は口に手を当てて考え込んでいた。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
岬も不思議そうな顔で渚の顔を見つめていた。
「あ、ごめんごめん」
渚はハッと我に返った。
「それより遊ぼう、岬海に行きたいな〜」
「大丈夫なの? 一応入院してるんだし……」
渚は心配そうに言った。
「すぐそこだから大丈夫だよ、それより早く行こう」
岬はそう言って渚の手を引っ張った。
「そんなに急がなくても大丈夫だって」
渚は岬と共に病室を後にした。
無人となった病室のベッドには潮の用意した小箱が転がっていた。そこには幼い頃の潮と岬が写っている家族写真と、それをはめ込んだペンダントが入っていた。
一方その頃、
「これでいいのかな?」
「おう、値段じゃなくて量で考えればいいんだよ」
潮とツトムは商店街を歩いていた。
「ドラッグストアなんて初めてだよ、買うのが恥ずかしいったら……」
「ハハハ、まあここは俺の顔なじみだから安くて良かったじゃないか」
潮は笑いながら購入した商品の袋をツトムに渡した。
「しかし、この辺も寂しくなったな」
車道には常に車の行きかう音が聞こえていたが、歩道には数える程しか通行人がおらず、立ち並ぶ店舗も半分ほどが平日の昼間にもかかわらずシャッターを閉めていた。
「ブティックとか食物屋はまだ開いてるけど、昔からある店は大体閉まってるね」
「まあ、この辺もちょっと行けばデカい店があるし……ん?」
潮は店のショーウィンドウの前で立ち止まった。
「どうしたの……? ここは電器屋?」
潮は電器屋の店頭に置かれたテレビを見入っていた。
『それでは、今週の「経営者の鉄則」のコーナー。今回は波内出版社長の波内計助さんです』
TV画面にはアナウンサーと波内と名乗る実年の男性が映っていた。
「潮? どうしたの?」
ツトムは潮の肩をつかんで軽く揺らした。
「……え? あ、ああ……何でもないよ」
潮は我に返ったかのように言った。
「この番組がどうかしたの?」
「いや何でもないよ、用も済んだし帰ろうぜ」
そう言って潮は再び歩き出した。
ツトムも疑問に思いながらもあとについていった。
岬の入院している病院の庭園の林を抜けるとそこには砂浜があった。すでに日が沈みかけている時間だった為、渚と岬以外の人間はいなかった。
「あ〜、楽しかった」
岬はずぶ濡れの状態で砂浜に座っていた。
「ほら、じっとして」
「ぷわっ、お兄ちゃん……くすぐったいよぉ」
渚は岬の体をタオルで拭いた。
「いきなり波打ち際で走り回るんだから、風邪引いたらどうするの」
「大丈夫だよ、今日は暑いから」
渚の忠告も岬はあっさりと交わした。
「あれ? 何だろう……」
岬は砂浜に置かれていた何かを見つけて走り出した。
「あ、ちょっと……!」
渚も仕方なく岬のあとを追いかけた。
「……お兄ちゃん、これ……」
岬はその何かの前で立ち止まった。
「ん? これは本じゃないか、しかも……」
その本は水着の女性が写っており、外れかけたページには裸の女性の写真も見えていた。
「全く誰だ、ちゃんとゴミに出せばいいのに」
渚がそう言ったその時、
「えい! えい! こんなもの!」
岬は突然、その本を思いっきり踏みつけた。
「どうした?」
渚はその行動に少し驚いた。
「岬、こんなの大っ嫌い!」
岬は怒った表情で声を荒げた。すると、
「……お兄ちゃん?」
渚は踏みつけられた本を持ち上げた。
「ダメだって、こういうのは……こうしなくちゃ!」
渚は本を真っ二つに破った。
「お兄ちゃん?!」
「こういう本を読んでる奴ってバカだよな、ちゃんと廃品回収か燃えるゴミに出さないと」
そう言って渚は破った本を海岸の隅に置かれたゴミ箱に放り投げた。
「そうだよね……、こんなのなくなっちゃえばいいのに」
岬は悲しそうな顔でつぶやいた。
「岬……」
渚は岬の肩をそっと抱いた。
「……お兄ちゃん……」
「愚痴でも良いから聞くよ……」
「うん……」
渚と岬はその場に座った。
岬はゆっくりと幼い頃の思い出を語りだした。
『お母さん、今日のご飯なあに?』
幼い頃の岬はタンスの前で着替えている母親に聞いた。
『今日は冷蔵庫に焼き鮭があるからあっためて食べなさい』
幼い娘に対して母親の返事はそっけない言い方だった。
『え〜、お母さん今日もいないの?』
『しょうがないでしょ、お父さんも北海道に行ってて明日までいないから、潮お兄ちゃんと二人で食べなさい』
『は〜い』
母親は娘の不満そうな返事を聞き流して、一張羅に身を包んだ。
『それじゃあ、行ってくるわね』
母親は家を出て車を発進させた。
「お父さんは仕事とかで全然帰ってこなくて……、お母さんも夜になるとしょっちゅう派手な格好で出かけていたんだ」
岬は話を続けた。
『ただいま〜』
『おかえり! 潮兄さん』
岬は帰ってきた潮に飛びついた。
『どうしたの? 岬』
『あのね、今日もご飯は二人で食べてって……』
『またか、本当に何やってるんだろうね……』
潮はその言葉を聞いて不機嫌そうに言った。
「潮兄さんは家に来た時は優しかったんだ……だけど……」
岬は一瞬嬉しそうな表情をしたが、そうつぶやくと表情が曇った。
「だけどってことは……」
渚はその言葉に反応した。
「……うん」
『もしもし……、潮兄さん?』
岬が電話に出ると通話の相手は普段接してる潮であった。
『悪いけど今日は一人で寝ててくれないかな? 母さんの付き合いで帰れそうもないから』
時計は夜の十時をさしていた。
『え〜、潮兄さん帰ってこないの?』
『悪いな、明後日にはアニキが帰ってくるから我慢してくれよ』
潮はすまなそうに言った。
『でも、アニキって年に何回かしか帰ってこないじゃない』
『そう言うなって、それじゃ』
潮は早々と電話を切った。
『あ、ちょっと……兄さん……』
「潮兄さんも付き合いとか用事とか言って出かけてばっかりだった……」
「そうか……やっぱりな」
渚はつぶやくように返した。岬は下を向きながら話を続けた。
「だから……、あの時も……」
『はぁ……はぁ……』
岬は病院のベッドの上で苦しんでおり、腕には点滴がつながれていた。
『ご家族の方はまだ来ないのか?! もう二時間も経ってると言うのに!』
『会社や携帯電話にもかけているんですが、中々本人につながらなくて』
『困ったな、大体の処置は済んだが過去の病歴やアレルギーもわからないと、万一の事態と言う事もあるし……』
医者と看護士の慌てた声が処置室の中で響いていた。
『先生! ご家族の居場所がわかりました!』
別の看護士が処置室の入り口に駆け込んできた。
『そうか! で、来られそうなのか? ダメなら病歴かアレルギーだけでも電話で……』
医者の問いかけに看護士はゆっくりと答えた。
『それが……父親と兄は飛行機の中で後二時間はかかると……、母親も外出先で酔いつぶれて会話は無理と言われて』
『何て親だ、他に親族でもいないのか?!』
『家に誰もいないようなのでわからないんです……。もう一人のお子さんも小学生で、しかも外出中らしいですし……』
看護士は暗い声で言った。
『くそっ! さっきの血液検査の結果はまだか?!』
医者は再び声を荒らげて叫んだ。
『……お父さん……お母さん……はぁ……』
岬は苦しみながらも必死に家族を呼んでいた。
『喋らない方がいい! 誰か吸入器の用意を!』
「……結局、潮兄さんとお母さんが来たのは朝になってからだった……」
岬は瞳を手で押さえながら震える声で言った。
「岬……」
渚は岬にハンカチを差し出した。
「ありがとう……お兄ちゃん……」
岬は震える声で喋りながらハンカチで顔を拭った。
「……あのね」
「……ん?」
岬は顔を上げて渚の目を見た。
「お兄ちゃんと……一緒にいたいな……」
岬はゆっくりとつぶやいた。
「……岬……」
渚も岬の目を見てつぶやいた。すると、
「そろそろ行くね……」
岬は急に立ち上がって後ろを向いた。
「え……?」
「それじゃあ……」
岬は一目散に走り出した。
「おい、岬?!」
渚は走り去ろうとする岬を追いかけた。
「あれ……? どこだ……」
渚は病院の庭園の林の中で見失ってしまった。
「くそっ……」
数分後、
渚は庭園を出て病院の一階廊下を歩いていた。
「ここかな……?」
渚は102の病室を覗いた。
「……あれ?」
しかし、そこにはまたも人の気配がなかった。
「おかしいな……」
「どうしました?」
渚の背後から女性看護士が話しかけてきた。
「あ! いや、この病室に入院してる女の子を知りませんか?」
渚は看護士の方を向いて聞いた。
「さあ……、私は外科の担当なので内科の病室はあんまり……」
「そうですか……」
渚はそう言うと再び病室に視線を戻した。
「あれ? 何だこれ?」
渚は床に染み付いた数センチの赤い染みに気付いた。
「その染みの事ですか?」
看護士は渚の反応を見て気付いた。
「コレは何ですか? 周りはホコリもろくにないのにここだけ……」
「それは……」
看護士が言葉に詰まっていると、
「それは、二年前に入院していた子の血だよ」
後ろから低い声が聞こえた。
「イトウ先生……いいんですか? 教えて」
イトウという名の実年の医師はゆっくりと渚の元に歩いてきた。
「なに、医療ミスでもないからいいじゃないか。君は持ち場に戻りなさい」
「はい……」
看護士は小声で返事をすると振り返って歩き出した。
「二年前って言うのは?」
渚が少し驚いた表情で聞いてきた。イトウ医師はゆっくりと説明した。
「二年前にここに入院していた女の子が夜中に吐血してね……手術室に運ぶまもなくこの病室で息を引き取ったのさ」
「そうなんですか……」
渚はつぶやくように返事をした。
「家族もろくに来なくて何とか引き取って貰えたらしいけど……、どういうわけかその時の血の染みは業者さんでも取れなかったんだ」
「…………」
渚は黙っていた。
「そう言えば今日辺りだったかねえ……、当時は命日が近づくと変な声とか霊魂が見えるとか噂が広まったけど……どうなんだか」
「……あ!」
渚はベッドの上に置かれた小箱に気がついた。
「中身がなくなってる……」
出かける前まで縛ってあったリボンが外され小箱の蓋は開いていた。
「あの……今、ここに入院してる子って……」
渚はイトウ医師の方を向いて聞いた。
「それが今日は内科医の外部研修でね、治療は外科とかで対応してるけど、データは緊急時以外出せないしプライバシーとかうるさいからね」
「そうですか……」
渚は下を向いて返した。
「それじゃあ、これで……」
渚は病室を出入り口に向かった。
「気をつけて帰るんだよ」
イトウ医師の言葉を聞き流しながらも渚は顔を上げた。
「……あれ?」
すると、渚は目の前にあるものが見えた。
翌朝、
「よう、おはよう……」
潮が眠そうな声で居間にやってきた。
「おはよう、潮」
渚はすでにテーブルの上で朝食の準備をしていた。
「お前よく寝てたな、帰ってきたらまだ六時だってのにもういびきかいてたぞ」
「しょうがねえだろ、この所午前様だったんだから……」
潮が頭をかきながら言った。
「そういうお前こそ、今日は眠そうだな」
潮が指摘するとおり、渚の目の下にはクマが浮き出ていた。
「ああコレ? 昨夜は眠れなくてさ……」
「珍しいな、普段から悩まないで直感で行動してるお前が」
潮はイスに座りながら言った。
「まあ……いろいろあってな」
渚はゆっくりと答えた。
「それじゃあ……って、おいちょっと待て」
潮が食べようとするとある事に気がついた。
「今日は婆ちゃん仕事でいないよな? 何でトーストが三枚もあるんだ」
テーブルの上には三人分の皿とトーストが置かれていた。
「ああ、言ってなかったな。おい、そろそろ起きてこいよ〜」
渚は廊下に向かってそう言った。
「何だ? 昨日誰か泊まったのか?」
潮が不思議そうに廊下を見ると、
「おはよう! お兄ちゃん!」
「え? 岬?!」
廊下から岬が入ってきた。
「昨夜は騒ぎすぎだぞ、うるさくて眠れやしないじゃないか」
「ごめんね、いつも一人で眠ってたから嬉しくて……」
岬はそう言いながら席に着いた。
「何で岬がいるんだよ?! 入院中だろ?」
潮は大声で聞いた。
「僕と会った時に家に行きたいってうるさくてさ。お盆前だから薬持って行けば許すって担当医に連絡取ったんだ」
「他にもお盆だけ家に帰る人はいるよ?」
渚と岬はそう説明してきた。
「じゃあ、婆ちゃんにはどう説明するんだよ」
「お婆ちゃんには昨夜電話したよ?」
岬が嬉しそうに言った。
「快く許可を出してくれたよ、何なら通院にして家に住んでもいいってさ」
「ぬぬぬ……」
潮は納得いかないような表情で唸っていた。
「しかし、急にいなくなったと思ったらすでに支度して病院の前にいたからな。話つけないとダメだろ」
「だって、早く行きたかったんだもん……」
岬は顔を軽くかきながら言った。
「潮、お前だって家族写真入れたペンダント送ったじゃないか。お前とは軋轢も何もないだろ」
「たまたま見つけた写真を貰い物に入れたんだ。今日は昼から客いるから食ったら出かけるぞ」
潮はそう言ってトーストにかじりついた。
「あっそう、それじゃあ岬はどうする?」
「お兄ちゃんとプールに行く〜」
岬は嬉しそうに言った。
「一応病人だからどうだろうな……」
「お兄ちゃんとならどこでもいいよ、お兄ちゃんは思った通り優しいしあったかいし……」
「はいはい、それじゃあ早いけど行ってくるからな」
潮は岬の話し声をかき消すように、喋りながら部屋を出た。今日も空は青空が広がっていた。
――――――――――――――――
【第六話】興味
少しモヤのかかった早朝、渚と岬はとある墓地に来ていた。
「花は持ってこなくて良かったのかな?」
「別にいいだろ、親戚でもないし誰が来たんだって思われる」
岬の質問に渚は答えた。
「ここに……岬の前に入院していた子が眠っているんだね」
岬は目の前にある墓を見て言った。
渚と岬は例の染みを残したとされる女の子の墓参りをしに来ており、渚は黒い丸首シャツを着ており、岬も黒の半袖シャツを羽織っていた。
「そうだね、あの子も寂しくて何か残したかったんだろうな……」
渚はしみじみと口にした。
「この子の気持ちわかるな……」
岬はうつむいて話し出した。
「岬も、ずっと一人でベッドに寝てるだけ……いつも寂しかった……」
「岬……」
渚はそっと岬の肩をつかんだ。
「お兄ちゃん……」
岬はゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫だよ……今はお兄ちゃんがいるから……」
岬は嬉しそうな表情で後ろに振り返った。
「そろそろ行こうか」
「うん……お兄ちゃん……」
渚と岬は墓地を後にした。すると、
「あら……君は……」
墓地の入り口に一人の年配女性が現れた。その女性は白髪交じりのショートヘアで、上下黒のスーツにハンドバッグと花束を持っていた。
「あなたは確か……」
「……知ってるの?」
渚はその女性の顔を見て少し驚いた。
数時間後、
潮はクラス登校日の為、小学校の六年一組の教室にいた。
「話って何だよ、もう授業終わったからみんな帰ったぞ」
室内には潮を含め四人の男子児童しかおらず、他の児童はすでに帰宅していた。
「実は俺達、相談したい事があってさ」
潮の問いかけにリョウタが話しだした。潮以外の男子は坊ちゃん刈りで白いシャツのリョウタ、五分刈り頭に半そで体操服のユウト、ボブカットでランニングを着たカズキの三人だった。
「何だよリョウタ、さっさと言ってくれ」
潮がそう言うとリョウタは思い切って言い出した。
「下平中の保健医に付き合いたいんだ!」
その言葉の直後、数秒ほど室内に静寂が訪れた。
「……帰る」
「おい、待ってくれよ!」
ユウトとカズキが席を立とうとした潮のランニングシャツを掴んで引きとめた。
「何かと思ったら……、それぐらい自分で何とかしろ」
潮は再び腰掛けたが、その口調は小馬鹿にしたような言い方であった。
「まあまあ、リョウタは本気で保健医だけだけどオレはそこまでじゃないからさ」
「ずるいぞユウト、お前だって言い出したら乗ってきたじゃないか。なあ、カズキ」
「落ち着けよ、とりあえず話だけでも聞いてくれ」
揉めだしたリョウタとユウトをカズキが抑えた。
「わかったよ、どうせお前らこの間の学校見学で気になったんだろ」
潮の発言に三人とも目を見開いた。
「……よく、わかったな」
「そこまで言われれば大体わかるだろ。と言うか、お前ら恋人としてじゃないだろ?」
「そうなんだけどさ……」
三人は改めて話し出した。
「正直に言うと潮の言う通りなんだよ、前からオレ達は……」
「見苦しいからカットしていい? 面倒臭いし」
「いや、聞いてくれよ!」
三人はそう言って話を続けた。
「要するに、その保健医と知り合う口述がないとダメだな」
しばらく話を聞いていた潮が言った。三人は下平中の見学で保健医が気になっており、何とか近づく手段はないかと潮に相談したのだった。
「そうなんだ、でも中学に行く機会なんて今はそうそうないし……」
リョウタがため息をつきながら言った。
「そうだな、その見学中にわざと怪我して運ばれるってのはどうだ?」
潮は面倒臭そうに言った。
「そう上手くいくかな……、それに大怪我になったら嫌だし」
ユウトは腕を組みながらつぶやいた。
「じゃあ、がんばってくれ」
潮はまたもそういって椅子から立ち上がった。
「だから、待てって! なんで投げやりなんだよ!」
カズキは引きとめながらそう指摘した。
「俺は渚と違ってそういうアドバイスとかは苦手なんだよ」
「それじゃあ、もう一つ聞いていいかな?」
リョウタは潮を何とか引きとめようと言い出した。
「お前って何人の女とも関係あるんだろ? 一人ぐらい混じる事は出来ないかな」
リョウタはたどたどしく頼んだ。
「ダメだ、大っぴらにできる事じゃないから素人がドジ踏んだら困る」
潮はピシャリと言い切った。
「それに、今の発言からして確実に体目当てだろ……」
呆れながら潮は言った。
「いや、それは、その……」
三人は目を泳がせていた。
「とにかく俺は帰るから、自分たちで何とかしろ」
潮はそう言って教室を出ようとした。
「いいじゃねえか、この間の性教育で『興味を持ち始める歳』って言われたじゃん」
カズキが慌てて発言した。
「それとコレとは別だろ、それじゃあまたな」
渚は教室のドアに手をかけた。
「じゃあ、渚ならいい方法教えてくれるかな。相談してみるか」
リョウタがそう言うと潮は手を止めて立ち止まった。
「それは無理だな」
潮は大きな声で言い放った。
「え? 何でだ、コレまでも何度かそういう事あったんだろ?」
潮の発言にユウトが問いかけた。
「……お前らが求めてるのは恋人の関係じゃない、渚は体の関係とかそういう話が大っ嫌いなんだよ」
潮がそう言うと三人は口を閉じた。
「まあ一応言ってはみるけど、あんまり期待はするなよ」
潮はそのまま教室を出た。
「どういうことだろうな?」
「やっぱり双子とは言え違うんじゃないのか、離れて暮らしてたらしいし」
三人は閉められたドアを見て言い合った。
その頃、
「やっぱりあの人だったんですか」
渚と岬はある病院に来ていた。渚達は人気の少ない入院患者の病棟の廊下を歩いていた。
「ええ、何かの偶然かもしれないわね」
先ほど墓地であった女性は渚達の前を歩いていた。
「お兄ちゃん、知ってるの?」
渚の後ろから岬が聞いてきた。
「ああ、歌護山の病院で調べた時からピンと来てたんだ。さっきの墓とも一致した」
渚はそう答えた。
「偶然ね……、あ、ここよ」
女性はある病室の前で立ち止まった。
「ここですか、お爺さんが入院してるのは」
「そうよ、もう何年経つかしらね……」
女性は寂しそうに言った。
「あ、僕らはここで待ってますよ。改めて話すこともないんで」
渚はそう言って後ろを向いて近くのベンチに座った。
「あらそう? それじゃああんまりかからないから待っててね」
女性はそう言って病室に入った。
「会いに来たんじゃないの?」
岬は渚の横に座り、渚の顔を覗き込んできた。
「わかってたからいいよ、甲一もいなかったし」
「甲一?」
岬は不思議そうな顔をした。渚は岬の顔を見てゆっくりと言い出した。
「朝に行った墓、『海野』って書いてあったよね?」
「うん……そうだったね」
岬は少し間を置いて返事をした。
「あの病室にいるお爺さんは……二年前の今日に岬の病室で死んだ女性・尋美さんの父親なんだ」
渚は岬の顔を見て発言した。
「そうなんだ……」
小声で返事をした岬に渚は話を続けた。
「そして……あのお爺さんと尋美さんとは僕らともかかわりがある」
「……かかわり?」
岬は渚の目を見て聞いた。
「……その内わかるよ……、今は……ハッキリとした証拠がないから早すぎる」
渚は岬の肩に手を置いて言った。
「……お兄ちゃん?」
状況がよくわからない岬は目の前の病室を見つめながらそうつぶやいた。
一時間後、
「え、兄ちゃん帰ったの?」
甲一は自宅で先ほどの女性と話していた。
「ご飯は一緒に食べたんだけどね、調べたい事があるからって言って帰ったよ」
先程の女性は甲一の祖母であった。祖母は服とカバンを片付けて居間に座っていた。
「行ったほうが良かったかな……、でも顔あわせづらいし……」
甲一は腕を組みながら居間の畳の上に座った。
「ただいま〜」
しばらくして、渚と岬は自宅に戻った。
「よぉ、お帰り。遅かったな」
潮が居間から現れて出迎えた。
「色々調べ物があってさ、とりあえず何か飲もうか」
「うん、岬はジュースがいいな」
岬はそう言って台所に駆け込んだ。
「おい、走ってつまずくなよ」
渚がたしなめるように言った。
「体目当てで付き合いたいだぁ?」
潮は居間で渚に同級生の頼みを話していた。
「ああ、俺はバカバカしいから断ったけどよ」
潮は面倒臭そうに話していた。
「それで、一応聞くけど相手は誰だよ」
渚もテーブルに肘を突いて聞いてきた。
「ああ、下平中の保健医だってさ。スタイル良いとかあいつらは言ってたけどどうだか」
「……下平中?」
渚は急に表情を変えた。
「どうした?」
「潮は下平の保健医知らないのか?」
渚は真面目な口調で聞いた。
「知らねえよ、この間の見学でもスルーしたから」
「お前、疎すぎるぞ……」
潮の投げやりな返事を渚がたしなめるように言い返した。
「どうしたんだ? どうせ断ると思ったのに」
「いや……一応そいつらと一緒に見学行こうか」
渚は立ち上がってそう答えた。
「マジ?! 絶対断ると思ったのに」
潮は驚いて言った。
「まあ、相手が相手だからさ」
「相手? 保健医をお前知ってるのか」
疑問を投げかけた潮に渚は呆れていた。
「お前、本当に知らないんだな……」
渚はそういいながら廊下に出た。
すると、
「お兄ちゃん、郵便だよ」
岬が数枚の封筒を持ってきた。その中にはダイレクトメールと分厚い小包があった。
「小包は多分、婆ちゃんのだよ。今は部屋にいると思うから」
渚は小包の宛名を見てそう言った。
「わかった」
岬は返事をして家の奥に走っていった。
「また、婆ちゃん本出したのか。年に三回は出してるよな」
潮がそう言いながら居間から出てきた。
「まあコレで最後だろうね、波内出版との契約はもうしないって言ってたし」
渚がそう言ったその時、
「よく知ってるね、渚」
家の奥から珊瑚が廊下を歩いてきた。
「あ、婆ちゃん。本当に最後なのか?」
「ああ、そうだよ。今後は他の所になるけどしばらくは出さないよ」
潮の質問に珊瑚はゆっくりと答えた。
「でも、伯母さんの関わってるのに」
「まあ、いいじゃないか。僕達がああだこうだ言う事でもないよ」
渚は潮の顔を見ていった。
「まあ、そうだけどさ……。まあいいか」
潮は渚の言葉に少し間を置いてから納得した。
「さてと、夕ご飯は何がいいかね?」
珊瑚は手にバッグを持っていた。
「岬、ハンバーグがいい!」
岬は大声で主張した。
「俺は別に希望はない。渚は?」
「岬がそういうならハンバーグでいいんじゃない?」
二人とも岬の意見に同意した。
「そうだね、それじゃあ買い物に行くけど岬ちゃんも一緒に来るかい?」
「うん、行く〜」
岬はそう言って玄関に向かう珊瑚について行った。
「それじゃあ、留守番頼んだよ」
「いってきま〜す」
珊瑚と岬は家を出た。
「あのさぁ、渚」
その直後、潮は再び渚に問いかけた。
「なんだい?」
「波内出版ってウチの伯母さんの旦那が社長だから本出してたんだろ、何で契約切ったんだろうな」
潮は真面目な口調で聞いた。
「う〜ん……婆ちゃんの事だから、何か感じたんじゃないか?」
渚が神妙な表情で返した。
「え……、ということはまた何かあるのか、不祥事とか……」
それを聞いた潮は不安そうな表情で言った。
「さあね、とりあえずうまく行ったみたいだし良いじゃないの」
「どういうことだ?」
渚の言葉を潮は理解できていなかった。
「ま、とりあえず下平の見学日は明後日だよな。お前も来る?」
「いや、俺はまた客の予定入ってるから」
潮はそう言って断った。
「そうか、それじゃあ僕がその三人と話しておくよ」
渚はそう言いながら自室に入っていった。
「何なんだ? 一体……」
潮は疑問を持ちながらも自室に戻った。
渚と潮はそれぞれ六畳程の自室を持っていた。
「さてと……」
渚の部屋はベッド、本棚、テレビ台、パソコン、学習机が置かれ、東側の窓以外には白い壁に囲まれたごく普通の部屋であった。
渚は学習机のイスに座ると机の上に詰まれた『封印された事件・事故』と言うタイトルの本を開いた。
「二年前の事故は……やっぱり考えた通りなのかな」
渚はその本の内容を読みながら考えていた。
開いたページの内容は以下の通りであった。
『T県トンネル衝突事故』
二千×年八月、T県の歌護山トンネル内でT社のタクシーから煙が発生し、驚いた運転手がハンドル操作を誤りトンネル内の壁に激突。乗客の女子高生は搬送先の病院で内臓破裂により三日後に死亡し、運転手も脚に障害を負ったため入院している。
事故を目撃した雑誌記者の証言と現場検証からタクシーに何らかの問題があった可能性が高くなり、タクシー会社の整備不良が原因と発表された。この事故によりタクシーを管理していた支店は閉鎖されるが、事故の詳細など公表されていない点もあり、何か隠している事があるのではないかとの疑問の声も上がっている。
