- 『水の記憶』 作者:ルカ / ショート*2 リアル・現代
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原稿用紙約3.75枚
この水の冷たさを感じたのは何年ぶりだろう。
曇天の下、俺はその冷たさに浸っていた。
足を包む冷水は心地よいものであった。
セミの声が絶えた夏の午後である。
俺はここに釘付けになっている。
久しぶりの感触に嬉しくなったのである。
最近、海もプールも行っていない。
一緒に行く彼女がいないからである。
友人に合コンの設定を頼んでいるが連絡がないのだ。
俺は軽く目を閉じて、大きな溜息を一つついた。
穏やかな南風がさらりと頬を撫でた。
足首にかかる砂の感触がくすぐったい。
サンダル越しに砂の柔らかさが伝わってくる。
僅かな雲間から差す光の下、俺は神足の裏に神経を集中させた。
海辺にいる気分に浸っていたかったのだ。
「お兄ちゃん、そこ避けてくれない?」
子供の声で俺は我に返った。
周りには砂の城を作る子供たちが不審な目で俺を見ている。
俺は砂場に立っていたのだ。足首は砂場の湖に浸かっている。
砂遊びを邪魔する男以外の何者でもなかった。
「ごめんよ」
俺はそれだけ言うと、足早に砂場を後にした。
恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じていた。
この写真を酒の肴にしているのが俺の数年来の友人である。
俺は彼の左隣で当時の感覚を思い出していた。
ここは合コンのバーベキュー会場である。
「ほんと恥ずかしいよな、この写真」
友人は噴き出すのをこらえるように言った。
「まったく人生最大の恥だよ、本当に」
俺は顔を伏せて忌々しげにつぶやいた
「犬の散歩中にこんな面白い写真が取れるとは思わなかったよ」
友人が嬉しそうに言った。
「隠し撮りなんていい趣味してるよ」
俺は眉間にしわを寄せ抗議した。
「何その写真?」
俺は正面の声に驚き、肉を金網に落してしまった。
俺が目をつけていた女性である。
小顔でまっすぐの黒髪を肩で切り揃えている。白いブラウスに黒いスカート。
お嬢様風の女性が宝物を見つけたような顔でこっちを見ていた。
「いや大した物じゃないよ」
俺は何事もなかったかのように肉を拾い直した。
「隠すことはないだろう」
友人はそう言って写真を前方へ差し出した。
「やめろって」俺はあわてて、左手で写真を掴もうとした。
一瞬早く女性の手が写真を掴み取っていた。
俺の頬を冷たい汗が流れて行った。
人生最大の恥はこれから始まると気づかされた。
気がつけば俺は右手にコップ一杯の注がれたビールを握り締めていた。
この水の冷たさを感じたのは何年ぶりだろう。
曇天の下、俺はその冷たさに浸っていた。
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■作者からのメッセージ
初投稿のルカといいます。日常のありそうで無さそうな場面をイメージしました