そのせいで、『別のタクシー会社が仕組んだ事故であった』、『死んだ女子高生の霊が出る』、『過去にトンネル内で死んだ霊が事故を誘発させた』、『目撃した記者も事故に関わっている』などの噂がネット上で語られている。
余談ではあるが、この時のタクシーは閉鎖された支店の支店長の要望で、その支店の跡地に現在も処理されず安置されている。
「やっぱり……あの病室にいたのはこの事故の被害者だったか……」
渚は記事を読みながらそうつぶやいた。
「さて、どうするかな……」
渚は本を閉じてそのまま考え込んでいた。
――――――――――――――――
【第七話】突然
リョウタとユウトとカズキと渚は下平中の学校見学に来ていた。
「もうオレ達だけだよな?」
リョウタは自分たちのいる生徒玄関前で辺りを見回した。周りには人気はなく、少し離れた体育館や運動場からの掛け声かセミの鳴き声ぐらいしか耳に入らなかった。
「大丈夫だって、みんな見学終わったらすぐ帰るんだから」
渚は冷静にそう言った。時刻はすでに十一時三十分、とっくに学校見学は終了しており残ってるのは四人だけである。
「ところで、渚はその保健医について知ってるの?」
ユウトが何気なく聞いてきた。
「少しはね、とりあえず知ってる限りのデータを教える」
そう言って渚は一枚の紙を取り出して話を始めた。
[浜岸唯]
24歳、7月1日生まれのA型。
元大学教授で現在は体調面から不定期講師の父親と日本舞踊の講師である母親がおり厳格な家庭に育つ。
一方で四歳上の兄は暴力と児童買春斡旋による逮捕歴と莫大な借金があり現在消息不明、
二歳上の姉は二人の子供がいたが六年前に事故死。
一流国立大学を卒業後、今年度から母校である下平中の保健医として勤務。
現在の趣味は学生時代から続けている油絵とジョギング。
冷静な性格で衣服や普段の生活も質素であり、飲酒や喫煙などは一切せず恋愛経験も殆どないため好み等は不明。
現在の髪型はショートカット、資格は教職関係以外に普通自動車免許を保有している。
「……以上だ」
「……どうやって調べたのソレ?」
渚の長い解説に対し、しばらく黙っていたカズキが呆れながら聞いてきた。
「……好みはわかんないの?」
「……何で身長や体重はなかったの?」
リョウタとユウトはほぼ同じタイミングで聞いた。
「それはさすがにわからなかったんだよ。とにかく、どうやってアタックするつもり?」
渚は冷静な口調で言った。
「詳しすぎる割に肝心な所がわからないな……」
リョウタが苦言を呈した。
「とりあえず、今日は部活あるらしいから保健室にいるだろうね」
渚は廊下に出て保健室に向かった。
「あ、待ってくれよ!」
リョウタ達は慌ててその後を追いかけた。
「さっきも言ったけど、いきなり見ず知らずの子供に告白されても困惑する可能性大だよ」
渚は廊下を歩きながら言った。下平中は保健室が一階にあり、生徒玄関からは目と鼻の先と言えるほどの距離であった。
「そうだけどさ、後々に回して手遅れになったら……」
カズキが小さな声でつぶやいた。そうこうしている内に、渚達は保健室の前に着いた。
「どうやらいるみたいだね」
渚はドアに取り付けられた曇りガラスから所在を確認した。
「結局、直接言うしかないの?」
ユウトが不安そうに言った。
「例えばさ、何か芝居打っていいところ見せるとか……」
「それは知り合いとか同世代だから成立するんであって、一回り年下の他人じゃ褒められるだけだよ」
リョウタの提案を渚はあっさり却下した。
「でも、アテもなくやるってのは……」
カズキが発言したその時、
「誰かいるの?」
保健室の中から保健医・唯の声が聞こえた。
「ホラ、覚悟を決めるしかないよ。それともまたの機会にする?」
渚は真面目な口調でリョウタ達に聞いた。
「……わかった、行くよ」
リョウタはゆっくりとうなずいた。
「わかった、それじゃあ僕は少し離れてるからね」
渚はそう言って少し先にある男子トイレの入り口に入った。
「ちょっと、失礼します……」
リョウタ達はドアをノックしてからゆっくりと保健室に入った。
三分後、
結果は三人とも年齢などを理由に言われあっさりと帰る様に促された。全滅であった。
「やっぱりダメだったか」
渚は保健室から出てきたリョウタ達の顔を見て発言した。
「ああ……やっぱりやめときゃよかったかな」
カズキがうつむきながらつぶやいた。
「まあ、これで終わりじゃないんだからさ。まだ覚えてもらっただけでもいいじゃない」
渚はなだめるように言った。
「正直、オレはやれれば誰でも良かったのによ。潮の奴、素人がどうこう言って連れて行ってくれないし……」
ユウトが不満そうに愚痴をこぼした。
「潮のやってることは非合法だよ。そう簡単に誘うわけにはいかないって」
「だけどさ、軽くあしらわれた感じで帰らされたんだぞ。それなら俺らみたいな歳でも相手にしてくれる方が……」
渚のフォローも耳にせずリョウタ達は不満そうに言った。すると、
「騒がしいわね、もう見学は終わったんでしょ?」
唯が保健室から顔を出した。
「あ、いや、すいません……」
「とにかく……あら?」
リョウタ達に注意しようとした唯は、その隣にいる渚を見て気付いた。
「君は確か、渚君?」
唯はそう言いながら渚に近づいた。
「……え? 知り合い?」
リョウタ達が不思議そうに見ている中、唯は話し始めた。
「久しぶりね、突然どんな風の吹き回しかと思ったら君だったのね」
「いや、ただの付き添いですから」
渚は唯の顔も見ずに言った。
「さすがに君は頭がいいみたいね、ウチの兄や姉と違って……あ、コレは言ったらまずかったわね」
唯はそう言いながら保健室のドアに鍵をかけた。
「最も、私と一緒でウチの親にしごかれた弊害を持ってるけどね、おかげで私も年に二日ぐらいしか帰ってないから」
そう言って唯は振り向いて廊下を歩き出した。
「それじゃあ、もうお昼だからあなた達も帰りなさい」
そのまま唯は生徒玄関を通り過ぎて、校舎隅の階段に入っていった。
「おい、どういう関係なんだ?」
リョウタ達は驚いた表情で渚に詰め寄った。
「叔母さんだよ、ウチの死んだ母親の妹」
渚は冷静な口調で言った。
「だからあんなに詳しかったんだ……、でもいいの? さっきのは個人情報じゃないの?」
ユウトは不思議そうに聞いてきた。
「だって、さっき言った内容覚えてる?」
「え〜と……名前ぐらいしか」
ユウトは数秒考えた後、そうつぶやいた。
「ウチの祖父母は時代錯誤なぐらい厳しいからね、叔母さんもその影響で合コンすら馴染み辛いとか言ってた」
「それじゃあ、難易度高すぎじゃん!」
リョウタが大声で指摘した。
「可能性は低いって言ったじゃない。それより、もうすぐ昼飯の時間だから帰ろう」
渚はそう言って生徒玄関に向かった。
「ちぇっ、誰でもいいからさせてくれないかな」
リョウタ達も不満そうな表情をしながら生徒玄関に向かった。
「何も、その可能性がないわけじゃない」
渚はリョウタ達の愚痴に対してそう返した。
「え? それってどんな方法?」
リョウタ達は急に食いついてきた。渚は廊下を歩きながらゆっくりと話し出した。
「この学校には潮と同じような行為で稼いでる輩が何人もいるはずだよ。最近も知り合いに成功例があるし上手く行けばその人と付き合えるかもね」
そう言うと渚は生徒玄関から支度をして外に出た。
「で、それって具体的に誰が?」
「僕はそこまで詳しくないよ。自分達で探して」
渚はそう言って玄関の前に停めてある自転車に乗った。
「わかった……」
リョウタ達はそう言いながら、しばらくその場で校門を出て行く渚を見ていた。
「どうやって探す?」
「う〜ん……どうすればいいかな」
リョウタ達は数分ほどその場で話し合った。
その頃、
「アニキ、お盆休みも帰れないの?」
岬は漣家の居間にある卓上電話で義理の兄・大記(だいき)と通話していた。義理の兄は出版社の社長である父親と亡くなった前の母親との息子で、現在は警察官として都内のある市警に勤務している。
『ごめんよ、捜査中の仕事でいつ呼び出されるかわからないから無理だ。どうせ、親父も今の母さんも取材だの旅行だので実家は誰もいないしさ』
大記は申し訳なさそうに言った。
「わかった……がんばってね」
『それじゃあ、また都合がついたら連絡するから』
岬はさびしそうに電話を切った。
「あ〜あ、兄さんもお婆ちゃんも夕方まで帰ってこないし……。お兄ちゃん早く帰ってこないかな」
岬は居間で寝転びながらつぶやいた。
すると、
「宅配便で〜す」
玄関から声が聞こえた。
「は〜い、今行きま〜す」
岬はゆっくりと起き上がって玄関に向かった。
「それじゃあ、ありがとうございました」
岬のサインを受け取ると宅配員は一通の小包を渡して帰っていった。
「え〜と……お兄ちゃんの名前だ」
その小包には送り主と漣家の住所以外に、渚の名前と『商品名:書籍』と書かれていた。
「なんだろう……」
岬は不思議に思いながらも渚の部屋の机の上に小包を置いた。
「ただいま〜」
数分ほどして渚が帰宅した。
「おかえり、お兄ちゃん!」
岬は玄関に駆け込んで渚に飛びついた。
「おい、あんまりはしゃぐなよ」
渚はゆっくりと岬の腕をほどいて上がった。
「えへへ、ごめんなさい」
岬は嬉しそうな表情で言った。
「潮も婆ちゃんも夕方まで帰らないんだっけな」
渚が廊下を歩きなが言うと、
「あのね、お兄ちゃんに荷物が着てるんだけど……」
岬が思い出したように言った。
「……またアレかな」
渚は面倒臭そうに自室に入った。
渚は机の上に置かれた小包を開封した。中には数冊の小学生向けの問題集と『都市伝説・封じられた真相』と書かれた書籍が入っていた。
「なあに? これ」
岬が後ろから不思議そうに聞いてきた。
「またあの爺さんだな、何年も会ってないのに勉強しろって事らしい。闘病中なんだから大人しくしてろってんだよ」
渚は面倒臭そうに説明した。
「本当あの爺さん婆さんにはウンザリだ。毎日三時間勉強させられるし、マナーがどうこうでメシに三十分はかかるし……」
「そうなんだ……」
岬はそう言いながら、書籍の方を手にした。
「それじゃあ、この本はなあに?」
「ああ、それは僕も取材を受けたコンビニコミックスだよ。同じ出版社だからまとめて送ってきたな」
そう言うと渚は岬の持っている書籍のあるページを開いた。
「ホラ、これだ」
そのページには先日、甲一が起こした事故についての説明が書かれていた。
「先生に有毒植物……すごい事したんだね」
岬はその内容を見て驚いていた。
「まあ、それの取材を受けたのはついでだ。目的は別のページにある」
「目的?」
渚の言葉に岬は顔を上げた。
「それは、最初の方のこの辺りに……」
渚がページをめくろうとすると、
「あ、電話だ」
居間にある卓上電話が鳴り出した。岬は居間に駆け込んで受話器をとった。
「はいもしもし、あ、お母さん!」
電話の相手は渚にとっては父方の伯母に当たる岬の母親であった。
「どうしたの? ……え?」
岬は受話器を持ったまま表情を曇らせた。
「どうした? 岬」
「お兄ちゃん、悪いけどテレビつけて……」
岬は居間に入ってきた渚に真面目な口調で頼んだ。
「わかった……」
渚が言われたとおりに居間の隅に置かれたテレビの電源をつけた。すると、
「そんな……どうして……」
岬はテレビ画面を見た瞬間、受話器を持ったまま絶句した。
「ついに動いたか……」
渚は先程の書籍を持ったままテレビ画面を見てつぶやいた。
同じ頃、同じ番組を見ていた人間は他にもいた。
「見なさい、ついに認められたのよ!」
「わかったよ、あんまり興奮しないで」
甲一は祖父母の家でテレビを見ながら興奮する祖母をなだめていた。
「やっぱりあの人は悪くなかったのよ、本当とんでもない奴ね」
甲一は嬉しそうに話す祖母を冷ややかな目で見ていた。
「……事情を知らないから言えるんだよ。兄ちゃんの親戚でもあるのに」
一方、潮は繁華街を出て駅前の近くを歩いていた。
「ん? 何だコレ?」
潮は歩道に落ちていた数枚の紙を拾い上げた
「号外……? あ……!」
「今刷り上ったばかりです! 押さないで下さい!」
潮が顔を上げると駅の出入り口で数人の男が新聞の号外を配っていた。
「何か事件でもあったのか……」
潮は視線を拾い上げた号外に戻した。
「ふ〜ん……やっぱり渚の言う通りだったか。怪しいと思ったんだよな」
潮は納得したような表情で家に向かって歩き出した。
そして、
「ただいま〜」
珊瑚がいつもより仕事を早く終えて帰ってきた。
「あ、婆ちゃん早かったね」
渚は居間から顔を出して迎えた。
「今日は昼までにしたんだよ、何か起こる予感はしたからね」
珊瑚はそう言いながら居間に入った。
「あら……岬ちゃん」
岬はその場に立ち尽くしたままテレビ画面を凝視していた。
「やっぱりショックだろうね、この子にとっては」
珊瑚は腕を組みながらささやくように発言した。
「そりゃそうだよ、何せ……自分の父親が逮捕されるなんてさ」
珊瑚の言葉に対し渚は冷静に言った。テレビ画面には『波内出版・事故操作で社長逮捕』のテロップが表示され、岬の父親が数名の社員と共に警察車両に連行されていた。
――――――――――――――――
【第八話】連発
渚達の伯父が逮捕された翌日、渚は町の中心部にある総合病院に来ていた。
「渚、来てくれたんだ」
「一応ね、退院見舞いも兼ねてさ」
渚は病室で帰り支度をしているタカシと話していた。タカシの体はすでにギブスが外され左足に包帯が巻かれている程度にまで回復していた。
「あれから、カナちゃんとはどうしてるの?」
「おかげさまでメルアド交換できたよ」
タカシは渚の問いかけに嬉しそうに答えた。
「そうか、それは良かったね」
渚は軽く返事をした。
「ところで、一時間後のバスに乗って帰るんだけど、渚はどうするの?」
タカシはカバンからバスの運行表を見ながら聞いてきた。
「僕ももう少しいるよ、親戚が入院してるから顔見てくるんだ」
渚は後ろの病棟を指差して答えた。
「そうか、それじゃあ潮にもよろしくね」
タカシはそう言って再び帰り支度を再開し始めた。
「うん、また後でね」
渚はタカシの病室を出て廊下を歩き出した。すると、
『昨日の逮捕について詳細な情報が入ってきました』
病室となりの待合室に設置された大型テレビから、ニュースキャスターの声が耳に入ってきた。ロビーには十個ほど置かれた椅子の大半に入院患者たちが座っており、皆テレビのニュースに見入っていた。
「こんなにでかいニュースになるなんて、やっぱり影響も大きかったんだな」
渚は空いている椅子に腰掛けて、昨夜の事を思い出していた。
時刻は午後九時、
漣家の居間には潮、珊瑚の普段住んでいる三人に加えて、茶髪のショートカットでピンクのスーツを着た女性が座っていた。
『まあ前から何か起こると思ってたけどね、母さんの言う通りだったから』
その女性は逮捕された波内計助の今の妻である波内瑞姫(みずき)、
珊瑚の娘で岬の母親でもあり渚達にとっては伯母に当たる女性であった。
『確かに婆ちゃんは波内から占い本出す契約打ち切るし、渚は岬を連れてくるし皆わかってたんだ』
潮は渚に届いた書籍を読みながら言った。すると、隣の部屋から渚がふすまを開けて入ってきた。
『あら渚君、岬はもう寝たの?』
『何とか寝てくれましたよ、やっぱりショックで放心状態でしたからね』
渚は瑞姫の言葉に答えて居間の畳の上に座った。
『しょうがないわよね、私だって家でマスコミに囲まれるの嫌だから逃げてきたんだし』
瑞姫の隣には大きな旅行カバンが置かれていた。
『ところで、渚』
ずっと黙って座っていた珊瑚が口を開いた。
『なあに? 婆ちゃん』
『この事件が発覚したのって、この間渚がその本の取材で言ったのがきっかけなんだって?』
珊瑚は渚の顔を見て聞いてきた。
『そうだよ、元は甲一の事故の取材だったけどついでに言っておいたんだ』
『へっ、相変わらず嫌な奴だな』
潮は書籍を読みながら渚に言った。潮の読んでいる書籍にはこう書かれていた。
「歌護山トンネルタクシー事故の犯人」
二年前に歌護山トンネルで起きたタクシーの衝突事故は、偶然居合わせたN出版の記者がいち早く自社編集部のネット配信サービスで事故現場を公開した。
しかし、実はこの直前にタクシーが停車されていた車庫に、何者かが侵入し煙が発生するように細工したと言う説がある。
当時、ライバル社にネット配信で先を越されていたN社は、ライバル社に負けない為インパクトのあるスキャンダルを報道しようと思案。
ある幹部職員の出身地である地方都市のT県なら穴場のためやりやすいとして、T県に支店を持つ有名タクシー会社・Pをターゲットに選定。
発炎筒を改造したリモコン操作の機器をボンネット内の機材に仕込み、トンネル付近で待ち構えていた記者がいざ発火させた所、驚いた運転手が事故を起こしたのが真相である。
しかし、この事件は幹部職員とつながりのある地元の警察関係者により事故として処理されたそうである。
なお、この情報を提供してくれたのはその幹部の身内の人間。この本が発売される頃にはすでに事態が表沙汰になってしれない。
『でも、変じゃないか?』
潮が書籍を閉じて聞いてきた。
『何が変なの? 事故を起こした上に死人まで出したんだから』
瑞姫が潮の顔を見て言った。
『そうじゃなくてさ、こういうコンビニコミックスに書いてある事なんて、殆ど明確な証拠がないとかで立件されないだろ。
それが何で今更になって表面化したんだ?』
『言われてみればそうね……』
潮の発言に瑞姫も不思議そうに言った。
『……知りたい?』
渚が不穏な表情で話しかけた。
『ああ、一体何があって表面化したんだよ?』
『だったら、大記さんに電話すればわかるよ』
渚は聞いてきた潮の顔を見ながら瑞姫のカバンを指差して言った。
『大記に……? 何だかわからないけど』
瑞姫はそう言いながらカバンから携帯電話を取り出し電源を入れた。
『あら? 大記から電話が着てる』
画面には大記からの通話記録が何件も表示されていた。
『とりあえず、メールも着てるだろうから開いて見ればいいですよ』
『そうね、大記がわざわざメールするなんて珍しいわね』
瑞姫はメールを開いてみた。すると、
「タイトル:母さんへ
大変な事になったよ。
二年前に父さんに協力したことがバレた。
当分帰れないと思う。 大記」
メールには大記からの簡潔なメッセージが記されていた。
『え? コレってどういう事?!』
瑞姫はメールに内容を見て驚いた。
『あ! そっか、そういう事か』
潮はメールを見て納得した。
『え? 大記も関わってるって事?』
瑞姫は潮の顔を見て聞いた。
潮は渚の方を向いて口を開いた。
『ここにある警察関係者ってアニキの事だろ? 確かにアニキはあの事故の直後に東京に栄転したはず』
潮が書籍を指差して言った。
『そう言う事、おそらく栄転を妬んだ警察の人がアラ探しした結果、事件の証拠に行き着いたって訳』
渚は潮の発言にそう返した。
『でも、証拠って一体何なの?』
瑞姫はケータイを持ったまま言った。
『そりゃあタクシー会社となれば、車上荒らしとか強盗とかの対策で防犯カメラぐらいつけるでしょ。
おそらく大記さんは「怪しい奴はいなかった」とでも言って会社の整備不良に見せかけたって訳だ』
渚は瑞姫の顔を見て説明した。
『なるほど、それじゃあ大記が栄転したのもウチの旦那に雑誌の情報流しやすくする為だったのね』
瑞姫は納得した表情でケータイをしまった。
『この辺は死人が出るほどの事故も珍しいからな〜、捜査に率先したのが認められたって事か』
潮は書籍をテーブルに置いて言った。
『まあ、事故の捜査ぐらいで栄転できたとか事件として報告した関係者とか、無理がある気もするけどね』
渚はそう言いながら立ち上がった。
『どう言う事だ? お前まだ何か知ってるのか?』
渚は潮の問いかけを無視してふすまを開いた。
『ところで、婆ちゃん』
渚はその場で立ち止まった。
『なんだい? 渚』
『まだ……、何かあるよね?』
珊瑚は渚の質問を聞いて小さくうなづいた。
『渚は本当に鋭いね……』
渚はその言葉を聞いて居間から出た。
『え? まだなにかあるってどう言う事?』
潮はその場で立ち上がって珊瑚に聞いた。
『さあね、私は予感は感じるけど具体的な状況までは読めないんだよ』
珊瑚はゆっくりと答えた。
『この事件を事故として報告した警察官は上層部から信頼を受けていたらしく、その上層部の推薦で現在は都内の別の署で勤務していたと言う事です』
渚は意識を目の前のテレビ画面に戻した。
「やっぱり警察にも派閥とかあったんだな」
渚はニュースを聞きながらつぶやいた。
『しかし、上層部のトップが定年退職した事で、そのトップと対立していた別の上司が事故と報告した警察官の同僚から事件の疑いがあるとの報告を受け再捜査し……』
渚はキャスターの読み上げるニュースを聞き流して、昨日の書籍を開いた。渚は事件の記事の最後の一文に視線を止めた。
その警察関係者は出版社の幹部職員と契約をしていた。
『警察の不祥事を書かない代わりに他誌には調べられない情報を提供する』と、
「子供を使ってまでライバル社に勝ちたかったんだ……、エグいジイさんだよ」
渚は小さな声でそう皮肉った。
「婆ちゃん、慌てなくても大丈夫だよ」
甲一は祖母と共に病院を訪れていた。
「つい嬉しくてね、やっと認められたんだから」
祖母は病棟の廊下を嬉しそうに歩いていた。
「あれ? 扉が開いてる?」
甲一と祖母が祖父の入院している階に上がると、祖父の病室の扉が空いていた。
「変ね? あの人は冷房苦手だから閉めてるのに。誰か来てるのかしら」
祖母は疑問に思いながらも病室の前まで歩いた。
すると、
「来たみたいだな」
病室から聞きなれた声がした。
「え? その声は……」
甲一は不思議そうに病室に入った。
「兄ちゃん!」
「あら、今日も来てたの」
甲一は驚いて声を上げた、
その病室には渚の姿があった。
「色々と絡んでるから、話をつけにきただけさ」
渚は甲一に事情を話していた。
「ふ〜ん、あのバカ社長と刑事って兄ちゃんの親戚だったんだ」
甲一は花束を花瓶に刺しながら話を聞いていた。
「ところで、この人はさっきから眠っていたの?」
病室の隅に座っている祖母が聞いてきた。
「いや、さっきまでは起きてましたよ。薬飲んだから寝てますけど」
甲一は冷静に答えた。
病室の中央にあるベッドで、甲一の祖父はスヤスヤと眠っていた。
「聞いてよ、昨日あのニュースを見てから婆ちゃんがうるさくてさ」
「ちょっと、もういいでしょ」
甲一の言葉に祖母は軽くたしなめた。
「わかってるよ、事故が事件だって認められたからでしょ」
渚は病室の壁にかけられたタクシー会社の制服と制帽を見ながら答えた。
「まあ……、あの真面目で慎重な人が整備不良で事故なんてとても信じられなかったからね」
祖母はしみじみと語りだした。
「たまにでいいのに、毎日のようにボンネットを確かめて洗車して……。同僚の人達とも仲が良くてね」
「お婆ちゃん……」
甲一は祖母を見てつぶやくように言った。
「それが、突然事故で足が不自由になったなんて……何日も泣いたよ」
祖母はうつむきながら話していた。
「そ、それにしても、ボンネット開けても気付かないなんて、よっぽど難しい装置だったのかな?」
甲一は場を和ませようとゆっくりと言い出した。
「何でも、真っ黒に塗って機器の隙間に隠したらしいよ。夏だから少し開いた窓から針金で作った金バサミでドアを開けて……」
「あ〜、昔の車だから突起を引っ張ったら開くんだ。最近のはドアノブからじゃないとダメだけど」
甲一は渚の説明に納得した。
「まあ、あの社長も警官も一線退くのは確実だからな。あ、大記さんは内勤だから刑事じゃないぞ」
渚は何気なく甲一の間違いを指摘した。
「あ、そうなんだ……」
甲一が髪を書きながら答えると、渚は棚に置かれたカバンを背中から背負った。
「もう帰るの?」
甲一が寂しそうに聞いた。
「色々と予定があるからさ、家も事件の影響でゴタゴタしてるし」
「そうなんだ……」
そう言って渚は先程、祖母が閉めた病室のドアを開けた。
「わざわざ、ありがとうね」
祖母は顔を上げて渚に言った。
「あのさ、兄ちゃん……」
甲一が惜しそうな声で話しかけた。
「ウチの婆ちゃんから事情を全部聞いたんだろ?」
渚は甲一が言い出すより前に答えた。
「知ってたの?」
甲一は驚いた。
「当たり前だろ、それじゃあな」
渚はゆっくりと病室をあとにした。
「兄ちゃん……」
甲一は渚が去った後も、閉められたドアを見ていた。
「あ、渚君!」
渚が一階のロビーに行くと、そこにはタカシとカナがいた。
「来てたんだ、見舞いに」
「うん、だって退院するって聞いたから」
カナはタカシの腕を掴んでいった。
「ちょっと、まだ病み上がりなんだから……」
「あ、ごめんね」
タカシはそう指摘したが、それでも振りほどこうとはしなかった。
「ところで、この後のバスで帰るんだけど……」
「ああ、僕は自転車で来たからいいよ」
渚は鍵を手で回しながら言った。
「そうか、それじゃあもうすぐ時間だから帰るね」
「またね、渚君」
そう言ってタカシとカナは出入り口に向かって歩き出した。
「うん、またね」
渚も病院裏の駐輪場に行く為、裏口へ向かった。
「もしもし、何だ潮か」
病院を出て携帯電話の電源を入れた途端に電話がかかってきた、渚は携帯電話を出して電話に出た。
『見舞い終わったんだな、どうだったよ?』
「ああ、お爺さんなら変わりなかったよ。タカシも元気そうだったし」
渚は歩きながら潮と通話していた。
『そうか、こっちも伯母さんが出かけたところだ。しばらくしたら正式に離婚して新しい相手探すって』
潮は笑いながら話していた。
「そうか、行動が早いね」
渚は笑いながら皮肉った。
『まあ、前の奥さんの病死した直後に財産目当てで近づいたからな。岬も正式にウチで暮らす事になったよ』
潮の口調は笑っていたが、徐々に真面目な話し方に変わった。
「そうか、岬は今どうしてる?」
渚も真面目な口調で聞いた。
『ああ、今は何とか落ち着いてるよ。早く帰ってくれってさ』
「そっか、あと少しで帰るから」
渚はそう言って電話を切った。通話している内に、渚は駐輪場に着いていた。
「……さて、行くか」
渚は自転車に乗って病院の敷地内を後にした。
しかし、渚は自宅の方向とは別の方へ向かっていた。
「可哀想だよな、病気がちを理由に家族から見放されて……その入院先に向かう途中で事故に会ったんだから」
渚は先日行った、女子高生が眠っている墓地に向かっていた。空には今日も青空が広がっていた。
――――――――――――――――
【第九話】軋轢
「お前はもう宿題終わったんだな?」
「うん、そういう潮はどうなんだよ」
八月末のある晴れた日の朝、渚と潮は扇風機の回る畳の敷き詰められた居間のコタツテーブルの上でノートを広げてながら話していた。
「俺も大体終わったよ、あとは自由研究のレポートを表にまとめるだけだから」
潮はテーブル上のノートを指差して言った。
「自由研究って、潮は確か『六年生が最近興味のある事』だったっけ?」
「おう、他のクラスの連中にも聞いて何とか八十人分集まったんだけど、まとめるのが大変でさ。
何とか協力してくれないか?」
潮はノートを置いて両手を重ねて頼んできた。
「まあいいけど……、とりあえずデカイ表で項目別にしてからだな」
渚はノートに目を通そうとした。
「悪いな、とりあえず男女別に書き写したものがあるから」
潮はそう言うとノートの下に置かれたレポート用紙を取り出した。
「ここに項目ごとの人数と理由が書いてあるんだ」
そう言って潮は渚に包装のビニール袋に入れられたレポート用紙を手渡した。
「……何だよ、この結果は」
渚はレポート用紙を見て呆れていた。
「いや趣味とかじゃつまんないからさ……、冗談で恋愛とかそっち系を聞いてみたら意見が出るわ出るわで」
潮は苦笑いしながらレポート用紙を軽く叩いた。すると、潮は渚が模造紙に書いた表にレポート用紙に書かれた調査結果を書き写しだした。
「とりあえず、ランキングはこのまま写せばいいから。 後は理由にどれを選ぶかだな」
「理由も入れるの?」
潮の作業をしている模造紙を覗き込みながら渚が言った。
「そりゃそうだよ、この「アイドル:○○の美脚にそそられる」とか「漫画:××は絶対受けキャラ!」ってのも入れようと……」
「……それ本当に小学生なの?」
渚は面倒臭そうに言っていた。
「……面倒ならもういいよ、あとは俺が一人でまとめておくから」
「わかった、それじゃあがんばって」
潮の発言に渚はゆっくりと立ち上がった。
「そういえば、お前は何調べたんだ?」
潮はふと思いついたように聞いた。
「……『リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシの政治手腕について』だよ」
渚は答えながらふすまを開けて部屋を後にした。
「もっと小学生らしいの選べよ……」
潮はペンを走らせながらゆっくりと言った。
「あ、お兄ちゃん」
「岬、もう終わったの?」
渚は歌護山病院まで渚を迎えに来ていた。岬は生まれつきの成長ホルモンの異常で月に一回はホルモン投与などの処置を受けていたので、退院した今は月に一度のペースで通院している。
「うん、注射と診察だけだからすぐ終わったよ」
岬は病院のロビーにいた渚を見つけて駆け込んできた。
「あんまり走るなよ、一応病院なんだから」
「だって、一人でいるの寂しかったんだもん。どうせ、誰もいないしいいじゃん」
岬はそう言いながら渚の腕にしがみついた。ロビーには岬の言うとおり渚しか座っておらず周囲の人影もまばらだった。
「さてと、帰ろうか」
「うん!」
渚は岬に片腕を掴まれたまま立ち上がって出入り口に向かった。
数分後、
渚と岬は病院前に着いた公営バスに乗り込んだ。車内は平日の昼と言う事もあり数人の高齢者しか乗っていなかった。
「ここでいいか」
「うん、岬はお兄ちゃんの隣に座る〜」
渚と岬は最後尾の四人用の長い座席に腰掛けた。
「ふう……」
「……? お兄ちゃん、どうしたの?」
席につくなり渚は真面目な表情をしていた。
「あのさ、岬」
岬の問いかけに渚はゆっくりと口を開いた。
「なあに?」
岬は不思議そうに渚の顔を覗き込んできた。
「両親が浮気してた事知ってたろ」
「……え?」
渚の発言に岬は目を見開いて驚いた。
「この間、砂浜に捨てられたエロ本を踏んづけた時……ちょっと違和感があったからさ」
渚は小声でそうつぶやいた。
「……うん、前から知ってたよ」
岬はうつむきながら答えた。
「やっぱりな、何にも知らなかったわけじゃないんだ」
「だって……、お母さんはよく男の人と長電話してるみたいだし、お父さんもお母さんが家にいないくても全然気にしてないし」
岬はたどたどしい口調で言った。
「もういいよ、それだけ聞きたかっただけだから」
渚はそっと岬の頭をなでた。
「お兄ちゃん……」
岬は渚の手に触れて顔を上げた。
「まあ、体だけの関係なんてむなしいのにな……気が知れないよ」
渚はそう言ってしばらく黙り込んだ。
その頃、
「うるっせーな、自分で何とかしろよそれぐらい」
潮は携帯電話で同級生からの電話に出ていた。
『だって、あの叔母さんだったっけ? 中学生もいいんだけどさ、やっぱりオトナの方が』
電話の相手は先日の下平中の一件のユウトであった。
「知らんよ、俺だって親戚だって始めて知ったんだからさ」
潮は面倒臭そうに答えた。
「それじゃあ、宿題あるし切るぞ」
『あ、おい、ちょっと!』
潮は聞く耳も持たず電話を切った。
「まったく、面倒な連中だ」
潮はそう言いながら携帯電話をテーブルの隅に置いた。すると、
「ただいま〜」
玄関から渚の声が聞こえた。
「おう、帰ったか」
「ただいま〜、兄さん」
居間に駆け込んできた岬を潮は軽い口調で出迎えた。
「レポートは大体まとまったの?」
数秒ほどして渚も居間に入ってきた。
「いや、もうちょっとかかりそうだ」
潮はその場に腰掛けた渚に向かってそう返した。
「宿題って大変なの?」
岬がそう言いながら模造紙を覗き込んできた。
「まあな、後少しで終わりだけど」
「ふ〜ん」
潮は模造紙を見ながら返事をした。
「まあ早めに終わらせろよ、来週はアレがあるからな」
渚が立ち上がって言い出した。
「アレ?」
「……え、何かあったっけ?」
岬と潮はほぼ同時に顔を上げて聞いた。
「潮、さっき誰かと電話してたか?」
渚がテーブルの隅に置かれた携帯電話を見て聞き返した。
「ああ、この間のユウトの奴が保健医の叔母さんがどうのとかうるさくて」
潮は頭をかきながら答えた。その返事に渚は窓の前まで歩いてゆっくりと口を開いた。
「さっき、母方の婆さんから電話があったんだ。潮にはたぶん話し中だったろうから直に家の電話にも来るだろうね」
「電話? あの婆さんが急になんだよ」
潮はまたも不思議そうに聞いてきた。
「お前本当に何も知らないんだな。家の事ぐらい少しは知っておいてくれ」
渚はため息をつきながら言った。
「何なの? お兄ちゃん」
岬は立ち上がって渚に近づいた。
「……ウチの母親の七回忌だよ」
渚は間を置いてゆっくりと答えた。
「あ、そうだよな! 来月の始めだったっけ」
潮は模造紙に走らせていたペンを止めて納得した表情で発言した。
「何せ客が五十人は来るからな、息子の僕達を無視するわけにはいかないよ」
渚はそう言いながら再び畳の上に腰掛けた。
「ちょっとまてよ、父方の親戚はこの間のスキャンダルで忙しいんだし、そもそも七回忌なんてそんなに客来るのか?」
潮がペンを持ちながら質問した。
「普通の家ならね。でもさ、母方の祖父母って何をしてるかぐらいは知ってるよね?」
渚は岬の顔を見て聞き返した。
「……あ、なるほど……」
潮はペンをテーブルの上に置いて返事をした。
「え? たしかお爺さんは大学の先生だったよね?」
渚の隣に座った岬が話しかけた。
「大した事ないよ、あのジジイは婿養子なんだから。波内出版だってほとんど子会社みたいな状態になってたし」
「どうして?」
岬はまだ状況がつかめておらず首をかしげていた。
「これだよ、これ」
渚はそう言いながら岬に何重にも折りたたまれた小さな紙を手渡した。
岬はゆっくりとその紙を開いた。
「『浜岸グループ』……『社長:浜岸まさみ』?」
その紙には『浜岸グループ系列一覧表』と書かれていた。その紙には『浜岸印刷』、『浜岸予備校』、『浜岸文具』など幾つもの浜岸名義の企業名が書かれており、端には『提携・波内出版』と記されていた。
「ウチの婆さんは学校関係の企業グループのトップなんだ。最も親族経営だったのが母親達の代で台無しになっち
ゃったし、婆さんも趣味から派生した日本舞踊の講師をメインにしてるらしいけど」
渚は冷静に補足説明をした。
「なるほど、跡継ぎがいないからこそ社長に気に入られようって言う連中が多いから沢山来るわけか」
「そういうこと。それに、事情はどうあれ存命してる孫は呼ばないと親戚のゴタゴタを余計印象付けちゃうからね」
潮の回答に渚は両腕で後頭部を持ちながら答えた。
「……それって、岬も行かなきゃいけないの?」
岬が紙を持ちながら聞いた。
「さあね、どうせ僕達は行かなきゃならないけど、岬は自由じゃないかな」
渚は髪をかきながらそう言った。
「ふ〜ん、ちょっとトイレに行って来るね」
岬は言い終わる前に居間から廊下に出て行った。
「岬は知らないからな、俺達の親の事なんて」
潮は岬の出て行った廊下を見ながら渚に話しかけた。
「そうだよね……きっかけは全部物心つく前の話だから当然だけど」
渚は岬の置いて行った紙を拾いながら返した。
「そういやネットだと波内出版のスキャンダルで提携を切るって言われてるらしいな」
「当然だよ、僕達が生まれてたから親族として企業関係も持てたんだから。生んだ両親が死んだ今じゃ関係も何もないよ」
潮の情報に渚が解説を入れた。
「……僕達が生まれた事がきっかけって事は……何とも言えないけどね」
渚は紙を見ながらつぶやいた。
「…………そうだな」
潮は窓の外を見て小声で言った。
数時間後、
「珊瑚さん、今日も大盛況でしたね。若い子達の行列が出来て」
駅ビルでは祖母・珊瑚がこの日の営業を終えてテナントの片づけをしていた。周囲の食事処や土産屋などにはちらほらと客が入っていく時間であるが、珊瑚の経営する『占いの館』だけは夕方に店を閉めるため帰宅準備をしていた。
「ええ、おかげさまで。もう夏休みも今週一杯ですから」
珊瑚は話しかけてきた警備員の男に会釈しながら返した。
「それじゃあ、おつかれさまです」
警備員の男は軽く頭を下げてその場を去った。
「さてと、今日のオカズは何にするかね……」
珊瑚が仕度を終えてシャッターを閉めようとすると、
「おや?」
珊瑚の黒い手提げバッグから携帯電話の着信音が鳴り出した。
「誰からだろう……もしもし?」
珊瑚はバッグから携帯電話を取り出して電話に出た。
『もしもし、お母さん?』
「あら、瑞姫。どうしたんだい?」
電話の相手は珊瑚の娘であり渚達の父方の叔母・瑞姫であった。
『時間がないから用件だけ話すね、来週正式に離婚決まったよ』
瑞姫は早い口調でそう言った。
「あらそう、まあ運勢も上昇見込めないから早い方がいいかもね」
『それじゃあ、準備があるからまた落ち着いたら電話するね』
瑞姫は早々と電話を切った。
「まったく、世話しない娘だねぇ……」
珊瑚はため息をつきながら携帯電話をバッグの中に戻した。
「……来週は忙しくなりそうだね……」
珊瑚はそうつぶやきながら駅ビルの出口に向かって歩きだした。
その頃、
「おい、また七回忌の場所教えろって電話だぞ」
自宅にいる潮は何度も携帯電話にかかってくる電話に嫌々対応していた。
「これでこっちから来るのは十五人だね。最も、何人かで来るだろうからその何倍にもなるけど」
渚は律儀にメモを取っていた。
「しかし、何で母さんの七回忌に歓楽街からも来るんだ? 確かによく親の事は言われてたけどさ」
渚と潮は居間の畳の上に座りながら話していた。
「そりゃそうだよ、父さんも母さんも業界じゃソコソコ知られてたって言うからね。何度か雑誌にも載ってたらしいし」
渚が冷静に説明した。
「まあ、あの歓楽街に入り浸っていたのは聞いたけどさ。いくら大企業の社長の娘だからって……」
「どうかな、浜岸グループの幹部に、何とか潰れかかった波内から浜岸に戻ろうとする連中に、父さんと母さんの仕事仲間……百人は超えるだろうね」
渚は指折り数えながら話した。
「仕事仲間が幹部連中に匹敵する人数ってことか。さすが伝説といまだに語り継がれるだけはあるな」
潮は上を見上げながらしみじみと口にした。
「とりあえず、僕達はもう十二歳……同じ轍を踏むつもりはないけどね」
渚は立ち上がってそう言った。
「どうした?」
「岬を起こすんだよ、もう昼寝の時間じゃないから」
そう言って渚は居間から出た。潮が携帯電話の時刻表示を見るとすでに午後五時半を回っていた。
「もうこんな時間か」
窓の外ではすでに空が赤くなりかけていた。
ちょうど同じ頃、
「先月の全国学力試験の関連データが届きました」
ビルの立ち並ぶビジネス街のど真ん中にある数十階建ての高級マンション、最上階のある一室の前にスーツ姿の男がやってきた。
『ご苦労様、新聞受けに置いてくれればいいから』
インターホンから年配女性らしき声が聞こえた。
「はい、それでは失礼いたします」
男は言われたとおり持ってきた封筒をドアの新聞受けに入れてその場を去った。
「さてと、今回はどうかしらね」
室内では五十代と思われる茶髪のロングヘアの女性が、窓の外のビル街を眺めながらソファーに腰掛けていた。その家はあちこちに高級家具が置かれ、金色の装飾品が幾つも点在する豪華な内装であった。
「あら、今度は誰かしら」
ソファーのすぐ傍にあるテーブルに置かれた卓上電話が鳴り出した。
「もしもし、浜岸ですが」
『社長、印刷部の貝原です。わが社からは私を含めて十五人が参列する事になりましたのでご報告いたします』
女性が電話に出ると、その相手は同じく年配と思われる男性の声であった。
「はい、確かに。それじゃあ来週の月曜だから頼むわね」
『はい、それではまた』
男はそう言って電話を切り、女性もゆっくりと受話器を置いた。
「これで系列会社からの参列者は大体決まったわね。……波内以外は」
女性はメモ帳を開いて人数を書き記した。数秒ほどして、女性はメモをテーブルに置いて立ち上がり、玄関へ歩き出した。
「どうなったかしらね、いつも通りだとは思うけど」
女性は新聞受けから先程の封筒を取り出し、中の書類を引き上げた。そこにはテストの全国平均のデータと共に、数名の小学生のテストの点数が表記されていた。
「……全国十五位、後の子達はいつもどおりね」
女性は数秒ほど目を通した後、再びソファーに腰掛けてテーブルの上に封筒を置いた。
「……渚には頑張ってもらわないとね。唯だけじゃ人手不足だしあの子の方が見込みもあるんだから」
女性は窓の外の夕焼けを見ながらそうつぶやいた。テーブル上の封筒には『浜岸まさみ様:第×回全国小学生実力試験・親族結果封入』と書かれていた。
――――――――――――――――
【第十話】年頃
『兼ねてから言われておりますが、未成年者の非行等の原因はやはり親や周囲の人間との関わり方次第で……』
テレビ画面の中で四十歳前後の男性コメンテーターがニュース番組のワンコーナーで持論を展開していた。
『では、中塩さんは今回の事件に関してはどのように?』
『やはり、この少年は親が家を空けることが多かったのが影響したと……』
白いバックに巨大モニターが置かれたスタジオで、司会の女性アナウンサーの質問を受けてコメンテーターは話を続けた。モニターには最近発生した未成年者による重大事件が表にまとめられて表示されていた。
「また、このオッサンか。本当、何か事件があると同じ事ばっかり言ってるよな」
テレビの前では潮が食パンをかじりながら面倒臭そうに発言した。
「放っとけよ、こうしないと金もらえないんだからさ」
渚がカップに入ったココアを飲みながら冷静にコメントした。渚と潮はいつも通り、居間のテレビを見ながら朝食を食べていた。
「大体、親がいないというなら俺達はどうなるんだ? 失礼極まりない発言だな」
「本当にそうだよね」
岬が廊下から入ってくるなり、潮の発言に同意した。
「やあ、岬は何食べる?」
「チョコクリームがいい〜」
岬はテーブルの前に座りながら、テーブル中央に置かれた食パンの袋を掴んで言った。
「まあ、いちいち反応しても仕方ないよな。チャンネル変えようか」
潮はテーブルの隅に置かれたリモコンを手に取り、ニュースからワイドショーに変えた。
「ところで岬、クラスにはもう慣れた?」
渚がチョコレートクリームのボトルを手にして聞いた。
「うん! もう友達も出来たし劇にも出るんだ!」
岬はボトルを受け取りながら嬉しそうに発言した。
「そうか、来週は文化祭だったな」
潮が視線を渚達に戻しながら言った。岬は名義上は歌護山病院近くの学校の児童になっていたが、退院を期に渚達と同じ小学校に編入した。三人はしばらくして食事を終えて家を出た。
「隣町の子に告白だぁ?」
時刻は午後一時、昼休みで殆どの児童が出払った六年三組の教室で、渚と潮は同級生から相談を受けていた。
「ああ、大会の試合前に見た瞬間、一目ぼれしちゃってさ」
コウジと名乗る五分刈りに日焼けした黒い肌にジャージ姿の少年は詳細を語っていた。話によると彼が所属する野球部の地区大会で、相手チームのマネージャーだった女の子に一目惚れしたと言う。
「なるほど、隣町の北平(きただいら)小学校の子って訳か」
渚は話を聞いてそう返した。
「それで、その子の名前と顔は詳しくわからないのか?」
潮がコウジの顔を見て聞いてきた。
「えっと……写真が一枚あるだけなんだ」
コウジは胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「う〜ん、ちょっと小さいな……」
渚は写真を見てつぶやいた。その写真にはグラウンド上で素振りをする男子児童の後ろに、小さく黒髪ロングヘアーで学校指定の深緑色のジャージを着た女の子が写っていた。
「……これ以上はわからないんだ。北平に知り合いはいないし、さすがにマネージャーまでは資料に名前なくてさ」
渚の発言を聞いてコウジは不安そうな口調で言った。すると、写真を見てしばらく黙っていた潮が口を開いた。
「何か、この子見たことあるな……」
「マジ?!」
コウジは潮を見て声を荒げた。
「まあ、とりあえず調べてみようぜ。案が出来たらまた連絡するから」
渚はそう言いながら立ち上がった。
「頼むよ、何とか告白したいから!」
コウジは両手を重ねて頼み込んだ。すると、
「あ、もうこんな時間だぞ」
午後の授業の開始を知らせるチャイムが鳴り、潮達は立ち上がった。
「そっか、それじゃあまた後で」
そう言うと潮とコウジは教室を出た。
「はい、授業始めるからみんな席について」
渚が改めて窓際にある自分の席につくと、戻ってきた児童たちと共に担任である女性教師がやってきた。女性教師はボブカットに半そでシャツとスーツのスカートを着込んでおり、片手には数枚の書類と文化祭のプログラムが握られていた。
「今日は、来週の文化祭について詳しく説明するからね」
女性教師がそう言うと児童達も机の中から事前に渡されていたプログラムを取り出した。
「知ってると思うけど六年生はステージ演奏と喫茶店と研究発表……」
女性教師の説明を聞き流していた渚は、ふと窓の外の運動場に目をやった。
「……ん?」
運動場では下級生が体育の授業を行なっていた。
「あれは……」
渚は数人ごとに輪になって準備運動をしていた児童達の中に、一人だけで体操をしているポニーテールの女子児童に目が行った。
「ああ、鱈野(たらの)さんの事?」
「知ってるの? 岬」
夕方の下校時、渚と岬は数件の個人商店が点在する住宅街を歩いていた。その通りは二車線の車道と両横にガードレールと高い街路樹が並ぶ歩道が整備されていたが、時間的に車も通行人も少なかった。
「隣のクラスだけどね。岬も直接会って無いからよくわからないけど……」
岬は自身のツインテールの髪に手を触れながら語った。岬の説明によるとその鱈野と言う子は成績も運動神経が悪く、輪に入るのも苦手でよく男子からからかわれたりしていると言う。特に両親が仕事の都合で家にいない事や、小六の兄が不登校で引きこもりがちな事がよくネタにされているそうだ。
「なるほど、要は軽いいじめを受けてるって事か……」
渚は口元に手を当てながら言った。
「あれ? 潮兄さんだ」
岬は数件先にある小さな書店を指差した。
「本当だ、何か買ったのか」
渚が本屋に視線を移すと、出入り口から紙袋を持った潮の姿があった。
「兄さ〜ん」
「ん? 何だ岬と渚か」
岬が手を上げて声をかけると潮が振り向いてきた。
「ねえねえ、何買ったの?」
岬が潮の持つ紙袋を指差して聞いてきた。
「ん? いつもの投稿誌だよ」
「お前、平然と答えるんだな……」
軽い口調で答えた潮に対し渚がたしなめるように言った。潮の言う投稿誌とは風景や野鳥と言ったアマチュアによる趣味関連の雑誌などではなく、ヌード写真などが大半を占める成年指定でもコンビニや大型書店には置けないような危ない本であった。
「遠方から来る客に通販より安く安全な手渡しで売るんだよ。何せ普通の本屋に置いたら色々とうるせえからな」
潮の言うとおり、誌面の一部には明らかに十八歳未満と思われる人物のセミヌード写真が平然と写っていた。
「じゃあ、今夜も泊まりか? 金になるとは言え大変だね」
渚は潮の隣を歩きながら軽く皮肉った。
「大変だね、兄さん」
渚のすぐ後ろを歩いていた岬がつぶやくように言った。三人はしばらく話しながら家まで歩いて帰った。
一方その頃、
「……ただいま」
先程のポニーテールの女子児童が小声でつぶやきながら自宅アパートに入っていった。そのアパートは外観はコンクリートでできた白い外壁で四階建てのどこにでもありそうな建物であるが、女子児童の自宅である四階の一室は他の家と明らかに異なる点があった。
「今日もいないんだ……」
内部は3DKのありふれた構成であったが、外は虫の鳴き声や遊ぶ子供達の声でにぎやかなのとは裏腹に、人が住んでいるのかも疑問に思うほど暗く静かであった。
「アニキ……いる?」
女子児童は玄関のすぐとなりにある閉じられた引き戸を軽く叩いた。
「……おかえり、尋美(ひろみ)」
中からは兄である鱈野蓮(れん)の声が聞こえた。蓮は幼い頃から病弱だった事もあり、学校に行かず自室に閉じこもっている事が多かった。
「今日もお母さんは残業かな?」
尋美はドア越しに聞いた。
「さあな……、とりあえず電話ないって事はそうなんだろ」
蓮はゆっくりとした口調で答えた。
「わかった、今日のご飯は特売のカップ麺でいいかな?」
「ああ……、お前に任せるよ」
尋美の問いかけに蓮は小さな声で返事をした。
「……それじゃあ、ひとっ走り買ってくるね」
尋美はランドセルを玄関の茶色い靴棚の上に置いて再び家を出ていった。
「もうすぐ夕飯だってさ」
「ああ、わかった」
漣家では潮が自室の机の上で先程の投稿誌を軽く眺めていた。
「パラパラめくってる所を見ると、何かの確認か?」
夕食の予定を伝えに来た渚が机の上の雑誌を覗き込んだ。
「一応、落丁とかないかどうかな。まあ、多分ないと思うけど」
そういいながら潮はページをすばやくめくっていた。
「あれ? ちょっと、今の」
渚があるページを見て誌面に触れてきた。
「どうした?」
「今のグラビアページだけど……、ちょっと戻ってくれない?」
潮は渚の言う通り、めくったページを何枚か戻した。
「ここだ、ここだ」
渚が早口で喋りながらあるページを指差した。そこには明らかに未成年者と思われる少女が何人も写っているグラビアのページだった。
「知り合いでもいたのか?」
潮が聞きながらページ全体を見渡すと、
「あ! コイツってさっきの……」
そこには先程の写真で見た少女と同じ、黒髪ロングヘアーの女の子のグラビア写真が貼られており、ご丁寧に北平小の指定着と同じ深緑色のジャージを半分はだけた状態で羽織っていた。
「さすがに校章はモザイクしてあるけど、こんな色のジャージは珍しいよね」
渚が口元に手を当てながら言った。
「『アヤ』か……、どこかで見たことあると思ったら何度か会ったな」
写真の横に書かれた写植を読んで潮がつぶやいた。
「やっぱり、売りやってるんだ。学校のジャージで撮るなんて度胸あるね」
渚は視線を誌面から机の真上にある窓に向けながら言った。
――――――――――――――――
【第十一話】電話
「来週のエルスホール十時からですね、わかりました」
珊瑚は自宅の卓上電話である女性と通話をしていた。
『本当に漣さんにはこの度、ウチの系列の者がご迷惑をおかけしました』
電話の相手は申し訳なさそうな口調で謝罪の言葉を口にした。
「いえいえ、ウチの親族も関わっていますし……もう版権も変えた後でしたから」
珊瑚はゆっくりとそう返した。
『では、渚君にもよろしくお伝え下さい』
女性の声はそう言いながら遠くなりかけていた。しかし、
「わかりました……でもあの子はまだ小学生ですし、決めるのは本人次第ですからね」
珊瑚は急に強い口調で言い返した。
『……あ、こんな話はまだ時期尚早ですよね、それでは』
女性は一瞬ためらったような声を出したが、そう言って電話を切った。
「……全く、あの母親は会社の事しか考えてないのかしらねえ」
珊瑚はため息をつきながら受話器を置いた。
「ふ〜ん、待ち合わせのために球場に行ってたんだ」
渚は普段の通学路とは違う人気の少ない住宅街を、すでに帰宅していた潮と通話しながら歩いていた。
『ああ、部活の試合なら卒業生とか近所の知り合いとか不自然じゃない言い訳できるかららしい』
潮と渚は携帯電話で昨日のアヤの件について話していた。アヤはマネージャーではなく写真に写っていたのも偶然で、本当は客との待ち合わせで来ていただけであった。
「それで、そのアヤって奴は結局、断ってきたんだよね」
『「同世代の下手な童貞は面倒だ」ってさ、コウジには年上の彼氏がいるって説明しておいたよ』
潮は淡々と経緯を説明した。
「ふ〜ん……アヤか……」
渚は間を置きながらそうつぶやいた。
『? ……どうした?』
潮は渚の反応を不思議がった。
「あ、いや……とにかくプリント届けてから帰るからね」
『あ、ああ……。先に帰ってるから』
そう言って渚と潮は電話を切った。
「……アヤに……蓮に……歓楽街か」
うつむきながら歩いていた渚は白い外観のアパートの前まで来ていた。辺りには数台の遊具で遊ぶ子供の声と傍の車道から車の通過音が響いていた。
「さてと……」
渚は背負っていた通学カバンを下ろして、二枚のプリント用紙を取り出した。プリントには『鱈野』と書かれたフセンが貼られていた。
「二号棟の、四〇九号室だったな……」
渚はプリントを握って、カバンを再び背負いアパートの出入り口に入った。
一方その頃、
「ただいま〜」
「あら、おかえり」
岬が大きな声で自宅に帰ってきた。
「ん? 岬か」
岬はカバンを自室に置いた後、潮のいる居間に駆け込んでいた。
「あれ? 今日はお兄ちゃんまだなの?」
「ああ、渚は日直らしくてな。休んでる奴の家に行ってる」
岬の問いかけに潮はそう答えた。
「ふ〜ん、そうなんだ」
岬はそう言いながら畳の上に腰掛けた。
「……? これなあに?」
居間のテーブルの上には表紙が色あせた水色のアルバムが置かれていた。
「ああ、それか。さっき婆さんが倉庫を整理してたら見つけた昔のアルバムだ」
潮は髪をかきながら答えた。
「昔の……?」
岬はゆっくりとアルバムのページを開いた。
「古い写真ばっかりだね」
岬は写真を見ながらページをめくっていた。アルバムには茶色いページに八十年代か九十年代の日付が記された漣家の親族の写真が貼られていた。
「ほとんどは親父の写真だぞ、俺達は赤ん坊の頃のが数枚入ってる程度だ」
潮の言う通り、父・ミナキが子供だった頃の写真が大半を占めていた。
「ふ〜ん……あれ?」
岬はアルバムの巻末辺りでふとページをめくる手を止めた。
「今度はどうした?」
「このページ、写真がはがされてるよ」
岬が潮に見せるように指を指したページには、明らかに写真一枚分の大きさで色あせずに黄色い長方形の跡があった。
「本当だ。しかもこんなにくっきり跡がわかるって事は最近だな」
潮はアルバムを見ながらつぶやいた。
「一体何の写真だったんだろう……」
岬はそう言いながらアルバムを見つめていた。開かれた二ページには色あせていない部分の周りに中学時代のミナキの写真が貼られていた。
「プリントだけ新聞受けに入れてくれればいいよ」
アパートのドア越しに蓮は渚とインターホンで話していた。蓮はボサボサのショートヘアにジャージ姿で玄関に立っており、ドアの鍵は開いていたがチェーンロックをかけていた。
「一応確認してよ、中身をさ」
渚はインターホンのマイク越しにそう話しかけた。
「わかったよ、それじゃあ俺が確認したら帰ってくれよ」
蓮は面倒臭そうに新聞受けのフタを開けた。中には渚が持ってきた文化祭の告知とPTAの会報誌が入っていた。
「……ったく、また大した事のない奴だろ」
蓮はゆっくりとプリントを取り出した。すると、
「ん?」
プリントの隙間から一枚の小さな紙が落ちた。
「これは……写真?」
「うん、何か心当たりがあるはずだから」
蓮の言葉を聞いて渚はそう返した。その紙は数人の中学生らしき少年数人がある家の前で並んで写っている写真だった。
「心当たりつっても……あれ?」
写真を眺めていた蓮は右端のスポーツ刈り少年を見て声を上げた。その少年は目鼻立ちも輪郭も蓮とほぼ同じであった。
「俺に似てる……ひょっとしてウチの親父か?!」
「やっぱりそうみたいだね」
そう言って渚はチェーンが引っかかる位置までドアを開いた。
「渚……だったっけ、お前ウチの親父の事知ってるのか?」
蓮はチェーンをゆっくりと外しながら真剣な口調で話してきた。
「少しはね、その写真にはウチの父親も写ってるし」
渚が写真の中央を指差した。その位置にはどちらかと言うと潮とよく似た顔の少年が写っていた。
「……とりあえず、入ってくれ」
蓮はそう言ってドアを開け渚を招き入れた。
「ありがとう、お邪魔します」
渚が鱈野家に入ると、家の中全体が静まり返っており人気が全く感じられなかった。
「妹は文化祭の委員らしくて遅いから、母さんは出張で来週まで帰ってこないよ」
蓮は髪をかきながら家の奥にあるふすまを開け和室に案内した。室内は本棚や何列にも積み上げられた段ボール箱に囲まれ、その所々にホコリがびっしりとつき窓も障子で覆われた暗い内装であった。
「親父は二年前に出かけたっきりでさ、多分アルバムとか日記とかがこの中にあるだろうけど面倒でよ」
そう言いながら蓮は本棚から一冊の青いファイルを取り出した。
「父親の事は何か聞いてないの?」
「全然、母さんも親戚も『北海道で仕事してる』ぐらいしか言ってくれねえんだ。どうせ仕事なんかじゃないだろうけどよ」
渚の問いかけに蓮はファイルを差し出しながら答えた。
「親父のアルバム代わりの本らしい、俺が知ってるのはコレぐらいだ」
渚は蓮に手渡されたファイルを開いた。中には蓮の父親と思われる少年の子供の頃の写真が何枚か貼られていた。
「う〜ん……中学までか」
アルバムはの中学の卒業式の案内板の前に写った写真を最後に、残りのページは全て空白だった。
「ウチの親父はえらい若いからさ、あんまりカメラで撮る機会なかったらしい」
蓮の言葉を聞いて渚はアルバムを閉じた。
「……少しは知ってるけど、聞く?」
渚はゆっくりとそう聞いてきた。
「え? まあ俺もわからん事多いから出来れば言って欲しいけど」
蓮は少し戸惑った口調で返した。
「それならいいけど……後悔しても知らないよ」
渚は背負っていたカバンを下ろして中から手のひらサイズの手帳を取り出した。
「ウチの父親とは同級生だったらしいんだ……中学の先生とか昔の知り合いの人が教えてくれたよ」
「ふ〜ん、でも大した中じゃないんじゃないのか」
蓮の軽い発言を聞き流して渚は手帳を開いた。その途端、渚は急に真剣な表情になった。
「父親の名前は氷浦早人(ひうらはやと)、鱈野は未亡人である妹の母親の名字で息子は戸籍上は引き取られた状態……それが君だね」
渚は淡々とした口調で言った。突然の言葉に蓮は驚きの表情を見せた。
「……え?!……」
驚く蓮を尻目に渚は音読を続けた。
渚の話によると蓮の父親・早人は中学卒業後に渚達の父親・皆鰭(みなき)とつるんで歓楽街でアルバイトをしながら実家で生活していた。しかし、若くして蓮が生まれ相手方の希望もあって引き取る羽目になる。その後、親を早くに亡くしたのもきっかけとなって次第に酒におぼれだしギャンブルや危ない商売にも手を出すようになってしまったと言う。
「現在は脱税や強引な客寄せをした店の関係者として北海道の刑務所に服役中、息子は数年前に知人の女性が婚姻はせず養子と言う形で引き取り現在に至る……以上」
渚は音読をやめて手帳を閉じた。
「そうか……やっぱりそういう事だったんだな……」
蓮は下を向いてつぶやいた。
「やっぱり聞かない方が良かった?」
渚は蓮に向かって聞いた。
「いや……、変に遠慮されるよりすっきりしたよ……」
蓮は真顔でゆっくりと顔を上げた。
「僕が調べられたのはコレぐらいだよ、詳しい事は当事者に聞かないとわかんない」
「ああ……わざわざありがとな……」
そう言って蓮と渚は畳の上に座った。そのまま、二人は何も語らずに黙っていた。
「……でも、何でわざわざ俺の親父なんて調べたんだ?」
しばらくして、蓮が口を開いて聞いてきた。
「俺が生まれた事とか親父が捕まったとかはお前とは関係ないだろ? お前の父親も最初の方にしか出てきてないんだし」
蓮は不思議そうな言い方で渚に聞いた。
「う〜ん……それはねえ」
渚はカバンに手帳をしまいながら思わせぶりに返事をしだした。しかし、表情は真剣であった。
「……殺されたウチの父親と……、大いに関係があるんだ」
「……殺された?」
渚の返事に蓮は再び戸惑っていた。
数時間後、
「あら、アヤちゃんじゃない」
客や呼び込みの店員でにぎわう夜の歓楽街で、楓は偶然通りかかったアヤに声をかけた。
「あ、楓先輩。お久しぶりです」
黒いジャンパーを羽織ったアヤは楓の方を振り向いて、楓のいる道の端に歩いてきた。
「その様子だと今夜は取れたみたいね」
「はい、パチンコが当たったらしくて四枚もくれましたよ」
アヤは明るい口調でそう言った。
「でもハズレだからってあんまり痛い目にあわせちゃダメよ、アヤちゃんはグループの一員だけど万一って事もあるし」
楓は諭すように言った。
「わかってますよ、私は姉さんたちみたいに潰したりはしませんから」
「あ、ちょっとゴメンね」
アヤが話してる時、楓の胸ポケットから着信音が鳴った。
「……なんだ、ツトム君からか」
楓が携帯電話を取り出すと、ツトムから週末の予定を記したメールが届いていた。
「楓先輩って変わってますね、年下の童貞と付き合うなんて」
「そう? オッサンと明らかに違うからいい気分転換になるわよ」
アヤの問いかけに楓は携帯電話を胸ポケットにしまいながら答えた。
「私は無理っぽいです、昨夜も潮から同い年の奴紹介されましたけど断りましたし」
「まあ考え方次第ね」
楓は軽く笑いながら返した。
「それじゃあ、私は姉さん達の所に行くんでこの辺で」
「うん、またね」
アヤはそう言って歩き出し人ごみの中に消えていった。
「やってるのは一部とはいえ、本当に攻撃的な集団ね」
楓は独り言を言いながら自らも人込みの中に入って歩き出した。
――――――――――――――――
【第十二話】集団
まだ日が暮れかけた夕方の歓楽街、潮は顔なじみの飲食店の男性店員とその店の前で話していた。
「渚がココに?」
「ああ、父親とダチについて教えてくれって頼まれてな」
開店の準備をしていた三十前後の男性は、昨日訪れた渚の事を話していた。
「ダチってあの氷浦とか言う有名な?」
「ああ、アイツはまだ二十代だってのに何件も店を持ってたぐらいだからな。お前の親父だってこの街じゃ知られてるしよ」
男性は店のガラス扉に『営業中』の札をかけながら答えた。
「そうか、一体どういうつもりなんだか」
潮はアゴに手を当てながらそうつぶやいた。
「ん……、そういえばアレからもう六年経つのか」
男性が気付いたようにそう言った。
「あ、そういえばそうだな」
潮はゆっくりと返事をした。
その頃、岬と珊瑚は自宅の居間で話していた。
「おや? それは何だい?」
珊瑚は岬が持ち帰ってきた数枚のポスターを手に取った。
「文化祭と交通安全のポスターだよ、近所に配るんだ」
テーブルの上に置かれたポスターは数日後に控えた文化祭の告知が二枚と、事故現場の写真に標語が載った交通安全の注意喚起が三枚だった。
「なるほどね、……ん?」
ポスターを何気なく見ていた珊瑚はある一枚を見て気付いた。
「どうしたの? お婆ちゃん」
「この写真は……」
珊瑚は川原で運転席が大破し炎上している事故車の写真を見て絶句した。
「……お婆ちゃん?」
岬は珊瑚の顔を覗き込んだ。
「ここで夢を語るってのはどうだろう?」
「……まず、どうやってココに誘うの」
「そうだよな……どうするか」
時を同じくして、渚はコウジと共に国道と山道を結んだ数十メートルの鉄橋の歩道を歩いていた。
「まず、アヤちゃんが何に惹かれるかわからないかな?」
「そう言われてもなぁ……、僕自身は会った事ないし」
必死に訴えるコウジに対し渚は冷静に返した。
「それにしても、何でこんな所に来てるんだ? この先は山道だろ?」
コウジがふと渚に聞いてきた。コウジは架空のデートコースを模索していた所を、渚に偶然出会ったのである。
「ちょっと所用でね……、当日は来られないから」
渚はそう言いながら、持っていたビニール袋から花束を取り出して鉄橋の歩道入り口にある鉄製の階段を降りていった。
「何だ? その花」
コウジも渚の後を追って階段を降りていった。階段の先には鉄橋下に流れる大きな川と岩場が広がっていた。
「ここが現場だね」
渚は階段を降りると、鉄橋の柱部分にある小さな石碑の前で止まった。
「あ、ここって確か事故があったって言う……」
コウジは石碑を見て思い出した。
「うん……、六年前のこの時期にね……」
渚はその場にしゃがんで持ってきた花束を石碑の前に置いた。
「親戚でも乗ってたのか……?」
コウジが言い終わる前に、渚は立ち上がって階段に戻った。
「おい、ちょっと待ってくれよ!」
コウジも慌てて後を追って階段を上った。
石碑には事故の詳細が記されていた。
二千×年十月○日午前八時十二分、
北砺市○×町症川にかかる鉄橋から乗用車が転落、炎上した。この事故で男児一名と女性一名が重軽傷、運転していた堀田県一さん、後部座席に乗っていた不治河夕期さんと漣エリカさんが死亡した。この五人は友人同士で日帰り旅行に行く途中で、事故の原因は運転者していた堀田さんの操縦ミス、事故死した三人は車内で準備や着替えをしていた為、逃げるのが遅れたと見られている。
この川には兼ねてから落下事故が幾度も起きており、慰霊と注意のために二千×年に橋の入り口と事故現場に石碑と看板が立てられた。
一時間後、
『続いて、今朝、○県北砺市の商店街で起きた銀行強盗の続報です。この事件は……』
「まだ捕まってないんだね」
渚と岬は居間で夕食を食べながらテレビのニュースを見ていた。珊瑚は仕事の都合で出かけており、家には二人しかいなかった。
「まあ、防犯カメラもあるらしいし直に捕まるよ」
渚はお茶を飲みながら返事をした。
「でも、事件があったって事は兄さん大丈夫かな」
岬はいつものように歓楽街に行っている潮を心配していた。事件が起きた商店街は歓楽街のすぐ近くにあった。
「大丈夫だって、現行犯じゃないとダメだし何年もやってるアイツはヘマしないよ」
「それもそうだね」
岬はそう言うと視線をテレビから目の前の食事に戻した。
「それで、あのポスターは配りに行かないの?」
「え?!」
岬は渚の発言にドキッとした。
「玄関に放ったらかしてあったよ。学校にも貼られてるからとっくに知ってるよ」
「……そうだけど、つい……」
岬は下を向きながら答えた。岬は珊瑚が仕事で出かけるまで事故の事を話し込んでいた為、配りに行くのを忘れていた。
「あの事故なら気にしなくていいよ。遺族の許可なら母親である婆さんに取ったんだろうし、さっき花持って行ったばかりだからさ」
渚は全て察して冷静に返した。
「うん……、後で行ってくるね」
岬はゆっくりとつぶやいた。
『警察では引き続き付近の聞き込み捜査などを行い、逃げた男の行方を追っています』
「まだ捕まってないのか、面倒だな」
いつもの歓楽街を歩いていた潮は、携帯電話で同じニュース番組を見ていた。周囲はいつも通り立ち並ぶ店の電灯と行きかう通行人で賑わっていた。
「まあ、今日はもう帰るかな。あんまりうろついてもしょうがないし」
潮は携帯電話を閉じて胸ポケットにしまった。特に予定もない為、帰ろうとそのまま出入り口に向かっていた。すると、
「……ん?」
潮はふと何かに気付いて振り返った。相変わらず行きかう通行人の足音や店の呼び込みの声をスルーして、潮は奇声をわずかに感じた。
「今、変な声がしたような……」
潮は人ごみを掻き分けて、照明や店内の電灯で明るい店舗の間にある、一軒の暗い廃ビルに近づいた。そこは管理会社の倒産により数ヶ月前からもぬけの殻となって電灯はおろか扉にもロープが張られていた。しかし、閉鎖されてるのを無視して侵入し、非合法な行為があったと言う噂もこの街では当たり前のように流れていた。
「ひょっとして、また……」
潮は人気のないビルの反対側の窓から中をのぞいた。
「……あっ……」
「うう……」
「らあっ……!」
暗くてわかりにくかったが、そこには数人がケンカをしているような光景があった。
「やれやれ……、可哀想な奴」
その光景を見慣れている潮は、小声でそうつぶやいてその場を離れようとした。
「さてと……あ!」
元いた歩道に戻ろうとした潮は、ふと前を見てある事に気付いた。
「イテテ……もう、勘弁してくれ」
「ダメだね、ルールぐらいわからない奴なんて」
ビルの中で倒れていた男が、数人の前で命乞いをしていた。
「まあ、私達と絡んだ訳じゃないから潰しはしないけどね。もうちょっと付き合ってもらわないと」
倒れている男を囲んでいる者達が少し高い声でそう言いあっていた。その時、
「おい、警官が通るぞ!」
潮がビルの中にまで届く声で叫んだ。
「……え?!」
「みんな、逃げて!」
その声に男を暴行していた連中は慌ててビルの窓から飛び出して散り散りに逃げていった。
「……警官?」
男もゆっくりと体を起こして歩道側の窓を覗き込んだ。すると、そこには制服姿の警察官が辺りの飲食店に聞き込みをしていた。
「無事か? あんた」
男の背後から声が聞こえた。
「……だ、誰だ?!」
男は慌てて壁にもたれて振り返った。
「慌てんなよ、俺はあの連中とは関わって無いから」
「君は……?」
声の主である潮は男にゆっくりと手を差しだした。
「なるほど、あの角の店にふらっと立ち寄ったってワケか」
「そうなんだ……いきなりこのビルに連れて行かれて」
潮は男と共に歓楽街を出て商店街の喫茶店に入っていた。店内は時間的に若者やサラリーマンで賑わっており、潮達は聞こえないよう店の奥にいた。
「まあ、ぼったくりなんて良くある事だから気をつけろよ」
「そうだね、一時はどうなるかと思ったよ……」
男はため息をつきながら潮に感謝していた。男によると、たまたま歓楽街にある飲み屋に入った所ぼったくりに遭い、現金もカードも持ち合わせていなかった事から、その店を利用している女性達に廃ビルに連れ込まれ暴行を受けたと言う。
「あの店はウリの仲介もやってるから、ストレス解消とかでそういう事も何度かあったな。たまたま警官が通らなかったら入院沙汰だよ」
潮は冷静にそう説明した。警官は強盗事件の聞き込みでたまたま近くを通っただけであった。
「本当に助かったよ、なにか注文したい物あったら遠慮なく……」
「いいっすよ、今日は予定ないんでこのまま帰りますわ」
男が言い終わる前に、潮はそう言って席を立った。
「そうか、じゃあせめてコーヒー代は僕が払うから」
男も財布を持ち出しながら席を立った。
「ごっそさんした」
「いや、お礼を言うのはこっちだよ。それじゃあ」
店の外で男は潮に改めて頭を下げてから急いでるかのようにその場を去った。
「やれやれ、あの街の事情も知らずに入るからだ」
潮は髪をかきながら男とは別の方向へ歩こうとした。すると、
「あの、すみません」
「ん?」
店から女性店員が出てきた。
「こちらがイスに置かれていたのですが、お客様のですか?」
女性店員はそう言って名刺を渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
「はい、またお越しくださいませ」
潮が名刺を受け取ると女性店員は店に戻った。
「あ、これってひょっとして……」
潮はその名刺を見て再び何かに気付いた。
翌日、
「ふ〜ん、そんな事があったんだ」
休み時間の大半の児童が出払った教室で潮は渚に昨日の事を話していた。
「ああ、とりあえず何か繋がりそうなんだが」
潮は男の名刺を渚に渡した。
「うん……、最近聞かないしね」
渚は名刺を見ながらそうつぶやいた。
「なあ、潮」
二人が話してると急に後ろから潮を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、コウジ」
教室の出入り口にはコウジが立っていた。
「ちょっと話があるんだけど」
「何だよ、急に」
潮は席を立ち上がってコウジに近づいた。
「さてと、まずはどうしようかな」
渚が机の上で名刺を眺めていると、
「あのさ、渚」
渚の前にツトムが現れた。
「どうしたの?」
「ちょっと相談があるんだけど……」
そう言いながらツトムは潮がさっきまで座っていた渚の前の席に座ってきた。
「また、楓先輩との事?」
ツトムが言い出す前に渚は聞いてきた。
「うん、ちょっと深いと言うかよくわからない事しようって……」
「要するに、とっくに一線は越えてるって事でしょ? それをさらに超えると言ったらつまり……」
ツトムの言おうとしている事を渚はすばやく翻訳した。
「うん、そういう知識とか一切無いからどうすればいいかわからなくて」
「断る」
ツトムが言い終わるのと同時に、渚は強い口調で言い放った。
「え? いや、その」
「僕はそういう話嫌いだから」
困惑するツトムに渚はあっさりと言った。
「でも、潮は忙しそうだから他に相談する相手が……」
「そう言われても、僕はエロ話嫌いだから。同世代のそっち系で悶々してる奴とか好き勝手言ってる連中なんて見てて腹立つくらいだ」
渚は腕を組みながら早い口調で語った。
「悪いけど、そう言う事だから」
「あ、ちょっと!」
止めようとするツトムの声も聞かず渚は席を立って教室を出た。
「やれやれ……、ん?どうした」
それから数秒ほどして、潮はコウジとの話を終えて戻ってきた。
「いや、あの事で話したかったんだけど……」
「ああ、なるほど」
状況が飲み込めないツトムを見て潮は納得した。
「アイツは俺以上に色々経験してるからこういう話は拒否してるんだからな」
潮が渚の席に座りながら言った。
「まあ、とりあえず今は空いてるから聞くよ」
「あ、うん……」
ツトムは少し慌てながら改めて潮に相談した。
「……これかな?」
教室を出た渚は図書室の書庫で本を探していた。
「多分、載ってると思うけど……」
渚の持っている本は『北砺市十年史』と書かれた、街の歴史を掲載した分厚い本である。
渚は本棚の前でページをめくっていた。
「あ、あった」
渚は『事件・事故』と書かれたページで手を止めた。
「六年前だから……これか」
渚の開いたページには未解決や変わった点のあった事件・事故が記載されていた。
「やっぱり……ただの事故で処理されてる」
そのページを読んだ渚は顔をしかめていた。目の前の窓からは児童の遊ぶ声が聞こえてきたが、それに対して本の記述を読みながら渚は黙り込んでいた。
――――――――――――――――
【第十三話】 好機
六年前、
『さてと、それじゃあ薬貰ったら帰るぞ』
『うん、わかった……』
当時、まだ五歳であった潮と父・皆鰭(みなき)は市立病院のロビーにいた。
『全く、土曜日に風邪なんか引くなよ。病院が混んでしょうがない』
『ごめん……、父さん』
愚痴を言う父に潮はゆっくりと返事をした。この日、潮は熱を出して倒れたが、土曜日で近所の開業医がやっておらず市立病院に連れて貰っていた。皆鰭の言うとおり、病院のロビーには薬待ちの患者や見舞い客でごった返しており、大半の席が埋まっていた。
『それにしても、数字出るの遅いね』
潮は診察時に貰った診断書の番号と、ロビーの壁にかけられた電光掲示板に表示されている数字を見比べていた。
『この混みようだからもう少しかかるだろ』
皆鰭はひじかけで頬杖をつきながら面倒臭そうに言った。その時、
『漣さん! どこですか、漣さん!』
潮達の背後から男の呼ぶ声が聞こえた。
『はい? 俺達っすか?』
皆鰭が振り返ると、スーツ姿の事務員が目の前に走ってきた。
『あの、渚君のご家族の方ですよね?』
『そうですが、どうかしました?』
『すぐに来て下さい、大変なんです!』
そう言うと男はロビーの先にある廊下の方へ二人を呼び寄せた。
『なんだろう……渚は母さんと出かけたんじゃ』
『とにかく行ってみるか』
皆鰭と潮は立ち上がって、男の誘導する救急診療の待合室に誘導した。
『ご家族を連れてきました』
『あ、ありがとうございます』
待合室の人間にそう伝えた。すると、中から二十代と思われる男性看護士が現れた。
『一体なんですか? 急に呼び出して』
待合室の手前までついた皆鰭は看護士に聞いた。
『大変申し上げにくい事なんですが……』
皆鰭の顔を見て看護士はゆっくりと話し始めた。
『あ、渚!』
皆鰭の後ろにいた潮は待合室の隅で長椅子に腰掛けた渚を発見した。待合室では奥の診療スペースで医者や看護士達があわただしくしているのに対し、渚と先程の事務員しかいなかった。
『どうしたんだ、渚?』
潮はうつむいて座っている渚の横に座った。
『……ああ、……潮』
渚は数秒ほど間を置いてゆっくりと潮の方を向いた。
『あれ? お前それどうしたんだ?』
潮は渚のうなじと右ひざにバンソウコウが貼られているのに気づいた。
『……アレだよ』
渚はそうつぶやきながら診療スペースの出入り口を指差した。潮は立ち上がって指差す方向を見ようとした。
『即死?!』
『え?』
突然の皆鰭の大声に潮は驚いた。
『残念ですが……運ばれてきた時にはもう』
看護士は申し訳なさそうに言った。
『あっ……』
潮が再び出入り口を見ると全体に毛布がかぶせられたストレッチャーが運ばれてきた。
『まさか……』
潮と皆鰭は恐る恐るストレッチャーに近づいた。近くで見ると、毛布の隙間から人の腕が見えていた。
『この腕時計……母さんの』
手首につけられた傷だらけの腕時計は、潮達の母が毎日見につけていた物だった。
潮は言葉を失ってその場に立ちすくんでいた。
「……とまあ、こんな感じだったな」
「そんな事があったんだ……」
時刻は午後二時。下校途中の通学路で、潮は岬に母親の遺体を眼にした時の詳細を語っていた。
「そ、それじゃあ、お兄ちゃんは留守番いないから連れて行かれたの?」
「そういう事、不倫旅行だってのに俺の風邪うつったら面倒だから仕方なく行ったらしい」
複雑な表情の岬を尻目に潮は淡々と説明を続けた。
「ふ、不倫?」
「そ、車の中でいちゃついてたせいで事故ったてわけだ。大の大人が運転中に全裸で着替えるわけないだろ」
聞き取れるほど大声でないとは言え、時間的に同じく下校途中の学生が周りを歩いているのも気にせずに潮は話を続けていた。
「それじゃあ……、お兄ちゃんは?」
岬はたどたどしく聞いてきた。
「事故が起こるまでは居眠りしてたらしいぞ、ぶつかったのは反対側だったからうなじの傷ぐらいで助かったんだとさ」
「でも、事故は見てるんだよね……」
「そうだろうな……、アイツは一部始終を見てるんだろうな」
潮は急に口調を変えゆっくりと言いだした。
「母親含めて気絶した裸の男女と、大怪我して血を流した男が、もがきながら炎に焼かれて……」
「……言わなくていいよ」
岬は耳をふさいだ状態でつぶやいた。
「しかし、渚はその何ヶ月か前にババアの息子にウリやらされて連れ戻されたんだぞ。何でその手の惨事ばっかり巻き込まれるんだか」
潮は平然と言った。
「うん……」
岬はうつむきながらうなずいた。
「遅いな……本当にこの時間でいいのかな?」
同じ頃、ツトムは歓楽街の裏道で楓と待ち合わせをしていた。そこは人が二人通るのがせいぜいでゴミやシミなどで汚れている狭い道で、周囲には廃墟と化したビルや準備中の飲み屋ばかりで人通りは少なかった。
「あれ? 今日は早いね」
「え? ……あ、渚!」
ツトムが振り返るとそこには帽子やマスクを身につけた渚が立っていた。
「いや、楓さんと二時半に約束したんだけど……金曜だから中学はまだだよね?」
ツトムの言う通り、この日は文化祭の準備の都合で普通の生徒は午前中の授業だけで下校していた。
「どうせサボるんだよ、母親はこの辺のスナックで働いてるから誰も叱らないし」
渚は当たり前のように言った。
「え? それじゃあお父さんは?」
ツトムが不思議そうな表情で聞いた。
「あ、離婚したの知らない? 父親はコメンテーターやってる中塩ってオッサンだよ」
「知らなかった……」
ツトムは複雑な表情でつぶやいた。渚の言うコメンテーターとは朝のニュース番組でおなじみの元警察官の評論家の事である。
「まあ、この辺で親の話はご法度だよ。ウチも色々あったし」
渚は数軒先の廃ビルを見ながら言った。
「うん……どうしたの?」
「あ、いや……、この辺はいろいろあるからね」
ツトムの問いかけに渚はゆっくりと答えた。
「ウチの父親もさ……」
渚が小声でつぶやきだしたその時、
「あら、早かったわね」
横の店と店の間の脇道から楓が現れた。
「あ……、今着たばっかりだから」
「あら、渚君もいたの」
楓は渚を見つけて顔を覗き込んできた。
「じゃあ、僕は用あるんでこれで」
渚はそう言ってその場を離れた。
「……? うん、またね」
何となくそっけない態度にツトムは疑問を持った。
「それじゃあ、こんな薄気味悪い所離れてさっさと行こうか」
楓はそう言いながらツトムの手を掴んだ。
「あ、……はい」
ツトムは戸惑いながらも楓に引っ張られて歩き出した。
「あれ?」
しばらく歩くとツトムはあるスナックの脇を見てツトムは声を出した。
「どしたの?」
「……あ、何でもない」
「ほら、早く行こう」
ツトムは再び引っ張られながらも少し気になっていた。
『さっきの……確かに渚だったような』
ツトムは一瞬ながら渚らしき子供が黒っぽい服装の男と話す所を目撃していた。
「オレが知ってるのはコレぐらいだな」
「わざわざすいません、瀬都池さん」
渚は先程潮が見たスナックの裏道で黒のシャツとジーンズにパンチパーマの男性と話していた。
「なあに、アンタの親父さんには世話になってるし、オレらも上の連中には手をこまねいてる所だからな。礼には及ばんよ」
男はそう言うと後ろを向いて歩き出した。
「それじゃあ、オレは帰るからな。予定はないが一応上の人に顔見せないといかん」
「はい、ありがとうございました」
渚はその男を見送って手を振った。
「さてと……」
しばらく渚は辺りを見渡して人がいないかを確認した。
「もう、出てきていいよ」
渚がそう言うと、スナックの隣にある薄汚れた平屋建てテナントの勝手口が開いた。
「ふう……やっと終わった?」
「ホコリだらけでしょうがないよ」
愚痴を言いながら出てきたのはリョウタとユウトであった。
「仕方ないよ、ゾロゾロいたら目立つし、本当は来ちゃいけないって言われてるんだから」
「まあ、そうだけどよ……」
渚がそう言うとリョウタ達は黙り込んだ。歓楽街は幾度も事件が起きている事や非合法な商売も少なくない事から、学校でも終業式や連休前には必ずできるだけ近づかないように言われていた。
「それじゃあさっさと行こうか、今回の相手はケイコとか言う高校生だったっけ?」
「あ、ああ……そうだ」
そう言って渚は歩き出し、リョウタ達はうなずきながら後についていった。
「そう言えばカズキは今日いないのか?」
「ああ、アイツはまだあの保健医の事諦めてないんだよ」
「高校生よりも大人の方が良いんだってさ」
「あっそう、往生際が悪いねえ」
リョウタ達の説明に渚は軽い皮肉を言った。リョウタ達は五、六人で遊んでいる事が多く他のメンツはその日によって異なっても、この三人だけは家が近いこともありほぼ一緒にいるのは学年の常識となっていた。
「ところで、オレ達どこに行くんだ?」
裏道をしばらく歩いているとユウトが渚に聞いてきた。
「話ではケイコって奴はこの辺の女グループの一員なんだってさ、平日は基本バラバラに活動してるらしいから普段ウリのテリトリーにしてる所に向かってる」
「……でもよ、オレ達金持って無いから大丈夫かよ?」
「それは直接聞いてみないとわからない、ある程度のケガは覚悟しといた方がいいよ」
リョウタの疑問に渚はあくまで冷静な口調で返した。
「おう……、まあココに来てる時点でもう危険なんだろうからさ」
「そうだよな、わかってて来てるんだから」
リョウタ達は一瞬戸惑ったが、そう強がりを言った。
「……ストップ!」
渚は三階建てビルの裏に差し掛かったところで足を止めた。
「え? ここか?」
「静かに!」
「あ、ああ……」
リョウタ達は渚の言葉を聞いて黙って足を止めた。そのビルは地下含めてほとんどのテナントがスナックやバーなどで構成された紫色の外観であった。まだ夕方と言う事もあって店は開いていなかった。
「ここの地下に一軒だけ空きテナントがあって、そこを良く利用してるらしいよ」
渚は小声でリョウタ達に説明した。
「それじゃあ、ここにいるかもしれないってことか」
「とりあえず……、これで」
渚はズボンのポケットから黒い機材を取り出した。
「なんだいそれ?」
「受信機だよ、瀬都池さんに事前に小型盗聴器を仕掛けてもらったんだ。バレないように玩具みたいなヤツにしたからあんまり精度良くないけど」
「ってか、一体あのオッサンは何者なんだよ。お前のお父さんもよくわからないし」
渚はユウトの発言を聞き流して受信機の電源スイッチを入れた。
「とりあえず、誰いるかわからないから静かにして」
「あ、ああ……」
渚は受信機に取り付けられた細いアンテナを立てた。
「……! やっぱり誰かいる」
「そうか……入れそうかな?」
「まだわかんない」
受信機からは小さく女性の声が聞こえた。
『……うは……カモ…………どうなの?』
「何て言ってんだ?」
「直に聞こえてくると思う」
『……本当に……アヤはせっかちね……』
『いや、ケイコ先輩……早くした方が』
受信機からは二人の声が聞こえた。
「今、ケイコって言わなかったか?」
「おそらくいるね……どんな状態かはわからないけど」
『今、暇だから誰か相手いないかな……誰でもいいから』
『そうね、お金足りなくてもちょっと締めれば我慢するし』
アヤとケイコと名乗る二人は盗聴されている事も知らずに何気ない会話をしていた。
『そういえば同い年と付き合うのは断ったんだって?』
『はい、やるなら若い方がいいけど付き合うのはちょっと……』
「おい、コレ行けるんじゃないのか?」
「そうだな、いいんじゃない」
数分ほど会話を聞いていたリョウタ達は軽い気持ちでそう発言した。
「う〜ん……アヤにケイコ……グループか……」
渚は会話を聞きながら一人考えていた。
「どうした?」
「あ、ちょっと気になることがあってさ」
「とにかく、早くしないと先を越されるぜ」
渚の発言も聞き流してリョウタ達は妙に焦っていた。
「いや、もうちょっと慎重に考えろよ。大体締めるってのも……」
『とりあえず、外に出ましょう。ナンパ待ちの方が効率いいし』
『そうですね、それじゃあこの辺で相手探しましょう』
タイミング良くアヤ達の会話が聞こえた。
「オレ行くよ、彼女はダメでも関係持てればいいや」
リョウタとユウトは渚の方を掴んでせかした。
「しょうがないな……。わかったよ、とりあえず会う所までの約束だから後は任せる」
「おう、ありがとな。それじゃあ行くわ」
リョウタ達がその場を離れて表通りに出ようとすると、
「ちょっと待って、念のためコレ持って行ったほうがいいよ」
渚はズボンのポケットから数センチほどの黒い筒を二本取り出した。
「なんだこりゃ?」
「痴漢撃退グッズみたいなものだよ。この辺は危ないからさ、いざと言う時は握りつぶして投げつけるんだ」
リョウタ達はその筒を一本ずつ受け取った。
「悪いな、それじゃあ後はオレ達次第だな」
「じゃあ、行って来るよ」
そう言いながらリョウタ達はビルの脇道から表通りへ駆けて行った。
「まったく……、少しは危機感持てよ」
渚はため息をつきながらつぶやいた。
「さてと、この受信機は瀬都池さんに返さないとな」
渚がその場を離れようとしたその時、
「渚……」
「あ、潮」
背後からの声に振り替えると、そこには潮の姿があった。
「今日も商売か?」
「いや、そんな事じゃねえんだ」
笑いながら言う渚に対し、潮は真剣な表情をしていた。
「前からアヤには何か感じてたけどよ……やっぱりアイツらじゃねえのか?」
「あ、やっぱりそう思う? 僕もあのグループで決まりだと思う」
「お前は本当に冷静だな……怒りとか疑問とか出ないのかよ」
潮がマジメな口調で言っているが、渚はあくまで軽い口調で返していた。
「別に。怒ろうが泣こうが戻ってくるわけじゃないし、そもそも家族なんて紙切れ一枚の仲なんだから」
「わかってるんだろ? 瀬都池さんだってあのグループを可愛がってる連中の件があるし、この間ボコられてた奴だって」
「落ち着け、熱くなってもしょうがないよ」
興奮する潮の発言を渚は途中で止めた。
「……わかったよ、今は明確な証拠もないし時期尚早だよな」
「そういうこと。それじゃあ僕は帰るね」
渚はそう言って再び後ろへ振り返った。
「しかし俺もこういう所に入り浸ってる以上、冷静だとかマイペースだとか言われるけどさ、お前ほど非常識な感覚は持てねえよ」
「別にいいんじゃない? 僕は僕、潮は潮で」
潮の皮肉を聞き流しながら渚はズボンから一枚の紙を取り出した。
「あ、さっき言ってた名刺の件は連絡取ったからね」
渚が取り出したのは、先日暴行を受けて潮が助けた男の名刺だった。
「そうか、それでどこまで話は進んだんだ?」
「あの会社も今大変だからさ、快く引き受けてくれたよ」
「それは良かったな、それじゃあ俺も行ってくる。ついでにリョウタ達の様子も見てくるな」
「うん、がんばれよ」
そう言って渚と潮は別々の方向へ歩き出した。
「……明後日か、ネット配信なら間に合うだろうな」
渚は先程の名刺を眺めながら歓楽街の出入り口に向かって裏道を歩いていた。その名刺には『波内出版・FLATS副編集長 鮭本スグル』と書かれていた。
――――――――――――――――
【第十四話】切欠
金曜日の夕暮れ時、鱈野家では普段と違う光景が見られた。
「あれ? 何してるの?」
「ん? 明後日の準備だよ」
蓮は自分に部屋で外出着とナップザックを持ち出していた。
「え? 明後日?」
部屋の出入り口に立っている尋美はそれを不思議そうに見ていた。
「明後日は文化祭だろ、一応最後の年なんだから顔ぐらい出そうと思ってさ」
「え?! アニキが?」
蓮の言葉を聞いた途端、尋美は驚いて大声を上げた。
「うるせえな、そんなデカい声出す事でもねえだろ」
「でも、大丈夫なの? アニキだってクラスメートから」
「余計な事を言うな」
蓮は振り向いて尋美の言葉を止めた。
「わかった……」
「とりあえず渚には色々聞いたからな、本当にわからん奴だよ」
「色々?」
「いや、こっちの話だ」
そう言うと蓮はナップザックを柱に貼られたフックに掛けて立ち上がった。
「母さんが帰るのは明後日だったな、今日はメシ何にする?」
「えっと……、先月お母さんから貰った駅前ビルの喫茶店の券が残ってるんだけど……期限が明日までなんだ」
尋美は戸惑いながら財布を取り出して言った。
「じゃあ行くか、どうせ明日は学校で準備があるんだろ?」
そう言いながら蓮は玄関横のフックに掛けられたジャンパーを手に取った。
「アニキも行くの? お土産もあるらしいけど」
「作るの面倒だろ、さっさと行かないと店が混むじゃないか」
「うん……、着替えてくるね」
尋美は驚いた表情を見せながらも自室に戻った。
「……出かけるのも何週ぶりかな」
蓮は自室の机の上を見ながらつぶやいた。そこには『北砺市役所』と書かれた封筒が置かれていた。
「渚の奴、何でもかんでも教えやがって……どういうつもりなんだか」
一方その頃、
「それじゃあ岬が帰ってくるまで待たせてもらうわね」
「はい、まあごゆっくり」
漣家では渚達の叔母である瑞姫が久々に帰省していた。
「新しい旦那が決まりそうなんだけどさ、一応半年は再婚できないから待ってるのが退屈なのよね」
瑞姫は居間で姿勢を崩しながら話している。事件後、正式に波内とは離婚したらしく現在は別な独身の実業家と付き合っているらしい。
「まあ、それはいいんですけどね。こっちはここ数日ゴタゴタしそうなんで」
渚は畳の上に腰掛けながら言った。この時、岬は母親にご馳走しようと買い物に行っており、仕事のある珊瑚と潮も不在であった。
「そっか、明後日は文化祭に母親の七回忌だったっけ? あのまさみとか言う婆さんも酷よね、波内から有能な社員だけ引き戻して残りは手を切るらしいから」
「ああ、グループ内で参考書とか出す出版部門を新たに作るとか言ってましたね」
「そうらしいわね、私もニュースでちょっと聞いただけなんだけど」
瑞姫は他人事として喋り続けた。波内出版は社長の逮捕と不祥事発覚で大バッシングを受けた上に、浜岸グループからも提携を切られる予定で経営が傾きだしていると言う。
「そういえば、さっき母さんに電話したらそっけなかったんだけど忙しいのかしら?」
瑞姫はふと思い出したかのように言い出した。
「ああ、悪い予感がしたんですよ」
「え? どういうこと?」
冷静に言った渚の発言を聞いて瑞姫は急に姿勢を正した。
「教えてもいいですけど、その前に一つ聞いてもいいですか?」
渚はテーブルに両腕を置きながら聞いてきた。
「なあに? 知ってることなら何でもいいけど」
「潮が歓楽街に入り浸るきっかけについて、正確に聞きたいんですよ」
渚はまじめな表情で聞いた。
「なるほど、わかったわ」
瑞姫はテーブルに両肘を乗せて背筋を伸ばした
「あれは確か……、潮を預かって二ヶ月くらいの時だったわね」
五年前、
『こんばんは、遅くなってごめんなさい』
『あらみっちゃん、今日は遅かったわね』
夕方の歓楽街の一角にある照明がまぶしい位散りばめられたキャバクラで、裏口から当時六歳の潮を連れた瑞姫が入ってきた。
『あら、その子どうしたの?』
控え室に入ると同僚の女性が潮を見て話しかけてきた。
『今日、旦那も長男もいなくてさ。留守番させるわけにも行かないから暗くなるまで取りあえず連れてきたの』
瑞姫は持っていたカバンをテーブルに置きながらそう説明した。この日、当時の旦那も長男の大記も仕事で出張に行っており、岬は保育園のお泊り保育で不在だった。
『あらそうなの、潮くんだったっけ?』
『はい、こんにちは』
まだ小一の潮はたどたどしく挨拶した。
『かわいいわね、うぶで』
『本当、子供なんて普段接する事ないから余計かわいいわ』
潮は数人の私服の女性に囲まれていた。すると、瑞姫は控え室を出て隣の事務スペースに顔を出した。
『夕ちゃん、私は今日九時までだからちょっと潮の面倒見てくれない?』
『ああ、わかったよ。でもこんな所に連れてきても良いのかい?』
そう言いながら濃いヒゲを生やした三十代の男性店員が出てきた。
『大丈夫よ、大体感づいていただろうから。何だったら色々教えてあげてもいいわよ』
『ははは、まあとりあえず今日もがんばってくれよ』
瑞姫と店員は笑いながら話していた。
『潮、仕事してくるから大人しくしてるのよ』
『はい……』
控え室から出てきた潮はつぶやくように返事をした。返事を聞くと瑞姫は控え室に戻った。
『君も大変だね、とりあえずピザでも食べるかい?』
先程の店員が潮に話しかけてきた。
「はい……あ!」
数個の机が置かれた事務スペースに入った潮は奥の窓を見て声を出した。
『どうした?』
『あの建物……』
店員が聞くと潮は窓の外に見える一軒のビルを指差した。
『ん……、あのビルか。あれだけ暗いから目立つよな』
店員は窓の外に見える廃ビルに気づいた。周囲の飲み屋やテナントビルが開店時で照明があちこち光っているのに対し、その廃ビルだけは暗く目立っていた。
『昔はふうぞ……まあ非合法な商売やってたけど、それが原因で経営者が警察に捕まってな。今は貸主もつかなくてとり……いや、危ない連中がたまにうろついているよ』
店員は所々言い直しながら説明した。
『そうなんですか……』
潮は返事をしながら室内の長いすに座った。
『ちょっと調理場を見てくるから、テレビ見ててもいいから待ってなさい』
そう言って店員は廊下に出て厨房に向かった。
『同じだ…………父さんの……死んだ場所と』
潮は室内のテレビや本棚には目もくれず、ずっと窓の外の廃ビルを見つめていた。
『……よし』
しばらく黙っていた潮は突然、立ち上がった。
『ふう……、食事代わりに来る客とは豪勢だねえ』
数分ほどして店員が戻ってきた。しかし、
『あれ?』
室内に潮の姿はなかった。
『潮くん? トイレかな?』
『ここか……』
通行人や周囲の店の客で賑わう歓楽街で、夕日に照らされた廃ビルの前に潮が立っていた。
『ここで……、父さんは死んだんだな』
潮は新聞の切り抜きを握り締めていた。その記事は父親の死亡を伝える新聞記事で、目の前の廃ビルの写真も挿入されていた。
『……何か、手がかりでもあれば』
潮は思い切って廃ビルの地下階段に足を踏み入れた。中はあちこちにシミやホコリが目に付く薄汚れており、奥には黒いドアが見えていた。
『この中に……』
階段を降りた潮はゆっくりとドアノブに手を掛けた。その時、
『ちょっと、君!』
『……え?!』
背後から女性の声が聞こえた。
『そこは関係者以外立ち入り禁止よ』
『は、はい……』
潮が振り返ると、茶髪のロングヘアーで黒いコートを着た女性が階段を降りて来た。
『あ、あの……実は……』
『……あら? その顔……』
しどろもどろの潮の顔を見て女性は表情が変わった。
『え、顔?』
『ちょっと、話を聞かせてくれないかな?』
『……あ、あの……』
女性は潮の手を引いて階段を上りだした。
『つまり、潮はあのビルを見てたってワケね?』
『はい……、すいません。目を放したスキに……』
その頃、店では店員が瑞姫に平謝りしながら話していた。
『あと十分ほどでバイトの奴が来るんで、すぐ探しに行きますから!』
店員は顔に汗をかきながら言った。
『別にいいわよ、仕事終わってからでも』
『え?』
冷静な瑞姫の発言に店員は呆気に取られた。
『し、しかし……あの廃ビルの辺りは皆鰭さんの件の前から、薬物取引だの暴力事件だの日常茶飯事じゃ……』
『大丈夫よ、あの子はアニキの血を引いてるし、私たちが何してるかも知ってるから』
焦る店員を尻目に瑞姫はあっさりと返した。
『いいんですか? スルーしてて』
『さてと、そろそろ常連さん来るわね。おそらく夕飯兼ねるだろうから夕ちゃんも厨房手伝いなさいよ』
店員の言葉を聞き流して瑞姫は腕時計を見ながら仕事に戻った。
『いいのかな……、まあ忙しい時だから出にくいのは確かだけど』
『なるほど、お父さんの事件について知りたいってワケね』
『はい……』
潮は女性のアパートに迎え入れられていた。
『えっと……、あの……』
『あ、私の名前は里穂、この辺でスナックやってるの。君の名前は?』
『あ、はい……潮です』
潮はゆっくりとお辞儀をした。室内はワンルームで玄関と調理台以外にはベッドとテレビと小さなテーブルぐらいしかなく、小さな窓から夕日が照らされた程度で薄暗くなっていた。
『その辺に座って、さっきの続き話すから』
潮は言われたとおり室内の床に座った。里穂はコートを脱いでベッドの上に腰掛けた。
『さっき言った通りあなたのお父さんはおそらく殺された。でも、あの辺は無法地帯になってるし、雨漏りとかもしてるから証拠がないのよ』
『はい……』
潮は里穂の言葉を聞いてつぶやくようにうなずいた。
『知ってると思うけど酷い状況だったらしいわ。足は折れて、股間は潰されて、上半身はアザだらけ。あきらかに暴行を受けたとしか見えないって』
『はい、仕事で残ってたとは聞きましたけど……』
潮は小さな声で返事をした。
『まあ仕事と言うか手伝いね。あの場所はたまにビデオ撮影やってたらしいから潰れた店の荷物とか大工道具が残っててあちこちに散らばってるのよ。だから何かの弾みでそれが崩れて事故ったって事にされかけてるわ』
『…………』
『可能性としてはよく利用してる怖い団体とか、ウリの女性派閥グループとか、それとも事故があって放っとかれたか……絞り込める証拠が無いから警察も黙ってるんだけどね』
潮は返事もせずに黙っていた。
『……ショックだった?』
里穂は潮の顔を覗き込んだ。
『あ、いや……』
『まあ、そうだよね……』
里穂は戸惑う潮の目の前にしゃがみこんだ。
『ねえ……、犯人捜したいと思わない?』
『え……』
潮は突然の言葉に驚いた。
『皆鰭さんは経営コンサルタントみたいな感じでいくつもの店を繁盛させた、この辺では有名人よ。いくら何でも衝動的に殺されたなんて考えにくいから犯人はこの街に出入りする者ね』
里穂はその場で立ち上がりながら言った。
『……はい』
『だからこの街にうろついてる奴なら何か知ってるかもね』
『本当ですか?』
潮は立ち上がって声を上げた。
『可能性は有るわ、でも……それにはあなたもこの業界に関わらないとね』
里穂は徐々にマジメな表情で話し出した。
『……どうやれば、いいんですか?』
『危険だけど……それでもいい?』
里穂はゆっくりと潮の目を見て告げた。
『人生賭けるぐらいの覚悟じゃないとダメよ……、あなたぐらいの歳でできるかしら?』
『……でも……父さんも……この街で生きてきたんですよね』
潮は言葉を選びながら聞いた。
『……そうよ……』
『……やります! 何年かかってでも父さんを殺した犯人を見つけられるなら』
潮は里穂の眼を見て真剣に答えた。
『いいのね……それなら少しは協力してあげるわ』
『はい! どうすればいいか教えてください!』
里穂は潮の言葉を聞いて再びベッドに腰掛けた。
『教えてあげてもいいわよ……何が必要か……どんな覚悟がいるか』
「……それから二時間ぐらいして、潮は五千円持って戻ってきたのよ」
「なるほど……」
渚は瑞姫の説明を一通り聞いてうなずいた。
「まあ、自分含めて周りがほぼ関わってるから危険はないだろうと」
「そういうこと、金目当ての妻とかそっち系の嗜好の人は隙間だからね。あの街に子供がいたらまずナンパ待ちよ」
瑞姫は渚に対し平然と語っていた。
「私だって前の旦那とはあの店で出会ったから結婚後も平然と続けたし、お互い様で仮面夫婦になってる連中もあの街には結構いるしね」
「しかし、小一の子供に平然とやらせるってのはどうかと思いますけどね」
「まあいいんじゃない? 嫌だったら逃げてただろうし、里穂の店には今もたまに行ってるらしいから」
渚の皮肉にも瑞姫は悪びれず言い返した。里穂と言う女性は現在も歓楽街でスナックを経営しており、瑞姫も顔見知りらしい。
「まあ、そのせいでえらい事になりそうなんだけど」
渚はテーブルで頬杖をつきながらつぶやいた。
「あ、そういえば悪い予感ってなんなの?」
一通り説明を終えた瑞姫は再び聞いてきた。
「ああ、それはですね」
渚が話し出したその時、
「ただいま!」
「あ、おかえり」
玄関から岬の声が聞こえた。
「仕方ない、後で聞かせてね」
「はい、とりあえず岬が張り切ってますからメシにしますか」
渚と瑞姫はそう言いながら岬が入ってくるのを待った。
「うーん……」
「どうしたの? アニキ」
蓮と尋美は駅前の喫茶店で食事していた。
「いや、あの店の入り口見てみろよ」
蓮は店の出入り口のショーウィンドーを指差した。
「……え? あ……!」
振り向いた尋美は思わず声を上げた。
「何でこんな時にあいつらがいるんだよ」
蓮はため息をついた。店の出入り口にはクラスメートであるリョウタ達数人が立ち話をしながらショーウィンドーを眺めていた。
「あの連中嫌い、私にも色々言ってくるし」
尋美も嫌そうな顔をしていた。蓮はいつもリョウタ達を始めクラスメート達に悪口を言われたり笑い者にされており、同じく学年内でいじめられている尋美もそのとばっちりを受けていた。
「どっか行ってくれよ……ったく」
蓮は嫌そうに出入り口を見つめていた。すると、
「よお、お前らどうした?」
リョウタ達の横から潮が話しかけてきた。
「あ、潮」
「いや、腹減ったから入ろうかどうしようかって悩んでて」
潮に気づいたリョウタ達は蓮に気づかず話し込んでいた。
「もう五時半だぞ、今食って下手に飯食えなかったらうるせえんじゃね?」
潮は腕時計を見せながら乗り気なリョウタ達に対しそう注意した。
「それもそうだな」
「早いけど今日は帰るか」
リョウタ達は潮の言葉に納得しその場を離れだした。
「あれ? あの連中帰っていったぞ」
「本当だ、あの人誰?」
すると潮は店内に入り蓮達に近づいてきた。
「潮? どうした」
「よお、蓮。久しぶりだな」
潮は蓮達の席の前で立ち止まり、話しかけた。
「あ、渚の兄弟の潮だ。クラスは違うけど」
「よろしく」
「あ、はじめまして……」
尋美は潮にお辞儀しながら挨拶した。
「俺も入っていいか? 腹いっぱいだから何も頼まないけど」
「あ、あの……」
潮が蓮の隣に座った時、尋美が小声で言い出した。
「私、文化祭の件で電話来るかもしれないから……先帰るね」
「あ、ああ……券は俺が持ってるから。気をつけろよ」
「……それじゃ、家で待ってるね」
尋美は席を立ってそそくさと店を出た。
「お前は渚から聞いたらしいけど……あの子は何も知らないんだな」
潮は博美の後ろ姿を見ながらしみじみと言った。
「ああ、アイツは母親の連れ子だからな。俺だって実の母親には会った事ないし」
「いや、それはともかく何でいじられるかだ。まあ、あっちはあっちで別な被害だけどよ」
「……そうだよな」
潮の言葉に蓮は間を置いてからうなずいた。
「大体、お前はあの連中に何言われてるかわかってるよな。あんなの理不尽だしワケわかんねえ事ばっかりじゃねえか」
「……まあ、そうだけどよ」
「前を通ったら『エロい奴が来た』とか、雨が降ったら『エロ本が濡れる』とか、階段降りてたら『下級生襲う気だ』とか」
潮はまくし立てるように蓮の言われてる悪口を並べた。
「確かに俺だって悔しいけどよ、どうすればいいってんだよ!」
蓮も徐々に饒舌に言い返しだした。
「怒鳴ったら『逆ギレだ』とか言って笑うし、食ってかかったら『ひょっとして図星なの?』とか言い出すんだぞ!」
「それがダメなんだろ、殴ってでも止めようとは思わねえのかよ」
「……だけど、そこまでしなきゃいけないのか?」
潮の言葉に蓮は一瞬ためらった。
「まあ、今のは物の例えに近いけどよ……、ああいう連中は常識だの後々の事なんて考えないで単に気晴らしで言ってるだけだ。それなら荒っぽい手でも使わねえと止まらんぞ」
「荒っぽい手か……」
「殴られたとか物隠されたとかじゃなくて言葉だけだろ? 被害少ないのが余計タチが悪い。先公に言ったり親が怒鳴り込んでもただの悪ふざけで終わるからな」
「ああ……」
蓮は潮の発言を聞きながらゆっくりと返事した。
「やられる方が悪いとは言わねえよ。でも、危ない橋を渡るしかない時もあるだろ、このまま中学出るまで逃げ回るのかよ」
「……そうだな」
蓮の返事を聞いて潮は立ち上がった。
「そろそろ行こうぜ、店も混んできたし」
「あ、ああ……そうするか」
潮の言う通り店内は大半の席が客で埋まっていた。蓮はレジで無料券を渡し、潮の後について店を出た。
「でもさ、お前急にどうしたんだ?」
蓮はビル内のエレベーター前で何気なく潮に聞いた。
「何が?」
「だって、クラス違うからお前と話した事ろくにないぞ。何で急に俺に言ってきたのか」
「ああ、その事か」
潮は思い出したかのように返し、数秒の間を置いて口を開いた。
「俺、明後日の文化祭行けそうもねえんだ」
「え? 何でだよ。渚が行くならお前も行くだろ?」
蓮は潮の発言を聞いて、潮の方を向いた。
「行かないと言うか不可抗力だな。明日の別件で厳しくてさ、運が良くても当分学校には行けないんだ」
「別件?」
蓮が不思議そうな顔をした時、無人のエレベーターが到着しドアが開いた。
「その日になればわかるさ……、もう暗いし帰ろうぜ」
「ああ……」
潮の言葉が飲み込めないながらも、蓮はエレベーターに乗り込んだ。
「いらっしゃいませ、あら珊瑚さん」
同じ駅ビルの別階、珊瑚は仕事帰りに子供服売り場をのぞいていた。
「お孫さんへプレゼントですか?」
「ええ、来月はあの子の誕生日ですからね。もう十二になるから何あげるか難しいけど」
珊瑚は話しかけてきた女性店員に対し軽い口調で答えた。
「そうですね、それぐらいの歳だとオモチャってワケに行きませんからね」
「まあ……、あげられればいいけどね」
珊瑚は急にため息をつきながらつぶやいた。
「……? 珊瑚さん?」
「あ、何でもないの」
不思議そうに聞いた店員に珊瑚は慌てて言いつくろった。
「まあ、まだ一ヶ月もあるから。またゆっくり見に来るわ」
「はい、お疲れ様です」
珊瑚は軽くお辞儀をしてその場を離れた。
「いつかこの日が来ると思ってたけど……運命かしらね」
珊瑚はうつむきながら言った。
――――――――――――――――
【第十五話】 確認
「それじゃあ、そろそろ行ってくるね」
「がんばってね、お婆ちゃん」
土曜日の朝、珊瑚がいつも通り仕事に出発しようと玄関に立っていた。
「帰りは夕方になるから」
珊瑚が玄関の引き戸に手をかけたその時、
「忘れ物だよ」
渚が台所から紫の巾着を持って出てきた。
「あら、ありがと。忘れてたよ」
珊瑚は渚から巾着を受け取った。
「じゃあ、留守番頼んだよ」
「うん、いってらっしゃ〜い」
珊瑚が家を出る所を岬は大きな声で見送った。
『それでは、お知らせの後は毎週恒例の「未解決事件を追え」。今回は○県の連続怪死事件を再検証します』
渚と岬は居間でテレビを見ながら休んでいた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なに?」
「さっきの巾着って何だろうね」
岬は渚の顔を見ながら何気なく聞いてきた。
「ああ、あれは薬だよ」
「薬?」
「風邪薬とか言ってた……巾着は死んだ祖父ちゃんの形見なんだってさ」
「形見?」
岬は不思議そうに渚に近づいた。
「新婚旅行で買ってもらったんだってさ、僕達が生まれる前に四十で死んだとか聞いたよ」
「そうなんだ……」
渚はテレビ画面を見ながら冷静に返した。
『「未解決事件を追え」、今回お送りするのは○県の夜の街で数度起こっている怪死傷事件です』
テレビ画面ではキャスターのナレーションと共に事件現場の画像が映っていた。
「あれ? これってあの街じゃない?」
「ああ、この辺も有名なんだね」
岬が指摘した画像は、おなじみの歓楽街の一角だった。
「あの辺りでは数年に一回は不幸な事故が起こってるんだ。色々あって証拠がつかめてないんだけどね」
「そうなんだ……」
渚の説明を聞いて岬は黙り込んだ。
『発端となったのは十二年前に起きた「女子大生暴行事件」。当時二十歳の沖野南海(なみ)さんが、数人の男子中高生に暴行を受け……』
「かわいそう……」
キャスターの淡々とした解説を聞いて岬がつぶやいた。
『その三年後には付近のキャバクラに勤務していた当時二十五歳の鯛地(たいじ)春可さんが遺体となって発見。警察では借金など……』
「こんなの珍しくないよ、この後に比べれば」
食い入るように画面を見つめる岬に、渚はあくまで冷静な口調で言った。
「この後?」
『そして六年前、この付近でフリーターとして働いていた漣皆鰭さんが遺体となって発見。皆鰭さんは足の骨折に男性器は潰れ、胸や腹には数箇所もアザが見つかっており……』
「あっ……!」
画面に皆鰭の顔写真が出た途端、岬は口を開けて驚いた。
『その後もこの街では風俗店や飲食店などのトラブルから男性客や勤務していた女性が暴行を受け、最悪死亡したケースも数件起こっているがその大半は犯人が捕まっておらず……』
「アニキは当たり前に行ってるけど……危険な所なんだよね」
岬はうつむきながら言った。すると、
「ふあ〜あ……母さんはもう出かけたのね」
廊下からパジャマ姿の瑞姫が現れた。
「あ、おはようお母さん」
「婆ちゃんならとっくに出かけましたよ」
「本当に頑張るわねえ、もう六十過ぎてるのに」
瑞姫はぼやきながら畳の上に座った。
「今、ご飯持って来るね」
岬は立ち上がって台所へ向かった。
「あの子は本当に純粋ね。別に適当でいいのに」
瑞姫は岬の後姿を見ながらつぶやいた。
「ま、それはそうと……さっきの話はちょっと違うわよ」
瑞姫は振り返って急に真面目な口調で言い出した。
「さっきの話?」
「あの巾着は婚前旅行で買ったみたいよ、父さんは私が中一の時に四十で死んだのは確かだけどね」
「そうなんですか」
渚は話を聞きながら軽く返事をした。
「あの時は母さんがブレイクしだして大忙しでね。父さんは邪魔しちゃいけないとか言って病気の事隠して手遅れになるし、兄さんはあの街に出入りし始めるしでろくな思い出ないわ」
瑞姫は面倒臭そうに言った。
「あんた達が生まれたのはその二年後よ、その頃は私もあの街にいたからよく知らないけどね」
「そこからはわかってますけどね。ろくに家事もしてなかった事とか、留守が多いとか」
「嫌な事ばっかりね、急に二人も育てなきゃいけなくなったのもあるだろうけど」
渚の発言を聞いて瑞姫は皮肉交じりに返した。その時、
「あ、電話だ」
玄関から電話の音が鳴り響いた。渚は廊下に出て電話の前で受話器を取った。
「はい、もしもし」
『もしもし、渚君? ……ミキだけど、ちょっと相談があるんだ』
電話の相手は以前、学校見学で告白の手伝いを頼んだ同級生だった。
「相談……、うん、わかった。今からいくよ」
渚は二言三言会話をして早々と電話を切った。
「岬、ちょっと出かけてくるからね」
「うん、行ってらっしゃい」
渚は台所の岬に声をかけるとそそくさと家を出た。
「どうしたのかしら?」
瑞姫は居間の出入り口から顔を出した。
「また相談だと思うよ。お兄ちゃんよく頼られるから」
岬は数個のおにぎりと味噌汁を乗せたお盆を持って台所から出てきた。
「ふーん、変わってるわねえ」
「それより、お母さんはいつまでいられるの?」
岬は居間のテーブルにお盆を置きながら聞いてきた。
「……さあね、一昨日母さんから『しばらく留守番してくれ』って呼ばれたんだから何日なんだか」
瑞姫は髪をかきながぼやくように答えた。
「母さんが呼び出すなんてよっぽどの事だろうけど詳しくは知らないわ、どうせしばらくは暇だからいいけど」
「そうなんだ……」
「ところで、潮はどうしたの?」
「え? 昨夜は帰ってこなかったから、またどこかで泊りじゃないかな?」
「ふーん、何もなきゃいいけどね」
瑞姫はおにぎりを食べながら言った。
「社長、明日の予定が整いました」
ビル街のど真ん中にある数十階の鉄筋ビルの最上階、スーツ姿の社長秘書の男が数枚の書類を持って大きな茶色の扉をノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
内部の女性の声を聞いて男はドアを開いた。室内はカーペットが敷かれた床に大きな机とイスが一個だけ置かれ、奥には三メートルはある大きな窓を見つめるこのビルの主・浜岸まさみが立っていた。
「明日の法事ですが、各系列から十五人前後。波内出版からは他系列からの移籍とエリート組の計十人が出席予定です」
男は持ってきた書類を淡々と読み上げた。
「それより、漣家には連絡した?」
「昨日、事前通知した往復葉書で出席するとの返事が送られてきました」
「わかったわ、今日中に私から電話を入れておくから」
まさみはそう言いながら自らの席に腰掛けた。
「後は私が言い包めばすべて上手くいく。私より十も上の珊瑚さんは長くない、あの子は冷静で頭もいいからすぐに理解してくれるでしょう」
まさみは背もたれにもたれ掛かりながらつぶやいた。
「しかし社長、戸籍の件はよろしいのでしょうか?」
男は別な書類を見ながら聞いた。
「大丈夫よ、むしろその方が親族びいきとも言いづらいでしょうから好都合よ。唯にはそこまでの手腕は無いし、他の子でも力不足なのはデータ通りでしょう」
「なるほど……、では以前言われた通りゆくゆく明かしていくと言う事でよろしいですね」
男はまさみの意見を聞いて納得した。
「漁野(りょうの)、あなたはもう十五年も私の秘書だから全て知っているでしょう」
まさみは漁野の顔を見て言った。
「はい……」
「全く、エリカは高校生ででき婚するし、宅夜(たくや)はすねかじった挙句あの子を売ってとんずらするし……思えば何でああなったのかしらね」
まさみは怒りの表情で早口に言った。
「おまけに、漣さんの馬鹿ムスコのせいで問題が増えるし……結果的には良かったんだろうけどねえ」
「そうですね……」
返事を聞きながらまさみはイスから立ち上がった。
「とりあえず宅夜や波内のせいで予定が変わったけど私達の教育は生きているはず。あの子はこれから浜岸グループの後継者候補として育てていくからね」
一方その頃、
「……あの子じゃない?」
「あ、本当だ!」
渚とミキが遊歩道を歩いていると、渚がふと公園の一箇所を指差した。
「よくあんなに早く気づいたね、私の方があちこち見渡してたのに」
「それはともかく、どこかから……あそこがいいかな」
渚達は公園のトイレの裏に隠れ、ベンチに座る一人の少女を気づかれないように確認した。
「それにしても、何で急に波止場さんの事が気になったの?」
渚達の見ている少女・波止場鱒実(ますみ)は同じクラスの女子児童で、この時は黒髪ロングヘアに白いセーターとスカートを身に着けていた。
「最近、急に周りと喋らなくなったんだ。忘れ物届けても連絡網の時も家にいなかったし……何かあったのかなって」
「なるほど、そういう事か」
渚達が小声で話しているのをよそに、鱒実はベンチに腰掛けながら辺りを見渡していた。
「あ……気づかれたかな?」
「いや、多分待ち合わせか何かじゃない。気づいたならココを凝視するはずだ」
しばらくすると鱒実は前を見て手を振った。そこには親子とも思えるほど歳の離れた男が歩いてきた。
「やっぱり、そういう事か……」
「え? やっぱりって?」
「要するに例の街の常連になったって事だよ。おそらくアイツは親子を装ってるけど客だな」
ベンチから離れた鱒実はあたかも親子であるかのように男と手も繋がず歩いていたが、渚は平然と解説した。
「じゃあ、お金もらってあの人と……」
「多分家にいなかったのもそっちにかまけてたからだろうね。付き合い悪いのも経験のない同性は面倒とか言い出す奴多いらしいから」
「何かショック……」
ミキはそう言いながらじっと鱒実の後姿を見つめていた。
「しかし……一つ気になるな」
「え?」
渚が不思議そうな表情でつぶやくと、ミキは渚の方を振り向いた。
「アイツ、この寒いのにあんな格好してるのは変だよね」
「そういえばそうだよね、上は普通なのに」
この日は晴れているとは言え十一月の寒空の中、下半身はスカートと赤黒い厚底ブーツと言う違和感のある格好だった。
「赤黒いブーツか……まさか同じクラスにもいたなんて」
「何の話?」
「あ、いや。何でもない……とりあえず、この後どうする?」
渚はミキの問いかけを軽く払って聞き返した。
「うーん……、やっぱり心配だから明日聞いてみる」
「やめた方がいいよ。余計面倒な事になるし後悔すると思う」
「でも……、良くない事なんでしょ?」
「黙ってるしかないよ。余計ないざこざを起こしたくなかったら放っておくんだね」
渚は強い口調で言いながらトイレ裏から出た。
「うん……わかった」
ミキの返事を聞きながら渚はその場を離れた。
「それじゃあ僕はこれで……悪い事は言わないから深追いはしないでね」
「うん……また明日ね」
ミキも不本意ながらその場から出て渚とは違う方向の出入り口に向かった。
「やっぱり潮の言う通りだったな……しかし、よりによってあのグループの一味だなんて」
渚が小声でつぶやきながら帰路に向かっていると、
「ん? 電話か」
渚の胸ポケットに入った携帯電話が震えだした。渚はポケットから取り出して電話に出た。
「もしもし」
『あ、お兄ちゃん?』
電話の相手は自宅の卓上電話からかけている岬だった。
「岬か、今から帰るけど何か?」
『あのね、さっき「浜岸まさみ」って人から電話が来たんだ』
「……そうか」
渚はその名前を聞いて足を止めた。
『お母さんが電話に出て「明日はおそらく行く」って言ってたらしいけど』
「……わかった、特に何も無いからかけ直さなくて良いよ。それじゃ」
『……あ、うん、わかった』
渚は岬の返事を聞いて電話を聞いた。
「いよいよ明日か……婆さんの件も、あの連中の件も」
渚は携帯電話を胸ポケットに戻そうとした。しかし、
「あ、また電話だ」
再び携帯電話が震えだし、渚は歩きながら電話に出た。
「もしもし、渚だけど」
『おう、俺だ』
電話の相手は潮だった。
「潮、どうかしたの?」
『……いや、お前ならおそらく気づいてると思ったからさ……』
潮の声は普段と違いゆっくりとした口調であった。
「うん、まあね。わかってるだろうから止めはしないけど」
一方で渚は冷静に答えていた。
『そうか……、余計な心配だったな』
「どうするの? 岬が昼飯も張り切ってるけど」
『いやいいよ、お前と違ってためらいそうになるからさ……』
潮はいつもより小さな声で発言した。
「そうか、わかった」
『ああ…………、それじゃあ……行ってくるよ』
潮はくぐもりそうな声で言った後、電話を切った。
「やれやれ……」
渚はため息をつきながら携帯電話を胸ポケットに入れた。そのまま渚は視線を頭上に上げた。
「……空が青いなあ…………いつまでもこんなに晴れていればいいのに……」
雲一つない青空を見て渚は淋しそうにつぶやいた。
――――――――――――――――
【第十六話】 衝撃
日が暮れて人通りでごった返す歓楽街。そこから少し離れた人気がなく街灯も少ない暗い一帯にある廃墟のビルに茶髪でショートヘアの黒いコートを着た女性が姿を現した。
「あら、アヤとケイコも来てたの」
「あ、お久しぶりです。仁味(ひとみ)さん」
すでにビル内で待機していたアヤとケイコは仁味と言う女性に丁寧に挨拶した。ビル内は奥行き十メートル程の広さで、元々あった仕切りや壁が取り払われてあちこちにホコリやゴミが散乱していた。
「久々にこんな格好したけど、本来なら家庭に納まってもおかしくない歳だから似合わないわね」
仁味はケイコやアヤより大分年上だが、ケイコ達と同じくチェック模様のスカートに赤黒いブーツを履いていた。
「そんな事ないですよ、今もキレイですから」
「お世辞はいいわよ。それよりもう一人は?」
「ミキが客の案内やるって外に出てます」
アヤは出入り口を指差して言った。
「それにしても、この寒いのにスカート指定とか集団希望なんて珍しいですよね」
アヤはそう言いながらスカートのポケットから携帯電話を取り出した。
「そうねえ、ネットとかで広がったんじゃないかな? この界隈は有名な店もあるから」
「いきなり『集団希望、Y3ずつ』なんて来たからイタズラかと思いましたよ。この場所を指定されたから来ましたけど」
「まあ、どうせ変な奴らだろうからボコって逃げちゃおうか。この場所知ってる時点で向こうもそれなりの覚悟は出来てるでしょ」
仁味達は笑いながら話していた。その時、
「きゃっ!」
突然、ビルの外から少女の悲鳴が聞こえた。
「え?!」
「……今の声って……」
「……ううっ」
仁味達が振り返った瞬間、ミキがビルの出入り口から扉を押し出しながら倒れこんできた。
「ミキ?!」
「……どうしたの?!」
アヤとケイコは慌ててミキの元に駆け寄った。ミキは体を震わせて口元を手で押さえながらゆっくりと口を開いた。
「黒服の……奴に……スプレーをかけられて……」
「スプレー……?」
「……! ……伏せて!」
ビル内の奥で立っていた仁味は大声で叫んだ。次の瞬間、
「きゃあっ!」
「なっ……?!」
出入り口の扉が突然開き大量の白い煙が噴き出した。アヤ達三人は驚きの声を上げたまま煙に包まれた。
「……目と口を閉じて! この程度の催涙ガスなら一分もすれば」
仁味がそう言いかけたその時、
「……がはっ!」
「……あがっ?!」
煙の中からアヤ達の悲鳴が聞こえた。
「誰?! こんなだまし討ちを仕組んだのは!」
部屋の奥で煙から逃れた仁味は侵入者に向かって叫んだ。
「……さすが『ブラッディ・ステイン』の創始者、こんなだまし討ちには引っかからないか」
煙が徐々に晴れていき、くぐもった声と共に侵入者がゆっくりと姿を現した。
「その催涙ガスなら私も知っているわ……危険だから市販はされてないはずだけど」
「まあ、それも計算の内だ。ゆっくりと話を聞かせてもらうよ」
侵入者は黒いスキー帽に黒いコートで身を包み、手にはバットを持ち顔はゴーグルとマスクで守っていた。
「……とりあえず、あなたが私達を呼び出したようね。何のつもりか知らないけれど」
「詳しい話はしばらく待ってくれ。この連中は気絶してもらったがアンタはそれだけじゃすまないからな」
煙が晴れると床にはアヤ達が意識を失って倒れていた。コートのポケットからはスタンガンの先端部分がはみ出していた。
「ふ〜ん……教える前にやられなきゃいいけどね」
仁味はアヤ達を心配するそぶりも見せず冷静に返した。
「……それじゃあ行きますよ……仇討ちにね!」
侵入者はマスクを外して投げ捨てると、金属バットを振り上げて仁味に襲い掛かった。
「そうは行かないわよ!」
仁味は足元に転がっていたバケツを振り回し中の液体を侵入者の顔にぶちまけた。
「ぶわっ! ……その程度でひるむか!」
侵入者は一瞬動きを止めたが、それでもバットを振り下ろした。
「ふう……今日は早めに帰ろうかな」
同じ頃、楓は歓楽街の裏道を歩いていた。
「お〜い!」
「……ん?」
楓は背後からの声に振り返った。
「瀬都池さん……え? あの人は……」
そこにはなぜか瀬都池と珊瑚がゆっくりと歩いてきた。
「はあ……さすがに七十の体で寒空を歩くのは辛いねえ……」
珊瑚は楓の元に着くと、息を荒げながらつぶやいた。
「珊瑚さん? 何でこんな所に」
「そんな事より、潮くんを見なかったか? さっきから探しているんだが」
瀬都池は珊瑚の前に出て慌てた口調で楓に聞いてきた。
「いえ……、今日は会ってないですけど」
「そうかい……、やっぱりもう行動に出たのかねえ」
「行動?」
不思議そうな顔をする楓に瀬都池は真面目な表情で口を開いた。
「潮君……『ブラッディ・ステイン』に近づいたらしいんだ」
「えっ?! あの連中に?」
楓は驚きの声を上げた。
「君も知っているだろう。昔は数人の援交グループだったのに、ここ数年は人数を増やして商売相手や暴行事件に便乗してケガ人を数多く出していると」
「はい……赤黒いブーツに近づくなって言うあの……」
「この街で商売している身として注意してはいたんだが……現行犯じゃない限り逮捕は厳しいし、連中も中々すばやくて」
瀬都池は自身のパーマ頭をかきながら話した。瀬都池は歓楽街でいくつもの店の経営コンサルタントして活動していて、街では広く知られる存在だった。
「でも、何で潮がその連中に近づくってわかるんですか?」
「そ、それは……」
楓の質問に瀬都池が口ごもると、珊瑚が前に出て口を開いた。
「前からその予感はしたんだよ……、できるだけ踏み切らないように気をつけてたんだけどね」
珊瑚はゆっくりとした口調で説明を始めた。
「あの子達には何年も前に自分の親や周囲の事を包み隠さず教えてきた。知らないで後々になってから後悔するより、知った上で何が出来るかが大事だと信じていたからさ」
「珊瑚さん……」
「でも、まさかこういう手段にまで出るなんて……」
珊瑚は額を手で押さえながらため息をついた。
「……とにかく、もう一度探しましょう。今からならまだ間に合うかも」
瀬都池は少ししゃがんで珊瑚に語りかけるように言った。
「あの、もう一つ聞いていいですか?」
楓は数秒の間を置いて珊瑚に問いかけた。
「……何で潮が連中に近づいたか……って事かい?」
珊瑚は手を下ろして顔を上げながら聞き返した。
「はい、取立て恨みとか聞いたことないですから」
「珊瑚さん……それは」
瀬都池は複雑な表情をした。
「いいんだよ、それを知らないと状況がつかめないだろう」
珊瑚は制止するように瀬都池の前に腕を伸ばした。
「グループの創始者でありリーダー格、仁味って言う三十歳の女を知っているね?」
「はい、聞いたことはあります……」
珊瑚はゆっくりと言葉を発した。
「ソイツは私の息子であり、あの子達の父親……皆鰭を殺した張本人なんだよ」
「…………!」
楓は驚きのあまり言葉を失った。
「はあ……はあ……」
潮は汗だくになりながら顔を覆っていたスキー帽やゴーグルを外した。
「中々やるわね……、一晩で十人の相手もこなせる私と対等にやりあうなんて……さすがこの街で何年も生きてきただけはあるわ」
仁味と潮はお互い室内両際の壁の前で息を荒げながら立っていた。
「当たり前だ……、これまでの被害者のデータを調べれば対策もわかる……」
潮はスキー帽とゴーグルを床に投げ捨てて
「用意周到ね、さすがに父親とは違うわ」
仁味がニヤつきながらそう言うと、潮の表情が一変した。
「ふざけるな! お前が殺したくせに平然と……」
「そう怒らないの、ここまでやられなかったご褒美に、あなたの父親の事ちょっと教えてあげるから」
「な…………スキを作るような間抜けな行動はしないからな」
潮は数箇所へこんだバットを握り締めながら言った。
「そんなぬるい策じゃないわよ……もう、手遅れだから……」
仁味はそう言いながらゆっくりと潮に近づいた。
「……ど、どういう……あ……あれ?」
潮は突然疲労感に襲われ、膝が崩れていった。
「無理しない方がいいわよ……私が無防備でのんきに待っていたとでも?」
仁味は先ほど投げたバケツを拾い上げた。
「まさか……あの時の……」
「そうよ、あの時の水には大量の睡眠薬が溶かしてあった。見ず知らず相手だからコレぐらいの策は用意しないとね」
「……くそっ……体が……おも……い……」
「意識がなくなる前に話してあげるわよ……あなたの父親がなにをしてきたかを、ね」
頭を押さえながらその場にしゃがみこんだ潮の前に、仁味は薄ら笑いを浮かべながら話し始めた。
十二年前、
『姉さん、ついに留学決まったんだよね』
当時、高校生だった私は毎朝、三つ上の姉さんと通学していた。
『大した事じゃないわ、いつか一流のシェフになってお父さんの店を何倍にも大きくするんだから、まだまだ通過点よ』
私の家は隣町で小さな洋食屋を経営していた。姉さんは店を継ぐ為に大学で海外の文化や語学について学び、本場の料理修行を目的とした海外留学が決まっていた。
『でも、すごいよ。私なんて大した夢もないし成績も良くないし……』
『そう言わないの。世の中成績だけじゃないんだからね』
成績優秀な姉さんに比べて私はコレといった取り柄もなかった。でも、これと言った大きな問題や不安もなく平凡な暮らしをしていた。あの日までは……。
『それじゃあ、テスト前だからがんばってね』
『うん、姉さんも行ってらっしゃい』
私が電車通学で姉さんがバス通学の為、いつも駅前のバス停前で別れていた。普段は夕方の帰宅時に同じ場所で合流して帰っていた。
『おかしいな〜。雪で渋滞でもしてるのかな』
あの二月の雨が降った日、いつもは先に到着していた姉さんがその日は駅構内や停留所を探してもいなかった。
『あ、電話だ』
十分ほど経った頃、カバンの中に入れていた携帯電話が鳴り出した。電話の相手は自宅にいるはずの母で、私は何気なく電話に出た。
『もしもし、どうしたのお母さん?』
『仁味! ……え〜と、その、今どこにいるの?』
母の声は普段ののんびりした口調と違って、明らかに慌てた様子だった。
『え? 駅前に一人でいるんだけど』
『駅前ね、今から車で迎えに行くから!』
『ちょっと、一体何が……あ……』
状況がわからないまま電話を切られて、私は仕方なくその場で待ってた。しばらくすると母が大慌てでやってきた。
『仁味、早く乗って!』
『一体何なの? さっきから慌てて……』
『話は後よ、お父さんは先に行ってるから』
私は何があったか聞けないまま車に乗せられた。十分ほどすると、着いた場所は病院だった。
『ご家族の方ですね、診断は終わりましたのでこちらへ』
院内では先に来ていた父と迎えに来た母が別室に呼び出され、私は何故か警官の誘導である一室に案内された。私はそこで見たことない光景を目の当たりにした……。
『……ね……姉さん?』
扉を開くと、朝まで元気そうだった姉さんが体のあちこちに包帯を巻かれ、やつれた状態でベッドに横たわって眠っていた。
『……一体何が?!』
私は大声で同行した警官に聞いた。警官は数秒ほど悩んでからゆっくりと口を開いた。
『……襲われたんだ。数人がかりに暴行を受けたらしい』
話を聞いた私は最初耳を疑った。姉さんは昼間に外食をしに行く途中で歓楽街の傍を通った際に、数人の男から襲われて暴行を受け、発見された時には姉さんが血を流して気絶した状態だったと言う。
『そ、それで犯人は?』
『まだ捜査中だよ……確かな情報が入ったら連絡するから』
後になって聞いた話によると発見された場所は建設途中の状態で放置されたビル。その一帯は元々大規模な工場密集地になる予定だったが建設途中に親会社の業績悪化でビルの建設が中断、建設済みだった工場や寮も放置されその一帯に近づくのは姉さんを発見した巡回中の警官ぐらいだった。しかも、窓ガラスはなく屋根も不十分な環境だった事から、朝からの雨風で証拠も流れてしまったらしい。
『ただいま……』
姉さんは大した怪我もなく一週間ほどで退院した。しかし、事件のダメージは思った以上に大きく留学を中止し大学も中退した。
『姉さん……あんまり飲むと体に悪いよ……』
『……放っといて……落ち着かないの……』
『でも、明日病院に行く日じゃ……』
『飲まないと眠れない……こんな薬だけじゃ』
姉さんはカウンセリングや投薬治療だけでは抑えられず、次第に酒に溺れるようになっていった……。
「その後、父さんも事件の心労で持病だった高血圧が悪化して、仕事を休みがちになって七年前に店をたたんだ。本来なら姉さんが継いでるはずだったのにね」
仁味は潮が持っていたバットを握り締めて、すでに床に倒れこんでいる潮の前に立っていた。
「ウチの家庭を壊して姉さんの将来を潰した! アイツは死んで当然なのよ!」
仁味は怒りをあらわにして叫んだ。
「待てよ……何で……親父が犯人だと……?」
潮は声を震わせながら聞いた。
「……そうね、せっかくだから教えてあげる」
仁味はコートのポケットから数センチほどの小さな袋を取り出し、潮の顔の前に落とした。
「……え? ……これは……」
潮は薄れいく意識の中で、袋の開け口から飛び出している小さなプラスチックの物体を確認した。
「姉さんが持っていた証拠品よ。警察には相手にされなかったけどね」
「クラッカーと勳煙剤(くんえんざい)を応用?」
渚は歓楽街にある一軒のスナックの裏で茶髪にロングヘアの女性と話していた。
「この筒を握りつぶすと数メートルは届く強力な催涙ガスが噴出すんです。クラッカーと煙を充満させる家用の殺虫剤を元に思いついたとか」
渚は黒い筒状の防犯グッズを持っていた。
「なるほど、便利な物があるのね」
女性は渚の持っている防犯グッズを眺めながら感心していた。
「それはそうと土曜日なのに店閉めていいんですか?」
「いいのよ、今日はちょっと気が乗らなくてね」
女性は黒いコートを着て勝手口に貼られた自分の店の看板に手を掛けながら立っていた。
「私一人だから何とか店もやっていけたけど、そろそろ限界かな……もう三十過ぎてるし」
「まあまあ、歳はあんまり関係ないでしょう」
「そうだけど……、成り行きって怖いわね」
女性はため息をつきながらつぶやいた。
「……そろそろ行きますか、手遅れになる前に」
渚は防犯グッズをジャンパーのポケットにしまって切り出した。
「……そうね、あの子を放って置くわけにはいかないし、いい加減わかってもらわないとね」
女性はそう言って勝手口に鍵をかけた。
「早く行きましょう、里穂さん。廃墟とか空きテナントなんて十軒はあるんですから、瀬都池さんじゃ間に合わないかも」
「わかってるって、あの子の事だから多分あの場所ね」
渚と里穂は小走りにその場を離れた。
――――――――――――――――
【第十七話】 無用
夜空が雲に覆われた夜、人気がなく静かな病院の廊下に渚の姿があった。
「おお、渚君も来てたのか」
廊下の突き当りに設置された階段から瀬都池が姿を現した。
「あ、瀬都池さん……」
「今、珊瑚さんと岬ちゃんもこっちに向かってる。里穂さんは仁味さんに付き添っているよ」
「そうですか……」
渚は廊下に置かれた長いすに座りながら、ずっと目の前にある『集中治療室』と書かれた分厚い鉄製の扉を見つめていた。扉の隣には使用中の個室を見分ける五個のランプが取り付けられたパネルが貼られており、その内一個だけが点灯していた。
「しかし、あの廃墟とは予想外だった。一応、地域的には一緒だがあんな寂れた所は歓楽街に入らんからな」
「仕方ないですよ、さすがに当時の現場は未完成なせいで昔よりボロくなってたから、完成済みの隣のビルでしたけどね」
渚の返事を聞きながら瀬都池は長いすの真横で立ち止まった。
「……それにしても落ちつかねえ所だな。人気はないし周りも静かで薄気味わりい」
瀬都池の言う通り、フロア一帯には患者の個室や病室などはなく、専門の検査室や食堂など夜間は施錠される施設ばかりであった。おまけに病院の周囲には大通りや深夜営業の店もなく照明も街灯ぐらいしかないため、暗く静かな状態であった。
「救急やってるのは歌護山病院だけですからね……。まあ、それはともかく」
渚はそう言いながら胸ポケットから薄い数センチほどの物体を取り出した。
「……MDか」
「はい、最近は見かけないですけどね」
渚はそう言いながらMDディスクを胸ポケットに戻した。
「なるほど、それが漣に繋がる証拠だったってワケか」
「被害者は大学の授業を録音する為にMDレコーダーを持ち歩いていた。襲われた際に倒れた衝撃でカバンの中で録音ボタンが押されたらしいです。再生したらかすかに『ミナキ』って呼ぶ声が聞こえたとか」
「まあ、カバン越しじゃ音質良くないし、警察も証拠に出来ないだろうな」
「そうですね……一つ疑問がでてきますけど」
瀬都池は思い立ったように歩きだし渚の前を通り過ぎた。
「……ちょっとそこで一服するわ、一本吸ったら戻るからよ」
「はい、わかりました」
そう言うと瀬都池は廊下の奥にある中庭へ向かった。
「復讐……か……」
渚はうつむいてため息をつくようにつぶやいた。
一時間前、
『……なんで止めるのよ、姉さん!』
『落ち着きなさい、昭子(しょうこ)!』
里穂は必死に抵抗しようとしている仁味の両脇を背後から押さえて説得している。ビル内には仁味と里穂以外に、すでに出血と薬の影響で床に倒れこんでいる潮と、ビルの出入り口付近に渚の姿があった。
『やっぱりそういう事でしたか、黒瀬さん』
『……え? アンタ、知ってるの?』
渚の発言にそれまでしきりに口と腕を動かしていた仁味は動きを止めた。渚はゆっくりと立ち上がって口を開いた。
『ブラッディ・ステイン創始者・仁味。本名は黒瀬昭子。北砺市立並居(なみい)高校卒業後、歓楽街のカプセルホテルに非常勤で勤務している。ブラッディ・ステインのリーダーとして買春斡旋や暴行事件の容疑を何度かかけられているが、いずれも証拠不十分などで逮捕歴はナシ。しかし、最近は上記の容疑に加えて不景気による各店舗の経営悪化で、歓楽街全体で凶悪事件撲滅の機運が強まっている事などから、以前より表立った活動は減っている。実家は洋食店を経営していたが父親の体調不良で閉店、後に父親は病死し母親は年金と内職で生活。姉の真理子は里穂と言う名で北砺市の歓楽街で小さなスナックを経営しているが、ここ数年はほとんど面会していない』
渚は淡々とした口調でスラスラと言い切った。
『……アンタ、そんな情報どこで調べてるの?』
『細かい事はいいでしょ、この街は意外と情報入手しやすいですから』
仁味の質問を渚は冷静に流した。
『それはそうと何で潮君を殺そうとしたの? 前々から昭子のやり方は聞いていたけど何もそこまでやらなくたって……』
『姉さんは甘いのよ!』
里穂の発言に仁味は声を荒げて激昂した。
『コイツは私達の人生を狂わせた男の息子よ! これ以上私達みたいな被害を出さない為に可能性のある奴は始末するべきじゃない!』
『だからって事件を起こす可能性はほとんどゼロに近いじゃない。潮君にしてもこれまで大怪我させた人達にしても明らかにやりすぎよ』
『どうせ、ろくな事やらない連中よ! 金だの色気だのにしか興味のない奴ばっかり』
里穂の言葉にも屈せず仁味は発言を続けた。
『……里穂さん、聞きたい事があるんですけど』
しばらく潮の容態を確認していた渚が唐突に話し出した。
『なんなのよ、こんな時に! 大体アンタは一体……』
渚は言葉を聞き流しながら仁味と里穂に近づいた。
『潮がこの業界に入るきっかけを作ったのは……あなたですよね』
『……え?』
渚の言葉に再び仁味は動きを止め里穂の顔を見た。
『姉さんが……コイツを?』
不思議そうな顔をする仁味を見て、里穂はゆっくりと口を開いた。
『そうよ……、潮君をこの街の人間に仕立てたのは私、犯人の息子だって事も最初から知った上でね』
里穂はうつむいた状態でゆっくりと仁味を押さえていた腕を下ろした。解放された仁味はさっきまでとは裏腹に落ち着いて里穂の方に振り返った。
『……何で姉さんが? あの男に将来を潰されたのに……』
『…………わかってる、いつかそう言われることは覚悟してたから』
『僕が聞きたいのはそれだけじゃなくて……、あなたが店を持つきっかけについてです』
唖然とする仁味を尻目に渚は里穂の目の前に立った。
『鱶谷(ふかたに)里穂って女性……知ってますよね?』
その名を聞いた途端、里穂は突然顔を上げた。
『本当に何でも知ってるわね……そこまでわかってる何て』
『……どういうこと? 里穂って姉さんの源氏名と同じだけど……』
仁味は話がわからず困惑していた。渚はお構いなしに話を続けた。
『十二年前、スナックの先代の店主が諸事情で街を離れた。その後を店で働いていた里穂と言う女性が一ヶ月の休止を経て店を継いだが、常連客からは顔が変わったと言われ交際相手に暴行を受けて整形したと説明した……らしいですね』
『私もその話は知ってるわ。でも何故か誰も事件との関わりを口にしなかった。あれだけ全国ニュースで騒がれたのに……』
渚の話を聞いて仁味は両腕を組みながら言った。
『……顔が違って当然よ、私と里穂は別の人間なんだから』
里穂は小声で説明をしだした。源氏名である里穂と言う名は元々、スナックで働いていた同級生の名前だった。その鱶谷と言う女性は親を早々に亡くしておりスナックで働きながら里穂と同じ大学に通っていた。ジャーナリスト志望だった鱶谷は大学が設けていた海外姉妹校への留学枠を狙っており、当初は成績順で選出に漏れたが事件の影響で里穂と入れ替えで鱶谷が行く事になる。しかし、事件の起きた歓楽街で働いていた過去は後々に悪影響になると考え、里穂が代わりにその名を名乗り先代が諸事情で店主を退いた事を期に入れ替わったと言う。
『なるほど、やっぱり名前を変えたのは事件のせいだけじゃなかったんですね』
『そうよ……、私は元々、料理人を目指していたし酒も強いからすぐに溶け込めたわ。ちょうどあの頃も就職難で大変だったから』
冷静に語る渚と里穂に対し、仁味はうつむきながら震えていた。
『何でよ……前から思ってたけど……、何でそうなったのよ』
仁味は体を震わせながら里穂の両腕を掴んだ。
『姉さんはこの街で潰されたのよ! 金と欲にしか目がない連中に潰されたのよ! 何でこの街に留まって同じ事件を起こしそうな奴をまた』
『いいかげんにしなさい!』
仁味の怒号を里穂は大声で一喝した。仁味は驚いて発言を止めた。
『……復讐なんて何の得にもならないじゃない……悲しむ人間が増えるだけよ……』
『…………姉さん』
里穂は仁味の手を振り解いてそっと仁味の肩を掴んだ。
『事件に遭ったからって世の中、泣き寝入りしてる余裕はないのよ! いつまでも過去に縛られて事件だの復讐だの迷惑なだけじゃない! これ以上、嫌な過去を掘り起こさないで!』
里穂の叱責する声がビル内に響いた。
『…………私が……迷惑……?』
里穂が肩をつかんでいた力を抜くと、仁味は力が抜けたかのようにその場に崩れ落ちた。
『……それじゃあ……私は…………何の為に……』
仁味は頭を抱えて涙を流した。里穂は両目を一度拭ってから、しゃがんでそっと仁味の頭をなでた。
『本当は……、もっと早くに言いたかったけどね…………』
『……こんな事に……十年も……無駄な行為をしてた……?』
泣きじゃくる二人を遠くで見ながら渚は音を立てないようにビルの出入り口を開いた。
『……さてと、やっと来たか』
渚は携帯電話を握り締めながら出入り口から外を覗いた。すると、赤い光と共に救急車のサイレンが鳴り響いていた。
「わかんないな……ん?」
渚がつぶやきながら、階段から近づいてくる人物に気づいて振り向いた。
「……君は弟の渚君だったね? 珊瑚さんから聞いているよ」
「あ、どうも……」
手術着に白衣を羽織った男性医師が渚の横に現れた。
「気絶していた三人は無事だよ。君が彼女達をビルの外に避難させて応急処置をしてくれたおかげもあるしね」
「僕はただ顔を拭いただけですよ、催涙成分で顔も口の中も真っ白でしたから」
「しかし、問題は潮君だ……何せまだ」
医師はそう言いながら悩ましげな表情を見せた。その時、
「お兄ちゃん!」
岬と楓が階段から小走りで姿を現した。
「あ、岬。……それに楓さんも」
岬と楓は渚が座っている長いすの前で息を荒げながら立ち止まった。
「珊瑚さんから聞いたわ……よりによってあの仁味さんにケンカを売るなんて……」
「それで、兄さんは? 今どんな状態なの?」
「それはそうと、楓さん」
岬の言葉を聞き流して、渚は楓の方を向いた。
「ん、なあに?」
「例のスナックの里穂さん……、家族について何か聞いてます?」
「さあ……、妹さんがいるらしいけど、この仕事始めてからお互い気まずくなって会ってないとか」
「なるほど……十年もそんな状態が続けられたのか」
渚は返事をしながら立ち上がり階段に向かって歩き出した。
「ちょっと、お兄ちゃん? どこ行くの?」
「帰るんだよ、明日は色々と忙しいんだ。まだ未解決の点もあるし」
「兄さんが大変なんだよ?!」
岬の発言に聞く耳も持たず、渚は出口に向かって階段を降りていった。
「あ……」
「それで、容態はどうなんですか?」
楓は思い出したように医師に聞いてきた。
「大変危険な状態です。出来る限りの処置はしましたが出血と体力の消耗が酷く、今は集中治療室で再手術できる状態になるまでの回復を待っている状況で」
「そうですか……」
「兄さん……あ!」
岬が声を上げた時、階段から珊瑚がやってきた。珊瑚は杖をつきながらソロソロ歩いてきた。
「お婆ちゃん、兄さんが……」
「わかってるよ。潮の状態も、渚ともさっき通り過ぎたからね」
珊瑚は岬が言い切る前に返事をした。
「こうなる事はわかっていたさ……、具体的な予測まではできなかったけどね」
「お婆ちゃん……」
「まだ私はくたばるわけにはいかないようだね、最後を見届けるまでは…………」
珊瑚は窓の外の曇り空を見つめながらつぶやいた。夜空はまだ暗い暗雲が立ち込めていた。
――――――――――――――――
【第十八話】 関連
『引き続き、昨夜の北砺市の事件についてお伝えします。北砺市警察署前の安西さん』
テレビ画面には警察署の前にいる女性リポーターが映し出され、右下に小さくニュースキャスターの男性が映っていた。
『はい、発表によりますと小学六年生の漣潮君が意識不明の重体、三十歳女性と小学生一名、中学生の少女二名が軽症を負ったとの事です。警察は明日にも、「ブラッディ・ステイン」リーダーの仁味こと黒瀬昭子容疑者を傷害容疑で……』
リポーターが説明している途中でテレビの電源が落とされた。
「相変わらずこのニュースばっかりね……」
里穂はテレビのリモコンをテーブルに置きながらため息をつきながらつぶやいた。
「規模を考えたら仕方ないですけどね。扱い方がズレてるのが引っかかりますが」
渚はテーブルに頬杖をつきながら言った。日曜日の午前中、里穂と渚は集中治療室の向かいに設けられた関係者待機所と書かれたドアのないスペースにいた。室内は八畳ほどの広さに三個の長いすと木製の小さなテーブル、テレビや新聞ラックが置かれ、部屋の奥には天井まで届く大きな窓があった。
「……まだ回復してないのか?」
廊下から通学カバンを背負った蓮が顔を出した。
「蓮、先生へのあいさつは終わったの?」
「一応な……、どうせ休みみたいな状態だからすぐ終わったよ」
蓮はカバンを下ろしながら渚の隣に座った。この日、生徒二人が巻き込まれた事件の影響で文化祭は急遽延期となり、児童達は短時間の全校集会のみで帰宅となった。
「そりゃそうだろうな、身近であんな事件が起きたんだからマスコミの対応やら情報収集やらで大変だろうし」
渚がそう話していると、里穂が突然立ち上がった。
「……何か買ってくるね、岬ちゃんの様子も見たいし」
「あ、はい。わかりました……」
そう言って里穂は小走りに廊下に出た。
「そういや、他の家族はどうしたんだ?」
「ああ、さすがに徹夜だったから叔母さんは岬を別室で休ませに行ったよ。婆ちゃんは僕と入れ違いで荷物取りに帰った」
「そうか……、早く回復するといいけどな」
蓮が何気なくそう言うと、渚は脇に置かれた通学カバンから一冊の雑誌を取り出した。
「蓮の母さん……音楽ジャーナリストだったよね?」
「え、ああ……そうだけど」
蓮が戸惑いながら返事をすると渚は雑誌のあるページを開いた。
「ん? あ、母さんが連載やってる本か」
そのページには蓮の母の写真が掲載されており、海外のコンサートや楽団の紹介記事が記載されていた。
「毎月、世界中の若手演奏者を紹介する連載。始めたのは四年前だよね?」
「……ああ、確かそれぐらいから海外に行くようになったな」
渚は蓮の返事を聞くと、雑誌に挟まれていたメモ用紙を取り出して記述された文章を読み上げた。
「鱈野里穂、旧姓・鱶谷。学生時代のヨーロッパ留学の経験を生かして十二年前より音楽ジャーナリストとして活動。十年前から育児を理由に活動をセーブし雑誌連載をメインとするが、四年前に雑誌編集者であった旦那が病死したのを機に海外への取材活動を積極的に行なうようになり、一年の大半は国外で暮らしている。家族は娘が一人と、故人となった知人の息子を預かっている…………間違いある?」
渚は一息に読み上げてメモを挟んだまま雑誌を閉じた。
「……お前、いつもどうやって調べてるんだよ」
「まあ、それはいいじゃない。さっきの里穂さんの事も知ってるんでしょ?」
渚は蓮の呆れながらの指摘を軽く流した。
「そりゃ、何度か母さんの友達とか聞いた事はあるけど……、要は母さんが働いていたスナックの前の店主がオレの実の母親って事だろ?」
「ずいぶんとあっさり認めたね」
「今更、ああだこうだ言う事でもねえよ。戸籍調べたらすぐわかったし、写真も里穂さんに焼き増ししてもらったよ」
蓮は実の母親の写真を渚に見せながらため息をついた。蓮は独自に自分の素性について役所で調べに行ったと言う。
「その店主さんは妊娠がわかった時から同棲してたらしいね、最もその父親が未成年だったから籍入れる前に交通事故で亡くなって、実家に戻った父親もすぐに捕まったから預けられたらしいけど」
渚の話を聞きながら蓮は胸の位置で両腕を組んでため息をついた。
「どっちにしろ親父は塀の中、今の母さんは年明けまで帰ってこないし、何かできるわけでもないからさ。ハッキリ言われた方が逆にスッキリするよ」
「親の事なんてイチイチ気にしててもしょうがないよ……、選べるわけじゃないんだから」
「そうだな……」
蓮の返事を聞いて、渚は雑誌を通学カバンに戻して、右腕に巻いた腕時計を見ながら立ち上がった。
「十一時半か……、もう少ししたら行かないと」
「え? 何か予定があるのか」
「うん、実はさ……」
渚は蓮の方を向いて話し始めた。
その頃、
「マスコミへの会見の予定はいつだ?」
「今年の分の被害届けのデータを出してくれ!」
警察署では建物の前にはマスコミが詰めかけ、署内も日曜日にもかかわらずあわただしい雰囲気に包まれていた。
「警部補、県警との連絡が取れました」
両脇に各部署の扉が並ぶ廊下で、制服を着た男性警官が黒いコートを羽織ったスポーツ刈りの中年の警部補に話しかけた。
「おう、やっと繋がったか。それで何だって?」
「今、県警の担当者がこちらへ向かっているそうです。ただ、警視は法事があるのであまり連絡はできないそうです」
警官は持っていたメモ用紙に書かれた内容を読んだ。
「やれやれ、トップのお方はまた出てこないのか。昔の手先が捕まって以来、全然表に出なくなったな」
警部補は髪をかきながら面倒臭そうに言った。
「……この間の件ですか」
「まあ、アイツはもう転勤になっていたからバラされたけど、トップは今も県警の責任者だから、暴かれようがないけどよ」
そう言いながら警部補は振り返って歩き出した。
「とにかく、俺は容疑者の様子を見てくるから、引き続き捜査に当たってくれ」
「はい、わかりました」
警官は挨拶をしてから警部補に背を向けて歩き出した。警部補は署内の地下にある留置場へ向かう為、階段を降りた。降りた先には両脇に警備と管理を兼ねた一室とトイレがあり、その奥には鉄製の壁と鉄格子で仕切られた個室が並んでいた。
「昨夜逮捕した女性はどこだ?」
警部補は手前の部屋に取り付けられた小窓を軽くノックしてから内部に話しかけた。
「はい、一番奥の八番にいます。朝から大人しくほとんどうつむいてばかりですが」
「そうか、わかった」
室内の若い男性警官の返答を聞いて警部補はゆっくりと奥へ向かった。留置場内は照明は点いているが人気がなく静まり返っていた。ここ数日は重大犯罪などがほとんど起こっていなかった為、現在収容されているのは一人だけであった。
「…………ここか」
警部補は通路の突き当たりにある鉄製の壁に小さな窓と扉に鉄格子が取り付けられた個室の前で立ち止まった。中は六畳ほどのスペースで蝶番式の壁で仕切られた洋式便器と木製のベッドのみが設置され、ベッドの上では灰色の作業着を着た仁味がうつむいた状態で座っていた。
「……女の子達は無事だそうだよ。少年はまだ意識が回復していないそうだが」
「…………そうですか」
警部補の伝言に仁味は小声で返事をした。
「……君達が世話になっていた店も家宅捜索させてもらったよ。浄化運動が行なわれていた最中にあの店だけは未だにぼったくりや暴行事件の被害届けが相次いでいたからね」
仁味はそれ以降、返事もせず黙り込んでいた。
「やれやれ相変わらずか……まあ、昨夜の時点でほとんど話してくれたから良いけどね」
「なるほど、それでその祖母さんに会う為に母親の七回忌に行くって事か」
「まあね、十二時には迎えが来るらしいから。ここで時間つぶそうと思って」
渚は再び腕時計を見つめながら軽い口調で答えた。
「……本当、この状況でよく冷静でいられるな。普段はクラスに溶け込んだ普通の奴とか聞いたけど」
「だって、わざわざ浮く必要はないじゃない。慌てふためいても状況は変わらないんだから」
「まあ、そうだけどさ……」
蓮がそう言うと、渚は立ち上がって窓の前に立った。
「あのさ…………」
「なんだ?」
渚は先ほどとは打って変わって真面目な口調で話し出した。
「これまで話したような連中は全員消えて欲しいと思わないか?」
「……へ?」
蓮は意味がわからずイスから立ち上がって渚に近づいた。
「だから、あの街にはびこる連中も、あの婆さん達も、お前を冷やかしてた連中も……要は自分勝手で迷惑な存在だろ?」
「……いや、そうかもしれないけど……何だよ突然」
「性欲だの金銭欲だの人生には不必要だろ。だったら欲求なんてないほうがいい」
渚は振り向いて返事に悩む蓮の顔を見た。
「まあ、潮と違って強行手段には出ないよ。そこまでやろうとする意思がわかないから」
「はあ…………、オレにはそこまで考えられないな」
「僕は妄想とか欲求とかわからないんだ。できない性分だからこそバカバカしく感じてさ」
渚はそう言いながら通学カバンを持ってゆっくりと廊下に出た。
「そろそろ行くよ。この病院に来るよう連絡してあるから」
「…………ああ、わかった」
蓮が戸惑いながら返事をすると、渚は足を止めて後ろに振り向いた。
「次、学校に来る時は……、全く違うクラスに感じるかもな」
「……え? どういうこと……」
渚は蓮の返答に答えないまま付近の階段を降りてその場を去った。
「…………本当にわかんねえ奴だ、オレにだけ話しておいて答えは明かさないし」
蓮はため息をつきながら再び長いすに腰掛けた。すると、
「渚! いるのか?!」
廊下から早い足音とともに声が聞こえた。
「何だ? 他にまだ知り合いがいるのか」
蓮が立ち上がろうとする前に、声の主が室内に入ってきた。
「お前は…………確か一組のヤツだったっけ?」
「あ、あれ? 渚は? お前だけ?」
声の正体はコウジであった。コウジはジャージに通学カバンを背負った状態で辺りを見渡していた。
「渚なら母親の法事に行ったよ。潮もまだ回復していない」
蓮は面倒臭そうに説明した。
「なんだ……、アヤちゃんが倒れたとか逮捕されたとか変な噂を耳にしてさ。確かめに来たんだけど」
コウジ走ってきたせいか息を切らしながら言った。
「それはちょっと……、オレはそこまで詳しくないから」
蓮は後頭部で両腕を組みながら言った。
「……ところで、お前誰? 親戚?」
「…………え〜と、渚の同級生だ」
不思議そうな顔をしているコウジの問いに、蓮は数秒ほど悩みながら答えた。
渚が階段を降りて目の前にある病院の裏口を出ると、車道に黒いワゴン車が停まっていた。駐車場や商店が並ぶ正面入り口に比べ、裏口付近は数件の民家以外は田畑が広がっており、車はおろか通行人すらろくにいない静かな所だった。
「お待ちしていました、お乗りください」
運転席に乗っている若い黒髪の女性は窓から渚に話しかけた。
「……よろしくお願いします」
渚は軽いお辞儀をしてから黙って後部座席に乗った。運転手は渚がシートベルトを締めたのを確認してから車を走らせた。
「二十分ほどで会場に着きますので、一旦お食事の席を終えてから開始となります。社長と教授がお待ちですよ」
「はい、わかりました」
渚は返事をしながら胸ポケットから携帯電話を取り出した。渚は携帯電話を開くと真っ先にメールを入力し始めた。
「ようやく決まるのか……どう転がるかな」
画面上には『鮭本スグル』と表示されていた。ワゴンは田畑に挟まれた道路を走り七回忌の会場に向かっていた。
――――――――――――――――
【第十九話】 証言
山間の木々に囲まれた一本道を抜けると、広大なアスファルトで覆われた土地とその中心の大きく建てられた白い外装のセレモニーセンターが見えた。
「オーライ、オーライ。はいストップ〜! バスはこちらから左に並んで停めてください」
警備員が駐車場内に入ってくるバスを誘導している。この日は過疎地にしては珍しく、駐車場には何台ものバスが停まっていた。
「あ〜、やっと着いたか。長かったな」
「本当だよ、何でこんな新幹線も飛行機も来ない田舎に集めるんだか気が知れん」
ある一台のバスから降りた数人の男達が愚痴をこぼしていた。大半の人間は都市部から各会社ごとにバスでやってきた集団であった。
「それにしても、いくら社長の娘だからって七回忌をこんな大規模にやるとはな。まさかデカい事を発表するんじゃ……」
「そうなると、この間の波内出版の件かな。波内を切り捨ててグループ内に新しい出版部門作るらしいから、グループ内の優秀な人間をそこに呼び込む為に集めたんじゃないか」
所々で法事とは無関係な噂話が囁かれていた。この日やってきた人間は浜岸グループ各社の幹部やエリート社員が主で、大半は四十代以上の人間であった。
「そういえば、社長ももう歳だけど親族で跡継いるのか? 養護教諭やってる次女と……長男は事件起こして行方不明だったな。甥っ子は県警にいる父親と同じく警官になったんだっけ?」
「いや、今日法事をやる長女の子供がいるはずだ。今は父方の祖母に引き取られたとか聞いたが」
「しかし、予備校に文具に……ん? あれは?」
「……どうした?」
何気なくバスを見ていた男がバスの列の片隅に停まっている白いワゴンに気付いた。
「業者の入り口って反対側だよな? なんでこんな所に止めてるんだ?」
「この辺の支社にいる連中じゃないのか? 人数少ないからバス出なかったんだろ」
「そんなのいいから入ろうぜ、そろそろ準備も出来た頃だろ」
男達は周囲の参列者と共にセレモニーセンターの入り口に向かった。
「渚が跡継ぎねえ……」
「本気らしいですよ。今日の件が終わったらあちこちで根回し始めるつもりだそうで」
同じ頃、会場内の関係者控え室では、故人の義妹にあたる瑞姫と実の妹である浜岸唯がどちらも喪服姿で会話していた。
「まあ、あの子は苦労続きだったからあんな感じになったんであって、素質とか言う問題じゃないと思うけど。大体、生まれる前の時点でモメたからねえ」
瑞姫は室内に置かれたパイプイスに腰掛けながら言った。室内は鉄製のロッカー一つと折りたたみ式のテーブルとパイプイスぐらいしかなく、壁も一面真っ白で質素な内装であった。
「……そうですね。まさか、あの時は生むって決まったのに驚きましたからね」
「そりゃそうよ、あのエリカが妊娠した時ってまだ十五だったよね? 私も堕ろすかと思ったわ」
「はい。父は古風で頑固ですから相当怒ってましたけど、母が『養育費の支援はするから生んでくれ』って鶴の一声で決まって」
「そっか、親父さんって確か婿養子だったわね。あの時すでに会社は今ほどのスケールになってたから逆らえないわね」
二人は渚達が生まれる前のことを話していた。父親と言うのは渚の母方の祖父で大学教授である浜岸学(まなぶ)の事で、現在は体を壊し入院中でこの日も欠席していた。
「でも、姉さんはろくに家事はしないで遊んでばっかりで事故にあうし、兄さんは悪い連中とつるんで渚君を……挙句の果てに事件に巻き込まれて失踪状態ですから……」
「ひょっとして、あのまさみ社長はこの事がわかってて孫の代に賭けようとしたんじゃ……」
二人はため息をつきながら皮肉交じりに話していた。
「そうかも知れませんね、私も大学出てますけど口下手で理数系も苦手でしたから……」
「…………本当に口下手ね、さりげなく『大学出てます』って公立高卒の私へのあてつけ?」
「あ、いや……そんなつもりじゃ……」
「わかってるって、私は成績イマイチだったけど会話は得意だから」
慌てて否定する唯を見て瑞姫は笑いながらフォローした。
「とにかく、今そのまさみ社長は渚君と話してるってわけね」
「はい、叔父さんも一緒らしいですけど」
「……え?」
唯の発言に瑞姫は立ち上がった。
「叔父さんって、あの県警の幹部やってるって言うあの?」
「はい、昨夜の事件の事で遅れましたけど、さっき見ましたよ」
瑞姫は唯の言葉を聞いて少し驚いたが、数秒ほどで再び椅子に腰掛けた。
「……なるほど、それでわざわざ来たのね」
「どういうことですか?」
「まあ……、後でわかると思うわ」
不思議そうな顔をする唯に瑞姫はその一言だけ告げて黙り込んだ。その時、
「叔母さん、渚です」
渚の声と共に出入り口のドアがノックする音が聞こえた。
「あ、開けて良いわよ」
「……失礼します」
渚はゆっくりと扉を開いた。
「もう話は終わったの?」
「はい、まだ時間ありますけどどうします?」
渚は通学カバンを片手に持ちながら腕時計を見ていた。
「そうね、小腹も空いたし食堂でも行きましょうか」
「はい、じゃあ行きましょう」
瑞姫はイスから立ち上がって部屋の出入り口へ歩き出した。
「それじゃ、また後でね」
「はい、瑞姫さん」
唯がお辞儀したのを見届けて瑞姫は渚と共に廊下に出た。
「それで、どうだったの? 話って」
「いや、特に大きな話はなくて……予想通りで」
渚が返事を言いかけると、
「あら、瑞姫さんだったっけ?」
渚達の背後から女性の声が聞こえた。
「え……まさみさんと、ひろしさんでしたっけ?」
瑞姫が振り返ると、そこには浜岸グループ社長・浜岸まさみと、その隣にはその弟である白髪混じりの髪に黒ぶちメガネをかけた浜岸広(ひろし)警視長の姿があった。
「あなたは昔、私の部下だった大記君の義母さんでしたね。先日の件は私も驚きましたよ」
広はまさみの前に出て瑞姫に話しかけた。
「……いえ、もう離婚したので過去の事ですから」
「この慌しい時に来ていただいてすみませんね」
まさみも一応、申し訳なさそうな言い方で発言した。
「いや、一応親族ですから……。行きましょう、早くしないとのんびりしてると法事が始まっちゃうわ」
瑞姫は渚の腕を引っ張って早足で歩き出した。
「それじゃあ、また後で……」
「はい、珊瑚さんにもよろしくお伝えください」
まさみは軽く笑って瑞姫と渚を見送った。
「……全く、何が『驚きました』よ。白々しい事を」
瑞姫はセンターの正面玄関の前に置かれたベンチに座りながら愚痴っていた。参列者のほとんどはすでに受付を済まして法事の準備かセンター内の控え室に入ったらしく、周囲には玄関横の受付にいるセンターの従業員ぐらいしかおらず静かだった。
「だって、昔あのジジイは市警の署長だったのよ? なのに自分が県警に移って大記も県を離れたから当時の責任者ってのを無視して大記に押し付けたのよ」
「まあまあ、落ち着いてくださいよ」
渚は不満顔の瑞姫をなだめた。瑞姫の話では、県警の幹部である広は一年前まで北砺市警の所長をしていたと言う。当然、瑞姫の元旦那である波内出版前社長とその息子の大記が起こしたタクシー事故の真相が隠蔽されていたのは二年前なので、広にも責任があると言える。
「隣にいたまさみ社長だって、潮君の事件も母さんの事も知った上であんな発言しやがって……」
「……瑞姫さん」
「それに……ん?」
愚痴っていた瑞姫の顔の前に、渚は片手におさまるサイズの白いボイスレコーダーを差し出した。
「早いですけど……そろそろ決めますか」
十分後、
「おい、そろそろ始まるんじゃないのか?」
法事の会場内に続々と参列者が入ってきた。会場内には中央奥の僧侶の席を囲むように各会社の社員が並んで正座していた。
「え〜っと、オレ達は……おや?」
「どうした?」
「さっきまであったワゴンがなくなってるぞ」
会場に入ろうとした一人の男が、廊下の窓から見える駐車場を指差した。そこには並んだバスの隅に先程まで停まっていた白いワゴンがのスペースが開いていた。
「帰ったんじゃないのか? ここに用があるとも限らんだろ」
「それもそうだな」
そう言って男達がそう言って会場に入ろうとした。その時、
「一体どこに行ったの?!」
「わかりません! 会場内をくまなく探したのですが」
「もう一度確認しなさい!」
廊下の奥からまさみの声が響いた。
「何だ? 今の声は社長じゃないのか?」
「そうだな、慌てた様子だったけど……一体どうしたんだ?」
会場内の参列者達もまさみの声を聞いて振り返った。すると唯が廊下から会場の出入り口に走ってきた。
「ハア……ハア……」
「あ、唯さん、どうされたんですか?」
唯は息を切らせながら話しかけてきた男に自分の携帯電話を見せ付けた。
「波内出版のサイト……見てください……」
「……え? あ、はい」
その場にいた数人の参列者達は自分の携帯電話を取り出して、言われた通り波内出版のサイトを開こうとした。
「……え〜と……え?!」
「おい! これどういうことだ?!」
サイトを見た参列者たちは一様に声を上げて驚いた。
「……それと、小学生の男の子を見ませんでした? 渚君って言う……」
「え、いや……さっき玄関で見ましたけど」
「まさか……もう、逃げたんじゃ!」
唯はそう言って、再び廊下を走っていった。
「何なんだよ、急に……」
「オレ達どうなるんだ? こんなの流していいのかよ」
会場全体がサイトを見た参列者達のどよめきでざわついていた。
その頃、セレモニーセンターから少し離れた車道に、さっきまで駐車場に停められていた白いワゴンが走っていた。
「……今頃、会場は大慌てでしょうね」
「そうね、多分探してるわよ」
車内には警備員の制服を着た運転手と、後部座席にノートパソコンを持った渚と瑞姫が乗っていた。
「それにしても、話一つで証拠を得られるなんてよくやったわね」
「簡単ですよ、ほとんど予想はついていたから証言さえ手に入れれば、後はサイトに表示するだけですから」
渚はノートパソコンの画面を見ながら言った。その画面には波内出版のニュースのページが開かれており、見出しに大きな文字で『タクシー隠蔽事件の黒幕は浜岸グループ社長の弟が握っていた!』、『北砺市婦女暴行事件の真実も隠蔽!』などと書かれていた。
「いや、おかげで何とか立て直せそうだよ。臨時増刊も早速、明日刷ってもらうよう届けてもらったから」
運転手の男性が渚に話しかけてきた。
「本当に大変だったわね、鮭本さん」
「ハハハ……まあ、潰れたわけじゃないんでがんばりますよ」
警備員姿の運転手は先日、潮に助けられた波内出版の雑誌編集長・鮭本だった。彼はタクシー事件を波内出版の責任で片付けようとするまさみを放っておくまいと、渚の提案で事前に警備員に扮して、まさみと広から証言を得た渚をいち早く会場から逃がして、自社のサイトのニュースを更新させた。
「このままネットで広がれば、取引や株価にも影響が出ますから数日で浜岸は窮地に立たされますよ。ほとんど提携解消で独立状態だったんだから、波内には影響ないですけどね」
渚はパソコンを閉じながら言った。
「それにしても、タクシー事件の件は大記があのジジイとのコネでもみ消したらしいけど、里穂さんのMDの件は一体どういうことだったの? バカ兄貴の名前を呼ぶ声が入ってたらしいけど」
「ああ、その件は普通に考えたらおかしいと思うはずですよ」
渚はパソコンを横のシートに置いて、真横に座っている瑞姫の顔の位置に通学カバンを持ち上げた。
「里穂さんの持ってたMDレコーダーは巾着のカバーに包まれて、しかもカバン越しだったんです」
「うん、それで?」
「押し倒された時にカバンの下敷きになってボタンが押された。だとしても、カバーの生地とカバンを覆っていた生地の二枚越しの状態で録音しても声がまともに聞き取れますか?」
「あ! そういえばそうね……」
瑞姫の少し驚いた様子を見て、渚は通学カバンからボイスレコーダーを取り出した。
「全部言ってくれましたよ、この中に残ってます」
渚はボイスレコーダーのスイッチを入れて、再生ボタンを押した。
『……ええ、そうよ。十三年前の事件の捜査本部長は私の弟。だから、証拠を消してもらうついでにもっともらしい音声で吹き込んでもらったのよ』
再生された音声はまさみの声だった。渚はレコーダーの停止ボタンを押した。
「証拠も証言もろくになかったのにわざわざ犯人が中高生だと発表したり、あえて被害者の名前を『沖野』とか偽名にしたり……おかしいですよね? 実は証拠も雨に流されたんじゃなくてこっそり現場に出向いた時に隠したらしいですよ」
黙って渚の説明を聞いている瑞姫は、発言が一旦止まるとゆっくりと口を開いた。
「……でも、変じゃない? あの事件が起きてすぐにエリカさんの妊娠が発覚したから、スキャンダルにならない為にバカ兄貴達が犯人だって公表しなかったんでしょ? 何でわざわざ名前を吹き込んだの?」
「それは言ってなかったですけどおそらく……」
「改心して欲しかったんじゃない?」
渚が言おうとすると、運転中の鮭本が話に入ってきた。
「え? どういうことです?」
「自分にもマイナスになるから犯人扱いはしない、だけど事件に関わってる事を匂わせる程度なら、噂になったりしてあの街にいづらくなるんじゃない?」
「…………つまり、あのバカ兄貴やエリカさんがあの街とは関わらないで真面目になって欲しかった……って事?」
「……推測だけどね、一応親なんだから」
「……結局、仁味さんも里穂さんも今後の妨げになるって事で一切口にしませんでしたけどね。事件以来、偏見で歪曲された噂しか流れませんでしたよ」
渚はつぶやくように言いながらボイスレコーダーをカバンにしまった。瑞姫はドアで頬杖をついて黙り込んだ。
「…………えっと、潮君が入院しているのは歌護山病院だったよね? ボクも助けてもらった恩があるから見舞いついでに向かうよ」
数秒の沈黙の中、鮭本は言葉を選びながら聞いてきた。
「あ、はい。岬を母さんに任せてますし、ひょっとしたら回復してるかも」
「…………そうですね、もういいですけど」
渚は小声でつぶやいた。
「どうしたの?」
「いや、何でも……」
渚の胸ポケットから白い紙がのぞいていた。ワゴンは歌護山病院に向かっていた。
――――――――――――――――
【最終話】 結論
「……あら? また例の件のニュース?」
コートを羽織って商店街を歩いていた楓とツトムは電器屋のショーウィンドーに並んだテレビ画面を見て足を止めた。
『続報です、浜岸グループは北砺市のタクシー事件や婦女暴行事件の証拠隠蔽などで逮捕された前社長・浜岸まさみ容疑者の解任を正式に発表しました。次期経営陣については検討中と発表されていますが、先月の報道以来グループ各社の株価暴落や経営悪化により、経営再建には時間がかかるとの見通しです。』
テレビ画面ではニュースキャスターの男性がニュースを読み上げており、画面右上には逮捕された浜岸まさみの姿が映っていた。
「…………これで良かったのね」
「さあ……、渚は何にも言ってなかったけど」
「どうせ、縛られるのが嫌だったってとこじゃないかな」
楓はそうつぶやきながら歩き出した。
「あ、待ってくださいよ」
ツトムも慌てて楓の後を追った。
「おい、待てよ!」
「うるせえ! 一秒でも早く帰った方が得だろ!」
小学校ではユウトとリョウタが通学カバンを背負って廊下を走っていた。
「コラ! 君達、廊下は走らないの!」
通りがかった養護教諭の尾野田は大声で注意した。
「あ、す、すいません」
「やっぱりゆっくり行こうぜ……」
二人は急に足を止めてゆっくりと歩き出した。
「本当にあの件以来変わったわね。できれば始めから大人しくしてくれれば尚いいんだけど」
尾野田はすごすごと階段に向かって歩く二人を見てつぶやいた。
「尾野田先生!」
「あら、岬ちゃん」
下の階から階段を上がってきた岬は、尾野田の姿を見つけるなり声をかけてきた。
「歯磨き強化週間の記録、終わりました」
「はい、お疲れ様。わざわざ残ってくれてありがとう」
岬は小脇に抱えていた数枚のプリント用紙を手渡した。
「ところで、渚君は先に帰ったみたいだけど岬ちゃんはどうするの?」
「今日はお母さんが迎えに来てくれるんです。新しいお父さんを紹介するって」
「……本当にあなたって素直ね、平然と教えるお母さんもどうかと思うけど」
尾野田は少し呆れた口調で言った。
「それじゃあ先生、さようなら〜」
岬は手を振りながら小走りに階段へ向かった。
「岬ちゃん、あせって転ばないようにね」
尾野田は両手を頬に当てて岬に言った。
同じ頃、街外れの墓地の前に唯の運転している車が停まった。周囲は田畑が広がった静かな所であった。
「…………やっぱり、来てたわね」
唯が車から降りると、墓地内のある墓の前に渚が立っていた。
「あ、唯さん」
「こんにちは、渚君」
唯が墓地内に入ると、渚が気付いて挨拶してきた。渚は『漣家』の墓の前に立っており、黒いジャンパーとズボンだけを身に着けた手ぶらの状態だった。
「もう、あれから一ヶ月も経つのね……」
唯は持ってきた花束を墓の花立てに挿した。墓には一応お供え物を置くスペースや線香立てもあったが、唯の花束以外は何も置かれていなかった。
「お供えは持ってこなかったの?」
「そういうのは興味ないんで、それに病院のついでに来ただけですから」
「そう……、珊瑚さんも入院されたんだっけ」
渚の返事を聞いて唯は思い出した。珊瑚は持病の高血圧などをこれまで薬で抑えながら仕事をしていたが、さすがに年齢的にも無理がたたり仕事をセーブして一週間ほど前から入院した。
「この墓はまだ二十年も経ってないんですけどね……。もうすでに四人も入ったなんて、普通じゃないですよ」
渚は皮肉混じりにつぶやいた。漣家の墓は珊瑚の旦那が亡くなった時に立てられたと言う。
「……あ! そういえば聞きたい事があったんだけど」
「はい?」
唯はふと声を上げて渚の肩を叩いた。
「先月の法事の時、お母さんと叔父さんから事件の証拠を隠したって証言を聞きだしたんだよね?」
「それが何か?」
「あの時はお母さんが用意した法事用の衣装に着替えさせられて、通学カバンも控え室のロッカーに預けられたんでしょ? どうやって気付かれずにボイスレコーダーを仕込んだの?」
「ああ、その事ですか……」
渚はそう言うと、ジャンパーのポケットからある物を指でつまんで取り出した。
「……それは?」
「ボタン型の盗聴機です。着替えてるスキにこっそりと衣装のボタン裏に貼り付けたんですよ」
渚が持っていたのは一センチほどの丸く小さな盗聴機の送信機だった。
「あらかじめ通学カバンの中にボイスレコーダーと盗聴機の受信機を音声ケーブルで繋いで入れておいたんです。ロッカーの中でも同じ室内なら受信できるんで、預ける直前にレコーダーと受信機の電源を入れておけば、送信機からの証言をそのまま録音してくれるってワケですよ」
「……でも、もし金属探知機とか電波を遮断する用意をしてたらどうするの?」
「さすがにそこまではしないでしょ。そんなのバレたら参列者や会場の経営会社から怪しまれるし、社長である以上は日曜日でも携帯電話は手放せないじゃないですか」
「そっか……それもそうね」
唯は納得してうなずいた。
「まあ、これで良かったかどうかは……わかりませんけどね」
渚は墓の見上げるように視線を上げながら言った。唯は墓の前でゆっくりと合掌しながら頭を下げた。
「……それじゃあ、私も一応お見舞いに言ってくるから。またね」
「あ、はい」
唯はそう言ってその場を離れた。
「ふう……僕もそろそろ帰ろうかな」
渚が背伸びをしながら独り言を言った。その時、
「おう、渚。来てたんだ」
渚の背後から聞きなれた声がした。
「ん? あ、蓮」
渚が振り向くと、そこには二つの花束を持った蓮の姿があった。
「蓮も墓参り?」
「ああ、オレを産んだ母さんの墓もここにあるって聞いたからさ。ついでに……」
蓮は漣家の墓の数基となりにある墓に花束を置いて合掌した。
「そうか…………それで、二つ持ってるんだ」
「……ああ、一応オレも潮とは何度か会ってるからさ」
蓮は数秒ほど目をつぶって合掌すると渚の前にある漣家の墓にもう一束の花束を挿した。
「……でも、残念だったな。 法事に行ってたから潮の最期に立ち会えなくて」
「ああ、僕は立ち会う必要なかったからさ」
渚はズボンのポケットから一枚の封書を取り出した。
「何だそれ?」
「置手紙だよ……。潮の奴、わざわざ僕が気付くように自分の机の上に置いてから行ったんだ」
「ふ〜ん、アイツらしいな」
蓮はそう言いながら、墓の前で合掌して目を閉じた。
「始めからわかってたんだよ。自分が命がけになる事も、僕が一人になることも」
「え? 一人ってどういうことだよ」
蓮は目を開けて聞いてきた。渚は置手紙を見ながらゆっくりと口を開いた。
「入院してる祖母ちゃん……長くないらしいんだ」
「え……」
渚の発言に蓮は驚いた。
「大分、やせ我慢しながら働いてた。前から僕も潮も気付いてたんだ」
渚は置手紙をポケットに戻しながら話を続けた。
「岬も瑞姫さんが正式に再婚したら引っ越す予定。卒業する頃、僕がどこで暮らしてるかも未定だよ」
「…………そうか。その、何て言ったらいいかわからないけど」
「無理しなくていいよ。良かったじゃない、リョウタ達は歓楽街言った事バレてから冷やかさなくなったし」
渚は返事に困る蓮に対し冷静に語った。潮の件に巻き込まれたブラッディ・ステインのメンバーが警察の取調べを受けた際、ごく最近の出来事としてリョウタ達も告白で歓楽街に行った事がバレた為、それ以来、叱られた時に蒸し返されない為に大人しくなったらしい。
「そうだけどよ……、お前を見てると自分があの程度で引きこもってたのがバカみたいでさ」
「僕を見てると……か」
蓮の言葉を聞いて、渚は墓石に手を当てながら口を開いた。
「親が育児放って遊び放題、母親が目の前で焼け死んで、父親が滅多打ちで血まみれになって、祖父母にスパルタで軟禁されて、挙句の果てに金目当てで暴行されて……って事?」
「……いや、その、え〜と」
「そんな境遇でも生きていくとなると……感情を殺して良い子を演じ続けるか、危ない環境に身を置いても失った物を支えに感情を残すか、他に思いつかなかった」
「……潮の事か」
「僕は前者を、潮は後者を選んだ。ただそれだけの事さ」
渚は両目を手で拭った。
「その証拠に、双子の兄弟が死んだのに涙一つ出なくなったからさ」
「渚……」
立ち尽くす蓮の脇を通って渚は歩き出した。
「それじゃあ、またね。今日は雪が降るらしいから帰るよ」
「あ、ああ……」
渚を見送った蓮は実の母の墓を軽く掃除してから帰路に着いた。
「……置手紙、いや遺書かな……」
家に帰る途中、人気のない農道で渚は置手紙を開いた。
『渚へ、 お前の事だから俺がどういうつもりかはもうわかってるだろ。俺は親父の敵討ちと言う目的であの街に入った。偶然にも確証の取れる情報が入ったから俺は行く。お前も俺も祖母である漣珊瑚の言葉を覚えてる。どうなるか、何をすれば良いかはお前の判断に任せるよ。短い間だったけど一緒に暮らしてて少しは楽しかった。お前と兄弟で生まれてよかったぜ。俺の分までとは言わないからまあ後悔の内容に生きててくれ、岬にはまだ辛いだろうけどよろしく頼む。最期にその言葉をもう一度思い出す為に残しておく。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。どんなに辛い事実でも隠されたまま傷つくより、知った上で出来る事がある」 今までありがとう。 潮』
渚は何気なく内容に目を通すと手紙を閉じた。
「…………良かった、か。アイツ……幸せな奴だよ……」
渚は置手紙をしまって自宅に向かって歩き出した。いつの間にか外は雪が降り始めていたが、渚は傘もフードも使わずそのまま歩き続けた。
-
-
■作者からのメッセージ
作中の学校名などの固有名詞は架空の物で出来る限り実在しない名称にしています。
当初の予定より大分長くなってしまい、色々とご指摘を受けたり不十分な点があったりと反省するべきが多かったと自覚しています。最後が駆け足になってしまった感もありますが、ギリギリ年内に締める事が出来ました。これまで長い話を読んでいただいてありがとうございました。